金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


 

メッセージはマッサージ

 

Fere libenter homines id quod volunt credunt.(多くの人は、自分が見たいと欲する事しかみていない)
   ------ユリウス・カエサルの言葉

The deveil can cite Scripture for his purpose. (悪魔も必要があれば聖書を引用する)
   ------シェイクスピア『ベニスの商人』

「汝自身を知れだって? じつに有害で嫌な格言だ。自分を見つめるような奴は、発展が止まってしまう。青虫が自分をよく知ろうとすれば、決して蝶にはなれないだろう」
   ------アンドレ・ジイド『新しい糧』

 宗教とか二重性とか難しいことは御免で、自分はただ自分の好きなことをしたいだけなのだと言う人は、それはそれで結構である。「自分探し」の入口は、自分の好きなことである。ところが、自分の好きなことをしようと熱心になればなるほど、他人のことを考えねばならなくなるものだ。自分の好きなことを妨害してくる「他人」とどうつき合い、どう関係するかに苦心しているうちに、その「他人」も「自分」なのだということに気がついてくるだろう。「自分探し」は「世界探し」に直結してくる。こんなところにも「自分探し」のパラドックスがある。
   ------河合隼雄『日本文化のゆくえ』(岩波書店)

 もろもろの怨みは怨み返すことによっては、決して鎮まらない。もろもろの怨みは怨み返さないことによって鎮まる。これは永遠の真理である。
   -----ダンマパダ(法句経“ほつくぎよう”)

 われわれは、自分と同じ意見の人以外は、ほとんど誰のことも良識のある人とは思わない。
   -----『ラ・ロシュフーコー箴言集』(岩波文庫)

 われわれは自分の趣味に合うものを誉める。つまり、われわれが何かを誉めるとき、自分の趣味を誉めているのだ。
   -----ニーチェ『華やぐ知恵』

 非暴力はお説教のできるものではありません。それは常に実践されなければなりません。暴力の演習は、形あるものによって人々に教えることができます。【…】非暴力の人は、そういう形ある武器を持ちません。それゆえに、彼の言葉だけでなく行動までが無能力に見えるのです。【…】非暴力は四分の三までが不可視であり、したがってその結果は、その不可視なところに反比例します。非暴力が積極的にはたらくとき、それは非常な速度で進行し、奇跡となります。そのために、大衆の心は初めは無意識のうちに、やがては意識的に影響されます。それが意識的に影響されるようになったとき、明らかな勝利があるのです。
   -----ガンジー『わたしの非暴力I』

We don't see any American dream. We've experienced only the American nightmare. ----Malcolm X(the movie)
「我々が見るのはアメリカの夢ではない。アメリカの悪夢でしかなかったのだ」 ----『マルコムX』

Only in Americancan a movie actor become President.-----Ronald Reagan
「アメリカであればこそ、映画俳優が大統領になれる」-----ロナルド・レーガン

 アメリカの軍人にとって戦争はスポーツのようなものなのかもしれない。-----島田雅彦『快楽特急』(朝日新聞社)

 徴兵のない国に棲みこのゆふべプルーストするユーフクがある-----荻原裕幸

谷川俊太郎『死んだ男の残したものは』

死んだ兵士の残したものは 
こわれた銃とゆがんだ地球 
他(ほか)には何も残せなかった 
平和ひとつ残せなかった

I think anybody doesn't think I'm smart enough to handle the job is underestimating. ------Pred. George Bush(Apr. 3. 2000)
(私のことを大統領として知能が足りないと言っている人たちはその事実をまだまだ甘く見ている)


 渡辺一夫は『敗戦日記』(博文館新社)で第一次大戦で戦死したドイツ軍大尉の言葉を紹介している。「戦争のおかげで、我々の恐ろしい<愛されない能力>がよくわかった。一切のものには原因がある。我々がこうした憎悪を起こさせたに違いないのだし、大体においてこの憎悪が正しいようなことをしさえしたのだ」。渡辺は「ここで我々が問題にしたいのは<愛されない能力>という性質がドイツの場合よりも程度は低いなりに、奇妙な匂いを帯びて、我々にもありやせぬか、ということである」。

 そして、1948年、渡辺は「文法学者も戦争を呪詛し得ること」を書いた。また、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」という論考も書いている。

 文学や文法学は「平和の仕事」だと思っていたのに、現代言語学の頂点を極めている文法学者ノーム・チョムスキーが『9.11――アメリカに報復する資格はない!』(文藝春秋)という本を出した(イタリアなどでも翻訳されていた)。

 普遍文法を標榜するチョムスキーにとって、世界貿易センタービルの崩壊はバベルの塔の崩壊に見えたことだろう。

 この本の中でチョムスキーはこれまで米国が繰り返してきた多くのテロ行為を歴史的に明らかにしている。例えば、ニカラグアに対するテロ戦争について「米国は、国際司法裁判所によって国際テロで有罪を宣告され――裁判所の言い方では、政治的目的のため『力の非合法な行使』に対し――これらの犯罪を中止し、相当額の賠償金を支払うよう命令された唯一の国である」などという事実を突きつけ、アメリカのテロ報復というのが天に唾するような行為という。ニカラグアが勝訴したことをアメリカは無視したが、東京裁判を見てきている日本人にとっては釈迦に説法のようだが、「テロへの有罪を宣告するのは国際法だけ」であり「軍事主導で解決を目指しても、犠牲者の規模と憎しみを拡大するだけ」だと指摘している。だが、チョムスキーの思想がアメリカ人に受け入れられたとはとても思えない。

 サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」的な論理(ポスト冷戦の世界ではイデオロギー対立に代わり文明の対立が紛争の主要因になるとする仮説)で今度の同時多発テロを考える人もいれば、ウンベルト・エーコのような東西の対立だと考える人もいる。例えば、アメリカはインドネシアなどのイスラム国とは非常に仲良く?しているから文明の衝突というのは少し無理がある。テロ組織の単発的な犯行という見方もあるが、反米感情には根が深いものがありそうだ。

 アメリカは「帝国主義」とはいえないまでも、「一国主義」という独善的なドグマに陥っているようだ。

 筒井康隆の短編「正義」では「正義の味方」がこの世で不正と闘い、裁判を繰り返す。死後、無事、天国に行く。ところが、天国には悪人は一人もいない。誰も糾弾できなくなった「正義の味方」は地獄で地獄の苦しみを味わう。アメリカは天国へ行っても不正を生み出し、「正義の味方」をするつもりらしい。マックス・ウェーバーは力でこの世に絶対的正義を打ち立てようとする者は敵への憎悪や復讐欲を満足させようとする部下の欲求に応えざるをえない−−と指摘した。理想や正義をいちずに求める政治は、逆に歯止めのない暴力を招く。

 ギリシャ語の「ロゴス」は言葉と同様に、論理という意味もある。現代のバベル・世界貿易センターの崩壊は何を人類から奪ったのだろうか?

 そして、思想は暴力に対して無力なのだろうか?

チョムスキー

☆同時多発テロ

 スーパーマンという妖怪が世界をさまよっている。

 スーパーマンは能天気に真実と正義を守っていたのではない。

 では、何を守るために戦っていたのだろうか?

 2001年9月11日に起きた事件は長い間生きていた中でも衝撃的なものだった(911というのはアメリカで警察や救急を呼ぶ電話番号なので、アメリカ人にとっては忘れられない番号になるだろう)。

 様々なことが書けるだろうが、ここでは一つだけ印象的だったことを書く。

 あの日、NHKの「ニュース10」を見ていた人は最初に堀尾アナが「今日は9月11日水曜日です」と言い間違えたことに気づいた。すぐに訂正され、台風15号のニュースが流れ、「今、入ってきたニュースです。ニューヨークの世界貿易センターに飛行機が激突して燃えています」と切り替わり、映像が流れた。うちでは「大変なことが起きた。見なさい」と子どもを呼んでいた。そこへ2機目の飛行機がぶつかった。ビデオが手に入ったのかと思ったのだが、前の衝突とは違うところだった。まさかテロで攻撃されているとは思わなかった。アナウンサーも「今、飛行機がぶつかったように見えたのですが、別の飛行機がぶつかったのでしょうか?」と聞いていた。それからは、この世の終わりのような状況だった。ホワイトハウスやペンタゴンで避難命令が出た、と聞いた直後にはペンタゴンに飛行機が墜落したというニュースが飛び込み、一時は11機もの飛行機が行方不明という報道さえ流れた。

 ところが、こうした映像を違う立場で見ている人がいた。世界貿易センターに勤めている夫を持っている女性である。慌てて「あなた!逃げて!」と国際電話をかけたそうだ。おかげで旦那さんは助かった。つまり、現場にいても何があったのか分からないということだ。

 もう一つ、2機目が衝突したビルでは避難してる途中に「こちらのビルは安全です」という館内放送があったという。これで安心して戻った人がいて、犠牲になった。人は安心だとか安全だとか、危なくない情報の方を信じてしまう。

 1年後の9月11日に当時のビルの内部を撮ったビデオが公開されたが、消防署員の多くは何が起こっているのか分からずに右往左往しているだけだった。

 それは事故現場だけではない。

 生きていくところ、どこでもありえることだ。既に過去になっている歴史でも同じだ。あるおばあちゃんと戦争のことをずっと話していて、ヒトラーの悪口をいうと、「ええっ、ヒトラーって善い人じゃないの」といわれてのけ反ったことがある。戦争を「知っている」が戦争の本質は知らされていない。戦時中そのままの教育で留まっているのである。

 人は自分のことやよく分からない、そして自分に都合のいい情報を信じる。

 メッセージはマッサージだ。快いメッセージが心を揺する。

 スーパーマンは世界の「真実と正義」のために戦ったのではない。「真実と正義とアメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」のために戦っていたのだ。

 The Man of Steel stands for truth, justice, and the American way!


スーパーマン


☆快適なメッセージ

 日本で「大本営発表」というとウソっぱちのことを言ったのだが、最近の人はよく知らないだろう。太平洋戦争で日本が負けているのに大本営の発表ではいつも敵を撃破していた。「退却」といわずに「転進」といっていた。「全員戦死」といわずに「玉砕」といっていた。地図を持ってきて、転進先がどうなっているか調べれば簡単に負けつつあることが分かるはずだが、そう思うのは後世の人間だからだろう。当時の人はそんな余裕すらなく、「大本営発表」の「戦果」に大喜びしていたのだ。

 別に日本でなくても、例えば『風と共に去りぬ』でも南軍が勝った、勝ったという報に大喜びする姿が描かれている。ちなみに言えば、スカーレット・オハラというのは代表的な自己愛人間である。メラニーが死にそうになった時に、これで「アシュレーが自分のものになる」と勘違いしてしまう女性だ。そして…全てを失う。

 真珠湾攻撃は日本を歓喜させた。作家横光利一は日記に「戦いはついに始まった。そして大勝した。先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ」と書いた。評論家の本多顕彰は「からっとした気持ちです…聖戦という意味も、これではっきりしますし」と書いた。実は日本だけでなく、世界中をも喜ばせたのだった。ドイツとイタリアは三国同盟が実行された、アメリカはこれで大戦に堂々と参加できる(しかも「リメンバー・パールハーバー」、これはインディアンとの戦い「リメンバー・アラモ」の焼き直しだったが、というコピー付きで)、イギリスはこれでアメリカと共に闘える、ソ連はスパイ・ゾルゲの諜報が正しくて日本との戦いを後回しにできる、などという思惑で喜んでいたのだ。

 伊丹万作(伊丹十三の父で映画監督)は太平洋戦争が始まった直後の『映画評論』(1942年1月号)が行ったアンケートに次のように答えている。

 開戦と同時に日本はパッと燈がついたやうに明るくなつた。それは決して緒戦に成功したからではない。開戦以外にも日本の救はれる道が絶対に無かつたからだ。是は同時に世界の半分に就いても云へることだ。日本は世界に光明を點じた。私には今明るく明けて行く輝かしい未来の他には何も見えない。

 そうなのだ。日本の開戦は「世界に光明を」点じたのである。

 人は自分に都合のいい情報を信じる。

 都合のいい情報ばかり集めると、旧日本軍のようになってしまう。昔の日本、今の北朝鮮のようになってしまう。

 問題は騙している人たちも本当の情報を持っていなかったことである。ウソの情報だらけで、何が本当か分からなくなっていた。気づいた頃には元に戻れなくなってしまっている。

 よく知られた話だが、小津安二郎は陥落後のシンガポールで『風と共に去りぬ』をコロニアル風の映画館で見て、ああこんな映画を作っちまうとは、よりによってとんでもない国を相手に日本は喧嘩を始めちまったもんだな、こりゃ負けるな、と思わず直感したという(僕らの世代は『ザッツ・エンターテインメント』を見た時に、戦争中にもかかわらず、こんなミュージカルが作られていたなんて、どうしてあんな国と戦争しようと思ったのだろうと感慨を深くしただけだが)。

 多くの人の言い訳は「私は本当のことを聞かされていなかった」というものである。自分は悪くない、善意で行っただけだという。

 後に自分がしたことが悪いということが分かっても、それは「立場上行っただけ」で自分は考えていないという。どうやら、日本では人が考えないで椅子が考えるようだ。

 同じ傾向は今も続く。不祥事で頭を下げるおじさんたち!責任を取らない官僚たち!

 多くの公務員はまじめで真剣に仕事をしているが一部の人のおかげで誤解されてしまう。

 プロジェクトが始められる時に、要望書というものが出る。そこに書かれていることはプロジェクトの経済効果とか福祉とか美辞麗句である。もし、こんな危険性がある、という内容の書類を書いたら通るはずがないので、最初からバラ色の計画書になる。例えば、瀬戸大橋の利用者数など、少なく書けば通るはずがなく、結局、希望的観測にすぎないものが通ってしまう。

 大型プロジェクトが進められる時、会社の場合は倒産するという危険があるから湯水のように予算を使うことはしない。が、中内功のように『カリスマ』なってしまうと、チェックが効かずに2兆円の借金を作ることになる。行政の場合はチェック機能がないことが多い。チェックする人が仲間であったり、部下であったり、まるで関知しない、名誉だけの人だったりする。諮問委員会など色々な委員が選ばれるが、結論は当局の用意したものに近い。だから阿諛追従の「ラバースタンプ」(ゴム印)と揶揄される。

 完成して、それが間に合わなくても、オンブズマンさえ煩くなければ、そのままでいられる。

 自分が関わっていたプロジェクトが失敗しても、既に退職しているから無関係だ。

 幸い、学生たちに直接恩恵が及ぶ文部科学省にはいないが、他の多くの省庁では予算を多く取った人が実力派といわれる。「見える」成果といわれると会計サイドでは予算しかない。地方自治体の場合、100万の予算を国からもらうのに200万かけても分からないことがある。それでも、国から100万取ってきたという方が実力を示せる。「中央集権」にはそうした側面もあった。

 また、官僚のポストは2,3年もすれば変わっていく。同じところに何年もいると無能だと思われるから、専門家が少ない。僕らにはとてもできないことだが、本当に様々なポストをこなしていく。

 地方自治体の人が国の人になることも多いし、逆は更に多い。立場で様々に変容できる。

 司馬遼太郎は「一人のヒトラーも出ずに、大勢でこんなばかな四十年を持った国があるだろうか」(『この国のかたち』文藝春秋)と書いている。「ばかな四十年」とは1905年(明治38年)の日露戦争の勝利から45年の敗戦までだ。国じゅうにみなぎった戦勝の熱気がやがて軍部の台頭を招き、破滅的な戦争に突き進んだ歳月をいう。東条英機だって独裁者ではない。陸軍大臣や参謀総長を兼務して権力をふるい、職を離れるや権力を失っている。省みる最後のチャンスはノモンハンだったはずが、降格されたはずの辻政信少佐と服部中佐のコンビはすぐに復活し、破滅的な戦争に突入していった。半藤一利『ノモンハンの夏』(文藝春秋)は「人は過去から学ばないこと」と述懐している。ミッドウェイの敗北も同じである。山本五十六の作戦がまずかったのは明らかであるが、虎の子の空母4隻と熟練した航空兵を多数亡くしたのに反省がなく、「勝ち戦」だったと言い放ち、自分たち自身もその言葉に酔ってしまい、現実を見ず、「運命の五分間」というのをでっちあげて、責任をうやむやにしてしまった。

 では、責任者は誰か?

 誰もいない。

 何しろ、自分が考えているのではなく、椅子が考えているのである。

 組織を考えてみる。実力主義の時代だといわれる。実力とは何か?辞書によれば「実際にもっている力量」と書いてあるが…。

 セールスマンなら売り上げだろう。スポーツマンなら成績だろう。その現役で働いている時の実力は分かりやすいかもしれない。しかし、出世するというのは多くの場合、管理職という別の仕事に就くのである。ソニーだって技術畑の人が経営トップにならなければならない。その時の実力はどうして分かるのか?長嶋茂雄が監督として優秀かどうかを考えてみればいい。優勝できないから実力がないとはいえない。長嶋人気で視聴率が上がれば、優秀なのである。しかし、その長嶋だって、経営トップに気に入られなければ監督に再任されることはなかっただろう。実際、絶対に長嶋を監督にしないと豪語していた球団トップもいたのだ。

 実力というものの内容もはっきりしないし、評価も決まっていない。年功序列の時代は、それなりの秩序が保たれていたが、これが崩れて無秩序になってしまう会社も多い。上司が部下が高く評価するのは1)自分と似たタイプであること、2)自分に対して従順であること、3)自分にある特色を持っていること、であり、つまり自分のコピーを欲しがっていることが多い。仕事というものは自分がいなくても動くように組織を作らなければならないのだが、自分でなければ組織はつぶれてしまう、などと勘違いして、会社をつぶしてしまう人も多い。でなければ、自分そっくりの人を後任につけようとして、会社が発展しないままに終わってしまう。

 実力主義の方が、むしろ職場の人間関係をそのまま反映することがある。実力を計る試験が一つだけ行われるのだったら、確かに平等にみえるかもしれないが、そんな試験はありえないし、それまでの仕事によって優劣が分かれる。

 試験結果があっても、試験だけで考慮されることは少ない。多角的な視点から考えられる(多角的な視点に立たないのは教育関係だけかもしれない。今はさすがに違っているが、偏差値だけがすべてだった)。内実が入る。入れるつもりはなくても、一匹狼が必要なクリエーターばかりの会社でない限り、職場の雰囲気を壊す人は排除される。

 結局、上司との人間関係がいい人が選ばれることになって、年功序列よりも「実力」という名の下に、人間関係が優先される。これは仕方のないことで、それを責めることはできないだろう。ただ、問題は上司が自分に都合のいい情報を信じる傾向にあることだ。自分にとって快適なメッセージをもってくる部下を優遇しがちだということだ。これは「公私混同」とは違う。どんな小さなメッセージでも快い方を好むということだ。部下の方もお世辞で言っているのではない。心地よいメッセージの方が伝わりやすいということだ。

 そんなことは絶対にありえない、という会社もあるかもしれないが、入社の時の面接でも「御社が大嫌いです」という人間を少しは採るかもしれないが、「御社で頑張ります」という人ばかり採りたがる。自分が使いやすい社員を並べて、同じような思考・志向を重ねて、社会から離れて行く会社も多い。ワンマン社長というのがいて、創業者社長に多く見られるが、成功している原因というのは一つではない。たまたま成功していることが多いのに、自分が中心で、自分のやり方がすべてだと思っている社長がいる。実は、うちの親戚にもいるのだが、栄華が続くとは思えない。端から見ていても周りに使いやすい、あるいはおベンチャラ社員がたくさんいる。

 どの組織もそうだ。

 行政でも6選などという知事がいる。本人が立派なことは分かる。しかし、24年間もの間、人事が停滞する。ブレーンの人は70近くになってもブレーンのままでいる。5年で社会がどれだけ動くか、分からなくなってくる。派閥があっても気づかない。国立でも最初の館長は定年なく続けることができる。その人の責任で館の運営を全うすることになるのだが、よほどの人格者でなければ後が続かない。

 そして、腐敗していく…。

 考古学で藤村新一という男によって捏造がなされて、日本考古学会はパニックしている。彼は「ゴッド・ハンド」と呼ばれていたそうだが、ちょっと冷静に考えてみると、同じ人が2度や3度は大発見をすることがあっても立て続けに40数箇所の大発見がなされる確率はほとんどありえない。もちろん、眉唾で見ていた人も多かったが、「発見された」という事実がすべてだった。

 結局、メディアがおかしいと思わなければ、解決しなかった。もちろん、メディアだって共犯で観客がいるから行われた劇場型犯罪の一つだといえるのだが、このままいけば、10年後には「日本にピテカントロプスがいた」ということになりかねかなかった。それにしても検証が遅かった。指摘があったといっても、考古学会で解決できなかった。

 ウソだと思いつつ、どこかにそうあってほしいという願いがあったのではないかと考える。希望的観測がなかっただろうか。

 不確かな情報があった場合、人は自分に都合のいい方に考えてしまう。これが流言飛語となって、社会問題を起こす。自分の認めた存在の価値を不用意におとしめるような情報を受け入れない、もしくは歪曲して解釈することをフェスティンガーは「認知的不協和」(cognitive dissonance)といった。例えば、ロレックスの時計(本物)を持っている人は「ロレックスの時計は最高だ」とか「ロレックスの時計は贋物が多く出回っているが、精密さは本物に遠く及ばない」などの情報は、ほぼ無条件で受け入れるのに対して「ロレックスなんて時計として三流だ」とか「A級品の贋物は本物と見分けがつかないし、精密さも決して負けてはいない」などの情報は、真偽を問わず否定しようとする。人間が自分の価値をおとしめられないようにする防御反応でごく普通のことだ。イソップの「酸っぱい葡萄」が認知的不協和低減の好例である。ロミオは結婚を反対されなかったら、ジュリエットと結婚しなかったかもしれない。同じ店でも行列ができて待っていた頃の方がすんなり入れる時よりもおいしかったはずだ。賞罰とは全く逆に認知的不協和低減は働くということだ。

 トルーマン米大統領が「ザ・バック・ストップス・ヒア」(親はこの先にいない=全責任は私が負う)との座右の銘を執務机に常置していた話は有名だ。「バック(buck)」は米国人が好むポーカーで親を示す印だ。カードを配り、ゲームを進める親の責任を意味する。

 「バックを人に回す」は責任を他人に転嫁することである。日本では他人に責任を転嫁するどころか、その後の誰も責任を問われない。

 アメリカの同時多発テロと日本との関わり方について新聞やテレビ局のスタンスがずいぶんと違っていた。昔は金太郎飴のように同じで、コラムでも違うのは段落の▼や△くらいだといわれていたが、今回は大きく違った。

 しかし、違う意見もあることはなかなか分からない。というのも僕らは自分の好きなメディアしか見ないからである。世論調査でも、朝日、毎日、読売と政府とのスタンスがそのまま調査に反映されることが多い。評論家でも同じで、僕は竹村健一の本を読まないが、好きな人は他は読まないで竹村だけを読んでいる。これを「批評のタコツボ化」ということができる。

 これだけメディアが発達すると自分を信じないでメディアに頼りすぎになる。例えば、近所で消防車のサイレンがなり、確かに空が赤いのも見ても、翌日新聞にその火事についての記事が載っているのを読むまで本当に火事だったと納得できないことがある。情報、特にマスメディアによるもののほうが、現実感が感じられる状況をマクルーハンは“Message is the medium, Medium is the Massage.”と語っていた。真意はどうだったのか知らない------僕には自分に都合のいいようにしか解釈する気がないからである。大体、マクルーハンを紹介したのが竹村健一だったし、後にウディ・アレンの『マンハッタン』で真っ白のスーツを着て映画館で並んでいる胡散臭い感じの男だったのであまり信用はしていない。

 間接的な情報を通してでなければものを「知る」ことができない状況―現実そのものから現実感が失われている状況は危機的である。自分の妹よりも「モーニング娘。」の方が詳しい人が増えている。

 ネットが成熟した市民社会を作ると思っていた人も多いだろうが、逆である。共同通信ニューヨーク特派員の原真『巨大メディアの逆説』は「特に印象的なのは、画一化するメディアと並んで、技術革新によってネットやケーブルテレビなど小規模の多様な情報提供が視聴可能になったことによって、それぞれの市民が自分が視聴したい報道や娯楽のみを視聴するようになったために、敵対する、あるいは異なる社会グループがお互いの意見や情報を共用できなくなり、ひとり一人の市民が得る情報は逆に狭くなるというパラドクスを指摘するところ」だとう。これは2チャンネルを見ていればよく分かるだろう。自分の好きなウェブしか行かないし、書かないのである。

 自分が信じられない、自分が自分を生きていると思うことができない人が増えている。「酒鬼薔薇聖斗」がそうであろうし、豊川市の主婦殺人事件の高校生などもそうであろう。「舞台型犯罪」というのが増えてきたといわれるが、グリコ森永事件の犯人や「酒鬼薔薇聖斗」など恐らくテレビで騒がれることで自分を確認していたのではないだろうか?

 昔のように統一した自我というものがもてなくなってきている。それだけ社会が変化し、価値観が多様化しているためだ。「分別知」と呼ばれることがあるが、情報がバラバラになって、全体が見えないことが増えてきた。仏教では「分別知」に対して「根本知」とか「無分別知」というようだが、「ホロン」(holon)とでもいうべき、「総合知」、「了解知」がどこかで再生されなければならない。

 自分というものを身体を含めた総合で取り戻さなければならない

 アメリカは今、大きくなりすぎて、スーパーマンではなく、自分でお尻も拭けない巨人になってしまった。


☆「汝自身を知れ」(Nosce te ipsum.)----自分で自分が分からない

 富士登山から帰った八っつぁんが、熊さんに自慢する。
 八「お山の上から下界を見ると見晴らしが良くて、ずーと遠くまで見えるね」
 熊「それなら俺の家の二階にある物干しは見えたかい?」
 八「いや、見えなかったよ」
 熊「そんなはずはねぇだろう。いつも物干しから富士山が見えるんだから」
 八「………」

 鏡に映しても逆にしか写らない。僕なんか眼鏡をとった真実の姿を数十年みたことがない。松沢哲郎『進化の隣人 ヒトとチンパンジー』(岩波新書)の「自己認識と他者理解」によれば鏡に映った自分をサルは分からないが、チンパンジーは分かるという。

 落語の「松山鏡」には今まで鏡というものを見たことのない松山村の正助という男が出てくる。領主からもらった鏡をのぞくとそこに18年前に亡くなった父が見える。孝行者の正助は鏡を納屋に置き、毎日その亡父にあいさつをしたのだが、これを怪しんだ女房、夫の留守に納屋に入って鏡を見ると、そこに見知らぬ女がいたのに仰天だ。帰ってきた夫と大ゲンカになり、通りがかりの隣村の尼僧が仲裁に入る。双方の言い分を聞いて納屋に入った尼僧、出てくると「さあ仲直りしなさい。中の女も頭を丸めてわびている」…。類話の能や狂言を受け継いだこの話はルーツをたどると古代インドの説話までさかのぼるという。

 以下の絵はマッハ(『感覚の分析』法政大学出版局)が自画像として描いたもので、有名だ。マッハはある哲学者の本の中に「問題---『自我』の自己観察を遂行すること。解答---人々はそれをぞうさなく遂行する」という分を見いだしてそれをパロディにしようとした図だという。こんな風に自分が見える人がいるだろうか?

 自己認識は大切だが、今までの自分を捨てることにもなりかねないので、純真さを失わせることになるかもしれない。

 1980年代以降、「本当の自分探し」というのが流行している(上野千鶴子『<私>探しゲーム』が最初で編集の藤本由加里がつけたのだという)。SMAPの歌でも「ナンバーワンよりオンリーワン」だというが、本当の自分なんてどこにあるのだろう。ナンバーワンにもなれなければ、オンリーワンになることも難しい。だって、世間から大きく逸脱した自分というのは凡人には受け容れがたいし、ちょっと違っただけで喜ぶのも変だ。レディメイドの自分がある訳ではないから、自分探しより自分作りが大切なはずだ。これでは自分はどこかから拾われてきたのであって両親とも違うと信じる「ファミリーロマンス」と同じである。ちょっと鏡を見れば親にそっくりなことくらい分かりそうなものだが、ロマンスを信じる。本当は、大したことのない自分しかいないのに、どこかに立派な自分がいると信じたいのである。村上春樹の『国境の南、太陽の西』には、主人公「僕」がそういう場所を追い求め喪っていく様が、淡々と描かれている。

「僕はこれまでの人生で、いつもなんとか別な人間になろうとしていたような気がする。僕はいつもどこか新しい場所に行って、新しい生活を手に入れて、そこで新しい人格を身につけようとしていたように思う。僕は今までに何度もそれを繰り返してきた。

 それはある意味では成長だったし、ある意味ではペルソナの交換のようなものだった。でもいずれにせよ、僕は違う自分になることによって、それまでの自分が抱えていた何かから解放されたいと思っていたんだ。僕は本当に、真剣に、それを求めていたし、努力さえすればそれはいつか可能になるはずだと信じていた。でも結局のところ、僕はどこにもたどり着けなかったんだと思う。僕はどこまでいっても僕でしかなかった。僕が抱えていた欠落は、どこまでいってもあいかわらず同じ欠落でしかなかった…」

 『ダンス、ダンス、ダンス』の中でも優等生だった五反田君が中学、高校の頃を振り返って「まるで僕自身なんてないようなものだった。ただ単にそうするのが僕に相応しいと思えることをやっていただけだ」「考えてみたら、僕は何も選んでいないような気がする。【…】僕はたまらなく怖くなるんだ。僕という存在はいったい何処にあるんだろうって。僕という実体はどこにあるんだろう?」という部分がある。

「心というものはあなたにもよく理解できないものなの?」
「ある場合にはね」と僕は言った。「ずっとあとにならなければそれを理解することができないという場合だってあるし、そのときにはもう既に遅すぎるという場合だってある。多くの場合、我々は自分の心を見定めることができないまま行動を選びとっていかなくちゃならなくて、それがみんなを迷わせるんだ」
「私には心というものがとても不完全なものののように思えるんだけれど」と彼女は微笑みながら言った。【…】
「僕もそう思うね。とても不完全なものだ」と僕は言った。「でもそれは跡を残すんだ。そしてその跡を我々はもう一度辿ることができるんだ。雪の上についた足跡を辿るようにね」
「それはどこかに行きつくの?」
「僕自身にね」と僕は答えた。「心というものはそういうものなんだ。心がなければどこにも辿りつけない」
     -----村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』

 今の日本ほど「本当の自分」にこだわる社会はなかっただろう。というのも、ちょっと前までの日本では武士の子は武士、町人の子は町人と決まっていた。長男か、次男かによって役割も決まってきた。「私」の輪郭がはっきりしていた。1960年代、「本当の自分」はエリック・エリクソンのいうように「アイデンティティ」の確立によって手に入れることができると考えられていた。確立された状態とは自分の社会的な位置づけと内的な私心が明確に定められていることで、これを確立するのが青年期の重要な課題であるとエリクソンは考えていた。ところが、70年代の高度消費社会になるとさまざまな商品が「記号」としての性格を強めてきた。ベンツに乗っている人間とカローラに乗っている人間は違うことになってしまった。衣食住という私以外のところで自己が表現されるようになってしまった。身分制や家族制度の崩壊と共に、アイデンティティがゆらぐようになってしまったのである。「自分探し」さえも商品化され、『フィガロの結婚』(K492第1幕、第6曲)のケルビーノのように「自分で自分が分からない」(Non so piu,cosa son)と嘆くしかなくなったのである。

 ジャン・ピアジェの「三つ山問題」というのがある。机の上に三つの山の模型を置き、被験者となる子どもに机の一方からその山の模型を見せる。子どもは自分のいる場所から山の様子が目に見えている。山をはさんで子どもの反対側に、クマの人形をこちらに向けて置く。そして子どもに「今、あなたのところから山が見えますね。あそこにいるクマさんもこちらを向いて山を見ています。クマさんには山はどう見えるかな?」と訊ねる。例えば、自分と山との間に小さな家が置いてあるとする。クマさんからは見えないはずだが、子どもは分からない。3〜4歳の子どもは、どの方向から見ても同じように見えると答える子が多い。実際にクマさんのところに行って確かめさせた後でも、元の席に戻るとその答えは変わらない。このように、個人差はあるものの、幼児は自分から見た世界が客観的で正しいと考えがちなのである。ただ、その子が普段興味を持っているぬいぐるみ等を使うと正解する(これを文脈依存性という)という。

3mountain task

 「母子問題」というのもある。これは3〜4歳の子どもに「あなたのお母さんに子どもは何人いますか?」と聞くと、たいていの子どもは、一人っ子の時は「誰もいない」、二人兄弟の時は「一人」と答える。お母さんと子どもの関係を第三者として見ることができない。お母さんと子どもを自分からしか捉えられず、自分がお母さんの子どもの中に入っていないのである。つまり、自分を認識の対象にできない。

 これらは子どもの「自己中心性」(egocentrism)を示す実験である。大きくなるに従って、だんだん他者の視点を獲得するようになる(はずだ)。

 3歳児までは、自分が見ていることと、他人が見ていることは同じだという「素朴な信念」がある。4,5歳になってはじめて、自分が見ているものと、おとうさんやおかあさんを含めた他人が見ているものや理解していることは、必ずしも同じではないことに気づくことになる。

 ウィンマーとベルナーという人の「誤信念課題」(false belief task)というのもある。男の子が部屋に入ってきて、冷蔵庫を開けてオレンジジュースを見つける。コップがないので、冷蔵庫を閉めて、コップを取りに行く。次に女の子が入ってきて、冷蔵庫を開けて、自分が冷やしていたらしいオレンジジュースを取り出して、ピクニックに行くためにバスケットに移す。そして、女の子が出ていく。そこへコップを持ってきた男の子が戻ってくる。さて、男の子はどこへ行くでしょうか?という問題だ。3歳までの子どもは「バスケットの方へ行く」という。理由を聞くと「女の子がそっちに移したから」とか「ぼく見たもん」とか答える。4、5歳になると「男の子は冷蔵庫の方へ行く、だってバスケットにジュースが入ったことは知らないもん」とか、「オレンジジュースは冷蔵庫にあると思っているからそちらに行く」と答える。

 つまり、3歳まで子どもにとって自分が見たことがすべてで他人の心を理解していないことになる。これを「心の理論」という。デビッド・プレマックとウッドラフによる論文 "Does the chimpanzee have a theory of mind?" (チンパンジーには心の理論があるのか?)において初めて使用されたものである。

 まあ、それでも、実際には大きくなっても自己中心的なままでいる人が増えている。授業でしゃべっているのを注意して「うるさい!」というと「教官も、うるさい」などと反論してくる学生がいる。余談だが…。

 フロイトやフロムやコフートなどの精神分析学者によれば、人間にはもともと「自分は世界で一番偉い」「自分は何でもできる」「自分を中心に世界は回っている」という幼稚な錯覚、ナリシシズムが人格の中心にあるから、自分と世界を客観的に見られないという。そこから脱却しなければならないが、簡単ではない。客観的に見て、アホで間抜けな自分が笑えるまでになれば、幸いなのだが難しい。

 自己中心的な状態にある子どもには、どのように対応していったらいいのだろうか。簡単な方法があるとは思えないが、可能性としてピアジェは次のようなことを述べている。

 第一に、自己中心的な状態から抜け出させるには子どもどうしの集団で遊ばせて社会化を促すことである。

 第二に、子どもがもっている見方や世界観が必ずしも正しくないことを示し、矛盾や戸惑いを感じさせることである。

 第三に、主観と客観を区別させるということである。

 余談だが(いつも余談だが)、今の若者の「私って…な人なの」とか「私(わたし)的にいえば…」という言い方は、ある程度自分を客観視しているように思えて面白い。本当に客観視できているのか分からないが…。

 キケローの言葉に“Nihil difficile amanti.”というのがある。「恋する者には何事も困難ではない」ということだが、恋するものには何も見えない。このモチーフはシェイクスピアの多くの喜劇に取り入れられている。恋愛結婚に失敗が多い原因の一つがこれだ。もちろん、結婚した時には愛の炎が燃え尽きて灰になっている、ということもあるのだが、周りがよく見えない。コミュニケーション能力がなくて無口なのに、「この寡黙さが何ともいえないわ。おしゃべりな言語学者よりずっとまし」などと都合良く考えてしまう。しかし、結婚というのは毎日の生活であり、日常であり、クライマックスなど滅多にないものなのだ。互いにいいところしか見ないで結婚すると後悔する。ただし、結婚というものがどんな形にしろ、後悔するものだと考えれば、さほどひどいことではないかもしれない。

 映画や文学は同じテキストを提供しているのではない。外国の街を一緒に歩いても全く違う視点で眺めているはずだ。同じ物を見ても自分のお気に入りの事柄以外には目が届かないものだからだ。そして、木を見て森を見ない。

 本当に謙虚な人は偉いと思う。僕は謙虚になれない。ちょっとでも誉められると舞い上がってしまうし、誉められないと地球の底まで落ちていきそうな気がする。

 他人からの評価でしか自分が見えなくなっている。内側が外側になっているメビウスの輪なのだ。


☆自分とは?

 自分というのは何か?と問い始めるのが自分を考える最初である。

 社会学者のC・H・クーリーは見る自分と見られる自分を分けて考え、後者を「鏡に映った自分」(looking-glass self)という言い方をした。鏡を見て、鏡に映った自分と見ている自分というものがおり、「私」というのは二重化されている。日記を書く時も、「自分はどうだったか」と反省するのだが、考える自分というものがある。つまり、私とは「私とは何か」と問うところのものであり、これを「自己とは自分自身へ関係づけられていることである」という言い方をする。

 人間関係訓練の領域では有名な図式(1966考案)のジョハリの窓(JoHali window)というのがある。これは考案者のジョゼフ・ラフト(Joseph Luft)とハリー・インガム(Harry Ingham)の名前を合成した命名なのだが、次のようなものである。

■人数は2〜4人で行います。   ■紙と筆記具を用意します。    

■自分の性格だと思う要素を次の中から選び、紙に書きます。(複数OK)
1.明るく楽しい、2.責任感がある、3.観察力がある、4.楽天家、5.おとなしい、6.計画的、7.優しい、8.ガマン強い、9.礼儀正しい、10.親切
■相手の性格だと思う要素を同じく紙に書きその人に渡します。自分と相手の数だけ「自分の性格」の紙が手元にあるようにします。   ■下の様に別の紙を4つに区切ります。

■自分が書いた要素と相手が書いた要素が重なっているものをAに書きます。
■相手が書いて自分が書いてない要素をBに書きます。
■自分が書いて相手が書いてない要素をCに書きます。
■誰も書いてない要素をDに書きます。

 ジョハリの窓

A
開放領域
B
盲点領域
C
隠蔽領域
D
未知領域


 A.開放領域(Open Windowopen area:自分も他人も知っている自分/隠すことも避けることもなく、自由に振る舞うことができるので、コミュニケーション活動は活発に行われる)
 B.盲点領域(Blind Window/blind area:自分は知らないが、他人は知っている自分/自分では気づいていない自分の姿を知りたいという積極的な姿勢と、相手の指摘に謙虚に耳を傾ける姿勢をもちあわせない限り、この「私」に気づくことは難しい)
 C.隠蔽領域(Hidden Window/hidden area:自分は知っているが、他人は知らない自分/相手に知られたくないので意図的に隠している「私」と、隠す意図はないいのだが知らせる機会を失して隠れている「私」からなる)
 D.未知領域(Dark Window/unknown area:自分も他人も知らない自分/まだ手をつけられたことのない「私」の資源で、無意識のレベルの欲求や行動傾向、潜在能力などが含まれる)


 ジョハリの窓は、自分には4つの領域があるというものだ。D「未知領域」が小さく、A「開放領域」が大きい人が、より健常という考え方である。「自分も他人も知っている自分」の部分を大きくしていくということは、自己理解を深めるということになる。A「開放領域」を大きくするには、1つは“自己開示(self disclosure:自分の事を話すこと)”をして、C「隠蔽領域」を他人に知ってもらうことである。この情報のコントロールは自分自身にある訳で、どの程度、どのような内容を、誰に、どういう具合に行うのが適切か、また効果的かなど難しいものもある。

 また、他人から自分がどう見えるか、“フィードバック”を得ることによって、B「盲点領域」を減らしていくことが自己理解のために不可欠となる。

解放領域の拡大  

(パーソナリティの変容)

A
開放領域

↓   ↓

B
盲点領域
C
隠蔽領域
D
未知領域

 自己開示の前に自己受容(self acceptance)も大切だ。自分の感情を客観的にみつめ、認めること。その上で、等身大の自己を愛していけることである。そんな完璧な人間はいないのだから、そんな完璧な家族とか会社とか社会とかはないのだから、気を楽にもたなければならない。

 同時に他者受容も必要で、共通感覚と思いやりをもって、等身大の他者を受け入れることである。

 自己開示といってもあんまり難しく考えることはない。「どうも運動オンチでスポーツのことはよく分かりません」とか「3人以上の人の前で話すのが得意じゃないんです」などといえばいい。逆に「もっと笑顔で対応した方が親しみが持てていいですよ。表情が堅すぎますよ」とか「ジョークばかり言っていると信用されなくなりますよ」という他人からのフィードバックを素直に受けとることが大切だ。もちろん、お互いに信頼関係ができていないと喧嘩になってしまう。

 また、自己開示をすると相手も自己開示を増やすことがヒルツとシュルツ(Hilz and Schuldt,1994)の実験で分かっている。自己開示することは相手に自己開示のモデルを示すことでもある。子どもを知ろうとして、自分が子どもにどれだけ自分のことを語っているか忘れてはいけない。

 自分というのは一人でいるものではなく、他者との関係性でしかない。相手によって様々なペルソナ(仮面)を見せるのだが、ペルソナが統合されたところにパーソナリティ(人格)が存在している。

 ただ、否定的なことを言われたときでも、他人にはそう見えている自分があるのだと、知ることが必要だ。そういいながらも若い頃は「何言ってるんだ!」と反発したくなったものだ。また、僕の場合は学生に僕の物まねをされると、自分の嫌な部分を見てしまうようでとても耐えきれないのだが、まさに気が付かない自分ではある。

 自分には甘く、他人には辛いのが人の常である。 他人のは見えても、自分の背中や性格は見えぬもの。イソップにこんな話がある。ギリシャの神プロメテウスは人間の首に袋を二つ掛けた。一つは他人の欠点、一つは自分の欠点を入れる袋だった。ただ、他人用は体の前に、自分用は背中に下げたから見えなくなった…。

 自己を考える時には他人という鏡がどうしても必要だ。でも、なかなか実行はできない。僕は酔っぱらって小言をいう人(好きな人は“飲みニュケーション”だという)が嫌いだから、飲み会にはいっさい出ないことにしているのだが、それも耐えなければならないのだろうか?

 それから「本当の自分探し」というのがブームになっているが、どこかに本当の自分が転がっていることは稀である。Dの未知領域をなくすことでもあるが、心理学の本を少し読んだからといって、新宗教に入ったからといって出てくるものではない。そんな人は『青い鳥』でも読んでなさい。

 アサーション(自己主張)の能力も必要だ。アサーションは元々、自閉症のためのトレーニングだったが、多くの人に有効なことが分かっている。人間は自由だからいいたいことをいう権利としたいことをする権利がある。同時に、いいたくないことはいわない権利、したくないことはしない権利がある。

 シェリー・テーラーという心理学者によると、人間はいつも自分の姿をバラ色のベールに包んだ過大な自己評価を抱きながら生きているのだそうだ。逆に自分を常にありのままに認識できてしまう人は、抑うつ状態に陥ってしまうというのである。

 今生きている自分を見つめることは大切だが、自分をいたわることも必要で、時には「お前、大丈夫か、最近、無理をしてないかぁ」と心配してあげることである。

 なお、ジョハリの窓は要件を二つ選んでそれぞれをプラスとマイナスに考えて表を作るものであり、色々な応用が利く。

 例えば、結婚相手としてAハンサムで高収入、Bハンサムで低収入、C非ハンサムで高収入、D非ハンサムで低収入と考えるとAが理想だが、BよりCの方が…と考えたくなる。

 人間としてA教養があって専門知識にあふれている、B教養があって専門知識がない、C教養がなくて専門知識にあふれている、D教養がなくて専門知識もない、うちのどれがいいか?

 指導者としてA賢くて働き者、B賢くて怠け者、C間抜けで働き者、D間抜けで怠け者と考えると必ずしもAがよくなくてBの方がいいことが分かるだろう……。


☆他者との関係

 輝くためには他者が必要だ。

 人はパンだけで生きることはできないというが、ではパン以外に何が必要かというと、時部はこんな、すぐ近くで自分を照らしてくれる光なのかもしれない。それもエゴイスティックなまでに、自分だけを照らす光---つまり親が子に、夫が妻に、妻が夫に示す、決して客観的ではない、思い込みに満ちた愛情が、意外な力を発揮するのかもしれない。そして人は美しいと言われれば美しく、強いと褒められれば強くなれるのかも……。

 そういえば、細い枝の先の小さな葉にまで光を与えられると植物は確かに生命力を増すし、人の視線も同じで、「見られている」「見てくれている」と感じることがその人を大いに磨いてくれるのは間違いない。

 こう考えてみると、おしゃれ上手な人、センスのいい人というのは決して一人で存在しているわけではなく、身内や友人や職場の仲間など、あるかたまりとして存在していることがわかる。たとえ一人がすてきに見えたとしても、実はその周りで、姉妹や夫や恋人がその人を支え、視線という光を当てて輝いているのではないだろうか。

------あなたは世界中でいちばんすてきな人……。

 この言葉をささやくことができるのは、世界を知らない無知な人間か、世界を知り尽くした人生の達人の、どちらかなのだろう。
     -----高木のぶ子『花弁を光に透かして』(朝日文庫)

 それにしても、自分というものを知ることは難しい。「我思う。ゆえに我あり」と単純に考えることはできない。まず注意しなければならないことは「我思う」と見ている我と見られる我というのが既に違うレベルのものであるということだ。この問い自体が、二重化するような問いの発し方になっているのだ。C・H・クーリーのいう「鏡に映った自分」とは他者という鏡に照らして(reflect)はじめて自分を感じ自分を知ることができる、ということでもある。

 近代哲学の始まりは「我思うゆえに、我あり」のデカルトだった。自己が先か、他者が先か、ということで、デカルト的な考え方をひっくり返したのが『精神・自我・社会』(思想の科学社)を書いたアメリカの社会学者ジョージ・ハーバード・ミードで「自己とは他者との関係である」と考えた。デカルトをひっくり返して言えば、「我でない者が思う、ゆえに我あり」と考えたのである。人間は必ず社会観系の中に生み落とされ、まず、他者との様々なやりとりがあって、次第に他者の視点を取り入れていった後に、ようやく「我思う」ということができるようになる。つまり、自己というのは身体の内側にではなく、皮膚という境界を超えて他者との間に拡がっているのである。ミードは自己よりも他者との関係が先であるという順序の逆転、そして、自己の生み出される場所を身体の「内」から他者との「間」に写したことが画期的であった。そして、自己の中に取り入れられた他者の視点を“me”「客我」と呼び、この客我の眼差しを浴びながら行動する自己を“I”「主我」と呼んだ。客我は、他者のと接触の中で次第に取り込まれていくもので、親や兄弟など身近で重要な他者の模倣から始まる。接触する人の数や首里が増えて行くにつれて、より抽象的で一般化されたものへの変化していく。抽象的というのは、地域や国というような大きな単位の集団のルールを代表し、それを守るように迫ってくる他者を指す。自己が他者から切り離されていて存在しているように見えるのは、他者の抽象性が高まって、具体的な他者との関係が見えにくくなったからである。こんな風に「私」というのは本質的に他者との関係に先立たれているのである。

 自分だけで価値が決まると考えるのはカラオケで一人悦に入っているのと変わらない。誉めてくれる人がいて、初めて価値があるのだ。同様に、僕が教師でありえるのは教師として価値があるのではなく、教師だと認めてくれる人がいるからである。他者から切り離されて教師であり続けることはたぶん、無理だ。

 他者との関係で「私」がある、というのは日本語を考えればよく分かる。小学校の先生は教室で「先生は…」というだろうし、同僚には「僕は…」というだろうし、校長には改まって「私は…」というだろう。自分の子どもに対して「お父さんは…」というだろうし、近所の子どもには「おじさんは…」という。幼なじみにあったら「おれは…」というかもしれない。これらが矛盾なくできるのが日本語の特徴だが、話し方もそれぞれ別の言語のように話す。これを宇宙人から見たら、多重人格だと思うかもしれない。そうではなくて、最初から、人格というのは“personality”が“persona”「ペルソナ」つまり、「仮面」から来ているように、多重的なものなのである。「一人だけの正しい私」というのを見つけることはできないのである。

 村上龍は人間関係のないところに<自分>は存在しないことを次のように書いている。

 あなたの顔と名前と職業を知っている人がすべて、ある日、突然、あなたに向かってこう言う。
「あなたなんか、知らない」
 母親も父親も妻も子供も恋人も同僚も友人も上司も行きつけのスナックのママもかかりつけの歯医者も、すべての知人からそう言われたら、あなたは多分、自分が誰なのかわからなくなるだろう。『すべての男は消耗品である』(角川文庫)

 人はみな、「私は私」と思っているだろうが、他者の存在が自分を決定しているのである。「私」の中に「他者」が入っている。自分というのは他者に依存することで自立する、つまり矛盾した構造を持っているのだ。

 テネシー・ウィリアムズが『焼けたトタン屋根の上の猫』の序文で人間は「(自分という)独房に監禁された囚人」というのもうなづける。檻から出た瞬間に自分は自分でなくなるのかもしれない。檻は他人であり、文化であり、言語なのだ。

 ブームになっている「自分探し」が危険なのは「本当の自分」がどこかここでない、別のところにあると思っているからだ。「我思う。ゆえに我あり」といっても、多重人格かもしれないし、蝶が人間になった夢を見ているだけかもしれない。

 「アイデンティティ」という言葉を流行らせたのはエリクソンであるが、河合隼雄が彼に定義がはっきりしないのだが、といったら、僕にもよく分からないと、冗談で語ったといわれる。それでも後々の文章の中で、アイデンティティというのは一生かかって形作られる無意識の過程である、という言い方をしている。エリクソン自身、ドイツのフランクフルトに生まれ、学校教育にはなじむことができず、絵の勉強をし、ヨーロッパを放浪したが、これは、彼自身のアイデンティティを求め、自分が何であるかを探し求めた旅であり、その後の多くの著作に痕跡が表れている。「自分探し」をしても青い鳥を探すように最後には「本当の自分」に逃げられるかもしれない。ただ、「本当の自分」は「幸福」それ自体が存在しないのと同様に、存在しない。ただ、「本当の自分」を探す努力や過程が自分を高めていくだろうことは確かである。

 主体は自分だと思っているかもしれないが、他者によって自分が存在する。英語で“主体”というのは“subject”(フランス語では“sujet”)だが、“主体”という言葉は「臣民/国民」という意味を持ち、形容詞として使われる場合には“〜に従属する”とか“〜に支配される”といった意味もまた含んでいる。ミシェル・フーコーはそのことを知っていて、そういった二重性というものを込めて“主体性”、“主体化”(“assujettissement”)という言葉を使った。つまり脱構築なのである。

 大橋洋一は「わたしたちにとって、いかにも不愉快で、わたしたちの心をなごませてくれないような話題こそ、わたしたちが、自分の分身あるいは他我ではない真の他者に語りかけることができた証拠といえるのです」(『新文学入門』岩波書店)と書いている。快適なメッセージばかりでは自分を失ってしまうのである。

 太平洋戦争は軍部に騙されたという人がいる。確かに抵抗できなかったものだとは思う。しかし、騙されたからといって正しいことにはならない。大江健三郎編の『伊丹万作エッセイ集』(筑摩書房)で伊丹は敗戦の翌年に次のように書いている。

 騙されたということは不正者による被害を意味するが、しかし、騙されたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも書いてはないのである。騙されたとさえ言えば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。しかも、騙された物必ずしも正しくないことを指摘するだけに止らず、私は更に進んで「騙されるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

 「騙されていた」と言う一語の持つ便利な効果に溺れて、一切の責任から解放された気で居る多くの人々の安易きわまる態度を見る時、私は日本国民の将来に対して暗たんたる不安を感ぜざるを得ない。「騙されていた」と言って平気でいられる国民なら、恐らく今後も何度でも騙されるだろう。いや、現在でもすでに別の嘘によって騙され始めているに違いないのである。

 お前は何者か?と聞かれたら困る。伊丹万作の息子・伊丹十三が『女たちよ!』(文春文庫)のまえがきで書いた一節を繰り返すしかない。

私自身は------ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない。


☆鏡をなくしたアメリカ

 「我が身の一尺は見えぬ」ということわざがある。人間の目は外向けだから、努力して内省するより、他人に厳しくなるのも無理はない。

 小黒恵子作詞・平井康三郎作曲の「うぬぼれ鏡」という曲がある。「今朝の私ってきれい…」などと歌う。

 うぬぼれ鏡でもあればよい。まだ、自分が見えるからだ。左右対称に見えても、自分は自分だ。

 東京ディズニーランドの女子トイレには鏡がないという。自分が見えてしまい、ファンタジーが楽しめなくなるからである。ちなみに、たいこもち(幇間)のプロは客が手洗いに立つと一緒についていくという。外で待ちながら、用を足す客にあれこれと楽しい話を語って聞かせるのだ。客が我に返るのを邪魔する。仕事や家庭のことなど冷静な心持ちになるのがトイレだそうで、そうさせないのがたいこもちの腕という。

 ゴーゴリの戯曲「検察官」の一節に「つらが曲がっているのに、鏡を責めて何になろ…」というのがある。若桑みどりのお母さんは若い頃美人で有名だったが、ある日、鏡を全部割ってしまったという。真実を映す鏡が辛くなったのだ。ドナルド・キーンの回想録「私と20世紀のクロニクル」で、往年の美人女優グレタ・ガルボに会った話が出てくる。ニューヨークの友人宅で顔を合わせたとき、口紅がはみだして塗られていた。伝説の美貌はすでに失われ、容色の衰えた自分の顔を見ることに耐えられず、鏡を遠ざけていたからだという。

 『地獄の黙示録』では「連中を機銃で掃射した後にバンドエイドをくれてやる---俺たちはそんなことをやってきた」(We'd cut them in half with a machine gun, and give them a Band-Aid.)というシーンがあった。恐怖から女性を乱射して重傷を負わせた時のセリフである。アメリカはベトナム戦争で何も学ばなかったのか?

 それどころか、アメリカは鏡を割ってしまったようだ。実際、「グローバル・スタンダード」といっては「アメリカン・スタンダード」を押しつけてくる。エイズのコピー薬を許してくれ、とアフリカ諸国に頼まれた時には拒否しておきながら、炭疸菌テロで炭疸菌治療薬が足りないとなると臆面もなくコピー薬の製造を始める。アメリカ人はどうやら自分に合わせた神々しか創造できないようだ。自分に合わせた神だけを信じるというのは「アメリカ原理主義」としかいいようがない。以前のアメリカの標語はラテン語の“e pluribus unum”すなわち「多数からできた1つ」(“from many, one”)だったが、1956年の議会で“In God We Trust”(われわれは神を信ず)に変わっている。つまり、今回の戦争はイスラム原理主義(Islamic Fundamentalism)と「アメリカ原理主義」(American Fundamentalism)との原理主義どうしの戦いなのである。

 ファンダメンタリストは進化論に反対しているが、これは反知性主義というよりむしろ道徳的危機感の現れである。 アメリカ人にとっては独立戦争が旧約聖書の「出エジプト記」で、ジョージ・ワシントンはモーゼだという。アメリカ大統領は「見えざる国教」の大祭司であり、その就任式も宗教的儀式として行われている。そうしたファンダメンタリストを忘れてアメリカを読むことはできない。

 『半歩遅れの読書術2』(日本経済新聞社)に詩人の辻井喬が次のように書いている。

 今までの自分の考えを否定されるような本を読むことは不愉快である。だから人情の常として気になりながらなるべく避けて通ることになる。
 私事にわたって恐縮だが、かつてロサンゼルスにいた時、ごく大衆的なレストランで片腕のない労働者に絡まれたことがある。私たちの会話は要約すると、次のようなものであった。
「おまえは日本人か」「そうだ」「俺のこの片腕は日本兵にやられたんだ」「それはどうも」「しかし今俺は日本を恨んじゃいない」「……」「けしからんのはカストロだ。奴は共産主義者だ、悪魔の教えの信者だ」「さっきから聞いていると悪魔の教えというが、君はどんな共産主義の本を読んだのか」「悪いものなんか読む必要ないだろう」

 余計な話だが、ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者は『ブッシュ・アット・ウォー』で大統領が「自分は直感の人だ」と何度も語っていると書いている。そして、「彼にとって、直感はほとんど第2の宗教だ」と記す。

 もし大量破壊兵器が発見されなかったら、満州事変の発端となった柳条湖事件と同じではないかと思う。1931年9月19日、板垣大佐、石原中佐ら関東軍幕僚たちは、奉天公害の柳条湖付近で満鉄線路を爆撃すると、これを張学良軍による犯行として、その兵営を攻撃した。翌年、反日運動は中国全土に広がり、国際連盟はリットン卿を団長とする調査団を派遣するが、関東軍は清国最後の皇帝宣統帝溥儀を執政の座に据え、満州国の建国を宣言したものである。国連脱退をして国際的に孤立したものである。

 こうした状況を痛烈に皮肉った映画が『ワグ・ザ・ドッグ うわさの真相』(バリー・レヴィンソン監督1998年)である。大統領のセックススキャンダルを捻り潰そうとする大物プロデューサーの話だ。この年の8月にはクリントン大統領が、米国大使館爆破テロに対する報復として、アフガニスタンとスーダンにトマホークを打ち込んだ。米国内ではクリントン大統領がセックス・スキャンダルでもめてたころで、さらに、12月には、米・英共同でイラクを空爆しました。その時も、米国下院で、クリントン大統領の弾劾決議が行われようとしていた前日だった。どう考えても、スキャンダルから目をそらすための手段と考えられるが、この裏側を皮肉った映画だ。アルバニアが原爆を所有し、カナダからテロリストがアメリカに持ち込もうとする、というでたらめを考え出して、国民の目をそらすのである。

 ただ、この頃はまだ、皮肉る余裕があったのかもしれない。

 皮肉と言えば、『ランボーIII 怒りのアフガン』は歴史の皮肉だ。スタローン演じるジョン・ランボーがアフガン軍と意気投合してソ連軍をやっつけるという荒唐無稽な話で、レーガン大統領以下、みんな大喜びしたはずだ。笑えるのはソ連軍につかまったリチャード・クレンナの「大佐」が、拷問するソ連軍の士官にむかって「アフガンにいくら大軍を投入しても、君たちは決して勝てないよ。アフガンの戦士たちは死を恐れない。死を恐れない戦士たちの前に近代の軍隊は無力だ。私たちはそれをベトナムで学んだ」という大演説をぶつところである。うぬぼれ鏡のメッセージが裏切ることもあるのだ。

 エラスムスは言った。「戦争は体験しない者には美しい」。

 9・11以後は違う。アフガン戦争反対といった女子学生が停学処分を受け、裁判所に訴えたら「今の時期に当然の処分」と却下されたという。結局、その学校とは違う学校を選ぶことで退学することになった。他にも穏健な意見を述べたホームページを書いたら非難された議員もいた。

 実はアメリカのこうしたヒステリーは今に始まったことではない。真珠湾の後に戦争に反対したのは女性議員であったジャネット・ランキンが「女性は戦争に行けない」(女性兵士の時代ではなかった)といって、たった一人反対の票を投じた時、「弱い女性」とか「アメリカへの恥辱」と叫ぶ男性議員に囲まれて電話ボックスから長い間、出ることができなかった。

 「赤狩り」(「マッカーシズム」)が跋扈(ばっこ)していたのも「オンリー・イエスタデー」だ。マッカーシー上院議員の息の根を止めたのはウェルチ弁護士(Joseph N. Welch=『或る殺人』Anatomy of a Murderに出演している)の“Have you no sense of decency, sir, at long last? Have you no sense of decency?”という言葉だった。“decency”というのは日本語にしにくいが、「礼儀」や「寛大」、「親切」という意味で「人間としての尊厳」を表す。『アフリカの日々』を書いたアイザック・ディネーセンの好きな言葉でもあった。ちなみに、マッカーシズムを糾弾したジャーナリストのエド・マローは「テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠す。それに気付かなければ、後悔することになる」と警告を残した。

 確かに何千人もの犠牲者が出たことは遺憾だ。本土が初めて襲撃されたといってパニックになるのは“decency”を欠いている。スピルバーグの『1941』は真珠湾攻撃直後のハリウッドに迷い込んだ日本軍の潜水艦をめぐるパニック・コメディで、あまりのドタバタに笑えなかったものだが、9・11を予言した映画だということに今、気づく。

 真珠湾をテロのようにアメリカ人は語る。宣戦布告が遅れたことは間違いないが、真珠湾は一般市民を狙ってはいなかった。

 ピカソの「ゲルニカ」は大傑作だとされる。ドイツ軍が一般市民を狙って空爆した最初の都市がゲルニカだったから、ピカソは憤りを感じたのだった。アメリカが日本の都市を空襲したのはその後のことなのだが、あれがテロでなくて何だろう。そして、原爆がテロでなくて何だろう。だって、2発の原爆で亡くなった人の数は太平洋戦争でのアメリカの全戦死者よりも数が多いのだ。9・11くらいで騒ぐ権利などアメリカ人にはない。

 広瀬隆『億万長者はハリウッドを殺す』(講談社)は億万長者の一つモルガン商会とハリウッド、そして、戦争について考えた労作だ。81年前、1920年9月16日の昼少し前、ウォール街のモルガン商会のそばの街路で爆弾が爆発した話がF・アレンの『オンリー・イエスタデイ』(筑摩書房)に出てくる。「突然目のくらむような青白い閃光がひらめき、物の砕ける凄まじい音がしたかと思うと、無数の窓ガラスがとび散り、人々の叫び声が起こった」。30人が即死、数百人が負傷した。モルガン商会の内部はめちゃめちゃになった。摩天楼の上の空にマッシュルーム形の雲が立ち上り、ガラスや石の破片が降りそそぐなかを、人々は恐怖におののきながら逃げまどった。街路では死傷者の血で朱に染まっていた株式取引所は直ちに取引を中止した(が、翌日は何事もなかったように上がり続けた)。ウォール街に爆弾で吹き飛んだ馬の死体が残された。馬車に積んだTNT爆弾を爆発させたテロだった。懸命な捜査にもかかわらず犯人は見つからなかった。事件の後、アメリカはヒステリー状態に陥ったという。「アメリカなんかくたばれ」と叫んだ外国人を射殺した男を2分間で無罪放免した陪審員、共産党の外国人党員を根こそぎ追放しようと決意した司法長官など、9・11ヒステリーと変わらない光景があった。

 藤原帰一は『デモクラシーの帝国』(岩波新書)の中でアメリカ市民の正義感というか自意識は『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』と『インデペンダンス・デイ』に集約できるという。異教徒を倒して解放する、自分たちは「自由の戦士」だという意識と、地球の敵はアメリカの敵でアメリカ人が「正義の戦争」をするとの信念である。

「ココアのひと匙」石川啄木

われは知る、テロリストの
かなしき心を――
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を――
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。

はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。

 テロリストは憎い。ただ、どうしてテロリストが生まれたかを知らずに一方的に責めるのも問題がある。「…われは知る、テロリストの/かなしき、かなしき心を。」と歌ったのは石川啄木だった。この場合は幸徳秋水らの事件を嘆いたものだが、「テロリスト」という言葉だけで、全てを同じと考えてはいけないのだ。キッシンジャーは「伝統的な軍隊は勝たなければ負けである。ゲリラは負けなければ勝ちである」と語ったが、根本的なところを押さえなければテロリストの思うつぼである。

 日本で9・11を予言した人がいる。四方田犬彦である。98年9月9日に既に次のように書いている。

 メタレヴェルという言葉がある。人間や猿や犬という言葉に対して、「動物」という言葉は同列には並んでいない。それらすべてを含んで、しかも一段高いところにある。アメリカという国家も同じで、日本やスーダンやキューバといった世界中の国よりも、自分がメタレヴェルにあると信じている。つまり観念のなかでは国境など存在していないことになる。地上のどこで何が起きようとも、それはアメリカで起きたことと同じ、つきつめれば国内問題である。自国なら爆撃をしてどこがいけないというのだ、という論理だ。

 世界中のすべての人は潜在的にアメリカ人なのに、どうしてそれに気がついていないのでしょう。みんながアメリカ人になれば世界は平和になるのに。これが平均的なアメリカ人の考えである。ハリウッド映画が世界中に送っているメッセージを見れば、それがよくわかる。彼らは世界中で自分たちの大使館が次々とテロに遭う原因に、けっして思い当たらない。自分たちを深く憎み嫌う人間が、世界のいたるところにいることの原因を理解できないのだ。
     -----四方田犬彦『狼が来るぞ!』(平凡社)

 おおっ、斎藤美奈子も予言しているじゃないか。ただし、60年周期説は柄谷行人の『<戦前>の思考』(講談社学術文庫)にあるそうだ。

【…】この説に従うと、今年はけっこうやばい年回りなのである。二〇〇一引く六〇は一九四一。元号でいうと昭和一六年。やばいですよ、kれ。なぜって、一九四一年は戦時体制がいよいよ強化された年だからだ。一二月には日本が真珠湾に攻撃をしかけ、太平洋戦争がはじまっている。
     -----斎藤美奈子『たまには、時事ネタ』(中央公論新社)

 9・11は真珠湾だという。真珠湾といえば、アメリカは元々、日本軍が準備していることは知っていたというのが定説になっている。日本は言わば、はめられたのだが、フセインだって似たような状況だ。フセインをあれだけ甘やかしたのはホメイニ革命でイランを追い出されたアメリカであり、イラン・イラク戦争でフセインを応援して軍備を拡大させた。この戦争で疲弊したイラクがクウェートに手を出すのを待っていたのである。

菫(すみれ)ほどな小さき人に生まれたし---夏目漱石

「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と教えたのはキリストではなかったか。

 非常時だから、というのはアメリカが敵としていた日本の常套句だったはずだが、どの国でも権力というのは鏡をもたないものらしい。

 アメリカが「ならず者国家」(rogue states)をなくすと宣言するのに呼応して、イスラエルはパレスチナに攻撃を加え続けている。フィリピンもテロ対策だといって、国内の反対にもかかわらずアメリカ軍が入ろうとしている。ソマリア?そして「悪の枢軸」のイラン、イラク?北朝鮮?

 アメリカは、いや世界はプレッツェルで意識を失うような大統領にどこへ連れて行かれるのだろうか?

「不寛容」(イントレランス)に「寛容」(トレランス)が勝てるのだろうか?「非戦」を貫こうとして殺されたら終わりだ。

「不寛容」に対して「不寛容」で立ち向かえばいいのか?では、いつになったら平和が訪れるのだろうか?勝者なき戦いを始めているのではないだろうか?

 とはいえ、原理主義が間違っているとは言わない。そう言ったとたんに、自分自身が原理主義になるからである。

 グレアム・グリーンは『おとなしいアメリカ人』の中で「民主主義を世界中に広める」というアメリカ人の「理想」がいかに迷惑かということを描いた。1958年に作られた『静かなアメリカ人』では何とこれを肯定して描かれている(後のリメイク『愛の落日』は原作に忠実になっている)。

 谷川俊太郎「ふたり」(末尾部分)

わたしとそいつは とっくみあった
くびしめあった いきたえるまで
だってほかに どうすりゃいい?
のはらにころがる ふたつのしたい
かみさま どうかごらんください


 アイゼンハワーが大統領離任演説で「軍産複合体制」が民主主義を脅かすといってから遠くへ来てしまった。アメリカは今は軍需産業抜きで成立しない国になってしまっている。

 米国がいかに戦争を好み、戦争をしてきたか。『9・11』の訳者(山崎淳)が解説の中で対象国と時期を書いている。それに『航空の現代』の西川渉さんが備考欄をつけて一表にまとめている。いかにアメリカが“nosy Parker”であったか、よく分かる。

期    間

対   象

備   考
1945〜46年 中国 毛沢東共産党と蒋介石軍の内戦
1950〜53 中国 朝鮮戦争
1950〜53 朝鮮 朝鮮戦争
1954 ガテマラ    
1958 インドネシア    
1959〜60 キューバ キューバ革命戦
1961〜73 ベトナム ベトナム戦争
1964 ベルギー領コンゴ 196年にコンゴ共和国(今のサイール共和国)として独立した後のコンゴ動乱
1964〜73 ラオス 内戦
1965 ペルー 正常不安で軍部クーデターが相次いだ
1967〜69 ガテマラ クーデターの繰り返し
1969〜70 カンボジア シアヌーク国王の失政による内戦
1980年代 エルサルバドル 1979年7月のニカラグァ革命成立で左翼ゲリラ活動が活発化、10月には腐敗で名高いロメロ政権がクーデターで倒され、80年10月極左ゲリラ・グループが民族解放戦線(FMLN)を結成、10年以上の内戦による戦死者約7.5万人
1980年代 ニカラグア 1979年7月サンディニスタ革命により、反政府勢力(コントラ)がゲリラ活動を展開、内戦勃発
1983 グレナダ 人民革命政府崩壊
1986 リビア    
1989 パナマ 1989年12月20日、米軍がパナマに侵攻し、ノリエガ将軍を逮捕
1991〜99 イラク 湾岸戦争
1995 ボスニア 3民族間紛争
1998 スーダン 内戦
1999 ユーゴスラビア コソボ紛争
2001 アフガニスタン 9.11テロへの報復戦

 アメリカが戦争から遠ざかった期間は、1940年代の後半3年間と50年代なかばの3年間――すなわち第2次大戦と朝鮮戦争の疲れを癒した時期、そして70年代の6年間――すなわちベトナム戦争に負けて厭戦気分が全米に広がったときだけ。あとは戦後57年間のうち43年間――つまり4分の3以上の年で、20か国を相手に戦いつづけてきた。

 ジョエル・アンドレアスには『戦争中毒 アメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由』(合同出版)という本もある。戦争中毒!


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