●よいやさ祭り
井波八幡宮の祭り。法被姿で「ヨイヤサ、ヨイヤサ」の掛け声とともに神輿を練り回す。神輿の巡行は江戸時代の天保4年(1833年)に起源を持つ。井波の職人たちが造ったとされている。うち黄金色をした3基は重さ1トン以上もある絢爛豪華な京みこし。四角屋根のみこしには鳳凰(ほうおう)が、六角屋根と八角屋根のみこしにはそれぞれ宝珠(ほうじゅ)が飾られている。この金色の大神輿3基と、それを先導する、地元中学生が担ぐ子供神輿3基が町内を回る。
●よー
「良く」。例:「よーここまで、このエッセー読んでくれはったね」。
富山だけの妖怪というのがいるのだろうか?
『日本民俗文化資料集成8 妖怪』(三一書房)には千葉幹夫編「全国妖怪語辞典」がついていて、富山県の部分で出てくるのは1062種類あるうちの6種(※のもの/県平均22.6種)だから極端に少ない。
水木しげる『妖怪地図』(平凡社)に出てくる富山の妖怪は次のとおり。
中部地方は「とりわけ、山に関する怪異は、日本一の豊かさを誇っている」という。
蟹坊主(人間に問答をしかけて、答えられないと食べてしまう)は富山特有とはいわれていないが、富山にもいるとされる。
●陽進堂
医薬品販売会社。2010年からフィギュアスケートの村主(すぐり)章枝(ふみえ)を支援することにした。ダイチが銀メダル選手を育てているのに刺激されたのかもしれない。
●瓔珞(ようらく)
「瓔珞(ようらく)下げる」というのは年寄りからしか聞かなくなった。瓔珞は、仏像やおひな様の冠から垂れている飾り金具だったが、転じてスカートやコートのすそがほつれて糸が下がっているのを「何よ、瓔珞下げて」などと言うようになった。
富山出身の作家・木崎さと子が「瓔珞」というエッセーに高岡時代の桃の節句の思い出をつづっている。暗い座敷に入り、ひな飾りに見とれるのが大好きだった。ぼんぼりがともっているわけでもないのに、内裏びなの顔だけがほんのり明るい。夕光に瓔珞が輝いていたのだ。木崎が通っていた学校ではウサギを飼っていた。子どもたちが当番を決めて世話をする。ちょうど節句の日が木崎さんの当番日。ところが、忘れて帰宅してしまう。学校に戻ってみると、五、六羽の赤ちゃんが生まれていた。が、みんな死んでいた。
「おひな様に心を奪われていたから死んだのだ。もうおひな様を見るのはやめよう」と思う。けれど、いたたまれずにその日も座敷に忍び込む。すると、やっぱり窓辺 の雪明かりが瓔珞に反射し、内裏さまの顔を浮かび上がらせていた…。
●よくんぼ
「けち、守銭奴」。「けち」のことを「しみったれ」とか「けちんぼ」とは言わない。
●よけとく
「よけておく、とっておく」。
●よごし
「和え物」で共通語だが、よく使う。
●横浜事件→泊事件
●横山源之助【よこやまげんのすけ】
民俗学を創始した柳田国男、民芸の発見者柳宗悦に並び称されるルポ作家、新聞記者。1871年魚津生まれ。左官職横山家養子となり、16歳のとき上京。法律家を志し、英吉利法律学校(現中央大学)を卒業したが、弁護士試験にたびたび失敗し放浪生活に入る。1894年(明治27)毎日新聞社に入社、都市の下層社会や労働者の状態を活写した調査報告を同紙に発表。これらは『日本之下層社会』(1899)としてまとめられた。横山の調査報告は、東京の貧民や群馬、栃木の織物工場、古里である富山の小作人の実情を伝えたもので、勃興期資本主義の暗部である都市貧民や労働者の実態を鋭い問題意識と的確な観察とによってとらえた社会調査の先駆であった。ほかに『内地雑居後之日本』(1899)などで貧困の原因を社会体制の欠陥と認識した。『明治富豪史』(1910)などで日本の近代化の過程で、多数派の貧乏人とは対照的に、一握りの富裕層がどのように形成されたか解明している。 全5巻で企画された『横山源之助全集』(明治文献)は2巻が出されたまま中絶、『日本之下層社会』出版100年を機に00年に出された社会思想社の全集も02年に会社が倒産して、宙に浮いている。70年代にもある出版社が企画したが、2冊を出して頓挫。04年から法政大学出版局が残りを刊行した。
魚津市新金屋公園内に石碑がある。
●よさる〜よーさる
夜のこと。関西では古語のままの「よさり」が使われる。「〔「さり」は、来る、近づくの意を表す動詞「去る」の連用形から〕夜になったころ。夜分。特に、今夜・今晩の意を表すこともある。副詞的にも用いられる。ようさり。「時雨(しぐ)れた―は/『歌行灯』(鏡花)」「さらに、―この寮(つかさ)にまうで来(こ)とのたまひて/『竹取物語』」(『大辞林』)。橘曙覧(あけみ)の「独楽吟」は日常の楽しみを読んだものだが、その一つが「たのしみは雪ふるよさり酒の糟あぶりて食ひて火にあたる時」というのがある。 「▽「さり」は「去り」で時が自然にめぐり移る意」とも。英語のeveningもeven(eve)が近づいてくるという意味で発想が似ている。例:「よさる、遊ぶとこないけ?」「猿の遊ぶようなところは東京にはございません」。
●よしかかる
「寄りかかる」。「きしかかる」ともいう。工事現場に「壁に寄し掛からないでください」と書いてあったのは笑えた。
富山の世界に誇る大企業、YKKのこと。世界の50%のシェアを誇るが、独占禁止法に引っかからないのは経営が立派だからだ。今は「吉田工業」とも言わないはずだし、アルミでも生産が多いと思うのだが、いつまでもチャックのイメージが強い。チャックはCHUCK(牛の首から肩の肉)ではもちろんなくて、旋盤用の取り付け工具を指すようだ。日本語の「茶巾(ちゃきん)」から来ているという説もある。
英語では「ファスナー」「ズィッパー」(これはどこかの登録商標)といわなければ通じない。
吉田忠雄は「善の循環」という言葉を好んで使った。他人に奉仕すれば、自らに返ってくるという考え方で、それは経営理念であり、人生哲学でもあった。94年に吉田工業の社名をYKKと改称。
■ 米原万里の『旅行者の朝食』(文藝春秋)にはYKKがチョウザメのジッパーを開発したと書いてある。帝王切開でキャビアと取り出し、ジッパーで元に戻すことで何でも親魚が産卵できる方式を実現したのだという。---と書いてから、あれはウソだったと種明かししている。
●吉久【よしひさ】
高岡市吉久地区でまるで幕末、明治にタイムスリップしたかのような雰囲気を漂わせている。切妻造りで平入り、道に面し「さまのこ」と呼ばれる繊細な千本格子がはめられていて、文化庁関係者も感嘆したという。ここは小矢部川と庄川の河口の間にあり、地の利を得て江戸期には砺波、射水平野から運ばれた米の集散地になり、加賀藩直営の米蔵が建ち、その繁栄は明治以降も続いた。町中を緩くカーブする「放生津街道」沿いに伝統的な町家四十余棟が軒を並べ、当時の面影を色濃く残している。
森田芳光の映画『黒い家』は金沢が舞台なのだが、途中でこの辺りが不気味な無機質な街として出てくる。
●代ゼミ
代々木ゼミナール。富山にもあったのだが、2010年閉校になった。娘が2年まで通っていてつぶれた。
●よそう
「茶碗にごはんをよそう」という。「よそう」は「装う」で、飲食物を器に整えるという意。北海道と東北は「ご飯を盛る」、関西では「ご飯をよそう」、九州では「ご飯をつぐ」が優勢である。篠崎晃一+毎日新聞社『出身地がわかる!気づかない方言』(毎日新聞社)によれば、関東を中心に「よそる」があるという。「つぐ」のは汁物と飲料水だとの声も。中国四国、九州は「つぐ」だという。岐阜、愛知などは「つける」、宮城などは「わける」という。
●よそもん
「余所者」。富山で番組を作ったり、講演会をしたりする時にはいつもよそもんが選ばれる。自分たちに自信がないからだ。外から来て定住している人は「旅の人」と呼ばれる。
●夜高祭【よたかまつり】
南砺市福野町新明社の春祭で練り歩く夜高。5月に行われる。
●よっこする
「横取りする」。
●よてひき
「えこひいき」。僕は割とよく賞をもらった方で、「先生からよてひきされている」といわれたが、「お手引きって何だろう」と思っていた。
●夜伽【よとぎ】
「通夜」のことで方言ではない。元々は死者の部屋で添い寝して、霊を慰め安定させるためのもの。地方によっては「火車」(“かしゃ”地獄から来る魔物)が遺骸を盗みに来るとされるが、富山では聞かない。例:「ちょっこ、よとぎに行ってくっちゃ」。
●よばれ
「およばれ」で「宴会」。「よばれる」で「ご馳走になる」。例:「あんたもよばれていかれま」(あなたもごちそうになっていきなさいよ)。
●よばれる
「(食事に招かれる意から)御馳走になる」と『日本国語大辞典』にはあって方言となってない。志賀直哉『暗夜行路』にも「分けの茶屋で飯をよばれよう」という用例がある。例:「今日、よばれてしもうて」(今日、御馳走になってしまって)。
●よぼる
「呼ぶ」。金沢でも使う。例:「だか、よぼってしゃっぜ」(誰かが呼んでいるよ)・「なん、よぼらんがに来てっしゃっぜ」(いいえ、呼んでもいないのに来ておいでだよ---うちの近所のおばあさんが呼びもしないのにいきなり、入ってきて「あんたぁ、新聞に載っとったね」などといって入ってくることがある。)。
●嫁ブリ
お嫁さんらしさ、ではなくて、お嫁さんの実家が嫁ぎ先に歳暮としてもっていく寒鰤。5万はかかる。こんな風習は嫌いだ!だって、もらったって、さばくのが大変だし、たくさん配ったら喜ばれない。
●寄り合い〜よっりゃい
「会合」のことで頻発される。
●寄り回り波
新湊の海岸地帯は60年代に大きな高波被害を受けた。これが「寄り回り波」だ。富山湾は水深が1000メートルを超え、岸辺から急激に、すり鉢状に落ち込んでいるのが特徴でちょうど盥(たらい)の形をしている。盥の端を持ち上げると、反対の側にチャポンと大きな波ができる現象と同じだという。富山湾が深くて盥のようになっているため生じる。
北海道海域からやって来る低気圧が日本海北部を西から東に移動し、北海道の東方海上で発達すると、その低気圧とシベリア高気圧との気圧の差が大きいため、北海道の西海上で暴風と激しい波が生じる。これがうねりとなって一日以上かかって富山湾にやってくる。水深が深いため、その勢いは衰えずに押し寄せ、急に浅くなっている沿岸の海底の斜面にぶつかって、大波となる。寄り回り波と呼ばれ、昔から富山湾沿岸に被害が出ている。79年春に4人、08年には1人が死亡。
2000年には「うねり」(寄り回り波)の情報が天気予報で流れるようになった。
古くから悩まされていて1864年(元治元年)の藤井家文書に「寄り回り高波で伏木浦に浪害あり」とされたのが、最初だという。『北国俚伝記』にも「越海に波濤起す、大いに陸地を侵蝕せり」とある。
「御満座荒れ」(ごまんさんあれ)ということもある。
2008年2月25日朝日新聞朝刊から●よわれ〜よばれ
「お呼ばれ」で「ご馳走になること、宴会」。例:「今日、よわれがあっからご飯要らんちゃ」(今日は宴会があるからご飯いらないですよ)・「すっかりよばれてしもうてぇ、気の毒な」(すっかりご馳走になり、ありがとう)。
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