金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)

 

名前と人間 (珍名の街)

  

【プライバシー注意】

     

      世界とは時代とは数限りなき固有名詞の羅列にすぎぬ
                    ------藤原龍一郎

 星野富弘 「へくそかずら」(『風』)

 町も人も 美しい名前が多くなりました
 でも 何だか疲れます
 ここに 小さな花があります
 「へくそかずら」といいます

 「へくそかずら」
 呼べば心が和みます
 「へくそかずら へくそかずら」
 「へくそかずら へくそかずら」
 つぶやきながら
 夕べはぐっすり眠りました

 アーノルド・シュワルツネッガーのそれはいささか長め。マイケル・J・フォックスのそれはちょっと短め。マドンナには、それがなく、ローマ法王はそれをもう長年使っていない。それって何?【答】


 これまでの姓氏に関する本には歴史的なもの、珍名中心のものに二分されてきた。言語学の対象ではなく、好事家のものか面白本に限られてきたのだ。

 岩波新書から言語学者・田中克彦の書いた『名前と人間』という本が出た。今までなぜ言語学が固有名詞を扱わなかったか書いてあり、同時に学問の本質を考えていて大変面白い本である。

私の中にはいつの間にか学問についての二種類の区別ができあがっていた。一つは、固有名詞で埋めつくされた、風通しの悪い「不潔な学問」、もう一つは、ものごとのことわりだけをひたすら扱う、固有名詞のいらない「清潔な学問」、あるいは知識について「潔癖な学問」である。

 ただ、彼の本には首肯しがたい部分も多い。固有名詞で埋め尽くされるのは西洋文化のおかげであって科学そのものの功罪ではない。というのも西洋ではeponymous word(名祖語 なおやご)というものが多く、人名が普通名詞になることが多いのである。例えば、boycott,cardigan,guillotin,colt,sandwichなどであるが、同様に街や施設や、そして法則などに人名を付けるのが一つに文化になっている。

 この本で姓名学の本質を掴もうとしても少し無理があるので、ここではもっと分かりやすく名前、特に名字について考えようと思う。

 いずれにしろ、人間は生きている時間のほとんどを「名前とともに生き、苦しみ、争ってきたと言えるのである」(田中)。


 僕の名前は金川(かながわ)という名前だが、ありそうでなかなかない。名前を説明するときには「お金があっても川で流される」と説明しているが、金山とか金沢とかいう名前だったらよかったのにと思う。

 富山県(89年版五十音別電話帳)では306位で滑川市41、富山市27、立山町7、新湊市5、魚津市5で富山県東部に多い。ただ、うちの親戚はない。一方、富山県西部にあるのはどこもうちの親戚である。

 中央自動車道を走っていたら金川という笛吹川の支流があって喜んだが、カネガワという。他県では島根県に金川というのがあるが、カネガワというらしい。

 『苗字おもしろ風土記』(別冊歴史読本=新人物往来社1995)には次のような記述がある。

 「また、当県【島根県】はタタラ(足で踏むふいご)の名所で、各地から砂鉄が出、古代製鉄の本場だ。それで鉄やタタラにゆかりの姓も多い。

 鑪、鈩、多々良、六路、鍛冶、金川、金沢、金津、金塚、金築、鉄、鉄砲、小鉄、火脚、別火、吹金原

 ここで思い出すのは、スサノオが八俣大蛇を退治した斐伊川だが、ここから大蛇の血が流れ出たというのは鉄さび(鉄くそ)の色で、大蛇の尾から刀剣が出たというのは、タタラで刀剣をつくったこと。古代の鍛冶の本場であることをよく示している。

 きっとうちの祖先は「もものけ姫」のタララ場でタタラを踏んでいたのだろう。


 名前というのは実に不思議で、田中克彦は五十嵐が読めなかったというが僕には驚きだ。もっとも読める名前というのは不思議でしようがない。五十里だってあるだろうに…。

 長谷とか長谷川という名前はありふれているが、どうしてこんな風に読めるのか。それは長谷という人が圧倒的に多いからである。

 長谷や長谷川という名前と、この変形がいっぱいあるが、ハセというのは泊瀬(はつせ)で船の停泊する瀬のことを指していた。大和国磯城郡初瀬町(現在の桜井市)は長い谷だったために枕詞で「長谷の泊瀬(初瀬)川」といったのが、いつの間にか「長谷川」でハセガワと呼ぶようになった。

 ちょうど、「飛ぶ鳥の明日香」が変わって「飛鳥」でアスカと呼ぶようになったのと同じ当て字である。「飛」が「あ」なのか「あす」なのか当て字だからルビの振りようがない。

 しかし、枕詞というのが語源の分からないものの代名詞である。韓国語で解けたという本も出ているが、言語学的には全くの眉唾物である。怪しい姓名学の本が多い。これだけははっきりしている。

 服部という名前も読めるのが不思議だ。偉大な言語学者・服部四郎がいたから読めるのではなくて、服部という名前がありふれているからである。だってどこが「はつ」でどこが「とり」なの?正解は昔の品部(とものべ)の職名で「はとりべ」、つまり、「機織り部」から来ていると考えるのが普通である。機を織って服を作る品部だから服部という当て字である。

 東海林という名前も東海林太郎とか東海林さだおがいるから簡単に読めるが、読める方がおかしい。これは「庄司」「庄子」「庄司」などと同じルーツで「荘司」「庄司」などは中世の荘園の管理者で「荘子」「庄子」はその部下だったといわれている。一方、秋田や山形などには東海林(とうかいりん)という地名の荘園があり、ここの出身の「庄司」さんが東海林で「しょうじ」と読むようになったのである。だから東海林さんは概ね東北出身である。

 和泉という名前も簡単に読めるが、サイコロジーがpschologyというスペリングだと分からないのと同様、ホントは難しい。これも地名から来ている。

 林というのはごくありふれた名前だが、これは拝志、拝師とも書いたように古代から続く氏族の一つである。語源的には森と同じように木を切って神の依代(よりしろ)としてまつったものである。少なくとも語源的にforestのイメージはなかった。

 どんなに難しい名前でもマスメディアの発達した現代では一夜で状況が変化する。SMAPの人気が出ると「クサナギ」君という、難しい名前がみんな読めるようになる。

 開高という名前も難しくて閉口してしまうが、開高健によってみんな読める。


 四月は残酷極まる月である。

 教師をしていて困るのは授業の最初に学生の名前がちゃんと読めるかということである。特に商船高専という学校は北海道から近畿までの学生が集まるからヴァリエーションに富んでいる。想像もつかないような名前がある。それでも自分の学校なら他の先生に聞いたり、教務に聞いたりできるが、非常勤だとそうもいかない。

 特に苦手なのは同じ漢字を使っても違う読み方があることで南野という名前でもナンノか、ミナミノか、(最近出会った子だが)ナミノという名前がある。

 沙というのも分からなかった。スナといわれて砂漠を沙漠とも書くのを思い出すなぁー。

 日本語を覚えたての外国人が「御手洗」さんを「おてあらい」と呼んで顰蹙を買ったことがあるが、日本人でも読めない人は読めない。名前をいつも間違えられて傷ついている人も多い。

 蛇足だが、大きなクラスは別にして40人位のクラスだと覚えていないと教師失格になる。同僚のK先生は1日で全員の名前を覚えるという特技をもっていて羨ましい限りである。記憶力がいいから何でも上達が早いかというとそうではないので安心する、安心せざるをえない。

 逆に、人類学者のW先生は名前を覚えない「主義」だった。主義だから恐いものなしだ。僕が遊びに行くと「ブワナ」(スワヒリ語で「旦那」)と呼ばれた。ある時、学長と予算を巡って喧嘩をしていたのだが、白熱している最中に「ところであんた、なんていう名前だっけ?」といって学長をびっくりさせていた。

 ところで、人名が読めないのは日本人だけではない。どの国の人名も読めないことが多い。


 英語が分かる人もウェールズ語ともなるとお手上げだ。機関車トーマスはソドー島という架空の島の話だが、ここに出てくる地名はウェールズ語らしく、まるで読めない。

 ただ、日本人の名前をややこしくしているのは漢字文化だからである。南方熊楠をミナミカタと読むか、ミナカタと読むかあんまり意識しないし、ナンポーと読んで過ごすこともできる。JISコードにも引っかからない漢字もある。

 そういう自分の長男の「祐貴」もホントは「貴」で漢字コードに引っかからない。

 御手洗さんがミタライと呼ばれなかったら怒るが、金川だってカナガワなのにカネカワと呼ばれて異議を申し立てることはフツー誰もしない。

 これに関しては野坂昭如の「S/Z 俺はノザカだ」という秀逸なエッセーがある。「S/Z」というタイトルは記号論の大家ロラン・バルトの難解な書物から取っている。

 内容はアメリカの銀行で小切手を落とそうと思ったのに名前がノザカでなくてノサカに成なっていたために引き落とせなかったという話である。日本人にとって漢字が合っていればそれで十分でSかZかで問題にすることはない。

 それなのに、アメリカでは…という話である。

 でも、レーガン大統領は州知事時代はリーガンだったのに大統領になった途端、「俺はレーガンだ」といって(「俺」といったかどうか知らないが)変えさせた。

 似たような例がインディラ・ガンディー首相である。インディラはガンディーの愛弟子ネール初代首相の娘だが、結婚してガンディーになった。ところが相手の名前はGandhyだったのに無理矢理Gandhiに変えた。

 まあ、バルザックがオノレ・ド・バルザックのように貴族でもないのにドをつけた例もあるから可愛いものかもしれない。

 他のアメリカ人の名前だって結構複雑だ。スペリングの問題もあるし、母語の問題もある。

 ついでに(ついでが多いのが僕の文体らしい)「新湊」だって新湊高校野球部のユニフォームにはSHINMINATOと書かれているが、外国の地図を見るとShimminatoである。これは同化という現象で読売新聞にThe Yomiuri Shimbunとなっているのも同じである。群馬だったら、Gumma(文部省検定の英語教科書もこうなっている)としないと英語にならない。同化をきちんとさせるのは外務省式というように、パスポートの申請はこちらの表記を使うことになる。

 外国への手紙はShinminatoにすべきかShimminatoにすべきか、ハムレットのように悩んでしまう。前者だと外国人に英語を知らないと思われるし、後者だと日本の郵便屋さんにローマ字も知らないと思われる!

 ほら、「コンプレックス」のことを「コムプレックス」と書く人がいるが、キザというか、英語にコムプレックスがあるからだ。

 ところで、名曲「荒城の月」の作詞家・土井晩翠はホントは「つちい」だったにもかかわらず、他人から「どい」と呼ばれるのがうるさくて1934年に改称してしまった。簡単に同意晩翠と呼ばれている?


 名前の語源に関しては難しすぎて真面目な学者は誰も扱わない。『竹取物語』の最後にたくさんの武士が山に登ったから富士山という、と書かれているが、この物語の頃にはもう分からなくなっていた証拠である。これをアイヌ語でフチという火を扱うおばあさんから来ているという説さえあるが、あまりにも時間が立ちすぎていて名前が京都や東京のように「透明」になってなくて誰にも分からないのである。

 北海道の地名はかなり分かっている方だが、これもアイヌの学者・知里真志保さんらの異論がある。丹羽基二の本には「金田一」はアイヌ語だと書いてあって金田一京助は自分のルーツを調べたことになるが、絶対に怪しい。

 ここでは語源論には深く言及しない。上述したように危険だからである。


 ところで、珍名というのは相対的なものである。ケニアで「日本にはクマモトという名前があるか」と聞かれたが、クマは女性の身体部分でモトは「熱い」という意味だからおかしくてしようがないのだ。でも、スワヒリ語圏にはクサイという名前がある。

 文化庁長官だった今日出海はフランスに行って大変だったと思う。コンというのも女性の身体部分を指し、「今氏」と呼べば「コンがおしっこする」という意味になる。「ムッシュ・岸」というのもダメでMonsieur qui chieと聞こえて「ウンチする旦那」になってしまう。


 天皇には姓がない。裕仁とか明仁とか徳仁とか、名前だけで呼ばれる。日本だけかと思っていたが、そうではなかった。

 鹿島茂『モモレンジャー@秋葉原』(文藝春秋)によると、ナポレオンは1804年に初代フランス皇帝に上りつめたが、この時以来、「ナポレオン・ボナパルト」はただ「ナポレオン」とだけ署名するようになったという。つまり、国王と同じく、唯一者である皇帝に姓は不要だからだ。ナポレオンを王位簒奪者だとして全否定する王党派や原理的共和主義者は、いまでも「ナポレオン」ではなく、必ず「ボナパルト」と呼ぶ。「ナポレオン」と言ったとたん、彼を皇帝と認めたことになるからだという。

 このように考えてみると、姓というのはまことに不思議なもので、ヒエラルキーの一番下の者と一番上のものには、姓はないのである。上は唯一者であるがゆえ、下は有象無象であるがため。


 実は僕の住んでいる街・新湊には珍名が多い。丹羽基二『姓氏の由来ものしり事典』(ベネッセ)にも次のように書いてある。

新湊市にはとくに傑作な姓が多い。風呂・*豆腐・*小豆(あずき)・味噌・酢・*炭・三盃(さんぱい)・小間物・*生理(いくり)など。

 実際にはもう改名してない名前(*は97年度の電話帳にない)もある。昭和前期まで、飯(めし)、万十(まんじゅう)、素麺(そうめん)などの姓があったと『新湊市史』に書いてある。

 1870(明治3)年、戸籍整理のため、太政官布告により平民も苗字を持つことが許された。しかし、なかなか苗字を持とうとしなかったため、1875(明治8)年2月13日に、すべての国民が姓を名乗ることが義務づけられた。「苗字必称令」である。この時「祖先以来ノ苗字不分明ノ向キハ新ニ苗字ヲ設ケ候様…」と書いたために、慌てて町中が名前を付けたと考えられる。ただ、名前の研究家・佐久間英『珍姓奇名』(早川書房)によれば、珍名が全てこの時生まれたのではなく、ひそかに称していたものや屋号を流用したものが多かったという。

 『富山県史』によれば、苗字帯刀を許されていた士族階級は14354人で、残りの600391人が苗字を持っていなかったという。恐らく同時にいっぱい苗字を相談された神主さんやお坊さんが一気に付けたのではないかと推察できる。

 別に苗字を持っていないのは日本人だけではない。モンゴル人に至っては戦後のことだ。「父の名」+「『の』を表すモンゴル語」+「自分の名」ということになった。朝青龍の本名「ドルゴルスレン・ダグワドルジ」のうち、「ドルゴルスレン」が父親の名前「ダグワドルジ」が本人の名前というように、都市化でややこしくなってきたので父親の名前をつけることになったのだ。氏族名があるような家系の人もいるが、実際に使うことはないらしい。

 オランダ人だって、ナポレオン率いるフランス革命軍がオランダに侵入した1795年まで苗字を持っていなかった。ナポレオン軍がオランダでも兵を募ったのだが、苗字を持っていなくて不便だった。それで受付の場所で苗字を決めることにした。「どこからやって来た?」と聞くと「あの堤防(ダイク)の向こうです」というので、みんな「ファン・ダイク」と名前がつくことになった。森から来たのもいて「ファン・ハウテン」となり、英語でいえば、ココアで有名な「ヴァン・ホーテン」となった。鹿島茂『モモレンジャー@秋葉原』(文藝春秋)によれば、フランスでも大革命以前には農民に苗字がなくて、徴兵の時に適当につけたという。

 アイスランド語では男の子は父親の名前を変化させて「ソン」、女の子には「(ス)ドッティル」をつける。パウルの息子はパウルソン、娘はパウルスドッティルとなる。英語の“son”“daughter”に相当する言葉だ。

 ロシア語では父称を使う。プーチンの父親はウラジーミルだから、本当の名前はプーチン・ウラジーミロヴィチとなる。

 何度も断っておくが、珍名というのは相対的なもので馴れている僕らには普通の名前だ。驚く方がおかしい。日本全国を見ると次のようなのの珍しいかもしれないが、何度もいうようにただの慣れで珍しさは変わってくる。勅使河原(テシガワラ)とか武者小路(ムシャノコウジ)なんていうのは珍しいが誰でも読める。綿貫という名前は四月一日と同じく、現在の6月1日で衣替えを意味しているが、衆院議長にもなった民輔のおかげで不思議な名前ではなくなっているはずだ。

四月一日(ワタヌキ)・六月一日(ウリハリ=瓜の実が張ってくる/瓜割りで成熟して実が割れてくる/割ると食べごろ?)・八月一日(ホズミ)・八月十五日(ナカアキ)・「十二月晦日」(ヒヅメ=大晦日で日が押し詰まった)・十八女(サカリ)・出張(デバリ)・法領田(ホレタ)・夜交(ヨマゼ)・牛尿(ウバリ)・五所垣内(ゴショカイト)・右衛門佐(ヨモサ)・大豆生田(オオマメウダ)・阿比留(アヒル)・金須(キス)・尻高(シッタカ)・牛糞(ウクソ)・背戸川内(セトコウチ)……

 釣という名前は新湊では一番多い名前だし、釣という名の付け方があっても不思議ではないと思うのだが、富山県の人でも変わっているという。

 パターンとして多いのが家の商売などをそのまま姓にしたものだ。明治期に町全体がそういうムードになったのだと思う。「〜谷」(ヤ、タニ)が多いのは「〜屋」を置き換えたものと考えられる。だから油谷は油屋、篭谷は篭屋、網谷は網屋、酢谷は酢屋だった可能性が大きい。

 ちなみにアメリカにおける姓のベスト3はSmith,Miller,Taylorだが、いずれも中世に始まる一般的な職業名である。SmithはSchneider〔独〕やSchmidt〔独〕と同じ「鍛冶屋」、Millerは「粉ひき」、Taylorは「仕立屋」だ。Jimmy Carterアメリカ大統領は「cart(カートを引く運送屋」、だし、鉄の女Thatcherはthatch(屋根を葺く)から来ている「屋根屋」だ。

 最初、名のないものに名前がついたばかりのころは、みんな仕事の中身で呼ばれてたもんさ。どの町にも粉屋(ミラー)だの鍛冶屋(スミス)だの農夫(ファーマー)だの大工(カーペンター)だのがいて、みんな、その名前で呼ばれていた。ミスター・スミスに、ミスター・ミラーに、ミスター・ファーマー。ところが、もちろん時がたつにつれて、なんでもみんなそうだが、せっかくの伝統がごちゃまでになって、いまじゃ、どの名前にも意味なんかありゃしない! ミスター・ニュービーだの、ミスター・エドマンズだの。まったく気に入らないね。
     -----ダニエル・ウォレス『西瓜王』(河出書房新社)

 くれぐれもいうが、これから挙げる珍名は珍名ではない。誰も珍名であると判断できない。人間は誰もが偏見をもって生きているからである。それに、地域特有の名前というものもある。「薗」がつくと九州の人だと思うし、「江副」「江藤」は佐賀、「勝俣」といえば静岡、「望月」なら山梨、「比留間、蛭間、昼間」なら埼玉県などという地域性がある。富山で「釣」というと新湊に決まってくるようなものである。

 名前は文化である。朝日新聞(87-12-29朝刊)によれば韓国には全部で274種類の姓だけで、しかも金、李、朴だけで全人口の45%を占めるそうである。次に「崔」と「鄭」が来てほとんどの苗字を網羅してしまう。しかも「同姓同本」と(同じ姓は同じルーツ)ということから法律で「血族」結婚が禁止されていた。新湊だけでその倍以上の姓があるから一つの立派な文化である。

 もし、名前が挙げられた人はごめんなさい。読み方を調べることはできるけど迷惑になりそうだから調べてない。それから読んだ人はプライバシーに十分注意してください

 1軒しかない名前の中には新湊独自のものではなく、他市からの転入者ということも充分考えられるが、一応無視して挙げた。

 なお、北海道などで同じような名前があったとしたら、新湊が起源だと考えていい。小樽とは北前船の時代から交流があったし、他の地域でも富山出身の人が多い。富山に本社のある北陸銀行は北海道に多くの支店をもっている。

新湊というのは富山県の富山と高岡の間の北方にあり、漁師町と木材加工の町で知られている。86年春の選抜では桧物監督率いる新湊高校が「新湊旋風」を巻き起こした。人間国宝・石黒宗麿の出身地で最近では立川志の輔、「美味しんぼ」の花咲アキラ、日本テレビのプロデューサー小杉善信が有名である。



 珍名だからすぐに覚えられるというメリットがあるし、「達」タツという珍しい名前だったのでよく懸賞に当たったという人の話を聞いたことがある。

 最後に何度もいうが、自分の名前は珍名でないと思っている人も実は珍名なのである。

 だって、鈴木という名前は何で木に鈴がなってなければならないか非常におかしいし、田中というのも田圃の真ん中に住んでもいないのに田中というのは奇妙だからだ。

 「鈴木」というのは50人に1人いるとされるが、語源はややこしい。丹羽基二によれば、タンボの刈り取りの後に「穂積」が作られて、この稲束に立てられる棒がスズキだという。このスズキは神の依り代で、豊作を祈ったものだった。これを熊野の方言でスズキと呼び、これを立てる人が「鈴木」と呼ばれるようになったという。


【答】 名字(苗字)

※日本の珍名に関しては「名字見聞録」がある。最近の新しい辞書として森岡浩編『全国名字辞典』(東京堂出版)がある。

※9月19日は苗字の日■1870(明治3)年、戸籍整理のため、太政官布告により平民も苗字を持つことが許された。

※清水義範『雑学のすすめ』(講談社)も西洋の名前の雑学として役に立つ。

■珍名鑑(ホームページ)  ■日本の苗字7000傑   ■日本人の名前(森岡浩)   ■Wikipedia(人名) ■名字検索


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