「黒部ダム」 まつざき やす子【当時小学3年】
(『あなたにあいたくて生まれてきた詩』新潮社)きのうは
あさって だったでしょう
今日は
あした でしょう
あしたになったら
今日なんだよね
黒部ダム
行くの
留学生たちと欅平から黒四ダムに向かう旅に出た。
共に感じたのは巨大プロジェクトのすごさであった。
欅平までは一般の人がトロッコで行けるがそこから先は関電(関西電力)の特別な計らいがなければ行けない。
このルートは黒部川の電源開発を目的に日本電力〜関西電力が黒部川に沿って建設したもので、現在でも黒部川第四発電所(ちなみに“第一”というのはない)をはじめとする発電・送電設備の維持、 資材運搬に使用されている。
要塞さながらの発電所やインクラインなどを自分の目で見ることができて、本当によかったと思う。
関西電力を始め、関係者に感謝します。
2000年11月18日(土)
朝5時半に起きる。外は曇っていて小雨だ。
6時に家を出て学校に行く。吉田校長が既に来ていて、企画した野木学生課長もわざわざ来ている。いきなり留学生には報告書を書かせてくださいね、と言われる。感想文の宿題のある読書に悩んだのを思い出した。
ディルシャン君(スリランカ)、バダラワさん(スリランカ)とセレスティーノ君(アルゼンチン)は既に集まっていたが、危ないと思っていたソピアプ君(カンボジア)が遅れているので、部屋まで見に行く。アブ君(マレーシア)が傘を持っていないというので、課長に借りることにする。
6時20分にジャンボタクシーで出発。7人。前日の校長室での打ち合わせで意味が分からなそうだったので、「空を飛ぶタクシーじゃないよ、大きなタクシーだよ」というと安心したようだ。
校長は戦後まもなく北朝鮮から命からがらジャンク船に乗って帰国した話をする。
雨だったが、途中、二重の虹が出たので晴れるかもしれないと思わせる。
7時30分にコンビニに入って朝食を買う。留学生たちにおにぎりの内容を話して買う。食べられない物も多いのだ。
□ 8時に宇奈月の電気記念館に着く。看護婦の神谷さんも合流。2階に上がって説明を受ける。全部で15人だ。「ダムダム君」のバッジをもらうが、これが通行手形だという。富山県のダムが北電(北陸電力)と関電(関西電力)に分かれたのは日電が解体された時に「上流主義」ということで、上流の発電所の管轄で決めたのだという。
僕らの担当は大和建三さんということになった。戦艦大和を作っている時にお生まれになったのか?
簡単な挨拶があった後、出発まで下の記念館を見てくれといわれる。「命の保証しません」という切符の現物も展示してある。日電歩道のジオラマがリアルである。
浦本さんというすごい美人の案内で黒部の全体像と歴史について学ぶ。ここで学べたからそのままずっといたい気持ちだったが、浦本さんの左手の薬指にはしっかりと指輪があった。
気を取り直して宇奈月駅へ。
1時間20分のトロッコやその後の行程では途中にトイレがないので、要注意。留学生たちに何度もトイレ!と叫んだ。
宇奈月駅発8時37分は「工事」と案内板になっていて、工事関係者と招待客専用の便だと分かる。改札が始まり、うちの連中は大和さんと一つのトロッコに入る。
大和さんはラウドスピーカーを持っている。時間通り出発して、大和さんの解説が始まる。普通のトロッコではスピーカーからの案内が流されるが、大和さんのは臨場感あふれる解説だ。
何しろ、「シャッターチャンスは次の駅を出てすぐに左方向にあって立って撮した方がいい」などと細かい。途中で「すみません、シャッターチャンスはあと何カ所あるのでしょうか?カメラの枚数を考えなければならないので」という。バダラワさん(スリランカ)は既に使い切っている。
また、黒四の歴史についても的確で濃くて詳しい内容だ。今までの犠牲者の話や95年の水害がまだ爪痕を残している話。当時はヘリコプターで救出された人も多かったという。
排砂問題で有名な出し平ダムを見るが、土砂でいっぱいになっていて、毎秒300トンないと放流できないことになっていて去年は1度もできなかったそうだ。
外は雨だが、紅葉の葉が濡れてとてもきれい。
□ 黒薙、鐘釣を通って10時に欅平(標高600メートル)に到着。雨の中、大和さんがヘルメットを取りに行く。使い捨ての帽子をかぶってヘルメットをかぶる。
ここから500メートル先まで行かなければならないのだが、お客さんのある時はトロッコがそこまで連れていってくれるという。
3分でトロッコの本当の終点に着く。ここから直径5.5メートル、200メートルのエレベーターに乗る。貨車がそのまま載せられるので線路がついている。今は高層ビルに負けているそうだが、昔は日本一のエレベーターだったという。
普通の荷物搬入用のエレベーターと変わらなかったが、ちょっと前まで岩肌の見えるとても怖いものだったという。「これじゃ高島屋のエレベーターと変わらないですね」というと受けた。
2分間で200メートル上へ(標高800メートル)。
□ ここからは黒部軌道(通称:上部軌道)。普通の人は乗ることができない。
さきほどのエレベーターとバッテリートロッコ電車は仙人谷ダム建設のために造られた輸送ルートである。僕らは小さいトロッコで黒部第四発電所まで6.5キロ行くことになる。
記念撮影をする。低いからヘルメットに注意と言われているのに、頭をぶつける。大和さんはここまでと思ったのに、そのまま小さな車両に入ってきて解説を始まる。
10時25分出発。横は岩肌が出ていて、15センチほどしか隙間のない箇所もある。大和さんから吉村昭の『高熱隧道』(新潮文庫1967)の話と工事の本当に厳しさについて語ってもらう。どんな質問に対しても真摯で的確な答えが返って来る。
途中、高熱隧道を通る。約500メートルほどの地帯で150度近い熱でダイナマイトが勝手に爆発して300名もの犠牲者を出した場所だ。石原裕次郎の『黒部の太陽』でも、高熱隧道のシーンはモノトーンになっていて止めどなく暗いシーンになっている。映画を見た時に『黒部の太陽』というのは黒部第四ダム建設の話だと思っていたのに、トンネルの話だけだったのに驚いたことを思い出した。富山市に本店のある佐藤工業が佐川工業として小説に出ている【2002年3月倒産】。
誰かから今も熱いという話を聞いていたので、焼き豚になるかと心配していたのだが、今は下に水道を通していて、熱くなくなったという。実際、硫黄の匂いがしてきたが、ちょっと熱いだけだった。それでも窓が曇るので、手動のワイパーが付いている。
仙人谷ダムの前で止まる。見学者のために止まったのだ。ひっそりした巨大なダムが見えた。下を覗くと怖い。温泉の湯気が見えた。みんなで記念撮影。このダムは1940年に完成したダムで、このダムのダム建設、 導水管敷設のためのトンネル敷設に多くの犠牲が払われた。戦争準備のためにどうしても急がなければならないダムだった。
乗るときに運転席を見たら横を向いて運転していた。それほどギリギリのスペースで造られている。
再び出発。
□ 11時に黒部第四発電所着(標高869メートル)。
出力335000キロワットだが、国立公園を守るために全て地下式になっている。PRルームに入るが、ここは黒部のジオラマを真ん中にして円形になった会議室である。校長に「うちもこんな会議室だったら、もっといい結論も出るのに」という。此川さんの解説が始まる。高熱隧道の犠牲者には皇室から「お見舞い金」が出たという。
ビデオを見てから黒四発電所を見学。
広々とした発電設備はまるで恵比寿ガーデンパレスみたいだった。下に降りていって、記念撮影。観光名所のように撮影日が書かれていた。
同じく黒四発電所を見学した小野十三郎はその詩「黒四の地下」の中で、最新の設備に好奇の目を向けつつも、一方で、「……、ところは/やはり同じだ。/越中と信濃の国ざかいあたりだ。/人界から杜絶(とぜつ)した/山中の地下/鳥人人身の異形(いぎょう)の者たちが棲(す)んでいる」と正宗白鳥の作品「日本脱出」で語られる空想世界を想起している。
発電器の下の階に行く。ちょうど水車との軸が回っているのが見えるところだ。
今は電力の少なくてすむ時期で、動いてはいなかった。音と風圧がすごくて女性は怖がる場所だという。迫力がないでしょうからといって、音だけラジカセで聞かせてもらえる。
エレベーターで上に戻って、別の部屋へ。ここでお弁当を食べるグループもある。僕らは黒四で食べることになっている。
此川さんが来て「たった今入った情報ではアルペンルートが雪で運休になりました。往復はできないことになっているが、特別に帰る手配もできますが、商船の方はどうなさいますか?」と聞かれる。「帰るというのは黒四から戻るのですか?」と聞くと「ここからです」といわれたので、黒四から大町ルートで帰ると答える。
最後に代表にと吉村昭『高熱隧道』(新潮文庫)と木本正次『黒部の太陽』(信濃毎日新聞社)の文庫本をもらう。
□ 12時5分にインクライン(斜坑)に乗る。標高差約450メートル、斜坑の長さ815メートルを34度の傾斜で一気に登るケーブルカーだ。ケーブルカーと言わないのは運送法上の問題らしい。ちょうど一週間前にオーストリアでのケーブルカー事故があったばかりで、どうしてもその話題になる。
大和さんは「よく、そういわれるのですが、そうなったら一緒に行きましょう、と話しています」という。地獄もみんなで行けば怖くないかもしれない。
関電のインクラインは何かあると5メートル以内で止まるようになっているという。
それに何かあっても、2200段の階段を上がるか下がるかすればいいという。
実際には下に降りるのはあまりにも急でこける人がいて危険かもしれないという。
下を見ると地獄の底を見ている気持ちになる。34度というのは長野五輪のラージヒル以上だという。
中間点では迫力が満点だった。大きなブルドーザーが下りてきているみたい。乗客室はブルドーザーの上にちょこっと乗っている感じだった。
乗客室でもビデオを見る。飽きさせないようにいろいろな工夫がなされている。
もっぱら話は上から掘ったか下から掘ったかという地下鉄漫才のような話になる。
大和さんに聞くと下からパイロット抗を掘って、その後、周りを広げていったという。
□ インクラインを見てると一つの巨大プロジェクトのためにどれだけのインフラストラクチャーを造る必要があるのか見せられたような気がする。
黒四ダムと発電所を造るために1956年から63年まで7年間に延べ1千万人の人手と約513億円が使われた。関電の電気収入の約55%に相当し、そのまま現在のお金に当てはめると次のようだ。
1960年度(昭和35年度) 934億円
1997年度(平成9年度)2兆5270億円
NHKの『プロジェクトX』(第14回 2000年6月27日放送)で「黒四ダム 断崖絶壁の難工事」というのも放送された。ダムの本体工事を受注した間組のプロジェクトで、最低1年かかるトンネルの完成を待っていては、7年の工期に間に合わないため、400人に及ぶ強力で人力輸送を始める一方、標高2700メートルの立山の尾根をブルドーザーで越えるというものだった。更に、トンネルをダムの建設地点から迎え堀りをするために、零下20度の黒部に5ヶ月間留まる越冬隊を組織した。指揮に当たったのは、「大まむし」の異名をとった筋金入りのダム屋・中村精(くわし)。若者たちは、中村の号令の元に、全身全霊を込めて秘境・黒部に立ち向かっていった…。
□ 20分でインクライン(標高1325メートル)の頂上についてから黒部トンネル内専用バスに乗る。大和さんとはここでお別れということで挨拶する。ここはトロリーでなく普通のバスだ。10.2キロを約40分かけて進む。
乗り込んでから、再び「商船の人はどうしますか?」と聞かれる。既に大町ルートしか考えてなかったのだが、黒四へ行ってから帰ることも可能だという。帰っていいのならお願いしますというと、分かったといって、また大和さんが乗り込んでくる。申し訳ない。
12時30分に出発。途中、樽沢というところで降りる。ここに建設時の土砂捨て用の横取トンネルがあり、 そこから外に出て黒部峡谷越しに剣岳を拝むことができるそうだ(剣岳を裏から見られるのはここだけ)。右の通路をずっと言うとワイダ監督の『地下水道』のような格子が見えてくる。「これは熊が入らないための格子です」と大和さん。外は牡丹餅のような雪が降り始めていて剣岳はもちろん、何も見えない。
アブ君(マレーシア)は雪を見るのが初めてだと言って喜んでいる。大和さんに代わる代わる写真を撮ってもらう。
再び、バスに乗って一方交通の道を進む。一台しか通ることができないからどうやって交通整理をしているのだろうと悩む。
□ 急に厳しい坂になる。1時ちょうど、黒四(標高1470メートル)の下に着く。一緒だった人たちは大町ルートに抜けるので別れる。
ちょっと歩くと、すっかりテレビなどでおなじみの地下駅になる。トイレに行ってから黒四展望台に。220段の階段を昇らなければならない。途中、「後135段」とか書いてあるのが余計なお世話にしかみえない。「ええっ、まだ」という気持ちが強いので書いてない方がよほど元気が出る。
□ 展望台で外に出るが雪で黒四は「ホワイトアウト」(織田裕二主演で2000年に公開された映画・織田の役がダム運転員で約90センチのキャットウォークを歩くシーンもある)の状態で、うっすらとしか見えない。バダラワさんに雪玉を入れたり、みんなふざける。
レストランに入って食事をしようと思ったが、豚まん、あんまん、野菜まんの他は何もない。カップヌードルは売っていた。300円の豚まんと200円のお茶を買う。豚まんは具が多くてお腹がいっぱいになる。
子どもには今さら買うものはなかったが、おこじょのタオルを買う。留学生がオコジョって何だと聞くので「テンだよ」と答えると「テンって、英語で何ていう?」というので「“ermine”もしかしたら“juu”かもしれない」と答える。
□ 1時30分になって下に行くことに。
黒四ダムの方へ行く。220段下がって、また階段。上がることを考えると憂鬱。
ダムに着く。細かい雪でぼんやりとしか見えないが、みんな大喜び。
今年から「ガルベ」という遊覧船もできたし、映画『ホワイトアウト』が撮影されたことでも活気が出てきた。
大和さんが「黒部ダム」の石版の前で撮りましょうという。どちらかに寄ってくれれば「黒部」か「ダム」かどちらかが見えるからと細かい注意。
今度は犠牲者の碑の前で撮ろうという。雪の上に足跡が一つもなかったが、僕らが撮っていると急に他の人も集まり始めたので驚いた。
日本人の悪い癖を見たような気がした。
□ 階段を通らずに坂を上ってバスの乗り場に戻る。
一台来ていたが、別のところに行くみたいで、次を待って下さいといわれる。
ここはロータリーになっていて、ぐるっと回って、行き先に向かうのだという。
ようやくバスが来て、僕らと工事関係者が2名。
□ 終点に着いて再び、インクライン。
先ほどと違って、余裕が出てきた。
何だか駅の待合室がそのまま降りていくような感じ。
校長が「もう終点かね」と話したところはまだ中間点にもなってなかった。帰りは時間が長く感じる。
□ 再び、高熱隧道。
乗り込むと大和さんが「今度はガイドしないからね」。
といいながらも、いろいろと裏話をしてくださる。各国の大使が時々来るが、通訳も入ると説明するのが大変だという。
中沖県知事が何度も来て、何とか一般に開放できないかと要望しているという。「しかし、ご覧になったようにとても無理です」との話。
毎日30人位でしかもガイド付きで何とか成立する旅行だから開放することはとても難しいと思う。
抽選で一般客に公開しているのもそうした要望に応えるためだそうだ。
□ 黒部軌道を降りて再びエレベーターに乗って下に降りる。今度は先に人間用のエレベーターに乗って、貨物用の人たちと別れたので早く着く。待合室で待ってなさいと言われて、入ると暖房が入っていた。
そこから500メートル、トンネルの中を歩く。
カンカンカンという音が聞こえてきたので、列車でも来るのかなぁ、“スタンド・バイ・ミー”みたいになるのはやだなぁ」と校長と話すが、大和さんはそのまま歩く。ずっとついて行ったら急によけるようにと言われて前を見ると、ゆっくりゆっくりと列車が入ってきた。
待避場所に入るが、校長は「こんな待避するのは初めてだ」などという。最後に冬季通路を通る。冬季通路というのは電車の動かない12月以降の冬季に使われる通路で、ウサギやタヌキなどもいっぱい避難に来るという。
□ トンネルの外は雨だった。
そのままプラットフォームを歩いて駅に入る。シーズンの終わりで閑散としていた。今までは欅平まで来ただけで遠くへ来たものだと感動していたが、ここは感動の始まりだったことに気づく。
3時40分のトロッコ電車に乗る。工事担当者と一緒の専用車両に乗り込む。途中、校長がいろいろ話す。アブ君とソピアプは寝てしまう。
□ 4時56分に宇奈月駅着。大和さんに挨拶をしてから、諦めて電鉄宇奈月駅に向かうが、もしかしたら間に合うかもしれないと、高橋尚子になって走る。
2階の改札口に着いた途端、「もうダメ」と言われる。駅長室から「いいねか」といわれて、降りる。急行が待っている。僕だけではなく、ぞろぞろとついて来たのに、ちょっと驚かれる。
こうして電鉄宇奈月線の急行に乗る。車掌さんを待つがなかなか来ない。ようやく二十歳くらいの女性が来る。「7人富山まで、領収書下さい」というとそのまま運転室の方の行ってから「領収書のほしい時は着駅でお願いします」といわれる。
看護婦の神谷さんが滑川で下車。
□ 6時17分に富山駅着。旅費として預かっていた10万がそのまま残っていたので、駅前の繁華街・桜木町へみんなで出て、みんなで飲めや歌えの大騒ぎをして帰る。
という気持ちもあったが、アブ君は富大の友達のところへ行くというし、7時の食事に間に合わせなければならないので、4人で先にタクシーで行く。ベジタリアンのバダラワさんは自炊で遅くなっていいので、校長に「デートして下さい」と任せる。
6時40分に寮に着いて、長い、充実した一日が終わる。
●(一般の客の)応募方法
黒部峡谷の黒部ダムから欅平まで通じる関西電力の工事用通路「黒部ルート」の見学会は毎年四月一日から見学者を受け付ける。
対象は小学五年生以上で、トンネル内の歩行や各種乗り物の乗降に支障のない人。黒部ダムと欅平出発の二コースで、黒部ダムからは、バス、地下式ケーブルカー(インクライン)、バッテリートロッコ列車、約二百メートルのエレベーターなどを乗り継ぐ。
各コースとも定員三十人を超えた場合は抽選。黒部ダム出発の場合は、定刻までにトロリーバス黒部ダム駅長室前、欅平出発は定刻までに黒部峡谷鉄道欅平駅二階食堂に集合。ルート以外の交通費は各自負担で昼食持参。
応募要領は大町市役所商工観光課、同市観光協会、関電黒四管理事務所で用意している。
申し込みは、官製はがきで希望者全員(四人まで)の住所、氏名、年齢、電話番号、希望日、希望コース、代表者名を明記し、〒9308691富山中央郵便局内、私書箱59号、黒部ルート見学公募委員会事務局まで。電話申し込みは不可。
問い合わせは、事務局=電0764(42)8263=へ。
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富山商船高等専門学校 教務主事補
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※2002年の大みそかのNHK紅白歌合戦で中島みゆきがNHK『プロジェクトX』の主題歌「地上の星」を歌ったのはトロッコ列車の終点・黒部川第四発電所の手前である。
生中継は関電の全面協力で実現した。映像は、約17キロ離れた扇沢(長野県側)の中継車に、光ファイバーケーブルで送られたという。