マックde記号論(言語学のお散歩)

ミレニアム欧州旅行〜子どもたちは何を学んだか?

はじめに〜準備
12月21日(木)■成田⇒パリ⇒ジュネーブ
12月22日(金)■ジュネーブ⇒インターラーケン
12月23日(土)■インターラーケン:ユングフラウヨッホ
12月24日(日)■インターラーケン⇒ミラノ⇒フィレンツェ
12月25日(月)■フィレンツェ:ピサ/フィレンツェ
12月26日(火)■フィレンツェ⇒ローマ⇒パリ
12月27日(水)■パリ:エッフェル塔→オルセー→ルーブル→バスツアー
12月28日(木)■パリ:帰路
12月29日(金)■成田着
終わりに〜その後

12月24日(日)


 6時15分にモーニングコールが鳴って7時に荷物を出す。そのままレストランで食事。幸せな気分になる。話題君(仮名)は昨日3個だったヨーグルトを今日は4個カバンに忍ばせる。未蘭はその後、カバンに「ギュッギュッ」と言いながら詰める真似が得意になった。

 外はまだ真っ暗な7時45分にボー・リバージュを出てバスでミラノへ向かう。二人は4人が向かい合って真ん中にテーブルがある座席(一つだけ)に満足。麻雀をもってこればよかったと思ったが、妻が加わって3人でトランプをしてすごしている。途中の風景は東山魁偉の絵に出てくるような雰囲気(魁偉が留学したのはドイツだったが)。

 イタリア語が標識に混じってきた辺りでトイレ休憩。地下にトイレがあってチップは要らない。何も買うものがなかったが、国際自動車識別記号のステッカーがあった。スイス車には“CH”(ネットも同様で“Confederation Helvetique”)、イタリア車には“I”のマークが付いている。イタリアとバチカンの国旗が入った“I”のステッカーを使う予定もないままに買ってしまう。

 ゴータル峠を越える。アルベール・カミュは『魂の中の死』で、列車がプラハからヴェネティアに移動する間に、それまでの暗澹たる気分が消え去り、身体の奥底からいきる歓びに満たされる経験をしたと書いている。東欧の寒々とした町の重い雲の下で「もう死ぬしかない」と思っていた人間が、花が咲き、木の葉がそよぎ、セミが鳴き出すだけで「ま、どうでもいいっか」というような気分になってくるものらしい。「もちろん、私自身に変化があったわけではない。私はあいかわらず孤独だった。プラハで、私は四方を壁に取り囲まれて孤独だった。でも、ここイタリアでは、私は世界と向き合っている。私は自分の影を四方に投げかけ、私の分身によって世界を満たしている」といい、土地によって「なんとなくまわりから押しつぶされている感じ」と「なんとなくまわりに自分が拡がってゆく感じ」の違いがあることをカミュは体験したのである。

 僕らもそうした高揚の旅になるだろうか?

 1時間ほど走って国境に着く。ほとんど素通り状態だ。免税の書類をもらっている人だけ役所に走る。

 終わってからトイレ休憩で国境のお店に入る。エレベーターを上がると両替があったので、リラに替える。1円が19リラほどなので、いきなり単位が大きくなる。バチ(キス)チョコを買うが、1個600リラ。EUなのでユーロも併記されている。

 バスに乗る時よく見るとトイレが付いていた。ツアコンに聞くとあっても使えないことになっているという。トイレは契約外なのだ。

 神はまず天と地を作った。海と山を作った。そしてイタリアという国を作った。
 イタリアには世界一うつくしい風景と、世界一おいしい食べ物と、世界一過ごしやすい気候を作った。天使がいった。
「神様、これではあまりにイタリアが恵まれすぎています!」
 神は答えた。
「心配するな。イタリア人を入れておいた」

 ミラノへ向かう。市街に入ってくるとうっすらと細かな星くずのように雪がちらついてきた。交差点近くにうろついている人が多いがクルマの窓拭きを勝手にしてお金を請求するのだという。バスの中でツアコンの井上さんがイタリアはスリや泥棒が多いので注意と何度もいう。外から見えるようなところには物を置かないで下さいとまで言われたので祐貴が心配そうな顔をし始めた。スペインは首を絞めたり危害を加えることもあってもっと危険だともいう。

 16〜17世紀にかけて栄華を誇ったスペインを、司馬遼太郎は『街道をゆく・愛蘭土(アイルランド)紀行』で「盗賊が財宝をかかえているような経済だった」と書いている。世界を巡って大いに財を集めたが、消費するばかりで産業を築く元手にすることがなかっ。そして「王や貴族、冒険家たちがその財宝をつかいはたしたとき、故(もと)の木阿弥になった」…。カリブの海賊だって、当時の財宝を横取りするために生まれたのだったが、今もそのDNAが残っているのかもしれない。

「スペイン」   茨木のり子(『人名詩集』)

【…】
行ったら つまらない国だろう
ひどい国だろう  どこの国とも等しく
絶対に行かないさ
国に対する迷妄はすでに無い
ただ
心のなかに南スペインの白い太陽が輝くのをゆるす
アンダルシアの野に風が渡ってゆくのを見る
ジプシーの民話をくりかえし読む
オレンジが輝き
黒衣の女たちがレモネード啜る白い咽喉
小麦を束ねたような ひきしまった胴の男が
未来永劫 女をたぶらかしにゆく夜を知る
【…】

 阿川佐和子は『旅の素 さわこのこわさ』(旅行読売出版社)の中で、初めてのテレビの収録でフランスに行って片田舎でのんびりと過ごした後にパリに戻った途端。スリにあってしまい、その仕事で稼ぐべきお小遣いを全部盗まれてしまったという。何にも買えなくて、絵葉書を3枚だけ買って帰ったのだ。

 井上ひさしの『ボローニャ紀行』(文藝春秋)ではミラノ空港に着いた直後に小型トランクの上に乗せていたテストーニの鞄を盗まれる話が出てくる。ボローニャの古地図や古書はクレジットカードで買えないという話を聞いて百万円の札束が入っていたのだという。分かるけど、こんなボロい商売をさせていると、後から来る日本人にとって迷惑だ。しかも、紀行についてのメモも全て盗まれたという。イタリア生活の長かった奥さんに「イタリアを甘くみたわね」「イタリアは職人の国よ。だから泥棒だって職人なんです」と言われてしまう。

 もし僕が「金を出せ、出さないと命をもらうぞ」と言われたら、「女房を持っていってくれ、女房が俺の命だ」って答えよう。

 11時20分にミラノのスカラ座の横に到着。ミラノは未蘭の名前の由来になっている。91年に偶然手にした本が須賀敦子『ミラノ 霧の風景』だった。どうせよくある海外見聞記であろうと油断していたが、文章が突然霧の中からみずみずしく立ち上がってきた。深い霧の中にいったい何が畳み込まれているのか。ページをめくる毎に立ちすくむ思いがした。92年に生まれた娘はこの本にちなんで、芸術的な人間になってほしいという期待を込めてつけたのだ(パリが「巴里」、ニューヨークが「紐育」であるようにミラノの漢字が「未蘭」だった)。そして知ってほしい。最初から最後までアイスクリームみたいな人生なんてないってことを。

 同席の男たちが、政治のことでがやがや議論をしているなかで、ツィア・テレーサが、ふと私の方を向いて、そっといった。ねえ、アイスクリームってどうしてこんなにおいしいのかしら。私はアイスクリームさえあれば、なにもいらないと思うくらいよ。いちどでいいから、はじめからおわりまで、アイスクリームだけっていうディナーを食べてみたいわ。
 くいしんぼうな青い髪の仙女のことばに、私は笑いがとまらなかった。【…】

 いずれにしろ、私のミラノには、まず、書店があって、それから街があった。  

 須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』(河出文庫)

 未蘭が4歳くらいの時の朝日新聞(1996年6月8日)には次のような記事が載った。

 「ミラノちゃん」は、オフィスでのおしゃれに敏感な女性をさして女性雑誌が使い始めた言葉だ。これも単にブランド品が大好きというのとは違う。パリではなくミラノというのが重要なのだ。

 「Oggi」(今日)など、女性雑誌の名前にまでイタリア語が登場している。このイタリア人気は数年前からの現象だが、昨年のフランス核実験強行がブームを加速させたと見る関係者は多い。ミラノという響きに心を移した女性たちは、まずそうした時代の変化に敏感だ。

 イタリアではミラノ女性は勤勉なイメージがあるという。本人たちは意識していないかもしれないが、彼女たちはきっと、もう男だけに日本をまかせてはおけないと思って、イタリア製の仕事服を買い込んでいるのだ。

 ミレネーゼ(ミラノっ子)というとバリバリ働き、ゆっくり遊ぶ生活スタイルが有名である。だから「ミラノはイタリアではない」とも揶揄される。もっともイタリアでは自分たちがイタリア人という意識は少ないともいう。Risorgimento(「再興」「復興」)と呼ばれる「イタリア統一」が成立したのは1861年で、それまでは多くの独立国家に分かれていたから、イタリアという概念はとても浅いのである。

 スカラ座前で解散。2時間の自由時間だという。外にはツタンカーメンの格好をしてジーとしている男がいた。白塗りの男もいて面白い。天空を象徴しているドゥオーモ(大聖堂)はイタリアの代表的なゴチック建築で135も尖塔がある。ママはどうも涙もろいらしく、ドゥオーモを見て涙を流していたという(帰国後子どもたちから聞いた)。

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 入口が狭いので、祐貴が「どうしてこんなに大きい建物なのに狭いの?」と聞くので、「狭き門より入れ(“Enter ye in at the strait gate.”「マタイ伝」7)、というのがキリスト教の教えだからだよ。ほら、茶室のにじり口とおんなじだよ」と教えてあげる(茶道を学んでいるから理解しやすい)。日常の生活空間からの遮断なのである。

 中に入るとクリスマス・イブのミサが行われていた。西本願寺で楽入り法要というのを家族で受けたのだが、それとは比較にならない荘厳さ。ステンドグラスも当たり前だが立派で、圧倒される。ただ、日本の神社仏閣と違って拝殿がないから、どこで何をすればいいのかどうも手持ちぶさたになる。ヴィスコンティ『若者のすべて』でアラン・ドロンとアニー・ジラルドがデートをする屋上に上れば市街が眼下にできるのだが、エレベーターは閉鎖されているようだった。アントニオーニの『夜』もミラノの昼から翌朝までの映画だ。

 みんなでうろうろしてしまったが、祐貴が妻の後ろを一生懸命付いてくる。泥棒が心配なのだという。「大丈夫だよ」といっても「みんな泥棒だと思いなさいって言ってたよ」と心配そうだ。

 ママには悪いが、須賀敦子は『ユルスナールの靴』でミラノの大聖堂に納得できなかったと書いている。

 そのなぞが、まったくべつのことに関連して、パリのノートルダムを思いうかべていたときにとつぜん、解けた。ミラノの大聖堂は、外側だけだからだ。パリやシャルトルの大聖堂のようには、内部の緊張感が外のかたちを支えていない。パリでもシャルトルでも、恐竜の骨格のようにいかめしい飛迫壁が、幾重にも波のように重なって、あの内面の空間を守っているではないか。はじめてミラノの大聖堂をおとずれたときの、暗い落胆を、私は想いおこした。あんなに華やかで、あんなに太陽にきらめいていた大聖堂なのに、内部に一歩はいると、これは違うとなにかがささやいた。なにかが、そこにはなかった。内側は見なかったことにしよう、私はそう決めて外に出たのだった。

 第1次世界大戦中、広場の間近にアメリカ赤十字病院があった。現在は銀行になっているが、外壁に次のような石板が掲げられている。「1918年夏、アーネスト・ヘミングウェイが入院していた。前線で負傷し、ここで治療した。そこから『武器よさらば』の物語が生まれた」。

 ガレリア(ヴィットリオ・エマヌエル二世アーケード)に行く。入り口にはアラン・ドロンの映画にもなった帽子店・ボルサリーノがある。十字の形になっている。19世紀に作られたという天井がガラス張りのアーケードだ。4大陸を表している。床に描かれた牛の絵の上で回ると「幸福が訪れる」という言い伝えがあってみんな回る。子どもたちがトイレというのでレストランを探すが、なぜか黒い看板のマクドナルドが一番目立ったので向かう。ええっ、これって『武器よさらば』の恋人たちがデートを重ねた「ビッフィ」だ!一部がマクドになっているのだ(後で知ったがここがミラノのマクド一号店だった)。

 中に入って注文するがいきなり1万リラ単位なのでたじろぐ。子どもたちのためにハッピーセットを注文して席に座ろうとすると「金川さんじゃない?」と女性が近づいてきた。見たことのある日本人だなぁと思っていたら高岡出身の山川さんだ。イタリアに音楽留学中で半年が経ったという。スカラ座のチケットを買うためにガレリアで人と待ち合わせをしていたら、見たことがある人がいたので来たという。「これからイタリア人と会うんだけど一緒に来ない」と誘われているが2時間しか滞在しないというと呆れられる。来年は妻がマテウッツィ先生のところに留学する予定になっているので、いろいろ詳しく聞いている。山川さんはイタリア語がなかなか分からなくて苦労しているようだ。実際、イタリアで行方不明?になる留学生も多いようだ。

 『第三の男』など作者として有名なグレアム・グリーンが自伝『ある種の人生』で面白い話を書いている。グリーンのお父さんが1900年ころ、友人とミラノを旅した。そこで貧乏たらしいイギリス人と知り合い、一緒に酒を飲んだ。話題の豊富な男で、立て続けに面白い話をした。あんなに面白いことはなかった、と父親はグリーンに語っていた。

 ある日、グリーンが開いていた本の口絵を見て、お父さんは「あ、あのミラノの男は、この男だ」と叫んだ。その男はオスカー・ワイルドで、同性愛のために断罪され、心身ともにボロボロになってイタリアに行った時のことだったのだ。これが丸谷才一の『横しぐれ』のモチーフになっている(山頭火との出会いに変えられている---丸谷才一『古典それから現代』構想社にはミラノと書いているが、読み返してみるとベニスになっている)。

 僕らは短い間で、そんな話もできず、山川さんと写真を撮って「世界は狭い」という結論を得て別れ、ハンバーガーにかぶりついた。子どもらも久しぶりの味に満足げ。トイレもきれいだ。

 目の前のプラダ本店に入ってみる。ツアコンは「明日はクリスマスで閉まっている可能性が多いので、プラダがラストチャンスです」と話していた。プラダはもともと好きではないので買う気はしないのだが、ツアーの一行がみんな入っている。馬鹿ップルも真剣に品物選びをしている。村上龍『ラブ&ポップ』に「プラダのチェーンバッグを買うためにマクドナルドで半年バイトする女子高生はいない」という言葉が出てくる。お金は何にだって変えることができるし、何でもお金に変えることができるということをいっているのだが、そのプラダとマクドナルドがはす向かいにあるというのは面白い、と勝手に思った。

 プラダの前にあるアンドリューというネクタイ店でネクタイを買う【帰国後「ね、プラダの前で買っただけにプラダの匂いがするでしょ」と手渡す】。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ像の前で写真を撮ってスカラ座に行く。クリスマス・イブなので閉まっていた。中にも入れないがショップだけは開いていた。ママは来年出演する『アイーダ』のDVD【日本と地域コードは同じだったが、上映システムが違ってマックで再生するしかなかった】やスカラ座手帳を購入。大丈夫かと思っていたら、しっかりとレジのところに買ったものを忘れていた。

 そういえば、「スカラ座にはカラスの亡霊がいる」という怖い話が残っている。ミレッラ・フレーニが『椿姫』を歌った時、カラスの『椿姫』こそ絶対だという信奉者たちが、天井桟敷からブーイングを浴びせ続け、公演自体をさんざんなものにしてしまった。フレーニはこれがトラウマになって、スカラ座では二度と『椿姫』を歌わなかったといわれている。これが本当の『オペラ座の怪人』だ。

 1時20分に集合というのに宮本夫婦が来ない。トラブルでもあったのかと思ったら40分集合と誤解していたという。45分にフィレンツェに向けて出発。

 途中、トイレ休憩に入る。4人分で2千リラ払う。「男子トイレ」をvespasiano(フランス語vespasienne)というが、公衆便所にまで税金をかけたローマ皇帝ウェスパシアヌスの名前に由来する。公衆便所への課税を下品だと批判した息子に「金にはにおいがない」と言った話が残っている。日本の殿様だって、「金かくし」に課税することはなかったのに、こちらでは未だに課税されているようなものだ。

 コの字型になったコンビニのようだったが、土産物も置いてあった。イタリアの水は飲めないというので水とお菓子を買う。ちょっとお腹が緩くて昨日のビーフ・フォンデュを疑う。持ってきた胃薬を飲む。

 高速道路をひた走るが周りに灯りがついていないので真っ暗になってきた。夜間飛行をしているような気分だ。他のクルマと違ってバスは100キロ以下と決まっているそうで遅い。4時頃、パルメザン・チーズなどで有名なパルマを通過。

 ようやくフィレンツェに到着。トスカーナ地方にある盆地で京都と姉妹都市になっている。トスカーナを舞台にした映画に『ライフ・イズ・ビューティフル』がある。高速を降りるとホテル。Aクラスのシェラトン・フィレンツェ。

SHERATON

 日本のガイドブックによれば日曜日は8時までウフィツィ美術館が開いているというので、着いてすぐフロントでタクシーを頼もうとするが、今日は日曜日で閉まっているという。そんなはずはないとガイドブックを見せて(相手は読めないが)確認してくれというと電話をかけてくれたが、確かに休館日で明日も休みで明後日に来てくれと言われ、失望が樹液のようにじくじくと広がってきた。

 大きく予定が狂ってしまったが、今度来る楽しみができたとあっさり諦める。未練を残すことが次の旅への活力だ。

 キーは東京ベイ・シェラトンに似たような使い捨てカードを使うが、磁気カードではなくて穴の開いたカード。セイフティ・ボックスも部屋に置いてあって自分で6桁の番号を決めるタイプだった。ホテルが安全ではないということなのかと、いつも思ってしまう。それに、泥棒に「ここに貴重品がありますよ」と宣言しているようなものだ。「ガードマン募集」という広告を出したとたんに泥棒にやられるようなものだ。

 中に入ると少し狭くなったが、快適な空間が広がっていた。

 でも、『眺めのいい部屋』とはいかなかった。

 妻に聞くと他の人もアメニティグッズが少なくてがっくり来ていたという。それでもシェラトン・フィレンツェのシールをしっかり確保していた。阿川佐和子の『旅の素』の「ケチコレ」にはバンコクのオリエンタルホテルの話が出てくる。クロゼットにすてきな雨傘が置いてあったので、チェックアウトの時に「部屋に置いてある黒い傘は、持ち帰ってもいいのですか?」と聞いたら、ホテルマンが「もちろん!」といった。すぐに傘が届けられて喜んでいると、精算書にはしっかりと「アンブレラ 60バーツ」(約2千円)と書かれてあったという。まあ、欲張らないことだ。

 今日はクリスマス・イブだ。部屋の前が例の馬鹿ップルの部屋なので、妻が「心配だ」という。何が…?

 シモネッタこと、田丸公美子はこういう時に“Don't Disturb me.”の表札を取ってしまうという。「長めのいい部屋」を楽しみにしてきた恋人に対してなんということを!?

 夕食をどうしようかと迷ったが、せっかくフィレンツェに来たので、外に出ることにする。

 8時に駅行きのシャトルバス(シャトルというほど便数は多くない)が出るので乗ることにする。例の馬鹿ップルだけが待機していた。一応、無料チケットをもらわなければならないことになっているので、フロントでもらう。

 イルミネーションに輝いているヴェッキオ橋を通って駅に到着。構内にはマクドナルド以外のお店はなさそうなので、外に出る。外は相変わらず雨。

 駅前にもマクドナルドがある。雨がひどくなってきたので、近いところでと思ったら中華料理店があった。

 値段もリーズナブルなので、ラーメンでも食べようかと入る。

 待っている間に子どもたちと話をする。イタリアは危険だと怖がっているからである。だから、世界中どこも危険なのだという。「日本人は水と安全をタダだと思っているんだ。でも、他にもタダじゃないものがあるね」というと「トイレ!」と答えてくれる。

 一応、レストランなので、皿の上にナプキンが載っている。

 炒飯とラーメンと海老焼きそばを注文するが、僕の炒飯は何とか食べられたものの、平たいうどんのような麺が口に合わなくてみんな食べない。そんな馬鹿な!と思って食べてみたが、変な臭いがする。お金を払ってでも食べたくない代物である。これには困ってしまった。

 我々がカフソカリヴィアのスキテ(このスキテはプロドロムと同様、グランデ・ラヴラ修道院に属している)で泊めてもらった宿坊は宿坊というよりは、僻地の飯場小屋というに近い代物だった。・・・宿坊の係りの僧は、ドラキュラ映画に出てくるようなせむしの召使いのような、むさくるしい不吉で陰惨な顔をした、極端に愛想の悪い男だった。【…】
 夕食がまたひどかった。まずパン。これが無茶苦茶な代物である。いつ作ったのか知らないけれど、石みたいに固くて、おまけに一面に青黴が生えている。それを洗面器に放り込んで水道の水でふやけさせる。そしてザルで水を切って出してくれるわけだ。水でふやけさせるだけ親切といえなくもないけれど、しかしそんなものはとても人間の食べ物とは言えない。それから、さめた豆のスープ。そこにどくどくと酢を注いで出す。「酢入れる・元気になる」と彼は言う。それはそうかもしれないけれど、味は無茶苦茶である。そして壁土みたいにぼろぼろしたフェタ・チーズ。これはぼくが生まれてから食べたフェタ・チーズの中ではいちばんしょっぱい代物だった。とにかく顔が曲がってしまうくらいしょっぱい。高血圧の人にこんなのを食べさせたらばたばた死ぬだろうと思う。でも腹が減っているから食べないわけにはいかない。他に選択肢はないのだ。そんなわけで、我々は黴のはえたふやけたパンを呑みこみ、酸っぱいスープを流しこみ、しょっぱいチーズを齧った。
「黴のはえたパンなんか食べちゃって、体は何ともないんでしょうかね?」と松村君が訊く。良い質問である。でも僕もこれまで黴のはえたパンを食べような経験はないので、それでどうなるかは見当もつかない。強ければ生き残るだろうし、強くなければ駄目かもしれない。でもとにかく腹が減っているのだから仕方がない。目をつぶって食べちゃう。あたりまえの話だが、これはけっして美味い物ではない。   

 「カフソカリヴィア」(村上春樹『雨天炎天』新潮文庫)

 空腹では可哀想なのでマクドナルドで買って帰ることにするが、駅前のお店は9時閉店になっていた。慌てて駅構内のマクドナルドへ行くが、こちらは開いていた。9時半のシャトルバスまで時間がない。僕だけバスを待っていたらやってきたので、家族が来るまで待ってという。

 ギリギリに間に合って乗り込む。来た時と同じ運転手で馬鹿ップルを来ないか待っていた。タクシーにすると言っていたというと出発。

 帰ってから他の人に食事はどうしたか聞いたら、レストランはクリスマスイブで食べ放題、飲み放題だったという。羨ましくもあったが、4人分の費用を考えると、町に出てよかったかなと思った。まずいものがあることも分かった。

 ちなみに翌日、ちょっと疲れた感じの馬鹿ップルに聞くと、トスカーナ料理を楽しんだという。しっかり楽しんでいる。

 部屋に入ってテレビを見てびっくりしてしまった。チャンネルを回すとアダルト内容というか、モロにスラストしている画面が1秒ほど見えるのである。本当は横のペイTV(1万リラ=約500円)の方の画面らしいのが混ざっている。日本ならもっとムードがあって、ボカシもあるだろうが、まったくハードな内容なのだ。よほどシェラトンに抗議しようかとも思ったが、ここはイタリアだから、合わせるしかないと思って、子どもたちにはテレビを見ないようにいう。歌劇の国ではなくて過激な国なのだ。

 トイレの横にビデがあった。うちのウォシュレットにビデ機能がついていて、前から興味津々だったのだが、ここでは別にある。下から上へのタイプではなくて、後ろから前に流れるタイプである。どうやって洗うのか少し不思議だが、バスやシャワーがなかった頃、女性の清潔さを保つために発明されたものなのだ。

 ツアコンもバスの中で、ビデの説明をしていた。「ビデで洗濯したり、果物を冷やしたりする人がいますが、女性用のものです。側にタオルがあって顔を拭く人もいますが、まあ、洗ってありますからいいのですが、とにかくそういうものです」。

 この時、子どもたちは眠っていたので、ホテルの部屋で「これ何?」と聞かれた時に、そのまま「物を洗うところだよ」と説明した。それとも、性教育のいい機会を逃したのだろうか?ちなみにビデはフランス語で子馬(bidet)の意味で跨る姿から名付けられた。『道中膝栗毛』では、手ぬぐいと絹のふんどしを間違えて顔をふいてしまい、女中に笑われるといった話が出てくる。

 イタリア語でトイレはバーニョ(Bagno)だ。 同時に「風呂」、「風呂に入る」なんて意味があって、英語のサニタリーと同様、トイレとお風呂を一緒にする人間性に呆れる。ちなみに「湯煎」を意味する Bagnomaria (バーニョマリア) という単語がある。可愛いマリアちゃんが一寸法師風にココット型に入って風呂に浮かんでる(湯舟で頭に手ぬぐい、お燗つき!)感じがするのだが、フランス語だとbain-marie(バンマリー)といい、今、『仏和大辞典』(白水社)を調べてみると、Marieは女錬金術士の名;モーセの姉ミリアムMiriamとする説もあると書いてあった。マリア様の方がぴったりなのに…。曾野綾子は主人公が茶碗蒸しを作るところで、この言葉を使っている。

 このように湯煎にかけることを、スペイン語ではバーニョ・マリア(マリア風呂)というのであった。火は強くてはいけない。鬆(す)が入らないように、ごくとろく、やさしく、それは、何故か、マリア風呂という感じとよく合っていた。

     -----曾野綾子『木枯しの庭』

 ツアコンというのは大変な仕事だ。親戚にも3人はいるが、何も事件がなくて当たり前という世界だからきつい。藤子不二雄Aに『添乗さん』(1974年・絶版だと思う)という漫画がある。1話2ページのショートショートで主人公の添乗さんはラーメンでお馴染の小池さんだ。 ハワイ篇(31話)と香港・マカオ篇(23話)からなる。

 外国というものを全く知らなかった頃の添乗員の苦労を描いていて、今はビデにしろ、日本が西洋化していて、むしろイタリアの方が遅れている部分もあるだろうが、ビデはその一つの象徴だ。ビデに大をして、「流れない」と慌ててきた人もいたそうだ。ビデが解らないのはヘンリー・ミラーの小説にも出てきたことで日本人の特許ではないが…。

 なお、鹿島茂の『セーラー服とエッフェル塔』(文藝春秋)にはビデに関する大考察がなされている。フランスのビデは単なる洗浄器でしかなかったが、アメリカへ渡って噴出する温水式となり、避妊器具となったらしい(そして、日本に渡ってお尻洗い洗浄器となった)。

 子どもたちは旅行中にサンタさんがクリスマスプレゼントをもって来てくれるか心配をしていた。事前にインターネットで「旅行中なのでいませんが、どうか置いていってください」というメールを出しておいた。

 それでも心配だというので、おばあちゃんに電話をかけて確かめる。「二人分、ちゃんと届いていたよ」の声に大喜びして寝る。ある銀行のコピーが「子供たちよ。サンタは大富豪じゃないんだぞ」というのがあった(『秀作ネーミング事典』日本実業出版社)がここに来ているだけで満足してほしい。

 サンタの起源について鹿島茂が『上等舶来・ふらんすモノ語り』(文藝春秋)で書いている。

 サンタクロースの起源は、オランダなどの国々で、キリスト教の子供の守護聖人である聖ニコラウスが土俗的な異教の神ウォーデンと同一視されたことにあるといわれている。サンタクロースという名前は聖ニコラウスのオランダ語の呼び名シント・クラウスからきている。ただし、聖ニコラウスの祝日は十二月六日で、この前夜に訪問と贈り物をかわす習慣があった。

 いっぽう、フランスなどでは元日に子供たちにお年玉として玩具などを買い与えるのが習わしになっていた。ただ、クリスマスには何も贈り物はなかったかというと、そうでもなく、聖霊がイヴの晩に訪れて、よい子の枕元の木靴の中に硬貨を入れておいてくれるという言い伝えがあった。

 おそらく、サンタクロースは新大陸のオランダ系植民地ニュー・アムステルダムでヨーロッパ移民が一堂に会したとき、様々な祖国の習慣が被億つに融合して生まれてきたものと思われる。すなわち、シント・クラウスという名前と子供の守護神という言い伝えはオランダから、クリスマス・イヴの晩にこっそりと贈り物を置いてゆくという習慣はフランスから、また、八頭のトナカイにひかせた橇でやってくるという運搬手段は北欧の神話から、そして、大きなフード付きのコートを着て袋をかついだ白髭の地の精(グノーム)という風体はゲルマン神話から、という具合に、それぞれ都合のいいパーツが採用されて、サンタクロースになったのだろう。

 したがって、サンタクロースの国籍はやはりアメリカ合衆国ということになる。

 明日はピサとフィレンツェ。

 きょう、インターラーケンから、ずっとはなれたイタリアに行きます。バスにのって、ずっと行きます。と中のお店でりょうがえをしたり、おかしを買ったりしました。また、バスにのって、ずっとむかいます。イタリアについて、トイレきゅうけいです。お店で、トイレをしてから、あめとチョコレートを買いました。こんどは、ホテルまで行きました。ホテルの名前はシェラトンです。そのシェラトンのカギは、カードのつかいすて用でした。カードの入れるあなに入れて、そのカードを入れたまま、ドアをあけます。そうすると、ドアがあきます。入ったら、すぐテレビを見ました。テレビを見たら、ベッドでねました。その前に、トイレをしました。日本とぜんぜんながしかたがちがいました。引っぱって、ながすトイレや、おしてながすトイレ、でも、わからない時もいっぱいあったから、日本のトイレの方が楽だからいいです。わたしは、明日の朝食が楽しみです。

 未蘭

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