「ヒマ」で「有名」な「言語学者」

「葉の多い木にうまい実がなるとは限らない」---ブラジルのことわざ(世界ことわざ名言辞典)


 北海道に講演に行った。講演することはそこそこあるけれど、北海道は初めてだった。おいしいラーメンを食べたいという気持ちが先に立ってしまった。旭山動物園も行けるではないか!

 それにしても、どうして僕がと思ったのだが、行ってみて分かった。

 市民講座でコミュニケーションの活発化を図るために言語学の人を呼ぼうということになった。日本語ブームでもある。そこで誰を呼ぼうかと思って、ネットで「有名 言語学者」として検索した。すると北大の先生がヒットした。そして、連絡を取ろうとしたのだが、取れなかったのだという。そこで、言語学者は忙しいのだと判断して「有名 言語学者 ヒマ」と検索してみた。するとひっかかったのが僕だったのだ。

 それにしても奇妙な話で僕は「有名な言語学者」ではない。ヒマがあることは確かだが。

 不思議に思って、よく考えてみると、グーグルが検索したのは「ヒマで有名な」言語学者だったのだ。

 ということで、講演してきた。

 講演が嫌いな人もいるが、僕は頭の中でぐるぐる考えていることが言語化できる、とてもいい機会なので好きである。外国では「サイエンス・カフェ」というのがあって、ファラデー以来、科学者が一般人を前に分かりやすく講演する習慣がある。文科系を含めていえば「トーク・スルー」ということがある。「とりあえずしゃべってみること」が大切なのである。友だちとでも、話しているうちに考えがまとまって、自分の本当に言いたかったことが分かってくるなんてことがあるが、それだ。脳の整理ができて、もやもやがなくなるのである。潜在的なものを言語化して具体的にするのである。

 講演ではギャラもそこそこよかったということもある(いつも、ではない)。野村万之丞さんが倒れて、急遽、僕が代理で出ることになった。野村万之丞さんほどはもらえなかったが、それなりに色をつけてもらった。本代を稼げるのはうれしい。でも、どうしていつの間にかなくなってしまうのだろう。

 最近、そんな楽しみはなくなったが、昔は集中講義というのがたくさんあって、C先生なんかは自分の大学の授業よりは集中講義を楽しんでいた。5日間も話し続けるのは大変だが、俗事を離れて観光することもできた(今は経費削減で激減されている)。

 もっとも、教育大の先輩のS先生(当時、千葉大)が富山大学に集中講義に来た時、一緒に飲んで、そのまま官舎で一緒に寝たのだが、朝の4時には電気が灯り、一心不乱に勉強していたのを見たときに、頭が下がった。僕は勉強しないだけでなく、そんな先輩の邪魔をしていたのだった。その5年後に亡くなられた。僕が亡くなったってジョークの本を一冊紛失した程度だろうけど、言語の図書館を一つなくしたようなものだった。

 池内紀『世の中にひとこと』(NTT出版)によれば、「わが三カ条」に合っている場合に引き受けるという。

1 遠いところ=ふだんはなかなか出向けない、遠くて未知の地は魅力がある
2 不便なところ=人が敬遠する分だけ、静かで、落ち着いた雰囲気が残されていて、うれしい発見がある
3 礼金が安い=地味な団体の地味な催しは、予算も地味で、そのぶん、催しの主旨がしっかりしているし、人選にあたっても熟慮があったと思われる

 いざ出かけるにあたっても、いまひとつ三カ条があるという。

1 余裕のあるスケジュール=途中でなにか故障が生じた場合、あせったり、ハラハラしたりして、つまらないし、健康にもよくない
2 お食事お断り=関係者と食事すると、相手は寝ていてもいいが、こちらは眠る訳にはいかないし、空腹の方が頭の働きがいい
3 お迎え無用=ずいぶん早く会場に着くはめになるが、自分の好きなようにして過ごしたいし、相手もハラハラしていた方が喜びもひとしお


 新千歳で係のAさんに会う。

 相手に会うまでとても心配していた。来てみたのに日にちが違っているとか、人違いとかありえるかもしれないからだ。内田樹はダブルブッキングをしたことがあるというし、桂文珍はトリプルブッキングをしてライセンスを持っている自家用飛行機で飛んだという。

 「行列のできる」橋下弁護士はあるところから講演を頼まれて、「憲法改悪絶対反対」の話をしてくれ、といわれたそうだ。「僕は改憲論者ですから別の人を」というと、「じゃあ、憲法の話は結構ですから、生きる元気が出る話をしてください」と言われたという。憲法と元気の出る話ではえらく違うなぁと思いながらも、当日、東北のあるところまで出かけたという。主催者に会って「すみませんね、内容のことで、いろいろ言いまして」というと「いいえ、いいんですよ。みなさん、待ってますよ、元気の出る話を」と言われて、「まあ、何とかできるでしょう」というと「あの100キロマラソンの話をして下さればいいんですよ」と言われたという。100キロマラソンって丸山弁護士だろう!?

 簡単な食事を一緒にして打ち合わせをする。官用車が迎えに来ていた。空港からI市への途中、札幌ドームの前を通るが、ちょうど日本ハムの最終戦で午後まもなくから人がいっぱい並んでいた。

 I市は札幌のベッドタウンとして発達してきたようだ。実は松本清張の「不運な名前」の中に隣町として出てくるのと、バンバ競馬のことしか知らなかった。

 行くと立派な国際会議場があって、通訳ブースが並んでいた。前の市長が郵政族だったらしく、お金の使い方がすごいと思った。パソコンを使うかと何度も聞かれたが、あの設備だと使わないといけない気になってくる。ただ、僕の方は言葉の話なので、パソコンでプレゼンする必要はない。できなくはないが、やったら、日本語クイズ番組と同じタイプの講演になってしまう。

 タイトルは「豊かなコミュニケーションのために」といって、どこでもいつでも話せるタイプの話になっている。インタラクティブなワークショップ風の講演ということで、客をイジリながら話を進める。生涯学習が機能するのは、学校と違って先生から当てられることがないからである。質問責めになったら、恥をかきたくないからみんな止めていってしまう。僕だって、当てられたら嫌だ。分かっていることでも分からなくなってしまいそうだ。

 ネタを多く持つことが大切だ、というので、富山と北海道の関係から話す。いきなり、「北前船」という返事が返ってくる。昆布の話につなげて、売薬さんの話をすると半分くらいは売薬さんが家に来ていたという。昆布から富山で消費量の多いコロッケの話もする。富山のタレントで知っている人は?というと立川志の輔が上がった。室井滋や柴田理恵は富山だというとそうだ、そうだ、という顔をされた。北海道知事の高橋春美が富山出身という話をするのを忘れてしまったが、平均63歳の人たちだけに物知りが多い。先を読まれると困るので、なるべく訳の分からない話に終始する。

 途中、グループ討論も入れたのだが、講師として楽をしているとしか思えなくて、少し罪悪感に駆られる。でも、目的は受講者どうしの話し合いなのだ。

 用意していたものと違う話も適当に入れながら話すので、自分でも着地点を見つけだせずに、最後は何度も旋回して30秒前にきちんと終わる。帰りのバスを心配している人もいるので、時間どおりに終わらなければならないのだが、時間の管理だけは番組に出ていてしっかりできるようになった。

 受けたかどうか、分からないで、不安だが、あまり気にしないようにしている。というのも、ある所で「言語学の話は難しすぎる」と言われて、これだけ簡単な話にしているのに、分かろうとしないのか!と少し憤りを感じたことがあり、それ以来、受け止め方はいろいろだから、気にしないで生きていくことにしたのだ。

 でも、内容がよくなかったら、呼んでいただいた市の職員に悪いので、それなりに緊張して話す。終了したばかりのドラマ「結婚できない男」に言及したら、誰も見てなくてショックだった。ただ、他のジョークも分かってもらえたので、とてもいい受講生だった。

 つまらないことかもしれないが、ただで聞く講演と会費を払って聞く講演とでは反応が違う。ただで聞く人はちゃんと聞かなければ損をする、という気持ちがないからいい加減に聞く。それに対して会費を払っている場合はそれなりの元を取ろうという態度が見える。挙げ句、ただの観客は皮肉っぽい質問をしたりする。じゃあ、お前がこちらに来てみんなに話してみろ、と言いたくなってくる。

 中島義道の『私が嫌いな10の人びと』(新潮社)によれば、中島の講演を聴いて女子学生3人が精神に変調をきたしたという。何しろ、「両親は死にましたが、まったく悲しくなかった。いまや親戚づきあいも完全に断ち切り、妻や息子の顔も見たくない、と宣告しました」とか「墓参りにも行きません。墓の中には人間の骨とうい物体があるだけだと思っているので…」というようなことを言うからだ。

 それにしても、私が講演するんですから、内容は反社会的ないし非社会的なことに決まっているのに、なんでかくも大勢の人(獨協大学には二〇〇人くらい、渋谷図書館には六〇人くらい)が聴きにくるのでしょうか? そして「気に入らない」と私に訴えるのでしょうか? 気に入らなければ、うちで寝ていればいいものを、不思議でなりません。

 チェーホフに「煙草の害について」という15分くらいで終わる短編がある(『一幕物全集』岩波文庫)。主人公は「煙草の害について」講演するのだが、これは「家内に命じられたから」だ。妻の命令通り、忠実に従っているかどうか、時々、彼女が彼の講演の様子を見に来る事を恐れて、絶えず舞台の裏側を気にしている哀れなしぐさが笑いを誘う。 妻は彼を軽蔑して「張り子の案山子」「毒蛇」「サタン」と呼ぶし、彼は彼女をギリシャ神話の恐ろしいメデューサに譬え、「彼女に見つめられると、石になってしまう」「彼女は蛇であり、私は鳥であります」とも言う。

 ところが最後に聴衆に懇願する。「もし、彼女が講演の感想を訊きましたら、張り子の案山子は、課題について、立派に振る舞った、彼はそれ相応に講話したと言って下さい」 といい、横を眺めて、「(女房が)来た!注意!公衆の敵第一号、煙草が含む数々の害毒を挙げ終わりました。たった今、皆さんに申し上げた事により、今後は、いかなる場合におきましても煙草をおのみにならぬように、また私の講話が、この恐るべき悪徳の嫌悪を皆さんに与えるという健康的なる効果を持つように望む次第であります」といって終わる。つまり、煙草の害については何も話さずに終わってしまうのだ。

 この時、“Dixi et animam levavi.”というラテン語を紹介するのだが、「言うべきことを言い終え、心穏やかなり」という意味だ。

 自分自身、聴講した講演で満足したものは少ない。講師としても満足した講演は少ない。難しいものだと思う。90分くらい話すことになるが、しゃべくりになってもいけないし、AV機器に頼りすぎてもいけない。よく見るのはパワーポイントに頼りすぎる発表だ。

 講演旅行というと思い出すのはバートランド・ラッセルだ。39歳のラッセルは1911年にソルボンヌ大学への講演旅行の途中、ロンドンのフィリップ・モレル邸に一泊するのだが、この人の奥さんのオットラインと恋に陥って最初の情交をしたという(この年になるまで、ラッセルは妻以外の女性と「完全な関係」complete relationをもたなかった)。オットラインとのことを奥さんのアリスに打ち明け、自転車にのってアリスのもとを去り、トリニティ・カレッジの研究室に引っ越す。この直後にウイットゲンシュタインと初めて会う…なんてことがあった。

 ドナルド・キーンの『私と20世紀のクロニクル』(中央公論新社)を読んでいたら、キーンがケンブリッジに行った時、ラッセルの授業を聞いただけでなく、偶然からビールに誘われたという。

 その時、彼はこう言ったのだ。「お若いの、君と話すのは実に楽しい。今学期、講義が終わるたびに一緒にビールを飲もうじゃないか」と。私がラッセル卿と並んで通りを歩いている姿を見かけた誰かが、あんなに嬉しそうな顔をした人間は見たことがないと言った。
 ラッセル卿は、その語彙と機知の両面で十八世紀を思わせる英語を話した。

 ラッセル卿に気に入られたということはキーンも、素晴らしい機知に富んだ言葉を発していたはずだ。更に、小説家のE・M・フォスターとも知り合いになった。二人の共通点は、オペラに対して情熱を持っていたことだったという。

 そんな出会いがある訳もない。

 でも、講演旅行ができたら最高だろうなと思う。講演の時間に合わせて知らない街に行って、好きなものを食べてくる――夢の世界だ!

 主催者側は講師を早く確保したいから、近くに到着したら身柄確保してしまう、という話も聞いた。せっかく来ているのに、穴を開けたら大変だ。

 そうそう、お偉い人との飲み会とかもあったりするのだが、札幌にすぐに帰るといって断っておいた。あちらも接待は大変だろう。大体、主催者の多くは講師のことをよく知らないものだ。なのに、話を合わせなければならなくて、それにこちらが答えなければならなくて、一苦労だ。

 実は接待される側も大変で、有名人だったら放してはくれないのだ。『面白半分随舌選』(文藝春秋)という本の中で作家の佐藤愛子が「講演引退の弁」を書いている。送迎の間、何時間もしゃべりかけられるし、泊まるところを天皇の泊まった部屋にしてくれたりするのだが、広すぎて電話に出ようと思っても間に合わないのだという。お風呂に入っていると、ファンが土産を持ってきてサインしてくれ、というし、酔っ払いのオッサンが一緒に飲もうと誘いにくるという。和服なのに姿見がなくて苦労するという。お土産もいっぱいになって、ある時、一部を駅のベンチに置いてきたら、「お忘れ物ですよ」と持ってきてくれたりするという。で、講演は引退することにしたという。

 「もっとも、そんなこといっても、またゼニに困ってやるかもしれないですけどね」と話している。

 帰りはせっかくここまで来たからと思って、旭山動物園に行った。8時の特急に乗って旭川まで行き、バスの乗り換え、2時間半ほど滞在して1時ちょっとの特急で戻ることにした。動物園はさすがに面白かった(チンパンジーがあんなに動くとは思わなかった―多動性だ)。小ぢんまりとしていて、何の変哲もない外観だし、珍種の動物がいるわけでもない日本最北の動物園に人がたくさん集まるのは見せ方なのだと思う。無名の高専の教授でも、見せ方さえうまくなれば、講演は評判がよくなる、と勝手に解釈して帰途についた。

 ところが、帰りの特急がその前の電車に対する置き石騒動で、止まってしまった。札幌で間に合わないかと思ったが、一つだけ特別なダイヤで動かす電車が設けられ、これで新千歳に着いた。20分前だった。1便しかない富山行の全日空に乗れなかったら、大損するところだった。講演旅行する時はあまり遠出をすべきじゃない、というのが、今回の一番の成果かもしれなかった。

 薬師寺管長だった高田好胤は講演で「旅は帰るところがあるから楽しいのです」と語っていたが、帰ることができてよかった。

     

 この僕でもときどき、学校で講演しろ、と言われることがある。冗談混じりなのだが、いい講師というのはなかなかいないのである。といっても、僕がやる訳にはいかない。講演というのは非日常で聞くからいいのであって、さっきまでくだらない授業を展開していたおっさんが偉そうに話すのは耐えられないと思う。僕も。

 ちょうど同じ頃、内田樹が高校に講演に行ったと書いていた。高校生に飽きない話をするというのは無理なことである。僕などは最初から断っているか、せいぜい50分の講演にします、という。50分なら高校生が耐えられる、のではなくて、僕が我慢できる限度なのである。

こういうときには必殺技があって、ここでこっそりご紹介しておくのだが、「体育館に集められたけれど、講師の話がつまらないぜ、けっ」と思っている高校生の心理ならびに身体運用ならびにリアクションのくさぐさについて、記述的な描写をするところから始めるのである。
人間は自分の「口まね」をされると絶句する。
諸君は今、前方に足を投げ出して、目を半開きにして、「たりーぜ」というシグナルを全身を記号化して表現されておるけれど、これは悲しいほど定型的な身体運用であって、あなたはそれと知らずに既成の身体運用文法に繋縛されており、すでに「出来合いの高校生型」というピットフォールに落ちこんでいるのであるという話から始めると、そういう態度がたいへんしにくくなる。
フェアな手ではないけれど、相手が800人である。こちらも多少はくさい手を使わないと勝負にならない。
いつも申し上げているように、こちらの「話の先」を読まれてしまうと、一瞬のうちに緊張感が解けてしまう。
だから、絶対に「話の落としどころ」がわからない話だけを選択的にする。
とはいえ、何を言っているのかわからない話だけをしていたのでは基調講演にならない。
それに「教育崩壊と経済合理性」という大仰なタイトルだけはパワーポイントででかでかと舞台中央に映し出されているのである。
柏原高校は風水的にたいへんすばらしいロケーションであるというところから始める(これはほんとうの話である。旧藩の陣屋敷があるところなのであるから、風水的にいいに決まっている)。
諸君はその風水の良さを皮膚で感知しているかな?
私にはこの場にみなぎる力が感じられる。だが、諸君にはそれがわかるだろうか?
というようなことを言われると、高校生諸君も、とりあえず「皮膚」の感度を上げて、「ほんとうかな?」とチェックをする。
皮膚の感度を一度上げていただければ、オッケーである。
こちらはなんといっても愛と和合の合気道家である。
インターフェイスの感度を一度上げてもらえれば、あとはその肌理にじりじりと入り込むことができる。
そのためにこそ気の錬磨の稽古を三十年からやってきたのである。
「自分探し」の虚妄について、「駒形」の泥鰌鍋おじさんについて、ストックフレーズの呪縛について、時間と身体を割る技法について、ハル・ブレインのドラミングについて(これはF田先生へのナイアガラー内輪ギャグ)、「学び」の本質について、「メノンのパラドクス」について、75分しゃべり続ける。
最後まで生徒諸君は静かに聴いていてくれる。

 講演を「帆待(ほま)ち仕事」というが、今度いつ風が吹くだろう。帆船も好きだが、やっぱり予定が分かる汽船の方がいい。


■実り豊かな講演のための“紙”上講演


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