和英辞書におけるレアリアの重要性
第1章 はじめに
近年、Communicative Englishが叫ばれているが、加島(1991)が指摘するように「日本人の英会話下手は英語力の不足ではなくて、『会話力』の不足のせいだ」ともいえる。実用英会話の学校や入門書があふれているが、それらが表面的な英語力をつけるだけに終わっているから進歩がないのである。
これからはいかに話すか(how to speak)ではなく、何を話すか(what to speak)に重点を置かなければならない。これはPlain Englishを提唱する人々のキーワード、Detach ideas from wordsとも合致する。すなわち、「言葉の表面上のにとらわれることなく、その文が表現している本質的な意義をくみ取ること」、言い換えればレアリアそのものを考えることが重要だ。
拙論(1992)において英和辞書におけるレアリアの記述に関する考察をした。言語を理解するにはレアリアなしには成立しないこと、辞書にもそうしたレアリアを記述しなければ学習者はイメージがつかめなくなるだけでなく、理解の妨げにさえなる。レアリアの記述がどれほど重要かについての千野の知見を繰り返すと「言語が周囲の状況から切り離されておらず、その状況の与えるいろいろな情報と友に使用されている限り、それら周囲の状況が与える情報を間違いなく キャッチすることは、その言語を理解するうえで大切である。それに、言語そのものが伝えるものの内容がわかることは、より大切である。言語の記号が形式と内容を持つとき、その内容をよく理解するのにレアリアの知識は重要な役割を果たしている」(千野1986p.187f)
最近の和英辞書で便利になったことは『センチュリー』などは付録として「アメリカ生活情報」を載せていて「買い物」「銀行」「電話」「病気」「レストラン」に関して生活上の英語とレアリアを記述していることである。例えば、「病院」では日本人が表現しにくい一般症20状、痛みの表現や医師からのいろいろの質問を列挙している。しかし、レアリアを記述する理由はこれだけではない。
レアリアを記述するとは、例えば日本語の「甘い」の説明で「砂糖や蜜の味」と書いたり、「ばつが悪い」の説明で「久しぶりに訪ねた家で丁寧に別れを告げて家を出てから忘れ物に気づいて戻るときの気持ち」などと説明することである(なお、『岩波国語辞典第3版』【『岩波国語』と略】には「ばつが悪い」の項がない)。
別の言語でいえば、例えば、スワヒリ語のUgaliをいうのを説明するのに「とうもろこしから作られたお粥」というのではどういうものか分からない。分からなければ記号を記号として覚えるしかないのである。これに対して「東アフリカの主食の一つでとうもろこしを砕いて蒸して練り、ウイロウのようにしたものだが、味がなく、好みのおかずを付けて食べる」という具合にレアリアが記述してあれば文化に理解が深まるだけでなく、覚えやすいはずだ。
英語に関しては加島(1991)が第7章の描写話法のすすめの中で次のように書いている(レアリアとは言ってないが)。
たとえばお祭りのみこしが話に出た時、「おみこし、すなわち小さな神殿(Omikoshi-----a small shrine)などと言うだけですましてしまっては、その会話は生きものとならなくて、あなたの話はさっぱり「面白くない」と感じられることになる。a small shrineの代わりに、a miniature portable shrineと言い、さらに、それが日光の東照宮の様子と似ていて、あれの小型版だと説いたり、カトリック教のお祭りの屋台を引き合いにしたり、といった描写をすると、相手はようやく納得することになる。
例えば、「御神酒」に関して『ライトハウス』はsacred sakeと書き、日英比較で「これだけでは『聖なる酒』ということで、意味は正確には伝わらない。ギリシャ神話の不老長寿の酒(nectar)と混同される恐れもある。外国人に正確な理解を期待するためには日本の宗教的背景の説明をしなければならない」と書いてあるように言語的な説明だけではコミュニケーションは不可能なのである。
レアリアを記述するとはまた、イメージがつかめるようにすることである。英語のレアリアを記述するとは、例えば「華氏」をFahrenheitと記述するだけでない。C=(5/9)(F-32)という換算式を書くことでもなく、「アメリカで使われている温度の表示法で水の氷点を32度、沸点を212度とする温度の計り方で寒剤で得られる最低温度を0、人体の温度を96とした」とか、「90度から100度となると暑いという感じがする」などとと書くと分かりやすくなる。
「ティッシュ」のことをアメリカではtissue paperともいうが、むしろKleenexというのが一般的で日本語で「セロテープ」Scotch tape「ポリバケツ」a plastic bucketを使うのと同様、他の日用品も代表的な製品名で代用することが多く、レアリアに触れざるを得ないのである。
ここでは和英辞書に見るレアリアの記述を検討、比較することにするが、拙論(1992)で述べたこととの繰り返しにはならない。なぜなら、英和は英語を読解するためのものであり、和英は思考を英語で表現するためのものであり、語義の分析法が異なる。また、英語と日本語は1対1対応しているわけではなく、構造上のずれがあるので英語を日本語にしてまた英語に戻しても元の英語にならない、いわば不可逆的である。
なお、使用する辞書は日本の高校で一般的に使われていると考えられる『ライトハウス和英辞典第2版』【『ライトハウス』と略】『ニューセンチュリー和英辞典第1版』(三省堂)【『センチュリー』と略】『ニューサンライズ和英第1版』(旺文社)【『サンライズ』と略】『旺文社和英中辞典第1版』(旺文社)【『旺文社』と略】『プログレッシブ和英辞典第1版』(小学館)【『プログレッシブ』と略】『ブライト和英辞典第1版』(小学館)【『ブライト』と略】である。なお、英和として『ラーナーズ・プログレッシブ英和第1版』(小学館)【『ラーナーズ英和』と略】を参照する。
第2章 英和辞書と和英辞書
英作文をするときには和英辞典だけでなく、その語句が適切であるかどうか確認するために英和も併用しなさいというのは英語教師がよく指導するところである。でも、実際には両方の辞典を引くことは学習者にとって負担であるし、違う記述のある場合、学習者には判断ができない。英語の本来の意味を知るために英英辞書を使用しなさいともいうが、初心者にとって英英辞書というのは呪文が並んでいるだけである。
例えば、「ガールフレンド」を見てみよう。girlfriendというのは『ラーナーズ英和』にもあるように「(深い仲の間柄になっている」ガールフレンド、恋人、愛人」であるが、『ライトハウス』にはgirlfriendとしか書いてない。『センチュリー』や『プログレッシブ』には(☆しばしば男女関係が深いことを連想させる。ただの女友達はShe's a friend of mine.やfemale【woman】friendsなどで表す)とか『サンライズ』には(◆「恋人」の意味以外では…)と注がついている。この言葉は日本人がもっともよく使用しがちで、間違いやすい種類のもので注がついていないのは和英辞典としては誤解を招きかねない。
「フェミニスト」という言葉の説明も『センチュリー』には【女性にやさしい男性】と【男女同権論者】と分けて記述しているが、もっと踏み込む必要がある。例えば、『ラーナーズ英和』には「男女両方をさし得る。日本語の『フェミニスト』の『女性に甘い男性』の意味は英語にはない」というような注が必要である。この他、野球用語、自動車用語などや「コンプレックス」「ジュース」「ビジネスマン」「ビニール」「ヘルスセンター」「マンション」「ヨット」「レポート」などが有名だ。
英英辞書にはどういう記述になっているか見るとALD(Advanced Learner's Dictionary)にはregular companion with whom one may or may not be in love.となっている。
また、英語で「上司」という時、和英で調べてbossとだけ書いてあっても日本語には悪い含意があるので使いにくいだろう。この場合、「口語的だが、悪い語感はない」というレアリアが必要だ。
単語を1対1で考えてはいけない。「死球」hit-batterを「デッドボール」、「四球」base on ballsを「フォアボール」として定着しているし、「空室」For RentをSKYROOMとした看板を見たことがあるが、これは1対1の考えから抜けられないからである。しかし、言葉は生きていてNew York Timesで変な日本語としてあげられた、阪神大震災で有名になった「ライフライン」というのも実は94年のロス大地震以来、専門家の間で使われるようになった言葉だという。Walkmanという奇妙な英語が定着したり、『旺文社』には記述してあるように「◆ナイターは和製英語だが最近ではアメリカでもnighterが用いられることがある」のである。
また、日本にないものも英米にないものもあり、無理に訳す必要がない場合も多い。例えば、『ライトハウス』の「黄金虫」の項にはkoganemushi beetleとそのまま書かれている。『センチュリー』にはa gold bugと書いてあるが誤解を招くだけである。これは日本の「蜜柑」をan orangeというのと同じ間違いである。a mandarinと書いてあるが、『センチュリー』には『プログレッシブ』にはa mikanとあってこちらの方が正しいだろう。ただ、What is a mikan?と聞かれた時にどう答えるべきか分からない。Communicative Englishを目指すなら説明してa Japanese mandarin orangeとでも記述すべきだろう。
「〜した方がいい」という表現についても未だにhad betterで済ましている辞書がある。例えば、『サンライズ』は「方」の項にYou had better not go.をあげ、注として「◆not to go,had not better goなどとしないこと)というように受験英語用の記述となっている。『ライトハウス』の方はshould...,may as well...などもあげてhad betterには「命令的な響きがある」という語法を付けている。
英和辞書同様、和英辞書にもレアリアの記述が必要であることはいうまでもない。実際、和英が授業で使われるのは稀で英単語を思い出すための本でしかない。これを断ち切るのがレアリアである。
ただ、何でも載せればいいということもないだろう。例えば、アメリカの共和党と民主党のシンボルは和英には出ていない。これらは会話の中で実際にelephantとかdonkeyと使われることは稀なので和英に載せることはないだろう。レアリアを記述することは百科事典を作ることではないからである。
英英辞書の場合もPODのveteranにPerson who has served long esp. as a soldier or had much experienceというようにレアリアがそのまま出てくることがあるが、英語の初心者にとっては和英辞書を使う以上に難しいものがある。つまり、日本語で「高等植物の繁殖をつかさどる器官」で「花」、「きじ科の鳥。古くから広く飼い慣らされ、種類が多い。翼は弱く、ほとんど飛べない【…】」で「鶏」(『岩波国語』)と理解するようなものだ。
第3章 異文化に触れるための辞書
英語学習の目的の一つが異文化、とりわけ、西欧文化の理解にあることはいうまでもない。拙論(1992)ではこれに関して多くの事例をあげて比較しているところだが、鈴木(1991)も強調するように文化を忘れてコミュニケーションはできないのである。
ここでは同じことを繰り返さずに、別の例で検討してみようと思う。
簡単に思える表現ほど難しい。「ごめんなさい」という意味でI'm sorry.といったことが事故などの場合、過失を認めた発言として訴訟の敗北につながりかねない。他の辞書にはないが、『ライトハウス』の語法には「【…】《米》ではI'm sorry.はExcuse me.より謝り方の程度が深い。より大きな過失や罪について用いるのがI beg your pardon.であり、音調はしり下がりになる【…】」という詳しい注がある。
中学の教科書的な表現What are you?というのは実際に使用されるだろうか。例えば、『ライトハウス』の「職業」の語法には「What are you?という質問は多少失礼な言い方なので、遠慮のいらない間柄か、あるいはクイズ番組などで相手の職業をあてたりするような場合に限られる。3人称の主語でWhat is he?となるような場合はこの限りではない」としているように簡単に出てくる表現だが、使ってはいけないのである。この表現が適切かどうか英和辞書には出てこないだろう。なぜならば不適切な文は非文を示す以外は基本的に載っていないからである。
「おめでとう」という気持ちは世界共通だろうが、こうした簡単な言葉にしても英語でそのままCongratulationsというだけではだめで『旺文社』の参考のように「常に複数形、また本来努力して勝ち得たことに対するお祝いの言葉として用いられることから、結婚とか婚約の場合には男性にのみ用いて女性には用いない。女性に対してはBest wishes! Best of luck! I hope you'll be very happy.などを用いる」という記述がなければならない(『ライトハウス』などには何も記述してない)。
ALTなどの授業を受けてすぐに困るのは先生をどう呼べばいいか、ということだ。『旺文社』などには訳語がつけてあるだけだが、『ライトハウス』の日英比較のように「日本語では『先生』を呼びかけに使うが、英語ではteacherは普通呼びかけには用いない。名前を入れて『…先生』と呼びかけるときには、男には Mr....,女にはMiss...(既婚者ならMrs....)のように言う。名前を言わないときは男にはsir、女にはma'amと呼びかける」というレアリアが示してあって分かりやすい。
日本で「アメリカン・コーヒー」と呼ばれるものがあるが、『ライトハウス』や『プログレッシブ』などには何の記述もない。『センチュリー』には「☆American coffeeは『アメリカ製のコーヒー』の意。アメリカの喫茶店などではコーヒーは薄いのが普通」と書かれている。
英米のレストランでHow do you like your eggs?と聞かれることがあるが、卵料理にまつわるレアリアを知らなければ何も食べられないことになる。日本でscrambled やfriedなどを食べることはできるが(scrambledにもhamかbaconをつけるか尋ねられることもある)、poached eggは稀であるし、いきなり、up or down?と聞かれて答えられるように辞書はできていない。『プログレッシブ』にはHow do you want your eggs done?という文が書いてあるが、どういう時に使われるとか、書いてないし、料理も炒り卵とゆで卵が載っているだけである。
「金髪」という英米でよく使われる言葉にしても『ライトハウス』には語法で「【…】《米》では最近男女の別なくblondを使う傾向がある」と書いてあるだけだが、『旺文社』では参考として「blond(e)は金髪、色白、青い目を表す。brunet(男),brunette(女)は上や皮膚や目の色が黒ずんだ色の人」というレアリアを示してある。
「高貴な生まれ」という場合、どの辞書もaristocratic,noble family(line)などと記述しているだけだが、be born with a silver spoon in one's mouth./be born in (またはto) the purple.という表現をレアリアを説明して(前者は銀の匙が身分の高いシンボルだったことから、後者はvioletと違って赤色の濃い紫が高貴さを表す代表的な色だったことから)記述した方が知的な会話を楽しめるだろう。なお、『旺文社』にはHe was born of blue blood.が説明もなく載っているが、この場合も「昔スペインで黒人系のムーア人の血が混じっていないことをblueといったのが由来」というレアリアを記さなければ結局、使えないか、英和辞書を参照してからでないと使えない。
天候の表現に関してはどの辞書もコラムを設けて説明するようになっているが、例えば、その場合でも「A ring around the moon brings rain tomorrow.という全く同じ表現があるが、Rain before seven, fine before eleven.というイギリス独特の表現がある」というようなレアリアを記述した方がいいだろう。
「機会均等主義」というのを説明する場合も『旺文社』のようにthe principle of the equality of opportunityでは分かりにくく、American Dreamといえば分かりやすい。更に「from rags to richesが保証されていること」との注があればいい。
ケリー伊藤(1994p.93)の例を挙げれば、日本の許認可制度の煩雑さを説明するのに、難しい単語を並べなくてもredtape(形式的官僚主義<米の公式文書は赤いリボンでくくってあった)とひとこと言えば通じる。また、(よい意味での)波及効果の英語はspinoff、ripple effectなどが使えるがside effectというと「(悪い意味の)副作用」に相当してネイティブ・スピーカーを混乱させるだけである。
「バイオリン」に関してa fiddlerという単語も記述してあるが、例えば、「ミュージカルの『屋根の上のバイオリン弾き』はFiddler on the Roofという」というようなレアリアを記述しておけばもっと使いやすいものになるだろうし、別にこれで紙数が増えるわけでもない。
「ジャックと豆の木」という童話で育った、ということを表現しようとしてもBeanstalkが出てこない。例えば、『ライトハウス』で「豆」に関して「木」をどう言うか書いてなく、「木」の項でも「豆の木」は出てこない。「蔓」だと思って調べても分からない。『センチュリー』など他の辞書も同様である。
スペリングの比較的難しい「シンデレラ」が出ているのは『プログレッシブ』だけだ。「白雪姫」はどうだろう。『センチュリー』にも『サンライズ』にも『ブライト』にも出てない。『プログレッシブ』などには「白雪」で出ているが、この場合もSnow Whiteと書くだけでなく、ディズニー映画の小人たちのあだ名、Bashful,Doc,Dopey,Grumpy,Happy,Sleepy,Sneezyなども記載しておいた方がよいだろう。
「ピノキオ」もイタリアの原作から離れて日本人にはディズニー映画で親しいところであるが、載っている辞書はない。「ポパイ」も「ミッキーマウス」も同様である。もっとも「フランダースの犬」のように日本人には有名だが、本国の人々でさえ知らない作品もあるが…。
異文化というのは英米文化だけを指すのではない。しかも、アメリカとイギリスでは文化が異なる。文化の違いなど日本人にとって区別がつかないのが常態で「ゴーフル」gaufleというのを調べようと思って和英辞書を調べる学習者もいるはずだ。『旺文社』には記載されているが、これがフランス語であり、英米人には親しいお菓子かどうかということも記述する必要がある。「エクレア」に関しては『旺文社』にはフランス語からきたことも記載してあるだけだが、『ライトハウス』にはeclairと書き、★eはフランス語のアクサン記号として更に参考で「フランス語で『稲妻』という意味。チョコレートをかけた形が似ているところから」とまで書いてある。
最初の例に戻れば、一般的には英米では小さなことにはI'm sorry.とすぐ謝るが、大きなことには謝ってはいけないといわれる。日本人は肩をぶつけたというようなことに英米人ほどSorryということは少ないが、これに関してレアリアはどう記述すべきだろうか。レアリアの記述で注意すべきことは文化的相対主義に立って英米の文化やマナーなどを紹介すべだろう。ただ、円滑な会話という点からすると「郷に入りては郷に従え」という態度の記述も必要で最終的にはテーブルマナーなどの記述も必要になるかもしれない。百科事典になっては行けないと思うが、実際、saltに関しての迷信(後述)もあるし、「無理に自分で取ろうとしないでPass me the salt.と頼むのがマナー」だから言語はレアリアというか、語用論(pragmatics)を抜きには成立しないのである。
第4章 日英の比較文化
コミュニケーションすることは比較文化することである。同じ日本人どうしであれ、同じ学問をしている人であれ、話していると自己の文化と相手の文化が異なることに気づくはずである。まして英米人と話すことはまったくの異文化と衝突することになるのだが、日本人の多くはこの視点が欠如している。従って、日本語でいえることはそのまま英語でもいえるはず、と単純に考えてしまう。「ゴールデンウィーク」や「大安」のように英米にないものをそのまま伝えようとしても伝わらない。単語を1対1で考えるのは後述するようにコミュニケーションにおける大きな陥穽にはまることになる。しかし、レアリアに留意することなく、多くの語数を誇っている辞書はこの傾向を煽っている感じさえ与える。
例えば、「おかず」や「主食」に関して日本文化は米食文化、英米は肉食文化という考えがあるが、一般には日本の主食は米で英米の主食はパンだと思われている。これについて『旺文社』は「菜」の参考に「洋風では『ごはん』と『おかず』の区別がなく、パンはむしろ添え物で、肉・魚・野菜などが料理の中心。日本語の直訳では通じない」という記述している(むしろ、「主食」の項に必要だった)。「主食」を多くの辞書にあるようにStaple Foodとしてもあまり通じないだろう。つまり、和英辞書を使う前に文化的相対主義(cultural relativism)を理解していないとコミュニケーションはできないことになる。
「先輩・後輩」という人間関係も日本的なものであるが、『旺文社』などには訳語が示してあるだけである。『ライトハウス』は「先輩」の日英比較に「日本語では『先輩』『後輩』のような上下関係に関する語がよく使われるが、英語ではあまり使われず、例えば『あの人は私の母校の先輩です』のような場合でも、単に古い卒業生とか西暦何年の卒業生というような言い方をする場合が多い」と記述している。なお、「同級生」という場合もアメリカでは卒業年度で示すのが常であり、一致しない。
「肩が凝る」という表現を英米人はあまりしないが、「☆英米人はshoulderではなく、neckを用い、『肩がこる』はhave a stiff neckということが多い」という注が載っているのは『センチュリー』だけだ。
「見合い」などは英米になく、『旺文社』のようにan interview with a view to marrageと説明しても分からない。『ライトハウス』は訳語を最初から与えず、日英比較の説明があるだけだ。ただ、これも英語の説明を付けておいたほうが便利だし、説明を加えるなら「見知らぬ同士を会わせるblind dateがこれに近い」というレアリアだろう。
『ライトハウス』の「さしつかえ」にはdifficultyなどの訳語があり、「日英比較」として「『差しつかえない』という日本語の否定表現は英語では以上の訳語を使わないで、『よろしい』『都合がよい』というように肯定の表現で表されることが多い」という注がついている。これは表現上の問題だけでなく、文化の問題でもある。
別の例をあげると「恐縮」に関して『ライトハウス』は「日本語の『恐縮』は自己を卑下する独特のニュアンスがあり、ぴったりの訳語はない。前後関係によっていろいろに意訳する必要がある。」という注をつけている。また、『センチュリー』は(very) much obliged という訳語をあげて「☆ていねいすぎてかえって無礼にひびくこともあり、今はあまり用いない)という注がある。しかし、他の辞書はbe much obligedなどの訳語を注なしに記述している。
同様の表現はいくらもあり、「まあまあ」「ぼちぼち」「どうもどうも」「なるほど」「前向き」など日本文化の「癖」に起因する言葉が代表的である。
「では」に関して『ライトハウス』が日英比較で記述している態度が正しいだろう。すなわち、「日本語には『では...』とあるからといって、英語の訳にもそれを自動的に入れるというように直結して考えないほうがよい。例えば、『ではまた会いましょう』の『では』は、これをWellと訳すよりも、特に訳さず、全体としてI'll see you./See you later.とすべきである。もちろん、場合によってはWellを入れてよいこともある。つまり、常に日本語と英語を1対1で対応させないことが大切で、『ではさようなら』をWell,good-bye.とすぐ訳してしまうような考えをしないようにすべきである。」
日本語には調子を和らげる目的の助詞・副詞類が頻繁に使われて日本独特の「曖昧な」表現の典型とされているが、『ライトハウス』には「日本語の消極的表現」(pseudonegative expression in Japanese)として例えば「お茶でも飲みませんか」「この電話をちょっと貸し手いただけませんか」などを欄外に取り上げている。
ただ、こうしたコラムは重要だし、便利であるが、項目の中でなく、前書きというか「和英辞書の使い方」という箇所で記載すべきであろう。
「何番目」というのも英語ではいいにくいといわれているが、『ライトハウス』には「なん」「何番目」の項に“What number president of the U.S. is Mr.Bush?” “He's the forty-first president.”という例を挙げている。『ブライト』や『センチュリー』にはどちらの記述もない。『サンライズ』にはHow do you stand【rank】in your class?という例文があるだけで「何代目」という場合、どういえばいいのか分からない。『プログレッシブ』には「代」の項にWhere does F.D.Roosevelt stand in the order of American presidents?という例文が載っている。
「うそ」というのも日本語でよく使う表現であるが、日本人は外国人の話の相槌として「ウソ!」というニュアンスでIt's a lie.と使ってしまうが、英語のlieには故意に他人をだまそうという悪意を含んだ語で『ラーナーズ英和』の語法にあるように「lieは日本語の『うそ』の語意よりずっと強い意味をもっており、侮辱を表すのが普通であるので、用いる時は注意が必要」である。『旺文社』などにはなんらレアリアが記述してないが、『ライトハウス』は「日英比較」として「日本語の『うそ』にひかれてDon't lie to me.とすると意味が強くなりすぎるので注意」としてI don't believe it.という表現を当てている。ただ、もっと口語的に相当する表現はReally?だろう。
特に問題となるのが英語本来の意味と異なるもので言語学でいう「偽りの友人」(faux amis)である。有名な和製英語はそれでも有名だから誤解を避けることができることもできるが、知られていないものは誤解というか、ディスコミュニケーション(discommunication)の元である。
例えば「プロフィール」に関して『旺文社』などには訳語しか書いてないが、『ライトハウス』の日英比較には「profileは本来『横顔のスケッチ』の意であるが、人の『簡単な伝記的記事』のことをいうので死亡記事を連想させることがある」と記述している。
「ナイーブ」に関しても『プログレッシブ』などにはnaiveとしか記述していないが、『センチュリー』にはsensitiveという語が与えてあるだけでこのままでは「ナイーブ」という英語はないのか、特にフランス語から借用しているので学習者は迷ってしまう。これは『ライトハウス』の日英比較のように「日本語では『純粋な・繊細な』というよい意味で用いられるが、英語では普通『(考え方などが)単純な・未熟な』という悪い意味」とすべきである。説明が長くなるから学習辞書にはムダであるというならむしろ載せない方がいい。
この他、ベテランなど日本で主に使われている意味と英米で主に使われている意味が違う語彙もあり、これらに対する注意も必要だ。例えば、『ライトハウス』には訳語として「(熟達者)expert,man with extensive experience」が与えてあり、日英比較として「英語のveteranは単独では普通『除隊になった軍人』の意味で使われる。ただし、形容詞としては『熟練した』の意味で使われることがある」という記述をしているが、『プログレッシブ』や『ブライト』などには「a veteran;(熟達者)an expert」と記述してあるだけでこれでは誤解を招きかねない。
最後に、土居(1971)が提唱して日本文化のキーワードになっている「甘え」はどうであろう。どの辞書にも記述、説明はない。これはAnatomy of Dependenceとして翻訳され、ライシャワー夫人によってto seek to be babied.と説明されているものだ。「恥」や「罪」についても多くがshame/sinと書いてあるだけであるが、『ライトハウス』の日英比較には「日本語の『恥』とshameは一致している部分も多いが、国民性や習慣性の違いにより食い違っている部分もある。例えば、質問に答えられなくて『恥をかく』などはshameではなく、『困惑する』(be embarrassed)に相当する。一般に英語のshameは倫理・道徳上不名誉なことに限られる」と比較文化研究家にも参考となることも書いてある。日本人が日本文化を説明できないということがよく指摘されるが、こうしたキーワードを積極的に載せるべきであろう。
第5章 和製英語の諸問題
日本人が陥りやすい誤りの原因が和製英語にあることが多い。英語の形をしていて英語ではない、違う意味をもつ、通用しないといったものである。
和製英語として知られたものには「アイスキャンディ」Popsicle,「ガソリンスタンド」gas station,「クラシック」classical,「オートバイ」motorcycleなどがある。
『ライトハウス』には「和製英語」というコラムがあり、「英語の単語を日本語流に組み合わせた造語」「英語の一部を省略したもの」「日本独特の造語・合成語・混成語」「英語本来の意味と異なるもの」に分けて説明している。ただ、例えば「シャープペンシル」について「★商標名のEversharpから」という注がついているが、「シャープペンシル」の項にこうした記述はない。
例えば、「OL」に関して『プログレッシブ』にはan office workerとあるだけで学習者は「女性事務員」ということを伝えたいのになぜ、ladyを使わないのか分からないままに取り残される。この点、『センチュリー』にはa female office workerとあり、(☆OLはan office ladyの略したものだが、いずれも和製英語)という注がある。しかし、これに対して『ライトハウス』は日英比較として「…英語では特別に必要のない限り性別をせず、office workerまたはclerkを用いるのが普通。もっともそれには、代名詞を用いれば、he,sheで性別が判明するという事情も絡んでいる。また、secretary,typistなどと具体的に言うことが多い」と踏み込んだ注を付けている。
ケリー伊藤(1994p.26)もPlain Englishのすすめで書いているが、抽象的な単語より具体的なものを話さなければならない。つまり、“He is a remarkable person.”という代わりに“He is a language genius.”“He speaks five languages.”というように具体的に話さなければならない。日本でははっきり物事をいわないのが美徳とされているが、こうした文化が英米では通用しないことが明記されるべきであろう。
Communicative Englishで必要なことは日本語でいえても英語ではいえない表現があることを知ることである。例えば、「オールドミス」に関して『プログレッシブ』は「(年配の)old maid★軽蔑的;spinster」と記述し、語法として「後者は法律用語などでは用いられるが、一般にはunmarried womanが用いられる」としている。『センチュリー』は訳語を全く示さないで注として「(1)これに当たる適当な英語はないが、『彼女はオールドミスだ』という場合、たとえば次のようにいう:She is still single./She is not yet married.(2)中年、年配の未婚の女性に対してan old maid, a spinsterを用いることもあるが、いずれも軽蔑的で今では避けられる。(3)×an old miss,×a high missは和製英語」と記述している。
和製英語ともいえないかもしれないが、日本人の使う英語、例えば看板や衣服、装飾品などに書かれている英語に誤りが多いことが知られている。
「クリスマス」をXmasとせずにX'masとするのは日本人の陥りやすい誤りの一つだが、『プログレッシブ』などには《略Xmas》とあるだけで誤用だという指摘がない。
例えば、富山市に「シェヌー」という洋服店があったが、看板に“shie,nu”と書かれてあった。これが、フランス語のchez nousに由来するであろうことは恐らく誰にも分からないだろう。陳腐になった言葉を前景化する(foregrounding)ことはどこでも見られる行為であり、日本語以外の言語を使用するのは理解できるが、誤りの多いのは別の次元である。つまり、和英辞書がもっと機能していればこうした誤りが避けられるのである。
第6章 Communicative Englishとレアリア
和英辞書を使用する目的は自分の意志を外国人に伝えることであるが、英作文の宿題のためにときどき使われるだけというのが実態である。Communicative Englishの立場からするともっと活用されなければならないのに社会人でも忘れた英単語を調べる時に使うだけだ。第2章で指摘したように和英辞典に不適切な記述があると相互理解を妨げるだけでなく、誤解を生み、コミュニケーションが円滑にいかない恐れがある。それはアメリカで理容店に入って“Please cut my head.”というようなものだ。
一方、拙論(1992)であげたintimateに関しても英和辞典では注がついていることが多いが、和英となると問題が多い。『センチュリー』の「親密な」を見るとclose,intimate(慣れ親しんだ)としか書いてない。『サンライズ』にあるように(◆intimateはしばしば性的に親密なことを意味する)という注がなければ、学習者は基礎語彙のcloseよりもより高級に思えるintimateを不用意に使う可能性がある。
問題は和英辞書の多くが日本語と英語を注をつけずに1対1に記述していることだ。例えば、『サンライズ』のように(なお、この語【著者注downtown】は狭義の「下町」と違って商業の中心地をさす)という注が付いていても「下町 downtown」という単語が最初に書いてあって誤解を招きやすい。『センチュリー』のようにthe traditional shopping and entertainment districts (of Tokyo)となっているものがあるが、『岩波国語第3版』にあるような「都会の低地の町で、店や小工場などが多く集まっている区域」とは定義が少し違っている。
反対の「山の手」はどうかというと『ライトハウス』にa hilly sectionとあるだけで、むしろ、『センチュリー』のuptownの項に「☆日本語の『山の手』の持つ上品さはない」と注意する方が便利である。
「急がば回れ」Make haste slowly.と「善は急げ」Make hay while the sun shines.というように全く反対の意味をもつものがあることわざも使うのが難しく、英米でさえA rolling stone gathers no moss.が別の意味で使われることはよく知られている(『ライトハウス』は米と英ではなく、新旧の違いにしている)。例えば、『ライトハウス』の「実践」の項にPractice what you preach.「自分の説くところを実践しなさい」の日英比較として「この英語は日本の『医者の不養生』に当たることわざとして用いられる」と記述しているが、こうした記述は大切である。なお、『ラーナーズ英和』のhayの項には背景として「牧畜を営む地方では干し草作り(haymaking)が最も重要とされる」というようなレアリアを載せているが、こうした注がないと他国のことわざは理解しにくいものである。
話すことがいつまでも挨拶だけで終わってはならないが、外国人とあるテーマについて話そうとするとき、重要なのは人名や地名などの固有名詞であることが多い。例えば、絵画が趣味だとしてゴッホの話題を持ち出すのに「ゴッホ」といっても英米人には理解されないことが多い。というのも彼らにとって「ゴッホ」は「ゴーグ」というのが普通だからだ。「ナポリ」や「フィレンツェ」も同様だ。英和で調べようとしても、固有名詞というのはシャガールChagallのように各国語に通じていなければスペリングさえ浮かばないものである。更に、英語の発音となると日本で通用している名前とかけ離れていて学習者にとって大変な隘路となる。同じ日本人でも英文法学者Jespersenも言語学者は「イエスペルセン」というが、英語学者は「ジェスパースン」と発音して混乱することがある。人名は『センチュリー』には載っていないし、『ライトハウス』には裏表紙にわずか載っているだけである。載っていてもスペリングが書いてあるだけで発音は英和辞書を参照しなければならず、二度手間で共に記載すべきである。なお、Woddy Allenの主演・監督映画である「マンハッタン」(Manhattan)の中で主人公が「ゴッホ」【 】を「ゴーグ」【 】と発音する人がいるが、馬鹿だというシーンがある。
また、「寿司」の説明として『センチュリー』にはsushi,(説明的に)vinegared rice with fish, shellfish,or vegetablesと書かれているが、これは「説明的」ではなくて説明しているのであって学習者が求める単語ではない。寿司は『ライトハウス』の囲み項目「食事」の「さしみ」の注に「★英米では生魚は食べないのが普通であるので、異様に感じる人が多いが、最近はsashimiという言葉だけで、ある程度理解してもらえるようになった」と記述しているが、sushiとだけ記述してこれにまつわる英会話の例を載せた方がCommunicative Englishに適っている。
いずれにしろ、必要なのは説明的な語ではなく、レアリアの注釈と外国人に対する説明の仕方である。『旺文社』のThings Japaneseのように英語による説明がついていればCommunicative Englishにもっと有用である。『旺文社』はじめどの辞書にもないが、『ライトハウス』の「前世」の日英比較には「キリスト教にはない考え方なので、さらに説明を要する場合がある」としているが、実際の説明がほしいところである。
寿司を説明するにも寿司が唯一の日本料理ではなく、例えばどんなときに食べられるのか、日本の古典的なファーストフードだとか、日本では高い料理の代表だと思われているとか、回転寿司があるとかといったように話題を広げなければ意味がない。
『旺文社』にはこうした配慮がなされており、説明としてSushi is a popular Japanese dish. Slices of fresh fish, seafood, vegetables,etc. are arranged on beds of rice mixed with vinegar. The most popular is nigirizushi or sushi made with small oval shaped rice balls. The common ingredients are tuna, cuttlefish,and prawn. It is now very popular among Americans as diet food.
英米にはないと考えられる「忘年会」などはどうだろう。『ライトハウス』などにはa year-end partyと書いてあるだけだが、『旺文社』には説明でIn mid or late December, Japanese office workers have a special party called bonenkai which literally means a party for forgetting the year. Restaurants and bars are busy at this time. And late trains are crowded with drunken workers.と記載している。
学習者が日本語と英語を1対1で使わないためにはこうした工夫が大切である。ジョンソン博士の英語辞書のoat,lexicographerの定義や用例の中でもdullにto make dictionaries is dull work.とあるように記述の中に主観が入るのもある程度仕方がないことである。ただ、『旺文社』の「中元」の説明に People present a gift to relatives and superiors as an appreciation of the service they have received.と書いてあるが、このままで英米人に理解できるかどうかは怪しい。というのも『ライトハウス』の「餞別」に書いてあるように「欧米では餞別に金銭を贈る習慣はない」からである。
更に日本の歴史に関する話ができるだろうか。映画「将軍」から日本文化に入る人も多くなっているが、説明しろ、といわれて説明できるだろうか。また、例えば、日本の治安の良さは太閤の「刀狩」にあるという話をできるだろうか。「参勤交代」というようなことを説明しようとして和英辞書でできるかどうか。実際、どの辞書にもそうした記述はなく、英会話が深みを失っている原因となっている(ドナルド・キーンは“alternate-year attendance at Yedo”としている)。こうした深みのなさが英米人に日本人は彼らを英会話の機械のように扱っているとの不満を生むのである。もちろん、これらは日本文化を紹介する本に記述すればいいことかもしれないが、あまりにも文化発信型の辞書になっていないことに注目せざるをえない。
ある語にまつわるレアリアをもっと記述すべきで場合によって格言、引用句や詩だろうし、ある場合にはI scream,You scream,We all scream for Icecream.などというコピーかもしれないし、クイズかもしれない。更にジョークなども必要であろう。なぜならば『ライトハウス』の「冗談」にあるように「英米では、jokeは社交術の一つになっていて、jokeの本も多数出版され、それを勉強する人も多い」からである。
だから、「日本人」の項に「岡倉天心がアメリカでお前は黄色い顔をしているがWhich nese are you?と聞かれた時、Which keys are you, Yankee,monkey or donkey?とやり返したという話がある」というようなジョークは書いてもいいのではないだろうか。
映画や漫画を話題にしたいと思っても全く通じないことが多い。これは原題と邦題が違いすぎるのも一因であるが(cf.拙論1980)、和英に記述がないことも大きい。「鉄腕アトム」をIron Arm Atomといって通じるはずもない。アメリカではatomに「おなら」の意があるとして敬遠されてAstro Boyとなったのである。94年現在でも日本で「ジューレンジャー」といっていた特撮ドラマがアメリカでPower Rangersとしてリメイクされて人気を得ているが、記述がなければ話しようがない。『ラーナーズ英和』に「ゴジラ:日本映画(東宝1954- )から世界中に知られる怪獣」と記述されているゴジラはどうであろうか。やはり、どの和英辞書にも記述がない。せっかく日本人が世界に誇れるものがあっても話題にしようがない。
レアリアに関連してパラフレーズがもっと記述されなければならない。例えば、「看護婦」というのもただa nurseと書くだけでなく、an angel in whiteというような言い替えが必要で「ニューヨーク」に関してもN.Y.と省略されるというだけでなく、big appleというニックネーム、「推理小説」もmystery(古い言い方はa detective story)だけでなくwhodunit<Who done it?も記述するのだ(『旺文社』には記載)。「たとえば、“out of attention”“ignore”“neglect”などを会話の中でポンポン言い換えられるのと、そうでないのでは、会話への参加の度合いに雲泥の差がある」ケリー伊藤(1994p.94)のである。単語だけでなく、Blundell et al.(1982)のように表現のバリエーションにも留意したい。
婉曲表現(euphemism)、つまり、実状とは反対(tell it like it isn't)のことを述べるだが、一つにはコミュニケーションを円滑にするため、もう一つはパラフレーズの幅を広げるために重要である。例えば、dieをpass awayというのはどの辞書にも載っているが、「葬儀屋」を調べると多くのfuneral director,undertakerとだけ、『旺文社』にはこれにmorticianというのが書いてある。実際には、これがラテン系の言葉でundertakerより穏やかに聞こえるためにより多く使われているのだから注意が必要だろう。
最後に「トイレに行きたい」をどれだけ婉曲にいえるか和英辞書で調べてみる。例えば、I want to pluck a rose.とかNature calls me.などという「気の利いた」表現が知られるが、『センチュリー』にはMay I use【×borrow】your bathroom?だけ、『サンライズ』と『ブライト』には全く同じWhere is the rest room?/Where can I wash my hands?『プログレッシブ』には後者の文のみが記載されている。『ライトハウス』にはしかし、トイレの説明として「(個人宅の)bathroom」として参考で「本来浴室のことだが、英米の個人の家のトイレは浴室と同じ部屋にあるのでこのように呼ばれる」と説明し、更に話法で「Where can I wash my hands?(どこで手が洗えるでしょうか)なども使われるが、このような表現は年配の人が丁重に聞くとき以外は使われなくなってきている」と記述している。
第7章 各辞書の比較
第1章で挙げた辞書をレアリアの記述という観点から少し比較してみたい。
「虹」について。『ブライト』にはrainbowと『プログレッシブ』と同じ用例「◇空に虹が掛かっているThere is a rainbow in the sky.」と書いてあるだけで他の辞書も同様である。「虹色の」に関しては『ブライト』にも『プログレッシブ』にもrainbow-coloredとiridescentが出ているが、後者は普通の会話で英米で通用するとは思えず、また、Irisの故事を知っていて初めて使える語彙である。『センチュリー』には「虹色の」がなくて「虹の七色」としてthe seven colors of the rainbowをあげているが、虹を英米人が7色と思っているとは限らないことはよく知られた事実であり、誤解を招く。レアリアの記述としてWordsworthのRainbowなどが引用されていれば更に便利だろう。
「サイン」について。『旺文社』などには訳語が当ててあるだけだが、『ライトハウス』には日英比較として「日本語のサインは英語からの借用語であるが、下図【…】のように少なくとも3つの英語に対して使われている点に注意」としてsignature(手紙・書類などの)autograph(記念のための)signal(警告・命令の)としていて分かりやすい。
「手料理」について。「手料理」について例えば、『センチュリー』にはa homemade【home-cooked】 dishというように記述してあるだけだが、『ライトハウス』には日英比較として「英米では一を招いたりするときに、日本のように店屋物をとるという習慣はなく、また手料理が最も喜ばれるので、日本語の『手料理で申し訳ありません』というような表現は英語には直訳できない」としている。
NVCのうち、「お辞儀」について。『プログレッシブ』には訳語と用例があるだけだが、『センチュリー』には「☆bowはあいさつとしてのおじぎというより、尊敬・崇拝・感謝・服従を表す動作。ただし女性が男性に、または女性同士の場合には握手をせずに軽くおじぎをすることも多い」という注がついている。『ブライト』の意味の違いには「bowは会ったときの挨拶の意味ではなく、尊敬・崇拝の気持ちをこめたて(ママ)お辞儀をすることを言う。日本語の『挨拶』の意味のお辞儀を言うときはgreetingが近い」と書いてある。『サンライズ』の説明には英語が書かれてあり、訳(省略)もついている。The Japanese do not shake hands very often, but rather bow to each other. Bowing is used in greetings, expressing gratitude or apology and also when makin requests. There are different ways of bowing, depending on the situation----deep and shallow bows.と書いてあり、さらに写真の注には When bowing in Japan, the deeper the bow the better.とまで書いてある。Some Japanese often bow on the phone.くらい書いてもいいかもしれない。
「立つ鳥跡を濁さず」について。『ライトハウス』は「濁す」のこの項の参考に「このことわざにぴったりの英語はなく、直訳ならWhen a Swimming bird takes flight, it does not muddy the water.意訳ならI don't want to leave bad memories behind me.のようにすればよい。なお、英語のことわざでIt's an ill bird that soils its nest.は『自分の身近な者に害を加えるのは愚かである』の意で、『立つ鳥跡を濁さず』とは意味が違う」としている。
「虫の音」について。『ライトハウス』は「音」の日英比較で「英米では日本と違って虫の音が風流であるというような考え方がない。従ってこの文【I listened to the chirping insects.】の表現する内容は日本人が受け取るのとは違った印象を英米人に与える。特に『虫』の訳語insectがハエとか蚊、さらにクモ・ダニ・ノミなど、人間にとって好ましくないものを連想させる語であることに注意する必要がある。」としており、「虫」の日英比較でも「【…】昆虫・みみず・むかでなど足・羽などのあるなしにかかわらず、いわゆる『虫』を総称する表現がなく、次ページの図【…】に示すように、大きく分けて昆虫類と足のない這い虫とに単語が2分されていることに注意【…】足のないぜん虫の類(みみず・さなだ虫など)や、うじなどは特に区別してwormという。日本語では『ぜん虫類』は日常レベルの語ではないので、図では( )をつけた【…】」などときわめて詳しくinsect,bug,worm,vermin,mothについての説明をしている。
いくつかの辞書を比べると現在のところ『ライトハウス』が最もレアリアの記述に気を使っているといえるが、類義語に関しては『センチュリー』が詳しいが、英語を使った用例に関しては『旺文社』が詳しい。ただ、『ライトハウス』は文字が小さく、コラムが離散しているので使いにくいし、個々の例をみるとまだまだレアリアの記述が足りない。
第8章 Communicative Competenceと辞書製作
Communicative Englishに和英辞書がどれだけ対応しているだろうか。
例えば、どの辞書も発音記号を載せていないが、 実際の会話で使うにはいったん英和辞書で発音を確かめなければならず非常に煩雑である。童話作家アネルセンを和英で調べてもAndersenだけで日本の通名アンデルセンと発音しかねない。Communicative Englishというならばやはり記載すべきであろう。紙数が足りないと言うならばせめてCODやPODのように長音記号、短音記号、アクセント記号というような補助記号を記述すべきだろう。例えば、glad'iator、ptarmi'gan(t-)というように。なお、『センチュリー』や『ライトハウス』には時々注意すべき語の発音が載っている。
日本紹介は和英辞書でなく、「英語による日本紹介」というような本を使うべきだという議論は間違っている。日本の事物を紹介する時も例として紹介の仕方を併記しておく工夫も必要であろう。実際、多くの辞書で相当する語と説明と判別できない記述も多い。寿司くらいなら知らない外国人は少ないと思うが、「カレーライス」はどうだろう。多くの辞書のようにcurry and rice とだけ記述するのはよくない。『サンライズ』には説明としてCurry was originally an Indian dish, but it has been completely Japanized.It's not as hot as Indian curry, and it's served with Japanese food such as fukujinzuke,pickled vegetables and pickled scallions.…と記述している。Communicative Englishを唱えるならば語法や説明的な訳語を与えるだけでなく、こうした実際の説明を増やすことが大切である。判子などもsealという語を当てるのではなく、hankoとして説明を加える方が実際の使用では使える。『センチュリー』の「印鑑」(口語ではない見出し語が多いのも問題)には「☆英米では公文書など以外では通例署名だけですまし、日本のような印鑑の習慣はない」としているが、これからの国際化社会に対応するには「日本の生活には外国人にもハンコは必要」といった踏み込んだ記述が必要になってくるかもしれない。
実際に学習者が好みそうな話題の単語は載っていないのが実状である。もっとup-to-dateな内容を盛り込まないとダメで、それは出版された瞬間に古くなるといわれる辞書には避けがたい問題かもしれないが、例えば、『最近の話題から』というような別冊を付けることで対応ができると思う。
また、和英辞書の多くが語源を記していないが、実際に使用する時は語源を知らないと使いにくいものである。例えば、apple polish「胡麻擂り」というのも語源が分かれば使いやすいし、応用もできる。1対1の呪縛から逃れるためにも語源が必要である。詳しくする必要はないが、POD程度の記述が必要である。記述も小項目ではなく、大項目主義で作った方が話題を広げることができる。また、「コンセント」に関しても『ライトハウス』のように「concentric plugからの和製英語」のような注が重要である。
レアリアと直接関係はないが、パラフレーズをもっと記述すべきである。「パソコン」にpersonal computerだけでなく、よく使われる省略形のPCなども記述すべき。
例えば、『旺文社』には「不従順」という項があるが、これは『岩波国語』にもない項目であり、不用意な日本語を用意するのは問題がある。『岩波国語』にはあるが、「然りとは」のような古い表現を項目に選ぶのもよくない。和英辞書がそのまま使えないという理由の一つに古い表現、口語的でない表現が紛れ込むこともあげられるが、日本語が不適切だったら英語が適切なはずがない。英和には古語や方言や俗語などが記載されることもあるが、和英は現代の共通語が中心でなければならない。
非文(ungrammatical sentence)の記述も大切だ。「オールドミス」やMay I borrow your bathroom?のように日本人が間違いそうな表現があることにもっと注意すべきである。
更にNVC(ノンバーバルコミュニケーション)に関してももっと記述すべきであろう。例えば、spilling salt(塩をこぼすこと)は不吉なこととされていてこれ自体、注意すべきことと記述すべきだが、万が一、こぼしてしまった場合もthrow a pinch of salt over the left shoulder with the right hand.(右手で塩をひとつかみして左の方から投げる)によって悪運を払うことができる。こうしたレアリアは英和にも和英にも記載すべきであろう。
Communicative Competenceを高めることが要請されているが、現在の和英辞書の多くは未だに日本語に相当する単語を記述する、あるいは英作文の参考書というレベルに留まっているといえる。『サンライズ』は「対話」と会話、『旺文社』には日本的な事物の英語による説明を載せているが、実際の英会話例をもっと掲載すべきである。更にこれからのマルチメディア時代を考慮するとe-mailなどの実例も記述すべきであろう。
辞書に対して新語が載っていないとする批評は忍足(1982p.165)にあるように「どんな辞書でも、そこに収録されていない語というのはあるもので、そこをつついてもあまり意味がないし(辞書の一番重要な面と直接関係ないから)、それを指摘するのは用意だから、そういうことに重点を置いた書評は概してお座なりなものだと言ってよい」だろう。新語に関して『旺文社』のテーマ・分野別関連表現には「高度情報化社会」や「コンピューター」(こちらは『ライトハウス』にもある)のコラムがあり、後者には汎用コンピューター、パソコン、関連用語が載っており、さらにBASICのコマンドとステートメントの例まで載せてあり、英和辞書にもない内容(すなわち、自然言語だけでなく、機械言語を取り上げている)で必要性を抜きにすれば新しい試みである。ただ、この辺りの語彙は急激に増えつつあり、分野も広がっているので付録の中で取り上げるべきものであろう。実際、「マルチメディア」「インターネット」「プロトコル」「DOS/V」「マッキントッシュ」などが載っている辞書はない。
英米文化を読解するための英語(部族語としての英語)ではなく、国際社会における手段としての英語(国際語としての英語)を表現するための辞書が望まれる。そのためには実際のシチュエーションを考慮した、レアリアを記述した辞書が必要である。
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