金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


 

笑説 越中語大辞典



●えー

 「いい」。例:「えーねか」(いいじゃないか)・「えーがに」(いいのに)・「映画でえーがないけ」(映画で何か面白いのはないですか)。

●エア・ドゥ

 北海道国際航空。2009年11月から全日空に代わって富山−札幌便を運航した。

●絵ー様

 「絵」。例:「若いもんなぁ、テレビらっちゃ、えー様ばっかり見て育っとっちゃ、おらっちゃ、どうせー、字ー様やちゃ」。

●映画

●映画館

●映画監督 

●永芳閣【えいほうかく】

 氷見市の老舗料理旅館。1937年に氷見市街地で個人創業し、56年に法人化。78年に阿尾に移転した。2003年に民事再生法申請、再建。

●笑顔佳し

 「笑顔佳し」そのままで僕は知らなかったが、川崎洋『感じる日本語』(思潮社)には次のように書いてある。

…富山地方に、「えがおよし」という、女の人をほめることばがあります。「笑顔佳し」です。
「妹のほうは勝ち気やけど、姉のほうはえがおよしで落着いとる」
というふうに使われたりします。人柄からにじみ出た、にこやかさを感じさせる、そんな女性を形容することばです。知人、友人の顔を思い浮かべたとき、その表情は澄ましてツンとしていたり、生真面目であったり、狡(ずる)そうな眼が印象的だったりしますが、「えがおよし」は、誰もがその人をその人の笑顔で自分の脳裏に思い浮かべるような、そんな人をいうのです。

●絵紙【えがみ】

 売薬版画。江戸時代、売薬のお土産として絵紙が配られた。これには当時の歌舞伎役者の絵などが描かれていた。明治になって印刷が発達すると人気がなくなり、代わりに紙風船が配られるようになった。

●えきる

 「火照る」。例:「顔、えきってきたわ」。

●駅前シネマ

 成人映画を上映している映画館で、映画が好きというと「駅前かね?」と冷やかされる場所。2007年8月24日で閉館。

●えぐい

 「アクが強い」こと。東京でも使う。例:「この筍、ちょっこぉ、えぐないけ」(…ちょっとアクがあって食べにくいね)。

●えご

 「えごを吹く」という。新潟などでも使うようだ。「意固地」の訛り「えこじ」から来ているとも。「屁理屈を言って、自分勝手な考えで物事を押し通そうとすること」でラテン語の「エゴ」egoから来ているなら面白いのだが…。例:「また、酒飲んでえごふいてっしゃっちゃ」(また、お酒を飲んでくだを巻いている)。

●えこじ

 「意固地」で実際、「いこじ」ともいう。

●エコマイカ

 スイカなどに相当する富山市のライトレールなどの乗車カード。「行こまいか」(行きましょう)とエコとマイカードをかけている。

●エコマネー

 県内各地で使われている「エコマネー」の呼び名は次の通り。

 夢たまご、ゴーゴーチケット、koji(コージ)、こうりゃく―。

●えささ

 九州などの「いささ」で生きたまま食べる。可哀想だと涙を流しながら食べるのが美味しい。

●えざらい

 用水路清掃。

●越中

 どうしても「越中褌(ふんどし)」の連想があり、響きがよくないようだ。褌とは無関係なのに「越中○×会社」というのはみかけない。多いのは逆にして「中越」とするものだ。でも、中越というのは新潟県の一地方でもある。

 「越州」という言葉にする人もいるが、越前、越中、越後のどれか分からない。

 ややこしい事実を避けるために富山では「北日本」という言葉がよく使われてきた。今の「常識」からいうととても「北日本」とはいえないのだが、普及したのはやっぱり便利だったからだ。

 2004年に長野県の田中康夫知事が「信州知事」の名刺を使い始めた。地方自治法3条は都道府県の名称変更には法の定めが必要とするとあり、正式な県名変更は難しいようだ。法律にかまわず、信州という名になじんでもらおうという作戦らしい。廃藩置県で3府302県が置かれたのは1871(明治4)年、現行制度がほぼ整ったのは1888(明治21)年。明治前半の政府の課題は不平士族の反乱の抑止だった。県とは明治政府の地方統治機関だ。県が管轄する区域も県の名で呼ばれた。県名より先に県庁名があったのだ。石川のように、県庁名と県名が違うのは、県庁や県名の取り合いがあった場合が多い。官僚による新県名の押しつけは多くの人々を歴史から切り離したが、明治時代の手紙には、あて名に旧国名を使っているものが少なくないという。

 県内のJR、私鉄で「越中」の付く駅は12カ所ある(2006年現在)。JRは八尾、山田、中川、国分、大門、宮崎の6。富山地鉄は荏原、三郷、舟橋、泉、中村の6。富山ライトレールは中島がある(万葉線には「越ノ潟」というのがある)。

 石川県で「加賀」はJRが2、私鉄が1。「能登」は4の計7カ所だから、「越中」が加賀、能登より多く残っている勘定だ。駅名は所在地や自治体名が圧倒的に多い。ただ越中大門のように、旧大門町でなく旧大島町にある例外もある。JRは同じ名前の駅を区別するために、両方が旧国名を頭に付けていた。

●越中おわら節

 八尾町の風の盆で歌われる民謡。囃子の」唄われよう〜 わしゃはやす」という謙虚さが好きだ。

(長囃し)
  越中で立山 加賀では白山
    駿河の富士山 三国一だよ       

(囃し)                  
  唄われよう〜 わしゃはやす〜 
                 
(唄)
八尾よいとこ おわらの本場
    二百十日を おわら 出て踊る
見たさ逢いたさ 思いがつのる
    
恋の八尾は おわら 雪のなか
                     
(長囃し)
  浮いたか瓢箪 軽るそに流れる
   行先ァ知らねど あの身になりたや

●越中語

 越中語という言い方はなかった。僕が1998年にこの「笑説 越中語大辞典」を作り始めるまで使う人はいなかった。しかし、2006年からは富山商工会議所のイベントで「しゃべらんまいけ!越中語大会」というのが開かれるようになった。著作権を取っておけばよかった。2006年5月11日の北日本新聞には次のように書いてある。

 富山商工会議所と県の懇談会が10日、富山市の富山国際会議場で開かれ、富山ブランドの発信や産業観光の推進などについて意見交換した。【…】

 富山商議所側から「富山弁を見直す取り組みを進めており、越中語として売り込んでいきたい」「産業観光を全県的に広げてほしい」などの意見が出された。中小企業の人材確保が難しくなっているとの指摘もあり、県出身者のUターン促進に力を入れることなどで一致した。

●越中強盗

 『人国記』にある表現で「越中強盗、越前詐欺、加賀乞食」という、落ちぶれた時の状態で三国の気風の違いを表したもの。バイタリティのある富山、抜け目のない福井、プライドが高くておっとりしている石川ということだ。このことから加賀の商家では「養子は越中からもらえ」という格言があり、男の子より女の子が生まれた方が喜ばれたという。

 金沢の商人は見栄っ張りで、勝負所で決断できない。こうした人を「調子が高い」とか「ズコ天」という。また、ごますりで世渡り上手な人を「うまいもんのごっつぉ食い」とか、おいしいとこ取りの人を「上伝(うわづた)いな人」「高伝いな人」「ハイチョボの世渡り」ともいう(『おもしろ金沢学』北國新聞社など)。

●越中小町

 富山県で開発された従来品種の3分の2、長さ約40センチという短いネギ。買い物や冷蔵庫にすっきり収まる「コンパクトサイズ」と、葉まで食べられる「穏やかな辛みと柔らかさ」が特徴。県の研究機関が農林水産省系の機関と共同で、太くて短い下仁田ネギなどを交配して品種改良を続け、開発にこぎつけた。従来品種のホワイトツリーを栽培方法の工夫で丈を短くしていた「ねぎたん」と異なり、太く短く育つ品種として県が開発した。2007年に夏と晩秋に収穫できる2品種をそれぞれ「越中なつ小町」「越中ふゆ小町」と名付け、農水省に品種登録を申請した。収穫期が7−10月のなつ小町は薬味需要、10−12月のふゆ小町は鍋物需要向けとなる。

●越中さ

 金沢の人の富山県人を指す言葉。金沢で「田舎者」を「ざいごさ」(在郷+さ)というのと同じ悪口である。歴史は古く、富山藩を加賀藩の支藩としかみていなかった頃からのもの。

●越中座

 2006年、富山市婦中町にオープンした北日本新聞の制作拠点。その前に立川志の輔らが「越中座」という寄席を開いていたので、北日本新聞社は了解をもらったという話が残っている。

●越中三大山城

 増山城(初め和田城といった/砺波市)、松倉城(魚津市)、守山城(高岡市)。

●越中縞【えっちゅうじま】

 『大辞林』にも載っていて「富山地方に産する木綿縞織物。地縞・二子縞を主とする」と書いてある。

●『越中人譚』

 チューリップテレビ開局10周年の記念事業のひとつで番組でもあり、月刊誌にもなった。富山と薬の関係からいつも「越中仁丹」だと聞いてしまう私は越中人?

●越中富山の薬売り

 富山売薬は2代藩主正甫(まさとし)が始めたと伝えられる。気付け薬である反魂丹(はんごんたん)などを配置行商した。藩は反魂丹役所を設けて指揮監督した。売薬業者の納める役金は藩庫を潤したが、藩財政は慢性的赤字だった。

●越中富山ふるさとチャレンジ

 北日本新聞社が2006年に始めた地域検定。合格者が多くてすぐに中級編がつくられた。ジュニア編もある。

●越中泥棒

 「越中泥棒、加賀盗人、能登はやさしや人殺し」というのがある。越中は泥棒で、加賀は盗人で、能登は大変優しいんだけど、一つ思い込むと、一途で、という意味だ。これは「近江泥棒、伊勢乞食、丹波かわいや人殺し」から来ていると思う。近江商人は目端がきき、伊勢商人はケチだということだ。

 「能登はやさしや土までも(草木まで)」という言い方もある。

●越中褌【ふんどし】

 ちょっと前までは銭湯に行くと越中褌のおじいさんを見たものだった。

 「越中褌」は細川忠興・長岡越中守(富山とは無関係)が常用したことから転用した呼び名という説と大阪新町の遊女・越中が馴染みの客の餞別に片袖を使って下帯を作ったからという説があって、ゆるゆるである。忠興は細川ガラシャ夫人の旦那であるが、美人の誉れ高いガラシャ夫人はあんな、ゆるゆるの褌に憤怒していたのではないだろうか?

 細川の二代忠興(ただおき)から十三代韶邦(よしくに)まで「越中守」を名乗っている。忠興が明の特使を接待する役を担うことになった際、貫禄を付けるため前田利家と徳川家康が「越中守としたらどうか」と豊臣秀吉に進言し、秀吉が了承したからだという。子孫に細川護煕(もりひろ)がいる。

 青木英夫の『下着の歴史』(雄山閣出版)によれば、越中褌は布を紐に通してふわっと前に垂らすだけなので、運動には適さず、江戸時代の越中褌愛好者は老人や僧侶だけだったという。働く男は長い六尺褌をキリッと締めていたのである。越中褌が広く普及するのはみんながズボンをはくようになる明治以降なのだという。

 越中ふんどしはサメ除けとしても機能する。大きく見せるのである。海女は腰紐をわざと長く垂らしたが、これもサメ除けのまじないである。

 青木英夫『下着の文化史』(雄山閣出版)に次のように書いてあった。つまり、忠興は働く必要がなかったのだ。

越中褌は、明治以後になって急速に使用者が増加してきた。たとえば日本の戦前の軍隊では、第二次世界大戦終了まで越中褌を使用していたのである。越中褌は前述したように、ごく簡単に着用できるということと、衛生的だということから、今日でも年輩者の中には今だに使用している人がいるくらいである。江戸時代では越中褌を用いるのは、すでに述べたように老人とか、医師とかいうように、労働を必要としない人によってのみ使われたわけである。ということは、越中褌の場合は、しっかりまきつけているわけではないので、すぐに前がとれてしまうという不便さがあった。明治以後は、越中褌を用いた場合、ズボンとかパッチをはくというようなことをしていたから、別に不便さはなかったのである。

 白い晒し(さらし----布片)の端に紐を通したもので、へそのちょっと下あたりでひもを結び、布片を後ろからまたくぐりにして前で紐をくぐらせて垂れ下げるといった、実に楽な褌である。したがって「褌を締めてかかる」なんて芸ができない。少し見ていて情けないものがあった。

 「もっこふんどし」というのもある。布片の前後に紐を通し、足を通して、腰の左右どちらかでその紐を結ぶようにしたものである。「もっこ」は藁縄を網に編んだものの四隅に綱を付けて、土石などを盛り、棒で担って運ぶ道具であり、形の上で似ているところから称された。

 『男はつらいよ』の車寅次郎は「見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし…」というタンカがあるように褌と縁が深い。しかも越中褌だ。『奮闘編』(第7作1971年・榊原るみ)では、寅さんが褌を愛用しているというシーンが2カットある。映画の中ほどで、寅屋の中庭の洗濯干し場で、オバちゃんが褌を干すシーンがあり、柄パンツとともに、三崎千恵子が褌を干すシーン(水切りもなかなか手馴れたもの)。次のシーンで、寅さんがさくらの家へ行つたとき、「何よ、お兄ちゃん、また褌を縫ってくれというの…」という台詞がある。また、他の作品『葛飾立志編』(第16作1975年・樫山文枝)で博(前田吟)とふんどし談義をするのもある。インテリのマドンナに合わせて寅さんが眼鏡をかける。

博「いいですか、勉強をして目が悪くなって、その結果、眼鏡をかけるんですよ。眼鏡をかけたからって勉強をしたことにはなりませんよ」
寅「気分だって言ってるんだ、気分から入るんだからさ。ね、新しい褌つければ体だってキリッとするじゃないか」

 ちなみに寅さんは高知県と富山県は来なかった。高知は次回作に決まっていた。越中褌をはきながら、「越中」は嫌いだったのかもしれない。

 でも、「越中」って使う人は多かったのだろうか?

 米原万里は『パンツの面目 ふんどしの沽券』という面白い本を書いているが、お父さんは越中褌の愛好家だったから、書いたともいう。

 2005年春、テレビの特集番組が「クラシックパンツ」として取り上げ、人気に火がついた。三越銀座店では、ブーム前の売れ行きが年間200枚程度だったのに、05年4月から06年4月までに約8000枚を売ったという。

※「憤怒」は「ふんぬ」といっていたが、『君よ、憤怒の河を渡れ』という映画以降、「ふんど」が普及してしまった。その名も越中文俊という人の『褌ものがたり 男の粋!』(心交社)という面白い本もある。

●越中みそ

 越中醤油とか越中料理があるわけではないのに、富山のお味噌屋さんは「越中みそ」を名乗っている。山元さんからのメールは次のようだった。

われわれの業界は、申し合わせ事項というわけではないのですが、習慣として、「越中みそ」というブランドを、富山のメーカーは使用しています。
日本海もツルやも杉野も山元も。
皆、味噌の袋に「越中みそ」の文字を入れています。
日本海味噌さんのコマーシャルにも「アーあ、越中」とありますね。
越中みそは、加賀みそ・越前みそに比べ、流通量は格段に多く、「キング・オブ・北陸」の座にあります。

●越中和紙

 八尾和紙や五箇山和紙(平村)、蛭谷【びるだん】和紙(朝日町)を総称して「越中和紙」という。

 越中和紙は売薬の発展とともに生産され、江戸時代から昭和初期にかけて人気が高かった。薬を包む紙や袋はもちろん、配置袋、帳面紙、薬を渡す際の土産用の「売薬版画」や紙風船に至るまで、売薬に付随して様々な種類の紙が作られた。また、一般の障子紙や、厚手の提灯紙、傘紙なども生産し、発展を続けた。主な原料は楮(コウゾ)・三椏(ミツマタ)・雁皮(ガンピ)で、トロロアオイの根で作った「ネレ(粘液)」で混ぜ合わせる。原料の楮を皮はぎ、釜ゆでしたものを水の中に入れ、少しずつ広げながら絞って濡れた状態のものを板の上などで広げて、塵を取り除く(塵取り)。何度も繰り返し、小さなごみを見つけては取り除く。このほか、皮はぎ(楮の外側の皮を剥ぐ)・釜ゆで・雪ざらし(楮を雪で晒して漂白する)など、漉くことよりもそれに至るまでの工程の方が長くて苦労が多い。

 八尾和紙は染色家で人間国宝の芹沢けい【金+圭】介が愛した。八尾には桂樹舎という展示館がある。

●干支【えと】

 年末になると干支の人形が作られているというニュースが流れる。富山の土人形と五箇山の和紙人形だ。

●江戸びんな

 きれいな人のことを「江戸びんなはんみたい」というと詩人の川崎洋の本に書いてあったが僕は聞いたことも見たこともない。

●江ノ電ウォーター

 湘南海岸を走る江ノ島電鉄の鎌倉駅などで売られている入善町の井戸水を採用した天然水。黒部川扇状地の豊富なわき水で知られる入善町の井戸水をペットボトル商品として2005年から売り出した。硬度が低く、飲みやすい日本の水に絞って候補を探したところ、供給先ブランド名での少量生産に対応できる点などが決め手となり、入善町の水を選んだ。 

 また、コンビニエンスストア大手のローソンとプロ野球「東北楽天ゴールデンイーグルス」も、同町の井戸水を利用したペットボトル商品を共同開発し、商品名は「楽天ローソンウォーター」が候補になっている。東北6県のローソンでの店頭販売と、全国のローソンに設けられた端末を通じた通信販売が検討されているという。

●エバラ

 小杉にサウナエバラ、エバラスポーツセンター、エバラゴルフセンターがあった。スポーツセンターにはスイミングクラブもあった。タクシーやレジャー施設経営の荏原興業(東京都品川区)が運営していたが、2004年2月に閉鎖した。

●海老

 ぶりとともに富山の食文化の中心。だから、まっつり(お祭り)の時には海老と椎茸と高野豆腐と莢豌豆の入った煮物が出なければならない。

●海老江【えびえ】

 新湊市の東部の町。秋分の日に3台の曳山が回る。からくり人形は東町「唐子遊び」、 中町「唐子懸垂廻転」、西町「唐猿童子」で中でも「唐猿童子」は、本からくり人形で、昭和54年に新調したもので、日本一の人形師7代目玉 屋庄兵衛の傑作。 22本の絹糸の操作によって小太鼓を叩いて歩いたり走ったりし、瞬時に唐子や猿の顔に変身する。北陸唯一のものとされる。曳山は西町が天保12(1841)年、中町が同15(1844)年、東町が安政4(1857)年に創建された。拝殿屋根の改修工事が終わったばかりの加茂神社には、午前八時に三台の曳山が鳥居前に集合。おはらいを受けた後「花山」の飾り付けで海沿いの旧街道などを進んだ。午後8時頃に中央に会し、木やりややんさ踊りも披露される。見る度に、これは一体何なんだぁ〜という感動を受ける。

●海老江海浜公園

 射水市唯一の海水浴場となる。公園は、新湊マリーナの東側にある。芝生広場やトイレ、遊歩道を完備。公園の整備は、県が1993年から進め、2006年に開業。

●海老亭

 富山市桜木町にあった、格式のある料亭。1902年(明治35年)に富山市蛯(えび)町で個人創業し、1955年に法人化。県内の老舗料亭として知られ、74年に桜木町に6階建てのビルを作り、結婚式場を備えるなど業容拡大を図った。ピーク時の96年9月期には5億700万円の売り上げがあったが、2005年12月に倒産して103年の幕をおろした。「伝統の日本料理と、心をこめたおもてなし」というスローガンだった。結婚式はチャペル式に代わり、パーティーを開くのはホテルへと移った。時代の移り変わりに、老舗料亭は完全に取り残された。料亭から客足が遠のくのと反比例するかのように、風俗店が次々と海老亭を取り囲むようになってきた。

●えべっさん

 生業を守護し福利をもたらす神「夷、恵比寿、恵美須」で富山の人には一番親しい七福神。「夷」、つまり異邦人に由来すると考えられ、来訪神、漂着神的性格が濃厚に観念されている。現在一般にえびすの神体と考えられている烏帽子(えぼし)をかぶり鯛と釣り竿を担いだ神像によってもうかがえるように、元来は漁民の間でより広範に信仰されていたものが、しだいに商人や農民の間にも受容されたと考えられる。

●絵本館

 大島町絵本館。『古事記』の白鳥伝説の地、大島町鳥取にある。有料なので、子ども連れで図書館気分だと高い感じがする。個人的なことだが、定年になったら絵本館の館長になるのが夢である。

●エレガ・ガーデン

 砺波市高道にある植物園。“elegant”から採ったらしい。“elegant”は元々は「選ばれた」という意味だ。

●演劇

 演劇は富山で盛んだ。一つはアマチュア演劇でその中心である文芸座はいつもチェーホフの「結婚の申し込み」を演じている。富山国際アマチュア演劇祭(TIATF“ティアトフ”)が開かれることもある。

 もう一つは利賀村で国際フェスティバルが開かれる。こちらは前衛だが、世界中から人が集まった。

 でも、労演(「勤労者演劇鑑賞会」だが「労働者〜」と思っている人も多い)は会員がなかなか増えない。

●冤罪

 富山は冤罪と関係が深い。

 横浜事件の発端は泊だった。

 1980年の富山長野連続女性誘拐事件も男性の方が無罪となった。宮崎知子は死刑確定。佐木隆三に『女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間文庫)がある。

 2007年には強姦の男性が冤罪と分かって裁判員制度について語られる時、必ずこの事件が引き合いに出される。

 つかこうへいの『熱海殺人事件』も冤罪とはいわないがフレームアップの典型だ。熱海で工員、大山次郎が幼馴染の女性、山口アイ子を絞殺するという事件が起きる。大山の運命は警視庁の名物刑事“くわえ煙草伝兵衛”こと二階堂部長刑事に委ねられる。伝兵衛は謹慎を解かれたばかりだが「大山の殺意を一級の文学作品に仕立ててみせる」と見得をきる。彼をサポートするのは10年来の愛人で、明後日には他の男と結婚式を挙げる予定の水野朋子刑事と、富山県警から赴任して来た妾腹の弟である熊田留吉刑事。熊田は田舎者でマジソンバッグ片手に富山から上京してくる。ただでさえ尋常でない伝兵衛の捜査室は怪しげな雰囲気に充ちてくる…。

●えんじゃら節

 砺波市に残る盆踊り民謡。はやし言葉の「えんやら」が訛ったものとされる。この歌詞のルーツは小松市串茶屋町の盆踊り「くしちゃや やっちんおどり」の歌詞と物語が同じで実在の話だということが分かった。えんじゃら節は蓮如上人ゆかりの「チョンガレ」の流れをくみ、砺波で独自に伝承されてきた。「それ酒の名は多けれど」で始まる歌詞は、質屋の番頭・小平と、遊女・品川の悲恋物語が歌われていて、「松任」の地名があり、串茶屋町に遊女の墓が残り、品川という遊女がいたことが分かった。

●塩硝【えんしょう】

 五箇山でこっそりと作っていた火薬の原料。加賀藩は質、量ともに日本一の座にあった。百科事典に「加賀より産するものを最上品とし、筑前(福岡県)はこれにつぐ」。森重流の砲術書にも「加賀のものが第一級品、その硝石の山元は五箇山という深山」とあり、五箇山の塩硝は文字どおり全国一と記されている。塩硝作りは微生物を使ったバイオテクノロジーの奔りであった。

 石川には塩硝街道が残っている。犀川と浅野川に挟まれた小立野台地から福光町へ抜ける道である。五箇山で作られた煙硝は、塩硝の道を通ってここに運ばれ、えんしょう坂と呼ばれる塩硝の道の終点に着く。ここに運ばれた煙硝は、辰巳用水の分水を使った水車により細かく砕かれ、火薬として仕上げられ、火薬庫に保存された。近くの涌波堤公園あたりであったとされる。

●えんぞ

 「溝」だが、地方によって一番変化の多い語の一つで「えんぞ、えんじょ、えみじょ」などがある。真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)には新潟方言として紹介してあるが、秋田、北陸、島根でも使うという。「井溝」(いみぞ)が語源で、イとエの区別のつかない地方だったから「えんぞ」になったというから新湊の「いみじょ」の方が古い形を保っている。

●えんなか

 いろりを「エンナカ」と呼ぶのが一般的だったが、いろり自体がなくなってしまった。四辺は家の主人の奥座、後ろに茶棚や水屋があって主婦が座る棚前、長男や子どもたちの男座、そして下座と家族の位置が決まっていた。家の中心の広間にあり、食事や接客の場であり、縄をなう冬の仕事場にもなった。

●えん場

 「海老場」が訛ったものらしい。庄川と小矢部川に挟まれた「あいがめ」の辺りにあり、白海老の格好の漁場となっているもの。二つの川が栄養源になっていると考えられる。

●延命地蔵

 宮本輝の小説『蛍川』の舞台にもなったいたち川沿いにいくつもの延命地蔵がある。 安政5年(1858年)2月の大地震で常願寺川の水源である大鳶山、小鳶山が崩壊、氾濫したいたち川の周辺地域では、疫病が蔓延した。 この疫病を鎮めるため、地域ごとにお地蔵さんを祀り、祈願したところ、病いが平癒したと言われている。 泉橋のたもとにある石倉町延命地蔵の御手洗水は万病に効く霊水として、また、県の「とやまの名水」にも選定されたこともある。この水を使ったワッフルやまんじゅう、日本酒などの商品を共通の“名水ブランド”として売り込み、街おこしに役立てようという動きもある。富山市石倉町にある名水「延命地蔵の水」を使ったたこ焼き屋が2009年、名水横にオープンした。「延命地蔵の水」を使って溶かした生地の中に、マヨネーズを流し込んだ製法で、名前は「マヨタコ」。外側の生地はカリッと焼き上がり、中はトロっと軟らかい食感が楽しめる。名水は口当たりが軟らかいのが特徴。


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数字

序文

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