金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


僕に関する噂

 筒井康隆に『俺に関する噂』(The Rumors about Me)という小説がある。ある無名なサラリーマンのプライバシーが毎日放送されるという恐ろしい話である。僕ももちろん、有名人ではないのだけれど、2002年4月に少し事件があった。

 というのもNHK富山「とやま夢航海」の水曜日「とやま文化探検」(5時5分〜)にレギュラーコメンテーターとして出ることになったのだ。コメントだけでなくて「金川欣二のなんでもカルチャー」というのを担当することになったのだ。

 それまで富山県内では「(声楽家の)金川睦美さんの夫」と呼ばれるだけで、本名で呼んでもらえることは皆無だった。ひどい時には「金川さんのお父さん」などと言われた。富山では妻の方が有名で僕は刺身のツマだった。妻と違って無名だというので有名だった。

 だから、目標は妻が「金川欣二さんの奥さんなんですか?」と聞かれるようになること!なのだ。

 番組が終わった時にはタダの人に戻ってしまうのだが、1年間のシンデレラ・ストーリー(←本当によく言う)を楽しみたいと思う今日この頃である。1年続かなかったらごめんなさい。

 そして、このエッセーは出演するようになってからどう僕が変わるか、周りはどう変わるかというプロジェクトXである。←相変わらず大げさ!でも、プロジェクトXの語り口で読んでくださいね。

「有名になることは」B・パステルナーク

有名になることは 醜いことだ
これは 人間を高めはしない
文書にしておく必要はなく
草稿のままで惜しむがよい

創造の目的は 献身にあり
評判でもなく 成功でもない
ついうかうかと みんなの口に
のぼるのは 恥ずかしいことだ

そうだ 偽りの名声に生きてはならぬ
つづまりは このように生きることだ
宇宙の愛を自分にひきつけ
未来の叫び声に 耳を澄ますのだ
……



※この詩は神谷美恵子の『人間をみつめて』の中で紹介してある詩である。パステルナークは『ドクトル・ジバゴ』などの作品で有名な作家・詩人。

夢

なお、このホームページはNHKとは全く関係がないこと、
僕に一切の責任があることをご了承ください。


 僕はネット上でちょっとだけ有名だったかもしれないし、これでも、テレビやラジオにも出たことがあり、富山だけでなく、全国放送も出たことがあったのだが、誰も知らなかった。放送に出ていることを知っているのは僕くらいだった。いや、先日出たのは春風亭昇太さんの番組だったから、少なくとも二人は知っていることになる。

 それがいきなり研究室に電話がかかってきて、「とやま夢・航海」の中の「とやま文化探検」という番組にレギュラーで出てくださいといわれた。僕という人間がよく分かっていなくて、大丈夫だろうか、と逆にこちらが心配してしまった。愛人をたくさんもち、借金を抱えていて、職場から嫌われている人物かもしれないのに…。単発ならまだしも、レギュラーとは!

 マックス・ウェーバーは『職業としての政治』で「本当にすぐれたジャーナリスト」には「学者の仕事と少なくとも同等の『才能』が要求される」ほど、地道な努力が要求されるものだ。しかも、社会的に見ると、ジャーナリストの方が学者よりはるかに大きな責任があるし、責任感も必要だと語った。一言ひとことが社会に影響を与えるということだ。でも、まあ、そんな気張らずにお笑いに努めればいいと思う。

 もう一つ、生放送ということで驚いた。「素人が生で出て大丈夫ですか?」と女性ディレクターの村山さんに尋ねたら「大丈夫ですよ、ちゃんと馴れていきますよ」とニベもない返事。NHKで言ってはいけない言葉やジョークを話して社会問題になったり、番組の途中で訳が分からなくなったらどうするんだろう-----といくら心配しても相手にしてくれそうもない。

 それに「富山を代表する知性」という理由で選ばれたのかと思っていたが、どうやら「富山を代表するお笑い」ということらしい。横山ノックが話していたが、大阪府知事になったとたん、お笑いの時よりもギャラが減ったという。タレントと「文化人」ではずいぶん違うらしいが、僕の場合、謝礼はしっかり「文化人」扱いだ。(^-^;

※2007年にタレント知事となった宮崎県の東国原英夫(そのまんま東)知事は、就任から1年間でテレビ・ラジオ合わせて約450本の番組に出演。うち約200本は出演料の発生しない知事の「公務」で、残りが政治家としての「政務」扱い。政務の場合は局から謝礼金をもらっているが、タレント時代の10分の1以下の1回3万〜5万円程度という。「オレたちひょうきん族」を作っていた横澤彪は山藤章二との対談『とりあえず!?』(講談社)で<ギョーカイで「誠意」というのはカネのことです>と書いている。誠意の問題だ。

 吉本興業の中邨秀雄会長が6月に大阪府立大学経済学部の公開講座で明石家さんまの2001年の年収をばらしたのだが、8億7000万円だという。タレントはテレビに出るのが仕事だが、文化人は別に仕事をもっているからギャラが少なくていい、というのは理屈なのだが、そのための資料代というのがいることを忘れている。「日本薄謝協会、NHKなので、講演で稼いでください」といわれた。民放とNHKとではギャラが違う。井上ひさしは『ふふふ』の中で民放でてんぷくトリオの脚本を書き始めたらNHKの「ひょっこりひょうたん島」の10回分のお金がもらえたと書いている。

 本当は富山大学などに適当な先生がいそうなものだが、考えてみると、就職は別にして地方の大学の、特に文系の大学が地方に貢献することは少なかったかも知れない。富山大学でフランス文学を教える人はいても、富山の文化や文学を語る人は少なかったと思う。富山でフランス文化を、県外出身の学生に語る意味って何だろうと思う。

 迷ったが、僕も「ノーといえない日本人」だし、テレビというメディアに対する好奇心の方が勝ってしまった。タモリも「テレビは見るもんじゃない、出るもんだ」と常々言っていた。

 「飛べない豚はただの豚だ」というのは『紅の豚』のセリフだが、スタジオのライトで焼き豚になってもいい、ただの豚で終わるよりは飛んでみよう!

 『ラヂオの時間』には「ラジオならナレーターが一言『ここは宇宙』と言うだけで宇宙空間になってしまうんですから。人間に想像する力がある限り、ラジオドラマには無限の可能性がある」というセリフがあるが、僕は文章の人間なので、テレビだとネタをどう視覚化するか大きな問題がある。心配の種は尽きない。

 ただ、40代のうちにこんな仕事をしておけば老後に何か役立つかもしれないと、当てもないのに引き受けてしまった。学生たちにはこれからの時代は「知識+問題探求能力」だといいながら、本当にやっていけるのだろうか?

 サイードの知識人の定義とは「公衆に向けて、あるいは公衆になりかわって、メッセージなり、思想なり、姿勢なり、意見なりを表象=代弁(レプリゼント)したり、肉付けしたり、明確に言語化できる能力に恵まれた個人」である。うーん!

 ここでダニエル・ベルの「知識人」の定義を思い出す。ベルは自分の大学生活を振り返って、ニューヨークでの「知識人」とは「どんな課題が与えられても2分の準備で15分のまとまった話ができること」というものであった。どんな話題でも知ったかぶりでもっともらしく話すことは、確かに僕にもできるかもしれない。ただし、2分の時間があればだけれど。

 正式な依頼があってから校長に報告に行った。「学校の仕事を手抜きしないように」と釘を刺された。同僚がタレントになっていたという友人から聞いたが、仕事をちゃんとしていても仕事をしていない、と言われるという。

 筒井康隆の『文学部唯野教授』(岩波)も同じである。早治大学文学部英米文学科教授唯野仁は野田耽二のペンネームで密かに文芸誌『潮流』に作品を書いているが、「密かに」というのは唯野はひらの教授でマスコミにものを書いていると大学当局やお偉方の教授に知れたら、出世コースからはずされ、大学社会から干されるからだ。僕もマスコミにものを書いているが、既に干されているから、問題はない(かもしれない)。

 番組制作の桑原副部長が学校まで挨拶に来た。人物を確かめるためかと思ったが、細かな話に終始した。この時間帯の裏番組は1万円クイズで釣るというもので、ちゃんと見ていないと1万円がもらえない仕組みになっていた。スタジオから電話をかけるのだが、見ている人は意外に少なくてアナウンサーが可哀想なくらいだった。「いつか、ごめん、NHKを見ていて、こっちは見ていなかった、という人が出るようにしたいですね」と副部長に話すと「そうなってほしいですね」と言って挨拶が終わった。

 千野榮一先生が昔、NHKのロシア語テレビ講座に何だかキマリの悪そうに出ておられたのを思い出した。先生に報告したいと思っていたのに、3月19日に亡くなられた。

 ネットで有名なのとテレビで有名なのでは大きな違いがある。ネットでは遭遇することのない遠くの人を相手に相手にしているのだが、テレビではごくごく近い人を相手にしていることになる。いきなりホームページを読んでいます、と言われてドキマギしたものだが、「テレビ見ています」と言われるとどんな反応になるのだろう。

 授業もそうなのだが、デリバリー(Delivery)が大切だ。デリバリーというのは「声や体を使って、自分の意・感情を効果的に聴衆に伝えること」で、アメリカの言語学者マレービアンによると「コミュニケーションは言葉による部分が7%、残り93%は話し方、感情、身振りといったデリバリーによるもの」だという。だからか、アメリカの有力スポーツ選手はメディア・トレーニングの専門家の講義を受けることが多いそうだ。インストラクター相手に実技をしたり、質問に対する返答内容の善し悪しや服装、カメラに対する体の角度や姿勢、目線のもっていき方など手ほどきを受ける。特に目線のことに関しては、インタビュアーとカメラを交互にしっかりとらえ、決してそらさないテクニックを学んだりするという。ただし、このマレービアンの法則は都市伝説の一つだとされる(つまり、いい加減)。ラテン語の諺で“Barba non facit philosophum.”(ヒゲは哲学者を作りはしない=犬儒派のトレードマークがヒゲとすり切れたマントだったことに対する皮肉)というのがあるが、きっとそうだと思いたい。

 レギュラーになるということだったら色々と教えてほしいのだが、OJT(“On the Job Training”)だという。聞こえはいいが、叩き上げで学んでくれ、ということなのだろう。

 4月から毎週なので3月中に家族で北海道へ行った。長男の卒業旅行も兼ねていたが、放送が始まると難しくなるからである。「放送に出ると長く休みが取れなくなるので…」と同僚に手短に話して出かけたのだが、旅行から帰った時に「奥さん、いつから出られるの?」と聞かれて、出るのは僕だと話すと絶句していた。

 ラジオ向きの人間なのに、テレビに出ることになったので、困ってしまう。ディレクターに「スタイリストはつくんですか?」と冗談で聞いたら呆れられた。

 着る服はどうするか妻と議論した。俳優出身のレーガン大統領は人がテレビで見ているのは内容が7%、服装が70%、声が20%だといった(日本では「勝負服」ということがあるが、アメリカではパワータイというもので勝負する)。

 大袈裟だが、服装というのはテレビに映る全人格かもしれない。1954年にジョゼフ・マッカーシー上院議員というアメリカの「赤狩り」を主導した男は陸軍と対決した時に、その様子がテレビ放送されて、その時に醜い顔と下品なしゃべり方がバレバレになってしまって一気に人気を失った。メディアと政治というとケネディとニクソンのテレビ討論(ケネディは化粧などしていた)が有名だ。ニクソンがテレビ用メークもせずに疲れた表情やケネディの追及にうろたえる姿を視聴者にさらし、ラジオではむしろニクソンが有利だと思った人が多かったのに選挙の逆転敗北を招いてしまった。ケネディは濃紺のスーツを着用し、さわやかにほほ笑んだ。ニクソンの方はグレーのスーツで疲れが見えた。顔やネクタイの色で世界の運命が左右されるのだ。アメリカでは「タフガイは水玉模様のタイをしめない」といい、煮え切らない人物がよくする柄だとの見方が広がっているそうだ。だからか、大統領選の候補者は深紅一色とか赤や紺のしま模様が多い。

 まばたきが問題になることもある。確かにブッシュのまばたきはアホそうに見える。

4年前のゴア対ブッシュのテレビ討論では、まばたきが話題になった。過去のテレビ討論の分析から、たくさんまばたきをした方が負ける、という仮説を心理学者が打ち出していた。ブッシュ候補がまばたき数でゴア候補を圧倒した▼だが、選挙結果はブッシュ勝利で、仮説にかげりが見えた。今回もまばたき数が計算された。1回目の討論の締めくくりではブッシュ候補が驚異的なまばたき数を記録した。しかし次の討論では、ケリー候補の半分におさえる健闘をしたそうだ(「天声人語」2006年)

 ちなみに、宗教改革の立役者マルティン・ルターがカトリックの神学者エックと論争した「ライプチヒ討論」(1519年)は歴史を変えた公開討論として知られているが、論客エックはルター側を追い詰め、その主張がローマ教会と相いれないことを認めさせるのに成功した。問題はルターがそこで居直って、ならばとローマ教会に公然と反旗を翻したことだ。それが宗教改革として広がるのだから、歴史を変えるような公開討論はただ理屈で勝てばいいというわけではないようだ。僕の場合は、内容よりも面白ければそれでいい。

 本当はテレビよりもラジオで語りたい。池内紀は『世の中にひとこと』(NTT出版)の「耳の勉強」で書いている。 

 イバリたがっている人、弁解している人、気どっている人、あるいは職場の上下関係などは、声だけですぐにわかる。生まれつき目の不自由な人は、もっと正確に、そして微妙に聞き分けているのではなかろうか。

 目をつむって「テレビを見る」と、この文明の利器が、なんと野蛮な音をたてるものか、キャスターといわれる人々が、いかにヘタな芝居をしているか、よくわかる。政治討論会なども「耳の勉強」にちょうどいい。

 こうして番組の内容からするとカジュアルなのだが、カジュアルに決めようとすると、毎週コーディネートが大変になってくる。それで、ジャケットとネクタイということにした。つまり、私服よりも制服を好む学生たちと変わらなくなってしまった。

 考えてみれば、「有名人」になってしまうと、バーゲンで買いあさることができない。今のうちに買っておこう、といいながら、仕事や遊びであっと言う間に4月になってしまった。

 面倒なので、ネクタイも時計もカルティエで揃えようかと思う。「金川欣二のなんでもカルティエ」というのだ。

 『ノッティングヒルの恋人』でウィリアム(ヒュー・グラント)の妹の誕生日に女優のアナ(ジュリア・ロバーツ)が招待される。デザートのチョコレートブラウニーが一つ余ってしまう。互いに不幸自慢をして一番不幸な人が食べることになったのだが、みんな車椅子のベラだと思う。ところが、アナが「スターを目指して鼻も顎も整形し、スタイルを保つために年中腹ぺこ。どこへいってもマスコミに追い捲くられ、ちやほやされても下手な演技力はすぐにバレて、10年後は元スターのただのオバサン…」といって、チョコレートブラウニーを自分のものにする。

 ラーメンの特集でホームページでラーメンマップを作っている達人に出演してもらおうとしたら、「顔が知られたら自由にラーメンが食べられなくなるから」という理由で断られた。「有名人」になるというのはいろいろ制限されることなのだと知る。子どもたちもいろいろと制限を受けるかもしれない。

 うっかり病気にもなれないし、事故も起こせない。まして、事件など起こそうものなら多大な迷惑をNHKにかけてしまう。やってないことまで嫌疑を掛けられることさえありえるから、周囲をきれいにしておかなければならない。愛人も整理しなければ、と思ったが、いないことに気づいた。

 でも、毎週出すような人を興信所で調べなくても大丈夫かしら…?俗人だったらどうするのだろう?

俗人---1.高遠な理想を持たず、すべての人を金持と貧乏人、知名な人とそうでない人とに分け、自分はなんとかして前者になりたいと、そればかりを人生の目標にして暮らす(努力する)人。【2以下略】
     -----『新明解国語辞典』

 初顔合わせに行った。斉藤孝信アナウンサーと安田真理キャスターで、安田さんのきれいさに驚いてしまう。聞けばスキーの国体選手で優勝したこともあるそうだ。才色兼備にスポーツ万能というのがすごい。斉藤さんはとてもハンサムで今風の若者だ。お笑いの山口智充(ぐっさん)に似ているといえば似ている。

 1回目の放送の相談をしているときに、斉藤さんがいきなり「今の話、破綻しています」という。それを言っちゃお終いだよ、と寅さんのような気分になってきた。「入社(NHKの人はNHKを「会社」という)3年目で生意気盛りですから」と本人がいう。聞けば国文科卒で僕が一番苦手としていた学問だ。番組がこれからどうなるか、一気に心配になってきた。大体、ナンシー関が書いていたが、NHKの番組にはツッコミというものが存在しない、あるいは無いという前提で番組が作られている。なのに、ツッコミを入れるアナウンサーって…。

 第1回で紹介する本を渡される。毎週、一冊ずつ読んでいかなければならない。

 スタジオに入る。ここは僕が15歳で「デビュー」(?)した思い出のスタジオで、この時に国文学の山口博先生に会い、本を読んで好きなことができる(?)学者になりたいと思った場所なのだ。5年前にも北陸スペシャルという番組で出た。

 セットは「夢航海」に合わせて富山にない明るい雰囲気になっていた。驚いたのはハネムーンにロワールのシャンボール城で買ったのと同じドアベルが付けたあった。日本でも簡単に手に入るのかしら。

 岩城宏之は渋谷のNHKに入るのはとても嫌だと書いていたが、地方局でも警備は厳しくなっているようだった。

 原稿が送られてきたが、専門用語が並んでいる。「ブリッジ」というのは違う内容に入る時の架け橋の音楽などを指す。「ノルマル」とは何かと思ったら、写真のことだった。米川明彦『業界用語辞典』(東京堂)にも載っていない。

 昔、映画の制作現場では、泣かせる場面を符丁で、「オリンをこする」と呼んだという。「オリン」とはバイオリンのことで、哀調を帯びた音色がそうした場面に欠かせなかったからだろうが、さすがにそんな古い言葉は使われていないようだ(『業界用語辞典』にもない)。

 業界用語になれるまで時間がかかるかもしれない。

ノルマル

 ちなみに、民放で「フリップ」というのをNHKでは「パターン」(ボード)という。放送事故があっても対応が違う。

映らねば まずはお詫びのNHK
映らねば CMに行こう各民放
映らねば オレが映るとフジテレビ
     -----横澤彪・山藤章二『とりあえず!?』(講談社)

 4月10日に最初の放送があった。二人とも見事にカジュアルなので、僕が浮いてしまい、二人の引き立て役となってしまった。後で、斉藤さんのニュースを見るとしっかり背広・ネクタイ姿だった。未蘭は同じ人とは思えないという。

 「進行」は前もってもらっていたのだが、実際にどう番組が動いていくか、リハをするまで全く分からなかった。県内ニュースがあって、「文化探検」となって2本の映画の紹介、本の売り上げベスト5、「本で読む富山」、そして僕の「なんでもカルチャー」と流れる。持ち時間は7分から20分と幅がある。後で、同僚に「見てないのだけど、何分くらい出ているの?」と聞かれて、恥ずかしいので「2分」と答えたが、それでも「すごい」といわれた。

 最後の最後まで修正が入るので、特にアガることはなかった。アガッている暇などなかったのだ。カツゼツ【“滑舌”で口の動き】がうまく行ったとはとてもいえない。清水義範に『本番いきま〜す』(実業之日本社→講談社文庫)という、恐らく本人の体験に近いテレビ出演の話がある。うろうろしているうちに番組がちゃんと終わる、という小説で、僕の場合も同じようだった。生も録画もあまり変わらなかった、と思いたい。

 内容はいろいろあったのだが、最後になってどんどん削られてしまった。ディレクターの指示は的確だ。タモリだってNHKの「テレビファソラシド」(永六輔の司会で頼近美津子らNHKの女性アナウンサーがズラリと並んだ伝説の番組)に初めて出た時はほんの端役だった、と慰める。いいたいことの100分の1でもいえれば十分で後はホームページに任せよう!

 家に帰ると電話が一本あっただけだった。未蘭が出て「知らないおばあちゃんだったけど、来週も出ること知らないんじゃないのかしら」といっていた。

 第1回の放送の視聴率は75%だった。妻と未蘭と母が見ていて祐貴は見なかったからだ。

 翌日、同僚のK先生が一部のクラスで話してしまって学生たちに笑われた。でも同僚の多くは知らないままだ。学生も同僚も知らないでいてほしい。

 金沢の知人からメールが来て、NHKに出ていると書いたら「是非見たい!」。その後に「お笑い番組でなければ…」と書いてあってギクリ。

 ジョークを言ってもNHKに迷惑にならないように、僕の責任で話さなければならない。

 大切なのは「キーワードと流れ」だということに気づく。シナリオに書いてある言葉は無視しよう。

 2回目の放送に行く。安田さんが一段ときれいだった。斉藤さんは時間の合間にパフを塗っている。塗らない僕は黒い顔に映っているはずだ(恥の上塗りで黒くなっているんじゃない!)。

 恐る恐る前回の評判を聞いた。1回目のモニターの意見が届いているからだ。今のところ、苦情は来てないようだ。もしかして、隠しているかもしれない、と思いながらあっと言う間に放送を終えた。考えてみれば、僕はいてもいなくても分からない存在でモニターは誰も気にしなかったのかもしれない。

 途中、時間が余ったために、斉藤さんがいきなり「先生はどんな本を読まれますか?」「今、どんな本を読んでいますか?」と聞いたので焦ってしまった。昔から「今読んでいる本」というのはない。長くかかる長編など読まないし、読んでいる本もまちまちで、どの本を中心に読んでいる、ということもなく、仮に読んでいる本を紹介しても誰も知らない本だったりするから無理なのだ。就職の時の面接でも同じようなことを聞かれてどぎまぎしたことを思い出した。 

 元放送作家の景山民夫は『極楽TV』(新潮文庫)で「テレビは大脳を経由しないで反応する」と書いていた。つまり、脳で考える前に適当なことを話してしまっている、ということだ。戒めとして肝に銘じなければならない。「明日のテレビのためにまずはテレビを消しましょう」なんてことも書いていた。

 2回目の放送の視聴率は80%だった。妻と未蘭と母と、たまたま姉が来ていて祐貴は見なかったからだ。

 昔の恩師から電話があったようで、「立派になられておめでとうございます」といわれた。どうメデタイのか分からないが、お笑い番組でもそう思ってもらえるところが、恩師というものだろう。

 妻に安田さんのことを聞くと「オーラが出ていた」という。1週間でこんなに違えば1年後にはどうなるだろう?本人は「寝不足で…」というが、早いうちにサインをもらっておかなければ、と思った。これではクボジュン(久保純子アナウンサー)を眺めてにこにこしていた松平アナウンサーと変わらない。1回目の放送の時は金沢にいるお父さんが放送が入る小矢部の辺りまで来て、見ていったそうだ。こんなにきれいだったら、別にお父さんでなくても、他県から見に来る人も出てくるだろう。安田さんと出たことがある、というだけで「有名」になれるかもしれない!

 僕にはオーラが出ていたか妻に聞いたら、詩を紹介してくれた。どうやら魚なのだ。僕は。

「花と魚の関係」 川崎洋
 
 はなは
 はなやで
 はなひらくけど
 さかなは
 さかなやで
 さかない

 小学校の授業参観に妻が行ったら、PTA会長から「旦那さんの番組、3回見たよ」といわれたそうだ。まだ2回しか出ていないのに…。

 校長も見ているというので下手なことはいえなくなってきた。プレッシャーが強くなってきた。

 うちでもビデオを撮っていないのに、学生課の人が撮っていた、という。見せようかといわれるが、四六の蝦蟇になりたくない。ピーコだって、「しちゃったウンコは見ない主義」だという。もっと面白いことを話したかったのに、とか、言い間違いを見つけたりしたらやっぱり嫌だ。

 仲代達矢が黒澤明に「自分の作品を、出来上がってから何回ぐらい観るんですか」と聞いたら、「1回で終わりだね」と答えたそうだ。何回も観ているうちに欠点が見えてくるから嫌なのだと、「ああ、そうですか。『羅生門』も回ですか」「そうだなあ、あれも1回だなあ」(笑)。

 後年、「『七人の侍』みたいな作品をまたくださいよ」と言われたら、「あの時はあの時だ」と怒鳴ったそうだ。「今、あれを作る気持ちなんて毛頭ない。作りたいものはもっと他にあるのだ」と。

 カンヌ映画祭での受賞の挨拶でも、トロフィーを持ってひと言「もっと勉強します」といって割れんばかりの拍手を浴びた。

 3回目の放送の日に多くの人がニュースに出ていたといった。どの悪事がばれたかと心配したが、ローカルニュースで番組の予告を話していたのだという。やれやれ。

 リハで「目玉」(商品)というと、曖昧だから避けてくれとも言われて目玉が飛び出そうになった。

 更に「ゴールデンウィーク」という言葉も使ってはいけないといわれる。確かにこの言葉は映画業界が勝手に作った語だ。10月にも使われていたらしい。NHKの資料によれば「映画界が、宣伝も兼ねて作り出したことばで、昭和27〜28年(1952〜53)ごろから一般にも使われるようになったようです。しかし、1970年代の『石油ショック』以降、『のんきに何日も休んではいられないのに、なにがゴールデンウイークだ』といった電話が放送局に何本もかかってくるなど抵抗感を示す人がめだってきました」という。だから使えない、となると本当に言葉が限られる。「大型連休」に言い換える。

 ちなみに、「宅急便」や「セロテープ」「ポリバケツ」などの商品名だから使えないし、「万歩計」は山佐時計計器の、「しゃぶしゃぶ」もスエヒロ本店というお店の登録商標で使えない。

 井上ひさしは「いわゆる差別用語について」という文の中で台本をNHKで書いていた時のことを回顧している。考査室というまるで受験場みたいな名前のところでクレームが付くのだという。

「盲というコトバは目の不自由な人に失礼であるから削ってください」
「片手落ちというコトバは片手のない人に気の毒ですからカットしください」
「禿山というコトバは禿頭の人に悪いですから遠慮してください」
「漁師も百姓もいけません。漁師は『漁船従事者』に、百姓は「農民」に書き改めてください」

 こうして馬鹿馬鹿しくなって放送の世界から足を洗うことにしたというが、落語の「ええ、毎度、馬鹿馬鹿しいお笑いを」という切り口上が馬鹿な人に悪いからというので敬遠されているという。後に養老孟司の『バカの壁』が出た時は嫌ほどバカといえるようになったが、それまでバカは放送現場で使ってはいけない言葉だった。桃井かおりがチョコラBBのCMで「近頃バカが多くて、疲れません?」といっていたことがあったが、これはクレームで突然中止になり、「バカ」の部分は「お利口」に差し替えられて放送された。おバカな人権派がそんなことをしたのだろうが、本当にバカが多くて疲れる。向田邦子は「もし『バカ!』という言葉が差別用語になったら、あたしは、さっさと放送作家をやめるわと言っていた(『向田邦子シナリオ集5 寺内貫太郎一家』岩波現代文庫の巻末対談)が、実際には使いにくくなっていたのだ。

 そうそう、ある人が放送で「おばあちゃん」と声をかけたら、後で電話が入って、「私と同世代の人をおばあちゃんよばわりするなんて。NHKは一体、何歳からおばあちゃんというつもりなのか」と抗議されたという。そんな基準もあるはずがなく、池田弥三郎は「おばあちゃんと文字で書いてあっても誰も傷つくことはないだろうが、音で聞くと反応してしまうのだろう」と話していた。

 敏腕ディレクターだった吉田直哉が1983年に、念願だった宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を映像化した「NHK特集」を放送したのだが、「宮沢賢治没後五十周年記念番組」と画面に出るとすぐ視聴者から電話があったという。「どうしてこんな番組をやるんだ!」。戸惑う吉田に「共産党じゃないか」。話を聞くと、どうも当時の共産党の宮本顕治議長と間違っていたらしい。

 もっと驚いたのは『米原万里の「愛の法則』(集英社新書)の講演である。

「来る」ということを英語で「カム(come)」と言いますが、イタリア語では「ヴェニーレ(venire)」と言います。ほぼ同じ意味の言葉に「アライヴ」という英語がありますね。「到着する」という意味の語です。これはイタリア語で「アリヴァーレ」(arrivare)と言います。

 ところが、英語で「カム」には「いく」という隠語があるように、イタリア語でも、この「ヴェニーレ」という言葉を一人称で使うと、その隠語の意味もあるんです。

 それで、イタリアのテレビ局は視聴者がそう受け取るのではないかと心配して、絶対に一人称では「ヴェニーレ」という言葉は使わないんです。タブーになっています。

 例えばクリントン大統領がイタリアに来るような場合でも、絶対に「アリヴァーレ」を使うんです。放送関係の人たちは、そのぐらい言葉を使うときには気をつけています。

 しかし、ある言葉を発したときに、それから何をイメージするかは、受けての人それぞれの自由なんです。こう解釈しなさいと外からどれだけ圧力をかけても、勝手にイメージが浮かんでしまうものはどうしようもないわけです。

 制服の話をしたのだが、商船の制服を作った時に世話になった業者に他の学校の制服を借りて放送した。

 で、無事に3回目も終わってこのエッセーを書くことにした。3回目はさすがに周りを見る余裕ができたが、これも暖かい気持ちで見守ってくれる、有能なキャストやスタッフのお陰だ。

「おしている」とか「まき」とか業界用語にも徐々になれてきた。→YTV謹製業界用語事典

「お疲れ様」というのも業界用語で、一般に広がったのだろうが、本当によく使われる。『新明解国語辞典第5版』には“「仕事に打ち込んでいる人や仕事を終えて帰る人にかけるねぎらいの言葉。[一般に目上の人には用いない]”と書いてあるが、一般常識と逆のような気がする。

 さすがに3回にもなると「教官、見たよ」とか「父親が見ていた」ということが多くなった。中には「どうしてNHKに出ているのか」とか「運がいいんですね」(どんな運だ!)という人もいて、「総曲輪【富山市の中心商店街】を歩いていたら、モデルにとスカウトされた」と答えることにした。どうしてテレビに出ているかというのを他人は気にするものらしい。また、テレビに出たいという人も多い。室井滋『ふぐママ』(講談社)にはそんな人がいっぱい出てきて「女優になりたいのですがどうすればいいのでしょうか」と聞いてくるという。

 4回目は初めてゲストを呼んで話した。あっと言う間に時間が経ってしまって、何も話せなかったような気がする。終わってから原稿が目立ったという人がいた。いつだって原稿は見ているのだが、進行上見なければならなかったし、テーブルに花も置けなくて隠せなかったし、A4で送られた原稿がファックスの関係でB4になっていた。だから目立ったのだ。

 放送や打ち合わせが終わってからオーバードホールへ妻と一緒に三島由紀夫原作、美輪明宏主演の「葵上」「卒塔婆小町」を見に行った。幕間に天使のような女子高生が近づいてきて「失礼ですが、金川さんですね?」ときた。

 おお、おお!これだ。夏目房之助もNHKでレギュラーで出るようになってから、女子高生にいきなり「おじさん、テレビに出てない?」と話しかけられたという。漱石の孫よりも早く名前を知られたか!と小躍りした。

 「はあ」と答えると、その女子高生は悪魔のような声で「金川睦美さんですね」とささやいた。要するに、僕ではなくて隣に座っている妻に話しかけて来たのだった。

 日暮れて、途遠し。嫉妬していたら、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)になりかねない。

 テレビを毎日見ながら全然気にしなかった服装や髪型や話し方などが気になるようになってきた。

 4月から代わった『ニュース10』の今井環キャスターのようになれればなぁ、と贅沢なことを思い始めた。似ているとはいわれるが、白髪だけで中身が全然違っている!

 ただ、よく見るとみんな同じような黒い服で過ごしていることがよく分かった。揚げ句の果てに、ある人から「洋服ちゃ、支給されるがけ?」と聞かれてしまった。まさか自前じゃないと思っている人がいるとは思わなかったが、僕が毎回、ジャケットを替えているせいだとも分かった。だから、もう気にしないで、出演することにした。そうだ、外見よりも中身だ!

 視聴者というのは(つい最近まで同じ立場だったのだが)勝手なものだ。文句をいうのは本当に簡単だが、現場はそんなに生やさしいものではない。前もって入念な打ち合わせをするし、リハも真剣だ。「見る側の論理」も大切だが、「作る側の論理」というのも知ってほしい、などと思うようになってきた。

 5回目はリハで5分ほど時間が足りないということになって、削るところは削って、早口で喋りまくって終わった。「オンタイムです」(時間通りに進行しています)といわれた時にはほっとしたが、うちの留学生のチさんから早口すぎる、と注意されていたのだが、ほとんどシャベクリ漫才になってしまった。

 終わった途端にどっと疲れが出た。次の2週間は大相撲中継で番組がないからだ。

 といいながら、次の打ち合わせを始める。次回は安田さんが初めて担当するという。どんな視点で番組作りをしてもらえるのか、今から楽しみだ。

 周りから「テレビに出てたんだって」といわれることが多くなった。必ず隣で「何それ?」と聞く人がいて面倒なので、「クロアチアが富山でキャンプをしますが、ワールドカップに何を期待しますか?とインタビューされて“クロアチアもシロアチアも頑張ってほしい”というコメントが15秒ほど流れただけ」と答えることにした。うっかりレギュラーというと事情説明の質問責めに遭うことが目に見えているからだ。

 富山を読む本で乃南アサ『ドラマチック・チルドレン』を取り上げ、「本当の教育とは優秀な大学に学生を入れることではなく、落ちこぼれを出さないことだ」というのを引用した。翌日、学校で学生が近寄ってきて「ちゃんとあの言葉、聞きましたよ。単位、危ないのでよろしくお願いします」などと言ってきた。

 新解さん、つまり山田忠雄さんの紹介をするのに写真が必要になったのだが、どこにもなかった。図書館に相談しても埒が開かなかったのだが、富山市立図書館のKさんという有能な司書を思いだして、直接電話をかけると、自分のところにはないけれど、県立図書館所蔵の雑誌の中にあるはずだ、といわれて、安田さんに撮りに行ってもらった。人脈は本当に大切だと思った。

 6回目まで2週間の中断があった。リハで「オフは何をしていましたか?」と聞かれたが、こちらはオフではなくて、講義を続けている!

 安田さんの番組作りがよくて、番組は円滑に進行した。ただ、内容を知りすぎていて、反応がイマイチだった?!

 終わってからスタッフと話しあって、今後の見通しを話し合う。安田さんが他のディレクターから「(金川)先生の話は面白いけど、どんどん飛ぶから、『分かりましたが、元に戻って…』といわないとダメだよ」とアドバイスを受けていたことが判明。

 翌日、学校へ行って、多くの人に「ごめん、忙しくて見られなかった」とか、「教官、ごめん、寮で爆睡してしまった」などといわれた。謝られると結構疲れるものだ。別に見る必要のある番組ではないので、見なかったら黙っていてほしい。(^-^;

 7回目は富山大学の横山先生を招いてドラえもん学の話をしたのだが、ゲストを呼ぶと僕の存在意義がなくなってしまうことに気づいた。何だか自分がひどくトンチンカンになったような気分で番組を終えた。難しいものだ。こういう時に限って、見ている人が多かったりする…。

 いつも能天気な学生が近づいてきて、「教官、どうしてテレビに出れるんですか?羨ましい。話してるだけで、楽そうだし…」などと訳の分からないことを言ってきた。中には「公務員がアルバイトできるんですか?」という、今の学生らしい質問もあった。兼職届というのを出して認められているのだ(ちょっと前までは文部大臣の許可が必要だった)。

 翌週はワールドカップで僕のコーナーはお休み。「ワールドカップより『なんでもカルチャー』を放送しろ」という抗議が殺到するなんてことはなく、ゆっくりと休めた。

 ここまで来てようやく分かったことは、文章というのはノンリニアなメディアで、放送というのはリニアなメディアだということだ。分かっているつもりだったが、実際に放送に身を置かないと実感できない。リニアだから少しでも枝葉に入ってしまうと視聴者は混乱する。少しでも分かりにくいことをいうと、そこで視聴者は諦めてしまう。元に戻って確かめることができない。中には途中から入る視聴者もいる。それでも興味を持たせて結論を言わないと「何だったんだ!」ということになるようだ。

 一つずつの「くくり」というのがあるようで、その中で完結していかないと視聴者は混乱することになる。だから、余計なことも言えないし、知らないような言葉も使えない。制服の時に「サイドベンツ」という言葉で表現しようとしたが、「横にスリットが入っている」という表現にしたのもこの例である。差別語はもちろん要注意だ。「オタク」だってNHKはいえないのだ。

 流れが大切だ。映像ばかりでもいけないし、話ばかりでもいけなくて、バランスが大切だ。最後には「落としどころ」が必要だ(僕の番組だけかもしれないが…)。それを当たり前のように構成しているディレクターというのはすごいものだと思った。

 8回目の6月19日は鈴木宗男衆院議員の逮捕がある日で、どうなるか分からず、困っていた。確認してから出掛けた。結局、20分遅れのスタートで、映画を一本削って、八尾町を舞台にした「風の盆から」に出演する松本幸四郎のインタビューが入ったから、簡単なコメントだけで終わった。

 井上ひさしの『吉里吉里人』に登場する大学教授を思い出す。秒針だけの不思議な腕時計をしているのだが、食事の時間などに気を取られてはいい研究ができないので時針も分針もない。ただし、急がねばならないので秒針はあるという。僕もそんな時計を持たなければならないかもしれない。

 話す速度だが、アナウンサーはだんだん早くなってきて、1分間に300字だという。漫才の「ツービート」は630字だったという。徳川夢声は150字だったという。僕は350字くらいで話すから気をつけなければならない。

 ボランティアの会議に出た時、市の会長が「こないだテレビを見ていて似てるなぁと思ったら金川先生だった」と話し始めた。「私もテレビによく出るのですが…」と自慢話に入っていってしまった。

 9回目の番組は滞りなく終わった。それよりも学校の会議が気になっていた。留守の間に…という人もいて難しいものだ。

 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の習作とでもいうべき、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の中にはこんなセリフがある(複雑なことに単行本『ねじまき鳥クロニクル』ではトニー滝谷になっていて、文庫本でトニーは消える)。

「……ねえ、鈴木さんの御主人って、大学の先生でよくTVにでてるのよ。知ってる?」
「鈴木さん?」
 娘は僕に鈴木さんの説明をしてくれたが、僕のその人物のことを知らなかった。
「TVって殆ど見ないんだ」と僕は言った。
「嫌な一家よ」と娘は言った。「有名人気取りなのね。TVに出るような連中ってみんなインチキよ」

 うろうろしているうちに10回目。今回の視聴率は100%!長男が初めて見たからだ。キマリ悪そうにして見ていたらしい。

 名古屋場所が入って、2回のお休み。何だか双六みたいだ。「あがり」までは遠い。

 7月10日は相撲で学校にいたのだが、何人もの先生や学生から「今日は行かないの?そうだった、相撲だった」と話しかけられた。中には「相撲に出てたんじゃないの?」という失礼な人もいた。

 11回目になる。8人いるディレクターのうち、5月に異動してきた人以外の全てのディレクターのお世話になった。大阪放送児童劇団の子どもたちが出演したのだが、わずかの出演のためにステージママたちがついてきて、僕にまで深々と挨拶されたのには驚いた。さすがにアガることは少なくなった。コメントが受けているのかどうか全く分からないで、一人相撲を取っているような気分になってくる。たまに「見たよ!」という人に会うが、単発で出ていると思っている人も多い。

 月曜日の「越中生活新薬」に特別出演。『不美人論』(平凡社新書)を書いた陶智子さんと語ることになったのだ。朝日新聞の書評に「卒業面(づら)」という著者の顔が見たい、と失礼なことが書かれていて、心配だったが、かわいらしい人だった。『美人論』の井上章一がラジオに出ていたのは聞いたが、NHKが「美人」を扱うのは画期的だ。「お前なんかに美人・不美人といわれたくない」という批判があったらどうしようと思っていたが、なかったようだ。

 12回目は「日本海は地中海」というのを海の記念日にちなんでやることになったのだが、結局、7月31日になってしまった。安田さんが担当していて、前日の仕込みに午前2時までかかったという。「黒作り」と比較するためのイカ墨のスパゲッティも作ってもらえた。おかげで、番組は同僚の大笑いされたし、評判もよかった。ただ、安田さんも斉藤さんも反魂丹を知らない世代だった。

 歴史学でも社会学でも人類学でも民俗学でも言語学でもないようなことをして一体何をしているだろうか?

 実証的でもなく、「珍説」やジョークを並べ立てているだけではないかといわれそうだし、情報も少ない。

 しかし、これこそが記号論という分野だ。これについては上野千鶴子が処女作『セクシーギャルの大研究』(カッパブックス)の後書きで次のようなことを書いている。

 記号論の分野では、私はたいがい社会の解読ゲームに嬉々としてうち興じています。概念という積み木あそびを夢中になって楽しんでいる子どものようなものなのです。ただし、そうやって積み上げた玩具のお城は、たいがいは無用の長物で、当たるも八卦、当たらぬも八卦のエンタテインメントにすぎません。著者としては、「どう?おもしろかった?」と問うだけで、その効用のほどについては、あなた自身に試してもらうほかありません。こんなお役に立たない試みを社会学者に許してくれている世間サマに、私はまったく頭が上がりません。しかし、社会という代物は、女と同じく、いつでも読まれたがっているので、私も「こう読んであげれば満足?」と問いかけることで、いくらかの貢献はしているかもしれません。

 結論とか真理なんてものに僕はあまり期待していない。考えるプロセスが面白いのであって、プロセスが文化だと思うからである。茶道は流派ごとに作法が異なり、迷っているとお茶をこぼしてひっくり返るのがオチだ。それぞれに「合理的な」説明がついているのだが、真理とはとてもいえない。だからどうなのと言わずに「伝統」に従っているのが楽しいのである。

 ついでにいえば、記号論の大家、ウンベルト・エーコはボローニャ大学教授になる前にはずっとテレビ局に勤めていた。

 13回目の放送日の新聞のテレビ欄の「富山夢航海」の内容として初めて「なんでもカルチャー」というのが載ったのだが、どの新聞でも「金山欣二の〜」になっていて、知らずに局へ行ったらみんな気づいていて冷やかされた。うちの学校には金山という先生もいるからややこしい。活字に残るような間違いは止めてほしい。

 この日会った学生が「教官は生放送で噛むからなぁ」といったのが頭にひっかかっていて、余計に噛んでしまった。いきなり時間が余って話を用意してなかったので、焦った。こんな日は惨めな思いをして帰路に着くことになる。救いは安田さんに笑ってもらえたことだ。

 高校野球で一週間お休み。斉藤さんは静岡に帰省し、安田さんは金沢に帰って家族と白山登山だという(健康的!)。

 14回目は「富山に関わる映画」で富山関連の映画を選び、アカデミー賞を考えようという無謀な企画。映画は1分放送すると著作権が10万ということで思い切り説明はできなかった。ちょうどフィレンツェで買ったオスカーのオモチャがあったので、使った。それぞれの映画の富山度を考え、熟慮し、『少年時代』とどちらか迷ったが、公開中の『釣りバカ日誌13』に決定した。観光映画だが水を差すこともできまい。「関係者はオスカーを取りに来てください」と言ったのだが、幸い?取りに来ていないようだ。

 ある人に富山の研究をされているのですか?と聞かれて困ってしまった。そんなに詳しい訳ではないのだが、頼まれたら断れない人間なのだ。言い訳になるのだが、こんな考えができると思う。

 モナリザを研究する人はレオナルドの生まれから時代背景、モデルが誰なのか、風景はどこか、絵の具の種類とか描かれ方の特徴とか後世への影響など研究する人がいる。一方、マルセル・デュシャンはモナリザに髭を生やして、“L.H.O.O.Q.”と称した。それまでもモナリザに髭を生やした人はいただろうが、これで芸術作品だと称したのはデュシャンが初めてだ。そして、“L.H.O.O.Q.”から髭を取り(というか元のモナリザそのもの)、「髭を剃ったモナリザ」とした。僕がやっている行為も似たようなもので、富山に髭を生やせて喜んでいるだけかもしれない。今まで郷土史家や人類学者がよってたかって本当の富山を調べていたはずなのだが、それとは別な行為をしていることになる。ただ、髭を生やすことで富山を見る眼が違ってくると思うのだ。きっと。-------とわざわざ言い訳をしなければ続けられない、というのも変だが。

 学校見学会や編入試験が終わって、ようやくヒマになったので、子どもたちを連れて上京して、ディズニーシーと幕張で「世界最大の恐竜博」を見てくる。

 15回目は山海塾の蝉丸さんへのインタビューだった。時間がなくて、富山の本も紹介できなかった。蝉丸さんは昔、商船を受験したという。うちに来ていたら世界的な舞踏家が一人いなくなっていたところだ。「商船高専だから夢航海に出ているのですか?」と聞かれてしまった。なるほど、そう思っている人も多いかも知れない。来年も出るとしたら「とやま夢飛行」に変えなければ…。

 さすがに10回を超えると見ている人が多くなった。昔からの知人は「睦美さんだけが新聞に出ているのは知っていたけれど、欣二先生まで…」といって電話をかけてきた。

 16回目は風の盆の翌日9月4日だったので、昔のSPを発掘・復刻した柴田力弥さんの話を聞く。江戸っ子で三木のり平の甥という柴田さんのバイタリティにディレクターも出演者も圧倒された。民放の料理番組にも出演して時間どおり本番が終わる。本も八尾をめぐる小説を紹介したので、番組としてはまとまった(と思う)。後に柴田さんが民放に出ているのを見ると、「柴田さんにしてはおいしそうな料理!」なんていわれていた。趣味人で着物に関しても深い。

 相撲で2回休みがあって魔の7回連続がある。嘲笑されないような、面白いネタを考えなければと思って、NHKのディレクターだった吉田直哉『発想の現場から』(文春新書)を読むが、予算の規模が違いすぎるので役に立たない。ただ、シナリオライターの田村孟(つとむ)の映画作法の「骨法」が書いてあったので紹介する。

「サンボウ」とは、ある時代劇映画の、主君小田春永からさんざん屈辱を受けた武智光秀が、主命により真柴久吉の援軍として出陣する首途(かどで)の宴で、ふいに三方を逆さにひっくり返し、「わが敵は本能寺にあり」と叫ぶ場面に由来するという。正念場のこと。ストーリーが激変するヤマ場である。

「オリン」とはヴァイオリンのことである。むかし母もの映画の親子別れの場面などで、ヴァイオリンを高鳴らせて涙を誘った。そんな泣かせの感動的な場面を「オリンをコスる」といったという。

「オダイモク」はお題目。はっきり唱えなければ宗旨がわからない。はっきり唱えるためにはご本尊に正対しなければならない。つまり、思想なり美意識が向かっていくターゲットがきちんと捉えれていなければ、その作品のテーマは成り立たない。

 翌々回の番組で使おうと思って外国人による日本語弁論大会を撮ろうということになったのだが、安田さんが一人でデジタルビデオを操作して撮影した。朝から準備をして、アングルやマイクなどをチェックしていた。合間には次の番組の原稿のためにアクセント辞典を調べて練習していた。プロ根性を感じた。僕の方は富山弁でもいいといわれていて、アクセントなどあまり気にしないで話していて恥ずかしくなる。

 17回目は佐々成政とオセローの比較で早百合と黒百合、白人のデズデモーナと黒人のオセローの対比などを話したかったのだが、打ち合わせに行って初めて「白黒」の話は止めようということを聞く。せめて目を白黒させて、意図が分かるようにしたつもりだったのだが、妻に聞くと「カラーテレビだったから分からなかった」という。

 次回のテーマのために新湊のお祭りの山車を撮影に安田さんが来る。雨で大変だったが、何とか撮れた。カメラマンを兼ねるキャスターって!?でも、あるディレクターからNHKはOJTだといわれた。現場主義のたたき上げだという。だから、安田さんも頑張って!

「社長より/現場を良く知る/アルバイト」---サラリーマン川柳

 ちなみに、映画評論家で東大の総長になった蓮實重彦は草野進(しん)という女性という触れ込みで野球評論をしていた。「プロ野球ファンと称しながら、球場に足を運ぼうとしない連中、あれは何なのだろう」と言っていた。現場主義の勧めなのである。映画にしても年間200本見ないとダメだと語っていた。

 18回目は外国人による日本語弁論大会で優勝した愈さん(中国)を招いて話を聞く。僕が指導したチさん(ベトナム)を出したかったところだが、愈さんに負けてしまったのだ。でも、「幸せって目標に向かうプロセスですよね」という話が聞けてよかった。安田さんは深夜の2時まで編集にかかったという。何だか振り回しているようで申し訳ない。

 僕の方も次回解説する映画は『命』だと聞いていたので、柳美里の『命』『魂』『生』を完読して待っていたのだが、急に変更になってメマイしてしまう。

 ちなみに、映画解説は市民大学で8年ほどしていたので、辛くはないが、映画化されたドラマというのが分からなくて困ることがある。ドラマはまず見ないことにしているので、「原作」との関係が語れないのだ。

 県内ベストセラーを番組で紹介しているのだが、村上春樹『海辺のカフカ』がトップになったので、慌てて読む。五木寛之は僕らはアウシュビッツの子どもだ、という発言をしていたが、これを読むとオウムの子どもだという気がする。サリン事件以後のさまざまな暴力事件を避けて小説は書けなくなった。斉藤さんは村上春樹のファンなのだが、なかなか読めないという。アナウンサーは本を(心の中で)音読する癖がついて、速読ができなくなるのだ、といって慰める。

 学校は後期が始まった。前期は午前中に2駒授業があって疲れたが、後期は1駒だけなので楽だ。

 19回目は斉藤さんが東京で研修なのでいつもはニュースを読んでいる望月アナウンサーが担当。体に触って「本物の望月さんですね」とまでは言ったが、「これがホントのもち肌だ」というのを忘れてしまう。望月アナはさすがにそつなくこなす。僕の方はマイクを調整する“COUGH FADER”の操作を忘れて、慌ててスイッチを入れる(その後、入れっぱなしの処置になってしまった=消せる実感がないと落ち着かないのだが…)。

 僕の後に山本敦子さんの「くらし羅針盤」というのがあって、この日は子どものオモチャ作りでびっくり箱の作り方だった。田中世津子さんが紹介したもので、中から紙細工が思い切り飛び出てくるという優れものだった。

 この日のびっくり箱から飛び出たのはノーベル賞だった。終わって富山の人はDHAを含む魚をよく食べるので賢いはず…という企画を立てているところに富山出身の田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞というニュースが流れてくる。富山放送局には高校時代の同級生もいて、大騒ぎ。しかも、田中世津子さんは耕一さんのお兄さんのお嫁さん、つまり義姉ということになる。10日後に耕一さん夫妻は故郷に錦を飾ったのだが、この時、子どもたちからプレゼントされたのもこのびっくり箱だった。耕一さんはびっくりして、微笑ましい映像になったのだが、知事との懇談で「こうして子どもたちに科学の面白さを教えられるというのはいいことです」と発言していた。

 早くも20回目。よく保ったと思う。ディレクターが中川さんから桑原さんに急遽変わる。急な出張らしい。先週からノーベル賞騒ぎもあってみんな疲れているような気がする。斉藤さんは研修から帰ってきて元気だ。先週の放送もチェックしてあって冷やかされる。リハの途中に番組審議委員のみなさんが見学に来る。ジロジロ見られている中でリハをするのは恥ずかしい。本番の方が楽だ。というのもリハの時は可能性のある失敗はしておくものなので、それが本当だと思われるのも悔しいし、緊張感も漂っていないからだ。

 局長から文化を扱う番組だからもっとカジュアルに、と注文されていた。かっこいい男だったらどんな格好も似合うのだが…。

 ベストセラーで『海辺のカフカ』を再度取り上げたのだが、帰ったから朝日新聞を読むと加藤典洋は世界的な文学だというのに対し、宮台真司、坪内祐三が批判しているのに驚いた。宮台が江戸川乱歩の『押絵と旅する男』のようだと批評していたが、この作品は富山が舞台になっていてあまり知られていない短編だと思っていたのに、(社会学者でありながら)さすがによく読んでいると感心。ちなみに加藤は『日本風景論』(講談社)で村上春樹の小説の性格を規定している鍵の言葉は「やれやれ」と「まさか」だと書いている。

 やれやれ。

 仏壇を取り上げたのだが、斉藤さんが「今回は100%納得しました。また、こんなのをお願いします」と言う。ということは今までのは…?

 終わってから打ち合わせ。「先生が『8人いるディレクターのうち、5月に異動してきた人以外の全てのディレクターのお世話になった』と書いておられますが、その最後のディレクターです」と若い女性が挨拶をしてきた。次回は富山に来て日が浅い日浅ディレクターのお世話になる。ところが、日浅さんも途中で出張してしまう。ノーベル賞も含めてみんな全国版の放送を抱えて忙しそうだ。

 僕の方も先週から留学生をツアーに連れて行ったり、学校の仕事もつまっていたので、疲れがたまってしまう。風邪気味になるが、体調管理をしっかりしないと。

 21回目になり、ノーベル賞と富山との近い関係を取り上げた。日浅さんも出張でまたまたディレクターが交替する。富山関連の本は泉鏡花の「湯女の魂」なのだが、表題を見ると(戦前の表記で右からになっているので)「魂の女湯」としか読めない。どんな女湯だろうと斉藤さんと盛り上がる。

 映画は『OUT』や『凶器の桜』を紹介したのだが、こんな映画を紹介するとモニターから「NHKにふさわしくない」というクレームが来るそうだ。NHKが作っているのではないのだが、視聴者はそう思ってくれない。岩城宏之がネスカフェのCMに出ていた頃、「毎日、あんなにコーヒーを飲んでて胃が悪くなりませんか?」という質問を何度も受けたという。虚構と現実というのはなかなか理解してもらえないものらしい。

 映画『トリプルX』を取り上げるので、ホームページで探してみたが、この関連サイトはどこもうちの学校からはアクセスできなかった。“xxx”が引っかかってしまったようで笑ってしまった。暇な人は“http://www.xxx-triplex.com/index.html”で試してください。

 ベストセラーは23日に発売された『ハリー・ポッター第4巻』になった。これまで以上に面白くて時間が余ったせいもあって詳しく語ることにした。ランキングはどんどん変化していく。佐野眞一は『だれが「本」を殺すのか』(プレジデント社)で次のように書いている。

 本は不要とはいわないが、不急の商品である。すぐに効果は現れない遅効性のメディアといいかえてもいいだろう。にもかかわらず世の中の方は恐ろしいほどのスピードで動き、読者もまた何かに追われるように急き立てられている。本と読者の間でますます進行するこの時間の乖離現象こそが、出版不況の最も本質的な意味合いである。

 妻が新湊市長に会ったら「最近、旦那さん、テレビによく出てっしゃらんけ?」と心配していたという。公務員なのに不思議だという顔つきだったというが、ちゃんと「兼職願い」というのを出して出ているのだ。

 ということで、22回目。NHKに向かう途中、交通事故(オートバイとクルマ)の直後の現場を通る。大変だろうと思って、車をバックして戻って話をしてみると、被害者は何と隣のおじいちゃんで、喉の手術をしていて声が出ない人なのだ。加害者もそれが分からないので、あたふたしている。慌てて隣に電話をして、救急車が運ぶまで見送ってギリギリにスタジオ入り。

 蒲鉾論で、割とすんなりと内容を考えていたので、気が楽だった。ところが、リハをしてみると、ディレクターも「分からない!」、「これでは…」といわれて、慌てて問題点を整理して話す。トークになってしまうのは僕も嫌だが、かといって映像を増やすのもスタッフに負担をかけることになって…。とにかく難しいものだと痛感。話を伝える人が主ではなく、話を聞く人が主であることを忘れてはいけない。しかし、僕を殺すのは刃物はいらない。「分からない」といわれるだけで死にたくなる。北日本放送のアナウンサー相本芳彦さんも「自分の思っていることとか、取材してきたこととか、調べたことを伝えようと思っても。だいたいテレビの場合で全体の5割、ラジオの場合で全体の3割、これがいっぺんにものを何か伝えた場合に伝わる限界」と話していた。ワンウェイコミュニケーションだから相手が何を分からないでいるのか、知ることができないから全てを伝えることができないのだ。

 ベストセラーの方は『ハリー・ポッター第4巻』の発売直後だったので無難にまとめて褒められる。

 スタッフの一人が藤子不二雄『まんが道』がいいというので取り上げることにする。ところが、藤子・F・不二雄さんの場合は著作権の許可が下りなかったが、今回は出た。ところが、1コマ1万円で10コマで10万円にもなる。地方の視聴率の低い番組でも同じような金額というのは解せない。

 訳あって映画コーナーを省略ということになって、「なんでも」の持ち時間が長くなった。そこで、取って置きのゲストを呼ぶことにした。写真家の風間耕司さんである。『富山写真語 万華鏡』という月刊誌を11年間130号も出しておられて、僕なんか吹っ飛びそうな文化人なのである。電話をかけると「写真が全てだから話なんか嫌だ」といって承諾してもらえない。僕より知っている妻にも電話に出てもらって、ようやくOKを取る。

 当日も選挙ポスター用の写真撮影で遅くなる。他のリハを先にして、玄関で待っていて、すぐにスタジオに。「喋るのは苦手で…」といいながらも、ちゃんと喋ってもらえるし、核心に触れると饒舌になる。いきなり番組が格調高くなってしまう。

 アメリカ中間選挙の共和党大勝利のニュースで始まりが10分遅くなる。現場はどれを削るかで、戦場のようだったが、ローカルニュースや歌を削って「なんでも」の方はそのままになる。

 終わってから控え室で話をする。共通の敵(?)がいたので笑ってしまった。長女は一歳の時に最初の家族写真を撮ってもらったのだが、今は小学校4年というとびっくりされる。

 こうして魔の7回連続は無事終了。そうそう、別れる時、斉藤さんに「では、2週間お休み下さい」といわれたが、こちらはずっと学校の仕事が続いている!

 木曜日の音楽コーナーに男のCDショップ店長が出ていたのが、いつの間にか遠藤幸代さんに代わっていた。

 県立図書館の富山文庫を取り上げるので安田さんに何度も図書館に行ってもらう。せっかく司書の人のコメントを取ったのに番組では使わなかった(ごめんなさい)。

 24回目は無事に終わったのだが、「落としどころ」というのがいまいちなくて、困った。富山県の人は地元のことを大切にしない、と言いたかったのだが、主張する番組ではないので、まとまりなく終わる。

 姉から電話がかかってきて、番組で紹介した『ヴィーナスの命題』の真木武志は姉の恩師の息子さんだという。うちから百メートルしか離れていないところの先生の子どもだったのだ。地元を大切にしない自分にも反省。

 11月24日に国技館で行われたロボコン高専大会でうちの学校がロボコン大賞を初受賞する。そこで番組でも急遽、取り上げることになった。次の担当の伊藤さんと安田さんが商船まで取材に来る。ロボットといっても精密機械みたいなものになっていて、どうやって運ぶかが問題になる。国技館行きの梱包だとお金がかかるので省略した形で運んでもらい、学生は僕が連れていった。帰りは翌日になるのだが、大賞旗をどうするか、NHKに管理してもらうのもおかしい、というので僕のクルマに積み、学生はタクシーを出してもらう。余計な予算を使ってNHKにはハタ迷惑だっただろう。

 廊下を歩いていると非常勤の先生が「先生、水曜日見てますよ。本当に物知りですね」といわれる。まあ、ここまではよかったのだが、「先生は金山●×さんの息子さんですか?」と聞かれ、「いやぁ、父は商船の卒業生で関係ないんです」と答えるが、どうしてしょっちゅう「金山」と間違われるのだろう。

 妻のカンマーフィルとのコンサートがあった後、聴きに来ていた県文化顧問の吉崎四郎さんから手紙が来て「感動した」と書いてあって、最後にちょこっと「NHKでもご活躍の旦那様にご鳳声を」と書かれていた。ようやく見ている人が増えているという実感が出てきた。

 雪が降ってきた。遅刻に注意しなければならない。ふだん渋滞と無関係の町が止まってしまうからだ。

 26回目は和歌山のカレー事件の林満須美被告に判決が出ることになっていて、午前中から始まったのだが厳刑なので主文を後回しにして、判決理由の朗読から始め、判決は夕方になる。5時になってようやく主文の朗読が始まり、その間ずっと待機していたのだが、5時20分に死刑の判決が出て、そのまま『夢航海』は解散。25分をすぎると自動的に地方の番組はなくなるのだ。

 録画撮りするか、来週に回すかで話し合いがあり、やっぱり生の方がいいというので来週同じテーマで話すことになった。儲かったような、損したような複雑な気持ちで局を出る。

 帰宅途中、東京からのNHKラジオを聞いていたら「ここでお詫びがあります、先週、番組の中でゲストがタクシーの運転手のことを“運ちゃん”といいましたが、“運転手”の誤りです…」と放送していた。“運ちゃん”とはさすがに僕もいわないが、差別語には差別する気持ちがなくても気をつけなければならないと思った。

 ある人に「先生のあの番組は情報番組でもないし、一体なんですか?」と聞かれたので、「ニュースは事実を伝えるけど、お話は真実を伝えるのです」ととっさに恥ずかしいことをいってしまった。まあ、富山文化のお話だと思ってもらえばいい。

 再び26回目。結局、「新方言」になったのだが、斉藤さんも安田さんも一度リハをしているので、慣れすぎていてインパクトがないから、流れないようにと注意される。

 FD(フロアディレクター)からの時間の指示が分からず、ブックランキングで短く話せ、という指示だと思ったら逆で長くだった。塩野七生さんについて詳しく話したかったのに、話せず、『天の夕顔』で時間が余ってしまってとちり気味になった。なんとか無事に終わって、今年最後の放送となる。12月25日は「年末映画特集」なので、僕はビデオ出演。ところが、目の前でカメラを回されるとあがってしまって、しどろもどろになってしまう。富山にいない間にどんな場面が流されるか心配だ。

 未蘭の小学校の新校舎竣工式があるので、準備をしていたら、PTAの何人もの人から「見たよ、見たよ」といわれる。

 紅白で中島みゆきが初出場して、「プロジェクトX」の主題歌「地上の星」を歌うことになった。東京からスタッフが来るのだが、富山も迎える側なので、大変だったと思う。歌う場所が注目されていたが、午後11時ごろ、46組目で登場。鮮やかなワインレッドのドレスに身を包み、発電所前のトンネルで歌い、曲の途中、ライトアップされた黒部ダムが映し出された(という)。

 うちは家族でパリに行き、帰りの飛行機の中で新年を迎えた。

 1月は4日から大雪となる。8日に「文化探検」の最初なのだが、北生ディレクターからメールが来て、「テレビに望むこと」という20秒のインタビューに出てくれ、というので、早めにNHK入り。富山城の前で撮るというが、ダサイということで、快晴の立山が望める富山市役所の展望台に行く。人がいるところで勝手に話すのは恥ずかしかった。聞けば全国放送だという。後2人は富山で3人で五箇山とチューリップの関係者で、明日、撮影に出かけるという。40秒のために!

 全国放送だということで番組の前、斉藤さんに「全国デビューおめでとうございます」と冷やかされる。

 紹介する映画が『ピーターパン2』だったのだが、「うちの子どもが『ピーター・パンツ』といっていた」というのが妙に受けてしまい、安田さんは笑わないようにするのに必死だった。怒っているんじゃないかと思う。僕らも意識しないように安田さんの方を見なかったのだが、よけいに悪かった?アナウンサーはどんな記事でも泣いたり、笑ったりできないので大変だ。

 27回目の放送は新年に合わせて「宝船」。といっても、本当はもっと前の予定だった。まど・みちおの「やぎさんゆうびん」(まど・みちお全詩集)と絡ませたのだが、黒ヤギさんと白ヤギさんの手紙のやり取りは年賀状と変わらない、という部分を抜かしてしまった。まあ、話は面白かったようで、終わりよければ全てよし。視聴率も最近はあがっているようだ。

 本はめでたい本をといわれて、迷ったが、深田久弥『日本百名山』にした。担当の中川さんが親子二代の登山好きで、初版も家にあるという話を聞いて驚く。もう一人、廣瀬さんも登山が好きだそうで、ワイヤ掛け替え工事の取材のためにずっと立山の大観峰に詰めているそうだ。

 水引で作った大きな宝船を新湊のお店から借りてきたので、めでたさムードもいっぱいだった。久しぶりだったのと、来週、再来週はまた休みなので、にこやかに出演できた。

 ある人から「最近の先生の番組、判じ物になってない?」といわれた。今回、冒頭で安田さんが「富山の宝船と南太平洋と何か関係が…」と紹介したためなのだ。「いいんですよ、僕が求めているのは“別解”なんですから。誰もが出す解答ではなくて、別の解き方をしたら、こうですよ、ということなんだからいいんですよ」と答える。

 相撲で2週間休みなのだが、ある人に「ええっ、相撲終わってたんじゃなかった」と言われた。貴乃花が引退したので相撲も終わったものと勘違いしたらしい。

 次回のネタに安田さんに撮影をお願いする。スキーの大会で優勝したばかりだが、黒くなってなくて不思議。その日、研究室にいきなり「教官!」というので返事をしたら斉藤アナウンサーだった。別の用で『螢川』の感想の録音に来る。びっくりした。でも珍しくゆっくり話せてよかった。好青年だ!

 28回目の放送は「いまどきの小学校」ということで小学校の設計者・森俊偉(としひで)金沢工業大学教授を呼ぶ。この日は一級の寒波が襲ってきて、僕自身も間に合うか心配したのだが、森先生は北陸自動車道が閉鎖されたため、急遽、JRで来局。帰らずに泊まるという。それだけのギャラも出ないので申し訳なかった。

 先生は送ったシナリオにぎっしりと赤でメモを書いておられた。僕は忘れやすい固有名詞しか書いてないので恥ずかしくなる。短い放送時間では先生のお話になりたいこともロクに放送できずに終わった。終わってから控え室で話していたが、先生は『地中海のイスラム空間−アラブとベルベル集落への旅−』(丸善)という本も書いておられるので、旅の話になる。昔は南イタリアや北アフリカによく旅されたようだが、最近では中国の少数民族が面白いし、いま記録しないと滅びてしまうという。編成を考えて放送するよりも楽屋の話をそのまま放送した方が面白いのではないかと思える。真摯を絵に描いたような紳士の先生だった。

 映画は『黄泉がえり』と『火山高』を紹介したのだが、安田さんは『火山高』が見たいという!?

 「とやま夢・航海」は視聴率も上がってきて、局長賞も出たという。めでたし、めでたし。

 ところが、木曜日にテレビを見ると安田さんが出ていない!インフルエンザで高熱が出てお休みのようで、斉藤さんが一人で頑張っていた。金曜日には大井康代さんが代わりに出ていた。元気の固まりだと思えた安田さんでもインフルエンザには勝てなかったようだ。元気になってから聞いたが、「何でもカルチャー」が終わってほっとした直後だったという。負担をかけない番組を考えなければならない。

 国会中継もあって安田さんは1週間ぶりの出演となる。富山の宣伝ということで話をしたのだが、流れもよくて面白かったとのこと。「印象の薄い県」のために作られた白いテレフォンカードの「印象」がとても薄くてカメラで写すのが大変だった。前から自虐的CMには辟易していたのだが、「トヤマケン・V」という最近は明るいものになってよかった。受けたのは斉藤さんの友人が富山のお土産に「トヤマケン・V」を探していたという話だった。斉藤さんはひどく気に入ると終わってから次回の打ち合わせに顔を出す。番組もいつの間にか「なんカル」と呼ばれるようになってきた。

 映画『13階段』の関係で今井正監督『真昼の暗黒』について話そうとしたのだが、うっかり『日本の暗黒』といってしまう。視聴者からのクレームはなかったが、「難癖カルチャー」になる前に、うっかりミスは何とかなくそう。

 木曜日はまた国会中継で放送がない。どうして水曜日がそんなにつぶれないのだろう!

 30回目は20分遅れで始まる。「恐竜空白県」だった富山でアンキロサウルスらしい化石が出て、発見者の藤田将人さんをゲストに迎えて話を聞く。藤田さんは恐竜のネクタイをして来ていた。年齢不詳だったが、「何気に見たら出てきた」というので若いことが分かる。「何気なく」という言葉はあっても「何気に」はまだ認められていない若者言葉だからだ。32歳独身だった。安田さんが富山の国体に出たときは役員で世話をしていたという。終わってから恐竜オタクの廣瀬ディレクターが北極で発見したという化石を持ってきて鑑定してもらったり、NHKの同期と藤田さんが同期だったことが分かったりで盛り上がる。

 来年度から番組の手伝いをするという若い子が二人来ていて、あちらから挨拶される。

 来年度も継続して僕が出ることになった。1年続いただけでも奇跡なのに!

 分かりやすい番組作りを考えているのだが、「週刊こどもニュース」のお父さん役・池上彰が『相手に「伝わる」話し方』(講談社現代新書)で「わかりやすく説明するための五箇条」を書いている。

  

 ちなみに、福沢諭吉は『学問のすゝめ』で演説や講義でのやさしい行き届いた説明の大切さも説いている。例えば「円き水晶の玉」を、「円きとは角の取れて団子のような」「水晶とは山から掘り出す硝子(ガラス)のような物」と解き聞かせれば、相手が子供であっても腹の底からよく分かるはずだという。

 来年度はどこまで分かりやすく話せるだろうか?

 2週続けてゲストなのだが『納棺夫日記』の青木新門さんに出てもらう。『納棺夫日記』の英訳本が出版されたのでその評判を聞こうと思ったのだ。妻の大叔父の経営する会社に勤めていて、91年に能登島のイベントで妻がソロで僕がマネージャーとしてお会いしたのが最初だ。地方紙に「カイラス巡礼」というシリーズを書いておられて、原稿を届けた帰りにNHKの喫茶店に寄る。それで、斉藤さんが「よく見る顔なんですが、そんなに偉い方とは知らなかった…」などと紹介していた。日本人の死生観についての話になって、暗くなるかなぁと思っていたが、新門さんの穏やかな顔がよかったと評判だった。

 東京へ出張し、言語学会の会長だった松本克己先生と飲む。富山でこんな番組作りをしているというと「昔から博識だったからね」と誉められてしまう。在学中にはありえなかったことだ。先生から教わったソシュールのおかげで記号論が使える、という言葉に大笑いされる。

 2月26日は「昼どき日本列島」の富山ロケの紹介でお休み。入試で忙しい時期だったので、一休みできる。

 今年度は後1回になる。

 最後の1回は総集編という話もあったのだが、「富山のいい子、悪い子、普通の子」でイギリスの子育てとの比較を行う。アメリカとの違いも話したかったのだが、余計だといわれて、詳しくは話さなかった。

 ということで、あっと言う間の1年だった。なんで僕がこんなところで喋ってなければならないのだろうと、思うこともあったが、とにかく終わってよかった。

 イラク戦争が始まり、テレビは戦争一色になった。これほどまでに戦争の状況を細かく流さなければならないのか、映像を多量に流さなければならないのか、と思う。一局くらい、戦争のニュースは流しません、というのがあってもいいくらいだ。

 ギャラが少ないのは講演で補ってくれ、といわれていたが、この1年で全く講演の依頼がなかった。一つもないというのは珍しい。

 星新一には「知人たち」というショート・ショートがある。お金を使いこんだ青年がしばらく世間を離れる。そのうち、人恋しくなって学生時代の友人を見つけて声をかけるのだが、立ち去ってしまう。そして、みんなが自分のことを忘れてしまっていたのだった。「この、おれの過去は、どうなってしまったのだ」といって孤独感に襲われた青年はテレビに出て、自分を知っている人は名乗り出てくれと訴える。だが、誰からも連絡はない。彼の存在をおもしろがった広告代理店が新製品の宣伝に青年を起用する。「どなたか、わたしをご存じのかたは、いませんでしょうか…」という呼び掛けが功を奏して道行くひとから声をかけられる。友達になりましょう、一緒に食事でも、と。

 みんなが青年を知っていた。だが、青年はその誰1人としてどういう人だか知らないのだった…。

 3月22日の放送記念日にちなんで20日に感謝状をもらった。佐々成政で一躍有名になった作家の遠藤和子さんが「ふるさと富山賞」を受賞された。名刺を渡すと成政の絵の入った名刺を渡される。

 簡単なパーティが開かれた。望月豊アナウンサーは既に津放送局に異動。「おしらせたまご」の山本敦子キャスターも地元の埼玉に帰るという。

 布施局長は中部の局長会議で、各放送局でどんな番組を作っているかのデモに「何でもカルチャー」のノーベル賞の回のを持っていったという。他の放送局はどこも非常に真面目な番組を作っているのに、富山だけが遊び心いっぱいの作り方をしているというので注目されたという。

 局長の言葉にすっかりうれしくなった。僕もようやく仕事をし終えて、多少とも有名になった気分だった。

 同時に受賞した田中世津子さんと話した。ノーベル賞の田中耕一さんの義理のお姉さんで、番組で手作りオモチャを発表している。

 「初めまして、番組ではよく見ています」というと、こんな返事が返ってきた。

 「こちらこそ、初めまして。でも、奥様は10年前から知っていますよ。お子さまは大きくなられましたか?」

→次年度に続く


 アメリカの保守的な歴史家ダニエル・ブーアスティンは1962年に書いた“The Image”(『幻影の時代』東京創元社)の中でテレビの時代が英雄を有名人にかえ、旅を観光に変容させることを指摘して、それを「疑似イベント化」とよび、人物や場所、あるいは出来事はもちろん、思想や宗教など、ありとあらゆるものにおよぶ現象として批判的に論じた。彼によれば、有名人とは「かつての時代の英雄の代用品であり、人工的な創造物であり、偉大さに関する私たちの期待の結晶物」だという。大衆文化が成熟していくとともに、自分の力と功績を意味していた“英雄”がメディアと宣伝と演出によってつくられる“有名人”にとって代わられていくと述べている。

 確かに有名人とかタレントというのは何か業績や成功をなしえた(なしえる)人間のことを指すと同時に、実体がなくて、実質的な意味も伴わない空虚な存在で全くのイメージでしかないものを指すことがある。つまり、両義的な記号として日本でもアメリカでも受け入れられている。タレントというのは「才能」という意味だったが、全く才能を感じさせないタレントも実に多いのである。それが一旦、メディアによって有名性を得ると、その記号が一人歩きする。そのうち、別の才能が彼らを花開かせることも多い。

 ペルシア戦争でアテナイを勝利に導いた将軍テミストクレスはセリポス【アテナイ南東の島】の男が彼の名声にけちをつけて「あなたが名声を得たのは、あなたの力ではなくて、あなたの国アテナイ【大国】のおかげだ」といった時、「確かに私がセリポス人だったら、名声は得られなかったろう。君がアテナイ人だったとしても得られなかったようにね」と答えたという。

 そうなのだ。有名になるのも才能なのだ。一般人と違いがあるとするとそれが「オーラ」というものなのだろう。

 皮肉なもので「オーラ」のまったくない僕もこうしてメディアでウロウロすることになった。あてない人間がうろついていても前に進まない。僕にとって今回の番組が一つの修行になればと願っている。大江健三郎は「ぼくはルポルタージュを作家稼業とみなす」というエッセーを書いている。

 ともかくぼくはルポルタージュの仕事を喜びとともにつづけてきた。それはぼくにとって端的に最良の作家修行だった。ぼくはこれらのルポルタージュの仕事を通じて自分自身の興味の世界を拡大することができた。ぼくは、ルポルタージュのための旅行において、モティーフの上でも実際的にも十分にお膳立てをしてくれてからぼくと同行し、事務的な一切をとりしきってくれるばかりか様ざまの論点をあきらかにする助言をあたえてくれる編集者たちに深く感謝する。かれらこそがゴーリキー風にいえばぼくの現実生活の大学の学生課職員、兼教師であった。

 もしぼくが大学の文学部の教室に坐りこんで夢見ている内省的な学生から、いくらかはタフなところのある現実観察家にかわることができているとすれば、それは、善き編集者にして秀れた友であるかれらの援助においてである。
     -----大江健三郎『厳粛な綱渡り』(講談社学芸文庫)


※優しい気持ちで番組を見てください。お願いします。m(__)m

 このエッセーはいきなり消えることもあります。ご了承ください。

 いいネタ、新鮮なネタがあったら是非教えてください。それから番組に対する苦情があれば、NHKにいわずに僕の方に言ってください。自分だけの秘密にしておきたいので…。(^ ^;   

□僕に関する噂〜テレビ出演という意味2002 □「とやま文化探検」(とやま夢航海)2002

□僕に関する噂〜テレビ出演という意味2003 □「とやま文化探検」(とやま夢航海)2003

■金川教官にファンレターを出そう。←来ないよね。


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