僕に関する噂2003 1クールも続けば、と思われていた僕のコーナーが1年間続いて、2年目に入った。賢しらに番組に出ているのには忸怩たる思いもある。
文章は止めようかなぁと思ったのだが、「あんな時代もあぁーたねと…」と後で振り返ることもあるかと思って2年目を書く。
なお、このホームページはNHKとは全く関係がないこと、
僕に一切の責任があることをご了承ください。
「長崎の鐘」で有名な永井隆博士は『この子を残して』に名前の売れることを戒めている。病床で、二人の幼子に「有名になるな!名前なんてものは、茶の間で、あめ玉がわりに一分間しゃぶられるだけのもの」だという。『この子を残して』が世に出たのは1948年でテレビの本放送が始まる5年前だからテレビを念頭に置いての述懐ではなかったというが、本質を当てている。テレビの1年で分かったことは「あめ玉」程度だということだ。馬鹿だから、「あめ玉」をもう1年続ける。
□ 新年度の放送が3月31日から始まった。月曜日は海幸・山幸、火曜日は金沢と共同の北陸ぶらり散歩道、木曜日に夢前案内人、金曜日がふるさとマップと大幅に変更したが、水曜日はそのまま残った。「くらし羅針盤」は岡嶋友美キャスターになった。
最初の水曜日は4月2日と早い。しかも、6週連続だ。
とりあえず1回目は僕のコーナーの説明をする。僕が何で出演しているのか知らない人が多いだろうからである。「夢航海」だから商船の先生?と思われているフシもある。
で、「雪は白いか?」というクイズ形式にして、宮本輝の『天の夜曲』の中の北陸の雪は灰色だ!という言葉を引いて、まとめた。それでは新年度早々、暗いので、「太陽が姿をあらわすと、鉛色の雪も、その内側に金色の何かを隠していたかのように、これほどまで眩しく光るものか…」という文章も引いて、灰色の中にも金色に光るものを見つけましょう、という映画『灰とダイアモンド』のような話で終えた。
やたら時間が余っていて、不思議だったのだが、音楽クリップが流されなくなった分だけ、時間にゆとりができたのだ。5時10分から45分まで出ることになる。これで留学生から早口すぎると文句をいわれなくなるはずだ。
数日後に家にお参りに来たお坊さんが番組を見ていたらしく、妻に「旦那さんは努力家だから…」と話していったと、僕が帰宅してから妻が大笑いして話した。ごく近くにいる人には努力家には見えないものらしい!
うちのおばあちゃんがみのもんたの「おもいッきりテレビ」に出ることになった。前からうすうす分かっていたけれど、こんなヤラセ番組だとは思わなかった。つまり、新湊のシロエビの解禁日4月1日に合わせて特集しようとしたのだが、まず、地域で元気なおばあちゃんというのを聞いて集めて、それぞれに、元気そうなところを見せて、「どうして元気なの?」と聞くと「富山湾の宝石を食べているから」と答えさせる。「富山湾の宝石」とはシロエビのことなのだ。そして、シロエビを食べているところを撮って、最後にはスタジオで試食してもらって終わり。
おばあちゃんは日本画をスケッチしている場面と自宅で自作の日本画をバックにシロエビ料理を食べているところを撮影されたのだ。取材に半日、撮影に半日振り回された。
4月7日に放送されたのだが、おばあちゃんの出てくるシーンはわずかで、周りに電話をかけまくったおばあちゃんはがっくり来ていた。それでも、「元気なところを見たよ」という電話で励まされたようだ。
あんな安易な番組作りをしたくないと思うが、難しい。
「夢航海」ではスタッフを二人増やした。大橋さんと川尻さんだ。FAXやメールで番組宛にメッセージを送ることも可能になった。
□ イラク戦争が続いていて、大統領宮殿に突入した4月7日は放送がなくなってしまった。僕の出る9日はどうなるだろうと、こんな時に能天気ながら心配になる。
学校が始まって、学生が「前回のを見たよ、教官はひねくれた解釈をするんだってね」と言ってきた。話の意図がよく分かっていない!
51歳のキャリア校長が就任した。新型肺炎(SARS)が流行して、うちの学校でもハノイ市に帰った留学生がいて、対応策に追われた。おまけに乗船実習でシンガポールに行く予定が変更されてしまった。
9日は立山曼荼羅を借りての放送。絵図を見ながら説明するのだが、つい後ろ向きになってしまう。何度もフロアディレクターから注意を受ける。最後にお借りした立山博物館のことを触れようと思ったのに、時間がなくなってしまう。いろいろあって、つくづく難しいなぁと落ち込む。が、そういう時に限って「見たよ」といわれる。あ〜あ。
□ テレビと授業とでは似ているようでまるで違う。苅屋剛彦は共著の『教えることの復権』(ちくま新書)でテレビと授業の違いをこんな風に書いている。
【テレビは】聞き手の反応がわからないだけ、伝えるべき知識を、どのようにほかの知識と関連づけて話すかは、事前の準備によって決まってしまう。状況に応じたアドリブがまったく効かないのである。教室でなら、学生も、首をかしげたり、うなづいたり、あるいはあくびをしたりすることで、話し手にメッセージを伝えることができる。そうした反応を伝えることで、一方的に見える講義のような場でも、相互的な学習が行われている。同じように一方的な講義に見えても、テレビカメラの前で話をするのとは情報の受け取り方が違うのである。こうした学校の特性はまだまだ捨てたものではない。
しかも、学校でなら失敗が許される。というよりも、学習の失敗をあらかじめ組み込んだ上で、教えsることを成立させている場が、学校なのだ。
□ 3回目が終わった。斉藤さんが知人から聞いた獅子舞の「華」(寸志)の金額をリハで言ったのだが、あまりの金額に驚いた。本番ではもちろん言えなかった。
安田さんは構成を考えると月、火と眠れないという。可哀想。
頑張れ!安田(←体育会系だからどうしてもこんなかけ声になってしまう)。
4回目を考えるが、中川ディレクターがお笑い系のオチを好まないので、手足を縛られたよう。ゲストを呼ぶのも僕の存在理由がなくなるというので、とりあえず御法度。困ってしまう。
打ち合わせを終えて帰宅途中に近所のスーパーへ行くが、おばさんが「あれっていつ録画しているんですか?」という。昨年から見ているというのに、生放送だということを気付いていない!その後も何度も同じ質問が出る。番組途中に地震でもなければ分かってもらえないのかもしれない。それにしても、文化番組(?)を生でやるというのは珍しい。
結局、なかなか決まらず、安田さんは紙芝居風の絵を作ったり、朝まで仕事をしていたようだ。
今週のブックランキングは村上春樹の新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だったので、楽に解説できた。
何カルの『勧進帳』は富山が舞台、という方はいろいろあって複雑だったが、終わってから伏木の住民なのに如意の渡しの故事を知らなかったという人がいたので、番組とは不如意なものだと納得する。
□ 次回は下村のヤンサンマ(流鏑馬)の予定だったが、金曜日に別番組でやってしまうというので、再来週と差し替えることにする。『新明解国語辞典』に載っている富山というのを昨年話したが、今度は『大言海』などに載っている富山の名産というのにした。スタジオの後ろに飾りとして置いてあった辞書なので、みんなびっくりしていた。何しろ、置いたディレクターも飾りで何となく置いたのだという。内容は言語ネタだからやりやすくて、原稿もその日のうちにできた。
連休中なのにお仕事!5回目の放送。リハが円滑に終わったので、3人でNHKの入り口にたむろする。小野真弓に雰囲気がそっくりで「アコムちゃん」と呼ばれた受付嬢がいた時には斉藤さんとよく休憩していたのに、最近はあまり行かなくなった。僕のクラスにいてNHKに入局している竹沢君が久しぶりに挨拶に来る。
放送はスムーズに行きすぎて、時間が余り気味だった。最後のオチは駄ジャレだったのと、ホタルイカに関することだったので、照れてうまく言えなかった。あと、ウェブスターの辞書を持っていくつもりだったのに、研究室に忘れてきた。
それにしても、スタジオに行く度に、何をやってんだか、という思いにふける。本当に何をやってんだか!?
番組で大型連休はどこに行くの?と聞かれたが、子どもたちが部活とか友だちと遊ぶ、といってどこへ行く予定もないと寂しい答えをする。実際、妻が東京へ歌いに行ったりしていて、僕は家と学校と図書館を行ったり来たりだった。
卒業生とばったり会ったら、「教官、学校辞めたんですか?」と聞かれた。何という早合点だと思って母に話すと母もある人に「息子さん、学校、どうしておられるがけ?」と聞かれたという。
□ すぐに次回の準備。『今昔物語』の当該の箇所を読み返す。「今は昔、とやま夢航海という番組ありけり…」。
下村のヤンサンマ(流鏑馬)を見に行く。天気がよくてよかった。牛の前に暴れている人がいて、「牛押さえ」より「人押さえ」の方が難しいと思った。姪がいたので驚いた。下村の乗馬クラブに入っていて、手伝いだという。
6回目。ヤンサンマについては下村の人が来て話したばかりなので、なるべく重ならないように注意する。リハが終わるとデスクのN氏がいつものように降りてきて、分かりにくいからといって順番を変える。
終わると2週間の相撲休みになる。安堵しながらスタジオを出ると次回の話はどうしましょうか、と入ったばかりの川尻さんが聞いてくる。今度から担当を分けるようだ。1年前は番組全体が手探りだったので、ようやく落ち着いてきたということだろう。
放送局を出てようやくホッとする。
若い人たちのために「文化的雪かき」という文章を用意する。
□ 「教官、テレビでリラックスしてるね」
「何言ってるんだ、緊張して指の先が小刻みに震えているのが分からないのか!?」
「ぜーんぜん、授業よりリラックスしてるみたいだ」分からんちんの学生を持つというのは辛いものだ。と思っていたら、ある先生から次のような質問。
「金川さん、下調べやら準備やら大変やろ?」
「いいえ、学校に迷惑にならないように、簡単にしかやっていません」
「冷や汗かいたことある?」
「ありません」川尻さんが担当することになって、ちょっと無理をして「富山の色」という抽象的な問題を出してしまったので、苦労する。ようやく前々日に決まったのだが、直後に国会中継で番組が中止になるというメール。初めてだったが、ラッキー!
放送予定日の翌日、学生が「教官の番組は国会に負けるんですか?」と聞いてきた。負けるに決まっている!
□ 相撲の間に、山形放送局ではスイカップの古瀬絵理キャスターが注目されていた。
で、ほぼ1カ月ぶりにNHKに行く。久しぶりなので、道順も忘れていた。
色の話なので、色見本のついたTシャツを着ていくが、斉藤さんに「シティボーイみたいだ」と冷やかされる。
ブックランキングはどれも苦手な本で読みそうにない本ばかりなので、困ってしまったが、横山秀夫の『真相』が入っていたので、前作『半落ち』にひっかけて駄ジャレで落とすが、「半落ち」になってしまった。
川尻さんの初の担当だったが、無難に終わる。いろいろあった方が、スリルがあってよかったのに…。
翌日も国会で中止だという。なかなか水曜日はつぶれないものだ。
「番組、力が入ってましたね」といわれて、1カ月ぶりだったので、リキが入っていたのかと思ったら、いろいろな資料があってよかったという。やっぱり準備期間があると違うものだ。
恩人の葬儀で不在の時に、中学校1年の時の担任から「前々から知っていたけれど忙しくて初めて番組を見ました。私もおばあさんになったけれど、欣ちゃんもすっかりオジサンになって…」という電話があったという。先日中学校3年の時の担任が亡くなり、心配していたのだが、元気そうで何よりだ。
□ 8回目が成功したかどうか分からない。寮の当直明けだと、頭がぼんやりしていたし、難しかった。こういう時に「見れなかった」という人がいるとほっとする。
地元の新聞社が夏に実施する行事があるのだが、SARSで予定していたアジアの留学生が来れなくなったという。それで高専の留学生が出せないか泣きついて来たのだが、翌日、なかなか難しくて…という電話をすると「そんなことでは先生のメンツがつぶれますね」と脅された。「メンツなんてない人間ですから…」というと「何をおっしゃる、NHKに出ているのに…」などとねじ込まれる。メンツという言葉を使われるとは思わなかった。キンセラの最新作『魔の時刻』(東京学参)では次のような言葉が出てくる。
「君も分らない男だな。ここは日本とは違う。メンツを失うなんて大したことじゃないだろう」
2名の留学生を商船から出すことにして、メンツは保ったのだが…。
□ 9回目は富山県の名前と位置をどうやって認識してもらうか、というテーマだった。はなわの「佐賀県」を紹介するので、富山県版を作ってくれといわれて、メマイした。あそこまで自虐的で捨て身の歌詞を書いたら富山にいれなくなるからだ。なんとか、半分自慢げな歌詞にして、ごまかす。
形を覚えてもらうにはまず富山県がどんな形かというのを偏見のない幼稚園児に描いてもらった。蝶々ばかりだと思っていたが、40名中11名がライオンとして描いた。腹ぺこ青虫を描いた子どももいたし、何とサンタクロースとした子どももいた。
終わってから、斉藤さんが「日頃お世話になっています」ということで、飲みに連れていってくれる。あまり世話をしたつもりはなかったのだが、せっかくの行為に甘える。斉藤さんと飲んだのは初めてだったが、飲んでいる間も電話がかかってきて、アナウンサーというのは実に忙しいものだと思った。
安田さんが「先生はあまり外来語を使わないね」というので調子に乗って「そう、ラジオとテレビ以外は使わないようにしている」というと「でも、『何でもカルチャー』だけどね」とつっこまれる(名前をつけたのは僕ではないのだけれど…)。世の中には難しい言葉づかいをする人がいて、そんな言葉づらにぶつかるのは人生最大の災難だと思う。気をつけなければ…。
土曜日に妻のバッハのカンタータの教会演奏会に行ったら、FMとやまの常務だったHさんに「あの番組面白いわ、適任だわ」と珍しく誉められる。2年目に入ってさすがに番組の知名度が上がってきた。
「佐賀県」の富山版を作ったのを基に第4回詩のボクシング富山大会に挑戦することにする。周りからまた、ヒマだねぇといわれそうだが、谷川俊太郎のようにかっこいいおじいちゃんになって「金川俊太郎」と呼ばれたいからだ。谷川俊太郎が臆面もなく書いた「世間知ラズ」という詩がある。
世間知ラズ 谷川俊太郎(『世間知ラズ』思潮社)
…
わたしはただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの
世間知らずの子ども
その三つ児の魂は
人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気なまま
百へとむかう詩は
滑稽だ16人だけが本番に選ばれるという予選に前々日申し込む。というのも行われるのが土曜日だと思ってかけたら、日曜日だったのだ。土曜日に何とか詩の「剪定」作業が終わって当日。
落ちたら恥だなぁ、夢航海に出る資格もないんじゃないかとびくびくして待っていると、後ろから見知らぬおじいちゃんが「先生、NHK、テレビ、見てますよ、期待してますよ」などとプレッシャーをかけてくる。最悪なタイミングで声を掛ける人っているものだ。合計3人に声を掛けられた。くじ引きで8番目になった。
始まるとみんな暗記していてすらすらだ。こちらは会場で手直ししているくらいで、カミにすがりついたまま。6人ごとに主催者の楠かつのりさんが講評をした。「ここまで聞いて帰りたくなった人?」といわれて、思わず手を挙げてしまう。雰囲気は文学サロン風で、吉本風の予選を期待していた僕はモンガイカンだった。
名前が呼ばれたが、新聞社から出ている司会は何を間違ったのか、他の人は姓だけなのに、僕の時は下の名前まで「金川欣二さん」などときっちり呼ぶので恥ずかしかった。
とちりはしなかったが、びくびくものの朗読を終えて席に着いた。お腹が痛くなってきた。12人終わったところで、講評があり、僕の分は「面白かった」といってくれた。他のとは違っていたという。他の人には聞かなかったのに「職業は何か?」と聞かれてしまい、「お笑い芸人です」と答えようかと思ったが、知っている人もいたので、正直に「教師」と答える。後で回りから国語の教師ですか?と聞かれた。
全部即興詩だと思っていたのに、はめられたと文句をいうおじさんとか、リストラを歌った悲壮な感じのおじさんとか、楠さんの講評の間に今作ったという詩を読むおばさんとか、福井から来て本選の日を知らない若者とか、何度も出て落ちているオジサンとか、毎年外しまくっている若者とか、演劇をやっていて芸名も「雷鳥…」という人とかややこしいのがいっぱい出ていた。審査員は楠さん(日本朗読ボクシング協会代表)、第3回富山大会優勝者の谷川謙一さん、同大会実行委員長の高才弘さんだった。
何とか16人に選ばれて、7月19日(土)の滑川での本選に向かう。4編の詩と即興詩を1編を用意しておかなければならない。
□ 富山大学の中井精一先生を迎えて「富山音声方言地図CD-ROM」の話を聞くことにする。中井先生は僕が担当していた富山市民大学の方言学の講師を引き継いでもらっている。かなり苦痛なので辞めたのだが、先生もやっぱり苦労しているという。「来週、もうある」と思うと苦痛だという。
中井先生は青年海外協力隊のような出で立ちでNHKに来る。関西弁丸だしで『ナニワ金融道』でも見ているような気分になる。
放送は国会のために5分遅れに始まったが、県内ニュースを省いたのでほとんど同じ時間帯で話す。映画は『ソラリス』だったので、家からオリジナルの『惑星ソラリス』のチラシを持ってきて見せる。きちんとコメントできたのだが、最後の場面で日本の高速道路が未来風景の一つとして出る、ということを言い損ねた(のでここで書いている---大して意味のあるコメントではないが…)。
先生が作られたばかりのCD-ROMを使って説明。ゲストだけに僕が入る余地があまりなかった。
□ 7月になった。長部日出雄『鬼が来た!』を富山が出てくる本として取り上げなければならないのだが、県立図書館からはなぜかなくなっていて、ディレクターにも絶版になっていると聞いたのだが、ネットで調べて手に入れる。長部の『津軽じょんがら節』と棟方志功の即興の話を何とかまとめる。じょんがら節が1回1回のパフォーマンスであると同様、志功の板画も1枚1枚パフォーマンスなので、ナンバーが入っていない、という話まではできなかった。
2日の番組では『バトル・ロワイヤル2』の解説をしなければならないが、あまり気乗りしないので『ワイルドバンチ』公開時の記者会見での女性記者の「一体、どの様な理由であれほどの大量の流血の描写が必要なのですか?」という質問に対してボーグナインが「いいですかレディー、人が撃たれたら血は流れるものなんです」と切り返した話(村上春樹の『スプートニクの恋人』の中にも挿話として出てくる)でごまかす。
何カルは能の「善知鳥」の話をする。内容を紙芝居風にしてあったので、分かりやすかったと思う。
頭が働いていなくて、のろのろと喋っていたのだが、賢そうに見えたといわれて、何がなんだか分からない。
□ 2週間の相撲休みの間に詩のボクシングに出た。朗読の上手な人たちに圧倒されてしまった。楠としのりさんと話したり、富山大会を盛り上げてきた作道さとしさんと握手できたのが嬉しかった。
23日の映画は『踊る大捜査線2』なのでギリギリ前日の夜に見に行った。妻は『踊るマハラジャ』みたいなミュージカルだと思っていた。
「夏休みのおすすめスポット」というのがFAX・メールのテーマだったが、「甲子園」と言おうと思っていたのに、新高はこの日、コールド負け。去年の春から応援する人々を描いて番組を一本作ろうと思っているのに、なかなかできない。
番組では新市名を取り上げた。オチのない真面目な番組になってしまった。中で「鱒の寿市」とか「きときと市」などとパロディにしたので、まあいいか。FDの若林さんがアンケートなど、いろいろ準備してくれていたんで、非常に助かった。
終わってからディレクターの松本さんが異動の挨拶に来た。東京に戻って「おはよう日本」を担当するのだという。転勤のある人は大変だが、栄転する楽しみがある。
伊藤ディレクターからも異動の葉書が来た。
□ 学校は夏休みになったけれど、独立行政法人化でたくさんの会議がある。抜け出すのもなかなか気が引けるようになってきた。
世界ポスター・トリエンナーレの話なので、ロートレックのTシャツを着ていくが、誰も分からず不発に終わる。次の日、体育の先生からTシャツだったと冷やかされた(後に大学の教育学部の教師になった男でもロートレックが分からない!)。ロートレックは言った。「人間は醜い。されど人生は美しい」と。
鹿島茂『フランス歳時記』(中公新書)がロートレックの美学について書いていた。脚を骨折したため、躍動する馬を眺めてはその動きをキャンバスに定着することを唯一の喜びとしていたロートレックは何でもない日常の中でエピファニー(キリストの公現)のように一瞬現れては消える「刹那の美」を一見すると醜い現実の中に見いだしたという。
この「刹那の美」は、写真がまだ街に出ることを知らず、スナップショットというものが生まれていない時代にあっては、一つの完全な「発見」であった。つまり、トゥルーズ=ロートレックは写真よりも早く写真的な美に気づいたのである。写真はトゥルーズ=ロートレックがやったことをなぞったにすぎない。
次回の打ち合わせをしていたら、N氏が入ってきて「来週は新しく入ったディレクターが考えているから大丈夫」ということだった。もしかしたら、20日も甲子園でつぶれるかもしれないという。ラッキー!
まずまず好評だったが、視聴率が下がった。というのも、近所の電気屋のおばあちゃんが急死したからだ。先日、電気ケーブルを買いに行ったら「金川さん、テレビ見とっよ」と言われて「恥ずかしい」というと、「じゃあ、来週から出られんな」などと軽口を叩いていたばかりだったのに、水曜日の朝、トイレで亡くなっているのが発見されたのだ。町もだんだんと淋しくなっていく。
□ 町で七夕の行事があり、先導するパトカーのお巡りさんから挨拶される。「テレビ、大変ですね」といわれるが、こうしてメンがばれてしまったら犯罪を犯しても逃れることができなくなる!
2年に1度開かれる世界自然・野生動物映像祭を紹介するために事務局長の藤井千津子さんをお招きして話す。これだけの組織を運営するなんて大変だ。苦労も多いらしい。
映像がたくさんあって、ほとんどしゃべらないですむ。初めて担当した佐藤ディレクターがきれいにまとめてくれていた。
来週は甲子園でお休み。甲子園はNHKの人にとってもお盆休みが取れるので、大変いい行事だということに気づく。それにしても、寒い夏だ。ヨーロッパは猛暑だというのに!
寒さでうちのテレビが壊れてしまう。子どもの『朝日小学生新聞』には「ノーテレビデー」の特集があり、テレビを切ることによって子どもが変わってきた話が載っていた。実際、うちでもトランプをすることが多くなり、僕も古いPOPSを聞くようになった。安田さんも小さい頃、お父さんの考えでテレビなしに暮らしていたという。僕も考えてみれば、高校から大学院まで9年間は全くテレビを見ない時代があった。壊れたテレビをそのままにしておこうとも思ったが、せっかく払っている受信料とケーブルテレビの契約料がもったいない?ので電気店に買いに行く。
14日にアメリカ・カナダの大停電がある。ヨーロッパは30年ぶりの猛暑でスイスでは41.5度だという。なのに、涼しいお盆が続く。お墓参りに行こうとしたら、地元出身の作曲家の聖川湧さんとばったり。なんのことはない、うちの後ろの方にお墓をもっていたのだ。僕は面識がないが、母と妻がよく知っていて懐かしそうに話していた。
雨が降り続け、甲子園が3日順延となったのだ、20日に用意していた「何でもカルチャー」がなくなる。イベントと関係があるので、延期もできず、そのままボツ。21日放送予定が順延になって、22日放送予定の「6万年ぶりに火星大接近」が27日に回ったのでこの日の分もなくなる。詩のボクシングの優勝者の友尾さんを呼ぶ予定がつぶれてしまい、9月3日は彼女の都合が悪くて、別の企画を考えるが、結局、出てもらえることになる。不順な天気に振り回される!
夏休みは家と学校と図書館を回っただけで終わってしまう。県外に全く出なかった夏休みというのは恐らく、中学生以降初めてだ。そうこうしているうちに、学校が始まった。
1カ月ぶりに放送。詩のボクシングなので友尾さんに出てもらう。優勝カップである電気スタンドまでもってきてもらった(副賞ではなく、返還しなければならない)。
毎週のテーマが「私の好きな秋の風景」だったが、斉藤さんが「新湊全体です。昨日から市場に並んだベニズワイガニもいいし、お祭りも大好きだ」といったので、驚いた。「市長に報告しておきます」といってあげた。
リハはあちこち行きつ戻りつしてうまく行かなかったのだが、本番ではちゃんと終わる。さすがにプロだ。僕も参加したイベントなので、話しやすかった。
せっかく、村山由佳の『星々の舟』を読んでおいたのに、ランキングから外れてしまう。富山を描いた本も読んでいたのに、怪談だったので、9月には使えなくなってしまった。『HERO 英雄』も観ておいたのに…と疲労してしまう(←くだらないギャグを披露するな!)。
映画は『天使の牙』と『ドラゴンヘッド』。どちらも荒唐無稽なストーリーだ。後者は子どもの友人が見てきて、中学生でも「一体、あれは何だ!?」と文句をいうような映画だったようだ。リハで斉藤さんに「どうしてドラゴンヘッドなんだろう」と聞かれて、「きっと“竜頭蛇尾”ということなんでしょう」と話すが、本番では当たり前だが、言わなかった。
家に帰ってから、思った通り、母親は友尾さんの詩が「哲学みたいで難しかった」などという。なかなか伝わらないものだ。
1回だけ放送したら、また相撲でお休み。
ホッとしていたら、夏休み中に番組を見たという学生が「教官がいいというから見に行ったら映画○×面白くなかったよ」と文句をいわれる。「番組では何にしろ、悪口を言わないから」というものの納得した顔をしなかった。
□ 9月24日。会議を途中で抜け出してNHK。僕が関係する案件がぎりぎりに終わった。3週間ぶりなので、通っていたのはずいぶん昔、という気分になる。この日は自由党と民主党の合併で5時半スタートになる。リハも久しぶりなので、なかなか調子が出なくてメマイした。リハが終わってから時間があり、しかも、控え室は別の人に使われていたので、斉藤さんとNHKにある喫茶店ステラへ行く。テーマが結婚式なので、昆布茶を頼むが、大きな梅干しの入った本格的な梅昆布茶だった。出ずっぱりだった山田アナウンサーが倒れたとかで、みんな忙しそうだ。
スタジオには業者から借りてきた結納品が並んでいる。福井は5品、石川は7品が平均だそうだが、富山は15品という。
映画『ロボコン』の解説ができたのがうれしかった。ヒロインの長澤まさみが「とやま夢航海をご覧に皆様、こんにちは」というメッセージも入り、ちゃんとうちの学生も映ったシーンがあったのでよかった。
番組の中で、昔出演した「北陸太郎と花子の大研究」の一部を使ったので、懐かしかった。
終わってから来週分を打ち合わせるが、まとまらない。連載の原稿の締切が終わってから、ということにして、局を出る。
「北欧と北陸」ということにまとまって、デザイン展が開かれる高岡デザインセンターに取材に行く。展示物を見たり、お話を聞いたりで、何となくまとまってくる。
そして、放送前日、国会中継で放送がなくなることを知らされる。10月1日は新湊の曳山祭りなので、こちらを見に行こうかと思う(去年は雨の中、安田さんに撮影してもらった)---といいながら、『サハラに舞う羽根』の方へ行ってしまった。
学校が前期末テストなので、超多忙で、ストレスが溜まっている。
5日に、ある小学校の創立記念コンサートで歌う妻に付いていったら、いろんな人から「テレビ見てる」と言われた。1年半もやっていたら、さすがに知っている人が増えてきたようだ。
□ 2週間ぶりにNHK。疲れがたまっていて、しかも、富山大橋でひっくり返っているクルマのせいで渋滞して遅れて着いたので、頭の中が大混乱。用意していた品も時間が足りない、というので引っ込められて、調子が出ないまま(←いつも通り)に終わった。終わってから、翌日の1駒目に答案を返そうと、体にむち打って採点する。
翌日、学校で「昨日、見たよ」と、一番調子のよくない時ばかり「見た」といわれる。オマケに「教官、滑舌が悪いよ、言ってること全然聞こえなかった」と、ダメを押してくる。疲れた!
日本には「巧言令色少なし仁」という言葉もある。滑舌がどうだというのだ。
ただし【巧言令色嫌いだが】、私はもちろん落語が好きだし、演劇も大好きだ。だからそういう「藝」としての「語り」は大歓迎なのである。しかし、何か主張をストレートに伝える際に音声が使われると、私なぞはヒトラーの演説を思い出してしまう。おそらくデリダが音声中心主義を批判した時、こういう音声言語で大衆を熱狂させるファシズムの記憶が背後にあったのだろう。別に話上手な人間がファシストというわけではないが、テレビやラジオのようなメディアで言葉巧みに発言する人間が、口調に淀みがないからといって信頼されるのも何か怪しいのである。「剛毅木訥仁に近し」という知恵もまた、重要なものではあるまいか。巧みな話術ばかりが持て囃されるご時世というのは、どうもきな臭く感じる。
-----小谷野敦『軟弱者の言い分』(晶文社)□ 12日はロボコンの北陸東海地区大会だったので、鯖江のサンドームに行く。富山で開かれた地区大会は見に行ったことがあるが、今回、総合司会が斉藤さんということで、行くことにした。斉藤さんはいきなり「イヤサー、イヤサー」で始めたので商船以外の人にはまるで分からず、外してしまう。途中、学生たちがいろいろ失敗したが、斉藤さんがナイスフォローをしていたので、盛り上がった。特に、決勝で、それまで間違いをおかさなかった審判長が焦ったのか、勝ち負けを赤青逆に発表してしまった。斉藤さんが「ええ、皆さん、今のは聞かなかったことにしてください。では、審判長、決勝の結果はいかがでしたか?」と撮り直したので、みんな大笑いになった。斉藤さんに綾小路きみまろの才能を発見した。
ロボコンの結果についてはかなり不満があった。決勝まで二つ残した福井と、準決勝まで二つ残した石川と、「子連れ狼」みたいなユニークなマシンを作った金沢が全国大会出場を果たしたのは同慶の至りだったが、もう一つ、うちか鈴鹿かと思っていたのに、二つとも動きもしなかった豊田高専が選ばれたことだった。前日のテストランでよかったのかもしれないが、エキシビションでも大した動きをしなかったのに選ばれて、納得行かない人がたくさんいた。
翌日は疲れていたけれど、ポスター・トリエンナーレのために県立美術館へ行く。一度やってしまったネタなのだが、どこかから「もう一度トリエンナーレ」といわれたのだ。
当日は、東京で震度4の地震があって5分の遅れで始まる。片岸さんを招いて話す。ただ、受賞作品には少し不満があったので、画面に出たかもしれない。もっと良さそうな作品がいっぱいあったし、ポスター展のポスターというのは掟破りではないかと思ったりする。
今回から映画の案内が3本まとめて流されることになる。喋りたくない映画を飛ばせるので、合理的なシステムである。
柔道八段で今は非常勤になっている先生に学校でバッタリ会って「久しぶりです」と言ったら、「そっちは久しぶりかもしれないけれど、こっちは毎週会っているような気がしている」と言われる。
□ 22日の放送は久しぶりに「何カル」らしい番組となったが、緊張感が漂っていた。「荒城の月」のモデルが富山城だというのに疑問符をつけただけなのだが、強弁する人たちにとってはナイーブな問題を孕んでいたようだ。呆れることもあったけれど、どうにか終了。
翌23日は藤原紀香が「夢航海」に生出演する、という。番組最高のゲストである。富山で開かれるアフガニスタン写真展のプロモートに来るのだ。僕の時のゲストにして欲しかった…。
□ 土日は留学生を連れて、雲野宿や軽井沢、善光寺と回る。軽井沢で楽しく過ごせたので、頭の中は「何でも軽井沢」状態だ。
巷では日テレの社員が視聴率を上げるために買収したニュースが流れている。買収した4世帯は視聴率に直すと約0.67%にあたり、関東地区の場合は約11万世帯が見た計算になるから怖い。魔物だと思う。
松井が四番になったヤンキースが負け、星野巨人が最終戦で王ダイエーに負けて野球のシーズンが終わった。
土日出勤が重なって代休を採ることにしたが、番組の打ち合わせで高岡市博物館の「百万石の大工さん」展に行くことにする。仁ヶ竹学芸員に親切に説明してもらって、よく分かった。前から瑞龍寺を作った名匠・山上善右衛門嘉広について取り上げたかったので、本当によいチャンスになった。「セレンディピティ」だと思う。
“今週のFAXテーマ”が「私の一冊」だったので、アイザック・ディネーセン『アフリカの日々』(晶文社)を持っていく。テレビでこの本が紹介できる日が来るとは思わなかった。
番組はビデオなどが多かったので、順調に進む。勝興寺の大修理の話もしたかったが、ややこしくなるので、飛ばす。
次回が決まっているので、早く帰れる。
学校でKONISHIKIのいとこのチャーリーが「センセイ、ミタヨ」と話しかけてきた。
□ 1日、2日は学園祭・北斗祭で、3日が後かたづけと忙しかった。特に映画『ロボコン』をフルスクリーンで上映したので、人集めや体育館の設営などに疲れた。2日に寮の当直があり、3日は文化の日で町のお祭りだった。帰宅したらちょうど家の前で獅子舞をしていた。長男が百足獅子の獅子頭を持って踊り、長女がキリコ(踊り子)の役を務めた。キリコは今年最後で来年から横笛を吹くというので、本当に間に合ってよかった。
5日は北國新聞の記者が「隠れた日本一」について取材に来る。そんなに都合よく説明できない、といいながら1時間半も話をして疲れた。
スタジオに行くと11月9日の「マニフェスト」衆議院選挙に合わせて臨戦態勢になっていた。街頭カメラで街の様子を映すのも街宣車が映っては困るので、遠景ばかりになってしまう。
番組は『逢いたい』という映画を作った淺井康博監督との話になる。僕が全作品を見ている監督は黒澤明とこの淺井監督である。淺井さんは昨年の7月に映画を作る、といってゲストで出てもらったのだが、今回は完成後の祝いということになる。若いのに数千万のお金を集め、これだけの映画を作るっていうのは偉い。番組で誉めると「ええっ、何も出ないですよ」と謙遜される。誉め言葉というのは難しいものだ。この日は『マトリックス レボリューションズ』の世界同時公開の日だったが、100分の1位の予算でよく作ったものだ。おっかけもスタジオに来ていて、楽しかった。
相撲中継のため2週間のお休みになる予定が、誰かのライブになったので、3週間のお休みになる。実質、1カ月の休みとなった(とはいえ、学校まで休めるのではないが…)。
休みに『名もなきアフリカの地で』を見た。ドイツ映画もよくなったなぁと思う。
□ 妻のコンサートに久しぶりについて行ったら、知らない女性に「ありがとう」と言われた。どうしたのかと思ったら、以前の放送で、日野原重明さんのことを「音楽療法を日本で広めた人だ」と言ったのに対して、安田さんが「音楽療法って民間療法ですか」と聞いた。その女性も音楽療法を学んでいて、「一体、何を言うの!」と一瞬思ったそうだ。ただ、すぐに僕が民間療法じゃない、きちんとした治療法だとフォローするコメントをしたので、感謝しているという。放送というのはやっぱり怖いと思った。何気ない言葉が人を傷つけることもあるのだ。3人でチェックしあえば、きっとそんな失敗はないだろう、とも思った。
テーマ音楽が変わった。「優しい風の吹く街へ」という曲で、作詞・作曲・歌、諌山実生(いさやま・みお)さん。昨夏、NHKみんなのうた「恋花火」でデビューした歌姫で書き下ろした「優しい風の吹く街へ」である。
タイトル映像も制作・上田大樹(うえだ たいき)さんという、インディーズ映画の国内最大の映画祭・PFF(ぴあフィルムフェスティバル)でグランプリを受賞した新進気鋭の映像作家で、新しいタイトル映像では、合掌住宅やおわら、ブリなど数多くの特産をちりばめながら個性豊かに描いてある。
これまでのタイトル映像ではサンタ・マリア号が映し出されていたのだが、この船は僕の教え子が何人か乗って動かしたもので、中には見込まれて瀬島龍三の媒酌で結婚した男もいた。僕には懐かしいものがあったのだが、新鮮な映像に変わることになった。
ところが、初日の11月25日は国会でなくなってしまう。翌日に25分遅れで番組が始まり、諌山実生の生演奏が聴けた。
□ 12月1日から地上デジタル放送が始まった。NHKは来年10月から水戸と富山、11月から岐阜、12月から神戸の各都市一帯で開始すると発表した。ハイビジョン放送や、地域ニュースなどのデータ放送を流すという。富山は北日本放送と一緒だが早い。
12月3日もインタビューで僕は不要となる。そそっかしい人がいるもので「番組が新しくなったので降ろされたのか?」と聞いてきた。今のところ、大丈夫です、と答える。
12月10日に久しぶりに出演。スタジオがクリスマスの装いになっていた。
□ 14日(イラク13日)にフセイン元大統領が拘束される。まるでオウムの麻原彰晃みたいな捕まり方だった。やっぱり地下にフセインだった。
□ 「先生、昨日、番組出なかったんですか?」
「ええっ、昨日?なんで?」
「だって出てなかったじゃないですか?」
「昨日、水曜日だっけ」
「そうですよ。でも、出てなかったじゃないですか」
「ええっ!何も連絡がなかったぁ。そうか、昨日はてっきり月曜日だと思っていた!どうしよう」というところで、目が覚めた。ロクな夢を見ていない。
□ 17日が今年最後の出演となる。
安田さんは全国で手本とすべきキャスターとして誉められたという。
斉藤さんは年末の「いく年くる年」で高岡の勝興寺から中継するという。NHKアナウンサーの大トリを果たすのだ!
ということで、待っていたのだが、「いく年くる年」ってアナウンサーの顔を出さないんですよね。せっかくのハンサムな顔が全国放送されずに、2003年が明けていく。
□ 7年ぶりに自宅で新年を迎える。アメリカでBSEが発生して牛肉がダメになるし、トリインフルエンザで鶏がダメになるし、鯉にも鯉ヘルペスが出てダメになるし、食べるものがなくなってきた。ハクビシンもSARSで食べられないし…。
28日、久しぶりにNHK。行き方も忘れそうだった。
相変わらずリハではとちりっぱなしだったが、本番では何とか最後まで到達する。毎回、綱渡りしている。
「今週のFAXテーマ」が「受験の思い出」だったので、自分のことよりも受験生の心得を話す。斉藤さんたちが「いきなり先生になったように思えた」という。
アナウンサー6人のうちの4人までがインフルエンザにかかっていて、名古屋に応援してもらっているという。来週の打ち合わせは?と聞くと、担当者もお休みで、まっすぐ帰宅する。帰宅した後に担当者が風邪を押して出てきたのだが間に合わなかった。
□ 2月の最初の「今週のFAXテーマ」は「風邪の予防法」だった。僕は中学校で1度休んだきりで、風邪で学校を休んだことがないと自慢してしまう。
1週遅れて、綿矢りさなど芥川賞・直木賞の本が富山のベストセラーになる。
LRTの新車両が入った万葉線をテーマに話す。なかなか話がまとまらなかったのだが、脱線せずに何とか切り抜けた。「富山の置き薬」と同じように「先用後利」で先行投資が大切だという話だったのだが、「富山の置きみやげ」にならないように、と本当はいいたかった(その後、脱線を繰り返した)。
帰宅すると、珍しく番組を見た長男が「きときとトーク炸裂だったね」という。僕よりも斉藤さんたちのテンションが高かったので、そんな風に見えたのだろう。
何とか記念日で1回お休み。この日、万葉線の電車が道路にまかれた凍結防止剤の影響で車輪が空回りしたため引き返した際、本線と車庫への引き込み線の分岐点で、分岐(ポイント)の切り替えと車両の進入のタイミングが合わず脱線した。
□ 美容院へ行くヒマもないまま、NHKへ。二日酔い気味ながら、斉藤さんは元気。毎日、番組をこなすというのは大変なものだ。綿矢りさは斉藤さんの後輩になるね、というと、同じゼミなので、一度会ったことがあると自慢される。
「バレンタインはどうだった?」というので、小学5年生の娘の手作りしかなかった、というと、「お父さんに黙って男の子にあげてるんじゃないですか?」と斉藤さんが言った。帰宅したら娘が「そんなことしないでしょ」と斉藤さんに怒っていた。
□ もう後3回というところで、国会でお休み。次週に延期して後2回だけになった。
□ 3月6日に子どもたちの小学校の竣工式。3人ともボランティアをしているので、母と妻と僕は来賓だった。ポンと肩を叩く人がいて振り返ると設計者で昨年番組に出てもらった森俊偉・金沢工業大学教授だった。母校出身の聖川湧さんの講演があった。前日は同窓会で3時まで飲んでいたそうだが、元気。しかも話がうまい。後で聞いたら、子どもにどんな話をすればいいのかと、ずいぶん迷っていたそうだ。苦労人だけあって、人の出会いの大切さを感じた。「みんまいけ富山ワイド」の早瀬アナウンサーが取材に来たので挨拶をすると「いつも見ています」といわれ、「こちらこそいつも見ています」とお互いを慰めあった。
□ 最終回は2年間の総集編ということになる。朝、新聞を見ると「金川欣二のカルチャー最終回!?」になっていた。卒業式の日だったので、スーツのままNHKに行く。受付嬢に「先生、今日で本当に最後なんですか、新聞にはてなと書いてあって、どうなんですか?」と聞かれてしまった。
スタジオに入るとインタビューなどを抜いた52回が大きなパネルになっていた。安田さんも斉藤さんもいろいろやってきましたよね、と感慨深げ。テーマの多彩さを見て、自分でも「すごいんじゃん」と思った。
総集編は鈴木さんがきちんとまとめていた。斉藤さんがベストだと思ったのは何と「宝船」の回で、話が富山の水引で作った宝船からクラ交易、「やぎさんゆうびん」からケータイの話につながるところが面白かったのだという。自分でもすっかり忘れていたが、ビデオを見ると確かに面白い。ただ、この時初めて、自分のビデオを見たので相当恥ずかしかった。髪の毛が乱れているし、服装も今ひとつだし、手を動かし過ぎる…。僕がビデオを今まで撮らなかったのは過去にこだわって鬱状態になるのが嫌だったからだが、本当に嫌だ。寺山修司は人生を競馬にたとえて「ふりむくな ふりむくな 後ろには人生がない」と書いた。
安田さんのベストは「宣伝下手か、富山県?」という回で、富山県の自虐的CMと売薬さんのセールストークとのつながり、そして、当時の「トヤマケンV」というCMへの変化が面白かったのだという。
で、僕はということになるのだが、最も気に入っている「日本海は地中海」のビデオがない、というので、断念して(番組では安田さんが録画していたVHSから落としたのを少し映した)、「国語辞典に見る富山」も説明が長くなる、というので断念して、第一回の「建物の名前から見る富山」というのを取り上げた。何よりも斉藤さんが好青年らしい格好で、若いのにびっくり。安田さんも髪を長くしていた。「とやま夢航海」に愛称を、と言われていたので、「高いバージョンか安いバージョンか」と聞いたら安い方でお願いします、といわれたので、半日で考えたのが「ナヴィ・アン・ローズ」というエディット・ピアフの「ラ・ヴィ・アン・ローズ」(バラ色の人生)をもじった「バラ色の航海」というのの省略形を紹介することにした。
結局、番組の中では10本ほどの簡単な説明をした。何とか無事に終わった。パネルはもらうことにする。そんなもん、どうるんじゃ…と思ったが、思い出に浸るのもいいかもしれない。
キャスターの岡嶋友美さんに来年度はどうするのですか?と聞いたら、「私、結婚することに…」といわれる。やっぱりきれいな人は早いのか?
来年度の打ち合わせをして、局を出ようとしたら、若林さんが飛んでくる。契約が終わって、来年度はNHKではないのだ。「若様」にはずいぶんお世話になった。握手して別れる。
ということで、毎週出ていた「金川欣二の何でもカルチャー」が終わった。
誰かがテレビに出るのは人生の転機になったんじゃないですか?と聞いてきたが、この2年間ほとんど生活が変わっていない。でも、発想を豊かにしよう、という気持ちをいつも持つようになったことが収穫かもしれない。
池内紀は『世の中にひとこと』(NTT出版)の「テレビの人」で書いているが、肝に銘じたい。
一つの仕事なり分野に優れた人は、これまでたえず未知と出くわしてきた。そのつど迷い、しくじり、勇気を出して試みをした。その間、あれこれ考え、そのつど言葉に置き換えた。つまり、推考した。そうやって混乱しがちな自分を新しい状況に据え直した。
テレビという装置は、そのような推考の経過を好まない。その場に合ったコメント、流れに応じたひとこと、あとはハデハデの映像という情報が関心をさらっていく。
□ こうして怒濤の2年間が終わった。奇跡のような気がして、神様を信じたくなる。
来年度はスペシャルバージョンで毎月1回ということになる。
うまく番組が作れるだろうか?今から不安だ。
□僕に関する噂〜テレビ出演という意味2002 □「とやま文化探検」(とやま夢航海)2002