『裸のサル』としての人間
寂しさという感情は単純ではない。
友だちに恵まれていても、愛する者が身近にいても感じる寂しさ、
それは人間が人間である証しかもしれない。
言葉を持つようになって、ヒトは自然と一体になれなくなった。
若いころのさびしさと老いてからのさびしさは違う。
人間関係に恵まれるだけではたりない。
自然に近づくことで、老いは若いころには、予想できなかった豊かさを
知るのではないか。
-----谷川俊太郎王 浅瀬に難破した船の乗組員同様、次の潮で押し流されてしまうだろうと。
ベーツ そのお考えを王様に申し上げてはいないのか?
王 うん、それに申し上げるべきではないと思う。おれみたいなものが言うのもなんだが、王様だっておれと同じ人間にすぎん、王様だってとはスミレの花はおれと同じように匂うだろうし、大空はおれと同じように見えるだろう。五官の働きだって人間の条件っどおりだろうし、国王のしるしである飾りをとって裸になればただの人間だろう。
-----『ヘンリー五世』(アジンコートの戦いで勝ち目がなさそうな時に一兵卒の姿で陣中を見回る)異なる文化に属する人々は、ちがう言語をしゃべるだけでなく、おそらくもっとも重要なことには、ちがう感覚世界に住んでいる。感覚情報を選択的にふるいわける結果、あることは受け入れられ、それ以外のことは濾しすてられる。そのため、ある文化の方の感覚的スクリーンを通して受け取られた体験は、他の文化の方のスクリーンを通して受けとられた体験とはまったくちがうのである。人々が作りだす建築とか都市とかいう環境は、このフィルター・スクリーニング過程の表現である。事実、このように人間の手で変更された環境をみれば、感覚の使いかたがいかに異なっているか知ることができる。
-----E・T・ホール『異なる次元』(みすず)
デズモンド・モリスという学者は人間を『裸のサル』と規定し、大変おもしろい本を書いた。
さて、人間を裸にすると動物になるかというとそうではない。ヒトを裸にしても文化を背負っているのである。化粧の仕方だけでなく、髪の毛や爪の切りかた、歯の治療跡、注射の跡や手術跡、人によっては入れ墨などがその人の育った文化を表している。インドの女性はティラク(ビンディー)と呼ばれる赤い印を付けているし、アイヌやペルーやアフリカの人々は昔からピアスをしているし、ポリネシアの人々の入れ墨はタトゥーの語源となった。
そして、表情そのものが文化なのである。
吉本隆明は『アンアン』で次のように書いているという(鹿島茂『空気げんこつ』ネスコから引用)。
現代の女性がとくに水着とか下着とかで未開人や原始人とおなじヌード姿をとり、それが雑誌のグラビア・ページを飾ったりするほど一般化しているのは、意識的に身体の皮膚の表層、形態、起伏それ自体を衣装のファッションと見做しているからである。それは未開人や原始人とおなじ裸身にみえても、ほんとうはまったく反対物で、目に視(み)えない無限の衣装のファッションを身体で覆っていることなのだ。
同じことを言語社会学者の鈴木孝夫は『私は、こう考えるのだが。』(人文書館)は次のように書いている。リリーサーというのは自動販売機に入れるコインみたいなものだ。
ところで人体にはこの性器以外にも性的リリーサーとして働く部位(催淫帯)は他にいくつもあるが、どの部位がそれかということはそれぞれの文化によって大きく違っている。気候が温暖から高温にわたる地域では、砂漠のような場所を除くと、一般に上半身裸で暮らすことが普通であるため、胸や乳房を常時露出していても別にどうと言うことはない。ところが寒い気候の下に住む民族の場合は、当然季節を問わず衣服で全身を覆っているから、普段は隠れて見えない女の乳房がもし露出されれば、それは男にとって視覚的な性的リリーサーとして機能することが多い。女の素足姿も生活が靴と無縁であった日本では、昔から普通に見られる風俗であったが、隣の中国から遠いイギリスまで、人前で女が素足を見せることは強い性的シグナルを発することになる文化が存在するのである。
□ だからこそ、人間はnature(生まれ)よりもnurture(育ち)の動物であるといわれるのである。自然の生理的な現象をとってみても、文化の乳で育ったことが分かる。
塩野七生は「官能」(『人びとのかたち』新潮文庫)で次のようにいう。美しい言葉だ。
官能という言葉を耳にしたとき、日本人はきっと、肉体的な官能を思い起すのだと思う。だが、「センソ」とは、センスでもある。官能という訳語よりも、感能としたほうが、意味としては近いのではないか。センスとは、感じとる能力のことなのだから。
そうなると、肉体的な快楽を感じとる能力であるとともに、香りを愛でる能力でもあり、衣ずれの音や繊細なレースのゆらぎに眼をとめる感覚にもなる。夕映えの海を美しいと感ずれば、それもその人の「センソ」のなせる技だ。
では、五感について考えてみよう。
聴覚から始めるが、同じ音を間いても文化によって反応が違うことは前にも書いた。つまり、日本人と外国人では右脳と左脳の使いかたが違い、音楽や虫の音などを日本人は言語脳である左脳で聞き取る。また、おニャンコ・クラブの歌など私には騒音にしか聞こえないのだが、男子学生には大変きれいな曲に聞こえるであろう。(もつとも、この場谷、全く違った所に興味をもっているのかも知れないが……)。
味覚が文化によって異なることは各国の料理を見ていれば分かる。人間は他の動物と違ってある時期に雑食性を獲得したのだから食べられないものは基本的にないはずである。ところが、ある人の大好物が他の人にとって「げてもの」でしかなかったりする。げてものでなくても、オートミールのように日本人に全く味の分からないものがある。とはいえ、日本人の代表であった昭和天皇は毎朝オートミールを食べていたという。
反対に日本の刺身や納豆が食ベられない外人が多いし、ナマコまで食べられる人は更に少なくなる。中国料理で海燕の巣のスーブ(宮中の晩餐会によくでる高級料理なのだが)や蚊の目玉のスーブを食べられる人でも生きた猿の脳味暗を食べられないだろう(私自身はケニアで山羊の脳味噌のスーブを出され、へき易したことがある。日本にいても、渋谷の焼き烏屋で賢くなるぞといって、豚の脳味噌の焼いたのを出されたこともある。御覧のように賢くはならなかった)。
世界の大珍味と呼ばれるキャビア、トリュフ、フォワグラにしても、キャビアは食べられてもトリュフの匂いが嫌な人や、がちょうの肝臓と間いただけで食べられなくなる人がある。
□ 中国の雲南省の方へ行くと、昆虫食があり、イナゴの佃煮の好きな私と(とはいえ、イナゴの脚が歯に引っ掛かると厭な気分になる)でも蝉やコオロギの唐揚げは食べられそうもない。飢餓で悩んでいるアフリカで、すぐ前の湖で魚が採れるのに食べないで死ぬ民族がいる。魚は下層民が食べるものと信じきっているからである。日本人はアフリカの人々にイナゴの佃煮の作り方と魚の食べ方を教えてあげなければならない。それから、信州の生きた蜂の子を食べるという習慣にもかなり抵抗がある。
□ 宗教的にみると、イスラム教徒は豚がだめだ。そもそも「イスラム」という言葉は「服従」を意味し、唯一神アラーへの服従を誓う宗教である。断食月には食事を控えなければならないし、アルコールも禁止されている。
ヒンドゥー教徒は牛がだめだ。急進的な?菜食主義者には卵もだめ、という人がいるし、凄いのは大根、じやがいも、人参のような根莱類がだめという人がいる。どうやって生きていけるのかこちらが心配になる。
何でも食ベられるようになった日本人でもお葬式に魚や肉は食べられないだろう。
□ 人間と動物と嗅覚や味覚の感じ方が違って当たり前だ。カフカは『変身』にこれをめぐる問題がある。毒虫に変身し、自室に閉じこもっている主人公に、妹がさまざまな食物をドアから差し入れてくれる。空腹の彼はさっそく飛びつくが、すぐに自分の感覚の変化に気づく。人間だったときには大好きだった新鮮なミルクやパンの匂いも味もいまや耐えがたく、腐りかけの野菜やホワイトソースの匂いや味こそが逆にうまそうに感じられる!
視覚も同じようだが違う。同じ太陽を描いても日本人は赤に、西洋人は黄色に塗る。虹も日本人は七色だと思っているし、六色と思っている西洋人もいれば、何色か知らない人々もいる。ロシア人のように赤が好きな民族もいれば、中国人のように紫が好きな民族もいる。中国人は日本人が結婚式で黒を着るのは葬式みたいで嫌だという。
小さいとき、眼が不自由だった人が大きくなって治ったとき三角とか四角とか、円などの図形を把握できない事がある。これは個人的な問題だが、文化によってもそんな事が起こる。
『アラビアのロレンス』でロレンスが望遠鏡でやっと見える遠いキャラバンが誰なのかアラブ人の従者が容易に言い当てるというシーンがある。勿論、遠くまで見通せる自然や訓練の賜物なのだが、訓練させるのは文化である。ケニアからの留学生だったニコラス君も視力が4.0だった。
僕の職場は船の学校なのだが、船橋にいると船長たちが「1時方向にタンカー接近」などという。僕らには双眼鏡で見てようやく船が分かるくらいだが、専門家は船種までちゃんと識別できるのである。
また、ヴァン・デル・ポストの『カラハリの失われた世界』に出てくる話だが、ある日、現地の人を見通しのきくところへ連れていった。すると遠くに見えるキリンを手のひらに載るような小さな動物としか思わなかったというのである。ちょうど2次元の人が3次元、3次元の人が4次元の世界を理解できないようなものかもしれない。
ルソーは『エミール』第2篇の中で、もっとも遠くまで届く視覚は、全ての感覚の中で最も誤りやすいと書いている。視覚を触覚に従属させ、視覚の奔放さを触覚の正確さで抑え込まなければならないという。
□ 僕らは現代の映像に馴れてしまっているが、映画が出来た頃、こちらに迫り来る汽車に逃げまどった人が多かった。モンタージュ(編集)で時間や空間が省略されていても補って見ることができるが、馴れていないと異議を唱えることになる。
現代メディア論のマクルーハンの『グーテンベルグの銀河系』の「非文字社会の人間」に出てくる話だが、アフリカの人々にある教育映画を見せたところ、全体の内容は忘れさられていて、全く背景でしかなかった、画面を横切った鶏の挙動にみんなが注目したという。ここからマクルーハンは次のように結論づけている。
文字使用は人間にイメージのやや前方に焦点を合わせる力を与え、それによって文化の社会に生きるひとびとはこのような後天的に獲得された習性をもたないし、そのためにわれわれが見るようには事物を見ない。
□ 子供に映画を見せると本当のストーリーと全く違う受け取り方をしていることもある。
話は違うが、学生にヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ』を見せてやった。感想を聞くと女子学生がみんな「あんな女、つかまっていればよかったのよ」とプンプンしていた。僕なんかグレース・ケリーが助かると分かった瞬間、涙を流したものだが、性教育の行き届いている(?)ウチの学校の女子学生にはケリーの不倫が許せなかったのである。ダンナを殺す原因は確かにケリーにあるけれど、ダンナに感情移入していたら楽しめない映画である。
似たようなことが後に『告発の行方』を見せた時にあった。ここではだらしない身なりをしたジョディ・フォスターがレイプを受け、ケリー・マクギリスの弁護を受けることになるのだが、ジョディの態度が悪いと考える女子学生がいた。
まだ見せていないが日本映画『疑惑』を見せるときっと桃井かおりが悪い!と決めつけることだろう。
□ ちなみにレイプというのは人間的な行為だと思っていたら、鳥の中にもいて、シロビタイハチクイは巣を離れたメスがその辺にたむろしている不良の犠牲になるという。海獣のハーレムでもオスの無理強いがあるそうで、江戸城の大奥とは状況が異なるようだ。
□ 同様に、子供に絵を描かせるとブランコの向こう側のような見えないところまで描いてしまうことがある。これを「視的描写」に対して「知的描写」ということがある)。
これが文化の違いで出てくる訳である。物事が誰にでも同じように見えている訳ではないのである。少し違う話をすれば、肉食民族の西洋人は肉に余リにも馴れ親しんでいるせいか、豚の解体を平気で見ていられるようである(例えば、『1900年』という映画で出てきたのだが、見てる方が気持ち悪くなる位なのに映画の中の子供が平気で見ていた)。
□ 美というものに対する態度も文化で規定される。文芸評論家の山本健吉はドナルド・キーンに「アメリカ人は蛾は美しいと思うが、蝶は思わない」と言われてびっくりしたという。「日本人にとって蛾は厭(いと)うべきものの代表だが、外国産の蛾は極彩色のものが多く…」と『日本大歳時記』(講談社)に書いている。
アルジェのカスバでジャン・ギャバンが叫ぶ。「あの女、メトロに匂いがする」。『望郷(ペペ・ル・モコ)』だ。
ビートルズのデジタル・リマスター版がアメリカのアマゾンから送られてきた時に娘が「懐かしい」と叫んだ。小さい頃の外国の匂いだというのだ。円高の頃、よく外国から輸入していたのだが、そうして送られてきた輸入品を開けた時の匂いがするというのだ。
アウグスティヌスは『告白』で人間の記憶の中で一番強いものは嗅覚だと言っている。
臭覚も文化である。チーズの匂いがたまらなく好きだという日本人は少ないだろうし、クサヤの匂いの好きな外人がいるはずもない。日本人は隣の国のキムチの匂いを嫌がるが、日本人はおしんこ臭いといって嫌がる外人もいる。キッシンジャーは日本人は魚くさいといって日本嫌いになっていたようだ(日中国交正常化の時は「あのジャップめ」と怒りまくっていたようだが)。
シェイクスピア『ヘンリー五世』第4幕第1場で「王さまだってスミレの花はおれと同じように匂うだろう」と変装したヘンリー五世が語る場面がある。アジンコートの戦いの前に勝ち目がないことを王に進言すべきという兵士たちに言う言葉だ。大好きな言葉だが、王さまと僕らは同じようには感じないのだ。生まれた文化・教養によってまるで異なる。だって、タクアンや納豆やクサヤの匂いが好きな人もいれば、そうでない人もいる。香草が苦手な人もいれば、大好きな人もいる。
僕が人類学を教わった畑中幸子先生がニュー・ギニアで調査していたとき、豚の匂いを何とも思わない女の子たちに日本から持ってきた香水をかがせたら、みんな気持ち悪くなって「キャッー」といって逃げていったという。僕も小さい頃、香水の匂いに驚いたことを思い出した。
「竜涎香」(“りゅうぜんこう”ambergris)というものがある。鯨の腸内から採れる悪臭を放つ物質を乾燥させ、香料を加えて、スパイスや香水として利用する松脂に似たものだが、鯨のウンチをありがたがる文化があるなんて信じられない。
米原万里は『アルプスの少女ハイジ』が好きでいつか山羊の乳を飲みたいと思っていたという。アルバニアの海岸で1カ月すごした時に朝食としてミルクが出された(『旅行者の朝食』文藝春秋)。
「なんだ、こりゃ!!」
強烈な腋臭(わきが)みたいな匂いに鼻面を一撃された。
「山羊のお乳ですってよ」
【…】とにかくあらゆる乳製品が腋臭の臭いを放っていたのだから。一度デザートに生クリームをタップリ使った豪華なショートケーキが出てきて、喜び勇んでかぶりついたら、あまりの臭さにゲッと吐き出してしまったこともある。
結局わたしは山羊のお乳を美味しく飲めるようにはならなかった。【…】
山羊のお乳の味を知らないころに、この物語に出会えたのは、本当に幸運だった。東海林さだおの『ショージ君の南国卵騒動』(文藝春秋)でも「恐怖の山羊汁」が出てくる。匂い消しにニラを入れたというおばさんが申し訳そうに引っ込んでいく。その匂いは「十年間掃除をしない山羊小屋を、密閉して蒸し器にかけ、五年ほど発酵させ、その封をいままさに切った、というような恐ろしい匂いである」と表現している。
こんなひどいものなのに、鹿島茂『パリの秘密』(中央公論新社)に「ヤギの乳屋、街角に現る」というエッセイがあって、早く腐敗する牛乳に代わってヤギやロバの乳を飲ませる商売が18世紀にあったあったという。バスクからの出稼ぎの人がベレー帽(フランスではなくバスクのトレードマーク)をかぶって売っていたという。
こんなドイツのジョークもあるくらいだから、西欧人の匂いもすごいものだ。
「ヤギを買ったんだ。日々のミルク代を浮かそうと思ってね」
「だけど、きみんちには小屋がないじゃないか」
「当分、寝室で飼うことにするよ」
「でも、臭いぜ」
「それくら、ヤギの方で慣れてくれなきゃ」実は金関丈夫『新編木馬と石牛』(岩波文庫)に「わきくさ物語」というエッセイがあり、金関は「匂う人種には匂う文学がある」と書いていて、日本以外の古今東西の匂いの文学を列挙している。
□ 鹿島茂の『パリの秘密』でもう一つ分かったことがある。英語のフレーバー(flavor)、フランス語のパルファム(parfum)というのに長い間、違和感を感じていた。日本人は味と匂いは別物だと考えるだろう。ところが、どちらも「風味」と訳されるように味と香りの双方を意味する。それでいいと彼らは思っているから、フランスのアイスクリームの香料の匂いが強いのだ。馬っ鹿じゃないだろうか。味覚と臭覚を一緒にするなんて。
アイスクリーム屋でQuel parfum?と聞かれたら、Parfum vanille(バニラ味)とかParfum chocolat(チョコレート味)などと答える。いいかえれば、アイスクリームの違いは匂いの違いであり、もし匂いが弱かったら、違いも生まれないということになるのである。
□ ドラキュラが嫌いなのは十字架とニンニクだった。ニンニクの匂いだった。だから、ルーシーをドラキュラに狙われないようにヴァン・ヘルシングは部屋をニンニクでいっぱいにしてしまう。ところが、母親が部屋に入ってきて、その匂いのひどさにニンニクを捨ててしまう。すると、ドラキュラがやってきて、ルーシーもドラキュラになってしまう。これじゃ、まるで、耳なし芳一だ。
□ 腋臭など体臭の少ない日本人には外国製の香水が合わなかったりする。
小さい頃、外国というのはロシア人の腋臭の匂いだと思っていた。対岸貿易のさかんな町に育って、一緒に電車に乗っていると気持ち悪くなってくるほど強烈なのに彼らは何とも思わないようだった。信じられないが、ナポレオンは体臭に引かれて結婚したという(石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』講談社現代新書)。
ジャン・ルノワール(オーギュストの子で映画監督で作家)は『ジョルジュ大尉の手帳』(青土社)で「私にとって、愛とは大好きな誰かのそばで、その人の匂いを嗅ぎながら眠ることであった」と書いているが、匂いで昔の恋人を思い出すこともあるかもしれない。
『時間・欲望・恐怖』(藤原書店)を書いて「感性の歴史家」とされるアラン・コルバン『においの歴史』(藤原書店)は「臭覚革命」というものが18世紀半ばに起きたというが、当時のパリジャンはパリの全体が便器のような匂いを気にしなかったのだという。そして、フランス人が香水を好んだのは通説にある体臭を覆い隠すためではなく、むしろ性臭を強調するためであると書いている。宮廷の貴婦人たちは靴下止めやブラジャーに動物性香水を染み込ませ、娼婦たちはヴァ●ナの中に浣腸器で麝香や竜涎香を注入したというし、男の強烈な体臭は女性たちに拒否されるどころか、精力の強い証拠として歓迎されたのだ。
ちなみに、『においの歴史』の原題は「ミアスマ(瘴気)と黄水仙―嗅覚と18,19世紀の仮想的社会問題」で、この本を底本にしたパトリック・ジュースキント小説『香水』、映画『パフューム―ある人殺しの物語』には黄水仙から精油を抽出する場面がある。
とはいえ、入浴しなかったから体臭を消すという意味合いもあったはずだ。オーストリアから入浴の習慣がなかったフランスへ嫁いだマリー・アントワネットは入浴の習慣を続け、幽閉されたタンプル塔にも浴槽が持ち込まれたという。アントワネットは強い香水を好まず、ハーブ系の香水を好んだが、体臭が強くなかったからとも考えられる。
種本はフロイトと同時代の性科学者ハヴロック・エリス『性の心理第3巻 感覚と性的淘汰』(未知谷)だという。考えてみれば、眠っているナポレオンにカマンベール・チーズの匂いを嗅がしたら、「ジョゼフィーヌ、今日はダメじゃ」と言ったエピソードが残っていた。これってホントだったのね。ただ、ナポレオンは沈丁花から採る沈香などの植物性の香り、とりわけローズマリーで作ったオーデコロンを好んだのに、ジョゼフィーヌはムスクとよばれる麝香(じゃこう)が好きだったという。麝香鹿の雄の包皮腺(香嚢)から採る濃厚な匂いである。ジョゼフィーヌの部屋は香りでむせ返るほどで、離婚の原因は香りだったということになっている。まあ、日本のおばさんにも火の気があったら爆発するんじゃないかと思うような臭気の人がいるが…。
詩人のレオン=ポール・ファルグは「適度の熟成したカマンベールは髪の足の匂い」だというが、日本人には分からないことだ。
コルバンに書かれている「ベルサイユ宮殿にはトイレがないので、宮殿中悪臭を放っていた」という記述には後日談があって、「天声人語」を書いていた栗田亘が『書き上手』(五月書房)の中で次のように書いていた。
岡【岡並木=朝日社会部記者】さんは、実際にベルサイユまで行って取材した。それによると、ルイ十四世の時には王様専用の汲み取りトイレが一つと、おまるが約二千個あった。つぎのルイ十五世(十四世の曾孫、1710〜1774)の時代には宮殿内に水洗トイレを五十カ所設けたのだそうだ。
では、なぜ悪臭芬々という話になったのか。
フランス革命(1789〜1799)で宮殿も襲撃され、その際、トイレもほとんど壊されてしまった。現に、今の見学コースの途中でもトイレにはなかなか行き当たらない。その辺りから、宮殿にはトイレがなかった、長い衣装の貴婦人も、ちょっとしゃがみ加減にしてスカートで隠して用事を済ませ、また歩き出すといった具合に誤伝が生まれたのかもしれない。
鹿島茂の『セーラー服とエッフェル塔』(文春文庫)に「他人のくそ」という仮説がある。自分のは嗅ぎ慣れているから寛容になれるが、他人のは「どうしても好きになれない」のはなぜかという話だ。くみ取り式の時代にはあまり意識しなかったのは「嗅覚の共同性」(コルバン)があったのに、気になりだしたのは水洗式に移り「『個』としての『他人のくそ』との対決を余儀なくされ」てからだという。嗅覚のプライベート化による自他の峻別が内向し、自分の体臭に嫌悪を覚える「自己臭症」、自分が自分にとってなじめない存在=「他人のくそ」ともなるやっかいさを語っている。その後、鹿島は「ところで」とフロイトの話に転じる…。
ちなみに、田丸公美子『シモネッタのデカメロン』(文藝春秋)には次のような話が載っている。
友人の日本男性が、ある夏旅先でイタリアの女の子をナンパするのに成功した。ホテルの部屋でコトを始めたが、あまりに彼女の体臭が強い。彼は、匂いのせいでその気が失せてしまった。このままでは恥をかく。仕方なく女の子に「匂うから洗ってきてくれないか」と頼んだ。すると彼女は、そそくさとバスルームに消え、石鹸をつけて足だけを丁寧に洗い、またすぐベッドに戻ってきた。西洋人にとっては悪臭とは足の匂いだけで、体臭は麝香の香りのごとく興奮作用があるものなのだろう。
アメリカ人はヨーロッパ人と違って清潔なイメージがある。でも、これは1950年頃からの新しい習慣だという。今は極端になっていて、イリノイ州のオーロラ市では最低週1回の入浴を義務として課して、違反したら刑務所行きだという。
こんな会話を見つけた。クリシャン・チャンダル『ボンベイストーリー』の中で映画音楽の作詞家パンツ・マスターと恋人のシャンター・コウルの会話だ。
「あなたの胸はすっぱい臭いがするわ」
「一か月体を洗ってないからね」
「どうしてあなたを好きになったのかわからない」
「きれいなところに住んでいる子どもは、ときには泥の中で遊びたがるもんさ」□ 外国へ行くと、「絵葉書と一緒だ」なんていって感激する人もいるが、どんなにテレビやマルチメディアが発達しても難しいのはその場の雰囲気である。何よりも匂いである。匂いは色々なものを思い出させてくれる。
紅茶に浸したマドレーヌの匂いと味から突然過去がよみがえり、長大な小説が動き始めるのはマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』(1909年)だ。「脆くはあるが強靭な」匂いと味が「巨大な思い出の建物」を支えている、と書き、それに続く思い出のなかの街も、さまざまな匂いの描写で始まる。
匂いをかぐと昔のことを思い出すのは、嗅覚が非常に強い記憶で、感情を司る場所と匂いを感じる脳領域が近いためだとされる。
夏目漱石も「或る香をかぐと或る過去の時代を憶起(おもひおこ)して広々と眼前に浮んで来る。朋友に此事を話すと皆笑ってそんな事があるものかと云ふ」(1901年)と書いている(吉本隆明『匂いを讀む』光芒社)。
吉本の『匂いを讀む』によれば、明治期に来日した西洋人で日本を「ドブ臭い」とかイヤな匂いがする国だという人がいたという。一方で、「日本の群集はゼラニュームのようないい匂いがする」と書いた人もいたという。ここから、吉本はたぶんどちらの匂いも事実だろうが、「好意」を感じたか「嫌悪」を感じたかで匂いを選ぶのだろうと書いている。「匂い」は主観的な好悪で選ばれたり、作られたりするものらしい。
心理学では「レミニッセンス」というが、心理学者のシャクターは人間の記憶を「メンタル・タイムトラベラー」だという。匂いや何かで、急に昔のことを思い出すことがあるからだ。
□ 辻仁成の『嫉妬の香り』は女性の香りに翻弄される男の物語だが、恋人選びや相性の善し悪しに関わるフェロモンがあることが知られている。HLA(Human Lymphocyte Antigen)遺伝子と呼ばれる、もともとは臓器移植の免疫反応の研究の中で発見された遺伝子だ。スイスで行われた研究によれば、未婚の女性に2日間男性が着たTシャツの匂いをかいでもらい、好き嫌いの関係を探ったところ、父親由来の匂いのHLAを多く持つ男性に好意を持つ傾向があることがわかったという。母親とは関連が小さいという。
潮風に君のにおいがふいに舞う 抱き寄せられて貝殻になる
君の髪梳かしたブラシ使うとき香る男のにおい楽しも
君の香の残るジャケットそっと着てジェームズ・ディーンのポーズしてみる
俵万智『サラダ記念日』逆に、若い娘が父親を極端に毛嫌いすることがあるのは(「毛嫌い」ってすごい言葉だ)、恐らく似たもの同士への反発があるのかもしれない。
□ 「松茸の今日が底値とすすめられ」(稲畑汀子)という俳句が秋の日本人をよく描写している。「匂い松茸・味しめじ」という言葉があるように、松茸の匂いは日本人の大好きなものだが、元々好きだった訳ではなさそうだ。というのも、『万葉集』や『古今集』に松茸に相当する物が出てこないという。外国では英語でskunk mushroomということがあるというように、スカンクのように嫌な匂いと考えられている(Wikipediaに基づくが、未確認)。四方田犬彦『驢馬とスープ』(ポプラ社)によれば、メキシコシティで松茸が信じられないくらい安かったのだが、ウェイターの説明によると「松茸というのはインディオがその臭気を嫌うため、日本人以外の誰も食べようとしない」からだという。
同様に、トリュフは日本人にとっては分からないが、欧米人にはたまらないものらしい。とはいえ、パリの二月革命で王宮の食料倉庫が掠奪にあったが、トリュフは手つかずのままだった(キャビアもハムレットが「大衆にキャビアcaviare to the general2幕2場457行目」つまり「猫に小判」の意味で使っているように僕らには分からないものだ)。
ローマ時代からトリュフやフォアグラはあり、アピキウスの『料理帖』に登場している。
ロッシーニは料理に専念するために作曲を止めたといわれるくらいのグルメだった。生涯に3度泣いたことがあるという。『セビリヤの理髪師』が野次られた時(パガニーニを聴いた時、というバージョンも)、同郷のカラーファの歌うアリアを聴いた時、そして、舟遊びをしてトリュフ詰めの七面鳥を水の中に落とした時だという。
ヒレステーキにフォワグラとトリュフのソテーを添えたフランス料理で定番の「トルヌード・ロッシーニ」など他にも「ロッシーニ風」というのが多いが、ロッシーニの人物像をまとめた水谷彰良『ロッシーニと料理』(透土社)にはデュマ(父)の次の言葉が引用してある。
人々は学者たちにこの塊茎の正体を尋ねた。二千年の議論を経たあとでも、彼らは最初の日と同じように答える。「何もわからない」 トリュフそのものに尋ねたらこう答えた。「私を食べ、そして神を崇めよ」
トリュフの歴史を書くことは、世界文明史を書くことを意味する。(デュマ『料理大辞典』)ロッシーニはトリュフのことを「きのこのモーツァルト」(Mozart dei funghi)と呼んだそうだ。 ワーグナーがロッシーニを訪ねた時に何度も話を中断された。「たびたび席を立たれるのはなぜです?」と聞くと「鹿の肉が火にかかっていて、絶えずたれをかけてやらねばならないのですよ」とロッシーニは説明した。ワーグナーの音楽談義にロッシーニは豚の飼育の講義で応じた。
「豚は食用としてだけでなく、何より狩りに役立ちます。食用黒ダイヤ---つまりトリュフ(西洋松露)の狩りにですよ。樫の林にはトリュフの芽が指の関節くらい深く土の中に埋まっていて、それを子供の狩猟雌ブタは、そのピンクの鼻で嗅ぎ分けるのです」。
「ピエモント産の白いトリュフの魅惑的なかぐわしい香りを御存知ですか? 私はかつて二度泣いたことがあります。最初はパガニーニを聴いた時、二度目はある船遊びの折り、ピエモント産のトリュフが一杯詰まった七面鳥が船から落っこちてしまった時です。お分かりですか?」分かるわけない。松茸がいいに決まっている!
□ 臭覚は言葉になりにくい。匂いを表す日本語はとても少ない。匂いを論じた本は他の感覚を使った、例えば絵画や音楽などに比べて極端に少ない。
ソムリエの田崎真也は五感は記憶しにくいので言語に変換して記憶するという。香りだけで1000以上の表現があり、例えば「白い花の匂い」というと第2アロマという香りの中の、主に酵母が作る香りの一種だという。しかし、初めて「この色は、中世の貴婦人の胸元でまどろむガーネットの輝きにも似た深みをたたえ…」とか、「春の雨上がりにレンゲ摘みに出かけた少女の靴底についた森の土のような香りが…」とか聞いたら、素人には訳が分からない。果物や花、ハーブ、スパイスに例えることが多く、ソムリエの世界では「枯れ葉の香り」や「土壌の匂い」「なめし革の香り」などともいうらしい。販売に当たっては悪い表現はされず、日本の忌み言葉のように言い換えるとソムリエの白井久嗣がネットの「ワインな表現」で紹介している。
・痩せた香り→控えめな香り
・水っぽい→サラリとした
・特徴の無い→色々な料理に合う
・若くトゲのある→お茶目な、やんちゃな
・反応のない→ふくよかでおだやかな
・小粒→かわいらしいしかも、フランス語の表現を鵜呑みにできないという。
例としてスミレの花の香り、という表現を良く使いますが(赤ワインのカベルネフランなど)私は、スミレの花咲く所でかいで見たのですが、全然判りませんでした。後で聞くと、フランスのスミレと日本のスミレとは違うんだそうです。ですから、教科書をそのまま鵜呑みにすると、もっと意味不明な事になります。必ず自分のコトバで表現しましょうね。
解剖学者の養老孟司は『からだの見方』で次のような見方をしている。
においがなぜ言葉になりにくいのか。それは、視覚や聴覚のような意味での「意識化」「客観化」が行われにくいからであろう。では、それはなぜか。
その理由のひとつは、嗅覚が大脳皮質の中でも、言語をつかさどる部分に達しにくいからだと思われる。ご存じのように、言語は聴覚と視覚を中心に構成される。つまりわれわれは口をきき、耳でそれを「聞く」。これを聴覚言語という。あるいは字を書き、それを読む。これを視覚言語という。言語がこの両感覚のみで構成されている理由は不明だが、いずれにしても、脳の表面を見ると、視覚と聴覚の領域の間ぐらいに言語の領域が存在しているとわかる。同じ大脳皮質でも、嗅覚はそうした領域からはずれた遠い部分、ないしもっと古い部分に位置する。
嗅覚が言語化されにくいことに、こうした解剖学的な関係が影響していることは間違いないであろう。
「 うんこ」 谷川俊太郎
…
どんなうつくしいひとの
うんこもくさいどんなえらいひとも
うんこをするうんこよ きょうも
げんきに でてこい
触覚にしても同じである。
詩人で彫刻家の高村光太郎は「触覚の世界」というエッセイの中で次のように書いている。「私は彫刻家である。/多分そのせいであろうが、私にとって此世界は触覚である。触覚はいちばん幼稚な感覚だと言われているが、しかも其れだからいちばん根源的なものであると言える」と述べ、五感も第六感も触覚に統一されていて彫刻家も大工も一瞬の感覚で全体を掴むと言う。最後に芸術について「性格や気質や道徳や思想や才能のあたりに根を置いている作品はあぶない。どうにもこうにもならない根源に立つもの、それだけが手応を持つ。この手応は精神を一新させる。それから千差万別の道が来る。/私にとって触覚は恐ろしい致命点である」という。
□ 昔、外国人に羊羹を食べさせたことがあって、「ステッキー」と言われて、嬉しいのかと思ったら、“sticky”で、つまりくっつくのが嫌だということだった。外国人が納豆を嫌いなのも(日本人にも嫌いな人は多いが)味覚ではなく、あのネバネバ感ではないだろうか?
鹿島茂は『モモレンジャー@秋葉原』(文藝春秋)で「米は野菜か」というエッセイを書いていて、フランス人にとっては間違いなく野菜だという。しかもジャポニカ種よりもインディカ種を好むという。フランス料理にネバネバ、ベトベトのものはない。ところが、日本の食卓にはネバネバ、ベトベト系の感触を楽しむ食べ物があふれている。餅はフランス人には最悪の食べ物ではないか。納豆も匂いよりも、大豆がつぶれて歯にひっつく感触がダメだろうし、松前漬けのように唇から糸を引く感覚も信じられないものだろうという。
ふっくらと炊き上がった御飯、日本人ならそれだけで涎がでそうなものだが、フランス人はこれを「歯にくっつくから嫌い」という。食の国際理解は、その根本のところで意外なる難所を抱えているのである。
ルイス・フロイスは『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫)で「ポルトガルでは塩を入れずに煮た米を下痢止めの薬として食べる。日本人にとっては塩を入れずに煮た米は、われわれの間のパンと同様、普通の食物である」という。ヨーロッパでは米を煮るのに塩を入れるのが普通なのだ。
□ 接触度についての調査によればアラブ人が一番接触度が高く、アメリカ人は一番低い方だという。日本人はその中間だという。とはいえ、アメリカ人はやたら握手したり、キスしたりしているが、アラビアでは男どうしが町を手と手を握りあって歩いているのを見かけるが、アメリカでそんな事をしたらエイズだと決め付けられるのがオチである。東南アジアの多くの仏教国では頭を撫でられるのを極端に嫌がる。頭に仏が宿っていると考えられているからで旅行ガイドには必ず「カワイイといって子供の頭を撫でないように」と書いてある。叩いたらどうなるのだろう?
思い出したが、ケニアである男が「可愛いね」といってほっぺをつねった。これも表現なのだが、全体の文化かどうか分からない。
日本人は床屋で仕上がりのときに頭をトントン叩かれるのを何とも思わないが、西洋人は一体何で叩かれなければならないのかといって怒ったりする。
とはいえ、日本人は中学生にもなると父親や母親に体温があることさえ忘れる。つまり、抱かれることは皆無で、これに対してアメリカ人などはハグすることが実に多い。Barnlundの“Public and Private Self in Japan and the United States”(Simul Press)には接触度を調査したが、アメリカ人が相手に触れる量は日本人の2倍であり、特に父親と異性に対する接触度は日本人の2倍以上であることを明らかにした。
□ 口に何かを入れてすごすことは苦痛である。ところが、塚田孝雄『――西洋古代飲食綺譚』(時事通信社→朝日文庫) という本を読んでいて驚いた。
買い物するにも入浴するにも銅銭が必要となるが、古代の上着はポケットがない。ギリシア人はこれを口の中の頬の裏側におさめて歩き回った。
ヨーロッパでは食事を指で食べるというマナーがずっと残っていた。人間は「甘美」なものを直接手で触れて味わったからだ。食と性には「指で触れる」快楽という点で通じるものがあると、マドレーヌ・P・コズマンは『中世の饗宴 ヨーロッパ中世と食の文化』(原書房)で触れている。
性感というものは粘膜どうしの接触ととりあえず言えるが、日本人はどうしていたのだろう。斎藤茂吉は「せっぷん」というエッセイでこのあたりを考察している。
「セクシー」という感覚だって、文化によって時代によってずいぶんと違う。中国の纏足(“てんそく”)は女子の第一指を除く足指を幼児から足裏に曲げて布で固く縛り成長させないもので、小さい足が美人の条件とされ、南宋の頃から流行した。清の初めに禁令が出されたが効果はなく、20世紀になってようやく廃れた。「美人」というものを顔などではなくて、脚で感じたのである。まあ、アメリカ人がサイズだけで美人と感じるようなものかもしれない。馮驥才の『三寸金蓮(てんそくものがたり)』(亜紀書房)の訳者後書きで納村公子が書いているのが身体論の奥義かもしれない。
「足を縛らなくても手を縛る、目を縛る、耳を縛る…」私たちはあらゆることに、いつの間にか縛られている。意識下に無意識下に縛られて、そこから逃れようとする人もあれば、束縛されているのを快く思う人もいるだろう。私たちも知らず知らず纏足女性のようにこけつまろびつ歩いているのかも知れない。
□ 粘膜と粘膜の接触であるコミュニケーション行為が文化によってどれだけ違うか、ということは経験不足の僕には分からない。
セーターの上から胸をもんでみた。
こんな気持ちの良いものを二つも持っているユリがうらやましかった。
「おっぱいって、素晴らしいよね」
「本当にそう思ってるの?」
こんなばかばかしいやりとりが、なんとも楽しいのだ。【…】
セックスというのは想像上のものだ。触っているから気持ち良いのではなく、触っていると考えるから気持ち良いのだ。-----山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』
ごく最近変わったものに、胸毛がある。ショーン・コネリーの胸毛や長嶋監督の胸毛はセクシーだと言われたものだが、今は「毛」嫌いされている。生理的嫌悪感の対象となってしまい、毛深い男はもてないことになってしまった。女性の脇毛も、昔の日本では当たり前のように見えたものだが、今、脇毛を出すのは「脇毛女優」といわれた黒木香(瞳じゃないよ)くらいである。脇毛は視覚に属するものかもしれないが、似たようなものに、お腹の出た男も同じである。戦前までは「恰幅(かっぷく)がいい」とされたのであるが、今の日本では笑いものである。女子高生の一時流行った「ガン黒」だって、当人たちは「かっこいい」と思ってやっていたのだから、変われば変わるものだ。
□ 暑さ寒さが触覚なのかどうか分からないが、南米の寒いところで、何も着ないですごす部族もいる。逆に、小泉八雲が大好きな松江を離れたのは冬の寒さだったという。
日本の湿度も日本人には慣れているかもしれないが、そうではない人にはたまらないだろう。
寺田寅彦は『涼味数題』(小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第四巻』岩波文庫)で「涼しさ」は日本の特産物ではないか、と書いている。アジアや欧州を旅しても涼しさに出合ったことがなく、ナイアガラの滝を見物した時は、暑い日だったのに震えるほど冷たかったという。暑さのない所に涼しさはないが、瞬間の感覚であるため、持続すれば寒さに変わる。日本独特のモンスーン気候の産物であろうといい、「涼しさ」を「暑さとつめたさとが適当なる時間的空間的周期をもって交代するときに生ずる感覚」と定義して、漱石の句集から「涼しさ」をめぐる俳句をあげている。
『オセロー』第1幕第3場の次のイアーゴーのセリフは近代ルネッサンス人を象徴するものだとされる。
この五体が庭だとすれば、その庭師はおのれの意志だ。だからそこにイラクサを植えようとチサの種を蒔こうと、ハッカを生やそうと麝香草を引っこ抜こうと、一種類だけ植えようと何種類でも蒔きちらそうと、ほったらかして荒れ放題にしようとせっせとこやしをやって育てようと――いいか、それを好きなようにやる力はおれたちの意志にあるんだ。
しかし、自分は自分の体の庭師にはなれないのである。自分の体は文化に支配されてしまっていて、支配されていることさえ気がつかないものなのだ。
□ コルバンのような「感性の歴史家」が日本には既にいた。柳田國男である。例えば「涕泣史談(ていきゅうしだん)」(『不幸なる芸術・笑いの本願』岩波文庫)で、江戸から明治に移って「人が泣くということが、近年著しく少なくなっている」と書いている。カナシ、カナシムという古代語は切実な感動そのものをあらわす言葉だったのであり、かならずしも悲や哀のような不幸な響きをもつものではなかった。人が手放しでわあわあ泣くことがさも悪徳のように言われ出したのは中世以降のことだという。義務教育が普及し、標準語が広まるにつれて、人々は言葉で感情を伝える技術を磨き、涙という「身体言語」に依存する度合いが低下した、という。「人生はこれによって静かになったとはいえるが、同時にまたなんとなく寂しくもなったのである」という。
ヘンリー・ジェイムズがいうように「悲しいから涙が出るのか、涙が出るから悲しいのか」というと、涙が出るから悲しいのである。
モリスは『ウーマン・ウォッチング』(小学館)で「人間は泣くが、他の霊長類は泣かない」という。
…苦悩して流す涙と、目の表面が刺激されて出る涙を化学的に分析した結果、顔にこぼれ落ちるこのふたつの液体は、タンパク質の成分が異なることが明らかになったのだ。感情的に泣くのは、本来、ストレスによる余分な化学物質を体内から排出する手段であることを示唆するものであり、「思う存分泣けば気分がすっきりする」のも、これで説明がつく。気分の改善が生化学的な改善につながるのだ。
泣き濡れた頬という視覚信号は、相手に、苦悩する人を抱きしめて慰めてやりたいという気持ちを起こさせるので、それをこの老廃物除去メカニズムの二次的活用と見ることもできる。またしてもわかりにくいのは、この理論と、チンパンジーなどの動物が泣かない事実をどう結びつけたらよいのか、である。チンパンジーも、野生の社会的争いでは激しいストレスを感じるからだ。アメリカ大統領選挙で涙は禁物とされる。最高権力者になるものが涙を流してはいけないという。1972年の大統領選で民主党の指名候補争いに敗れたマスキー上院議員と、88年の同党の指名候補レースを撤退したシュローダー元下院議員が涙を流してしまった。マスキーはニューハンプシャー州の予備選直前に、地元新聞社がマスキー夫妻を中傷する内容の記事を掲載したことに対し、雪の中で新聞社前に立って反論演説を行った。その際、「涙を流した」とされた。弱い政治家と指弾され、先頭を走っていたが脱落した。シュローダーは指名争いレースからの撤退を表明する会見で涙をみせた。
男として涙は女々しいとされたが、女はどうだろう。2008年にはニューハンプシャー州の予備選直前に、ヒラリー・クリントン上院議員が涙を浮かべた。「髪はどうセットしているの?」「つらい選挙戦で自分をどうやって支えているの?」と対話集会で女性の支持者から問われた時である。二つの反応があって、嘘泣きの演出だというのと、男性と同じ批判だった。結局、好意的に取る人もいたので、雪辱を果たしたが…。
美しい姿を見たら、追いかけよ
できるなら、それを抱擁せよ
少女であれ少年であれ
恥ずかしがるな、大胆になれ、ずうずうしくまれ
人生は短い、ならば楽しめ
触れたものなら何でも
体が求める時にはそうせよ
墓場にセックスはないのだから
-----オーデン「五感の楽しみ」(『霧よ、ありがとう』)ルキノ・ヴィスコンティの映画『家族の肖像』の中で、教授の家に上がり込んできた若者たち、コンラッド、ステーファノらとマリファナを回し飲みしていたリエッタが教授に気づいて詩を口ずさむ。それが上の詩である。教授は「家族の肖像」と呼ばれる絵画収集が趣味なのに、家族を持っていないというパラドックスの中に生きている。
考えてみれば、食と性はどちらも五感を使って楽しむ。食に音が必要か、というかもしれないが、音を出さないで食べる麺類ほど淋しいものはない。
五感全体を使うから食にも性にもタブーがつきまとうのかもしれない。
□ 五感が違うということは心も文化で違うということだ。僕の考えは単純に“心=脳+体”というものなのだが、身体感覚が違うということは心のありようが異なっているということになる。
例えば、「罪」や「恥」の概念は日本とアメリカではずいぶん違いそうだ。アメリカなどプロテスタントの国とイタリアやフランスなどカトリックの国でも心のよりどころがずいぶんと違っている。
コルバンの翻訳者でもある鹿島茂は『パリ五段活用』(中央公論社)でルイ14世がしばしば「穴開き椅子」と呼ばれる便器にこしかけて排便しながら面会をしたり、執務をとったのは「羞恥心の欠如」を位の高いものは要求されたからだとしている。ジャン・クロード・ボローニュは「裸体はそれを見せる側には少しも屈辱ではなく、それを見る側に屈辱的だったのである」という言葉を紹介している。ミシェル・フーコーも「国王二体論」を論じている。「国王には二つの身体がある」というのはカントーロヴィッチ『王の二つの身体』(ちくま学芸文庫)という法思想史研究で知られる。「王は二つの身体を持っている。つまり自然的身体と政治的身体である。彼の自然的身体は死すべき身体であって、自然や偶然によるあらゆる不確実性や、幼児期や老年期の虚弱性、他の人々の自然的身体に起こるのと同様の欠陥などに左右される。しかし、彼の政治的身体は、見ることも手を触れることもできない身体であって、政策と政府から成り、人々を導き、公共の福利を進めるためのものである。この身体は自然的身体が支配されているような幼児性、老化、およびその他の欠陥や弱点を完全に免れている」(『王の二つの身体』)。
ここで思い出すのは。京大の先生だった会田雄次の『アーロン収容所』(中公新書)に出てくる、捕虜になったイギリス軍の女兵舎の掃除の場面である。部屋に入って掃除をしようとしたら、1人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいており、「ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であると知るとそのまま何事もなかったようにまたかみをくしけずりはじめた。」この場面について会田さんは、彼女たちにとって植民地人や有色人は明らかに「人間」ではない、家畜に等しいものだから人間に対するような感情を持つ必要はないのだ、どうしてもそうとしか思えない、と書いている。この屈辱から会田は国粋的な思想にはまっていくのだが、こうした屈辱感はピエール・ブールが自らの日本軍の捕虜になった経験に基づいて書いたSF『猿の惑星』でも繰り返されている。
王族の特異な羞恥心、「羞恥心の欠如」は国王の私生活がヴェルサイユに見学にやってくるすべての民衆に公開されていたことからも知れる。民衆は動物園に行くように王族の私生活をのぞきに出かけ、特に食事の時間が人気があり、国王がスープを飲んだり、王子がゆで卵を食べるのを見学したという。
そして何よりも一番理解しがたいのは王妃の出産が民衆に公開されていたことである。
民衆は、一七七八年一二月十九日、王妃(マリ・アントワネット)が出産間近だと知らされると宮殿の全ての入り口に押し寄せた。あのオーストリア女に公開の晩餐を拒否したりするとどうなるか思い知らせてやるぞ、食べずにすますことはできても、産まずに済ますことはできまい、というのである。《野次馬の波》が突如として部屋になだれこんだ。今度こそ語の最も広い意味での《公開》である。物音の激しさのあまり王妃は死ぬ思いだった。
ボローニュ『羞恥の歴史-人はなぜ性器を隠すのか-』(筑摩書房)いやいや、もっと驚くことがあった。早川聞多の『春画のなかの子供たち』(河出書房新社)では、春画の中に子どもが描かれている。いたずらをされているのではなく、仲良くしている父母の近くに子どもがいて平気なのだ。実にあけっぴろげなのだ。意識は文化で変わるというものの、性意識というのは本当に変化してきたのね。
西江雅之先生から聞いた話だが、ほぼ全裸と思われる姿で暮らしていたウガンダのカリモジョン族の村に「文明」の波が忍び寄ってきた。Tシャツは着るようになったものの、短パンだけはどうしてもはこうとしない。だから、上はTシャツ、下半身は裸という中途半端な格好があちこちで見られるようになった。西洋人がある日、彼らの一人をつかまえてこう尋ねた。「どうして君はパンツをはかないのか?」というと「パンツをはくなんて、そんな恥ずかしいこと、できないよ」…。
□ 実はもっと怖いのはこうした感覚への馴れである。美女は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れる。だから、美女は僕の方に回してね。
「変な臭いのする部屋に【…】はいった当座は嗅覚が鋭敏に作用するが、時がたつにつれてだんだんとマヒして嗅覚がきかなくなり、ついには変な臭いがするとは感じなくなる」というのは阿川弘之『米内光政』で出てくる、米内の副官を務めた実松譲(さねまつゆずる)の述懐だ。海軍武官補佐官で米国に駐在した実松は日米開戦で大使らと一緒に抑留され、半年後に交換船で日本に戻り、米英の実力があなどれないことを上官に説明した。ところが上官は「君なんか長いことアチラにいたんで、アチラのことがよく見えるんだよ」。海軍大学校の学生も「教官はいやにアメリカのことを讃(ほ)められますなあ」と笑った。実松は内部の思い上がった楽観論が不快で不思議だったものの、やがて馴れた…。
功利主義のベンサムは『道徳および立法の諸原理序説』で快楽を14種類に分けた。つまり、1)感覚の快楽、2)富の快楽、3)熟練の快楽、4)親睦の快楽、5)名声の快楽、6)権力の快楽、7)敬虔の快楽、8)慈愛の快楽、9)悪意の快楽、10)記憶の快楽、11)想像の快楽、12)期待の快楽、13)連想に基づく快楽、14)解放の快楽、である。
下位分類もあり、例えば、感覚の快楽は、更に、1)味覚の快楽、2)酔う快楽、3)嗅覚の快楽、4)触覚の快楽、5)聴覚の快楽、6)視覚の快楽、7)性的感覚の快楽、8)健康の快楽、9)好奇心の快、に分類される。
ただ、恐らく、文化によってはこれ以上の快楽があるはずで、SやMに走る人など人間には底知れぬものがあるのである。
シモーヌ・ヴェイユは「人間の不幸の源は感覚が五感に分かれていることだ」と言ったが、確かにバラバラにしか認識できない。ただ、例外がある。共感覚(synaesthesia)である。2万5千人に1人で現れるというが、食べ物で形を感じたり、音で色が見えたりする人のことだ。メタファー(比喩)でなくて、本当にそう感じるのである。僕のエッセイのイラストの担当者がそうだったが、僕と会うまでそんな話をしたことがない、と語っていたように、自分の胸にしまっていた。
イギリスの生態学者ライアル・ワトソンは『未知の贈り物』(ちくま文庫)の中で音を色付きで聞く少女のことを書いている。インドネシアのヌス・タリアン(「踊る島」)で出会った少女ティアは「すべての音には色がついているのか」との問いに、「色がなくてどうやって人の話や音楽を聴くことができるの」と答え、哀れみに充ちた目でワトソンを見たという。後に色々な音で彼女をテストする機会を得、それから数カ月後に尋ねたところ、彼女は常に同じ返答をしたという。更に村の学校で他の子供たちにも同じようなテストを試みたが、誰もが音がそれぞれ固有の色をもっていることを当然と思っていて、特定の色と音の一致についてほぼ同一の意見を有していたという。ワトソンはここでの数々の体験を通して「私はこの島で変えられてしまった」と書いている。
『ロリータ』の作家ナボコフも自伝『記憶よ、語れ』(晶文社)で自身の共感覚について書いている。
私は色聴現象の立派な体験者でもある。もっとも聴という字を当てるのは正確には正しくないかもしれない。色彩感が生れてくるのは、文字の輪郭を思い浮べながら口で発音してみるときだからだ。たとえば、英語のアルファベット(以後断り書きがなければ英語のアルファベットのことだが)の a の字は、長い風雪に耐えた森の持つ黒々とした色をしているが、フランス語の a の字はつややかな黒檀の色を思わせる。この黒のグループには、他に無声音の g(たとえばタイヤの色)や、r(煤でよごれたぼろの切れはし)などがある。白の仲間には、オートミル色の n や、ゆでたヌードルのような色の l や、象牙の背のついた手鏡といった感じの o などがある。そして、フランス語の on(「人」の意)に出くわすたびに、小さなグラスになみなみと注がれ、表面張力でやっと持ちこたえている酒が目の前にちらついて、われながら狼狽する。【…】
ちなみに、ナボコフの妻ヴェラも、息子のドミトリも、そしてナボコフの親も共感覚者だったそうだ。
2009年8月19日の読売新聞「編集手帳」に次のような記事があった。
ドイツのソプラノ歌手エリカ・ケートさんは言語の響きや匂(にお)いに敏感であったらしい。歓談の折に語った比較論を「劇団四季」の浅利慶太さんが自著に書き留めている◆イタリア語を「歌に向く言葉」、フランス語を「愛を語る言葉」、ドイツ語を「詩を作る言葉」と評した。日本語は…浅利さんの問いに彼女は答えたという。「人を敬う言葉です」(文芸春秋刊「時の光の中で」)
パトリシア・リン・ダフィー『ねこは青、子ねこは黄緑 共感覚者が自ら語る不思議な世界』(早川書房)によれば次のようだ。
共感覚とは、五感のうちの一つが刺激されると、その感覚に加えてもう一つ別の感覚も反応するという現象である。つまり「共感覚者」たちは、たとえば、音に色が伴うとか、味に形が伴うといった、奇妙に混在した知覚現象を体験する。……彼【共感覚者マイケル・ワトソン】の場合、おいしき調理されたチキンの味は、手に何かとがったものが触れているような感覚をもたらしたが、うまくいかなかったものであれば、丸いものを感じたそうだ。また別の共感覚者は、「フランシス」という名前には「豆の煮込みの味がする」と説明する。芸術家のキャロル・スティーンは、ひどい頭痛は「ぎらぎらするようなオレンジ色」、比較的穏やかな頭痛であれば、「ただの緑色」と表現する。
□ シトーウィックは『共感覚者の驚くべき日常』(草思社)で「認知の化石」だという。つまり、人類の原初的な神経プロセスをありのままに感じてしまう人たちなのだという。夫の声は黄金色のカリカリのバタートーストのようで、香ばしさがたまらないという人がいるようだが、うちなんかだとそのまま食べられそうだ。
ちなみに、ボードレールは、詩集『悪の華』の中で次のようにうたっている。
夜のごと、光のごとく、底ひなき、
暗くも深き冥合の奥所なる、
聲長き遠つ木魂の、とけ合ふとさながらに、
匂ひと、色と、ものの音と、相呼び合ふよ
(堀口大學訳)また、有名なランボーの詩「母音」は《A黒、E白、I赤、U緑、O青…》から始まっている。詩人の想像とも思えるが、共感覚を持っていたとも考えられるのである。
色 谷川俊太郎(『その他の落首』)
希望は複雑な色をしている
裏切られた心臓の赤
日々の灰色
くちばしの黄色
ブルースの青にまじる
褐色の皮膚
黒魔術の切なさに
錬金術の夢の金色
国々の旗のすべての色に
原始林の緑 そしてもちろん
虹のてれくさい七色絶望は単純な色をしている
清潔な白だ三好達治は「郷愁」という詩に書いている。「――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる」と歌ったが、音を取っただけなのだ(ちなみに、海はフランス語で「ラ・メール」で母をあらわす「ラ・メール」とスペリングは違うが発音は全く同じで、作曲家ドビュッシーは「われわれのよき母である海」と書いた)。子音でも考えた人がいると荒俣宏は『理科系の文学誌』(工作舎)で書いている。
言語の根源的意味を追求したハロルド・ベイリーは『失われた象徴言語』という刺激的な本のなかで、さらに子音の問題へと観点を拡げていく。かれはM音に興味を寄せて、母性を表す名辞だとか、、あるいはなどに何故Mがつくのかを解明しようとした。Mの音は唇を触れ合わせて発音するから、接触の音であり、母の乳房に吸いつくときの唇の連動である。驚くべきことに、シンデレラ物語の主人公シンデレラは、本来マーラ、マリア、マリー、マリエッタとも呼ばれ、これらの名辞はすべて「海の輝き」を示している。美の女神アフロディテが海から生まれたようん、母と海とのつながりもまた、Mという音を仲介にして問題化せざるを得ない。なぜならば、アルファベットのMは、本来波立つ海を象形した文字であり、エジプトでは「さざ波」の意味を有していたからである。しかもヘブライ語にいうエムは、「水」を示す言葉なのだ!
ただし、この議論はヤーコブソンの「なぜパパとママか?」という論文からすると奇妙である。最大の違いがある音は母音のAと鼻音のMであり、その違いを最大限に表した音がMAとなる。つまり、最初に出す音はMAで、その音で最初に表したい人はママだというのだ。MとAと最も離れた音はPなので、PAでパパを表すことになる。
日本では香を嗅ぐではなくて、「聞く」といい、「聞香」といった。お酒も「聞き酒」というように、昔から別の感覚を使っていた。これはおそらく、香りや味を吟味するのに日本人が全身全霊を使っていたからだともいえる。
□ 少し話は違うが、日本に来る外人で日本語を学び、「肩こり」という言葉(多くの外国語には「肩こリ」に相当する言葉がない)を覚えると、本当に肩がこってくるのだという。勿論、首筋のあたりに漠然とした疲れを感じているのだが、肩として認識するのは日本語を知ってからだという。なるほど、外国映画で子供がおばあちゃんの肩たたきをしているのを見たことがない。まあ、これはおばあちゃんたちと一緒に住むということが稀なせいでもあるが…。
動作ももちろん、文化で違ってくる。アジアの国の多くで子どもの頭を撫でる行為は顰蹙を買うというのは有名だ。頭に神様が宿ると考えているからだという。
歩き方は動く思想だといったのはバルザックだった(『風俗のパトロジー』新評論)。体の動きが休息に近ければ近いほど、考えを見破られにくい。ゆったりとした動作には威厳がつきまとうという。反対に「何かまわず触ってみたり、立ったり座ったり、ガサガサ、コソコソ」と、蠅の目なをして跳ね回る人、「気忙しくせかせか歩く手合なんぞはどれほど軽べつしてよいものか。大勢の人がのんびり歩いているなかを、泥のなかのウサギよろしく掻きわけていくあの連中」と軽べつしている(山田登世子訳)。
昔の日本では「ナンバ」という歩き方があった。相撲や能などに今でも見られる歩き方で、足と同じ型の手を出す。ちょうど佐川急便の飛脚マークのような形である。広重の東海道五十三次の「庄野」の飛脚も同じような動きをしている。
昔の絵を見れば、そういう歩き方や走り方をしている人が目立つし、今でも歌舞伎の六方や能の所作、相撲のすり足や武術などに残っている。明治になって西洋風の歩き方が導入されるまではずっと「ナンバ」だったという。武智鉄二『伝統と断絶』(風濤社→風塵社)によれば、温帯モンスーン地帯の泥濘で深田耕作をする農民にとって労働する時に最も自然な身体運用だったと推察しているが、僕は着物との関係が深かったと思う。
だから、日本人は走ることができなかったという人もいるくらいで、西南の役で農民兵が歩けないことを知った士官たちは愕然としたという。当時の文部大臣・森有礼はそのため、教育機関での兵式体操を導入したが、「ナンバ」をなくすことが目的だったといわれる。
篠田正浩『私が生きたふたつの「日本」』(五月書房)には次のような記述がある。
私が小学生のとき、校庭を行進すると、生徒の半数は手と足が交互に振れずに歩行したものだ。この習癖は弥生時代からの水稲農耕生活によって培われたものである。利き手の右で鍬を打ち下ろすとき、人は右足を前に出して踏ん張るはずである。右手と右足、左手と左足が組みになっていないと、鍬は自分の足に打ち込まれてしまう。【…】農耕民族のナンバは、大陸を疾駆した騎馬民族のリズム感や歩行と大きく相違している。ワルツという跳躍するアクセントを強調する三拍子は日本民族のリズムではない。因に朝鮮半島の民謡アリランは三拍子で歌われる。
※ナンバは2003年になって突然、降って沸いたように注目された。甲野善則(こうのよしのり)の古武術は大変有名で、内田樹や養老孟司なども紹介している。甲野は桑田真澄投手を教えたのでも有名だったが、この年のブレイクは陸上の末続慎吾が古武術の指導でナンバを取り入れていたことが分かったからだ。
病気については「医療人類学」という分野がある。
民族特有の病気があるし、エスキモーに自殺が多いなど民族特有の問題もある。
アイヌの女性にかつて「イム」という錯乱が見られた。これは「トッコニ」(マムシ)という語を耳にしたり、蛇の玩具を見るとしばらくの間錯乱状態になって襲いかかってきたり、一目散に逃げ出したりする。一度こういう不安な状態になると、彼女たちは相手の命ずるままの行動をとるか、命令と正反対の行動をとる。また他人の言葉や動作をそのまま、まねるという反響症状が著明になったり、与えられたままの姿勢をいつまでも保ち続ける強硬症状を顕著に示すようになったという。
「ヒステリー」というのは「子宮」から名前が取られていて女性に多かったものだが、20世紀後半にはほとんどなくなってきた。なだいなだ『ふり返る勇気』(筑摩)には次のように書いてあった。
かつては、人間が文化の形で精神の病気を作り、それにかからせ、診断し、治療していたのだ。だから、狐憑きは日本にしかなかった。北海道に行くと、アイヌの社会ではイムという病気が見られたが、それは狐憑きと似ていても、違ったものだった。世界各国には、それぞれの文化のもつ病気があった。満州医大の精神科医たちは、イムと似た病気、ベレンチを満州(中国東北部)の蒙古族の社会で見つけた。南方には有名なアモクという病気があった。みな消えた。
これらの諸文化の持っていた病気の消えた後に、現れたのがヒステリーだ。世界で共通の症状を持った、一つの病気(の観念)としてヒステリーが登場する。いわばたくさんの峡谷を下ってきた流れが、平野に出て一つに合流したような趣だ。こうしてヒステリーの登場してくる頃、フロイトも現れた。フロイトが、今生き返って、こうした状況を展望したら、なんというだろう。きっとぼくの議論の相手になってくれるのではないか。
□ 拒食症も現代文化という文化の中の病気である。映画などのメディアが発達して、オードリー・ヘップバーンのような体型の人が知られるようになったために生まれたものである。
「感情の痩せっぽち」 茨木のり子『詩集 食卓に珈琲の匂い流れ』
痩せたい 痩せたい
と思うあまりに
感情のほうまで殺(そ)ぎおとしてしまったのか感情の痩せっぽちはさびしいもの
そんなさびしいのが増えてきて
話していても さむ ざむ ざむかつて雪のふる日に訪れた家に
一幅の書が掛けられていた
まるで偶然のように太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ*
あれはあるじのなによりの御馳走だったのだなぜこんなことを
思い出したのだろう
青葉若葉の風渡る日に *「雪」三好達治詳しくはマッケロイ&タウンゼント『医療人類学』(大修館)などがあるから読んでほしい。
□ 同時に、民族特有の治療法がある。『野生の思考』の冒頭でレヴィ=ストロースがシベリアの諸民族の民間治療法を列挙しているとおり、その治療効果についての社会的合意がある限り、どんな療法も(不妊症には蜘蛛と白い地虫を飲み込む、腫瘍とヘルニアには潰したゴキブリと鶏の胆汁、歯痛にはキツツキの嘴を触る、発熱にはコウモリの干物を首からぶら下げる…)顕著な効果をもたらす。人間はそれほどまでに社会的な生物なのである。
□ 日本で「病は気から」というが本当は「病は物語から」というのがナラティブ・セラピーという家族療法の考え方だ。
このナラティブ・セラピーは(1)現実は社会的に構築される、(2)現実は言語によって構築される、(3)言語は物語によって組織化される、と考えるものである。物語というのは一般に病について語られていることを指す。つまり、「ガン」とか「エイズ」という時に人間はそれまで語られてきたこと、つまり社会で構築されたように語るしかない。
例えば「アルコール中毒」は医者のいうように「病気」なのか、禁酒時代のアメリカ人が考えたように「道徳的問題」なのか、アル中被害者の会の人たちがいうように「家族問題」なのか見方によって異なる。「同性愛」が「異常性愛」と考える人は時代とともに少なくなってきている。というか、ある時代には当たり前だったこともある。
社会でどのように語られているかによって「病気」というもののあり方が違っているのである。
これらから分かることは人間は文化や言葉、そして物語に囚われているのだという事である。正義とか理想とか「〜主義」に囚われて、どれだけの戦争が起ったことか。“alcoholism”が「アルコール主義」でないように、“-ism”は「〜中毒」と訳すべきである。「資本中毒」「社会中毒」「共産中毒」…。
身体に関して「自然」とか「本能」という観点で語られることが多かったが、実は文化的・社会的に作られたものなのだ。だから、ミシェル・フーコーは「精神の監獄たる身体」ではなく「身体の監獄たる精神」とまでいった。身体も一つの社会制度なのである。
人間の体は精神・文化という監獄・檻の中に入っているのである。
ヒトは裸ではなく、文化というパンツを履いているのである。
ガリバー(原民喜訳)は4回目の航海でフウイヌムの国にやってくる。フウイヌムは馬の形をした文明人だ。一方、ヤフーと呼ばれる人間の形をした動物もいる。ガリバーは「ヤフーというあの種族とは全く別種だ」ということを示すために、着ている衣服を脱がないようにしている。でも、寝る時は服を脱ぐことがばれて、「正真正銘のヤフー」だと主人に言われる。自分にはフウイヌムに劣らぬ知性があることを主張するが、暑さに耐えかねて裸で水浴びをしているところに草むらから飛び出したメスのヤフーに「実にいやらしい恰好で」抱きつかれ、「正真正銘のヤフー」であることを否定できなくなる。
つまり、パンツが人間である唯一の証拠だったのだが、頼みの綱の衣服もぼろぼろになって、動物の毛皮で作ることにする。ポルトガル船に助けられるが、今度は船長から「野蛮な服」を着ていると思われて一騒動起きる。船長や船員たちの悪臭にも悩まされるが、そのうち、自分の放つ臭気だということに気付く…。
□ これらを難しくいうと次のようになる。
……われわれの感性的なものや無意識なものは、通常考えられているよりもはるかにまとまりを持ち、秩序立てられ、構造化されている。すなわち、まず、感性的あるいは感情的にわれわれにとって「自然」と思われるものは、たとえ個々人にとっては先天的なものであるにしても、一つの「習慣」であり、歴史的に形成された「制度的」なものであった。いやわれわれの感覚や感情そのものからして、自然のままの、変わらないものではなくて、歴史的、社会的に形成されたものであることも享受されることもできないことであった。また、われわれの身体的自然の上にのっとった感性的なものは、ただ制度化されているのではなく、言語との大きな結びつきのうちに制度化され、構造化されているのであった。その上、感性的なものが制度化される範囲あるいは規模は基本的にはラング(国語、言語体系)であるから、ここにわれわれは感性的なもの、イメージ的なもの、無意識なものを個人的には身体的基礎の上に、集団的には文化的(ラング的)共同体の基礎の上に言語的に構造化され、制度化されたものとしてとらえることができるのである。
------中村雄二郎『感性の覚醒』(岩波1975)小田亮には『約束するサル』(柏書房)という定義もある。つまり、ヒトは約束が必要なサルで、人間は集団を作って社会を持つ。人間ほどの大きな複雑な社会では血縁にない多くのヒトが集まって利益をやり取りしなければならない。だから、互いに契約を交わす必要がある、ということだ。言葉にしても約束だ。そうした約束に基づいていなければ社会を形成できない。
□ 困ったことにその濫やパンツは私達の目には見えないものである。ややもするとその濫とかパンツに気がつかないで異文化の人間を非難したりする。濫の中の猿が濫の外のヒトを見てしっばもはえてない、毛の少ない、奇妙なパンツを履いた動物だといって笑うようなものである。
感性を高めれば相手が理解できる、というのも幻想だ。感性、つまり心は、様々な装置によって制度化、つまり社会構築されているのである。
□ それでも一歩一歩、偏見を取り除くように努力しなければならないが、実は非常に困難な作業である。一つの監獄・檻を出たら、また別の監獄・檻に入っているだけ、ということが多い。
ではどうしたらいいか?そうした文化・社会による監獄・檻という偏見を取り去るために学問はある。だから、学問を積んで多くの監獄・檻を自由に移動するしかない。
ただ、エリック・ギルが『衣裳論』(創元社)でいうように、ヒトは自分の意志によって衣服を脱ぐことができる動物なのだ。
教養をつけるとは一枚、一枚、そうした偏見の鱗・パンツをゆっくりと剥がしていく作業に他ならない。
さぁ、一緒にパンツを…。
※昔、こうした問題を一つには「民族心理学」で扱っていた。現在は文化心理学(cultural psychology)cross-cultural psychology、つまり、ヒトの心は、各文化の慣習や感性を反映しながら形成されるものだとみなす。文化そのものが心の基本的パターンのありように作用を及ぼし、形成された心がさらに文化のありように作用を及ぼす、その過程を研究するものである。
※その後、遺伝子について色々分かってきて、遺伝情報を記録している2千万個の化学物質を人間とチンパンジーで比べてみたら、1.23%の違いしかなかったそうだ。“毛が3本足りない”サルと言葉を話し、理性を働かし、論理的に物事を考える人間との差がこのわずかな違いに秘められていることが理化学研究所などの共同チームによる研究の成果で分かってきた。
※島泰三は『はだかの起原』(木楽舎)という本を書いた。ヒト科の中で毛皮を失ったのは現生人類だけだという。毛を失うと、保温や防虫ができず、生存上きわめて不利でそんな進化はダーウィンの「適者生存」で説明できない。進化論には穴があるという。こうして島は「重複する偶然」による「不適者の生存仮説」を唱える。「裸化に利点はない。しかし、裸化した人間が成功した理由は、裸化にある」という。自然淘汰に反していながら結果的に繁栄をもたらすような、一見、目的論的な変異はダーウィンと矛盾するわけではない。
※モリスの議論はエレイン・モーガンが『女の由来』(どうぶつ社)で徹底的に攻撃している(原題のDescent of a Womanはダーウィンの『人の由来』Descent of Manから)。何でもかんでも狩猟とセックスに結びつけたがるモリスらを「ターザン主義者」とからかっている。彼女は「水生類人猿説」=アクア説をとる。つまり、アフリカで生まれた人類の先祖は、灼熱の嵐に追われて水辺に近づき、水に入ることによって直立歩行を覚えた。水の中では体毛が不要になった。もちろん赤ん坊は、誰に教えられなくても泳げる。むしろ幼児に成長すると、泳げなくなるのだと言った。ただ、どう考えても、人間が水中から生まれたという証拠はなくて、忘れ去られている。
※2008年に出た川田順三の『文化人類学とわたし』(青土社)では「感性の人類学のための覚え書き」という論考があるのだが、ほぼここで触れたことが書いてある。ただ、「感性の歴史家」と呼ばれているアラン・コルバンにも触れてほしかった。