金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


 

笑説 越中語大辞典


数字


●二階建てバス 

 富山が全国シェア100%。

●三協

 1960年6月に「地域社会、お客様、従業員の協力のもと、共に発展していきたい」との理念から三協アルミが生まれた。 三つが協同するから「三協」になったのだが、富山には関連会社でなくても「三協」がつく会社が多い。

●三尺玉

 花火の三尺玉が滑川の竜宮祭りの花火大会で披露される。長岡まで行かなくても三尺玉が見られる。

●三大景観→世界三大景観

●三大豪雪地帯

 清水義範の『サイエンス言誤学』によれば、世界三大豪雪地帯というのがある。日本海側と北米五大湖の南の山岳地帯とトルコ中央部の山岳地帯。

●三大紙

 読売、朝日、毎日だが、正力松太郎の故郷だけに読売が多い。朝日を取っていると「インテリだね」と冷やかされたりする。毎日にいたっては取っている人がいないので、迷惑になるし、記者の方も「お読みではないでしょうが…」と言ってくる。

●三大七夕→日本三大七夕

●三大仏→日本三大仏 「三大ブス地帯」とは仙台、水戸、名古屋(または、熊本、広島、岡山、松本、前橋、福島、米沢)である。 

●三大マイナー県

 タレントのはなわによれば、「三大マイナー県」は佐賀県、香川県、滋賀県であり、富山は入っていない。

●三大山城

 越中三大山城。増山城(初め和田城といった/砺波市)、松倉城(魚津市)、守山城(高岡市)。

●三津七湊【さんしんしちそう】

 鎌倉時代から室町にかけての重要な港。日本最古の海事法規集『廻船式目』には鎌倉室町時代を通しての日本の十大港として書いてある。「三津」は「三箇(さんが)の津(つ)」ともいった。これから分かるように、「裏日本」は「表日本」だった。

三津・・・筑前の博多津(はかたのつ)、薩摩の坊の津、伊勢の安濃津(あのつ)
七湊・・・越前三国・加賀本吉(美川)・能登輪島・越中岩瀬・越後今町(直江津)・出羽秋田・津軽十三湊

●三越のギフト

 「三越のギフト」と書いて「サンエツのギフト」と読ませていたお店があった。さすがにクレームがついて「サンエツ」としっかり書いている。

●御三家

 進学校の富山中部、富山、高岡高校のこと。魚津や砺波を入れた「五摂家」もある。

●四高【しこう】

 金沢にあった「第四高等学校」で金沢大学教養部の基礎となった。その跡地は近代文学館と中央公園になっている。旧制富山高校が「ナンバースクール」ではなかったことも富山県の人のコンプレックスになっている。

●4ブロック

 県内は富山、新川、高岡、砺波の4ブロックに分けられる。

●五大家

 岩瀬五大家のこと。馬場家、米田家、森家、畠山家、宮城家。これらの伝統的な家屋には客人専用の出入り口「切抜け門」や「スムシコ」と呼ばれる竹を細かく組み込んだ格子など、細部に贅(ぜい)を凝らした技法がちりばめられている。窓から外へ張り出された格子には屋号が彫り込まれている。

畠山家…明治初期には北海道と能登などの近海交易にあたった。明治末年頃、畠山合名会社を設立。回漕部は北海道交易の他、銀行・電気事業への金融業務を、漁業部は北洋、カムチャツカ方面での漁業を扱った。

馬場家…加賀藩・富山藩と結んで発展した武家の流れをくむ老舗。天保頃から北海道交易に乗り出して急速に経営を拡大した。五大家の中では馬場家だけが汽船会社を経営し、日本郵船の独占に対抗して「日本海運業同盟会」の中核として活躍した。馬場はるは1886(明治19)年、現在の朝日町泊の豪農・小沢家に生まれ、15歳で、馬場家の次期当主・道久に嫁ぎ、やがて1男3女をもうける。1919(大正8)年5月。3年前の義父に続き、夫の道久が40歳で他界してしまい、家業を継ぐ。旧制富山高校の開校資金として、県に100万円を寄付、「ヘルン文庫」の創設に15000円寄付するなどして富山市の名誉市民となる。71年死去。富山高校の跡地は馬場記念公園として保存されている。

宮城家…明治前期に急成長した回船問屋。明治34 年樺太に渡航、買魚で巨利をあげた。日露戦争後いち早くニコライエフスク、沿海州に出漁、カムチャツカ、房州にも進出した。

森家…安政年間から続く回船問屋で代々、四十物(あいもの)屋仙右衛門と称して維新以降に森と称する。1900 年(明治33 年)頃には北海道通いの汽船を持っていた。大正期にはカムチャツカに出漁し、漁場経営にも乗り出した。家屋には屋久杉の板戸、能登産黒松のはり、囲炉裏を飾るロシアの琥珀(こはく)、土間の小豆島産の巨大な一枚岩などが使用されている。1988 年(昭和63 年)に富山市の指定文化財に指定され、公開されている。

米田家…幕末から明治初年にかけて北前船主となり、昭和初年には肥料問屋としても成長した。魚肥を農民に小売りする商法で、販売先は富山市以北、神通川流域の八尾にまで及び、「米田四千石の高持」と称された。

●七不思議

 奈良県斑鳩の里の法隆寺には「法隆寺の七不思議」が伝わっている。1)伽藍にクモが巣を作らない、雀も伽藍の堂塔に糞をかけない、2)地面に雨垂れの穴があかない、3)南大門の石段の下に「鯛石」いわれる大石がある、4)三つの伏蔵がある、5)因可池(よるかのいけ)の蛙には片目がない、6)五重塔の九輪に四本の大鎌がある、7)夢殿の礼盤の裏が汗をかく。

 高岡伏木の勝興寺にも「勝興寺の七不思議」がある。1)実らずの銀杏、2)天から降った石、3)水の枯れない池、4)屋根を支える猿【平成の大修理で猿ではなく「天の邪鬼」だということが判明】、5)魔除けの柱【一本の柱だけがケヤキではないのだが、『徒然草』の完全にすると後は悪くなるだけ、という考えに基づいているという】、6)雲龍の硯(すずり)、7)三葉の松など。

●七大河川

 富山県にある7つの大きな河川を小学校で覚えさせられた。黒部、早月、片貝、常願寺(じょうがんじ)、神通(じんつう〜じんづう)、庄、小矢部である。

 富山は神通川と常願寺川に、高岡は庄川と小矢部川に囲まれて発展した。金沢は犀川と浅野川に囲まれているが、河川の大きさが富山に比べて小さい。

 さて、早月、片貝は他に比べて小さいが、七つにしたかったのだ。でも、誰も「七つの海」は知らない。【答】

●七橋めぐり

 富山市の松川にかかる桜橋、華明橋、塩倉橋、七十二峰橋、安住橋、舟橋、松川橋の七つを回ったもの。

●七福神

 北川宗忠『観光・旅の文化』(ミネルヴァ書房)によれば、各地にある七福神めぐりというのが北陸にはない。

●8号線

 国道8号線。新潟から京都まで(?)。

●八景

 北川宗忠『観光・旅の文化』(ミネルヴァ書房)によれば、富山の八景は次のとおり。数字は八景の創設、資料掲載年。

 城端八景(1707)、神通八景(1746)、井波八景(1778)、灘浦八景(1844-48)。

●8番らーめん

 金沢を中心としたラーメンチェーン。1967年、加賀市に最初の店が出来たとき、国道8号線の通っている北陸にあるから「8番」とした。とはいえ、現在は岐阜県にも進出している。「8号」にしなかったのは「…番」「…麺」で脚韻を踏むようにしたのだ。また、「ん」が付く商品は売れる(薬品名を考えてみよう)ということも知っていたのだ。今ではタイやマレーシアにまで進出している。

●八文字焼き

 八文字焼は井波町の開町六百年を記念して1990年から始まった。南砺市井波地域の八乙女山(756メートル)の山腹に火を放つ。先人の遺徳に感謝する送り火として、8月16日にまきを燃やす。同日に打ち上げる花火とともに、井波地域の夏を彩る風物詩として親しまれている。

●一八豪雪 

 「平成十八年豪雪」だが、果たして「いちはち豪雪」というだろうか?

●「14歳の挑戦」

 県教委が1999年度から行っている事業で自分の将来について真剣に考え始める多感な時期を過ごしている中学2年生が、5日間にわたって希望する職場で働く体験をするもの。社会体験を授業に取り入れている中学校は全国でも多いが、全中学校で職場体験学習をしているのは、2002年現在で富山県と兵庫県だけ。当時14歳の「酒鬼薔薇聖斗」事件が神戸灘区で起きたために始まったものだが、2003年7月に長崎で種元駿ちゃん殺しの犯人で12歳の中学1年生が補導された。しかも、職場体験へ行く途中で、警察に呼ばれたのだ。困ったものだ。2005年から全国で実施されることになった。

●三十三所

 北川宗忠『観光・旅の文化』(ミネルヴァ書房)によれば、富山の三十所は以下のとおり。数字は八景の創設、資料掲載年。

 越中一國三十五所(1573-92)、越中一国三十三所(明治初期・前記改編)、富山地廻り西国三十三所・氷見三十三所(1735)、高岡三十三所・高岡新西国三十三所(前記改編)・中筋往来三十三所(江戸期)。

●三八【さんぱち】

 昭和38年(1963年)の豪雪をいう。

●41号線

 国道41号線。富山県と岐阜、名古屋を結ぶ幹線。

●五六【ごーろく】

 昭和56年(1981年)の豪雪をいうが、三八と違って正式名称ではなく通称。気象庁は2005年冬に起きた豪雪を「平成十八年豪雪」と命名した(被害の多かったのは17年だった)。「いちはち豪雪」というようになるだろうか。

●七・三体制【ななさん】〜三・七体制

 かつて富山県の教委が実施していた政策。即戦力になる「産業兵士」を育てようと、普通科3:実業科7という割合を求める文部省の指導を県が高度経済成長期に先取りした。だが、大学進学熱の高まりから父母らが反対し、企業誘致もうまく行かず、「是正」が進んだ。

 今は逆転しているが、当時は普通科は「エリート」でなければ入れず、十五の春に泣く子が多かった。

●百円橋

 婦中大橋のこと。かつて通行料百円を徴収していた。

●100人

 2000年に北日本新聞が選んだ「21世紀に伝えたいとやま先覚100人」は次の通り。藤子不二雄が二人とも載っていないことから分かるように故人のみ選んだ。

政治・行政■海内果、稲垣示、米沢紋三郎、大矢四郎兵衛、南弘、河辺虎四郎、細川嘉六、大橋八郎、正力松太郎、中田幸吉、吉田実、改井秀雄

言論・社会■斎藤弥九郎、山野清平、横山源之助、井上江花、馬場はる、大窪マスミ、萩野昇

教   育■島巌、蟹江義丸、南日恒太郎、乗杉嘉寿、亜武巣マーガレット、山崎兵蔵

学   術■黒川良安、坪井信良、高峰譲吉、山田孝雄、宇田新太郎、盛永俊太郎、川原田政太郎、大島文雄

経済・商工■初代佐藤助九郎、藤井能三、安田善次郎、五代松井角平恒信、初代金岡又左衛門、浅野総一郎、密田孝吉、二代邨沢金広、山田昌作、黒田善太郎、大谷米太郎、河合良成、十五代中田清兵衛、井村荒喜、佐伯宗義、川田忠雄、吉田忠雄、金岡幸二、田中儀一郎

農林水畜産■石黒岩次郎、上野八郎右衛門、鉢蝋清香、上坂伝次、水野豊造、稲塚権次郎、酒井光雄

スポーツ ■梅ヶ谷藤太郎、太刀山峰右衛門、初代佐伯文蔵、佐伯富男、佐伯文蔵

宗   教■笠原研寿、金山穆韶、梅原真隆

文   芸■大井冷光、前田普羅、柏原兵三、翁久允、角川源義、中山輝、中島杏子、田中冬二、源氏鶏太、堀田善衛、岩倉政治

美術・工芸■林忠正、石崎光瑤、畑正吉、石黒宗麿、横山白汀、郷倉千靱【郷倉和子は娘】、棟方志功、青柳石城、瀧口修造、川辺外治、篁牛人、山崎覚太郎

芸能・音楽■津村謙、福井直秋、川崎順二、松本謙三、黒坂富治、加西希代子、藤子・F・不二雄、本川藤由

●百年の計

 なぜか置県百二十周年を機に、県勢発展の基礎が人づくりにあることを思い起こそうと、県庁正面玄関西側に「ひとづくり記念碑」が建立された。「百年之計莫如樹人」(百年の計は人を樹《う》うるに如《し》くはなし)と刻んだ。出典は中国斉の宰相、管仲の「一年之計莫如樹穀 十年之計莫如樹木 終身之計莫如樹人」だが、「終身之計」では「終身刑」を連想させるからと「百年」に変えたそうだ。勝手に変えていいのかしら?

●百名山

 深田久弥の『日本百名山』で選ばれた山。富山では九座も挙がっている。薬師岳立山剣岳(以上、富山県内)、白馬岳、五龍岳(五竜岳)、鹿島槍ヶ岳、黒部五郎岳、黒岳(水晶岳)、鷲羽岳。「後記」で雪倉岳、奥大日岳、毛勝山、笈ヶ岳などを割愛しなければならなかったのが残念、と述べているほどだから、加賀の大聖寺生まれの深田にとって越中の山への愛着が強かったようだ。深田は「『日本百名山』その後」という一文で「私が求めるのは非流行の山である」と書いているが、実際には中高年の登山ブームを招いて遭難も増えた。僕の知人の息子は『日本百名山』を逆から全部登ろうとして、屋久島から始めたのだが、一ヶ月に35日雨が降る、というところでしんどかったらしく、『日本一名山』で終わった。

 なお、人類学の今西錦司は千山登山を達成した。

●109

 東急の店。「十」&「九」の語呂合わせ。富山市中央通りにある。

●110万人

 富山県の人口。「110万人の〜」というと「富山県の〜」と同義で使われる。昔は100万人だった。日本が1億1000万人とするとその100分の1なので、例えばオリンピック選手が400人と聞くと4人位だと考えると楽だ。

●111【トリプルワン】

 富山駅北にある、インテックのビル。由来はインテックの創立が昭和39年1月11日、株式上場が昭和57年11月1日、また竣工年の平成6年が富山置県111年に当たるところから、タワー111と名付けられ、ビルの高さも111mとなっている(実際には120.5メートル)。 というか111は何でも「日本一」の富山県にふさわしい。富山で一番高いビルだったが、今は進開ホテルの方が高いはずだ。1994年から「ビル全体をアートに」ということで、クリスマスの時期には樅の木の形のイルミネーションになる。

 そういえば、ホールもあって、ここで最初のコンサートが妻のリサイタルだった。

●156【いちころ】

 国道156号線。富山県と岐阜、名古屋を結ぶ幹線。岐阜の山間部を通るのでかつては「イチコロ線」「ヒトゴロシ線」などと呼ばれた。土砂崩れや雪崩が絶えず、多くの人が犠牲になった。

●三三九度

 結婚儀礼が昔から伝えられていると考えるのは早計である。『日本の民俗』(第一法規出版)に富山市の方言研究家・太田栄太郎は「三三九度などということは、多くのところで昔はなかったという。むしろもらった側の主人と、送ってきた側のオヤシロ(親代)との盃が大事であったようである」と証言している。

●三四五建築事務所【みよい】

 稲葉実が所長をしている設計事務所。111ビルや富山国際大学、富山ガラス工芸研究所などを手がけている。

●415号線

 商船高専の前を走る国道で、「よいこの415号線」とは誰も呼ばない。

●七五三

 昔は富山ではあまりしなかったが、商業主義に負けた。

●千本格子→さまのこ

●1080

 これで「とやま」と呼ばせることが流行っている。例えば、バスロケーションシステム(http://www.bus1080.jp/)など。パチンコ屋にも多い。

●2000年とやま国体

 富山で開催される国体。2度目なのでごく一部しか盛り上がらなかった。

 この国体の終了後、ゴールドウインと新日軽のホッケー部、三協アルミバドミントン部、日本カーバイドバレーボール部、北陸銀行卓球部、立山アルミハンドボール部、インテックボート部などが次々と活動を停止した。

 2002高知よさこい国体では橋本大二郎知事の決断もあって開催県が優勝するという枷(かせ)からようやく脱出した。1964年の新潟国体以後38年間続いた「国体の常識」が崩れた。


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数字

序文

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