これは清水義範『笑説 大名古屋語辞典』(角川書店)の下手なパロディである。
富山の言葉(ことば)を多く取り上げるが、他意はない。鰤もない。
ただ、富山に初めて来た人にも富山の言葉(ことば)を知ってもらおうという気持ちだけで書いた。
言葉(ことば)から見た富山、富山文化というのがかいま見てもらえれば幸いである。
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取り上げる言葉(ことば)に脈絡もないし、語源を徹底的に調べたということもない(と思う)。
方言学の集大成なんていうのは僕には合わない。大体、僕は誤解されることが多いが、専門は言語学であって国語学ではない。
ただ、方言だけでなく、現在使われている言葉で面白いものを取り上げた。僕の気持ちとしては「通時的」ではなく、「共時的」な記述に徹した「自分語史」とでもいうべきものである。
先行する多くの書物はどれも僕自身が知らないような単語まで載せている。方言に関しては国立国語研究所の作成した『日本言語地図』やNHKが採取した『全国方言資料』があるが、これはちょうど、きんさん・ぎんさんの世代の方言を記録したもので、現代人には合わない。
ここでは他の本などには頼らず、なるべく自分の知っている範囲で書いた(つもりだ)。いわゆるディスクール(言説)を集めているので、本当も嘘も入っているかもしれない。
なお、差別語に相当するかもしれない言葉も一部入っていると思うが、実際に使われている語は残した。それでも、批判があれば削除するつもりである。もちろん、差別する気持ちは全くない。言葉に罪はないというのが僕の基本的な考えである。
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僕は富山に対してストリートワイズでありたいと願っている。坪内祐三は『ストリートワイズ』(晶文社)の中で「ストリートワイズ」を次のように書いている。
街を一つの大きな学習の場として、その学習の場を、時に自分を見失いそうになりながら、さ迷い歩いて行くうちに、獲得した知識や知恵、それがストリートワイズだ。
しかも、街をさ迷っていると、その迷路のような道すじで、ある時突然、まさに路上の賢者(ストリートワイズ)といえそうな人(物)に出会い、彼らの手招きによって、気がつくと、自分で目指していた以上の場所にいる。自分の直感を信じてアクションを起こさないとストリートワイズは生まれない。地図やマニュアルは、アクションを起こすきっかけにはなっても、それだけでは路上の賢者(ストリートワイズ)に出会えない。街で生きる知恵(ストリートワイズ)を手に入れることは出来ない。
ただし、坪内は2000年11月に、ゴールデン街から帰宅するためタクシーを探していたところ、「ヤクザ風」の男2人組に因縁をつけられ、言い返すやいなや顔面に一発くらい転倒。その後も男たちから殴る蹴るされ、財布もこの時紛失したという。しかし本人はそのまま帰宅しようとタクシーに乗ったが、車中で体が痛くなり警察へ、そこから救急車で病院へとなった。そこで、歯が3本折られ顔面も骨折していることから急遽入院となった。坪内が今も「ストリートワイズ」でいるのかどうか分からない。
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死ぬまで改訂を続けるつもりなので、時々見に来てもらえれば、少しずつ変わっていることに気づかれるだろう。
どんなに悪く書いてあってもお笑い小説にすぎない。富山県の人を傷つけようという気持ちはないので、もし、そんな風に感じた方がおられたら、そっと教えて下さい。
富山は、日本は、世界は動いている。辞書の宿命だが、書いたその日に古くなっている。うっかりそのままにしていることもある。その場合は、激怒せずにどうか教えてください。僕としてはロラン・バルトのいうように「かつて、そこに、あった」ことをそのまま書き留めることにしているだけなのだ。
また、自分の関係している事柄が取り上げられなかったと怒られるのも困る。『声を出して読みたい日本語』を書いた斎藤孝は「あの作品が載っていないのは見識が疑われる」という手紙をいっぱいもらったという。僕の方は県内関係の事柄を網羅しようという気持ちはない。ちょっと考えれば分かるように神にもそんなことはできないからだ。
それから、僕は「菊と蒲鉾」の前文にも書いているように、富山県が大好きである。誤解なきようお願いします。
大好きな富山県と富山県民に苦言を呈する、な〜んてことがないように書きたい。
だから、笑ってもらえれば、それだけで満足である。
末尾ながらきっかけを与えて下さった作家・清水義範さんに感謝します。また、情報源の一つになっている北日本新聞、富山新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞などの各メディアにも感謝します。
なお、敬称を略させてもらっています。
※ただし、当面は部分公開に留めて、トップページにも載せないことにする。