金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


 

笑説 越中語大辞典



●ちー

 「おしっこ」。例:「ちょっこ、ちーしとこ」。

●地域通貨

 ボランティアなどの対価として払われるもの。夢たまご(富山市)、GO!GO!チケット(富山市)、キトキト(富山市)、ドラー (高岡市)、キット(氷見市)、こうりゃく(小杉町)などがある。高岡のドラーはダラー(ドル)とドラえもんをくっつけたものだろうし、小杉の「こうりゃく」は方言で「手伝い」のことである。

 温泉の町、大分県別府市で住民グループ「アチチ中央銀行」は「湯路(ゆーろ)」を発行している。群馬県には「しるく」、岩手県には「わらび」があり、茨城県には「ガマの油」からの「ガマール」と名物や特産品にちなむ独特の命名が、ほほえましい。埼玉県川口市【映画『キューポラのある街』の舞台】で2003年発行された地域通貨「キューポラ」は、一部がラオスの子ども支援にまわる。

●ちーそ

 麻雀の牌の一つではなくて「紫蘇」。昔は家で梅干しを付けたものだ。

●…ちが〜ちゅが

 「…だというのだよ」。例:「ほんとやちゅが」(本当だって言っているでしょ)。

●…ちがいね〜ちゅがいね

 「…だというんですか」。例:「なんやちゅがいね」(何だと言うんですか)。

●稚児行列

 神社仏閣で慶事がある時に子どもたちを行列させる習わし。僕の一番小さい時の思い出がこれで2歳半だった。変な格好をさせられ、最後におでこに丸い二つの眉を描くのだから嫌で仕方がなかったのだ。お宮の時は鈴を持ち、お寺の時は蓮の花を持つ。1万くらいの参加費が必要。業者が言っていたが、新湊ではどこかで開かれると、すぐに他でもやるという気風だという。

●ちごとる〜つごとる

 「違っている」。

●ちさらと〜ちいさらと

 「小さく」。例:「もうちょっこ、ちさらと喋ろ」(もう少し小さい声で喋りなさい)。

●知事

 吉田実、中田幸吉、中沖豊、石井隆一(たかかず)など実務的な知事が続く。中沖は全国でも唯一の自民党公認の知事を5期務めたが、6期目は無所属。みんな任期が長すぎる。

●知事公館

 富山市舟橋南町にある知事公館は松川べりに近く、付近には富山中部高校や県教育文化会館がある。1978年に知事公舎として完成し、81年には公館となり県内の文化団体などに開放されてきたが、老朽化している。ここを富山の文学館にすることになった。

●地鉄

 中国語で「地鉄」は「地下鉄」だが、富山に地下鉄はない。「富山地方鉄道」の略。富山県の東部を網羅する。西部は加越能である。

●地鉄本線

 地鉄本線は電鉄富山駅から上市でスイッチバックして、魚津を通り、宇奈月まで行く。注目されることはなかったが、2011年に映画『RAILWAYS(レイルウェイズ) 愛を伝えられない大人たちへ』が公開されて、地鉄の運転手が主人公になったので、いきなりブレイクした。「大根」と呼ばれる地鉄オリジナルの電車と、「かぼちゃ」と呼ばれる橙と緑の元阪神電車と、かつて「レッドアロー号」と呼ばれた元西武電車が走っている。

●茅【ち】の輪くぐり

 イネ科のチガヤを編んで作った大きな輪をくぐり、心身についたけがれをはらう神事。高岡市古城の射水神社では6月30日に、富山市山王町の日枝神社では年末に営まれる。神事では、参列者が、和紙を約1センチ四方に切って作った切麻(きりぬさ)を肩に振り掛けたり、和紙を全長約8センチの人間の形に切り抜いた人形(ひとがた)の和紙を痛むところにこすりつけるなどして、心身のけがれをはらう。水の中に入るみそぎの代わりに行われる茅の輪くぐりでは、神職を先頭に一人一人が直径約2.5メートルの輪を3,4回くぐる。輪には「晴」と「褻(け)」を二分する神秘な力が宿っている。輪をくぐることで清らかな赤子のように生まれ変わることができるという。けがれをはらった参列者は、神妙な面持ちで神前に玉ぐしをささげ、あと半年や新年の無病息災を祈る。

●ちびっこ園

 ちびっこ園(富山市田中町で後に“マックスコム”に社名変更)は24時間営業を掲げるなど公的な保育サービスでは補えない部分をカバーし、急成長を遂げたが、2001年3月の幼児死亡事故(北条涼介ちゃん=当時4カ月)を契機に「利益最優先」のずさんな保育実態が発覚した。富山市は、「ちびっこ園」の保育施設「富山園」(同市本町)を立ち入り調査するなどし、国の基準で常時2人以上の職員配置が必要だが、深夜や早朝に1人になっているケースがあったことが分かり、改善指導している。

 全国の系列施設で過去20年間に計20人もの乳幼児が死亡する事故があったのに、真摯)に受け止めなかった」と2003年1月の判決で批判。

 事故を機に厚生労働省は児童福祉法を改正。野放し状態だった認可外施設の指導強化に乗り出した。

●ちぶたい〜ちべたい

 「冷たい」。例:「なんちゅう、ちぶたい手ぇ、しとっがね」。

●ちめちめ

 「つねる」の幼児語。例:「悪いことばっか、しとったら ちめちめやぞ」(悪いことばかりしていたら、つねつねしちゃうからね)。

●…ちゃ

 「ちゃ」ちゃ、富山の言葉のでっかい特徴ながやちゃ。「ちゃ」ちゅうがを最後につけんだら全然富山弁にならんがいちゃ。文節の後に何でも「ちゃ」いうてぇ、付けたら立派な富山弁やちゃ。ちょうど名古屋弁の「にゃ」みたいなもんやちゃね。長野県、福井県、山口県や高知県、大分県などでも聞かれる終助詞ながいちゃ。文末詞ということもあっがいちゃ。「うどんちゃ、どこけ?」と言った人がウーロン茶を出されることがある、というジョークがよく使われる。

 「という(の)は」が縮まった(北條忠雄【秋田大】の説では「とや」からという)。高橋留美子の『うる星やつら』のラムちゃんは「…だっちゃ」というが、新潟の佐渡などは「…ちゃ」を使う。2005年秋から放送されたNHK朝ドラ「風のハルカ」の舞台・湯布院にも似たような言い方があることが分かった。

 真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)には次のように分析してある。

富山において、「ちゃ」を添えた表現は、「これは改めて考えるまでもないことだ」「これ以上の選択肢は考えられない」(考える必要がない)といったニュアンスを持っている。「そりゃ、そーやか」のような表現は、「そうだ」ということを既定の事項として聞き手に示すものなのである。ちなみに、「そりゃー、そうやわ」と、文末が「わ」となると、その情報は、その場での話し手の個人的見解となるわけである。標準語にはこの「ちゃ」と「わ」のような区別が存在しない。なお、「ちゃ」は各地に存在するが、富山においてこの形式が特に栄えたのは、そこに富山県人の精神構造の一端が的確に表現できる、といった点があるのではないだろうか。代表的なのは、「世の中っちゃー。そーゆーもんやちゃ」(世の中というものは、そういうものなのだよ)といった諦観的表現である。ここには、個人の意思を超えたところの存在を認める敬虔さと同時に、ある種の傲慢さもまた内包されているように思う。いずれにしても、この「ちゃ」は、浄土真宗的な北陸の風土、他力本願の心を具現するのにぴったりの表現なのである。

●ちゃーちゃ

 「お風呂」の幼児語。例:「奥さん一緒に、ちゃーちゃ、入ろ」(なんてことはないか)。

●茶菓子

 こちらで驚かれることに茶菓子の出し方がある。富山では茶菓子が出るが、客は食べることがない。帰る時にちゃんと紙にくるんで渡されるのである。うっかり食べると「お腹がすいているんだな」と思われる。

●ちゃがちゃが〜ちゃっがちゃが

 「滅茶苦茶」。例:「わしぃ、エレンのぉ結婚式、乗り込んでいって、ちゃがちゃがにしてしもたろか」(僕はエレンの結婚式に乗り込んでいってめちゃくちゃにしようか)。

●ちゃっと〜ちゃっちゃと

 「早く、さっさと」の意味。例:「いつまでインターネットやっとるがいね、ちゃっとチャット止められんか」。

●ちゃべ〜ちゃべちゃべ

 「おしゃべりでお節介な」でいわゆる「放送局」のイメージがある。「このちゃべ!」と怒ることもある。例:「あら、なんちゅう、ちゃべちゃべといらんことするもんながいね」(あれは何という、お節介で余計なことをする人ぞ)。

●チャペル

 県内にもチャペルで結婚する人が増えてきた。本格的なチャペルは富山のマリエンボーン、砺波の平安閣などが知られ、他は部屋を改造したものが多い。カナルパークホテルにはカトリックのチャペルができた。真宗の影響の強い砺波では宗教色をなくすために「人前結婚式」が行われ、歌も賛美歌ではなく「愛の賛歌」や「星に願いを」が歌われる(チャペルから神前に土壇場で変更になることも多い)。

 「無伴奏」のことを「アカペラ」a capellaというがこれは「チャペル風の」(教会風の)という意味のイタリア語である。

●チャレンジショップ

 中央商店街の空き店舗を利用して、若者にチャンスを提供した店。富山はフリークポケット(FREAK POCKET)、高岡はトライズ(TRYS)となっている。

●ちゃんべ

 「合体」のことだがもう分からない人が多いと思う。大学で悪い先輩がコンパで「ちゃんべの缶詰買ってこい」と後輩にいったという話がある。

 呉智英は『週刊文春』(1990年2月8日号)の「争点は『下品か下品でないか』。上野千鶴子vs宮迫千鶴の“鶴々”論争」で次のように書いている。「ゾッペ」は知らなかった。

 上野千鶴子のは甘ったれたお嬢さんのツッパリ。宮迫さんはリベラルだが、甘えなしにやっている。上野の場合は、不良言葉を使っているけど、ツッパッているだけで禁語にはなっていない。もし男性社会の隠語に挑戦するというなら、あの人は富山出身なんだから、ゾッペ、チャンペといわなくちゃ。おまんこと言ったって恥ずかしくないんだよ。宮迫は、そこのところを感じとっているんだろう。

●…ちゅう

 「…という」。例:「何ちゅうこといね」(何ということだろうか)。

●チュー

 柳田國男によれば、ヒー、フー、ミーなどと数えるところを、チュウ、チュウ、タコ、カイナと言ったりするのは普通だが、柳田が子どもの時分には、代わりに「夫婦、喧嘩(けんか)、いつも、長屋、小言」と数えることがあったのだそうだ。

●中越

 「越中」が褌を連想されるような時に使われる婉曲的な言葉。「中越パルプ」など「中越」をつけた企業も多い。

●中越鉄道

 県内で最初の鉄道で現在の城端線。明治30年に高岡−福野間が開通した。西から建設が進められてきた官設「北陸鉄道」(北陸線)の高岡到達をにらんだ民間の事業だった。北陸鉄道は32年に富山まで開通したが、直江津までつながり、現在の北陸線の形になったのは14年後の大正2年。

●…ちゅうが〜ちゅが〜ちが

 「…なんですよ」「…と言っているでしょ」で、本当によく使う。例:「ちょっこぉ、来いちゅが」(ちょっと来いと言っているでしょ)・「どうせ、おら、だらやちゅが」(どうせ、僕は馬鹿ですよ)。

●中語〜仲語【ちゅうご】

 古くから日本三霊山の一つとして信仰登山で栄えた立山では、山麓の芦峅寺に登山者を山へ案内する中語(仲語)という制度があった。明治末から大正にかけてスポーツ登山が盛んになるのに伴って仲語の案内人組織が廃止され、大正10(1921)年新たに〈立山案内人組合〉が誕生した。初代会長は佐伯平蔵だった。

●ちゅーつける

 「結末をつける、落着させる」。例:「この翻訳の仕事、ちゅーつけしまうちゃ」。

●中パ

 高岡近辺の人は知っているが「中越パルプ」のこと。

●中部

 「県立富山中部高校」のこと。富山高校、高岡高校とともに進学の「御三家」と呼ばれ、東大合格率は常にトップ。理数科1クラスがあったが2011年から探究科2クラス(理系/文系)になった。OBにノーベル賞の田中耕一さんがいることと、盛大な運動会が自慢だ。同窓会は「神通会」という。

 ここの学生名簿にはかつて両親兄弟姉妹がいつの卒業生か書いてあった。大学名を自慢するのも馬鹿だが、高校名を自慢するのも馬鹿だ。もっとすごいのはここで教えたことを自慢する教師(偉いのは学生でしょ)。

 富山県は大学区制なので「駅からの偏差値」(通学に便利な学校の方が高くなる)でランクが一番上だ。一番便利なところにある学校だが、自転車などの交通事故も多い。

 御三家はどこも落ちこぼれ率が高いようだ。中部では「落ちこぼれたら、橋を渡った大学に行くことになるぞ」と脅されるそうだ。ちなみに、富山大橋を渡った向こうには富山大学がある。

 中部が舞台になった小説に、藤瀬凡夫(ぼんぷ)『カッパ先生』があり、先生が書いた学園もので受験雑誌『蛍雪時代』(旺文社)に発表された。金沢大学出身の作家・真木武志『ヴィーナスの命題』では中部らしいところで高校生が死ぬ。自殺か他殺か、のろいか?

 都会の中高一貫校に負けないように必死だ。2年までに3年までの教科書を終えるために、入学説明会で宿題をたくさん出され、入学したら歓迎テストの翌日から2泊3日の合宿に入るが「洗脳合宿」とも呼ばれ、勉強の仕方を徹底的に仕込まれる。世界史などは150問〜200問の問題が出る(問題にメリハリっていうものがない!)。

 娘が入学した1008年には男女比が逆転した。というのも、この年代から片山学園中学・高校ができてきて、最初の高校生が誕生した年だった。つまり、優秀な男の子の一部が片山に行っているということだ。結局、東大は中部が12名、片山が3名だった。

●ちゅうぶ

 「中風」で「脳卒中」。例:「ちゅうぶで倒れっしゃったと」(脳卒中で倒れられたそうだ)。

●中文【ちゅうぶん】

 射水市新湊中央文化会館だったが、「高周波文化ホール」という名前になった。市町村のホールでは一番古い。市長の自慢だったのだが、今はどこでも立派なホールを持っている。妻は県内公立ホール初の専属アーティストとなり、練習やコンサートなどは無料で貸してもらえる。アーティストを育てる気持ちのあるホール。

●チューリップ

 江戸末期の日本に入った時は「鬱金香(うっこんこう)」の中国名が与えられ「ボタンユリ」の和名も提案されたというが、チューリップで定着した。

 砺波地方の特産で県の花。新潟県も県花。気候風土が合ったからだが、二毛作として発達した。黄小町(きこまち)という品種が有名。4月末からチューリップフェアが砺波で開かれる。大正7年に試作で植えられた十球あまりの球根が品種改良などによって特産になった。砺波市は自生地の一つであるトルコのヤロバ市、世界的な生産地オランダのリッセ市と姉妹都市になっている。

 池内紀の『祭りの季節』(みすず)に砺波のチューリップに関する見事な説明が載っているので引用する。

 砺波平野は散居村ととのみチューリップの球根栽培で知られている。チューリップは我がままな植物であって、水はけのよい土地を好む一方で、大量の水を必要とする。「水食い」の性質をもっている。その点、沖積してできた扇状地は、とどこおりなく条件をみたしている。きっと智恵者がいて、風土の特性に目をつけ、チューリップの本場オランダで学んできたのであろう。たちまち全国一の産出高を誇るまでになった。

 そのことは知っていたが、実はもう一つ、当地ならではの利点があった。フェーン現象は冬場に大量の雪をもたらす。砺波は新潟と並ぶ名うての豪雪地帯だが、これがチューリップには、またとない条件になる。雪が地面と接するところは、ほぼ零度に保たれたまま冬を越す。その間、球根は寒さの害を受けずに春を待つことができるのだ。冬の水田は通常は用なしだが、チューリップ栽培は水田の裏作としておあつらえ向きであり、しかも雪の保存装置という強力な助っ人がいる。

 僕の考えではバレンタインかホワイトデーの花としてもっと売るべきだと思う。これがほんとの「キュウコン」なんて…。

 チューリップの球根を食べた話が『徳川夢声日記』に出てくる。

 昭和二十年四月二十九日 数日前に掘り出したチューリップの根を、葱坊主と一緒にして、精進揚にする。これがまた珍味である。チューリップはシャキシャキとほのかに苦が味があり、葱坊主は軟かく甘味がある。皆は気味を割る勝手板が、私にすすめられて一口ずつ試食した。内心どうだか分らないが、一応は好評であった。

 富山県の人が本当に好きなのはパチンコ台のチューリップ。

 チューリップは紀元前から織物の模様に使われるなど美しさは古来愛された。栽培はトルコで始まり、名前は花の形に似ていたからとかで、頭に巻くターバンのトルコ語に由来するとされる。16世紀に欧州に広まり、17世紀にはオランダでチューリップ球根投機事件が起きた。品種作りが流行して法外な投機の対象となり、暴落で相場は崩れて狂熱は収まった(『日本大百科全書』)。デュマの『黒いチューリップ』はその模様を詳しく描く。ちなみに、日本では江戸の天保年間に始まった万年青(おもと)の栽培が明治時代に大流行してバブルになったことがある。

 宮沢賢治の童話に「チュウリップの幻術」というのがある。「おお、湧(わ)きあがる、湧きあがる、花の盃(さかづき)をあふれて…もう青ぞらも光の波で一ぱいです…ふう、チュウリップの光の酒」。

●ちょ

 「ちょっと」。例:「一分ちょーで戻って来っちゃ」(一分ちょっとで戻ってきますよ)。

●町

 同じ漢字を読み分ける。人の名前だと、「川原」は「カワラ」「カワハラ」の二つで、戸籍に読み方は登録されていないから、どうすれば正しく読んでもらえるでしょう。他にも「口」の場合にも「クチ」「グチ」の両方があり、地域差もあるようだ。

町の名は…マチ?チョウ?(朝日新聞 2004/12/04より)

全国町村会の一覧表には町村名がふりがな付きで載っている。今月1日時点で2220町村。チョウ1056、マチ681、ムラ417、ソン66。
東関東7都県や福島、新潟、富山、石川では全町がマチ。
西近畿2府5県や岐阜、愛知では全町をチョウと読ませる。
東北海道から関西までは、すべてムラ。
西ソンは中国、四国、九州に偏る。
 総務省では「地方公共団体の名称は、地方自治法第3条で『従来の名称による』と定めているので、マチと呼んでいたらマチ、チョウと呼んでいたらチョウです」

綺麗に東西に分かれます。方言区画にも重なったりします。理由は何でしょう。
ムラの議会は「ムラギカイ」とは言いませんね。「ソンギカイ」で、「ソンギイン」。この方がカッコイイですね。「マチギカイ」「マチギイン」よりは「チョウギカイ」「チョウギイン」となったかもしれません。
音読みの強さ・響きかもしれないし、文化差が意外にあるかもしれません

 しかし、考えてみれば、富山市は「桜木町」とか「西町」とか「ちょう」だが、高岡は「金谷町」、「大鋸屋町」(おがやちょう)、「御旅屋町」(おたやまち)、「御馬出町」(おんまだしまち)など「まち」が多い。ここでも東西文化圏の違いが見られる。

●長者丸(ちょうじゃまる)

 江戸の鎖国時代、海難事故でアメリカに保護され、5年後に帰還した岩瀬船籍650石の北前船(バイ船)。長者丸は密田家の持ち船で、遭難にあってはじめて長昆布が薩摩を通じて沖縄にそして 中国に運ばれていた事実が富山大学の高瀬重雄の研究により明らかになった。

 1838年(天保9年)4月西岩瀬港を出帆し、三陸金華山沖で難破し仲間数人とともに5カ月間、太平洋上を漂流した。アメリカの捕鯨船に救助された。彼等は3隻の船に分乗しサンドイッチ諸島(ハワイ)に上陸〈次郎吉等3人はハワイ島ヒロに上陸)。中国の広東出身者の家や、ホノルルの牧師の家などで世話になったり、ある時は砂糖きび畑で過酷な労働に従事したりした。ミステ・カオカ(GERRIT PARMELE JUDD)という医者にも世話になっている。また当時のハワイ国王カメハメハ3世とも謁見もしている。10人の乗組員のうち米田屋次郎吉(追廻=雑用係)、鍛冶屋太三郎など6人がハワイで生活し、その間次郎吉は、その土地の地形、動植物、人々の暮らし方、建造物、防衛体制のほか、見聞した印刷工場、砂糖きび工場、製塩所、屠殺場までも細かに記録し図解している。ペリーの船で帰るという話もあったが、別の船で1843年(天保14年)無事帰還することができた。日本へ送還する船が決まり、シトカの長官の家で奥さんの接待でお別れパーティが行われ、餞別に大きな柱時計を貰う。この時計は帰国後、富山藩の親藩である前田藩の殿様前田斉泰公に贈呈された。この時の次郎吉ら4人の体験談は『時規(とけい)物語』『蕃談(ばんだん)』などの書物にまとめられたが、外国語を多数覚え、記憶も確かだった次郎吉の情報量は際立っていたという。次郎吉は教育を殆ど受けていなかったが、好奇心旺盛で記憶力抜群、外国語の習得も早く、しかも見たものを正確に描き、図解までもする類稀な才能の持ち主だった。その上、大の力持ちだった。『蕃談』は幕府の学者によって書かれたものであるが、好意的に外国事情を述べているため、鎖国下の日本では一般に知られることを恐れて公開されなかった。この25冊にわたる「幕末民間使節レポート」の最後は1500語に及ぶアメリカ語、ハワイ語、ロシア語の辞典になっているが、好奇心の旺盛さには驚かされる。

 鎖国政策を取る幕府の取り縮まりのせいで漂流期間を上回る歳月、幽閉され、更に2名が越中の地を踏まずに死亡した。嘉永元年10月1日に帰村するまで、11年の月日であった。1828年(文政11年)に描かれた『東岩瀬ならびに東岩瀬村・西宮村絵図』(富山県立図書館蔵)には5年間の異国体験をした越中の男たちのうち、鍛冶屋太三郎・米田屋次郎吉の家が認められる。絵図には田地方太三郎の家が現在の岩瀬本町の杉木衣料店(料亭「松月」の裏)あたり。独身の次郎吉は兄・七郎右衛門の家に同居し、四番丁に浦方米田屋七郎右衛門がある。 富山市田畑光明寺に太三郎の過去帳があり、「天保九年四月二四日舟ニテ往生」と出帆日を没年にして、「円仁」という法名が書かれている。遭難時に死亡とされていたのであるが、それが棒線で抹消されて「嘉永二年五月九日」に改められ、「不退」の法名がかかれている。墓は岩瀬赤田町二区の墓地にあって、「嘉永二年酉五月九日」と没年が刻まれている。

 
長者丸の乗組員
氏名 年齢 職種 出身地 備考
吉岡屋平四郎 50才 船頭 富山木町浦 オアフ島にて病死 天保10年10月
京屋八左衛門 47才 親司 射水郡長徳寺村 帰国後江戸表にて病死 嘉永元年3月
片口屋八左衛門 50才 射水郡放生津新町 松前にて金六と代り帰村(天保9年9月)
鍛冶屋太三郎 37才 岡使(知工) 新川郡東岩瀬田地方 天保14年5月帰国嘉永2年5月病死
善右衛門 40才 片表 婦負郡四方 天保10年4月船中にて病死
土合屋六兵衛 31才 追廻 射水郡放生津古新町 天保14年5月帰国
片口屋七左衛門 23才 追廻 射水郡放生津新町 天保14年5月帰国後10月病死
米田屋七郎右衛門の弟 次郎吉 26才 追廻 新川郡東岩瀬浦方 天保14年5月帰国
五三郎 25才 婦負郡四方 天保10年1月船中にて病死
中野屋勘右衛門の弟 金蔵 18才 射水郡放生津新町 天保14年5月帰国

 井伏鱒二の小説に『漂民宇三郎』(昭和30年)がある。かなりの部分を『蕃談』『時規物語』、著者不詳『漂民聞書』と素老生【“碌”を金偏に変える】本『異國物語』に拠っていることになっているが、最後のは虚構だという。次郎吉も登場するが、一人だけ帰国せずハワイに残った宇三郎の聞書きという形で描かれていて、この宇三郎は鍛冶屋太三郎をモデルにしているようだが架空の人物である。吉田精一はかつて『ジョン万次郎』が万次郎中心の物語であったのに対して『宇三郎』が乗組員全員の運命を扱う物語であるとした。ただし、この作品を三浦哲郎(文庫本解説)に「あれは失敗作」と語り、自選全集のカタログから外している。

長者丸

 「知られざる親善大使 漂流民 岩瀬の次郎吉物語」というハイビジョン番組を富山市が製作した。

 『蕃談』(平凡社)、『日本庶民生活史料集成第5巻 漂流』(三一書房)、キャサリン・プラマー『最初にアメリカを見た日本人』(日本放送出版協会)、高山純『南太平洋の民族史 江戸時代日本漂流民のみた世界』(雄山閣出版)、十重田裕一「『漂民宇三郎』---「異人」たちの〈声〉---」(『国文学解釈と鑑賞59巻6号』至文堂)などがある。

●長次郎谷

 新田次郎『剱岳<点の記>』、更に映画に出てくる山岳ガイド宇治長治郎から命名された谷。柴崎芳太郎を案内して剱岳を登頂し、2等三角点を設けた。

●ちょーだ

 真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)に県西南部の五箇山から飛騨の白川郷に分布するほか、全国的に点在するという。「奥の部屋」「寝室」で語源は「帳台」からだという。

●ちょうつける

 「帳尻を合わせる、決着を付ける」。例:「やっと、ちょうついたちゃ」(ようやく決着がついたよ)。

●ちょご

 「遊び」で「水ちょご」というと「水遊び」(「水ばれこと」とも)。

●ちょこがっしい

 「くすぐったい」。

●ちょっきり

 「ぴったり」。例:「一分ちょっきりで帰ってくっからね」(一分ちょうどで帰るからね)。

●ちょっこ〜ちょっこし〜ちょっこり

 「ちょっと、ちょっぴり」で金沢でも使うし、山陰でも使う。朝ドラ「ゲゲゲの女房」で「ちょっこし」がいっぱい出てきた時はちょっこし驚いた。反意語は「でっかいと」で金沢では使わない。例:「あんたのいうとること、ちょっこぉ、間違ごうとらんけ」(あなたの言っていることちょっと間違えていませんか)。

●ちょはい帰り

 真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)には富山・石川の方言となっているが「ちょうはい」は方言ではない。「朝拝帰り」ということで、結婚後の女性が実家に初めて数日間帰ること。「せつぎょう」(山形県)、「つくりあがり」(熊本県)という言い方もある。結婚後まもなく帰る地方もあるが、富山では盆や正月など節日に帰ることを指す。『民俗学辞典』の「里帰り」の項の中に、「初里帰りは、嫁が聟方の者として初めて、実の親に対面する機会であるが、それを重々しいものとする必要は、一つには所属の変化を特に強く表現することが、聟方にとって望ましいものであったからであろう」という説明。初里帰りが儀礼的性格を備えたものであったことと朝廷の「朝拝」とが結びついたようだ。

 連れ合いは結婚後、お盆にちょはい帰りをしたが、一晩だけ泊まって満足だと思って帰宅したら「もう少し、お父さんといたかった」と泣き始めて、実家に連れ帰った。

●ちょろがす

 「もてあそぶ」で「おちょろがす」ともいう。

●ちょんちょん

 「大事に」すること。例:「親にぃ、ちょんちょんに育てられたもんできかん子や」(親に大事に育てられすぎたのでいうことを聞かない子だ)。

●ちんがむ

 「チューインガム」。

●ちんちゃい

「ちっちゃい」で「ちんちゃーなった」とは「小さくなった」。例:「米良ちゃ、なんちゅーちんちゃい人いね」(米良という人は何という小さい人だろう)。

●ちんちん

 「お湯がちんちんに沸いとる」というように熱い様をいう。「ちんちんやから気ーつけられ」などとも言う。真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)には東海方言だというが、北陸でも使う。藤村の『夜明け前』にも「鉄瓶の湯もちんちん音がしてきた」とあるそうだ。

●ちんちん電車

 金沢は全国で一番早くなくしてしまった。富山にも高岡にも残っているが、高岡の万葉線は存続が危うかった。

 富山も最盛期には6系統(現在1系統)の路線があって、乗り換え券がもらえたので東京の地下鉄よりははるかに便利だった。新富山で乗り換えてどこでも行けた。高岡も伏木までの路線があった。

 「ちんちん」というのは、車掌と運転手との間にあって、合図のためにひもを引いて鳴らした鐘の音である。どの街でも「ちんちん電車」というだろうが、若い娘には使いにくい言葉だなぁと今、書きながら思った。

●ちんと

 「じっと」。例:「そこにちんとしとられ」(そこにじっとしてなさい)・「なんちゅうかたい子ね、ちんと待っとらっしゃる」(何という親のいうことを聞くいい子だろう、じっと座って待っておいでになる------ちなみに子どもにも敬語を使うことがある)。

●チンドンコンクール

 4月始めに富山城祉公園で「とやま桜まつり」のメーンイベントとしてチンドンコンクールが開かれる。全国のチンドン屋さんの最大のイベントである。優勝を目指す家族のドラマも何度か作られた。 

 1955年(昭和30年)4月に第1回が開催された。市職員の高沢滋人(当時27歳)が企画し、大会では司会進行役を務めた。富山市に生まれ、少年時代は神戸で過ごした。演劇好きの父親の影響で、歌舞伎や寄席など大衆芸能に興味を抱いた。神戸の街でチンドンを追いかけたこともあったという。 戦中、富山へ疎開し、戦後間もない46年、市職員となった。リヤカーで映写機を運んで子供たちに映画を見せる視聴覚教育に携わった。富山演劇協会の活動に参加し、芝居に打ち込んだのもこのころのことだ。 戦後復興を印象付けた54年の富山産業大博覧会の事務局に入り、翌年のチンドンコンクールの企画にも加わった。高沢は99年7月に71歳で亡くなったが、コンクールは続いている。

 昔は富山で最大のイベントだったので連れていってもらったが、すぐに飽きた覚えしかない。成瀬巳喜男の映画にはチンドン屋さんが必ず出てくるが、もの悲しい。

●ちんぼ

 「おちんちん」。この言葉が映画『螢川』(地元では「いたち川」という)に入っていたために、富山県が後援から降りるといういちゃもんを付けたことがあった。つまり、民度の低さを表す言葉。

●ちんまっと〜ちんまり

 「じっくり」。例:「あんたとこのおっじゃ、ちんまっと勉強してはるねけ」(あなたの家の次男坊はじっくりと勉強してますね)。


英語

数字

序文

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