金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)

「学生」と「教官」の間

【先生】……(5)他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称。   ------『広辞苑』(岩波)

【教員】……[職員・事務員と違って]学校と名のつく教育機関で教育に直接従事する人。[国立学校では「教官」と言う]------『新明解国語辞典』(三省堂)

「どうしてずっと猫に名前をつけてあげなかったの?」
「どうしてかな?」と僕は言った。そして羊の紋章入りのライターで煙草に火を付けた。「きっと名前というものが好きじゃないんだろうね。僕は僕で、君は君で、我々は我々で、彼らは彼らで、それでいいんじゃないかって気がするんだ」
「ふうん」と彼女は言った。「でも、我々ってことばは好きよ。なんだか氷河時代みたいな雰囲気がしない?」
「氷河時代?」
「たとえば、我々は南に移るべしとか、我々はマンモスを獲るべし、とかね」
「なるほど」と僕は言った。(@村上春樹『羊をめぐる冒険』)


 本校に来て最初の授業で突然「キョウカン」と学生が叫んだ。

 キョウカン?

 凶漢のことだろうか。それとも叫喚、共感、胸間、経巻、郷関……と考えるうちにそれが教官であると理解したが、これに驚いてしまった。

 教師になりたての頃、「先生」と呼ばれるのか落ちつかず、同時に「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」と反感をもったものだが、本校の「教官」にも別の意味の独特の響きがある。「教官」というのは自動車学校の指導員をさしたり、大学の先生が職業欄に書く時の言葉ぐらいに思っていた。それがいきなり「教官」なのだ。


 と「文化クラブの低迷に思う」の冒頭に書いた。

 びっくりしてから20年。あっという間に年月がたった。

 でも、「教官」と呼ばれるのは変わらない。

 戦前のOBに聞いても「昔からそうだった」というだけだ。

 変わる契機もいっぱいあった。工業系の学科ができた時、特に高専唯一の文科系学科・国際流通学科ができた時に変わるべきだったかもしれない。

 僕らは変わるべきだと思っているが、教官方、特に商船系の教官がそうは思っていないようで「入寮の手引き」みたいな冊子に「教師を『教官』と呼びなさい。自分のことは『私』といいなさい」と書いてある。

 これでは「教官」呼ばわりが直る訳がない。

 気になるのは「私」の方で、こういう呼称のおかげで企業では礼儀正しいと思われてなくはない。

 ただ、小さい頃、自分のことを「僕」と読んでいたら近所のガキ大将から「お前、東京から来たがでないがいろぉ、ちゃんと『オラ』といえま」とか何とか脅されて仕方なく間を取って「オレ」というようになった人間としては少し釈然としない。

われわれは、呼びかけによって存在する
  ---ジュディス・バトラー「触発する言葉」(『思想』1998年10月)

 佐藤正午の『きみは誤解している』(岩波)は「自分のことを僕って呼ぶ人間がギャンブラーになんかなれるわけないって、あたしは言ったのよ」と恋人がいうのに対して誤解だ、という話から始まっている。主人公はJRに勤めているのだが、「僕って呼ぶ人間は助役にはなれても、駅長にはなれない」というのだ。

 僕も僕を僕と呼んでいいのかどうか、中年になってから悩むようになった。反対する人もいるが、今のところ、急に変えられないのでそのままである。

 僕らは「文部教官」だからある程度は理解できる。私学でも「教官」という人もいるようである。実際、『広辞苑』には「……また俗に、私立大学や専門学校などの教員にも用いる。」と書いてある。

 「大学教員」よりは語感が好まれるのかもしれない。「官」というのは「私」にはなじまないものだが…。

 最近ではあまりにも「教官」と呼ばれるのに馴れているので、他の人から「先生」と呼ばれると落ちつかない。まるで自分のことではないように思える。

先生はオレのことかと教官いい

 コメディアンがいきなり「巨匠」と呼ばれるくらいの違和感がある。

 ただ、これも小学校くらいだと先生自身が自分のことを「先生はね…」と話すことがあるから、複雑だ。

 最近は子どもが親を「〜ちゃん」と愛称で呼んだり、ニックネームで呼んだりすることがあるという。

 更に、保母さんの中にも同じように愛称で呼ばせている保育園もあるという。

 民主主義のはき違えもここまで来たかと心配になる。

 目上は目上だ。いくら子どもたちに教えられることがあっても、きちんと躾をするのは親であったり、教師であったりする。

 世の中には「さんづけ運動」という役職名で呼ばない運動もある。役職名で呼ぶというのがなんとなく堅苦しいので、役職名で呼ばないのだ。アメリカでは人によってファーストネーム(名)、ラストネーム(姓)で呼ぶかの違いはあるが、役職名では呼ぶことはなく、役職で呼ぶのは軍隊ぐらいだといわれる。

 マリリン・モンローはケネディの誕生日で歌ったことがあるが、「ハッピー・バースディ、ミスター・プレジデント」で終わっていて奇妙に思えた(Wikipediaでは「色気」を出すためと書いてある)。調べてみると、「ミスター・プレジデント」と呼ぶのは初代ワシントン以来の伝統という。「殿下」や「陛下」にあたる尊称を付けたり、「自由の守護者閣下」と呼ぼうという意見も議会から出たという。実現しなかったのはワシントン自身が嫌ったからである。

 アメリカでは親しくなると、ファーストネームで呼ばないとよそよそしいと思われる。つまり、これはほとんど強制なのだ。MITで言語学の泰斗ノーム・チョムスキーに学んできた東大のH先生は尊敬する先生をファーストネームで呼ばなければならない恐怖を語ってくれたことがある。

 日本でそんなことをするなんて考えただけで、鳥肌が立ってくる。地獄だ!

 ピアニストでエッセイストの青柳いづみこは「アンブラッス」【恋人同士ではなくても、挨拶がわりに両ほほにキスをするフランスの習慣】というエッセイで次のように書いている(日本エッセイスト・クラブ編『こころを言葉に』)。

  フランス人とつきあう上で、「アンブラッス」と同じように判断に困る例としては、フランス特有の「ヴー・ヴォワイエ(相手にあなたと呼びかける)」と「チュ・トワイエ(君、お前と呼びかける)」があげられる。これがまた、「アンブラッス」する間柄だから必ず「チュ・トワイエ」するともかぎらないのでややこしい。
  家族の間ではもちろん「チュ・トワイエ」だし、友人の間でもそうだ。子供に対しても「ヴー・ヴォワイエ」は使わない。問題は、上下関係がある場合だ。ピアノの先生は、生徒と「ヴー・ヴォワイエ」で通す人と、途中から「チュ・トワイエ」に移行する人がいる。生徒の側ではほとんど例外なく「ヴー・ヴォワイエ」だが、親しくなってしまうと友達のように「チュ・トワイエ」するケースもなくはない。
  これまた規則があるわけではなく、勘にたよるしかないのだが、私はこの判断が極端ににぶく、相手が親しみをこめて「チュ・トワイエ」しているのに、しつこく「ヴー・ヴォワイエ」で返し、ついに「これからはチュ・トワイエで話せ」と命令されることがある。 あるとき、もう三十年もの間「ヴー・ヴォワイエ」で話してきたバルビゼ未亡人から、突然こんなふうに言われてしまった。
  「お前は私に対して他人行儀にヴー・ヴォワイエしつづけている。お前は私のことを愛していないのであろう」
  言われた私はあわてた。だって、バルビゼとは亡くなるまで、もちろん向こうは「チュ・トワイエ」だが自分は「ヴー・ヴォワイエ」だった。また、もし自分が「チュ・トワイエ」に移行したらバルビゼは失礼な奴だと思っただろう。
  そんな先生の奥さまだから、当然「ヴー・ヴォワイエ」だと思っていた。だからといって、もちろん愛情をもっていないわけではない、彼女のことはフランスのお母さんのように感じているのだ、そんなことはお互いに顔を合わせていたらわかるではないか・・・。 フランス人は思っているだけでは足りなくて、口に出して言ったり行動にあらわさなければ理解してくれない。

 有名人に「さん」を付けてしまうと、知っている人のように見えてしまうから難しい。基本は呼び捨てだ。女性アナウンサーがスポーツ番組になかなか進出しなかったのは選手を呼び捨てにするのを生意気だと思う人が多かったからだという。

 商船高専で奇妙なのは「教官」だけではない。

 何と学生のことを「学生」と呼んでいるのだ。

 ええっ、当たり前だって。高等教育機関だから「生徒」じゃなくて「学生」でいい(先生はセンセイ攻撃できるけど、学生はセイトー防衛できない)のだって?

 違うんです。佐藤君がいたら「佐藤学生」と呼んでいるのです。信じられないでしょう。 ←口調が変わることもないが…

 放送で呼ぶ時も「〜学生」だし、目の前で呼ぶときも「〜学生」(さすがに多くの教師ではない)と呼ぶ。ある意味、便利だ。男子に「君」、女子に「さん」づけしなくていい。ちょうど、飲み屋で太った人に「社長」、痩せた人に「先生」と呼ぶようなものだ(さすがにそんな飲み屋は今ないだろうが)。

 ただ、この伝統は昔の商船高校時代にはなくて、高専になってからだという。それ以前はただ呼び捨てだった。

 OBの井ノ口さんからメールがきた。

 ひょっとしてご存知無いかと思い、勇気(言語学の先生に言葉について何か発言する事はライオンに竹槍で向かう様なもの:例えが変ですが。)を持って言います。失礼はお許しください。

 商船の世界では普通にあります。実習船でも士官の個人名は、あまりでません。

 キャプテンは、一等航海士に”チョッサー”(ご存知ですよね。チーフ・オフィサーの事です。)と呼びます。セコンド・オフィサーは、三等航海士の事をサード・オフサーと呼んでいます。余談ですが、三等航海士が自分のことを他人に言う時は、サード・メイトといいます。

 なんとなく規律が世間一般より厳しい世界、軍隊、警察、消防署、やくざ等では目下(部下)を名前なしで呼ぶ事はあると思います。

 呼び捨てというのは、このように組織によってあり得ることだと思う。

 ここで問題にしたいのは「〜学生」という呼び方である。

 実は、「〜学生」と呼ぶのは日本語として非常に奇妙である。

 日本語では目上の人を呼ぶのに、その役割で呼ぶことができるが、逆はない。

 つまり、名前なしで「お父さん、お姉ちゃん、社長さん、先生、おじさん…」ということができるが、「娘よ、弟よ、部下よ(社長が「部長さん」と呼んだり)、生徒よ、子供よ…」などという言い方はないのである。

 かぐや姫の1974年の曲「妹」が新鮮に聞こえたのも、「妹よ」という呼び掛けがそれまでなかったからである。

  「妹」   喜多条 忠 作詞 南こうせつ 作曲

妹よ ふすま一枚 へだてて 今
【…】

 次の朔太郎の詩が不気味に思えるのは「いいえ子供」と日本語にはない呼び方をしているからである。

遺傳(いでん) (萩原朔太郎詩集『青猫』より)

人家は地面にへたばつて
おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。
さびしいまつ暗な自然の中で
動物は恐れにふるへ
なにかの夢魔におびやかされ
かなしく青ざめて吠えてゐます。

のをあある とをあある やわあ

もろこしの葉は風に吹かれて
さわさわと闇に鳴つてる。
お聽き! しづかにして
道路の向うで吠えてゐる
あれは犬の遠吠だよ。

のをあある とをあある やわあ

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」

「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのです。」

遠くの空の微光の方から
ふるへる物象のかげの方から
犬はかれらの敵を眺めた
遺傳の 本能の ふるいふるい記憶のはてに
あはれな先祖のすがたをかんじた。

犬のこころは恐れに青ざめ
夜陰の道路にながく吠える。

のをあある とをあある のをあある やわああ

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」

「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのですよ。」

 外国人は日本人の女性が夫のことを「お父さん」と呼ぶので混乱することがある(最近、僕は妻のことを「娘さんですか」といわれることが多いがこれは別の話)。日本人はインセスト・タブーを犯しているのではないかと思う人もいる。

 外国の小説の翻訳で奇妙なのもこれで、my son,my daughterという呼びかけの訳を「息子よ、娘よ」とされてもしっくりしない。ある時、小さい子に英語を教えている母親が“Mother is 〜”と話しかけていて、とても奇妙に思えた。英語ならやっぱり“I am 〜”だからだ。

 また、日本では伝統的に、家族の中の最も幼い者の立場を中心として呼び名が決まってくる。だから、自分の母親を「おばあちゃん」と呼んだり、自分の夫を「パパ」と呼んでも平気なのだ。

 僕は娘の友達の晴加ちゃんに「パパ」と呼ばれていた。彼女の家でfatherは「お父さん」だったから、僕は「パパ」という名前の人だと思っていたのだ。この話を町内会でしたら、うちの隣のおじちゃんが晴加ちゃんに「隣のおじちゃん」と呼ばれていたという。

 写真家の星野博美が『暮しの手帖』(2003年4-5月号)に「私はおばあさん」というエッセイを書いている。

 私にとって難関だったのは、広東語では家族構成員それぞれに厳密な呼び方があり、しかも父方と母方で名称が異なるという点だった。たとえば父方のおじいさんは「阿公(アコン)」、おばあさんは「阿婆(アボー)」、母方のおじいさんは「阿爺(アイエ)」、おばあさんは「阿【女+麻】(アマー)」という。叔父や叔母、いとこ、孫のいずれも父方と母方では呼称が異なり、それに兄嫁、姉の夫、弟の嫁、妹の夫……と複雑極まりない。そしてその呼称は常に自分が軸の中心におり、家族構成に変化が生じても変わることはない。

 つまり、家族構成員の多くが共通の呼称を用いる日本とはまったく発想が逆で、各構成員がすべて異なる名称で呼び合っているということになる。

 こう考えたらわかりやすいだろう。三代で暮す家族がいるとしよう。おじいさんにとっては、自分が父方の祖父「阿公」であり、かつ母方の祖父「阿爺」であったりし、おばあさんも「阿婆」であったり「阿【女+麻】」であったりするわけだから、おじいさんが妻を「おい、ばあさんや」と呼ぼうとしても、おばあさん自身が二種類のおばあさんであるわけだから、妻を「ばあさん」とは呼べなくなる(自分でもわけがわからなくなってきた)。

 こういう現象を発見したのは僕ではなく、慶応大学の鈴木孝夫先生である。『閉ざされた言語・日本語の世界』(新潮文庫)によれば、同じ人間がいくつもの呼び方をしている例があげてある。

 年齢四十歳の小学校の先生Aには妻と男の子一人、そしてまだ大学生の弟がいる。ほかに近い親戚としては別居している父と兄がいる。この先生が、幾つ自分の呼び方をもっているかというと、少なく見て七種もあるのである。自分の子に対しては「お父さん」、弟に対するときは「兄さん」、妻と話すときは「おれ」、父に対しては「ぼく」、兄に対しても同様である。隣の子に向かっているときは「おじさん」、学校で生徒に教える時は「先生」、同僚に対しては「ぼく」、校長に対しては「わたくし」であることがわかった。

 平気といっても、気になる人もいるだろう。仏文学者の河盛好蔵は初孫を抱いた妻に「おじいちゃん」と呼ばれたときの戸惑いを「瞬間、おじいさんて誰のことだろうと思い、すぐ自分のことだと思い直すときの気持ちは、あまり愉快なものではない」(「おじいちゃま誕生」堀秀彦編『日本の名随筆34 老』作品社所収)と書いている。

 同じように、「先生様」とか「教授様」とか「社長様」というのは「先生」「教授」「社長」だけで十分相手を敬っているので過剰すぎる表現となってよくない。ひどいのは行政で、書面の相手先が「市長様」などとなっているものだ。何様だと思っているのだろう!【富山市では2004年から「市長」とすることになった】

 ヒュー・ブロディ『エデンの彼方』にはイヌイット(エスキモー)の言葉が紹介されているが、ややこしい。小さな女の子は同時に母親の母であり、祖父の妻でもある。女の子の祖父にとって彼女は妻であり、生前の妻の愛称で呼びかけて「お前、俺の女房か?」と問い質すこともあるという。女の子の母親にとって(火)の錠は娘であると同時に、母親でもあることになり、「母」と呼ぶこともあるという。伯父は彼女を「母」と呼び、彼女は叔父を「息子」という。…

 日本で話す時にはいちいち関係を気にしなければならないので、面倒といえば、面倒である。「オタク」というのはマニアックな人々が互いに「オタクは…」と話しかけたのでついたもので、宮崎勤事件以来、その人々を指すために使われた。正確には誤解されたというべきなのだろうが、これについて中島梓は『コミュニケーション不全症候群』の中で、呼び名にオタクの本質が明示されているという。「お宅、という語が示すものは、その関係の個人的でないこと、家単位の関係、自分のテリトリーをしょってここにいるのであるということの主張である」と書いている。中島によれば、こうしたテリトリーが必要なのは、オタクたちが、父親や国家の権威が失墜したのに、帰属すべき集団を探さなければならないからだ。オタクたちが「どでかい紙袋に山のような本や雑誌や同人誌や切り抜きをつめこんでヤドカリの移動さながらどこへゆくにも持ち歩く」のはオタクがいつも「自我の殻」を、つまり、帰属集団の幻想そのものを持ち歩かなければ精神的に安定しないからだ、という。そして、オタクということでそうした幻想的な帰属集団を互いに承認しあっているのだという。現実よりも幻想が好きな集団だから当たり前なのだが。

 「ひとの気持ちも知らないで」とか「ひとをぶったな」とか「勝手にひとの部屋に入るな」という時に「ひと」と日本人は客観化する。鈴木先生は『教養としての言語学』(岩波新書)の中で、これは話してが相手に対して「心理的な対立状態に入り、相手に向かって共感同調的なつながりを竜」という気持ちを示しているという。あえて自分を「ひと」と呼ぶことによって、自分は相手となんの関係もない赤の他人であると宣言していることになるという。その意味で、仲間感覚をゼロにしてしまう表現なのである。

 そういう無理なことを商船では伝統的に続けているのである。

 恐らく、これからもこの伝統は破られないだろう。

 反感もってもキョウカンと呼ばなければならないように…。

 自分が自分をどう呼ぶかというのは日本語では大きな問題になる。川本三郎は『わたしのこだわり』(岩波)の中で次のようなこだわりを持っていたと書いている(話し言葉では「私」だったのか「僕」だったのか分からないが)。

 「僕」という主語を使わないこと。

 当時、まわりの二十代の物書きには「僕」を使って書く人が多かったが、「僕」を使うと、どうしても文章が軽く、どこかに甘えがある気がした。

 八〇年代に饒舌体とか軽薄体がもてはやされるようになると、ますます「僕」は一般化した。

 一方で、村上春樹の登場も大きかった。「僕」を主語に、新しい、都市のセンスを持った、風通しのいい文体を作っていった。その影響で、ますます「僕」を使う若い物書きが増えた。

 そんななかで「僕」は使わないと心に決めて、かわりに「私」を使った。「僕」だと「……しちゃった」という軽い文章が書けるが、「私」では出来ない。「私」を主語とすると文章が不自由になる。その不自由さがむしろ、大事に思えた。

 そのために若い編集者からはよく「文章が固い」「古臭い」といわれたが、依怙地になって「私」を使い続けた。

 そのうち、五十代に入ってからのことだが、「私」という主語を使うのも、うっとうしくなってきた。「いっそ「私」をとってしまったらどうか。評論家という黒子的な人間にhあ「私」などいらないのではないか。【…】

 五十代になってそれに気が着いてから「私」も取り去ってしまった。すっきりした。藤沢周平風に言えば、「私」を消したことで、文章が「派手」でも「目立つ」でもなくなったように思う。この文章も「私」を使わずに書いた。

 同じことを内田樹は『日本辺境論』(新潮新書)で次のように書いている。

…日本の辺境性をかたちづくっているのは日本語という言語そのものです。【…】

 「どうして私が『ぼく』ではなく『私』という一人称を採用しているのか」

 これはたぶん世界中のどんな外国語にも翻訳することができません。英語にするとこうなります。The reason why I emply hte personal pronoun I in place of I.

 意味不明ですね。英語の人称代名詞は単複・男女の区別しかありませんが、日本語では性数のみならず、その言明がどのような「自他の関係」を構築しようとしているかによってほとんど無数の人称代名詞が選択可能だからです(「儂」とか「手前」とか「小職」とか「老生」とか…)。ですから、本を書くときに、書き手が「私」を選択するか、「ぼく」を選択するかで、書き手の読者に対する関係は違うものになります。

 「ぼく」は社会的には中位にあり、それほど学知や教養があるわけではなく、狂信的なイデオロギーや信教に縛り付けられているわけでもなく、それゆえ読者に対して高飛車に出たり、押しつけがましいことを言わない人(であると読者に思わせたがっている書き手)が採用する人称代名詞です。

 でも、「私」はそうではありません。

 実はこの本の原稿を、私は途中までずっと「ぼく」で書いていたのです。ところが、途中で「ぼく」という人称代名詞では書き進められなくなった。十分な根拠が示せないのだが、とにかく勢いで突破せねばならない行論上の難所にぶつかったとき、「私」に切り替えたのです。「ぼく」では腰が弱すぎて、この難所を越えられないと思ったからです。【…】というような説明は日本語話者にはたぶんすらすらとご理解いただけるはずです。…

 村上春樹はインタビュー集『夢見るために毎朝僕は目覚めるのです』(文藝春秋)の中で「僕」が村上自身と重なるというのに対して、「『僕』という小説の中の主人公は、僕の仮説なんですよ」(p.66)と語っている。

 ジョブズが亡くなった年に出た伝記『スティーブ・ジョブズ』(講談社)では訳者の井口耕二は会話文に工夫をほどこし、ジョブズと盟友ウォズニアックとの会話で、よりくだけたウォズに「ぼく」、ジョブズには「僕」を当てて、話者とそのキャラクターを区別させたという。う〜ん。

 リービ英雄は『我的日本語』(筑摩)で人称で苦労したことを紹介し、韓国でも人称に上下関係があることを指摘した後に書いている。

 ところが、ベネディクト・アンダーソンの著作を読むと、インドネシアでは、近代インドネシア語が出来上がる以前、部族の言語の中には、相手のステータスに応じて、「I」と「You」が日本語以上に細かく変わるものがあることが分かった。近代以前は、むしろそのほうが普通だったのかもしれない。話し言葉の、ひとつの基盤を成していた可能性がある。

のちに多和田葉子と「人称」の話をしたら、彼女は「それは本当の日本語の特徴ではない」と言った。本当の言葉の問題ではなく、ただ、歴史の中の社会問題にすぎない、つまり社会関係にすぎないのだと。一人称、二人称とも時代とともに変わるものだから、本質的な話ではない。だから、このことを言い当てても、決して日本語の本質をつかんでいないと言う。

 たとえば、『吾輩は猫である』を何と英訳したらいいだろう。「吾輩」という、明治時代のある階級の男性が少し気取って言う一人称が、既に消えてしまって久しい。単なる気取りをコミカルに表現するような使い方しかしなくなった。社会構造が変化すれば、それに伴って、おのずと人称の使い方も変わっていく。

 かつて感じた、一人称、二人称の使い分けが日本語の特徴である、という感覚は、ぼくの幻想にすぎないのだろうか。

 これを少し補っていえば、日本語はもともと「主語」を必要としない言語だった。だから、動詞の前にどんな名詞が来てもかまわなかった。そのため「主語」には人間関係、社会関係を投影するものが何でも使われ、歴史的にも変化してきたといえる。「人称」と呼べるような確固たるものが最初からなかったのだ。

  小説などはまた違った問題になるのだが、例えば恩田陸は『土曜日は灰色の馬』(晶文社)の「人称の罠」というエッセイでこんなことを書いている。

 小説を書く時、一人称で書くか、三人称で書くかというのは結構大きな問題である。

 私は一人称がとても苦手なので、だいたい、三人称か、一人称で書く時は章ごとに語り手の人物が変わる構成の一人称を採用することが多い。【…】

 考えてみると、日本の近代以降の「私小説」というジャンルですら、一人称を使っているものはまれである。太宰治ですら、「読者に語りかける作家」という印象から一人称をいっぱい使っていそうだが、そうでもない、どちらかといえば、彼は二人称の作家という珍しいタイプかもしれない。

 最近つくづく思うのだが、一人称という形式には、いっぱい罠が仕掛けられている。

 特に純文学であればどうしても作者と同一視されてしまうし、実際「これは私ではない」と意識しつつも「私」の物語を「私」の視点だけで綴っていくとうのは、二重の檻に入れられているようなもので、そこのところに私は強い抵抗を感じてしまう。よほど強い自己客観性を持っていない限り、管理と制御が難しい形式なのだ。

 ちなみに、ロラン・バルトは三人称代名詞の使用によって、近代小説における主人公として無名の一市民が登場するようになったと説いている。『ボヴァリー夫人』はたまたま眼にした新聞記事を基にして書かれ、「ボヴァリー夫人は私だ」という言葉を残している通りである。

 日本では明治時代にになって三人称代名詞の翻訳語として「彼」「彼女」が発明されて、小説が書かれるようになった。


 どう呼ぶかはアイデンティティにかかわる問題なのに、日本語の呼称はカメレオンのようである。自分のことを相手によって「わたくし、わたし、ぼく、おれ、パパ、お父さん、おじさん…」などと変化させる。英語では“I”でしかない。パーソナリティという言葉はラテン語のペルソナ(仮面)から来ているが、まさに相手に合わせてペルソナを変えているのだ。私というのもが自立的に決まらず、相手によって相対的に決まってくることになる。

仲畑貴志(岩田屋)
私は、あなたの、おかげです。

 “I”しかない英語を日本語にする時はどれを選べばいいか、とても選択が難しい。松岡和子は『深読みシェイクスピア』(新潮選書)で『リア王』の翻訳について次のように語っている。

 一人称に限らず人称代名詞=主語をいちいち訳さないことは多い。それを前提にしたあああうえで言うと、これは私のなかで大まかな区別ですけど、リアにかぎらずシェイクスピアの他の作品においても、男の登場人物が非常にプライベートな状況のなかでしゃべるとき、それと独白するときには「俺」にします。逆に、リアがフランス王と相対しているような、オフィシャルな場面では「私」。シェイクスピアの時代には「君主の複数(royal pluralまたはroyal 'we')と呼ばれる一人称があり、王位がくるくる代わるにつれて「君主のwe」を使う人物も代わる英国史劇『ヘンリー六世』では、そのあたりを翻訳でも明確にするために「余」と言わせました。リアも国譲りの場などではこれを使いますが、王位継承問題そのものが主軸ではないので、訳語は「私」。

 シェイクスピアが日本で生まれていたら、人称の問題も含めて、どんなにか男言葉、女言葉を駆使しただろうと思う。男と女が取り代わる劇も多いから、どんなに面白くなったかと思う。ただ、そうしたら、世界中の翻訳家が苦労したことは目に見えている。

 ニスベットは『木を見る西洋人、森を見る東洋人』(ダイヤモンド社)の中で、西洋は個人が主体的に行為をなす文化であるのに対して、東洋は自分と他者との関係の中に位置付けっれる文化だと分析し、「(日本語にある)たくさんの『私』は、自己と他者との関係を反映している」と見破っている。つまり、森=他者との関係を重視するから、こんな表現がたくさんあるのである。

 しかし、これが日本語だけだと思ったら間違いで、英語でも同じコトバをさまざまな言い方で表すというのが美学になっている。米原万里は『三省堂ぶっくれっと147号』で次のように書いている。確かに、ロシアの小説を読む時には名前の表をもっていないと誰が誰だか分からなくなる。

 ペレストロイカ十五周年を記念して開かれたシンポジウムで同時通訳をつとめるわたしは、わずか三十分ほどのその基調報告の通訳をしながら、五十回以上は 「ゴルバチョフ」という語を発した。

 ところが、原発言者であるロシア人スピーカーは、発言の中で二、三回ほどしか「ゴルバチョフ」と言っていないのである。ロシア人はふつう名前と父称をセットにして人を呼ぶ習わしがあるから、ゴルバチョフもミハイル・セルゲイェヴィッチと言われることの方が多いが、それだって、二回しか使っていない。では、スピーカーは、何という言葉でゴルバチョフを指し示したか。それが、実に多種多様なんである。「彼」なんていう代名詞など、数回しか使っていない。

「幼いミーシャ(ミハイルの愛称)」「スタブローポリ州の若き党第一書記」「ライサの夫」「チェルネンコの葬儀委員長」「新しい党書記長」「ペレストロイカの開始者」「グラースノスチの父」「核軍縮の立て役者」「クレムリンの主」「ソ米会談の主人公」「ソ連最初の大統領」「上からの改革者」等々。とにかく、絶対に同じ単語を使うものか、という美意識に貫かれている。

 そして、これは別にこの時のスピーカーに限ったことではない。ロシアのテレビやラジオ、文学作品は当然のことながら、経済や科学の論文にさえ、同じ事柄を同じ語で指し示すのを避けよう避けようとする傾向が認められる。何度も同じ単語を反復するなんて野暮の骨頂。そんな発言するなら、黙っていたほうがまし。そういう意地が漲っている。

 傍からはそう見えるのだが、彼らの言語中枢は、そうしなくては気持ち悪くて落ち着かないという風に習慣づけられてしまっているのだ。

 もっとも、ロシアに限らず、欧米文化圏に共通する、これは修辞学のイロハのようで、仏語ニュースを聞いていると、原文では、「ポトマックの畔」とか「ワシントン」とか言い分けているのを、同時通訳は全て、「アメリカ政府」と訳を統一していた。

 ただ、もっとやっかいなことに日本語では漢字かひらがなかでも印象が異なってくる。

 村上作品の中で「僕」が「ぼく」とひらがな表記されるのは長編では『スプートニクの恋人』が最初である。加藤典洋は『小説の未来』(朝日新聞社)はその理由を次のように書いている。

これは、主人公「ぼく」が執筆時の作者の年齢(四十九歳〜五十歳)から見てほぼ息子の世代に属し、はじめて作者とは別世代の人物に設定されていること、また同じく村上さんの作品の一人称の主人公としてはやはりはじめて小学校教師という“地味な”職業に設定されていることと、関係あるかも知れません。

 女性でも自分のことを「僕」と呼ぶ人がいる。「ぼくっ娘(こ)」として知られているが、アニメの「少女革命ウテナ」の影響が強いという。ただし、明治10年頃の女学校でも「僕」と呼ぶのが流行っていたというから、日本語で呼称は定まっていないのである。

 ちなみに、「わたし」という言葉の主体性を問題にしたのは言語学者バンヴェニスト(『一般言語学の諸問題』みすず)だった。「わたし」という人称性を構成するのは「わたしにとってのわたし」というのは「あなたのとってのあなた」であり、「あなたにとってのわたし」は「わたしにとってのあなた」という相互関係、つまり、1人称と2人称の対話関係だという。「わたし」というものを決定しているのは「わたし」の「主体性」ではなくて、「わたし」と「あなた」との間に成立する相互性、つまり、「間主体性」だという。

 養老孟司は『旅する脳』(小学館)で次のように書いている。

 一生変わらぬ“自分”がある、という考え方は、西洋の場合はそれでいいのだ。言語・宗教・文化がそのように出来ているのだらか。たとえば英語を習うと、I(アイ)という主語が必ず文頭に来る。日本の社会に生まれて日本語に適応した脳には、もともと、“自分”というものはないと僕は考えている。

 西洋のキリスト教社会では、“変わらない自分”が存在することが大前提だ。キリスト教では魂は不滅だから、人は死んだあと、神の前で裁きを受け、天国行きか地獄行きが決められる。これが「最後の審判」である。僕は中学時代に、こうしたキリスト教の考え方はしっかり教わったのだが、どうにもなじめなかった。

 たとえば僕がこの先ボケて死んだとしたら、神様の前に立つのは今の僕か、ボケた僕か、後者だとしたら、神様は困るんじゃないだろうか。こんなふうに、今の僕とボケた僕、どちらも自分だと考えるのが日本人であろう。

 僕の掲示板に、はなさんから次のような書き込みがあった。

 関西では二人称として「自分」と言う呼称を用いることがあります。一般には「自分」イコール一人称という認識が浸透していると思うので、いきなり相手から「自分昼飯なに食う?」と訊かれたりすると、結構面食らうのでは・・・と思います。

 これについて、次のように解答しておいた。

相手を「自分」なんていうのは日本語の呼称体系からきていると思います。

日本語は目上の人の呼び方はあっても、目下はないので、一番下の人を規準に呼称が決まります。

うちだと未蘭を中心に「おねえちゃん」「お母さん、「お父さん」「おばあちゃん」という具合です。

それで、本人には「未蘭ちゃん」というのがあるのですが、知らない相手は「アタチのお名前は?」とか男の子だと「ボクの名前は?」なんてことになります。

「ボクのおうちには何人兄弟がいるの?」なんて聞きます。

 それで、大阪などの「自分」というのもこれと同じで相手を子ども扱いにして呼んでいるような気がします。

 実際、年上の人には使えないと思います。大学では先輩が後輩の女性を呼ぶのに使うことが多いと思います。

 これは相手の名前などを知らない時に「あなた」とか「あんた」というのはどちらもいいにくく、それをごまかすためにも使われるのです。

 富山方言というか、東北などを含めて相手のことを「われ」とか「わ」(富山では「わー」)という言い方がありますが、これは「我」から来ているので同じような使い方だと言えます。

 英語では、そんな呼び方はないのですが、お医者さんが子どもに“How are we today?”なんていいます。

 つまり、「僕たちは今日、元気かな」ということです。

 相手の視線に合わせた言い方の一つですね。

 似たような呼称に「手前」というのもある。基本的には「手前ども」(排他のwe)などと使って、一人称なのだが、「てめえ」というと二人称になる。「おのれ」だって、「己」だから自分のことなのに、相手に使う。考えてみると「あなた」というのも「山のあなたの空遠く…」というように「彼方」を意味する三人称的な言葉なのだが、二人称で使っている。

関西人「自分そのラジカセ直せ」
関東人「えっ?あなたが修理するんですか?」

 同じことを橋本治は『いま私たちが考えるべきこと』(新潮社)で次のように書いている。

 ちょっとした国語辞典を引いて、「我」とか「己(おのれ)」とか「自分」という一人称をあらわす言葉への説明を見れば分かることだが、日本語には「一人称と二人称の区別」がない。「我」は「自分をさす言葉」であると同時に、「二人称の他人をさす言葉」でもあって、「己」お「自分」も同じなのである。「自分」などという、近代になって一般的になったとしか思えない言葉でさえ、「自分=他人」の構造になっているというのにはちょっとびっくりするが、しかし、そうなのである。

 だから、関西系のお笑いタレントは、平気で「自分、今なに言うた?」と、目の前の他人の言うのである。【…】

 目の前にいる他人、あるいは目の前にいない他人を二人称として想定し、怒りや怨念をぶつける時のクラシカルな表現は、「おのれェ!」である。「己=一人称の私」は、そのまま「怒りをぶつけられる二人称」なのである。今に始まったことじゃない。大昔から日本語はこういうものだから、そこに生きる日本人は、「この言葉の指すものは、果たして“私”なのであろうか? “私以外の他人”なのであろうか?」とたんびたんびに判断しなければならなくなる。この困難を克服してしまった人間なら、「自分がない人=十分に自分があって自分で自足している人」という等式を、矛盾とは思わないだろう。「自分」なるものは、平気でその所在地を変えてしまうものだからである。

 オバマが大統領になった時の決め言葉が“Yes, we can.”であった。「包括のwe」と呼ばれるものを多用して、みんなで叫んで勝ったのである。同じ民主党のクリントンが“I am in to win.”(私は勝つために立候補した)と私を強調していたのと対照的である。

 「おたく」というのも面白い。別物で二人称を指している。『新明解』には「御宅」の中に[同一の趣味を持っていても、親しい間柄ではないので、相手に対して「おたく」と呼びかけるところから]と書いてある。

 現代英語には二人称が“you”しかなくて、単数も複数も一緒で不便だ。相手が二人だと“you two”ということがあるし、“you all”なんていうこともあるみたいだが、何となく見下した(condescending)な響きもあるらしくて定着はしていない。

 ただ、最近は“you guys”という言い方が出てきて、オバマ大統領も使うことがある。“Hi guys!”なんていうのは“guy”が「男」を意味していたので、女性には使いにくかったのだが、女性にも使えるようになってきた。言葉というのは便利な方向に流れていき、それぞれに機能があるのだ。

 古くは“you”の他に“thou”というのがあった。“you, your, you, yours”は“thou, thy, thee, thine”と活用する。「汝」と訳されることも多かったのだが、“you”よりは二人が親密で対等な関係にある時に使い、ちょうどフランス語の“vous”と“tu”に相当する。松岡和子の『深読みシェイクスピア』によれば、ジュリエットは最初“you”を使っているが、舞踏会でキスをした後、バルコニー・シーンから“thou”に変わるという分かりやすさである。しかし、松岡以前の男性の訳者たちはみなジュリエットを悲恋のヒロインとしてあまりに「深窓の令嬢」として扱うことで、訳をとても丁寧でへりくだったものにしているという。たとえば、“Thy purpose marriage.”(直訳は「もしあなたの目的・意図が結婚であるのなら」)というのを小田島は「結婚ということを考えてくださるなら」としていたし、松岡自身もはじめは「結婚を考えてくださるなら」と訳していたという。ところが、蜷川演出で佐藤藍子のジュリエットの立ち姿を見て、「くださる」という言葉が似合わないことに気づき、「結婚を考えているのなら」に変えたという。

 シェル・シルヴァスアインの『ぼくを探しに』(The Missing Piece)という絵本を倉橋由美子が訳したのだが、“It was missing a piece./ And it was not happy.”を「何かが足りない/それでぼくは楽しくない」となっている。Itを「ぼく」に訳していたのだった。この本を読んで「自分さがし」を始めた人は自分に出会えないかもしれない。

 最後に敬称について。ファーストネームで呼び合うというのは日本人に抵抗がある。チョムスキーに教わった、ある先生はいきなり「ノアム」というのは気が引けたと話していた。レーガン&中曽根のように「ロン、ヤス」関係に日米首脳がなるのも問題だが…。

 古い紀行文だが、安岡章太郎の『アメリカ感情旅行』(岩波新書)には次のような文がある。一度だけ顔を合わせたD君の家に招待されて「いわば彼等の親切心はピカピカに磨きあげられた真白な歯みたいに、どこか人工的で、危く偽善的になりそうなところがある」などと思っている矢先のことである。

 食事の支度がととのい、食卓についたときは、もうわれわれはこの家で家族の一員にふくめられてしまった。すなわち、D君の母君は、われわれの名を訊き、あっと言う間もなく、私は「ショウ」と呼ばれ、女房は「ミチュ」と呼ばれることになった。……もはや私は、こうした呼び名もクスグッタさも、彼等の親切心といっしょに、一種の諦念をもって飲みこんだ。

 内田樹は『逆立ち日本論』(新潮社)で次のように語っている。

 ぼくは、呼び方は基本的に相手まかせです。学生に「ウッチ〜」と呼ばれても「ウッチ〜か……そうか、そういうふうに評価されているわけね」と(笑)、呼称命名権は他人に属する、というのがぼくの持論です。

 ジェイ・ルービンは「かえる君、東京を救う」を以下のように訳していた。

ぼくのことはかえるくんと呼んで下さい」と蛙はよく通る声で言った。
(『神の子どもたちはみな踊る』所収)
"Call me 'Frog'," said the frog in a clear, strong voice.
(“After the Quake”Jay Rubin)

「ねぇ、かえるさん」
「かえるくん」とかえるくんはまた指を一本立てて訂正した。
「ねぇ、かえるくん」と片桐は言い直した。

"To tell you the truth, Mr. Frog -"
"Please," Frog said, raising one finger again. "Call me "Frog"."
"To tell you the truth, Frog," Katagiri said, …

 柴田元幸の『翻訳教室』(新書館)という本でも取り上げられている。

 英文には特に「カエル君」というような、かわいらしいニュアンスはない。たくましいかえるが「ぼくのことはかえるくんと呼んで下さい」とかわいらしく言う、という落差がユーモアになっているわけですけど。

 最後に、この文章が学生と教師はどうあるべきか、それともアカハラの告発ページだと思った人はごめんなさい。でも、僕がそんなことを考えるはずもない。

 情報工学科の山川先生が亡くなり、うちのクラスの卒研生が弔辞を読むことになった。


弔辞

 この度、教官の突然の訃報に接しましたが、とてもそれが本当だとは未だ信じられません。

 ぼう然自失の状態で、うそであってほしい、と心の中で何度も何度も繰り返しているばかりです。

 私たちは商船高専に93年に入学し、3年次から教官の、先端技術の素晴らしさを紹介して下さる講義に接してまいりました。

 そして、先日まで直接、教官から私たちの卒業研究のご指導を仰ぎ、中間発表を終えたばかりで、その結果報告を教官に申し上げる矢先のことでした。

 教官は私たちにいつも厳しく、そして残念そうに「わからないんですねぇ」と嘆かれたり、「英語もできないなら大学なんて行かなくてもいいんですよ」と叱られてばかりでした。でも、その独特の口調の中に私たちへの思いやりを感じていました。

 それは何度かお食事に誘っていただた時のことです。教官は「家族と1年に1回アメリカ旅行をすることが私の唯一の楽しみなのだよ」とおっしゃり、旅先で出会った人々、出来事などを眼鏡の奥の小さな目を輝かせながらうれしそうに話してくださいました。その時の優しさが教官本来の優しさだと思いました。

 こうして、ご生前は公私に亘って懇切にご指導していただいたにもかかわらず、何等お報いできず残念でなりません。

 ようやく長岡科学技術大学に編入も決まり、これからは教官が教えて下さった、研究の方法、考え方、実験の手順などをしっかりと身につけ、一つでもご恩返しのできるように、精いっぱい努力していきたいと思います。

 私たちは今日まで商船高専の通例にしたがって「教官」と呼んでいました。

 でも、人生の先輩として、目指すべき研究者として私たちを暖かくご指導して下さったので、これからはどうか「先生」と呼ばせてください。

 山川先生、どうぞ私たちの命のある限り、私たちの中にいつまでも生きていてくださるようお願いいたします。

 では、先生、お別れを申し上げます。さようなら。


OBの板倉さんからもメールがきた。共感を呼ぶと思うので引用する。

「学生と教官」に関するエッセイも読みました。

実際、校外で「教官」を「教官」と呼ばれるのは恥ずかしいですよね。

私が入学したての頃、高校に行った同級生と「先生を教官と呼ぶんだよ」って話すと、「スチュワーデス物語みたい!」って言われました。

堀ちえみは最近離婚してテレビのワイドショーネタになってましたけど。

でも、私は逆に「学生と教官」と呼ぶことにものすごく新鮮さを感じ、 「人とは違う学校に来たんだな」と思ったものです。「生徒会」を「学生会」と呼ぶし。

在学中から「学生と教官」と呼ぶことに慣れてきて、ある種、ポリシーを持つようになり、今でもテレビや新聞で母校のことが報道される時、

「学生を生徒」「教官を先生」と言ったり書かれたりすると「違うんだよなー」と思ってしまいます。

「学生」と呼ばれることが、「生徒」よりオトナ?扱いと少し自惚れた私。

実際、1年生の時、総曲輪(ちゃんと漢字変換するからすごい)で見知らぬ女性に「学生さんですか?」と尋ねられ、「はい」と答えた。

その女性は「そうですか」とすぐ去って行った。

どういう理由で、何故私に「学生さんですか?」と問い掛けたのかわからないけど、きっと高校に通っていたら「いいえ」と答えたと思う。

# でも、小学生だって"学生"って文字を含んでるんだよなー。

# 中学、高校生が持つ"学生カバン"も"学生"がつくし。

# でも、重たいから高学年になると使わなくなるんだよなー。

...ただ、富山高専出身の同僚に聞くと、「先生」や「教授」等と呼ぶ方が多いと聞く。

やっぱり富山商船独自の風習!?なんだと思う。

他の商船高専*はどうなのかな?

   *他の高専でも教えることがありますが、「先生」です。


 という時代も過ぎ、2004年には独立行政法人化してしまい、僕らは「みなし公務員」で、団体職員になってしまった。「官名」(ATOKにない)も「文部科学教官」から「教員」になってしまった。校長は「『スチュワーデス物語』のように、別に『教官』でもいいのではないか」といった。07年からは助教授が准教授と呼ばれるようになり、ある先生など何て読めばいいかも分からなかった。


 内田樹がホームページで次のように書いていた。

 私が東京から関西に来て驚いたのは、大阪の人たちが「自分」を「あなた」という意味で用いることであった。「ジブン、騙されてんとちゃう」というのは、「あなたは騙されているのではないか」という意味である。

 『仁義なき戦い』で菅原文太が小林旭に向かって、「のうアキラ、こんなんが村岡の跡目ついだらいいじゃないの」というときの「こんなん」というのは、「こちら」というのが原義であろうが、文脈を勘案するに「あなた」の意らしく思われる。どうして「こちら」が「あなた」になるのかよく分らない。

 「手前」というのもそうだ。「てまえ」と読めば一人称、「てめえ」と読むと二人称になる。リバーシブルだ。

「あなた」にしても、本来は「彼方」の意であるはずだから、目の前にいる人の呼称としてそれほど適切とも思われない。

 考えるとどれも納得のゆかない話である。だが、別にこれは私だけがひとりこだわっていることではなく、日常生活における「変なこと」にたいへんこだわりのあったフロイト博士も、この点に着目されて、つねのごとき洞見を語られている。

 「多くの言語学者たちは、最も古い言葉では、強い−弱い、明るい−暗い、大きい−小さいというような対立は、同じ語根によって表現されていたと主張しています(『原始言語の反対の意味』)。たとえば、エジプト語のkenは、もともと『強い』と『弱い』という二つの意味をもっていました。対話の最、このように相反する二つの意味を合わせもつ言葉を用いるときには、誤解を防ぐために、言葉の調子と身振りを加えました。また文書では、いわゆる限定詞といって、それ自体は発音しないことになっている絵を書きそえたのです。すなわち、『強い』という意味のkenのときは、文字のあとに直立している男の絵を、『弱い』という意味のkenのときは力なくかがみこんでいる男の絵を書きそえたのです。同音の原始語をわずかに変化させて、その語に含まれた相反する二つの意味をそれぞれにあらわす表記ができたのは、後代になってからのことです。」(S・フロイト、「精神分析入門」、懸田克躬、高橋義孝訳、『フロイト著作集1』、人文書院、1971年145-6頁)

 古代エジプト人はkenという発音を微妙にピッチや身振りを変えることで、「強い」という意味と「弱い」という意味に使い分けていたわけである。ずいぶんと七面倒なことをしたものだが、これは別に古代エジプトだけに限った話ではなく、同じ現象は、実は古今東西、言語のあるところではどこでも観察されるのである。

フロイトは同種の事例をいくつか列挙している。ラテン語のaltus は「高い」と「低い」の二つの意味があり、sacer には「神聖な」と「呪われた」の二つの意味がある。英語のwith は「それとともに」と「それなしに」の両方の意味をもっていたが、今日では前の意味でのみ用いられている(withdraw「取り去る」やwithhold「与えない」という動詞には「それなしに」という古義の名残りがとどまっている)。


 

Back Home     please send mail.