ケニア山(一緒に登ったフランス人たちと 左端が僕)キリマンジャロは雪におおわれた山で、一九七一〇フィートの高さの、アフリカで一番高い山だといわれている。その西側の頂上はマサイ語で「ヌガイエ・ヌガイ」つまり「神の家」と呼ばれている。
ヘミングウェー『キリマンジャロの雪』私は旅や探検が嫌いだ。それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている。
-----レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(中央公論社)冒頭例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。
-----村上春樹『風の歌を聴け』
春 高階紀一
オオカミのような動物が
ぺろっと長い舌を出す
食べられちゃうかもしれない
と人は
グーを出す
オオカミのような動物はパーを出す
その一瞬
世界はしんと静まり返り
夕日が
地球の向こうに落ちていく
いつだったか
遠い昔
そんなふうにして
誰かと たったふたりっきりで この世に
たっていたような
気がする
春
縁側で
ひとり座っていると
アフリカに行くまでの僕は、一匹の動物にすぎなかった。
□ アフリカに行くといった時、近所の親切なおばさんが「あんたぁ、アフリカ行ってぇ、時計と眼鏡だけになってこられんなかぁ」と心配してくれた。アフリカ=未開=人喰い人種という量子力学的・熱力学的ピタゴラスの定理がおばさんの頭の中にしっかりとインプットされていたのだ。
ニューギニアには確かに首狩りが行われていた。大阪の民博(民族学博物館)には最初、本物の干し首が飾られていたのだが、匂いが充満してきて苦情が多くなり、今はレプリカになっている。
でも、ホントは日本人の方が野蛮な首狩り族だった。このことは歴史的にも明らかで、戦国の武将は敵の大賞の首を刈ってきた者には褒美をつかわし、「首実検」なんて気持ちの悪いものを平気で行っていた。例えば、『平治物語絵詞』には戦いに敗れた信西(“しんせい”藤原通憲)が首実検の後に都大路を引き回され、獄門の棟木に首が架けられている姿が描かれている。だから、他人のことを野蛮だなんて簡単にはいえない。おばさんの方がよほど人を食っているように思う。
金沢の人は今でも子供が丸々ふとって大きいと「うまそうな子やねぇ」といって誉める。これこそ、日本人がかつて人を食っていた名残である。「美し(うまし)国ぞ秋つ島大和の国は」というときの「美し」が残っているのだという説もある。そのうち、「うまそう」の連想から若い人たちが「おいしそうな子やねぇ」といい始める時が来るであろう。
更に日本語には「食べてしまいたい位かわいい」という表現があるし、『骨まで愛して』という演歌もあった。このまま外国語に訳して紹介すると、またまた、日本は野蛮な国だと思われるに違いない。8世紀のイギリスでは戦争が終わると敵の将軍の首を蹴って祝ったというから、ニューギニア以上に野蛮だ。
□ ウガンダのアミン大統領は人を喰うという噂が絶えなかった。同じ飛行機に乗り合わせた人が、アミンが可愛い子どもたちと楽しく話しているのを見て噂はウソだったと思ったのだが、隣にいた人が「あれは朝、昼、夕の三食だよ」と教えてくれた…。間違いなくイギリスでできたブラックユーモアだが、イギリスにはスウィフトの「アイルランドの貧民救済に関するささやかな提案」(A Modest Proposal For Preventing The Children of Poor People in Ireland From Being Aburden to Their Parents or Country, and For Making Them Beneficial to The Public)というのがあって、とても訳せないほどのブラックさがある。
食人(カニバリズム)には様々な誤解があって、アレンズ『人喰いの神話』(岩波書店)は全面否定で、異文化に対する「神話」や「伝説」から生まれる誤解の一つ一つに反論が施してある。
とはいえ、アフリカに全く食人がなかった訳ではない。ごく最近でもギィ・ブキテルとJ・C・カリエールの『万国奇人博物館』(筑摩)によればコートジボワールの上院議員であったビアカ・ボダという人は国民の食料事情の調査をしているうちに食人族に食べられてしまったという。さぞ悔しかっただろう。だって、自分の分を食料事情に入れることができなかっただろうから…。
西アフリカのイフェ王国やジュクン王国では即位式に際して、新王は先王の内蔵の一部を食べた。この行為は内蔵に祖先の力が宿るという考えに基づいていて、この食人を通して、祖先の力が先王から新王へと、宿る身体を換えるのである。王の衰弱にともなって国全体が衰弱するのを防ぐために、食人に先立って「王殺し」があるのはもちろんのことである。食人を責める西洋人に対して、「じゃあ、どうして先祖の魂を引き継いでいけるの」と逆に質問されたという話がある。
ニューギニアでクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)、今の狂牛病に似た病気が流行ったことがあるが、これは人肉食、特に脳を食べたからだと言われている。ちなみに、狂牛病がヨーロッパで蔓延した時、レヴィ=ストロースが断固として抗議をしたことがある。彼の人類学の理論の基礎はインセスト・タブーの回避なのであるが、こうした禁忌に匹敵する悪行だというのだ。つまり、草食動物である牛に、自然の摂理に反して羊の脳を餌として与えるというのは同じような禁忌を破ってしまったことなのである。この罰を受けるのは当然のことだといった。
ある牛がもう1頭の牛に「お前、狂牛病、心配じゃないか?」と聞いたら、「心配ないよ、オレはライオンだぜ」…。
中国には「割股(かっこ)」という風習があった。これは病気の親に人肉、すなわち股の肉や肝臓を食べさせて治療するものであった。唐の玄宋期に事例が多く、親孝行の手本とされた。時には税役を免除されたが、これが災いして税金逃れのために割股するものが増えてきたため、元代では禁止の対象となった。
こんな話を残酷に思うかもしれないが、シャルル・ペローの『眠り姫』(オリエントが起源?)にしても結婚後、人肉が好きなお姑さんに悩まされ、娘のオーロール(オーロラ)を食べられそうになる後日談がついている。おとぎ話の原典はどれも残酷なのだけど…。
シェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』には人肉パイが出てくる。マーク・トウェインの「車中の食人」というのもある。列車が雪で動けなくなってしまい、投票で誰を食べるか決めるのだ。ジョー・ウォルトンの『アゴールニンズ』(早川書房)はビクトリア朝小説風の筋立ての竜の物語だが、彼らの世界でものをいうのは体の大きさだ。そして、大きい体を手に入れる唯一の方法は、仲間の竜の肉を食らうことで、竜たちはいかに合法的に共食いするかにしのぎを削る…というファンタジーだ。死に際の老父への息子からのセリフは「それにむろん、みなでお身体を食らうさいにはやはり大きいほうをあれたちにやります」である。親の愛である。カズオ・イシグロには「ザ・グルメ」という食人のドラマがあるそうだ。
キリスト教徒だって食人をしている。だって、キリストの血と肉と思ってワインを飲んでパンを食べる「聖体拝受」というのは非キリスト教徒が見たら絶対に食人に映るはずだ。アンデスの山奥で飛行機が墜落した時に亡くなった人たちを食べて飢えを凌いだ話が残っている(cf.『生存者』平凡社)が、遭難者のうち最後まで人肉嗜食をこばんでいた者たちが、ついに踏み切ったのは「これは聖体拝受のようなものだな」という言葉をきっかけとしてであったという。
ちなみに日本の茶道は「聖体拝受」の影響を受けているといわれる。つまり、儀式性をそのまま残し、ワインがお茶になり、パンがお菓子になった。だから、ただのお菓子を食べるのに儀礼を重んじて難しい顔をして茶道をするのである。そして、躙口(にじりぐち)は「狭き門より入れ」になっているのだ。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(新約聖書・マタイ7:13,14)
千利休は堺にいて当然、キリシタン文化を学んでいたはずだ。
聖杯伝説というと、何といってもワーグナーの楽劇 「パルシファル」だ。若者パルジファルは、アーサー王の宮廷の騎士になることを夢みて旅に出て、漁夫王(Fisher King)の城に到着する。実は漁夫王はパルジファルのおじで、十字架のキリストの傷口から流れる血をこの杯で受けた聖杯と傷つけるのに使われた槍の管理者だった。自らの罪のため、聖杯の力で口をきけなくされていた。聖杯は罪なき者のために食物を満たし、心の汚れた者の目を見えなくし、ふさわしくない者が近づくと口がきけなくなる力をもつ。入城したパルジファルは紆余曲折の末、再度、城を訪問し、折れた剣を修復し、おじが口をきけるようにした後、その跡をついで王となり、雨が降り、荒廃した国土が再生する。これを踏まえてT・S・エリオットは『荒地』の第5章「雷神の言葉」(上田保訳)で次のように歌う。
僕は岸に腰をおろし
釣りをしていた、あの乾いた平野に背中をむけて
せめて自分の国だけでも秩序を整えてみようかちなみに、サリンジャーは『荒地』を踏まえて『倒錯の森』を書いたし、『ライ麦』でもラストで雨を降らせてホールデンを再生させている。
□ 富山の知人に奥野というのがいた。過去形でいわなければならないのが残念だが、大変、人当たりのいい男で、活動的で皆から好かれていたのに10年ほど前、僕らの反対を押し切って南洋のある島へ子供を連れて行った。案の定、人喰い人種に捕まってしまい、せめて子供だけは助けてくれと懇願したのに、酋長が冷たく言い放った。
「今夜はダメだ、親子丼にするんだ」
この時、奥野が作った辞世の句が富山の観光キャンペーンの「いい人、いい味、いきいき富山」になったといわれている。
□ 日本人も彼らに負けず劣らずで唐十郎の『佐川君からの手紙』のモデルとなっているS君は食べてしまいたいほど好きだったオランダ人女性をふられて殺してしまい、日本人らしくすき焼きにしようと思ったのだが、しらたきのないことに気づき、パリ市内を探し回ったという噂が残っている。
この間、ある学生がHe made her lunch.というのを「彼は彼女を昼食にした」と訳した。彼がパリへ行きたいと行ったら反対しなければならないと思っている今日このごろである。
ヒト食えば、鐘がなるなり 法隆寺---藤原 新也(写真家)
□ 閑話休題。
アフリカに行った話をするのだった。
初めて行った時は何も分からず、漠然とした不安でいっぱいだった。海外旅行独特の不安もあるが、アフリカで高級ホテルなどを利用せず、各地のキャンプ地に寝袋だけで野営するのが目的だから野獣からどう身を守ればいいかまるで分からなかった。
そこで富山のアフリカ研究会・西町ロンドのヌシ和崎洋一先生(元・富山大学人類学教授)やジャズ・ワークショップのマスターで渡辺貞夫さんの友人である榊原義明さんなど、アフリカ経験の長い、親切な(?)友人たちが、猛獣に出会った時の逃げ方を事細かく、丁寧に教えてくれた。
今後、アフリカへ行こうと思っている人の参考にゼッタイなると思うので、少しもったいないのだが、特別にお教えしようと思う。一つくらい『実用記事満載!』のホームページがあってもいいはずだ。
実際、86年に女優の松島トモ子(知らないと思うからお父さんに聞いて)がケニアでライオンや豹に噛まれるという事件があった。豹などはフェンスを飛び越えて噛みついたという。真相は松島の目が大きすぎて恐怖心を与えたためともいわれている【2000年にムツゴロウ・作家の畑正憲がライオンに右手中指の第1関節から先を食いちぎられてしまう事件があった】。
猛獣と遭遇した時はどうするか?
日本で最も有名なのは熊に会った時だ。死んだふりをするというのが定石だった。この源流はどうやらイソップの寓話らしい。おかげで命を奪われた人も多いという。
二人の男がいっしょに旅をしていた。ある大きな森の中の道を歩いていると、目の前に一頭の熊が現われる。一人の男はすぐに近くの大木によじ登ったが、もう一人の男は逃げ遅れ、仕方なく地面に倒れて死んだふりをする。熊はその男の耳元に口を当てていたが、しばらくすると森の奥に姿を消してしまった。安心した木の上の男が降りてきて、逃げ遅れた男に「熊は君の耳に何かささやいていたようだが、何て言っていたんだね?」と聞いたところ、彼は答えた、「ああ、言っていた。危ない時に友達を捨てて自分だけ逃げるような薄情な相手とはもう別れろ、と」。
岩波新書から玉手英夫『クマに会ったらどうするか』という本が出ていて死んだふりは危険だという。意外にも「立ち止まったまま話をする」のが正解で、これは熊の警戒心を解くというところがポイントなのだ。ただ、この本は熊に会ったときの対処法として8つ挙げているが、もう一つのやり方を忘れていて不満である。アイヌ出身のアイヌ語学者・知里真志保によれば、アイヌの人は熊と出会ったら、女の人がお尻をまくって後ろ向きで見せれば熊が逃げていくと信じているという(スワヒリ語で女性自身をクマというのはここから来ているのだろうか)。このやり方なら熊でなくても逃げていきそうである。まあ、ガードル履いている時とか、女性がいない時とか、いささか難点はある。
ウィーン性科学研究所編纂『性学事典』(河出書房新社)の「性器露出」という項目によれば、性器を露出することによって悪魔を退散することができるという迷信は歴史的・地理的にかなり広範囲に見られる。恐らくアイヌだけの風習ではない。『性学事典』によれば、インドの春祭・ホリカ女神祭における飢餓・疫病の悪霊を退散させるための性器露出にはじまり、ギリシャ・ローマを経てラ・フォンテーヌやルターにまで至るという(「ルッターすら自分の尻を露出して寝床に頭をつっこむ以外には悪魔退散の術を知らなかった」)。
デズモンド・モリスは『ウーマン・ウォッチング』(小学館)の「尻」という章でこの点を説明している。
悪魔は人間の姿を装うことができたとしても、人間の丸い尻はどうやっても真似ることができないから、完全に人間に変身はできないと、昔のヨーロッパ人は思いこんでいた。もっとも素晴らしく、もっとも独自性に富んだ、この人間らしい身体の特徴は、魔性の力をもってしても、及ばなかったのである。
この弱点は、悪魔にとって大きな悩みの種と考えられたので、悪魔を苦しめる絶好の機会を与えてくれた。悪魔の嫉妬心をあおるには、裸の尻を見せつけるだけでよかった。そうすれば悪魔に自分の欠点を思い知らせ、この突然の示威行為に、悪魔は目をそむけざるをえなくなり、悪魔に魅入られずにすむ。
こうして尻を見せつける行為は、人間を恐ろしい「悪魔の目」から守り、魔除けに有効な手段として広く用いられるようになった。
ちなみに、ギリシャ神話ではニンフ(精霊)のカリストが大神ゼウスによって強引に妊娠(妊婦のニンフ)させられた上、ゼウスの妻ヘラの嫉妬によってクマに変身させられる。鹿島茂『パリの秘密』(中央公論新社)によれば、ゲルマン人やケルト人にとって、熊は恐れと崇拝の対象となり、「獣性」と「王権」の象徴として王侯貴族の紋章にもよく使われたという。女性が好色な熊にさらわれ、その間にできた「熊の子」が恐るべき戦士となって王座に座る伝承も少なくない。
アリストテレスも熊と牛が戦ったら、という暇なことを考えている(「動物誌」)。「クマは雄牛に肉薄すると、その面前で仰向けにひっくり返り、雄牛が突きかかろうとすると、両腕で2本の角をつかみ、口で肩をかんで、雄牛を引き倒す」。うんな訳、ないだろうと思う。
全然関係ないが、落語に「熊の皮」というのがある。女房の尻に敷かれている男があっちこっち使いにやらされる。ところが、最後に「あたし(女房)がよろしく」というのを忘れずにと念を押されるも、医者の家で思い出せない。ところが、その家には熊の皮があって、それを触ったとたんに、「妻がよろしく言っていました」と用件を思い出す噺だ。
村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社)の一編「UFOが釧路に降りる」では短大生のシマオさんが大学生の彼とハイキングをする。クマよけに地元の人からもらった鈴をもって山の中へ行く。「それで私たちは二人でちりんちりんと山道を歩いていたの。そうしたら、誰もいないところで、彼が急にあれをやりたいって言い出した」のだ。二人はことを始めたのだが、クマが怖いので、片手で鈴を振ることにした。
「どっちが振ったの?」
「交代で振ったの。手が疲れると、交代して、また疲れるとまた交代して。すごく変なものだったわ。鈴を降り続けながらセックスするのって」とシマオさんは言った。熊が襲うのは圧倒的に人間への恐怖心からだという。
クマというのは器用貧乏らしい。木にも登れば穴も掘り、泳ぎもできるが、何でもできるのは何でもへたなのと同じ。木登りはネコに、穴掘りはアナグマに、泳ぎはカワウソに及ばないと、雪博士で知られた高橋喜平さんが書いていた▼そんな身ごなしに愛嬌(あいきょう)があるのか、動物としてのイメージは「癒やし系」だろう。テディベアあり、プーさんあり、日本では金太郎の相撲の相手でもある。だが、おとなしいツキノワグマも牙をむけば猛獣に豹変(ひょうへん)する【…】きょうが命日の宮沢賢治に「なめとこ山の熊」という物語がある。熊撃ちと熊。殺し殺されるものの交感を描いて切ない。「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ」。熊撃ちの声は、毎年、多くのクマをやむなく捕殺する今の時代に重なって聞こえる【…】-----朝日新聞「天声人語」2009年9月21日
オオカミも昔から怖がられ、全国各地に言い伝えが残っている。道で人に会うととことこ付いてきたそうだ。転ぶと、かみ殺される。万が一転んだら、「どっこいしょ」と言ってその場に腰を下ろせば襲ってこない。家の近くまで来たら「ご苦労様」と声をかければ、黙って戻っていく。これが転じて「送りオオカミ」という言葉になった。面白いのは、火を恐れ、怖さを知っていたので、たき火がそのままだと、自ら谷川で体をぬらし、残り火の上に寝ころんだりして消した。だから、「火伏せの神」と呼ばれた。
「熊にまたがり」 阪田寛夫
熊にまたがり 屁をこけば
りんどうの花散りゆけり熊にまたがり空見れば
おれはアホかと思わるる□ さて、アフリカの動物である。
何といっても一番怖いのはライオンであろう。ライオンというのは滅多なことで人を襲ってこない。けれども岩陰で突然、人に出くわしたら、やっぱりライオンもびっくりして、恐怖心から人に飛びかかってくるという。何よりもそうした事態が起きないように気をつけることが重要なのである。
和崎先生のNHKブックス『スワヒリの世界から』には期せずしてライオンに遭遇した時の先生の話が載っている。したがって、彼らの居住区に入らないようにすることが肝心だが、アフリカまで行ってライオンを見ない訳にもいくまい。
その和崎先生はシンバ・ヒルズ(ライオンの丘)という場所が地図に書いてあったので日本の名勝のようにライオン岩が見られると思って期待して行ったら、ライオンだらけの場所でほうほうの体で逃げてきたという。
万が一、近くにライオンがいることに突然気づいたら、まず、ライオンの眼をじっと見て、絶対に視線をそらさないようにして、ゆっくりとゆっくりと後ずさりする。そして後ろ手でドアを探って開き、車の中にさっと避難するのが正解だ。
つまり、ライオンが本能的に身につけている心理的な縄張りさえ荒らさなかったら、大丈夫ということである。ちなみにサーカスのメイン・ステージのリンクの直径は万国共通で13メートルになっている。これはライオンなどの猛獣が自分から6.5メートル以内に異種の動物が近づくと攻撃してくるためで、円の中心から調教師が猛獣を操るのに、この距離がちょうどいいからとされている。
ライオンから目をじっと離さないのが基本なのだが、ある人がライオンとにらめっこになった。やがてライオンがお辞儀をしたので、同じようにお辞儀をした。するとライオンが「あなたは何でお辞儀をしたか分からないけれど、こちらは食前のお祈りだったんですよ…」。
これと同じジョークが米原万里の『旅行者の朝食』(文藝春秋)に出てくる。あちらは熊になっていて、別のバージョンも書いてある。
ある男が森の中で熊に出くわした。熊はさっそく男に質問する。
「お前さん、何者だい?」
「わたしは、旅行者ですが」
「いや、旅行者はこのオレ様だ、お前さんは、旅行者の朝食だよ」よほどこのバリエーションが好きなのか、ロアルド・ダールの『きゃくいんソング』(評論社)には「韻果応報」(Revolting Rhymes)の「三匹の熊」のパロディが載っていて、お粥がないと叫ぶ赤んぼ熊に父さん熊がいう。
「2階へ行くとちゃんとある
粥はベッドの上にある
でもお嬢ちゃんのおなかの中だぞ
だからお嬢ちゃんごと平らげるんだぞ」余談だが、この話と本のタイトル「旅行者の朝食」というのはソビエトの中で最もまずい缶詰の商品名からきていて、ロシア人に「旅行者の朝食」というとそれだけで笑えてしまうものだという(想像するに「スパム」みたいな缶詰なのだろう)。日本人が脱脂粉乳を嫌がるのと同じかもしれない。クジラの唐揚げといいたいが、好きな人もいるからだ。
ケニアに着いてから気づいたのだが、友人Oがパーティで使うクラッカーをリュックの中に入れてきていた。ライオンが出たら、これで威嚇して相手がひるんだ隙に逃げるのだという。冗談ではない。そんなことをしたら周囲の仲間まで刺激して、逆にライオンさんたちにパーティを開かせてしまう。
「朝食をすませているから安全だよ」
と、ロバート・レッドフォードがライオンの出現におののいているメリル・ストリープに語るシーンが『愛と哀しみの果て』の中に出てくる。この映画では3度、ヒロインがライオンにでくわす。最後には女手ひとつで鞭を使ってライオンを追い返すシーンが出てくる。トリックとはいえ結構迫力がある。
この映画を観ていて思い出した。セシル・B・デミル(『十戒』などで有名)のスペクタクル『サムソンとデリラ』(聖書に基づく話でサムソンの愛と苦悩を描いている)の中でサムソンがライオンと戦うシーンがある。主演のヴィクター・マチュアがすっかり尻込みしていたら、監督がやってきて「大丈夫、このライオンはミルクで育ててあるんだから心配ない」という。マチュアが反論していった。
「私もミルクで育ちましたが、今では肉が大好きですよ」
ある日、クリントンとエリツィンとカストロがライオンと出くわした。クリントンとエリツィンはライオンと闘ったが、大ケガをする。だがカストロがライオンに近寄って耳に何かささやくと、ライオンはたちまち死んでしまった。驚いた2人がどんな呪文を言ったのかと聞くとカストロは答えた。「いつもと同じだよ。『社会主義か死か』さ」…。
黒澤明監督が旧ソ連に呼ばれて思いきり贅沢に作った映画に『デルス・ウザーラ』がある。この中では虎が出てくる。最初、スタッフが虎を動物園から借りてきたら、完全主義の黒沢明がおとなしすぎるからダメだと言い出し、野生の虎に代えたという話が残っている。どれだけ違うのか画面からはよく分からないが、主演俳優はあまりいい気持ちではなかったろう。
余談だが、完全主義というのは貫くことはできない。黒沢によれば日本の赤は西洋と違って最初、黒を塗り、その上に赤を塗るので色合いが違うというのだ。勝新太郎も画面に映る以上のエキストラを呼んで「こうしないと映っている人の目線が違ってくる」といった。どうだろう。完全主義を貫くなら殺人シーンで殺人をしなければならなくなる。時間を省略することもできないはずだ。完全主義は鬱病への一本道だ。余計な話になってしまった。
しかし、マニアというのはいるものだ。『帝(みかど)揚羽蝶命名譚』(草思社)を書いた今井彰によれば、名作『西部戦線異状なし』のラストシーンで出てくる、一匹の蝶、実はこれを取ろうとしたドイツ兵が手を伸ばした瞬間に、銃弾が彼を倒すのだが、この蝶はカザリシロチョウの一種で、この蝶がオーストラリアに分布し、ヨーロッパにいるはずがないことを突き止めたという。そんな人もいるからレアリアには十分注意しなければならない。
ライオンが恩返しをする話は剣奴(グラディエーター)のアンドロクレスの話(バーナード・ジョーも書いている)や聖ヒエロニムスで有名だ。どちらもライオンの脚から棘を抜いてあげたのだが、ライオンは恩を忘れず、前者はコロッセオで和解し、後者は平和に聖人と暮らしたことになっていて、人間自身の動物性の克服を象徴したお話になっている。
イギリスのチェスタートンが書いている話だが、ライオンに食べられそうになったら、「食べてもいいけど、後でテーブルスピーチをしなければならないよ」というのが効果的だという。
ライオンと映画といえば誰でも『野生のエルザ』を思い浮かべるだろう。映画のこちら側でみれば、博愛精神に富んだ白人女性の「愛と感動」の物語として涙を流すことができる。ジョン・バリーの主題歌「ボーン・フリー」も最高だ。しかし、実際にそこに住んでいる人々にとってみれば猛獣を近くに放し飼いされるのは迷惑、どころか危険な話である。
今では原作者のジョイ・アダムソン(1980年1月、23歳の元使用人に恨まれて殺されたとされる)の夫ジョージまでが彼女のしたことに異議を唱えている。Behind the Maskという伝記も出ているが、3度の流産と2回の離婚で精神バランスを失ったといわれている。ライオンは子供の代理だったのかもしれない。伊藤正孝は『アフリカ33景』(朝日新聞)で次のように批判している。
動物保護地といっても、別に周囲に冊があるわけではない。地元の人にとってみればある日突然、三六〇平方キロの土地に立ち入り禁止を言い渡されただけで、その境界線もはっきりしない。草の豊かな方向へ、牛をつれていくと、そこに動物保護の雄である白人女がいて、厳しく立ち退きを迫られる。アダムソン夫人が占拠していたのは泉のほとりだった。まわりの草はつねに緑で、水にはかすかな塩分があって、放牧にはもってこいだった。
遊牧民を追いやったのは政府と観光業者で、その背後にアダムソンみたいな動物保護論者がいた。結局、「ヌー、シマウマ、トムソンガゼルがつくだ煮ができるほどうようよいる」という状態にしてしまったのだ。
そうそう、子供といえば、うちの子供を動物園に連れていってライオンを初めて見せた時のことである。「ほら、ライオンだよ、ものすごく強いんだよ。檻の外に出たらパパでもアッと言う間に食べられちゃうよ」というと心配そうな顔をしたので、やっぱり父親は大切だと納得した。すると「ねぇ、パパ。そしたら、僕、どのバスに乗って、おうちに帰ればいいの?」…。
そう、愉快な冗談を言えばライオンは追い払うことができるかもしれない。
「ゆうべも相変わらず退屈な夜でした。蛇遣いのガールフレンドとジャングルでセックスをしていたら、ライオンがうしろから飛びかかってきたので、愉快な冗談を言って追い払いました。それだけです」
村上春樹『うさぎおいしーフランス人』□ 大好きな落語に(『芝浜』で有名な先代の桂三木助が演じた)『蛇含草(じゃがんそう)』というのがある。うわばみが人間を飲み込んだ時、この毒草をなめると中の人間が溶けてしまう。餅をたくさん食べた男がお腹が苦しくなって、消化薬にと、そばにあったこの草を飲んだ。その後、心配になったので、
「ご隠居さんが、がらっと障子を開けてみたら、人間がきれえに溶けて、餅が甚兵衛を着てあぐらをかいていました」
さて、ライオンよりも怖いのは蛇である。
蛇は赤道に近いほど猛毒があるといわれる位で、アフリカのはスピッティング・コブラと呼ばれる唾液を飛ばすタイプで眼に入ると失明する。ゴリラなどの研究で有名な伊谷純一郎さんもやはり唾液をひっかけられ、幸い眼鏡をかけていたので助かったのだが、口や頬は相当な時間、マヒしてしまったそうだ。だから、眼のいい人でもサングラスをかけて出かけた方が賢明である。
なお、頭が三角のはみんな毒蛇という俗説があるが、どれも毒蛇だと思った方がてっとり早い。映画『永遠のアフリカ』では毒蛇じゃないニシキヘビが何度も出てきて、大きいのはみんなで長さを測るシーンがある。
蛇足ながら、米軍が沖縄での毒蛇対策に考えた識別法を教えておく。まず、蛇を見かけたら“Poison?”と尋ねる。相手が“Yes, I have.”と答えたら、これはもうハブに違いないから撃ち殺せ、というものである。
ある蛇が友だちの蛇に「僕らってやっぱり毒があるのかなぁ」と聞くので、「どうしてそんなこと、今更聞くの?」というと、「実は今、ちょっと舌を噛んじまってね」ノ。
『徒然草』の第九十六段には「めなもみといふ草あり。くちばみに螫(サ)されたる人、かの草を揉(モ)みて付けぬれば、即ち癒(イ)ゆとなん。見知りて置くべし。」(メナモミという草。マムシに噛まれた人はこの草を揉んでつけるとたちまち快癒すると。知っておくべし)と書いてあるが、真偽のほどは知らない。
アフリカの救急医療の本を真面目に読むと、毒蛇に噛まれた時の、傷口の開き方、毒の吸い出し方、止血の方法などが生々しく書いてある。現地の魔術師の治療にも効果の大きいのがあるとも書いてあるが、我々は結局、血清に頼るしかない。
別の本にはこう書いてあった。毒蛇に対する血清と一口にいってもアフリカにはいろんな蛇がいて、その種類によって異なる。だから、蛇に噛まれたら、必ず、その蛇の首を切り取って病院の医者に見せなければならない、と。
しかし、気が動転していてそこまで気が回りそうにないし、何よりも蛇がそんなに簡単に首を提供してくれるとは思えない。
「お気をつけてくださいましよ、よろしいですね。蛇は蛇の本性に従ってふるまいますんで」というのは『アントニーとクレオパトラ』の田舎者(道化)のセリフだ。彼はさらに「蛇は賢い人におあずけなさるにかぎります。なにしろ蛇ってやつには人のよさってもんがありませんので」と続ける。賢い人にあずけないとどうなるか?
鶴見俊輔の『思い出袋』(岩波新書)にはこんなことが書いてあった。ハドソンはオードリー・ヘップバーンの映画『緑の館』の原作者である。
イギリスの作家W・H・ハドソン(1841?1922)の伝記【『はるかな国 とおい昔』】を読んだ。あるとき蛇を殺さないと決めてから森にはいると、別の風景がひらけた、
と書いてあった。イギリスの森だからできることで、毒蛇の住む地方だったら、むずかしいだろう。中野重治の自伝小説に、主人公の祖父が、足を蛇に巻きつかれても、あわてずに古歌をとなえ、そのうち蛇はするすると輪を解いて森の中に消えてゆくところがあった。蛇が和歌を理解していたわけではなかろう。あわてないで立っている人の姿勢が、蛇に働きかけたのだろう。
和崎先生たちの京大グループがタンザニアの奥地に入る時、首都のダルエスサラームで毒蛇用の救急キットが売られていたのでみんな大喜びで、そのキットを買って、安心して現地に向かった。向こうで少し落ちついてからフランス語の読める隊員に使用書にゴチャゴチャ書いてあるのを一応読んでみろ、ということになった。訳し始めた第1行にこう書いてあったという。
「この血清は冷蔵庫に保管しなければならない」
結局、蛇に関して友人たちが忠告してくれたことをまとめておくと、こうなる。
まず第一に、蛇の出そうな所へ行くな、ということだが、アフリカに行くなに等しい。
次に、蛇を見つけたらすぐに逃げろ、ということだが、気づく位なら誰も噛まれたりしないだろう。
西江先生は蛇に関連してアフリカの文化を次のように語っている(『ことばを追って』大修館)。
例えば、蛇に咬まれて死んだ人を見付けた場合を例にとると、部族によっては私達の世界のように、まず蛇の牙から毒がその人の体内に入った所から話がスタートし、それからその毒が血管を如何にして伝わって行き、いかなる生理的作用を体内に起こさせ、いかなる障害が出たためにその者が死に至ったかを話題にするのが普通なのであるが、このナイロビ近くには、その男の死について語る場合に、その毒蛇が、その他の場所に行かずに、どうしてその場所を特に選んでやって来たのかとか、またどうして他の時刻ではなくて、その特定の時刻にその毒蛇はやって来ることになったのかとか、どうした他の人ではなくて特にその人物を咬まねばならなかったかということを専ら考える人々が住む部族がいくつも並んでいることを指摘したりした。この発想方法と論理の展開のさせ方は、当然、現代ヨーロッパの影響を強く受けたアフリカの都会人の発想方法とはことなるものでもある。そんなことが背景となって日常的な出来事に関する会話では互いにチグハグな対話を産み出す結果となってしまうこともあり得るのだ。
プルタークの『英雄伝』に出てくるクレオパトラは蛇を腕に巻いたが、英雄伝』を下敷きに書いたシェイクスピアはもっと毒が回るように胸に巻くように描いた(蛇のことをここでは“worm”、虫という)。エリザベス・テイラー主演の大スペクタクル映画『クレオパトラ』でも胸に巻いたが、あんな大きなおっぱいに、毒が回るのだろうか、と他人事ながら心配したことを思い出してしまった。
マムシが這い出るのはきまってうららかな日だ。-----シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』第2幕第1場
毒蛇はどくじゃ ------------桃屋CM『クレオパトラ篇』
□ 猩々(しょうじょう)は血を惜しむ。犀(さい)は角を惜しむ。日本の武士は名を惜しむ
------------『義経記』犀(サイ)についてもずいぶん心配した。というのもハワード・ホークス監督(『ホワイトハンター・ブラックハート』の象狩りの監督のモデル)の映画『ハタリ!』(スワヒリ語で「危険」の意味)の冒頭の犀狩りのシーンが目に浮かぶからだ。傷を受けた犀がジープに向かってきてジープを大破させ、大けがを負わせてしまう。
ロアルド・ダールの『おばけ桃の冒険』(評論社/James and the Giant Peach/ディズニー映画『ジャイアント・ピーチ』の原作)では英国に住む9歳の少年ジェームズ・ヘンリー・トロッターの優しかった両親が犀に襲われて亡くなっている。そのため、性悪な二人の叔母スパイカーとスポンジに引き取られて冷たい仕打ちと山ほどの仕事に耐える日々を送ることになる…。
しかし、みんなの話を総合すると、犀に出くわした時は比較的、楽である。犀というのは匂いに敏感だが、いかんせん、眼が悪い。ほら、ちょっと目つきが悪いでしょ。あれはヤンキーだからじゃないのです。
とにかく、眼が悪くてちょっとしたことに驚いて突然興奮状態に陥ることがある。一度、腹を立てたら、猪突猛進というか、犀突猛進というか、まっすぐこちらに向かってくる。こちらに向かってくるのをしっかり確かめてから、ごく近くまできた時初めて、ヒョイと横にすかす。そうすれば犀は急に停まれずに、そのまま通り去ってしまう。ただ、あんまり早く横へすかしても、そちらに向かってくるから最後の最後まで我慢する必要があるという。これではまるで我慢比べのチキン・ランだ(J・ディーン『理由なき反抗』を見て下さい)。
ちなみに、ジョシュア・ペイビンとデビッド・ボーゲニクトが書いた『この方法で生きのびろ!《究極サバイバル篇》』(草思社)によれば、「急いで木に登る」「灌木のしげみに逃げこむ」「サイをにらみかえして大声をあげる」「サイと逆方向に全速力で走る」などと書いてある。
せっかく、チキン・ランするのを楽しみに?アフリカに出かけたのに犀は絶滅寸前で出会うことはなかった。あげく「日本の動物園で見た方が早い」といわれた。
犀の角には強精作用や解熱作用があるという神話が彼らを絶滅の危機に晒したのだ。寂蓮法師にも「うき身にはさいのいき角えてしがな袖の涙も遠ざかるやと」という犀を詠んだ歌がある。犀の生き角を手に入れたいものだ。憂き身の涙も乾くだろうに、という。本当に効果があるのなら、犀は大繁殖しているはずだ。生きているサイから採った角を身につけていれば水難が避けられるという俗信もあった。
現在ではヘミングウェイの愛したサファリ(猛獣狩り)はもちろん、『ハタリ』に出てくる動物捕獲も禁止されていて許されるのはカメラ・サファリといって野生動物を撮影することくらいだ。それでも密猟は絶えない。
周りの人が何故かみんな犀になっていき、自分も犀にならなければという脅迫観念にかられてくるイヨネスコの不条理劇『犀』は絶滅種に対する挽歌ともとれる。
□ シマウマは怖くない。手製のおりにはいっているから。
□ キリンはもちろん、怖くないが、近くに寄りすぎると威嚇するようなことがある。網目キリンとマサイキリンがいる。
青いキリンというジョークがある。大金持ちが青いキリンを見せてくれたら大金をあげる、という。
イギリス人はそんな動物がいるか徹底的に議論する。
ドイツ人は図書館で文献を調べた。
アメリカ人は大規模な探検隊を世界中に出した。
日本人は品種改良を重ねて青いキリンを作り出した。
中国人は青いペンキを買いに行った。□ 猛獣ではないが、サソリも怖い。めったに死ぬことはないらしいが、噛まれたら最後、強い電気ショックを受けたようになって2、3日は息も絶え絶えになる。
ヨーロッパにはサソリに刺されたら、そのサソリをつぶして傷口にすり込めば毒を吸収するという俗説があった。ガリレオ・ガリレイは『偽金鑑識官』という本で、論敵をサソリにたとえ、毒針で刺してきたらズタズタにひねりつぶしてやるとすごんだ。そう書いたばかりだけでなく、実際に相手の主張を細かく切り分け、一つ一つを徹底的に粉砕してみせた。この書物はその後、論争はこうやるんだという教科書のように読まれたという。
俗説だからそんなことをしたら死んでしまう。結局、サソリに対する対策は毎晩、見張りを決めて、みんなが寝ている間に寄ってくるサソリを火の中にくべてやればいい。
しかし、そんなことをしていては疲労困憊して昼間寝ていなければならない(アフリカへ行って寝ている観光客も多いそうだ)ので、組立式のサファリベッドを持っていくことにした。わずか20センチの高さだが、サソリが登ってくることはなく、安心して眠ることができた。
□ 「リーマスおじさんの話」(ディズニーのスプラッシュマウンテンの元になった『南部の唄』というディズニー映画で有名だが、今は上映されなくなっている)という黒人の昔話集ではザリガニが一番強いことになる。簡単にいうと、動物たちが会議を開いていたのだが、象が間違ってザリガニを踏んでしまった。抗議をしたのだが、大きい動物は話を聞かない。ドロガメとイモリだけが味方だった。議論が熱くなった時にまた象がザリガニを踏み付けた。残りのザリガニは抗議したのだが、反応がない。そこで、地下に潜ることに決めて、ドロガメとイモリに別れを告げて、鋏を上手に使って、どんどん掘っていった。すると地中の泉に当たって、すさまじい勢いの水が湧き出て、地面を覆い、ザリガニを見下した動物たちは皆、溺れてしまった…。
□ ダニもすごかった。Iさんの顔にずっとほくろがついていると思ったら、モンバサのホテルのお風呂で取れたという。僕もパンツの中にダニがいてお湯と共に飛び出したのでぎゃっと叫んだものだ。ノミにいたっては日本までついてきた。
小さいからと看過できない。野生のエルザが死んだのもダニ熱が原因だった。
□ 「ぽつかりと水に浮きゐる河馬の顔郷愁(ノスタルジア)も知らぬげに見ゆ」
「水の上に耳と目とのみ覗(のぞ)きゐていぢらしと見つその小さきを」
中島敦ケニアのツァボ国立公園内にムジマ・スプリングスと呼ばれるカバの繁殖地がある(ユネスコの世界遺産に選ばれている)。キリマンジャロからの清水を受けてカバがたくさん棲息している場所だ。勇んで出かけたら入り口に大きく看板が掛かっていた。
自分の責任でおはいりください(Visitors enter at your own risk.)。
つまり、ここにはカバだけでなく、ワニさんも同棲しているのだ。ワニ対策は誰も教えてくれなかったことを思い出したが、もう遅い。
ナイロビに帰ってからスネークパークへ行ったのだが、ここのワニ園には「ワニに餌をやらないで下さい。やった人は自分で取りに行って下さい」と書いてあった。日本でこんな看板を出したら非難囂々だろうが、あちらの方が民度が高い、ということだ。
さて、内心ビクビクしながら池の廻りを回ったが、友人Oの手を見ると、どこで拾ったか長い棒をしっかりと握りしめていた。一体、何を考えているんだか…。
そういえば『007/死ぬのは奴らだ』の中で人喰いワニに囲まれて絶体絶命になったジェームズ・ボンド(ロジャー・ムーア)が因幡(いなば)の白兎よろしく、横に並んだワニをポンポンと飛び越えていくのがあった。まるで大人の童話だ。
童話で思い出すのだが、白兎の本の中にはワニを渡っていく絵が描かれているのがある。ワニはワニでもこの場合、鮫の山陰地方の方言なのに。
ただし、西岡秀雄によれば東南アジアの類似した説話ではワニになっているとう。だからワニでいいことになるが、どうだろう。
七月の水のかたまりだろう、カバ---坪内捻典 そうそう、「自己責任」というのはとても大切なことではないだろうか(ドイツ語で“auf eigene Gefahr”、フランス語で“a vos risques”)。
□ 象の話を忘れていた。象も怖い。特に怖いのは集団でいるのではなく、「一匹狼」でいる象である。母子はふだん一緒だから、もちろん、オスである。これはもう、水牛同様、怒らせてはならない、の一言につきる。というのも象はキレやすいのだ。水飲み場にライオンがいても気にしないのだが、そこに人間がいるともう不愉快だといって追いかけてくる。
象は右回りが苦手で、追いかけられたら右に曲がるのが正しいという。
更に、象の道という通り道があって気をつけなければならない。写真家の内藤忠行さんはうっかり、この上に(だって別に「コクゾウ8号線」と書いてある訳ではない)キャンプを張ってしまい、気がついた時にはテントを壊され、スープを飲まれ、食料をもっていかれ、往生したという。
『この方法で生きのびろ!』には「急いで物陰に身を隠す」「急いで木に登る」「地面にあおむけになる」「顔を守る」という象の群からの逃れ方が書いてある。象が賢いことは英語で“elephantine memory”というと「抜群の記憶力」という意味があることでも知れるが、次のように生きのびた人が本当にいたのだろうか?
象について、9・11を目の当たりにした坂本龍一は『エレファンティズム』というDVDを出している。
ケニアでさまざまな出会いを重ねるうちに、私は物質社会が失った価値を見出したんです。最初の類人猿が2足歩行をはじめたというトルナカの大地、マサイマサラの豊穣な自然とそこに生きる人々……。なかでも、この巨大な大陸の叡智を象徴していたのは、地上最大の生物であるゾウ。彼らの知性あふれる生態のなかに、わたしたち人類の未来を開くカギを見つけたんです。
僕自身、象になかなか逢えなかった。とはいえ、どこも象の糞だらけだった。
サバンナの象のうんこよきいてくれだるいせつないこわいさみしい 穂村弘 なかなか逢えなかったのだが、ツァヴォ国立公園でアフリカの赤い土を被ったおびただしい数の象を樹林帯に発見した時は興奮した。最初、岩が動いたようにみえたのが象の大群だった。これこそ、人類が眼にしうる、最高の壮観である。
□ その【キリマンジャロの】西側の頂上の近くに、ひからびて凍りついた豹の屍がある。豹がそのような高いところで何を求めていたのか、だれも説明した者はいない。
-----ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』(高村勝治訳)ヒョウに襲われた時は諦めろ、といわれた。ヘミングウェイばりにキリマンジャロで見たかったのだが、都合でケニア山に登ることになった。4500メートルまで登った所で高山病に罹ってしまい、2メートル先のトイレにも行く気がなくなり、苦労した。そこのレインジャーに聞くとヒョウも絶滅寸前でケニア山には一つがいしかいないという。出会えたらもう死んでもいい、といった貴重品なのである。屍骸なんか残っているはずがない。
代わりにハイラックスという鼠を大きくしたような、鼠のようにあちこちに現れる動物が挨拶してくれた。調べると象と同じ仲間だという。
そういえばケニア山のあちこちに象の糞が落ちていた。彼らの話では4000メートルまで登ってくるのだという。象の高山病はどんなかと考えているうちに、またまた、頭が痛くなってきた。
□ 動物ではないが、イナゴの大群も怖い。ある日、地平線が黒くなってきたと思ったら、一匹二匹とイナゴが飛んできて、あっと言う間に植物を食い荒らして去っていく。人間の方が佃煮にされそうな勢いである。ディネーセンの『アフリカの日々』の中のクライマックスにもなっていて、彼女はこれらの被害のためにコーヒー農園を諦めることになる。
□ しかし、真面目な話、最も危険なのは水牛だということで意見が一致した。水牛というのは一度ねらいを定めたら最後、どこまでもどこまでも疲労困憊するまで追いかけてくるという。何よりも怒らせないようにすることが肝要である。『永遠のアフリカ』でもキム・ベイシンガーの旦那が水牛に襲われる話が出てくる。
アメリカバイソンは絶滅の危機に瀕しているが、乱獲だけが問題だったのではない。原住民の生活基盤であるバイソンを減らせば、インディアンも減らせると白人が考えたからだという。
結局、人間が一番怖いことになる。
□ 猛獣に関しておおよそこれだけの知識を詰め込んで出かけたのだけど、猛獣には一度も遭遇しなかった。ライオンはおろか、さそりも5センチくらいの赤ちゃんがいただけでさすがに拍子抜けした。最後にはライオンさんやーいと探して歩いた。が、どこにも見つからなかった。教え子で文化人類学科に進んでいたIさんは九州のサファリパークの方がよっぽど動物が多くて、しかもすぐに出てきたよかったと文句をいう始末だ。
実はサバンナに住んでいる遊牧民は別にしてケニアの人の多くがライオンを見たことがない。ちょうど、東京の人が東京タワーに登ったことがないようなものだ、というか、日本人はみんな空手ができると思うのと同じ偏見である。
アフリカにはティンガティンガ派と呼ばれる素朴な絵を描く人々がいるが、そのうちの一人を日本に招待したら、まっさきに上野動物園に行って感激したという。
ティンガティンガ派の絵□ 思わぬ被害もあった。キャンプ地に食料を置いて出かけたら、その間に猿がやってきて食塩だけを荒らしていった。怒りよりもさすが野生の猿と感心したものだ。
猿で思い出したが、河合雅雄先生(隼雄さんのお兄さん)のエチオピアにいるゲラダヒヒの調査に関しての集中講義を聴いたことがある。雅雄先生の顔を知っている人は分かるだろうが、アフリカ学会で飲んでいて「どうしてあんなに緻密な調査ができるんですか?」と聞いたらこともなげに答えられた。
「なあに、サルに受け入れられやすい顔だからですよ」
「どれくらい私のこと好き?」と緑が訊いた。
「世界中のジャングルの虎がみんな溶けてバターになってしまうくらい好きだ」 と僕は言った。
------ 村上春樹『ノルウェイの森』動物の中で一番危険なのは何か、という議論になった。山崎豊子が『沈まぬ太陽』でとりあげていて、『一語一会』(亜紀書房)によれば、ニューヨークのブロンクス動物園に「鏡の間」があって、“THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD”と書いてあり、説明によれば、1963年に自然保護と動物展示で有名なウィリアム・コンウェイ博士によって設けられたもので、次のような警句が鏡の下に付記されているという。
二十四時間ごとに十九万匹の割合で増えているこの動物は、多野動物を絶滅させたことがある唯一の生き物です。この動物は、今ではもう、地上の全ての生き物を絶滅させてしまう力を手に入れてしまいました。スペイン映画に『蝶の舌』(原作マヌエル・リバス)というのがある。1936年のスペインでは共和制が瓦解し、フランコ将軍たちによる軍事クーデタで内戦が始まる直前の不安な時代が始まる。少年の敬愛する先生は蝶の舌について「今は隠れていて見えないけど、蜜を吸う時に巻いていた舌を伸ばすんだ」と教える。そんな日まで、のびのびと自然の中を生きていてほしい。先生は引退の日、生徒たちみんなに「自由に飛び立ちなさい!」 と語る。ところが、先生は共和派の活動家として王党派のクーデタ勢力に逮捕されてトラックで連れ去られる。主人公のモンチョ少年が自己保身のために「アテオ(無神論者)!赤!人殺し!盗人!」と叫ぶのに唱和するシーンがフリーズして終わる…。怖いのは人間だ。
西江雅之先生は『東京のラクダ』(河出書房新社)の「人であること」というエッセイの中で、次のように書いている。
人間はお互いに持ちつ持たれつの関係にある。他人を信じてしか生きられない。しかし、このことは、頭で理解出来てはいても、実際の場で考えることは逆であることもタシかである。
わたしは世界の秘境と呼ばれる所で、幾度か何日も独りで過ごした。そのような経験を話すとき、「一体、何が一番怖いですか。」との質問をよく受ける。人々は何か特別な野獣の名か、得体が知れない病名がわたしの口から出ることを期待しているのである。しかし、「人間です。」という言葉が、わたしの口からは何のためらいもなく出てきてしまう。
人間であることは実に奇妙なことだと知る。
これは直接うかがった話だが、西江先生はもう一人の先生とアフリカ内陸のある村で水が欲しくて近づいていくと、いきなり槍を持った集団が向かってきて、殺されるかもしれない、というやばい雰囲気になったとき、もう一人の先生に頼んで口から総入れ歯を出してもらった。
そしてお互い、キャーといって逃げてきたという。
□ 人間が怖いかどうかというと、新美南吉の『手袋を買いに』を思い出す人も多いだろう。
雪が降り積もった日に、狐の子どもが町まで手袋を買いに行く。狐の母親は子どもの片方の手を人間の手に化かし、必ずこの手を戸のすき間から差し出して金を払うのだと注意する。ところが子どもは間違って反対の手を差し出して「このお手々にちょうどいい手袋下さい」とお願いしてしまう。店の人は狐の手を見て「おやおや」と思うが、本物の金だったので毛糸の手袋を持たせ、そのまま帰す。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐(こわ)かないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴(つか)まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。□ でも、実は最も危険なのはカバだという。カバは縄張り意識が強くて守ろうとする時に目が悪いものだから闇雲も攻撃を仕掛けるという。カバがアフリカで最も多くの人の命を奪っているとされる。
□ 僕らはパキスタン航空で行ったのだが、飛行機の中もカラチも大変だった。いや、その前に、最初に降りたマニラで、飛行機が前脚を故障させたといって何時間も足止めを食った。飛行機の話はそれだけで長くなるので、止めるが、金原瑞人は『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』(牧野出版)の「幻のエジプト、ギリシャ」の中で全く同じような体験を書いている。マニラ空港で(エジプト航空だが)飛行機が脚を折って、1週間も足止めされて、そのまま成田に戻ったという話を書いている。パキスタン航空で行けただけまだよかったのだ。
□ 僕らの一年後にアフリカに旅をしたTさんは人類学科にいた人だが、旅立つ前に「金川さん、アフリカで強姦されたら困るから、ピルを持っていった方がいいかなあ」と尋ねてきた。
この時は本当に驚いてしまった。ありえもしないレイプに備えて毎日ピルを飲むよりも、そうした情況に陥らないように気を使うのが、アフリカでも日本でも大切なことなのだ。
アフリカ人は恐ろしいという妄想は、僕らが出会いもしない猛獣に恐れおののくのと同じ陥穽に落ちている。アフリカの人々はあるがままに毎日を生きているのである。「猛獣」というのも「暗黒大陸」というのも我々が勝手に作り出した恐怖にすぎない。我々は知らないものに過剰に反応する癖がある。
ヒッチコック監督の造語に「マクガフィン」というのがある。電車内で「あの棚の上の荷物は何だ」と聞く。もう一人が「マクガフィンさ」「何だそれは」「スコットランドでライオンを捕まえる道具さ」「スコットランドにはライオンはいないだろ」「じゃ、あれはマクガフィンじゃないな」という話が元になっている。日本には「牛の首」というのがあって、あまりにも怖すぎて聞いた人は死んでしまうので、誰も知らない話ということになっている。
アフリカの人々は確かに無知蒙昧で危険である。
それはちょうど日本人やアメリカ人が無知蒙昧で危険なのと同じだ。
□ ただ、病気は怖い。黄熱、デングー熱、フィラリア、睡眠病、レプラ、狂犬病(どの野生動物にも危険性があるという)など。特にマラリアは後遺症が一生ついてまわるから怖い。A先生もマラリアのかかって苦しんでいる。光源氏も第五帖「若紫」で瘧病(わらわやみ)、つまりマラリアの一種にかかって、北山へ加持祈祷に行く場面がある。ここで藤壺の姪に当たる美少女と出会うのである。これが後の紫の上となる。「平家物語」が描く平清盛の最期の熱病も瘧(おこり)だった。江戸の幕臣の家では瘧の霊薬として「日光御鑑餅糒(おかがみもちほしい)」「伊勢御供」「禁裏玄猪(きんりいのこ)餅糒」…日光の霊廟や伊勢神宮、京の宮中で供えられていた餅や糒のお下がりが使われたのだという。
アレキサンダー大王の死もマラリア説がある。マラリアはイタリア語で「悪い空気」、いわば邪気という意味だ。かの地では湿地帯の風土病で、ローマ帝国の衰退もそのまん延が一因とされる。古くはギリシャ人もこの病に苦しみ、「世界史の殺し屋の旗頭で、長い間人類の死因の第1位であった」(『世界大百科事典』平凡社)という。日本の土着マラリアが1950年代に絶えたように、前世紀には特効薬と殺虫剤の普及でその撲滅も近いと思われた時期もあったのだ…。
マラリアにかかった時の対処法は有吉佐和子のユーモア文学の最高峰『女二人のニューギニア』(畑中幸子先生のところへ訪ねていく話で畑中先生は「サモア島の歌」の紹介者としても知られる)に詳しい。
マラリアはアイノフェラス蚊が媒介するもので、この蚊に刺されないようにするのが一番だ。とはいってもアフリカの高原(ナイロビは1600メートルの高原で軽井沢みたい。もっとも軽井沢へ行ったことがないけど…)は別にして、低地に下りてくると途端、蚊の大群に悩まされる。
携帯用の蚊取り線香入れ(縦にしても大丈夫なもの)を持っていったのだが、ナイロビで「モスキート・コイルを売ってくれ」といったらいきなり、ベープマットを出された。
蚊に食われたら毎週一度クロロキンという薬を飲んで血液の中に入った原虫を殺していかなければならない。これは副作用が心配で「クロロキン訴訟」として有名な、あの薬なのである。
A先生に頼まれて現地でしか手に入らないニヴァキンというのをおみやげにした。その後、先生は目を悪くして、医者に「一体どんな薬を飲んでいるんですか」と叱られたという。
僕らは結局、誰もマラリアにかからなかったのだが、その後、僕らとほぼ同じコースを辿った6人のうち、4人までマラリアにかかり、うちの学生の1人は留年した。
一度お会いしたこともある獣医の神戸俊平さんの『サバンナの話をしよう』(時事通信社)には黄疸とマラリアと肝炎にかかって、ナイロビの安宿で休養をとっていた時の話が書いてある。完治したと決めたのは、医者ではなく自分自身の判断だった。
安宿のそばの肉屋の上に日本製フィルムの宣伝看板がある。ビキニ姿のなかなか色っぽいものだった。しばらくしたある日、その看板のビキニの女性の太ももをみて、ムラッときた。そのとき僕はこれで「治った」と決めた。これでマラリアも肝炎も栄養失調ともおさらばだった。
□ ケニアでの最初のサファリにキリマンジャロの裾野に広がるアンボセリ国立公園に出かけた。夜中になり、外気が冷たいのにOがウロウロしている。生返事しか返ってこない。翌朝分かったのだが、水にやられ、「トイレ!」と思った瞬間にはズボンまで汚してしまったのだという。自称「隊長」だった彼は最初の晩に権威をなくし、「体調崩れ」とあだ名されてしまった。それほど水は危険だったらしい。というのも僕だけは下痢にならずに済んだからで食事ごとに正露丸【ロシアに勝つという意味で「征露丸」と名付けられたが、第2次大戦後、行政指導で「正」に改められたという】をきちんと飲んでいたお陰だと思う(信心だけだが…)。
水でもっと怖いのは、一度でもアフリカの水を飲んだものは、必ずアフリカに帰る、といわれていることかもしれない。アフリカに住んだことのあるダンサーのFさんは「目が覚めるとサバンナが目の前に広がっているような気がする」と話していたが、アフリカ行きを繰り返すうちに離縁されてしまった。
□ なぜ、こうまでしてアフリカに行くのだろう。
養老孟司は古館伊知郎との対談『記憶がウソをつく!』(扶桑社)で次のように語っている。
僕はガイドブックを読まないで行って現地で読むんですよ。その方が面白いから。それで現地について「トゥルカナ湖の西岸」ってとこ読んだら、「見るべきものは何もない」ってまず書いてあった。「ここまで来たという達成感が唯一の報酬だ」って(笑)。
中国に「花底蛇」(かていのじゃ)という言葉がある。美しいものの陰に怖いものがある。人を酔わせる少量の毒、美女も小悪魔といった位の毒を秘めていた方がいい。友人も優しさの中に毒を含んだ醒めた眼をもった人の方がいい。
そしてアフリカの大地もいつまでも毒を含んでいてくれた方がいい(文明人の思い上がりということは承知の上でいうのだが…)。
伊藤正孝の『アフリカ33景』(朝日新聞)にはこんな文章があり、そうだ、このエッセイも全く同じだと思って反省した。
スワヒリ語で黒人は「ニャマ・ツ」(動物だけだね【Nyama tu.】)と話すことがある。動物だけに関心を寄せる観光客などをみたときである。黒人社会を見ず、その社会の一部にすぎない野生の世界を極度に拡大して見る。「ニャマ・ツ」にはそんな抗議がこめられているように思える。
□ 映画『愛と哀しみの果て』の原作であるアイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』Out of Africaの冒頭は次のような言葉で始まっている。
アフリカの高原ですごしたことのある人なら、あとで思いかえしてみると、しばらくの時を空の高みで生きていたような気がして、おどろきに打たれるにちがいない。
※この文章を書いたのはずいぶん前だが、時代は変わり、ケニアからうちの学校に留学生がくるようにもなった。なお、「ムバリ・アフリカ」というのは渡辺貞夫さんの曲名(アルバム名)から取った。「オレンジ・エクスプレス」などにも入っている。
※英語でも“a snake in the grass”で「狡猾な奴」をいう。ウェルギリウス(Virgil)のEclogues(牧歌)の中の“Latet anguis in herba.”からきている。ちなみに“snake (in the grass)”は“looking glass”の押韻俗語として使われた。
※藤原章生の『絵はがきにされた少年』の表題作は1930年代、たまたま通りかかった英国人に撮影された写真に大人になってから偶然出会ったレソト王国の老教師の話が出てくる。老人は写真を家宝と思っており、撮影した英国人への恨みなど一切なかった。はるばるレソトまでやってきた著者への、ねぎらいとも揶揄ともとれる老人の言葉が胸をさす。
私たちが一生かけても見ないものを、あなたがた外国人はたった二、三日で見てしまう。大したものです、と。
※丸谷才一の『月とメロン』(文藝春秋)に「首狩り族の唄」というエッセイがあって、面白くまとまっている。山下晋司がいうには首狩りの動機は1)農作物の豊作を祈って、2)共同体の幸福を祈って、3)悪霊・疫病の予防および駆除のため、だという。小泉文夫の『人はなぜ歌をうたうか』に、首狩り族は出陣の時にコーラスを歌って、うまくハモらなけば、出陣を取り止めるという話が紹介してある。
※くれぐれも薬に関する部分は既に古くなっているので、信用しないでください。かかりつけのお医者さんにご相談ください。
旅行したい時には次の本が楽しい。僕が旅行した時は自分でマニュアルを作ったものだったが…。
アフリカーナ(ノースウェスタン大学図書館)【ハースコヴィッツ!】
アフリカ・インデックス(The Norwegian Council for Africa)
アフリカ・国別インデックス(Intelligence Network Online)