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『ドラえもん学コロキアム』の作者である横山泰行富山大学教授にNHKの番組で話を聞くことがあった。
これはその番組のために用意した予稿である(2002年6月5日)。
☆二人の藤子不二雄
ドラえもんの作者、藤子・F・不二雄(1933―96)が富山出身だということは同じ藤子不二雄
(1934― )の『まんが道』などでよく知られるところである。
富山にこれだけ素晴らしい漫画家が生まれる土壌があるとは思えないのだが、藤子・F・不二雄はある意味で師匠の手塚治虫を超えている部分がある。それは恐らく、アジアの子どもたちに熱狂的に愛されていることや、児童マンガに絞って創作を続けてきた姿勢にあるだろう。
米誌『タイム』(アジア版)が2002年の4月22日に「アジアのヒーロー」と題する特集記事を組み、総勢25人の名前を挙げた。日本からは晴れて五人が顔を出したが、野球のイチロー、サッカーの中田英寿、映画監督の北野武、作家の小田実、そして、ドラえもんだった。イチロー選手と中田選手については、「長引く不況でくたびれ果てた日本のサラリーマンが誇りを失い、日本人が精神的支柱を失い危機に陥る中、『戦う日本の男』の姿を、それぞれがクールに個性的に示した」などと評価。北野武については、作家ウイリアム・ギブソンが「西洋では類を見ない、多芸多才なマルチタレント」「たけしは、我々には到底不可能なほどに強く、不可能なほど傷ついている姿を見せつけた」と賞賛した。小田実は「信念を持った活動家」と評価された。ドラえもんについては、「未来は楽しいところで、現在もなんとかなる、落ち込んでも幸せになれるというメッセージを、アジア中に発信した」と支持された。
□ 藤子不二雄を読み始めたのは『海の王子』だったと思う。つまり、ほとんど初期からの愛読者だったのだが、読み始めた時は、藤子の絵がツルンとしていて無駄がなく、線がとてもきれいで、ストーリーも手塚に迫るものだった。
藤子不二雄が二人の漫画家からなっているというのは、まもなく知った。手塚「治虫」の命名の理由を知ったのと同じ頃だったかもしれない。
少し大きくなってからオバケのQ太郎が大ヒットした。周り中、オバQの人形だらけだったような気がする。すでに、児童マンガから離れていたので、あまり興味はもたなかったが、メディアとキャラクター商売というもののすごさを感じた。
ドラえもんに興味を持ったのは、大人になってからだ。このマンガは1970年に生まれているのだが、いったん、連載中止になってはじめて反響があったといういわくつきのマンガである。ちょうど同じ頃、映画になった寅さんもテレビで死んだ後、あまりの反響に映画化が決定したのと似ている。
本当に興味をもったのは子どもが生まれてからである。一つひとつの短編は一つの大きなパターンがあったが、長編に驚いてしまった。映画用に用意された長編はSF作品としても、刮目に値するものであった。
☆藤子・F・不二雄の独創
ドラえもんは未来の世界から子孫であるセワシ君(最初は頻繁に出ていたがそのうち出なくなった)が貧乏なのは御先祖ののび太がしっかりしないからだ、という理由で、その面倒を見るために猫型ロボットをもってきたことから始まる。
のび太はそのままだとジャイアンの妹、ジャイ子と結婚して、悲惨な人生を送ることになるのだ。その人生を変えてほしい、というのがセワシ君の願いである。
のび太はそんなことをすると君がいなくなるのでは、と心配しているが、セワシ君はちゃんとどこかでバランスが取れると気にしていない。
このモチーフはスピルバーグ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てくる。特に第2作は過去を変えることによって変わった未来がたくさん出てくる。公開されたのは1985年だから、ドラえもんの方が15年も早いことになる。主人公が射撃の名人だったり、のび太が西部に行って伝説のガンマンになるという話がドラミちゃんも出てくる話であった。
長編、つまり、ドラえもん映画の最初の作品は1980年の『のび太の恐竜』である。これは恐竜の卵をのび太が発見し、最後には両親の元に返してやる、というものである。
このモチーフは1982年のスピルバーグ『E・T』に出てくるのだから、2年も早いことになる。
□ すぐにパクリという気がしてくるし、実際、スピルバーグはこれらの作品を見ていたという人もいる(『ド・ラ・カルト』などには見たと記述してある)。僕も本当は見ていただろうと思うのだが、『ジャングル大帝』と『ライオン・キング』との関係を考察した有馬哲夫『ディズニーとは何か』(NTT出版)によれば、グローバル化の中で、作品の類似をもって盗作うんぬんをいうのは無理があるという。
特に子ども相手のストーリーはどれも似たり寄ったりということがおき、どの段階で、誰が、どのようにパクったなどという話は証明できないのだという。実際、『のび太の恐竜』はアメリカ映画『野生のエルザ』にヒントを得て作られたともいう。
『ハリー・ポッター』シリーズだって同じで、これをトールキンの『指輪物語』だといってしまえばお終いだ。ただし、『指輪物語』はワーグナーのオペラ『ニーベルングの指環』に影響を受けている。
権力を助ける指環は、指環への依存と暴政を生む。指環を所有したいと思う者は、愛を断念しなければならない。《指環》全体の主流をなすものはこの二者択一である。ある者の指にはめられると、指環は最後にはその者を破滅に道ブく。別な者の湯bにはめられると、それは愛の証となる。いずれの場合にも、指環は無実の者にも罪ある者にも呪いをかけるのである。
ジャン=クロード・ベルトン『ワーグナーと《指環》四部作』(文庫クセジュ=白水社)オリジナリティを考えるなら、新しい作品の中に、どれだけのオリジナリティをもたせるかにかかっている。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はその意味で、大人にも楽しい作品になっているから、それだけで十分オリジナリティがあるといえる。ドラえもんは危機のたびに新たな秘密道具が出てきて、助かる。もちろん、のび太やジャイアンたちの勇気や友情が最後の砦となって、事件を解決することになる。
一方、『E・T』ではE・Tのもつ超能力が、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではドクの発明に支えられる構図になっている。
アメリカ人にはドラえもんが受け入れられないのではないかという議論があるが、『E・T』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように少し改編するだけで受け入れる余地があると考えている。
もちろん、アメリカで圧倒的な人気を得ているということはない。もともと、アメリカでは漫画といえば、バットマンやスパイダーマンなどアクション物が中心で、手塚の創始したストーリー漫画を受け入れる余地はなかったのである。
ただし、高橋留美子やポケモンが支持されていて、日本の漫画というものに理解が深まったら、ドラえもんの受容される余地は充分にあると考えられる。
☆1970年(作者36歳)
ドラえもんが誕生したのは1970年の正月号で、実際には69年にドラえもんが誕生していた。その1970年とはどんな年だったか。
§ニュース
万博開催、よど号ハイジャック事件、三島由紀夫割腹自殺、いざなぎ景気終わる、カドミウム・農業汚染など公害が全国に広がる、歩行者天国開始、自動販売機、100万台突破光化学スモッグ§テレビ
時間ですよ、ありがとう(水前寺)、だいこんの花、おさな妻、奥様は18歳(岡崎有紀)、(大河)樅ノ木は残った、大岡越前、遠山の金さん捕物帖、細うで繁盛記、あしたのジョー、みなしごハッチ、どっきりカメラ、ステージ101、ラブ・ラブ・ショー、日本史探訪§音楽
ビートルズ解散、
♪知床旅情♪走れコウタロー♪圭子の夢は夜ひらく♪女のブルース♪笑って許して♪誰もいない海♪戦争を知らない子供たち§映画
家族、戦争と人間、どですかでん、沖縄、裸の一九才、緋牡丹博徒・お竜参上、
イージー・ライダー、Z、明日に向って撃て!、M★A★S★H、テオレマ、王女メディア、冬のライオン、地獄に堕ちた勇者ども、ひとりぼっちの青春、いちご白書、ひまわり、野性の少年、雨の訪問者、大河のうた、暗くなるまでこの恋を、アリスのレストラン、ウッドストック§漫画
水野『ファイヤー』、赤瀬川原平『野次馬画報』(→『櫻画報』)、みつはし『小さな恋のものがたり』、ジョージ・秋山『アシュラ』、『子連れ狼』§文学
塩月『冠婚葬祭入門』、曽野『誰のために愛するか』、石原『スパルタ教育』、結城『軍旗はためく下に』§スポーツ
北の富士横綱昇進、三浦雄一郎エベレスト滑降、植村直己5大陸の最高峰征服、§流行語
モーレツからビューティフルへ、ディスカバー・ジャパン、ハイジャック、ウーマンリブ、§コピー
男は黙ってサッポロビール、ウーン マンダム、男の世界、隣のクルマが小さく見えます(日産サニー)、ハヤシもあるでヨー(オリエンタルカレー)§世相
GS時代が終わり、フォークが台頭、an−an創刊(NONNOは翌71年)これらから分かるように高度成長期から低成長期、バブル、バブル崩壊という日本でも激動の時代だった。いつか、ドラえもんに見るバブル崩壊という論文が出るかも知れない。
なお、オバQが人気を得たのは連載を終了してからだったが、ドラえもんが人気を得たのは連載が始まってから4年目、1974年にてんとう虫コミックス『ドラえもん第1巻』が出てからで、それまでは人気を感じることはなかったという。1年後には早くも100万部を突破した。77年にドラえもんが200ページも載った『コロコロコミック』が創刊された。
☆ドラえもん学
言語学的に考えると「ドラえもん」というのは江戸語かもしれない。林えり子『東京っ子ことば抄』(講談社)には次のような言葉があった。
「どら」は、だらけるの「だら」と、双児のようで、怠惰を意味する。転じて法統とか極道のことを言い【筆者注=「どら平太」という作品がある】、だから「どら息子」になるのだ。
私なんか庭に迷い込んでくる猫は「どら猫」と言う。【…】
「どら」が東京語かどうかはわからないが、茶釜散人による『蕩子筌枉解(とうしせんおうかい)』(明和七年)の『蕩子』には「どらのこ」「どらたち」「どらむすこ」のふり仮名があるので、江戸語の名残だろう。
そうなのだ!富山方言を使ってくれていたら、「ダラえもん」だったはずだ。富山の人には残念だが、とにかく、ドラえもんは江戸文化の正統な継承者といえるのだ。
□ ドラえもんを研究しようという試みは恐らく1981年の南博編『現代社会の心理1 ドラえもん研究---子どもにとってマンガとは何か』(ブレーン出版)であろう。この本は社会心理学者の南博が藤竹暁や山田宗睦、石川弘義などの論考をまとめたものである。ただ、南の専門がマスコミ研究であったために、ドラえもんを漫画そのものとして研究するという本ではなかった。恐らく時代が変われば、宮崎駿のアニメをめぐる研究書が多く出ているような状況になったことは間違いない。
その後、日本ドラえもん党『野比家の真実』(ワニブックス1993)、水出弘一『「ドラえもん」と野比家の「謎」』(本の森出版センター1997)など、「サザエさんの真実」系の本が多く出ているし、子ども用の秘密道具図鑑や藤子・F・不二雄を特集した本がたくさん出版された。小学館ドラえもんルーム編『ド・ラ・カルト』(小学館文庫1998)は藤子・F・不二雄が亡くなってからの特集なので、全体にまとまっている。
また、その間にドラえもんをめぐる都市伝説が生まれてきて、ドラえもんは世紀末の現実に流されそうになっていた。そして、96年には突如、絶筆となってしまった。
こうした状況に業を煮やしてか、富山大学の横山泰行先生(名刺には「ドラえもんアナリスト」と書かれていた)は自ら研究を始められた。
ある雑誌に先生のホームページを紹介したことがあるが次のようである。
ドラえもん誕生まであと110年と月日も迫ってきた。
富山大学教育学部横山泰行教授が1999 年 9 月 3 日(ドラえもんの誕生日)に,ドラえもん学を宣言された。横山先生はフルブライトでアメリカに留学され、専門は生涯スポーツ、行動科学だ。
ドラえもんが世界に誇る日本文化、日本に誇る富山文化だということは周知だが、先生はファンに終わらず、学問としてのドラえもん学を究めようとされている。既にその成果も多く、先生のサイトには数多くのファンが詰めかけ、BBCのインタビューも受けられたそうだ。『文藝春秋』の巻頭言を書かれたというのも富山大学では珍しいそうだ。
シャーロック・ホームズの小説からシャーロッキアンが生まれたが、あくまで殺人事件などという負の文化の研究である。これに引き替え、ドラえもんは夢と希望を与える正の文化である。この研究はフィクションの世界に飛翔しながら,人生を豊かにする創造的営みを模索したり、自己増殖型の読書の世界を体験したりするものだと先生は書いておられる。
計量書誌学という、源氏物語やシェイクスピア研究に使われる手法でドラえもんに迫っているところがフツーのオタクとは一線を画している。ドラえもんの正典(てんとう虫コミックス短編45巻,大長編17巻)のセリフを一つひとつエクセルに書いていくという地道な作業から、新たな発見がなされ、成果を大学とホームページで発表されている。また、ドラえもん関係の蔵書を高岡市中央図書館に寄贈され、県民のために尽くしている。
富山に藤子不二雄があり、横山泰行先生がある。
僕としてはT.A.シービオク,J.ユミカー=シービオクの『シャーロック・ホームズの記号論』(岩波書店)のような『ドラえもんの記号論』というのを書きたいところだが、時間がない。シービオクはハンガリー系アメリカ人の記号論学者で、この本は名探偵ホームズの犯人探索術がプラグマティズムの哲学者パースの思考方法と同一のものであったとして、記号論を考察したものだった。
ドラエモニアンになるのは老後にとって置こう。
☆ドラえもんと富山
二人のルーツが氷見と高岡にあることはもちろん作品にも影響を与えているはずだ。
南博編『ドラえもん研究』の座談会では藤本弘、安孫子素雄の両氏が語っている。よく知られるように二人の共作は『オバケのQ太郎』までだった。ドラえもんには教訓的な要素もかなりありますね、という質問に答えて藤本がいう。
藤本 いえ、意図しては描いておりません。でも、我々昭和一桁は、はめを外した非常識なものは、本質的に描けないんですね。ですから、宿題をすらすらやってしまう鉛筆が出てきたとしても、それを使って百点採ってがんばれ、なんてことは描けないんです。どうしても、そこでちょっと筆をとめて、鉛筆はあったけれど使わなかった……ということにしてしまう。
折橋(徹彦) 親も安心して読ませることができる点は、そこなんでしょうね。
藤本 意識としては、むしろ教訓的になるまい、なるまいとしているんですよ。
北陸という風土については次のように語っている。
南(博) やはり、持つべきものは友ですね。最近は自殺する子が多いけれども、その原因として“友達が欲しかった”というのが、ずい分多いんです。他にも、学校での勉強ができないからというのもありますけれど、結局それは表面的なことで、友達さえいれば、慰め合ったりしているうちに、そんな悩みも違った形で解決できますからね。それに、そういった、お互いに気の弱い人同士というのは、友情も続きやすい。
安孫子 逆に遠慮みたいなものがあるかもしれませんね。僕等の場合も、物事を根本までつきつめて話しあったことはないですね。意見が違うことがあっても、必ずどちらかが妥協してしまう。それでいて、無理しているわけでもない。これが長続きの秘訣かな。それに二人ともどちらかというと消極的で内向的だ。これは僕に限らず、北陸出身の特徴ともいえるかな。
南 やはり、風土というのは関係しますね。
藤本 ええ、土地自体、あまりパッとしないところですしね。
安孫子 特に冬ともなると閉ざされてしまいますしね。
笑えるのは書いていない方の安孫子素雄の方が多く語っていることである(当時はどちらが担当していたか明らかではなかった)。
安孫子 それに僕等は二人で富山から出てきていますから、本当に言葉が直らないんですよね。そういった北陸特有の屈折したものが、漫画を描くうえでもいい作用をしているのではないかと思うんです。【空手を習って、サウナに行って中華料理食べて】…なんて生活を続けていましたら、いざ机に向かって仕事をしようと思っても、何か頭がスカーッとしてしまって、考えが外に向かっていってしまうんですよね。漫画どころではなくなってしまうわけ。ですから、“健全なる肉体に健全なる精神が宿る”というのは至言だと思いましたね。でも、はやり僕等の仕事は、多少不健康な肉体と精神でも持ち合わせていた方がうまくいくみたい。その後、ちょうど長期の海外旅行があったので、三ヶ月をめどに逃れることができましたけれど。
富山県民からいわせると二人のうち、藤本は真面目な富山県民そのものであり、安孫子はどちらかといえば、富山県の考え方を超えている部分がある。妻が病気になった時に書いた本もそうだし、『
の人生』(講談社)でも、よく表れている。
藤本はストーリーボードをきちんと書かないと漫画が描けない人だったが、安孫子は一気呵成に最初から描いていくタイプである。
僕がドラえもんの中で発見したのは「しんきろうそく」という燃やすと蜃気楼が出てくるという秘密道具だけだったが、横山先生に教えてもらったのだが、ドラえもんの中に出てくる富山というのは次のようなものがあるという。
- 空き地の原風景(藤子・F・不二雄の実家の周り):短編十五巻 102 頁=実家の周りに材木が置いてあるのだが、これが土管になって、のび太たちの遊び場になっているという。
- 五箇山を連想させる風景:大長編九巻 15 頁=合掌造りが出てくる。
- ドラミちゃんのチューリップ号:短編二十四巻 175 頁
- 富山県庁を連想させる建物:短編三十一巻 55 頁=中国恐竜展が開かれるというので出てくる。
- 高岡古城公園を連想シーン:学校の裏山
- カマボコ:短編第九巻のカバー=秘密道具の「わすれろ草」の花に活用。
さて、ドラえもんがアジア諸国で大変な人気だということはいうまでもない。ベトナムではあまりにも多くの海賊本が流通していて、著作権をもつ藤子・F・不二雄が困ってしまって、著作権を放棄しない代わりに、そのお金をベトナムの教育予算に充当することになった、というのはよく知られている。
もちろん、こうした文化はたまたまメディアの戦略によって大きく変わるので、どこで文化受容されなかったとかされたとかは外的な要素で決まることも多いのだが、アジアで人気が出る理由を簡単に考えてみる。
まず、母親の視線がある。ドラえもんはミッキーやアトム、ドラミちゃんなどに較べて目の位置が高い。これはよく指摘されるように母親の視線である。ちなみにドラえもんの声は大山のぶ代が演じていて、そのせいか、ドラえもんを女性だと思っている外国人が多い。ドラえもんが締切ぎりぎりに考え出されて、そのヒントが猫と子どもの起きあがりこぼし人形・ポロンちゃんだったことはよく知られているが、ポロンちゃんというのはまさに子守用のオモチャである。
ドラえもんはのび太に何でも与える。惜しみなく与える。その姿は限りなく日本の、アジアの母親に近い。シルバースタインの『大きな木』という童話があるが、ここに出てくるリンゴの木も惜しげなく与える。ただ、この話に関して佐藤淑子は『イギリスのいい子 日本のいい子』(中公新書)の中で、日本の子どもが、リンゴの木に子どもが何もお返ししない所に疑問を感じるが、英米の子どもはそうは思わないという調査結果が載せている。ドラえもんはもちろん、惜しげなく与えているのだが、あくまで先祖と子孫との仲介を行っているというところが『大きな木』とは違うのである。
先祖という考えも、非常にアジア的というか、日本的というか、富山的である。富山では「ののさん、はい」(観音様、お参りしていますよ)といって仏壇にお参りするのが当たり前になっている。因果応報というか、のび太が楽をしては失敗するというのも仏教的な考えである。
次に、儒教的なというか、仕事に対する真面目さを強調するところが、日本的である。のび太のように両親をあれだけ怖がる子どもは今ではそう多くないだろう。
欧米で受けない、というのは自分は自分で守らなければならない、という自衛の思想に反するからとも考えられる。ちょうど、あれだけ凶暴な事件が起きていても、いっこうにアメリカから銃器がなくならないのと軌を一にする。
夏目房之介の『本デアル』(毎日新聞社)には次のような分析が載っていた。
欧米の大人が『ドラえもん』に目をつけないのはなぜだろう。高橋留美子作品などがウケていることを考えれば、生活習慣の違いとかが問題になるとも思えない。むしろ、のび太の自立心のなさ、依存心を大らかに許しては失敗するドラえもんの寛容さが、子供をスポイルすると判断されている可能性の方が高い気がする。ちょっとアナシゲな文化論の匂いがする仮説だけどね。
横山先生はそうした文化的な背景とは別に、藤子・F・不二雄が生まれ育った高岡の町がドラえもんの背景として描き込まれているという。
僕が秘密道具で見つけたのは「しんきろうそく」という燃やすと蜃気楼が見えるという道具でしかなかったのだが、先生はいろいろなコマに故郷を見つけられている。
それはちょうど手塚治虫が宝塚から生まれ、『リボンの騎士』などの名作を生み、どの漫画にも音楽があるのと同様の研究である。
これからに期待したい。
☆『のび太・ジャイアン症候群』
司馬理英子に『のび太・ジャイアン症候群---いじめっ子、いじめられっ子は同じ心の病が原因だった』(主婦の友社)という本がある。現在、3冊まで出ているから、それなりに売れているのだと思う。副題からも分かるように、のび太もジャイアンも注意欠陥・多動性障害(ADHD)だとするものである。
実はこの本は読んでいてあまり気分がよくない。恐らく、ファンタジーを断罪する資格なんて誰ももたないのに、司馬は断罪しているように思えるからだろう。「酒鬼薔薇聖斗」はバーチャルな世界に入っていたのであんな事件を起こした、というような口調は(もちろん、そんな風に書いている訳ではないが)、それを言っちゃあお終いだよ、という気にさせてしまう。
司馬によれば、衝動的で、学校では集中力がなく、落ち着きのない、感情の起伏のはげしい、古典的なのび太のタイプを「のび太型」とし、異常な活動性(多動)を持つタイプ、注意欠陥・多動性障害のジャイアンのタイプを「ジャイアン型」と名付けている。
二人は正反対だが、共通点が多く、忘れ物が多い、宿題をしない、授業中にまじめでない、先生の指示に従うのが苦手、ちょっとした刺激で気が散りやすい、飽きっぽいという注意力の散漫さ、そして、思いつくといてもたってもいられない、何がなんでもやりたいという衝動性だという。
これは誰しも多少なりとも思い当たる節があるものだが、のび太やジャイアンの場合は、他の子どもよりもずっと強く、頻繁に見られる点が特徴的である、という。
この本を読むと色々な解釈ができる作品というのは素晴らしいと思うと同時に少し疲れてくるのである。
☆スヌーピーとの比較
ドラえもんがアメリカで必ずしも人気が出ていないことはチャールズ・シュルツの『ピーナッツ』(取るに足りないもの、つまらないもの、という意味)が人気だったことと較べると面白いかもしれない。
スヌーピーが出てくる、この漫画には大人が出てこない。担任の先生などが出てくる場合があるが、何も喋らないし、アニメでは訳の分からない言葉を連ねるだけである。
ドラえもんの方は、大人とのさまざまな交流がある。お母さんの玉子はいつものび太の成績を気にしていて、うるさいくらいだ。
スヌーピーとドラえもんを較べれば分かるように、前者は哲学者的であり、孤高の人(犬)である。自分のことばかり考えて、人間世界を斜めから眺めている。ドラえもんは母親の視線であるが、いつも暖かくのび太を見守っている。自分が先に出ることはドラ焼きを食べる時とかを除けば皆無といっていい。
スヌーピーは特別な道具を出さない。たまにレッド・バロンになって飛行機になった犬小屋で飛ぶことはあっても、実際に空には飛んでいかない。
ピーナッツには悩みの相談が多いが、ドラえもんの場合、内面まで語られることは少ない。物事を解決するのは秘密道具であって、もちろん、秘密道具をどう使うかはのび太たちの勇気にかかっている。ごく一般的に考えるとピーナッツの方が日本的で、ドラえもんの方がアメリカ的なところが面白い。横山先生によれば、秘密道具の数は1963個だという。
いずれにしろ、同じ子どもの世界を描くにしてもスヌーピーとドラえもんでは大きな違いがある。
☆終わりに
ドラえもん学というものができて、これから研究者が生まれてくるということは本当にうれしい。
横山先生は完結した作品、小学館刊の短編てんとう虫コ ミックス「ドラえもん」第 1 巻から第 45 巻と大長編ドラえもん第 1 巻から第 17 巻を正典(「聖典」ではないので、ワープロで出しにくいが“CANON”ということだ)を基に計量書誌学という見方で研究を始められた。
書誌学というと林望だ。リンボウ先生の『書藪巡歴』(新潮文庫)には慶應の付属研究所「斯道(しどう)文庫」の阿部隆一教授と出会った頃の思い出が出てくる。
私が、書誌学を一生の仕事にしようと決意したとき、阿部先生は、堆(うずたか)く積み上げた机辺に私を呼ばれ、溜息をつくような声調でこう言われた。
「いいかね、誰も理解してはくれないよ。どんなに時間と労力をかけた業績でも、世間では学問的業績とは認めてくれない……が、それでも良いか」
こういって額のあたりに手をかざされた先生の心中には、それまでに重ねてきた努力の日々と、なお果てしのない書誌学の地平とが、ふたつながら去来していたかと思われる。
ドラえもんの誕生日、2112年9月3日までには欧米のシャーロック・ホームズ研究、いや、シェイクスピア研究に相当する物が生まれていることを祈る。
【初掲:2002年6月5日】
※もちろん、のび太は源静香ちゃんと結婚するのであるが、これを描いた『のび太の結婚前夜』というのは名作中の名作である。
高岡で開かれた藤子・F・不二雄展で原画を見たが、瑞龍寺よりも先に国宝にすべきだと思った。
先生の『「のび太」という生きかた』(アスコム)が2004年に出版された。
□ドラえもんリンク集(あまりの濃さに驚く)
ドラえもん学コロキアム ドラえもんFanClub 藤子不二雄 at RANDOM 藤子不二雄GALLERY 藤子不二雄ML
ドラえもん研究所 ドラちゃんのおへや Doramemon's Homepage ドラえもん Super Data Base ドラえもん同好会
ドラえもん参考文献
藤子不二雄『トキワ荘青春時代』(光文社)
藤子不二雄『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(毎日新聞社)
梶井純『トキワ荘の時代』(筑摩書房)
寺田ヒロオ編著『漫画少年史』(湘南出版社)
『手塚治漫画40年』(秋田書店)
手塚プロダクション、伴俊男『手塚治虫物語1928-1959』(朝日文庫)
『藤子・F・不二雄の世界』(小学館)
小学館版『学習まんが人物館 藤子・F・不二雄』(小学館)
浜田祐介『藤子・F・不二雄論』(文芸社)
米沢嘉博『藤子不二雄論−FとAの方程式−』(河出書房新社)