ミレニアム欧州旅行〜子どもたちは何を学んだか? “Each, in its own way, was unforgettable. It would be difficult to-- Rome! By all means, Rome. I will cherish my visit here in memory as long as I live.”
「いずこも忘れ難く善し悪しを決めるのは困難…ローマです!無論ローマです。今回の訪問は永遠に忘れ得ぬ想い出となるでしょう」
アン王女(オードリー・ヘプバーン)
『ローマの休日』(1953)終わりに〜その後
エールフランス機を降りる時、僕らが最後になってしまったのだが、途中で見知らぬおっちゃんが祐貴に「兄ちゃん、いいものあげようか?」といって何かを手渡した。レア物かと祐貴は喜んだのだが、エビアン水についてくるおまけのピンバッジだった【その後、この事件が祐貴は印象深かったらしくて、「兄ちゃん、いいものあげようか?」と遊んでいた。富山に帰ってから、同じピンバッジがエビアンのおまけについていてショックだった】。天然水で有名なエビアンはローマ時代からの温泉地だが、その名が広まったのは18世紀末にド・レセール侯爵がカシャの泉の水を飲んで腎臓結石を治したという話が伝わってからだ。
阪急交通社は通関してから挨拶などはなくて「流れ解散」だという。そのまま色々な人に会ったりしながら、流れるように別れていった。
当初、富山へ帰るつもりだったが、姉が来ないかというので、そのまま葉山に向かう。成田から2時間半。妻はその間ずっと話題君(仮名)の臭い事件を思い出しては笑っていた。
逗子駅前のコンビニでおにぎりを買って、タクシーで姉の家。心配していたがちゃんと鍵が預けてあった。
食べてから部屋を暗くしてそのまま眠ってしまう。深い、深い眠りだった。ヨーロッパは行く時は夜に着くからいいのだが、帰りは日本に朝についてしまって、夜まで起きているのが辛い…辛い…辛い…。時差ボケはjet lagというが、プロペラ機の頃は、遅いからなかったのかしら…などと考えると、眠れなくなる。
姉にはランコムのパレット、甥っ子には名前の入ったアーミーナイフと思っていたが、なかった。忘れてきたのか、別のスーツケースにはいったのか?【富山に運ばれていた】
□ 30日、世田谷で宮澤さん一家4人が惨殺される事件が起きる。2000年はシドニー五輪もあったが、新潟三条市の女性監禁事件やバスジャック事件など悲惨なことが多かった年だ。外国だけ危険とはいえなくなってきた。
□ 21世紀初の元旦にようやく時差ボケも直る。1年前は銀行の幹部だった義兄は緊張して新年を迎えたものだったのだが、「2000年問題」って一体何だったんだろう。
帰りの新幹線の中。車内販売のワゴンを見て未蘭は「ねぇ、あれってタダなの?」としっかり飛行機ボケになっている【と書いたら「電車に乗ったことが少ないから分からなかったのでボケたんじゃない」と叱られた――訂正します】。
コンサートのトラブルで一日帰宅を早くしたのだが、次の日は新潟に震度5の地震があってほくほく線は4時間も運休したので正解だった。
□ 祐貴は宿題の親の絵としてピサの斜塔の前のママを描いた。
未蘭は日記をまとめ、宿題でもないのに、旅行の作文を書いた。
□ 子どもたちは変わったか?
予想通り、変わりはしない。でも、これから少しずつ変わっていくだろうと思っている。旅の良さなんて地面にゆっくりと水がしみこんで行ってやがて小さい花を咲かすようなものなのだろう。
作家の長部日出雄は「医師の選択」(日本経済新聞1999年11月7日)という文章で次のように書いている。
こんな経験をしたことがないであろうか。
どこか外国へ旅行して、帰って来る。かりにイタリアとしてもよい。
しばらくして、大書店に入り、無数ともおもえる本の列に視線を走らせていくと、イタリアに関係のある書物の題名が、向こうからこちらの目に飛びこんで来る。
街を歩けば、それまで気にとめていなかったイタリア料理店の名前と場所が、はっきり印象に刻まれる。
ある体験をきっかけにして、目に映る景色の遠近法が、一変してしまう。
未蘭は言葉をカタカナに変換する宿題の中にある「ふらんすにぱりというまちがあります」という文章に反応していた。
□ これで未蘭が大きくなって「外国なんか行ったことがない」などといったらショックだが、本当に忘れたら「お前はミラノ生まれでフィレンツェ二小と、トスカーナ四中の卒業だ。小さい頃は毎年、日本へ帰っていたのを忘れていたのか!」といってやろうと思う。
□ いろいろ聞いてみる。
「一番よかった所は」というと二人ともユングフラウ。天気がよかったから最高だった。
国別に聞くと、スイスでは祐貴がボー・リバージュとユングフラウ、未蘭がユングフラウとジュネーブ。イタリアでよかった所は祐貴はピサ、未蘭がピサのドゥオーモ。フランスは祐貴がエッフェル塔で未蘭がオルセーとルーブルだそうだ。
「一番おいしかった料理は」と聞くと二人ともボー・リバージュのスパゲッティ・ミートソース。
「日本にあって外国にないもの」というと二人で「自動販売機、ただの水、ただのトイレ、小さい便器(高くて祐貴は大の方ばかり使っていた)、お店らしいお店(ブティックばかりだったから?)」などと答える。
どこの国に住んでみたいというと祐貴はスイスで、未蘭はフランスだという。パリにはほとんど一日しかいなかったので、今度はパリだけにしてほしいともいう。
逆に行きたくない所は二人とも中華料理店で、あと祐貴はメトロ(スリが怖かった)、未蘭がユングフラウヨッホ(矛盾しているが、息苦しかったそうだ)。
「生きる」 谷川 俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ生きているということ
いま生きているということ
いま犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまとこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ□ 日本のパック旅行の始祖は平安時代末期、熊野詣を企画した人たちだった。世界的に引けを取らない伝統を持つ。旅先で『東海道膝栗毛』に相当するような珍事が起きたことは容易に想像できる。ただ、旅は辛いもので、「可愛い子には旅をさせよ」というのは「ハードな思いをさせよ」という意味で「物見遊山に出かけさせよ」という意味ではない。
本城靖久『グランド・ツアー』(中公新書)に詳しいが、イギリスの上流家庭では18世紀、子弟を欧州大陸への大旅行に出すグランド・ツアー(grand tour)という習慣があった。国際的なジェントルマンに仕立てあげるのが目的だった。イギリス経験論の哲学者で医者でもあったジョン・ロックも「教育に関する考察」の中で旅行を学業の仕上げとして勧めている。訪問先は主として文化先進国のフランス、イタリア。家庭教師や時には精神面での師としての牧師が同行したが、哲学者のホッブズなども同行したくらいお金になった。短くても1〜2年、5〜6年の長期にわたって各地を遍歴する豪勢な遊学の旅もあった。豊かな国際性を身につけて国や社会のリーダーになったり、先進文化に触れて母国の文化向上に貢献した人も多かった。その一方で道楽を覚えただけの者もいたし、極端な外国賛美主義や、対極の英国至上主義に走ることになった人もいたようだ。「旅から何を学ぶかは、若様しだいということである」という。ジョンソン博士も「イタリアへ行った経験がないものは、男が見るべきものを見ていないことから一生その劣等感にさいなまれる」( "A man who has not been in Italy, is always conscious of an inferiority, from his not having seen what it is expected a man should see.")とまで看破した(ボズウェルの伝記)が、これだけがどれほどのキャッチコピーとなってグランド・ツアーを経験させたことか。
さて、うちの子どもたちに「何を学んだか?」と聞いてみた。
祐貴は「いろいろ。これから頑張る」という返事。
未蘭は「まず、英語というのかぁ、言葉が色々な国で違っていて面白かったこと。それから社会というのかぁ、お金が変わったり、色んなものを見たり、色んなことが体験できたこと」と話した。
こんな文章を見つけた。伊藤整の『得能五郎の生活と意見』である。
昭和十五年(この年は日本の神武天皇紀元をもつて言えば、二千六百年に当り、西暦の耶蘇紀元をもつて言えば千九百四十年に当る)における日本の代表的な知識階級の一人、小学校、中学校、高等学校、大学校と十七年もかかつて当代の最高の教育を受け、古今東西の著名な文学・芸術・学術の書の莫大な量を読みこなし、自ら私立大学において人生ともつとも関係の深い芸術なる文学について講義をし、しかも東方における世界の文明国、日本の小説家を以て任ずる得能五郎の幸福の正体は、冬に妻と子供をつれてスキイに行くことにある、と言いきつてしまうのは、何というはかないことであろう。
このことは、もつと切実な形で言えば、死に臨んで、さてお前は何がこの人生で楽しかったか、と問われ「それは妻子を連れてスキイに行くことでありました」と答える、ということなのである。
仲畑貴志(味の素ブレンディ) 家族の顔を想いうかべると、
生きて行けると思う。
![]()