言葉とモノ Language is not an abstract construction of the learned, or of dictionary makers, but is something arising out of the work, needs, ties, joys, affections, tastes, of long generations of humanity, and has its bases broad and low, close to the ground.
(言語とは、有識者や辞書の編纂者による抽象的な創造物ではない。人間の長い世代にわたる努力、必要性、絆、喜び、愛情、嗜好から形成されたものであり、その基盤は広くて低く、地面に近い)
-----ノア・ウェブスター(ウェブスター英語辞典の編纂者)考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わることだ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう。じっさい、宣長は、そういう意味合いで、ひと筋に考えた。彼がいわゆる「世の物しり」をしきりに嫌いだと言っているのも、彼の学問の建前からすると、物しりは、まるで考えるということをしていないということになるからだろう。この点では、徂徠も同様であったと見てよい。
-----小林秀雄『考えるヒント』英国の物とチェコの物では、同じ意味を持つ語で示されていようとも、いつもそれが同じものを示しているとは限らないことは、これまでに述べてきた通りである。しかし英語を学ぶものは、このことによく注意しなければならない。そこでこの章では、英国の現実がチェコあるいはスロバキアの現実といろいろな面で異なっていることについて述べてみよう。次にちょっとした例をあげる。
'A cup of tea' は簡単にいえば「一杯のお茶」である。だが、イギリス人がこのことばで理解するものと、われわれがこのことばで理解するものとは同じではない。問題になっている茶碗は両方とも同じかもしれないが、中身はそれぞれ違っている。わが国の場合は、少量の中国産あるいはロシア産のお茶をこして得られたややくすんだ金色の液体で、これに砂糖を入れ甘くしてから、そのままで飲むか、レモンのしぼり汁、あるいはラムまたはコニャックを加えて飲む。ところがイギリスでは、中国産のよりずっと味が濃いインド産あるいはセイロン産のお茶をもっと多量に入れてこして作るが、そのようにして得られたこげ茶色をした液体は、生のミルクと混ぜられる。
-----千野栄一『外国語上達法』岩波新書語るべきものはあまりに多く、語り得るものはあまりに少ない。
おまけにことばは死ぬ。
一秒ごとにことばは死んでいく。路地で、屋根裏で、荒野で、そして駅の待合室で、コートの襟を立てたまま、ことばは死んでいく。
お客さん、列車が来ましたよ!
そして次の瞬間、ことばは死んでいる。
可哀そうに、ことばには墓石さえもない。ことばは土に戻り、その上に雑草が茂るだけだ。報い、と人は言う、当然のことさ、あいつは他人や自分自身をあまりに利用しすぎたんだもの。まるで屍肉を喰うようにね。
しかもそもそも、それがことばなのだ。誰にそれを非難することができよう?僕もそんな死者の列の中にいる。そして死臭はいつまでも僕の体から去りはしない。
死臭、か。
-----村上春樹「街と、その不確かな壁」『文学界』(1980年9月号)
「花」(川崎洋詩集『象』)
花の名だけは知っていて
花そのものは知らない
そんな花があります愛という字は
よく知っているのですが
そして
愛そのものも
知っているつもりだけれど降るような花の下を行くと
いったい
何を知っているのかLas Meninas(Diego Velazquez) 侍女たち(ヴェラスケス)
工業英語の教科書にhair springというのが出てきた。この発明のおかげで時計が進歩したという内容だ。
「“ひげぜんまい”だよ」と教えたら、鳩が豆鉄砲を食らったような、状態になっている。よく聞いてみると「ぜんまい」というのが分からないという。工学系の学校ですら「ぜんまい」を知らないとは!と思ったが、よく考えてみるとゼンマイを使った品物など学生は知らないのだ。時計はどれもデジタル化されていて、クォーツになっていてゼンマイなど見たこともなさそうだ。そして、時計を分解する楽しみなど誰も知りはしない。
なるほど、と思って「ほら、山菜のぜんまいって知ってるだろう、あんな形のものだよ」と話したのだが、山菜って食べたことがないという。ここまで来ると、学生におちょくられているのかと思ったのだが、確かめると山菜のぜんまいを知らない学生もいた。わらびも知らないし、わびもさびも知らない。広末涼子が出た『WASABI』も知らない。
□ 一体、何なのだ、と思ったが、考えてみれば、うちでも妻は山菜が嫌いで食べない。だから子どもたちも山菜をよく知らない。
「竹馬の友」も、もうほとんど目にすることはない。身の周りから炭や薪が消えてしまっては「塗炭の苦しみ」や「臥薪嘗胆」など実感がわかない。
「匙を投げたくなる」が「匙」(さじ)も知らない。
□ それでも「匙」は「スプーン」として存在しているからいい。
“C.C.Mail”を説明しようとして“C.C.”は「カーボンコピー」と言ったのだが、「カーボン紙」を知っているものは少なかった。紙の間に挟んでタイプライターを打ってコピーを作ったといっても時代劇の講釈を聞いているみたいな顔をされた。
それどころか、工学系の学生の多くがvacuum tube「真空管」と言っても想像もできないようだ。「IC」も知らないから“I see.”などと言ってはくれない。
技術のブラックボックス化というのは確実に広がっている。コピー機の原理を話してみなさい、といっても答えられる学生は少ない。ファックスもどうして手許にオリジナルが残ったまま、向こうに着くのか分からない人も多い。
オーディオだってコーンスピーカーの原理から学ばなければならなかった、「ソリッドステート」で「HIFIステレオ」だった、僕らの時代と違って、全てが当たり前になっている。
おおっ、考えてみれば、iMacの半透明ボディというのは技術のブラックボックス化、不透明なマイクロソフトに対する、大いなる反抗だったのだ! ←んな、訳ないなぁ。
□ 米に関する言葉も知らない。社会の教師が「端境期」というのを聞いたら「たんきょうき」とか「はしさかいき」とか読むし、一体何のことか想像もできない学生が多かったと嘆いていた。「縄」というものをじっくりと見たことがないだろう。「わらじ」なんて履いたことがないだろう。息子がお祭りの獅子舞の稚児で履いたので伝統文化が分かるようになったと喜んだがすぐにスポーツシューズになった。ああ、「ぬか喜び」だったと思ったが、「糠(ぬか)」なんて誰も知らないし、うっかり「糠漬け」を買って来ようものなら、家族から「総すかん」だ(という古い表現も通じなくなってきた)。
昔は物が少なかったという話をしようとして「一日の米の配給は二合一勺(約0.4リットル)だった」と話をしたら、子どもたちに「たくさんの米を食べていたんですね」と言われて、二の句がつげなかった教師もいる。それどころか、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」で「一日に玄米四合と/味噌と少しの野菜を食べ」なんていうのは大食いにしか見えないだろう(戦後すぐ、「三合」と書き換えられて教科書に載ったという。食糧難の折、四合は多すぎると批判されたらしい)。
「玄米」も自然食品を愛用する家族以外には分からないだろう。
「稲刈り」なんて鎌でやるものとは知らないだろうし、イナゴなんてただのバッタにされる。イナゴを佃煮にする、といっても佃煮じたいを知っているか怪しい。「米を研ぐ」という言葉も「米を洗う」に置き換えられつつある。包丁や剣を研ぐように米をきれいにしっかりとさせることをいうのが、ただモノを洗うように扱われる。「無洗米」(変な日本語だが…)というのも出てきているので、そのうち、「米を洗う」という行為も分からなくなるかもしれない。
つまり、日本文化の根幹である「米の文化」が滅亡寸前なのだ(本当に日本が米の文化だったか検討を要するが)。
□ 幼稚園で急須と湯飲みを見せられて、「これは何ですか?」と聞かれて答えた子どもはいなかったという。確かに、うちも急須をいつも使っている訳ではない。湯飲みは使っているが「湯飲み」として意識させて使っていない。
「さゆ」 茨木のり子『詩集 食卓に珈琲の匂い流れ』
薬局へ
−−さゆください
と買いにきた若い女がいた
−−サユ?
−−ええ 子供に薬を飲ませるサユっていうもの おいくら?
薬局は驚いて
−−ああた 白湯は買うもんじゃありませんよ
湯ざましのことですに若い母親の頭のなかでサユはいったいどんな形であったやら
怪訝な顔で去ったという
白湯もまた遠ざかりゆく日本語なのか……
八雲の怪談の 夜ごと水飴を買いにくる女は
艶冶(えんや)で哀れ深かったけどそんな話を聞いた日の深夜
しゅんしゅんと湯を沸かし
ふきながらゆっくりと飲む
まじりっけなしの
白湯の
ただそれだけの深い味わいアメリカに留学した女性が日本から送られてきた家庭用品を見てのけぞったという話を聞いたことがある。その中には「亀の子たわし」が入っていたのだが、出てきた時はネズミか何かと思ったらしくて、「キャー」と大騒ぎしたという。じっくり眺めても使用法がまるで分からない。石垣りんは「詩はたわしでいい」と書いていた。詩が実用的であっていい、心の中がごちゃごちゃした時に言葉が作用して、洗い流してくれるような、そういう働きがあってもいい、と語ったのだけど、レトリックとして成立しなくなってきた。
これらの話は日本の伝統文化を失うというだけの問題ではなさそうだ。
アイヌの人は熊の手の小指の脇の部分に「ビソイ」という特別な名前を付けているが、熊狩りをして収穫があったときに、感謝の意をこめて一番おいしい「ビソイ」の肉を神に捧げる。つまり、言葉と文化は不可分なのだ。
□ 尾崎喜八の「子供と山と」(『山の絵本』岩波文庫)では数え七つになる長女の栄子が、フランス語を教える幼稚園から帰った時の会話。
「ジャンヌ・ダルクは焼かれて灰になったんですってね。だけど心は焼けないで残っていたんですってね」と彼女はいう。そしてこう質問する。
「心ってなあに?」
ああ、幼い者! それが何であるかを知るためには、この世でもっとも困難なその疑問が解けるまでには、お前は今後まだたくさんたくさん生きなければなるまい。□ 米原万里『他諺の空似 ことわざ人類学』(光文社)は同じ内容のことわざが各国でどれだけ違うかを集めた(だけではない立派な時事批評だが)本で、例えば「鶏口となるも牛後となるなかれ」に相当することわざは次のようである。
「ライオンの尻尾でいるくらいなら、犬の頭でいた方がまし」(イギリス)
「大きな船に雇われるよりは、ボートの持ち主でいる方がいい」(マケドニア)
「大きな池の小さな魚でいるより、小さな池の大きな魚でいる方がいい」(ノルウェー)
「大魚の尻尾より鰯の頭」(スペイン)
「一年メンドリでいるよりは、一日でもオンドリでいた方がまし」(イタリア)
「チョウザメの尻尾でいるぐらいなら、カマスの頭になる方がまし」(ロシア)
「龍の尻尾でいるよりはロバの頭になる方がいい」(オランダ)
「最底辺の貴族になるぐらいなら、農民兵団の長になった方がいい」(フランス)斎藤美奈子は『それってどうなの主義』(白水社)で「石臼・ペン立て・蝶番(ちょうつがい)」という話をしている。これは人体の関節のしくみを教えるときに、子どもの本で伝統的に使い倒されてきたアナロジーだという。でも、「肩の関節はペン立てみたいにぐるぐる回る関節だ」と教えられても、子どもは混乱するだけだ。「石臼・ペン立て・蝶番に無理があるのは、特殊なもの(関節)を、特殊なもの(子どもの暮らしに関係のないもの)を使って説明し嘔吐している点である」と指摘している。教師をしているから僕もよく分かる。あるものを説明しようとして別のあるもので説明しようとするのだが、それもしらなくて、別のもので説明しようとすると、そちらの説明に時間がかかり…。
□ 言語学の人にとって大切なことは「コトバ、ことば、言葉」で、「意味するもの」つまり、言語形式ばかりに囚われていて、「意味されるもの」つまり、モノとの関係を考えてみようとはしないのだが、考え直してみると「モノ、もの、物」も大切だ。言葉は物の名前のように語られてきたが、言葉とモノとは直接関係はなく、存在しているのは言葉と言葉との関係が作り上げている差異の網目だけだとソシュールはいうが、果たしてそれだけだろうか?同時に、ソシュールは言葉は物と音とが表裏一体になっている、といっている。一枚の紙のように切れば、裏も表も一緒に切れてくる。「所記」と「能記」が、「シニフィエ」と「シニフィアン」(ええい!一体これは何なんだ)が、「意味されるもの」と「意味するもの」が表裏一体になっているというのだ。
そこで「レアリア」“realia”という考えが登場する。「事物」を指すラテン語「本当の(もの)realisの中性複数形)だが、モノと言葉の関係を考えるキーワードである。
これを知らないと誤解や誤訳の原因になる。OEDには次にように書いてある(他の多くの辞書には載っていない)。
1. Objects which may be used as teaching aids but were not made for the purpose. N. Amer.
2. Real things, actual facts, esp. as distinct from theories about them.
1. 教育の補助として使われるモノだが、わざわざ作られたモノではない。【北米で使用】
2. (特に理論と区別した)実物、事実。
英語として熟していないのでドイツ語の“Realien”をそのまま使う学者も多い(他の英語を使えば“real facts”“realities”あたり)。
□ 言語外現実であるレアリアを理解しないと言葉は理解できない。ところが、チョムスキーは「外的事実などは存在しない」と言った。ここからニール・スミスは『ことばから心をみる』(岩波書店)で「チョムスキーは存在するのか?」という章を設けている。
指示(言及)に関する論議の中でチョムスキーはよく「外的事実などは存在しない」と言明したり、「“単語Xは何を指示するか?”という問いかけは明確な意味をもたない」といったり、言語的な心的表示を外界のものごとに結びつけようというのは簡単にできることではなく、「誤った企てさえあるかも知れない」と論じている。もし外界が存在しなかったら、チョムスキーは存在しない(そして読者もまたこれを読んでいるはずはない)。だがこの懐疑主義的結論は、反証することはできないものの、建設的でも興味深くもなく、この推定状のチョムスキーが考えていることでないのは明らかである。もちろん、チョムスキーは外的事実がないと言っているのではなく、従来の哲学の「意味」の扱いが不満だということを言っただけなのだ。
鈴木孝夫・田中克彦の対談『言語学が輝いていた時代』(岩波)にはこんな話が出てくる。
鈴木 【…】事実、チョムスキーをわれわれが呼んだときに、築地の寿司屋に連れていったのです。そうしたら帰ってきて午後の講義のときに、「ウニ」という英語の意味が午前中と午後で変わった。午前中だったらウニは食べられないものに分類していたが、さっき、築地で食べて、こんなうまいものはないと思ったから、午後からは食べられるものになった、と。【…】
服部【四郎】先生に会うたびに、私は意地悪だから、「先生、リンゴの意義素見つかりましたか、イヌの意義素は何ですか」っていうと、「鈴木さん、いまに見つけます」って淋しそうに笑われて、ついに見つからないうちにお亡くなりになった。□ 現代は高度資本主義で、空前の大衆消費社会である。暮らしとはモノを消費することなのだ。モノを見れば人がわかる。だとすれば、モノを見れば作品も分かるにちがいないということで書かれた斎藤美奈子の『文学的商品学』(紀伊國屋書店)によれば、近代小説はモノを抑圧してきたという。モノの描写にかんする近代小説の原則はこんなふうに要約できるという。
1)小説に必要不可欠な「内面描写」に関係しないモノの描写は控える。
2)モノの描写はなるべく手短にすませる。
3)時間がたっても流行遅れにならないよう、長く残りつづけるモノを選ぶ。
例えば、渡辺淳の『失楽園』の「凛子は淡いピンクのスーツの襟元に花柄のスカーフをそえ、グレーの帽子をかぶって、手にやや大きめのバッグを持っている」などの描写から、斎藤は(1)服がダサい、(2)文章に愛想がない。「凛子という女は、なんだってまた密会デートに、いつもこんな野暮(やぼ)ったい服装で出かけるのでしょうか」と書き、『失楽園』のファッション描写を「色+柄+アイテム名」の報告に尽きると分析し、見たまんまやないけ、と突っ込んでいる。ことほどさようにモノの表現はむずかしいということになる。ただし、映画になると違う。『太陽の季節』もダサイ格好しか出てこないのに、映画、そしてそのパクリである太陽族映画が太陽族の風俗を主導したのだという。
チャンドラーの『長いお別れ』の“queen”を清水俊二訳では「女王」と訳していたが、村上春樹の新訳『長いお別れ』では「おかま(クイーン)」となったが、風俗の時代による変遷で理解?が深まった(ちなみに、“queen”は売春婦“quean”と同源)。
時代が変わると分からなくなってしまう風俗もある。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』には奇妙な帽子の占い師の加納マルタ(本当の苗字も加納だがマルタは仕事用の名前。マルタ島の水との相性が良かったためにこの名をつけた)と60年代初期風ファッションに身をつつむ占い師の妹・加納クレタ(夢の中でコルシカという子供を生む)というのが出てくる。この姉妹の名前は20世紀末に日本で訳分からなく登場した叶姉妹をイメージさせているが、後十年もすれば誰にも分からなくなるだろう。
そう言って加納マルタは受話器をテーブルの上に置き、するりとコートを脱いで裸になった。彼女はやはりコートの下には何も着ていなかった。彼女は加納クレタと同じくらいの大きさの乳房を持ち、同じようなかたちの陰毛を生やしていた。
□ ポストコロニアルの作家アチェベ(Chinua Achebe)に「教師としての小説家」 "The Novelist as Teacher,"(collected in Morning Yet on Creation Day 1975)というエッセイがある。英作文の授業の時にある学生が「ハルマッタン」(harmattan=12月から2月頃にサハラから西アフリカに吹く風)と書くべきところを「冬」と表現したいという。訳を聞くと、「ハルマッタン」と書くと他の生徒から「ブッシュマン」(人種ではなく差別的な意味合いで使っている)呼ばわりされるからだと答えた。アフリカの風土が市の主題としてふさわしいことを示すのが作家としての自分の務めであり、神の代理としてやってきた白人たちの、自分たちが来るまでは暗黒大陸だったというような言説が間違っていることを示さなければならないと考えた。つまり、植民地時代に白人への服従を強いられた経験がアフリカの人々にもたらした悲劇というのは、彼ら自身が人種的劣等性を受け容れてしまったことだと批判している。レアリアを受け容れるおとは自分の文化を受け容れ、そうした言説に異議を唱えることなのである。
□ 固有名詞というモノもある。例えば、美空ひばりや長嶋茂雄を知らないで日本文化は語れない。俵万智の次の歌などカンチューハイというものを知らなければ理解できない。ただのお酒ではないし、缶ビールとも気持ちが違うのである。
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
OED(オックスフォード英語辞典)には“Shakespeare”の項目で「ウィリアム・シェイクスピア」を説明していない。固有名詞だから避けているのであり、「シェイクスピアに喩えられる人」という普通名詞での意味は載っている。
こんな風に固有名詞を載せない辞書もあるが、レアリアを知らないで、文化を理解することはできないから、やはり載せるべきなのだろう。
OEDの原型ともいえる初の英語辞典を作ったジョンソン博士は序文で「坑夫の言葉を学ぶために炭坑にもぐることも、航海用語を完璧に操れるように航海に出ることも、商品や道具や作業の名を知るために商人の倉庫や職人の店を訪ねることもできなかった」から人々の生活がすっぽり抜け落ちてしまっていると反省している。もちろん、辞書編纂者が英語のさまざまな形を見つけるために地方や、世界を回ることもできない。
□ モノがなければ表現が生まれない。例えば、日本語の「花より団子」は外国人にも分かりやすいかもしれないが、ニューギニアのエンガ語の「結婚するなら、黒い髪の女より白い歯の女」という言い回しはレアリアを知らないと難しい。黒髪が美人を指すことまでは分かるだろうが、白い歯というのは難しい。これは常に豚肉を食べていて歯が白いということで、豚肉をいつも食べられる位の金持ちのクラン(階級)の女性を象徴する。つまり、結婚相手としては容姿よりも財産を選んだ方がいい、というエンガ族男性の結婚観を表している。豚がニューギニアで婚資として使われることも知らなければならない。
「屋上屋を架す」という表現を英語で“to carry coals to Newcastle” (「石炭を石炭積出し港のあるニューキャッスルに運ぶ」) 、ドイツ語で“Eulen nach Athen tragen ”(「フクロウをアテネに携える」でフクロウは知恵の女神アテナイの鳥) で次のようにいうが、レアリアの賜物である。「余計なことをする」のを英語で“To carry new coals to Newcastle.”というが、ニューキャッスルが石炭の産地だということを知らないと分からない。ハムレットは「大衆にキャビア」(caviare to the general)というのを「猫に小判」の意味で使っているが、キャビアが庶民には分からない味だったことを知らないとレトリックが成立しない。
ある人類学者がカラハリ砂漠に住むブッシュマンとサヴァンナを歩いていてきれいな花を見つけて「この花は何ていう花ですか?」と聞いたら、「それは食べられないよ」という言葉で終わったという。つまり、食べられるか、食べられないかというだけで花が分類されていて、美しいと感じる感性がないことになる。
表現がなければモノがない。川田順造の『コトバ・言葉・ことば』(青土社)に出てくる話だが、イギリスの人類学者ジャック・グディに“No Flowers in Africa”という論文があり、これによれば、サハラ以南のアフリカ社会に、花を観賞するならわしがないことがいくつかの留保つきで指摘されている(Goody, Jack1993 The culture of flowers, Cambridge, University Press)。つまり、「花」というものがないことになる。
大学の生物の試験で「メタセコイアについて知るところを記せ」というのが出た。終わってから教師が「どうして一人もキャンパスにあるメタセコイアの樹のところへ行って葉っぱを取ってこないのか」と言った。そんな自由な雰囲気ではなかったので、終わってからいうのはめちゃセコいや、と思ったものだった。後にこれと同じことが江戸中期の豊後三賢であった三浦梅園が典故を踏まえて書いた『贅語』に記した名句があることを知った。「花を知らんと欲せば、花譜をひもとかんよりは、急ぎ花畑へ走れ」というのだ。原物主義、現地主義を教わった。
ある研究所が世界の人に「世界の他の国々の食糧不足を解決するために意見をお願いします」というアンケートをしたが、大失敗した。なぜなら、アフリカでは「食糧」の意味が、欧州では「不足」の意味が理解されなかった。中東では「解決」の意味が、日本では「意見」の意味が理解されなかった。そして米国では「世界の他の国々」の意味が理解されなかった…(早坂隆『世界反米ジョーク集』・中公新書ラクレや米原万里『必笑小咄(こばなし)のテクニック』集英社新書)。
米原万里『他諺の空似 ことわざ人類学』(光文社)は同じ内容のことわざが各国でどれだけ違うかを集めた(だけではない立派な時事批評だが)本で、例えば「鶏口となるも牛後となるなかれ」に相当することわざは次のようである。
「ライオンの尻尾でいるくらいなら、犬の頭でいた方がまし」(イギリス)
「大きな船に雇われるよりは、ボートの持ち主でいる方がいい」(マケドニア)
「大きな池の小さな魚でいるより、小さな池の大きな魚でいる方がいい」(ノルウェー)
「大魚の尻尾より鰯の頭」(巣ペン)
「一年メンドリでいるよりは、一日でもオンドリでいた方がまし」(イタリア)
「チョウザメの尻尾でいるぐらいなら、カマスの頭になる方がまし」(ロシア)
「龍の尻尾でいるよりはロバの頭になる方がいい」(オランダ)
「最底辺の貴族になるぐらいなら、農民兵団の長になった方がいい」(フランス)□ 民俗学者の柳田國男は『明治大正史 世相篇』も書いているが、俳優の長谷川一夫と船で出会ったが、まるで知らなかったといわれる。しかし、これはある程度しかたがないことだ。今和次郎・吉田謙吉は『モデルノロヂオ』【考古学ではなく、考現学】の中で次のように宣言している。
世間の風俗を客観するのには、すれを冷たく静かになし得るのには、世間の風俗にとらわれていたのでは徹底することが出来ない。主観的な熱が満ちていて、それを自分のうちにもやしながら、外形的な世間を見るのでなければ、生活に関した調査事に生気を出すことが出来ない。
江戸っ子の夏目漱石は稲を知らなかったと正岡子規が『墨汁一滴』で書いている。高等中学に通う正岡子規は、友人の夏目漱石を東京・牛込の自宅に訪ね、連れだって散歩に出た。水田の苗が風にそよいでいたが、「漱石は、我々が平生(へいぜい)喰ふ所の米はこの苗の実である事を知らなかつたといふ事である。都人士(とじんし)の菽麦(しゅくばく)を弁ぜざる事は往々この類である。もし都(みやこ)の人が一匹の人間にならうといふのはどうしても一度は鄙住居(ひなずまい)をせねばならぬ」という。考えてみれば、『坊っちゃん』でもバッタとイナゴの違いを知らないことが笑いを誘っている。近藤英雄『坊っちゃん秘話』(青葉図書)によれば、漱石自身の体験だったという。 ※菽麦=豆と米。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先(まっさき)の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎(あいにく)掃き出してしまって一匹(ぴき)も居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜(はきだめ)へ棄(す)ててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いで馳(か)け出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり載(の)せて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿(ばか)だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣(や)り込(こ)めた。「篦棒(べらぼう)め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕(つら)まえてなもした何だ。菜飯(なめし)は田楽(でんがく)の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。三島由紀夫は松を知らなかったという伝説がある(鶴ケ谷真一『書を読んで羊を失う』白水社)が、これは実は伝説だったということを塚谷裕一が『漱石の白くない白百合』(文藝春秋)で書いている。
米原万里『心臓に毛が生えている理由』(角川学芸出版)にはお母さんが羊と山羊を区別できなかった話から始まり、ロシア語には「ヤギとヒツジを区別する」という表現が多いことに触れている。なぜヤギ=悪、ヒツジ=善となるのか不明だが、嬉しい発見があったという。「遊牧を主な生活の糧にしていたユダヤのタミにも、ヤギとヒツジを混同する人がいたのだろうと思うと、なんだかちょっと安心したのだ」。
だから、僕らがレアリアなど知らなくて当たり前なのだ。と偉ぶることはないのだが、パスツールの話が教訓的だ。『ファーブル昆虫記』(岩波文庫)に出てくる話だが、パスツールはアヴィニョンで猛威をふるっていたカイコの病気を治すためにファーブルの村までやってくる。ところが、パスツールは繭を手にして音がするのにびっくりして言った。
「何か中にありますね。」
「ありますよ。」
「一体、何があるんですか。」
「蛹です。」
「え?蛹というと?」
「幼虫が蛾になるまえ、姿を変える一種のミイラのようなものです。」
「どのまゆの中にもそんなものが一つ入っているのですか。」
「そうですとも。まゆは、さなぎを保護するために幼虫が編むものです。」
「なるほど!」パスツールはど素人だったのだが、その蛮勇にファーブルは感動する。しかも、パスツールは数カ月後にこの病気(微粒子病)の対処法を医学的、疫学的に考えて、撲滅してしまったのだ。ファーブルは現象を熟知していたが、理論的な後ろ楯はなかったのだ。
□ 「杓子定規」に物事を考えてはいけない。といいながら、「杓子定規」とは杓子の柄を定規に使うことだが、何がいけないかというと『大辞林』に〔古くは杓子の柄は曲がっており、定規にならないのを定規の代用とするということから〕と書いてあるように、当てにならないものを一定の基準・形式で他のすべてを律しようとしたからである。今はお役所仕事などの融通のきかないさまを表す言葉となってしまった。
だが、「伝統的な歴史書の中では人間は食べも飲みもしない」と歴史家のフェルナン・ブローデルが『歴史入門』(太田出版)で書いているように、レアリアを抜きに文化や歴史は語れないのである。
ただ、初期の語学学習の時に全てを知る必要はない。千野栄一先生は『外国語上達法』(岩波新書)の中で「ごく一部のよく知られたもの以外のfauna & flora(動物・植物)関係の語は辞書にませかよう」と書いている。
□ 言語学でモノというと言語と文化の関係が多い。文化によってモノの分け方が随分違うことはいうまでもない。「兄弟」と“brother”で違うし、日本語では「椅子」としかいいようのないものを英語では“chair,stool,bench,sofa,couch,hassock”などと使い分ける。「カウチ」などはごく最近では日本でも見かけるようになったし、「カウチポテト」という言葉もあるくらいだが、知らない人は知らない。この「椅子」というのも中国から入ってきた言葉で大和言葉には椅子に相当するモノがない。北京の柴禁城などで驚くことの一つが椅子の存在である。日本の文化とは違うなぁという実感が沸いてくる。
ついでに「あぐら」というのは「胡座」と書くから「胡」(ペルシャ)など外国風の座り方ということである。
この他にも「胡人・胡服・胡弓・胡楽(こがく)・五胡七国・胡椒(こしよう)・胡麻(ごま)・胡粉(ごふん)」などがあって「外国」を示し、「胡乱(うろん)・胡散(うさん)」などと「でたらめ。すじが通らない」ことを指す。
日本文化で思い出した。丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)を読んだ時に、西洋文化は「ササラ型」で日本は「たこつぼ型」という有名な話が出てくるのだが、ササラというのが僕にとっては「田楽(でんがく)・歌祭文(うたざいもん)その他の郷土芸能に使う楽器」でしかなくて話がつかめなかった。典型的には五箇山民謡の「こきりこ」や「麦屋節」で使われる、板を並べてシャッシャッという音を出す楽器としてことしか知らなかった。
他の人はどうなのだろう?
たわしも知らない人が多いのに「ササラ」(竹の先を細かく割った、または細かく割った竹をたばねた、道具)を知っている人はどれだけいるのだろう?
□ 人類学者の川田順造は『西の風・南の風』(河出書房新社)の中で、例えば、「荒れ野の中をしばらく行くと、川のほとりに村があった。一軒の家の前に、男が一人立っていたので村の名前をきくと、運よくそれが私の訪ねている村だった。来意を告げると、男は私を中庭に招じ入れ、腰掛けを勧めた。そばにいた男の子を呼びにやって、まもなくもう一人の男が中庭に入ってきた。『私の弟です。』と主人はその男を私に紹介した。」という文章は何の変哲もなさそうだが、この中に出てくる「荒れ野」「川」「村」「中庭」「腰掛け」「弟」などの言葉が読み手に呼び起こすイメージ、つまり日本語としてもっている意味内容は、この文章に描かれている世界での川、家、弟等々とは著しく異なったものだという。たった数行のこの文章についても、何十ページの解説が必要だし、それでも恐らく十分に説明しきれないに違いないという。「ヤワ」という「弟」にしても同じ親から生まれた年下の男性を含む、自分よりも後から生まれた父系血縁の者で、子や孫や甥(孫・甥は同じ親族名称で呼ばれる)以外の、つまり同世代の年下の同性者をすべてさすから、日本語では「弟」だろうが、ひどくずれているという。
ありきたりにみえる叙述も、叙述者による手前勝手な対象の切り取りということになり、それが日本語の読者に喚起するものは、叙述の対象とはまるで違ったものになりかねない。「日本語を用いて表現する以上、どうしても埋めることのできない間隙は残るにちがいない」といい、「表現することの難しさ、恐ろしさの根は、むしろ同じ日本語を使う者同士の間にこそ、深く潜んでいると言うべきなのかもしれない」という。
記録される対象と、記録し表現する主体である「私」との相克、そして表現されたものが活字化され、不特定多数の人に読まれることが前提となっている場合には「私」とその文の読み手との拮抗が問題になるだろう。
このきわめてデリケートな、一般化された定理で述べることがほとんど不可能にみえる問題について、それが拡大鏡にかけられた状態であらわになる、著しく異なる文化の叙述の場合に再び戻って言えば、対象がつくり出している世界、つまり「彼ら」の言葉と概念と感性の世界に、可能な限り入り込み、感情移入する努力をすること、それでいて表現する主体としての「私」の主観を保ち続けること、その「私」を相対化できる、さめた目をいつももっていること---の三つを、私は自分に目標と課している。それを自分自身の文章表現の中で実現することは至難のことではあるが……。
現地に行けば何でも分かるだろうか?人類学者がどこかで何かを観察してもアフリカのある地域のある特定のところの慣習でしかなかったりするし、人類学者が入ることで現地の文化が微妙に変化していることも考えられる。
『源氏物語』を訳したアーサー・ウエーリーが日本に来なかったことは有名だ。幻滅したくなかったからだといわれるが、ドナルド・キーンは『私の大事な場所』(中央公論社)の中で、次のように書いている。
…現代の日本を見たら必ず失望すると思っていたようであるが、私にとっては不可解な見解である。確かに京都には工場があり、自動車やバスの排気ガスが大気を汚染するが、煤煙や近代建築等を嫌う余りに、大徳寺や賀茂川の蒸留や祇園の路地を見ないことに定める決意はどうしても私には分からない。
放送大学で弟子が語っていたところによれば、長旅が嫌いだったからだという。
ウエーリーの後に『源氏』を訳したサイデンステッカーはレアリアを実にうまく訳している。例えば「夕顔」はmoonflowerなどとはせず、Evening Faces、榊をsacred treeとした。後にタイラーがgreen branchとしているが、これでは「木+神」の木である榊を表現できていない。
漱石の「倫敦消息」を読んでいて驚いたことは「田中【孝太郎】君は『シェクスピヤ』の旧跡を探るというので『ストラトフォドオンアヴォン』と云う長い名の所へ行かれた」と淡々と書いていることだ。留学中にシェイクスピアの故郷へは行かなかったという。ただ、漱石の方はレアリアという問題ではなくて、文学の研究が作家研究ではないという気持ちがあったからだろう。作家がどんな所に生まれ育ったかは、作品とはとりあえず別に考えるべき問題なのだ。
□ 「分ける」ことは「分かる」ことである。森羅万象を如何に分けるかによって文化が見えてくる。
ロラン・バルトは『記号の帝国』の中で日本料理とフランス料理の違いを感動的に描いている。例えば、「炊いた米」というが、「炊く」にあたる動詞はフランス語にはなく、「焼く」「煮る」を意味するcuirで満足するしかないと説明し、「それは生の米を指すのとは異なる名前で呼ばれる」のだと述べている。日本の「スープ」の明澄さを讃えて、「スープ」という語は濃密すぎて適当ではないし、かといって「ポタージュ」では賄い付き下宿の匂いがするしと迷う。「なまな」素材の大切さを説く個所ではフランス語でこの「なま」(crudite)が単数形では「どぎつい話」という意味になってしまうし、複数形で火を通していない「生野菜」という意味になる場合も、それは「われわれのメニューのいわばタブーに属する一品」ということでしかないのだと、かっこ付きで紹介している。僕らからすると牛にも細かな分類があって、さらに肉の部分部分に名前がついている方が不思議だが…。
フランス語は「愛」も「セックス」も“amour”で表す。例えば村上春樹『羊をめぐる冒険』の「あまりぱっとしないセックスをし」という部分の翻訳は“on faisait l'amour sans conviction”となる。だから、友達でいましょう、なんて愛はない。きっと【ファビエンヌ・カスタ=ローザ『恋(フラート)の世紀』原書房を読んでちょっと考えを変えたが…】。
鹿島茂『上等舶来・ふらんすモノ語り』(文藝春秋)によれば、CREDIFという語学研究所の作った“Archipel”というフランス語の教科書はナンパのハウツー本のような作りで、男女の会話にこんなのがあるという。「パンはいかが?」「いただくわ」「水は?」「少し」「たばこは?」「七本ちょうだい」「ウィスキーは?」「けっこう」「愛は?」【De l'amour?】「毎日でも」となっていて、鹿島でさえ女子学生に教えるべきか迷うという。
日本にもあった。東海林さだおの「大人版『ジャック&ベティ』」(『とんかつ奇々怪々』(文藝春秋)に出てくるのだが、『フィリピン語 大人の会話集』(ナツメ社)は「キミを抱くだけで満足なんだ」「浮気したい年頃なんだ」「冒険できない性格なんだ」「ぼく金持ちじゃない」「臆病なんだよ、ぼく」「今夜だけでも燃えたいんだ」「人生にとってSEXって何なのだろう」なんて会話が目白押し。絶版になっているが、それでいいと思う。
湯浅美和子の『ほおずき宣言』(三五館)には紗希子という女性の性愛が描かれているが、紗希子はフランス語に「おまんこ」言葉が177語もあることを知る。花や果実だけでなく、財布やワインボトル、温度計もそうだということを知って「フランスは見渡す限り日用品のあちこちに、おまんこがはびこっているアムールのお国なのね」と述懐するのである。
ミッテラン大統領に隠し子がいたことが発覚した時、フランス人の反応は平静そのもので本人は“Et alors?(それで)”(後に渡辺淳一の小説の題名になる)と開き直っただけだった。これを受けて棚沢直子・草野いづみ『フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?』(はまの出版→角川ソフィア文庫)という本が出たくらいで、アムールに人は介入できないものなのだろう。
高校生の時、英語で“make love”というとセックスの意味だと聞いて驚いたものだ。『ウディ・アレンの浮気を終わらせる3つの方法』という戯曲の中で、“(We've been) having sex but not making love.”といいあう部分があって、なるほどとも思った。ちなみに、“HOW TO BE AN ALIEN”という本で「イギリス人にはセックスはない、あるのは湯たんぽだけ」だとハンガリー生まれのエッセイスト、ジョージ・ミケシュは皮肉っている。
これって湯たんぽ?日本には「愛」なんて言葉もなかったし、「セックス」なんて言葉もなかった。「色」があっただけ?
冬前に穏やかな天気が続く「小春日和」は英語で「インディアンサマー」、ドイツ語で「老婦人の夏」、ロシア語では「女の夏」というが同じレアリアが違う表現で出てくる。当たり前だけど面白い。
□ 次の歌は「無知の知」ではなく、「知の無知」を歌ったものである。下手に言葉を知っているから何も知らないということがある。多すぎる。「博学」と言われるたびに僕は恥ずかしくなる。だって、アインシュタインの「相対性理論」は知っていても、数学的に説明はできないから…。
「知」 (『落ちこぼれ 茨木のり子詩集』理論社)
H2Oという記号を知っているからといって
水の性格 本質を知っていることにはならないのだ仏教の渡来は一二一二年と暗記して
日本の一二〇〇年代をすっかり解ったようなつもり人のきびしさも 悔恨(かいこん)も 頭ではわかる
その人に特有の怒髪(どはつ)も 切歯扼腕(せっしやくわん)も 目にはみえる
しかし我が惑乱(わくらん)として密着できてはいないのだ
知らないに等しかろう【…】不惑をすぎて 愕然(がくぜん)となる
持てる知識の曖昧(あいまい)さ いい加減さ 身の浮薄(ふはく)!
ようやく九九を覚えたばかりの
わたしの幼時にそっくりな甥(おい)に
それらしきこと伝えたいと ふりかえりながら
言葉 はた と躓(つまず)き 黙(だま)り込む言葉というのは(記号というのは)、ある事象を「分ける」ことによって「分かる」ことへとつなげるのだが、同時に「分かる」ことが本当のことを覆い隠すようになるから怖いのだ。無知の状態を明らかにしながら、同時に他の何かを覆い隠してしまう、矛盾した性格をもったものなのだ。
□ ヒッチコックにグレース・ケリー主演の『ダイヤルMを廻せ』(Dial M for Murder)という映画があるが、このタイトルはレアリアを知らないと分からない。まず、廻すという行為がなくなってきた。ジョグダイヤルがあるから、という人もいるが、電話のダイヤルというのは廻す物だった。若い人は見たこともないだろうが、先日当直した寮の当直室に古い電話機があって、「使いなさい」といったら「どう使うか分からない」とマジで言われた。だから、この映画のグウィネス・パルトローが出たリメイクのタイトルは『ダイヤルM』となってしまった。
もう一つ、日本人に分からなかったのは「M」だった。アメリカのダイヤルにはアルファベットが書いてあって、「M」というボタンがある。
だから、「いのちの電話」は確かどの都市でも「LIFE」と廻したり、押したりすればいいようになっている。会社も自社の名前に会わせた電話番号を持っている。
映画を見る時にはこうしたレアリアの知識が必要なのだが、レアリアに依存しすぎた映画は見づらい。疲れる。
そのために説明的なショットを撮ることがある。伊丹十三の『お葬式』では火葬場から帰った時に塩を蒔くシーンがあるのだが、これを塩だと外国人に分からせるために“SALT”と書いてある塩の壺を持ってくるシーンが加えてある。こんなあざとい、説明的な作りをしない方が、あれは何だろう?などと外国の映画評論家を喜ばすことになる。
□ ここで思い出したが、「ティファニーで朝食を」の中でA・ヘップバーンが鍋を爆発させる場面がある。昔は何が起きたか分からなかったが、「圧力釜(鍋)」が爆発を起こすので、日本に普及していなかったから誰にも分からなかった。
もっといえば、「ティファニー」を喫茶店だと思っていた日本人も多かったし、ティファニー宝石店に行って「レストランはありますか?」と聞いた人も多いのである。だから、金沢の尾張町には「ティファニー」“Tea Funny”という怪しげな喫茶店も存在していた。
今は笑い話だが、ティファニーの宝石は日本人の手に届くところになかった。1960年に出た新潮文庫(龍口直太郎訳)では「ある晴れた朝、目をさまし、ティファニー(訳注 ニュー・ヨーク五番街にある有名な宝石屋で、食堂はない)で朝食を食べるようになっても、あたし自身というものは失いたくないのね」と訳者自ら宝石店で食堂があるか聞いて書いた注があったが、2008年に出た村上春樹訳では「いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの」となった。「朝ごはん」の乗りだったのだ。
ビートルズ映画『ヘルプ!』を初めて見た時、中に出てくるスポーツが分からなかった。4 人一組みの 2 チームで,円盤状の重い石を滑走させリンクの両端にある円の中に入れて得点を争う競技。滑りをよくし,方向を変えるため,進路をほうき(ブルーム)で掃く競技である。今はオリンピック種目にもなっているから誰でも知っているだろうが、1965年の公開当時はジョークにしか見えなかった。分かるだろうが、カーリングである。
もう一つ、トリュフォー監督の『恋のエチュード』を見ていてびっくりしたのはプヌマティック(pneumatique)と呼ばれる速達配送装置が出てきたことだ。空気の力を使って、封書を入れた手紙を届けるというSFみたいなもので、本当にこんなのがあるのかと度肝を抜かされた。後で調べてみると、1853年に作られ、ちゃんと現役で使われていたのだった【鹿島茂『パリ五段活用』中央公論社にはこの事情と1984年に廃止されたことが書いてあった。そして、これがパリの電話の発達の障害になったのだという】。
その前には、腕木(うでぎ)式信号というものがあった。支柱についた赤い羽根状の板を上下させて列車を停止させたり進行させる信号である。新橋−横浜間の鉄道開通当時から使われ、英語でセマフォアというが、そのころの運輸規定ではセマフヲールと呼んでいた。だがこの言葉、もとは腕木を動かして遠距離間の通信を行う腕木通信機を指すフランス語だったそうだ(中野明『腕木通信』朝日選書)。18世紀末から19世紀にかけフランスで普及した腕木通信機は建物の上に設置した3本の腕木を手動で動かして遠方に信号を伝える仕掛けだ。パリから80の腕木基地を中継された信号が約550キロ先の港町ブレストに届くのにかかった時間は約8分、優に音速を上回る速度だった。ナポレオンによる拡張などでこの腕木通信網は仏全土約5800キロにわたって張り巡らされる。中野はこれを現代のインターネットにもたとえているが、この手動インターネットも新たに登場した電信によってアッという間にとってかわられた。
□ 生まれて初めて「ラーメンライス」という名前を知った時、ご飯の上にラーメンがかかっている料理を想像してしまった。「カツカレー」というのも(今では当たり前だが)分からなかった。
歌手の吉幾三は青森から東京に出て来て、喫茶店で働いていた。マスターが出かけて一人で店を任されたことがあった。ある客がメニューを見て「ウインナーコーヒーはありませんか」と言った。吉幾三は「ウインナーコーヒーと言うくらいだから、ウインナーとコーヒーのことだろう」と思って、コーヒーとフライパンであぶったウインナーを出したら、客は何の疑いもなく食べて帰っていったという(社会学者の宮台真司はこれを「吉幾三問題」として提起している)。
考えてみれば、僕の英語の先生だって、オレンジもグレープフルーツもブルーベリーも(言語学に“cranberry principle”というのがあるが)クランベリーも食べたことがなかった。グレープフルーツなんてミカンが大きな房になっていると思っていた。だいたい、フルーツらしいのに「フルーツ」とつけるのも怪しげである。レアリアを知らないで、分かったように教えていただけだ。今は少ないだろうが、グレープフルーツには砂糖をかけなければならないと日本人は思いこんでいたのも懐かしい。「欧米ではブランデーを少量たらし、砂糖をかけてスプーンですくって食べる」という言説がまことしやかに流れていたのである。
「鰐梨(ワニナシ)」って知っているだろうか?実は熟した果実の表皮が、ワニの背中の皮に似ることからアボカドの和名なのである。「鰐梨」ったって、誰にも分からない。
ワニといえば、『アントニーとクレオパトラ』で、ローマの三巨頭がガレー船の中で酒盛りをしていて、酔ったレピダスがアントニーに聞く。これで説明になるのだろうか。
レピダス 「一体、ワニってどんな生き物かね」
アントニー 「体形は、いわゆるワニ形で、それなりの幅があって、しかるべき厚みもある。いつも自分の器官を使って動く。適量の栄養になるエサを取り、やがてその力が尽きると、巡りめぐって生死のサイクルに戻る」
レピダス 「体の色は?」
アントニー 「見事なワニ色だ」
レピダス 「変わった生き物だなぁ」
アントニー 「その通り、しかも、その涙は濡れている」
LEPIDUS What manner o' thing is your crocodile?
MARK ANTONY It is shaped, sir, like itself; and it is as broad
as it hath breadth: it is just so high as it is,
and moves with its own organs: it lives by that
which nourisheth it; and the elements once out of
it, it transmigrates.LEPIDUS What colour is it of?
MARK ANTONY Of it own colour too.
LEPIDUS 'Tis a strange serpent.
MARK ANTONY 'Tis so. And the tears of it are wet.
米原万里の『旅行者の朝食』にはタイトルの「旅行者の朝食」という缶詰が出てくる。まずいものの代名詞になっているのだが、いまいち、分からない(スパムみたいなものらしい―スパムは日本でも手に入るようになった)。逆に、米原は「ハルヴァ」“ХАЛВА”という、たった一度食べておいしかったお菓子を求めて世界中をめぐるのだが、「求肥」「牛皮」とか、“Turkish delight”と言われても食べないことには伝わらない。
「ハルヴァ」については後でびっくりした。映画『ナルニア国物語』の中で、冬のナルニア国に行った、ペベンシー家の次男エドマンドがそこを支配している雪の魔女からお菓子を与えられて誘惑されて兄妹を裏切ることになるのだが、このお菓子が「ターキッシュ・ディライト」(レシピ)だった。本の方の日本語訳は「プリン」になっていて、分かりやすいようにそうしたのだろう。トルコで「ロクム」とも呼ばれていることも分かった。映画は言葉の何よりの教科書である。ちなみに、アスランというのはトルコ語で「ライオン」という意味で、ユダヤの獅子=イエス・キリストを意味する。
ロフティングの『ドリトル先生アフリカゆき』で犬のジップが豚のガブガブに向かって“That's all you know, you stupid piece of warm bacon!”という。これを井伏鱒二は「トンカツの生きたの!」と訳していて、初訳当時はベーコンというのが戦後まもない日本人になじみがなかったからであろう。今なら「松露」を「トリュフ」にしないと子どもでも分からない。
鹿島茂『神田村通信』(清流出版)の「想像で理解したフランスの飲食物」によればフランス語を学び始めた頃、「小麦粉やそば粉を牛乳・卵で溶き薄くのばして焼いたもの」(『クラウン仏和』)が分からなかったというし、「果物・ジャム・クリームなどをのせたパイ」(ともに『クラウン仏和』)も分からなかったという。クレープとタルトである。カフェ・オレも『スタンダード仏和』には「牛乳入りコーヒー」としか書いてなくて、「コーヒー牛乳」なのか分からなかった。そして、マドレーヌが分からず形態を修道女のスカートに喩える『失われた時を求めて』の描写が分からなかったという。
食べ物のレアリアは分かりやすい。食べてしまえばいいのだ。命がけということもありそうだが。浅野哲哉の『インドを食べる』(立風書房)は徹底的に食べ歩く話だ。カルカッタには人力車が唯一残っているのだが、車夫のスタミナ源は「サットゥ」だと聞く。「あれは人間の食うものじゃない」と言われて、ますます食べたくなる。トウガラシとトウモロコシの粉を水で練って、クリーム色と赤色が霜降り状になった団子だ。
僕はほんの軽い気持ちで丸ごとほおばった。そのとたん、口の中で花火が炸裂した!! まるで脳ミソだけ残してすべてが吹き飛んでしまったような熱い衝撃。目の前が真赤に染まって涙がしょぼしょぼあふれ出る。ふくれあがった汗腺から油汗が吹き出して、熱波が放散してゆく。
ミア・ファローの出た映画『フォロー・ミー』(キャロル・リード監督1972年)を見ていたら探偵(トポル、あの『屋根の上にバイオリン弾き』のお父さんで映画を観るまで老人だと思いこんでいた)が「マコロン」というのをしょっちゅうおやつにしていた。僕はそれまで知らない食べ物だった。一緒に観た後輩のNさんに「知らない、食べたことがない」と話したら、じゃあ教えてあげるといわれて新宿を彷徨った。ようやくルミネで「甘食」!を小さくしたようなマコロン(フランス菓子でメレンゲをたっぷり使った焼き菓子)が見つかった。
これが本当の『フォロー・ミー』だった!
※ビデオなどではクッキーに変えられて翻訳されているようだが、ここは「マコロン」でないといけない!階級の違う人と結婚することの難しさを描いた映画で、サスペンス風で大好きな映画だ。結婚前のチャールズとベリンダはヘンリー8世がアン・ブリンと出会ったというチューダー朝のマナーハウスに遊びに行く。元・ヒッピーのベリンダがバスケットにワインなどを入れてピクニックの準備をしてきたところが微笑ましい。
□ こうしたことから、三田誠広は、日本のロケット基地がなぜ種子島にあるか知らなかったら小説家にはなれない、と『深くておいしい小説の書き方』(集英社文庫)で書いている。つまり、物事を科学的にもきちんと知っていなければ小説は書けないということだ。
ちなみに、種子島にあるのは、地球の遠心力のおかげで、赤道に行けば行くほど、重力は軽くなる。三田は書いてないが、日本の体重計は北海道用、本州用、沖縄用と3種ある)ことから、日本の中で南に近くて便利な場所として種子島が選ばれているのである。鉄砲伝来の地だからではない。では、何で沖縄じゃないのか?簡単だ。宇宙開発が始まった時、沖縄はまだアメリカのものだったからである。
村上春樹も『風の歌を聴け』の中で次のように書いている。
しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。
8年間、僕はそうしたジレンマを抱き続けた。-----8年間。長い歳月だ。【…】
夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。
そして、それが僕だ。□ 『マディソン郡の橋』(『友情ある説得』にも出てきた)には“covered bridge”が効果的に使われているが、ただの風景ではない。こういう橋がかつて“kissing and wishing bridge”と呼ばれ、この橋を女性と一緒に渡るときにはその女性にキスをしてもいいとか、渡っている間に願い事をすると必ず叶うなどと言われていたことを知らないと、つまらない。外から見えないために、デート中のカップルの隠れ場所になったからだ。ちょうど日本のかつてのお好み焼き屋のようなものだった(僕は知らなかったのだが、昔はナンパの場所だったらしい)。
こうして『マディソン郡の橋』はどうしても屋根付きの橋でなければならなかったのである(アイオワ州ウィンターセットの「チェダー橋」がモデルとされているが、2002年9月に放火で消失)。
□ レアリアを知らないで通せば「知ったかぶり」になる。落語だと「酢豆腐」(上方で「ちりとてちん」)が代表的で、知ったかぶりの男に「酢豆腐」(「ちりとてちん」)という長崎の珍しい食べ物だというと「ああ、長崎で朝昼晩と三食食べていたよ」などといい、味を聞かれて「豆腐の腐ったような味」と答えるオチになっている。同様に「茶の湯」というのがあって、茶道を全く知らない隠居が何でも自己流でやる噺だ。それでもお茶のお菓子を目当てにくる奴がいて、お金がかかるので「利休饅頭」というのをでっちあげる。薩摩芋を摺って黒蜜と砂糖を入れて油を塗った猪口で丸くこしらえる…。
チェーホフにも「牡蠣」という短編があって、子どもに「牡蠣(ウーストリッツア)って何?」と聞かれて知ったかぶりをする父親が出てくる。「魚と蝦の合いの子みたいなもの」らしいのだが、食べ方が分からない。それで子どもが牡蠣の殻ごと食べてしまうという話で、物乞いの父親は食べずに翌日亡くなってしまうという物悲しい話だ。「牡蠣(ウーストリッツア)」というのはロシア語で「煮ても焼いても食えない奴」とか、「海千山千の抜け目のない奴」という意味があるそうだ。
そうそう、チェーホフの『かもめ』は何を象徴しているのだろう?世界最初の女性宇宙飛行士テレシコワはこの戯曲を踏んで「私はカモメ」(Я чайка「ヤー・チャイカ」)と言った。
□ 日本人は誰でも野坂昭如の『アメリカひじき』のような気分をどこかで味わっているはずだ。このアメリカ人コンプレックスを扱った小説のタイトルは戦後、米軍の飛行機の落としていった救援物資で石鹸みたいなので体を洗ったけれど泡も出ず、ひじきみたいなものを煮て煮汁を捨ててから食べたがちっともおいしくなかった、という話から来ている。ちなみに石鹸のようなものはチーズだったのであり、ひじきと思ったのは紅茶だったのだ。今の人は笑うかもしれないが“black tea”って何だか分かる人も少ないのである。日本人の感覚では黒く見えないからである。
同じことを谷川俊太郎が『ことばを中心に』(草思社)の「ことばあそびの周辺」で「おべんとうにチーズのサンドイッチをもってゆくと、友だちにお前は石けんを食べるのかと真面目に問われるような具合で」と書いている。
しかし、同じことはもっと前にあった。島崎藤村の『夜明け前』の文久元年の出来事に石鹸が出てくる。
「これはどうして使うものだろうねえ。」とおばあさんはまたお民に言って見せた。「なんでも水に溶かすという話を聞いたから、わたしは一つ煮て見ましたよ。これが、お前、ぐるぐる鍋(なべ)の中で回って、そのうちに溶けてしまったよ。棒でかき回して見たら、すっかり泡(あわ)になってさ。なんだかわたしは気味が悪くなって、鍋ぐるみ土の中へ埋めさせましたよ。ひょっとすると、これはお洗濯(せんたく)するものじゃないかもしれないね。」
「でも、わたしは初めてこんなものを見ました。おばあさんに一つ分けていただいて、馬籠の方へも持って行って見せましょう。」
とお民が言う。普通の日本人がコカ・コーラを知ったのはもっと後で1964年の東京オリンピック以降だ。日本へのコカ・コーラの輸入は1912年には始まっていたようで、その年の12月号の『白樺』に掲載された高村光太郎作の詩の中に「コカコオラ」の文字が見える。光太郎の詩集『道程』の中の「狂者の詩」に「コカコオラ、THANK YOU VERY MUCH」とか「コカコオラもう一杯」という部分がある。浅草の“よか樓”という店で「パンの会」を開いていたが、ここでコーラを味わったのである(同じ詩集の「なまけもの」に「雷門のよか樓の晝のけうとさ」とある)。1924年には、芥川龍之介の書簡のなかに「酒飲まぬ身のウウロン茶、カフエ、コカコオラ、チヨコレート」という言葉が登場する。小津安二郎の戦後の映画『晩春』など多くの映画にも出てきており、一部に知られたいたが、僕らは知らなかったのだ。何しろ、冷蔵庫がない時代だったから、そのまま飲めばまるで漢方薬みたいな味だと思ったものだ。時代によって意味が違うことは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で面白く扱われている。マーティが1955年に戻ってコーラを(sugar)“free”で頼むと、「無料」のコーラを請求されたのかと間違えて店主が怒るし、未来から来たことを証明しようとして大統領がレーガンだというと、「じゃ、副大統領はボブ・ホープか」と笑われる。
□ どこかに僕らのまるで知らないモノが外国にあって、先生が相変わらず知ったかぶりで教えていることも十分にありえる。ちょうど日本人がインドのカレーを知らずにうどん粉カレーを洋食だと思っていたように、インド人がカレーにつける福神漬やらっきょうのおいしさを知らないように、猫が干し魚のおいしさを知らなかったように。
よく考えてみれば、教育というのは小学校の授業の「子ども銀行」みたいなヴァーチャル・リアリティばかり追いかけてきたのではないだろうか?「社会に出たら、そんなことでは通用せんぞ」などという言葉は学校が社会のヴァーチャルであることを宣言しているようなものだ。
□ 外国のレアリアというのは分かりにくい。
「武道」を“martial(military) arts”としても外国の鎧兜をつけたような技術にしかみえず、「道」の感じは伝わらないだろう(この話はドイツ人が「そーよねぇ」くらいの意味で“Das ist logisch.”「それは論理的ですね」というような話に発展して行くのでここまで)。
「刺身」を英語で“raw fish”とか“sliced raw fish”と言っても日本人は生魚を食べる野蛮な人としか見られない。刺身も寿司も立派な料理なのだが、1対1で説明していても何も分からない。石毛直道は『食物誌』の中で「料理屋風の日本料理は《料理しないことが料理の理想》というたいへんパラドキシカルな料理観にささえられている。サシミこそは、その料理観を象徴する料理」という。
「刺身」をfresh seafood fillets cut into bite-sized pieces and eaten raw with soy sauce and wasabi(Japanese horseraddish)などということ、つまり、従来の1対1対応の英語を使わずに、文化を背負った言葉、文化語として説明することである。
そして何よりも刺身を食べさせてあげることが大切である。そうしないとお醤油との関係、ワサビとの関係、ご飯や味噌汁とのトータルな料理環境などは分かってもらえないし、日本文化の何も理解できないであろう。
□ サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の中の第2章に次のような文があり、12章でも“or do they fly away by themselves---go south or something.”というから、この場合のduckは「アヒル」でなくて、「カモ」でないと「飛んでいってしまう」ことの意味が分からなくなる(『ランダムハウス』ではduck「カモ、アヒル」と書いてある)。本当のことはセントラルパークに行ってみないと分からないが…(ネットでカモばかりということが分かる便利な時代になった)。
"I was wondering where the ducks went when the lagoon got all icy and frozen over. I wondered if some guy came in a truck and took them away to a zoo or something. Or if they just flew away."
英語の随筆でkeystone mustacheというのが出てきたが、「かなめ石」「 根本原理 」という意味しか書いてない。「かなめ石」のような立派な髭かなぁ、とも思ったがどうやら違うようだ。『研究社大英和辞典』が新しくなってようやくkeystone「キーストンの《マック・セネットMack Sennettが設立したKeystone 社の製作したスラップスティック喜劇、特に ずっこけ警官 Keystone Kops」というのが載っていることが分かり、つまり、ずっこけ警官の「ちょび髭」というのが分かった。
細かなことでいえば、例えば、CD-ROMの注文に関して国際電話がかかってきて"PC or Mac?"と聞かれたことがあるが、この場合、パソコンをPCということだけ知っていても不十分で、アメリカでは一般にPCがMacintosh以外のDOS/Vのパソコンを指すことを知っていなければならないのである。
日本の「教頭」に当たる語もdeputy headteacher(英)というのかvice-principal(米)というのかhead teacherというのか(これは「校長」に相当)というのもレアリアである。
同様に「運動会」がアメリカにあるのか、「ピクニック」はpicnicと同じなのかというような問題がある。
妻がケーキを作るのに「“スパチュラ”を使う」と書いてあったのだけど、分からないという。パソコンの近くにあった英和辞典に載ってなかったので、インターネットなどで調べてみると最初に出てきたのが「(医療用などの)舌押し器」が出てきて訳が分からなくなったが、ようやく「へら (食料・絵の具などを練ったり広げたりするのに用いるナイフ状のもの)」ということが分かってきた。スパチュラspatulaだった。スーパーで「へら」を確かめると「スパチュラ」と書いてあった。「へら」が既に分からない言葉になっているのかもしれない。
外国から新しい事物が入ってきたらどう呼ぶかというのも大きな問題である。ヨーロッパではコロンブス以降、聖書にはないさまざまな事物が入ってきて混乱をもたらした。聖書の信頼性を失わせた。トマトやポテトやタバコなどは新大陸の言葉をそのまま使っている。トマトは精力がつくので“love apple”と英語で呼ばれたこともあるし、ポテトはフランス語で“pomme de terre”(大地のリンゴ)とされ、日本では「馬鈴薯」(馬がつけている鈴に似た芋だから)と名付けられたこともある。キャベツを日本で古くは「甘藍」(かんらん)とか「玉菜」(たまな)と呼んだこともあった。
悲しみは (谷川俊太郎)
悲しみは
むきかけのりんご
比喩ではなく
詩ではなく
ただそこに在る
むきかけのりんご
悲しみは
ただそこに在る
昨日の夕刊
ただそこに在る
ただそこに在る
熱い乳房
ただそこに在る
夕暮れ
悲しみは言葉を離れ
心を離れ
ただここに在る
今日のものたち少し高級な例を挙げれば、風間喜代三先生の『ことばの身体誌』(平凡社)に出てくるレアリアだ。
gignomai(生まれる)と gignosko(知る)は初心者のうちはよく混同する単語である。まったく無関係な単語のように見えるが、じつはgonu(膝 < *genu-/gneu- )を挟んで親族関係にある。古代ギリシアの女性はひざまずき、しゃがんだ姿で出産した。そして父はその子を膝にのせて認知したのである。
□ なお、最近では日本でも「生活科」が類似した内容になっているが、英米では自宅から珍しい物を持ってきて説明するshow-and-tellが盛んである。レアリアのプレゼンテーションを通して世界を教えるのである。
先日、3年生の子どもが古い物を持っていきたいというので「真空管」を持たせたが、先生もよく分からなかったようだ。
でも、レアリアは教育の中で非常に大切なことなのである。チェコのコメニウスComeniusは中世以来の言語教育が「単に言葉を暗記させるだけで事物や概念の本質を学ばせていない」と批判して『世界図絵』と呼ばれる絵本(現在の教科書の原型)を作った。レアリアを教えようとする努力の現れだった。フランスでも「事物教育」(lecon de choses)というのがあり、事物それ自体で教育を行う。万国博などは事物教育の最大のイベントと考えられている。
僕もレアリア教育の必要性を論文にしているが、あんまり反響がない。ヴァーチャルでない、リアリティの世界が大切なのに残念である。
□ 小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』で笑えなかったのは、笠智衆らのかつての恩師(漢文の先生)である東野英治郎が、教え子から接待を受け、ハモの入った茶碗蒸しを食べ、いたく気に入る場面である。
「美味しい美味しい。こんな美味いものは、生まれてこのかた食ったことがありません。これは、なんというものですかいの?」教え子の一人が、「先生、それは、ハモです」すると先生、「ハム?」「いや、ハムじゃなくハモ」「アア、ハモ――なるほど、結構なもんですなア。ウーム、鱧か・・・。サカナ偏にユタカ・・・」…と先生、納得した様子。
酔いつぶれて畳に臥している先生をみた教え子の一人がつぶやく。「ヒョータン(先生のあだ名)、ハモの字は知っていても、食ったことがねえんだぜ」。
娘の話題を振られて、瓢箪は急に表情が暗くなる。「綺麗な可愛い娘さんで...」と言われるも、辛そうに「いやぁ…私は早ように家内を亡くしましてな、娘はまだひとりでおるんですわ」と答える。今は教師を辞め、中華料理屋の主人をやっているのだが、店の奥からヤバイくらいにトウのたった独身娘・伴子(杉村春子)が出てくる。送って来た平山と河合に礼を言い、泥酔して「カモじゃない!ハモッ!」と叫んで寝込む老父を見ているうちに…伴子は泣き出してしまう。
貧しくて、学校の世界しか知らない僕ら、教師はみんな同じようなものだ。言葉の上だけでしかモノを知らないのだ。夏休み中も教師に毎日学校に来させてくだらない研修を受けさせるより、もっと外に出てレアリアを知るべきだ、と思うのだが、「夏休みもあって羨ましい」の声にかき消されていく。
同時に、こうやって子どもたちは教師を乗り越えていくのだな、とも思う。アメリカを知らなくてもアメリカで活躍できる人間を育てることができるのが教師なのだ。
□ 大津由紀雄が3歳児12名に次の文について調査したことがある。
(1)おとうさんはおかあさんにじぶんのスカートを見せました。
(2)おかあさんはおとうさんにじぶんのスカートを見せました。子どもたちは(1)がおかしいというのがすぐに分かって「お父さんのスカートって変態」という子どももいたし、中には「スカートという犬を見せたらおかしくない」という子どももいたが犬が出てくるはずがないという意見も出たという。つまり、3歳児でも「スカート」というのは女性が使うものということや「スカート」という名前が犬にふさわしくない(レヴィ=ストロース的!)というレアリアまで理解していたのである。
□ 同じ日本にいても違うこともある。
お好み焼きといっても地方によって随分違うし、何よりも典型的なのは「お雑煮」である。「雑」という名前がついているように餅の形やあんこ入りか否か、野菜などの内容、出汁も醤油から味噌、味噌でも赤、白などの違いがあってとても一つの料理とはいいきれないものがある。
『美味しんぼ』の中にも出てきたが「アラ」という魚は東京や北陸などでは魚の刺身用などに取った残り、という意味であるが、九州では高級魚の「アラ」である。この誤解を元にストーリーが展開されていた。
関西では「肉」というと普通、牛肉を指す。豚肉はわざわざ「豚肉」と「豚」をつけなければならない。したがって「肉まん」というと牛肉を使っているように見えるのでわざわざ「豚まん」という。「豚汁」を「ぶたじる」と呼ぶか「とんじる」と呼ぶかも違う。
佐藤正午は『小説の読み書き』(岩波新書)で幸田文の『流れる』に出てくる「いんぎん」を間違って解釈したら、読者から批判がいっぱい来たと書いている。「いんげん(豆)」のことだったが、幸田が当たり前のように下町言葉を使っているから分からなかったのだ。
九州出身の、うちの先生は「アノラック」(ATOKで変換できず)というのが分からなかった。「カストロコートみたいなもの」といっても、そんな防寒着を使ったことはないのでどこまでがアノラックか分からないようだ。
これから先は方言、新方言の話になるので止めるが、同じ日本人でもレアリアは誤解の元となる。
昔はみんな使っていた言葉でも方言のようになってしまう場合もある。「直会」(なおらい)というのは現在では「打ち上げパーティ」のことで富山ではよく使うが県外の人には分からないといわれる。元々は神祭終了後、神饌(しんせん)や神酒のおろし物を参加者が分かち飲食する行事で方言ではなかったのだ。
ナイロビの食堂に入った時に“kima”と書いてあって、「猿」しか知らなかったから驚いた。普通の食べ物だった。
フランス語でも“manger du lion”(ライオンを喰う)という表現があって、ライオンを食べたのかと思ったが、比喩で「勇敢なことをする」の意味だ。
日本のインスタントうどんを食べる外国人は「かやく」って書いてあって、爆発物だと思ってびっくりするかもしれない(んなことはないだろうが)。
□ 小さい頃、「雪ばんば」というので雪を掬ったり、固めたり、していたが、他の地方の人は知らないし、今はどこにも売っていない。
地方によっても時代によっても違う。
「大八車」や「リアカー」など分からなくなっているだろうし、「マイカー」や「自家用車」もほぼ死語になった。1959年8月1日に日産がダットサン=ブルーバードを発売したのが「マイカー時代の開始」とされ、66年にはカラーテレビ、クーラー、カーが「3C」と言われたが、「自家用車」もほぼ死語となる。自動車はどこの家にもあるものになったからだ。「チャンネルを廻す」などがそうだし、「呼び出し電話」なんて言葉もなくなっている。そのうち、「下宿」などもなくなるかもしれない。まあ、電子レンジで温めることを「チンする」というのは今はピーという音に替わっていても残っている。「エレックする」という言葉を流行らせようとした企業もあったが、定着しなかった。辞書を「引く」とか「めくる」というのも「押す」になってしまった。
「皹(あかぎれ)」なども珍しくなって分からない人が増えてきた。
こうして「“うだつ”があがる・あがらない」などの言葉が分からなくなってくるのである。「うだつ」というのは(1)木造建築で梁(はり)の上に立て棟木(むなぎ)を支える短い柱であり、これが立たなければ屋根がつけられない。また、(2)民家の両妻に屋根より一段高く設けた小屋根つきの土壁。また、これにつけた袖壁をもいう。家の格を示し、装飾と防火を兼ねるものである。家を建て、棟上げすることを「卯立(1) があがる」といったり、(2) が金持ちでなければ作れなかったことから「“うだつ”があがる」などと言ったようだ。
「褌を締めてかかる」(かたく決意し油断なく着手する)なんて言葉も実感がわかなくなっている。当然、「ゆるふん」も分からない。
「赤ゲット」は既に分からない人が多いだろうが、「ハイカラさん」もそのうち分からなくなって知っている人は「ハイカラさん」と呼ばれるようになる。
「無駄口」で「驚き桃の木山椒の木」とか地名を入れた「畏れ入谷の鬼子母神」とか「その手は桑名の焼き蛤」なんていうのがあったが、「あったり前田のクラッカー」は誰も知らなくなってきた(言葉だけを知っている若者がいる)。「跳んでも八分、歩いて一〇分」なんてのはレアリアを知らなくてもいいか。ちなみに、英語では“See you later, alligator.”という「無駄口」がある。
2000年に日本鍼灸協会だかが、「お灸を据える」という表現はお灸がまるで悪いものであるかのようであるし、お灸をそんな風に据えたりしたことはないから辞書からなくしてくれ、という要望を出した。
こうしてレアリアを伴うレトリックが使えなくなってくる。僕自身、小さい頃、悪いことをしてお灸されたことがあるから、事実がないということはない。他の人も同様だろう。古来からの日本語、日本文化を滅ぼすような日本鍼灸協会にお灸を据えたい。
「竹の子生活」、「七転び八起き、「ぬかみそが腐る」、「くもの子を散らす」なども分からないだろう。
ウィトゲンシュタインは「哲学の目的は“蠅取り壺”の蠅に出口を教えること」というが“蠅取り壺”(fly-bottle)が分からない。僕は調べて分かったが、母に聞いたら昔使っていたという。
現代の蠅取り壺 □ ブラジルからの留学生・ロブソン君は「CDプレイヤー」を「蓄音機」、「ノート」を「帳面」と言って怪訝な顔をされたという。電車のことを「汽車」といって東京の人に笑われたが、富山ではまだ「汽車」といわれていて安心した。
古い言葉が辺地に残るというのは「方言周圏論」という。
話を広げたくないが、「秋」はイギリス英語のautumnよりもアメリカ英語のfallの方が古い。
□ イギリスでsatsumaというと「みかん」だが、アメリカではなじみがない。『ハリー・ポッターと謎のプリンス』では「隠れ穴の居間で」(原著309ページ)に出てきて、日本語版の下巻15ページに「みかん」と訳されていているが、アメリカ版の原作ではwalnut(くるみ)に代えられている。
レアリアの知識がなければ翻訳もできない。
メルヴィルの『白鯨』の冒頭“Call me Ishmael.(わたしのことはイシュメールとしておこう)”も、イシュメールは旧約聖書に現れる流浪の人だから、英米人にはこの名を使う理由が何となく分かるのだ。
米原万里は「『失楽園』を見に映画館に行ってみたら、シツラクエンじゃなくて、トシマエンだった」というのを同時通訳しようとして困ったと話していたが、ミルトンとスケベ小説『失楽園』の違い、豊島園との駄ジャレ、豊島園の物悲しさというのはとても翻訳できないものだ。
芳賀徹編『翻訳と日本文化』(山川出版社2000)の対談でドナルド・キーンが安部公房の『友達』を訳した時に家族が家に上がろうとするとき「土足でひどいじゃないですか!」と怒るところをアメリカの観客に説明するのはなかなか困難だったと話していた。
また、『友達』の主人公の冷蔵庫には外国人の冷蔵庫には絶対ないものがたくさん入っていて、かりんとうとか、大根半分とか、鯖が二切れとか、説明するのは難しいという。小説と違って戯曲の場合はセリフで説明することも至難だという(公房は無国籍的な作家に見えるが実に日本的な作家だ)。
そのドナルド・キーンが「今思うに、それは私が覚えた最初の日本語ではなかったろうか」と述懐しているのは先生が「サクランボ」と答えた時だという(『このひとすじにつながりて』朝日選書)。19歳の夏、米ノース・カロライナの山荘で初めて日本語を学んだ時、日本語のレッスンの先生が木に登って実を摘んでいるのを見て「それは日本語で何と言いますか」と聞いたのだ。もちろん、この時のサクランボはもちろんアメリカン・チェリーで日本の「サクランボ」とはイメージが大きく異なるものだった。
『翻訳家の仕事』(岩波新書)で多和田葉子は、畳を絨毯と訳された本のことを憤っている日本人に対して次のようにいう。
このドイツ語訳は優れた日本学者ペーター・ベルトナーによるもので、もちろん彼は畳がどういうものかわたしよりよく分かっていました。でも、この詩のこの場面では、日常くさい雰囲気が出ていないと困るので、「絨毯」にしたのです。「タタミ」を外来語として使うことはできますが、これはドイツではむしろオルタナティヴなインテリアを持つ若い世代を連想させてしまい、両親と同居していた子供時代の日常という感じが出ません。日本の逆で、絨毯は普通ですが、畳は洒落ているのです。また、かつては「藁マット」と訳す例もよくありましたが、こもれ日常的な感じにはなりません。詩では、凝縮されたイメージが説明抜きでとりあげず立ち上がってくることが大切なので、結局、畳を絨毯と訳したのです。
誤訳のように見えて、実は名訳というケースにこれまでいろいろ出逢ってきました。【…】
基本的には、あらゆる翻訳は「誤訳」であり、あらゆる読解は「誤読」なのかもしれないと思っています。
連想についていえば、同じ「ひばり」といっても鳥の雲雀を思い出す人、美空ひばりを思い出す人、ブラームスのひばりの歌からミッシャ・マイスキーを思い出す人など色々である。こうした連想が分かっていなければ誤訳を避けることはできない。だって、「『ひばりの歌はよかった』とおじいちゃんが言っていた」という時には間違いなく美空ひばりなのだから。
中村吉広『チベット語になった「坊ちゃん」』(山と渓谷社)はチベットで漱石を翻訳する話だ。『坊ちゃん』の痛快さはチベットの人に受けるので翻訳することになったが、「赤ふんどし」とは何?「茶代」って賄賂(わいろ)などというレアリアで引っかかる。「猫の額程な町内」も無辺の地に暮らす人には分かりにくいし、「マッチ箱のような汽車」というのも汽車を大きいと思っている人々には分かりづらい。「漢学の先生」は「中国語の先生」とは違うし、「江戸っ子」は「東京の子供」とは違う(注を入れた)。「色町」では大騒ぎ…。
□ 昔見たテレビドラマで募金に協力してくれない中古自動車会社の前で子どもたちがレモネードを売って改心させるというシーンがあった。「レモン」は米国の俗語で欠陥商品を指す。逆に品質のよい中古車は「ピーチ」だ。ピーチに比べレモンは外観から中身が分からないからだとの説もある。ノーベル賞を受賞したアメリカの経済学者ジョージ・アカロフは「レモン市場」についての研究で知られている。
フランス語を学んだ最初の頃に知ったジョークがあって、明治の末にフランス留学帰りの帝大教授がモワノー(moineau)という単語を「しばしば人家の近くを徘徊する黒色の斑点のある褐色の小鳥」と訳したら、当時まだ大学生だった仏文の開祖・辰野隆が「先生、それはすずめじゃありませんか」と質問した。先生はちょっと考えてから「あるいはそうかもしれぬ」と答えたという(この話は森有正の『遙かなノートルダム』筑摩に出てきて「あまり仏々【辞典】に徹するとそういうことも起って参ります」と書いている)。ところが、鹿島茂がフランスに行ってみるとモワノーは頬が白くないばかりか雌雄が異なり、雄はのどが黒い。しかも、雀は「チュンチュン」鳴くのにモワノーは「チーッ、チーッ」と鳴くという。つまり、笑えない話だったのだ。
雀はビーナスに捧げられた鳥として知られ、聖書の「詩篇」83―3にも雀が出てくる。ちなみにフランス語で、“chaud comme un moineau”(雀のように熱い)というと性欲が強いことを言う(『仏和大辞典』には「あれが強い」としか書いてない―意味が分からんだろう!)。
野崎孝のサリンジャーの翻訳『ライ麦畑でつかまえて』では、ホールデンを落第させるスペンサー先生の所で「熱いチョコレート」というが出されるのだが、昔の高校生の僕には何のことか分からなかった(今の人には何でもないかも知れないが)。これが“hot chocolate”ということだと分かるまでずいぶんかかった(いつの間にか「ホット・チョコレート」になっている)。今の僕なら「ココア」と訳してしまうかもしれない。時代が違うと思うのは野崎訳で「トイレの腰掛け板」「押入れ」「寝椅子」となっていたのが、2003年に出た村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』では「便座」「クローゼット」「カウチ」になっている。
千野栄一先生は『外国語上達法』で次のように書いている。
レアリアというものは、学問のように体系だったものではない。しかし、その蓄積は常識の一部をなすものであり、外国語の上達のために必要な、その外国語が話されたり書かれたりした背景のレアリアに通ずるということは、とりも直さず広い知識が要求されるということなのである。……
母語の話し手が持っているレアリアに絶えず近づくことによってレアリアの量が増し、よりよくその外国語が理解できるようになるのである。そこでその外国語を支えている文化、歴史、社会……という様々な分野の知識を身につけておけば、それは外国語の理解の際に、まるでかくし味のようにあとから効いてくるのである。
レアリアから「翻訳可能性」の問題に触れざるを得ないが、ロマン・ヤーコブソンは『一般言語学』(みすず書房) で「翻訳」という行為についてバートランド・ラッセルのチーズについての言葉を引用している。ラッセルは「チーズについて、言語による以外の知見を持たないならば、なに人もcheeseという語を理解することができない」と述べている。
これに対し、ヤーコブソンは例えば“GODS”というような例を挙げることで、それが実際に文脈の中で使われ、しかも意味が成り立っていることを述べている。そして、意味とは実に言語学的な問題なのであり、より包括的に記号的問題だとしている。
つまり、ヤーコブソンは翻訳が可能である、という立場に立ち、ラッセルやウォーフなどは不可能であるという立場に立つ。
□ これから先の議論は相当ややこしいので止めておく。ただ、レアリアをどう考えるか、ということ自体が文化に絡んでいることだけを示しておく。
英文を書く時には“Be specific!”(具体的に!)とよく言われるのだが、つまり、レアリアを描くということにつながる。小塩節が『愛の詩人・ゲーテ』(NHKライブラリー)の中でゲーテの詩を比較している。 ゲーテの『旅人の夜の歌』はイギリスの国語の教科書にここ150年間必ず載っているという。「われらの文豪ゲーテ」の詩だというのだが、「われら」というのは「ヨーロッパの」という意味だ【逆にドイツ人も「われらのシェイクスピア」という】。この英訳にはアメリカの詩人ロングフェローのものと、もう一つ、アンドリューズ大学の古典学のキャンベル教授の訳があり、後者が教科書に載っているという(ウムラウトは太字/ドイツ語はここ)。
Wandrers Nachtlied D 768 旅人の夜の歌 Johann Wolfgang von Goethe ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ Uber allen Gipfeln すべての峰をおおって Ist Ruh, 憩いがある In allen Wipfeln すべての梢に Spurest du おまえは Kaum einen Hauch: 微風をほとんど感じない Die Voglein schweigen im Walde. 小鳥たちも森に沈黙している Warte nur, balde 待つがよい やがて Ruhest du auch. おまえも憩うのだ 「すべての梢に」というところをイギリスの詩は“oak and pine”と勝手に入れている。ドイツ人や日本人が「梢」と言っただけで、自分の想像力で判断できるのに、イギリス人には具体的に木の名前を入れてはじめてヴィヴィッドに生き生きと、モノがはっきり浮かび上がるのだ。小塩が確かめたら、ドイツのイッケルハーンの山には松や柏はなかったという。「小鳥たちも森に沈黙している」という部分も“robin”(コマドリ)とはっきり鳥の名前を入れている!
何ともおもしろいのはイギリス人というのはコンクリート(具体的)に物の名前をきちんと言わないと、ヴィヴィッドに生き生きと形象が浮かんでこないということで、同じヨーロッパでも、地域によって感性に非常な違いがあるものだ。
ちなみに、「oak=樫」ではない。oakは落葉樹だが、樫は常緑樹である。
□ レアリアを理解しなければ翻訳ができないということは、レアリアを分からなければ文学理解などありえないということだ。これを理解するために研究書まで書いてしまう人がいる。鹿島茂だ。鹿島の事実上のデビュー作『馬車が買いたい!』(白水社)は「馬車の正確な理解なくして十九世紀フランス文学の理解もありえない」といって馬車のレアリアを徹底的に調べた本である。
十九世紀前半のフランスは大革命以来の激動の歳月の後やってきた「ブルジョワ的発展期」で、当時の小説の主人公たちにとって、物質的に成功すること、端的にいえば自前の馬車を持てるほどの身分になることが人生の当面の目標だった。馬車こそが世俗的成功を夢見る野心的な主人公たちの物語の結節点であったこと、そして、持ち主の社会的階層に応じて馬車の型も異なっていたことに注意をうながし、どんな馬車をも馬が引く車としか見ようとしないのは「フランス料理すべての調理法を『肉料理』『魚料理』という概念でくくる」のに等しく、「はなはだ乱暴な文化の理解の仕方」だと嘆いた。
鹿島は当時の多様な職業にまで発展させて『職業別パリ風俗』(白水社)も書いてしまった。オペラ座の端役女優がきまって門番女の娘なのはなぜ?バルザックの『人間喜劇』に出没する弁護士と代訴人と公証人はどう違う?フロベール『ボヴァリー夫人』のシャルル・ボヴァリーは正規の医者?それとも免許医?そしてシャルルよりも薬剤師のオメーの方が金持ちなのはなぜ?ということを描き出している。一冊がまるごと注のような本を出しているのだ。
鹿島は『エッフェル塔とセーラー服』(文春文庫)でイソップの「アリとセミ」がどうして「アリとキリギリス」になったかを考察している。鹿島茂『パリの秘密』(中央公論新社)から紹介する。
パリは緯度が高いせいか、昆虫というものがあまりいない。
たとえば、セミ【cigale】だ。日本では、夏の森に入ると、うるさいぐらいにセミの歌が聞こえるが、パリだとブローニュの森でも一匹のセミもおらず、シーンと静まりかえっている。そのせいか、パリジャンはセミがどんなものか知らない。「鳴く虫」ということで、コオロギやキリギリスをセミだと思いこんでいる人さえいる。『イソップ寓話』のフランス版である『ラ・フォンテーヌの寓話』の挿話がその証拠で、「セミとアリ」というタイトルにあるのに、セミはあきらかにコオロギかキリギリスとして描かれている。私はこの挿絵が日本に入ってきて、「アリとキリギリス」となったのではないかという仮説をかつて立てたことがある。
クリックで拡大この話は「天声人語」で話題になったことがあった。辰野和男は『文章のみがき方』(岩波新書)で「アリとセミ」と書いた時の大騒ぎについて語っている。訳者の河野与一に電話したら「ヨーロッパも北のほうでは寒くてセミがいなくなるのでしょうね。それで子どもにもわかるようにキリギリスに変えたところもでてきた、ということではないですか」だった。
アメリカの知人に聞いたら、英語では“The Ant and the Grasshopper”が一番ポピュラーだという。
「蝉」 堀口大學 ラ・フオンテエヌのは寓話
さてこれはわたくしの愚話蝉がゐた
夏ぢゆう歌ひくらした
秋が来た
困つた、困つた!(教訓)
それでよかつた
The Cicada
La Fontaine's was a fable,
while this of mine is but a foible.Once upon a time, there lived a cicada
who sang and sang all summer long.
But autumn came.
“Oh no! Oh no! What'll I do?”The Moral:
That was all just as it should have been.
アーサー・ビナード
『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房)鹿島茂『神田村通信』(清流出版)によれば、パリで蚊に刺されたという。
【緯度が高いために】蚊を意味するムスティックという言葉は知っていても、それがどんなものか知らないパリジャンはたくさんいたのである。蚊に刺されたときの痒みというのも、パリジャンには説明不可能だった。
それが、ここ数年、とくに数年前の熱波襲来以来、パリにも蚊がかなりの規模で出現し、蚊に刺されるという初体験を味わったパリジャンが激増している。メトロの駅や薬局には、蚊に刺されたときの痒み止めの薬や、蚊よけスプレーの広告が大きく張り出されている。あきらかに、パリも蚊の生息地帯の仲間入りしたのである。
論語に「駟不及舌」という言葉がある。「いったん口外したことばは、駟で追っても追いつけない。ことばをつつしむべきことのたとえ。「惜乎、夫子之説君子也、駟不及舌=惜しいかな、夫子の君子を説くや、駟も舌に及ばず」〔論語・顔淵〕なのであるが、「駟」(し)というのは速度の速い四頭だての馬車のことで「駟」が分からないとレトリックにならない。
□ さて、少し恥ずかしい話だが、小さい頃、コピー機というものがなかった。この世になかったのだ。しかし、中学生になると、当時出たばかりの『原色百科事典』には「電子複写機」という項目があって図解入りで原理が書いてあった。
僕は何度も読み返したが、そんなものができるとは信じられなかった。だって紙に書いてあるものをそのまま写すなんてどうやったらできるのだろう!
高校生の時に初めてゼロックスのコピーを見て本当に驚いた。いわゆる「青焼き」(廃語!)ではなく、くっきりと黒の文字と図表が浮かんでいた!
笑う人がいるかもしれないが、ではコピー機の原理を説明できますか?
まあ、別にこれはコピー機だけの話ではなくて、国語辞典で「性」に関する言葉を調べた時にも感じたモヤモヤと同じだった(これは違うか)。「律儀者の子沢山」というのも、子どもには説明しにくい。
レアリアというのは匂いをかいだり、触ったりして実感しないと分からないものである。「性」も同じかもしれないが…。
□ 僕はビニールやノック式ボールペン、インスタントラーメン、回転式計算機に驚いていた世代だからコピー機などに驚いていて当然だ。これを続けていると自分史になってしまう。
いずれにしろ、努力して機械の原理というのを知った僕らと違って、今の子供たちは既に存在しているから、それがどうしてというのを振り返ろうとはしない。
これが技術のブラックボックス化を招き、社会全体の不透明化までつながっていく。
戦後日本社会は世界史にありえないような大きな変化を乗りこえて来た。その大きな波の度に、多くの言葉が海の向こうの方に流されていった。
ルバング島から生還した元・日本兵の小野田寛郎さんが「ヌードって何ですか?」と聞いたと言うが、小野田さんでなくとも少し日本を離れて暮らした日本人は新しい言葉の煙をかぶって浦島太郎になってしまう。今の人は「ヘアヌードって何ですか?」と聞くかもしれない。
日々の景色をつくりかえてきた新しい知らない言葉は、落ち着いてかんがえると、びっくりするほどにじつは偏っているということに気づく。新しい知らない言葉というのは、そのほとんどが、ただ新しい名詞ばかりなのだ。
はじめに新しい名詞ありき、ということだ。世に新しいもの、新しい技術や商品。新しい観念。新しい病気。新しい流行。それらによってふんだんにもたらされてきたおびただしい新しい言葉というのは、まずもっぱら新しい名詞なのだ。いいかえれば、わたしたちが手にもつ言葉のなかで、新しい知らない名詞だけがとんでもなくふえてきているというのが、ほんとうだろう。
------長田弘「三つの動詞」なお、三つの動詞というのは漱石が自戒した「真面目に考へよ。誠実に語れ。摯実(しじつ=「まじめなこと」)に行へ」という三つである。そして、これらの動詞がいつの間にかどこかに追いやられてしまっているのが現代だ。
□ モノがあっても名前がないものがいっぱいある。名前はなくはないのだが、誰も知らないで使っているようなものがいっぱいある。
道路に置いてあるオレンジの三角帽子、書類を閉じる小型のダブルクリップ、紅茶ポットにかぶせる保温の布、パイプを掃除したりタバコを押さえる道具、物が壊れないようにいれる空気の入ったナイロンなど名前を振り返らないモノがあふれている。
これらは関心がないか、買ったことがないかであって、作っている人はもちろん、気合いを入れて名前をつけているものだ。
例えば、『ダウンタウンDXのお願い!名前を呼んで』(ワニブックス1998)という本があるが、これは全てのモノに名前がある、というコンセプトで書かれた本である。ちなみに「ダウンタウン」というのは住宅街のある「アップタウン」と違って商業街なのであるが。多くの日本人は「下町」で住宅街だと思っている。お笑いの「ダウンタウン」はどちらのつもりで付けた名前なんだろう?
さて、一番驚いたのは原稿用紙の真ん中にある「【」を横にしたような、印象的なマークの名前には「魚尾」(ぎょび)という名前があることだった。罫線自体にも「原稿罫」と「ルビ罫」という名前があるという。蝦蟇口(がまぐち)というのも廃語に近いが、コレをパチンと止める金具は「らっきょう玉」だそうだ。マッチの横の擦る部分の薬は「横薬」という名前だそうだ。
『岩波国語辞典第五版』で出てこないものの名前を一部紹介するが、一体これは何でしょう?正解は本を買って下さい。
横車、菊割り、鬼おろし、蛙叉、狆くぐり、下はじき、耳石、吹き戻し、角ネコビン、乱れ箱、涎流、フィルムフード、小判すくい網
ただ、この本の中でコンパスのことを日本では「ぶんまわし」と言う、と書いてあったので、「ぶんまわし」を使っていた僕には少しショックだった。
□ 正確には「狆くぐり」(床の間の書院との間に開いた穴)のように“ない”ものにも名前がある。「穴」もそうだ。
何よりも「ゼロ」は、ないモノに名前を付けている。
英語のNobody went there.という表現は日本人には苦手である。「ない人がそこへ行った」なんておかしい!と思うのだ。
□ 知らなくて不都合がなければ名前なんかなくてもいい。茶道をしない人には日本庭園にあるコーンという音がする「ししおどし」なんて名前は気にしない。知っていても「獅子脅し」だと思っている人がいるだろうし、「鹿威し」という正解を知っていても「鹿」というのが「いの“しし”」と同じく「動物」の意味だと知っている人は更に少ない。
インターネットでURLを口頭で言う必要が出てくる前は誰も「~」(「チルダ」というが多くの人は「にょろにょろ」とか「波みたいなもの」という)の読み方を知らなかったのも一つの例である(相変わらず「~」が出せなくてホームページにアクセスできない人も相変わらず多い)。
最近では「*」も「&」も「アスタリスク」「アンパーサンド」といえる人が増えてきている。
必要は言葉の母なのである。
□ レアリアを理論化したものにスキーマ理論というのが言語学にある。スキーマ(schema)というのは過去の経験や知識に基づいて記憶の中に蓄えられた抽象的な概念のことを指す。言葉を理解するのに自分のもっているスキーマの中から最も適切なスキーマを喚起して照合して内容を理解するのである。マルチメディアを見たこともない人に説明するのは難しいが、相手にスキーマがないからである。伝統芸能やスポーツなどもなじみのないものは理解するのに苦労する。適切なスキーマを欠いているからである。
スキーマを例えば、Johson and Johnson(1998)はEncyclopedic Dictionary of Applied Linguisticsの中で次のように説明している。
a mental framework based on past experience developed as a means of accomocating new facts, and hence making sense of them.
新たに蓄えられた事実を解釈する手段として発達した、過去の経験に基づく認知的な枠組み
例えば、「交通事故で一人は手遅れだったけれど、もう一人は病院に運ばれてすぐに帰された」というとどこにも怪我をしたということは出てこないけれど、スキーマから一人は死亡で一人は軽傷だったということが分かる。
□ 『死語辞典』とか『イミダス』ではなくて、『死語ダス』という感じの本が多く出版されている。多くは「八紘一宇」「大政翼賛会」などの言葉を扱っているが、「ガチョーン」など流行語なども含まれる。
言語学的には「廃語」 an obsolete wordというのは言葉がなくなったことをいう(“obsolete”は「時代遅れの」という意味)。「死語」という人もいるが「死語」は「(ラテン語など)現在使われていない言語 a dead language」を指すこともあるから注意が必要だ。
「かまど」「囲炉裏」「蠅帳」…「DDT」…「ガリ版」(「謄写版」とも/開発した事務機器メーカー・ホリイが2002年に事実上倒産)…「レコード」「4チャンネルステレオ」「β方式」(2002年で製造中止)「Lカセット」(ソニーの規格だったが知らないでせう)「VHD」(LDに負けた)「ミニフロッピー」(5インチのものだが、マイクロフロッピーも使われなくなってきた)のようにモノがなくなって廃語となる場合(「CD店」を「レコード店」という人もいるが)と、「破廉恥」「浮気」のようにあっても使われなくなるものがある。僕は「ニューメディア時代の日本語」という論文も書いているが、「ニューメディア」は10年ももたずに廃語になった。
「赤い靴」ほどいろいろな解釈をされた曲はないかもしれない。「異人さん」という言い方が死語になったからだ。「いいじいさん」「ひいじさん」ならいいが、「知事さん「とか「にんじんさん」だと思っている子どももいた。
「きたないこと。けがらわしいこと」の意味の「尾籠」(びろう)という言葉も年寄りは使うが若者には使わなくなって廃語寸前である。元は「尾籠(おこ)がましい」の当て字の音読なのだが、そのうち英語の“below”から来ているなんて人が出てくると思う。
名詞はものが物が対象になるから、時代とともに変わっていく。これに比べると動詞は変わりにくい。聞いたり、見たり、触ったりという言葉は昔からちっとも変わらない。
□ 言葉に関心をもつ人でさえ、昔の言葉を知らなくなった。『広告批評』がコピーライター養成講座の受講者101人(平均年齢23歳)を対象に調べた「からだ言葉」の正答率は次のようである。
- 顔が立つ------55%
- まゆを上げる------20%
- 目に角を立てる------10%
- 耳をそろえる------56%
- 鼻につく------66%
- 歯が浮く------52%
- あごを出す------35%
- 指をくわえる------31%
- 胸に納める------72%
- へそが茶をわかす------58%
- すねに傷持つ------52%
言葉はただの音声ではなくて、言霊がこもっていることを忘れている、といいたいが、「言霊」も廃語である。
せっかく存在している言葉を廃語にするなんてもったいない、と思うが「もったいない」も廃語になりつつある。
「ねくら」と「ねあか」(タモリの造語)のように双子として生まれても「ねくら」だけが生き残ることもある。
廃語は成仏できずに浮世に戻ってくることもある。「破廉恥」がまさにそれで、「ハレンチ」という、一見風俗風の言葉になって、それなりにハイカラ(廃語?)になって復活する。「ハレンチ」が生まれて「清純」という言葉がなくなった。「処女」も「純潔」も「初夜」という言葉もほとんど聞かれなくなった。風俗がまるで変化して今の若者は宇宙人のようになってしまった。
そういう「風俗」だって「フーゾク」と書かれることによって一挙に「性風俗」を表すことになり、日本風俗史学会は機関誌を98年に『風俗』から『風俗史学』に変更せざるを得なくなった。英語表記の“Manners and Customs”というのが「風俗」の元の意味を伝えるのみである。
「死語の世界」にもいろいろだ。
今の女子大生には「肌を許す」なんて表現は全然分からないだろうなぁ。知りたい人は是非、逢いに来てください。
□ これらの現象は言語学では「廃語論」として扱われるべきであり、OEDなどでは「†」(死者のマーク)のマークを使って廃語を表示している。例えばniceは古く「馬鹿な」という意味を持っていたのだが、これをOEDでは “†1. Foolish, stupid, senseless. Obs. (Common in 14th and 15th c.)”という風に書いてある。
98年8月にはOEDの新版に“tamagotchi”が採用されたが、これが最後の栄光だった。「たまごっち」は96年の11月末、新製品紹介の形で初めてのニュースが出て翌年には海外に進出。たとえば英国では、授業中に勉強そっちのけで世話をする子や、「ペットが死んだ」と泣きじゃくる子が現れたため、持ってくるのを禁止する学校が続出している、と報じられた。今はバンダイのお荷物になり、社長交代劇まで生んだ。今度の版にはしっかりと「†」が付けられるだろう。
OEDは歴史主義を標榜しているのだが、初出例が書かれているのと同様に、廃語の場合は最終用例を記している。しかし、誰かが後で使えば廃語にならない、と思うのは素人だけだろうか?
地球が滅びるか否か、の賭については滅びるに賭けることに決まっている。滅びる日が来れば勝ちだし、滅びないかどうかは最後まで分からないからである。
同様に、廃語の認定というのは難しい。扱いも難しい。漢字変換ソフトでもATOK8は「八紘一宇」を「発行位置宇」としか変換しないが、一般の国語辞典でも廃語だから載せないのか、文化だから載せるのか、差別語の問題も含めて大変難しいのだ。
日本の『新明解国語辞典』にも盛衰がある。例えば、鈴木マキコの『新解さんの読み方』(リトル・モア)には第4版(1989)と第5版(1997)の比較があるが、第5版でなくなった語彙には次のようなものがある。それまでなくさなかったのが不思議でもある。*はATOKで出ないもの。
*亜欧、明かし、*雅語、県(あがた)、あづま、*アノフェレス、暴れ川、*アンジェラス、イーシー、*意気張り、*稲車、エイチアール、*エトワス、*エバ【イブ】、オーシャン、*オーパル【オパール】、オリンピア、乾物、聞き慣れた、聞き慣れる、局待ち電報、*キルク【コルク】、クラウン【5シリング】、ケルト、*シプリペジューム【洋蘭】、ソーダファウンテン、そばえ、*村誌、*退耕、百姓、*丹花、天照大神宮、*特快【特別快速】、なりんぼう、*ニグロ、*パイ缶【パイナップルの缶詰】、*ハイラーテン、*破軍星、*悲泣、*ベトン【コンクリート】、ベリーマッチ、*満文【蒙古語で書いた文】、*妙曲、ミルキーハット、ミルクフード、ミルクプラント、みる茶【茶色をおびた緑色】、*烈氏寒暖計、華氏、*わ印
ちなみに最後の「わ印」というのは「猥本」の婉曲語で第4版にだけ出ていたものだというが、使っている人はほとんどいないだろう。僕が初めて見たのは富岡多恵子の本の中に池田満寿夫との同棲時代のことを書いていて、池田が「わ印」なども描いていたという記述だったと思う。「猥褻」の「わ」なのか「輪」の「わ」なのか?
□ 廃語や死語の直前に「老人語」という段階がある。『新明解国語辞典』第5版では次のように説明している。
すでに青少年の常用語彙の中には無いが、中年・高年の人ならば日常普通のものとして用いており、まだ死語・古語の扱いは出来ない語。例、日に増し[=日増しに]・平に・ゆきがた・よしなに・余人など。
□ 小さい頃、家のお猪口に「満州」と書いたのがあったが、高校生になって歴史を学ぶまで「満州」という意味が分からなかった。同じ気持ちを、今の子ども達は「ソ連」というのに持つはずである。
少し話は違うが、「エンスト」という言葉も、車が滅多に止まったりしなくなったので廃語になりつつある。iMacが出てアップルコンピューターの性能がよくなったので「フリーズ」や「コンフリクト」「爆弾マーク」というのも廃語になった、という日はいつ来るのだろう。
また、差別語の問題もあって、「支那竹(シナチク)」(ATOKで出ない)も僕らからは馴染みのない「メンマ」になった。当然、「支那そば」といえるようなラーメンが少なくなってきた。河野六郎先生は「支那語」「朝鮮語」と言っていたが、差別意識は感じなかった。
□ 妻が婦人会の意見発表会に出たとき、婦人会の歌を聞いたが、「“おみな”の道をきわめる」という歌詞が出てきて仰け反った。
「おみな」というのが分かる人も少ないし、そんな言葉を残していて女性の活動を続けるのは結構無理があることだなぁ、と思った。歌っているのは婦人会活動50年くらいの老女ばかりだったが、「おみな(をみな)」というのは「女性の美称。▽雅語的。もと、若い女の意」なのである。
いや、既に「婦人」という言葉自体が問われている。辞書には「成人した女。女性。「―服」▽最近は成人女子の名称としては「女性」の方を多く使う。「婦」はもと、よめの意」(『岩波国語辞典第五版』)と書いてあって、やっぱり、使うのは無理かなぁと思えてくる。
「英霊」(イギリスの幽霊?)を見ているような言葉だ。
英霊ついでにいえば、「幽霊語」というものがある。つまり、使われた形跡がないのに辞書に載っているものだ。辞書を引き写しているうちにどの辞書にも載っている「幽霊語」というのがある。更に、日本では使われているのに英語などにない語彙をいう。これは“ディスコミュニケーション”の原因となる。
実はこの“ディスコミュニケーション”discommunicationというのはOEDはおろか、ランダムハウス、リーダースなど、どの辞書にも出ていない和製英語、つまり、幽霊語なのである。
□ こうして落語などがまるで理解されない時代になってしまった。長屋といっても分からないし、長火鉢(どころか火鉢まで)、炭、煙管、煙草盆、夜なき蕎麦など全然分からない時代になってしまった。歌舞伎や文楽などは見て分かる部分があるが、言葉だけで勝負する落語や講談は非常に辛いものがある。例えば「掛け取り万歳」とか「節分」というネタがあるが、昔は借金を大晦日、(それが無理なら)節分となっていたことを説明しなければならないし、「万歳(まんざい)」というものは若い人には理解してもらえないだろうし、中に出てくる義太夫も分かりにくいものである。
落語が分からなければ「キセル乗車」(前後のみ金属で、途中はラオと呼ばれる竹)も分からない。まして、「薩摩守(さつまのかみ)」というのは廃語になっている(「薩摩守忠度(ただのり)」から)。
季語を中心に作られる俳句も問題だ。季節感がなくなっただけでなく、モノがなくなりつつある。夏井いつき『絶滅寸前季語辞典』(東京堂出版)という辞典も作られた。例えば、「おしくら饅頭」というのも分からない人が多くなってしまった。「瓜番(うりばん)」はスイカやマクワウリの熟れるころ、盗難の防止の見張りの人をも指す。瓜を失敬する不届き者が「瓜盗人」で、見張り小屋を「瓜小屋」というが絶滅寸前だ。秋元不死男に「冷やされて牛の貫禄しづかなり」があるように農作業の後、牛や馬を水辺で洗うことを「牛冷やす」「馬冷やす」という。「川止め」は分かるが、「千葉笑」(“ちばわらい”村人が境内に集まって役人らの悪口を延べあって談笑すること)「馬冷やす」になると僕らも分からない。この辞書によると一番長い季語は「童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日(どうていせいまりあむげんざいのおんやどりのいわいび)」というもので12月8日だという。しかし、これだけで25音もあって、どうやって17文字に納めるのだろう?
季語は季節が現代生活と合わなくなっている。「亀鳴く」なんていつだって鳴きそうもないのに春の季語だ(亀鳴くや皆愚なる村のもの---高浜虚子)。「蛙(かわず)の目借り時」というのは春で蛙が鳴きたてる頃の眠きをもよおす時期。「目借る」は蛙がメスを求める意味の「妻狩る」と呼んでいたのを、人の眠気は蛙が目を借りるためと読み替えたといわれる。「めざし」もやっぱり春の季語なんて誰が知ってるだろう。「あんパン」も春だって!?季節のない国の人には季語自体が分かりにくいかもしれないし、季節があってもこんなに乖離しているのでは困るだろう。
江戸時代の末に3400あまりだったという季語の数は5000近くに膨れ上がっている。最近の句集で言えば黛まどか編『東京ヘップバーン』の巻末に載せられた「歳時記」にはキャリアウーマン推奨の新季語として「ダイエット」(夏)、「ふたり慣れ」(秋)、「寅さん」(冬)というのがあり、同じ革でも「ヌバック」(夏)、「スエード」(冬)なんて決められている。
地域ごとのレアリアに合わせた季語を「地貌季語」ということがある。宮坂静生『語りかける季語 ゆるやかな日本』(岩波書店)は「標準語化された季題・季語ではなく、地域の人々に愛用されてきた季節のことば」という。宮坂は次のように書いている。
沖縄では真夏にそそりたつ入道雲を「立ち雲」という。なんと端的な風土のことばではないか。夜に入っても月光に照らされながら白く光り、でんと据わっているという。それは,沖縄の生きとし生けるものの象徴のようだ。
雪国の春先、山の山毛欅(ぶな)の木の根元がドーナツ型に明き、いち早く雪解けが始まる。これを「木の根明く」と呼んでいる。木のいのちの逞しさや自然の摂理の確かさを感じさせる季節の発見である。「新しい言葉の辞典があるのだから、死んだ言葉の辞典があってもいいではないか」というので作られた『消えた日本語辞典』(東京堂出版)には何と!「ひもじい」が収録されている。
<ひもじい 腹が減っている。空腹である。中世からある言葉で現在にも通用するが、日常語では殆ど使わない。みんな満腹で「ひもじい」ことがなくなったせいか。>
こうした文化・芸能がなくなることは日本が岐路に立たされている、いや、危機にさらされている。
□ 言葉≒文化であり、言葉を失うことは文化を失うことである、と大風呂敷を広げたいが、「風呂敷」もほぼ廃語である。ファンヒーターのことを「ストーブ」といって笑われる(自分でもしっくり来ないのだが「ファンヒーターのスイッチを入れて」というのは長くて収まりが悪い)。「洗濯板」「盥(たらい)」「鉄瓶」「七輪・七厘」「五徳」(ATOKで変換不能)「豆炭」(品川豆炭、ミツウロコ豆炭!)「炭団(たどん)」「練炭」は完全に廃語、「行火(あんか)」「炬燵(こたつ)」もぼちぼち怪しい。当然、「洗濯板みたいな胸」という表現も廃語である。「風が吹けば桶屋が儲かる」という言い回しも「三味線」や「桶」や「桶屋」(小さい頃、近くにあっておじさんがいつも木や竹を削っていた)などが分からないと使えそうもない。「鎬を削る」なんて言葉も「刀・やじりなどの、刃の背に沿って小高くなっている部分」を「しのぎ」というのを知らなければ、ヤクザが職業を争っているくらいにしか思われない。
平原日出夫『向田邦子のこころと仕事――父を恋ふる』(小学館)の「向田邦子の言語空間」には『父の詫び状』から「古風な言葉」を抜き出して紹介している。モノの消滅と関係のあるのが、「お櫃、中折れ、豆絞り」など。生活の変化と関係のあるのが、「到来物、祝儀不祝儀、手間仕事、仕舞い風呂」など。別の表記に変わったのが「拳骨、抽斗(ひきだし)、宿酔(ふつかよい)、咄嗟、柄杓、角力(すもう)、団扇(うちわ)」など。漢字制限のおかげで変わったものに「顰蹙、癇性、辣腕、老獪、羊羹」などがあって顰蹙ものだ。久世光彦も『触れもせで』(講談社)にも「死語と半死語」というエッセーがあって、「死んでしまったものは仕方がないが、まだ息のあるものは何とか生き永らえさせられないものだろうか、向田さんはよくそう言っていた」と書いている。
日本は向田邦子を失っただけでなく、日本語も失ったのである。
□ 加藤主税『世紀末死語辞典』(中央公論新社1997)の「女子大生からみた死語」によれば1)2)3)で「死語度」が高い(意味の分からない女子大生はメール下さいね)。
- 外套、白墨、骨皮筋右衛門、落下傘
- まり、トレパン、シミちょろ、自家用車、おせんち、寝間着
- 腰掛け、ナウい、ジーパン、ハッスル、はれんち、つっかけ、おかっぱ
オジサンは「あった、あった遊び」で女子大生に抵抗するしかない。漫画家の東海林さだおは「あったあった評論家」を自認しているが、彼によれば、オジサンたちの酒席の遊びに「あった、あった遊び」というのがあった。例えば、だれかが「僕らの給食の定番は、コッペパンにスキムミルク、鯨の竜田揚げだった」と言うと、「あった、あった」との声が飛ぶ。やれ、自転車の三角乗り、野球の三角ベースだとか、ポン菓子屋さんだとか、セピア色になった思い出を出し合って盛り上がるという。この遊びは共通の時代体験が前提となる。農村や都市など育った環境や、年齢差が近ければ近いほどいいが、実にもの悲しい遊びである。
※シミちょろについて女子大生から質問があった。答えは次の通り。
「シミーズ」って分かりますか?「シュミーズ」ならATOKでも変換できるのですが、「シュミーズ」(フランス語のchemise「下着」)が少し訛った状態です。
で、このシミーズがスカートから少しはみ出た状態をいいます。
みっともないとされたのですが、最近は女の子のキャラクターなどでたくさん出しているのが増えていて、昔のだささ、というのは分からなくなっています。
破廉恥がハレンチになって再評価?されているのと同じですね。□ こんなに言葉の盛衰が速かったら映画などの時代考証も難しくなってくるだろう。時代劇でも正しい古語を使うことが少なくなってきている。時代考証が難しくなってきている。
評論家の川本三郎は『東京つれづれ草』(ちくま文庫)のなかで、昭和30年代に身の回りから消えていったものを挙げている。ちゃぶ台、蚊帳、たらい、おひつ、物干し台、割烹着(かつぽうぎ)を着て箒(ほうき)で掃除をする母…。敗戦は日本の政治の形を一変させたが、人々の暮らしはそう変わらなかった。変わっていくのは昭和30年代、「とりわけ東京オリンピック以降だ」と川本は言う。その記録映画『東京オリンピック』(市川崑監督)は、クレーンにつり下げられた鉄球が画面いっぱいに現れ、古い建物を崩していく…。
最近では一年ごとにレアリアが変化していて、現代小説を書くのも困難になっている。「女子高生がポケベルを使って…」なんて誰も分からなくなる。内田樹は『子どもは判ってくれない』(洋泉社)の中で、「世代限定的」な事柄を描くことを「江口寿史(えぐちひさし)現象」と呼んでいる。江口は漫画『すすめ!!パイレーツ』の中で登場人物にダウンジャケットを着せているが、漫画の登場人物が「そのシーズンに流行した服」を来て出てきたのは、江口が嚆矢だからである。伝統的に漫画は「超時代的」なものでなければならず、漫画の中に「ある時代に固有のもの」、「その時代が過ぎてしまうと消えてしまい、別の時代の読者に含意が通じないもの」は描き込んではならない、という不文律があった。それなのに、江口が「時代とともに消えるもの」を描き込んだというのだ。
村上春樹の『1Q84』のBook2の巻末に記された「本作品には、一九八四年当時にはなかった語句も使われています」という注記がある。 クイズみたいだが、おそらく「立ち上げる」であろう。これはパソコンが普及してから後に使われるようになった言葉で、1984年当時には使われてはいなかった(この年1月22日にアップル社がマッキントッシュ発表に先立ち、『1984年』テレビCMを放映したばかりだ=パソコンというものが生まれた年だった)。Book2の302ページに「これは、一度おさまったあとで、新たに立ち上げられた勃起なのだろうか?」というのだ。
古い例だが『風と共に去りぬ』(現在、アメリカでは黒人差別のために公共の場所で上映禁止となっている)のマーガット・ミッチェルだって悩んでいたことが『マーガレット ラブ・ストーリー』(講談社文庫)から知れる。
彼女はニューヨーク・タイムズの書評家から登場人物がシシィと呼ぶ場面があるが、当時この表現がなかっただの、「神々のたそがれ」という表現が南北戦争当時の南部人の口から飛び出すのは奇妙だとか指摘されて憤慨して書いている。
…あの表現(「神々のたそがれ」)を使うかどうかを決めるために、わたしは三週間も調査しました。もちろん同名のワーグナーのオペラが書かれたのは南北戦争より数年あとのことですが、そのもとになった詩が書かれたのは一八四〇年代の終わりか五〇年代のはじめだったはずです。…ドイツ民話の棚とワーグナーの棚にある本を片っぱしから読んで調べたところ、「神々のたそがれ」というのはもっと古くからある表現だということが分かりました。なんと、古代に伝説に出てくる表現だったのです。
それから、彼がわたしを批判した「シシィ」ということばについてですが……あれは、一八六一年にある少年が父親にあてた手紙のなかから見つけた表現です。…
「ズアーヴ兵の格好をさせる部隊になど入りたくなかったのです。あんな赤パンツをはいたら、気持ちだけでも‘女々しい男’(シシィ)になり下がってしまいますよ」
□ 「卓袱台」というものがあって、男が投げることになっている。向田邦子の『阿修羅のごとく』では三女・滝子が、実家の壁のキズをみて、やがて結婚する勝又静雄に「うちみんなやる(投げる)のよ」「遺伝じゃないかな」と話す。今では「ちゃぶだい」と読めない人がほとんどだろう。
『寺内貫太郎一家』などの演出で卓袱台の使い方が上手だった久世光彦は、富山に疎開していたころを懐かしんで『むかし卓袱台があったころ』(ちくま文庫)に「あのころ確かにあった、家族たちのお互いへの思いや、近隣の人たちとの連帯が、いったいどこへ行ってしまったのか――その行方を私は探している」と書いている。「ただ昔を懐かしんでいるわけではない」「卓袱台でご飯を食べると家族を近く感じる。卓袱台は家族の歴史であり、血族のシンボルみたいな物。縁側は主婦たちの小さな社交の場」とまでいう。昭和10年代のあっさりしながらも、温かい隣人関係がいまはないことを久世は寂しく思っているという。「大げさにいえば〈人々〉という言葉がなくなった。〈――家の人々〉とか、〈――丁目の人々〉という人間関係がなくなったとも言える」とも書いている。
懐かしむのはいいが、正確にいえば卓袱台が登場するのは明治30年以降で、大正から昭和40年代までの話なのだ。漱石の『門』に卓袱台が出てくるが、それまで日本人は箱膳を使っていて、そうした個人主義が崩壊するのは卓袱台の登場からで、そんなに昔のことではない(箸や茶碗に個人主義がかすかに残っている---西洋では共用するのが当たり前で、誰のものか決まっているのは日本だけだ)。
宗助は驚ろいた。けれども話の途中を遮(さえ)ぎる訳に行かなかったので、黙っていた。坂井は道具屋がそれ以来乗気になって、自身に分りもしない書画類をしきりに持ち込んで来る事やら、大坂出来の高麗焼(こうらいやき)を本物だと思って、大事に飾っておいた事やら話した末、
「まあ台所(だいどこ)で使う食卓(ちゃぶだい)か、たかだか新(あら)の鉄瓶(てつびん)ぐらいしか、あんな所じゃ買えたもんじゃありません」と云った。
そのうち二人は坂の上へ出た。坂井はそこを右へ曲る、宗助はそこを下へ下りなければならなかった。宗助はもう少しいっしょに歩いて、屏風(びょうぶ)の事を聞きたかったが、わざわざ回(まわ)り路(みち)をするのも変だと心づいて、それなり分れた。分れる時、
「近い中(うち)御邪魔に出てもようございますか」と聞くと、坂井は、
「どうぞ」と快よく答えた。そのうち、国語事典に「卓袱台」が「家庭で父親が怒った時にひっくり返して使う、父権を誇示するための、伝統的な道具」と星一徹のマンガ入りで記載されるようになるだろう。『巨人の星』で一徹がひっくり返したのは一度しかないという。笑ったのは池波正太郎の『わたくしの旅』(講談社)の話で、フランス料理ばかりを食べさせる新妻に悩んでいる人に池波が卓袱台をひっくり返せ、と忠告したのだが、ひっくり返したら奥さんに殴られて2日間も会社を休んだという。
いずれにしろ、モノの方の考証も大変になってくる。黒澤明の『用心棒』で仲代達矢がピストルを持っているのは確信犯としても…。
先日もドラマを見ていたら、元禄時代にお寿司屋が出て来るだけでもおかしい(文政以降とされる)のに、よく見るとお寿司が廻っていた…。
□ そして、こんな風にネットで「読む」ことが日常になると「読書」という言葉もなくなり、「本」や「書物」の匂いや手触り、そして温かみを知らずに育つ世代が出てくる。
知識と現実のすりあわせをしながらたくましく育つ必要があるのに知識だけの人間が大量に生まれている。
文化の終焉にならなければいいが…。
□ もっとレアリアについて問題点をしらみつぶしにして書けばいいのだが、何しろ「シラミ」というモノの実感が沸かないのでできなかった。
※フランス語でも会話で“chercher les puces a 〜”(ノミを探す)というと「あら探しをする」の意味になる。
※もちろん、タイトルは畏れ多くもミシェル・フーコー(渡辺一民・佐々木明訳)『言葉と物:人文科学の考古学 』(新潮社1974)を拝借した(方向がまるで逆だけど…)。
フーコーのいう「知の考古学」というのは文字文献だけに頼って記述する歴史学に代わって、文献には残らない同時代のアルシーヴ(全文化の記録)のどこかに痕跡が残っている民衆の記憶を、ちょうど考古学が丹念に遺跡を掘り起こすように、エピステーメー(ある時代・あるグループに共通する認識的基盤)を浮き彫りにする作業である。
菓子パンのように売れたというこの本は「人間は、波打ち際の砂に描かれた絵のように消え去るだろう」といったことで批判の的になったし、ジャン・リュック・ゴダール監督が「ぼくがフーコーを好きになれないのは、この時代は人はこのように考え、ある時期からはこのように考えるようになるといったことばかりを言うからだ」と揶揄した話も有名だ。
この中でフーコーは17世紀スペインの宮廷画家・ベラスケスの「侍女たち」を題材にしてバロック時代(“Baroque”というのは「歪んだ真珠」)をもとに分析する。この絵では中心が不在で、単一で独立した人間という主体が見いだせないという。近代でいう、全てをコントロールする主体としての人間が存在しないという。
これは言葉と物の照応関係にヒビが入って、世界は別の様相を持ち始めたからだという。記号の過剰が生まれて、記号が自立的に、自己増殖することで文化体系を規定し始めたのである。つまり、「物的価値」(使用価値)と「記号的価値」(交換価値)、あるいは象徴的価値との間に亀裂が入ったというのだ。
かつて神によって与えられた言語(langage)は「物に類似しているがゆえに、物の絶対的に確実で透明な記号(signe)」であった。ところが、ベラスケスの「侍女たち」が表現している記号は「この絶対的に確実で透明な記号(signe)」ではないという。ベラスケスがなした認識論的な展開で「かつてルネッサンス時代にひしめきあう物のうえに分布させられていた記号(signe)は、こうしてそこから解放された」。そして、「以後記号(signe)は、表象作用の内部、観念の間隙、観念がみずからを分解し再合成してみずからとたわむれる、あの厚みのない空間に宿ることとなる」といったのである。
□ この本の序文にはボルヘスの「シナのある百科事典」(「ジョン・ウィルキンズの分析言語」『異端審問』晶文社で紹介されたもの)の話が出てくる。ボルヘスによれば下のような分類がなされているという。分類するという行為が、(その背後に横たわっていたエピステーメの変換による)人文科学におけるパラダイム転換を知るうえでの重要な事象として分析されている。
こんな極端な例を考えずとも、言語だと名詞の性を考えればよく分かるだろう。男性か、女性か、中性かに分ける積極的な理由はない。だから、「海」がラテン語で中性、フランス語で女性、イタリア語で男性であってもおかしくはない。それにスワヒリ語などは20以上のクラスに分けることができるが、この分け方に合理性は感じられない。もちろん、英語でも単数か複数か、彼か彼女か、分けないとおかしい訳で、昨日入った泥棒がどうなのか語るのは難しい。クリント・イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』もこの辺りが事件の核心につながっていく…。
太宰治は『人間失格』の中で次のように名詞を分けている。
自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。
「いいかい? 煙草は?」
と自分が問います。
「トラ。(悲劇(トラジディ)の略)」
と堀木が言下に答えます。
「薬は?」
「粉薬かい? 丸薬かい?」
「注射」
「トラ」
「そうかな? ホルモン注射もあるしねえ」
「いや、断然トラだ。針が第一、お前、立派なトラじゃないか」
「よし、負けて置こう。しかし、君、薬や医者はね、あれで案外、コメ(喜劇(コメディ)の略)なんだぜ。死は?」
「コメ。牧師も和尚(おしょう)も然りじゃね」
「大出来。そうして、生はトラだなあ」
「ちがう。それも、コメ」
「いや、それでは、何でもかでも皆コメになってしまう。ではね、もう一つおたずねするが、漫画家は? よもや、コメとは言えませんでしょう?」
「トラ、トラ。大悲劇名詞!」
「なんだ、大トラは君のほうだぜ」
こんな、下手な駄洒落(だじゃれ)みたいな事になってしまっては、つまらないのですけど、しかし自分たちはその遊戯を、世界のサロンにも嘗(か)つて存しなかった頗(すこぶ)る気のきいたものだと得意がっていたのでした。僕らは日常、意識するしないに関わらず、すでにコード化された視点に立っている。自分の目で確かめたと思っていても、実際にはサングラスをかけていることが多いのだ。動物学という分類に根拠があるように「飼い主のいない犬」学があってならない理由はないことになる。森羅万象には決まったカテゴリーがあるわけではない。フーコーは『言葉と物』で「シナのある百科事典」への驚きや笑いを率直に語りながら、その底には「秩序とその存在様態にかかわるむきだしの経験」があることを示した。そして、「すでにコード化された視線と反省的認識」との間には「秩序そのものを解き放つ中間分野がある」としている。
読者は解釈の不能状態に突き落とされる。「分かる」というが如何に「分ける」かは個人や文化や時代の分類法に大きく関わるからである。これを解釈しようとすると、僕らの抱えている「思考の限界性」を感じることになる。明代の王圻(おうき)の著『三才図会』(“さんさいずえ”「三才」とは「天地人」から森羅万象を指す)から取られたもので、誤訳も多くてこうした状況が生じたともいわれる。
森本哲郎は『読書の旅』(講談社文庫)の中で、十二支に違いないというが、何とか理屈を付けなければ納まらない脅迫観念になっている。明代の王圻(おうき)の著『三才図会』(「三才」とは「天地人」から森羅万象を指す)から取られたもので誤訳も多くてこうした状況が生じたともいわれる。
シナの百科事典は、現代ヨーロッパ人の思考法を相対化するためのものであり、事物を秩序づけるシナに独自の視点や言語があったろうが、ヨーロッパの各時代にも、それなりのものの見方があったに違いない。
なお、『言葉と物』は原題がLes Mots et les choses: Une Archeologie des sciences humainesであるが、英訳は本人が当初考えていたようにThe Order of Things: The Archeology of Knowledge と「物の秩序」になっている。
□ ※「ちゃぶ」というのは「しっぽく料理」の「卓袱」と同じ語源なのだが、言葉の違いによって意味が分断化されている。
「<1>中国風の食卓。▽中国で、食卓をおおう布のこと。<2>うどんやそばにまつたけ・しいたけ・かまぼこ・野菜などを入れて煮たもの。▽宋(そう)音による読み。―りょうり【―料理】日本化した中国風の料理で、卓袱(1)を囲んで会食するもの。長崎料理。」------『岩波国語辞典』
□ なお、言語学で「語と物」(Woerter und Sachen)を問題にするのは言語地理学である(“oe”はoウムラウト)。その意味で、言語地理学は民俗学的である。
民俗学も、言語地理学も無学な?「常民」から話を聞き、民話を採取したり、民間語源のような事象をとらえる。民話も民間語源もその地域のエピステーメーなのである。
□ 2005年12月号の『文藝春秋』は「消える日本語」を特集した。
●立身出世(竹内洋)●愛社精神(御手洗冨士夫)●おはよう(鈴木健二)●ごちそうさま(陰山英男)●おてんと様(出久根達郎)●義理人情(石井英夫)●ありがとう(ひろさちや)●武士の情け(藤原正彦)●ソコソコ(田辺聖子)●私雨(倉嶋厚)●夜なべ(青木玉)●昵懇(久世光彦)●おほほほほ(佐藤愛子)●粋と野暮(中村勘三郎)●永住町(永六輔)●きまりが悪い(坂崎重盛)●はばかり(嵐山光三郎)●親父(後藤健次)●ひもじい(吉田直哉)●「新解さん」が消した言葉(夏石鈴子)●ほの暗い(樋口裕一)●銀幕(関川夏央)●ねえや(徳岡孝夫)●もしもし(鴨下信一)>●日本の色(平松礼二)●ごめんなさい(内海桂子)
2007年に三島のメモが出てきたという記事が載った(2007年11月26日読売新聞)。
三島由紀夫(1925〜70)最後の小説「豊饒(ほうじょう)の海」4部作の第1部の題名「春の雪」と、主人公の姓「松枝(まつがえ)」が、三島自身が10代に書き写した古い歌謡にそのまま出ていることが分かった。
発見されたのは、三島が学習院高等科1年で使っていた教科書「東洋史概説」にはさんであった、半紙に書かれたメモ。薄い鉛筆書きの達筆な文字で、「松がえかざしにさしつれば/はるのゆきこそふりかゝれ」とあった。歌詞の原典は、平安末期に後白河上皇が著した芸能論「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)口伝集」にあり、該当部分は「梅が枝挿頭に挿しつれば/春の雪こそ降りかかれ」となっており、三島は「梅」の部分を「松」と表記していた。
※2009年のセンター試験の国語の第一問は「かんけりの政治学」と題された評論からの出題は政治社会学者の栗原彬のエッセイ。<かんけりは子どもたちに好まれている>というのに対して、注がついている。<この文章は一九八四年に発表された。なお、「かんけり(缶蹴り)は、隠れん坊の一種。オニが陣地に缶を一個立て、缶を守りながら相手をつかまえる遊び。オニにつかまらないように缶を蹴ると、つかまった仲間を逃すことができる」。First drafted 1999
(C)Kinji KANAGAWA, 1995-.
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