みゃーらくもんの系譜
富山のタレント「タレント」…テレビやラジオに出演して人気のある俳優・歌手・アナウンサー・大学教授・文化人など。
-----『新明解国語辞典』わたしの嫌いな言葉に「分別」とか「年相応」というのがある。
このさいはっきりいっておこう。これは人を奴隷のように働かせ、使い切ったあとで放り捨てるために発明された言葉である。ところが世の中にはこうした言葉にハナから縁のない人たちもいるのである。
-----四方田犬彦『驢馬とスープ』(ポプラ社)
富山県出身のタレントが少ないと言われた。「私自身、富山出身のタレントとしてはほとんど初めての方だった」と志の輔さんから直接聞いたことがあるが、実際少なかった。左幸子、左時枝、梅津栄くらいのものだった。
ところが、最近は増えてきた。もしかしたら、人口比で他県よりも多いかもしれない。
□ 富山には「みゃーらくもん」という言葉がある。「身が楽な者」が訛ったとされる。つまり、一所懸命にならないで、身が楽に行動する人のことを指す。
富山県の人間はお金をフローではなく、ストックに使うことが多い。家を建てたり、仏壇を買ったり、お墓を建てたり、と地元から離れることがないようなお金の使い方をする。つまり、身が重かった。身軽に何かをするのを控えた。
ピアノも耐久消費財に相当すると思うが、あまり売れない。
□ ミラン・リューゲの「菊と蒲鉾」によれば次のようである。
ドイツ人にとって日本文化は羊羹みたいなものでどこをとっても同じ味のように思える。PKOをめぐって新聞の論調は違いをみせたが、それ以外は社説からコラム、読書欄に至るまで紙面の大きさや掲載する曜日まで揃えてある。
日本は、だから、羊羹型の文化といえるのだが、それでも羊羹には栗羊羹や木目羊羹など種類が多いし、部分によって違いもある。蒲鉾の中身にはその違いすら見当たらない。
富山県人は均質になりたがる。富山方言には「みゃーらくもん」というのがあり、「身が楽な者」に由来するとされる。そして文化的な、金にならないことをしようとする人を「みゃーらくもん」として差別してきた。NHKの調査でも彼らは自己主張せず、皆なの意見に合わせる傾向が強いという結果が出ている。均質だから目立った人は生まれない。
【中略】 しかし、タダで文化は育たない。志の輔も『笑われる理由』の中で「隣と同じにしなければ、という一人一人の強迫観念が、富山全体の経済を発展させ、教育水準を引き上げてきた」と書いた直後に言う。
ところが、唯一の例外は、隣の子がピアノを習って歌がうまくなったから、自分ちの子にもピアノを習わせよう、というのはない。 だって、意味がないから。歌なんてうまくたって金にならないから。バカだと金はもうけられないから困るけれども、文化的になったからといってお金は入ってこないことを、よく知っている。
こうした功利主義的な県民性があるので、音楽は育ちにくい。観念論の我がドイツと違い、経験論のイギリスが作曲家を生み出すことができなかったのと同じである。古典芸能の基盤がある金沢には岩城宏之が率いる国際的なオーケストラがあるが、富山にはそうした土壌がない。
2002年現在の話だが、富山ではピアノが全く売れなくなって、ピアノ専門のセールスマンは県下に二人しかいないという。
□ かつて「みゃーらくもん」という言葉はマイナスイメージで捉えられていた。何か趣味に走っている人は「な〜ん、みゃーらくなことばっかしとっちゃ」(なんというか、身が楽なことばかりしていて、恥ずかしいです)と言い訳していた。
藤子不二雄
『
の人生』(講談社)では「気楽」という言葉で説明しているが、藤子不二雄
は氷見出身で「みゃーらく」という言葉を知らなかったか、長い間故郷を離れて忘れてしまったかどちらかである。
「河原乞食」ともいわれる役者になる、なんてことは身が楽でなければできない。ところが、「まじめでよく働く」という富山の県民性から、そんな変わったことをする人が許されることはなかったのである。
湯川秀樹に次のような言葉がある(湯川秀樹・坂田昌一・武谷三男『現代学問論』勁草書房)。
独創性の軽視
日本人は長いことお米を作ってきた。そのことに関連して、何というか、プロセス評価というメンタリティーができてきた、という説なんです。これ非常によく当たっているように思われる。一生懸命に何かを作っている、労働してる、ということを高く評価する。それはそれでいいことですよ。それは勤勉である、ということなんですからね。
だけれども、しからばそれは一体何をやっとるのか、だれがどう考えてその作業が始まったのか、何のためにやっとるのか、という意識がだんだん抜けてゆく。働いている、というプロセスの評価、ということだけが残ることになりやすい、という説なんです。
つまり、富山のような米所、というか日本のような米文化のところでは、真面目さだけが評価され、独創性を生まないのである。周りばかり気にして、何かを失っていくのである。
□ 唯一、富山の県民性から逸脱した人生を送った男に梅原北明がいる。野坂昭如『好色の魂』の北辰のモデルとなった人である。大正末期から昭和初期にかけてのエロ・グロ・ナンセンス文化の一面を代表したが、独自の反逆精神と時代の病理を鋭く見抜く認識眼があった。また『明治大正綺談珍聞大集成』など社会風俗資料集も編纂した。
そんな例外を除けば、富山出身の人はすごくまじめである。志の輔の言葉遣いを見ていれば、その丁寧さが分かるというようなものだ。ただ、富山の人も変わったと『志の輔の肩巾』(毎日新聞社)で書いている。
富山だって変わるんだ、と感慨深くなったのは、先日の富山での落語独演会でした。
20年前は両隣の人が笑っているのを確認してからしか笑わなかったお客が、今は逆に1200人のお客さんが、私をのせてしゃべらせてくれるまでになりました。そうです、変われるのです、人間。
室井滋も読売新聞北陸版の対談(2006年1月1日)で次のように語っている。
富山の人は安定志向で、まず、公務員になりたがる。富山出身の女優は少ないんですね。でも、私が女優を続けられるのは「まじめ」だからと思います。芸能界は華やかな世界に見えても、撮影はロケは早朝から夜中まで続き、厳しい。私はこれまでずっと無遅刻、無欠席で、週刊誌に連載しているエッセーも締め切りに遅れたことがないんです。
私は、性格の明るい役柄を演じることが多いのですが、これは太陽のような明るさとは違う。雪深い北陸で生まれ育った影響でしょうが、曇り空が続いて気がめいっても、長靴の中に雪が入って冷たくても、冗談にして笑っていられる明るさですね。
□ 今年の大河ドラマは『利家とまつ』だが、前田利家は若い頃、ばさら大名と呼ばれていて、陣羽織などのその片鱗が残っている。バサラ(婆沙羅・婆佐羅)とは、南北朝内乱期にみられる顕著な風潮で、華美な服装で飾りたてた伊達な風体や、はでで勝手気ままな遠慮のない、常識はずれのふるまい、またはそのようすを表す。また珍奇な品物などをも意味する。サンスクリット語のvajraバジラ(金剛・伐折羅バサラ)から転訛したといわれる。「ばさら絵」「ばさら扇」「ばさら大名」のように、多様に使用された言葉である。「建武(けんむ)式目」のなかでは「近日婆佐羅と号して、専ら過差(かさ)を好み、綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)・精好(せいごう)銀剣・風流(ふりゅう)服飾、目を驚かさざるなし、頗(すこぶ)る物狂(ぶつきょう)と謂(い)ふべきか」といわれ、過差(奢侈=しゃし)が、「物狂」といわれるほど異常な形で現れることを「婆佐羅」と表現している。なお、旧体制を否定する思想、反体制運動の展開などもばさらの行為であった。不動心、硬質なるもの、金剛石、魔神を降伏させる法具、いかなるものをも砕く利器の事でもあるといわれている。それはまさに内乱期社会の諸現象を端的に表現する流行語であった(なお、バサラに関しては大槻文彦が『大言海』の序文で語源に詳しく触れている)。
「傾奇者(かぶきもの)」もバサラとほぼ同じ意味でも使われる。「傾奇者」というと隆慶一郎原作の『花の慶次』とそのマンガ、原哲夫『花の慶次』の主人公、前田慶次こと前田慶次郎利益である。利家の甥にあたる人物だ。実は前田利家も、負けず劣らずの「傾奇者」だった。なにしろ、「うつけ」と呼ばれていたころの織田信長の側近で、いつも一緒に悪さをしていたというから、筋がね入りだ。
彼らはいわば社会のトリックスター(この世に混乱と破壊を引き起こすと同時に、しばしば混乱のなかから未知の文化要素を生み出し、破壊のあとにふたたび新しい秩序をもたらすという文化英雄的役割を果たす)の役目をバサラは果たしていたのである。
山口昌男は『知の自由人たち』(NHKライブラリー)のエピローグの中で、「知の自由人たち」の定義を次のようにいう。
それは、タテ型社会にからめとられず、ヨコへヨコへと自由に軽やかに広がり、そこで新たなネットワークを形成していくような人間のことである。富山のみゃーらくもんはまさに「知の自由人たち」と同義である。が、歴史を動かしたかどうかはまでは寡聞にして知らない。
いずれにしろ、富山では実学ばかりが強調されて、虚学というものが無視されてきた。
郷土史家の廣瀬誠が『越中の文学と風土』(桂書房1998)の最後に皇室などの著名人に富山文化を紹介した自慢話をたくさん載せている。笑ってはいけないのだが、湯川秀樹が来県した時に新湊市高木の石黒信由の業績を紹介した時の話が面白い。
私が信由の実学精神に言ひ及ぶと、博士は即座に実学については否定的見解を示された。(これは私にとってはいささか不満であった)。 湯川秀樹は老荘の思想が物理学の研究にも必要だと考えていた人なのだが、廣瀬には理解できなかったのだろう。
□ 富山県は三方を山に囲まれ、一方を海で囲まれていて、ある意味では盆地と同じである。米山俊直は『小盆地宇宙と日本文化』(岩波書店1989)という本を書いているが、同じことがいえるだろう。ただ、盆地には文化が育ちにくい。
林真理子は『美女入門』(マガジンハウス1999)で、レストランでどこの出身かと尋ねられて答えている。
「私、山梨。山梨ってさ、民度が低くて文化不毛の地って言われてるの」
ワインに酔った私は、べらべらと喋り始める。こういう時、ふる里に対して人は偽悪的になるものだ。
「有名人がホントに出ない土地なのよ。私の近所に、中沢新一さんのうちがあるけど、まあ、そのくらいかしら。作家も出なけりゃ、芸能人も出ない。トシちゃんは高校まで山梨だったくせに、横須賀出身ってずっと言ってきたのよ。ま、イメージとしちゃそっちの方がずっといいわよね。あー、でもね」
私はドンとグラスを置く。
「中田【英寿】が出たのよ、中田がいるわよ。あの中田のおかげで、私たち山梨出身は、どのくらい肩身が広くなったか!」こう話した後、後ろの席に中田がいたことに気づき、思わず、「山梨の誇りです」とやってしまったそうだ。
□ こうした文化や風土があったから、みゃーらくもんというのは全く評価されなかった。僕が初めて「みゃーらくもん」というのを意識したのは窪邦雄(当時、富山女子高教諭)の創作劇『みゃーらくもんの系譜』(1980年)だった。
高度経済成長が終わり、オイル危機を経て、日本も落ち着いてきた頃だった。
ようやく、みゃーらくもんが評価される時代になって、タレントも増えてきた。
今では他県よりも多いかもしれない。□県別男性タレント □県別女性タレント
しかし、室井滋や柴田理恵が富山の人っぽいかどうかはちょっと怪しい。少なくとも富山の人は疑問に思っているかもしれない。
室井滋はデビュー作『むかつくぜ!』(マガジンハウス1991)の「ザ・富山」という章で八尾出身の風吹ジュンと語りあった後で、次のように「富山の人っぽい」というのを考察している。
新聞などに載っている調査では、気候、住宅事情、犯罪の少なさ、福祉の充実、食生活、教育などを総合すると、日本で一番住み良い県であるそうだ。住み良いと言われるのは、私とて嬉しいが、いったん県外に出て、少し退(ひ)いて見ると、安定志向が強すぎ、派手なイベント、過激なニュースが無さすぎて、刺激に欠ける所が、この県の印象を薄くしている、ということがよくわかる。(少し余談になるが、たとえば富山県には昔っからソープランドというものが一つもないし、以前、県立高校はすべて修学旅行に行かなかった。何故って、学生間でいろんな非行問題が起こると困るからだ、と聞かされて、当時、皆、頭にきたものだった。現在県立高校が修学旅行をおこなっているか否かは、私は知らない【注:職業科などでは海外も含め、修学旅行が行われている】)
さて、この安定志向が強くなるというのはひとえに、地理的、気候的条件によるところが大だと私は思う。
気候は、四季のうつり変わりがとても鮮明で、そのお蔭で、作物もとても豊富だ。が、冬に限っては、とてつもない量の雪が降る。この雪、北海道のようなサラッとした粉雪と違い、水気を多く含むボタ雪だ。積もり始めると一、二メートルはかるく溜まる。そのうち一階からは出入りできなくなり、二階、三階の窓から出掛けるようになる。このころはもう、町中の人は、自分の家が雪で押しつぶさぬよう、雪下(お)ろしにやっきになっている。プロの雪下ろしの人も町にはいるのだが、ひどい雪になると、この人たちとても、自宅の雪下ろしに追われて人手不足になる。ついには老人も子供も屋根にあがって皆作業する。降り続ける雪空の下、全員必死で頑張るのだが、それは実際、ザルで水をすくっているようなものなのだ。晴れ間がこないと、次第に雪を捨てた道路の方が屋根より高くなってしまう。------このようにしてやがてすべての道路は普通になって町は陸の孤島と化していく。
これだから、富山の人は、家の造作にバカ金をかけ、土蔵を建てて、壺や瓶を買っていろんな物を貯蔵する。夏の間はせっせと働き、来たるべき冬にそなえる。
これじゃまるで、アリとキリギリスじゃないの!! と言われてしまいそうだが、ズバリその通りという気もする。
と、いうことは【風吹ジュンに】富山の人っぽくないと言われてしまう私は、キリギリス……?
いやいや、私とてまじめです。
富山出身のタレント名鑑
- 左幸子(本名・額村幸子=ぬかむらさちこ)=1930年(昭和5年)6月29日生まれ。幼少時代、骨とう店経営の両親に隠れて旅芸人の一座を追い、芸の道にあこがれた。体育教師になる名目で上京、故杉村春子さんの舞台を見て感動し「日本の女を演じたい」と決めた。47年高校卒業と同時に上京し、東京女子体育専門学校(現東京女子体育大)に入学。卒業後、都立高で体育・音楽教師をする一方で、芸能事務所に所属。映画以外の代表作は、舞台『人間の条件』(58年)『広島の女』(84年)、NHK朝ドラ『北の家族』(73)など。52年に新東宝『若き日のあやまち』でデビューし、次々と映画に出演した。夫の羽仁進監督(73)作品で自我に目覚める主婦を演じた『彼女と彼』と名作『にっぽん昆虫記』で、ベルリン国際映画祭主演女優賞を獲得した。『にっぽん昆虫記』での左の起用は映画会社が反対したが、今村昌平監督が、越中女の我の強さにほれ込み押しきった。自分の生き方を貫くたくましい女を熱演し、期待にこたえた。娼婦役の『飢餓海峡』などでも数々の賞を得て、生涯「日本の女」を演じ続けた。羽仁進・左幸子『ゼロ歳の記録』(朝日新聞社1965)などがあるが、1人娘未央さん(エッセイスト)の教育問題をめぐり、17年間の結婚生活で離婚。羽仁進は後に左幸子の妹喜美子さんと再婚。1991年死去。女を演じ女として苦悩した人生は、映画以上の物語だった。
- 左時枝(本名)=左幸子の妹。『左時枝油絵展』(朝日町立ふるさと美術…2000?)や講演『花と芝居と私』(富山市民大学叢書)など。『釣りバカ日誌13』で小澤征悦の母親役で登場。
- 久世光彦(くぜ・てるひこ=本名)=演出家、作詞家、小説家。「テレビも文学も舞台も真剣な遊び。牛若丸みたいにここと思えばまたあちらと遊ぶのが好きでね」と語っていたようにみゃーらくもんの典型。久世は両親が富山市出身で、兄は前参院議員の久世公堯。富山へは終戦直前の1945年7月に東京から縁故疎開し、富山高校を卒業するまで9年近くを過ごした。東京大文学部美術史学科を卒業し、60年に現TBSに入社。「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などの演出がある。香西かおりが1993年にレコード大賞を受賞した「無言坂」は市川睦月で作詞しているが、香西は富山出身の作曲家・聖川湧に師事していた。「無言坂」は「帰りたい、帰れない」のさびが有名だ。この歌詞の原風景に、久世が少年時代を過ごした富山があるという。親兄弟が眠る八ヶ山墓地から、通っていた中学のある五艘へ向かう長く曲がりくねった坂を思い描いていたのだ。『わが心に歌えば』によれば「この人にだけはかなわない」と秘かに「師事」したのが映画監督の市川崑だ。「氏の仕事にいつも驚き、暗い嫉妬(しっと)を覚え、力を失いかけたときその作品にほのかな光を見−」と慕った。『おとうと』を久しぶりに見て、日に焼けた障子の白の哀しさ、はたきの緋色の美しさに気付き、「私の師匠ほど、日本の家屋を情緒的にも幾何学的にも美しく撮った人を知らない」と書いている。ラストシーンは死亡した弟の病室に向かう姉の姿を写す。「画面はほとんど唐突に、一切の余韻を拒否するようにフェードアウトする。その溶暗の一瞬が、生と死の境である」。
- 梅津栄(本名)=渋い脇役として知られるが、最近では書家としても有名。朝日町泊生まれ。富山工業高校を卒業後、紡績工場に勤め、アマチュア劇団「泊演研」を経て上京して舞台芸術学院で学ぶ。『雲ながるる果てに』で初演、『米』『三匹の侍』『与太郎戦記』『復習するは我にあり』など。『釣りバカ日誌13』でトロッコ電車の中で出会う釣り名人(『イワナは何もいわない』の作者!)として登場。書家としても活躍。
- 野際陽子(本名)=女子アナのルーツのような人。『脱いでみようか』(扶桑社1996)では3歳近くまで富山市にいたことなどが出てくる(父は京大出身の県電気局のエリート技師だった)。1936年1月24日生まれ。立教大学文学部英米文学科を卒業後、NHKのアナウンサーなどを経て女優。ソルボンヌ大学西洋美術専攻で学んだ秀才!?
- 横山あきお(本名・横山孝信)=1930年9月26日、富山市水橋生まれ。日本大学芸術学部映画学科中退。師匠はコロンビア・トップ、ライト。青空はるお・あきおのコンビで出るが、後に一人立ち。富山の放送局ではよく出ていた時代があったが、そのうち、志の輔に取って代わり、志の輔が有名になって出られなくなると三遊亭良楽に代わった。『新幹線大爆破』、『天平の甍』、『楢山節考』、『タンポポ』、『ゲンセンカン主人』などでどちらかというと風貌を活かしたアジア系無国籍キャラが多い。
- 黒部進=富山にはウルトラマン(本名・吉本隆志/吉本多香美の父)もいる。黒部市生まれ。中央大学経済学部を卒業し、初代ハヤタ隊員を演じる。『ハヤタとして、父として』(扶桑社1998)の他に料理の本もある。
- 長谷川哲夫(本名)=入善町生まれ。俳優座養成所を経て『花の不死鳥』などに出演。
- 風吹ジュン(本名・神保美津子)=八尾生まれ、高岡育ち。小学校の頃、京都に移ったという。『男はつらいよ・寅次郎の青春』(第45作 )のマドンナ。竹中直人の初監督・主演の『無能の人』、『釣りバカ日誌9』など。デビッド・ハミルトン『風吹ジュン写真集―絹の風』(集英社1982)。
- 立川志の輔(本名・竹内照雄)=新湊市出身、新湊高校、明治大学。高校の同級生と結婚。サラリーマンを辞めて立川談志門下に入る。『笑われる理由』(祥伝社)など。オムニバス映画『東京★ざんす』や『釣りバカ日誌13』ではタクシーの運転手役で登場。『歓喜の歌』の原作となる落語を作った。国体の時に昭和天皇が放生津(ほうじょうづ)幼稚園を訪れたことがあって、その写真では志の輔だけがカメラ目線になっていた。
- 柳家さん生=1957年3月7日生まれ。75年、富山東高校卒業、77年、日本大学芸術学部放送学科中退、柳家小満んに入門。前座名・小勇。82年、二つ目昇進。93年、真打昇進。小勇改め、さん生 。
- 三遊亭良楽=富山市出身。富山高校、富山大学と進んだ。三遊亭円楽の弟子となり、真打ち。
- 桂米二郎=名・宇都野 勝彦。1965年年5月31日生まれ。90年12月 桂米丸に入門。前座名・うの丸。95年2月 二ツ目に昇進、米二郎に改名。2004年に真打ち「桂 米福」師匠になった。
- 藤沢姉弟(きょうだい)=新湊出身。姉のさなえは保育士をしながら福祉の勉強と自分の考えを高めようと大学に通っている。弟の裕一は高校卒業後、吉本興業のお笑いタレントを育てる学校を出てプロを目指していたが、故郷に帰って姉と2000年7月コンビ結成。1年間の活動休止後、2001年7月より本格始動。お笑いでは珍しい実の姉と弟のコンビ。
- 中村明美=NHK朝の連続テレビ小説『まんさくの花』主演。
- 加納みゆき(本名・田中みゆき)=氷見市生まれ。津田塾大学在学中にミス映画村の準ミスに選ばれ、『大奥絵巻』でデビュー。NHK朝ドラ『都の風』主演(宝塚在籍中の黒木瞳も出ていた)。
- 柴田理恵(本名)=ワハハ本舗で有名。八尾町生まれ、八尾高校出身で故郷も大切にするが、風の盆とはイメージが違う!?『よい子はマネしないでネ』(東京新聞出版局1999)など。
- 室井滋(本名)=滑川市出身、魚津高校。早稲田大学社会科学部在学中から『パン屋再襲撃』『100%の女のコ』(2作品とも村上春樹)『シャッフル』など自主映画に多く出演した後、大森一樹『風の歌を聴け』でデビュー。『トットチャンネル』では笠置シヅ子役、『釣りバカ日誌8』では女医役。「踊る大捜査線」の室井慎次(柳葉敏郎が演じた)の名前の由来となった。『むかつくぜ!』(文芸春秋1991)を初めとして著書多数でエッセイストとしての地位を確立している。『きときとの魚』は富山の方言「きときと」(新鮮な)を全国に広めた名著。村上春樹の『風の歌を聴け』の映画で次の女子大生を演じた。「三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づかれず、まるまる二週間風に吹かれてぶら下がっていた。今では日が暮れると誰もその林には近づかない」。
- 瀬尾智美=富山市生まれ。富山南高校を卒業後、三宅裕司の劇団スーパーエキセントリックに入団し、『ぼく東奇譚』や『午後の遺言状』など。
- 岩倉高子=作家・岩倉政治の娘で富山市生まれ。青年座の舞台女優だが、『千曲川絶唱』『螢川』や『釣りバカ日誌8』では室井滋の母親として出演。
- 西村雅彦(本名)=1960年12月12日生まれ。富山市立西田地方小学校、市立南部中学校、県立富山商業高校を経て東洋大学へ入学。しかし、半年で富山に戻り、写真の専門学校(富山美術工芸専門学校写真科)に通う。そこで芝居の面白さに目覚め、「アクターギルド」という地元の劇団に入団。その後、24歳で再び上京し、劇団「文化座」に入団。27歳の時、「地人会」の舞台に客演、日芸出身の大木玉樹と出会う。彼の紹介で三谷幸喜と出会い、1987年、東京サンシャインボーズ『まさかり先生の愛と冒険』に「アイアンドーフ」という鋼鉄の豆腐怪人の役でデビュー。以降、同劇団のすべての舞台に立つ。ドラマ『古畑任三郎』や映画『ラヂオの時間』などで大活躍している。著作に『僕のこと、好きですか』(小学館/1998)など。
- 沢樹舞=魚津市出身、魚津高校。モデルとしての12年のキャリアを経て、『3センチのコンプレックス』という本もあり、現在は執筆活動を中心に、パーソナリティ、ワイン講師。
- 早勢美里(本名・神戸美里)=映画は『風の又三郎 ガラスのマント』(朝日新聞社、東急エージェンシー、日本ヘラルド映画グループ1989)、『ひめゆりの塔』(東宝映画1995)、『ありがとう』(フジテレビジョン、ポニーキャニオン、東北新社1996)、『宮澤賢治−その愛−』(1996など。
- 高原兄(けい)=高原弟がいるかどうか知らないが、元アラジンのボーカリストで「一発屋」として有名。高原茂仁としてデビュー。1980年、第12回世界歌謡音楽祭にて「完全無欠のロックンローラー」でグランプリ受賞。その後、ソロ活動をはじめ、テレビ番組においてその柔軟なキャラクターとミュージシャンとしての才能を発揮する。2002年にお父さんの家業を継ぐために富山に戻る。その後、ローカルタレントをしていたが、「羞恥心」でブレイク。バラエティー番組「クイズ!ヘキサゴンII」(フジテレビ系)で、珍回答を連発するつるの剛士、野久保直樹、上地雄輔の三人組が歌う。「イケメンのおバカキャラ」として人気で、司会の紳助がトリオ名を付けた。曲は紳助が作詞し、長年親しくする高原に作曲を依頼して、発売後大ヒット。平成の天皇の皇太子時代の結婚式の日に生まれた。
- 伊藤敏博=新潟県親不知生まれ。第21回ポプコンつま恋本選大会(昭和56年5月10日)で「サヨナラ模様」でグランプリを獲得。日本フォノグラムよりデビュー。70万枚のヒットとなる。JR(当時は国鉄)のローカル線の車掌として富山に住みながらシンガーソングライターとして活躍。国鉄民営化に伴い退社、コンサート活動及び創作活動をメインに、地元北日本放送のDJをはじめ数多くのテレビ、ラジオに出演。また、彼の水彩画や随筆が雑誌で紹介され、多方面にそのキャラクターが発揮されている。鬱になったこともカミングアウトしている。
- 聖川湧(ひじりかわ・ゆう)=新湊市出身。1970年に作曲家としてデビュー。香西かおり(「雨酒場」のB面が「新湊慕情」だった)ら多くの歌手を育てた。2002年には「はぐれコキリコ」が日本レコード大賞作曲賞に輝く。これは五箇山の叙情を歌い込んだ曲(作詞・もず唱平)で、聖川が歌手の成世昌平のために書き下ろし、1999年11月の発売以来、3年をかけ20万枚を超えるヒットとなった。
- 石橋冠=演出家で、元日本テレビプロデューサー。奥さんが新湊出身。主人公の心情に深いリアリティを与えた「ラブ・レター」(テレビ東京)は石橋の演出姿勢を最も顕著に具現させた秀作。
- 高野悦子(たかの・えつこ)=『二十歳の原点』の高野悦子と同姓同名だが、こちらは岩波ホール支配人。父の與作(よさく)は黒部市、母の柳(りゅう)は福岡町出身で「わたしには百パーセント富山県の血が流れている」。1929年旧満洲の大石橋で生まれた。父が満鉄のエンジニアで大連、撫順、奉天(現・瀋陽)、ハルビン、また大連と移り住んだ。敗戦の年の5月、父の郷里の富山県に疎開し、県立魚津高等女学校の四年生に編入した。1951年日本女子大学社会福祉学科卒業。1961年パリ高等映画学院監督科卒業。1968年岩波ホール創立と同時に総支配人に就任。1985年より東京国際映画祭・国際女性映画週間ゼネラルプロデューサーを務める。1997年国立フィルムセンター初代名誉館長に就任。
- ロバートソン黎子(れいこ)=国際ジャーナリスト。1932年、高岡市能町生まれ。高岡高校を出てから東京外大英米学科を経て、早稲田大学第一政経学部卒業。毎日新聞社に入社。翌年、フルブライト留学生としてヴァージニア大学大学院に留学。帰国後、毎日新聞社外信部記者として活躍する。61年、留学中に知り合った医学者トーマス・ロバートソン博士と結婚し渡米。子育てをしながら日本の雑誌等に数多く寄稿。『ブロードキャスター』(TBS)『ウェークアップ』(日テレ系)等のゲストコメンテーター。著書に『もしもしハロー』『ハンサム・ウイメン』『日米の新聞記事よみくらべ』など。
- 鷹西美佳(たかにし・みか)=日本テレビアナウンサー。砺波市出身。東京女子大学卒業。
- 松井康真(まつい・やすまさ)=東砺波郡生まれ。小学校4年の時にオセロゲーム富山県3位。富山県立高岡高校から東京工業大学を出て1986年4月1日にテレビ朝日アナウンサー。
- 山辺千恵里(やまべ・ちえり)=「世界ふしぎ発見」のミステリーハンター(2003年1月から)。1979年12月3日生まれ。青山学院大学文学部英米文学科。通産省の役人だった山辺美嗣の子どもで、小学校時代をニューヨークで過ごし、学生時代はラジオ日本「JAZZ TIME’01」にてパーソナリティーをつとめる。趣味はクラシックバレエ、特技はクラリネット、ピアノ、スティールドラム、スキーなど多彩。現在凝っているレコード収集は「ジャケットのデザインで決めてます!」。父は県議になった。
- 馳浩(はせ・ひろし)=1961年、小矢部市出身だが金沢市育ち。専修大学時代はレスリング部で活躍。83年、全日本学生選手権優勝。84年、全日本選手権制覇。同年秋にはロサンゼルス・オリンピックでグレコローマン90kg級に出場。地元・金沢の星稜高校で国語の教師を務めていたが85年8月、ジャパン・プロレスに入団。95年7月には参議院議員選挙に出馬、見事当選。国会議員レスラーとなる。ただし、石川選出の議員である。
- 若林美智子=八尾町の胡弓奏者。東京生まれ。病弱だったため幼少の頃から母方の祖父母の住む八尾で育てられた。個性的で独特な音色で聴く人を唸らせた「越中おわら節」の胡弓の名手、若林久義を祖父に持ち、祖父の演奏を子守唄代わりに聴いて育つ。祖父を師に7歳で三味線を習い始める。胡弓は15歳から同師の指導のもとに学び始めた。16歳で女性初の「越中おわら節」の地方になった。“若林流”と言われる師独特の奏法を受け継ぎ、現在は「越中おわら節」を中心に後進の指導にも携わっている。01年10月、後藤剛史(竹笛)大國徹(バンドネオン)等と「亜人亜」(ありあ)というグループを結成。胡弓という楽器の可能性と表現の幅を開拓し続けており、オリジナル曲作りにも積極的に取り組んでいる。デビューアルバム「哀の調べ〜風の盆の里より」がオリコンアルバムチャートの03年9月15日付で38位にランクインした。ちょうど、NHKスタジオパークに出演した直後だった。CDには「越中おわら節」のほか「ダニー・ボーイ」「アメイジング・グレイス」など洋楽も収録。哀調を帯びた胡弓にバンドネオンや竹笛、キーボードも加わり新鮮なサウンドを紡ぎ出している。二胡や琵琶を使った中国人女性12人による「女子十二楽坊」のアルバムの大ヒットと相乗効果を出していた。
- 沢田美紀=入善町八幡出身のポップス歌手(本名・尾田美由紀)。2004年にデビュー曲「風のことづて」が全国で販売される。アジアンテイストのポップスで、沢田さんは「平和を願うメッセージ性が強い曲。これからもメッセージのある曲を歌っていきたい」と抱負を語った。沢田さんは会社勤めをしていた1996年に黒部市国際文化センター・コラーレで開かれたNHKのど自慢県大会でチャンピオンに輝き、97年七月に歌手を目指して上京。ボイストレーニングなど歌手修業しながら、99年に日本作曲家協会主催の「第一回新人歌手オーディション」でグランプリを受賞した。
- 森大衛(もり・だいえい)=書家。2003年に「笑っていいとも!」に出演して人気を得る。梅津栄もそうだが、どうして書家が持てはやされる?
- 葉里真央(はさと・まお)=自称「秋葉系アイドル」。
- 坂東眞理子(ばんどうまりこ)=官僚だが、ベストセラーを書いたのでタレント扱い。1946年立山町生まれ、東京大学卒業。69年総理府入省、埼玉県副知事(後に知事選で落選)。98年女性初総領事。昭和女子大学学長。2007年に『女性の品格』(タイトルは藤原正彦『国家の品格』のパクリ)。本人がテレビで話しているのを聞いたが、あまり品格を感じなかった。ここに書かれたことを真に受けて実行する女性に品格が生まれるとも思えないし、まして高級官僚として活躍できるようには思えない。上野千鶴子が生まれた富山としては恥さらしな本である。みんなにプレゼントして顰蹙を買っているというジョークも生まれた。
- 山田辰夫=富山市出身。滝田洋二郎監督と高岡商業高校で同級生。1975年、劇団「GAYA」の創立メンバーとして活動中の1980年、石井聰亙監督の『狂い咲きサンダーロード』に主演し、スクリーンデビュー。この作品で日本アカデミー賞・報知映画賞・ヨコハマ映画祭の各新人賞を受賞。また、続く1984年の『すかんぴんウォーク』(大森一樹監督)で大阪映画祭最優秀助演男優賞。『植村直己物語』『横浜BJブルース』『オン・ザ・ロード』『凶弾』、若松節朗監督『ホワイトアウト』、滝田洋二郎監督『壬生義士伝』、同じく『陰陽師』、大林宣彦監督『理由』など。滝田の『おくりびと』にも出たが、2009年にガンで亡くなる。
富山県から宝塚に入った女性は少ないが、こちらも最近では増えた。鳴海じゅんが京都出身だがお父さんが富山大学勤務で少し関係(?)があり、青葉みちるが(86期)にいて、00年には長谷川万葉がデビューし、杉原枝里子が音楽学校に入った。01年には富山市堀川小泉町の植野あみ(富山女子高校2年)=芸名・愛紗もも=と同市中川原の赤根那奈(富山第一高校2年)=芸名・夢咲ねね=が入学して卒業した。
最近増えている富山出身のタレントにはある共通点が見つけられる。
・ 主流ではないが、光る個性?
・ 演技派?舞台出身?
・ 演じる役柄の特質―少し変わった性格の脇役・変わった職業の役
・ 演技力があるというイメージ(実際にあると思うのだが…)
これを県民性と重ねると次のようになる。
・ 手堅い演技→堅実な県民性
・ 庶民的な役柄→現実的な県民性
・ 意外と思い切ったところがある→いきなり家や結婚式に大金を使う太っ腹
つまり、富山の県民性は次世代をになう県民性だといえる!?
富山出身のタレントが主役・準主役を演じるこの頃
室井滋→映画『のど自慢』(売れない演歌歌手というひねくれた役どころ)『OUT』(予定)
西村雅彦→民放のサスペンス主役
野際陽子→ドラマには欠かせない姑・母親役タレントではないが、鹿島アントラーズの柳沢敦は富山県出身である。彼はフォワードなのにアシストが多いのが役どころなのである。つまり、脇役をしながら、ゴールも狙える、という富山県民らしさがいっぱいのプレーヤーなのである。
こうして、不況の世の中、手堅い演技と肝の据わった富山出身のタレントの活躍は続く。
富山県民の性質は次世代を担う県民性なのでは、なーんちゃって。
□ 僕がこうして、みゃーらくもんにこだわるのは自分がみゃーらくもんだからだろう。
※NHK富山の「金川欣二のなんでもカルチャー」2002年6月26日に放送したものの予稿である。
色々なアドバイスをいただいたディレクターの村山さんに感謝します。
なお、『プロジェクトX』の国井雅比古アナウンサーを始め、富山放送局出身で中央で活躍しているアナウンサーが非常に多いことを付け加えておく。本当に多いのだ。