金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


音と文化

「ツクツクホーシツクツクホーシばかりなり」---正岡子規



 かつて笹川良一というオジサンがいてテレビのCMで「人類みな兄弟」と言った。それでいて同時に「戸締まり用心」などといっているので訳が分からなくなった。

 一体、他人や異民族に対してそんなに楽観的でいれるものなのか、不思議に思う。

 たとえば、聴覚というごく普遍的な、生理現象にしても、文化によって随分と違うのである。日本人は食事をするとき、音に対して寛大というか、全く気にしない。それどころか音をたてて食ぺなければ落ち着かない。これが多くの外国人にとって堪えられないものであるらしい。これはどうもマナー以前の問題で、生理的に拒絶されるものなのだ。僕らがガラスを発泡スチロールでこすった時の音を嫌がるのと、ほぼおなじ感覚のようだ。

 ドナルド・キーンの『声の残り 私の文壇交遊録』(朝日文庫)にはキーンが『麦と兵隊』の火野葦平をニューヨークのフランスレストランに案内した時の話が出ている。火野が持っていた大きな手拭には赤と青で河童の絵が描いてあって、それだけで恥ずかしいのに、フランス語のメニューを全部訳せ、とか注文の変更をした後、届いたスープを「ナイアガラの滝音にも負けぬくらい」の音を立てて啜ったという。これは一つのポーズ、つまり、日本の「単純素朴な一庶民の役どころわざと演じて、自作に登場する兵隊を地でいこうとした」のだとキーンは考えた。

 全然関係ないが、子どもたちが小さい頃、一流レストランで食べる羽目になってしまい、子どもたちが騒ぎ始めたのだが、大きな声で注意もできず、生きた心地がしなかったのを思い出した。ドナルド・キーンもそんな気持ちだったに違いない。

 外国人と一緒にラーメンを食べたことがあるが、何だか奇妙なのだ。そのうち、それが相手の食べ方のせいだと分かる。まったく音をたてすにラーメンをすすっている。うまそうな音を出さずに食べて本当のおいしさが分かるはずもないと思えるし、第一、食べようがない。それに倍の時間かかかる(寿司にしろ、納豆にしろ日本料理は出来た瞬間が物をいうのだ)。

 向田邦子の『阿修羅のごとく』では出遅れていた三女・滝子の恋人で勝又という男が父親の恒太郎の家に下宿することになる。その日の食卓では、恒太郎と滝子という親子のなかに、他人である勝又が入ってきたという様子が音で演出されている。

 恒太郎は、ゆったりと箸を動かしているが、滝子は意識して堅くなっている。
 勝又は極度に緊張している。
 三人、無言で、黙々と食べる。時々、皿小鉢のふれ合い。
 勝又、たくあんを噛む。
 バリバリと大きな音がしてしまう。
勝又「あ――どうも」
滝子「あ……」
恒太郎「いやあ……」
 声とも言葉ともつかないやりとり。
 勝又、音を立てまいとして、気をつかって、そっと噛む。
 かえって、ポリッと大きな音を立ててしまう。

 同じように『蛇蠍のごとく』でも父親の修司が娘の不倫で動揺している場面で、タクアンの音を出さないように気を使っている弟の高に対して「年寄りじゃあるまいし、いい若い者が、タクアン、歯の上手で、しゃぶる奴があるか! タクアンてのは、食うとき、音が出るんだよ、バリバリバリバリバリ、遠慮しないでやれ!」と苛立ちをあからさまにする場面がある。89

 つまり、日本人は音まで食べているのだ。麺類のほかにも、「ぱりぱり」とかむ漬物、「ばりばり」とかじるかきもち、「さらさら」と流し込むお茶漬けなど、日本には音の文化がある。ただ、最近では洋風の食事が広がってきたことから、ご飯や漬物、米菓などをあまり食べない若者が増えて音の賞味もだんだん日本人から遠ざかっていくような気がしてならない。

 芭蕉も音に敏感で、たくさんの音の名句を残している。

古池や蛙とびこむ水のをと
水とりやこもりの僧の沓の音
ほろほろと山吹ちるか瀧の音
閑かさや岩にしみ入る蝉の声
むざんやな甲の下のきりぎりす
塚もうごけ我泣く声は秋の風

 2008年に王監督の三女・王理恵と本田医師が婚約を解消したが、本田医師は「習慣の違いとか、例えば、おそばを食べる時に音を立てないようにするとか、直します」と話したことからマナーが原因だったと想像できる(台湾は音を立てないのかしら?)。

 音がなくては、味が半減してしまう。これを知っている日本びいきの外国人は日本にきてから音を出す練習をする。ただ、結構難しいものらしい。

 もっとも、伊丹十三監督のラーメン・ウェスタン『タンポポ』で作法教室の先生・岡田茉莉子がレストランでスパゲティの食べ方を生徒に教える。もちろん「音をたてないように」だ。と、近くで大きな音がする。見ると、イタリア人が豪快にずるずるかき込んでいた。品は良くないがおいしそうだった。

 たて琴(harp)の音は日本人に不快だとは思われないが、英語のharp onは「くどくど繰り返す」という不快なニュアンスを含む(If you don't give him an answer immediately, he'll harp on it for weeks.「彼にすぐに返事をしないと、何週間もくどくどとそのことを言われますよ」)。たて琴の同じ弦だけを何度も鳴らす所作に由来するとの説もあるという。一日本語では感動することを「琴線に触れる」と美しく表現するから、harp onの語感とはずいぶん違う。

 鹿島茂は「人類はみな麺類か?」(『モモレンジャー@秋葉原』文藝春秋)でフランス語などでは「すする」に当たる言葉がないことを指摘した後、次のように書いている。

 私たちの斜め前の座席にすわったフランス人女性がスパゲッティを注文した。私はフランス人がいったいどうやってスパゲッティを食べるのか興味があったので、大いに注目しながらスパゲッティの到着を待った。やがて、大きな皿に盛られたスパゲッティが運ばれてきた。

 さて、これをどう食べるのか?

 その女性は、ナイフとフォークをおもむろに手に取ると、左手のフォークでスパゲッティを押さえてから、右手のナイフで「井」の字形に何重にも切り刻んだ。そして、そのあと、フォークを右手に持ち替えて、ショート・カットされたスパゲッティをマカロニをすくうようにしてフォークの腹にのせて口に運んだ。

 あまりに驚いたので、もしかすると、その女性は例外なのかもしれないと思いかえし、在仏経験の長い日本人何人かに問い合わせてみた。答えはみな同じだった。それがフランス人のスパゲッティの食べ方であると。

 なるほど、これでフランスのスパゲッティがあれほどにまずい理由がよくわかった。彼らはスパゲッティを麹として味わう必要がないから、煮方などはどうでもよく、いわんや、喉越しとか、歯ごたえなどは問題とならないのだ。

 かくして、結論。

 イタリア人は「すする」ことはできないが、少なくとも麺をおいしく食べる方法を知っているのだから、「麺類」である。しかし、フランス人はいささかも「麺類」にあらず、である。人類がみな麺類であるわけではないのだ。

 さらに鹿島茂は『神田村通信』(清流出版)でいう。

 しかし、たとえ、すすることを習得したとしても、彼らは、そのあとで、もう一つの困難に遭遇する。麺を食べることと、スープを飲むことを交互に行なって、同時進行的にドンブリを空にするという作業ができないのである。つまり、麺がなくなったときに、スープも同時になくなっているというかたちで、ウドン、ソバ、ラーメンを食べ終えることが苦手なのである。

 そんな話から「食事の音は気にするのに鼻をかむチーンというのを気にしないなんておかしい」とワルシャワ大学からの留学生のロムアルド・フシチャ(Romuald Huszcza)君【後にワルシャワ大学教授】にいったことがある。

 彼は反論して、ポーランドで鼻をチーンとかむのはやはり不作法だといいだした

 一緒にいたドイツ経験の長い桜井さんが「いや、ドイツではコンサートの最中でも大きな音でチーンとやる〕と切り返した。フシチャ君はドイツみたいなところは知らないが、とにかくポーランドでは恥ずかしいことなのだ、と言い張った。

 この疑問が氷解したのは随分あとのことである。岩城宏之『棒振りの休日』(文春文庫)の中に「ドイツ風鼻のかみかた」という話がのっていた。ある留学生がカゼをひいてコンサートに行った時の話だ。

 「横の席にデブデブのドイツじゃがいもババアが座ってやがってさあ。始まって二、三曲たったらいきなりハンドバッグからクリネックスを二枚ひっぱり出して、手真似でオレに鼻をかめ、とよこしやがったんだ。とっさのことだったし、歌と歌との短い合間だったから、オレはそっと鼻をかんだんだ。それだけでも失礼きわまりないのに、ババア、もっと強くかめ、強く、強くと、手真似どころしやない、顔真似、鼻真似をしやがるのよ……」

 という具合にその日本人はドイツを嫌いになってしまうのだ。つまり、ドイツのお婆さんにとってチーンという大きな音は気にならないのだが、クスンクスンと鼻をならすのがたまらなかったのである。ビーとかプワーッというのはドイツ人にとって存在しない音であり、むしろ喧しく出さない方の音に罪悪感があるのだ。

 別の機会に岩城が放送録音をしたとき、コントラバスの誰かのプワーッという音がテーブに入っていてノイズだかちやり直そうといったら「ああ、これか、これは鼻をかむ音だからいいんです。放送に出してもなんてことはありません」とあっさり断われたという。しかしながら、岩城の経験ではポーランドではコンサートの最中にビーッは聞こえてこないというから、ヨーロッパを一緒くたにして考えるのは悪しき欧米崇拝の影響である。

 N響の鶴我裕子も『バイオリニストに花束を』(中央公論新社)「花粉アラモード」でライトナーやヴァントが大きなハンカチの「空いた場所」で大きな音を立てて鼻をかんだことを紹介し、次のように書いている。

 白人界では、たとえライブ・レコーディングでも、ハナをかむ音はOKということになっているそうだ。逆に、タブー中のタブーがハナをすする音で、私たちが何気なくたてる「シュン」という音に、凍りついてような顔をする。たぶん、「おお神よ(オーマイガ)、何たることだ。ここはかくも未開地です。どうか、私の仕事が彼らの無知にもかかわらず、遂行されますように、アーメン」ぐらいは思っているだろう。どうでもいいけど、両鼻いっぺんにffでかむのは、すごく耳に悪いと思いますよ。

 どうでもいいけど、あのハンカチはどうなるのだろう。どうも汚ならしくてみえてならない。旅行中の紳士はホテルに帰ってからあのハンカチを一人で洗面器にいれて洗うのだろうか。何だかひどく寂しい風景である。ハンカチも汚ないが、それを入れるポケットも何だか汚ならしくみえてきてしょうがない。まあ、風呂とトイレを一緒にしたり、オシメを便器で洗う文化なのだから本当に厭になる。

 鹿島茂『上等舶来・ふらんすモノ語り』(文藝春秋)によれば、フランス語のハンカチ“mouchoir”には「洟をかむための道具」という意味【moucher「洟かむ」】であり、現在でもフランス人はハンカチをこの用途で使っていてエチケット違反ではないという。クシャミの語源は「嚔(くさめ)」で、中世の日本ではクシャミをすると鼻から魂が抜けると信じられており、クシャミをすると寿命が縮まると信じられていた。そこで早死にを避けるため「糞食(は)め」(クソ食らえ)という呪文を唱えるようになって、クシャミと呼ばれるようになった。クシャミを罵った日本人と欧米人はは彼岸の差がある。

 フランスにハンカチというものが誕生したのは、ルイ十四世の宮廷であるといわれている。この時代、新大陸からさまざまな事物がもたらされたが、なかでタバコは大きな論蝋をまきおこした。パイプでタバコを吸う人は、煙を撒きちらす上に、痰を吐きだすので、エチケットを重んじる宮廷では毛嫌いされた。これに対して、鼻の奥に粉末のタバコを吸い込む嗅ぎタバコは、まわりの人の迷惑にならないばかりか、クシャミを誘発するというので大歓迎された。クシャミはアリストテレス以来、幸運をもたらす吉兆と考えられ、また体液の循環を刺激するとみなされていたからである。

 しかし、クシャミをすれば、当然、洟(はなみず)や唾(つば)が飛び散る。そこで、ハンカチというものが考え出されたのである。驚いたことに、これ以前には、フランス人は手で洟をかんでいたらしい。

 やがてインドからインド更紗が輸入されるようになると、フランスの宮廷人たちは、この高級な布地のハンカチを見せびらかすために、嗅ぎタバコを吸ってはクシャミをするようになった。上等なクシャミの仕方についての指南書まで現れた。

 一度、イギリスのダイアナ妃がまだスペンサー嬢だった頃のインタビューを聞いたことがある。舌打ちをよくするのだ。僕は「チェッこの程度の女か」と思わず舌打ちをしてしまった。

 日本で女の子があんなことをしたら、はしたないと、とがめられるのがオチだ。大体、日本のミッチー(美智子様)は鼻濁音ができないと池田弥三郎に指摘され、慌ててレッスンを受けたことがあった。どうも英国人は舌打ち音を気にしないらしい。いやむしろ日本人の方が特殊なのかもしれない。ベトナム人は感動すると舌打ちをするというし、いわゆる吸着音(click)という舌打ち音が音素として十二種類もあるブッシュマンたち(コイ・サン語族)は会話のしようもなくなる。

 食事の話に戻れば、『アラビアのロレンス』(『ベン・ハー』だっけ?)ではげっぷをしないと食事が終わったことにならない、ということを教えるシーンがあるし、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)では妹のフィービーがげっぷの仕方を習ってホールデンの前でやってみせるシーンがある。

  " I'm taking belching lessons...' she said. I heard something, but it wasn't much. 'Good,' I said."

 日本人は「シーン」などと沈黙なども音にして楽しんでいる。歌舞伎では大太鼓の音でドン、ドン、ドンと低く静かに響かせれば「雪」の表現になる。以前は関東では早く打つ粉雪、関西ではややゆっくりで大粒の感じと、東西で違っていたともいう。

 歌舞伎におけるこうした擬音効果を鳴物(なりもの)といって「鳴物入り」というと大げさな宣伝のことをいうようになった。下座音楽(「げざ」といってオーケストラ!)の三味線以外の楽器で、それを用いた囃子(はやし)。大鼓・小鼓・太鼓・笛の四拍子と大太鼓を中心に大拍子(だいびようし)・本釣り鐘・銅鑼(どら)・チャッパ・駅路などの補助楽器がある。 近くに山があることを感じさせる「ドロン、ドンドンドン」という山おろしの音や、ご存知、お化けが出てくるときの「ドロドロドロ」など、大太鼓ひとつでも創意工夫が多数あるという。

 お化けのドロドロにも、基本型のほか、幽霊がうらみごとを言う場面などに使われる「薄ドロ」、退散場面などに使う「大ドロ」があるというから奥が深い。

 そして、その伝統は日本の漫画にもしっかりと伝えられていて、日本人は音に敏感な民族なのである。

 トイレの音についても日本はうるさい。「音姫」というのはTOTOが88年に発表したヒット商品で(09年までに100万台も売れた)、流水音が流れ、排尿音や衣(きぬ)ずれ音を消して節水に貢献するという。2009年に売り出された「ケータイ音姫」は「音姫」と同じ音源データを使い、自然でクリアな流水音が流れるという。

 日本人はたいそう虫の音が好きで、秋の夜長を楽しむ。万葉集』にも7首あるという。その1首が「影草の生ひたる屋外(やど)の夕陰に鳴く蟋蟀(こほろぎ)は聞けど飽かぬかも」。平安時代になると殿上人たちが京の嵯峨野辺りを行楽し、マツムシやスズムシを捕まえては宮中に献上した。

 これに対して、欧米人は虫の音を楽しまない。映画『ラストエンペラー』で晩年の溥儀が故宮で子供のころ隠したコオロギを見つける幻想的シーンがある。鳴き声を楽しむのかと思っていたが、中国人はコオロギ相撲が好きだったのだ(瀬川千秋『闘蟋(とうしつ)−−中国のコオロギ文化』大修館書店)。余談だが、試合の前に交尾させると雄が強くなるという。雌コオロギにも「あげまん」やその反対がいるそうだ。

 つまり、音が直接楽しめないのだ。スズムシとかコオロギとか、日本人が容易に聞き分ける音が全て単なる雑音にしか間こえない。例えば、池田摩耶子の『日本語再発見』(三省堂新書)では川端の『山の音』の一節「八月の十日前だが、虫が鳴いている」というのをアメリカの学生に分からせるのはどんなに大変かという話が出てくるし、藤原正彦『古風堂々数学者』(講談社)には滞在した米スタンフォード大学教授が「あのノイズ(雑音)は何かね」と聞いたという話が載っている。 

 ただし、イソップの「蝉と蟻」(「キリギリスと蟻」の原形)では鳴き声を芸術と捉えているのだから外国人がみんな同じということはない。明治以降来日したヨーロッパ人が、内藤高の『明治の音』(中公新書)は我が国に特有の音(例えば下駄の音、三味線の音色)に対してどのような反応を示したかを追跡した本田が、蝉の鳴き声についてフランス人のピエール・ロティが「騒音」と感じたのに対し、ギリシャ人?の小泉八雲が「音色」として聞いたことを対照的に描いている。

 小泉八雲はツクツクボウシの泣き声を「鳥の歌そっくりの歌いぶり」とどこかで書いていたし、「草ひばり」(平川祐弘編『日本の心』講談社学術文庫)は小さな虫の小さな運命に心を寄せた文章になっている。小さな鈴をかすかに震わせたように「フィリリリリ」と鳴くクサヒバリは、体長わずか1センチに満たない小さなコオロギの仲間である。朝や昼、とくに早朝に強く鳴くことから朝鈴との異名もある。だが、八雲が飼っていたクサヒバリは日が沈むころに鳴き始め、一晩中鳴き続けた。虫売り商人にはクサヒバリは9月の下旬には死ぬといわれたが、書斎をストーブで暖めると11月になってもまだ鳴いていたという。結局のところクサヒバリは使用人の手違いで餓死するが、小さな虫は自分の足を食べながら死の前夜も歌い続けていた。

この旅果てもない旅のつくつくぼうし---種田山頭火

 八雲の「虫の演奏家」(『日本の心』)では、虫売りの歴史から秋の虫の種類、虫の調べを詠んだ詩歌の数々を紹介し、虫たちの声と共鳴し合う日本人の繊細な心の営みに深い共感を示した。「日本の文学はもちろん家庭生活でも虫の調べに与えられている地位の高さは、西洋人にはまだ未開発の方面に日本では美的感受性が育っていることの証しとなろう」「(日本人)みなが好む虫の調べにはいずれもリズミカルな魅力か、あるいは詩歌や伝説でたたえられた何かに似た質がなければならない」という。八雲自身はスズムシやマツムシ、キリギリス、カンタン、クサヒバリなどを買って庭に放して、声を楽しんでいた。

 鳴く虫を売買する「虫屋」という商売があることにも興味をおぼえ、虫の値段を調べあげた。虫の音を鑑賞する習慣のない西洋人は、美的感受性が未発達であるとまで言っている。八雲はそれらを詩人の営みと重ね合わせて書いたのだ。

 小泉節子の『思ひ出の記』にはマツムシの音を楽しんだという話が出てくる。

 ヘルンは蟲の音を聞くことが好きでありました。この秋、松蟲を飼つて居ました。九月の末のことですから、松蟲が夕方近く、切れ切れに、少し声を枯らして鳴いて居ますのが、常になく物哀れに感じさせました。私は「あの音を何と聞きますか」と、ヘルンに尋ねますと「あの小さいの蟲、よき音して、鳴いてくれました。私なんぼ喜びました。しかし、段々寒くなつて来ました。知つて居ますか、知つて居ませぬか、直に死なねばならぬと云ふ事を。気の毒ですね、可哀相な蟲」と淋しさうに申しまして「この頃の温い日に、草むらの中にそつと放してやりませう」と私と約束致しました。 

 桜の花の返り咲き、長い旅の夢、松蟲は皆何かへルンの死ぬ知らせであったような気が致しまして、これを思うと、今も悲しさにたえません。

 日本ではスズムシやマツムシを庭に放って音色を楽しむことは平安貴族から始まり、『源氏物語』にも出てくる。鎌倉時代に編まれた『古今著聞集』にも天皇の命を受け、お付きの者たちが馬に乗って嵯峨野へ虫捕りに出掛けたことが記されている。江戸時代後期には専門の虫売りも登場し、明治期にはスズムシ三銭五厘、マツムシ四銭、カンタン十銭、エンマコオロギ五銭などと値段が付いていたという。

 エンマコオロギの鳴き方には三種類あるという。一つは仲間に自分のいることを知らせる「本鳴き」(「呼び鳴き」「ひとり鳴き」)であり、二つ目は雄同士が争う時の「争い鳴き」(「おどし鳴き」)で、もう一つがメスに切々と思いを訴えるような鳴きかたの「誘い鳴き」(「くどき鳴き」)である。

 鳥の声にしても同様で、日本人は「聞きなし」といってホオジロが「一筆啓上仕り候」とか、地方によって「源平つつじ白つつじ」、ウグイスなら「ホウホケキョ」とか鳴いてるように聞く(「ス」は鳥の意味で「ウグイ」は泣き声だという語源説がある)。平安時代の人々は「ヒトク」と聴いた。光孝天皇に「ひとくとけさはうぐひすぞ鳴く」というのがあり、「人来」に掛け、恋しい人が訪れる心弾む予感をその擬声語に重ねている。当時の「ヒ」は「ピ」に近かっただろうから、今の日本語で考えてはダメだが。

 ホトトギスの「てっぺんかけたか、特許許可局」も有名だし、焼酎のコマーシャルで知られるようなったのがセンダイムシクイの「焼酎一杯グイー」。フクロウは「五郎助奉公、ボロ着て奉公」、オオヨシキリは「仰々しい、仰々しい」、メジロは「長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛」、コジュケイは「ちょっと来い、ちょっと来い」、ツバメは「土食って虫食って渋ーい」、ジュウイチは「慈悲心」、イカルは「お菊二四、四六二十四」、エゾセンニュウは「錠ピンかけたか」と鳴くことが知られている。

 ゴイサギは平家物語(巻第五朝敵揃)において、醍醐天皇の宣旨に従い。捕らえられたため正五位を与えられたというところから名づけられたという。 能楽の演目「鷺」はその五位鷺伝説に由来する。

 延喜御門、神泉苑に行幸あッて、池のみぎはに鷺のゐたりけるを、六位をめして、「あの鷺とッて参らせよ」と仰ければ、いかでか取らんと思ひけれども、 綸言なればあゆみむかふ。鷺、羽繕ひして立たんとす。「宣旨ぞ」と仰すれば、ひらんで飛びさらず。これを取ッて参りたり。 「なんぢが宣旨にしたがッて参りたるこそ神妙なれ。やがて五位になせ」とて、鷺を五位にぞなされける。 「今日より後は鷺のなかの王たるべし」といふ札を遊ばいて、頸にかけてはなたせ給ふ。 まッたく鷺の御料にはあらず、ただ王威の程を知ろし召さんがためなり。

 ところが、幸田露伴が『音幻論』で「五位鷺は五位を授けられたからといふのは後世の附會で、鳴く聲がゴイと聽えるからであろう」と書いている。つまり、鳴き声から名前になったということで、ほとんどサギだったという話。

 一緒に酒を飲んでばかりいた先生だが、横井清の『的と胞衣(中世人の生と死)』(平凡社ライブラリー)には日本人が古くから鳥の声で吉兆を占ったことが出てくる。その中で、宣教師コリャードの話が紹介されていて、鳥啼きの悪さを「不吉の予兆」として気に病むこと自体が、キリシタンとしては「ゼンチョ」(異教徒=仏教徒)の「悪習」とされたという。

 更に、コノハズクが「ブッポウーソー」と鳴くのは「仏法僧」を表しているとか、九州筑紫の人が長い旅に出たところ、途中で病気になり死に、その霊がセミになって「筑紫恋し、筑紫恋し」と鳴いた。それがツクツクボウシ、という話が生まれてくる。「美し、美し」と聞いた人もいれば、「つくづく惜し」と聞いた人もいれば、「つくづく憂し」と聞いた人もいる。クマゼミは「然(し)か然(し)か」、ミンミンゼミは「見う見う(会いたい会いたい)」という人もいる。

 鶏の鳴き声は、黒田龍之助の『にぎやかな外国語の世界』(白水社)によれば、フランス語「ココリコ」、ドイツ語「キケリキ」、イタリア語「キッキリキ」、ロシア語「クカレク」、チェコ語「キキリヒ」、クロアチア語「ククリく」、リトアニア語「カカリク」、カンボジア語「コキカエクー」、中国語「ウォウォウォ」(全部高く平らに発音)だそうだ。ちなみに、英語のコオロギcricketは「クリケクリケ」というオノマトペが語源らしい。

 鶏は最初から「コケコッコー」と鳴いていた訳ではない。明治36年(1903年)に作られた国定尋常小学読本巻2に鶏は「コケコッコー」と鳴きましたとある。日本で「コケコッコー」が活字になって出てきた最初で、子供がそれを覚えそれが伝わって日本中の鶏が「コケコッコー」と鳴くようになった。つまり、制度化されたオノマトペだったのである。

 制度化されたオノマトペがない場合、そのまま音を出すことがあるという。西江雅之先生の『ことばを追って』(大修館)の中で次のようなことが書いてある。

 東アフリカのウガンダに滞在中に、わたしが新鮮な驚きを持ったことの一つに、子供たちの本の音読があった。

 子供たちを見ていると、読み方が上手な子もいるし、たどたどしい読み方しか出来ない子もいる。そういう子供たちが本を読み、「……そこでライオンがウォーッとほえました」という箇所に出会うと、彼らはその吠え声を言葉で読むことをせず、本物のライオンを真似て特別な声をつくり、言わば実際に吠えてみせるのだった。本の中の言葉を、音読中に犬に出会えば犬のような吠え声を出し、ニワトリに出会えばニワトリのような鳴き声を出して表現する。日本の子供のように、「ワン・ワン」とか「コケコッコー」という文字を単なる言語音で発するだけではないのである。【…】

 セミの声、コオロギの声などという種類のものは、日本語での単語の意味としては声の一種であることには違いないが、ここでの声の定義によれば、それらは口から出るものではないので、声ではなくて“音”の領域に入るものであるということになるだろう。

 ちなみに、ファーブルはセミがとまった木の根元に、村役場から借りてきた大砲2門を据えつけて空砲をドカ〜ンと撃つ実験をしてみた。ところが、セミは何事もなかったかのように鳴き続ける。だから「セミは耳が遠い」とファーブルは推理している。だから鳴くことで何かを伝えている訳ではなく、生きている歓びを表現していると考えた(『完訳ファーブル昆虫記』集英社)。生きる歓び!

 清少納言は『枕草子』四一段で「虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし。螢。」と書いているが、 少なくともひぐらしの鳴き声を愛でるのは僕には分からない。カナカナ蝉とよばれる鳴き声はうるさくないか?

 煮えた豆の声が聞こえることもある。『徒然草』第六十九段には性空上人【しょうくうしょうにん】の次のような話が出てくる。

 書写の上人は、法華読誦【ホツケドクジユ】の功積りて、六根浄にかなへる人なりけり。旅の仮屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎からぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、辛き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆殻のばらばらと鳴る音は、「我が心よりすることかは。焼かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。

 電車の音を聞きなすこともある。読売歌壇にはこんな歌が載ったことがある。“たそがれの電車の響きは繰り返す「なに言うてんねん、なに言うてんねん”(武富純一)。京急の「2100形」と「新1000形」電車は「歌う電車」と呼ばれたが、これは独シーメンス製のモーターだった。電子楽器のような音色を奏でた。誰が名付けたのか、「ドレミファインバーター」と呼ばれていた。 「ファ・ソ・ラ・♭シ・ド・レ・♭ミ・ファ・ソ〜」に近いことも判明して京急の依頼で、この音階を取り込んだ曲をロックバンド「くるり」がつくったという。

 これは何も日本人が自然傾斜しているからばかりでないことが、最近ようやく分かってきた。日本人は動物の声も自然の音も全て言語と同じ左半球で受容しているのであるが、外国人は情緒に考えられる泣き、笑い、歎き、母音などの人の声や動物の声などを雑音と同じ右半球で処理している。このような大脳半球の働きの違いが日本人の感じかたを外国人と異なるものにしているという説が角田忠信によって唱えられてきた。

 日本人は脳の使い方がほかの国の人とちがい、言葉の音を鳥の声や雨の音などといっしょに左の脳で聞き、右脳では、洋楽器の音、機械の音や雑音などを聞くだけである。
 これに対してほとんどすべての外国人は、左の脳で聞くのは言語の音ぐらいで、その他の自然音や楽器の音はすべて右脳で聞く。
 日本人と同じようなのは、地球上でわずかにマオリ、東サモア、トンガなどのポリネシア人だけである。

 この説が『月刊言語』に載った時は衝撃的だったし、その後、大修館から本が出され、安部公房などははまってしまったし、独自の日本人観をもっていた湯川秀樹ものめり込んだ。まとめると次の通りである。

左 脳 右 脳
脳の性格的な違い
言語脳
優位脳
論理的(ストレス脳)
理性(デジタル的)
イメージ脳
劣位脳
直感的(リラックス脳)
感性(アナログ的)
学習的な違い
顕在意識(意識)
理解・記憶を求める
段階的に少量ずつ受け入れる
低速で受け入れる
直列処理する
手動処理
意識処理
潜在意識(無意識)
理解・記憶を求めない
一度に大量を受け入れる   
高速で受け入れる
並列処理する
自動処理
無意識処理

 これに対してはグロータース神父などの批判がある。また、だから日本語には擬声語、擬態語が発達したんだという短絡した説を出す人もいるが、韓国人は日本人とは処理する半球が違うのに韓国語は日本語と同様に擬声語、擬態語が大変に発達しているから一概には言えないのである。それに、鳴く虫の仲間は日本には120種も分布しているが、イギリスなどでは15種くらいしかいないとされる。慣れてないだけなのかもしれない。

 小泉八雲は目が悪かったこともあって音に敏感だった。最初に泊まった松江の大橋川端の旅館で、夜明けとともに聞こえてくる橋を渡る下駄の音が、ハーンにこの東洋の神秘の国を忘れがたくさせた。「kara koro」と「足早で、楽しくて、音楽的で、大舞踏会の音響にも似ている」(『神々の国の首都』)と書いている。八雲が白魚の吸い物を食べたときのこぼれ話が残っている。椀のふたを取り、耳を傾けていたハーンは傍らの夫人に「この魚、泣く」と告げた。実は、漆塗りの器に熱い汁を注いだとき、ジイと音を立てることがあり、白魚の泣く声と思い、驚いたらしい。

 西川正也『コクトー、1936年の日本を歩く』((中央公論新社)によれば、詩人のジャン・コクトーもまた虫の音(コオロギと書いているが、クツワムシだったようだ)を愛したそうで、一緒にアメリカに向かったチャップリンも驚いたと『自伝』で書いている。

 シンシア・カドハタの『きらきら』には次のような文章があり、鳴き声を愛でるのだということが分かるが、名前から分かるようにカドハタは日系三世である。

リンはわたしに、世界をそうやって見ることを教えてくれた。世界はきらきら光っていると。コオロギやカラスの鳴き声も、風の音も、そんなどこにでもあるものが【…】。

 外国人には音が分からないなどということはなさそうだ。林望と茂木健一郎の『教養脳を磨く!』(NTT出版)によれば、小泉信三の書いた文章にあるそうだが、セオドア・ルーズベルトは大統領を辞めたらバードウォッチングをしたいと思っていたのだが、イギリスに行った時に打診していたら、グレイ外相が自分で案内するといって港に着いた時に二人でどこかに消えてしまったという。20時間後に現れたのだが、ひたすらバードウォッチングをしていたという。ルーズベルトはグレイがあらゆる鳥の声を知っていることにびっくりして、グレイはグレイで、ひとたびルーズベルトに鳥の声を教えると間違いなく次から聞き分けたことにびっくりしたという。

 また、ラヴェルはルナールの『博物誌』からコオロギなどを作曲している。

蟋蟀(こおろぎ)   Le Grillon 岸田国士訳

この時刻になると、歩きくたびれて、黒んぼの虫は散歩から帰って来、自分の屋敷の取散らかされている所を念入りに片付ける。
彼はまず狭い砂の道を綺麗(きれい)にならす。
鋸屑(おがくず)をこしらえて、それを隠れ家(が)の入口のところに撒(ま)く。
どうも邪魔になるそこの大きな草の根を鑢(やすり)で削る。
ひと息つく。
それから、例のちっぽけな懐中時計を出して、ねじを巻く。
すっかり片付いたのか、それとも時計が毀(こわ)れたのか、彼はまたしばらくじっと休んでいる。
彼は家の中へ入って戸を閉める。
永い間、手のこんだ錠前へ鍵(かぎ)を突っこんでみる。
それから、耳を澄ます――
外には、なんの気配もない。
しかし、彼はまだ安心できないらしい。
で、滑車の軋(きし)む鎖で、地の底へ降りる。
あとはなんにも聞えない。
静まり返った野原には、ポプラの並木が指のように空に聳(そび)えて、じっと月の方を指さしている。

 チェリストのパブロ・カザルスは1971年の国連演説で「カタルーニャの小鳥たちはピース、ピースと鳴きます」と語った。カザルスが好み、自ら編曲もしている「鳥の歌」はスペイン北東部カタルーニャ地方に伝わるクリスマスの祝い歌で、いつも、祖国スペイン、とりわけ生地・カタルーニャ地方への、カザルスの熱き思いとともにあった。

 真実が分からない僕らは右脳・左脳するしかない。

 ただ、注意してほしいのはこの手の話が単純ではないことだ。日本人は虫の音を楽しむからといって優れている訳でも何でもない。ただ、虫の音を聞き分けるというだけの話である。

 日本語で動物や鳥の鳴き声は「鳴く」「啼く」とか「泣く」だけだが、英語ではざっと70位はあるといわれる。鳥だけ見ても、小鳥はsing,chirp,twitter、鴬や雲雀はwarble、鷹はscream、鵲(カササギ)はchatter、そして鸚鵡(オウム)はtalkするものである。

 日本語が鳴き声文化に優っている訳ではない。

 いま、こうしてジャズのレコードを間きながら、この文章を書いているが、人によってはジャズがうるさいとしか映らないかもしれない。カラオケにしたって同じで歌っている本人はうまいと思っているかもしれないが、周囲には全く雑音でしかなかったりする。感性の合わないものは騒音でしかない。

 ある人のナチュラル・ギターの演奏を聴いていて、その静寂さに驚いたが、ギターを弾く時の雑音が入っていることで、より静かに聞こえたのだと思う。

 音楽的感性は違うだろう、と良くいわれる。ヨーロッパと日本とアフリカでは違うと信じている。しかし、なだいなだも『民族という名の宗教』の中でいうように、ヨーロッパの民謡に日本の言葉をつけて全国の子供にそれを習わすと、いつの間にか共通の記憶となり、それを歌えばジーンとなる。それが何であれ、共通の価値観を持たせれば「同じ」日本人が出来上がる。『ビルマの竪琴』に出てくる「埴生の宿」がそうだろうし、「蝶々」だってドイツ民謡(スペイン民謡?)だし、「おたまじゃくしは蛙の子」だって「リパブリック賛歌」という賛美歌なのだが、忘れられ、日本人の心性の中に深く入り込んでいる。

 こんなことは何も聴覚に対してだけでなく、視覚に対してもあることで、全く文化の違いによるものである。たとえば、虹の色を日本人は七色だと思っているが、欧米人は六色だと思っていたり、知らなかったりするし、太陽の色も日本人は赤、欧米人は黄色だと信じている。それに虹を見ると日本人は何か新鮮な、洗われたような気分になるが、マサイ族の人々には不吉な予兆に映るのだ。

 これらは全て、私達が文化の乳を飲んで育った証拠なのである。

 外国語を学んだり、異文化に触れたりすることは自分にもうひとつの新しい眼をもつことである。

【『信天翁』第12号 1985年3月初出】


注:

 随分古い文章で「人類みな兄弟」といっていた笹川良一は亡くなってしまったし、ブッシュマンもニカウさんが来てからポピュラーになった。今では差別語となったのでコイサンマンと呼ばなければならない。

 ダイアナ妃も当時書いていたような下品さが裏目に出たのか離婚した。チャールズとの折り合いの悪さの原因はダイアナの教養のなさだったという有力な噂もあるのだ。何しろ、チャールズはどこかの国で生卵を投げつけられても動ぜず、“I like fried eggs better than a raw egg.”と言えるユーモアの持ち主なのだ。

 ということはダイアナの離婚を予言したエッセーだったのである

 実はダイアナは親の離婚が原因とかで中高とも中退していて、保母もアルバイトだった。クラシックのコンサートでは眠ってしまうこともしばしばでチャールズとは興味がまるで一致しなかった。

 しかし、ダイアナがあんな風な悲劇的な結末を迎えるとは思っていなかった。人生いたるところに大穴があるのだ。結局、チャールズは王になれそうもない。もともと、チャールズという名前はチャールズ一世が王制を一度だけ打ち切られた時に処刑(1649年)されたという運命の人だった。だから、王様になれない名前だったといえるのだ。

 角田説もその後本人の講演を聴いたことがあるが、今では知らない人がいないくらいになった。講演はとても上手なプレゼンテーションだった。

 ドナルド・キーンは『思い出の作家たち』(新潮社)の中で、安倍公房が角田の研究を資金面で援助した話を紹介している。

これ【角田理論】を安部は、日本語の基礎的な性質を明かす新発見であるとして興奮し、自分がなぜ大のオペラ嫌いなのかもこれで説明がつく、とおどけて証拠立てるのだった。その後、多くの学者が角田を大ぼら吹きとして非難した。当の実験を巧く行えるのは角田ただ一人だったからだ。そのうえ別の学者(主に非日本人)はこの実験を、日本人が自分たちの独自性(ユニークネス)を強調したがる傾向の嘆かわしい実例であると見なしたのである。こうして角田は非難に疲れ果て、安部の支援むなしく実験を断念することになってしまった。

 ダイアナは小学校を訪ねた時に成績の悪い子がいて、私も同じよと慰めて、インテリではないと思っていたのだが、新井潤美『不機嫌なメアリー・ポピンズ イギリス小説と映画から読む「階級」』(平凡社新書)を読んでびっくりした。アッパークラスはインテリではない、という。「インテリは非イギリス敵である」というのがイギリス人の自分たちに当てはめるステレオタイプだ。ちょっと意外だけれど、とある公爵夫人などは年末の読書アンケートなどで「今年読んだ2冊のうちでもっともよかったのは……」などとわざと答えるという。エリザベス女王の愛読紙が競馬新聞、というのが不思議なのだけれど、これもそう言うことなのだろう。そして、次のように書いてあった。イギリスは深い!

【…】また、故ダイアナ妃がチャールズ皇太子と婚約したときに、「学校の勉強はけっして得意ではなかった」と、小学校の教師が語っても、それは非難ではないのである(ダイアナの学歴は中学校卒業相当だった)。

 文中のフシチャ君は今やワルシャワ大学の教授になっていて日本語、韓国語、ベトナム語の入門書をポーランド語で出している。桜井隆さんも東大講師を経て明海大学の助教授になり、南アフリカなどで研究している。

 ジャズをよく聞いていたのも懐かしい。

 OCRソフトを使って昔の文章を取り出すのはまるで氷を溶かすような感じがする。ずっと冷凍されていた文章をもう一度解凍して味わったようである。でも、すごい間違いに気づかない。

 なお、人類学者の川田順造は音文化論について、さまざまな発言をしている。『コトバ・言葉・ことば』(青土社)によれば、モシ族の人々は音を人の声か器官か動物の鳴き声かなど発音体による区別をせずに、「コエガ」(メッセージとしての音)と「ブーレ」(意味のない音)に分けているという。

 その後、日本人の脳についてMRIなどの最新器機が出てきて、見直されている。

  右脳と左脳との左右差をもたらしていると見られるたんぱく質を2003年五月に九州大大学院の伊藤功・助教授らの研究チームがマウスを使った実験で見つけ出した。 左脳は言語処理や論理的な思考をつかさどり、右脳は直感的な状況把握に優れているが、なぜこうした違いが生まれるのかは、ほとんどわかっていない。研究チームは、神経細胞がほかの神経細胞から信号を受け取る時に、受け皿の役目を果たす細胞表面のたんぱく質(NR2B)に着目。海馬という部分を調べたところ、右脳と左脳では神経細胞にあるNR2Bの分布に明らかな違いがあった。

 このたんぱく質は、記憶の形成に欠かせないと考えられており、分布の違いが左右の脳で記憶する情報の違いに結びついていると見られる。NR2Bたんぱく質が多い部分は、記憶が形成されやすい性質を持つことも確認できたが、言語処理、論理的思考などの様々な左右差を、NR2Bで説明できるのかは今後の研究課題だという。

 村上春樹『村上ラヂオ』の「リストランテの夜」には求婚するかしないかという、幸せそうなカップルが近くにいたことが紹介されている。

 しかしそのような約束に縁取られた美しい雰囲気も、プリモ・ピアットが運ばれてきたときに文字どおり雲散霧消してしまった。というのも、その男が「ずるずるずる!」というすさまじい音を立てて、パスタを喉の奥に送り込んだからだ。本当に本当に圧倒的な音だった。季節の変わり目に一度、地獄の大門が開け閉めされるときのような音。それを耳にして僕も凍りついたし、ウェイターもソムリエも凍りついた。向かいの席の女性もしっかり凍りついていた。すべての人が息をのみ、すべての言葉を失った。でもその当事者の男性だけは、無心に、ずるずるずると、いかにも幸福そうにパスタをすすり続けていた。

 あのカップルはその後どのような運命をたどったのだろう。今でもときどき気になる。


 木田元は『ピアノを弾くニーチェ』(新書館)で芥川龍之介が「芭蕉雑記」で同じ春雨でも蕪村の「目に訴へる美しさ」、芭蕉の「調べ」の高さを比較しているとし、更に嗅覚型の柴田宵曲、触覚を含めて広く諸感覚の交感を歌った松岡青羅を紹介している。最後の句は五感が見事に交響しあっているという。

春雨や人住みて煙(けぶり)壁を洩る   蕪村
春雨や小磯の小貝濡るるほど       〃

春雨や蓬をのばす草の道         芭蕉
無性さやかき起されし春の雨       〃

にんどうの花のにほひや杜宇(ほととぎす)宵曲
闇の夜になの花の香や春の風       〃

らにの香や碁盤の面(おもて)打かすり  青羅
らにの香やをとろへ初(そむ)る日の移り 〃
薄霧に花の香あらんけふの月       〃
何所(どこ)やらに花の香すなり小夜時雨 〃



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