マックde記号論(言語学のお散歩)


 

笑説 越中語大辞典



●みぁあらくもん/みゃーらくもん

 「身が楽な者」からどこでも遊んでいるような風流人。似たような言葉に「のぼせもん」というのもあって、仕事以外の物事に浮かれる者を揶揄する言葉だ。例:「ボランティアちゃ、みゃーらくもんがすっことやねけ」。マイナスイメージだったが、僕の知っている範囲では1980年に富山女子高演劇部が「みゃーらくもんの系譜」(窪邦雄・作)というのを演じてから有名になった。青森の「じょっぱり」、石川の「いちがい」、大阪の「きばる」、広島の「いちぶつ」、徳島の「がいな」、高知の「いごっそう」、福岡の「のぼせもん」、熊本の「(肥後)もっこす」、鹿児島の「ぼっけもん」に相当すると思うのだが、どうだろう。真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)には「見歩く者」という民間語源を県の周囲に「みがらくもん」という語形があるからと否定している。真田信治は『罵詈雑言辞典』で「遊び人」を富山方言で「みがらくもん」というと書いている。

 みゃーらくもんが地球を救う。

 2004年には富山の魅力をPRする県の情報誌『みゃあらく(とやま道楽)』が創刊された。県内に魅せられた人を通じて、富山の良さを紹介する構成になっている。県外の著名人に配布したり、物産店で販売したりして、イメージアップを図ることになっている。

●見返り阿弥陀像

 南砺市にある安居寺(あんごじ)にある仏像。室町時代の作とされ、わずか左後方を振り向いている。全国でも5、6体しかないとされる。

●みぎす

 魚の「ニギス」。

●みぎたない

 「不潔な」。「こきたない」ともいう。「不潔な人」は「みぎたなし」という。

●右と左

 新湊は13基もあってとても雄壮だ。と僕らは思うが、高岡の人は「うるさい」といって何度も曳山を潰しにかかったといわれる。

 曳山が左右にずれるのを修正するのに、東西南北を新湊では「高周波、鋼管、田圃、浜」(町内によって異なる)などという。伏木の喧嘩山は、曳いている人と乗って指示する人が同じように前を向いているので「右」とか「左」というだけで分かるという。ただし、前山(まえやま)、後山(うしろやま)の人の拍子木がとても大切で、重要な役割だという。新湊は乗って指示する人と曳く人は向かいあっているから絶対的な位置関係で指示をしなければならないのだ。また、激しく動くので誤解を避けるために隠語を使うのだ。

 岩瀬の喧嘩山はそんな修正などせずに一気にぶつけるという。八尾の町では南北に曳き回すので「東に張れ」「西に張れ」で十分だという。城端は「右」とか「左」と叫び、お囃子が賑やかで声が通らない時は手で指図するという。福野の夜高や砺波の夜高などは「右」とか「左」で十分だという。大門は「左ヨッコー」とかいう。高岡の御車山(みくるまやま)も問題はないという。この辺は新湊の山車と違っておとなしいからだ。

 ちなみに、祇園祭の山鉾のハイライトは河原町御池の交差点である。鉾巡行の最大の見せ場、辻回しを行うため、竹をしき並べ水を打つ。この時のかけ声は「ヨーイヨーイヨーイノセイ」で曳き方が一斉に綱を引く。ギシギシと音をたて鉾が竹をすべり歓声がわく。つまり、方向が決まっているから、こんなかけ声ですむのだ。

※この話を基にNHK富山の「夢航海」で2002年10月9日「富山の右左」という番組を作った(この日は田中耕一さんのノーベル賞が決まった日だった)。

 井上京子『もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待』(大修館)で述べられている左右のない言語の話をして、それが日本でも見つかったということにした。

 レヴィンソンもオーストラリア先住民言語のほとんどが絶対的な位置関係でコミュニケーションをしているという。グウグ・イミディール語では次のような会話になるという。

 3.a.次の角を北に行きなさい。
  b.彼は銀行の南側に立っていた。
  c.あなたの部屋の西側のテーブルの東の端に本を置き忘れてきた。

Levinson(1997)“Language and cognition: The Cognitive Consequences of Spatial Description in Guugu Yimithirr.”in Journal of Linguistic Anthropology, Vol.7, No.!, pp98-131

 なお、神戸でも六甲山の位置関係がはっきり分かっているので、「右側」「左側」を使わずに「山側」「海側」を使うことが多い。電車などでも例えば小田急線など、「進行方向に向かって右」などというのはややこしいので、客向けでない場合は「山側」「海側」を使っている。

 若林幹夫は『地図の想像力』(講談社選書メチエ)で目の不自由な人の場合は、「私たちが道を教えるときによく使う『右』や『左』といった局所的空間における方向によってではなく、『東西南北』という全域的空間における方位を枠組として、得られた情報を統合してゆく」と書いている。「どこどこを右に曲がって」という教え方は目の不自由な人にとっては不便なのである。彼らは時間と、日が差している方向とを判断して、「いまは正午で、こちらから顔に日が当たっていて暖かいから、こちらが南で…」という具合に「東西南北」を指摘するのだろう。

 雛人形も左右がややこしいが平凡社百科事典にもちゃんと書いてある。御所で天皇は常に南に向かって座った。太陽が昇る方角=東が上座と考えられていたため、向かって右が天皇、左が皇后となり、雛人形もそれにならった。加賀藩・前田家に伝わる雛人形は左・女雛:右・男雛だった。高岡市・大野屋に飾られている江戸時代の雛人形も左・女雛:右・男雛。大野屋の近所に飾られていた江戸時代の「享保びな」も同じ。さらに、高岡市・神保さん宅で代々受け継がれてきた明治時代の雛人形も左・女雛:右・男雛ということになる。これが昭和3年の昭和天皇の「御即位の大礼」の時、西洋式の並び方を取り入れられ、新聞発表などで天皇が向かって左、皇后が向かって右の写真が掲載され、雛人形の並び方も左・男雛:右・女雛にするようになった。東京の雛人形卸商組合がこちらに統一した。後で知ったが、富山市・料亭旅館「かわい」が昭和初期に購入したという「御殿びな」も左・男雛:右・女雛となっているという。

 大阪は右側、東京は左側がほとんどというエスカレーターの右左も取り上げた。国際的には関西方式なのだが、日本では岐阜県の垂井駅が東西の分岐点でエスカレーターを白線で分けてあってどちらでもいいようだ。 県内にはエスカレーターが少なく、分からないが、富山駅と地下通路を結ぶエスカレーターは左側に立つ人が多い。富山は東京方式を採っているようだ。北陸線を西に向かうと、どこが分岐点なのだろうか。武士の文化」(江戸)と「商人の文化」(大阪)で説明されることが多い。武士は腰の左に差した刀をいつでも抜けるように、身の右側に空間を欲しがり、商人は懐中のそろばんを左手で取り出せるように、身の左側に空間を欲しがるからだというもっともらしい説もある(が、その頃にエスカレーターがあった訳ではない)。

 地下鉄駅では東京、名古屋、福岡などでは右空け、大阪と神戸は左空けが多く、乗り方は各地まちまちだという。仙台の地下鉄は歩く人が多い場合緊急停止の恐れがあるからと「歩行禁止」を明示しているが、多くは利用者任せのようだ。空港ターミナルや再開発ビル街で増えている「動く歩道」でも右空け慣行が広がりつつある。右の方が利き手を使える人が多いから、老人の事故も少なくなるだろう。

   左右  川崎洋『言葉遊びうた』(思潮社)

  …
「わたしの右はあなたからみれば左です」
「それなのに右と左という言葉は、
物事を二つに仕分けるような偉そうな顔をしていますね」

 中国では「男左女右」という言葉がある。男性は「陽」に属し「左」、女性は「陰」に属して「右」とされる。 写真を撮るときは、男が左で、女が右になるしきたりがある。左、右は、カメラのレンズから見た位置である。結婚式でも、花婿が向かって左、花嫁が向かって右に坐る。中国と日本で「男左女右」が一致しているのは、ボタンホールの位置だろう。 韓国でも村の入り口に悪魔払い、厄除けとして置かれている将軍標は、天下大将軍(男)が必ず向かって左に、地下女将軍が右に置かれている。これらは、いずれも右上位(向かって左)の原則が貫かれている。

 村上春樹『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』(マガジンハウス)に紹介してある話。

 ローマの初代皇帝であるアウグストゥスは右の足を左の靴に入れようとして、部下の兵士たちに危うく殺されそうになった。左右の靴を間違えて履くと災厄を招くという迷信が、ヨーロッパには古来あったらしい。しかしそんなことでいちいち殺されていたら、僕なんかいくつ命があっても足りない。

 ちなみに、東条英機は左利きだったために、拳銃自殺を失敗したそうだ。

●みくりが池

 立山室堂にある池。神の台所で「御庫裡ヶ池」だと思うが、深田久弥『日本百名山』では「三繰ヶ池」で次のような伝説を示している。

昔、ある僧が人の留めるのもきかずこの池で泳いだ。最初は懐剣を口にくわえていたので無事だったが、池を見くびってそれ無しで泳いだところ、一巡り、二巡り、三巡り目に、池の中心深く沈んだまま遂に現れなかった。三繰ヶ池という名はそこから出たという。

●御車山【みくるまやま】祭り

 高岡の関野神社で行われるお祭りで5月1日。前田利家が太閤秀吉から譲り受けた桃山文化を偲ばせる山車が練り歩く。7基あるが、夜は展示だけになって少しつまらない。

●見して

 「見せて」。例:「なんもせんから、ちょっこ見して」。

●三島野

 「三島野観光」というのがあって、「三島野」とはどこかと思ったものだった。大島町から大門町北部にかけての地を指したようだ。家持に「矢形尾の鷹を手に据ゑ 三島野に 狩らぬ日まねく月ぞ経にける」(『万葉集』巻第17- 4012)という歌が残っている。

●水合わせ

 結婚式で嫁が婿の家に入る時に双方の家から持ってきた水を合わせる。二つの文化を合わせて努力していけるようにと祈る儀式である。この時、使ったカワラケは玄関で割る。

 日本だけかと思っていたら、『みんな私が好きになる』という映画にはローマの結婚式で、付添いになったお姉さんが壺を割るシーンがある。粉々になればなるほど、幸せになる、ということなのだが、なかなか割れないので焦る…。

●水祝い

 嫁入りや婿入りの際、または新婚の最初の正月に、親戚・友人が婿に水を浴びせて祝う儀礼。「みずあびせ、みずかけ、みずかけいわい」ともいうが富山では定まった言い方がないようだ。「水祝儀」という地方もある。旧正月にされたらさぞ冷たかっただろうが、富山ではほとんど結婚後の最初の出勤日に同僚が行うことになっている。

 僕はそんな風習を知らなかったが、結婚した時に、ある先生から「水かけてやろうか」といわれてはじめて分かった。一茶の『七番日記』に「逃げしなや水祝はるる五十聟(むこ)」というのがある。一茶は52歳で信州柏原近辺の女性と結婚したので「五十聟」と戯画化している。警戒していたのに水をかけられてしまったという恥ずかしさと喜びが読みとれる。一茶より百年ほど前の享保年間に幕府の禁令が出ていた(恐らくエスカレートして婿いじめになったのだろうし、クソッあんな可愛い子をとやっかみで参加するものもいたろう)というが、連綿と続いていたのである。

 結婚というのをこうした行事で共同体のみんなに承認してもらったということがある。同時に、厄払い(お宮の若水)や水が象徴する禊祓と豊穣を祈ったものであろう。

 関係があるかどうか知らないが、狂言に「水掛聟」というのがある。日照りのときに舅が田を見回ると水がない。隣の婿の田には水がある。そこで勝手に水を引き込むと、今度は婿が見回りに来て元に戻す。舅と婿は口論からやがて水の掛け合いを始め、取っ組み合いになる。仲裁に駆けつけた妻が悩みながらも夫に加勢する。舅は「ヘェ、よいわ。おのれら両人、来年から祭には呼ばぬぞよ」とさびしく留めるというものだ。水はときに身内の仲も裂くほどに水は貴重だったのだ。

 中国の雲南省などでも「水かけ祭」があることから、照葉樹林文化がこちらまで拡がっていると考えると楽しい。

●水島柿

 新湊市の片口で採れた柿が一番おいしい。語源について、富山市立図書館が調べたことがある。『富山大百科事典』には射水郡原産の甘柿の品種名である、と書かれている。『ふるさとの味と技 いきいき富山特産品ガイド』『富山の特産』には、大正2年に富山農会が発行した『園芸要鑑』には「今より200年以前、片口村大字大場村の住人前川弥三郎なるもの果樹の栽植に熱心にして…、栽培を村民に勧めたる結果射水一円の特産として名声遠近に知られるに至れり…」と記されていると載っている。『新湊市史 近現代』を見ると、「江戸時代の中頃から当地域を中心に射水平野一円にわたり、各家の屋敷内に栽培され、それは主として自家で消費するためのものであった。」と書かれている。『片口今むかし』(市立片口公民館片口今むかし編集委員会編)を見ると、「昭和50年市指定天然記念物。高場が発祥地で、明治になって水稲奨励優良品種「水島」にちなんで命名された」と書かれていた。『新湊の文化財』(新湊市教育委員会編)を見ると、明治の頃の水稲の品種で味・収穫ともに優れていた「水島」から名付けられたと付け加えられていた。

 話は違うが、昔は渋柿が多かった。食べてみて、どうしてこんな柿を植える人がいるのか不思議で仕方がなかった。どうやら、「干し柿」や「あんぼ柿」にしたようだ。また、湯やアルコールで渋を抜くことを動詞で「醂(さわ)す」といい、これらの方法で渋抜きを施した「さわし柿」をも作ったらしい。

渋柿は馬鹿の薬になるまいか---正岡子規

●ミスコンテスト

 チューリップフェアが2001年50回を迎えるのを機に、「男女共同参画社会の実現、性差別問題の解決を考えた」という理由で名称を「ミスチューリップ」から「プリンセス、プリンスチューリップ」に変える。県内では、観光PRに「ミスター」を選ぶところも出てきている。ミスチューリップが始まったのは1974年。「県内のミスではおそらく最も古い」(県観光通商課)という。チューリップフェアでのアシスタントや、全国での観光PRを行う。応募資格は、これまでの「十八歳以上の未婚女性」から「十八歳以上で、男女、未婚・既婚は問わない」に変更。男女の枠は設けず、「結果として男性ばかりになる場合もありうる」という。

 新湊も「ミスター曳き山」というのに変えている。

 2002年には新湊などが中止して、観光PR担当の女性を未婚・既婚を問わず募集し始めた。ミス富山もなくなった。

●水ちょご

 水遊び。

●水橋 

 水橋は売薬さんで有名な町だ。水橋郷土史料館があり、水橋地区に残る民具や古文書のほか、古くから同地区で盛んだった配置薬業関係の資料を後世に伝えようと、市からの出資金や地元の寄付金を元に、1979年11月にオープンした。 収蔵されている資料の中で、売薬関係は漢方の薬種を細かくする「薬研」や、売薬さんの顧客名簿である「懸場帳」など約2千点。うち972点が81年に国の重要有形民俗文化財の指定を受けている。2004年に閉館を決めた。

 池内紀の『川の旅』(青土社)には「ばんどり党 白岩川」というエッセイがある。

「水橋」とは、いい名前だ。水の橋。富山市東部で富山湾にそそぐ白岩川の河口に、この名前の町がある。富山市と合併してからも、きっと名を惜しんでだろう。それぞれの町名のあたまに「水橋」がつく。水橋中町、水橋川原町、水橋伊勢屋町、水橋天神町といったぐあいだ。

●ミズバショウ

 水辺に純白でかれんな姿を見せるミズバショウは尾瀬だけではない。五箇山にもあるが、城端の蓑谷にある縄ケ池のミズバショウも綺麗である。5月中旬ごろ咲く。 仏炎苞(ぶつえんほう)を開かせているミズバショウは葉の緑とあいまって可憐だ。「苞」(つと)ともいうが、これには鮭の「あらまき」という意味もある。

 県天然記念物に指定されている城端町の縄ヶ池群生地は県天然記念物に指定されている。山崩れで川がせき止められてできた縄ヶ池(周囲2キロ)と湿地で構成され、標高約820メートルの山腹にある。清らかな雪解け水の中で約5万株のミズバショウが育っている。

 富山、岐阜県境にある利賀村の白木水無県立自然公園・水無平湿原でもミズバショウが群生している。1970年ごろ、標高1400メートルの一帯に全国的にも珍しい葉に濃い緑色の斑点があるミズバショウの群生が見つかった。水の流出などで危機状態になったが、整備されて名所になっている。

 富山市本宮(大山)の立山山麓スキー場近くでも群生している。群生地は、らいちょうバレーエリアと極楽坂エリアに挟まれた約100平方メートルの細長い湿地帯にある。標高は約450メートル。ミズバショウと同じサトイモ科のザゼンソウも点在している。

●水引

 「贈答品を結ぶ飾り紐」。NHK大河ドラマの『利家とまつ』では冒頭に水引が使われた。金沢の水引は有名だ。東京の本郷三丁目の駅の近くにも水引屋さんがあった。「本郷もかねやす(小間物屋)までは江戸のうち」といって江戸なのだが、考えてみれば、東大は加賀藩だったから、その名残が残っているのかもしれない。

 水引は良質の和紙を縦に細長く切って紙縒(こより)をつくり、米のとぎ汁や糊を薄めた液に浸け、手巾(しゅきん)で引き絞って日に干して固める。これを紅、白、金、銀など用途に応じて種々の色に染める。米のとぎ汁を引くことから水引という。同様の製法は髪の髻(もとどり)を結い束ねる元結(もとゆい・もっとい)にも用いられている。贈答用の進物は、室町時代ごろから紙で包むようになり、これを帯紙で留めるものであった。近世になって水引の技術が開発され、細い水引糸を数本まとめて紐として使うようになった。吉事には奇数、凶事には偶数を用いたりする。

 飛鳥時代以来、中国に倣って、宮中への献上品には紅白の麻を結ぶのが慣例であったが、広く一般に、贈答品に水引をかける作法が普及したのは江戸時代以降だという。昭和に入ってからは、単に贈答品用としてだけでなく、吉祥を表す特殊な細工として独自の発達を遂げた。水引細工の作品のモチーフには、松竹梅、鶴亀、鳳凰、福寿草などの吉祥動植物、人形や花、風景など、さまざまな意匠が選ばれ、おもに室内装飾、贈答品の飾りなどに用いられる。

 装飾品なので、無意味なように思われるが、包む人の気持ちが込められている。

 水引細工の頂点に宝船があって結納の時に持っていかれ、結婚式の時に返される。ちょうど、メラネシア人の行う儀礼的交換である「クラ交易」に近い。これはニューギニア島東端とその北東および東にある島々を円環状に結んで行われるが、この円環の周囲は数百キロメートルにも及ぶ。クラはこの地方の人々の、生活の中心ともいうべき重要な行事であり、人々は、クラをするために、カヌーで何日もかけて危険な海上を旅することもいとわなかった。

 どうして人間はこんな無意味なことをするのか。まどみちおの「やぎさん郵便」が答えになるかもしれない。つまり、内容のない手紙をやり取りしている黒ヤギさんと白ヤギさんだが、二人の気持ちはこうしてつながっている。

 つまり、ケータイで無意味な挨拶メールを繰り返す現代人と変わらないのである。

 井上雪『その手を見せて』(冬樹社)に「金沢の津田流水引」という一章があり、津田水引折型店の様子を描いている。

●味噌汁

 富山の味噌汁の味噌は麹味噌である。これは魚料理が多いために魚臭さをなくすためとされる。魚の味噌汁用の広くて低いお椀がある。魚がよく見えるようにということだ。

 味噌汁は「おつけ」というように関東と同じ言い方をする。そして「飲む」ものである。 ちなみに、soupはdrinkではなくて、eatである。『現代日本語方言大辞典』には次のようなバリエーションがあるという。

 

  • 「味噌汁を食べる」…和歌山の一部、山口、香川、愛媛など。
  • 「味噌汁を吸う」…秋田や山形など東北や、三重や滋賀などの関西、佐賀・熊本・大分などの九州、他にも千葉、石川、高知など。
  • 「味噌汁を啜る」…青森の八戸、茨城、埼玉の一部、滋賀の一部など。
  • 「味噌汁を飲む」…全国的に使われる。
  • ●味噌汁の具

     具で驚かれるのに、キュウリの味噌汁がある。また、北海道などでも食べるがタラの白子の味噌汁もそうだ。おからを入れるのも驚かれる。餅粉や白玉粉で作った団子を味噌汁の具にするのも驚かれる。

    ●みそつき太鼓

     南砺市桐木の桐木神明社で大祭など慶事の時のみ披露されるという行事で女装するのが珍しい。2007年にご神体を開帳する秋季大祭が33年ぶりに行われ、子どもみこしや「みそつき太鼓」などが奉納された。早乙女などに女装した男性らが軽快に太鼓を打ち鳴らすほか、七福神にふんした男性らがにぎやかに辺りを練る。

    ●弥陀ケ原【みだがはら】

     立山の麓に広がるなだらかな斜面が弥陀ヶ原である。弥陀ヶ原は実は白山にもある。

     そこに弥陀ヶ原火山がある。東大の火山学者が「世界の火山」に登録した時に、現在の立山カルデラ付近にかつてあった山が約十万年前に噴火し、その火砕流で弥陀ケ原が形成されたと考えられることから名付けられた。「立山火山」のほうが一般的だが、これだと雄山自体が火山活動でできたように誤解される面もある。山のあった場所については、現在の室堂山(2668メートル)周辺とする説もある。弥陀ケ原火山は、地獄谷などで噴気活動が今も続いていることから、1968年に活火山として分類された。2003年のランクはCになった。

    ●光岡自動車【みつおかじどうしゃ】

     光岡自動車は1990年から、国産車をベースに外観を独創的にデザイン変更して販売。96年に運輸省(現国土交通省)から国内10番目の乗用車メーカーの認可を受けた。富山にある。マーチやシルビアをベースにクラシカルなクルマを多数生産し、自分で組み立てて公道で走ることもできるキットカーも発売している。レトロカーの輸入販売も始めた。                                 

    ●三日の団子(だんご〜だご)

     出産三日目に団子(餅)を食べるが、今では乳腺炎を起こすのでよくないとされる。餅粉や白玉粉で作った団子を味噌汁の具にして提供することもある。

    ●みっとくない〜めっともない〜みっとんない〜めっとんない〜みっとくさい

     「みっともない」から。「ブスの」という意味も。例:「めっとんない顔やね」(ブスだ)。

    ●南

     「みなみ」というと富山では富山南高校、高岡では高岡南高校。

    ●みまつい

     「親戚一同」。

    ●宮ごもり

     氷見市小境地区の夕日神社と朝日神社では、子どもたちが「宮ごもり」を行う。まず最年長の子供が指揮をとり、一週間前から神社を掃除する。当日には両神社で寝ずの番を務めて、参拝に訪れる大人たちに神様に代わって新年のあいさつをし、お神酒を振る舞う行事。詳しくは『とやま民俗文化誌』(シー・エー・ピー)に「朝日神社と夕日神社」という文がある。

     この「宮ごもり」と同じ名前の習慣は、福井県の南条郡にもあるという。こちらでは、大晦日の夜に氏神に集まった氏子たちが元旦の夜明け前に裸で外へ飛び出すというもの。町内の沿道を走ったあと、神社の前の川に飛び込み身を清める。

    ●宮田【みやでん】

     魚津市小川寺地区に古くから伝わる奇祭。寺院・心蓮坊で「天狗」や「ババ」「アネマ」などと呼ばれる奇面を付けた踊り手と二人獅子の舞で、住民らが五穀豊穣や無病息災を祈願する。宮田は神前に供える米を収穫する水田の意味。かつては苗代に種籾(たねもみ)を下ろし、村中でお祝いする祭りだった。本来は4月10日ごろに行われるが、後に火祭りと合わせて正月に行うようになった。本堂に集まった住民が干鰯(ひいわし)や焼き豆腐やセリなど祭り用のご膳を囲む。祭りが佳境に入ると、天狗や二人獅子が登場。笛や太鼓のおはやしに合わせて、三度の舞を披露する。「天狗」の踊り手は、右手右足、左手左足を交互に上げて跳びはねる独特の踊りで、「ババ」は踏むような格好の独特の踊って会場を沸かせ、最後に二人獅子が住民らの頭をかむしぐさをして厄払いする。

     千光寺はかつて16坊を擁したという名刹。戦国時代の兵火で焼失し、現在では観音堂に光学坊、蓮蔵坊、心蓮坊の3坊が残っている。心蓮坊は横山源之助が静養していたことでも知られる寺だ(「村落生活」『新小説』明治33年4月)。

    ●みよい〜めよい

     「見よい」から「美しい」。例:「みよい顔してっしゃ」(美しい顔をしておられる)。

    二番目の娘みめよし雛祭---正岡子規

    ●ミラージュランド

     「蜃気楼」の町・魚津市にある遊園地で魚津水族館の前にある。1982年4月に開業。高さ66メートルで日本海側最大の観覧車がある。映画『8月のクリスマス』では韓国映画ではジェットコースターの場面がこの観覧車の場面になっている。

    ●みらん

     「未蘭」というのは僕の娘の名前である。イタリア・ミラノから命名した。ただ、富山方言では「見なさい」の意味で使う。「見られ」ともいうが、「見らん」(見てみなさいよ)という。娘はよく「未蘭ちゃん、みらん」と冷やかされた。

    ●見んかい

     「見ないか」。例:「ちゃんと私の体、見んかいね」。

    ●ミンチ

     「ミンチ」というと挽肉そのものになる。メンチカツを関西風に「ミンチカツ」とは言わない。関東風に「メンチ」である。しかし、関西風に「串あげ」とはいわず、関東風に「串カツ」である。不思議!

    ●民宿

     富山で民宿というと氷見と五箇山である。海の幸か山の幸か。

    ●「民宿おかあさん100選」

     2008年に農林水産省と国土交通省が「百選」の第一弾として16道県の20人を選んだ。南砺市利賀村坂上の「民宿いなくぼ」の米倉みつ子さんが、農山漁村で優良な民宿を経営し、都市住民との交流を通じて地域の活性化に貢献する女性を選出する「農林漁家民宿おかあさん百選」に選ばれた。

    ●…みんまい

     「…みましょう」で「…みんまいけ?」と疑問文にして使うことが多い。例:「大学、行ってみんまい」(大学へ行ってみましょう)。

    ●民謡の宝庫

     富山は民謡の宝庫と呼ばれる。「越中おわら節」「麦屋節」「こきりこ節」が富山の三大民謡と呼ばれる。九州がルーツと見られる「まだら」系の歌が富山にはたくさんあり、「魚津まだら」「布施谷節」「岩瀬まだら」「新湊めでた」(放生津まだら)「福光めでた」「長麦や」「麦や節」「早麦や」などがある。

     北日本新聞社が1960年に制作した16ミリカラー記録映画「越中の民謡」じゃ既に歌い手のいなくなった民謡などを収録した貴重なフィルムであることが分かった。写真家の中野峻陽が撮影、完成後は県内各地で映写会が開かれたという。収録されている民謡、獅子舞などは次の通り(表記は収録内容のまま)。▽獅子舞(朝日町大平、富山市道正)▽しばんば節(黒部)▽布施谷節(魚津)▽せり込み蝶六(同)▽米道踊(立山)▽越中おわら節(八尾)▽越中いさみ太鼓(砺波)▽えんじゃら踊(同)▽やがえ節(高岡)▽青田節(氷見)願念坊踊(石動)▽ちょんがり節(井波)▽麦や節(城端、平村)▽こきりこ(平)▽五箇山追分(上平)。


    英語

    数字

    序文

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