金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)

富山美人の謎

「日本海飛び飛び伝説」なんかぶっ飛ばせ!

「君は会うたびに美しくなる」「会ったのはついさっきよ」「その間に美しくなった」
   映画『ジョルスン物語』

Woman are as roses, whose fare flower
Being once display'd doth fall that very hour.
(女はバラのようなもの、
ひとたび美しく花咲けば、それはもう散る時)
   シェイクスピア『十二夜』第2場第4幕38-39

美の遊び歌  川崎洋

<美しい>の中に
恣意(しい)
気ままな基準(きじゅん)によるということで

【…】

<美少女>の中に
障子(しょうじ)
純(じゅん)日本風な子は近頃(ちかごろ)少なくて

たとえば、いまあなたの前に突然神様が現れて、
「どんな願い事でも、三つだけかなえてあげよう」
とおっしゃったら、どうお答えなさいますか。わたしだったら、まず、
「もっと美人にしてください」
と頼むでしょう。でも次の瞬間心配になってしまいます。わたしのイメージする「美人」と神様のそれとはぜんぜん違うかもしれない。浮世絵の美人画みたいになったらどうしよう。モナリザ風にもミロのビーナス風にもなりたくない。一番恐ろしいのは、神様がピカソかダリみたいな美意識と想像力の持ち主でないという保証はどこにもないということです。

   米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』(文藝春秋)

世の中には醜女(ブス)はいない。ウォトカが足りないだけだ。
   米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』(講談社文庫)

handsome a. (男性が)ハンサムな; (女性が)りりしい顔の;
 気前のいい; かなりの; [[米]] 器用な. 
cf. Handsome is that handsome does.(見目より心)【EXCEED英和】

美人  美しい容貌の女性。美女。麗人。
〔古くは、男子もさした。「玉のやうなる―、…もらひまして聟にいたします/浮世草子・胸算用 2」〕 【大辞林】

ぶす [付子ブスを食ったような顔、の意]美しいとは義理にも言いかねる容貌(ようぼう)(の女性)【新明解国語辞典第5版】

 あるテレビ局から「富山美人というのはどうしていないのでしょう?」という質問が来た。テレビ局の人はみんなで考えたのだが、ゴルディアスの結び目のように解けなくなってしまったのだという。僕の専門は言語人類学であるが、毎日、そんな問題を考えているはずもない。多くの場合、すぐに答えを出してくれという、急な電話だ。

 美人がいないって!?とんでもない!富山美人はいる。いっぱいいる。

 友人が富山に来ると異口同音にいう言葉は「富山には美人が多いですね、あんまり期待してなかったのに…」という。

 だからテレビ局の問いに絶句してしまった。富山に美人がいないなんて疑ってもみなかったからだ。

 僕のところに質問が来たのは「落語コシ・ファン・トゥッテ」で「日本海美人飛び飛び伝説」という俗説を紹介しているからである。日本海側は「秋田美人」「越後美人」「加賀美人」「京美人」、ちょっと飛んで「出雲美人」「博多美人」というように一県ずつ飛び飛びに美人の県があるという説で、県外でも自覚している県民がいるかどうかは知らないが、富山では酔っぱらいの席などでロクでもないおぢさんたちによって語られる「言説」(哲学用語でディスクールという)なのであって、僕は全く信用していない。

 ただ、丸谷才一が『食通知ったかぶり』(文春文庫)の中で文芸評論家の山本健吉の持論を紹介していた。「裏日本の県はおおむねきちんきちんと一つおきに美人県だというのである。北からゆくと、まづ秋田県。次が新潟県…次が石川県で次が京都府。そして、ここだけは一つ飛ばさないで、すぐに兵庫県。これからはまた一つおきに戻って島根県。 次が福岡県で、おしまひは長崎県。」と紹介している。つまり、青森、山形、富山、福井、鳥取、山口、佐賀の各県には美人が居ないということだ。鶴岡市出身の丸谷はこの山本健吉説をきっぱりとは否定せず、なぜか弱気で「山形県の生まれであるわたしとしては、どうもおもしろくないけれど、ここではおとなしく山本さんの説を紹介しておく」としている(ちなみに、山本健吉の出身は長崎で彼の母は金沢、妻は神戸)。

 それから司馬遼太郎が日本の代表的な美人の産地は秋田と出雲だとどこかで書いていた。少しはそんな事実があるかもしれない。何しろ秋田と「南部藩」は近かった。

 確かに県内の「ミス〜」が一堂に会するお正月番組があるが、これは「ミス富山」なんかじゃなくて、「ミス審査」ではないのかと思えることがある、という人がいる。僕はテレビ局の映し方が悪いので、絶対に美人ばかりだと信じている。

 『男はつらいよ』で寅さんが来なかった県は富山県と高知県だけで後者は撮影予定だった。富山県にはマドンナもマドンナに合う風景もないとは僕には信じられない。

 僕自身、何度もお見合写真を見せられたことがあったが、なるほど、美人といえる人は少なかった。それは僕があまりブランドとしてよくなかったからで、それ相応だったと今でも信じている。松坂慶子似の女性とお見合をしたという同僚もいたから、絶対に僕に合わせて美人はもって来なかったのだと思っている。

 さきほどから「富山美人」と簡単に言っているが、定義しなければならない。次の3種類あると考えられる。

1)富山が生んだ美人…県外で「あの子、美人だねぇ」という問いに「富山美人だよ」と答える場合。

2)富山に住んでいる美人…別に県外出身者でもいいのだが、今ここにいる美人のことをいう。

3)富山が似合う美人…富山という風土と深い関係がある美人。チューリップが似合う美人かもしれないし、富山の水が似合う美人かもしれないし、コシヒカリが似合う美人かもしれない。昔、「ミスおらっちゃまつり」というのがあったが、可哀想だった。この場合、田舎の風景に合う美人というイメージになってしまう。

 狭義には1だけだろうし、本当は分けて議論しなければならないところだが、個体数が少なさそうなので、ここでは引っくるめて一緒に議論する。

 さて、ここから美人論を展開するが、僕は上野千鶴子さんを尊敬するフェミニストであって、差別主義者ではない。「美人」とか「ブス」とかいう言葉を使うが、あくまで読者に分かりやすいように、現代日本の言説に則って(のっとって)書いただけで、他意はない。ちょうど、上野さんが著作の中で「おまんこ」を連発されるのと同じである。

 また、失礼な表現があっても、これは問題提起をしたテレビ局が悪いのであって、僕のせいではない。

 美人論というものに反発を覚える人がいたら、日文研の井上章一の『美人論』その他をチェックしてからにしてほしい。僕にもインターネットにも罪はない。

 大体、僕は「ブス」とかいう人は嫌いだ。イギリスの首相チャーチルも嫌いだ。巨漢だった労働党議員ベシー・ブラドック女史が1959年のある日、チャーチルがいつものように酒を飲んでいるのを叱った時に、チャーチルは「ブラドック夫人、あなたは醜い。そればかりか嫌悪すべき醜さです。さらに言えば、このウィンストン・チャーチルは、明日になれば素面(しらふ)になりますぞ」と応酬したのが思い出される。

 ちなみに哲学者の鶴見俊輔は「私は顔の美醜で女性を判断してはいけないという強い信念を持っている。だが、その信念に従って生きたことは一度もない」などと語っている。

 美人を擁護するのをはばからないでおこうと思う。美人は努力して美人になるのであって、天性のものではない。天性があっても磨かなければ輝かない。天性がなくても、自分の顔をもった女性は美人だ。自分の顔、すなわち自分自身である。

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画『マレーナ』を見て、 世にも稀ーな美人が評価されない時代は不幸だと思った。ドイツでは『マリア・ブラウンの結婚』という似たような映画があって、同じく戦争に翻弄される女性を描いているが、「美しさが唯一の罪」という社会にしてはいけない。美人を差別したり、嫉妬したり、ましてリンチしてはいけない。

 美人は社会的な関心に曝され、それだけで重荷になっていることも多い。小野小町には老残の伝説があり、芭蕉は「浮世の果(はて)は皆小町なり」とひねった。普通の人だったら、こんな俳句を作られまい。実力で成功してもブスから「色目を使ったから」と差別されるのがオチだ。美人は自らの力で美人になったことなどブスには分からない。これを象徴していたのが、日本では『中等教科・明治女大学』という女学生向け修身教科書だった。これには「美人は傲慢で、虚栄心が強く、人生で失敗している」と書かれていた。

 マレーナはこの映画の舞台で、何度も占領・略奪された「受難の島」シチリア島のメタファーになっているが、最後には強く生きていく。

 茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」を思い出した。

 
私が一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残して皆発っていった
 

 日本でも美人は迫害を受けてきた。1908(明治41)年、時事新報社が全国から「良家の淑女」を対象に写真を募集し、その審査結果を公表し、これが日本初のミスコンテストとなった。1等に選出されたのは小倉市長・末弘直方の四女・ヒロ子で、学習院女子部3年に在学中だった。コンテスト参加は学習院で大問題となり、彼女は退学処分になってしまった(ただし、乃木希典校長は悪いと思ったらしく、お見合いをセットして嫁がせた)。

 美人はそっとしておいてあげよう。

末弘

※末弘ヒロ子の写真は張競『美女とは何か 日中美人の文化史』(晶文社)に出ているが、二重瞼がくっきりした美人である。

 森まゆみの『大正美人伝 林きむ子の生涯』(文春文庫)も面白い。「キムコ」だったら冷たいだろうにと思うが、こちらは森茉莉も美人と絶賛していた「林きん」の堂々たる物語である。

 以下の論考はテレビ局の「富山美人」はいないのではないかという疑問に対しての作業仮説を述べたもので、決して筆者の責任ではないことを明記しておきたい。

 「富山美人がどうしていないのか?」という質問には二つの意味がある。つまり、実体としての「富山美人」がいないのか、言葉としての「富山美人」がいないのか、という二つである。実際に「富山美人」がどれだけ使われているか調べてみた。検索エンジンgoogleで「富山美人」を検索すると18件、「越中美人」は4件、「秋田美人」を検索すると2180件と大きな差があった。ただ、そんなに悲観することもなく、「加賀美人」は122件でほとんどがお酒のブランド名で入っている。石川美人は23件で、金沢美人は48件である。

 ここではどちらも一緒に論じてしまう。哲学では「構築主義」というが、概念があるから実体があると考えることができるからである。例えばボーヴォワールは『第二の性』で一番有名なフレーズは「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」と言った。「女に生まれる」と考えるのが「本質主義」という立場で、「女になる」と考えるのが構築主義の立場である。したがって、女性は「女らしく」なければならない、どんな女性が「美人」かという価値観は、文化がそれを変えることを望むなら変わるのである。

 また、「美人」というものの規準は時代や文化で大きく異なるものである。そんな泡のようなものを捉えるのは難しい。定義ができないものを取り上げて、原因を探る議論をするのは間違っている。

 昔、日本テレビの『われら地球家族』で日本の美女、山本富士子、由美かおる、清川虹子、浅丘ルリ子、丸山(美輪)明宏の5人の写真をニューギニア、アフリカ、パリ、グリーンランドのエスキモー、ブラジルの大都市で見せて首実検をしたことがある。アフリカを除いて、どこでも浅丘が圧倒的だった、エスキモーの村を除いては山本は人気がなかった。ただ、この村では清川虹子が人気があり、アフリカでは浅丘が最低だった。

 美人を定義したり、考察するのは本当に馬鹿馬鹿しいことだ。

 僕は富山美人はいっぱいいて、「富山美人」という概念が存在していないなんて思ったこともない。

 だから、「日本海飛び飛び説」を信じるような人がいるなんて信じられない!

<無自覚説>

 「青い鳥説」とも呼ばれる。つまり、富山の女性はこんなにも美人なのに自分で気づいていない。美人であることに無知な女性に囲まれている富山の男性は幸福である。

 放送を担当したKNBの小林淳子アナウンサー(桃太郎のような岡山美人?)によれば、顔立ちは加賀美人や新潟美人と言われる地域と大差ない縄文顔(東北や北陸に多く、反対は弥生顔)で、高校3年生の女子の平均身長は全国第2位と長身で、スタイルも悪くないという。

 もしかしたら、自覚しているかもしれない。ハンサム・ウーマン(器用な女性)が多くて、美人とかにこだわっていられないと考えているのである。富山出身の上野千鶴子さんのようにフェミニストが多くて、美醜などで判断するのは間違っていると考えている女性ばかりなのである。つまり、美人であることをただ知らないだけではなくて、知っていても知らない振りをしている可能性がある。

 それだけ富山の女性は素晴らしいのである。

 また、意識しないから努力しない面も感じられる。もっと美に対して意識を持つべきだと思う。

 ただ、女性も男性も無自覚なので、他県に富山の女性は美人だという話が伝わることはない。

 自分がどう思われているか、自分の幸せなどなかなか分からないことだ。

 『青い鳥』のチルチルとミチルは自分の家に青い鳥を見つけるのだが、窓から飛んでいってしまう。富山の女性の素晴らしさに早く気づき、手に入れなければ…!

「世の中は美しい。それを見る目を持っていればね」。
     -----映画『聖メリイの鐘』


<事件影響説>

 富山女性の事件といえば、「米騒動」である。「秋田美人」というブランドができたり、東北の女性が売られていって「美人」の名を恣(ほしいまま)にしていた時代に、富山では「漁師のおっかちゃんたちが立ち上がった」と報道された。

 もう一つ、衝撃的だったのは富山・長野連続誘拐殺人事件の宮崎知子である。罪を同僚の男性になすりつけていて、冤罪が決定するまで男性は疑われていた。

 もう覚えている人はいないだろうが、ロッキード事件の時に「ハチの一刺し」といって真実を述べた榎本という秘書もいた。

 こうした事件の影響が富山と美人というものを切り離しているのかもしれない。


<ブランド説>

 「越中美人」「富山美人」というネーミングから考えてみよう。次のタレント説で分かるように「越中美人」「富山美人」というブランドが確立していない。「秋田美人」「加賀美人」「京美人」「出雲美人」という、まるでお米のブランドみたいなものが富山にはない。「秋田こまち」とか「加賀米」のようにはいかないのだ。

 明治時代に東北を旅したイザベラ・バードは秋田の旅館の娘を「背が高く、きれいで、やさしい」と書いているが、秋田大学の新野直吉の『秋田美人の謎』(白水社→中公文庫)によれば「秋田美人」という言葉は明治後期から昭和にかけて鉱業が盛んな頃に、秋田を訪れた文人達が美人芸者衆を指して言ったのが始まりとされている。新野は「秋田の女性は色が白く、桜色という白い色素を秘めた、透き通るような肌の色合いをしてる」と説明している。

 1966年に行った皮膚の白色度の調査では、日本人の平均が22.0%に対し、秋田県南地方では30.5%であったという。更に、 化粧品会社が実施した、L値と呼ばれる肌の白さの明度の調査でも全国で一番だった。人の皮膚の色を決定するのは、メラノサイト (メラニン細胞)によって作られるメラニン顆粒の量と分布である。皮膚表皮を構成する細胞のひとつである色素形成細胞は有害な紫外線を吸収することにより、黒色のメラニン顆粒を作り出して皮膚組織を有害な放射線から守っている。日照時間が年平均で1600時間と全国で最も少ない秋田県地方では、紫外線を受ける時間が少なく、メラニン顆粒の合成が少ないため肌が白いのであるという。

 日照時間など富山と気象条件が同じで秋田美人の条件は富山の女性ももっているはずなのに「越中美人」が使用されない理由は何だろう。

 実に簡単だ。憤怒したくなるが、「越中」というとその後に連想される語が「褌(ふんどし)」【小幅の布の端にひもをつけた、丁字型のふんどし】だからである。これは細川越中守忠興(ただおき)の始めたもので富山藩とは全くの関わりのないことなのだ。ちなみに細川忠興は明智光秀の娘・玉姫、つまり、熱心なキリシタンで美人の誉れ高い、ガラシャが奥さんだった(関ヶ原の戦いの戦功で豊前中津39万9千石を与えられるが、戦中に三成方の人質となることを拒否したガラシャを自刃にて失う-----「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」辞世の句/三浦綾子『細川ガラシャ夫人』参照)。

 ガラシャの旦那だったら、越中褌でなく、柄パンでもはいていればいいものを!

 富山の企業でも「越中〜」というのは皆無である。あっても倒置させて「中越〜」という風に使っている。だから「越中」が美人の形容に使われるはずもないのだ。

 「富山美人」というのは新しすぎて古風な美人というイメージが出ない。また「山」と美人はあまり結びつかない。

 他のネーミングも考えてみたい。「万葉美人」だとさすがに古すぎて正倉院の「樹下美人像」のような、頬がふっくらしたオカメを連想してしまう。

 「コシヒカリ美人」というのも腰が軽そうな感じでよくない。

 「立山美人」はやっぱり「山」があって面白くない。

 しかし、ネーミングはあまり気にしなくていいのかもしれない。「東京美人」というのがないように、県単位で美人がごろごろいることはないだろう。

 ただし、富山では美人のことを「江戸びんなはん」といったことがある。江戸のお雛様のように綺麗だ、という意味で、美の規準を都会に求めているところが悲しい。他でも書いているが、カメルーンでは美人を形容するのに「君は牛の糞のようだ」(蝿が集まってくるように男も集まってくるという賛辞)というが、こちらのレトリックが優れている。


<音感説>

 KNB小林淳子アナによれば、「富山美人」というのは言いにくいという。

 「京美人」「加賀美人」はしっくりくる。「加賀」とか「京」というのは古い言葉だし、K音G音で語感がいい。

 「越中」は詰まるのも延ばすのもあまり綺麗に聞こえない。CHUというのがどうもよくない。

 語感が悪いから流布しなかったということも考えられる。だって、「東京美人」もいいにくいものね。

 全然無関係だけどロシア語で不美人を「ニクラシーワヤ」という。


<タレント説>

 犯人探しをしてはならないが、誰かが「富山美人」を否定しているのかもしれない。

 タレントが少ないと言われた富山県だったが、最近は増えてきた。左幸子、左時枝、野際陽子、最近では風吹ジュン、室井滋に人気がある。NHK朝の連続テレビ小説では中村明美が「まんさくの花」に、加納みゆきは「都の風」(宝塚在籍中の黒木瞳も出ていた)に出た。ごく最近ではワハハ本舗の柴田理恵が大活躍している。早勢美里も忘れてはならない。

 ここで分かることは富山出身の代表がかつて左姉妹だったことだ。特に左幸子はどの映画も泥臭さを前面に出した演技で知られる。

 中村明美、加納みゆきは既に忘れ去られている(ごめんなさい!)が、宝塚の剣幸、涼風真世は相変わらず綺麗だが宮城生まれだ。剣は剣岳から名前を取るくらい富山寄りだが、涼風が富山出身だなんて県民の多くは知らない。もしかしたら本人も知らないのではないかと思う(ごめんなさい!)。野際陽子も富山出身をひたすら隠しているのではないかと密かに思っている。他県の人に野際が富山出身だといっても信じてくれない。

 富山出身の世紀末女優の代表は室井滋、柴田理恵だ。二人とも富山出身というのを隠していない、どころかウリにしている。室井は『きときとの魚』という富山方言の「活きのいい、新鮮だ」を表す「きときと」をタイトルにした本を出しているし、柴田は色々なトーク番組で八尾の話をしているし、本にも故郷の思い出が詰まっている。『お宝探偵団』に出た時には実家の旅館に伝わる、2000万円もする徳川慶喜のくれた刀置きを出して、2万5千円だかの鑑定をされた。

 二人の芸風はご存じの通りである。室井はむかつくぜ!という顔をして出てきたり、居酒屋幽霊を演じるのが当たり役だ(ごめんなさい!)。柴田は久本雅美とともに女を捨てていて、特にトイレの顔になったCMはさすがに、呆れる。彼女の八尾の風の盆を思い出すたびに、そのギャップにおののいてしまう(ごめんなさい!)。

 八尾といえば風の盆だ。「越中おわら節」を踊る女性の艶(あで)やかさが分からなかったら、日本女性の美しさは永遠に分からないだろう。

 ところが、富山美人の中核となるべき人々のブランドがこの二人に凝縮されてしまっている。

 ところで、「夜目遠目(とおめ)笠(かさ)のうち」という言葉がある。つまり、「夜目や、遠くから見掛けたのや、笠をかぶっているのをのぞき見たのでは、女の顔が実際より美しく見えるということ」である。風の盆で笠をかぶっているうちはよかったのに、柴田理恵のように笠をかなぐり捨てて(ごめんなさい!)はいけないのである。

 いずれにしろ、室井、柴田という個性が富山女性を強くアピールしていることは否定できない(と誰かが話していた------僕ではない!)。


<流出説>

 城下町であれば美人が多いと考えられる。藩主が「あの子がほしい」というとすぐに側室になっただろうから、城下町には美人が多いことになる。富山も城下町だが、加賀藩と富山藩では格が違うだろう。松江も城下町だから美人が多い説明になる。秋田藩もあるから説明しやすいが、新潟はどうだったのだろう。いずれにしろ、美人が城下町へと流出していったと考えられる。

 現代の流出は大学生である。石川県と富山県の決定的な違いは大学と大学生の数である。秋田にも多いし、新潟にも京都にも大学が多い。

 富山県は教育県とされるが実態は「進学県」であって、教育が富山県で充足することはない。「御三家」と呼ばれるエリート校から富山大学に進むのは屈辱的だと考える人もいる。(本当は青い鳥かもしれないが…)「いい」大学は東京や阪神にあると考える人が多い。

 つまり、18歳から22歳までの人生で最も輝く時期の女性が富山にはいない。これが富山の女性のイメージを年寄りくさくしていることは否めない。

 医者でもある渡辺淳一には『解剖学的女性論』というのがある。この本の中で衝撃的な話は「美人に処女は少ない」というものである。渡辺が書いているが、これは美人が悪い訳ではなく、すり寄ってくる男性の数の多さによるものだという。

 考えてみれば、どんなに貞淑な女性でも、お金持ちでハンサムな男が蝿のようにたかってくれば、勝負したり、誘惑に「負けてしまう」かもしれない。室井滋の若い頃(ごめんなさい!)と野際陽子の若い頃とどちらに誘惑が多いか、(僕には分からないが)一目瞭然であろう。

 この渡辺の仮説が本当だとすれば、富山の美人は都会に行き、誘惑と戦いながら、そのうち、さまざまな恋愛の末に結婚して、日本全国に散っていく。つまり、富山美人の日本女性のレベルを上げていることになるのである。

 そうでない女性が富山に戻ってくる(と誰かが言っていた)。

なぜ美人はいつもつまらぬ男と結婚するのだろう。賢い男は美人と結婚しないからだ。
     -----サマセット・モーム

 美人は馬鹿という言説があるがウソである。「モテない男」小谷野敦の『猫を償うに猫をもってせよ』(白水社)の「東大美女の名ぞ」を読んでいたら、次のように書いてあって、さもありなんと思った。僕も東大では多くの才媛を見ている。

 『AERA』二〇〇六年五月一・八日合併号には、「東大生の6割は美人である」という記事が出て、今を時めく『下流社会』の三浦展がコメントしていたが、そもそも東大生は親の収入の平均が高い。金持ちの父親は美人を妻にするから、順当に遺伝すれば、東大の女子比率が高ければ美人度も上がるのは当然だろう。しかも、いくら美人でも、口を開くとバカというのでは、白痴美好きでもない限りげんなりするから、自ずと東大美人伝説ができあがる。【…】


<伝説説>

 若山牧水の和歌に「名に高き 秋田美人ぞ これ見よと 居ならぶ見れば 由々しかりけり」というのがある。伝説の秋田美人を疑ってみたが、みんな美人だったということだ。秋田美人と言えば小野小町である。現代でも竹久夢二の「稲荷山」や「柳美人」のモデルとなったお葉(本名:佐々木カヨ)が秋田出身である。富山にはこんな伝説の美人がいない。

 伝説というのは一旦できてしまえば、誰も宣伝しなくても(本当であろうとウソであろうと)評判が残っているものなのに、ネタがない。

 富山には伝説のお姫さまというのがいない。全国に知られる「夕鶴」のつうのような女性がいれば富山女性の評判も上がっただろうに誰もいない。

 これは富山藩が貧しかったことと大いに関係があるだろう。富山の民俗民芸村には鋤や鍬ばかり並んでいるが、金沢では古九谷や加賀友禅などが並べられている。

 五箇山には民謡の多くを伝えたとされる、「お小夜伝説」があるが、お小夜は加賀の遊女だった。流されて、五箇山に幽閉されたのであるから、富山美人とは無関係だ。

 お姫さまについてはもうちょっと調べてみる。まあ、いても美人とは限らないし、伝説としてみんなが知らなければ、いなかったのと同じである。

 『越中史料』には延宝6年(1678年)に八尾の話が残っている。売薬を奨励したことで名君として知られる、富山藩二代藩主・前田正甫が、現在の八尾町杉原地区を通りかかったときに、たまたま見かけた美しい女性を連れて帰ろうとした。しかし、その女性は人妻だった。「安右衛門の妻頗る容色あり、藩主の奪う所となる、安右衛門憤怒措く能はず、則ち家族を率いて強訴せしかは、藩主大に怒り、老母を除き一家七人を死刑に処せられたりと」という記述である。美人は明治期になっても災いの元とされたのだが、こうしたイデオロギーが富山にはまだ残っているのかもしれない。

 旧約聖書の英雄アブラハムは妻を連れて異国に入った時、「妻ではなくて妹ということにしてくれ」と頼む。「あら、どうして」と言われるのだが、魅力的な女性だったから狙われることがあったからだろう。妹ならうまく交渉して手に入れようということにもなるはずだ。いずれにしても、美人というのはそうでない人とは違って、いっぱい気をつけることが出てくる。

 つまり、富山女性という概念が存在しないのは伝説がなかったからだ(といった人を知っている)。


<方言説>

 言語学を専攻するものとしては全くの笑い話で相手にすべき議論でもないのだが、富山の方言を汚いと思っている人がいる。言葉が汚いから、顔も…という人がいたかもしれない。

 確かに、若い人にはいないが、ちょっとしたおばあちゃんなら自分のことを「わし」とか「わへ」とか「おら」という人がいた。

 文末詞というが語尾につける言葉も「〜ちゃ」とか「〜け?」とか「〜とんが?」とか「〜られ」とか「〜られま」とか「〜まいけ」とかが特徴である。

 もちろん、他にも中間型のズーズー弁であったことや、他の地方の人には分からない色々な俚言があったこともコミュニケーションを妨げていて、富山女性を不可解なものにしたかもしれない。

 東北などから売られていった女性たちは廓(くるわ)で「あちき」とか「〜アリンス」という言葉を使って出身が分からないように、「廓言葉」と呼ばれる共通語を使っていた(『誹風柳多留』の中に「北国訛りどうしいすこうしいす」というのが残っている)。その方がコミュニケーションを円滑にすると考えていたのである。

 また、京言葉の柔らかさや「ぶぶづけ(お茶漬け)でもいかが?」といって、「もうお帰り下さい」というような婉曲な表現が富山方言にもあれば、もっと上品に思えたかもしれない。せっかく上品な女性たちなのに、富山方言を早くて喧嘩しているようだ、と思う人もいるのだ。

 しかし、方言が富山を美人から遠ざけたという説には疑問があって、高橋留美子『うる星やつら』のラムちゃんは「…だっちゃ」というのがとてもセクシーなので、富山女性の「〜やちゃ」ももっとセクシーに感じられていいはずやちゃ。


<衣服説>

 京美人と加賀美人には共通項があって、それは京友禅、加賀友禅である。ともに着物姿の似合う美人ということになる。富山の女性は何を着れば似合うだろう?

 NHKの北陸三県の県民性の番組で分かったことの一つは、富山県同様、美人がいないことになっている福井県は美人の宝庫だという。実際、僕の後輩の妹さんはものすごい美人だった。何よりも福井県の女性は服装や化粧にお金をかけている。

 そんなことに「つましい」というか倹約気味の富山県民はブスだから、そんなにお金がかかるのだというかもしれないが、お金をかける価値のない人にはお金はかからないものなのだ。

 美人論の基本的なテーゼは美人は「美人は美人に生まれるのではない。美人になるのだ」ということだ。

 大変な努力が必要なのだ。柴田理恵と野際陽子のどちらが衣装代、化粧品代を使うか考えてみればいい。

 富山県民はストックにお金をかけるが、フローにはかけない。仏壇や欄間、お墓や家にお金をかけるが、文化や芸能、そして衣服にお金を費やさない。

 ただし、富山の女性が化粧品にかける金額は、化粧クリームも乳液も全国第1位で、口紅が第3位とトップクラスだという。また、肌の白さは随一でファンデーションは白いものの方がよく売れるという。う〜む。

 地球温暖化によって、ごく最近は違ってきたが、富山は雪が多くて寒かった。暖かさを確保するために黒や紺のような濃い色の服を着ることが多かった。綺麗な服を着ているとすぐに汚れた。特に自動車が跳ねた雪は汚かった。

 梅雨も長かった。雨で汚れないようにどうしても地味な服を着なければならなかった。

 だから、服装のせいで富山美人が少ないのではという説が成り立つ(という人を見たことがある)。

 なお、各地を定点観測して美人の状況を調べることも可能だが、例えば金沢は観光客が多くて、地元の人ではなくて、お出かけ用の服を着た観光客を調べているかもしれない。


<背景説>

 仮に富山女性が友禅を着たら、どこを歩けばいいだろう? 

 京都御所もなければ、兼六園もない。和服の似合うしっとりとした場所がなさすぎるのである。

 庭園の立派な古寺名刹(めいさつ)というのもない。

 流行のプレタポルテを着ても歩くところがない。移動はクルマだし、日航ホテルもグランドホテルもない。

 ポスターやカレンダーを見れば分かるように美人を引き立てる背景がないのである。だって、どこで写真を撮ればいいのだろう?

 もっといえば、富山には<ハレ>(非日常)の空間が少ない。<ケ>(日常)ばかりがあふれているのだ。「晴れ着」に対して普段着のことを「褻着」(けぎ) というが、ケの服装で出歩くところが多すぎると思う。

 富山県の人は誰だって、金沢へ行くときは晴れ着を着ていくだろう。


<職業説>

 富山の女性は働き者である。東京の下宿に姉が挨拶に来た時に、働いていることが分かって「やっぱり富山の女性は働き者ねぇ」と感心されたことがあった。

 働き者であるが故に、富山県で「家事手伝い」という肩書きはない。何かしら働いていないと肩身が狭いので、みんな働いている。当然、「深窓の令嬢」(“しんそうのれいじょう”【富山では聴いたことがないので読み方まで書かなければならない】)というものが存在しない。

 僕は人間は働くから美しいという信念をもっているが、働く富山女性が綺麗なことは言うまでもない。

 それでも働く富山女性が綺麗だという話が全国に広まらないのはなぜだろう。化粧品代は日本一だというのに。

 きっと、一心不乱に働いていて、遊ぶ暇がない。また、県内は交通手段が発達していなくてみんなマイカーである。だから、今のギャルたちのように電車で化粧することさえできない。本当に忙しい。

 仕事で毎日外に出ているという人もいるかもしれないが、仕事から離れて<ハレ>の非日常空間に出かけることが富山県の人には少ないのだ。出かけようとしても中央商店街は7時にはシャッターが閉まってしまう。

 こうして、<ハレ>の、いわば偽物の美しさでアピールすることが少ないから富山美人は少ないというのが真相だ(という人に会ったことがある)。

 忙しいから優しくないのか!?

A「告白して振られたんだって?」
B「そうなんだよ」
A「まぁそう落ち込むなよ!美しいバラにはとげがあるっていうじゃないか!」
B「美しくないバラにもとげはあるよ」


<文化説>

 金沢では謡(うたい)が空から降ってくる。浅野川ぞいの東の廓(くるわ)辺りを歩くと、あちこちから三味線や琴の音色が聞こえてくる。

 加賀藩は百万石で外様大名という矛盾を抱えた存在だった。徳川家にいつ口実をつけてお取り潰しになるかもしれなかった。そのために、いつも遊んでいるという姿勢を見せなければならなかった。

 富山の女性はそんな浮ついた文化の中になかった。売薬に行った夫の後を守ってしっかりと農業などで働かなければ生きていけなかった。

 そうした文化的がゆとりがなくて、富山女性は(男性もそうだが)文化よりも教育、教育といっても偏差値教育に重きを置いた。

 つまり、女性が美人であるという条件の中には話が上手、つまり、文化的な教養を身に付けているということがあるが、もしかしたら、富山女性にはその部分が欠落していて他県の人から美人に思われなかったのかも知れない(かもしれない)。


<銭湯説>

 富山県には銭湯が多い。もちろん、ごく最近ではうち風呂が多くなって、銭湯が少なくなってきたが、全国的には上位に入っている。もちろん、富山県出身者が都会で多くお風呂屋を経営していることと無関係ではない。

 うち風呂だと自分の好きな時に入浴できるが、銭湯だとそうもいかない。汗水ながして働いてきたが、銭湯がお休みのことだってありうる。

 当然、入浴の回数が他県より少なくなって、女性の、特に若い女性の最も輝く、湯上がり姿というのが少なくなる。湯上がり姿というのは竹久夢二の美人画に見られるように日本美人の典型である。少なくなれば、美人に見られることも少なくなるのだ。

 銭湯の多さが美人を少なくしている(という噂を聴いたことがある)。


<宗教説>

 全く僕の説ではないので紹介する気にもならないのだが、学問的公平さを重視して書いておく。

 富山県民の多くが浄土真宗を信じている。親鸞の思想の根本は「善人猶(なお)もて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という「悪人正機説」である。「善人でさえ往生できるのに、悪人が往生できないはずがない------つまり、悪人というのは自分が悪人だと言う自覚があるから浄土に近いのである」ということである。

 これを美醜論に敷衍すると「美人猶もて絶頂す、いわんやブスをや」ということになる。つまり、この親鸞の説はブス容認論であり、ブスは林真理子のように、あるがままに生きることがいいことになるのだ。

 こんな開き直りのような議論に僕は付いていけない。

 ただ、宗教という背景があるので富山の女性には正直者が多い。人の心を盗んだりはしない。

ミーナス   人間、だれでも顔だけは正直者だ、手が盗っ人であろうとな。
イノバーバス だが美人となると顔まで正直者ではない。
     -----シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』第2幕第6場


<風俗説>

 江戸時代まで好まれる女性は美人とは限らなかった。農家では女性も労働力だったから、「臀部肥大にしておたふく然たる良婦」を、歓迎したことは言うまでもない。当時、美人は玄人であった。つまり芸者や遊郭にしかいなかったのである。明治になると、事情は一変してきた。もちろん、最初は「秋田美人」のように玄人から始まったが、それが素人にまで波及するようになった。ちょうど、ヌードが玄人のものだったのが、素人、つまり隣のお姉さん然の女性が好まれるようになってきたのと軌を一にする。

 風俗は僕の苦手な話なのだが、富山には桜木町という繁華街があるきりで、いわゆるフーゾクというものがない。県条例で禁止されている。

 フーゾクの女性と一般の女性とはまるで違う服装、化粧、態度だったのだが、最近では区別がつかなくなっている。

 したがって、富山の女性はフーゾクに染まっていないからという結論が生まれる。つまり、清純な男女が多いということになる(これは僕の説です)。


<人種説>

 新野直吉『秋田美人の謎』の中には人種説まで出てくる。本人は否定しているにもかかわらず、いつの間にかコーカソイドとの関連がまことしやかにささやかれている。

 富山県民も人種が違うということも考えられないだろうか?

 一つは縄文人と弥生人の違いだ。四角い顔。鼻が高く唇は厚め、目は大きく二重まぶたが典型的な縄文人で、対する弥生人は、長円、扁平な顔に低い鼻、薄い唇、ひと重まぶたの小さな目が特徴とされる。北へ行けば行くほど、縄文人の血が濃くなるのだが、どうだろう。

 司馬遼太郎の推賞する美人の産地、出雲には天皇家に匹敵するくらい家系の古い千家(せんげ)という姓の名家がある。その子孫は累代今も出雲大社の神職である。一説によれば天皇家よりも100年以上も古いそうだ。邪馬台国が東征して造ったといわれる大和朝廷から派遣された神官であるという説と、7〜800年前に朝鮮か中国から渡ってきた渡来系が造った出雲王国の末裔とする説があるようだ。いずれにしても大陸と交流が盛んであったことは容易に想像できる。

 つまり、出雲は小柄で色白の肌目の細かい一重瞼の女性で朝鮮系の美人なのだ。そういえば、大学の後輩で松江出身の馬場(まば)さんという女性は大変な美人だった(薄命だったことが悔やまれる)。

 今まで聴いた古代日本人論の中で荒唐無稽だったのは、作家・黒岩重吾の富山の人の故郷が中国の「越」(“えつ”)だというものだ。富山には呉羽山があって、これが本当の「呉越同舟」とは言わなかったが、中国系であると考えている。ただ、越前・越中・越後の人も同じになるので、美醜にかかわるかどうかまでは判断できない。

 言語と人種は一応、違うものとして扱う。それでも言語は文化の乗り物で、文化は人種と関わっているものだから、全く別物として扱うだけでは分からないことがある。

 富山は西部方言の宝庫というか、吹き溜まりである。京都の古語は黒部川や親不知を超えることはできなかった。恐らく、人種も超えることはなかったと考える。

 そうすると、京美人のエッセンスが富山美人として凝縮されていることになる。

 これで、富山に美人が多い理由が分かったであろう。

 富山方言が京言葉の宝庫であると同様、京美人の宝庫なのだ。

 そうあってほしい!


<風土説>

 「雪をあざむく」といえば非常に白いさまの形容、とくに女性の肌の白さについて用いられる(「日本国語大辞典」第2版)。「色白は七難隠す」ともいう。

 富山は日照時間が秋田に次いで少ない県である。長い梅雨、長くて寒くて暗い冬のおかげで、日焼けすることが少ない。

 つまり、色白の美人だらけの富山県になる。色白はどうして好まれるか?デズモンド・モリスと石田かおり『「裸のサル」は化粧好き』(求龍堂)によれば、貴族は働いていないので白いというのが基本的にあるという。エリザベス一世は肌を白く見せるために鉛を使って肌がボロボロだった。奈良時代には「あか」という赤っぽい肌が好まれたが、平安時代になると「ひかり」といって白くて透明感のある光が好まれた。また、色の白さは目鼻立ちを明確にして、顔にコントラストをつける、つまり、表情が分かりやすくなるという。

 更に、湿気が多くて(富山で除湿器は売れるが、加湿器は売れない)、日本人に多く見られる乾燥型のカサカサした肌ではなく、富山女性の肌理(きめ)も細やかである。日照時間のおかげで色白であるから正に餅肌で、水がいいからみずみずしい。

 富山の8月の暑さは日本一であることが多くなっているが、この寒暖の差が、富山の女性の頭脳に年輪を刻み、肌に張りを生んでいるのである。

 年輪のない人間なんてつまらないものねぇ。

 しかし、考えてみれば、雪の風土というのは雪かきをしなければならない体力を作る。確かに富山の女性は強い。かつてヨーロッパのアール・ヌーヴォ期の美人の条件は清楚でロマンチック、ひよわだったから、富山の女性とは正反対だったかもしれない。当時の美人の条件はいつでもどこでも失神できることだったが、富山で女性が(普通の状態で)失神するのは見たことがない。


<フード説>

 富山に美人が多い理由の中で富山県民が一番喜ぶ説は「富山の水がいいからみんな美人だ」というものである。

 富山の女性は蒲鉾ばかり食べているが、氷見では蒲鉾を「ととぼち」、つまり「とと(魚)+ぼち(もち)」という。

 だから、富山の女性は餅肌の美人なのだ。

 水もいいからつるつるしている。米もいいからほくほくしている。

 なのに、知られていないのはどうしてだろう?

 「ロシアに不美人はいない。ウオツカが足りないだけだ」というロシアのアネクドート(小咄)があるし、こんなのもある。

「君ってお酒が入るとかわいくなるよね」
「あたしまだ飲んでないわよ」
「そうだよね、僕が酔っているんだよね」

 まあ、富山はいいお酒がいっぱいあるから…。


<売薬説>

 セールスマンは玄関に入ると家の猫から誉めるという。子どもがいれば子どもを誉める。可愛くなくても、どこかいいところを発見しなければならない。

 誉めるためには遜(へりくだ)らなければならない。間違っても自分の自慢や家族の自慢をしてはいけない。どんな親馬鹿でも「うちの子は美人でして…」とセールスはできない。

 売薬さんは薬業ではあるが、セールスマンである。したがって、訪問した客の家族を褒めちぎる。売薬さんには「懸場帳」というデータベースがあって、そこには客の家族の情報も入っていて、年頃の娘さんのお見合の面倒をみることもあったようだ。

 そんな時に間違っても売薬さんは「うちの娘は美人で売約済みです」なんて言わない。言えない。

 つまり、「富山美人」というのはいないと全国に話し回って、商売を広げていった可能性がある。

 それは富山県全体が他県に知られていない、いわゆる「イメージの薄い県」というのとダブってくる。富山にどんなにおいしい物や珍しい物やお宝があっても、富山の人は「なーん、なんもないちゃ」と話すのである。

 実際、富山で「あなたは美人ですね」といおうものなら「なん、なん、なあん」(方言で「いいえ」)と謙虚に否定する女性ばかりである。

 富山県は「印象の薄い県」というネガティブ広告を打ったことで、有名である。実は印象の薄い県はどこの田舎も同じなのだが、これを目玉にした広告は珍しい。

 とにかく自慢しないのである。

 ある時、スーパーのおばさんに「あんたところ、おばあちゃんも奥さんもあなたも頑張っていてすごい」と誉められたことがあって、「上手口やろ」というと怒ってしまって、「私、出身は富山でないからそんなこと言わない」と言われたことがあった。ある意味で、富山県の人は相手を上手に誉めるのが常識となっているのかもしれない。

印象の薄い県

1999年3月14日朝刊

 新湊出身の落語家・立川志の輔は小学館辞典編集部編の『私の好きなお国ことば』(小学館)で「きのどくな」が好きだといい、次のように書いている。

 またあなたが旅行中に、どんなに「立山連峰」の素晴らしさに感動して誉めてくれても「そうやろ、凄いやろ日本一やろ」などと自慢をする人はいないはずです。きっと富山県民は「なぁ〜ん大したこと無いちゃ、ちょっこり地面が盛り上がッとるだけやちゃ」というような、ちょっと覇気が無いように聞こえる言葉であなたに返事するでしょう。これもあなたへの気遣いの表れです。

 こうして、売薬根性が「富山美人」がいないという、いわれなき誤解、根も葉もない噂を生んだのである。

 富山の「ミス〜」にも必ずしも美人がそろっていないと書いたが、本当に綺麗な人はわざわざ出なくても十分なのだ。

 謙遜という美徳が「富山美人はいない」という根も葉もない噂を生んだのであった。

 僕の持論は富山県民が日本国民を凝縮した民族だということなのだが、実は、謙遜は日本人みんなが持っていた美徳なのである。みんな忘れかかっているのを富山県民だけがずっと保っているのだ。

 たとえば、日本文化においては、自己と自己の近親者に関する表現について限りなく自己卑下に近い謙譲の美徳路線を堅持することが求められている。教養と常識を身につけた大人とは、「愚妻」とか「豚児」とか「ふつつかな娘」とかいう表現をよどみなく言える人のことである。だからといって、その人が、自分の妻を「愚鈍」で、息子を「豚のように意地汚く」て、娘のことを「無能で行き届かない」と考えているとは限らない。むしろ内心は逆かもしれないのだ。ところが、これを「my stupid wife」とか「my piglike son」とか「my very unperfect daughter」などと字句通りに置き換えてしまうと、欧米人は自己の近親者を公然と侮辱する話し手に対して眉をひそめるに違いない。人間性を疑われる可能性だってある。

     -----米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』(文藝春秋)


 実は、この他に20ほど説があるのだが、書くとまるで知識をひけらかしているように感じるので、謙遜の得意な富山県民としてはこれで止めておく。

 青山南の『南の話』(毎日新聞社)によれば、「南部美人」(Southern Belle)という地名に「美人」をつけた言い方は日本では多いが、アメリカでは南部だけの特産らしい。そして、青山南は思案する。

 これは南部に美人が多いからではなく、「南部がことのほか、女性は美しいのが一番、という考えかたにこだわってきたということだろう」、つまり「南部美人」という言葉は「事実を指したものというより、理想を語った言葉なのだ」と。

 賢明な読者はお分かりのように、「富山美人」という言葉がないのは富山県民が「美人」よりも他の魅力に力点を置いたからにすぎない。

 実際、富山の大学にいたY先生から次のようなメールをいただいた。

 思うに富山では美人と呼べる人よりも個性的だなあと思う人に会うことが多かったように思います。大学にも魅力的な女性は多かったけれど、「具体的にどの人を富山美人として推薦するか」と問われたら、なかなか候補が見つからないということになるかもしれません。

 つまり、「秋田美人」や「越後美人」「加賀美人」「京美人」はただの理想、憧れにすぎないだけなのだ。

 これで富山県に美人が多いのに「富山美人」という概念がなかったか、また、どうして誤解されているか理由がお分かりになったと思う。原因は一つではなく、複合的だ。解決しようのない問題になっている。

 それにしても、富山には美人がいっぱいだ。

 ただ、不幸なことに、僕が出会っていないだけだ。

【2001年6月9日『マレーナ』初日】



 試験が近づくと学生たちが「教官、今度のテスト、簡単?」と聞いてくる。「簡単だよ。僕がやってみたら100点だったよ」というと、「作った人が100点取るの当たり前じゃないですか」と必ずいう。しかし、僕は答える。「問題というのは100点が取れるものばかりじゃないよ。哲学なんかの先生が『人生はなんぞや』という問題に100点の答案が書けることはないよ」と反論する。

 この「富山美人論」の解答は100点を目指したものではない。

 しかし、環日本海文化を考える上で、きっと役に立つと思う(-----なんてことはないな)。

 なお、現在の“ミス富山”(2000年)は富山商船高専の学生なのだが、こちらは本当に美人です。その後、“ミス富山”(2001年)も商船の学生になりました。そして、ミス富山は2002年に中止になったので、最後の富山美人ということになるかもしれません。(^^;

 2002年11月にはナイジェリアで来月開催予定だった「ミス・ワールド世界大会」に抗議するイスラム教徒たちが暴徒化して、死傷者600人以上の騒ぎになった。直接の発端は、地元紙が「イスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)が生きていれば、大会参加者から妻を選んだに違いない」と聖なる指導者をおちょくる記事を載せたからだという。同国はイスラム人口が47%を占め、イスラム指導者の会議が「宗教上の非常事態」を宣言するなど怒りが爆発した。暴動が起きたカドゥナでは教会や学校が焼かれ、リンチ殺人も起きて市街戦の様相だったという。

 もう一つナイジェリア開催には問題があった。全土の3分の1の州でイスラム法廷が公認されている同国では、最近も婚外子を産んだ女性に姦通罪で石打ちの死刑判決が下され(控訴中)、世界の人権団体が強く抗議中だ。大会を控えて南アフリカ、スイス、コスタリカなど5カ国のミスたちも「女性の人権のない国に行きたくない」と参加をボイコット。そんな中で起きた暴動だった。「ミス・ワールド」が「ワールド・ミス」になってしまった。

 川島淳子『韓国美人事情』(洋泉社新書)を読んで驚いた。韓国に美人が多いのは美容整形に対する抵抗がそれほどない、みんなリキを入れて化粧をしている、ということである。その背後には、女性の社会的地位が依然として低いという事情がある。

 韓国では美人に生まれるのではなく、美人に「なる」ものだという考えがある。女性はみんな結婚して子どもを生むべし儒教的家族観が根底にあり、結婚=出産にいたるには美人の方がいいという簡単な結論になる。その結果、整形ということになる。辛淑玉『愛と憎しみの韓国語』(文春文庫)にも「ミスコリアの出場者のほとんどは整形した女性と言われていて、審査員が整形外科の医者。『お宅の技術は高いですなぁ』などと手術の結果を競っている」と書かれているが、美人コンテストというより医療技術コンテストの様相だそうだ。整形に対して「韓国では男性のほとんどが子供の時に包茎手術を受けるので、手術そのものに抵抗がないのかもしれない」と書かれているが、日本と違って宦官のいた文化だから理解はできる。

 更に驚いたのは男性を両親と会わせた時に整形がばれるのを避けるためにお母さんも一緒に整形するのだ。

 娘思いでそこまでするか、と呆れていたら、「そうかしら、自分もこの機会にきれいになれるのだから一石二鳥なんじゃない?」。テヨンさんの話では、最近は結婚とは関係なく、オモニ【母親】に綺麗になってもらおうと整形手術をプレゼントする子どももいるという。称して「孝道整形」。さすがは“儒教の国”である。

 韓国のインターネット就職情報会社が求職中の男女約5000人にアンケートしたが、男性9・3%、女性22・3%が整形経験者だった。これは韓国日報の報道を読売新聞が伝えた(2002年12月7日夕刊)。

 ちなみに、僕が美人だと思う女優は『十七歳の戦争』の秋吉久美子、『魚影の群れ』の夏目雅子かなぁ。

 森鴎外は次のように言っている。若さと知性はまた違った問題になってくる。「若くて美しいと思われた人も、しばらく交際していて知恵の足らぬのが暴露してみると、その美貌がいつか忘れられてしまう。その上、30になり、40になると、知恵の不足が顔に表れて、昔美しかった人とは思われぬようになる。これとは反対に、顔立ちには傷があっても才人だと交際しているうちにその醜さが忘れられる。さらに年を取るにしたがって、才気が容貌をさえ美しくする」

 大塚ひかりは『「ブス論」で読む源氏物語』(講談社+α文庫)や『太古、ブスは女神だった』(マガジンハウス)などを出し、富山の陶智子は『不美人論』(平凡社新書)を出した。男性には、特にハンサムでもない男にはとても書けそうもないテーマだし、女性だって書きにくいだろう。自信がなければ…。でも、自信があったら、ちょっとずるい。ブス列伝ともいえる物量を公にした大塚によれば、光源氏は末摘花、空蝉、花散里と3人ものブスを愛した、快楽に歪む醜い顔に欲情するブスマニアだったという。

 イギリスの政治家チェスタートンは「美女と醜女は知性を求め、どちらでもない女が美しさを求める」などと語ったという。実力のない男ばかりが美女を求めているのかもしれない。

 でも、神も人も容貌で判断する気がする、といったのは詩人のオーデンだった。神話にブスばかり出てきたら話にならないもんね。

 2001年4月に開催された大英博物館「クレオパトラ展」のクレオパトラは、妖艶な絶世の美女という従来の通念と違って、小柄で丸々と太った女性だった。これまで別人とみなされてきた彫像11体を博物館がクレオパトラと認定したため、新クレオパトラの誕生となった。シーザーを魅了した古代エジプトの女王は身長150センチ足らず、情熱的女性というよりギリシャ語やラテン語に語学堪能な学究肌で外交官のような女性だった。シーザーは「美女」との知的会話をかわし、意気投合したに違いない。

 時々あることなのだが、いきなりテレビ局から電話がかかってきて、「○△についてどう思いますか?他にどんな人に聞けばいいですか?」と嵐のように質問してきて、風のように去っていくなんてことがある。請求書を送りたいと思っても、間に合わない。そんな質問は止めてください。

 結局、これは日本テレビ系「ズームイン朝」の2001年6月15日(金)7時40分からの「面白発見―検証・富山美人」として放送され、僕は最後の「売薬説」を説明するために出た。

 この時代に美醜を問うなんてナンセンスな限りである。抗議はテレビ局にしてください。

 スワヒリ語のことわざ“Nyumba njema si mlango, fungua uingie ndani.”「良い家は戸ではない、開けて中に入りなさい」というのはまさに美醜ではない、性格だということだ。

 私は美人だという富山女性は是非、メールを下さい。お目もじして確認したく存じます。下の天野祐吉の言葉は真実だから、おじさんとつきあうようにしなさい。

 今の若い男はダメなのが多くて、恋愛をすると相手の女性を自分のレベルまで引きずりおろしてしまうから、女性は恋愛しちゃいけない(天野祐吉)


 『週刊朝日』2005年8月29-26日合併号に“『負け犬の遠吠え』酒井順子が足で検証 日本海「美人1県おき説」の真実”というのが掲載された。酒井順子が各地で自分の目で定点観測して本人の感覚で美人度をチェックするという企画だった。調査方法は、各県庁所在地の代表的な繁華街に行き、10台後半から30代と思われる女性100人を観察、酒井順子が美人だと認める女性の人数を記録する(交通量調査に使うカウンターを両手で使用)。女性の目だけでは偏見が入るので、男性編集者も同行して同じ判定作業を行い、両者の数字を合計して比率を求める。その結果がこの数字(%):

計測地点

酒井認定美人数

編集A認定美人数

美人率(%)
青森市

10

17
12.5
秋田市

17

24
20.5
山形市

 6

 8
 7.0
新潟市

12

13
12.5
富山市

 8

10
 9.0
金沢市

 9

16
12.5
福井市

 5

 8
 6.5
東京

 3

 5
 4.0

 東京は参考値。銀座松屋裏のスターバックスに座って店の前を通る女性100人を観察したものとのこと。東京の女性は化粧とか衣裳で誤魔化しているが、素顔だけで判定すると大したことはない(ブス揃い)とのことだ。秋田の美人度が際だって高いことがわかる。青森が意外と検討しているのは、ブス揃い東京から真っ先に行った場所だったので、調査員が幻惑されたものか。「日本海飛び飛び伝説」を酒井は「秋田が引っ張っている現象」だと推測する。美人県・秋田が存在するからこそ隣県の青森、山形はくすんで見え、その反動で新潟は輝き、富山はかすむ、という図式だと結論している。後に『私は美人』(朝日新聞社)として出版された。


 斎藤美奈子『それってどうなのよ主義』(白水社)を読んでいたら、越後女性の話がでてきた。昔の資料に「吉原で越後なまりのメリンスの長襦袢をきた女工上りの花魁を買う」というような文章に出くわすのだという。つまり、こんな女性がいっぱいいたのではないかと気づいた。東京で働く娼妓の出身地は地元東京を除くと、山形県と新潟県が多数を占め、その後に福島県、秋田県が続く。つまり、かなりの数の新潟女性が各地の遊郭にいたのではないかという。

 この事実に気がついてから、私は「新潟美人」「越後美人」という言葉を無邪気には読めなくなった。そりゃ新潟はもともと美人の産地だったかもしれない。しかし、なぜそれが全国的に有名になったのか。そこの「商品価値」を見いだしてPRする必要があったからじゃないんだろうか。ひとつは新潟や長岡の花街のPRのため。もうひとつは娘を高く売りつけるため。娘を農家に嫁にやるなら、べつに美人でなくていーんだもん。

「美しい女たちのことは想像力のない男たちに任せておこう」---プルースト『失われた時を求めて』


□美人心理学

□現代美人を分析(毎日小学生新聞)

□日本三大ブス地帯の謎(医学都市伝説) 三大ブス地帯とは仙台、水戸、名古屋(または、熊本、広島、岡山、松本、前橋、福島、米沢)である。

□KNB教えてエチュー2004年05月13日放送(ズームイン朝の焼き直しで僕も出演した)


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