マックde記号論(言語学のお散歩)

決定版イタリア2001

はじめに〜準備
12月24日(月)■成田→ミラノ
12月25日(火)■ミラノ→ヴェローナ→ヴェネツィア
12月26日(水)■ヴェネツィア→フィレンツェ
12月27日(木)■フィレンツェ
12月28日(金)■フィレンツェ→ローマ
12月29日(土)■ナポリ→ポンペイ→ローマ
12月30日(日)■ローマ→機内泊
12月31日(月)■成田着
終わりに〜その後

 眠ったと思ったら、ガタンという音で目が覚めた。ジャンボ747-200の僕の席のテーブルが壊れていて、ガムテープで張ってあったのだ。何度も使っているうちにガムテープがはがれてテーブルが落ちたのだ。何度か我慢したが、我慢できなくなってガムテープをもらいに行く。

 慌てて張りに来た時、窓際の新村さんが「一体、この飛行機は何年経っているの?」と聞く。スチュワーデスは「20年です、でも、この3月には売却が決まっています。それに関空便は既に古い機体は使っていません」と早口にいう。「どこに売却するの?」と、その会社便だけは乗りたくないので聞くと「売却先は決まっていません」とのことだった。スチュワーデスが帰ってから飯野さんが「20年も使っていて大丈夫かねぇ」と心配そうだったので、「飛行機は離着陸回数が金属疲労を招くので、むしろ丈夫な方ですよ。そんなことよりこれだけの飛行機が20年以上前に完成していることが驚異ですよ」と言ってあげる。飛行機に安全性を求めるなら、『レインマン』のダスティン・ホフマンのように「カンタス!」と叫ぶしかない。カンタス航空は未だに事故による死者ゼロを保っているはずだ。

 ジャンボは1970年に太平洋便が就航して以来、変更は少ないし、性能を超える飛行機も少ない。その意味では感心するが、誰もテーブルを直したり、ランプを直したりしないものかと思う。

 来た時と同じ『ムーラン・ルージュ』を上映。上りと下りとかで区別できないものなのか。そのうち、馬鹿な学園ものを上映していると思って眺めていたらいきなりジュリー・アンドリュースが出てきたので慌ててイヤホンを付けた。『プリティ・プリンセス』を英伊語上映していたのだ。

 朝食は甘いパンとハムとチーズが出た。

 10時45分到着予定が15分に成田着。未蘭は窓際で富士山など満喫できたようだ。

 山口さんは降りてからも娘の奈緒子さんの写真を撮っている。ほほえましいし、羨ましい。

 カルーセルでボストンバッグを待つ。デズモンド・モリス『「裸のサル」の幸福論』(新潮新書)を読んでいたら、「偶然の幸福(幸運な人)」という項目で、自分のお気に入りの幸福は「長い飛行機のフライトを終え、荷物の受け取り場所で待っている時、最初に出てきたのが自分のスーツケースだった時です」と書いているが、よく分かる。

 まわりを見ると、ミラノ空港で見たルックJTBのツアー客が並んでいた。つまり、行きも帰りも同じ飛行機でアッシジとナポリが違うだけで、7万近く違う(オプショナルを考えると)のだから儲かったような気がした。アッシジも捨てがたいが、ナポリを見ておいてよかった。ちなみに、ゲーテもカトリックに興味がなかったのか、アッシジを通りながら、フランチェスコ廟は訪ねていない。

 流れ解散なので、何度か同行の人々に会ったり別れたりしながら空港を出た。

 年末なのだが、何もしなかったので、押し迫った感じがまるでない。

 横須賀線では山口さんたちと途中まで一緒だった。

 こうして2度目のイタリア旅行が終わった。

 SMAPの出ない紅白を見て(ママは恩師の塚田佳男先生が由紀さおり・安田祥子姉妹の伴奏で出ていたので喜んでいたが)2001年は終わった。

次に


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