金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


みゃーらくもんの系譜
富山のタレント

「タレント」…テレビやラジオに出演して人気のある俳優・歌手・アナウンサー・大学教授・文化人など。
     -----『新明解国語辞典』

 わたしの嫌いな言葉に「分別」とか「年相応」というのがある。
 このさいはっきりいっておこう。これは人を奴隷のように働かせ、使い切ったあとで放り捨てるために発明された言葉である。ところが世の中にはこうした言葉にハナから縁のない人たちもいるのである。
     -----四方田犬彦『驢馬とスープ』(ポプラ社)


 富山県出身のタレントが少ないと言われた。「私自身、富山出身のタレントとしてはほとんど初めての方だった」と志の輔さんから直接聞いたことがあるが、実際少なかった。左幸子、左時枝、梅津栄くらいのものだった。

 ところが、最近は増えてきた。もしかしたら、人口比で他県よりも多いかもしれない。

 富山には「みゃーらくもん」という言葉がある。「身が楽な者」が訛ったとされる。つまり、一所懸命にならないで、身が楽に行動する人のことを指す。

 富山県の人間はお金をフローではなく、ストックに使うことが多い。家を建てたり、仏壇を買ったり、お墓を建てたり、と地元から離れることがないようなお金の使い方をする。つまり、身が重かった。身軽に何かをするのを控えた。

 ピアノも耐久消費財に相当すると思うが、あまり売れない。

 ミラン・リューゲの「菊と蒲鉾」によれば次のようである。

 ドイツ人にとって日本文化は羊羹みたいなものでどこをとっても同じ味のように思える。PKOをめぐって新聞の論調は違いをみせたが、それ以外は社説からコラム、読書欄に至るまで紙面の大きさや掲載する曜日まで揃えてある。

 日本は、だから、羊羹型の文化といえるのだが、それでも羊羹には栗羊羹や木目羊羹など種類が多いし、部分によって違いもある。蒲鉾の中身にはその違いすら見当たらない。

 富山県人は均質になりたがる。富山方言には「みゃーらくもん」というのがあり、「身が楽な者」に由来するとされる。そして文化的な、金にならないことをしようとする人を「みゃーらくもん」として差別してきた。NHKの調査でも彼らは自己主張せず、皆なの意見に合わせる傾向が強いという結果が出ている。均質だから目立った人は生まれない。

【中略】

 しかし、タダで文化は育たない。志の輔も『笑われる理由』の中で「隣と同じにしなければ、という一人一人の強迫観念が、富山全体の経済を発展させ、教育水準を引き上げてきた」と書いた直後に言う。

 ところが、唯一の例外は、隣の子がピアノを習って歌がうまくなったから、自分ちの子にもピアノを習わせよう、というのはない。 だって、意味がないから。歌なんてうまくたって金にならないから。バカだと金はもうけられないから困るけれども、文化的になったからといってお金は入ってこないことを、よく知っている。

 こうした功利主義的な県民性があるので、音楽は育ちにくい。観念論の我がドイツと違い、経験論のイギリスが作曲家を生み出すことができなかったのと同じである。古典芸能の基盤がある金沢には岩城宏之が率いる国際的なオーケストラがあるが、富山にはそうした土壌がない。

 2002年現在の話だが、富山ではピアノが全く売れなくなって、ピアノ専門のセールスマンは県下に二人しかいないという。

 かつて「みゃーらくもん」という言葉はマイナスイメージで捉えられていた。何か趣味に走っている人は「な〜ん、みゃーらくなことばっかしとっちゃ」(なんというか、身が楽なことばかりしていて、恥ずかしいです)と言い訳していた。

 藤子不二雄の人生』(講談社)では「気楽」という言葉で説明しているが、藤子不二雄は氷見出身で「みゃーらく」という言葉を知らなかったか、長い間故郷を離れて忘れてしまったかどちらかである。

 「河原乞食」ともいわれる役者になる、なんてことは身が楽でなければできない。ところが、「まじめでよく働く」という富山の県民性から、そんな変わったことをする人が許されることはなかったのである。

 湯川秀樹に次のような言葉がある(湯川秀樹・坂田昌一・武谷三男『現代学問論』勁草書房)。

   独創性の軽視

 日本人は長いことお米を作ってきた。そのことに関連して、何というか、プロセス評価というメンタリティーができてきた、という説なんです。これ非常によく当たっているように思われる。一生懸命に何かを作っている、労働してる、ということを高く評価する。それはそれでいいことですよ。それは勤勉である、ということなんですからね。

 だけれども、しからばそれは一体何をやっとるのか、だれがどう考えてその作業が始まったのか、何のためにやっとるのか、という意識がだんだん抜けてゆく。働いている、というプロセスの評価、ということだけが残ることになりやすい、という説なんです。

 つまり、富山のような米所、というか日本のような米文化のところでは、真面目さだけが評価され、独創性を生まないのである。周りばかり気にして、何かを失っていくのである。

 唯一、富山の県民性から逸脱した人生を送った男に梅原北明がいる。野坂昭如『好色の魂』の北辰のモデルとなった人である。大正末期から昭和初期にかけてのエロ・グロ・ナンセンス文化の一面を代表したが、独自の反逆精神と時代の病理を鋭く見抜く認識眼があった。また『明治大正綺談珍聞大集成』など社会風俗資料集も編纂した。

 そんな例外を除けば、富山出身の人はすごくまじめである。志の輔の言葉遣いを見ていれば、その丁寧さが分かるというようなものだ。ただ、富山の人も変わったと『志の輔の肩巾』(毎日新聞社)で書いている。

 富山だって変わるんだ、と感慨深くなったのは、先日の富山での落語独演会でした。

 20年前は両隣の人が笑っているのを確認してからしか笑わなかったお客が、今は逆に1200人のお客さんが、私をのせてしゃべらせてくれるまでになりました。そうです、変われるのです、人間。

 室井滋も読売新聞北陸版の対談(2006年1月1日)で次のように語っている。

富山の人は安定志向で、まず、公務員になりたがる。富山出身の女優は少ないんですね。でも、私が女優を続けられるのは「まじめ」だからと思います。芸能界は華やかな世界に見えても、撮影はロケは早朝から夜中まで続き、厳しい。私はこれまでずっと無遅刻、無欠席で、週刊誌に連載しているエッセーも締め切りに遅れたことがないんです。

私は、性格の明るい役柄を演じることが多いのですが、これは太陽のような明るさとは違う。雪深い北陸で生まれ育った影響でしょうが、曇り空が続いて気がめいっても、長靴の中に雪が入って冷たくても、冗談にして笑っていられる明るさですね。

 今年の大河ドラマは『利家とまつ』だが、前田利家は若い頃、ばさら大名と呼ばれていて、陣羽織などのその片鱗が残っている。バサラ(婆沙羅・婆佐羅)とは、南北朝内乱期にみられる顕著な風潮で、華美な服装で飾りたてた伊達な風体や、はでで勝手気ままな遠慮のない、常識はずれのふるまい、またはそのようすを表す。また珍奇な品物などをも意味する。サンスクリット語のvajraバジラ(金剛・伐折羅バサラ)から転訛したといわれる。「ばさら絵」「ばさら扇」「ばさら大名」のように、多様に使用された言葉である。「建武(けんむ)式目」のなかでは「近日婆佐羅と号して、専ら過差(かさ)を好み、綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)・精好(せいごう)銀剣・風流(ふりゅう)服飾、目を驚かさざるなし、頗(すこぶ)る物狂(ぶつきょう)と謂(い)ふべきか」といわれ、過差(奢侈=しゃし)が、「物狂」といわれるほど異常な形で現れることを「婆佐羅」と表現している。なお、旧体制を否定する思想、反体制運動の展開などもばさらの行為であった。不動心、硬質なるもの、金剛石、魔神を降伏させる法具、いかなるものをも砕く利器の事でもあるといわれている。それはまさに内乱期社会の諸現象を端的に表現する流行語であった(なお、バサラに関しては大槻文彦が『大言海』の序文で語源に詳しく触れている)。

 「傾奇者(かぶきもの)」もバサラとほぼ同じ意味でも使われる。「傾奇者」というと隆慶一郎原作の『花の慶次』とそのマンガ、原哲夫『花の慶次』の主人公、前田慶次こと前田慶次郎利益である。利家の甥にあたる人物だ。実は前田利家も、負けず劣らずの「傾奇者」だった。なにしろ、「うつけ」と呼ばれていたころの織田信長の側近で、いつも一緒に悪さをしていたというから、筋がね入りだ。

 彼らはいわば社会のトリックスター(この世に混乱と破壊を引き起こすと同時に、しばしば混乱のなかから未知の文化要素を生み出し、破壊のあとにふたたび新しい秩序をもたらすという文化英雄的役割を果たす)の役目をバサラは果たしていたのである。

 山口昌男は『知の自由人たち』(NHKライブラリー)のエピローグの中で、「知の自由人たち」の定義を次のようにいう。

それは、タテ型社会にからめとられず、ヨコへヨコへと自由に軽やかに広がり、そこで新たなネットワークを形成していくような人間のことである。

 富山のみゃーらくもんはまさに「知の自由人たち」と同義である。が、歴史を動かしたかどうかはまでは寡聞にして知らない。


 いずれにしろ、富山では実学ばかりが強調されて、虚学というものが無視されてきた。

 郷土史家の廣瀬誠が『越中の文学と風土』(桂書房1998)の最後に皇室などの著名人に富山文化を紹介した自慢話をたくさん載せている。笑ってはいけないのだが、湯川秀樹が来県した時に新湊市高木の石黒信由の業績を紹介した時の話が面白い。

 私が信由の実学精神に言ひ及ぶと、博士は即座に実学については否定的見解を示された。(これは私にとってはいささか不満であった)。

 湯川秀樹は老荘の思想が物理学の研究にも必要だと考えていた人なのだが、廣瀬には理解できなかったのだろう。

 富山県は三方を山に囲まれ、一方を海で囲まれていて、ある意味では盆地と同じである。米山俊直は『小盆地宇宙と日本文化』(岩波書店1989)という本を書いているが、同じことがいえるだろう。ただ、盆地には文化が育ちにくい。

 林真理子は『美女入門』(マガジンハウス1999)で、レストランでどこの出身かと尋ねられて答えている。

「私、山梨。山梨ってさ、民度が低くて文化不毛の地って言われてるの」
 ワインに酔った私は、べらべらと喋り始める。こういう時、ふる里に対して人は偽悪的になるものだ。
「有名人がホントに出ない土地なのよ。私の近所に、中沢新一さんのうちがあるけど、まあ、そのくらいかしら。作家も出なけりゃ、芸能人も出ない。トシちゃんは高校まで山梨だったくせに、横須賀出身ってずっと言ってきたのよ。ま、イメージとしちゃそっちの方がずっといいわよね。あー、でもね」
 私はドンとグラスを置く。
「中田【英寿】が出たのよ、中田がいるわよ。あの中田のおかげで、私たち山梨出身は、どのくらい肩身が広くなったか!」

こう話した後、後ろの席に中田がいたことに気づき、思わず、「山梨の誇りです」とやってしまったそうだ。 

 こうした文化や風土があったから、みゃーらくもんというのは全く評価されなかった。僕が初めて「みゃーらくもん」というのを意識したのは窪邦雄(当時、富山女子高教諭)の創作劇『みゃーらくもんの系譜』(1980年)だった。

 高度経済成長が終わり、オイル危機を経て、日本も落ち着いてきた頃だった。

 ようやく、みゃーらくもんが評価される時代になって、タレントも増えてきた。

 今では他県よりも多いかもしれない。□県別男性タレント □県別女性タレント

 しかし、室井滋や柴田理恵が富山の人っぽいかどうかはちょっと怪しい。少なくとも富山の人は疑問に思っているかもしれない。


 室井滋はデビュー作『むかつくぜ!』(マガジンハウス1991)の「ザ・富山」という章で八尾出身の風吹ジュンと語りあった後で、次のように「富山の人っぽい」というのを考察している。

 新聞などに載っている調査では、気候、住宅事情、犯罪の少なさ、福祉の充実、食生活、教育などを総合すると、日本で一番住み良い県であるそうだ。住み良いと言われるのは、私とて嬉しいが、いったん県外に出て、少し退(ひ)いて見ると、安定志向が強すぎ、派手なイベント、過激なニュースが無さすぎて、刺激に欠ける所が、この県の印象を薄くしている、ということがよくわかる。(少し余談になるが、たとえば富山県には昔っからソープランドというものが一つもないし、以前、県立高校はすべて修学旅行に行かなかった。何故って、学生間でいろんな非行問題が起こると困るからだ、と聞かされて、当時、皆、頭にきたものだった。現在県立高校が修学旅行をおこなっているか否かは、私は知らない【注:職業科などでは海外も含め、修学旅行が行われている】)

 さて、この安定志向が強くなるというのはひとえに、地理的、気候的条件によるところが大だと私は思う。

 気候は、四季のうつり変わりがとても鮮明で、そのお蔭で、作物もとても豊富だ。が、冬に限っては、とてつもない量の雪が降る。この雪、北海道のようなサラッとした粉雪と違い、水気を多く含むボタ雪だ。積もり始めると一、二メートルはかるく溜まる。そのうち一階からは出入りできなくなり、二階、三階の窓から出掛けるようになる。このころはもう、町中の人は、自分の家が雪で押しつぶさぬよう、雪下(お)ろしにやっきになっている。プロの雪下ろしの人も町にはいるのだが、ひどい雪になると、この人たちとても、自宅の雪下ろしに追われて人手不足になる。ついには老人も子供も屋根にあがって皆作業する。降り続ける雪空の下、全員必死で頑張るのだが、それは実際、ザルで水をすくっているようなものなのだ。晴れ間がこないと、次第に雪を捨てた道路の方が屋根より高くなってしまう。------このようにしてやがてすべての道路は普通になって町は陸の孤島と化していく。

 これだから、富山の人は、家の造作にバカ金をかけ、土蔵を建てて、壺や瓶を買っていろんな物を貯蔵する。夏の間はせっせと働き、来たるべき冬にそなえる。

 これじゃまるで、アリとキリギリスじゃないの!! と言われてしまいそうだが、ズバリその通りという気もする。

 と、いうことは【風吹ジュンに】富山の人っぽくないと言われてしまう私は、キリギリス……?

 いやいや、私とてまじめです。


 富山出身のタレント名鑑


 富山県から宝塚に入った女性は少ないが、こちらも最近では増えた。鳴海じゅんが京都出身だがお父さんが富山大学勤務で少し関係(?)があり、青葉みちるが(86期)にいて、00年には長谷川万葉がデビューし、杉原枝里子が音楽学校に入った。01年には富山市堀川小泉町の植野あみ(富山女子高校2年)=芸名・愛紗もも=と同市中川原の赤根那奈(富山第一高校2年)=芸名・夢咲ねね=が入学して卒業した。

  • 有峰里妃(ありみね・りき)=高岡市生まれ、高陵中学出身。1989年退団。
  • 剣幸(つるぎ・みゆき)=『メリーゴーランドのように』(東宝映像事業部1992)という本がある。剣幸は富山工業高校の設計科の卒業であり、涼風真世は宮城生まれで中学生の時に伏木にいたという。剣幸は富山県を意識した命名をしてくれて嬉しいが、本人は「けんこう」とか呼ばれたことも多かったという。どうりで「けんこうで長持ち」。
  • 涼風真世(すずかぜ・まよ)=1960年(昭和35年)9月11日、宮城県石巻市生まれだが、中高時代と富山ですごす。大阪の薫英高校を卒業した79年に宝塚音楽学校に入学、81年宝塚歌劇団に入団し「春の踊り」で初舞台。3年目ごろから妖精的な容姿と歌唱力のある男役として頭角を現し、91年「ベルサイユのばら」で月組のトップに。93年に退団し、94年帝劇「横浜どんたく」で女優に転身。本名・森永佳奈女(もりなが・かなめ)だが、「森永キャラメル」とよく間違えられたという。2004年にラグビー元日本代表選手の今泉清と結婚。今泉は早大時代に日本一に輝いた後サントリーに入り、現在は早大コーチ、テレビ解説者。
  • 夢咲ねね=2009年に娘役トップになった。


  •  最近増えている富山出身のタレントにはある共通点が見つけられる。


    ・ 主流ではないが、光る個性?
    ・ 演技派?舞台出身?
    ・ 演じる役柄の特質―少し変わった性格の脇役・変わった職業の役
    ・ 演技力があるというイメージ(実際にあると思うのだが…)


     これを県民性と重ねると次のようになる。


    ・ 手堅い演技→堅実な県民性
    ・ 庶民的な役柄→現実的な県民性
    ・ 意外と思い切ったところがある→いきなり家や結婚式に大金を使う太っ腹


     つまり、富山の県民性は次世代をになう県民性だといえる!?


      富山出身のタレントが主役・準主役を演じるこの頃
      室井滋→映画『のど自慢』(売れない演歌歌手というひねくれた役どころ)『OUT』(予定)
      西村雅彦→民放のサスペンス主役
      野際陽子→ドラマには欠かせない姑・母親役

     タレントではないが、鹿島アントラーズの柳沢敦は富山県出身である。彼はフォワードなのにアシストが多いのが役どころなのである。つまり、脇役をしながら、ゴールも狙える、という富山県民らしさがいっぱいのプレーヤーなのである。

     こうして、不況の世の中、手堅い演技と肝の据わった富山出身のタレントの活躍は続く。

     富山県民の性質は次世代を担う県民性なのでは、なーんちゃって。 

     僕がこうして、みゃーらくもんにこだわるのは自分がみゃーらくもんだからだろう。


    ※NHK富山の「金川欣二のなんでもカルチャー」2002年6月26日に放送したものの予稿である。

     色々なアドバイスをいただいたディレクターの村山さんに感謝します。

     なお、『プロジェクトX』の国井雅比古アナウンサーを始め、富山放送局出身で中央で活躍しているアナウンサーが非常に多いことを付け加えておく。本当に多いのだ。

    □ウィキペディア(富山県出身の有名人)


    IMIDAS   Back Home    please send mail.