ミレニアム欧州旅行〜子どもたちは何を学んだか? 12月22日(金)
7時に電話がなって起床。スイスの水は飲めるという。電気ポットがあったので見るとカルシウムが固まって白くなっていた。祐貴は夏休みに硬水と軟水について調べたのでよく分かったようだ。日本茶のティーバッグがあったので飲む。7時45分にレストラン前に集合。
その朝食はコンチネンタルだと思って簡素なものだと思っていたのにバイキングでクロワッサンもジュースもおいしかった(この街は国連職員なども来るからアメリカンスタイルなのかもしれない)。二人ともいっぱい食べた。
「ぱん」 谷川俊太郎
ふんわり ふくらんでいます
そとはちゃいろ なかはしろ
いいにおいです
わたしは ぱんですむかし わたしは こむぎでした
おひさまが かがやいていました
あおぞらがひろがっていました
そよかぜがふいていましたばたーを ぬってください
はちみつを つけてください
わたしを のこさず たべてください
わたしは ぱんですスーツケースを部屋の外に出しておけば、下まで運んでくれて、後にバスまで積んでもらえる。
国際電話の代金をドルで払っていたら未蘭がびっくりした。「アメリカ人っていいね。英語も通じるんやね。ドルもどこでもいいんでしょ」。
□ オプションの人はそのままモンブラン観光に出かける。フランスのシャモニーを通るのでパスポートが必要だという。モンブランを見に行きたかったが、子どもたちにスケジュールを合わせてあるので行かない。それにシャモニーってフランケンシュタインの故郷だ。そんな怖いところに!
バスや飛行機の乗り継ぎで疲れ切っているはずなのに二人とも元気。
コンシエルジュにジュネーブの市内観光はないかと聞くと今の時期は午後2時からのバスがあるだけだという。レマン湖の遊覧船も5月―9月の大噴水の終わりとともに終了していた。スイス人はそっけない。
いろいろと泊まり歩いたキャンティー地方の宿でいちばん心に残ったものというとやはり「雉鳩亭」(仮名)にとどめをさすだろう。【…】
「雉鳩亭」の客室は全部で三室か四室しかない、本当に小さな宿である。だから泊まれる人数はせいぜい七、八人というところだろう。当然ながらシーズンにはかなり前から予約しておかないとまず泊まれないし、シーズン以外は開けていない。いわゆる素人旅館で、奥さんがひとりで宿泊客の世話をしている。【…】
実はこのスイス人の奥さんはここで旅館をやろうというつもりはまったくなかった。ご主人はスイスの弁護士で、十代後半の娘さんがひとりいる。生活にはなんの不自由もない。彼女はこの家が一目で気に入って別荘用に買ったのだが、それまでそこが旅館として使われていることをまったく知らなかった。売る方もそんなことを一言も言わなかった。ところが、この旅館が「トスカナの魅力的な旅館」として、あるアメリカのガイドブックに紹介されたものだから(僕もその本を読んでここのことを知ったわけである)たまらない。休暇を過ごそうとここにやってきたとたんに部屋の予約をしたいという電話がかかってきた。「そりゃもうびっくりしました」と奥さんは言うけれど、まあたしかにびっくりするだろうと思う。休暇を取ってトスカナの別荘に来て気持ちよく寝ていたら、真夜中にニューヨークから国際電話がかかってきて「八月七日に二人用の部屋をお願いしたい」なんて突然言われたら誰だって相当びっくりしちゃう。
でもこの奥さんの偉いところはその電話の相手に「よく事情はわかりませんが、もしいらっしゃりたいのならどうぞお越し下さい」と答えてしまうところである。親切というか、呑気というか、人がいいというか、こういうのは普通の人にはなかなかできることではない。とまあそういう具合にして、なんとなく成り行きでなしくずし的に彼女の素人旅館が始まってしまったわけである。だからこの「雉鳩亭」には看板も出てはいないし、名前さえついていないのである。ましてや広告なんてぜんぜんやらない。原則的にはここはあくまで個人の別荘なのである。そこに奥さんの好意で泊めてもらっているのだ。こういう宿屋ってなかなかない。
「雉鳩亭」(村上春樹『遠い太鼓』講談社文庫)
仕方がないので、歩くことにする。
ホテルはコルナバン駅近くの便利なところにあって、5分も歩けばレマン湖だという。ひんやりとした空気の中を歩く。そうなのだ。こんな空気を吸うために僕らは旅行するのだ。見るだけだったら、映画やテレビの方が勝る。
それがどうしてかは自分でもよくわからない。僕を引きつけたのは、そこにあった空気の質のようなものではなかったかと思う。そこにある空気は、他のどことも違う、何かしら特殊な質を含んでいるように僕には感じられたのだ。肌ざわりも、匂いも、色も、何もかもが、僕がそれまでに吸ったどのような空気とも違っていたのだ。それは不思議な空気だった。旅行というのは本質的には、空気を吸い込むことなんだと僕はそのとき思った。
-----村上春樹『雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行』(新潮文庫)周りのお店がとてもきれいなので、みんなで感動する。クリスマスデコレーションが見事だし、夢のようなディスプレーをした毛皮のお店もある。日本の布団屋さんもあるし、焼鳥屋さんもある。インターネットカフェもあった。町の雰囲気全体に清潔感があふれている。
レマン湖に着いて記念撮影。カモメが飛び、遠くを眺めているだけで癒されるような風景だ。ソシュールはこんなきれいな町で言語学を考えていたのかと驚く。
ソシュールというと多くの人は近代言語学者の父としてしか知らないが、僕が読んでいた『原色百科事典』(小学館1966)には曾おじいさんの名前しか載っていない。シャモニーにはオラス・ソシュールの銅像がある。熱気球はモンゴルフィエ兄弟が開発したものだが、原理は電気とアルカリとアンモニアガスのおかげだと信じていた。これが違ってただの熱による膨張であることを実験で証明したのもオラスである。なお、オラスの息子も植物生理学者として有名である。
ソシュール Horace Benedict de Saussure(1740-99) スイスの地質学者・植物学者・登山家。ジュネーブ大学教授。モンブラン山ろくでその偉容に感激、最初に登高した人に対する賞を設けた。一七八六年、フランスのパカールとパルマが初登攀に成功、翌年彼も頂上をきわめたが、これが近代登山の端緒となった。著書に『アルプス旅行記』などがある。
ボー・リバージュのジュネーブや五つ星ホテルのオテル・ドゥ・ラ・ぺが見える。内藤剛志に似た男性と奥さんが写真を撮って下さいというので、撮ってあげて撮ってもらう。「外国は初めてですが、雰囲気がいいですね」という。話を聞くと阪急交通社の1号車の人で、似たような旅程をたどりながら微妙に違うコースを行く。今日の泊まりはインターラーケンのモンブランだという。僕らがボー・リバージュだというと羨ましがっていた。
妻が「イギリス公園だ」というので写真を撮るが、どうやら違っていた。
近くに“SOLDE”(バーゲン中)と書かれたお店があったが、掘り出しものがなかったので、近くのお土産物屋に入る。仰向けになって口を上にして噴水が自分の口から出ているように見える写真の絵葉書も売っていた。妻はエーデルワイスの額を所望。二人はキーホールダーを買う。二十代の甥二人にスイス・アーミーナイフを買うことにする。無料で名前を入れるサービスもあるというので頼むが1時間かかるというので帰りに寄ることにする。
未蘭が「どうして病院のマークみたいなのがついているの?」と聞くので、赤十字を作ったアンリ・デュナンがスイス出身で国のマークを紅白逆にしたんだよ」と答える。「どこの国でも十字のマークなの?」というので「イスラム教といってキリスト教でない国では赤い三日月を使っている」。「アーミーナイフってどういう意味?」「軍隊で使われていたナイフだからだよ」というと祐貴が「昨日、バスの中でスイスは平和な国で中立国っていってたじゃない」という。「中立っていっても周りに国がいっぱいあってすぐに入ってこれるから自分を守るために皆兵制といってみんなが軍隊になるんだよ、だから軍隊のナイフが普通に売られているんだよ。それに、傭兵といって代理戦争をする人が昔の唯一の産業だったんだよ」と答える。そうだ、バチカンの衛兵は今でもスイス人と決まっている。
□ モンブラン橋を渡って対岸に。曇っていて風が冷たかった。今度はイギリス公園があって、ヒロ・ヤマガタの絵に出てくるシーンが見えてきた。有名な花時計の前でアメリカ人が撮ってくれというので撮ってあげて、撮ってもらう。
旧市街に向かう。ジャン・ジャック・ルソーの生家(市庁舎のそばのグラン・リュ通りで後に失踪したお父さんも時計職人だった)やジュネーブ大学の方向である。長くて可愛らしいバスが停まったところにウルスというお店があって入ると日本人スタッフもいた。未蘭が「目がぐるぐるする」というので少し休ませてもらう。疲れが出ているのだろうが、どうやらウィンドーなどの光線の多さだということが分かる。
大聖堂の方に向かう。
途中で昼食のお店を探すが、安くておいしそうなところがない。お菓子屋さんがあったので、入るが甘そうなものだけなので、ケーキを少しだけ買う。同じツアーの人が軽食をとっていた。
サンピエール寺院の鐘が12時を荘厳な音を出して知らせる。ヘミングウェイの小説のタイトルにもなったジョン・ダンの詩を思い出す。「誰がために鐘は鳴ると問うなかれ、それは汝のために鳴っている…」。この教会は16世紀に宗教改革でプロテスタントに改宗した寺院だ。中にはカルバンの説教壇があるそうだ。入り口がよく分からなかったので入らなかった。
降りたところに“PANINI SHOW”と書かれた屋台があった。インドの文法学者パーニニにちなんだものか?と一瞬思ったが、パニーノ(“PANINO”イタリア語のサンドウィッチ)の複数形だ(単数で言われることは少ない)。その後で店員と客の会話を聞いているとイタリア人ではなくて、ポルトガル人だという。
7スイスフランというので二つ買って、カットしてもらう。焼きたてなのでおいしい。子どもたちも満足。
□ 再びお土産物店へ戻ってアーミーナイフを受け取り、ホテルに帰る。後一時間はあるので、近くのコルナバン駅へ行く。ソシュールの『一般言語学講義』(p.151で原書だとpp.242)に出てくる「ジュネーブ=パリ間20時45分発」の2便の急行があるか見たかったのだ。ソシュールはこの中で機関車や客車、乗員の全てが違っていても、場合によっては線路が破壊されて復旧して元の線路でなくなっても、「ジュネーブ=パリ間20時45分発」は変わらない、つまり、この急行を成り立たせているのは発車時刻、行き先、他の急行と区別する様々な状況だとして例にあげている。時刻表を見たが、もちろん、今はなくて、代わりにTGVになっていて3時間半で行ける。
□ ホテルのロビーで未蘭が次のような日記を書いていた。
きょう、朝にごちそうを食べて、自ゆうこうどうに出ました。
そして、さいしょに、イギリス公園へ行って、おみやげやに行って、サン・ピエール寺いんに行って、そこでお昼ごはんのサンドウィッチを食べました。そして、帰りに最初のお店で、アーミーナイフをともきにいちゃんと、ひろきにいちゃんの名前をほってあるのをとりに行きました。
それで、ホテルにもどって来ました。それからおかあさんと、おにいちゃんが、まだ時間があるのでえきへ行きました。
これからスイスのちがうホテルの、ちょうごうかなところへ行くので、すごく楽しみです。だから、おかあさんとおにいちゃん、早く帰ってこないかなあと思いました。
□ 一人娘と参加している長峰さん一家などモンブランへ行った人たちが帰ってくる。モンブランは別世界で最高にきれいだったという。明日が期待される。
話題君(仮名)がピザを買ってきたらしくロビーで無心に食べている。
周りを見ると婚約時代の雅子様がバレンタインに贈ったという記事が張られていた。スイスのチョコレートの宣伝だった。
2時までにみんな帰ってくる。
オテル・ドゥ・ベルンを出てバスでインターラーケンに向かう。徐々に天候が好くなって、レマン湖の湖面が光る。
運転手にときどき携帯電話がかかってくるのだが、長電話!ハンドルをちゃんと握ってほしい。
周りの雰囲気がよくなると妻は「未蘭、未蘭、ハイジが出てくるよ」としつこくいう言うので未蘭はすっかり機嫌を悪くしてしまう。
どんどん山の上に来ることが分かる。どちらを見ても素晴らしい風景で、「日本アルプス」などと自慢している日本人が恥ずかしくなる。重厚さがまるで違うのだ。上高地くらいで大騒ぎしているのはちょっと…という気分になる。
雲の上にやってきた。霧になって、そのまま曇ってしまう。明日の天気が心配になってきた。
「霧」 吉野弘
閉じこめた高原がどんな風景だったかを
思い出そうとして
霧は
ときどき自分自身を取りはらってみる風景を見て、納得して
ふたたび
霧は
自分の領地を閉じこめにかかる閉じこめた領地がどんな風景だったかを
少したって、また思い出そうとして
霧は
自分自身を取りはらってみるご苦労な
霧よ!
親密に触りつつ物を抱くことが霧の愛し方なので
距離をとって物を見ることが不得手なのだ2時間ほど走ってトイレ休憩にショッピングセンターに入る。みんな階段を登って行ったが、エレベーターがあったので使う。到着したと思ったら、草むらなのでびっくりしてしまった。反対側が開いてホッとする。
ここは既にトイレにお金がかかる。
水やライム入りのレモンシャーベットを買う。ライムがとてもおいしくてリフレッシュできた。
□ 真っ暗になってからインターラーケンに到着。インターラーケンというのは“inter-lake”で二つの湖の間にある町だ。日本の大津市と姉妹都市なのでその関係の日の丸があちらこちらに見えた。ここはスイスでもドイツ語地域になる(ただ、最近はバイリンガル教育は流行っていて、英語にとって変わられているという)。
僕らを免税店で降ろして、その間、ツアコンの井上さんがホテルでチェックインを済ませ、戻ってくるという。至れり尽くせりだ。免税店は日本人の指定店らしく日本人スタッフがいっぱいいた。買っているのは日本人と韓国人、台湾人が多かった。番茶のサービスまであった。
未蘭は牛の柄のポシェットが気に入ったので買ってあげる。ブランド品もおいてあったがつまらなかった。指定店はどこも似たようなものらしい。
五つ星ホテルのボー・リバージュ(Beau Rivage)に到着。大きくはないが、こぎれいなホテルだ。クリスマスデコレーションがしてあって雰囲気がいい。フロント係も上品だ。
彼女の笑顔の中にはなにかしら僕の心をひきつけるものがあった。まるでホテルのあるべき姿を具現化したホテルの精みたいだ。
-----村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』明日の予定を話すために会議室に通されたのだが、ここも信じられないくらいきれいで、部屋はどうなるだろうと思う。床には五つ星のマークの入ったロゴが使われていた。後で分かったがとても家族的な雰囲気のするホテルだった。日本でも「ボーリバージュ」という、ここの名前をパクったレストランやホテルがいっぱいある。
丸くて重いホルダーのついた鍵を受け取ると子どもたちは階段であがって行きたいという。途中に馬小屋のキリスト生誕などのデコレーション(クレッシュ・ド・ノエル“creche de Noel”)がしてあった。3階の312号室と314号室だが、グランドフロアからは4階分上がらなくてはならない。
スーツケースが部屋に入っていたが、間違って中条さんのが入っていた。フロントに電話して「なかじょうさんのスーツケースが」と話すが、「なかじょう」という名前はないといわれた。よく見ると「ちゅうじょう」さんだった。娘と両親で参加していた。部屋が分かったので返しに行く。
□ 部屋は広々としていて端正。使い捨てのスリッパまで置いてあった(スリッパというのは日本の発明で外国にはあまりないと聞いていたのに)。鹿島茂は『上等舶来・ふらんすモノ語り』(文藝春秋)でベランダもスリッパも欧米にはない話を書いている。そして、入浴した後に欧米人は何を履くかというと、室内履きの靴(仏pantoufle 英pantofle)を履くのである。これは日本ならカジュアルシューズで通用するようなもので、スリッパよりは靴に近い。素材も布製やフェルト製があったが、最近は革製の堅牢なものもあって、「ようするに欧米人は寝室などでも靴をはいていないと気が落ち着かないということである」という。スリッパに一番近いモノはミュールで、中世の終わりにヴェネチアではやったバックレスの上草履が赤い色をしていたことから、赤色魚muleにちなんで命名されたという(ただし、最近では成句を除いて踵の高い婦人用の履き物を指す)。
針子セットなどアメニティもいっぱいあるので妻は大喜び。日本語のテレビを見ることができる。上野さんは朝ドラの『オードリー』が見られるので楽しいという。子どもたちは『ポケモン』に夢中だが、ジェッシーとジェイムズと名前が変わっているのに大笑いしていた。
こんな豪華なホテルに日本で泊まろうとすると一人最低で3万はかかるだろう。物価が違うとはいえ、あの値段の高さは何なのかと思う。
□ 疲れていて、夕飯はどうしようかと思った。ツアコンは外にもレストランがいっぱいありますよと話していたが、とりあえずホテル・レストランへ行く。ドイツ語がメインのメニューになっていた。新婚旅行だという宮城さん夫婦がやってきて、迷っている。宮城さんの奥さんは女優の斎藤陽子そっくり、それ以上の美人だ。意味が分からないというので訳してあげる。「ちょっと高いかもしれないけれど二人だったらいいと思うよ。うちは子どもがいるから迷うけど」というと「ふだん倹約していますから大丈夫です」という返事だった。
メニューの翻訳は難しいものである。そして、とても危険である。なにしろ、誤訳するとすぐ目の前に結果が「ハイ、一丁できあがり」と持ってこられるからである。
(千野栄一『外国語上達法』岩波新書1986)千野先生によれば、外国が分からないのにおいしいものを食べたい時は近くの一番おいしそうに食べている人のを見つけて「あれと同じものをくれ」というのが正しいのだという。もっとも米原万里の『旅行者の朝食』(文藝春秋)に出てくる話だが、フランス語ができないのに恋人の前で見栄を張って隣の席の言葉をずっとまねていたが、隣の人が「レペテ、シルヴプレ」と言ったので、注文したのだが、同じものばかり出てきて人種差別を受けたと騒いで事件になったという。途中で隣席の男が違うものを頼んだのを聞き逃して、「レペテ、シルヴプレ」(お願い繰り返して)と頼んだことから起こった誤解だった。
子ども用のメニューがあるか心配で、出てきたボーイさんに聞いたら別メニューをもってきてくれて、単品で安いのがあったので、レストランで食べることにする。
妻にどうして子どものメニューがないのかと聞かれた。子連れを前提としたレストランは欧米では少ない。日本では子どもを自分の側におくようにするが、欧米では大人の楽しみに子どもを巻き込むよりも、子どもは子どもで別に過ごさせる方が良いと考えるためである。つまり、親と一緒に食事をしたいと言う子どもは欧米ではわがままだが日本ではそうではない。子どもの文化と大人の文化ははっきり分かれているのである。ボー・リバージュに子ども用のメニューがあるのはリゾート地だからであろう。
鹿島茂も「フランスの中華はなぜ小皿なのか?」(『モモレンジャー@秋葉原』文藝春秋)の中で次のように書いているが、その後の金川家の旅行を暗示したものになった。
ヨーロッパの国々では、原則として、聞き分けのない幼児はレストランには入れないことになっている。レストランは大人が食事を楽しむ場所という認識があるためだ。
それゆえ、子供連れの日本人がヨーロッパを旅行すると、レストラン選びに苦労する。子供が許されるのはファースト・フードと中華料理だけだから、「マック、中華、マック、中華……」と、はなはだ味気ない食生活を強いられることになる。
□ レストランに入ると宮城さん夫婦と上野さんが入っていた。上野さんは姉と同じ葉山に住んでいて、毎日、姉の家の近くにある、コメンテーターの木村太郎さん宅の横の電柱にタッチして戻るという散歩を繰り返しているという。世の中、狭い。
子どもたちはスパゲティにした。僕らは季節のサラダにスープ、アントレにはステーキを注文する。祐貴が「アントレって、入り口っていうのと同じなの?」と聞いたので、教えてあげる。フランス語を学び始めた頃、どうして「アントレ」(入り口)があって次がないのか不思議だったのを思い出した(19世紀にロシアからコース料理を取り入れた時には「ロティ」という肉の焼き物が真打ちとして続いていたのだという)。ちなみに、それまでフランス式は同時に料理が出されていたのだが、ロシア式になってから時系列で出るようになった。フロベールの『感情教育』には二つのシステムがせめぎあう描写が出てくる。
東海林さだおは『タクアンの丸かじり』(朝日新聞社)で洋食のコースについて書いている。
洋食のコース料理を食べていて、いつも疑問に思うことがある。
まず最初にオードブルが出る。
そうすると、これをすべて食べつくさないと次の料理が出てこない。
仕方がないからオードブルばっかり食べる。
オードブルがテリーヌだったら、これを切っては食べ、また切り取っては食べる。少し休んで、またテリーヌを切り取って食べる。
日本人にはこれがつらい。
日本人の常として、何かを一口食べたら、次は別種のものを一口食べたい。
カマボコを一口食べたら、次はワサビ漬けのピリッとしたのを口に含みたい。
どうも洋食の、あの“一品食べつくし主義”は疑問に思えてならない。これに関して米原万里は『旅行者の朝食』の「キャビアをめぐる虚実」で答えを出している。元々フランス式サーヴィスは全ての料理をいっぺんにテーブルに盛っていたという。ショージ君の願うように客は好きなものを各自勝手に取って食べればよかった。ところが、19世紀初めにロシア皇帝の大使としてパリに駐在していたクラーキン大公によって、ロシア式のサーヴィスが知られていった。料理は一皿ずつ(plat a plat)出された。冷たいものは冷たく、温かいものは温かく出された。まあ、寒いロシアではたくさん並べておくとすぐに冷めてしまうから避けたのだとも考えられ、これが時間差フルコースの起源らしい(アラビアの宮廷が先だという説もある)。
さて、僕らの方はドレッシングもスープも上品な味で、旅疲れの体にしみた。
子どもたちはスパゲティなのだが、ボーイさんがミートソースをソーサーから丁寧にかけてくれた。子どもたちも緊張している。アイスも注文したのだが、これはできあいのもので、変わったキャラクターの頭の中にかちんこちんのアイスが入っていた。未蘭は食べなかった。
これで1万5千円くらいだった。
ユングフラウ登山のために早起きしなければならないので、お風呂に入って早く寝る。
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