ミレニアム欧州旅行〜子どもたちは何を学んだか? 12月23日(土)
ユングフラウヨッホ観光へ。もともとはオプショナル・ツアーなのだが、10月いっぱいに申し込めば無料招待となっていた。うちは迷っていてダメなはずだったのだが、例のキャンセル騒動で「お待ちいただいたということで」と無料になった。結局、全員が参加になっていた。周りの人に聞いたらみんな6月、7月に申し込んでいたという。
6時半にモーニングコールがかかる。7時から食事ができるという。
レストランに行くと日本人客でごった返していた。僕らと同じで前日出発のツアーの人々が慌ただしく食べているのだ。明日の僕らだ。
ボーイさんが案内してくれて「昨日と同じテーブルですね」といい、未蘭に「クライネ・プリンツェッシン」(小さなお姫様)と話しかける。バイキングで何でも揃っている。銀製の大きな二のついたボールにはゆで卵が入っていた。塩の上に載っていて、暖めてあった。
それはこんな顔だつたかいとふりむきし女のやうな茹卵むく---吉岡生夫『草食獣 第四篇』 クロワッサンもパンもハムもソーセージもおいしい。
話題君(仮名)がヨーグルトを3個抱えてテーブルに戻ったので、好きなのかなぁと思っていたら、3個とも鞄の中に入れてしまった。未蘭が「あれじゃ、ミルク臭くなってしまうよ」という。
この日のために用意した厚着を着て8時10分に集合。15分に出発。息が白い。3分くらいでインターラーケン・オスト(東)駅に着く。いよいよ登山鉄道。何となく黒部峡谷鉄道(宇奈月)のトロッコ電車をイメージしていたのに立派な電車なので驚いた。スイスはテレビの「世界の車窓から」でもよく紹介されるように鉄道が発達している。九州くらいの広さに5000キロという倍近い鉄道が敷かれているが、山岳地帯ということを考えると驚異的である。
僕らの席の横は若いカップル。ずっと手をつなぎあって二人だけの世界に浸っている。朝靄の中に幽玄な景色が見えてくる。山の上の方が青空の中に見事なコントラストを生み出していて感動していたが、だんだん感動疲れしてくる。もらったパンフレットには英語、中国語、ハングル、タイ語が書かれていて、中国語には「少女峰鐵路線」と書いてある(ドイツ語を習った人はみんな知っていることだが「ユングフラウ」とは「若い女」)。
ユングフラウよ、われ知れり、おん身のごとく
けがれなき衣をまといてかくるる心を、
そはおん身空に近きにまさりて神に近し。
さればあやしむなかれ、おお、けだかき山よ、
われ初めてその心のいただきを見しとき、
人住まんにはあまりにも高しと思いしを。
ミュッセ「ユングフラウに」『初期詩集』(小松清訳)□ 最初の乗換駅グリンデルヴァルド(グリンデルワルドは『ハリー・ポッター』のキャラになっている)に着く。アイガー北壁が正面に見える村で、最近はインターラーケンよりもここに泊まるのが人気だという。スイスは観光で有名になっているが、昔は外国人に近づきがたい国だった。ところが、18世紀の啓蒙運動とロマン主義が、スイスを理想化して人気を集めさせた。スイスを描いた絵画は1771年にイギリスの王立アカデミーに展示されたウィリアム・パースの「グリンデルヴァルドの氷河」だった。
さて、プラットフォームに降りて、別の列車の中を通って、別のフォームにいる列車に乗り込む。日本では信じられない乗り換えだ。出発のブザーもならないから移動中にその列車が動き始めたらどうするのだろう。
乗り込んでツアコンの井上さんが数えて「ええっ、3人足りない!」という間もなく動き出す。「待って!」と叫ぶ声を振り払うかのように列車が出てしまった。
誰がいないかみんなで思い出す。どうやらあのカップルと話題君が乗り遅れたらしい。次の列車で来てくれれば大丈夫だという。お昼が食べられなくなるけれどということだった。
みんな話題君のことを心配するので「大丈夫、ちゃんとヨーグルトを三つ持っているはずですから…」というと「見た見た」という人がいて大笑い。ローラン・トポールの『スイスにて』では自分の足を食べてしまう人が出てくるが、これは原題の“En Suisse”がスイス人のケチを笑った言葉“manger en Suisse”(一人でこっそり食べる)という意味から来ている。果たして、話題君は果たして二人に分けてあげただろうか?
若いカップルは二十歳くらいで、最近はそうした「馬鹿ップル」が多いのだという。下手に日本のホテルを使うよりは海外旅行をしたほうが安上がるということらしい。クリスマスをホテルでというのは当たり前になっていて、海外のホテルでということらしく、こっちの顔まで火照る。「まあ、二人しか見てなかったからなぁ」というとみんな納得。
みんながそういうので未蘭が「馬鹿ップルって何?」と聞いたので困ってしまった。
羨ましい感じもしないではないが、女の子は家になんて言って出かけているのだろう?「友達とぉ、外国で一生懸命勉強してきまーす」…。
□ 梓さんと二人で参加している松阪由美さんが話しかけてくる。「あんたらは標準語だけど子どもたちの話を聞いていると富山じゃないかと思って」ということだった。松阪さんはこてこての大阪人みたいになっているが、生まれは北海道で育ちは富山県の福野だという。二人とも旅慣れていて、知人の口紅の品番までちゃんとチェックして買いまくっている。娘の梓さんは懸賞マニアらしく最初の海外旅行が懸賞で当たったケニア旅行だったという。
えびす(胡子?)さんと話していたら、氷見出身で今は埼玉の短大で勉強しているのだという。宮本さんは富山に友達がいて結婚式に出て鯛のカマボコにメマイしたという。世の中、狭い。
周りの雰囲気がよくなると妻は相変わらず「未蘭、未蘭、ハイジが出てくるよ」という。ハイジの本当の故郷はスイス東部のグラウビュンデン州の北端にある小さな村、マイエンフェルトなのだから、出てくるはずもない。後で読んだのだが佐野洋子『神も仏もありませぬ』(筑摩書房)に、こんな記述があった。
七十七歳の母をヨーロッパ旅行に連れていったことがあった。スイスのユングフラウのふもとの、ハイジが走り回っている様な村を見下ろして、母が「ここで新手もいいわ」と喜んでいた説き、空からイン石が母に命中して絶命していたら、母は幸せのまま天国に怒れただろうかと思うことが時々ある。あれから十一年、母は、私は誰? ここは何処? 今はいつ? と、不条理劇の主人公の様である。たまに本当の不条理劇を見ると、「お前ら、甘いわ。言葉の不条理劇なんか、うちの母ちゃん見たら、参った、ゴメンと頭下げちゃうぞ」と、私は毒々しくなる。
それがどのように感じの良い素敵な場所であれ、美しい風景であれ、
所詮それを目の前にしている我々は旅行者であり、
旅行者にとってはいちばん重要なことは、通り過ぎていくという作業なのだ。
「移動するスピードに現実を追いつかせるな」、
それが旅行者のモットーである。でも「住み移り」の場合、
我々を囲んでいるあらゆる風景は、我々の存在そのものにもっと直接的なコミットメントを持つようになる。
それは過ぎ去ってゆくつかの間の風景ではない。
我々はそれらの風景と現実的に折り合いをつけなくてはならない。
それらの風景に対して、我々はそれなりの判断を下さなくてはならない。
我々は何を取り、何を捨てるか、
何を受け入れ、何を受け入れないか、というようなことを
きちんと決断しなくてはならない。
好むと好まざるとにかかわらず、
そこにある種の現実的責任のようなものが生じることになる。「これはきれいな景色だな」「こういうところにずっと住めたら素敵でしょうね」
だけでは済まない、ということだ。
我々はその風景の奥にあるものを解析し、引き受けていかなくてはならないということだ。村上春樹『使いみちのない風景』(朝日出版社)
ハイジが日本で最初に翻訳された時は『楓物語』になっていて、ハイジとペーターは楓と弁太、ついでにクララは久良子になっていた。でも、山に登るに連れて、日本の楓の雰囲気からどんどん離れていく。米原万里は『アルプスの少女ハイジ』が好きでいつか山羊の乳を飲みたいと思っていたという。アルバニアの海岸で1カ月すごした時に朝食としてミルクが出された(『旅行者の朝食』文藝春秋)。
「なんだ、こりゃ!!」
強烈な腋臭(わきが)みたいな匂いに鼻面を一撃された。
「山羊のお乳ですってよ」
【…】とにかくあらゆる乳製品が腋臭の臭いを放っていたのだから。一度デザートに生クリームをタップリ使った豪華なショートケーキが出てきて、喜び勇んでかぶりついたら、あまりの臭さにゲッと吐き出してしまったこともある。
結局わたしは山羊のお乳を美味しく飲めるようにはならなかった。【…】
山羊のお乳の味を知らないころに、この物語に出会えたのは、本当に幸運だった。真ん中に歯車を使ったアプト式なので、ぐいぐいと登っていく。そのため、ケーブルカーのように座席が少しだけ傾いている。子どもたちに軽井沢―横川の話をしてあげるが、今はもう通らなくなった。
どんどん上に上がっていく。一面雪景色だと思っていたのに、いい方に予想が外れた。陽の当たる場所は岩肌が出ている。天気もどんどんよくなってきた。
宮脇俊三の『終着駅』(河出書房新社)の「スイス登山鉄道の旅」にはこんな文章が載っていた。
そして、スイスの景観は、アルプスの名峰のみにあるのではない。私が今回いちばん感動したのは、クライネシャイデックからグリンデルワルトへ下る区間であった。アイガーの北壁が区まで見えず、残念な思いで下っているのだが、谷あいに点在する民家のたたずまい! 絵のような、という空々しい表現がピッタリくる。しかも、私たちの電車に向って、お婆さんが手を降っている。急勾配をラックレールで下るので、窓枠を額縁に見立てると、お婆さんが斜めに立ってふん張っているように見えた。これがスイス鉄道の旅なのだ、と私は思った。
□ 二つ目の乗り換え駅、クライネ・シャイデックに到着。アイガー北壁(3790m)と横のメンヒ(4099m)、ユングフラウ(4158m)というベルナーオーバーラント三山が見えてくる。ここからは高山病を心配しなければならない。血糖値を上げた方がいいのでチョコや飴玉をいっぱい持ってきた。高山病にかかってしまったら、そこでみんなを待っていなければならない。僕はケニア山の4500メートル地点で高山病になってしまい、一歩歩くのも辛くなった。トイレに行く元気もなくなった。
□ ここからはアイガーの北壁をくり抜いたトンネルになる。途中2カ所に停まり、ここから外が見えるという。停車時間は5分しかないので注意しなければならないが、慌てて走ると高山病になってしまう。
5分の間にビデオも写真も撮りたいので妻にカメラを預けて撮ってくれるように頼む。
ヨドバシカメラみたいに色んな言語で放送がある。日本語になってハングルで終わった。最初の駅に降りて、ビデオと写真を撮る。5分はあっという間だ。
二つ目の駅でも5分。慌ててしまう。
□ ようやく標高3454メートルのユングフラウヨッホ駅に到着。山の「肩」の部分にある駅だ。ちなみにユングフラウは4158メートル。何とか高山病になってないようだ。ユングフラウ / アレッチュ / ビーチホルンJungfrau-Aletsch-Bietschhornと世界遺産(patrimoine mondial)に認定されている。
この鉄道が考えられたのは1886年のエイプリル・フールの冗談から始まったという。何でも実現するためには言葉にしなければならないのだ。
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立派な駅なのに驚く。集合は日本のポストのところというので行ってみると最初に、あの赤い丸いポストが置かれていた。
1時間の滞在。絵葉書を買っておけばよかったのに、慌てて買って文章を書くものだから、あっという間に20分過ぎてしまう。
慌てて走らないようにしながらスフィンクス展望台に向かう。エレベーターがあって、上がると展望台。
碧い玉を磨いたような快晴で360度のパノラマが広がる。向こうの山まで遠いので、夕方に「起きろ!」と叫んだら、朝、「起きろ!」とこだまが返ってきそうだ。
美人の宮城さん夫婦がいて、写真を撮っ撮られたりする。
祐貴たちは雪を投げる。
(投げた氷↓)
ツアーの費用138000円はここだけで充分に元が取れた。と思ったのが大きな間違いだった。
□ 次に正反対にある氷の宮殿に向かう。エレベーターに乗って2階にあがったところで停まってしまう。待っていたが直らないので、1階に階段で戻る。すると直ったので、宮殿に向かう。
氷の宮殿は氷をくり抜いたようなところで、つるつるの廊下が続く。なかなか前に進めない。
デレク・ジャーマンの映画『ヴィトゲンシュタイン』を思い出した。ラストシーンで死のベッドに横たわる哲学者に対して、友人の経済学者メイナード・ケインズがおとぎ話をする。「昔々、世界を論理そのものにしようと夢見る青年がいた。大変利口な彼は夢を実現した。仕事をやり遂げた彼は、一歩下がって出来映えを見た。美しかった。地平線まで音もなく続く、輝く果てのない表現のように、不完全なものも不確実なものもない世界だった。賢い青年は自分の創った世界を見回して探検に出ようとした。一歩踏み出したとたん、仰向けに倒れてしまった。<摩擦>を忘れていたのだ。氷はツルツルで起伏がなく、シミ一つなかったが、その上を歩くことはできなかった。それで青年はそこに座り込み、自分のすばらしい創造物を見て涙にくれた…」。<摩擦>のない世界がここに拡がっている。横棒がついているので、ずっとつながって歩く。この<横棒>は言語なのか、現実なのか?
途中、千代の富士の氷像などがあるが、時間がなくて急ぐ。出口に出るとスキー場のようになっていて、ちょっと上がって、すぐに戻る。
□ ギリギリに間に合って列車に乗る。
帰りの列車の中で検札が来て宮本さんが切符をなくしたというと女性車掌が「じゃあ、一晩中、窓拭きと床磨きと掃除をしてなさい」と言って立ち去る。
みんなで大笑い。「ところで睦ちゃん、カメラはどこ?」と聞くと顔が真っ青になる。どこにもない。
ツアコンの井上さんに事情を話す。すると宮本さんたちが「さっき、キヤノンのカメラを落とした人はいませんか?と探していたよ」という。ちょうどその頃は氷の宮殿にいて、間に合わなかったのだ。
返す返すも悔やまれる。カメラが手に戻らなくても快晴のパノラマで撮ったフィルムが欲しい!
仮に駅に置いてきてあっても、明日までにオスト駅までカメラが戻ってくるだろうか。返って来なかったら、使い捨てカメラを買って写真を撮らなければならない。
すっかり暗くなってしまった。
谷川俊太郎「かなしみ」
あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった□ 空を手術するようにジェット機がユングフラウ上空を飛んでいく。
再び、クライネ・シャイデック駅。スキー客でごった返している。現地の写真屋さんが皆さんで写真を撮りませんかと言ってくるが、誰も賛成しなかった。
駅構内の二階にあるロシッツィリアというレストランに連れて行かれて昼食になった。ピカタとスパゲティ・ミートソースが出てそれなりにおいしかったのだが、頭はカメラのことが頭をよぎって味を楽しめなかった。
食べ終えてから列車を待っていると井上さんが「これですか?」とカメラを持ってきてくれた。何でも同じ列車の日本人だろうと持ってきて暮れた人がいたのだという。何という幸運だろう!
「あおぞら」 まどみちお(まど・みちお全詩集)
空がまぶしい。
このわたしの上にも、
あそこの牛の上にも、
あの山の上に生きている
一本松の上にも、
みんなおんなじに
青く青くすんで。ここからは行きとは反対方向のラウターブルンネンに向かって列車は走る。快晴で暑い。窓を全開にしても暑い。でも、時折、夜の溜息のようなそよ風が吹く【帰国してからガイドブックを見るとスイスは寒いが、晴れると汗ばむ位だとちゃんと書いてあった】。
相変わらず感動的な景色が続く。遠くに別の列車も見える。天気がよくて最高だった。井上さんに聞いたら3回来て3回とも真っ白だった人も多いという。イタリア・カプリ島の青の洞窟は干満の差があって昭和天皇は3度行って3度とも見ることができなかったという。
ラウターブルンネンに着くが、谷間の駅で滝が凍っているのがみえる。
乗り換えて最後の列車に乗る。
オスト駅に戻る。蛙の王様の絵が描かれた汽車もある。ここで解散といわれる。
□ ボー・リバージュに戻ってくつろぐ。子どもたちはアルプスの壮大さに満足していた。
バルコニーがついているので写真を撮って楽しむ。外の景色は最高だ。しかも部屋はど真ん中の3階にある。
ジュースが欲しいというので、駅前のスーパーに仕入れに行く。祐貴だけが付いてきた。
土産物屋ではなくスーパーに行くと土地の生活がよく分かる。
ただ、僕らが買うようなものは何もなかった。迷っているうちに急に「クローズ」だという。びっくりしていると店は5時までといわれ、人も少なくなっていた。レジも一部しか開いていない。
慌ててジュースなどを買って、読みとり機にカードを入れて買い物をして帰る。祐貴が「どうして5時までしか開いていないの?」というので、労働の観念が違うことを話す。日曜日も安息日なので神様のことを思って休まなければならない法律(blue law)があったり、働き過ぎはいけないと思っているが、日本はお金もうけさえできれば何でもするということを説明する。正月三が日だって、あるスーパーが開けば、どこも真似をして結局、売り上げも伸びないまま苦労するだけと話す。
※2009年にドイツでは日曜日にデパートなどを開くのは憲法違反だと教会側の人が裁判にして、違憲の判決が出てしまった。“Sonntags nie!”(映画『日曜はだめよ!』から)と呼ばれた。
□ 夕焼けがきれいで『ハイジ』の感動的な文を思い出した。
「(アルプスの)夕焼けは、なぜこんなに美しいの」とハイジがいう。アルムじいさんは「この世の中で一番美しいのは、お別れのときの言葉じゃ。夕焼けは、おてんとさまが山々に送るお別れのあいさつじゃから」。
まど・みちおの詩も思い出した。
「さようなら」 まど・みちお
子供よ、あの赤い夕焼けは、一日が「さようなら」って言ってるのだ。
子供よ、今落ちた木の葉の、あのしずかな音も、やはりあの木の葉の「さようなら」だ。
子供よ、お前の持っている鉛筆でさえ短くなるたびに、「さようなら」「さようなら」「さようなら」って書いている。
ああ、子供よ、耳をすましてみると、なにもかにもみんながみんな、「さようなら」「さようなら」って言ってるではないか。□ 夕食はビーフ・フォンデュ。このパックの目玉の一つになっているし、豪華旅行でスイスに行った同僚もおいしかったといっていた。フォンデュというのは16世紀にスイスで戦っていたプロテスタントとカトリックが休戦をした時に双方が材料を持ち寄って作ったのが初めだとされる。どっちがどっちを持ってきたのかは定かでないが、いずれにしろ、日本人と同じ鍋の文化を持っているのは絶対にいいことだ。パンを鍋に落としたら歌を歌わなければならないとか、和気藹々にするための工夫がフォンデュにはある。
集合の時間にロビーに行くと話題君が帰って来ていた。「カップルとは途中で別れた」というのでツアコンはおろおろしていた。しばらく待っているとギリギリに「今、来ました!」と馬鹿ップルが帰ってきて、一堂ホッとする。
10分ほど歩いたシューのお店というところへ行く。何となく焼肉店をイメージしていたが普通のレストラン。ずっと奥に案内されて、他の客と別にされている(といっても日本人だけではなかった)。
飲み物を頼んでからサラダが出てきてスープが出てきて、肉が出てくる。要するにチーズ・フォンデュだと好き嫌いがあるからビーフ・フォンデュになったのだ。肉を揚げて薬味で食べると考えていい。井上さんは「結局、塩胡椒が一番よかったりします」という。
食べてみると肉が固くておいしくない。何よりも指しにくくて油の中に落としてしまう。色々な薬味を試したが、おいしくないので、塩と胡椒を頼んで食べる。隣の席の人に「どう?」と聞かれて「いつも松阪牛を食べているのでちょっと…」と答える。
未蘭は最初のうち、昨日買った牛の模様のポシェットを指して「牛さん可哀想」なんて冗談を言っていたものの、眠くなったようで(8時くらいになると眠たいらしい)、うつろな目になってきた。起こしてもおきないので、そのままにしておいた。
ウェイトレスが「英語を話せるか?」といって近くに来る。「日本にクリスマスはあるか?」ということだった。「ちゃんとあってサンタも来るけれど宗教的な意味はなくてフェスティバルみたいなものだ」と答えると満足して帰っていく。誰かと賭でもしていたのだろうか?
大体食べ終わってから、未蘭が辛そうなので、飲み物代を払って先に帰ることにする。
タクシーも覚悟していたが、未蘭は何とか目が覚めて歩いてくれた。
水のように澄んだ空が星を浮かべていた。建設中のホテルの屋上クレーンにランプがみたいにつけられていて、お洒落。「星らしい星だねぇ」といいながらホテルに到着。
明日はミラノからフィレンツェなので、早い。妻は荷造りをして寝る。
きょう、ボーリバージュから、ユングフラウヨッホの山へ行きました。
ボーリバージュのホテルの近いえきへ行って、てんじょういんの、いの上さんがおしえてくれた電車にのりました。そのままずっと、のりかえをしたりして、行きました。それで、ユングフラウヨッホえきにつきました。
そこで、まず、スフィンクスてんぼう台へ行きました。犬がいました。外へ行くと、わたしは、こうしょきょうふしょうだけど、ながめがよかったし、雪がいっぱいつもっていたから、こおりをなげました。天気も、よかったし、雪は、ふってなかったから、よかったよ。
つぎに、こおりのきゅうでんへ、行こうとしたけど、エレベーターが、こしょうして、下まで、かいだんで行きました。それでまたエレベーターにのったら、行けました。時間がすくなかったのでつるつるすべって、さんそがすくなくて、気持ちわるくなってきたけど、さい後まで、がんばりました。そして、ちょう上までやっとつきました。ながめがまたきれいだったよ。そして、下までまたもどって、電車で帰りました。
と中でお食じを食べて、帰りました。ボーリバージュでゆっくり休んで、いました。
楽しくて、ちょっと気もちわるかったけど、思い出になったからよかったです。また行きたいなー。
金川 みらん
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