金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


海の色は何色?

海、 それは自分の心をありのまま映し出す鏡だ。
    ---H・メルヴィル『白鯨』

 詩人が何にもましてひどく苦しめられている欠陥物で、この世の屑ともいうべきものは、言葉である。ときおり詩人は、言葉を---というよりはむしろ、この粗末な道具を用いて仕事をするように生まれついた自分自身を本当に憎み、非難し、呪うことがある。
    ---ヘルマン・ヘッセ『ヘッセの読書術』

ゆゑもなく
海が見たくて
海に来ぬ
こころ傷みて
たへがたき日に
     -----石川啄木『一握の砂』より

かへる日もなきいにしへを
こはつゆ艸(くさ)の花のいろ
はるかなるものみな青し
海の青はた空の青
    -----「かへる日もなき」三好達治

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
    ---寺山修司

「ときとして私たちは言葉は必要とはしません」と老人は言った。私の言ったことが耳に入らなかったみたいに。「しかしその一方で、言葉は言うまでもなく常に私たちの存在を必要としております。私たちがいなくなれば、言葉は存在意味を持ちません。そうではありませんか? それは永遠に発せられることのない言葉になっていますし、発せられることのない言葉は、もはや言葉ではありません」
    ---村上春樹「どこであれそれが見つかりそうな場所で」(『東京奇譚集』新潮社)

 「青」  (谷川俊太郎「色の息遣い」『手紙』)

どんなに深く憧れ、どんなに強く求めても、青を手にすることはできない。すくえば海は淡く濁った塩水に変り、近づけば空はどこまでも透き通る。人魂もまた青く燃え上がるのではなかったか。青は遠い色。
獏としてかすむ遠景へと歩み入り、形見として持ち帰ることのできるのは、おそらく一茎のわすれなぐさだけ、だがそれをみつめて人は、忘れてはならぬものすら忘れ果てる。おのがからだのうちにひそむ、とこしえの青ゆえに。

「きみがひと目見たかったんだ」とウリセスがだしぬけに言った。「美人だって噂は聞いていたけど、ほんとだね」
「でも、わたし死にそうなの」とエレンディラが言った。
「ママが言ってたけど、砂漠で死んだ人間は天国じゃなくて、海へ行くんだ」とウリセスが言った。
 エレンディラは汚れたシーツを傍へやり、清潔でアイロンの当たったべつのシーツをござに掛けた。
「海を見たことないのよ」
「砂漠みたいなものさ。水でできてるけど」とウリセスが言った。
「じゃ歩けないわね」
「パパは歩けた男を知ってるんだ」とウリセスが言った。「昔の話だけどね」
    ---G・ガルシア=マルケス『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲劇の物語』


 金沢へラグビーの大会に行ったとき、お昼に弁当が出された。まん中に大きい真っ赤な梅干しの入った見事な日の丸弁当だった。何という仕出し屋かと名前を見たら、 なるほど「帝国食堂」となっていた。

 朝日を尊ぶ日本人や同じように日の丸を国旗としているバングラデシュの人は太陽を赤いと思っているが、ご存じのようにヨーロッパの多くの人は黄色、中国人は白とか紅だと思っている。 実際、大観は太陽を赤く描いたが、ゴッホは黄色く描いた。

 また、 三船がドロンやブロンソンと共演した国際映画の題名はわざわざ日本を強調するために『レッド・サン』となっていた (ふつう「日の丸」はthe Rising Sun)。もちろん、朝日や夕日はredと形容することがあるが、空高く輝く太陽はyellowとかgolden(「ドレミの歌」“Ray, a drop of the Golden Sun”)である。

 Equator(「二分するもの」の意)のことを日本人は「赤道」と訳しているが、アフリカの赤道直下の記念碑に引かれているのは黄色い線である。 このように文化によって同じ自然現象が違って表現されている。高村光太郎は「緑色の太陽」というエッセイで次のように書いたし、太陽が沈む最後の瞬間に放つ「緑の光線」は幸福の印だという話からエリック・ロメールは『緑の光線』という映画を撮った。ちなみに、日没時に太陽光が大気で屈折して起きる現象を「グリーン・フラッシュ」という。

 人が「緑色の太陽」を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである。僕にもそう見える事があるかも知れないからである。「緑色の太陽」があるばかりでその絵画の全価値を見ないで過す事はできない。絵画としての優劣は太陽の緑色と紅蓮との差別に関係はないのである。この場合にも、前に言った通り、緑色の太陽としてその作の情調を味いたい。【…】

 というような話を若い人にしたら、最近は日本の幼稚園でも太陽を黄色く塗るように教えているという。 どうやら僕らは戦前教育の後塵を拝していたようである。 小さい子が黄色い太陽を描くのも変な気がするが、 保母さんたちは見たように描けといっているようである。

 しかし、見た通りだと、白く描くのが正しいだろうし、だいいち、この指導は子供というものが知っているようにしか描けないのだから無理がある。「砂糖は白い」とか、「海は青い」というステロタイプが小さい頃から押しつけられ、その知識で描く。難しくいえば、子供は「知的描写」はできるが、 「視的描写」はできないということになる。ふつう「見えない」ところまで描くピカソを初めとする現代画家はまるで子供みたいに知的描写をしていることになる。

 子どもがチューリップを描くとパターンが決まってしまう。自分で見ないで「概念」だけでしか見ていない。花びらが何枚とか、雄しべがどんな状態だとかは見ないで、知っていることしか描かない。そして、そうした「概念」を形作る根本に言語があるというのがこれからのお話だ。

 太陽ついでにいえば、 どの民族でも同じように自然の恵みだと考えている訳ではなく、ギラギラ輝く太陽は砂漠に住むアラビア人や干ばつに悩むインド人にとって悪魔だ。映画『アラビアのロレンス』では「砂漠で生きていけるのはベドウィン族と神だけだ」というように厳しい土地だ。アメリカ映画の『陽の当たる場所』というのは彼らにとって地獄を示しているように見えるだろう。

 満月にしても、日本人は団子なんか飾ってお祝いをするけれど、西洋人には連想が狼男にしか働かない。日本人は月を黄色に描くが、アメリカ人は銀色だろう。アカデミー賞受賞の映画『月の輝く夜に』の原題は Moonstruck といい、 月光が狂気をもたらすというローマ時代の信仰から月にうたれ、「気がふれた」 恋人たちの物語であった。だから、ホラー映画の『一三日の金曜日』ではただでさえ縁起が悪い日であるのに、 シッカリと満月が照っている。日本人は「月がとっても蒼いから」と歌うが、 英語で once in a blue moon という表現は「めったにない(こと)」という意味になる。 なぜなら、 英米人は月を「蒼い(青い)」と感じていないからだ。

※日の丸弁当の由来は乃木希典将軍の弁当だったという。真ん中に梅干し一つの簡素なもので、これが「日の丸弁当」として全国に広がった。汽車なら一番安い三等車にしか乗らなかったし、在宅時の昼食はそばが多かったという。ちなみに、土光敏夫は「行革の鬼」と呼ばれたが、NHKで菜っ葉・味噌汁と軟らかく炊いた玄米を食べるところが放送されて「めざしの土光さん」になった。

 四方田犬彦『ラブレーの子供たち』(新潮社)の「澁澤龍彦の反対日の丸パン」に次のような記述があった。

 白米のうえに赤い梅干しだけを載せた弁当が「日の丸弁当」という名前のもとにおおいに喧伝されるようになったのは、1939年のことであった。この年、日本では米が配給制となり、「卵は病人と傷病兵に」という標語が唱えられた。戦時体制による物資の統制がしだいに強化され、イナゴの佃煮やコロッケが提唱されたり、野草食が奨励されたりするようになった。翌1940年には男女各年齢ごとに「国民基準食」なるものが定められ、週に一日の割りで「節米デー」が開始された。1941年12月8日に太平洋戦争が勃発すると、それからは毎月8日には「日の丸弁当」を持参して前線の兵隊さんに感謝することが、児童に強要されたと聞いたことがある。もっともこの時期には、米といっても様々な雑穀を炊き合わせることが通常となっていたわけだが。中学生になったばかりの澁澤龍彦もまた、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、この命令に従ったのだろうか。


 これらの事柄に関しては言語学的に二つのアプローチができる。 一つはメタファーの問題であり、 一つは色彩語の問題である。 メタファーの方は既に色々と語られているから、 あまり触れないでおく。 鯨やイルカの文化的な意味の違いを考えれば十分である。 ヤツラは豚の丸焼きに食欲をそそるくせに、 鯛の尾頭付きを残酷だと非難する。そうかと思えば、目の前に魚のとれる湖があっても、 魚を食べずに餓死するアフリカの人々もいる。

 これらに関して、アト・ド・フリースの『イメージ・シンボル事典』(大修館)が翻訳されているし、 赤祖父哲二編の『英語イメージ辞典』(三省堂八六)もある。 ただし、どれもヨーロッパのイメージやシンボルを扱っていて、 例えば、南米の民族のそれは、いちいち、その民族誌にあたって見なければならない。 その意味でイメージの拡がりに欠けている。

 カメルーンのある民族では美人を賞める時、「君は牛の糞ほど美しい」という表現を使うが、これは男たちが牛の糞に蝿が群がるようにやってくるという賞め言葉で我々の想像を超えている。他の言語で成立しないのは当然で、英語でいえば、“He is full of shit.”とか“You look like shit.”とかいうのは最低だ。

※いつか、教官の“海の色…”を読みました。いまカメルーン人が近くにいるので例の美人の表現についてききましたら、やはりそういうそうです。ピジン英語と混ぜて話すようです。Dis Gal na wa o. っと言うそうです。------A君からのメール

  もっともフランス語で愛しい人のことを mon (petit) chou 「私のかわいいキャベツちゃん」 と呼んだりするのも想像を絶するが、あまり想像しない方がいいのかも知れない。

 当然、 ある一つの色が何を表すかは文化によって異なる訳で、 こんな類いの話は言語学者なら好きなだけみつけることができる。 赤が危険を表す言語が多いけれど、 ロシアでは美と生命を象徴する(「赤の広場」は古語で「美しい広場」)とか、 日本語の「真っ赤な嘘」 は英語で 「白い嘘」 a white lie (a black lie というと「悪意のある嘘」というから「許される、罪のない嘘」)、フランス語で「青い話」 conte bleu という。「真っ赤な嘘」は「摩訶不思議」の「摩訶」(maharaja「大王」の「大」に相当)から来ているという。

 中国語で「赤」というと、「赤裸々」「赤子(あかご)」「赤子(せきし)の心」(赤心“せきしん”)の残っているように「むき出しの」「ありのままの」「純粋な」という意味で、「赤脚」というと「はだし」のことだという。日本語の「赤」は「紅」となるから「紅軍」というし、赤十字も「紅十字」という。

 喪の色は日本や英語圏で黒だが、中国や韓国では白である(「白寿」の祝いなど考えられない)。ところが、調べてみると日本も喪服は中国の伝統を受け継いで明治時代まで白だった。男子は生成の麻の裃、女子は白無垢だった。ところが、明治30年の英照皇太后の葬儀の時、政府が欧米式の喪服で行くことに決めて、黒が正式な喪の色となったのである。それでも、地方は白が多かったが、空襲でたくさんの人が亡くなった時に、白は汚れやすいので嫌われるようになったのだ。伝統というのはいつだってそんなに古くないのである。

 黄色は日本でもあまりいいイメージがない (黄色い声、黄色い嘴)が、 yellowはイスカリオテのユダが着ていた服の色で、臆病、卑劣というもっと悪いイメージがある。日本人の肌色はむしろ、ライト・オレンジに近いが、 黄色と考えることで「黄禍論」を煽っているフシがみられる。中国では10世紀に宋王朝は黄色を王室の色に選び、以後皇帝は、黄色の衣服を着用し、紫禁城(故宮)の屋根瓦の色も黄色で統一されている。日本では「紅葉」というが中国では「黄葉」が一般的に使われていた。日本でも漢詩の影響で「黄葉」が多く使われたが、平安時代以降はカエデの赤が日本人の感性に合ったので、「紅葉」が増えてきたとされる。

 若い子に応援されたことがないので「黄色い声」は嫌いだ。「お経のように」といわれるくらい、お経が単調になったのは、平安末期だという。それまでメロディーを表すために音の高低を示す音符として、お経の文字の横に印を付けたのであるが、その殆どは墨で付けられた点であった。ただ、中国から入ってきたものの中には、色々な色を使って、高低を示したものもあった。その音符代わりの色のうち、一番高い声を表したのが黄色だったのだそうだ。

 そういえば、『イエロー・ドッグ』(「臆病者」の意)という映画で悪者に「イエロー・ジャップ」と呼ばれた田宮二郎が「ジャップならまだしも、二度とイエローなどと言わせないぞ」といって、空手で反撃するシーンがあった。ザマミロ。

 関係ないが、空から光が射す光芒はキリスト教の旧約聖書にある話から「ヤコブの梯子」 (Jacob's ladder)という。 天使の梯子という呼び名もあるという。確かに神々しい感じがするが、そういわれるとますますその気になる。


 もっとひどい話もあって、黒人の赤ん坊は白いのだが(モシ族では「白ん坊」と表現)、ザイールから留学している友人のラミさんはある奥さんに 「かわいそうに、 あの子、 白いからあなたの子供じゃないでしょ」といわれたそうだ。しばらくして色素が沈着して黒くなってきたら、 その奥さんは「やっぱり、あなたのお子さんだったのね」といったという。

 色は本質ではない。芭蕉も「青くてもあるべきものを唐辛子」と吟じている。草庵の庭に、秋にもなると青かった南蛮が赤く色づいて生えているが、その実は青いままでもよいし、いつの間にか自然と赤くなるのであるという意味で、門人の洒堂が若いことといらだっているようだが、気にしなくていい、唐辛子は、いや本質は青くても赤くても変わらないと弁護しているのである。


 僕は緑の色を好むのだが、米国の色彩学者フェイバー・ビレン(『ビレン 色彩学の謎を解く』青娥書房)によると、緑を好む人はバランスを重視する良識人であるという(きっとビレンも緑が好きなのだろう)。社交的で世間慣れした堅実な市民がその典型で、変化に対し保守的だ。ただ、食については意欲的に探求し、標準体重をオーバーしがちだという(当たっているから恐ろしい)。黄色と青色を基本色とする色彩論に没頭したゲーテも、緑色について独自の意見を持っていた。「もし緑が、黄と青の完全な中間点にバランスすれば、観察者がその美しさを超えるような願望も想像力も持ちえないほどである」という。

 日本語で赤ん坊は「みどりご」というが、 緑色はしていない。 日本語の基本色彩語は意味的にも語形からも青、赤、白、黒(a-wo/ka,si/ku-ro)である。「〜い」「〜くなる」「〜さ」「真〜」と付いたり、「青々」など畳語的になるのはこれらの色だけだ。kiは平安時代以降に使われたし、midoriは新芽の意味から派生したもの (万葉集には三例しかないそうだ)である。「メテリ」、つまり「芽出る」から生じたとの説もある。草木の若い緑こそ、本来の「みどり」なのかもしれない。この四色は相撲の房にも使われているし、 季節とも組み合わされる。

 青春を青春としてみずみずしく生ききった者こそが充実した朱夏を迎えるのだろうし、朱夏を朱夏として生ききった者こそが朗々たる白秋を迎え、奥行きのある玄冬を迎えるのだろう。  
     ------見田宗介

 四つの色は風水学でも青龍、朱雀、白虎、玄武として出てくるし、相撲の房の色にもなっているし、庄司薫は『赤ずきんちゃん、気をつけて』『白鳥の歌なんか聞えない』『さよなら怪傑黒頭巾』『ぼくの大好きな青髭』などと四色揃えて書いた。河合隼雄は『ナバホへの旅』(朝日)の中で、ナバホの神話と風水との共通性を論じている(北が黒で共通なのは寒い方向ということがあるのかもしれない、と述べている)。

 …ナバホ神話はまず次のようにはじまる。
「トオビュダヒキッドという場所で、東の方角から白が生まれ、それが一日の始まりと考えられた。その場所を、『水の流れが出合うところ』と今われわれは呼んでいる」
 これに続いて、南からは青が生まれ、西では黄色が生まれ、その後、北から黒が生まれた。流れの集まるトオビュダヒキッドから、川が四方に流れ、東、南、西、北へと流れた。そして、その流れに沿って、東、南、西には村ができたが、なぜか北には村がなかった。

 日本ではいかがわしいことを桃色とかピンクで表すことがある。英語ではブルーである。でも、スペイン語圏では「ピンク映画」を“cine verde”(緑の映画)というから不思議なものだ。「瑞々しい」の他に「好色な、下品な」という意味を持つのだが、日本人の感覚とはずいぶんずれている。

 友人がイギリス人に青りんごを勧めて“Would you like some blue apples?" といったら、相手の顔が一瞬、青ざめた(blueでなくpale)という。 「青色のりんご」なんか食べられるか、と思われたのである。 これは色彩の領域が文化によって異なるから起きる現象で、 連中はりんごを普通グリーンだと思っているから、単にappleといえばよかったのだ。 ビートルズが作った会社アップルのマークはだから、青りんごなのである。同じように「青」信号がよく引き合いにされるが、最近、言葉に合わせて緑でなく、 青っぽくなった信号が増えている(色弱の人にはよくないそうだ)。金田一春彦の『ことばの歳時記』(新潮文庫)によると、秋田、岩手県境では「菜の花がまっさおに咲く」と言うそうだ。突然変異で青い花が咲いたのではない。「アオ」という言葉がかつて、青や緑、黄などのはっきりしない色を意味していた名残という。

 考えてみれば、漢字の「青」や中国語としての「青」も緑を意味する語が多い(青梗菜チンゲンサイ、青果など)。日本語だけの問題ではなさそうだ。

 「言葉」   川崎 洋  『祝婚歌』

演奏を聴いていなくても
人は
♪を耳の奥に甦らせることができる
言葉にしなくても
一つの考えが
人の心にあるように
むしろ
言葉に記すと
世間はとたんに不確かになる
私の「青」は
あなたの「青」なのだろうか?
あなたの「真実」は
私の「真実」?

 『言語と文化』(岩波新書)で有名な鈴木孝夫先生の話ではアメリカでクルマが故障したので会社に電話したら、 オレンジのクルマを迎えによこすという。それで、ずっと待っていたが、茶色のクルマしか来なかったので、そのままずっと待っていたとか。つまり、英語のオレンジ色が日本語の茶色まで含んだ色だったことから起きた誤解だったのだ 【と、ここまで書いていたら、岩波新書から鈴木先生の『日本語と外国語』が上梓され、オレンジ色の問題を含め、色彩語についてかなり触れてある。なるべく、重複しないように視点をかえて述べていきたい。なお、ディズニーの絵本でCOLORというのがあるが、このオレンジも茶色に近い】。アガサ・クリスティの作品で出てくる「オレンジ色の猫」というのも「茶色の猫」なのだ。

 この話に触発されて金原瑞人が『翻訳のさじかげん』(ポプラ社)でゴールデン・レトリーバーのような白と薄茶の犬でさえ“a yellow dog”と犬種大百科に書かれているという。

 これ以外でも、日本語の「赤」にはred,scarlet,crimsonが「青」にはblue,greenが対応するといった例があげられる。

 色彩の名づけかたが言語によって異なることはもはや有名で、例えば、虹の色を日本人は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色と教えられ、ロシアでも暗記するために“Kazhdyi Okhotnik Zhelayet Znat Gdye Skryvayetsya Fazan.”(猟師はみんな知りたがる、キジがどこに隠れているかを)といって頭文字で覚えるという。ニュートンは『光学』で、光を七色としている (当時インドから輸入されていた藍indigoは色名としては使われていなかったが、七は「聖数」とされていたし、光学的な判断ではなく、ニュートンはドレミの音階のオクターブ理論と一致させたい意図があったといわれる)が、英米では一般的な「常識」としては六色と教えられる(この辺も『日本語と外国語』に詳しいが、似た内容のエッセーに西江雅之先生の『ことばを追って』大修館八九の 「言語と文化」がある)。古代中国では五色だったという。ただし、ひと昔前までは、虹を七色と考えていたらしい。 板倉聖宣『虹は七色か六色か:真理と教育の問題を考える』(仮説社)によると、アメリカの小中学校用の理科教科書は1940年までどれにも「虹は七色」と書いてあったという。

 実際には、しかし、無限の色彩を「見つける」(名づける)ことができる。なお、虹の色はズーニインディアンが五色で、ショナ語で三色で、サンゴ語やバッサ語で二色という。

 一度、三重になった虹を見たことがある。真ん中の虹は色が逆転していた。UFOや蜃気楼を初めて見た時ほどの感動をおぼえた。普通に見るものは、外側が赤、内側が紫の「主虹」というが、その外側に色の順番が逆の、もう一つの虹が薄く現れることがあって「副虹」という。

虹二重神も恋愛したまへり-----津田清子

 虹は水滴が太陽の高度角に対して四二度か五一度の時に出る、などとこれらをみんな自然現象で説明してしまってはつまらない。上方落語の「雨乞(あまご)い源兵衛」には、雨上がりの虹を愛(め)でて「尾頭つきの虹じゃ。見てみよれ、地べたから地べたまで架かりよる」という場面がある。もっと文学的なのはこれ。

さっき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張って居ります       
    ------宮沢賢治「報告」

 ドイツのジョークに「小さなリリーははじめて虹を見てびっくりした。『あれは何の広告なの?』」というのがあるが、子供にはゼッタイ、こんな感性をもたせ、夢のある子に育てたい。

「昔々、東の海に魔法使いのおばあさんが住んでいました。おばあさんは蜃気楼を作るので有名でした。名前をウオズの魔法使いといいました……」

 名曲「虹の彼方に」で有名なヴィクター・フレミング監督の映画『オズの魔法使い』はもともと、ルーズベルト大統領に 「その笑顔がアメリカに不況を切りぬけさせた」 と感謝されたシャーリー・テンプルの予定だった。 MGMが自社の 「テンプルちゃん」(今の若い人はてんぷら油を固める粉ぐらいにしか思っていない) を二〇世紀フォックスのジーン・ハーロー(プラチナ・ブロンド!)と交換して主演させようと企画していたが、ハーローが脳水腫で二六歳の若さで死亡し、見送られた。 急遽、ジュディ・ガーランドになったのだが、 彼女は当時一六歳で既にトウが立っていた。あの映画をよく観ると、 幼くみせるために胸をおさえたり、スカートを上げたり、という苦労の跡が偲ばれる。

 皮肉なことに、これに対抗して作られた「テンプルちゃん」主演の『青い鳥』は興業的に惨敗を喫し、子役スターとしての限界を証明し、たちまち、彼女は「過去の子ども」となっていった。

"You'll never find rainbows, if you're looking down."---Charles Chaplin
「上からものを見ていたら、虹なんて見えないよ」


 と、映画の話をしているヒマはない。

 虹が民族によって異なるシンボルであることはいうまでもない。『万葉集』には「ぬじ」とあり、池や沼にいる「ぬし(主)」と語源がいっしょだという説がある。虹を恐ろしい霊物にたとえたのである。 現代の日本で「虹」は薔薇と同様、 大変いいイメージになっている。高浜虚子は「虹立ちて忽(たちま)ち君の在(あ)る如し」と詠んだ。虹は愛情という希望も映し出すのかもしれない。 イギリスでもワーズワースの詩がある位だから不吉なイメージはないだろうし、 虹の端の地面と接する所に財宝がつまっているという考える文化も多い。しかし、古代中国で虹は不吉で決して指さしてはならないものだったし、 北米インディアンのホピ族やダコタ族などでも指さすことはタブーとされる。

「にじ」 谷川俊太郎


わたしが いなくてっても
もうひとりのこが あそんでる
わたしが いなくなっても
きっと そらににじがたつ


 さて、色彩に関しては文学、心理学、人類学、工学、理学などからいろんなアプローチができるが、ここではもちろん言語学的なアプローチをする。 実は、この色彩語は言語の本質に関わる昔からの大問題と関係があり、 一朝一夕に述べることはできない。それをあっという間に話してしまおうというのだから、このホームページの読者は幸福(?)である。

 人間は言語を媒介にして世界を認識するが、このパターンは言語に規制されている。したがって、異なる言語からは異なる認識が生まれるはずであり、それに応じて文化のシステムも異なってくる。という、考え方があり、これが正しいのか間違っているのか。更に、言語がなくても認識や思考はできるのか、できないのかという問題である。ヴィトゲンシュタインは 「語りえぬことには沈黙せざるをえない」と述べている。ハイデッガーは同じことを『ヒューマニズムについて』(ちくま学芸文庫)の中で「言葉は存在の家である。言葉による住まいのうちに、人間は住むのである。思索する者たちと詩作する者たちが、この住まいの番人である」と書いている。

 人間は有限の文法規則で無限の文を創ることができる。ということはどこまで行っても菩薩に勝てない孫悟空ということになる。無限の文があっても、人間はその外に出ることはできないのである。孫悟空はきん斗雲を自在に操り、音速の17万倍で天空を駆けめぐったが、祥雲という神聖な雲に乗る菩薩には勝てなかった。

 哲学者の中村雄二郎は「言語は思考にとって肉体か、衣装か」という取り上げ方をしている。エミール・バンヴェニストは『一般言語学の諸問題』(みすず)の「言語学の発展を顧みて」の中では次のように発言している。

ことばなしにはおそらく思考はありえず、したがって世界に対する認識も、それがどういう表現を受けるかによって決められてしまう、と考えている。ことばは世界を再現するが、そのとき、ことばは世界をことば固有の組織に従属させているのである。

 もちろん、この考えは古くからあり、古代エジプト人も「ことばは考えることの父である」といい、言語を社会という家の基礎であり、建材であると認識していた。言語学的には「言語は記号ではなく世界観だ」と唱えたフンボルト(地理学者のフンボルトの兄で言語学者の方) が最初で、後にアメリカの言語学者サピアとウォーフが別個に類似した主旨の発言をしているので、一般にサピア=ウォーフの仮説(Sapir-Whorf hypothesis)と呼ばれる。

 例えば、ウォーフは「個々の言語の背後にある言語体系(つまり、その文法)は、単に考えを表現するための再生の手段というようなものではなく、個人の知的活動、すなわち、自分の得た印象を分析したり自分の蓄えた知識を総合したりするための指針であり、手引である」といい、「話し手の言語的背景が異なっていれば異なったふうに受け取られる」 のであり、「いかなる観察者もその言語的背景が同一【…】でない限り、同一の物理的対象から出発しても同一の世界像を描くとは限らない」と述べている。


 細かくみれば、主張は二つに分けられる。

 一つは言語相対論(linguistic relativism)であり、これは各々の言語には普遍性がなく、 相対的であるとするものである。相対論をつきつめていくと、各言語は翻訳ができない、更に、人間はそれぞれ少しずつ異なる言語を用いているので互いに理解しえないという悲観論に行き着く。

 相対主義の元祖は「人間は万物の尺度」として「同じ風が、ある者には暖かく、ある者には冷たく感じられる」といったプロタゴラスであろう。余談になるが、 アインシュタインの相対性理論の原点には言語学がある。 アインシュタインはアーラウのギムナジウムの学生時代に言語学者ヴィントラー(Jost Winteler)の家に下宿し、家族の一員として遇されていた。ヴィントラーは学位論文の中で「場の相対性」ということを表明しているし、言語の相対性は当時の言語学でいわば常識であったから、 アインシュタインが彼から影響を受けて当然である (ヤーコブソン&ウォー『言語音形論』岩波書店 参照)。

 例えば、文法上の性や時制は言語によって大きく違う。日本人には男性、女性、オカマじゃなくて中性があるだけで驚くけれど、スワヒリ語はもっと多い。似たような言語によっても扱いが違うから驚きだ。「朝」はフランス語で“le matin”で男性名詞だけど、同じくラテン語から生まれたイタリア語では“la matina”と女性名詞だ。フランス語には物語をするための特別な時制である歴史的過去(単純過去)というものがある。

 これらから、日本語には複数形がないから単複の区別のできない集団主義だということはできないし、未来形がないから将来の予測ができない民族である、ということもできない。

 もう一つは言語決定論(linguistic determinism)である。 これは言語が人間の認識を決定するという考えである。 人間は言語なしに思考はできないし、 言語をもたない動物は思考できないことになる。 この問題は「仮説」といわれているように証明されて認められたのではない。

  だから、哲学者のマックス・ブラックは「このように広範な関心を呼んでいることが、かくもつかみどころのない形のまま残されているのは驚くべきことだ」といって嘆いている。

 人間は切れ目のない、連続体の外界の中で生きている。これには切れ目がない。

 ところが、この連続体、いわば混沌として無秩序の中で生きていくことはとても不便で疲れる。

 それで、連続体に切れ目を入れる。集中点を設け、中心点を設定して生きていく。

 色彩語の場合、その切れ目、集中点、中心点となる色を基本色彩語彙と称する。

 相対論は言語学の常識だったから、どの教科書にも各言語による色彩語の分布の違いの図が載せられていた。これはちょうど日本語のアオが英語の blueと greenの領域にまで広がっているというのをもっと大掛かりに描いたものと考えればいい。例えば、日本語の基本語彙は黒対赤=暗対明、 白対青=顕対漠で暗い色が黒、明るい色が赤、目立つ色は白、 漠然とした鈍い色は青となっている(佐竹昭広「古代日本語に於ける色名の性格」)。だから、塩原多助の「あを」は青でも緑でもなく、 灰色の馬だということになる(広辞苑によれば、「青毛」は「奈良時代は黒みを帯びた青色、平安時代以降は白みを帯びた青色」を指したという)。

 グリーソン(H.A.Gleason,Jr)があげている有名な例は次の通り。

 三分類(ローデシアのショナ語):chipwuk(赤、橙、紫)、acitem(緑、青、黒)、acitena(白、黄、黄緑)

 二分類(リベリアのバサ語):hui(緑、青、紫)、ziza(赤、橙、黄)

  一方、人類学者コンクリンによれば、フィリピンのミンドロ島のハヌノー語の基本色彩語彙は白、黒、赤、緑であり、日本語に似ているが、ハヌノー語では黒対白=暗対明、赤対緑=乾対湿で、例えば、赤は黄色や茶色をも含んだ色となる(Conklin “Hanuno Color Categories”)。だからこそ、言語は相対的だと多くの学者が説明していた。

  これに疑問を投げかけたのがバーリンとケイで( Berlin and Kay :Basic Color Terms: University ofCalifornia Press 1969)、 彼らは色彩語彙には普遍性があると主張した。 従来のように全ての色彩語彙を扱わずに、いくつかの基準を設けて基礎色彩語彙を選び出し、計九八の言語について、調査した。彼らの研究の内容は二つからなっている。一つは二〇の言語について、横軸に色相、縦軸に明度をとったカラーチャートの上に各言語の基礎色彩語彙の範囲とその中心点を記入させた。その結果、各色彩語彙の示す色の範囲は言語によってかなりの違いをみせたが、その中心点(焦点=focus)は殆ど一致するという結論に達した。更に、このことから、色彩語彙には言語の違いを超えて、同じ色を指し示すという普遍性(universal)があると、主張した。 従来の研究が色彩語の境界に力点をおいていたのに対して、 その中心点を問題にしたところにミソがある。

  もう一つは、七八の言語に関して、文献から基礎色彩語彙を収集し、 先の資料に加えて検討すると、 色彩語彙の出現の仕方にはある階層があり、 その階層は進化の発展段階に対応するという仮説を提出した。これは次のようである。

 つまり、色彩語が二語の言語は白と黒、三語なら赤が増え、四語なら、黄か緑が加わる。

 この大胆な仮説が出されてから、さまざまな批判が提出された。第一、白、黒、赤、青が基礎色彩語彙の日本語にさえ、当てはまらない。といったような彼らのいう階層に違反する例が多く提出されたし、 この階層が進化の歴史的な発展段階とは一致していないと、具体例を出して反論された。そもそも、 バーリンは人類学者で言語学的にいって資料が杜撰だった。

  更に、 ケイの弟子のマクダニエルは語彙となる色彩は人間の生理学的な機構の反映であるとの説を出した。つまり、人間の眼は白、黒を除けば、赤、黄、青、緑の四色を基本的な色として知覚するようになっていて、 ほかの色はこれら六色の組み合わせからなると主張した。

  また、 ケイとマクダニエルは最初に提出した階層を改訂した(Kay&McDanielg“The Linguistic Significance of Basic Color Terms”)。

 彼らの主張はサピア・ウォーフの仮説の反論となるものであり、言語が認識を規制するのではなく、認識(知覚)が言語を規制するというものである。ヒトに生理的に共通してこのような認識があり、それが普遍であるという主張は認めていいだろう。ただ、日本語の「赤」と英語の redとは意味論的に違いがある、つまり、その意味で相対的であることも事実である。 生理的な普遍性のうえに、 文化的な相対性が重なって、 各言語による多様性を生み出していると考えられるのである。 

 言葉というのは混沌として自分の周りを整理して生きていきやすいように手馴づけるのである。 

 言葉を習得するということは、自分の周りにふつふつと沸き立っている無数で、無限の連続体である外界に、言葉で切れ目を入れることである。

 切れ目を入れることで世界を整理整頓でき、世界が解釈できるのである。言葉なしには世界に立ち向かうことができない。

 森羅万象を「分ける」ことは「分かる」ことなのである。そして、「分ける」ことにアプリオリなカテゴリーがあるわけではない。これはミシェル・フーコーがボルヘスの書いた架空の「シナの百科事典」を紹介している部分を見れば分かる。

  「色の名」 茨木のり子『言の葉 3』(筑摩書房)所収

胡桃(くるみ)いろ 象牙いろ すすきいろ 
栗いろ 栗鼠(りす)いろ 煙草いろ
  色の和名のよろしさに うっとりする

柿いろ 杏(あんず)いろ 珊瑚いろ
山吹 薊(あざみ) 桔梗(ききょう)いろ 
青竹 小豆 萌黄いろ
  自然になぞらえた つつましさ 確かさ

朱鷺(とき)いろ 鶸(ひわ)いろ 鶯(うぐいす)いろ
  かつては親しい鳥だった 身近にふれる鳥だった

鬱金(うこん) 縹(はなだ) 納戸いろ 利休茶 浅黄 蘇芳いろ
  字書ひいて なんとかわった色とりどり

辛子いろ 蓬(よもぎ)いろ 蕨(わらび)いろ ああ わらび!
  早春くるりと照れながら
  すくすく伸びる くすんだみどり 
  オリーブいろなんて言うのは もうやめた


 1989年、 天才チンパンジーが「脱走」する騒ぎがあったが、 この時、脱走を謀った(管理員の開錠のようすをシッカリ見ていたらしい) メスのアイを使った色彩語の実験の報告がある(松沢哲郎「チンパンジーの赤とヒトの赤」)。

  先ず、 アイは赤・橙・黄・緑・青・紫・桃・茶・白・灰・黒の十一色に対応する図形文字を覚えた。その後、 四十色相、明度三 九で、飽和度の最も高い色、計二一五色について、色の名前をアイにたずねた。彼女にとって訓練された十一枚の色票以外はすべて初めて命名が求められたことになる。 次々と見せられる色票に、アイは時にはすばやく、時にはためらいがちに命名していった。

  同じ装置と手続きでヒト(大学院生)にも同じ実験をしたが、 この結果、チンパンジーとヒトの間に命名の安定度において差がなかった。つまり、時間をおいてたずねた場合、 両者とも全体の約四分の一が不安定になり、 こうした不安定な色では「ためらう」時間も共通していた。また、色名は特定の一枚で教えたにもかかわらず、ヒトと同様、ほとんど同じ領域に使われていた。 しかもヒトに普遍的な色彩基本語の焦点は、必ず、チンパンジーが安定して命名する領域にあった。逆にいえば、チンパンジーが命名に困るような色をヒトの色彩基本語はない。ヒトに普遍的に認められる色彩認知の特性はチンパンジーにも共通しているといえる。

 これらの事実は言語(文化)によって色彩の認識が違うのではないというヒトに関することだけではなく、 ヒトに極めて近いチンパンジーとも色彩に関する普遍性があることを示唆している。

 パスカルは『パンセ』の中で 「考えが人間の偉大さをつくる」といい、「考えない人間は石か野獣であろう」といっているが、アイは確かに考えているのである。アイに赤と橙の中間の色を出して答えさせると「ためらう」が、これは赤か橙かの判断を下そうとして考えているに違いないのである。

 では、人間とは何だろうか?

われわれの最も深い感情も思想も
水が感じ 水が考へてゐるにちがひない
     大岡信『故郷の水へのメッセージ』


 ところで、 教養豊かな人がリッチな生活をおくれるとは限らないように、 色彩名が少ないからといって、色彩に対する文化が貧しいということにはならない。あの色、この色、と指し示すことができるし、空の色、オレンジの色、バラの色、という具合にモノの色を代用して使うことが可能であるからだ。 日本には「利休鼠」(城ケ島では利休鼠の雨が降る)とか、 「団十郎茶」など人物名に由来する色彩名があり、 「四十八茶百鼠」とよばれた。逆に、色彩名が少ないアフリカのスワヒリ語圏(ケニアやタンザニアなど) でも女性たちが実にカラフルなワンピース(日本製!)を着て歩いている。

 このことはまた、日本語には自然を描写する表現が多いから、日本人は自然に対する愛着が深いと短絡してしまう見方への反論となる。第一、日本語(大和言葉) には「自然」に相当する言葉が欠落していた。漢語の「自然」はジネンと読むのが普通で 「ひとりでに、おのずから」の意味であった。シゼンと読む場合には、「万一、ひょっとしたら」の意味をもっていた。

 「自然」は高度な抽象語だから次元が違うというなら、「蝶」を考えてみればいい。チョウチョが古代日本に棲息していなくて、 後に韃袒海峡を渡ってきたはずもないのに、これを表す大和言葉はない。『万葉集』には一首も詠われていない。チョウのことを「胡蝶」「蝴蝶」という表記の仕方もある。「胡」というのはペルシャなどの外国を指す(ちなみに北米では19世紀半ばの南北戦争以前にモンシロチョウが一匹もいなかったという。カナダを経て米国に侵入し、わずか30年で勢力範囲を全米に広げてキャベツ畑を食い荒らしたといわれる)。

 文学の中の蝶は『日本大百科全書』(小学館)の小町谷照彦によれば次のようだ。

 早く『懐風藻(かいふうそう)』に「柳絮(りうじょ)も未(いま)だ飛ばねば蝶先(てふま)づ舞ひ」(紀古麻呂(きのふるまろ))とあり、漢詩文からの風物らしい。『荘子』の「蝶の夢」の故事はとくによく知られ、和歌にも詠まれている。和歌の例はあまり多くはないが、「散りぬれば後はあくたになる花を思ひ知らずもまどふてふかな」(『古今集』物名(もののな)・遍昭(へんじょう))には「蝶」が懸けて詠まれているといわれ、『古今六帖(ろくじょう)』六にも二首が収められ、『うつほ物語』「藤原の君」にも蝶の歌がみえる。『枕草子(まくらのそうし)』「虫は」の段に名を連ね、「三条の宮におはします頃(ころ)」の段の「みな人の花や蝶やといそぐ日も我が心をば君は知りける」という皇后定子(ていし)の歌に詠まれている。『源氏物語』には「蝶」「胡蝶(こちょう)」として四例みえる。『堤中納言(つつみちゅうなごん)物語』「虫めづる姫君」には、「人々の花や蝶やめづるこそはかなくあやしけれ」といって、毛虫をかわいがる風変わりな姫君が登場する。季題は春。「蝶の飛ぶばかり野中の日影かな」(芭蕉(ばしょう))。

 絵巻物にも描かれることがなかったという(網野善彦『日本中世に何が起きたか』)。 

 「蝶々」という童謡にしてもドイツの民謡「ハンスちゃん」を唱歌にしたのであって、日本の歌ではない。ちなみに「…菜の葉にあいたら桜にとまれ」というが、紋白蝶は桜にはとまらないといわれている。なぜ桜にとまることになったかというと、もとの戦前の歌ではこのあとに「さくらの花の、さかゆる御代(みよ)に、とまれよ あそべ」と続いていたからである。この歌の作詞は明治七年のことで、この桜は明治天皇を象徴していて、明治政府によって桜にとまることを強要されたわけである。

 『新撰字鏡』 にあるカハヒラコがチョウを表すという説もあるが、一般には漢語の「蝶」(てふ)を借用して使っている。丸谷才一も「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」(『男もの女もの』文藝春秋1998)というエッセーで蝶が古代日本にいなかったのでは?という視点から「カハヒラコ」がタミール語(何しろ大野晋説を信じているので)ではなかったかと書いている。

 フランス語では“papillon”に蝶と蛾の区別がない。

 ギリシャ語では“psyche”が「蝶」と「魂」を意味する。蝶や蛾は、蛹(さなぎ)という静的で死んだような状態のものから飛び出してくるので、人間の体から抜け出る霊魂と同じように考えられたわけである。だから、フランソワ・ジェラールの「プシュケとアモール(エロス)」(ルーヴル美術館)にもプシュケの頭の上に蝶が舞っている。

プシュケとアモール

 また、蝶々の数え方は正式には一頭、二頭と数える。これは英語の直訳からきているといわれる。英語では蝶々の事を“head”と数えるからなのだ。このように数えるようになったのは明治初期、日本で昆虫学が始まったころからだ。もちろん、一匹、二匹でも構わないだろうが…。

 さて、「蝶」という言葉がなくて、どうして「蝶」を体験できたのか。チョー不思議である。

  二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。    ---蝶(Le Papillon) ルナール『博物誌』

 つまり、 サピア・ウォーフの仮説を強調し過ぎると、大きな間違いを起こすことになる。日本語には単数・複数の区別がないから、日本人には個人と集団の区別ができず、集団主義に走り、あげく、太平洋戦争を起こしてしまった、といったアメリカの学者がいたくらいである。

 Brotherにはアニ・オトウトの区別がないからといって、 英米人に兄弟の区別ができない訳ではない。英語の“brother”と“sister”とアニ、アネ、オトウト、イモウトとは分け方が違う。インドネシア語では年齢が問題になる。イタリア語では孫と甥と姪を同じnipoteでくくる。

日本語

ani

ane

otooto

imooto

英語

brother

sister

インドネシア語

kakak

adik

 こんなだから、チェーホフの『三人姉妹』のアンドレーは年齢指定がないために松下裕らの訳が「オーリガ 兄のアンドレー・セルゲーイチですわ」(第一幕)などになっているのに、小田島雄志訳は「オーリガ 来ましたわ、兄のアンドレーが」となっていたりするのだ。これだと四人の関係がやや平板に思えるのだが、小田島は白水社版訳者あとがきで次のように書いている。

 『三人姉妹』では、従来アンドレーを長女オーリガと次女マーシャのあいだに生まれたする翻訳・上演が多かった。ぼくは、アンドレーをいちばん年長の兄として三人姉妹が固まったほうが、ドラマとしてわかりやすいし、第一幕でオーリガが二十八歳ならアンドレーは三十歳でもおかしくないと思うので、そのように訳した。加藤健一も、のちにT.P.T.で拙訳により演出したデーヴィッド・ルヴォーも、その設定でよしとしてくれた。

 年齢によって、日本語は言葉も大きく異なってくるからやっかいだ。

 「自由」や「民主」と全く関係がなくても党の名前に使えるし、赤い(紫色の?) キャベツの名前を知らなくても赤いキャベツを買うことができる (紫キャベツというのが本当らしい。 英語ではred cabbageという)。

  中国で地下鉄のことを地鉄というが、 中国の人が富山に来たら、 タンボの真ん中にも「富山地鉄」と書いてあるので、さすが先進国は違う、こんな所にも地下鉄がある、といって驚いた。

  他にも「手紙」がトイレット・ペーパー、 「愛人」が配偶者、「東西」が商品、 「汽車」が自動車(「火車」が汽車だから、「台所が火の車」を中国で「台所が自動車」といえば円環する)など、日中で意味の異なる語彙は枚挙に暇がない。

  英語と日本語の間でも「フェミニスト」(さすがに最近では「女性に甘い人」の意味で使う人はいないが)や 「ナイーブ」の意味は全く違っている。

  日本語で内職はアルバイトというが、 ドイツ語でArbeitは本職である。ドイツ語で内職は英語からJobというが、英語でjobは本職である。だから、英語で内職のことをshigotoといえば、まるく収まるはずだ。

 こういう言葉を言語学では 「翻訳者の偽りの友」 (faux-amis du traducteur)という。同じ言語内でもあり、 subway、cornは英語で「地下道」「小麦」、米語で「地下鉄」「とうもろこし」と異なったり、 ポルトガル語の constipa oがポルトガルで「便秘」、 ブラジルで「風邪」を表わす例があるし、歴史的にもsillyがかつて「幸せな」だったのが、「愚かな」となったり、niceが「愚かな」から「いい」となった例があげられる。 同じ言葉が違った意味をもつことはサピア=ウォーフの仮説の反論となる。

  人間を規制する言葉が悪いといって、 差別語をなくせば、差別がなくなるものではない。「胴回りの不自由な人」 (僕のこと)といった当たりのいい言葉に言い換えれば済むものではない。

  かといって、差別語をなくさなければ、差別が固定化してしまう。

  だから、 サピア=ウォーフの仮説を完全に無視することもできない。


 「分ける」ことは「分かる」ことの第一歩なのだが、分けていけば何かが必ず分かるということもない。こうした立場をアトミズムというが、古代ギリシャのデモクリストス以来の伝統である。しかし、肉体を切り刻んでいったからといって生命の不思議が分かることがないように、分けることで対象を殺してしまうことも多いのである。

 デカルトも分解したが、20世紀になってソシュールが「構造」というものを打ち出した。これをヤーコブソン経由で学んだレヴィ=ストロースもいくら分解しても分解しきれぬものがあり、これが「構造」だということに気づいた。取りだせるのはパーツだけだ。しかし、生命や言語を機能させているのは構造だということに気づいたのである。

 未開人と呼ばれる人々が自然現象を観察したり解釈したりするときに示す鋭さを理解するために、文明人には失われた能力を使うのだと言ったり、特別の感受性の働きをもち出したりする必要はない。まったく目につかぬほどかすかな手がかりから獣の通った跡を読みとるアメリカインディアンや、自分の属する集団の誰かの足跡なら何のためらいもなく誰のものかを言いあてるオーストラリア原住民のやり方は、われわれが自動車を運転していて、車輪のごくわずかな向きや、エンジンの回転音の変化から、またさらには目つきから意図を推測して、いま追い越しをするときだとか、いま相手の車を避けなければならないととっさに判断を下すそのやり方と異なるところはない。【…】他の運転者との一連の対話の中で働いて、自分の気持ちに似た相手の気持ちが記号の形で表わされることになり、まさにそれが記号であるがゆえに理解を要求するため、われわれが懸命に解読しようとするからである。
     -----レヴィ=ストロース『野生の思考』(みすず書房)


 人間は言葉で生きる動物なのである。 ハイキングに行って、「名もない」(ホントは「名も知らぬ」)植物に囲まれると、不安になってくる。かわいい子に出会ったら、最初にその子の名前を知りたくなる。そして、どんなにかわいくてもその子の名前が「カメコ」さんだったら、ちょっとたじろいでしまうだろう。ちょうど、どんなにおいしくても「バフンウニ」と聞くと、 食欲が減退するように……。

「神様がたった一度だけ/この腕を動かして下さるとしたら/母の肩をたたかせてもらおう/風に揺れる/ペンペン草の実をみていたら/そんな日が/本当に来るような気がした」-----星野富弘「なずな」

  実際、言語心理学の吉竹博の研究によれば、欧米には「肩こり」にあたる言葉がなく、 苦痛を認識する場所も背中で、日本人とは違う。 しかし、日本に長期滞在して日本語に習熟した欧米人が、 「肩がこる」という言葉を知ると、 「肩がこる」と感じるようになるという。そういえば、外国映画で肩をたたくシーンはみたことがない【その後、フランス映画『現金に手を出すな』を見ていたら、ジャン・ギャバンがルネ・ダリーの肩をもむシーンを見つけた】。 井上ひさしに『頭痛肩こり樋口一葉』という芝居があって一葉は肩こり性だったのだが、「肩が凝る」とはいわないで「肩が張る」といっていた。「肩が凝る」のは漱石以降だといわれる。つまり、江戸時代には生理的な痛みだったのに、肩肘を張らなければならない立身出世の時代になって緊張感から?肩が凝るようになったのだといううがった見方もできる。この話をネタに清水義範は肩こりが原因の殺人事件「肩凝り」(『笑う霊長類』文藝春秋)を書いている。飯島英一『ベルギー人は肩が凝らない』(創造社)という本も出版されている。

 金山宣夫によれば、メキシコには「つわり」という言葉がなく、つわりの症状を訴える人もいないという。

 エスキモー語を教わった宮岡伯人先生によればグリーンランドの言語には「よい」goodに相当する言葉がないという。それをいうためには「悪くない」という言い方しかない。善悪というのは人類普遍の論理だと思っていたが、そうではないらしい。エスキモー語には「知っている」という語がなくて、そのためには「知らない訳ではない」という形を取らなければならないという。言語の癖なのだろうが、思考に影響を及ぼさないとはいえない。

 エスキモー語に雪の言葉が多いというのは本当かどうか分からない。都市伝説のようでもあるが、ヒュー・ブロディ『エデンの彼方』(草思社)には次のように出てくる。「今、現に降っている雪、晴天に舞う風花、新雪、雪化粧、柔らかくて歩きにくい雪、吹き溜まり、固く凍てついた雪、一度解けて再び凍結した雪、雨に打たれた雪、粉雪、雪煙、風による着雪、足の下で崩れる固い雪、解かして飲用水にする雪、橇のランナーを磨くシャーベット状の雪、ぼた雪、吹雪、イグルーに適した雪」など雪の形状や性質を表す言葉が多いのに、雪一般を表す総称がない(英語のsnowに当たる言葉)。同じように、一般名詞の「魚」や「アザラシ」「クマ」に当たる言葉もないし、「哺乳動物」とか「脂肪」に当たる言葉もない。逆に細分化された具体的な「タテゴトアザラシの鰭足(ひれあし)」とか「海生動物の脂」というのがある。

 マオリ族のマオリ語には「入れ墨」のtattoo(ポリネシア語のtatauから)を表わす言葉がいっぱいある。場所によって呼び名が違うからである。

 高橋順子の『雨の名前』(小学館)によれば、日本は雨の名前が実に多くて422 語もある。夏の雨だけでも以下の通りだが、日本人がみんな使っている訳ではない。ついでながら、和田誠の『青豆とうふ』(講談社)で出て来たのだが、「狐の嫁入り」をイランでは「狼の出産」というのだそうだ。

青時雨、青葉雨、汗疹枯らし(雨にうたれるとあせもが治るという小雨)、一陣の雨、一発雨、雨濯(うたく)、卯の花腐し(“くたし”春雨と梅雨の中間頃に降り続く長雨のこと)、梅時雨、梅の雨、大抜け(空が抜ける位の大雨)、脅し雨、御雷様(おらいさま)雨、夏雨(かう)、かたばたあみ、神立(かんだち=神の示現の意味で雷雨)、旱天(かんてん)の慈雨、喜雨(きう)、樹雨(きさめ)、狐雨、狐の嫁入り、牛脊雨(ぎゅうせきう=牛の背の片方が雨で片方が日が差している)、錦雨(きんう=日照りつづきの後に降る慈雨)、銀箭(ぎんせん=箭は「矢」で夕立の雨足を光る銀の矢に見立てた)、銀竹(ぎんちく)、くかるあまーみ(沖縄県池間地方/塩辛さを感じさせない雨)、薬降る(薬日=五月五日の正午に降る雨)、黒風白雨(こくふうはくう=砂塵を巻き上げ暗くする程の旋風と吹き荒れる中に降る大粒の夕立)、さづい(新潟県/五月雨の「さ」と「つゆ」)、五月雨、山賊雨(稲光が遠くでして大丈夫と思っていて「三束」も作らないうちに降る雷雨)、慈雨、新雨(しんう)、瞋怒雨(「瞋怒」は目をむいて怒ることで、烈しい雷鳴を轟かせながら降る豪雨のこと)、翠雨(すいう)、日照雨(そばえ)、大雷雨、田植雨、宝雨(たからーめ=日照りの後に降る)、筍梅雨(たけのこづゆ)、端的雨(たんてきあめ=にわか雨)、墜栗花(ついり=栗の花が梅雨入りで落ちる頃から)、茅花(つばな)流し(チガヤの穂がほぐれる頃吹く南風)、梅雨、青梅雨、暴れ梅雨、荒梅雨、蝦夷梅雨、送り梅雨、男梅雨、女梅雨、返り梅雨、空梅雨、走り梅雨、迎え梅雨、天道雨(沖縄/てぃだあみ「太陽」の雨)、電雨(でんう)、天気雨、天泣(てんきゅう)、所降(ところぶり=夕立)、土用雨、土用時化(どようじけ)、虎が雨(「曽我の雨」ともいい、曽我兄弟の悲劇に虎御前が流す涙雨)、夏雨(なつさめ)、夏時雨、虹の小便(徳島県で天気雨)、梅雨、梅雨前線豪雨、陰性梅雨、送梅雨(そうばいう)、陽性梅雨、梅子雨(ばいしう)、梅霖(ばいりん)、白雨(はくう)、麦雨(ばくう)、化雨(ばけあめ)、初夕立、婆威し(ばばおどし=長崎県南高来郡で夕立)、半夏雨(はんげあめ=五月二六日半夏生の頃に降る大雨)、氷雨、分龍雨(ぶんりょうの雨)、芒種雨(ぼーすーあみ=沖縄県中頭郡で梅雨/芒種は芒ノギを持つ穀物をまくこと)、水取雨、瞑怒雨(めいどう=暗くなって雷とともに降る雨)、もらったあみ、夕立、淀雨(ゆどぅんあみ)、雷雨

 きれいな分類をしている言語としてはアメリカ先住民の言語ミクマク(Micmac)語である(Nettle and Romaine 2000 Vanishing Voices O.U.P.)。木々の名前は秋のある一定の時刻に木々の間を吹き抜ける風の音によって決められる。その時間は日没から約1時間と決められていて、その時は風がいつも一定方向から吹いてくるからであった。風の音が変化すれば木々の名前も変わるのである。

 もっと「未開」な言語もあって、英語の“yes/no”に当たる言葉を持たない。そんな言語でも欧米人はありがたがったのだから不思議である。それはラテン語である。

 フランス語で“gorge”というと「喉」なのだが、“soutien-gorge”というと「ブラジャー」(乳押さえ)だし、“avoir la gorge plate”というと「平たい胸をしている」という意味になる。「喉」と「胸」を一緒に分節するフランス人は一体、どんな人かと思うが、考えてみれば、“amour”で「愛」も「セックス」も意味するのと似たようなものである。

 英語でいえば、日本語の「腰」がない。waist,hipなどがあるが、「腰砕け」になったり、「腰を入れる」とか「腰を割る」というような表現はない。

  ピーター・ファーブ(Peter Farb Word Play:Knopf)の中に二言語使用者に「文章完成法」で、「私の願いが家族の者と衝突するときは‥‥‥」のあとを完成させると、日本語の時は「まったく不幸なことです」と答えるのに、 同じ人に同じ内容で英語で聞くと、 「私の好きなようにします」という返事を英語でしたという話が載っている【ファーブの本には「英語英文学会」会長の翻訳もあるのだが、これが目に余る誤訳本で、この本自体が、翻訳不能=サピア=ウォーフの仮説を実証している】。

 他の商品との差別化がいくら必要でも 「ごきぶりラーメン」とか、「ワンワン・ホットドッグ」という名前の商品は売り出されないだろう。 実際、妻は「犬田製麺」のうどんを買わない。

 「哀」の字が好きだからといって、 娘に「哀子」と名づける親はいないだろう(憂子さんなら知っている)し、 なんでもいえる人でも「オ○×コ」と人前でいえない(僕はいえる。「オシッコ!」)。「プライバシー」にあたる日本語がなかったから、 いつまでたっても山口百惠はマスコミの餌食にされる。「ピグマリオン効果」というものがあって、人は誉めて続けていたら、その人は思いどおりに成長してくれる。

  こないだ、僕は誉め上手なK先生に「あんた、ホントにいい人や」といわれて、気がついたら、 木の上にのぼっていた。逆に、言った本人が忘れているような言葉に囚われて、いじけた人生を送る人もいるだろう。ヒットラーは「つくなら大嘘」といい、 大きな嘘を繰り返すことによって、 二〇世紀の世界を破壊した。実際、「国益」とか「非国民」という言葉のおかげで命を失った人は数え切れない。ちょっと話は違うが…。

 ジョージ・オーウェルが『一九八四年』で描いたのはこうした恐怖に満ちた社会だった。あの国の言語「ニュースピーク」は権力に都合の悪い言葉を一切なくした言語だった。馬鹿をバカといえなければ、馬鹿を罵ることもできないのである。

 塚田孝雄『シーザーの晩餐 』(朝日文庫)によれば、ギリシャ人やローマ人は、ウナギも、アナゴやウツボも同じように料理し、あまり区別しなかったという。日本人だと、違うだろうってツッコミたくなる。

 明川哲也は『なやむ前のどんぶり君』(ちくまプリマー新書)でとんでもない話を紹介している。さすがに驚いた。

【…】逆に言えば、【雨の】区別がつくからこそそこに言葉が生まれたのであって、君は砂漠にいっても北極の雪原にいっても、現地で生まれ育った人ほどはその様子を区別できない。すなわち言語とは、区別できる能力の現れなのだ。しかし、それが逆に自由度を規定してしまう。言語が、認識の道具だからである。

 ドリ【ドリアン助川=作者】は一度、アメリカ合衆国の友だちを東京の寿司屋に連れていったことがある。その友だちはカンパチやタイやマグロの中トロを次々と平らげ、さも満足した表情になったらしい。ところが寿司屋を出てから意外なことを言い始めた。

「なぜ日本人は魚にいろいろ名前をつけるんだ?」

 言われていることの意味がドリにはよくわからなかったそうだ。すると友だちはこう言ったとか。

「フィッシュ・イズ・フィッシュ(魚は魚だ)」

 君にはちょっと信じられない話かもしれないが、そのアメリカ人にとって、魚は魚でしかなかった。区別がついてなかったのだ。彼の頭の中にある魚の名詞はごくわずかなもので、区別としてはそだだけだった。魚でさえその程度なのだから、アメリカで丼飯の種類など言ったところで通じるはずもない。言語は民族を規定する。言語にないものは意識も区別もできないのが人間の現状なのだ。だから言語は認識の自由さを規定する。英語には英語流のものの受け止め方があり、日本語には日本語流のそれがある。

 同様に、行動も決して自由なものではない。赤ん坊の頃から日本語で叩き込まれてきたこと。親や兄弟や教師がああせいこうせいと言ったこと。それを受け入れたにしろ反発したにしろ、君はその影響下で君という心を創り上げてきた。【…】


 サピア=ウォーフの仮説を完全に否定も肯定もしないのはインチキに思えるかもしれないが、次のように説明することにしている。

  例のミュラー・リヤー図形などで長さが違ってみえる世界と、実際に測定して長さが同じとわかる世界の二つの世界に人間は生きているのだ。

  誰もが錯視するのだから、錯視の世界が間違っているとはいえない。映画を観て、一秒間に静止画を二四コマみつける人はいない。動いてみえるのが「本当の」世界である。 これはちょうど光が見方に(演算の仕方に)よって波動になったり、粒子になったり、二面性をもっているのと似ている。

 ミケランジェロはマニエリスムの傑作であるピエタを彫ったが、もしマリアが立ったとしたらキリストの2倍くらいの大きさになるのに、錯覚を利用して、そうは思わせなくしている。ミケランジェロは「定規を手に持ってはいけない。目を持つことが大切なのだ」と語っている。

ピエタ

  アインシュタインはものを考える時に言語を用いなかったとアダマールへの手紙の中 (『発明の心理』みすず書房)で書いている。今、手元にないので、ケストラー『機械の中の幽霊』(ぺりかん社)から引用する(原文の一部も掲げる)。

私の考え方の機構の中では、書かれあるいは語られた形での言葉というものは、何の役もしていないようである。私の考え方の機構は、多少ともはっきりとした目でみえる像、また、あるものは筋肉を使う型のものによっている。あなたが完全な意識と呼んでおられるものは、完全には到達されえない極端な場合であると、私には思われる。あなたが完全な意識と呼んでおられるものは、完全には到達されえない極端な場合であると、私には思われる。なぜなら、意識は狭いものだから。

"...The words of language, as they are written or spoken, do not seem to play any role in my mechanism of thought. The psychical entities which seem to serve as elements of thought are certain signs and more or less clear images which can be voluntarily reproduced and combined...The above mentioned elements are, in my case, of visual and some muscular type..."

 学者は形容詞抜きで話すしたり書く習慣をもっている。数式、分子式、系統樹など普通の言語とは異なった言語を使っている。しかし、実際にはイメージを思い浮かべながら思考を繰り返しているのである。つまり、芸術と科学は一般に考えられている以上に親密なもので、イメージの構成が芸術だけでなく、科学的想像力の基礎ともなっている。藤原正彦は『古風堂々数学者』で次のように書いている。

 人間は思考した結果を言語に表すばかりでなく、言語を用いて思考する。私の専門とする、言語には縁遠いと思われがちな数学でも、思考はイメージと言語の振り子運動と言ってよい。思考と言語は分かちがたいのである。そして思考の中核となる論理的思考の養成には、作文や討論を通して論理的表現を鍛えることが最も有効であると思う。

 天才じゃない僕らもほんの一声だけで、電話の相手が誰か認識できるし、言葉にできない位、感動したり、イメージで色々考えていることも多い。

  マイケル・ポランニーの言葉でいえば、「われわれは、語りうることより多くのことを知ることができる」 (『暗黙知の次元』紀伊國屋書店)のである。かといって、こうして言語に頼って思考することも多い。

 経験の全てを表現するには言葉は不足するし、言葉は経験に対して過剰でもある。

  人間は言葉に囚われる部分もあるが、そうではない部分もある。言語は密閉された牢獄ではなく、思考の檻である。 紙なのに一万円札をお金といったり、地動説を知っていても「日が昇る、 日が沈む」といったりできるのはこのせいである(逆に、こうした表現がなかったら、 天動説はもっと早く打破できただろう)。山猫は猫の仲間だが、海猫は鴎の仲間だし、鴨でも、鹿でもなく、牛の仲間なのにカモシカ、一応、人の仲間なのにデモシカと呼ぶ。緑板なのに黒板、化物でもないのに百人一首という。 クジラを漢語で魚偏の「鯨」と書き、 独語でWalfisch(クジラウオ)というが、哺乳類ということは子供でも知っている。それでも、鯨肉は肉屋でなく、魚屋で買わなければならない。フランス語では牡蠣などの貝やエビやカニはles fruits de mer(海の「果物」)というからおかしい。中国語でもクジラを「鯨魚」といい、ワニも「鰐魚」である。

 鈴木孝夫『日本語教のすすめ』(新潮新書)には「蛾と鯨は、関係があった」といい、ギリシア語で、ファライナと言う単語の意味に、「蛾」と言う意味と「鯨」という意味がある。それについて、著者は、長年疑問に思ってきたと書いている。ところが、アメリカの大学の図書館に飾ってある鯨が水に潜る瞬間を捉えた写真を見て次のことをひらめいたとある。それは、鯨の尾と蛾の形が似ているからではないかということであった。ギリシア人は、鯨という生き物を見たことがなかったので、自分達がよく知っているものを当てはめたところ「蛾」という結論に達したようだ。

 中国ではこんななぞなぞがある。(正解)

1「雨が降ってきたけど、一人だけたんぼに残っていた。どうしてか?」
2「寒くても平気な人は?」
3「草を食べない牛は?」

 鈴木孝夫・田中克彦の対談『言語学が輝いていた時代』(岩波)で田中は次のように話している。

 意味論では「クジラ」をドイツ語で「ヴァルフィッシュ」といって魚に分類しているでしょう。こういう意味論を言語学としてはどういうふうに見ればいいのだろうかとたずねたら、彼【コセリウ】はずいぶん考えた。そして「言語学は科学じゃないんでよ」と、ズバッとぼくを睨みつけて言ってね。それでぼくは参っちゃって、それ以上質問しなかった。

  神話や伝説についても同じで、 僕らはまともに信じている訳ではない。しかし、神話や噂を話したり、聞いたりして、共同幻想を高め、安心している面がある。いわば、「科学的知」の世界と「神話的知」の世界の中に漂って僕らは生きているのだ。

 フランス語で例えば79はsoixante-dix-neufで60+10+9、97はquatre-vingt-dix-septで4×20+10+7で表す(ケルト文化の名残りだという説もある)。石原都知事は数えることもできないような馬鹿な言語は要らない、という発言をしたが、デカルトやポアンカレをはじめとして、フランスは今でも数学大国である。それに、日本語は10以上は漢語で表すしかない。

 ソシュール学者・丸山圭三郎は哲学者・市川浩から借用した〈身分け〉という概念に〈言分け〉を対置して、身分け/言分けという二分法で語ったが、この二つの世界に生きていることになる。

 全く違う話だが、二分法は簡単だ。「世の中には二種類の人間がいる」なんていうのが好きな人と嫌いな人がいるが、二分法は容易に作業することができる。

 ところが、三分法となると急に難しくなる。なぜか知らないが、三つに分けるのはとても難しいのである。

※1は「案山子(かかし)」で中国では「稲草人」と「人」扱いだから。2は「雪人」で「雪だるま」。3は「蝸牛(かたつむり)」である。

 フランス語で“il y a”という表現がある。これについて多田道太郎は『変身 放火論』(講談社)の「金閣寺」で次のように書いている。

 フランス語でil y aという表現があります。「何々がある」というとき、英語ではthere isで形式上の主語があって、その後へ述語が来て、それが意味上は主語になっている。しかし、フランス語の場合はil y aと書いて、あと目的語が来るのです。ilは三人称のhe, あるいはitという意味の言葉です。ilはもともと神様を指している。「神はそこに持ちたもう」という意味です。それで「何々があります」という意味になるんですね。

 英語だったら、It rains.が、フランス語ではIl peut.。彼は雨を降らせる、となる。これは神様が雨を降らせているのわけです。だから、いわゆる森羅万象が神の創造物であるという観念を、無意識にフランス人は絶えずぶち込まれているわけです。

 三人称の非人称化というのは。歴史的、無意識的に神の概念に行き着くわけですけれども、もし神がなくなったらどうなるでしょう。これをニーチェは「神が死んだ」といい、また、ドストエフスキーの『悪霊』のキリーロフは、神がないんだったら、自分が神にならなければいけない、そのための証言をするには、私が死ななければいけないという自殺の論理をやります。それによく似た論理を、三人称を取り込んだ形の一人称の論理は、持ってこなければいけないのです。

 確かにフランス語では神を押しつけられている。だからといって、「何々がある」という度に神を思い起こしているのではないことも事実である。実は哲学者エマニュエル・レヴィナスの『実存から実存者へ』に“il y a”に関する難しい議論があるのだが、眠れなくなりそうなので、止める。

 「科学的知」と「神話的知」というものを簡単に表にまとめておく。

「科学的知」 「神話的知」
言語・論理 イメージ・画像
知性・理性・真実性 感性・想像力・虚構性
平面的・直線的 立体的・ランダム(ハイパーリンク)
合理的・現実的 理想的・ロマン的
男性的 女性的
デジタル(MS-DOS) アナログ(GUI)
明確 あいまい
言語的 音楽的・映像的
左脳 右脳

 人間は言葉という記号によって、直接的な感覚の世界から自由になった。しかし、自由になったその瞬間に記号である言葉の構造によって制約を受けなければならなかった。

 二つの世界に生きていることを実感するためにカラーストループ効果を試してもらいたい。ストループという言語心理学者が1940年代に発見した効果である。

 下の表の「文字の意味を無視して、インクの色を答える」という課題だ。

     

     

 下段の方がはるかに遅くなったと思う。「情報処理の拮抗」説で説明できる。相矛盾した情報が入った時に情報が拮抗してしまい、片方を抑えてもう一方を出すことが難しい。これがストループ効果の本質だと考えられている。ちなみに天才チンパンジー・アイは漢字が分かるので、日本人の成人と同じように下段が遅くなるという(松沢哲郎『進化の隣人 ヒトとチンパンジー』岩波新書)。


   「海をみている」(川崎洋詩集『象』)

現実に
めざめている
という
それから
夢をみている
ともいう
だったら
もうひとつ
海をみている
と  いってもいい
と思う

起き上がって
また
海をみる
海と呼ばずに
気障ではあるが
広いやすらぎ  なんて
呼ぼうか
海よ  といわずに
広いやすらぎよ
なんてさ

暮れかかってきて
雲の切れ間から
ななめに
光の柱が二本
かなたの海面に入っている
あれは
昼間
水の中にさしこんだ光が
空へ還るのだろう

 僕は潮騒が聞こえるところに生まれ育ったので、小さい頃、よく海を眺めに行った。今はすっかり埋め立てられていてうちの子でも海を知らない。初めて海に連れて行ったら「大きな風呂ねぇ」と言っていた。

 海はいつも違った表情をみせてくれる。青い海なんて夏のほんのわずかな期間だけである。一年で三六五種類の色をもっている。それどころか、朝と夕で、ある時には一瞬で全く違った色合いになる。

 例えば、ヘミングウェイは『老人と海』の中で「海水は濃い青となり、紫といっていいほどになった」と描写している。

 あのエーゲ海の青さを前にしながらギリシア人は「青」にあたるギリシア語を持ちえなかった (おかげで古代人色盲説が出されたことがある。 緑をアオと呼ぶ日本人を色盲とするような誤りである)。もしかしたら、僕らも同じように、目の前にある事象に対する言葉を知らずにすごしているのかもしれない。全然関係ないが、外国でhiroshigeというのは藍色を指すという。安藤広重の版画に見られる色から取られたもので、彼らには不思議な色だったのかもしれない。

「異人さん、すこし日本の方のことを聞かせて下さい」
 見ると小学校の上の組の生徒か、あるいはこの町にある簡易な商業学校の下の組の生徒かと思われるほどの年頃の少年だ。
「仏蘭西と日本と何方(どっち)が奇麗でしょう。日本の方が仏蘭西よりはもっと奇麗でしょうか」
 この少年の問は岸本を困らせた。
「そんなことが君、比べられるもんですか」と岸本が言った。「君の国だって奇麗なところも有り、そうで無いところも有るでしょうムム僕等の国もその通りでさ」
「日本の海はどんな色でしょう」と復(ま)た少年が訊(き)いた。「黄色でしょうか」
「どうして君、青い色でさムム透明な青い色でさムムそれは美しい海ですよ」
 怜悧(りこう)そうな少年の瞳(ひとみ)に見入りながら岸本がそう答えると、少年はまだ見たことのない東洋の果を想像するかのように、
「透明な青い色か」と繰返した。

     島崎藤村『新生』

 誰もが同じ色を見ている訳ではない。色弱だけではないが、色弱の問題で有名なのは化学者のジョン・ドルトンの話だ。ドルトンは大人になるまで色弱だということに気づかなかった。母親がクエーカー教徒のパーティに出かけるので「黒いストッキング」を贈ったら「サクランボのような赤」だったので、母親を驚かせたという。ドルトンの弟も色弱だTたので、母親は息子二人を前にして少数派だったということも書いている(ここから赤緑色弱はドルトニズムと呼ばれる)。

 T・S・エリオットは“The Love Song of J. Alfred Prufrock”の中で次のように歌った。

When the evening is spread out against the sky
Like a patient etherised upon a table.

「夕暮れの静けさが空に広がっている。
まるで麻酔をかけられて手術台に横たわっている患者のように」

 この詩を読んでしまうと夕暮れが違って見えてくる。「自然は芸術を模倣する」というオスカー・ワイルドの言葉があり、一度でも印象派の海の色を見ると、自然の海まで彼らの絵画のように見えてくる。海は青い、と教えられると、青い海しか見ないことになる。きっと、ホメロスにとって「青」という語彙は邪魔だったのだろう。

  海の色は空の色だと誰かが教えてくれた。 空が海に映って色彩を変える。夕日に染まったり、夏空の青、雪の白に染まったりするという。

「海」 吉野弘

海は 空に溶け入りたいという望みを
水平線で かろうじて自制していた。
神への思慕を打ち切った恥多い人の
心の水位もこれに似ている。
なにげなく見れば
空と海とは連続した一枚の青い紙で
水平線は紙の折り目にすぎないのだが。

空は 満ちたる虚。
その色が なぜ こうも美しく
海に影を落とす?
考えず 静かに いるとき
空の美しさは 海の深みに届くのに
ざわめき始めた海の
白い波頭には
もはや 映ることがない。

 その日の気分でも海は色を変える。 心模様まで映すことがある。

ほら、海を見て。銀色の光と影の世界、目には見えないものをたたえた世界よ。何百のお金があっても、ダイアモンドのネックレスを何本もっていても、海はこれ以上美しくなってくれるわけじゃないでしょ。
   ------『赤毛のアン』


しんしんと肺碧きまで海のたび   ---篠原鳳作

 僕は現在、船関係の職場にいるが、時々、保有している船を一般に公開することがある。「船の上は怖い」という人もいる。「あなたのおじいちゃんはどこで亡くなったか?おばあちゃんは?」と聞くと「ベッドの上だ」
という。「じゃあ、ベッドで寝るのが怖くないですか」といって説得する。

 一度、目の不自由な女の子が見学に来たことがある。船長たちみんなで船とは何か、海とは何か、彼女にどうやって説明しようかと悩んだ。

 船の内部構造を教えるのは比較的容易だった。グリースの匂いがするし、エンジンの騒音もひどい。急な階段を上ったり、あちこち触って歩けば、船の狭さがすぐに分かる。少し沖合に出れば嫌ほど船は揺れてくるから、船酔いの感じもつかめるだろう。

 難しいのは海である。船長が一計を案じて、舵輪を握ってもらうことにした。船が海のど真ん中に来た時、その子に操舵を代わってもらい、思う存分、右にも左にも舵をきってもらった。了解をとってあったものの、他の乗客の中には気分を悪くする人が出た。

 もちろん、本人自身も気持ち悪くなったのだが、どんなに蛇行しようと障害物にぶつからない海の広さが、船を自由自在に動かしているという喜びと共に彼女に伝わったようだった。

 岸壁に戻って来て、船をおりるとき、その少女は船のみんなに感謝しながら、こう言った。

    「海の色ってきっと、こがね色なんですね」


□The Benjamin Lee Whorf World Wide Web Site

□Linguistic Relativity Resouce Center

□言語相対論(解説・東郷雄二さん)

※鈴木光太郎『オオカミ少女はいなかった』(新曜社)という本が2008年に出版された。関連する部分が多いので、ぜひ、読んでみてください。

   「名称」(石原吉郎詩集『禮節』サンリオ出版、1974年)

  風がながれるのは
  輪郭をのぞむからだ
  風がとどまるのは輪郭をささえたからだ
  ながれつつ水を名づけ
  ながれつつ
  みどりを名づけ
  風はとだえて
  名称をおろす
  ある日は風に名づけられて
  ひとつの海が
  空をわたる
  この日 風に
  すこやかにふせがれて
  ユーカリはその
  みどりを遂(と)げよ


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