「表札」 石垣りん(『表札など』)
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精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。
夏休みを利用して妙高高原に出かけた。
宿はいつも現地調達に決めているので、妙高に着いてから電話帳のペンション欄を調べてみた。その中で気に入ったのが、「ルネ・クレール」という名前のペンションである。
ルネ・クレールというのはフランスの映画監督で日本では『巴里の屋根の下』『巴里祭』『自由を我らに』(この映画の工場のシーンは後にチャップリンの『モダン・タイムス』に引用された---製作会社が盗作と訴えたが、監督が盗作を否定し、尊敬する芸術家チャプリンの創造に参考になったのなら幸福と言ったから訴えは却下された)が有名である。どうせなら、知っている名前の所に泊まろうと思って、その「ルネ・クレール」に電話をかけた。
すると、「うちは満員でダメだけれど、きっと隣が空いていると思うから聞いてあげる」といって隣のペンションを紹介してくれた。
□ 紹介された通りにそのペンションに向かった。きっとオンボロで人が来ないだろうと覚悟しながら行ってみた。ところが、前年に建てたばかりという、実にこぎれいなペンションだった。場所も申し分なく、中も清潔で、まだ若いオーナー夫婦も大変いい人だった。
その日の客は僕たちだけで他に誰も利用客がなく、ゆったりした気分でペンション・ライフを楽しむことができた。オーナーが出してくれたフランス料理もおいしくて、静かな一夜を過ごせた。
シーズン中なのに閑古鳥が鳴いているのはどう考えても不思議だった。食中毒を出したことがあるのか(集団食中毒になるほど人が入っていないことは明らかだった)、首吊り自殺者でも出したことがあるのか、地縛霊でもいるのか、オーナーに背後霊がとりついているのか。
□ 翌朝、恐怖にかられながらオーナー夫婦に尋ねてみた。
「怨念がおんねん」と言われるかと思ったが、幸い、僕らの懸念はどれも正解ではなく、二人もすっかり困っている様子だった。
冬のスキーシーズンでもなぜか、男同士や家族連れが多く、しかも他のペンションに比べて客の数が格段に少ないという。「どうしてでしょう」と逆に尋ねられた。
賢明な(?)僕にはその原因がすぐに分かった。考えられるのは一つしかなかった。
□ 名前が悪いのである。そのペンションの名前は「うたたね」というのである。
僕でさえ、「うたたね」という名前を聞いたら、古びた民宿風の建物で初老の夫婦が経営している和風ペンションだと思う。まして、ペンションの上得意客である若い女性たちにはゼッタイにアピールしない。彼女らは外国に行ったような夢を求めてペンションに出かけるのであって、和風の宿でうたたねするためではない。
「ルネ・クレール」の方は実はスペリングも間違っていてLune Clair(リュヌ・クレール)となっていたが、若い女性客でいっぱいだった。アンノン族の彼女らにとってスペリングや意味が間違っていようと、とにかく外国風の名前に憧れてやってくるのだ。安穏とした日常生活からちょっとだけ離れたいだけなのだ。しかも、Luneには隠語で「お尻」から「尻軽女」という意味があって、「きれいなお尻、明るい尻軽女」では困るのに…。
ちなみに、監督のルネ・クレールは本名はRene-Lucien Chomett(ルネ=リュシアン・ショメット)だったが、Rene Clairという、短くて語感のいい名前に変えている。
言語が伝達だけの手段であるならば、ものの名前というのは他の区別がつけばそれでいい。最初に区別することが大切で、これは業界用語で差別化と呼ばれている。言葉だけではなく、パッケージなどの外見を変えるのもそうで、例えば、男性用パック「ギア」(名前はギアで遊ぶのは主に男性だから)をわざわざ黒くしたのは薬効のためではなく、女性用でないことを強調するための差別化の手段である。
しかし、差別化のために何をしてもよいという訳ではない。言語は伝達に使われるだけでなく、同時に情緒も運ぶからである。
□ 例えば、グリーンランドとアイスランドと聞いてどっちが暮らしにくい地域だと思うだろう。世界最大の島であるデンマーク領グリーンランドの名付け親は10世紀後半、アイスランドから追放されてこの島にたどりついた殺人犯、赤毛のエリックだという。
グリーンランドの方はあたかも緑あふれる土地のように見せかけ、入植するように仕向けたという。つまり、理想主義的な命名なのである。実際は短い夏だけ僅かに緑が見られるだけで殆どの土地が氷におおわれている。
一方、アイスランドは緯度こそ高いが、緑の森、見事な海岸、花が咲き乱れた山、火山もあれば温泉もある、素晴らしい土地である。余談だが、アイスランドの大統領が富山に来たことがある。民主主義が機能しているらしく、女性の大統領だった。文化に興味があるらしく、僕が大統領を見たのは富山市の能楽堂だった。
そして、ヴァイキングはこの素晴らしい土地を独占したくて他人が寄りつかない名前、つまり、アイスランドという名前を付けたといわれている。
【『ブリタニカ』によれば、982年に殺人の罪でアイスランドから追放された赤毛のエリックという男が、多くの人に移住してほしいと願ってグリーンランドと名づけたという】
□ オセロに相当するゲームは19世紀にイギリスで発明されたという。ツクダは自分たちの発明だというが、外国ではリバーシという名前だったはずだし、僕自身、赤と白の丸っこい玉のオセロをした覚えがある。ツクダ自身も最初、「逆転碁」とか言って売っていたのだが、爆発的に売れるようになったのは「オセロ」という命名をして、白黒のゲームにしてからであった。ツクダはシェイクスピアに感謝してグローブ座の再建に尽くすべきだと思う。まあ、「ハムレット」とか「ロミオとジュリエット」という名前では売れなかっただろうなとは思う。
これほど、名前はイメージを左右する。
差別化すればいいものではない。
他に比較できないほどおいしいから、誰にでも違いの分かる名前を、といってラーメンに「ごきぶりラーメン」とは付けにくい。これほど鮮明に顧客の記憶に残る名前はないだろうと思うが、絶対に売れないだろう。いや、僕なら喜んで買う、という人がいたら、その人は天の邪鬼(あまのじゃく)というものである。
「若き血ラーメン」だったらどうだろう?実は「若き血」というのは慶應の応援歌で学食(山食“やましょく”と呼ばれる上階の食堂)にそういう名前のラーメンが存在する。東京には便器型の食器でカレーライスを出すお店があるが、こういう人は是非、そこへ行ってほしい。
カレーと言えば、あの黄色い色を出す香辛料を「うこん」というと名前も形も間違えやすいから「ターメリック」という外来語を使うのだと思う。
小津安二郎はカレーすき焼きを得意としたが、1955年に『早春』の脚本を執筆するために別荘に缶詰めになっていたのだが、共同執筆者の野田高梧が「雲呼荘」と名づけところであった。そんなところで、カレーすき焼きをみんなに御馳走していたのである。
フツーの人間はそうした語感の悪いものを避ける。日本の病室には4号室、9号室がないし、欧米には13号室がない(こちらは語呂が悪いからではないが)。葦のことをヨシ、スルメのことをアタリメ(賭事でスルのは嫌なのでアタルとする)と言い換えたりするのはこうした心情から生じる。「スリッパ」は「アタリッパ」とは言わないが、「擂り鉢(すりばち)」も「当たり鉢」ということがある。
鯛も日本語でメデタイという語呂があって、しかも目出たい赤色をしていなかったらあんなに重宝がられなかっただろう。
科学万能の時代に言霊(ことだま)が生きている。というと、古めかしいが、人間は言葉に左右される、記号に呪縛されるということなのだ。
□ 中には詐欺まがいの命名もあり、「○○県自動車学校」「○○県童謡フェスティバル」のように書いてあると、まるで県が経営や主催をしているようにみえる。その錯覚だけで結構繁盛しているようだから恐い。テレビで「花組スペシャル」と書いてあったので夜中まで待っていたらいきなり褌(ふんどし)姿の男が現れて仰け反った(正確にはトラウマとなった)女性がいる。つまり、宝塚の花組の特集ではなく、全然無関係の「花組スペシャル」という団体だったのだ。これって…。
□ さまざまな命名やPRにはコピーライターが活躍する。「越中富山の反魂丹、鼻くそ…」などというのも立派なコピーである。
恐らく日本で最初のコピーライターは「土用の丑」をウナギの日とした平賀源内であろう。明治に入ってからは福沢諭吉がすごい。「天は人の上に人を作らず」とか評判の悪い「脱亜入欧」などいう言葉も作った。何よりも、「演説」をはじめとする多くの翻訳語を作ったのもコピーライターの才能のおかげである。
□ 名前には時代の変遷がある。かつては「○×銀座」というのが日本中にいっぱいあったが、銀座の神通力が昔ほど強くなくなった今ではもの悲しい感じさえする。
「シャネルの5番」という香水も考え抜かれた命名だ。シャネルはシンプルを心情にしたデザイナーだが、ロゴも“Parfum No.5”と“Paris”とだけ書いてある。1〜4、20、21、23、25は売り出されていない。つまり、試作した中で、5番だけが光っていたということを強調している。値段も中味も透明にして虚飾をはぎ取った。しかも、マリリン・モンローは寝る時に何をつけるか、と聞かれて「何もつけないけど、シャネルの5番」と言った話がこの命名を神話化している。
日本ですごいと思ったのはぬか漬けの素で「ぬかよろこび」というのだった。「ぬかよろこび」で終わったら売れないのにそういう名前で勝負するところが立派だと思った。それだけ自信作だったのだろう。一時は駅のキオスクでも売られていたが、残念ながら漬かりすぎて2日目にはまずくなってしまうという欠点があり、今では見られなくなった。
内容がないのに名前だけで、表面だけで取り繕うとしてもダメである。
□ 人気コピーライター糸井重里の命名にナショナルの「テレビデオ」というのがあったが、“そのまんま”で固有名詞としては全く評判にならず、売れなかった。その後、後発メーカーからたくさん発売された時に普通名詞として扱われるようになってしまった。糸井は時代が早すぎたというかもしれないが、なあに、誰でも考えつくような単純な名前だったからだ。
もちろん、逆手だったのだが、平凡に終わった。しかし、中にはすごいコピーライターがいて大逆転を考え出すこともある。
注目の一つは小林製薬で、「のどぬ〜る」とか「熱さまシート」とか、“そのまんま”の名前が多い。トイレ消臭剤は「トイレその後に」だし、女性向けのかゆみ止めは「フェミニーナ軟膏」だ(「デリケートゾーン」という部位の名称も同社が考え出した言葉だという)。「髪の毛集めてポイ(排水溝の髪の毛を集める)」「なめらかかと(かかとのカサカサにうるおいを与える)」「アッチQQ(軽いやけどの治療薬)」「カユピタクール(瞬間冷却のかゆみ止め)」「ポット洗浄中(電気ポットの中をきれいにする錠剤)」など、そのまんまながらも一度聞いたら忘れられない商品名を繰り出して快進撃を続けている。
ゴジラや(キング)ギドラやガメラが濁音を使っているのも語感を「悪く」するためである。「ころころ」が「ごろごろ」、「きらきら」が「ぎらぎら」となることから分かるように、日本語は濁音になると語感が悪くなる傾向がある。怪獣たちはだから、耳障りのよくない音に変えられる。「コシラ」や「カメラ」では恰好がつかない。このことはすでに柳田國男が『妖怪談義』の中で、日本では「オバケ」の呼び方は地方へ行くほど「ガ行の物すごい音から成立って居る」と指摘していて、ガンゴゴンゴ、ガンゴー、ゴンゴジーなどの例を挙げてる。
それからずっと後になって、黒川伊保子『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』(新潮新書)には次のように書いてある(全てが割り切れないとは思うが)。
実は、音のサブリミナル効果の影響が認められるのは、企業名やブランドマントラだけではない。
「車の名前にはCがいい」(例・カローラ、クラウン、セドリック、シビック等)
「女性雑誌はNとMが売れる」(例・ノンノ、アンアン、モア等)
「人気怪獣の名前には必ず濁音が入っている」(例・ゴジラ、ガメラ、キングギドラ等)
企画の現場で語られる、ことばの経験則がある。これらもまた、ことばの音のサブリミナル効果が大衆を動かす現象である。
ことばの音の響きには、潜在的に人の心を動かす力がある。発音の生理構造に依拠した、人類共通に与える潜在情報があるのだ。
たとえば、Kの音を出すとき、私たちは、喉を硬く締め、強く息を出して喉をブレイクする。喉をブレイクスルーした息は、最速で口腔内を抜ける。最速で抜ける息は唾液と混じらないので、ことばの音の中で最も乾いている。
K音を発音する度に、私たちは、自分自身の身体で、硬さ、強さ、スピード感、ドライ感の四つの「感性の質」を体験しているのだ。その単語が、これらの質と直接関係のない意味を持っていても、いやおうなく脳裏には、硬さ、強さ、スピード感、ドライ感の四つの質が浮かぶのである。
この感覚は、洋の東西を問わない。気管から送り出される息と喉、口腔、鼻腔、舌、歯、唇を使って音声を出す人種であれば(私はそれ以外の人種を知らないが)、同じ方法で同じ音を出し、同じ音について同じ潜在情報を共有している。
つまり、ことばには、意味とは別に描かれる潜在意識の印象があり、それは世界共通の印象なのである。「ヨックモック」という東京のお菓子があるが、これはスウェーデンの地名Jokkmokkから来ていて、語感がとてもいい。ローマ字表記はYOKUMOKUになっていてうっかりすると「ヨクモク」にしか読めない。
アイスクリームの「ハーゲンダッツ」はポーランド移民だったルーベン・マタスがデンマークの首都コペンハーゲンの「ハーゲン」に、響きのよい「ダッツ」をつけたものである。ドイツ語的な響きがあって受けたのだと思う。
ただし、語感というのは定義するのが難しく、言語・文化によって異なることは当たり前だが、個人によっても、年代によっても異なる。「不倫」とか「破廉恥」というと年配にはとても重い言葉に響くようだが、「フリン」や「ハレンチ」は若い世代にとっては軽い言葉だと思う(したことないから分からないが)。
ちなみに、昔、「トルコ風呂」と言ったところはトルコ大使館に間違った電話がかかってきて、困るということで1984年に「ソープランド」という名前になった。イギリスの評論家ドナルド・リチーは『イメージ・ファクトリー』(青土社)の中でわざわざ次のように書いている。
東京都特殊浴場協会は会合を開き、最終的に百十軒の加入業者は名称変更を決定した。では、どうすればよいのか。広く一般に意見が募られ、夥しい提案が寄せられた---二千件以上である。たとえば「ロマン風呂」、「コルト」(トルコの逆綴)、ラブユ(LOVE湯とlove youの掛詞)などであるが、最終的に勝利を収めたのは「ソープランド」であった。
この造語の明快さにご注目いただきたい。生活さの暗示(ソープ)と歓楽の提示(ディズニーランド)。この造語は直ちに大成功を収め、料金はこの新しい称号の威厳に相応しかるべく値上げされ、より効率的な金儲けの方法が採用された。
80年代にCI(コーポレート・アイデンティティ)と呼ばれる企業のイメージアップ作戦が流行した。漢字の企業名はイメージが固定して重い、一見意味不明なカタカナやアルファベットの方が新商品や新事業の新しいイメージを取り込みやすいためだといわれる。これもバブルと共に消えつつあるが。津村順天堂がツムラ、日本鋼管がNKK、国鉄がJR、農協がJA、日本道路公団がJH(Jのつく名前は残り少ないのでCIを考えている企業は急がなければならない)とカタカナやアルファベットの企業名が増えている。雑誌の『JJ』は女性自身の頭文字だという。
一つには経営の国際化(東亜国内航空が外国に進出するにあたって日本エアシステムに変えた)や多角化(鉄鋼産業が情報産業に進出したり、造船会社が杜中茶を売り出したり、建設会社が煎餅を作ったり)が原因の一つにあるが、横文字の方が日本人に好まれることが大きな要因だ。そのうち、日本相撲協会もNSKとしなければならないだろう。
日本語史上有名なのが化粧品のマンダムで、かつては「丹頂」という単調な名前の会社だったが、名前を変えただけで飛躍的に売れ行きを伸ばした。カネボウだって鐘淵紡績化粧品では誰も買わないだろう。
求人に関しても同じである。「駅の売店」という不確かな名前を使わないでトルコ語でキヨスク(「四阿」=あずまや)と言うのも、そうしないと従業員が集まらないからだという。「キオスク」でよかったものを「清い、気安い」とかけて旧国鉄時代の73年から「キヨスク」としたのだという。JR東日本は「キヨスク」を、2007年7月から「キオスク」に変更すると発表した。
東北新幹線のグリーン車の女性車掌「ソワニエ」soignerも同じ理由であるが。フランス語は定着しないだろう。清掃用具レンタルの「ダスキン」も初めは「株式会社ぞうきん」という社名に決まりかけたのを、恥ずかしい、という社員の嘆願でダスキンに落ち着いたと、会社のホームページには記されている。近所の清掃会社「射水郷清掃」が「アースクリーン」という些か大げさな名前になったのも同じ理由であろう。実際、CIを薦めている会社の多くが求人のために名前を変えているのである。
大学もまた、CIの波を受け、UI(ユニバーシティ・アイデンティティ)が叫ばれている。千葉なのに「東京ディズニーランド」とか、埼玉にあるのに「△◆国際大学」というように名前を変えている。少子化を迎えてどの大学も必死だ。実際、京浜女子大学が鎌倉女子大学に変名した事でイメージアップになり競争率が上がったそうだ。うちの学校も考えなければならない。
□ ただ、いきすぎたCIは避けた方が賢明である。例えば、東京の国電を「E電」と代えたものの誰も使わず、死語と化したという事実が如実に語っている。これは20位だった「E電」をカメラマンの沼田早苗、作曲家の小林亜星が強く押して決まったといわれている。発表された当時から「酷電が名前だけでいい電になるか」と悪評だった。
言語学者は誰も入っていなかったという。言語学者なら誰でもこの命名が失敗だと分かるはずだ。無意味な「E」の出現、表音文字であるアルファベットと表意文字である漢字の交ぜ書き、2音節という落ちつきのなさ、長音と濁音と撥音の組み合わせの悪さなど定着するはずがなかった。
東京の駅にひっそりと「E電」という表示を見る時、つくづく、だから言語学は大切だという身が引き締まった気持ちにさせられる?
この命名をどう思っているのか証言を探していたら、あった。赤瀬川原平の『私の昭和の終わり史』(河出書房新社)の「マジに切符を買う気のしないE電」である。
E電でそうだ。
じつに嫌らしい名前である。
品性というものがまるでない。
品のないのが大衆的だと、粗雑に考えている頭が嫌らしいのである。
それともう一つ、言い訳を考えている頭の中身がおぞましいのだ。
エンジョイのEだそうである。それに加えて東日本のイーストのEだとか、エネルギーのEだとか、いろいろな理屈が付着している。理屈が一つ見つかるたびに拍手したことだろう。ああ嫌だ。
理屈でこね上げた名前にはロクなものがない。
名前には意味が必要なのだけれど、それは入学試験の解答のようなものじゃないんだ。
名前というのは、その言葉に響きに名前がある。その響きの意味というのは明文化できない。すると伝票に書けないからハンコは押せないね、という官僚的な体臭のする人体についた脳ミソによって、E電という名前が選ばれた。【…】で、E電はやはりつまらんことをしたと思います。
金をドブ川に棄てたというので国鉄は民鉄にされてしまったのに、またE電などという広告代理店を儲けさせるだけの名前変えをして、また金をドブ川に棄てている。まあ自分の金を棄てるのは自由であるが。□ ついでに言うが、JRは「鉄道」の「鉄」を「金+失」でなく「金+矢」にしている。気持ちは分かるが、こういうのをためらわず、言葉に対する冒涜(「涜」の文字もそうだが)といえる。
懲り過ぎると定着しないのである。「旧国電」というのもわざわざ「旧」としたことで定着しなかった。明石海峡大橋が「パールブリッジ」と名づけられたことなど、今はもう誰も覚えていない。
ちなみにこうした業界というのはゲンを担ぐものらしい。水産業界大手の大洋漁業「丸は」印は創業者の屋号で、荒れる波(は)を丸く収めるという意味もあったという。マルハに社名変更されたのは93年だった。また北方海域のサケマス漁から発展したニチロが「日露」でなく「日魯」だったがバラせば「日魚日」で日々魚が入るからだという。日魯漁業がニチロになったのは90年だった【2007年には統合されたら「ニチマル」にでもなるのだろうか】。
※丸谷才一の『月とメロン』(文藝春秋)の中には、ソニーがひょうとするとソンニーになっていたかもしれなかったという話が紹介されている。井深大が「損」に通じてよくないと思い返して、ソニーになったのだという。
□ 「クリープ」(creap)もcreepが「虫酸の這うような嫌な奴」という意味があるので、絶対に売れない。ポッキーもpock「あばた」から「あばただらけの」(更に「梅毒の」)という意味を持つので、細い竹の棒を使って遊ぶミカドゲームにヒントを得て、「Mikado」(ミカド)と改名して売られている。カルピスは英語の話し手にカウピスのように聞こえるのでアメリカでは売れない。つまり、日本人は「牛のオシッコ」を飲んでいるのだと思われるという(Calpicoという商品名になっている)。
「スターバックス」コーヒーの由来はシアトル近くのレーニア山にあったスターボ (Starbo) 採掘場と、ハーマン・メルビルの小説『白鯨』に登場する一等航海士スターバック (Starbuck) の名からだが、当初エイハブ船長の船名「ピークォド」にちなもうとしたが、PEE(おしっこ)+QUOD(刑務所)なんて誰が飲むものか!ということで一等航海士になった。
ジェネラル・モーターズは昔、NOVAという名前の車を出したことがあった。ところが、ラテンアメリカでは全く売れなかったという。というのも“NO VA”では「全然動かない」という意味になるからである【2007年に「駅前留学」のNOVAが「立ち行かなくなった」】。
石油会社のエッソ(Esso)はアメリカ全土で使える名前が必要になり(商標権の関係で例えばオハイオでは“Humble”と名乗っていた)、新しく名前を変える時に数億使ったといわれる。その中で「エンコ」(Enco)というのがあった。ところが、日本語ではまずい、ということが分かって、変えたのだが、結局「エクソン」(Exxon)という名前になった(xxを使う言語はない、ということだったのだが、マルタ共和国の言語では使うことが分かった)。しかし、「クソ」が入っているので日本ではあまり使われていない。
□ 企業名の中で嫌いな命名をみておこう。
「ファンケル」は“FANCL”と綴っているが、これで「ファンケル」と読むのは無理がある。スペリングを間違っているのはおかしい。同様に、「ジョイフル」というファミレスは“JOYFULL”だが、Lが一つ多い。間違いではなくて、わざとだというが、おかしい。ミツカン酢もMizkanに、日本製粉もNippnになったのだが、かなり無理がある。
「コム・サ・デュ・モード」(「コムサデモード」と呼ばれている)は“Comme ca du mode”は“mode”が女性名詞で“Comme ca de la mode”とならなければおかしい【cはセディーユ】。
2008年に廃業することになったが派遣業界大手のグッドウィルは「善意」という意味で、白々しい。ええっ、「無印良品」も矛盾しているからおかしいって!?まあ、こちらは脱構築的でいいんじゃないですか。
だから、企業は言語学者にたっぷり礼を払って命名すべきなのだ(メールください)。
□ 厚生省が1986年に高齢化社会の反映として「実年」という言葉を普及させたいといいだしたことがあった。
塩田丸男は『死語読本』(文春文庫)によれば、発表の2年後には死語になりかけていたといい、次のように書いている。
言葉というものは、役所が指示してあれこれ動かそうと思っても、そうはいかないものだということがよく分る好例であろう。
□ 名前だけで内容が伴わないとすぐに飽きられる。
何よりも鈴木一朗という銀行の預金通帳の見本みたいな名前の選手はイチローと名前を変えることで人気が出た。アメリカでも人気が出たのはイチローという名前の呼び安さがあった。でも、これは実力も伴った。
松鶴家次郎・二郎のコンビでは芽が出なかったのに、ビートたけし・きよしと名前を変えて人気者になったが、たけしには実力があったのである。きよしには…?
松田聖子(本名・蒲地法子“かまちのりこ”)はMazdaもSeikoも世界に知られた名前だからといって自信をもってアメリカに進出した(?)が、結果はSeikoのために男からセクハラで訴えられただけだった。
ちなみに本田美奈子(本名・工藤美奈子)は先にデビューした工藤夕貴と名前が被らないようにとの配慮と「マツダ」ではなく、「ホンダ」にちなんで芸名をつけた。後に字画を31にするために「本田美奈子.」とドットを入れた!
姓をなくして名前だけで勝負した最初のタレント、優香だって「岡部広子」ではやっぱりぱっとしなかったろう(芸名の「優香」は、インターネットと雑誌で公募し、「〜てゆーか」をヒントに選ばれたもの)が、今後はどうなるだろう?
2007年に「そのまんま東」が官製談合で出直しとなった宮崎県知事選に出たが、投票用紙に「そのまんま」とだけ書かれたら、前の知事なのか、「そのまんま東」なのか、ともめた。本名は東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)だったから、宮崎県知事になった瞬間から本名で出ている。
□ 言葉には魔法の力があるという言霊思想が日本人の心の奥に潜んでいる。
それを忘れてあだやおろそかに名前を扱うことはできないのである。
●ペンション「うたたね」が潰れるのではないかと心配していたが、10周年を迎えた。メデタシ、メデタシで出かけたのだけれど、翌年、葉書が来て、「昨年、10周年といったのは間違いでした。本当の10周年を楽しみにきて下さい。」と書いてあった。
客が入らないのは経営者がうたたねをしているせいかも? 0255-86-2802
2000年にホームページもできた。
●その後、娘さんから次のようなメールをもらった。ぜひ、うたたねを利用してあげてください。
知人の紹介でホームページを拝見させていただきました。私たちはうたたねの娘です。最初は笑いながらどこのペンションのことかとみていたら、突然「うたたね」の文字が目に入り、大変驚きました。
わがやもなんとか営業を続けています。ホームページの宣伝までしていただきありがとうございます。
両親にもぜひ見せたいと思います。
それでは、突然メールを差し上げて申し訳ありませんでした。失礼します。●吉永小百合が1965年9月にビクターよりリリースしたEP「天満橋から」のB面に「奈良の春日野」が収録されていた。一度、明石家さんまかタモリの番組で取り上げていた。チョコレートで作った「鹿の糞」というお菓子もあるそうだが、どう考えても「清純派」には合わない曲だ。
奈良の春日野 青芝に
腰を下ろせば 鹿の糞 (ふん)
フンフンフン 黒豆よ
フンフンフン 黒豆よ●時代は変わって「ゴリラの鼻くそ」というお菓子が売られるような時代になった。中味は黒豆薄甘納豆。豆菓子製造の岡伊三郎商店(島根県平田市)が昨年発売した。友人が「ゴリラの鼻くそみたい」ともらしたのを聞いた岡和正社長が周囲の反対を押し切り命名した。 客の反応は真っ二つで若者は「気持ち悪い」と嫌がる傾向があるが、中高年は「面白い」と笑って買っていくという。
●奈良・東大寺の大仏にあやかって命名された菓子「大仏さまの鼻くそ」が商標登録されたことに寺側が異議を申し立て、特許庁は2003年8月に登録を取り消した。 しかし、土産物店などでは現在も販売が続いており、寺側は不快感を示している。
「大仏さまの鼻くそ」は水あめや黒砂糖などで作った直径約7センチの球形菓子で、大仏の頭部の髪「螺髪(らほつ)」をかたどったもの。販売業者は「大仏さんを侮辱する気持ちは毛頭ない。低迷する奈良の観光を盛り上げられればと、個性の強い名前にしたのだが。広い心で認めてほしい」と話しているという。
●名前負けする名前というのがある。個人でもそうだが、商品名でも立派な名前を掲げすぎると後で失敗する。2007年に伊勢の赤福は賞味期限の偽装で問題になったが、この「赤福」という名前は「赤心慶福」−−赤心(まごころ)をもって人の幸福を祝い喜ぶというのが由来という。こうなるとマスコミのツッコミ点は決まってくる。
●金沢の元菊町に「笑培処【読み方知らず】古納屋(こなや)に嫉苦想(やけくそうどん)というのがある。勇気を誉めていいんだか、どうか?
●新湊に「どん底」という名前の食堂ができたことがあった。あった、というだけにすぐに潰れた。