金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)

ミレニアム欧州旅行〜子どもたちは何を学んだか?

milan

Duomo(Milano)

はじめに〜準備
12月21日(木)■成田⇒パリ⇒ジュネーブ
12月22日(金)■ジュネーブ⇒インターラーケン
12月23日(土)■インターラーケン:ユングフラウヨッホ
12月24日(日)■インターラーケン⇒ミラノ⇒フィレンツェ
12月25日(月)■フィレンツェ:ピサ/フィレンツェ
12月26日(火)■フィレンツェ⇒ローマ⇒パリ
12月27日(水)■パリ:エッフェル塔→オルセー→ルーブル→バスツアー
12月28日(木)■パリ:帰路
12月29日(金)■成田着
終わりに〜その後

…僕にとって旅行記を書くというのはとても貴重な文章修行になったと思います。考えてみれば、旅行記というものが本来的になすべきことは、小説が本来的になすべきことと、機能的にはほとんど同じなんです。たいていの人は旅行をしますよね。たとえば、たいていの人が恋愛をするというのと同じ文脈で。でもそれについて誰かに語るというのは、簡単なことじゃありません。こんなことがあったんだよ、こんなところにも行ったんだよ、こんな思いをしたんだよ、と誰かに話をしても、自分がほんとうにそこで感じたことを、その感情的な水位の違いみたいなものを、ありありと相手に伝えるというのは至難の業です。というか、ほとんど不可能に近い。そしてその話を聴いている人に、「ああ、旅行ってほんとうにたのしいことなんだな。僕も旅行に出たいな」「恋愛ってそんなに素敵なことなんだ。私も素敵な恋愛がしてみたいな」と思わせるのは、それよりもさらにむずかしい。そうですよね。でもそれをなんとかやるのが、当然ながらプロの文章なんです。そこにはテクニックも必要だし、固有の文体も必要だし、熱意とか愛情とか感動とかももちろん必要になります。そういう意味では旅行記を書くことは、小説家としての僕にとっても非常に良い勉強になりました。もともとは好きで書いていたのですが、結果的にということですね。【…】

 いちばん大事なのは、このように辺境の消滅した時代にあっても、自分という人間の中にはいまだに辺境を作り出せる場所があるんだと信じることだと思います。そしてそういう思いを追確認することが、即ち旅ですよね。そういう見極めみたいなものがなかったら、たとえ地の果てまで行っても辺境はたぶん見つからないでしょう。そういう時代だから。
     -----村上春樹『辺境・近境』(新潮社)

 次の人には読むことを勧めません。

1.役に立つ情報を得たい人
2.外国や旅行に詳しい人
3.感動したい人
4.親馬鹿が嫌いな人
5.インターネットが嫌いな人

 僕の他の文章も同じような条件だが…。


 副題を「子どもたちは何を学んだか?」としているのには理由がある。

 ある哲学者がグランド・キャニオンまで連れていって、子どもは何を学んだかと思って密かに日記を見たら、「唾を吐いたらずっと下まで落ちていった」と書かれていたそうだ。

 親が思うほどに子どもたちは学ばないかもしれない。

 食事の時に、飛行機の話をしていたら長男・祐貴は2歳半で乗った時の様子をしっかり覚えていた。でも、幼い時の記憶は言語習得の臨界期とともに失われることが多い。実際、その後旅行で一緒だったツアー客の中には小さい頃に連れていってもらったらしいけど一つも覚えていない、という女性もいた。

 小学5年生の祐貴は11歳で、2年生の未蘭が8歳。大きくなっても覚えていてくれるはずであるが、忘れた時の記録として残しておく。僕は一人で旅をするのが好きなのだが、それでもこの感動は誰かと共有したいと思う瞬間がある。いつか、ねずみ花火がはぜるように海外で過ごした記憶が煌めくかもしれないと思いたい。

 前の晩にテレビで見た野球の試合を、朝必ずスポーツ新聞を買って確かめる人を、勿体ないじゃないの、お金と時間の無駄遣いだといったことがあった。
その人は、私の顔をじっと見て、
「君はまだ若いね」
といった。
「野球に限らず、反芻が一番たのしいと思うがね」
 旅も恋も、そのときもたのしいが、反芻はもっとたのしいのである。
     -----向田邦子「反芻旅行」『男どき女どき』(新潮文庫)

 ドナルド・キーンは『わたしの大事な場所』(中央公論社)の中で、「…私の楽しい思い出は九歳の頃に始まる。それは父と一緒にヨーロッパに行って大変な刺戟を受けたことだ。まず、各地で訪れた宮殿や教会に深い感銘を受け、同時に外国語を覚える必要を感じたのである。この旅行は、私の生涯の転機になったと思う」と言って、次のように書いている。

 どんなに暗い時期でも楽しい時はあった。なかでも一九三一年のヨーロッパ旅行は最大の影響を私に及ぼした。父は毎年商売でヨーロッパへ行ったので、連れていってくれるように何回もせがんだが、父は金がないと言った。私は、自分が生まれた時(景気がいい頃)に自分の銀行口座が作られたと知っていて、口座のお金を使うように説得した。生涯で最も効果のあるわがままだった。

 九歳の時のヨーロッパ旅行のお蔭で外国語を習う必要も分かり、外国人との付き合いの楽しさも味わった。小学校の同級生たちは北米大陸をどんなに遠く行っても英語が通じるという理由で、外国語を役に立たないと思っていた。私はフランスの少女と話そうとして通じなかった経験があるので、言葉が通じないことの不快さを知っていた。ニューヨークに帰ってから父のフランス語の家庭教師をつけて欲しいと頼んだが、そんな金をないと言われた。フランス語の勉強は中学生になるまで延期された。

 『ヴェローナの二紳士』第1幕第1場でヴァレンタインがもう一人の紳士プローテュースに旅に出る理由を説明して次のようにいうのだが、子どもたちにはそんな蛙になってほしくない(Home-keeping「家に引きこもっている」homely「乏しい、野暮な」)。

井戸の中のカエルはあきれかえるほど無知だという(Home-keeping youth have ever homely wits)。

 このエッセイで、旅のことを細かく書いてあるのは他人のためでなくて、家族のためだ。

 小泉八雲は『日本の面影』の冒頭の「東洋の第一日」という抄編の中に次のように書いているが、僕もそれを実践したいと思っただけだ。

 日本に着いてから間もなく会った親切なイギリス人の教授がこう言った。「なるべく早いうちに、ぜひ君の第一印象を書きつけておきなさい。まったく消えやすいもので、いちど消えてしまったら、もう二度とうかんできませんからね。それに、この国でいろいろ珍しい感銘をうけるでしょうが、最初の印象くらい心ひかれるものはないでしょう。

 懸念していたように、見たいと思っていたところがクリスマスで閉まっていたり、子どもにスケジュールを合わせているのであそこもここも行っていないし、そしてあまりにも駆け足なので驚く人もいるはずだが、今回は入門という気持ちだった。旅行でなくても、何でも、全部見ることなんてとてもできない。人類学者がフィールドワークしても、全てを見ることなどできない。一つの共同体を見ただけで全体が分かるはずもないし、自分がいることで人間関係だって変わってくるのだ。

 シャトーブリアンは1811年に出した『パリからエルサレムへの旅路』の序文で旅行の意図を次のように書いている。

 私は旅行記を書くために旅行したのではまったくない。私は別の意図をもっていた。その意図は、『殉教者たち』において果たした。私はイメージを探しに行ったのだ。それがすべてである。

 「イメージを探しに行った」という言葉はサイードが『オリエンタリズム』で引用しているところだ。ディズニーランドへ行く人も、パリへ行く人もイメージを探しに行くのである。そして、わが家の旅行の意図は「仲良し家族というイメージを探しに行った」ということになるだろう。

 ジャン・コクトーは日本に滞在したが、わずか一週間だった(西川正也『コクトー、1936年の日本を歩く』中央公論新社)。「僕の精神は一日滞在しただけで、普通の人が五日も七日も滞在したのと同じほどのものを見る…」と、詩人はおのが身に備わる研ぎ澄まされた感性を、傲慢とも無邪気とも聞こえる語り口で堀口大學に告げたという。

 どんな旅行になるか心配だが、映画『偶然の旅行者』(ウィリアム・ハート、キャスリーン・ターナー)の「旅行も人生と同じように80%の満足でよい」という言葉を思い出そう。まあ、僕は旅行も人生も50%くらいで十分だ。

「旅行家」 谷川俊太郎(『スーパーマンその他大勢』)

旅行家はまだどこへも行ったことがありません
旅行家は旅行家のかっこうをして
いつ出発してもいいように用意しています
タンザニアのお金だってちゃんともってます
パリの地下鉄路線図も買いました
でも今のところ旅行家はうちにいて
いとこのスエターを編んでいます
模様編みのところが大変むずかしいので
別のいとこに電話で教えてもらって
それから水虫の薬を足に塗るのです


準備

 連休になると成田空港が映し出され、ノーテンキな子どもが「グアム」とか「ハワーイ」なんていうのを何と贅沢な、と苦々しく思っていた。

 子どもが小さい時にどこかへ連れていくのは親の自己満足にすぎず、実際、小さい頃にディズニーランドへ行ったことなど忘れてしまっていることが多い。

 S・I・ハヤカワは『思考と行動における言語』(岩波書店)は次のように書いていた。

  …われわれが旅行する時、面白い人に会ったとき、また冒険に出会っても、それらの経験を十分に味わうだけ年齢が進んでいない時には、経験をしないのと同じにしか感じないものだ。【…】
 経験はわれわれが経験していることがどんなものかを教えない。物事はただ起こるだけである。
 もしわれわれが経験の中に何を見出すべきかを知らなければ、経験はわれわれに何の意味も持たない。

 それなのに、うちの子どもたちも大きくなってきて、長女・未蘭は飛行機に乗ったことがない、と騒ぎ始めた。だから、いっそ海外に行くことにした。10万も使ってハウステンボスに行くくらいならオランダに行った方がいい【2003年2月に会社更生法を申請】。海外の方が子供だましみたいな国内旅行では得られないものがあると思い始めたのだ。人工的なディズニーランドに行くより本物のお城を見せたいと思ったのだ。

 旅行雑誌『ABROAD』を買ってきて調べて、プランはいくつかできた。価格にもこだわりたかった。子ども料金を設定しているツアーは少ないし、あっても割引は雀の涙だった。たまに半額というのもあるが、全体の料金が割高に設定されていることも多い(ハワイ子ども9割引で5日間50万なんて…)。あまり知らないところへ行ってシンガポールのマーライオン像とブリュッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚みたいな「世界3大がっかり名所」を見せてしまうと生涯、外国旅行が嫌いになるかもしれない(国内では高知のはりまや橋、札幌の時計台などがよく例に出る)。

  とりあえず考えたのは次のとおりだった。

  

  • エジプト・ケニア(約28万)=高めだが双方行けると考えると安い。初めて行った外国がアフリカというのは絶対にいいし、強烈な異文化を体験させることができる。しかし、病気などのトラブルが心配。野生動物の肉によるバーベキューというのもちょっと…。
  • ラスベガス・ロス(約16万)=グランドキャニオンを見せたい。楽しめるが、東京と同じディズニーランドと来年には大阪にできるユニバーサルスタジオを見ても感動しない。ラスベガスでベニスだかパリだけを見るくらいだったら、直接行った方がいい。何よりも最初に行った外国がラスベガスというのは家訓に反する。
  • オーランド(約18万)=ディズニーワールドみたいな人工的なところに5日間もいるのは気持ちが悪い。僕自身、東京ディズニーランドでも嫌になるのに…。
  • ニューヨーク・ナイアガラ(約18万)=ナイアガラはいいが、ニューヨークで子どもたちは何をして遊べばいいのか?
  • 地中海クルーズ・ギリシャ・イタリア(約20万)=ギリシャ神話に興味を持った時でよかったが、時期的にいいのがなかったのと、バスジャック事件が起きた。
  • インドネシア(10万)=ヒルトン泊でも安いが、リゾート地バリ島でずっとボーとしているのは子どもによくない。ブランドを買うお金もない。
  •  というように悩んでいた。そんな時、ある通販の会社のカタログにスイス・イタリア・フランスを138000円で五つ星ホテルに2泊というのが目に入った。ちょっと贅沢すぎるが、何よりも安い。

     未蘭はハイジの故郷に行きたいといったが、冬のヨーロッパで風邪を引くのはちょっと嫌だった。妻には4度目のヨーロッパになって目新しくない。抽選ということだったが、商売だからきっと大丈夫だろうと言っていたら、案の定、当選葉書が来た。しかし、12月21日発は既にいっぱいで20日発というのはあるということだった。21日発がこの企画の最終日だった。20日だと子どもたちを3日も休ませなければならないし、僕も後期中間テストの採点がきつい。

     躊躇して、他の可能性を考えていた。そんな時に、オーストリアでケーブルカー事故が起きた。キッツシュタインホルン山のふもとの駅(標高911メートル)と終点(2452メートル)を結んでいるスキー客専用の「山の地下鉄」の事故だ。亡くなった猪苗代中学生たちが可愛そうで涙が出てきた。

     土曜日に事故があり、映像が繰り返し流された。月曜日、妻に「今日きっと、21日発のキャンセルの電話がかかるから…」と言って家を出た。案の定、夕方になって電話がかかってきて、「キャンセル待ちでお待たせしました」という内容だった。

     こうして行き先と出発日があっさり決まってしまった。事故の後でちょっと怖かったが、逆に確率を考えてみれば一番安全な時かもしれない。それに、あちらはオーストリア、僕らが行くのは鉄道王国スイスだ。

     旅行費用は妻の分担になっているので、妻が出す(食事費などはみんな僕が持つことになっている)。

     子どもたちのパスポートを取得。11月中は混んでないそうで、1週間でできた。名前も自署できた。村田英雄は海外へ行きたくともローマ字が書けないので行けなかった。練習を重ねてようやく、パスポートの申請に出かけた。さらさらっとローマ字で書いたら、「村田さん、本名でないとダメですよ」と言われて戻っていった…。

     持っていく物のリストは僕らが言ったものを未蘭が書き出してくれて後でずいぶんと役に立った。

     梅干しとかお醤油を持っていく日本人が多い。梅干しは未蘭は食べるが祐貴は食べないので持っていかない。お醤油は迷う。内田樹は次のように書いていた。

    通説によると、日本人はお醤油から必須アミノ酸の過半を摂取しておるので、お醤油をとらないでいると大変疲れやすくなるという。

    これは実感としてよく分かる。

    87年にフランスに行ったとき、3週目くらいになると同行の松本くんも私も肉とパンの食生活に消化器が疲れて、さっぱり食欲がなくなったことがあった。そのとき青い顔でカルチエ・ラタンの食堂街まで這って行って、中華料理屋で「ラーメン」状のものを食べておつゆをごくごく飲んだら、ほとんど瞬間的に蘇生した記憶がある。

    以来海外旅行には必ず「お醤油パックとシマヤだしの素とわかめ」を持参することにしている。朝はまずホテルの部屋でお湯を沸かして「わかめのおつゆ」を飲むのである。

    ほっこりとしあわせな気分になる。

     心配なことはスイスの寒さだった。暖かい格好をしていて、強い暖房で汗をかくともっと悲惨なことになる。子どもたちは決まったが、僕がダウンのコートを着ていくかどうか最後までケンカになった。妻はミンクのコートを着ていくといったが、時代が時代だし、変な商売に間違えられると困ると説得した。

     雪の上で滑らない靴探しも頭が痛かった。「ユルスナールみたいに横でパチンととめる、小学生みたいな、やわらかい革の靴」で「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」(須賀敦子『ユルスナールの靴』)から娘にもそんな靴を用意してあげたかった。が、滑って大けがでもしたら、大変だ。結局、軽くて滑りにくそうな靴を用意した。僕らはトレッキングシューズで、妻だけはブーツをスーツケースに入れていくことにした。後で知ったが、須賀はいつも白いリーボックを履いていたという(稲葉由紀子『須賀敦子のフランス』河出書房新社)。

     なお、この本の解説に川上弘美は「ほんとうに柔らかいな、と須賀敦子の文章を読み返すたびに思う。柔らかくて、いい匂いがして、いつまでも触れていたい、それは上等な布のような感じのものだ」と書いている。娘にはそんなしなやかな感性をもってほしいと願う。

     もう一つ心配なことは狂牛病が流行していることだった。狂牛病はすぐに発病する訳ではないので、よけい心配だ。イタリアは農民が反対しているというし、フランスでは牛肉は食べないという。

     12月9日に旅行日程が送られてくる。飛行機はエールフランスでホテルはLランクのボー・リバージュとシェラトン・フィレンツェにそれぞれ2泊となった。

     ただ、何度も請求しているのにファミリー保険の申込用紙が送られてこなかった。個々に入ろうとも思ったが、倍になるので、待った。別の会社にしようとも思ったがツアコンの関係しているものでないと即応できなくて困ると思った。4人で22400円。

     この年、阪急交通社はギリシャのバスハイジャック事件もそうだったが、社長が脱税で捕まったりとトラベル会社ではなくてトラブル会社になっていた。

     安すぎることに不安もあった(が、終わってみると十分に内容のあるパックだった)。

     ちょうど家の水回りの工事をしていて準備は遅々と進まなかった。年末に出かけるというのは歳末と新年の準備がある。賀状もあれば、注連飾りも用意しなければならない。

     日曜日にまとめて仕事をする。未蘭のピアノのグレードの試験や報恩講(浄土真宗の1年に1度のお参り)も重なって忙しかった。

     そういえば、百円ショップ(ダイソー)で、どうせただの飾りだからといって、スーツケース用のベルトを買ったのだが、使う前に壊れてしまった。アイマスクも簡単に紐が切れてしまった。祐貴から「安物買いの銭失い」と馬鹿にされてしまった。

     前々日でもいいのだが、心配だからということで配送会社が18日にスーツケースを取りに来た。午後というのに11時半に取りに来て、ママは焦ったようだ。だが、送るとしっかり落ち着いた。ツアコンの井上さんからも「明日からよろしくお願いします」という電話があった。丁寧だ。

     20日に通知簿をもらう保護者会があって妻は小学校へ行った。ハネムーンがメルヘン街道だったという担任のG先生から羨ましいといわれたそうだ。

     ヨーロッパ便はどれも午前中に出発だ。翌朝の飛行機にすることも考えたが、冬の富山空港は就航率が日本一低いので信用できなかった。クルマで行って一泊してクルマを置き去り(無料サービス)というのも成田まで遠いので断念した。新幹線と一泊のパターンは3倍近い費用になる。

     20日午後10時半、富山駅を夜行バスで池袋に出発。結構悲壮な気分だった。子どもと海外旅行してトラブルがないだろうか?緊張して眠れなくなった。眠れなくても飛行機の中で眠ればいいと思っていたが…。


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