金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)

笑説 越中語大辞典



●しあさって

 僕らは明明後日のことを「しあさって」というが、堀井令以知『ことばの由来』(岩波新書)には次のように書いてある。

 東京中央部や西日本では明明後日はシアサッテである。今日・明日・明後日と数えて四番目の日に当たるから「四アサッテ」と呼ぶ。沖縄ではしあさってのことをユッカ(四日)というところがある。富山・岐阜・三重ではサーサッテ・ササッテというが、これはサアサッテから来ている。「サ」は「さ来年」「さ来週」のサと同じく「次の」を意味する。漢字では「再来週」などと書くが、再は当て字である。

●シーサイドライン

 富山湾に沿って、雨晴海岸から氷見、七尾そして能登半島へと伸びる国道160号線は立山・能登シーサイドラインと呼ばれている。晴れた日には海の上に立山連峰が浮かんで見えるという日本でも非常に珍しい景色が眺められる。イカ釣りの漁り火が見える頃もきれいだ。

●じーま

 「おじいちゃん」。反対「ばーま」。例:「じーまだもんで、なーん聞こえん」。

●塩イカ

 スルメなのだが、一夜干しの方を「塩イカ」という。普通のスルメは「干イカ」(ひいか)というが、富山では圧倒的に「塩イカ」が多い。小さい頃、「スルメが食べたい」といって、「干イカ」を買って来られたときはショックだった。

●しおからい

 「塩辛い」をどう言うか?富山大学の中井精一の調査では概ね次のとおりである。

県西部

富山市

県東部
くどい
からい
しょっぱい(加賀の影響あり)
しおからい
しおっからい
しょっからい
しょからい
しおからい

 県内で分布が面白い語の一つ。下新川では「しょっぱい」とも言い、中新川では「からい」とも言い、富山市近在では「しょっからい」と言い、砺波では「くどい」(味の濃さと塩辛いと区別する)とも言い、氷見では「からい」とも言う。

 「しょっからい」は、食生活には大切な語である。しかし、日本の東部は「しょっぱい」、西部は「からい」で代表される。富山県はその中間に位置して、その二つの語を混交させたような「しょっからい」と北陸共通の「くどい」が用いられる。

●塩ブリ

 塩ザケのように、鰤も塩漬けにする。鰤は内臓を取り除いて水洗いして、全体に塩が浸透するまで2日間貯蔵し、塩水に一昼夜つけた後、冷風乾燥機にかけ、さらに、冷蔵庫に入れて身を引き締める。魚津市持光寺の「ヨ八魚問屋」がこの加工で有名。塩ブリはかつて富山、飛騨、信州を結ぶ「ブリ街道」のルートで富山から飛騨、信州に運ばれた。

●しかえる

 「取り替える」。例:「今ちょこし、服ぅ、しかえてから来っちゃ」(今ちょっと、服を着替えてから来ます)。

●しかたもこかたも

 「どうにもこうにも」。

●〜時間

 県内のどの街でも「〜時間」といって会議の始まりの遅れることを自虐的にいう。言ってる割にはちっとも改善されない。

●じき

 「すぐに」。例:「胆石け?じき、治っちゃ」(胆石ですか?すぐに治りますよ)。

●自校

 自分の学校ではなくて「自動車学校」。富山では「教習所」がなくて「学校」なので、みんな「じこう」という。沖縄で「自練」という人がいた。

●地サイダー

 宇奈月町商工会青年部のメンバーらでつくる「うなづき商店」が作っている黒部川扇状地の伏流水を使った名水サイダー「黒部の泡水(あわみず)」がある。

●自殺率

 住みやすい県ナンバーワンの富山県は2005年の統計で自殺率全国ワースト5位。全国1位は11年連続で秋田県だ。地理的要因を指摘する声もある。雪が多く日照時間が短いと、うつ的な気分になりやすい。フィンランドは自殺率が世界一で、同じ環境にある。農村地域の高齢者の自殺が目立つ。多世代同居で世代間の心の交流の問題に悩む例が多いようだ。県民性である「まじめさ」も要因である。教育面でも良い県立高校、良い大学へ進学をすることが「良し」とされることが多い。「遊ぶ」ことが不得手である。

●獅子舞

 日本一多いともいわれるが百足(むかで)獅子と二人立(ふたりだち)獅子と二種類ある。氷見や砺波や射水、新湊が百足獅子で獅子の胴幕の中に何人も入る。二人立は金蔵、下新川などである。北海道の丘珠や富良野などにも伝わっている。佐伯安一の分類は次のよう。

百足獅子 1 氷見獅子 純型
伝播型
2 砺波獅子 砺波型
加賀型
3 射水獅子
二人立ち獅子 4 金蔵獅子 一頭型
二頭型
5 下新川獅子 下新川型
東境型

 新湊ではキリコと呼ばれる稚児が舞う。獅子頭は昔に比べて軽くなったとはいえ、重い。年を取るとみんな胴幕に入りたがり、やっとの思いで舞う。これを“どうまく硬化”という。

 北海道に富山の獅子舞が伝わっている。『北の生活文化』には次のように書いてある。

 「獅子舞」は「越中獅子」や「さぬき獅子」と呼ばれ、母村の形態がそのまま移住村へ受け継がれた芸能である。北海道の空知、石狩、留萌、上川地方のまつりに広く分布している獅子舞は、富山から移住者がもたらした芸能であり、富山県の呉羽山(くれはやま)を中心に呉西と呉東に分かれるが、呉西の百足獅子と呉東の二人獅子が出身地に従って継承されている。また、母村と移住村の姉妹提携を機に、母村の芸能をあらためて移入する現象も近年盛んである。鳥取県因幡(いなば)地方から伝わった釧路の「きりん獅子舞(第6章を参照)や富山県東砺波郡平村(ひがしとなみぐんたいらむら)から伝承された羽幌町の「筑子(こきりこ)」などがそれである。

●蜆【しじみ】

 越乃潟(放生津潟)は富山新港になるまで蜆の産地だった。『津軽じょんがら節』に出てくる青森の十三湖を見て昔が懐かしかった。作曲家の聖川湧さん(香西かおりの師匠)はうちの近所の出身なのだが、蜆を売って暮らしていたという。中学卒業だけの苦労人で演歌にもしじみしみじみとした様子がうかがえる。江戸川柳に〈納豆と蜆(しじみ)に朝寝おこされる〉というのがあって、納豆売りや蜆売りが家の前を通ったものだった。

●地震

 安政5年(1858年)2月26日未明に「飛越地震」と呼ばれる、跡津川断層の活動によるマグニチュード7.0〜7.1の大地震が飛越地方を襲った。この地震で、立山カルデラは大鳶・小鳶の両山をはじめとして各所で崩壊し、その土砂が 常願寺川の上流をせき止めた。 一般の被害はおよそ100ヶ村に及び、全壊家屋140〜150戸、半壊家屋300〜400戸 と伝えられてる。そのほか、城の石垣や家の壁、土蔵や土塀が崩れるといった 被害や、地割れ、水の噴き出しなども記録されている。

 以来、富山県は大きな地震被害を免れている。地震調査委の推定では、砺波平野断層帯や呉羽山断層帯で2030年までに地震が起きる可能性は0.05-6%、その規模は阪神大震災並みという。石川県の森本・富樫断層帯で発生すれば、砺波平野でも最大震度7の揺れに見舞われるとの予測もある。ちなみに、石川県は有感地震の最も少ない県である。

 2004年に政府は地震が発生した場合の揺れを予測した評価結果をまとめたが、特に県中央部に延びる呉羽山断層帯の場合、富山市から高岡市にかけての広い範囲で、震度6強以上の強い揺れが起こり得るとした。呉羽山断層帯は八尾町から富山湾に達し、長さ22キロ以上。予測される地震の最大規模はマグニチュード7.2程度で、堆積層が厚いため地表での揺れが増幅されるとした。

 呉羽山断層帯は八尾町から富山湾に達し、長さ22キロ以上。予測される地震の最大規模はマグニチュード7.2程度で、堆積層が厚いため地表での揺れが増幅されるとした。

 砺波平野断層帯西部(長さ約26キロ)は高岡市から福光町まで拡がっていて、起こり得る最大の地震はマグニチュード7.2程度で、金沢市など金沢平野の広い範囲で震度6弱、一部では震度6強の強い揺れを予測。

 砺波平野断層帯東部(長さ約30キロ)は砺波市から平村まで拡がっていて、発生が予想される最大の地震はマグニチュード7.3程度で、断層の直上と周辺の一部で震度6弱の揺れがあり得ると結論付けた。

●じぞうはん〜じぞはん

 富山の海岸地帯には地蔵さんがいっぱい並んでいる。村の入り口に置かれていたり、富山市のいたち川周辺では子どもを水害から守るための「川地蔵」が置かれている。

●地蔵はん盆

 「地蔵盆」。夏になると子ども達が中心になって地蔵盆を開く。地蔵堂の前に小屋がけをし、「南無地蔵大菩薩」と書かれたのぼりやちょうちんを掲げる。野菜や果物、お菓子などを供え、坊さんにお経をあげてもらう。どこのお寺や宗派にも属さず、地域で自主的に維持、管理されている。少子化と核家族化が進む中、お地蔵さんを核に子供と地域の絆を守ろうとする「地域力」を知らされる。助成金を各家庭から集め、掃除して、地蔵を甘茶で洗って、お供え物をして、地蔵盆の旗を周りに立て、(富山の多くは)庵主(あんじゅ)はんを呼んで、読経してもらう。終わったらお供え物は自分たちで分けて(全体にお裾分けすることもある)、そのまま、そこに泊まったものだが、今は少なくなっている。「若者宿」みたいな意味合いもあったと思う。もっとも、うちの隣の町内では公民館に泊まった子どもがダイヤルQ2を使いまくり、請求額に住民がたまげた、という事件があった。

 「地蔵の十福」(延命地蔵経〕というのがある。女人泰産、身根具足、除衆病疾、寿命長遠、聡明智慧、財宝盈溢、衆人愛敬、穀米成熟、神明加護、証大菩提である。

 京都でもさかんで、8月23日から地蔵盆が行われる。お地蔵さんは京都市だけでも約5000体もあるそうだ。あちこちの角を曲がれば、提灯が下がり、テントが設置されている。小さい道は通行止めにされ、歩行者天国となる。ここでも主役は子どもたちで、おやつがふんだんに出され、数珠回し、福引に歓声がわく。

 井伏鱒二は「お地蔵さま」という文章で「田舎の私の生家【福山市加茂町粟根】は山の中腹にある。門を出て急勾配の坂みちを降りて行くと、突きあたりの往還の広場に大きな石地蔵がある」といい、「そのお顔をつくづく見てゐると先方は笑ふでもなく笑はぬでもなく細目で私の顔を打ち眺め、貴公も大いに自重したまへと教訓をさづけて下さるかのやうに思はれる」と書き、「もし出来ることなら、私はそのままお地蔵さまの門弟になつて、生涯その傍らに立つてゐたいといふ衝動を感じることもある」と書いている。確かに、鱒二の作品には石地蔵が登場するものが多い。そして、鱒二はお地蔵さんのような風貌になった。

●志鷹【したか】

 立山町芦峅寺に圧倒的に多い名前は「佐伯」であるが、次の多いのは志鷹である。「佐伯」という名前は「サヘギ」で「よくしゃべる連中」という意味を持っていたという。つまり、口承の専門家だったのである(中国では「鴃舌」けつぜつといった)。

●したじ

 「下地」で「出汁」のこと。例:「このしたじぃ、くどぉなってしもうてぇ、飲めんねけ」(この出汁は塩辛くなってしまって飲めないじゃないですか)。

●下の道

 高速自動車道に対して「一般道」。例:「下の道、走ってきたから遅なった」。

●下の茗【したのみょう】温泉

 八尾町下の茗にあった温泉。野口雨情が滞在したこともある。1999年に閉鎖された。

●自堕落【じだらく】

 共通語であるが、富山ではよく使う。例:「あんたぁ、いつまでこんなぁ、自堕落な生活、送っとんがけ?ちゃっと起きられんか」(あなたはいつまでこんなに怠けた生活を送っているのですか?早く起きなさい)。

●七五三

 昔は「七つまでは神の子」といわれ、子供はまだあの世とこの世の間にいて、7歳までは死んでも本葬も営まれぬ存在だったという。子の成長を祝う袴や帯には、子があの世に連れ戻されぬようつなぎとめ、しっかりこの世に居つくよう願う親の切ない祈りがこめられていた。

 県教育委員会が発行した『富山県の風俗』(1968年)の七五三の記述に「全然行わなかった。近年になって都会風をまねた」と書いてあるとおり、富山ではなかった行事である。しかし、70年代以降、少子化と商業主義に走る人々によって当たり前のように行われるようになった。滑川出身の淺井康博監督の『逢いたい』(2003)では菅井きん演じるおばあちゃんが七五三なので「帯解き」を贈ったという手紙のシーンがあって不思議だったが、富山の一部では三歳、または五歳になった孫に母方の祖父母が着物を贈る習慣があったようだ(陶智子「結婚と祝うこころ」『とやま民俗文化誌』シー・エー・ピー)。「いたいこと帯と袴で十二両」という江戸川柳があるが、今も変わらない。

 小矢部市の福町神明宮では「碁盤の儀」という一風変わった儀式を行う。子どもたちが高さ約20センチの碁盤の上から元気よくジャンプして飛び降りるものだ。碁盤のように折り目正しく、力強く育つようにとの祈りが込められているという。

振り袖の丈より長し千歳飴 石塚友二

●市電 

 市電というと富山市の路面電車を指す。2006年に完成のライトレールとどう区別するのか面白い。路面電車が残っているのは16都市だという。その二つが富山と高岡である。久世光彦『薔薇に溺れて』の「死にかけた話」の中に、市電に乗っていて運転士の席の辺りから黄色い火が天上に伝って、電車が火を噴いた話が載っている。昭和十二、三年ごろの話で、久世は地方紙を調べてみたいと思っているという。

●じでんしゃ

 「自転車(じてんしゃ)」を「じでんしゃ」という人がいる。東京にもいると思うけれど…。

●十二貫野サツマイモ

 黒部市の十二貫野台地で生産されるサツマイモの総称。粘土質の肥えた土壌で育てられ、ほくほくとした食感と甘みの強さで知られる。一帯では1960年ほどまで盛んに栽培されていたが、猿害などで作付面積は縮小して農家が自家用に育てるだけになっていた。2004年に生産組合をつくり、特産品として復活させた。

●しちべた〜しりべた

 「お尻」。

●CiC【しっく】

 駅前ビル。City in Cityの省略。

●じっくりぶり

 蓑島良二『日本のまんなか富山弁』によれば、八尾町で採取された方言に「ジックリブリ」という言い方があるそうだ。「晴れそうにもない雨降り」という意味。

●しったるい〜しったるこい〜したるこい

 「湿っぽい」。ちょうど英語のwetに相当して「濡れた」の意味も。「したるこい」は石川県や島根県隠岐島でも、「したるこい」は香川県、高知県、愛媛 県など四国でも用いられる。古語「したるし」は(1)じめじめしている(2)甘ったるい(3)だらだらしてるなどの意味を持ち、(2)や(3)は人の姿や行為を表している。例:「雨ぇ、降ってきてぇ、体、しったるこなった」。

●しっちゃ

 「質屋」。当然、「卸屋」は「おろっしゃ」となる。

●しっちゃばば

 黒部名物の生姜糖。ショウガの汁に砂糖を加えて煮詰めた飴菓子で、黒部では江戸時代に製造が始まった。「しっちゃばば」の愛称は質屋のおばあさんが作っていたのが由来という。今では小俣松月堂だけが生産している。

●しっつける

 「くっつける」。

●しとる

 「している」。例:「2人でなん、しとっがいね」(2人で何をしてるんですか)。

●〜しな

 「〜ぎわ」で「帰りしな」(帰る間際に)などと使う。

●市内電車

 富山市の市内軌道。富山大学から県庁前、富山駅を通って南富山に行く。JR富山港線を路面電車化してつなぐ計画もある。

 2003年現在、全国で路面電車が走っているのは18都市19路線。そのうちの2路線が富山市の市内軌道、高岡市と新湊市を結ぶ万葉線だ。

●しなべる

 「しなびる」。例:「このナス、しなべってしもとるねけ」(このナス、しなびてしまってるじゃないですか)。

●地引き網

 昔は新湊でも氷見でも地引き網が見られたし、僕も手伝ったことがとてもいい思い出だ。江戸の天保か天明年間に始まったとされる。黒部の生地海岸の阿弥陀堂浜で残っていた。毎年1月末から4月上旬にかけて行われる。沖合700メートル、水深150メートルのポイントに船で網を仕掛け、1日に2回引き上げていた。「富山湾の冬の風物詩」として知られていたが、2008年に中止になった。水揚げ高は約200万円で、最盛期だった約15年前の約2千万円の10分の1になっていた。海岸浸食が進んで水際の構造が変わり、作業の安全面の確保が難しくなったほか、網が引っかかりやすくなったことも一因だという。

 1974年に刊行された大田栄太郎『日本の民俗 富山』には春から夏はカレイ、キス、イワシ、秋はカマス、冬はイワシ、コノシロなどと書いてある。氷見の冬の地引き網漁は午後5時ごろからが一番いいという。放生津(現射水市新湊地区)の場合は老人、女子らも引き手となって「歩合は網主三分に網子が七分である」だという。

 今は氷見や黒部で観光用にしか残っていない。

●地ビール

 詳しくは知らないが、宇奈月と氷見に地ビール館がある。地サイダーもある。

●じぶじぶ

 濡れたさま。例:「長靴の中ぁ、じぶじぶになってしもた」(長靴の中がびっしょりと濡れてしまった)。金沢の名物料理に治部煮というのがあるが、これも「じぶじぶ」煮たものだからだ。

●姉妹都市

 

●縞鯛【しまだい】

 シマシマ模様のある鯛。辞書には「イシダイの異名」と書いてあるが、富山湾で獲れるシマダイはイシダイほど人気がないし、大きくもない。カワハギと同様、低級魚扱いになっている。

●シミズ

 フランス語の「シュミーズ」(chemise/下着)で女性用スリップ。

●しみる

 「凍る」で多用。高野豆腐のことを「凍み豆腐」ともいう。例:「明日、道路しみっから危なかろがね」(明日、道路が凍結して危なくなるよね)・「このとっぺ、しみてしもとるねけ」(この豆腐、凍ってしまっているよ)。

●しめし

 「おしめ」。例:「あんたみたいな人がしめししとったら、人にしめしがつかない」。

●注連縄【しめなわ】

 高岡市勝木原(のでわら)の市民グループに「勝木原わら工房」というのがある。正月用のしめ縄作りをする。2005年結成したもので、休耕田を利用して古代米の黒米を栽培し、わらで縄をなう。神棚に付ける一文字で、長さ60センチほどのものだ。しめ縄は神霊を祭る所を示すと同時に邪霊の侵入を防いだり、境界としての役目を果たす。歴史は古く、『古事記』の天照大神の「天岩戸開き」にも出てくる。さらに源流をたどるとヘビの姿を模したものであるともいう。古代人は何度も脱皮を繰り返すヘビを不死の生き物と考え、聖なるものととらえたらしい。

●…しもた〜しもうた

 「…しまった」。例:「来てしもた、見てしもた、勝ってしもた」。

●しもうていく

 「しまっていく」つまり、「身仕舞いをしていく」ことから「死ぬ」。富山方言として好きな言葉である。「仕舞う」ことは「またいする」という。汚いとされる言葉に「ごとむく」「ごすむく」がある。例:「そうけぇ、しもうていかはったけぇ」(そうですか、亡くなられましたか)。

●…しゃ

 「…ことよ」。例:「あの子ぉ、なんちゅー可愛らっしゃ、わしにお菓子くれたがいね」(あの子は本当に可愛い子だ。私にお菓子をくれたよ)。

●しゃかしゃかっと

 「さっさと」。例:「しゃかしゃかっと動いとったからよー見えんだ」(早く動いていたからよく見えなかった)。

●シャクナゲ寺

 シャクナゲの名所として知られる朝日町境の護国寺。護国寺によると、シャクナゲは300株30種類、5月の大型連休中に見頃を迎える。種類によって咲く時期が異なるため、5月中旬頃まで楽しめるという。

●じゃけら

 「目に見えて派手な」。「邪気乱」から。例:「これ、わしにちょっとじゃけらでないけ?」(この服、ちょっと私に派手すぎないですか)。

●しゃごむ

 「しゃがむ」。例:「前、見えんからしゃごんでくだはれ」(前が見えないのでしゃがんで下さい)。

●ジャズ・ワークショップ

 富山市一番町にあった、名門ジャズ喫茶。今は「サムシング」になっている。マスターは榊原義昭さんで渡辺貞夫さんの友人である。ここで和崎洋一富山大学教授を中心とした「西町ロンド」というアフリカの研究会が開かれていた。慶応大教授の西山祐一先生が大学院の言語哲学の講義を始める時、「ワークショップ風でやりましょう」と言っていたのを思い出すが、「作業場」の意味である。もっといえば、従来の大学の講義は「知識の切り売り」だったが、ワークショップは「知識」ではなく「仕事」を売ることになる。

 帝国館の裏の地下には「ニューポート」というジャズ喫茶もあった。映画を観ていると、ジャズの音が漏れてきたが、「ニューポート」というと映画『真夏の夜のジャズ』で有名な場所。

●じゃっくり

 「お手玉」で英語のジャグリングはここから生まれた。『富山県言語動態地図』によれば「へらえご、おはじき、おひとつ、おしとちがい、おじゃみ、おたみ、かなえ、おため・ためと、てまり、とっちん、ちゃく、ひーふ、ひっちょこ、おとしだま」の語形が分布している。ちなみに英語の話はウソ。

●じゃまない

 「差し支えない」「大丈夫」という意味と全く逆に「邪魔だ」「差し障りがある」の意味で使われる。呉東の多くが「差し支えない」の意味で、呉西の多くが「邪魔だ」の意味で使われるが、厳密ではない。ちょうど「適当」が「いいかげんな」と「妥当な」の意味で使われるのに似ていると思う------ごめん、適当なこと言うてしもて。

●出身校

 「出身校はどちら?」と聞かれて大卒であっても高校名をあげるのは富山県人の特徴。ジェームズ・三木の『翼をください』世界が広がっていて、高校がどこかで人間性が判断される。僕が一番苦手なのは、僕が少し賢いことが分かると「あんた、中部け?」と聞いてくる中部のOBと無関係の人が多いことで、「いいえ、新高です」というと何故か寂しい顔をされる。

●しゃっぽ

 「帽子」。フランス語の「シャポー」(chapeau)から取ったハイカラな名前。方言ではない。

●射北中学【しゃほくちゅうがく】

 僕の母校。元々はJRC活動で有名だった。新体操で全国優勝したこともある。新湊市にあるが「射水郡北部」中学の略で昔の名前で出ています。

●ジャポニカ学習帳

 小学生がよく使うノート。名前は小学館の百科事典である『ジャポニカ』からとっている。これを売っているショウワノートは本社が高岡市。

●じゃまくらしい

 「邪魔な」。

●じゃまない

 呉西では「(じゃまにならない)差し支えない」。“No problem!”だが、呉東(地域は限定的だと思う)では「邪魔だ」の意味になるから誤解を生みやすい方言。例:「遊びに行ってもいいけ?」「じゃまないちゃ」/「ここに置くとじゃまないやろ」。

●じゃまないけ?

 「じゃまない」の疑問形だが、よく使われる。例:「ここに置かせてもろうといてもじゃまないけ」。「今、しゃべっとっても邪魔ないけ?」(今、話していても差し支えありませんか)「なーん、じゃまないちゃ」。

●しゃもじ

 「杓子(しゃくし)」の文字言葉(髪→かもじ)。「はんがい」という人もいる。

●…しゃる

 「…しておられる」。例:「ちゃんと勉強してっしゃっねけ」(ちゃんと勉強しておられるよね)。

●しゃわ

 「娑婆」で「世間」。

●しゃん

 「そうなのだ」の意味で僕は使わないが東部で使う。フランス人は“chien”(犬)だと思って焦る!?

●じゃんとこい

 富山の民謡「麦屋節」の冒頭。この踊りのダイナミックな動きやいきいきした表情がとてもいい。

●じゃんへんへーのはっさんし

 じゃんけんの呼び方で篠崎晃一+毎日新聞社『出身地がわかる!気づかない方言』(毎日新聞社)によれば、富山で「じゃんへんへーのはっさんし」だと紹介されているが聞いたことはない。

●自遊館

 富山駅北にある会館。「自由館」ではなく、日本語にはない「自遊館」とするのは言葉を自遊に自由に弄んでいると批判があった。僕自身も『007危機一発』とするような弄び方が大嫌いである。

●修学旅行

 富山県に関する質問コーナーを設けます、なんてテレビがやると必ず出てくるのが「富山県の高校にはどうして修学旅行がないのですか?」という質問だ。高校でないのは3県だけだという噂も流れてくる。

 答は進学校で進学の邪魔になるし、管理が大変だからというものだろうが、県立でも職業科や私立高校で行われている旅行がどうしてできないか、大きな疑問である。

 子どもが中学の修学旅行へ行った。広島へ行って原爆被害者の話を聞いて大阪に戻り、2日目はグループ行動、3日目にUSJを見て帰ってきた。びっくりしたのは前日に荷物を持っていったのだが、そのままホテルに送られ、帰りも直接送られてきたのである。

●俊寛

 小矢部市の宮島峡には俊寛配流の伝説がある。子撫川ダムから更に4キロほど上った所にある林間休養施設には俊寛の塚もある。瀧之社にある「俊寛杉」も言い伝えでは彼が差した杉箸だという。東北に弁慶伝説が多いのと似ている。

●しょう

 「精」で「質」のこと。例:「このきもん、高いけどしょうがいいからやちゃ」(この着物は高いけれど質が高いからですよ)。

●常会【じょうかい】

 町の「自治会」と「その会議」。(「定会」とも書いて)定期的に開かれる会合、定例の会を表す共通語だが、富山ではよく使う。例:「わし、常会の世話、しとんもんやから、忙してならんがいちゃ、こっで失礼すっちゃ、かんね」(私は自治会の世話をしているので、大変忙しいのです。だから、これで失礼します。ごめんなさい)。

●庄川峡長崎温泉

 2004年秋の台風23号の被害で温泉の供給が途絶えていた利賀村長崎の新大牧温泉が2006年、新たに掘削した源泉を使って再出発した。新大牧温泉は旅館、民宿6軒で構成。これまで庄川上流約4キロの大牧温泉から温泉を引いて営業していた。温泉再生に立ち上がったのは、北原荘、利賀乃家、おかべ、ながさき家、茂兵衛の5軒。

●庄川町

 「平成の大合併」で2004年に新・砺波市に合併した。

●庄川木工

 庄川挽物木地(漆器木地)のはじまりは、慶応年間に始まる。挽物木地は、主にケヤキ・トチ、最近ではクワ・エンジュなども素材とし、拭き漆をほどこしたり磨きをかけたりしながら、美しい木目を生かし、木のあたたか味を大切にした茶盆、茶托、椀などが生産されている。また磨きをかけないシラ木地は、北陸地方を中心とした全国の漆器産地に供給し、シェア・品質ともに日本一といわれている。1978年には“伝統的工芸材料”の指定を受けた。

●庄川流木事件(庄川ダム争議)

 田中康夫長野県知事の脱ダム宣言よりもずっと前にダムの廃止を訴えた人々がいた。庄川の小牧ダム建設にあたって林業をしていた人々は木材の流木ができなくなることから1925年(大正15年)に行政訴訟を起こした。中心になったのが、飛州木材専務の平野増吉だった。紆余曲折を経て7年間の抗争は木材側の敗訴に終わる。これは多くの小説で描かれ、三島由紀夫の短編『山の魂』(制作ノートから分かるが、平野増吉は桑原隆吉、綿貫民輔の祖父の綿貫榮が飛田として登場)、高見順のルポのような短編『流木』で扱われている。富山出身の山田和が「忘却の河」として連載した『瀑流』(文藝春秋)では平野増吉は岡野平吉、電力会社の浅野総一郎は佐野利一郎として登場。源氏鶏太にも『青春の旅』があり、山田智彦『湖の墓』(角川文庫)にも間接的に出てくる。

 日本三大急流の一つと云はれる庄川は、両岸が切り立って、川底は薬研状(やげんじょう)をしてゐる。舟底のやうな形で、これが流木に適してゐる。たとへば撫(ぶな)、欅(けやき)、栃(とち)、などの闘葉樹の材木は、水を含むと、石のやうに重くなつて沈み、筏に組めないから、一本流しにするほかはない。庄川のやうに薬研状の急流であると、一本流しの流木が沈んでも、川底をころがって、下流まで行くのである。この流木のことを木呂(ころ)といふ。富山県を北へ流れる庄川の下流には川倉があった。流れの中に設けられ川倉が水だけ流して、木呂を漉し取ると、漉し取られた木呂は、誘導水路をひしめき流れて、貯木場にたまるのであった。
     -----三島由紀夫『山の魂』

 なお、闊葉樹(かつようじゅ)というのは「広葉樹」の古い言い方。

●松月【しょうげつ】

 岩瀬にある老舗料亭。白えび料理で有名。向笠千恵子『日本の食材おいしい旅』(集英社新書)に「富山湾の夏の幸・白えびの福だんご」という章があり、岩瀬の松月が紹介されている。

…北前船がまだ盛んだった明治末の創業で、当時は廻船問屋の旦那衆のゲストハウスだったという。富山県随一の大階段、百名が収まる豪勢な大広間。往時の繁盛ぶりを伝える道具立てが揃い、それが古びつつも使用されている様子は、まさしく生きた博物館。【…】

 それを一新したのがここの三代目。一人前に七十匹も使う刺身を考案し、身をたたいて魚ぞうめんに仕立て、きわめつけとして、一人前につき二百匹を用いる福だんごという名物を編み出してしまった。途方もない量の殻むきが伴う割には、どちらも見た目には派手さやけれんみと縁遠い。食べて初めてわかる滋味なのである。

●小京都

 金沢も小京都と呼ばれるが、富山では城端である。福井では越前大野。

●勝興寺【しょうこうじ】

 雲龍山勝興寺。高岡伏木古国府にある浄土真宗の寺で「ふるこはん」として親しまれている。寺伝によれば、文明3年(1471年)、本願寺8世、蓮如上人が砺波郡蟹谷庄土山(現在の福光町土山)に草堂(土山御坊)を建て、次男蓮乗を住職として越中布教の拠点としたのが始まり。当時、承久の乱で佐渡に流された順徳上皇の皇子信念が開いた殊勝誓願興行寺が衰微して廃絶寸前だった。土山御坊はこの寺の跡目を継ぎ、勝興寺の名を持つことになった。本堂が寛政7年(1795年)に完成したということ(修復で古い軒先の板からこの年号が書かれた墨書が見つかった)、本堂を作った棟梁の名前「御大工 瀧川喜右ヱ門正(御大工瀧川喜右衛門正で氷見の宮大工)」ということ、修復前は本堂の屋根は黒い瓦で覆われていたが、これは明治の改修によるもので、それ以前は鉛の板だったことがわかったのも大きな発見だ。文化財復元の原則からは同じ鉛板にすべきだが、環境に有害なことから一番色合いが近い亜鉛合金を使った。床下から黒の漆塗りの部材も見つかった。天井の枠で、桟と桟の間の規格が現在のものより2割小さい。改築ごとに大きく派手になっていった過程が推測されるという。「勝興寺の七不思議」のうち、屋根を支えるのが猿ではなく「天の邪鬼」だということも分かった。

「勝興寺の七不思議」は次の通り。

(1)実のらずの銀杏…樹齢300年を超えるいちょうの木は昔は良く実がついていたがある時から実をつけなくなった。
(2)天から降った石…昔国分の浜にあって、夜になるといやな声でなくように聞こえるために不気味に思われ、寺に運ばれたという石で叩くと不思議な音がする。隕石だと一般に言われるが、サヌカイトだとされる。
(3)水のかれない池…経堂の屋根の下に龍がいて、夜になると龍が雲を呼んで雨を降らせるので水が年中涸れないという。
(4)屋根を支える猿…本堂の屋根の四隅にあり、屋根を支えているように見える。4つのうち、本堂に向かって右側の猿は、左腕がないため、右手と頭で屋根を支えていて苦しそうな顔をしている。修理で廻しを締めていることが分かった。
(5)魔除けの柱…本堂にある白木の柱はけやきが使われているが、一本だけが桜を使っている(完全なものはよくないといわれるため、わざと完全にしないで未来への発展を願ったもので吉田兼好の『徒然草』の第八十二段「うすものの表紙は」で触れている部分がある。また、日光東照宮の柱にも逆柱といいって模様が逆になっている柱がある)
(6)雲龍の硯…蓮如上人愛用の硯で、自然に水が出てくるという不思議な硯。
(7)三葉の松…普通の松の葉は2枚だが、3枚ついているという不思議な松。至心・信楽・欲生をあらわしているという。

 2003年末のNHK「いく年くる年」で勝興寺からの中継が全国放送された。

 2006年には本堂改修前に使われていた「デカローソク」2組が復活した。御正忌(ごしょうき)報恩講で点火する。デカローソクは高さ約一・八メートルで、台座を含めると約三メートルになり、安全に配慮して下部が木製となっている。ろうそくは同市旅籠町のろうそく店「槻橋屋」の槻尾実さんが製作。燭台は勝興寺修復に携わった田中健太郎棟梁が昭和三十年代の写真を基に再現した。

●しょうじ

 「路地」のこと。新湊や魚津などでは「しょうじの家」が多かった。そのため一旦火災が起きると大火になった。クルマ社会で駐車に不便なので引っ越した人が多い。

●城址公園

 全日空ホテルの場所に富山城がある。こちらは「城址公園」で知られており、高岡の方は「古城公園」として知られる。ここでチンドンコンクールが開かれたので小さい頃、よく父親に連れていってもらった。

 1532年に水越勝重が築城した安住城が始まりで1581年に信長の命を受けた佐々成政が入城した。その後、加賀藩前田家の所領となり、1661年頃までに本丸、二の丸、三の丸などを構えた。神通川の流れを引き継ぐ松川と、豊富な水を蓄える堀に囲まれ、「浮城」とも呼ばれた。今の城は空襲で焼けた城を1949年に開かれた産業大博覧会のために慌てて、どこかの城を見て造ったもので、昔の城とは違う。城の中は郷土博物館になっている。

 しかし、それなりに風合いが出てきた。ある雑誌で富山を旅行した人が「富山城がよかった」と写真まで出していたのには赤面した。

●精進【しょうじん】

 「精進(料理)」。今では守っている人もいないだろうが、毎月の命日になると「今日はショウジンだから」といって肉・魚料理が控えられた。五十年忌まで毎月命日があるので多い家庭は10日くらいショウジンとならざるを得なかった。

●清水

 「しょうず」という。「弓の清水」は「ゆんのしょうず」と呼ぶ。

●小説など⇒本で読む富山

●消雪装置

 「しょうせつそうち」といっても県外の人は何のことか分からなかったりする。ATOKでも変換できない。「小説装置」なら僕だって買いたい。「融雪装置」ともいう。県内の消雪パイプは県道だけで約700キロある。県道の総延長は新潟に次いで全国2位だが、設置率3割は全国一。冬の前はあちこちで消雪装置の点検が行われる。富山のように道路に水をまいて雪をとかすのは、湿り雪地域だからできることである。

●商船学校〜商船高校

 「国立富山商船高等専門学校」。うちの先生(商船高校OB)でも「商船高校の○×ですが…」という人がいる。新湊市内では30年たっても「高校」だ。高専になる前は新湊市の内川に沿って、現在の奈古(なご)中学のある所にあった。1906年創立の学校で、市民に親しまれている(といえるように努力、努力)。2009年に富山工業高専と統合して富山高専となった。

 とはいえ、水産学校(富山では海洋高校になった)と間違えられることも多い。特に米原潜に沈められたえひめ丸事故以降は「練習船は大丈夫ですか?」と尋ねられることが多くなった。「ハワイへの実習は帆船の日本丸か海王丸ですよ、あの時も救助の手伝いをしていました」などと答えることにんしている。

 国内には商船大が東京商船大(水産大と統合して東京海洋大学に)と神戸商船大(神戸大と統合)、商船高専が日本海側では唯一の富山と鳥羽と瀬戸内の大島、広島、弓削(ゆげ)の5校しかない。

 2009年には富山工業高専と統合して、富山高専になった。

●しょうない

 「しょうがない」。例:「でっきんもんなぁ、しょうないちゃ」(できないものは仕方がない)。

●鍾乳洞

 石灰岩の地層が侵食されてできる洞窟。県内では高岡市五十辺(いからべ)の石灰質砂岩の地層から見つかった鍾乳洞が知られている。2010年には黒部峡谷の東鐘釣(かねつり)山と西鐘釣山周辺の10カ所に鍾乳洞があることが分かった。

●城端線【じょうはなせん】

 高岡から砺波を経て城端まで結ぶJRの路線。花いっぱいにしようと「常花線」、さらに「フラワーライン」と名乗ることもある。

 城端には城端別院善徳寺がある。蓮如が金沢市に立てた坊舎が前身で、7月に行われる「虫干法会」では貴重な品々が展示される。また、城端は5月15日に開かれる曳山祭も見事である。町名は戦国時代に荒木氏が構えた城の前端に位置することに由来している。

●じょうぶい

 「丈夫な」。「黄色の」を「黄色い」としたり(これは定着してしまっているが)、「緑の」を子どもが「緑い」などと間違うのと同じ「類推」でできた現象。

●ショーブツ

 滑川市赤浜八幡社に藩政期から続く伝統行事で「5月のショーブツ」とも呼ばれる。厄払いの効果があるとされるショウブで五穀豊穣を祈願する県内では珍しい行事。子どもたちがショウブとわら束を縄で縛ったわら棒で地面をたたき、「5月のショーブツだ」と叫びながら、地域を巡る。稲に被害をもたらす虫やモグラを追い 払い、豊作を願う意味が込められている。当日の朝、境内の杉に長縄を結び付け、わら束を引っ張りながら巻き付ける。昔は小学男子しか参加できなかったが、最近は女の子や中学 生も担い手になっているという。「赤浜の菖蒲打(ショーブツ)」として「とやまの祭り百選」にも選ばれている。

●称名滝【しょうみょうだき】

 「称名」「称名の滝」。弥陀ヶ原台地から一気に流れ落ち、称名川となった後に常願寺川へ注ぎ込む。日本一の落差350メートルがある滝で、天気のいい日には富山市からも見ることができる。立山有料道路の入り口からは右側にのハンノキ滝が見えるだけだが、県道を30分ほど歩くと、称名滝が見えてくる。特に流量が増した場合には、ハンノキ滝の右側にソーメン滝も現れて、3つの滝が並んだ光景を見ることができる。

 名前は水音が「南無阿弥陀仏」と称名念仏を唱えているように聞こえることから。

 富山市出身の作家・大井冷光の童話『雲の子供』には、称名滝の滝つぼから雲が生まれる、と書いてある。その雲は、弥陀ケ原を低くはい回り、ハイマツに引っ掛かったり、花をぬらしたりして、しずしずと立山の峰を上り、向こうの谷間に隠れて行くという。雲と鬼ごっこをして遊ぶ山小屋の少年と、巡礼に訪れた少女の触れ合いが幻想的に描かれている。

●しょーむない〜しょむない

「塩味がうすい」を富山市で「しょーむない」ということがある。『日本言語地図』でも「しょーむない」。「しょうもない」の意味も。

●醤油

 富山のお醤油は甘口が多い。高岡の山元とか新湊の中六は甘い。甘くておいしいからお刺身によく合うのだが、どうだろう。ただし、お刺身といっても、関東は赤身、関西は白身が好きだから、単純に決めることはできない。

 甘口は加賀藩全体の傾向らしい。ただ、読売新聞の記事(2007年1月20日富山版)によれば次のようだ。

 なぜ、しょうゆが甘いのか。財団法人日本醤油(しょうゆ)技術センター(東京都中央区)理事の田中秀夫さんによると、瀬戸内海や日本海などの海沿い、九州などでは甘いしょうゆが好まれる傾向がある。生じょうゆに、液糖など甘味料を加える地元のメーカーが多いそうだ。「遠洋も含め、船の上での料理なら、一本で味付けができる方が便利だからでは」と田中さんは推測する。

 寒鰤や甘海老、ばい貝、白海老、ひらめ、いか、などのお刺身に甘口醤油は欠かせないとされる。高岡では「いべす(えびす)」福光では「ゆうべし(ゆべし)」金沢で「べっこう(かんてんべっこう)」とよんでいる寒天料理も甘口でなければダメだ。

 地元産の甘口醤油は、旨み成分である「アミノ酸液」と砂糖・みりん・甘草・水飴・糖液などの「甘味料」が配合され、各製造元それぞれ工夫をこらした味の調整がなされているそうだ。甘味料いりの醤油は全国各地に見られるが、こちらの醤油はとくに甘くて「甘口醤油文化圏」ともいうべき食文化圏を作りあげている。特に海岸沿いの地域では甘い醤油が好まれるそうだ。

 富山県の食品別個人購入量のデータをみると「砂糖」の購入量が他県に比べ低いことに気付く。このデータは富山県人が甘いお料理を好まない「辛党」であること意味するのではなく、県内で広く使用されている醤油にあらかじめ甘味が入っているのでお料理に「砂糖」を多く使う必要がないということを意味している。他県に比べ一世帯あたりの砂糖消費が少ないという傾向は富山に限らずお隣の石川・福井でも見られる。

 ただし、県内でも東は辛く、西へ行くたびに甘くなっていく傾向があり、北陸道のSAなどでの比較をすると面白いかもしれない。

 なお、基本的には西日本は「薄味」だとされる。薄口醤油を使った、味付けの足りないような、たよりなくて薄い味と思われがちだが、上方は宮廷料理から始まって精進料理や懐石料理など、とても洗練された料理をつくり出したところで、その味も単なる薄い味ではない。実際、薄口醤油は塩分で言うと濃口醤油より高濃度で、その意味ではむしろ素材の色を活かす淡色「うすいろ」に特色がある。

 なお、近くでは能登の「いしる」が有名だが、富山でも魚醤が作られている。

 ちなみに、ケチャップは魚を塩漬けにして発酵させた食材を福建語の方言で魚醤の「鮭汁(kechiap、koechiap)」が語源だと言われている。これがマレー半島に伝わって「kichap」または「kecap」と呼ばれ、更にこれがヨーロッパに伝わるとキノコ、トマト、クルミなどを原料として「catchup」または「catsup」と呼ばれた。その後アメリカでトマトケチャップが普及し、「ketchup」となったらしい。

●正力松太郎【しょうりき・まつたろう】(1885〜1969)

 大衆娯楽の父で読売新聞と巨人軍と原発を育てた。大門町の土建請負業の旧家に生まれる。1911年東京帝国大学卒業後、警視庁入りした。米騒動鎮圧など数々の功績を残したが、23年警視庁警務部長のとき起こった虎ノ門事件の責任を負って退官。24年後藤新平の助力で『読売新聞』の経営にあたり、『朝日新聞』『毎日新聞』と並ぶ全国紙に育てた。41年戦時新聞統合を企図する政府の全国新聞一元会社案に反対、撤回したのは有名。敗戦後、社員大会で戦争責任を追及されたがこれを拒否し、大規模な読売争議が勃発。その間にA級戦犯に指名され、争議は収束。46年公職追放。47年釈放。NHKに遅れること半年、日本初の民放テレビ局・日本テレビ放送網を創立、プロ野球の発展などメディアの娯楽化に努める。55年衆議院議員に当選し、第三次鳩山内閣で北海道開発庁長官、56年、原子力委員会委員長、科学技術庁長官として、原子力発電の導入に積極的な役割を果たした。

正力

 正力がどうして力を持ち得たかについては有馬哲夫『日本テレビとCIA−−発掘された「正力ファイル」』(新潮社)に詳しい。

●しょうわけ

 「形見分け」。「所務分け」(荘園の管理から財産を言う)からという。

●職藝学院

 富山国際職藝学院。三四五(みよい)建築事務所の稲葉実さんが作った職人を作るための学校で、本部は大山町にある。「しょくげい」というのはあまりない言葉でATOKで最初「食芸」と出てしまった(これなら僕でも極められそうだ)。

●燭光能

 薪能の一種。燭光能は江戸時代初期、高岡の街を開いた前田利長公の三十三回忌法要の際に奉納されたのが始まりとされる。

●食事

 富山の食べ物に関しては『聞き書き 富山の食事』(農文協)が詳しいし、キリがないのでここでは書かない。

●女性校長

 公立学校女性管理職進出度が富山はいつもトップクラスである。2005年度公立学校女性管理職進出度は1位 富山 20・4%、2位 栃木 19・2%、3位 大分 17・7%で47位は長野の5・3%、全国平均は10・1%(数値は小中高の女性校長・教頭率の平均。日本橋学館大・池木清教授調べ) である。女性を大事にしているかどうかは分からないが、少なくとも元気な女性が多いことは間違いない。

●女短【じょたん】

 「富山女子短期大学」の略で、現在の富山短大。

●女短付【じょたんぷ】

 「富山女子短期大学付属高校」の略で、現在の富山国際大学付属高校。

●しょっぱん

 「食パン」だが、富山では「しょっぱん」という。方言である。佐藤亮一『生きている日本の方言』(新日本出版社)では富山県出身の真田信治が標準語だったと信じていた話を紹介している。音楽室には「ショッパン」と「ベントーベン」が並んでいると思っていた。九州などでも「しょっぱん」という。アニメ「アンパンマン」に出てくる「食パンマン」は「しょくぱんまん」といっているようだ。これらは学校から広まったものと考えられる。名古屋を中心とする中部地方域と九州各県に見られるという。

●しょわしない〜せわしない

 「せわしない」からで「忙しい、ちょこまかした」。ちなみに「せわしい」というのは「忙しい」だから、「せわしない」は否定でおかしいように見える。これに関しては『角川必携国語辞典』が詳しくて【「せわしい」を強めた言い方。▽「ない」は否定ではなく、状態・性質をあらわすことばに付いて「はなはだしい」の意味をそえる接尾語。ほかに「切ない」「はしたない」など】。例:「あっらぁ、なんちゅー しょわしないやっちゃ」(あの人は何という忙しい奴だろう)。

●しよんだ

 「塩辛くなった、沁みた」だが僕は使わない。例:「よー、しよんだ味になったちゃ」。

●私立

 県内に私立小学校、中学校はなかった。片山浄見が2005年に中高一貫校・片山学園を作った。

 私立高校は変遷があったが、不二越工業、龍谷富山、高岡第一、富山第一、高朋、高岡向陵、高岡龍谷、富山国際大付属、新川など。龍谷(西本願寺系)が多いのは真宗王国だからだ。

 私立短大だけで、私立大学もなかったが、高岡法科、富山国際ができた。

●…しられ〜すられ

 「…しなさい」。例:「はよーしられま」(早くしなさい)。

●尻ふかず

 戸などをきちんと閉めないで出ていく人。

●しろいぼ

 サラエボではない。白い小さな魚。「いうぉ」というのは「魚」のこと。

●しらえび

 2007年9月から新湊漁協他産地との差別化を進めようと、新湊産シロエビを「新湊しらえび」のブランド名で売り出した。太平洋側に生息するクルマエビの一種のシロエビなどと区別するほか、高級感のある名称で県内外にアピールする。元々は「ひらたえび」と新湊では言っていた。恐らく「平たい海老」なのだろうと思うが、そちらを使わずに「しらえび」としたのは理由がある。

 富山湾のシロエビはオキエビ科で、分類学上シラエビが正しい名称。本来のシロエビはクルマエビ科で、西日本の太平洋側に生息している。県外の漁業関係者から「シロエビという名称は太平洋のエビ」との指摘を受けて、誤解を招かないようにするため、新湊産シロエビを「新湊しらえび」とすることを決めたという。微妙な命名だ。

●シロエビ【Japanese glass shrimp】

 シロエビは和名がシラエビ、乾燥すると飴色になることから別名ベッコウエビとも呼んだ。天日乾燥し、赤く着色されサクラエビのようにして売られていたこともある。他のエビと比べて扁平なことから県西部の高岡や新湊では「シロエビ」を「ヒラタエビ」ともいう。とれたては肉も殻も、うっすら赤く透き通っていて「富山湾の宝石」と呼ばれる(ホタルイカは「富山湾の神秘」)。半透明でゆでても赤くならず「白い宝石」透明で美しい姿から「白い乙女」とも呼ばれる。時間がたつと乳白色になる。「シロエビ」「シラエビ」という名はそんな様子から付いたらしい。

 節足動物門甲殻綱十脚(じっきゃく)目オキエビ科に属するエビ。生態は分からないことが多いという。「白海老」(シロエビと呼ばれるようになったが『平凡社大百科事典』ではシラエビで「白蝦」でこれが学名である)、「鼈甲海老」(ベッコウ)ともいう新湊の名産で、7センチくらいの小さな海老。生きているものは透明で淡いピンク色をしている。庄川、神通川、常願寺川などから富山湾へ深く切れ込む「あいがめ」、つまり海底谷付近(水深120〜620メートルに分布)に生息する。水深300メートル以下の深い部分には、水温が常に2度以下に保たれた深層水があり、浅い部分には暖流の対馬海流が入り込む。そのため、冷たい海に棲む魚と、暖流にのって湾内を泳ぐ魚たちの両方が生息できるすばらしい環境となっている。駿河湾や相模灘、新潟県糸魚川などにも生息しているが、専業の漁として成り立つのは富山湾だけだ。庄川と小矢部川に挟まれた「あいがめ」の辺りにある漁場を「えん場」(海老場)ということがあるが、二つの川が栄養源になっていると考えられる。

 安いし、髭と尻尾を取って味噌汁にすると実に美味しい。身を抜いてむき身(刺し身)にすることがあり、とろりと甘い。更に麺状にして出す料亭がある。天ぷらは殻のしゃきしゃき感がよくて「かきあげ」にぴったり。腐敗が早いので新鮮でなければならない。そのため、昆布ジメで配送されることが多かった。

 むき身が生で食べられるようになった。身がやわらかいわりに殻が固いので、殻をむく作業には大変な手間がかかる。多くは手むきだが、軽く冷凍し殻をむく方法が開発され、量産できるようになった。おぼろ昆布にはさんだシロエビは最高。岩瀬の料亭・松月(しょうげつ)の名物「福団子」には200匹分が使われるという。向笠千恵子『日本の食材おいしい旅』(集英社新書)に「富山湾の夏の幸・白えびの福だんご」という章があり、岩瀬の松月の料理が紹介されている。

 素麺の出汁にすることもある。また、炭火で軽く焼いて茶碗に入れて、熱燗を加えて「しろえび酒」もおいしい。

 4月1日に解禁となり、漁は11月末までで、6−7月に最盛期を迎える。

 新湊では「白えび祭り」が開かれ、2007年には駿河湾の赤い海老とコラボした(歌合戦をすればよかったのに)。

 未成熟で小型のものは夏場、神通川や庄川などの沖合に、大型のものは早月川沖合に多く分布し、初冬はその逆であることが、県水産試験場が県漁連とともに進めている初の資源量調査(2004年)で分かった。

 2008年にシロエビを漁獲する新湊漁協と駿河湾特産サクラエビで知られる静岡県由比町の由比港漁協が「紅白」のエビを縁に「姉妹漁協」提携を結んだ。漁協同士の提携は全国でも珍しいという。

●白エビかき揚げ丼

 8号線にある道の駅新湊で提供しているのが有名。東京ドームで開催された「ふるさと祭り東京2010」の最終日に「どんぶり選手権」の投票結果が発表され、一番人気を集めて優勝した丼は「富山の白エビかき揚げ丼」だった。ニュースでは「しらえび」と言っていた。

●しろえびパイ

 新湊市松木の菓子製造業「米田」が作った、シロエビを使ったパイ菓子。2004年に商品化。

●白黒

 東京の人は「黒白写真」などというので目を白黒させることがある。きっとシマウマも黒の上に白い模様が入っていると考えている人たちなのかもしれない。ちなみに「白黒をつける」という表現が一般化しているが、本来は「黒白(こくびゃく)をつける」。

●白ネギ

 ネギは「根深」(ねぶか)といったくらい、白ネギが中心で、青ネギはあまり食べない。

●しわる

 「縛る」。例:「あんたぁ、もっときっつなとしわって」(あなたもっと、きつく縛って)。

●しんがいぜん(ぜに)/しんげじぇん

 「へそくり」のことで、「新開銭」から来たと考えられる。真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)では加賀藩政時代に新しく開墾した田畑を申告せずに、年貢を納めることを逃れたことがあり、「新開田」(しんがいだ)から来ているという。

●しんがい子

 「私生児」。

●しんかんがし

 「落雁」で「粉(しんこ)菓子」からか?「粉菓子」とか「粉細工」というのは粉を蒸して餅状にしたものに色をつけて、鳥・花・人間などの形にしたもの。

●しんきくさい

 「面倒臭い、暗い」。例:「そんなしんきくさい話ばっかしとって、なんおもしいがけ」(そんなに暗い話ばかりしていて、何が面白いのですか)。

●蜃気楼【しんきろう】

 蜃気楼とは、乳色のフィルムの表面に墨汁をたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、途方もなく巨大な映画にして、大空に映し出したようなものであった。

 江戸川乱歩は短編「押絵と旅する男」のなかで蜃気楼をそう描写している。

 不思議でならないのは全国版のテレビで毎年、何度も「冬の神秘」「富山湾の神秘」といって蜃気楼が放送される。解説も同じで、全然面白くない画面だと思うが、本当によく出てくるので、富山県民として恥ずかしくなることがある。

 常願寺川を見たオランダ人、ヨハネス・デ・レーケは「これは川ではない滝だ」といったが、立山連峰の雪解け水がすぐに富山湾に入る。蜃気楼はこの冷たい海水温と気温の差が生み出す神秘である。ダムができてから冷たい水が流れ込まなくなったので、蜃気楼ができにくくなったが、最近は少し戻ってきた。4、5、6月によく出現する。橘南谿(なんけい)の『東遊記』には魚津にいたのは一月か二月だったので見ることができなかったと書いてある。

 蜃気楼は魚津が中心だが、新湊でも見られなくはない。堀田善衛は短編「鶴のいた庭」で伏木から蜃気楼を見て、そこに映るのはシベリアの森林地帯だと書いた。

 冬の寒い日に海の沖の方を見ると揺らいでいることがあって、それが蜃気楼だ。もっといえば、日本中でみられる。日本蜃気楼観望マップによれば北海道の網走市・紋別市のオホーツク沿岸、小樽市の石狩湾、根室市の国後島方面、日高山脈方面、琵琶湖の大津市、滋賀県北小松小松浜、大阪湾の須磨海岸などに出るとされる。下位蜃気楼(浮島現象など)は日本各地でみることができるとして載せてもいない。

 蜃気楼が魚津市の沖でよく見られる原因は立山の雪解け水が、海面近くの空気を冷やすためとされてきたが、最近の研究で、海に少し突き出た地形が鍵になっていることがわかってきた。

 ちなみに「蜃」というのは「はまぐり」で、遠い昔、不思議な現象は海中にすむ動物、「蜃」(巨大ハマグリ)の吐く気によって生じると考えられていた。その別名「海市(かいし)」「山市(さんし)」「きつねだな」などとともに蜃気楼は、歳時記の春の部に並んでいる。永禄7年(1564年)、長尾輝虎(後の上杉謙信)が本庄繁長、柿崎景家など諸士と魚津の浜で蜃気楼を賞し合った記述が残る。「永禄七年五月下旬、魚津の海上に蛤の城を造るとて、男女老若集りて市をなす。【…】魚津海上の蜃楼、日本にはまれなる事なりと−」。

 中国の七十二候で11月20日前後にも雉が海に入って蜃(しん)−−つまり大蛤になるという。雀海に入りて蛤となるという伝えもあって昔の中国人はよほど鳥が貝になるというアイデアを気に入ったらしい。

 「来てみりゃ消えるし、帰れば出るし、ほんにしんきな蜃気楼」と唄われたが、新聞やテレビで蜃気楼予報が流されるようになってきた。

●シンキロー文学賞

 富山県で有名な文学賞に「」北日本文学賞がある。短編小説の賞で選者は井上靖から宮本輝になっている。北陸中日新聞は「日本海文学大賞」というのを設けている。

 僕が受賞したいのはこちらではなくてシンキロー文学賞である。これはいしいひさいち『ほんの一冊』(朝日新聞社)などで書評をしている作家・広岡達三が受賞しているものである。広岡の略歴は次のよう。

広島県呉市出身。早稲田大学文学部卒。
文学界のドン川上哲学の門下生となるも、些細なことから袂を分かち、行動派作家長嶋茂吉との確執で文壇にデビュー。平凡な作家よりも得意な人物で知られ、受賞歴は富山県主催シンキロー文学賞のみながら、毒舌とそれっぽい風貌で文筆界の重鎮となる。代表作に『白山黒水』『愛琿』『文殊』『藍旗』『ロマノフスカ』(いずれも絶版)。鎌倉市在住。

 僕は毎年、受賞に向けて作品を書いているのだが、応募方法に問題があるのか未だに受賞できず。(^^;

 なお、福田和也『作家の値うち』(飛鳥新社)には地方の文学賞について次のような厳しい言葉がある。

 各地の地方自治体や新聞社が主催する新人賞は、受賞してもほとんど作家経歴上の意味がないし、文壇やジャーナリズムも注意を払っていないので、文芸誌から原稿依頼がくることもない。寡聞にして、作家が育ったという話も聞かない。せいぜい興奮した受賞者が作家専業になれるなどと誤解して勤務先を辞め、家族などに迷惑をかけるくらいのことである。ゆえに地方の文学賞は選考委員をつとめる作家たちや地方文化のボスたちの割のいいアルバイト先という以上の意義をもたない。自治体の各首長は、リストラすべき文化行事の筆頭に地方文学賞をあげるべきだろう。

●しんきろう予報

 蜃気楼が出るか出ないか、%表示している。そんな県は他にはないと思う。

●新高【しんこう】

 富山県立新湊高校。新湊で唯一の高校で僕らの頃は普通科4、商業科4、家政科1で県内で最大の大きさといわれた。甲子園にも出て、春の選抜でベスト4に入ったこともあるので、県外でも知っている人が多いと思う。97年の出場の後、入学者の定員割れが続いていた。

 新湊には富山新港もあり、こちらも「しんこう」なので話が混乱することがある。特に「しんこうの森で試合がある」というと頭がウニになる(正しくは「新港の森」)。

 新高野球部の応援には青いハタキがつきもの。これはお祭りの山車で使うものである。出久根達郎『漱石先生とスポーツ』(朝日新聞社)によれば、漱石が一高対早稲田の試合を観戦した時の感想はまるで新高の応援のようだ。「赤旗が風になびいている。旗は赤毛布(あかげっと)に竿をつけたもの。自分の頭上にいる男が大きな旗を持っていて、夢中で振る。旗の端が自分の頭や頬にぴたり〜とあたる…」。

 新高野球部が人気の理由は新湊で唯一の高校、お祭り好き、漁師さんが多くて午後ヒマな時に練習を見に来ていた、既に有名になっていることへのあやかりなどがあるが、何よりも試合が面白いからである。

●人工イクラ

 魚津にある会社。人工イクラで有名(89年に科学技術庁長官賞を受賞)だったが、天然物が安くなって2001年に撤退。人造イクラは皮膜と内部を海草から抽出した多糖類のアルギン酸ナトリウムを利用して製造する。胚はビタミンEを添加したサラダオイルを使用し、三層構造にして味付けした。人造イクラに続き人造キャビアなども商品化していた。“イクラ”というのは日本語ではなく、ロシア語икраで魚卵のこと。「赤イクラ」というと日本の「イクラ」で、「黒イクラ」というとキャビア、「ミンタイ・イクラ」というと明太子だ。英語では“ハウ・マッチ”という。

 思想家の吉本隆明【よしもとばななの父】が魚津の日本カーバイドに動員されていたことは案外知られていない。いくらなんでも、イクラを作っていたのではない。「戦争の夏の日」〈北日本新聞〉(1977.8.13)では敗戦を知った軍国少年の吉本が頭の中を真っ白にして部屋で泣いていると、寮のおばさんが「喧嘩をしたか、寝てなだめるのがいい」といって布団を敷いてくれたとという。

 敗戦のときは死ぬるときとおもいつめたものが、生きているのは卑怯ではないのか。じぶんは寮の小母さんが喧嘩でもして泣いているのだと誤解してくれたことをいいことに、そんな振りをして生きているのではないか。…わたしはこのときに感じたすべての疑問をじぶんなりに解決しようとして生きてきたのではなかったか。

 敗戦のショックを喧嘩の涙と誤解されたことが吉本の思想を形作った!

 動員先からかえってくる列車のなかで、毛布や食料を山のように背負いこんで復員してくる兵士たちと一緒になったときの気持ちを、いまで忘れない。いったい、この兵士たちは何だろう?どういう心事でいるのだろう?この兵士たちは、天皇の命令一下、米軍にたいする抵抗もやめて武装を解除し、また、みずからの支配者にたいして銃をむけることもせず、嬉々として(?)食料や衣料を山分けして故郷にかえってゆくのは何故だろう?そういうわたしにしても、動員先から虚脱して東京へかえってゆくのは何故だろう?日本人というのはいったい何という人種なんだろう。兵士たちをさげすむことは、自分をさげすむことであった。知識人・文学者の豹変ぶりを嗤(わら)うことは、みずからが模倣した思想を嗤うことであった。どのように考えてもこの関係は循環して抜け道がなかった。このつきおとされた汚辱感のなかで、戦後が始まった」(「思想的不毛の子」)。

●信号機

 富山の信号機はどれも縦型になっている。かつて横型だったが、雪が積もって見えなくなるので比較的積もらない横型に代えられた。雪国はどこも縦型になっていると思っていたが、福井はそうではないそうだ。

●『人国記』

 『人国記』は、日本全国を国別に分け、一国ごとにそこに住む人々の気質・性格・風俗などの特徴を記したもので、16世紀の半ばには成立していたとみられ、元禄時代に板行されて以来、広く読まれて来た。板行された『新人国記』から「越中」の部分を引く。

当国の風俗は、陰気の内に智あり、勇あり、佞(ねい)なる気多し。親子の間にても、一言(ごん)にことば質(しち)を取り、巧(たく)みに佞をなすなり。人の交(まじわ)りも底意は佞にして、只(ただ)卒忽(そこつ)の交りのやうにする意地なり。然れども事に臨みて死を厭(いと)はざる風もありとぞ。/按(あん)ずるに、当国は山深くして、又海を抱(いだ)けり。寒烈しく雪深し。民俗本書に詳(つまび)らかなり。

 文中、「佞」とは、口先がうまく、上手に媚(こ)びへつらうが、心がねじけていること、或(ある)いは二心があるといった意。「卒忽の交り」とは、軽率な交際、表面的な軽い付き合いの意。

●「信じあう心」

 婦中町の速星中学校で1959年に始まった試験監督不在のテスト、1960年に始まった文房具の無人販売が続いている。1968年にNHKテレビ「明日は君たちのもの」で報道され、この番組に感銘した詩人の故サトウハチロウが同校へ「信じあう心」という詩を贈った。「信じあう心/すてきです」から始まり、信じあう心が「からだとこころを大きく大きく育てて行きます」と結んでいる。ノーチャイムデーや盗難を防ぐための傘の貸し出しも、生徒会の発案という。

●真宗王国

 富山と石川は真宗王国といってはばからない。文化庁発行の宗教年鑑(2001年版)によると、県内の寺院(法人を含む宗教団体)の数は1653で、全国21位だが、人口(2000年国勢調査)千人あたりの密度は1.47寺院となり、同5位。ちなみに1位は滋賀県。浄土真宗には10の宗派があるが、県内にあるのは東西の本願寺系だけ。両本願寺によると、その数は計819で、県内寺院の約5割を占める計算だ。

 僕の家も浄土真宗だが、葬儀の時は静かで一番短いので、とても気に入っている。うるさい葬儀とか、長い葬儀はやっぱり嫌だ。

 前田利家が金沢に入城するまで富山や石川は「百姓の持ちたる国」であった。前田家は一向一揆が再び起きることを警戒して、真宗の寺院を城の近くに集めてしまった。結果として、直線型の犀川側寺町、曲線型の東山寺院群、上下点在型の小立野に分かれた。

 江戸時代、薩摩藩は真宗を禁じたが、薩摩に出向いた「薩摩組」と呼ばれた売薬たちはひそかに信仰を続け、「かくれ念仏」と呼ばれた。鹿児島県南の知覧町には、人々が監視の目を避けて念仏を唱えたとされる洞穴があるという。知覧、川辺、勝目という三つの村で構成された講の「三村講」はかくれ念仏の講だったとされ、その講頭(こうがしら)(世話役)だった家は富山売薬に宿を提供している。同町には「立山」という集落名があり、ここにもかくれ念仏の洞穴があるという。

 とはいえ、他の宗教や新宗教がない訳ではない。小沢浩『新宗教の風土』(岩波新書)は「真宗王国富山」の新宗教事情を描いた本である。

●神通

 軽巡洋艦(二等巡洋艦1925-43)。加賀や同じ川の名前の信濃は空母なのに、こちらは軽巡。夜間訓練中に駆逐艦蕨と衝突して沈める美保ガ関事件を起こす。43年6月16日、駆逐艦江風とルオット島に空母隼鷹整備員をトラックより輸送。7月12日、コロンバンガラ島沖夜戦でアメリカ艦隊の集中砲雷撃を受けて全乗員とともに沈没。

●神通川【じんずうがわ〜じんづうがは】

 富山県の代表的な河川。富山県の中央部を北流し、富山平野を貫通して富山湾に注ぐ川。上流は飛騨山地に発する宮川と高原川。長さ120キロメートル。上・中流には発電所が多い。上流の大沢野町あたりは神通峡と呼ばれ、八尾高校やインテックのボートの練習場になっている。

 昔、仙人が山中でお経を唱えていたところ、川音が大きく、お経の声が聞こえないため、竜王に川の音を2里ばかり地中に潜らせるよう頼んだところ、不思議な神通力で川音が消えた。それから、この川を「神通川」と呼ぶようになったという。

●新設校

 親切な高校ではなく、比較的新しく作られた高校。水橋には体育コース、呉羽には音楽コース、大門には情報コース、福岡には英語コースが設けられた。結局、「駅からの偏差値」で呉羽が一番の進学校になったが…。

 大門高校の校章は菱形で一見、山口組のバッジかと思う。「代紋高校」だったりして…。

●深層水

 「海洋深層水」というのは公的な定義はないが、おおむね次の特徴を持っている。

▽太陽光の届かない水深200メートルより下の深海水
▽低温で一定▽窒素やリン酸が豊富
▽細菌数が少ない(富山湾の場合、水温1〜2度で、細菌数は表層水の千分の1〜1万分の1)

 富山湾では800メートル位の深い水を利用するようになった。細菌もなく栄養に富んでいて、美容にもいいという。ただ、利用状況とブランドでは先発の高知県に負けている。太平洋側で取水する深層水と成分に大きな違いはないものの、水温は5度以上低いという。年間を通じて2度以下に安定していることにも着目して2001年に「日本海固有冷水」という名称が浮上した。同年2月アサヒビールが富山県で採取した海洋深層水を使った発泡酒「アサヒ本生」をめぐり、高知県の橋本知事が「商品開発に協力したにもかかわらず、事前に説明もなく富山の水で製造するのは道義上問題だ」などとして抗議したが、富山と先に開発していたということで手打ちになった。結局、この騒動が富山の深層水を有名にした。

 「タラソピア」という深層水を利用した施設もある。抗ガン物質も発見されて「越の国」にちなみ「コシノスタチン」と名付けられた。

 2001年12月に次のような警告が出された。

 …キリンビールなどライバル各社で作る「発泡酒連絡協議会」は今年5月、「海洋深層水をたくさん使っているような表示をしている」「先行他社を中傷している」として、公取委に是正措置を求めていた。

 関係者によると、公取委はアサヒビールの表記は不当表示にはただちに該当しないと判断した。しかし、海洋深層水が「本生」の味にどのようなかかわりがあるのかが広告では分かりづらいとして、口頭で注意した。

 その後、同社は「(海洋深層水などを)醸造工程で酵母が発酵するのに最適な量、用いています」とのコピーを広告に用いている。

 アサヒビールは「『不当表示にはあたらない』という判断をいただいておりますが、公取委の依頼を受け、より分かりやすい表現としました」とのコメントを出した。

 2001年12月22日『週刊東洋経済』では「富山湾からの贈り物〜神層水(神の水)〜」というタイトルが踊ったが、「神層水」はちょっとやりすぎ。

 2006年から入善町の水が全日空の国際線で、機内サービスとして提供された。この水は、町内の地下百メートルから採ったミネラルウオーターで二百五十ミリリットル入りボトルに詰められ、機内の食事サービスなどで提供される。対象はアメリカやイギリス、フランス、ドイツ、タイ、シンガポール、ベトナム、韓国の計12都市を往復する飛行機。アメリカはニューヨーク、ロサンゼルス、ホノルルなどへ飛ぶ各便となっている。ボトルのラベルには、採水地を「入善町(富山県)」と明記。町が富山湾から採っている海洋深層水も併せてPRしようと「DEEP WATER IN NYUZEN」「深層水のまち入善」のメッセージも載せた。

●深層紅【しんそうべに】

 紅ズワイガニのブランド名だがあまり知られていない。紅ずわい蟹は富山湾の名産。解禁になると新湊漁港が出る。同じ物が福井へ行くと「越前ガニ」と呼ばれて珍重される。新湊には紅ずわい蟹の刺身を出す店がいくつかある。新鮮でないと食べられないからだ、と思っていたら新宿のホテルで刺身を出されて仰け反った

 漁協の商標登録で一番有名なのは大分県佐賀関町「関サバ」「関アジ」で価格は3〜5倍高い。漁場が同じ愛媛県展三崎漁協は「岬(はな)サバ」「岬アジ」という名前で対抗している。他に「伊達のギン」(鮭=宮城)、「ひすい娘」(アカエビ=新潟)がある。

●じんだはん

 「巡査さん」がなまって「じんだはん」。「そんなことしとったらじんだはん、来て連れて行かれてしもうぜ」と子どもを脅すのによく使った。

●神農様【しんのうさま】

 薬の神様で売薬をしているおうちの座敷にはたいてい飾ってある。えらく器用で複雑な神様だったらしくて、香具師(やし)の親玉にもなっている。製薬大手の集まった大阪の土修町(どしょうまち)にも神農が祀られている。

●新聞

 地方紙では北日本新聞が一番大きい。ついで富山新聞だが金沢にある北國(ほっこく)新聞の富山版である。北陸中日も頑張っている。

 全国紙では正力松太郎が高岡出身で支社が高岡にあり、読者も多い。朝日、毎日もあるが読んでいると珍しがられる。「お父さんが教員をしていたから朝日を読んでいる」と自慢する人もいた。

 でも、テレビと違って、新聞によって地域への知名度が随分違うので戸惑うことも多い。例えば、僕は読売新聞に載ったことがないから有名ではない。

 散居村の一部では宅配が行われていない。自分で取りにいかなければならないが、冬は辛いだろう。鹿島茂『上等舶来・ふらんすモノ語り』(文藝春秋)によれば、フランスも第二次大戦後に宅配制度が崩れてしまったという。ただ、19世紀には新聞配達の先進国で、第二帝政期に鉄道網が全国に張り巡らされてからは、朝食前に予約購読者のポストに配達されるようになった。これで識字階層が飛躍的に拡大したという。ところが、ナチス占領で鉄道が接収されると、大衆新聞の多くが宅配の足を奪われ、廃刊に追い込まれたという。

●新湊

 気が荒いとされる市民の住んでいる富山と高岡の中間で北方に位置する市の名前だったが、統合して射水市になった。新湊漁協と新湊高校が有名ではある。

 「あいの風 であいの風 新湊」というのが昔のキャッチフレーズで友人のOが作って5千円の図書券をもらった。

 時々、「新港」と間違った手紙が来る。

 南北朝の頃、幕府も置かれたことがあるが、誰も知らない。また、国鉄の駅がなかったことがコンプレックスになっている(貨物駅はあった)。

 北海道の利尻町にも新湊がある。これは明治20年代に新湊の漁業者が漁場開拓のために移り住んだのがルーツ。同じ新湊小学校もある。

●新湊大橋

 1968年の富山新港開港により切断された港口を結ぶ「臨港道路富山新港東西線」の一部で富山新港東西港口部を結ぶ橋。2002年11月4日に着工。総事業費は約410億円で、完成は10年後を見込んでいた。

 臨港道路富山新港東西線は総延長3.6キロの2車線で、このうち、主橋りょう部分の600メートルが新湊大橋(仮称)となる。海面からの高さは47メートルで大型船は通れるが、帆船は通れなくなる。橋に自転車や歩行者道路も設け、エレベーターも付けられる。越乃潟と新港東口を結ぶ県営フェリーとの関係がどうなるのか不透明。

 仮称だったが、名前を応募して決定したのが、同じ「新湊大橋」だった。昔、文藝春秋がスポーツ誌を出すといって名前を募ったが、結局、『Number 1』だった。当たり前すぎてのけぞったものだが、2号の名前が『Number 2』になっていて驚いた。『Number』が名前だったのだ。


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