●いいかいね・いいがに・いいぞいね・いいちゃ・いいねかいね
「いいですか」「いいのに」「いいよ」「いいですよ」(「結構です、いらないです」の意味も)「いいじゃないですか」。例:「なーん、そんなことせんでもいいがに」(いいえ、そんなことしなくてもいいのに)。
●いいかったけ?
富山は「こっで(これで)いいかったけ?」「よかったけ?」などと過去形で聞くことが多い。丁寧にすると東京新方言の「よろしかったでしょうか?」と同じ「よろしかったけ?」になってしまう。仮定法過去のようにしているのかどうかまでは議論があるだろう。もちろん、「こっでいいけ?」(これでいいでしょうか)ともいう。
●いいさくる
「いいまくる」。「〜さくる」は「〜じゃくる」から。例:「あっだけいいさくって行って、お仕舞いけ」(あれだけいいまくって行って終わりなのでしょうか)。
●いいねか〜いいにか
「いいじゃないですか」で「(そんなことしなくても)いいじゃないですか」という場合と「(とても)よろしいじゃないですか」の両方がある。例:「いいねかいね、そんなこと気にせんでも」(いいじゃないですか、そんなことを気にしなくても)。
●「いい人 いい味 いきいき富山」
富山県の観光キャッチフレーズで1982年に決まり、83年から使われる(それ以前は素朴で温かさを感じさせる「ふれあい越中路」だったが、これは短命だった)。池田弥三郎が「いい人いい味いきいき富山」というキャッチフレーズを選定し、そのシンボルマークを5名のデザイナーに指名コンペで依頼。紙風船を木版調で気楽にいらっしゃいという、電通の奥野達夫のデザインが採用された。
新鮮みがなくなったとして、石井知事は新しいものを検討。「イ音」の繰り返しで語呂はいいけれど、これって富山県でなくてもどの県でも使えそうなキャッチフレーズだ。ちなみに石川は「ほっと石川」、福井は?
ちなみに富山市は「立山あおぐ一等席」、新高岡市は「水・みどり・人 光り輝く躍動のまち 高岡」(長い!)である。
2007年に「パノラマ キトキト 富山に来られ」になった。
●医王山【いおうぜん】
石川県との境にある山。「いおうさん」ともいう。昔は「硫黄山」とか「育王山」と書かれていたらしいが、火山ではない。語源は中国にある名山の「育王山」にちなんで付けられた、山頂にある鳶岩の形が阿育王の舎利塔ににているために付けられた、医王山王の本地仏が薬師如来でこの山に薬師如来を祀った「禮」があったことに由来しているという説がある。IOX―AROZAスキー場があるが、IOXは「医王山」を表し、AROZAは友好関係にあるスイスのアローザ村からとっている。
「医王山」は泰澄による開山とされているが、医王山の頂上に祀られている医王権現の「医王」とは「仏または菩薩(ぼさつ)。衆生(しゆじよう)の心の病をいやして悟りに導く者」とか「薬師如来」の意味があり、泰澄による開湯伝説のある地には、湯の守護として「薬師如来」か「少彦名命」が祀られているという。
泉鏡花には「薬草取」という傑作があるし、室生犀星に「ある山の物語」(『室生犀星全集第1巻』所収)という小説で医王山について書いている。ここで口碑というのは薬種屋の娘が行方不明になったが、実は医王山にある池の主と暮らしているという話である。「医王山」「奥医王」という作品もある。
私の郷里の市街から六里ばかり離れたところに、医王山といふ山があつた。私は少年時代からいつもその山を眺めながら育つた。私は姉からその山について美しい口碑や伝説をいくつも聞いた。
●庵唄【いおりうた】
城端曳山祭で披露される唄で国重要無形民俗文化財。庵唄は江戸端唄の流れをくみ、若連中の粋で情緒豊かな歌声が呼び物になっている。祭りは毎年5月14、15の両日行われ、6町の若連中が曳山や庵屋台とともに所望宿を回って庵唄を歌う。
●イオン
2002年9月19日にオープンしたイオン高岡SC。「北陸最大のショッピングセンター(SC)」をうたう。年間1千万人が訪れ、2百億円を売り上げると豪語する。田舎もんにはタワーレコードが入ったり、スターバックスが入ったりしているのが珍しい。
御旅屋通りなど中心商店街をダイエーが潰し、ダイエーをサティが潰し、サティをイオンが潰した。
イオンというのは“AEON”で「永遠」の意味であり、「プラスイオン」などの“ion”と違う。後者は「アイオン」と発音。
●烏賊【いか】
冬、沖が燃えているように見えるのはイカ釣り漁船の漁り火。イカは富山湾の冬の風物詩で「イカ素麺」もよく食べられる。寒くて空気の澄んだ夜には光柱(こうちゅう)現象といって光の柱が見えることがある。光源はイカ釣り漁船のものである。山口誓子には漁り火をを集落の灯火に見立てた俳句「海上の見知らぬ村は烏賊(いか)火村」がある。
親不知 田中冬二
暗い北国の海
オリオン星座は
烏賊(いか)を釣ってゐる富山はイカの消費量が全国1位である。春はホタルイカ、秋はアオリイカ、冬はスルメイカを主に採れる。ホタルイカは刺身(内臓を取らなければならない)にしたり、ゆでて酢味噌で食べたり、桜煮や沖漬けにして食べる。スルメイカは黒作りにして食べる。
東海林さだおは『ナマズの丸かじり』(朝日新聞社)で日本で人気のイカについて次のように書いている。
日本料理の、実にもういろいろな方面にイカは登場する。
あったからもこっちからも引っぱりダコだ。「イカのくせに引っぱりダコ。これは論理的におかしいのではないか」という声が、やはりタコから出ている。●いかった
「良かった」で「よかった」とは言わない。例:「このホームページ読めて、いかった、いかった」「いかったねぇ、新高、甲子園で優勝して」「いかったけぇ?わしで」。
●行かれる〜行かはる
「お行きになる」と敬語的。例:「どこ、行かれんがね」(どこ、行かれるのですか)。
●いかんが
マラソンのイカンガー選手を見る度に思い出す言葉。「いかないのですか?」。例:「まだ、いかんがけ」。
●いかろう
「いいでしょう」で多用。例:「こんでもいかろうがいね」(来なくてもいいでしょうね)。
●いがんちょこ
「ひがみっぽい人」「ひねくれた人」で「天の邪鬼」(あまのじゃく)。例:「あんたぁ、何ちゅう、いがんちょこやろか」。
●いがんどる
「歪んでいる」。例:「その絵、ちょっと右にいがんどっから直され」。
●いきそる/いくそる
いくそったことにこれは富山と石川の方言のようだ。富山でも西部方言のようだが「びっくりする」こと。「息反る」?富山出身の妻が笑うので何ていうのかと聞いたら「そぼれる」だと言われて、いくそった。例:「な〜ん、急に出て来らはったからいくそってしもうた」(いやはや、急に出て来られたのでびっくりしてしまった)。
●育英
育英センターのことで富山を中心にした学習塾。高いので有名。うちの子の中3の夏には15万も育英に使った。富山で初の中高一貫校・片山学園も経営。
●いくしなもどり〜いきしなもどり
「往復」。例:「なん、いくしなもどり見たらいたけど、財布なかったぜ」(ええっ、往復ずっと見て歩いたけれど…)。
●いくす
「寄こす」から転じて「渡す」の意味。「いくされん」(渡すわけにはいかない)、「いくさんか」(渡しなさい)など。例:「それ、いくそ」(それ、渡しなさい)・「いくせ」(渡せ)・「ちょっこも、ぜん、いくす気ないからね」(全然お金をあげるつもりはないからね)。
●いくり(ぶね)
「細長い川舟」。高瀬保『富山の民俗』によれば次のようである。
長さ4間、巾3尺5寸の長舟である。これは、杉、またはアテ材から出来ている川舟で、これによって放生津町【新湊】に米を運び、また肥料をつんだ。サオをこいで動かした。
●池田弥三郎
国文学者・民俗学者。『銀座十二章』(朝日文庫)などに書かれているように銀座四丁目(当時は尾張町といった)の天麩羅屋「天金」の息子だった。慶応義塾大学文学部国文学科在学中から折口信夫の指導を受け、地方の民俗や芸能調査の旅をした。5年間の軍隊生活ののち、1947年から慶応義塾大学講師、61年教授となり、定年まで勤続した。その研究は日本文学、民俗学、芸能史などにわたり、折口信夫の開いた学風を継承し、祖述しつつ、独自の研究業績を示した。研究のほかに随筆をよくし、NHKの解説を担当し、多趣味で多方面に活動の分野をもった。80年慶應を退いてのち、富山県の洗足学園魚津短大の教授となった。慶大名誉教授で林望などの恩師。文学博士。主著『文学と民俗学』『日本芸能伝承論』などのほか、回想記『まれびとの座』や『池田弥三郎著作集全10巻』(角川)など多数の著作がある。
相撲が好きだった。大相撲を見ての帰りは、隅田川の川風に吹かれて家路についたそうだ。一月場所の冬の風は冷たい。九月場所は残暑の湿気をはらんでいる。川風なら五月場所が一番いい、と書いている(『行くも夢 止まるも夢』)。この季節の国技館は「桟敷では、そら豆のさみどりが懐かしい。そして、打ち出して出て来ると、上気した頬に、川風がこころよい」という。
ある時、酔っぱらって退官後は田舎で暮らすなどと言ってしまい、「江戸っ子」なので前言を撤回できず、魚津にある洗足短大の教授として赴任したようだ。暮らしたといっても東京との往復だった。『魚津だより』という本が残っているが、「読み人知らず俗謡に♪長生きしたけりゃ富山においで うまい空気に水がある」と書いている(魚津駅前には碑もある)が、67歳で割とあっさりと亡くなった。都会で高度な治療を受けさせたかったなどという教え子が絶えない。
魚津に来てから淋しかったのか友人の山本健吉に葉書を出した。「ブリさし、イカさし、さしすせそ」。これに対して山本は「タラちり、フグちり、ちりぬるを」と書いて送った。富山もいいかもしれないが、こちらもいいぞ、という意味だ。外山滋比古が『ユーモアのレッスン』(中公新書)に「心にくい相聞」として紹介している。この本歌は久保田万太郎の「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」である。
1980年頃の話だが、講演をしてもらった時に主催者が謝礼として100万円を持っていったら突っ返されたという話が残っている。もちろん、多すぎるから突っ返されたのではない。
●池波正太郎
池波は父方の先祖が井波の宮大工で、江戸後期の天保年間(1830−44年)に江戸に移り住んだ。井波に「池波正太郎ふれあい館」がある。池波と親しかった元井波歴史民俗資料館長の故岩倉節郎さんらにあてた手紙やはがき、色紙のほか、旧井波町や近辺の名所を訪れた池波の写真パネルを展示。手紙やはがきのほとんどは初公開で、礼状が多い。「鬼平犯科帳」の一部の直筆原稿(複製)も飾る。
●いけのはた
植物の「雪の下」。
●いこじ/えこじ
「意固地」で共通語だが、「かたくなな」「言うことを聞かない」という意味でよく使う。例:「なんちゅー、いこじな子ね」。
●いさどい
「勇ましい」。例:「やつぁ、いさどいことばっか言うとっけどなーん分かっとらんがいちゃ」(あの人は勇ましいことばかりいうが、よく事情が分かってない)。
●石井隆一【いしいたかかず】
「隆」の正しい漢字は「生」の上に「一」が入った字体(選挙で間違ったら無効?)。6期務めた中沖豊の後がまとして2004年11月から富山県知事。富山中部高校、東大法学部卒で、69年に旧自治省入り。総務省自治税務局長などを歴任し、2004年1月に消防庁長官を退任した。市町村職員のための中央研修機関の市町村アカデミー(千葉市)学長も務めた。
奥さんの方がすごいかもしれない。妻の石井志保子は高校生の時に相対性理論のガイドブックを読んで感激して数学を目指す。高岡高校卒業後、東京女子大文理学部、早稲田大大学院修士課程、東京都立大大学院博士課程、九州大助手、東工大理学部助教授などを経て現職。専門は代数幾何学で、1995年には「代数幾何学における特異点の研究」で優れた業績を挙げた女性科学者に贈られる「猿橋賞」を受賞した。講演で子どもが「お父さんはお買い得な人だったね」といった話をしてのろけていた。
●いじいじ
「いらいら」。例:「あんたの仕事、見とったらいじいじしてくっちゃ、かされま」(あなたの仕事を見ているとイライラしてくる。お貸しなさい)。
●石川製麺
石川だから金沢の会社だと思いがちであるが、魚津市大海寺野にある。社長が石川だったのだ。
●いじくらしい
「うるさい、邪魔な」。石川でも使う(島田昌彦『加賀城下町の言葉』能登出版など)。例:「なんちゅーいじくらしい子ぉやろか」(何という鬱陶しいことをする子だろうか)。
●石黒信由【のぶよし】
新湊の和算家・測量家で『算学鉤致(こうち)』などを著す。。国の重要文化財に指定されている高樹(こうじゅ)文庫は、古文書や地図、書物など一万二千点に及ぶ膨大な資料で、現在は新湊市博物館に保存されている。信由からひ孫の信基(のぶもと)まで石黒家四代にまつわる資料だ。
2003年に信由が考案した方位を測る磁石盤に、方位の角度を0.1度まで測ることができる「バーニア(vernier)目盛」が付いていたことが分かったと博物館が発表した。同様の磁石盤は明治時代に普及しており、江戸時代後期のものは珍しい。伊能忠敬が使用した「対角目盛」より読みやすい構造で、当時の加賀藩の地図が精密だったことを裏付ける物証。磁石盤は1830−40年に高岡で作られたと推定され、縦33.2センチ、横36.7センチの木製枠の中に、磁石2個と360度の本目盛りが刻まれた直径31.6センチの金属円盤がはめ込まれている。石黒の弟子の藤井辰右衛門が使用したもの。
●石黒宗麿【むねまろ】
陶芸家で人間国宝第一号。新湊市(当時は射水郡作道村)出身で医家の長男に生まれる。1918年(大正7)に陶芸家を志し、埼玉県小川町、石川県金沢市に住居したのち、27年(昭和2)に京都に移り、同地で作陶を行った。天目釉を第一の課題とし、楽焼、赤絵、鉄絵から各種の色釉へと興味を移し、技巧に走らず終始自己の天分に身をゆだねて自由無礙な加飾を楽しんだ。53年(昭和28)に天目釉の技法が国の無形文化財に選ばれ、55年には鉄釉陶器の技術で重要無形文化財保持者に認定された。新湊市博物館には新湊に生まれた和算家・石黒信由と陶芸家で人間国宝の石黒宗麿の資料をはじめ、新湊の歴史を振り返る貴重な品々を展示してある。宗麿は「もっと強く勇敢に、正しいものを見つめよ。勇敢に模倣せよ。そして越えよ。正しいものを見る手段として、自らを正しくせよ」と言った。
「妬ましい」。類義語に「けなるい」があるがこちらはシューズの底にカミソリを入れようというようなニュアンスはない。例:「隣の子ぉ、よーできていじましーなってくっちゃ」(隣の子は良くできるので妬ましくなってくる)。
●いしな
「石」で「いしなご」の略(この「な」は「まなこ」「たなごころ」と同じ助詞)。金沢でも使う。
●いじましい
「ねたましい、うらやましい」。
●医食同源【いしょくどうげん】
富山県民が好きな言葉の一つ。富山大学(医科薬科大学)に和漢薬研究所があり、その中で「医食同源」の研究もしている。つまり、食事で治せる病気は治そうという考えである。富山では「薬膳料理」が盛んで韓国ドラマ「チャングムの誓い」の原点は富山にあった!
●いすぐ〜いっすぐ
「ゆすぐ」。金沢でも使う。
●イスラメック・スクール
「インターナショナル・イスラメック・スクール」で英語名はThe Internatiional Islamic School。射水市にある。射水市にはモスクもある。
●石動【いするぎ】
県内でもっとも難読の小矢部市の地名。石川県鹿島郡鹿島町二ノ宮の石動山(せきどうさん)の石動彦神(いするぎひこのかみ)という神様の名前から来たもの。能登半島の能登国と越中国の国境に聳え立ち、山頂大御前は「神の天降り、祖霊のしずまる聖地」として畏られ、崇められてきている。石がゴロゴロ落ちてくるような山で、つまり、「いしゆるぎ」「ゆするぎ」などが「いするぎ」になった。能登名跡誌には「此山は、天より星落ちて石と成、天漢石と号す。今講堂の前にあり、開山泰澄大師養老二年登山以前は、石ゆるぎて山震動してあれしに依り石動山と云り」と記されているという。ここに伊須留岐比古神社があり、神社蔵の古縁起『』によれば、石動山の始まりは、崇神天皇の代に仙人が入山して「宝満宮」を建て「大宮防」を建立。その後、泰澄(タイチョウ)大師が講堂を建て、養老元(717)年、天平勝宝寺と改めたという。前田利家は石動山を攻める時に僧兵に苦労して、彼らの信仰の対象であった本地仏虚空蔵菩薩を、この地に移した。
JRの駅名を「小矢部」にしようという運動が起きた時に石動高校が甲子園に出場して、下火になった。
●伊勢領【いせりょう】
富山のあちこちにある地名。伊勢領は伊勢の皇大神宮の御厨(荘園)として藤原時代から全国に存在していたものの一つといわれる。「伊勢呂」という同級生がいたが、恐らくこれから取っている。
●磯はなび
当初は「雨晴ハイツ」だったが、新築で名前を変えて「磯はなび」となった。「磯はなび」というのは磯松のこと。
●磯部四郎
日本の法律学の礎を築いた、富山出身の司法官。幼名は上野秀太郎。神通川の磯部堤と四男ということで改名した。明治新政府の法典編纂事業に関わり、日本の近代化の確立に大きな足跡を遺した。近代化を急いだ明治政府が、法体系の整備を進めていたころ、「民法典論争」が巻きおこった。「民法出でて忠孝亡(ほろ)ぶ」と、特に指弾されたのが財産取得編(相続法)である。起草したのが磯部四郎だった。
上京し大学南校に進み、ボアソナードに学び、明治8年パリ大学に留学、帰国後は民法の編纂事業に従事。民法編纂委員、法律取調報告委員などを歴任、明治23年法体制成立に中心的な役割を果たしたが、「法典論争」では、英独派の攻撃の的となった。
磯部は第一回衆議院選挙に富山県第一区から当選した。だが、地元支援者との行き違いから、帝国議会開会前に辞職している。大審院判事など歴任し、後に東京弁護士会会長を五期務めた。刑事弁護の必要性を唱え、大逆事件で幸徳秋水の弁護人を引き受けた。陪審員制度も提唱している。近代法学の礎を築き、多方面に大きな足跡を残した。愛人が8人いたという話もあり、奇矯な行動が多かったという。大正12年震災で被災・死亡。
●イセのひよこ
富山の、知られていない世界企業の一つ。イセの卵といえば、アメリカでは大人気だ。高岡から金沢に向かって8号線を走ると本社ビルがある。
●イタイイタイ病
日本4大公害病の一つ。イタイイタイ病は明治期から知られていたが、「業病」とも「風土病」とも見られていた。1961年、婦中町の医師・萩野昇は神通川上流にあった三井金属神岡鉱業所(現・神岡鉱業)の廃液に混じっていたカドミウムが原因と確信する。札幌市で開かれた日本整形外科学会で、イ病は公害病であると主張した。これをきっかけに、厚生省もようやく重い腰を上げる。2年後には研究機関を発足させ、患者救済への扉が開いたかに見えたが地元の無理解など難問が続出した。
厚生省は68年、イ病の原因がカドミウムであるとの公式見解をまとめた。患者たちが慰謝料を求めた裁判は72年、名古屋高裁金沢支部が三井金属に約1億5千万円の支払いを命じて決着した。
ノンフィクション作家の鎌田慧は『ドキュメント 隠された公害―イタイイタイ病』(筑摩)がライターとしての第一歩だとしている。富山県のイタイイタイ病と同じ病気が東邦亜鉛鉱業所のある対馬でも発生していると知って、1969年8月、鎌田は対馬に渡った。しかし、対馬樫根部落の住民は一致団結して病気の存在を否定し、マスコミの取材を拒否しつづけた。一企業が住民に行ったおそるべき支配構造の実態を把えている。
新田次郎は『神通川』で患者と萩野医師を描いた。「ゆびを触れると、それだけで激しい疼痛をうったえた…痛い痛いと泣き叫ぶ声が戦場を思い起こさせた」…。
OED(Oxford English Dictionary)にもitai-itaiが載っている。
●いたく
「(気持ちが悪くて)吐く」。例:「熱、あって、いたいてっしゃっから、お医者はん、呼んで」(熱があって戻しているので医者を呼んで)。
●イタセンパラAcheilognathus longipinnis Regan
イタセンパラは体長10cmに達するコイ目コイ科の比較的大型のタナゴの仲間。。浅い湖沼や水路、「わんど」と呼ばれる河川の入り江などに生息。イシガイなどの二枚貝に産卵する。濃尾平野、富山平野、淀川水系の3地域に生息し、流れがゆるやかで水草が繁茂する小川や池沼を好む。春に卵を産む他のタナゴ類と異なり、秋に産卵する。イタセンパラの生息にはイシガイやドブガイなどが必要だが、河川の水質悪化のため生息域が減少している。県内でも1950年代ごろまでは、新湊市の放生津潟などの平野部に広く生息していたと見られるが、絶滅寸前で国の天然記念物。89年、近畿大学生が氷見市の万尾(もお)川で偶然(ぐうぜん)イタセンパラを発見したのをきっかけに、保護活動がスタート(環境省:絶滅危惧IA類)。
琵琶湖に源流を持つ淀川、濃尾平野の川では2006年ころには発見されていない。
●いたち川
富山市を流れる川で、宮本輝『螢川』のモデルとなった川。いたち川沿いには、数多くのお地蔵さんなどがまつられている。1858年(安政5年)の大地震で常願寺川の水源だった大鳶山と小鳶山が崩壊、いたち川がはんらんし、犠牲となった多くの人々の霊を慰めるためのものである。新川原町にはノーベル賞をもらった田中耕一が住んでいた。
●板屋根
板を乗せて、その上に石を載せた屋根。板材には腐りにくい栗などが用いられた田中冬二の詩にも出てくる。
ふるさとにて
ほしがれひをやくにほひがする
ふるさとのさびしいひるめし時だ板屋根に
石をのせた家々
ほそぼそと ほしがれひをやくにほひがする
ふるさとのさびしいひるめし時だがらんとしたしろい街道を
山の雪売りが ひとりあるいてゐる少年の日郷土越中にて 「山の雪売り」…冬期氷室(ひむろ)の中に雪を固めて貯蔵し、8月末頃まで主に魚の冷蔵用に使われた。夏にはこれを用いて砂糖水などをかけて売る行商人が出た。
●いちがい
「一概」とは、升に入れた米や豆をならすための八寸ほどの丸い棒のこと。一概によって量目を正確に計ることができる。ここから「一本気な」で了見が狭く、融通の利かない人のことを指す。「いちがいはきちがい」ともいったくらい、面倒な人のことをいうことがある。「いちがいもん」ともいう。頑固一徹で融通の利かない“いちがいもん”に対して、役にも立たないことに入れあげるのは“みゃあらくもん”という。
●いちがいもん
「一概」から、ごまかしのない一本気な性分の人を「いちがいもん」というようになった。勤勉実直を旨とする富山県民をたたえるにふさわしい言葉で 「いちがいもん」は誉め言葉であり、尊敬の言葉のはずだった。
●「一見さんお断り」
イチゲンさんお断りの老舗はあるのだろうか。金沢では東山に多かったし、今でも「つば甚」あたりがそうだと言われている。富山では氷見の誉一山荘がそうだったとされるが、今はフランス料理のお店になってしまった。
ちなみに、湯川秀樹博士と司馬遼太郎が京都の料亭で歓談した時、博士はおかみをつかまえ、“一見(いちげん)さんお断り”のしきたりについて「あれはなぜですか」と聞いたそうだ。おかみは、魚屋も酒屋もみなツケで、翌月請求書が回ってくる。それまで金額が分からず、現金払いで帰るお客さんに勘定ができないからと答えたそうで、この明快な説明に「湯川さんは、世にもうれしげだった」と司馬は書いている。
「京の店」 茨木のり子(『スクラップブック』から)
はるばる来たのに
予約制
さがしさがして来たのだけれど
めざす干菓子は買えずじまい【…】
●一高(いちこう)
富山では富山第一高校、高岡では高岡第一高校。区別する時は「とみいち」「たかいち」だが、前者はあまり聞かない。
●一人前
民俗学用語の一つで、富山では立山に登山したら「一人前」と考えられたこともある。
●いちゃけ
「いたいけ」から「幼くて罪がない、可愛い」。かわいくて、愛すべきさまを言う。「七つになる子がいたいけな事言うた」とは狂言歌謡の言葉だ。「いたいけない」と共通語でいうときの「ない」は否定でなく、強調。金沢では「いちゃけな」「いちゃきな」「えちゃけな」で「可愛い」という意味を持っているが、富山では聞いたことがない。例:「いちゃけに踊れ」(新湊の七夕の歌)。
●いちょろ
「銀杏(ぎんなん)」。氷見上日寺のイチョウの木と銀杏餅は有名だ。
●いっけ
「親族」。「いっけまつい」(一族郎党)。県内でも「いっけ」を使わない地域がある。真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)には「本家に対して分家」という意味で滋賀方言だというが、違うと思う。
●一銭
「一銭」から「一円」の意味。例:「ホームページちゃ、一銭にもならんことやっとっちゃ」。
●いっちゃ
「一輪」「一羽」(いちわ)。例:「なっぱぁ、いっちゃくだはれ」(菜っぱを一輪ください)。
●いっちょまえ〜いっちょうまえ
「一丁前」から「一人前」。例:「いっちょまえなこと言うとっけど、やっとるこたぁ、いいかげんやねか」(一人前のことを言っているが、やっていることはいい加減だ)・「おまえもいっちょまえになったのぉ」(お前も一人前になったね)。
●いっちょらい
「一張羅」〔「羅」はうすぎぬの意〕で「一番いいもの」。
●いっつも(かも)
「いつも」。例:「あの二人、いっつもかも一緒やねけ、どうなっとんがいろ」。
●行っとって
「行っておいて」。例:「先に行っとって」。
●いっぷく
「一服」だが、タバコを吸わなくても休むことを「いっぷく」という。また、仕事などがちょっと中断すること。例:「いっぷくせんまいけ」(ちょっと休みましょうよ)・「だらな奴のためにちょっこー、いっぷくしてしもうた」(馬鹿な人のためにちょっと中断してしまった、気持ちが引いてしまった)・「やうつにー、いっぷくすっちゃ」(あいつにはメマイがするよ)。
なお、朝日町に百河豚美術館があって「いっぷく」と読ませているが、これは河豚料理で儲けた実業家が作ったもので当て字。
●イトーヨーカ堂
富山にないものの一つ。「クレヨンしんちゃん」で「サトーココノカ堂」というので出てくるのがうらやましかった。
●いとこ煮
初冬の代表的料理。11月22日より28日までの間に、特にしきたりのように食べる。出し汁にダイコン、ゴボウ、サトイモを入れ一煮立ち。さらにこんにゃくやニンジン、カブなどを加えて、みそで味を調える。レンコンやギンナン、クワイ、油揚げを入れる家もあるようだ。忘れてならないのが小豆。小豆は予めやわらかく煮て置いたものを混ぜる。具だくさんで素朴な味わい。
いとこ煮というと山形あたりが有名なので、『日本の食生活全集』(農山漁村文化協会)を見ると、親鸞関係では全国的に似たような内容で、小豆の他に概ね、大根、人参、牛蒡、里芋、蒟蒻、油揚げ、そして味付けは味噌。所によっては豆腐や蓮根を加える例また糯米を入れて炊くというのもある。冬至のいとこ煮も見られ、かぼちゃと小豆がセットで登場する。
いとこ煮の語源は味のしみにくい堅いものから追い追い(=甥甥で「いとこ」)煮込むという説もあれば、使う豆や野菜などの材料が似たようなものでいとこ同士だからという説もある。山口県では慶事に紅白団子と蒲鉾を入れる例もあるから訳が分からない。もとが報恩講料理だから、浄土真宗の開祖、親鸞の遺徳を慕ってつくられた「遺徳煮」がなまったとする説が有力だ。小豆が欠かせないのは、親鸞の大好物だったからだという。その親鸞の命日は弘長2年(1262年)の旧暦11月28日。高知では「おいとく煮」となっていて釈迦が入寂した旧暦12月28日に作られた精進料理だという。栃木では「おこと煮」(お事煮)で事始めの煮ものということで、小豆を使って慶事を表す。
●糸こんにゃく
「糸こんにゃく」と「しらたき」の違いを調べようとしたが、結局、地域差にすぎなかった。業界でも議論されていたといい、1964年には日本こんにゃく協会で両者は同じものという公式見解を出している。富山ではすき焼きに入れるのは「糸こんにゃく」であって「しらたき」とはいわなかった。流通経路の複雑となった最近では「しらたき」も増えているような気がする。
●いとしげ
「可哀想」。石川でも使う(島田昌彦『加賀城下町の言葉』能登出版など)。例:「そんなぁ、一人で待っとったがけ、いとしげに」(あなたは一人で待っていたのですか、可哀想に、でもよく頑張ったね)。
●イナゴ/バッタ
イナゴとバッタを区別しないで、イナゴ/イナゴ(愛媛県大三島肥海など)という地域とバッタ/バッタという地域(三重県伊賀、岡山県苫田郡、岡山市、大分県北海部郡など)があるが、富山では区別する。
●いなだ
「鰤の干物」で高級品。富山湾の鰤ではなく、脂の乗っていない九州産の鰤が使われる。体長約80センチの鰤を三枚におろし、一昼夜塩漬けにし、水に戻して2〜3週間天日干しにする。
●稲積梅【いなづみうめ】
氷見特産の梅で紀州梅よりも大きいといわれる。肉厚で酸味も十分、種離れもよくて梅干しに最適。戦後発見され、地名ちなんで名付けられた。優良品種だが、最近までは自家消費がほとんどだった。堂故市長が大手梅酒メーカーに売り込みに行ったところ、味の良さは褒められたが、生産量が少なすぎて「商業ベースの取引は難しい」と言われたという。生産拡大のために「梅の里」づくりで、1千本を植える計画もある。
●井波彫刻
井波町は木彫で有名だ。井波別院瑞泉寺を再建の時、本堂彫刻のために京都本願寺の御用彫刻師・前川三四郎が派遣され、井波の大工十人衆に伝授したのが最初とされる。
井上雪『その手を見せて』(冬樹社)に「井波の木彫」という一章がある。
●いなりずし
いなり寿司を△に切るか□にするのかは東西で大きく別れる。富山は関西と同じ△である。ただし、富山に本社のある大阪屋ショップでは関東と同じ□であるから、呉東は□と考えられる。
酢飯だが、関東では酢飯だけを入れるが、関西では牛蒡や人参などを入れたばら寿司をいれる。富山は多くが酢飯だけだと思う(さすがに呉東と呉西で微妙である)。
関東では油揚げがすっぽり酢飯を包んでいるが、関西では酢飯が見える。富山は見える方が多かったと思う(さすがに呉東と呉西で微妙である)。
家庭料理としてのいなりずしの油揚げの切り方は、東の四角型と西の三角型と、ほぼ日本を二分するかたちで分布を分けている。その境界線は、大まかにいえば、志摩半島から琵琶湖東岸・白山西麓を経て富山湾を結んだ線になる。おもしろいことに、おたがいが正統だと思っているようで、たとえば四角型の栃木県河内郡で聞いたところによれば「稲荷とは稲の荷物、すなわち米俵の形に仕上げるもの」だという。カンピョウの産地であることが影響シテか、いなりずしをひとつひとつカンピョウで縛った「俵ずし」というのも見せてもらった。一方、三角型では、三重県で「お稲荷さまの使いはキツネ。だからいなりずしはキツネの耳を形取って三角につくる」という声を聞いた。【…】
油揚げの形の違いとほぼ同じ棲み分けを見せるのが、中の酢飯である。三角型の地域では飯に具材を混ぜた酢飯を詰めるが、四角型の地域のそれはせいぜいゴマや麻の実を混ぜるていどで、たいていは白いままでしかない。これらの東西差は今でも比較的明確にあって、しかも、両者の融合は、境界線近くの地域においてもあまり見られない。要するに、『守貞漫稿』がいう「具入りの飯」と『近世商賣尽狂歌合』がいう「四角い形」の双方の特徴をもついなりずしは、こと家庭料理のレベルではめずらしいわけだ。
-----日比野光敏『すしの歴史を訪ねる』(岩波新書)●いぬく〜いのく
「動く」。例:「ずっといぬかんから死んでしもたがや思とった」(ずっと動かなかったから死んでしまったものだと思った)・「そのままいぬかんで」(そのまま犬を噛んでいなさい---じゃなくて、そのままじっとしていて)。
●イヌワシ
上平村小瀬の岩棚にいるイヌワシ夫婦の繁殖活動を記録するために、全国で唯一の「イヌワシモニタリングシステム」があり、巣の近くに設置された小型カメラが、日の出から日没まで巣の中の様子をとらえている。映像は電話回線で、婦中町の「自然博物園ねいの里」に送られている。
●いのかす
「動かす」。例:「それ、いのかさんといて」(それ、動かさないで)。
●イ病
「イタイイタイ病」の略。
○異邦人
いつかまとめて、書こうと思うのだが、富山の文学といっても多くが異邦人による作品が多い。典型的には『万葉集』の大伴家持であるが、現代でも柏原兵三、木崎さと子、宮本輝がそうである。柏原は疎開だったし、木崎は父の新京工業大学教授だった横山辰雄が46年、富山大学工学部教授になり、5年生から高校卒業まで高岡市で過ごした。戦前に外人教師用に建てた木造の洋館に住んでいたという。北陸は「“根をもたぬ存在である自分”にめざめた心の故郷であり根拠地」(「ふるさとのなかの異邦人」『毎日新聞』1986年9月2日)となった。落ち着いた城下町である一方、実生活を大事にする気風があり、真宗がいきわたった高岡で、日本の一番いい部分を見たという。
●いまほど
「先ほど」よりは今ほど。
●いみじょ
「井溝」から新湊の方言で「溝」。高岡市近在では「えんぞろ」「いめんぞろ」、礪波市近在では「いんぞ」、東礪波郡では「えんぞ」、射水郡では「えんぞろ」とも言う。地方によっては「えめぞ」ともいう。溝を浚うことは「えざらい」(「井浚」いざらい)という。例:「あんたとわしの間にぃ、でっかいいみじょがあっちゃ」(男と女の間には深くて暗い河がある)。真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)には新潟方言として紹介してあるが、秋田、北陸、島根でも使うという。「井溝」(いみぞ)が語源で、イとエの区別のつかない地方だったから「えんぞ」になったというから新湊の「いみじょ」の方が古い形を保っている。
●射水郡
射水市として統合する前は小杉町、大島町、大門町、下村は射水郡を形成していた。新湊の射北中学校は「射水郡北部中学」だったために、「射北」(しゃほく)となった。
●射水郷【いみずごう】
神通川と庄川に挟まれた東西約11km南北約7kmの低湿地帯。かつては「地図にない湖」(元々は新潟の亀田郷に使われていた言葉)と呼ばれ、排水不良の湿田地帯だった。「イクリ」とか「タズル」という運搬用の小舟を使い、泥田に腰や浸かって農作業が行われていた。特に七美は沼田で胸まで浸かって農作業をしていた。労力は現在の十倍近くもかかったという。射水乾田化事業が始まり、有数の穀倉地帯となった。
花村菊栄の「潮来花嫁さん」や橋幸夫の「潮来笠」は射水郷を思い出させるような曲である。
●射水市【いみずし】
「合併に村の名消えて他郷めく故郷に父母の墓を洗へり」---原澤【日/舛】司『平成万葉集』 「射水」は古来からの名前で、富山は扇状地に流れる湧水が多い。大島文雄『富山の風景』には「湧水の美しさは、越中の風土の美しさの大事な一つだと思う。それは越中の自然の外形的な美しさではなくて、言わば自然の心の美しさのように思われる」と書いてある。
小杉町、大島町、大門町、下村は「射水郡」という名前でくくられていた。水道事業などは新湊も含めた射水でまとまって仕事をしていた。
2003年9月に射水地区広域圏合併協議会(新湊市、小杉町、大島町、大門町、下村)は新市名を「射水市」に正式決定した。下水道事業では前から「射水」として統合して事業を行っていた。「いみず市」や「新射水市」などが検討されていた。どうせなら、「日本海市」などと命名して全国から非難を受けて有名になったら、とも思わなくはなかった。
ところが、2004年3月に小杉町がこの協議会から離脱することに決めた。異例の2度目の住民投票を行い、復帰して、その後も紆余曲折があったが、2005年11月に射水市が誕生した。
九州大学で英語を教えているS君は賀状で「なんだかいやらしい感じのする名前です」と書いてきた。
初代市長には激戦の末、新湊市長だった分家静男がなった。
射水市の市章はグラフィックデザイナー当具薫(三重県名張市)の作品が選ばれた。
2006年2月12日の射水市誕生の記念式典には声楽家の金川睦美と和田舞踊団の子どもたちが出演した。金川は当初、めでたい歌としてモーツァルトの「モテット(踊れ、喜べ、幸いな魂よ)」を歌う予定だったが、「アレルヤ」の連呼となるので、別の曲に代えた。
2006年2月の北陸道の多重衝突事故の時に「いみず」と読んでくれるマスコミが少なかった。分家市長は悲しんで何とかしなければと話していたが、3月になって射水市民病院の延命治療中止問題が起きて、日本中に射水市が知られるようになった。実際、4月30日の読売新聞「編集手帳」は「富山県射水市の病院で患者の人工呼吸器が外された問題が論議を呼んだが、寡聞にして、射水市という自治体名を知ったのは、この時が初めてだった。昨年11月に新湊市と3町1村が合併して誕生したという」と書いた。
池内紀は『世の中にひとこと』(NTT出版)のの「異様な光景」で書いている。
合併によって人口が倍増したり、面積がグンと大きくなった。それを誇らしげに口にする首長の談話を見かけたが、愚かしいかぎりである。行政区が人間的尺度を無視して一定の限度をこえると、ムリ、ムダが生じ、しわ寄せが、まず幼い者や老いた者にいく。つぎには暮らしそのものが成り立たなくなる。
●射水線
富山から四方、堀岡、越の潟、中新湊を通って高岡まで行っていた。富山新港のために港口が切断されて東西別の路線(西は万葉線)になり、不便になって80年に廃線。小さい頃、うちが世界の中心だと思っていた。
新富山―富山北口―八ケ山(はっかやま)―八丁(はっちょう)―布目―鯰鉱泉前―四方(よかた)―内出(うちいで)―本江(ほんごう)―練合(ねりや)―海老江(えびえ)―射北中学校前(しゃほく〜)―堀岡………(越の潟)と結んでいたが、切れてから新港東口駅ができた。
昔は堀岡の次に堀切という駅もあったという。
新富山から乗り換え券で市電でどこでも行けたし、廃止直前には富山駅まで乗り入れていたこともあった。
●「イミズムズムズ ♪」
射水のイメージソング。公募で詞を募集し、市内在住でシンガーソングライターの伊藤敏博の補作詞・作曲。マスコットもあり、体操もある。
●イモノコ
「里芋」で僕は「芋の子」だったが地方によって、「ちぼいも」「いぼいも」「こいも」「ずきいも」といって違うので、県内の人が会食するとよく話題になる。
里芋の特産地としては福野町がある。赤芽と青芽がある。その子芋を「さといも」とか「ちぼいも」という。赤芽の親芋を「かしらいも」、茎を「ずいき」といい、味噌汁の具や酢ずきにする。干して保存し、三日の団子汁に入れたり、寿司の干瓢がわりにしたり、煮物にも使う。赤芽の葉は千切りにして干し、いもじのよごし(ごまあえ)にもする。
●いも命日
黒部では10月1日の「いも命日」の夜、初めて収穫してきた「芋の子」を丸ごと煮て食べる。
●医薬大
「医科薬科」とも。富山医科薬科大学。各県に医学部を一つという要請と、富山大学の薬学部がくっついてできた大学。
先駆的な研究に予算を重点配分する文部科学省の「21世紀COEプログラム」に、県内から富山医薬大の寺沢捷年副学長らが申請した「東洋の知に立脚した個の医療の創生」が選ばれた。西洋医学と東洋医学を組み合わせ、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一が編み出したタンパク質分析技術を使って、一人ひとりに応じた治療法の確立を目指す。
2005年に富山大学に統合され、「医薬大生」は「富大生」になってしまった。
●いやさー
山車のかけ声で新湊ではハタキをもって「あ、いやさー」という。古語の「弥栄(“いやさか”「ますます栄えますように)」が縮まった。お祭りで初めて聞いた時、娘は「何で、綾ちゃん、綾ちゃんというの?」と訊いた。
●いらかす
真田信治は『罵詈雑言辞典』で「怒りっぽい人」を富山でいうと書いているが、聞いたことも言われたこともない。
●いらざらん
「要らない」から「余計な」だが、ちょっと古風。例:「いらざらんことすっな」。
●いらっしゃい
富山で「いらっしゃい」と昔から言ったのかどうか分からない。札埜和男『大阪弁「ほんまもん」講座』(新潮文庫)によれば次のようである。
大阪にはもともと「いらっしゃい」ということばはなく、「輸入」されたのは大正時代の中頃だという。そもそもこのことばは武家社会のことばらしい。人口百万の江戸において、その五割が武士であったのに対し、大阪(大坂)の人口は、近世を通じて三十万人から四十万人で、武士は多く見積っても一万人かそれ以下という説がある(渡邊忠司『町人の都 大坂物語』一九九三年、中公新書)。一生のうちで武士に出会ったことのない人間もいたであろう。
では「いらっしゃいませ」の代わりに何と言っていたか。「おいでやす」「お越しやす」である。●いらはる
「おいでになる」。例:「こんなに早う、ごげはん、いらはっとは思とらんだちゃ」(こんなに早くお坊さんがおいでになるとは思ってなかった)。
●いりがし〜いんがし
「煎り菓子」で「アラレ」「ポン菓子」【標準語かどうか知らない】のこと。米を煎り菓子のお店にもっていて「パッカン」と煎った状態にした(ポップコーンの原理と同じ)ので「パッカン」とも言った。暮れになるとお店に持っていって、正月に大きなガンガラ(缶)に入れた煎り菓子を食べるのが大好きだった。
●イルカ
いるかいないか、いないかいるか。富山湾にはイルカがいる。若潮丸という練習船で富山湾に出ると3回に1回はイルカに遭遇できる。氷見市にある縄文前中期の朝日貝塚からは20頭を超えるイルカの骨が出土しているそうだ。
ときどき、鯨も入ってくる。もちろん、シロナガスクジラではないが…。
●色
富山市の特定非営利活動法人(NPO法人)「ハーモニーネット」は、富山県民の色彩感覚を調べる「色彩アンケート」を実施した。
結果は1094人が回答し、「富山県の色は」の問いに58パーセントが緑、15パーセントが青と答え、森林と海に恵まれた富山を象徴する結果が出た。性別や年齢による色彩心理の違いもうかがえ、県民が好む車や衣服のデザイン、広告など多方面での活用が期待される。
アンケートは2005年8月から2月末まで、会員が友人や家族に尋ねる方法を中心に集めた。「好きな色」「あなたの色」など七問を用意し、十二色から一色を選んでもらった。回答者の男女比は均等で、世代も十歳以下から六十代以上まで偏りがないようにした。
「富山県の色」は緑と黄緑を合わせると66パーセント。性別や世代による差はなく、県民全体が共通したイメージを持っていることが分かった。高須佳美代表は「県民が身近にある自然を強く意識し、プラスに評価している表れ」と分析する。
●いろむ
「色づく、熟す」。佐藤亮一『生きている日本の方言』(新日本出版社)によれば柴田武(名古屋)もこれが共通語だと思っていたという。
●岩牡蠣/岩牡蛎
秋山晶(キューピーマヨネーズ) 海は、もうひとつの畑なんだ。イワガキは岩礁や防波堤などに着生している二枚貝。新湊産が有名で、体長10−20センチと、冬のマガキに比べて二回りほど大きい。肉厚でとろけるような食感が特長で、首都圏などで珍重されている。石川県輪島市の海女グループが新湊の海岸の消波ブロックにイワガキがいることに注目し、2000年ごろから漁を開始。新湊漁協に水揚げし、漁獲量が増え始めた。氷見市漁協でも、ほとんどイワガキ漁は行われていなかったが、ほぼ同時期に地元の漁業者が漁を始めた。それまでイワガキは能登の舳倉島の海女さんが獲るものだと思われていた。カキが美味しいのは富山湾へ注ぐ川の水に栄養があるからで、山に栄養がたっぷり含まれているからだ。
「何か海が口の中にある感じがする。又(また)現に海の匂(にお)いが強烈であって潮風を思わせ、それに牡蛎(かき)というのがもともと消化剤に似た役目をするものらしくてこの牡蛎を二、三十食べるのは何でもない」…吉田健一『私の食物誌』
シェイクスピアの喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち(The Merry Wives of Windsor)』で使われていて、“The world is your oyster”というと「世界は意のまま」という意味で使われる。カキから真珠を取り出すように楽な仕事だということなのだ。
Falstaff: I will not lend thee a penny.
Pistol: Why, then, the world's mine oyster, Which I with sword will open.
(Act II, Scene II.)●岩河三郎【いわかわさぶろう】
富山市出身の作曲家。合唱交響組曲「富山に伝わる三つの民謡」はプロローグ(夏の思い出)に続き、「越中おわら」「こきりこ」「むぎや」エピローグ(冬の思い出)が演奏され、懐かしい古里の心象風景が合唱と管弦楽の重厚な響きによって表現されている。
●岩倉政治【いわくらまさじ】
富山を代表するプロレタリア・農民作家。1903年、東砺波郡高瀬村(現・井波町高瀬)生まれ、大谷大学哲学科卒。仏教学者の鈴木大拙に師事して親鸞研究や唯物論哲学への関心を深め、昭和十年代に思想弾圧で二度検挙された。鈴木大拙やマルクス主義哲学者の戸坂潤、作家の石川達三、亀井勝一郎、中野重治らと交流があった。「わが古里に書くこと限りなし」と貧しい農村を舞台に物言えぬ人々の悲哀や情熱を書き、反骨の精神を貫いた。『村長日記』は第3回農民文学有馬賞を受け、『空気がなくなる日』は日本初のSF映画(映画名は『空気の無くなる日』)として脚本化され、教科書にも載った(川本三郎『本のちょっとの話』新書館にも取り上げられている)。ドラマ化された時には子役で風間杜夫が出ていた。『妻の素顔』も映画化される。「稲熱病」(いもち)は芥川賞の候補になった。自伝的小説として『無告(むこく)の記』がある。1954年6月には日本共産党から富山市長選にも出馬している。2000年に97歳で亡くなる。全資料が次女・岩倉高子から富山市立図書館に寄付されている。高子は女優で『釣りバカ日記13』にも出演。三女は布絵作家・梅原麦子、長男は東北大教官の岩倉政城。政治は遺書の中で「生物としての人間だから、大地、自然に還元してもらいたい。郷里の八乙女山、庄川、呉羽山中でも神通川でも岩瀬の海でもいい」と書いていて散骨となった。
もはや審判は下されてゐた。米にして量るまでもなく、百姓たちは田のふちに立ち、一株の穂嵩(ほがさ)を手のうちに掴んでみれば分るのである。稲熱は人々の努力と祈願を嘲るやうに一めんの田を燃やし去った。
-----「稲熱病」●岩瀬
富山市岩瀬は室町時代から「三津七湊」(さんしんしちそう)と呼ばれる重要港だった。幕末から明治にかけて繁栄を極めた回船問屋の旧家が多く、「五大家」と呼ばれる五大船主の家系は地域経済・文化に大きくかかわる存在になった。北前船の歴史はこの五大家ぬきには語れない。 今は富山港になっている。
●岩瀬家
五箇山の西赤尾にある合掌造りの家で公開されている。上梨には村上家がある。
●岩瀬湊【いわせみなと】
室町時代の海事商法「廻船式目(かいせんしきもく)」には当時の国内の主要な十港「三津七湊」が記載され、越中岩瀬湊も含まれているのだが、存在を裏付ける遺物や遺構は見つかっておらず、海底に埋没したとみられている。
●岩波文庫
岩波文庫に入っている富山県関係者は次のとおり(だと思う)。
- 横山源之助『日本の下層社会』
- 田部重治『新編 山と渓谷』
- 田部隆次の翻訳もあるはず【調査中】
●言われんな
「(そんなこと)言わないでよ」で多用。例:「そんな悲しいこと、いわれんなま」(そんなに悲しいこと言わないでください)。
●いんころ〜えんころ
「犬ころ」だが、猫のことを「ねんころ」とはいわない。例:「か、どこのいんころ連れて来たがいね、どっか連れていこぉ、しっし」。
エノコログサという草があるが、これは夏から秋にかけてつける花穂が、犬の尾に似ていることから、犬っころ草(いぬっころくさ)が転じてエノコログサと呼ばれるようになったという。漢字でも「狗児」と書く。狗(犬)の尾の草と表記することもある。「猫じゃらし」が花穂を猫の視界で振ると、猫がじゃれつくことからというのに似ている。
県内には犬を飼ってはいけない地域がある。南砺市(旧福野町)広安は平田神社にはお猿さんの顔のように赤い「紅石(べんせき)」がご神体として祀られていて「犬猿の仲」を避けるために犬を飼ってはいけないことになっている。広安のすぐ東にある野新(のうしん)という地区でも野新神明宮に猿の神様が祀られているため、地区内では犬を飼わないことになっている。「猿田彦神社」もたくさんあるが、犬を飼ってはいけないという話は聞いたことがない。ただし、日本の中ではそうした言い伝えのある神社がいくつもある。
清水義範『ニッポン見聞録』(角川書店→講談社文庫)に鹿児島、秋田、青森、瀬戸、富山、山梨を訪ねる中の一つに「屏風のむこうに越中富山」という紀行文がある。ここではK書店のSさんが社内の富山通から入手したレポートをもってきて、その異同を確かめる部分がある。間違いもあるが一応書き出してみる。
不美人度が一番 金沢に対するコンプレックスがとても、とても強い 人口比に対して、東大に入学した人が一番多い 条例で、風俗関係の店がいっさいなし 降雪量は多いが、ベタ雪のため、スキー場は多くない。よって、スキーのできない人が多い 正力松太郎の出身地であるため、大都市でもないのに、読売新聞の富山版の有閑がある 年に一度の正力氏の墓参りの名目で、富山球場には必ず巨人の遠征が行われ、従って中部地方なのに巨人ファンが多い 富山県が生んだ有名人。正力松太郎、丸井の社長の青井氏。全日空の若狭氏。琴ケ梅。左幸子。室井滋 ササニシキがおいしい県、一番 ちなみに小説の中の作家・泥江(ひじえ)龍彦夫婦は富山の旅行が終わってから次のような印象を語る。
「どんな感じ?」
「真面目っていう感じだな。真面目で、ねばり強い」
「金沢のように、気取りまくったところがないわね」
「うん。コンプレックスは抱いているのかもしれないけど、堅実で、むしろ好感が持てるよね」
「工業もあるし」
「それでいて、どこか垢抜けてない。しかし、食べ物はおいしいし、自然は豊かだし、いいところだよ」
「発見の旅になったわね」
「そう。屏風の裏に思いがけない宝物があったという感じかな」
二人は、大いに満足してその旅を終えたのである。●印象の薄い県
富山県のイメージ広告は「印象の薄い県」(石井陽一のコピー)というのがコンセプトになっている。
富山県の写真があって、うっすらと「印象」という文字が見えるようになっていて、当選すると「印象」の薄いテレカがもらえる。「富山?知らな〜い」「グアムより遠かったりして」という関東ローカル向けに放映された富山県の自虐CMが話題を呼んだこともある。広告批評の天野祐吉はどれだけ県から歓迎してもらったのかしれないが、べた褒めだった。
逆手に取ったのは分かるけど、そんなことにお金を使うなといいたい。富山の印象が悪ければ問題があるが、薄くても県民はちっとも困らない。
大体、印象の薄い県というのは富山県だけではない。北陸では金沢が有名だけど、何県か分からない人が多い。仙台は何県?というと分からないのと同じだ。僕は「金川」なのだが、富山出身というだけで「金沢さん」と呼ばれるようになってしまう。栃木、福島、島根、香川、宮崎、茨木、郡馬なんて県庁所在地や名産をあげろといわれて富山県庁の人だって答えられないだろう。
気にする方がおかしい。富山の特徴は日本中の田舎のどこの県でも見られることだ。
ネガティブ広告、自虐的広告のコピーで豊島園の「史上最低の遊園地」「聞いたこともない遊園地だが、/わたしは応援します」というのだった(岡田直也の「お騒がせ広告」の一つで『たいこめ辞典 復刻版』翔泳社がある)が、宣伝表現の差別化がついにここまでエスカレートしたかという感があった。同じ頃テレビのCMも暴走していて「世の中、バカが多くて疲れません?」と桃井かおりがブラウン管から語りかけるチョコラBBのCMがあった。野村沙知代の写真を使ったあたりからシャレでなく、最低の遊園地になってしまった。キューサイの青汁の「う〜ん、まずい」というCMもあった。
「富山ってグアムよりも遠いかも」「一生行かないよね」というテレビCMも首都圏で流された(読売新聞富山版99.3.17)。3人のOLが寿司屋のカウンターで、富山県に引っ越した友人の話をしていて「富山? 知らなーい」「一生行かないよね」といいつつ、食べている寿司が実は富山県産のものだということをさりげなく伝えるという趣向でコピーは「知らなくても。富山県」。
※茨木、郡馬と間違えたのが分かりますか?正解は「茨城」「群馬」ですね。
立川志の輔は『しのすけのものさし』(毎日新聞社)で、富山県の書籍・雑誌購入費割合が最下位になって県知事もショックだったという話を受けて、次のように書いている。
企業誘致やイベントなんかなーんせんでもええがや、ひっそり目立たんで富山県境にベニヤ板を張り巡らして希少価値をあげるくらいに考えとった方がええがやないがやないけ?(富山弁)。
そこで、キャッチフレーズは「来るなら来てみろ富山県」。
四月のうた 茨木のり子『人名詩集』(童話屋)
富山のことを富山(とみやま)県といっていた進は
歯医者になった
底辺のことを底辺(そこべ)といっていたとく子は
貫禄の母親になった
股旅ものを たびまたものと称していた三郎は
戦死した悲恋を悲恋(ひごい) 悲恋(ひごい)と連発していた悦子
先生となり
失望を失望(しっぽう)と読んで恬(てん)として恥じなかった私は
何になった?たどたどしかった子ら いっぱしの大人となり
さて 我が子の国語力の乏しさなんかを大いに歎く
記憶力のいい私はおかしくてならないのだあとからあとからおしよせてくる新しい波
くりかえしのように見えながら
その実 微妙な変化を見せながら
ほとばしりながらたった三世代くらいの推移を
つぶさに見ているにすぎないが
できることなら見定めたいのだ
世代そのものの成長ということの
ありや なしや を2002年に作られたCMは「日本の元気は富山から」という明るいもので、「アリナミンV」をぱくった「トヤマケンV」というので勝負した。
効能は[ストレスに]立山連峰、黒部峡谷、おわら風の盆、[目の疲れに]蜃気楼、五箇山合掌造り集落、チューリップ、[食欲不振に]ブリ、ホタルイカ、シロエビ、ますの寿し、[疲労回復に]黒部川扇状地湧水群などの名水、富山湾海洋深層水、[体調不良に]越中とやまの配置薬、と書かれている。「トヤマケンV(ブイ)」ドリンクは存在しませんが、「元気な富山県」は存在します、の注意書きも。
なお、県広報課は2002年12月から翌年1月まで行った県のイメージ広告のプレゼント企画に応募してきた約25000人を対象に、応募用紙に「富山」と聞いて思いつくものを3つまで記入してもらった。県外の人の回答は1位「薬売り」、2位が「立山連峰・黒部アルペンルート」、3位が「ホタルイカ」で、県内の人は1位「立山連峰・立山黒部アルペンルート」、2位「ブリなどのおいしい魚」、3位「ますの寿司」となった。
2003年12月から翌年1月までの調査。県外の人は1位「立山連峰・黒部アルペンルート」、2位が「ホタルイカ」、3位が「ブリなどのおいしい魚」で、県内は1位「立山連峰・黒部アルペンルート」、2位が「ブリなどのおいしい魚」で、3位が「ホタルイカ」となった。
※この富山県の宣伝戦略については2003年2月5日のNHK富山「とやま夢航海」の「金川欣二のなんでもカルチャー」で取り上げた。自虐的になるのは売薬さんから始まる謙虚さがルーツだという話でまとめた。
富山が昔から印象の薄い県だった訳ではない。石川英輔『大江戸番付づくし』(実業之日本社)には料理茶屋、道具、いらないものなどを格付けした見立て番付を読み物風に解説してある。信仰の山として立山が上位にきているし、富山の橋も意外に多い。長さで決めた名橋番付には「越中五个(ごか)の籠橋(かごはし)」「越中相本橋」「立山藤橋」が入っている。五个(“个”は“ヶ”に相当)は五箇山らしいが、籠の渡しとして有名なのは越中と飛騨の境にある渡しだった、と著者は書いている。相本橋は宇奈月の愛本橋だろう。名所旧跡にも神通川に六十八の船を浮かべ、板を渡した「富山舟橋」の名が見える。
2003年に行われた<小学4〜6年生に聞いた都道府県の認知度>(帝国書院調べ)によれば、富山県は33.3%と34位。正しく答えたベスト3は北海道、沖縄、青森。逆にワースト3は福井、山梨、島根だった。12位の長野以下は、50%を切り、34位の富山以下だと3人に2人は間違っていた。 全体として西日本の府県の方が東日本の都道県より認知度が低い。授業で北から順番に教えることが多く、南に進むほど子どもの集中が続かなくなるためらしい。半島が主要部分を占める千葉や石川(11位)、鹿児島、琵琶湖がある滋賀など形に特徴があると有利。「九州の中央で阿蘇山がある」熊本や、「原爆が落とされた」広島など教科書に記述があると覚えやすい傾向が分かった。 間違いで一番多かったのは隣県との混同だ。岩手に対する間違いのうち「秋田」は48%を占めた。こうした間違いは「島根を鳥取」「佐賀を長崎」「高知を愛媛」「鳥取を島根」の順に多かった。
2003年にはゴジラ松井のモノマネでブレークした、はなわ【本名「塙」】というタレントが「佐賀県」という歌で「クラスの半分以上が同じ床屋、残りの半分はお母さん」「これが悲しい性(さが)」…と歌った。古川康同県知事は「『本当にそんなところなのか』と思って来てくれる観光客が増えればうれしい」と意気投合、プロモーションビデオに登場。歌詞で、佐賀出身を公表していない、と指摘された女優、松雪泰子もホームページで応援を始めたという。ちなみに僕も吉野ヶ里遺跡を見るために佐賀駅に降りたことがあるが、プラットフォームが二つあるだけで、駅弁はないし、トイレも改札の外に出なければなかった。タクシーに乗ると町道だと思ったのが国道だったし、沿道では弥生人が手を振ってくれた。
黒部の認知度はこれに対して高い。2003年に黒部市観光協会が都内で行った「黒部」の認知度調査(6月27日から3日間、千代田区有楽町の東京交通会館で行われた物産展「名水の里黒部展」に合わせて実施して716人がアンケートに答えた)で、地名は95.9%が聞いたことがあり知名度は高いものの、黒部ダムなど山や峡谷のイメージが大半であることが分かった。黒部が所在するのは富山県と答えた人は87.4%で大方は正解だったが、長野県との回答も3.5%あった。黒部のイメージを自由に複数回答で尋ねると、黒部ダムが70.3%で、2位の黒部峡谷(8%)を大きく引き離した。以下は3)大自然、4)山奥・秘境、5)黒部の太陽・石原裕次郎、6)トロッコ電車、7)名水・水がおいしい、8)スイカ、9)アルペンルート、10)立山−などと続いた。黒部が日本海に面していることを知っていたのは59.8%だった。
岩手県は2002年から「がんばらない宣言いわて」というコピーを出したのだが、「がんばらない」は努力の否定だと反発された。ゆったり生きていくことの大切さを訴えているキャッチコピーなのに…。
2005年11月1日の「ザふるさとランキング」という番組で各地方からの認知度を合計して富山県はワースト4位で38.5%、3位が島根、2位が鳥取、1位が栃木で32.6%だった。
●インジン
誰も知らないだろうが、エンジンのこと。上市なんかでは「イ」と「エ」を混同することがあったので、うちの先生で「エンジン」を「いんじん」だと思って発音していた。「過剰強制」overcorrectionという。
●インターネット市民塾
好きな人が講師になり、e-ラーニングシステムを利用して生涯教育を行っている。丸田一『ウェブが創る新しい郷土 ~地域情報化のすすめ』(講談社現代新書)に取り上げられている。
●隕石
「いんてつ」というと僕にとっては「印度哲学」だが、鉄分の覆い隕石。富山で有名な隕石は上市川で発見された白萩(しらはぎ)隕鉄第1号、第2号である(同じ成分なので宇宙空間では同じものだったとされる)。1890年に発見された1号から榎本武揚のために「流星刀」というのが作られ、富山市天文台に短刀が一振り保存してある。千石神社(中新川郡上市町)には白萩隕石の碑が残っている。
勝興寺の七不思議の一つの石も隕石だとされるが、サヌカイトだという説が有力である。
●インテック
かつて「富山計算機センター」と言っていた、世界に誇る富山の情報産業。インテック技研という関係のない会社が潰れた時に問い合わせがいっぱいあったという。 本社は駅北のタワー111ビル。
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