金川欣二:越中語大辞典・言語学のお散歩


富山の蒲鉾=
レクサス+オリーブの木

 全然関係ないが、ポパイを知っている人は恋人がオリーブだということは誰でも知っているだろう。

 でも、どうしてオリーブか?

 実はホウレンソウの料理にオリーブオイルがよく合うとされるからだ。

 富山と蒲鉾についてはミラン・リューゲの「菊と蒲鉾」が知られているが、ここではもう別の観点から眺めてみたい。---などといっているが、NHK「とやま夢航海」のネタがつきてきたので、蒸し返そうとしているだけなのだ。

※2002年10月30日に放送されたが、ディレクターから分かりにくいと言われてメマイした内容。
 レクサスは2005年8月末にようやく日本で発売されるようになった。


 北陸三県の結婚総費用は578万円で全国3位。このうち親からの援助が358万円、全国12地域の中で断然トップだった。北陸の親は甘いのか、それとも裕福なのか。結納金や引き出物の金額も全国1位で、結婚にお金をかける地域性が表れた。

 今回の調査結果で認識を新たにしたのが、結婚の際に仲人を立てるケースがめっきり少なくなっていることだ。全国平均では11・5パーセントに過ぎない。最低は新潟の5・2パーセント。北陸は17・6パーセントとまだ高い方で九州の23・3パーセントに次いで2番目だった。

※結婚にかかる費用の平均

 富山の結婚式で最も目立つのは飾り蒲鉾の存在だ。ケンタッキー・フライド・チキンにカーネル・サンダースの人形がなかったら、不二家にペコちゃん人形がなかったら、ビクターに犬のニッパーがいなかったらどんなに寂しいだろう。それと同じことが富山の蒲鉾にいえるのである。富山独特のガジェット(gadget=偽物のおまけ)ということになる。井上章一の『人形の誘惑』(三省堂)によれば、サンダース人形があるのは日本だけだというが、これらのガジェットが日本的な、そして、蒲鉾が食べられるガジェットとして実に富山的な展開を持っていることを考察してみたい。

 一度、北陸の県民性を食でたとえて富山が蒲鉾、石川がかぶら寿司、福井が越前ガニとした(NHK「とやま夢航海」2002年5月8日)のだが、ここでは富山の蒲鉾に絞って考えてみたい。

 媒酌人や主賓、お嫁さん側の両親には特に大きいものが付けられ、直径50センチ、重さ4〜5キロの大鯛が付く。結納の時にも蒲鉾が出されるのだが、一般的にその時に出た蒲鉾よりも大きな蒲鉾を出す必要がある。値段も半端ではない。

 富山は海の幸が多いところで魚が多いことは分かるし、鮮魚という訳にはいかないのは納得できるにしろ、県外の人にとってはこれは一体、何なんだ!?ということになる。後でもいうが、地域文化が残っているところではこの蒲鉾が機能するのだが、都会のように機能していないところでは迷惑でしかなかったりする。それが分かっていても、蒲鉾が依然としてつけられる。

蒲鉾
4キロ(約9000円)

蒲鉾
11品かごもり(約16000円)

 ニューヨーク・タイムズ記者のトーマス・フリードマンに『レクサスとオリーブの木 上・下』(草思社)という本がある。タイトルのレクサスはトヨタの最高級車セルシオのことで、グローバリズム 【globalism】のシンボルで、オリーブの木は帰属をめぐって民族どうしが争うヨルダン川岸の土地とか領土とか民族的アイデンティティとかに執着するリージョナリズム 【regionalism】 を表していている。世界の半分がレクサスのような高級車に向かって、少なくともレクサスを完成させるほど輝かしい技術に向かって邁進する一方、もう半分の世界では、どちらがオリーブの木の所有者かを巡って争っているとは…?というものだ。

レクサス
レクサス=グローバリゼーション(普遍的な物の考え方、共通のルール)

オリーブ
オリーブの木=民族主義(変わらぬ伝統、かけがえのない文化の象徴)

 世界情勢は、レクサスやインターネットのウェブ・サイトのような新しいもの(近代化、市場経済、金融、コンピューター技術の象徴)と、ヨルダン川の両岸に立つオリーブの木のように古いもの(家族、共同体、部族、国家、宗教、故郷、自尊心と帰属意識の象徴)との相互作用としてのみ説明可能である。冷戦後、世界の国の半分は、よい「レクサス」を作ろうと近代化・市場化を推し進める一方、残りの半分の国(ひとつの国の半分でも個人の半分でもある)は「オリーブの木」の所有をめぐって闘っている。

 冷戦下では、「オリーブの木」への脅威は別の「オリーブの木」が発していた。現在では、「レクサス」が均質化、標準化をもって「オリーブの木」に脅威をもたらす。「レクサス」と「オリーブの木」が健全なバランスを保っている例はブラジル先住民族カヤポ族 である。カヤポ族は、科学者、自然保護主義者、ビジネスマンたちと国境を越え協力し、アマゾン流域を守る方策をめざした。彼らは、村にたった一台のテレビで、ブラジルのサッカーの試合(「オリーブの木」)と、世界市場での金の時価を伝えるチャンネル(「レクサス」)を交互に見ている。グローバルな金市場で得た利益をアマゾンの熱帯雨林で 従来の生活を守るのに使っている。

 「オリーブの木」が「レクサス」を凌駕した例は、1998年に行われたインドの核実験である。敬意を勝ち取るには核実験以外に道はない、という論理が、インド国民に広く支持されていた。しかし、その後ムーディーズは、インドを格下げし、世界的にも非難を受けた。パキスタンも同様のことを考えているが、これは破滅への道だ。

FRIEDMAN

 以上がフリードマンの理論なのだが、富山の文化も同じように考えることができる。つまり、「オリーブの木」が「レクサス」の間を揺らいでいるのが、富山の県民性だと思う。もちろん、これは日本の田舎には共通することだし、日本も明治期には揺れがあった。

 祝いごとのお膳に焼いた鯛はつきものだった。金沢など他県ではちゃんと焼いた天然の鯛が出てくる。昔は海が時化ると大きな鯛がとれなくなるのでその代用品として蒲鉾が使われるようになったとも考えられるが、料理として鯛蒲鉾の絵が出ている江戸時代の古文書も残っている。昔は全国津々浦々に鯛の蒲鉾があったのだ。確か、ペリーが来航した時に出した引き出物の中にも鯛の蒲鉾があったはずだ。つまり、富山の発明ではなく、全国にあったのだが富山だけで残った。残るには理由があったはずだ。

 これとは別に富山には「食事に出されたものは食べずに持ちかえる」という慣習がある。人を訪ねて出されたお菓子を県外の人はその場で食べてしまうが、これは持ち帰るのが富山の常識とされる。お祭りなどでも「こぶた」といってその場で食べる料理とは別に蒲鉾や缶詰などの食料品が出されることも多い。「テイクアウト」の文化なのだ。

 自宅に持ち帰って、その冠婚葬祭の喜びや悲しみを家族に分けることが富山では大切とされた。

 特に結婚というのは地域社会に認めてもらうべき事柄だったので、披露宴で出された蒲鉾を切り分け、そして親類縁者、そして近所に配る必要があった。「お裾分け」といわないで「お福分け」などといって、近所に配る。そして、「ええっ、○×ちゃん、そんなにでっかならっしゃったがけ?どこ行かっしゃったがけ?相手はどんな人ねぇ?」などといって二人の結婚が認定されることになるのである。

 これらに象徴されるように昔から続けられているものを大事に踏襲するという、富山県民の保守性が、鯛蒲鉾に深く関係しているのだ。

 しかし、保守性だけでは説明できない。というのも、本当に保守的だったら、焼いた鯛をつけるはずだ。

 まず、焼いた鯛だったら、お裾分けすることはできない。しかも日持ちがしない。一見、蒲鉾は高そうに見えるが、地域に承認してもらう、という費用からすると安いものかもしれない。

 日持ちがするようにビニールで真空パックになっているのが普通である。また、小田原などの蒲鉾と違って「コシ」が弱い。僕の推測では切り分け易くしているのだと思うのだが、そこまで考えて蒲鉾に固執している。何よりも本当に合理的だったら、今どき、蒲鉾を近所に配ることさえ止めて、とっくの昔に廃止になっていてもいいはずだ。都会の人ははっきり迷惑だと考えている。ところが止められない。

 富山の県民性は、お隣の石川県の人にいわせると保守的ではなく、革新的で「新しもの好き」だとされる。実際、YKKやコーセルのようにグローバルに事業展開をしている会社も富山には多い。

 金沢の文学の代表の一人を泉鏡花と考えると、富山は堀田善衛であり、源氏鶏太である。

 つまり、富山の蒲鉾には両義性があって、保守と革新、伝統と新規、ローカルとグローバルなどの双方の意味合いを兼ねているのである。

 余談ながら、誰よりもたくさんの国でマクドナルドのハンバーガーとフレンチフライを食べていると自負するフリードマン記者のもう一つの理論はマクドナルドを有する任意の2国は、マクドナルドができて以来、戦争をしたことがない、という「黄金のM型アーチ理論」だ。 この「紛争防止の黄金のM型アーチ理論」は99年のコソボ紛争をめぐるNATOの空爆で、一斉に反論を浴びた。NATO諸国にはもちろん、空爆されたベオグラードにも既にマクドナルドはあったからだ。これを「例外」とするかどうかについては議論があろう。フリードマンの主張は、マクドナルドの展開を支えられるほどに中流階級が現れた国では、もはや国民は戦争をしたがらない。ハンバーガーを求めて列に並ぶ方を選ぶ、というものだった。現在、世界120カ国に3万店近くを展開するが、かのフリードマン氏も「どこのもまったく同じ味だと証言することができる」と言う。しかしこの均質さ、画一性が問題にされもする。米国主導の画一化に抵抗する反グローバル化運動の標的にもなっている。

 2002年にマクドナルドを襲撃した反グローバル化の闘士ジョゼ・ボベをフランスの前大統領夫人ダニエル・ミッテランが訪問した。同氏への支持を表明し、激励の手紙を差し入れた。夫人はジュルナル・デュ・ディマンシュ紙に「マクドナルドを壊す程度で禁固3カ月は重すぎる。世の中にはもっと重大な犯罪がたくさんある」と述べた。

 誤解しないでほしいが、僕は蒲鉾が大好きだ。確かにもらったら、どうやって食べるか、家族で議論になる。そのままおやつ代わりに食べたら美味しいとか、油で揚げたり、煮物にしたり、中にはしゃぶしゃぶにして食べてしまう人もいるという。

 生で食べた時の冷たくてつるっとした食感は富山県民だなぁと実感するのである。

 蒲鉾がある町、つまり、お互いに楽しいこと、悲しいことを分け合って生きていける地域社会を大切にしたいと思う。

 最後に『レクサスとオリーブの木』を引用する。

 グローバル化時代がさまざまな国や個人に与えた課題は、アイデンティティや、これぞわが家、わが共同体という意識を守るための行為と、グローバル化システムのなかで生き残るための行為とのあいだに、健全なバランスを見いだすことだ。【…】レクサスのない国は、成長を望めないし、大した成功も望めない。健全なオリーブの木のない国は、世界に向けて完全に開かれた国になれるほど深く根をおろすことはできないし、安定も望めない。

【2002年10月30日】


 ※2002年のスピルバーグ映画『マイノリティ・レポート』は2054年の世界なのだが、レクサスが健在で高級車のままであった。ご同慶の至りである。


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