金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


単なるおやじギャグ?それとも伝統文化?

現代の言葉遊び

IN&OUT

ホワット・ライズ・ビニース

駄ジャレの奥に潜むもの

  

`Why, there they are!' said the King triumphantly, pointing to the tarts on the table. `Nothing can be clearer than that. Then again--"Before she had this fit--" you never had fits, my dear, I think?' he said to the Queen.

`Never!' said the Queen furiously, throwing an inkstand at the Lizard as she spoke. (The unfortunate little Bill had left off writing on his slate with one finger, as he found it made no mark; but he now hastily began again, using the ink, that was trickling down his face, as long as it lasted.)

`Then the words don't fit you,' said the King, looking round the court with a smile. There was a dead silence.

`It's a pun!' the King added in an offended tone, and everybody laughed, `Let the jury consider their verdict,' the King said, for about the twentieth time that day.

「これほどまでに明白なことはあるまいが。しかしまた---『彼女が例の癇癪を起こすまでは』とな---おまえ、これまでに癇癪など起こしたことはなかったわな?」
 王様が女王に言うと、
「一度とてないわ!」女王はすさまじい剣幕で言いながら、インク壷をトカゲに投げつけた。(何かとツイてないチビのビルは、指で石板に書いてもあとが残らないことに気づいて、それまで書くのをやめていたんだけど、とたんに再びせっせと書き始めた。顔からしたたり落ちるインクを残らず使ってね)
「じゃとすれば、癇癪というカイシャクが間違っておるのかな」
 そう言った王様は、法廷を見まわしてにっこりした。みんな、シーンとしたままだ。
「今のはシャレじゃ!」と王様が怒った声で言い足すと、みんなドッと笑った。
「陪審員は、評決を取りまとめよ」この日二十回目くらいで王様は言った。【『不思議の国のアリス』村山由佳訳】


 アメリカで"The Lying King"というTシャツが流行したことがある。これはディズニーアニメ"The Lion King"が手塚治虫の『ジャングル大帝』の模倣だと主張する人々が皮肉って作ったものだった。模倣の理由に『大帝』の「キンバ」というライオンがシンバになっているというのもあったが、これはスワヒリ語の"simba"(ライオン)から手塚がもじってディズニーが元に戻したと考えた方がいい。ちなみに続編『ライオン・キングII』の原題は"Simba's Pride"で"pride"に「誇り」と「(ライオンの)群」のダブル・ミーニングを利用したものだった。

"Mirror, mirror,
on the wall,
who created me after all?"

 野茂英雄が大リーグで活躍し始めた頃、後ろから必ず"Hit the Road, Jack. Don't you come back no more."という歌が流れた。これはレイ・チャールズの「旅立て、ジャック!」(Hit the Road, Jack)という曲で"no more"と野茂をかけていた。活躍に対して“Nomo Doubt”という記事も出たことがある。

 英語にも駄ジャレ("pun"、フランス語から"double entendre"とも)というものがある。多くは駄ジャレというよりは語感をよくするものであって、日本の駄ジャレとは少し違う。

 日本語の駄ジャレは落語の伝統もあってか駄ジャレで落とす「地口落ち」が多いが、英語のジョークで駄ジャレで落ちることは少ない。日本だとオヤジが若いOLに駄ジャレで笑いを取ったり(強制?したり)、下ネタに走ることもあって、どうも旗色が悪い。スポーツ紙には「松坂・ダイスケな恋人」なんてトホホな駄ジャレが踊る。

 オチは英語で「パンチライン」という(オチが分からない時は"What is the punch line?"という)のが、これをパンティ・ラインとかパンチラと掛ければ立派な?親父ギャグになる。日本のユーモアには駄ジャレしかないのか!と責めたくなってくる。

宝くじ業者が新しい宝くじを発売しようとした。
課長「わが社では新しい宝くじを発売することになった。何かいい宝くじの案はないか?」
社員「トイレットペーパーくじなんてどうですか?」
課長「トイレットペーパーくじ?」
社員「ええ。トイレットペーパーに宝くじをつけて発売するんです」
課長「そんなんで利益が上がるのか?」
社員「バカ売れですよ。なんたって運がついてきますから」

 ちょっとだけ弁護しておけば、日本語の音節構造は単純で同音異義語も多く、しかも、品詞の活用が決まっているから、韻を踏もうとするとどうしても駄ジャレのようになってしまう。

 他の言語ではリズムを整えるのに音を大切にする。詩人も言うまでもないが、ちょっとした歌でも韻を踏んでいる。作詞家たちはきちんと韻を考えて曲を作っているのである。そういう人のための『押韻辞典』(Rhyming Dictionary)もたくさん出ている。例えば、“olt”でまとめられているのは“bolt,colt,dolt,holt,jolt,molt,poult,smolt,volt,eyebolt,Humboldt,kingbolt,revolt,ringbolt,unbolt,thunderbolt”である。日本では頭韻による駄ジャレが多いが、欧米は脚韻が多い。

 英米にはマザーグースやシェイクスピアなど駄ジャレの見本があり、その見本が新たな駄ジャレを生むという構造になっている。シェイクスピアは押韻や縁語、掛け詞を抜いても1作品平均72の駄ジャレがあるという計算もある。

 『リチャード三世』では“Now is the winter of our discontent/Made glorious summer by this sun of York;”(やっと不満の冬も去り、ヨーク家にも輝かしい夏の太陽が照りはじめた)でthis sun of Yorkは「太陽」と同時にヨーク家の息子であるエドワード三世を指している。

 『ベニスの商人』では“For if the Jew do cut but deep enough,/ I'll pay it instantly with all my heart.”(というのもユダヤ人がちょっとでも深く胸をえぐれば、たちどころに借りた金を心臓で返すことになるか
らだ)といい、with all my heartという句全体が地口になっていて、「心臓で借りを返す」という意味と「心から愛するバッサーニオのために借りを返す」という意味が同時に表現されている。

 『ロミオとジュリエット』にある。マキューシオはティボルトに刺されて死にそうになっている。そのとき次のように言う。“Ask for me tomorrow, and you shall find me a grave man.”(明日俺を訪ねてこい。もう墓の中でまじめになっているぞ)となっていて、graveを「お墓」の意味と「まじめ」の意味に使うことで親父ギャグいっぱいのマキューシオらしさが悲劇性とともに絶妙に表現されている。

 『間違いの喜劇』第4幕第4場ではアンティフォラス兄が召使いのドローミオ兄を殴った後、「なぐらなけりゃわからんのだ、きさまは、ロバ同様にな」と言うと、ドローミオは「たしかにあたしはロバです。そこのことはあたしのlong ears(ロバの「長い耳」と奉公した「長い年月」をかけている)が証明できるでしょう」というのを小田島雄志は次のように見事に訳している。

「どうせあたしはロバですよ。ロハで働いたながいみみの上話がその証拠だ」

I am an ass, indeed; you may prove it by my long
ears. I have served him from the hour of my
nativity to this instant, and have nothing at his
hands for my service but blows.

 エッセイストのチャールズ・ラムは"A pun is a noble things per se. It fills the mind."(駄ジャレは本来高貴なもので心を満たしてくれる)と言った。実際、辛いことがあると駄ジャレを作って気晴らしをしていた。おかげで、駄ジャレが好きな人がいると辛いことがあるのかなぁ、と心配してしまう。

 ディケンズの『ピクウィック・ペーパーズ』でピクウィックの召し使いウェ−ラ−が独特な表現をするのだが、これはWellerismと呼ばれている。例えば、“My tale is ended, as the tadpole said when he turned into a frog.”“I guess he'll re-wive, as the gentlan said when his friend fainted away at his wife's funeral.”(その紳士は友人が奥さんの葬儀で失神したのを見て、必ずre-wive=reviveの駄洒落、すると思うよ)などである。

 あまり上出来ではないが、こんなのもある。deafと同じ発音だから成立するのである。

"Why don't you understand such a thing? It's as simple as ABC."
"But I am DEF."

 日本にはレトリックの伝統が明治時代で切れて即物的な言い方になってしまい、現在もまた映像時代で切断されている。それにパロディというのは正統があってはじめて成立するものなのだが、日本では正統がない。

 それに引き替え、英語の駄ジャレはひっそりとしていて、スマートだ。

 例えば、関係代名詞を考えるために、シカゴで開かれた学会で"Chicago Which Hunt"というのがあった。これは"Witch Hunt"(魔女狩り)の駄ジャレである。『スター・ウォーズ エピソード1』が公開された時の新聞に"'Star Wars' Movie Frenzy Sweeps Nation at Full Force"とあったが、"full force"(全力)と"Force"(映画の「フォース」)をかけていた。

 アンブローズ・ビアズの『悪魔の辞典』(The Devil's Dictionary 岩波文庫)にも駄ジャレがある。例えば“FRIENDSHIP, n. A ship big enough to carry two in fair weather, but only one in foul. ”となっているのは“ship”の駄ジャレになっている。

 日本のセブン・イレブンのコピーは「セブン・イレブン いい気分」だが、アメリカでも“Thanks Heaven, Seven Eleven“となっている。“Intel Inside“もちゃんと韻を踏んでいるが、日本では「インテル 入っテル」とした。

 広告やTシャツなどにも駄ジャレが多いが、例えば、犬のトレーナー?に"I Stink, therefore I Am."というのを見たことがある。コンピューターの広告で"I Think, therefore I B M."というのもあったが、これらはデカルトの"I Think, therefore I Am."(我思う故に我あり)のパロディになっている。パン・アメリカン航空の広告に"On Your Marks...Jet Set...Go!"と徒競走の"Get Set"をもじったのもあった。

 英語に駄ジャレは少ないので、何でも覚えにくい。πの3.141592653589793238は日本では「サンイシイコクニムコーサンゴヤクナクサンジサンバ」などと覚えるが、英語ではYes(3),I(1) have(4) a(1) letter(5).と覚えるしかない。これらをmnemonic(ニーモニック)というが、はなはだ不便である。

 惑星だって「すいきんちかもくどてんかいめい」と覚えているが、英語では“My Very Educated Mother Jst Served Us Nine Pizzas.”(私のとても賢い母が私たちに9枚のピザをつくってくれた)と覚えるしかないし、MがMercuryだということも思い出さなければならないから辛い。

 駄ジャレは昔から「最低形式のユーモア」(the lowest form of humour)とされることもあるが、アメリカでは駄ジャレが大統領を決める。アイゼンハワー大統領は“Ike”が愛称だったが、"I Like Ike."というスローガンで勝った(この例は大言語学者のローマン・ヤーコブソンが詩的機能の説明で使っている)。フォード大統領は「私はリンカーン(高級車)ではなくフォード(大衆車)だ」と言ったが当選しなかった。駄ジャレが下手だったのだ。今度の選挙がもめたのもスマートな駄ジャレにならなかったからで、代わりに"Bush Gored"(角でつつかれた藪)などという見出しが踊った。

 他にも“what's the difference between Presiden Bush and a tub of yogurt? A tub of yogurt has culture.”というのがあった。「ブッシュ大統領とヨーグルトの違いは何か? ヨーグルトにはculture(培養菌/教養)がある」というものだ。

 ジョン・F・ケネディは駄ジャレと関係がなさそうだが、身も凍るような駄ジャレがある。1962年5月、マディソン・スクエア・ガーデンで開かれた誕生のパーティでマリリン・モンローが「ハッピー・バースディ」を歌った時、いつものようにモンローは大幅に遅刻した。司会が“Late Marilyn Monroe!”と紹介したのだが、“late”は「遅れてきた」だけでなく「故人の」という意味も持っていた。そして、モンローはまもなく謎の自殺を遂げ、ケネディも故人となってしまった。当時、最新作の『Something's Got to Give』の撮影に参加していたのだが、度重なる遅刻によって撮影は遅れ、大統領の誕生パーティに無断参加したことが原因となってスタジオは撮影開始2週間後にモンローを解雇してしまう。モンロー以外の代役を見つけることが出来ないスタジオは彼女の再起用を決めるが、8月5日の早朝、モンローは自宅で全裸の遺体となって発見されたのだった。

 大統領にはならなかったものの、アメリカで一番人気のある政治家ベンジャミン・フランクリンは独立戦争時の演説で、“We must all hang together or assuredly we shall hang separately.”といった。「我々は皆団結しなければならない。さもなければ、我々は必ず個別に絞首刑になるだろう」(hangは「つるす」「絞首刑になる」でhang togetherは「助け合う」の意味がある)。

  "The Truth Lies Here."(真実はここにあり/真実はここでウソをつく)というのが僕の研究室のスローガン?だが、似たような駄ジャレを見つけた。ロバート・ゼメキス監督の新作『ホワット・ライズ・ビニース』"What Lies Beneath"という映画は「潜在しているもの」と「隠されたウソ」と両義的になっている。主演のハリソン・フォードに映画脚本家メリッサ・マシソンとの別れ話が出た時、TIME(2000年11月20日号)はゴシップ欄で“What lies beneath---or who?”との見出しをつけた。なるほど。

 『ローマの休日』(Roman Holiday)だって文字通りのローマの休日と「(ローマ人がスパルタカスのような剣奴、グラディエーターの犠牲によって休日を楽しんだことから)他人の犠牲で楽しむこと」という駄ジャレになっている。「パンとサーカス」(panem et circenses)による治世だったのだ。余談だが、この映画の脚本はドルトン・トランボがハリウッドの「赤狩り」のブラックリストに入っていて、イアン・マクレラン・ハンターの仮名で書いた。トランボ自身、他人の楽しみのために犠牲になった気持ちだったかもしれない。

 これらは高級な方だが、日本人同様、アメリカにも駄ジャレの同好の人がいる。例えば、Pun of the Day(http://www.punoftheday.com/)International Save the Puns Foundation(http://www.punpunpun.com/)などがあって毎日新作が発表されている。例えば"The three great American Parties are:Republican,Democratic,and Tupperware."というのが紹介されていたが「党」と(タッパーの)ホーム「パーティ」をかけたものだ。"A bicycle can't stand on its own because it is two-tired."だからというのもあるが、もちろん"too tired"とかけている。あまり上出来だとは思えないが楽しみ方は似ている。

 The Dictionary of Puns(Futura Books)という辞書も出ている。“When is a door not a door?”“When it is a jar.”というのがあるが、「ジャーになる時、ドアはドアでなくなる」というのは“ajar”に「半開き」という意味があることを知らなければ、分かりにくい。次のは分かりやすい。

Teacher:Class、who can tell me the formula for water?
John:H、I、J、K、L、M、N、O.
Teacher:What are you talking about?
John:Well、yesterday you told us it was H to O.

 大統領も駄ジャレが必要な国だから、キャッチコピーも当然、駄ジャレが多くなる。古いところではアイスクリームの“I scream. You scream. We all scream for icecream.”である(榊原郁恵の「夏のお嬢さん」に使われている)。Intel Insideは「インテル、入ってる」となった。本家セブン・イレブンのキャッチはThanks Heaven, Seven Elevenだったが、日本では「セブン・イレブン・いい気分」と訳された。これを意識したかファミリーマートは「あなたとコンビにファミリーマート」にしている。

 英語の駄ジャレといっても英語の話し手が作るものとデイブ・スペクターも含めた(?)日本人が作るものがある。後者の例として、英語を駄ジャレで覚えようと言うのは昔からあって「辞書は字引く書なり」とか「体温計割ってしまって、さーもめたー」なんかがあった。有名な"My father is my mother."(正解)なんていうのもある。

 岡倉天心がマンハッタンを歩いていたら、白人が近づいてきて、“Which nese are you, Chinese or Japanese?”と聞かれたのに対して“Which key are you, donkey , monkey, or Yankee?”と答えたのは駄ジャレのような問答である。

 日本のジーンズ会社の駄ジャレもすごい。外国製ジーンズに対してエドウィンは「江戸」が「WIN」、ボブソンもアメリカの大衆的な名前「ボブ」に「ソン」(損)をさせるぞ!という意味で、ビッグジョンはアメリカの一般的な名前「ジョン」を例にとり「JOHNよりBIGになるぞ!」という意味で付けられている。

 気象データを集める装置をアメダス(Automated Meteorological Date Acquisition System=地域気象観測システム)という語呂合わせも駄ジャレと考えれば英語にもいっぱいある。特にインターネットになってからそうした駄ジャレが多くなった。例えば、SOHOというのは"Small Office Home Office"ということになっているが、これはニューヨークのグリニッジビレッジ近くの"SoHo"から名前を採っていて、ここには道の双方に小さなオフィスやアーティストたちのアトリエが並んでいる。ちなみに"SoHo"もロンドンの歓楽街"Soho"からの駄ジャレで、"South of Houston Street"(発音は「ハウストン」)の略語である。

 "Gopher"というメニュー形式の情報検索システムがあるが、これは開発したミネソタ大学のマスコットである「地リス」(ディズニーの『プーさん』に出てくる間抜けたキャラクターでミルンの原作にはない)の意味と"go far"や"go for"を引っかけている。

 "ICQ"というソフトでメッセージを交換したり、チャットをしたりする人も多いと思うが、これは"I Seek You"の駄ジャレで付けられたものだ。

 考えてみれば、コンピューターの用語は"bit"や"BASIC"の時代から駄ジャレになっている。それぞれ"binary digit"と"Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code"の略語だとされるが"bit"(かけら)"basic"(基本的な)の駄ジャレになっていることは言うまでもない。新語まで駄ジャレと取るかは議論が分かれるが…。

 英文学では駄ジャレが伝統になっている。シェイクスピアやマザー・グース、ルイス・キャロル、ジェームズ・ジョイス、そしてビートルズまで連綿と続いている。言葉遊びを大切にするライト・バース(light verse)と呼ばれる軽妙な詩も西欧では盛んだ(日本の谷川俊太郎の「ことばあそびうた」に相当)し、エドワード・リアが普及させたリメリック(limerick)の伝統もある。谷川俊太郎はリアが大好きで、アクロスティックと呼ばれる、頭の字をつなげるとエドワード・リアとなる詩を書いた。

「えてして」 谷川俊太郎『よしなしうた』

えてして
どかんは
われたがる
あたまを
どこかへ おきわすれ

りっぱな りくつに
あくび する

 "Traduttore,traditore"(翻訳者は反逆者)というイタリア語の諺も駄ジャレだが、駄ジャレを翻訳するのは本当に難しい。

 『終わりよければすべてよし』の"A young man married is a man that's marr'd. "と駄ジャレになっているところを逍遥は「若くて妻帯、わが身の災難」とし、小田島雄志は「若くて結婚、人生の欠損」としている。これを「若くて結婚、身の破滅」(工藤昭雄)と訳してしまったらつまらない。その小田島が『駄ジャレの流儀』(講談社)という本を出しているが、何ともいえない駄ジャレの連続で、少し心寂しくなってくる。

 同時通訳者だった米原万里はスピーカーが「スウェーデン食わぬはオランダの恥ってなもんだ、ハハハハ」みたいな、くだらない駄洒落を言うのにつきあわされて困るという。その時は「ただいま、スピーカーは語呂合わせをやりましたが、通訳不可能です。申し訳ございませんが、ムードを盛り上げるため笑ってやってください」と翻訳するというから立派なものだ。

 駄ジャレをいうためには音形だけに注目しなければならないが、これは語学上達のためにも大切なことである。50カ国語を話せるという人類学者の西江雅之先生は日本語でも意味を考えずに音だけを聞く訓練をすれば語学の上達につながると話していた。やってみれば分かるが、音だけを聞くのは非常に難しい。

 メタ言語能力を高めるために、駄ジャレは必要不可欠なものである。語彙も増えて"You have an extensive wordrobe."と言われるかもしれない("wardrobe"からの新語)。どんな言葉でも物そのものを言い表すことができない。つまり、全ての言葉は駄ジャレと同じように言い換えにすぎないのだから、駄ジャレを通して言語の本質が見抜けるかもしれない。そして、駄ジャレは何よりも、今までガチガチに固まっていた意味や価値観を一気に転換させることができるものである。

 駄ジャレを"cheap joke"という人がいるが、文化の底に潜んでいるものは結構深い。つまり、"deep joke"なのである。

 メタ言語能力が高ければ、芸術性も高くなるかもしれない。歌人の竹山広に「下心 隠し構へという部首のあるを君らは知るか知るまい」(『竹山広全歌集』雁書館)。かくしがまえモには秘匿の「匿」、したごころモには恐怖の「恐」や憂愁の「愁」があるのだが、日本人以外に楽しむことができないメタ言語芸術である。



金川欣二(かながわ きんじ)●笑う(または、笑われる)言語学者として、知る人ぞ知る、知らない人はだれも知らない人物。専攻は言語人類ギャグ。言語学に深入りしたくない人のためのホームページ「マックde記号論(言語学のお散歩)」 http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/では日本語の駄ジャレも楽しめます。

□『CAT』アルク2001年2月号掲載(雑誌掲載文なのでホームページの他の文章との重複があります)

■駄ジャレの作法〜笑われないために


※「ライオンキング」と「ジャングル大帝」に関してはFrederik Schodt“DreamlandJapan”Stone Bridge Press(フレデリック・ショット『ニッポンマンガ論』マール社)が詳しい。

 なお、レオをキンバにしたのはアメリカではレオというとMGM映画のライオンになり、シンバは普通名詞のように使われていて、登録商標とならないと判断したため。

※フォード大統領の言葉は井上ひさし『にほん語観察ノート』(中央公論新社)によれば、「私はフォードであってキャデラックではない」と言ったという。そして、このギャグを作ったのはニール・サイモンだという。


※『CAT』に寄せられた読者からの感想

●『現代言葉遊び In & Out』が良かった。新しい知識が増えて得した気分になった。TOEICの点数を取るための勉強なんてクソ面白くもないが、このような生きた知識は役に立つ。(60歳 公務員 男性 北海道)

●「言葉遊び」=駄ジャレの記事が良かったです。もうこれだけで大特集にしても良いと思いました。早速、金川先生のホームページにアクセスしました。面白い先生ですね。(女性 京都)

●面白かった。駄ジャレというと聞こえは悪いけど、ひねりが効いてて、知的で面白いのもたくさんあるんですね!(29歳 女性 教員 茨城)

●面白かった。私は勉強不足で英語の洒落がよくわからないが、もっと英語などを知れば、その国の文化もわかって楽しいだろうと思う。ギャグもたくさん言葉を知らないと出てこないはずだからギャグをとばせる人はすごいと思う。(40歳 OL 女性 兵庫)

●言葉遊びができるくらい、英語が上手くなれば良いと思います。(36歳 男性 会社員 神奈川)

●興味深かったです。駄ジャレとは日本語ならではの言葉遊びだと思っていたので。意外にも英語に駄ジャレがあると知って驚きました。(20歳 女性 学生)

●面白かったです。職場でも英語の駄ジャレのオチがわからず、「聞いてなかったふり」をしている私でありました。(37歳 大学非常勤 女性 京都)


(正解)「父はわがままです」

※サリー・フィールドとトム・ハンクスが共演した『パンチライン』という映画もあります。

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