旅行気分で海王丸パークへ

                          ●金川 睦美(声楽家)


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 私が住んでいるのは新湊でも富山寄りのところです。元々、中心街と陸続きになっていたのですが、冨山新港を造るために港口が切断され、船で向こう岸に渡ることになったのです。県営で昔の20円の渡船料でも日本一安いという話でしたが、今ではロシア人もただで乗れます。夜勤の人や朝早い漁師さんのために24時間営業です。

 5歳の祐貴と2歳の未蘭がどこかへ連れていってという時、このフェリーに乗って「冒険」することがあります。わずか5分の航路ですが、白いカッターやヨットを見ることもありますし、運がよければ、ふじ丸などの大型客船や3万トン級の貨物船の出入港が楽しめます。

 向こう岸に着くとまもなく、万葉線のオレンジ色の車体が越の潟駅に入ってきます。「浜往来」と呼ばれた、古い松並木を歩くこともできますが、どうしても電車になります。運転手さんが運転席を反対に替えるとドアが開きます。子どもたちは争うように座席に着いて窓の外を眺めるのですが、チンチン電車を楽しめるのはわずかの間で、すぐに海王丸駅に到着です。


 降りるのを渋っていたのに、海王丸が見えてくると二人の足が大きく弾んできます。

 帆にいっぱい風を受け、マストに鯉幟が泳ぐ五月晴れの日は最高です。

 海王丸は夫の教え子たちが航海実習で乗っていた船です。時折、商船高専の卒業生が家に訪ねてくることがありますが、ハワイまで行く帆船実習は楽しくも厳しい思い出のようです。でも、潮風に鍛えられた精悍な彼らの顔が羨ましい気もします。

 浜焼きの帆立貝を食べてから、子どもたちをアスレチックスで遊ばせていると清々しい風が吹いてきます。この風は万葉の昔からあゆの風といって大切にされています。

 新湊の人には無理だと思えることを可能にする不思議な力があるようです。91年に私はここで第九のソロを務めたことがあるのですが、最初に話を聞いた時、地元の人だけの演奏会に終わると思っていました。ところが、札幌や福岡まで全国から第九好きの合唱団員が500人も集まり、6000人の観客という大イベントになりました。歌い上げた後の大きな花火を眺めながらこれこそベートーベンの理想だと思いました。


 海王丸パークから少し足を伸ばせば放生津八幡宮があります。新湊の人たちの「潮気」の原点はここに13台の絢爛豪華な山車が集結する秋祭りで、10月1日は内川に係留されている漁船にも大漁旗が飾られ、ひっそりとしていた佇まいが一変します。

 山車の上でハタキを振りながら「イヤサー」と叫ぶのですが、古語の「彌栄え(ますます栄えますように)」に由来しているそうです。86年春の選抜で「新湊旋風」と伝説となった甲子園の応援にこの伝統が引き継がれたことはいうまでもありません。


 潮風の似合う、この街が大好きです。


★「旅行気分で海王丸パークへ」『とっておきの富山』(シー・エー・ピー 1994年発行)

 ※高岡の市堰整形外科の市堰先生に呼ばれてコンサートをした時にこの文章をみなさんに配られ、誉められたことが今でも一番うれしかったことの一つです。なお、市堰先生も上記の本に書いておられます。   

★海王丸パークホームページ


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