金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


 

笑説 越中語大辞典



●アーティル

 富山市民プラザが親しみのある名前というので、後になって決めたホール名。「アート・イン・ライフ」(「生活の中の文化・芸術」だってさ)の省略だとされたが、誰も呼んでくれず、人知れず使わなくなった。「E電」(国電のこと)みたいなものだ。誰かの思いつきなんだろうが、こんなことにお金をかけてほしくない。

※2002年4月10日の「とやま夢航海」「金川欣二の何でもカルチャー」では公共施設の多くに愛称がついている富山県とついていない石川県との比較をした。

●アートフェスタ

 「越中アートフェスタ」。県が主催していた県勤労者美術展と県女性美術展の廃止に伴い、2006年に新設された。

●アーバンプレイス

 富山駅の北にあるオーバードホールの上にある部分を呼ぶ。

●あいが

 「ああいうのが」。例:「わし、前からあいがほっしいが」。

●アイガメ

 富山湾は少し沖合いに行くともう数百メートル級の深さになって深層水も豊かである。立山連峰と高度差が4千メートル近くになる。そうした深い、深い海底を「あいがめ」というが、共通語では海を指すことはない。富山湾は日本一の海底谷とされるが…。

日本の深い湾トップ3
順位 湾名 深さ 所在都道府県
1位 駿河湾 2,500 静岡県
2位 相模湾 1,500 神奈川県
3位 富山湾 900 富山湾
『駿河湾のなぞ』(東海大学出版会)

 語源は「藍瓶」で他の海域と海の色が違うので、この深くて紺色の海を染料の藍を湛えた瓶にたとえたもので詩的だ。全く詩的ではない「ふけ」という言葉もある。余談だが、淡い藍色を「かめのぞき」(瓶覗)というが「瓶の水に映る青空の色」が語源だとされる。

 練習船で初めて富山湾に出た長野の学生がビンに海水を容れていた。「この海の青さをお母さんに見せるのだ」といって。

わが罪は青 その翼空にかなしむ
    −−−清岡卓行『空』

●アイスコーヒー

 関東風に「アイスコーヒー」とはいわず、関西風に「レイコー」(「冷コーヒー」と書かれていたのを省略)と言った。

●あいそ

 「愛想」で頻繁に使う。「愛想」はもちろん方言ではないが、語用論的に方言なのである(使い方が地域独特)。「あいそもこそも尽きる」(「愛想が尽きる」ということで好意や愛情がすっかりなくなったこと)という表現もするが江戸時代からあるものである。例:「あの姉ちゃん、あいそもこそも(くそも)ないちゃ」(あのお姉さんには愛想というものが微塵にも感じられないことよ)というが「愛想も小想もない」というのは共通語で、ちょうど「夕焼け小焼け」の「小」に相当する。石川では「あいそらしい」というのを使うそうだが、富山では聞かない。

●あいそもない〜あいそむない〜あいそんない

 「愛想もない」から「寂しい」「残念だ」の意味で使う。『日本方言大辞典』によれば富山県だけのようだが、石川でも使う(島田昌彦『加賀城下町の言葉』能登出版など)。英語の“I miss you.”に相当。例:「あんたおらんだらあいそんないねけ」(あなたがいなったら淋しいじゃないの)・「そんなぁ、すぐに帰らんにゃんならんちゃ、あいそんない」(そんなにすぐに帰らなければならないとは寂しいことですよ)・「そんなぁ、あいそんないこといわれんなま」(そんな寂しいこと言ってはダメですよ)。

●アイトラム

 万葉線の新型車両で2004年に導入された地上高30センチの最新鋭低床車両。座席は30席。アイトラムは市民から募集して付けた愛称。工業デザイナーの佐藤康三氏がデザインし、車体の赤色は、万葉の時代イメージ「情熱」「元気」を表している。1号は2004年1月から、2号は同年8月から営業運転を開始した。1編成約2億2千万円。脱線や故障が多いので有名。人気は2006年の富山市ライトレールのポートラムに取られた。

●あいなし

 「まもなく」。「あい(間)なし」からだろう。

●あいの風〜あゆの風

 春から初夏にかけて富山湾から吹いてくる豊漁をもたらす北東風を指す。万葉集の表記では「東風」と当てるが、実際には「北東風、北風、北西風」などと全国で揺れがある。だから、民俗学者の柳田國男は「風位考」の「アイノカゼ」(『定本柳田國男集第20巻』)「海から吹く風」と推定している。柳田国男は海岸線と直角に吹く風、つまり「寄り物を吹き寄せる風」と考えた。アユルは木の実などが落ちることの古語だからである。語源も「饗(あえ)」だと考えている。

 ただ、菊地暁は民俗学を「柳田国男により創出された、日本の民俗を日本人が自己表象するというゲーム」ととらえ、『柳田国男と民俗学の近代---奥能登アエノコトと二十世紀』(吉川弘文館2001)で、柳田がひとつの事例から「アエノコト」(田の神を家に迎え、あたかも目の前にいるかのごとく声を掛け、風呂に入れ、膳を供し、翌年の農作業開始前に送り出すという儀礼)と命名し、アエは饗応、コトは祭典と解釈、いわば「民間の新嘗(にいなめ)祭」であるという戦後の評価に道を開いたのだという。「柳田の言葉に導かれた調査が柳田の言葉を追認した」構造が浮かび上がってくる。そして、菊地は「柳田の想像力の飛翔」を指摘する(一地方の農耕儀礼が国民と皇室を結ぶ稲の民族の儀礼として地位を獲得することになり、天皇制の民主化、国民とともに歩む皇室のイメージを形成するのに寄与した)のだが、当然、「あいの風」についても見直しが必要だ。「アエノコト」に相当するのは宇奈月下立などに見られる「オーベッサマ」(エビス信仰)や、細入村で見られる「おくわさま」である。

 「アユノカゼ」は室山敏昭(広島大名誉教授)によれば島根と鳥取に一番多く残り、分布域は両県より東の青森までの日本海側に限られていて出雲地方を中心に定住した海人たちが使ったとされ、畿内の言語文化より古い原始日本語の貴重な痕跡を示すという。

 大伴家持が「東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の釣する小舟(おぶね)漕ぎ隠るみる」(巻17・4017)などと歌ったので有名。「東風」には「越の俗語、東風をあゆのかぜ(安由乃可是)といへり」と注が施してある。奈呉というのは新湊の海岸。

 『さわやかエネルギー風車入門』(三省堂選書)によれば、万葉集に詠まれた大気現象は多い順に、風、雪、雲、雨だという。古今和歌集では風、雪、露、かすみ。風に縁のある熟語は300を超え、国内の雑誌名で風を含むものは50種もあるそうだ。

 「あいの風、であいの風 新湊」が新湊市のキャッチフレーズだった。

●アイ・フィール・ファイン

 八尾町にあるNPO法人。人生の最期まで自分らしく生きられるシルバータウンづくりを活動目標とする。住宅や商店、公園、病院などを整備し、約百人が暮らす街を目指す。もちろん、ビートルズの曲名から採用されている。

●相本芳彦【あいもとよしひこ】

 富山を代表するアナウンサーでローカル・タレントとでもいうべき。北日本放送(日本テレビ系)アナ。高岡市出身。1956年生まれ。79年慶應義塾大学を卒業後、北日本放送に入社。方言を使ったコマーシャルも多い。代表作は『ビバ・クイズ』『相本・鍋田のスーパーサタデー』『コンビニラジオ・相本商店』など。後に国政選挙のために退職。

●青い目の人形

 1927年、宣教師ギューリック博士の発案で米国から12000体以上の「青い目の人形」が海を渡ってきた。富山県にもこの年の4月2日、150体の「青い目の人形」がやってきた。4月15日午前10時より県会議事堂で歓迎会を開催したことが「富山日報」16日夕刊に紹介された。お礼に日本から58体の「答礼人形」が贈られた。現在6体が県内で発見されているという。これについては「青い目」に詳しい。

 高岡美知子の『人形大使 もうひとつの日米現代史』(日経BP)によれば、多くの「答礼人形」が行方不明になり、確認できたのは44体だという。「ミス富山」はミシシッピー川大洪水で流され、傷んだままケンタッキー州の博物館に眠っていたのを、関係者の努力で修復を兼ねて里帰りした。新たな親善大使として「日米親善とやま友好大使」の委嘱を受けケンタッキー州の博物館に戻った。1995年の3月24日〜26日まで、当時富山駅前にあった「マリエとやま」で、「青い目の人形と答礼人形交流展」が開かれ、このとき富山に残っている6体の青い目の人形もせいぞろいした。「富山日米協会だよりJ・A・S・T」第7号に詳しい。

 「ミス富山」はケンタッキー州ルイビルのJ・B・スピード博物館(現在はスピード博物館)にあり、人形師は滝沢光龍斎。人形の紋や道具の文様は八重桜。パスポート、乗船切符があり、日傘もある。台はなくなっている。

●あおだかす

 「煽動する、アジる」で富山、石川で使う。例:「若いしゅ、あおだかして、後、責任取っとらんがでないがけ」(若い人たちを煽動して、後で責任を取ってないのではないでしょうか)。

●あおたん

 篠崎晃一+毎日新聞社『出身地がわかる!気づかない方言』(毎日新聞社)によれば、「あざ」のことを富山では「あおたん」というらしいが、僕は聞いたことがない。「青」派としては茨城、千葉の「あおなじみ」、愛媛の「あおにえ」、北海道、東京などの「あおたん」、福岡の「あおじみ」があり、「黒」派としては愛知の「くろにえる」、岐阜の「くろにえた」、宮城、熊本の「くろち」がある。

●アカ

 舟に溜まった水。「閼伽」(仏前に供える水)と同源だろうと思う。これがラテン語のaqua(水)と同語源であると教わったものだが、どうやら違うようだ。

●あかいば〜あかば

 「赤ん坊着」から「晴れ着」だが最近は使わない。「ば」は「ばっこ」(服の幼児語)だろう。例:「なんちゅーきれいなあかいば着てぇ」。

●あかす

 (謎などを)「解きあかす、解明する」で富山、石川で使う。「あかしもん」というと「謎なぞ」になる。例:「犯人、あかいたぎょか」(犯人を当ててみせようか)・「わし、いくつかあかいてみられ」(私は幾つか当ててごらんなさい)。

●赤玉

 富山の薬だと思っていたが違っていた。滋賀県鳥居元の宿場名物の健胃薬「赤玉神教丸」は創業が万治元年(1658年)と言う。9種類の薬草を原料にして調合された直径3mmほどの丸薬で、腹痛や消化不良、食べ過ぎ、飲み過ぎ、二日酔いなど、おなかの病気全般に効能があり、通称・赤玉・とよばれ家庭薬としても重宝がられている。江戸時代後期の文化11年(1814年)に発刊された近江名所図絵にも有川家の店頭販売の様子が紹介され、弥次さん喜多さんで知られている十返一九の「道中膝栗毛」にも登場する。

●赤谷山

 姉の友人のSさんのお兄さんが冬の赤谷山(2,258m)で遭難した。1960年12月28日、富山大学山岳部冬期合宿で12名のパーティで赤谷山に登頂。このうち、剱岳を目指すアタック隊の6人が山頂でビバークし、ほかの6人はサポート隊員としてベースキャンプに下りたが、直後に天候が急変。アタック隊の6人が山頂の雪洞で一夜をすごし、翌日、ベースキャンプに下る予定が大雪で連絡ができなくなってしまった。そして、1月1日に6人が赤谷山で遭難したという報が入ったという。1月6日には全員(6人)の生存の望みが断たれる。この辺りの事情は大島文雄『富山の風景』(新興出版社1983)の「山のガイドさん」に詳しいが、捜索隊に南極越冬隊員だった佐伯富男が入っており、お酒の心配をしたと書いている。

 僕がこんなことを思い出すのは遭難して遺体が見つかった後、関さんの家まで母と弔いに行ったのを覚えているからである。その時、6人がどのような位置関係で死んでいたかという略図を見せられた。これが生々しく、小さい頃の自分の記憶に残っている。恐らく、死というものを教えられた最初だと思う。

●あがっと

 「上がり戸」で「玄関」などだが「さがっと」はない。例:「あがっとで待っとられ」(上がり口で待ってなさい)。

●あかまま

 「赤飯」で何かあるごとに炊かれる。例:「合格したらあかまま炊いてもっていってあげっちゃ」。

●「黒むすび」と「赤むすび」

 富山県産の水稲新品種の黒米と赤米の名前で公募したもの。「むすび」の文字に、「縁結び」や「結果が実る」などに通じるイメージがあること、 見た目を想像しやすく白を含む3色のおにぎりなどに活用できることから、名称を決めた 。黒米は「富山黒75号」、赤米は「富山赤71号」として育成された。

●あかり家

 「旬菜台所 あかり家」という飲み屋。大阪にもできたが、富山が発祥の店。本店には有名人の色紙が並んでいる。「お忍びで有名人が…」たって、有名人だったら、誰が来てもお忍びにはならないだろうに。

●あかん

 「ダメだ」だが「だちかん」の方を多用。例:「なん、あかんやっちゃ」(全然ダメな奴だ)。

●秋カマス

 「嫁に食わすな秋なすび」と言う諺があるように「秋カマス、嫁に食わすな」とも言う(全国共通)。それくらい、秋になるとカマスに脂がのって非常に美味しくなる。塩焼き、フライには最高。「秋カマス、嫁に食わすな」という言葉がある。もちろん、「秋茄子…」のもじりなのだろうが、富山でもカマスがおいしい。

●秋葉はん

 秋葉信仰というものを感じたのは僕の地元の尼寺の尼さんが亡くなった時だ。秋葉信仰というのは山岳信仰の一種で起源は不詳でが、中世に再興され、中部、関東地方を中心に広まった。火災と密接に結びついているので尼さんが亡くなったら火事が起きると年寄りは騒いでいた。僕は因縁話は嫌いなので、信じなかったのだが、たまたまその時期に2件ボヤが続いて、慌てて尼さんを迎えたということがあった。秋葉神社本宮は静岡県周智郡春野町の秋葉山(あきはさん)山頂にある。火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を祀る火防(ひぶせ)信仰の一つで、火防は一種の呪力、通力などの言葉を表すもので、火災を押さえ、防ぐ力をもつものとされた。

●アクアフェアリーズ

 黒部市を拠点に活動する女子バレーボールチーム「KUROBEアクアフェアリーズ」。フェアリーズの誕生は1998年ごろ。黒部市が2000年富山国体で6人制バレーの会場になったのを機に、地元チームの出場で盛り上げようと発足した。

●アクセント

 富山方言のアクセントはどの地域も同じで、全県ほぼ同じというのは全国でも珍しい(五箇山は少し違うという説もある)。

 五箇山出身の真田真治『方言の日本地図』(講談社)によれば、「雪」「犬」「歌」「池」「色」のうち、「ゆき」と「いぬ」はアクセントは語頭の方が2拍目より高い。だが、「うた」「いけ」「いろ」は語尾の方が高い。この2拍名詞でのアクセントの規則似ついて、富山方言には規則性があり、2拍目の母音に寄って、決まる。母音がイ、ウの時は語頭が高くなる。「いぬ」は2拍目の「ぬ」の母音がウなので、後藤に「い」が高い。アクセントのない平凡な言葉を除けばこのルールが当てはまると言う。

●あくたいもん 

 真田信治は『罵詈雑言辞典』で「腕白坊主」を富山方言でいうと書いているが、聞いたことがない。真田は「わるくた」もあげている。

●あぐち〜あぐつ

 「胡座」(あぐら)で「胡座をかく」ことは「あぐちかく」という。金沢でも使う。「正座する」を「おちんちんかく」という地方もある。

●あぐらしい〜あぐるしい〜あせくらしい

 「忙しい、忙しく働く」の意味から「重苦しい」の意味まである。金沢では太った人をみても「あぐるしい人」ということがある。

●明日【あけび】の稚児舞

 宇奈月町の「明日(あけび)の稚児舞」は国の重要無形民俗文化財に指定されている。宇奈月町明日の法福寺で行われる。稚児舞は1592年(文禄元年)、寺の再興を記念して始まったと伝えられており、寺の観音会に合わせて毎年奉納される。信者が寺の御詠歌(ごえいか)を歌う中、稚児は大人の肩車に乗って境内の舞台へ入り、「矛の舞」「太平楽」「臨河の舞」「万才楽」「千秋楽」などの曲を笛や太鼓の音に合わせて優雅に舞う。境内には県指定天然記念物「明日の大桜」がある。

●あこ

 「あそこ」。「あこなち」は「あそこの家(とその家人)」で「ここなち」は「ココナッツ」ではなくて「ここの家」。

●あごおとす

 「(顎が落ちるくらいに)おいしい」。例:「かー、あごおとしてしもうわ」。

●あごつまむ

 「言葉尻をつかむ」。

●あごたたき

 真田信治は『罵詈雑言辞典』で「口先だけの人」の意味だというが、僕は聞いたことがない。

●朝市

 1980年から続いている「高岡あさいち」が有名で、その後県内にも増えた。

●浅野総一郎 

 「京浜工業地帯の父」と呼ばれる実業家。1848年に能登半島の薮田村(現・氷見市)に生まれる。父親は町医者ながら、15歳で大商人をめざして最初の商売を興すも、次々と失敗し「総一郎ではなく損一郎」とも言われた。借金を抱えながら24歳で上京。冬場は特に骨の折れる水売りで、日銭を稼いだ。良質の水をくみ、埋め立てで造成されて、水に恵まれなかった下町を売り歩いた。廃品利用の事業を始め、後にセメント業に目を付ける。官営深川セメント(後の浅野セメント、現・太平洋セメント)の払い下げを受けたり、浅野造船所(後の日本鋼管、現・JFEスチール)を創立したりするなど実業家として成功を収めた。臨海部の利点にいち早く気づき、京浜地区の大規模埋め立てに積極的に取り組むなど「工業都市川崎」の発展の立役者の一人となった。中高一貫校の浅野学園(横浜市神奈川区)も創設した。1930年死去。2006年に映画『九転十起の男〜浅野総一郎の青春〜』に取り上げられる。富山商船学校が廃校になりそうになった時に、僕の父が嘆願に行った。

 北京五輪の馬場馬術団体に六十六歳の法華津(ほけつ)寛さんが、日本選手として過去最高齢で出場する見通しになった。これまでの記録は、一九八八年ソウル五輪の馬術代表だった井上喜久子さんの六十三歳。破られはしたが、井上さんの記録は女性最高齢として残る。

 井上さんは富山と少なからぬ縁がある。母慶子さんは氷見市出身の実業家、浅野総一郎の七女。つまり井上さんは総一郎の孫。『馬と舞う 井上喜久子オリンピックへの軌跡』(浜垣容二著)に、祖父と母に抱かれた一歳の井上さんの写真が載っている。

 父は東大馬術部の出身で、母は米国留学中、馬術に親しんだ。二歳のとき、一家は馬に乗りたいばかりに郊外に引っ越しまでしている。井上さんの馬術歴は、そこでロバに乗ることから始まった。

 十一歳のとき全日本馬場馬術乙種(ジュニア)で優勝し、その後全日本馬術大会を相次ぎ制覇。一九六四年の東京五輪で日本馬術史上初の女性選手として活躍し、七二年ミュンヘン、ソウルと五輪は計三回出場している。---2008年2月10日北日本新聞「天地人」

●朝炊き

 喜田川守貞『守貞謾稿』によれば、一日一度の炊飯をいつするかについて、江戸では朝炊き、大坂・京都では昼炊きだという。翌朝の飯をお粥にしておいしく工夫しようとした京坂の習慣がその後も続いたという。富山は少なくとも知見によれば、朝炊きが多かったと思う。夜に浸しておいて朝炊くのが普通だったと思う。

●あさはん

 「朝飯」で「朝食」。湯桶読みでおかしい。「ひるはん」とか「よるはん」とかいわないし、「そんなことはあさはん前やちゃ」ともいわない。松井栄一『「のっぺら坊」と「てるてる坊主」』(小学館)の中には江戸時代の『書言字考節用集』という辞書に載っていることや、二葉亭四迷の『浮雲』にも出ていることが指摘してある。

●朝日貝塚

 氷見市にある貝塚で貝塚から住居跡が発掘されたのは日本で初めて。大正時代の発掘された。縄文・弥生・古墳と続く複合遺跡。

●朝日百選

 氷見市内から望む朝日の風景が「日本の朝日百選」の認定を受けている。朝日百選は関西の観光業関係者らでつくる「日本列島夕陽・朝日の郷づくり協会」(大阪市)が1999年から順次認定しており、朝日では氷見市が10番目の認定となった。氷見市では、秋から春にかけて日本海越しの立山連峰から昇る朝日や、5月下旬−6月上旬だけに見ることができる、水平線から昇る蜃気楼現象による「だるま型の朝日」などが有名。ちなみに富山のほとんどの地域で夕日は海に沈まない。

●朝日町

 朝日岳の麓にある町。池内紀『なぜかいい町 一泊旅行』(光文社新書)で池内は日本海に面した朝日町には自然博物館があるというので行ってみる。ところがそれらしき建物がない。やがて気がつく。この町では、タブノキやヤブツバキの林を自然のままの姿に残し、そこを自然博物館としている。いい考えと納得する。この町はまたビーチボールの発祥の地という。田植えや稲刈りで腰が曲がった人の矯正のために考えられたのが始まりだと知る。

●足入れ婚

 富山出身の民俗学者・大間知篤三は「ある期間婿が嫁のもとへ通い、やがて嫁が婿方へ引き移る時に披露の式があるが、そのはじめの儀式をアシイレともよぶ」と述べている。宇治伸『富山の民俗・社会事典』(新響社)によれば、嫁入り前に聟家で一夜を過ごす形での「足入れ婚」が八尾、宇奈月、城端などであったという。

●あじこと

 真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)では富山の方言として載っている。「思い煩うこと。心配」というが僕は知らなかった。心配の種が解決した結果を「あじことばらい」と表現する。語源は「案じ事」だという。

●あじち

 「分家」。新湊などでは「あらべ」を使う。「畦・畔内」(あぜち)からだろう。金沢でも使う。

●葦附(アシツキ)

 藍藻類ユレモ目の淡水藻。じゅず状に連なった細胞列が寒天質に包まれて塊となり、浅瀬の石に付着する。昔は珍しいものではなく、食用で、京都では「加茂川苔」「貴船苔」、滋賀では「滋賀苔」と呼ばれていた。地方名ではなく、アシツキの名が残ったのは大伴家持の「雄神川(おがみがわ) 紅(くれない)にほふ 少女(おとめ)らし 葦附採ると 瀬に立たすらし」が有名だからだ。万葉集の越中歌にのみ一首ずつ詠まれた植物に、堅香子(カタクリ)・都万麻(タブノキ)・寄生(ヤドリギ)・葦附・藤などがある。

 雄神川は現在の庄川である。上麻生と大門町西広上のアシツキは、県天然記念物に指定されている。戦前は庄川左岸の高岡市戸出石代も指定地だったという。わき水や渓流の、日当たりの良い場所でしか生えない。

 天然記念物ではないが、庄川上流の利賀川でも戦前から確認されている。

●あじない

 「味ない」から「まずい」。例:「なんちゅー、あじない菜(さい)やろか」(何というまずいおかずだろうか)。

●アシモ

 ホンダのアトム型ロボット。富山と無関係に見えるが、頭と胴体のプラスチック部分をタカギセイコーで作っている。頭や胴体だけでなく“脚も”作ってほしかった。

 ちなみに富山の企業・川田工業が2足歩行型ロボットHRP-2を作っている。一人で起きあがりができるのが特徴で、打たれ強い富山県民の象徴となっている。というのは嘘で、「機動警察パトレイバー」などのメカデザインでおなじみの出渕裕によるデザイン。出渕の命名で「Promet(プロメテ)」という愛称がある。

●あじゃあじゃ〜あっじゃあじゃ〜あじゃぐじゃ〜あじゃぶじゃ

 「むちゃくちゃ」で呉西で使う。例:「あのっさんのいうことなぁ、あじゃあじゃやねけ」(あの人のいうことはまるで無茶苦茶で何を言っているのか分からない)。

●『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』

 井波町出身の医師・井村和清(1947-79)は倫子(みちこ)と結婚後、岸和田徳洲会病院に勤務していたが、線維肉腫と診断され、右足を切断。肺にも転移していた。31歳で亡くなった後に名前を一字取った次女清子が誕生した。遺書として残したのが『ありがとう みなさん』(青木新門『納棺夫日記』文春文庫にこの遺稿集の話が出てくる)で、これがNHK特集で取り上げられて有名になった。後に『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』(祥伝社)として80年に出版されてベストセラーになった。82年に映画化(竹下景子、名高達郎、大和田伸也、寺田農)されたり、テレビドラマ化されたり、韓国で訳書が出版された。倫子は和清の死後、故郷・沖縄県石川市に井村薬局に開業した。「心の優しい、思いやりのある子に育ちなさい」「思いやりのある子とは、まわりの人が悲しんでいれば共に悲しみ、よろこんでいる人がいれば、その人のために一緒によろこべる人のことだ」などのメッセージが感動を呼んだ。2005年にフジテレビからSMAPの稲垣吾郎、紺野まひる主演で放送された。

あなたたちのお父様は、病気に負けたのではありませんよ。医学の力が及ばなかったのです。最後まで負けなかったのですよ。

●あすぶ

 「遊ぶ」。「あすんだらく」は「遊んで歩く」。例:「ちょっこぉ、また、あすんに来られま」・「かいど行ってあすんどろ」(外へ行って遊んでいなさい)・「一緒にあすばんまいけ」(一緒に遊ぼうよ)。

●吾妻建【あずまだち】

 あずまだち民家は山形をした切り妻屋根で、二つの屋根に挟まれた壁面(妻)に設けた入り口がほぼ東に面した建物だから「あずまだち」という。農家の豊かさの象徴として競って建てられたが、昭和50年を境に建て替えられるなどして減っている。建築年代別では、明治末期〜大正初期のものと昭和20年代後半に建てられたものが多く、最古のものは明治13年築である。かつての農家は全て茅葺きだったが、明治以降に武家屋敷の建築様式が真似られたといわれる。

 砺波平野の散居景観を代表するあずまだち民家が、砺波地方をはじめ高岡市南部や射水郡など広範囲にわたり、2003年現在も3221戸現存していることが、砺波散村地域研究所と砺波郷土資料館の現地調査で確認された。砺波地方の九市町村では2464戸が現存。大門町の90戸や新湊市の34戸など射水地方、高岡市南部でも565戸を確認した。

 なお、吾妻建は東に玄関があるので、雪が積もって出にくくなることは少ない。

 稲葉実は吾妻建が陰陽五行説に適っているとして、次のように言う。

鬼門である北東の角には、収穫の準備と仕上げをつかさどる空間“にわ”を配し、裏鬼門の南西には“かいにょ”の繁みを設け、厳しい季節風からすまいをガードしているのが検証される。一方、福門(北西)の方角には、竹薮や実のなる樹木を植えて旬(しゅん)を待ち、敷地内の最も安全で健康的な場所である裏福門(南東)には蔵を設けて、非常時の貯えをここにおいている。家相の教訓と生活の知恵が、これほどまでにぴったりと呼吸した例は少ない。

●あせくらしい〜あせぐらしい

 「忙しい」。例:「あせぐらしー働いとっても、ぜんにはならんちゃ」(一生懸命働いても、お金にはならない)。

●あだけん〜あっだけん

 「あれだけ」で「こだけん」「そだけん」もある。例:「あっだけん勉強しとんがに全然成績あがらんがちゃ、どういうこといね」(あれだけ勉強しているのに全然成績上がらないというのはどういうことかね)。

●あたる

 「与えられる」「もらう」。「今日、弁当あたっていいかったね」といわれて食中毒になるような弁当だったのだろうかと、九州出身の同僚は思ったという。似たのに「だいてやる」「おかして」がある。

 富山だけの方言だと思っていたが、必ずしもそうではない。金沢でも使う。また、赤瀬川原平(横浜市生まれ)の『奥の横道』(日本経済新聞社)には(ちょうど富山へ来た時の話なのだが)12時半発の富山便に乗り、帰りは6時発の羽田便に乗ったら、弁当が出てきたという。

 ゆっくりとお茶を飲んで搭乗。飛行機は六時発。さて帰還で原稿でも、とあれこれ広げて書こうとしていたら、何と、お弁当が出てきた。え?と思った。たしかに六時発だと夕食時になるので、国内線でもこういうことになるんだ。お昼も当たって夜も当たるというのは珍しい。はじめての体験である。

●あたわり

 「あたわる」からで、「さずけもの」「縁」で「天佑」、そして「宿命」に近くてよく使う。英語の“gift”である。夫婦・家族関係のことをいうことが多い。例:「あんたとこうやってホームページで出会えるちゃぁ、あたわりながいちゃ」(あなたとこうしてホームページで出会えるというのも何かの縁を感じますね)。

●あっかり

 「安心、安堵」で「あっかりする。あっかーとする、あっかっとする」という。「ほっこりする」とも。例:「やっとホームページ書いてしもうてあっかりしたちゃ」(ようやくホームページを書き終えて安堵しましたよ)。

●「アッカリーオ」

 新湊の内川にある川の駅の2階のカフェ。「安心するという」意味の方言の『あっかりする』に、イタリア語で「水辺」「川」を表す「リーオ」をかけた。

●アツシ

 射水市(小杉町)出身のサッカー選手・柳沢敦

●あったかない

 「あたたかい」でさすがに誤解を招くので若い人は使わなくなった。「いとけない」「きたない」など「甚い(ナイ)」の付いたもの【(接尾)〔形容詞型活用([文]クな・し)〕性質・状態を表す語(形容詞・形容動詞の語幹など)に付いて形容詞をつくり、程度のはなはだしい意を表す。「切―・い」「せわし―・い」-----『大辞林』】で、「せわしい」もいうが「せわしない」も使うという現象がある。「あたたかい」よりも「あったかない」のほうが、「暖かさ」の度合いが高いということになる。例:「今日、なんちゅー、あったかない日け」。

●あっちゃー

 間投詞で「何という」。最近のガキは「オーマイゴー」などという。例:「あっちゃー、忘れてしもとったがいね」(あれぇ、忘れてしまったよ)・「あっちゃー、こんなことしてもろて気の毒な」(これはこれは、こんなことをしてもらってありがとう)

●あっちゃこっちゃ

 「あちらこちら」。例:「ファイルぅ、あっちゃこっちゃ、やっとったら、どこ行ったか分からんようになってしもうた」(ファイルをあちらこちらにしていたら、どこへ行ったか分からなくなった)。

●あっぱっぱ

 「だらしない格好」を「あっぱっぱのかっこう」という。「その服、あっぱっぱやぜ」というと「しまりのない、だらしない服装」を指す。大辞泉には「女性が夏に着る家庭用のワンピース。通気性をよくするように、ゆったりと作る。大正末から昭和初期にかけて大阪地方で言い始めた語」と書かれていたが、朝ドラ「カーネーション」(岸和田が舞台)を見ていたら、ほとんど「洋服」の意味で使っていた。

●アップルセンター富山

 「ベルテック」という、むかし存在したアップルのお店。100満ボルトから北へ500メートルくらいのところにあった。いい人たちばかりだったのに潰れてしまった。Macintoshでも他店に勝てない状況が多かったものなぁ、と感慨にふける。

●厚焼き卵

 関東では「厚焼き卵」、関西では「だし巻き」というが、富山は「厚焼き」である。「卵」までは言わないかもしれない。

●あっら

 「ありますよ」。例:「ここにあっら」(ここにあるよ)。

●あて

 「あすなろ」の木で、能登が名産であり、石川県の県木になっている。大工さんから「くさまき」という言葉も聞いたことがある。

●アド小屋

 氷見市の十二町潟にかつてあった水上式の漁業小屋。「アド」は漁を指し、十二町潟では潟の改修が行われる昭和30年代ごろまで、漁師たちがアド小屋から網を使いボラなどを捕っていた。小屋と岸は五メートルほど離れており、資材は木製の簡易橋を架けて運搬。水に強いアテの木を支柱にし、水面から約2メートルの高さに3・3平方メートルほどの床を設けた。小屋の屋根には竹やチシャの木を組み、上からカヤをふくなど、いずれも昔ながらの手作業で復元した。

●あとまたい

 「後始末」。

●あとまっつり〜まっつん

 「祭の次の日」。前日は「よいまっつり」で当日は「まっつり」。

●穴の谷の霊水【あなんたんのれいすい】

 上市町黒川にある名水の一つ。「あなんたんのみず」ともいう。昔は蛇の穴、善光寺穴とも呼ばれた。万病に効く奇跡の水ともいわれ、富山の人よりも県外の人に知られている。クロロフィリンが入っているためだともいう。南正時の『ご利益のある名水』(講談社α新書)ではルルドの泉に匹敵するほどのゲルマニウムを含有しているという。この本にはもう一つ同じ上市の「弘法大師の清水」も入っている。穴の谷から更に奥に入ったところにある。

 富山県には「名水百選」に選ばれた名水が全部で四つある。他に瓜裂【うりわり】清水【しょうず】(庄川町)、立山玉殿の湧水(立山町)、生地の清水【しみず】(黒部市)がある。

 「清水」のことを「しょうず」といい、櫛田神社近くの「弓の清水」(ゆんのしょうず)なども知られる。

 なお、庄川町には水記念公園がある。

●アニメ

 富山を舞台としたアニメ。もちろん、「サザエさん」にも富山特集があったし、「ドラえもん」にも必ず投影されているだろうから、完全に網羅することはできない。

 

  • true tears(ピーエーワークス、2008年)…舞台である富山県麦端町は南砺市城端町がモデル。
  • ペルソナ 〜トリニティ・ソウル〜(A-1 Pictures、2008年)…舞台である富山県綾凪市は射水市がモデル。新興都市・綾凪市ではいくつかの怪奇事件が発生していた。富山湾の潜水艇の中からは乗組員が姿を消し、市内には10年ぶりに無気力症の人々が現れ、何人もの学生が、皮膚の表裏が反転した無惨な死体となって発見された。綾凪警察署長である諒は“ペルソナ”を武器に、秘密裏に一連の事件に関係する組織を追う。慎らもまた事件に巻き込まれていく中で“ペルソナ”を発現させる。
  • マイの魔法と家庭の日(ピーエーワークス、2011年)…
  • ゆるゆり(動画工房、2011年)…
  • ●「アニメの聖地」

     城端は「アニメの聖地」して知られる。“true tears”のおかげである。

    ●あねま〜あねさ〜あねはん

     「あねさん」。未婚・既婚を問わず若い女性。

    ●姉相続/姉家督

     長男ではなく、長女が家を継ぐことがある。僕は親が年を取ってからの子どもだったので、10歳上の姉が相続するかどうか大きな問題になったことがある。男であれ、女であれ、最初に生まれた子に家督を継がせるのは「初生児相続」という。

    ●あのく〜あぬく

     「仰向く」で「上を向く」。例:「ちょっこぉ、あぬいて」(ちょっと仰向けになって)・「上をあのいて歩かんまいけ、涙がこぼれんように」・「あのきざま、首、痛めてぇ」(仰向く時に首を痛めて)。

    ●あのっさん

     「あの人」。例:「あのっさん、ちょっこぉおっかしいがでないけ」(あの人はちょっとおかしいんじゃないでしょうか)。

    ●アノラック

     冬に着る(当たり前だが)防寒具で「カストロコート」とも。「アノラック」【anorak】というのはエスキモー語である。英語では「オタク」、つまり「自分の興味があることだけに没頭し、ファッション・センスのない社会適応能力に欠ける人間を称する言葉」という意味でも使われる。アノラックを着て駅のホームの端でどんな天候でも長時間座っている列車マニアの姿から生まれた。

    アノラック

    ●あばえくさる

     「甘えすぎる」。

    ●暴れ川

     常願寺川の異名。

    ●あばれもん

     「暴れ者」なのだが、暴力を使うだけでなく、あちらこちらで議論をふっかけて混乱させるような人。例:「なん、あいつー、あばれもんやから、だっとでも喧嘩すんねか」(本当、あいつは暴れ者だから誰とでも喧嘩をするね)。

    ●虻ケ島【あぶがしま】

     大境に近い氷見の沖合いにあるひょうたん型の富山湾内最大の島。寒流と暖流の交わる海域で、北方系と南方系の動植物が共存する、県指定天然記念物。

    ●アピア

     富山市にあるショッピングセンター。サモア独立国の首都がアピア(Apia)だが、この場合は語呂がいいからつけられたと思う。英語ではAPAと表記する。

    ●アピタ

     ユニー系のショッピングセンター。アピタ富山店があるが、もう一つの富山北店はフェアモール・アピタという。

    ●あぶらげ

     「油揚げ」。昔は「とっぺや」がいっぱいあって、あぶらげの美味しい匂いがしたものだ。

    ●アプリオ

     旧大島町に小島あったショッピングセンターで「アプリオ・ユニー大島」。1989年、旧大島町の誘致により、ショッピングセンター「アプリオ」の中核店としてオープン。売り上げはピーク時の96年に53億円だったが、その後は落ち込み、2005年2月期は21億円で2006年9月に閉店。1996年11月に小杉のアルプラザ、2000年10月には旧・婦中町のファボーレ、2002年9月には高岡のイオン、更にイータウンが近くにできて客が激減した。跡地には救世主・大阪屋が入った。

    ●安部賞

     1991年、氷見市早借出身の名誉市民・故安部清が氷見市に寄付した一億円を基金にして創設された賞。安部は新湊市堀岡にも住んでいたことがあり、堀岡小学校にも安部文庫があったし、寄付も多かった。「ベビー」という会社を創業した。

    ●あへんど

     僕の世代は使わないが「挨拶」で「挨拶をする」は「あへんどをかく」。「相返答」から来たらしい。

    ●安房峠【あぼうとうげ】

     岐阜県の上宝村と長野県の安曇村を結ぶ峠で冬は通れなかった。97年にトンネルができて冬でも通れるようになったが、スノータイヤがないと通れない。

     葉山の姉の家に行くときは41号線を神岡まで行き、上宝を通り、安房トンネルを越え、松本から長野自動車道、中央自動車道で八王子まで行く。峠越えの頃よりはずっと便利になったが、長くて険しい道である。99年には上信越自動車道ができた。

    ●あほんだら

     富山だけではないが「阿呆のダラ」ということで、「馬鹿」のことをいう。

    ●天池【あまいけ】

     巴御前ゆかりの泉。天池は、車が通行できる源平ラインとは別のところを通るふるさと歩道の途中、かつて茶店があった「峠茶屋跡」近くのがけ下にある。伝説によると「義仲の死後、巴御前が戦死者の霊を弔うために倶利伽羅山に登る際、身を清めた清水がわき出る泉」とされる。

    ●あまえた

     「あまえんぼ」。

    ●甘海老

     富山湾の味覚。金沢などでは昔からよく食べたが富山はどうだったのだろう?少なくとも僕は小さい頃、あまり食べなかった。高かったが、随分安くなった。ほとんどが冷凍の輸入物になってきていて表示を見るとグリーンランド沖などから運ばれているものもある。

    ●雨ごいの神

     片貝川上流の龍石神社(魚津市南又谷)が有名。同神社は市街地から約20キロ離れた山間部にあり、昭和16年に同社の前身・北陸合同電気が造営。同社は毎年春と秋に祭礼を行っている。

     春の祭礼では神社そばを流れる片貝川にある「龍石(蛇石)」にお神酒をかける。龍石は白い花こう岩で、幅約2メートル、高さ約1・5メートル。表面の黒い輝緑岩の模様が龍のように見える。伝説では、狩人に撃たれた龍が石に絡みついて死に絶え、その恨みで片貝川に大洪水を起こしたとされる。洪水があれば龍石のたたりと恐れられ、干ばつの時に龍石をたたけば雨が降るとされている。

    ●雨晴【あまはらし】

     能登半島国定公園の中に雨晴という場所がある。日本の渚百選になっているように、とてもきれいなところで、何よりも冬の立山までの景観がすごい。1187(文治2)年に奥州落ちの義経一行が雨をしのいだ所といわれている。如意の渡は『義経記』にあるが、雨晴はない(『越後名所志』にあるようだが未確認)。「この下よしつね公雨はらし」の碑がある。義経岩、男岩、女岩などがある。義経岩には義経をまつった祠(ほこら)がある。

     立山連峰をバックに、この島を撮るカメラマンが多い。特に放射冷却現象で海から立ち上る蒸気霧「けあらし」の出る冬にはたくさん集まる。

     海から立山連峰がにょっきりと出ていたのに、伏木外港の防波堤がくっきりと水平線を作ってしまって興ざめである。責任者出てこい!

     『文藝春秋』の表紙にもなった。画家の平松礼二によれば「春を迎える山からドヴォルザークの新世界が聞こえてくる」ような風景だという。


    2006年3月号『文藝春秋』表紙

     安西水丸の『たびたびの旅』(フレーベル館)に「フクラギを食べに行く(富山・氷見)というエッセイがある。

     氷見には富山から北陸本線で高岡に出て、そこから氷見線に乗る。終着駅が氷見だ。途中に、雨晴という変わった名前の駅がある。アマハラシと読むらしい。音読すると日本画家のような名前になる。と、まあ雨晴についてはまた別の機会に。

    ●雨晴ハイツ

     雨晴の丘の上にある宿泊施設。現在は「磯はなび」というのだが、未だに「雨晴ハイツ」という人が多い。

    ●雨

     降水量の問題ではなく、北陸は天気が不順だ。金沢では(同じ言葉を使う地方がいくつかあるが)「弁当忘れても傘忘れるな」という。芭蕉も仲秋の名月を楽しみにして敦賀に着いたのだが、雨にたたられている。「十五日、亭主のことばにたがはず雨降る」とあり、こう詠んでいる。「名月や北国日和定めなき」。

    ●雨踊町

      高橋順子『雨の名前』(小学館)に出てくる地名だが、聞いたことがないので調べると岐阜市の「あまおどりちょう」らしい。

    「雨宮」は、かつて雨乞いをしたお宮があったのだろう。「雨踊町」という名が富山県にあるが、雨乞いのための踊りからだろうし、奈良県の「雨師」には有名な祈祷師がいたのだろうか。

    ●あめこく

     「機嫌を取る」。例:「あめこいときゃ、そのうち、いいことあっっちゃ」。

    ●あやまち

     「ケガ」。「あやまちの医者」というとどんなに罪深い医者かと思えたり、「薮医者」に聞こえてしまうが、内科でなくて外科医、整形科医。

    ●鮎/アユ/香魚

     「東の神通川、西の庄川」といわれる。神通川は深くて水量も多く、運動量が自然に多くなるので大きい鮎が釣れる。庄川は比較的浅くて、石も小さめだが、川底から湧き出る伏流水が多くて、清らかな水が香りの高い鮎を生むという。

    ●あよむ

     「歩む」。

    ●あら

     「あれは」。「これは」は「か」で「それは」は「さ」となる。例:「あらー、何ちゅーだらやろか」(あれは何という馬鹿な人だろうか)。

    ●あら

     魚などの捨てる部分で美味しい。『美味しんぼ』では九州場所で相撲取りが所望した「あら」をそうだと思っていたが、実は九州の魚のアラだったという話がある。こちらのアラは大きいもので20―30キロになり、11―12月が旬の大型魚。関東地方ではクエとも呼ばれる。かつての九州場所でのタニマチ(後援者)の差し入れでは、最高のごちそうだった。最近では扱う力士がいなくなって要望が少なくなっているという。

    ●洗う

     ものを洗うだけでなく、富山の人は仏壇も「洗う」。といっても、きれいにすることで、具体的には剥がれた金箔を張り替えることである。

    ●阿良加志比古(あらかしひこ)

     七尾市の久麻加夫都阿良加志比古神社(くまかぶとあらかしひこじんじゃ・熊甲神社)。大祭は毎年9月20日に行われることから“二十日祭り”とも呼ばれている。祭りのハイライトは天に向かってそそり立つ高さ20メートル以上の枠旗(わくばた)が神輿のように練り歩くところ。各集落に鎮座する末社の神輿と枠旗が天狗面をつけた猿田彦を先頭に熊甲神社に参集する姿は壮観で、見る者を圧倒する。この神社の祭神は朝鮮半島からの渡来神といわれており、独特のリズムをもつ鉦や太鼓の音、猿田彦の乱舞、枠旗を差し上げるときの「イヤサカサー」という威勢のいい掛け声など、エキゾチックな雰囲気にあふれている。ここをはじめ、能登半島から富山湾沿いにある神社には朝鮮半島渡来のご神体を祭った所もある。

    ●あらく

     「歩く」。

    ●あらべ〜あらいべ〜あらい

     高岡や新湊で「分家」のことで「新家(あらいえ)が訛ったとされる。『富山県言語動態地図』によれば「アジチ、アライ、アライエ、アライベ、デーベ、シンタク、アラヤ、オッサン、ブンケ」という地域もある。富山では「おっじゃ」(次男以下)に嫁を迎える場合は家を建てなければならない。だから、お嫁に行くには両親と同居せず、新しい家をもらえるおっじゃの方が「あんま」(長男)より有利である。

     反対の本家は「おもや」という。何か行事がある時は「おもや」の人を呼ばなければならない。

     砺波では「あらい」というから「荒井、新井、新居」さんは混乱してしまう。

    ●新巻【あらまき】

     「鮭の干物」。12月初めから年の瀬まで、北アルプスから吹き下ろす寒風にさらす天日干し天日干し(寒干し)する新巻がたくさん並ぶ。富山市の一番町の「原田商店」が有名だ。おなかを開いた北海道羅臼産サケを荒縄につるし、毎日場所を変えながら干している。身が締まり、ほどよく脂が乗って風味豊かになるのを待つ。お歳暮や正月用として発送される。「天気1日、空っ風3日がちょうどいい」という。昔は新巻をいっぱいもらって余って仕方がなかったが、冷蔵庫の普及とともに少なくなった。「新巻」は「荒巻」が本当だという説がある。室町時代に塩鮭を塩俵の荒筵(あらむしろ)で巻いたところから付けられたという。でも、プレゼントするには「新巻」じゃないとダメだろう。

     呉東の方が新巻をよく使うが、鮭は東日本の文化だということが関係しているのだろう。西日本は鰤の文化で、新湊・氷見などがその中心である。

    鮭さげて女のはしる師走哉---正岡子規

     呉東が多かったスーパー大阪屋が呉羽に進出してきた時に、新巻がいっぱい売られていたのを見て、文化が違うと思ったものだった。

     ブリの新巻は「いなだ」という。福岡町矢部ではコイの新巻き作りが成田養魚園で行われている。

    ●霰【あられ】

     前田普羅に「一掴(つか)み姥が投げたる霰かな」という句がある。霰の淡さが分からなければならないし、市振の近くの上路を舞台とした謡曲『山姥』を念頭に置いていることが分からなければ解けない句である。

    ●アリアンサ富山村

     ブラジルのミランドポリス市にある。松沢謙二という人が1927年に初めて同村に入植した。

    ●ありがとうなる〜ありがたぁなる

     こたつに入ったり、価値はあるのだろうが眠くなるような講義を聞いていると「ありがたーなる」という。子どもが眠くなっているのを見ると「ありがとうなってしもおとる」などという。恐らく、下を向く動作が感謝している動作に似ているからだ。「ありがたくなる」で「眠くなる」というのは富山だけの方言ではなく、金沢でも使うし、東北でも使うはずが、共通語ではないようだ。

    ●有頼柳

     立山を開山したとされる佐伯有頼の館があった、有頼の父で越中の国司・有若の館跡には有頼柳と呼ばれる老木がある。新川地方では、昔から、立山参拝のときには片貝川の小石1個を柳の枝に載せ、代わりに載せてあった小石を持って頂上に奉納する風習があった。災難を免れ、壮健さを授かり、願い事がかなうとされた。この柳のある魚津市木下新の片貝川右岸の河川敷に「有頼柳」碑が建てられている。

    ●有磯【ありそ】

     富山湾を「有磯」ということがある。古くから使われていたが「(波の)荒い磯」という意味の一般名詞だったと考えられるが、いつの間にか富山県の海岸を表す固有名詞のようにとられるようになった。『奥の細道』でも「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」と歌われ、句碑は新湊市の放生津八幡宮にある。

     大伴家持は大和にいる弟の訃報に接して、哀傷歌を詠む。弟とは「山川の隔(へな)りてあれば」と次のように歌った。

     かからむと かねて知りせば 越の海の 荒磯の波も 見せましものを(巻17・3959)

     三国の遊女俳人だった豊田屋哥川(かせん)に「奥そこの知れぬさむさや海の音」というのがあって、雪国の生活の厳しさを見事に表現している。

     福井県三国町出身の作家・詩人の高見順は「荒磯」の中で、ふるさとの情景を非嫡出子として生まれた自らの境遇と重ねて次のように歌ったが、まったく同じことが富山にもいえる。

    おれは荒磯(ありそ)の生れなのだ
    おれが生れた冬の朝
    黒い日本海ははげしく荒れていたのだ
    怒濤(どとう)に雪が横なぐりに吹きつけていたのだ

     「有磯」というのは「有磯高校」が氷見市にあるせいもあって、どちらかというと呉西のイメージなのに、北陸自動車道の「有磯海(ありそうみ)SA」は滑川市、「有磯ドーム」は魚津市にある。

    ●ありまち〜あるまち

     「あるだけ全部」。例:「財産、あるまち取られてしもうた」(全部取られた)。

    ●あるいたらく

     「歩いて歩く」で「歩く」なのだが畳語的表現。「食べたらく」は「食べて歩く」、「走ったらく」は「走って歩く」(走っていく)。例:「どこ、歩いたらいたがいね」(どこをほっつき歩いていたのですか)。

    ●アルビス 

     北陸スパー本部(1968年設立)、チューリップ(1971年設立)の合併で1992年に生まれた会社でスーパーのチェーン。

    ●アルプラザ

     平和堂のショッピングセンター。1996年11月に小杉の駅裏に初めてアルプラザができた時は大島町のアプリオの客が動いた。2000年10月には婦中町にアルプラザのファボーレが開店した。県内どこからで1時間で行けるというのがうたい文句だった。2002年9月には高岡にジャスコのイオンができ、お客はまた移動した。

    ●アルペン【Alpen】

     “Alpen”というのは複数形でドイツ語の「アルプス山脈」。「立山黒部アルペンルート」というのが富山の「売り」だ。富山から立山の下を通って黒部第四ダム、大町まで抜けるルートである。「立山トラフィックサービス」という車を裏側まで回送する会社が有名。

     立山黒部アルペンルートの美女平⇔室堂(全長23キロ)が開通したのは1964年で傾斜のきつい別ルートを半日がかりで歩いたこの間は約50分の高原バスで往来が可能になった。室堂⇔大観峰はトロリーバス、大観峰⇔黒部平はロープウェイ、黒部平⇔黒四はケーブルカーで行く。4月から11月まで開通している。

     富山市民球場もアルペンスタジアムと呼ばれ、巨人とヤクルトとの大乱戦、日本シリーズ、イチローの怪我など波瀾に富む。

     「日本アルプス」というのは英国人鉱山技師ゴーランドが1881年、『日本案内』を刊行した。彼は飛騨山脈(北アルプス)を調査したことがあり、著書でこの山岳地帯を日本アルプスと呼んだ。後に英国人ウェストンや小島烏水がさらに中央アルプス、南アルプスの名前を広める。中央アルプスは木曽山脈、南アルプスは赤石山脈が中心。

     2003年4月、山梨県中巨摩郡西部の6町村が合併して南アルプス市が誕生する。

    ●アロマ・ガーデン

     氷見市海浜植物園。

    ●アロンアルファ

     強力瞬間接着剤。高岡にある東亜合成で作られていることはあまり知られていていない。

     アロンアルファの語源は1933年に始まる。矢作(やはぎ)川での発電を利用して硫酸などを製造していた「矢作工業」が設立され、主要製品にアロー(矢)をかたどったマークをつけていた。これが東亞合成の前身である。戦後、ナイロンなどの「ロン」に会わせて「アロン」というブランド名が確立された。63年に工業用瞬間接着剤の生産を始めた時に、原料の化学品「アルファシアノアクリレート」の「アルファ」を組み合わせて「アロンアルファ」とした。これが一般用に売り出されたのは71年。アメリカには工業用にアロンアルファだったが、一般用に“Krazy Glue”(クレイジーな糊)とわざとKで始めてインパクトを与えた。香港では「AA超能膠(チューナンガウ)」、中国では「阿隆発(アーロンファツ)」として売られている。

    ●あわあわ〜あわわ

     「だらしのない」様子。『センセイの鞄』などの川上弘美の文章に「あわあわと」が出てくるが、違う意味で「センセイとわたしが、過ごした、あわあわと、そして色濃く流れゆく日々」などと書かれる。例:「きもん、あわわに着とんねけ」(服をしまりのない様子できているね)。

    ●あわさ〜あわさい〜あわい

     「間」。例:「あわさに物入ってしもて取れんがいちゃ」(間に物が入って…)。

    ●合わせ水

     呉西で行われる結婚式当日の風習で金沢でも行う。竹で持ってきた水を合わせ、その盃(さかづき)を割る。盃は素焼きのもので、割るのは主として仲人の役目。その仲人も女のほうがその大役を果たすことになる。割れないと、新婚夫婦がうまくいかなくなるという見方がされるので必死に割る。下が固いことを確かめないと土間だと割れないことがある。

     呉東は盃を割るのは呉西地区と同じで、婚家から出された水だけを飲む。

     『おもしろ金沢学』(北國新聞社)によれば、金沢では「合わせ水」の後、新郎新婦が家に入って表戸が閉められた途端、見物に集まった近所の人たちがその戸を目がけて小石を投げつけるという。この婚礼風習は「石打ち」「礫(つぶて)打ち」と呼ばれ、花嫁に嫁ぎ先の家を出るなという戒めだった。花嫁に反対する時は花婿の家の裏手から石が投げつけられたという。

     ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』の中に水合わせと同じような儀式が出てくる。ユダヤ人の結婚式では、家族はキャノピイ(canopy)を支え、その下に花婿、花嫁が並ぶ。まず花嫁が花婿の周囲を7回まわる。最初に、花婿がラビ(司祭)からの祝福を受け、ワインを飲み、続いて花嫁が飲む。この後、花婿はコップを逆さまにして、自分の足下に置き、「マーザルトーブ」(mazel tov“おめでとう”“成功を祈る”)といって、コップを割る。これは昔、ローマ帝国のティツスによってエルサレムの神殿が壊された時の屈辱を、ユダヤ教徒として忘れるな、という戒めだという。

    ●あわら

     「脇」。例:「あわら、こちょがしたらあかんねけ」(脇をくすぐったらダメ)。

    ●あわらだ

     「あばらだ」ともいう。「あらわ」(脇)まで浸かるような湿田を指すが、新湊の田んぼには「あわらだ」が多かった。「たづる」と呼ばれる船を使って田植えをしたり、稲刈りをしたりした。また、お腹から胸に藁を入れて沈まないようにして農作業をした。

    ●アンサンブル金沢

     「オーケストラアンサンブル金沢」。富山県内にはプロのオケはないので、アンサンブル金沢がよく富山で演奏する。小杉のラポールのひびきホールが音響がいいので、録音によく使った。

    ●庵主はん【あんじゅはん】

     「尼さん」。厳密には「庵主」なのだろうが…。

    ●あんたまたぁ

     「もちろん」。例:「さ、あんたまたぁ、面白かったちゃ」(それはもちろん、面白かったよ)。

    ●あんたらっちゃ〜あんたら

     「あなたたち」。「あんたら」ともいうが語感がきつい。KNBの相本芳彦アナウンサーは「アンタラッチャブル」という番組を持っていた。

    ●あんちゃん

     「あんた、あんちゃんけ?おっちゃんけ?」と言われたら「長男」の意味である。

    ●あんちょこ

     方言ではないが、教科書の答えが書いてある参考書を「あんちょこ」といい、「虎の巻」とは言わなかった。もちろん、「安直」が訛ったものとされる。

    ●あんにゃ

     「あんた」のこと。複数は「あんにゃらっちゃ」。「あんにゃ」といわれるのはまだいい。「わー」(相手を指す「我」)とか「わーらっちゃ」などといわれることもある。魚関係者では前日の魚を「あんにゃ」ということもあると聞いた。

    ●あんね

     「日記」でも「生理」でもなくて、「娘さん」「嫁さん」。例:「あんたとこのあんね、いくつにならっしゃったけ?」(オタクのお姉さんは幾つになられましたか)。

    ●あんばいわるい

     「具合が悪い」(病気だ)。

    ●あんばやし

     「こんにゃくの酢味噌あえ」で「あんばい(安排・塩梅)よごし」の縮まった表現。お祭りでルーレットを廻して、その数をもらう。「あんばやし」というのは富山市あたりの方言のようで、僕は使わなかった。

     こんにゃくは睾丸の砂を取ると言われている(他の地方はどうだろう?)。

    ●あんま

     按摩さんのことではない。長男のことを「あんま」という。次男は「おっじゃ」という。「あらべのあんまぁ、な〜ん、仕事せんとブラブラしとる」(分家の長男、ちっとも仕事をしないでブラブラしている)なんて使う。


    英語

    数字

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