金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


 

笑説 越中語大辞典



●ろーじ

 「路地」から「庭園」。

●ローエル/ロウエル/ローウェル Percival Lowell

地球があんまり荒れる日には
僕は火星によびかけたくなる
   谷川俊太郎『二十億光年の孤独』

 天文学者パーシヴァル・ローエルは1889年(明治22年)来日直後、NOTOという響きと能登島の地形に魅せられ、東京を出発して、碓氷峠、長野、直江津、親不知子不知を通り、富山県から荒山峠を越えて能登に入り、帰りは、また富山、立山下温泉、長野、塩尻峠、諏訪、木曽地方を通って天竜下りをして、浜松に出るというコースを採った。途中、伏木を通って、氷見から能登へ入っている。「日本人は世界で最も幸福な人々である」と書いている。

 『NOTO 能登・人に知られぬ日本の辺境』(十月社)がある。立山に登ろうともしたのだが、悪天候に阻まれた。1896年にW・ウェストンの『日本アルプス登山と探検』が書かれて日本のアルピニズムが始まった。

 ローウェルの旅の終点を記念して、石川県穴水町の川島には上陸記念碑が、由比ヶ丘台地には記念碑が建立されている。

(見知らぬ土地)
 ふとした思いつきで能登へ出かけることにした。私の気まぐれを友人達はいぶかしく思ったようだが、これは一目惚れと言うやつで、私は今でも言い訳はしたくない。
 ある日の夕方、東京の自宅で別にあてもなく、日本地図のあちらこちら、ちょうど誰でもがダンスホールにきている連中の顔を見まわすように眺め回しているうちに、私の目は西方の海岸に奇妙な形を見せて突き出している一つの半島に魅きつけられてしまった。
 それは深く入り組んだ内海や、たくましい岬のある地形を見せていたが、地図にはNOTOと記されており、この地名すらも私の心を喜ばせた。
 その母音のもっている音色、子音の響きさえもすっかり気に入ってしまった。流れるようなNの音、確信を暗示するTの音、気まぐれな言い分かも知れないが、女性らしさと男性らしさの二つを同時に現しているのだ。
 その半島を眺めれば眺めるほど、憧れの心がつのり、足のあたりがむずむずしてき、とうとう能登まで足を伸ばす派目になってしまった。他人の恋人のことなど誰もわかってくれなくても結構なのだ。
        パーシヴァル・ローエル『能登・人に知られぬ日本の辺境』

Percival Lowell

Percival Lowell

 さて、このローエルだが、アメリカの天文学者でボストン生まれ。ハーバード大学で数学を修め、1876年に卒業、実業界で活躍した。94年、私財をもってアリゾナ州フラグスタッフに45.7センチメートルおよび30.5センチメートルの望遠鏡を設置したローエル天文台を完成、96年には61センチメートル望遠鏡も備えた。1877年の火星大接近の際、イタリアのスキャパレリが火星表面に「水路」を発見していたが、ローエルはこれを人工構造物とみなし、技術をもった生物の存在を仮想し、その検証に熱意を注いだ。また16年に『惑星の発生』を著し、天王星の摂動にかかわる天体は海王星だけでなくもう一つの未知の惑星があることを予想した。この惑星は1930年に発見され、冥王星(PLUTOにはPercival LowellのPとLが記念して入っている)と名づけられた。

 ローエルが火星に熱をあげたのは誤訳に始まるという説がある。1878年、ミラノ天文台長スキャバレッリは、火星表面に走る網目模様を発見したと発表した。かれはそれを「水路」の意味で canali と名づけたが,これが英語に翻訳されて channels(水路)ではなく、canals(人工水路=運河)になった。1894年、これを読んで魅せられたローエルは自らの天文台で、多くの「運河」を発見し、知的生物の存在をほのめかす。そして1898年、H.G.ウェルズがついに火星人を作り出した。これはこれで面白い話だが、別の伝によれば、スキャバレッリを受けて、1892年フランスの天文学者フラマリオンが人工的な「運河」であると発表し、ローエルはこれを読んだとされる(川本・井上編『翻訳の方法』所収丹治愛論文、小山慶太『道楽科学者列伝』) 。太陽系の一番遠いところを回る海王星よりも、さらにうんと外側を回っている星がありそうだということは昔から言われていて、ローウェルが名付けて「惑星X」。Xとは未知のものということで、かのレントゲンが「X線」と命名したという。

 このような天文学での名声を得る以前、彼は30代に何度もアジアを訪れ、約3年間日本に滞在し日本・アジア文化に関する多くの記事・論文、そして研究書を発表した。近年、David Strauss著 'Percival Lowell?The Culture and Science of a Boston Brahmin' (Harvard Unviversity Press, 2001)が出版されたし、そして日本ローエル協会(金沢)の設立など、日米両国でローエルと彼の目を通した19世紀末の日本やアジアは関心を集め始めている。また、彼の妹でジャポニズム的作品を残した、20世紀初頭の詩人エイミー・ローエルが吸収した兄の異国趣味は、今後さらに注目される文学史、比較文学のテーマといえる。

 朝日新聞のミレニアム企画『20世紀の100人』の一人としても取り上げられている。芥川竜之介が『侏儒の言葉』で、火星人は「我々の五感を超越した存在」ではないかと、思いを巡らせているのは、ローエルなどの火星人説の影響がある。

 『知られざるジャパノロジスト』(丸善)というように日本研究家で、ハーンやチェンバレンとも交遊があった。というか、ハーンが来日したのはローエルの1888年の『極東の魂』(中央公論社)に魅せられたからだ。ハーンはもしかしたら富山に来ていたかもしれない!?

 加藤秀俊はNHKの放送を聞いて知り、『紀行を旅する』(中公文庫)を書いた。高田宏『旅の図書館』(白水社)にもこの本が紹介してある。

1 見知らぬ土地 2 いよいよ旅へ 3 碓氷峠 4 善光寺 5 能生 6 雁木街道 7 親知らず子知らず 8 越中平野をゆく 9 荒山峠を越える 10 内海 11 穴水にて 12 ふたたび海へ 13 能登街道 14 針の木峠 15 峠を目指して 16 立山下v17 雪を踏む 18 優しい隠居 19 旅券

 Percival Lowell - Collected Writings on Japan and Asia(日本シノップス/編集・解説David Strauss, Professor of History, Kalamazoo College)がある。

●ロウヒコ

 パテックスなど「貼り薬」を指す。ニチバンの前身である「歌橋製薬所」のヒット商品であった「ロイヒ膏」に由来する。「ロイヒ」の「ロ」は、ロートエキス、「イ」は、イクタモール、「ヒ」は、ヒノキチオールで、主成分の頭文字をとって、「ロイヒ」とつけられた。元々「ロイヒ膏」は黒い膏体だったのだが、戦後開発された白い膏体の貼り薬(サロンパス等)の登場で、黒の膏体は受け入れられなくなり、姿を消してしまいまった。今は無関係だけど、名前だけ借りた「ロイヒつぼ膏」が売られている。箱やフィルムに印刷されているあのおじさんは巷では「ロイヒ博士」とか「ロイヒおじさん」とか言われているが、想像上の人物。

現在の「ロイヒつぼ膏」

●蝋山昌一【ろうやましょういち】

 元・高岡短大学長で2003年に亡くなる。大阪大教授時代から金融問題の論客として知られた。

 東京都出身で、63年東京大経済学部を卒業。同大経済学部助手を経て大阪大経済学部に移り、91年学部長に就任。98年4月高岡短大学長に着任。公正取引委員会参与や金融審議会委員を務め、2001年からは金融審議会金融分科会会長として、不良債権問題に揺れる金融システムの立て直しに尽力してきた。県の景観を考える懇談会座長、万葉線問題懇話会長などを歴任し、まちづくりや公共交通活性化の面でも活躍した。「ホチキス統合では意味がない」と県内国立三大学の再編統合問題で中核的な役割になっていたが、その半ばで大阪証券取引所の社長になることも内諾していたところだったという。著書に『日本の金融システム』など。蝋山が所蔵していた図書などが洋子夫人から寄贈され、市中央図書館は「蝋山記念経済・金融文庫」を開設した。

 政治学者の蝋山政道は昌一の叔父で、蝋山家は群馬県安中市の造酒屋だった。中央公論社会長だった嶋中雅子は政道の長女であり、夫・嶋中鵬二は中央公論社社長を49年から約40年間務めて一時代を築いたが、その夫人として作家や学者から絶大な信頼を得た。61年には『中央公論』に掲載された深沢七郎の小説「風流夢譚」に抗議する17歳の右翼少年が社長宅を襲った殺傷事件に遭い、瀕死の重傷を負った。

●六神丸【ろくしんがん】

 反魂丹とともに有名な富山の薬だが、国語辞典にも出ているように中国由来の漢方薬(「リューセンワン」という)するものだ(「漢方薬の一。麝香(じやこう)・蟾酥(せんそ)・牛黄(ごおう)などの動物生薬を主原料とする丸剤。急性の熱病・中毒・心臓衰弱などに用いる」『大辞林』)。

 「六つの悪い神様をふりはらって病気を治してくれる」という意味だそうだ。富山では聞かないが、島根県益田市では「あの人は六神丸だ」というと「体が小さくても、ピリッとして、良く気がきく人」のことを指す。「二股膏薬」という比喩も全国的にあるくらいだから納得できる。

 宮澤賢治の「山男の四月」(『注文の多い料理店』---当初『山男の四月』というタイトルが検討されていた)には六神丸にされる山男が出てくる。ある山男が木樵に化けて町に行ったのだが、怪しい支那人の商人の陳にだまされて六神丸にされてしまい、最後はもとに戻ったものの、巨大になった陳に危うくやられそうになったところで目が覚めるというストーリーである。

 これは当時、「夕刻に外に出てはいけません。人さらいに肝を抜かれて六神丸の材料にされるから」という都市伝説があった。映画『ソイレント・グリーン』みたいだ。例えば、葉山嘉樹の「淫売婦」には次のような部分がある。

 この歪んだ階段を昇ると、倉庫の中へ入る。入つたが最後どうしてもでられないやうな装置になってゐて、そして、そこは、支那を本場とする六神丸の製造工場になつてゐる。てつきり私は六神丸の原料としてそこで生き肝を取られるんだ。

 もちろん、富山に来てもそんなことはありえないので、安心して遊びに来て下さい。

●ロシア人

 富山県で一番多く見かけるのがロシア人ではないだろうか。かつては木材をもってきたが、今はクルマの買い付けに来る。お客一人分の関税が安くなった時代には船長一人だけで後はお客さんという客船も富山新港に来たものだった。今は船長以外は3台まで買えるので、パキスタン人による中古自動車販売会社がたくさんある。

 新湊市内には「入るな」とロシア語で書かれた看板も目立つ。

 自転車を盗むとか、畑の作物を取っていった、追いかけられたなんて話もよくある。あんまり偏見をもたないようにしたいが…。

●路線バス

 県内の路線バス事業者は富山地方鉄道、加越能鉄道、立山開発鉄道、新湊市の海王交通の計4社。

 2004年に海王交通が許可されたが、72年の八尾町営バス以来(同バスは01年3月に廃止)。

●ロバのパン屋さん

 昔々、ロバのパン屋がやってきた。パン屋さんなのだが、なぜかロバにこぎれいな馬車を牽かせて売りにきた。おいしかった記憶があるものの、母親はばい菌があるとか何とかいって買わせなかった。高かったのだと思う。買わなくてもみんな見に行った。確か、蒸した玄米パンがおいしかったように思う。当時はまだ、肥えを荷車に乗せて馬で引っ張っていたものだ。ロバのパン屋さんもウンチをさせながら引っ張っているのだから清潔ではなかったろう。でも、憧れであった。

ロバ

 93年に筑紫哲也のニュースを見ていて長年の謎が解けたのだが、「ちんからりん」という歌で始まる「パン売りのロバさん」という歌もできていた。歌っていたのは近藤圭子、当時11歳で、その後、先輩の松島トモ子さんと日本の童謡界の人気を二分した。歌手活動にとどまらず、人気テレビ番組「怪傑ハリマオ」や「ジャガーの眼」にも出演した。この極はミスタードーナツの「ヘルシーアメリカンマフィン」のCMで使われたことがある。

 当時は30(他の番組では181)店ものチェーン店になっていたそうだ。登場したのは昭和30代の前、93年でも5店ほど残っていてクルマで売っているという。値段はパンが7円と安い方だ。実際はロバでなく、馬だったともいうが、筑紫もロバだった記憶があるという。町の動物園のようだと言われた。馬車1台16万から20万したといわれる。昭和40年代にモーターリゼーションのためになくなってきた。蹄鉄を作ってくれる職人もいなくなったという。松山には平成元年まで続けた人がいた。

 「一日一食パンを食べましょう」と言われた時代だった。

 南浦邦仁『ロバのパン物語』(かもがわ出版1993)という本がある。昭和初期に札幌にロバに車を引かせる「ロバのパン屋」があったが、全国に広めたのは、京都市の「ビタミンパン連鎖店本部」だという。創業者の桑原貞吉さん(故人)が1953年(昭和28)に馬車を使ってパンの移動販売を始め、最盛期の60年ごろには西日本を中心に全国に約160店まで広がった。1台当たりの売り上げは700―1200個あったという。車の普及とともに、ロバのパン屋は減り始め、現在では京都、大阪など10店になり、車に代わっているという。

 富山ではどんな人が経営をしていて、どんな生活を送り、今何をしているのだろう?

●ロボット

 富山とロボットの関係は深い。

 『ドラえもん』の作者・藤子不二雄は富山出身だ。高岡の御車山祭を見て育ったから、ロボットには親近感があるのだ。御車山祭ではからくり人形が出てくる。からくり人形師が作ったものだが、藤子の『キテレツ大百科』は「からくり儀右衛門」こと田中儀右衛門がモデルになっている。

 不二越は世界最大クラスの可搬重量700kgのハンドリングロボット「SC700」シリーズなどロボット分野に強いし、川田工業がisamu(Integrated System of Advanced Motion-control Units:イサム)という二足歩行ロボットを作っている。

 ホンダのアシモの頭と胴のプラスティック部分は富山で作られている。

 富山商船高専はロボコンでいつも優秀な成績を残していて2002年にロボコン大賞になったファイアウォールは有名。

 ギネスブックに最高のいやし効果を持つとして記載されている、アザラシ型ロボットの「パロ」も城端で作っている。

 『鉄腕アトムのロボット学』(集英社)を書いた福田敏男は富山県出身。

 ちなみに、石川県の話になるが、天文方が使う観測機器の製作者は加賀藩の民間技術者・ 大野規周で、規周の父・大野規好は伊能忠敬の測量器一式の 製作者である。このような大野一族で一番有名なのは大野弁吉で「加賀の平賀源内」と呼ばれた。


英語

数字

序文

IMIDAS   Back Home    please send mail.