金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


「あんた、だ〜れ?」
言語と認識に関する覚え書き


「よう、ミューラー。だいぶ変わったな。髪は白くなったし、ヒゲも生えてる。それに太ってしまったな」
「でも、私はミュラーじゃないです」
「名前も変わったのか」
---世界のどこかのジョーク

 「人は多くの人々を知っているが、彼らがどうなったかは知らない---なんという本で読んだか忘れましたが、ジャン・コクトーはそんなことを言っています。当たり前のことを言っただけでしょうが、それをわざわざ言うのは当たり前ではありません。私は久しく会わなかった人に会うたびに、この言葉を思い出します。センチメンタルな奴だと思いませんか」
---結城昌治『ゴメスの名はゴメス』

忘却のお陰で悪というものがいつまでも生きのびるってこともあるんだ。
---木下順二「神と人とのあいだ」

「記憶がないというわけではない。記憶はむしろぎっしりと頭の中に詰まっているのだ。それをうまく外にひきずり出すことができなのだ」
---村上春樹『螢・納屋を焼く・その他の短編』

「脳年齢 年金すでに もらえます」
「アレどこだ? アレをコレする あのアレだ!」
「忘れぬよう メモした紙を また捜す」
---サラリーマン川柳2007

Memoria minuitur, nisi eam exerceat.
(記憶は使わないと衰える)


僕のことを忘れているあなたに読んでもらいたい文章です。


 家族じゅうで大好きだった、ディズニーのドラマに『恐竜家族』(Dinosaurs)というのがあった。「かあさん!ただいっま〜!」(Honey, I'm Home!)で始まる恐竜ホームコメディで、内容は現代的なドラマで、考えさせられることが多かった。

 中でも最高に好きだったのは「地球は丸かった」(97年3月17日放送)だった。

 お姉ちゃんのシャーリーン・シンクレアが宿題を考えている時にミューズが現れる。「ミューズは霊感を与える女神なの。必要な方にオリジナルアイデアを供給してるのよ」と言って、シャーリーンに地球は丸かったと教える。なかなか分かってもらえないので「はーい、もっとすばやく理解するかと思ったのにね、コペルニクスさん」と言われて人違いだと分かる。「え!コペルニクスじゃない!ここ16世紀のポーランドじゃないの?あらやだ、まちがえちゃった。シャーリーン・シンクレアは新しいケーキのアイデアだったんだ。早く逃げよ」と言って逃げてしまう。その直後に大学生の前で厳かにケーキのアイデアを教えるコペルニクスが映し出される。

 お姉ちゃんは学校へ行って、いきなり「地球は丸い」というものだから、みんなから異端視され、ついに裁判にかけられて「有罪」。そして、死刑になったのだが、地球の果てまで行って、端から落ちて死ねばいいということになる。

 もちろん、お姉ちゃんは地球を何と「80日間」で一周して(もちろん無事に)帰宅する。

 2歳のベイビー(次男)が「ただいっま〜」と元気に帰ってきたお姉ちゃんを迎えていう。

「お帰り!」と元気に迎えたかと思ったら続けていう。

「あんた、だ〜れ?」


 人間には二種類ある。名前を覚えられる人と覚えられない人である。

 僕は覚えられない。若い頃はもっと覚えられたのだが、40歳を超えてから学生の名前が覚えられなくなったし、人名も出てこない。会話していても一緒になって「あれ、あの人」「そう、あいつね」「そうそう、あの人がね」といって名前を無視して話を続ける。

 特に最近の学生の名前は「判じ物」になっている。クイズみたいになっていて知らなければ誰も読めないのである。「公一」(仮名)と書いてどうして「まさかず」なのか、「仁志」(仮名)と書いて何ゆえに「まさゆき」なのか、親の顔が見たくなる。

 やっとの思いで担任をしているクラスくらいは覚えられるが、他のクラスになると絶望視している。

 もちろん、教師も人間だから目立つ学生から覚えていく。悪い学生、成績のいい学生、よく研究室に遊びにくる学生など覚えやすい学生もいる。でも、多くはフツーで目立たない学生であって、すっと頭の中に入ってくることはない。

 昔は若かったこともあるが、全寮制で学生数も現在の半分くらい(中退者が多かった)だったし、問題児も多かったので「すんなりと」覚えられた。

 結局、若い女の先生に努力していないと馬鹿にされてしまうのだが、彼女も年とることを知らない。

 テレビに出ていた時はどうしていたかというと、シナリオを書いたシートに固有名詞をいっぱい書いてしのいだ。

 富山大学の文化人類学科の初代教授であった和崎洋一先生は覚えないことを原則にしていた。公言していた。だから、僕など一度も名前で呼ばれたことはなかった。「ブワナ」(スワヒリ語で英語の「ミスター」に相当)と呼ばれるだけである。相手を覚えていないのではなくて、相手の名前を覚えられないので、いっそ覚えないことにしてしまったのである。

 京都に住んでいた奥さんの方が僕の名前を知っていて、電話口で恐縮されたこともある。

 もちろん、富大の学生にも同じだったし、ある日、学部長と喧嘩していて「ところで、あんたなんて名前だったっけ」と言ったので流石に呆れられて、そこそこに話がまとまったという。

 「ひげの伊之助」として人気があった立行司の十九代式守伊之助は勝ち名乗りを挙げるときに力士の名前を忘れて、「おまえさん」と言ったという。ど忘れするととんでもないことになる職業も多いのだ。

 千野栄一先生の先生にも豪傑がいて、ある人物について講演をしていてずっと話の対象になっている人の名前が出てこずに、終わってから「何て名前だっけ」と訊いてきた学者がいたという。まあ、真偽のほどは分からないが、代名詞が便利な欧米だからできることだ(日本語だと「彼が…」と続けることは難しい)。

 でも、話をしている途中に間違った名前で呼ぶ可能性は、僕らのような凡人にはありうる。

 例えば、国文法学者の山田孝雄(富山市出身の文化勲章受章者)は「よしお」という名前だが、ちょっと気を許すと「たかお」と呼んでしまいそうである。

 たった一人で話芸を展開する落語家にとって名前を忘れることは致命傷である。八代目桂文楽が高座を降りたのは1971年、78歳の時だった。国立劇場小劇場で「大仏餅」を口演していて「あなたのお名前は。あたくしは、芝片門前に住まいおりました…」に続く「神谷幸右衛門」という名前が出て来ずに絶句!「まことに申しわけございません。勉強し直してまいります」と、深々と頭をさげて高座を降りて、その後戻ることはなかった。

 小田島雄志『ユーモアの流儀』(講談社)には俳優の三木のり平がセリフ覚えが悪い、という話が出てくる。その三木がいう。

 ある人が舞台の上で、とっさに自分の役名を忘れちゃった。で、どうしたかっていうと、背広のポケットに紙が入ってたのを、「私、こういう者です」って名刺のように出した(笑い)。ところが相手もさるもので、「なんてお読みするのですか」って。

 商船高専の商船学科の場合、4年半、うちの学校にいて1年は運輸省の公開訓練所で実習して帰る。ところが、その途中に帰ってきたりして挨拶されると卒業生だったか在校生だったか何だかよく分からなくなって混乱する。

 卒業の前には「お前たち、学校に遊びに来て、名前を呼ばれなかったら寂しいやろ。会ったらすぐに『教官、こんにちは。○×期の□■です』と名前をちゃんと言いなさいね」と言っておく。

 実際、挨拶に来られて名前が出てこず、焦ることがある。「ええっと、担任誰だった?」なんて探りを入れる。うっかりすると「教官が担任でしたよ」と言われかねないが…。

 他に「誰と同級生だったっけ」といって記憶の糸を手繰ることもある。

 家庭に電話がかかってくる時は、妻が多く出ることもあって、何期生のどんな人だったか、僕に取り次ぐ前に訊くように頼んである。

 いざとなったら「下の名前、何て言ったっけ?」と聞く。すると上の名前も一緒に答えてくれることが多い。田中角栄も同じように名前を引き出していたという。

 スポーツ用品のナイキの語源となっている女神ニケは記憶の女神のムネモシュネ(mnemosyneでmnemonic=「記憶の」の語源となっている)、芸術をつかさどる女神ムーサ、英語名ミューズを産んだ神でもある。文字がなかった時代の詩人は、聖なる物語を暗唱するときに誤りを犯さないよう助けを求めて、ムネモシュネの名を呼んだという(『神話・伝承事典』大修館)。

 万能神ゼウスとムネモシュネの子どもたちで文学・芸術の女神たちミューズはそれぞれ音楽とか学芸とか受け持つ神が9人くらいいることになっているが、創造的な仕事というのは記憶と大いに関係があることをギリシャ人たちは知っていたことになる。記憶は創造の基礎という、今の「ゆとり」教育の否定になるのだが、世界史の教科書を吟遊詩人のように覚えても何も出てこないことは確かだ。

 ちなみに、アインシュタインは自宅の電話番号を知らなかったという。調べて分かることは覚えないというのだ。年表を見ればすぐに分かることを、百科事典を見ればすぐに(今なら電卓ですむ)分かることを覚えておく必要はないと思う。それよりも、生きた歴史をもっと覚えるべきだろう。アインシュタインではないが、僕も忘れそうなことは全てメモにする。脳味噌の負担を考えたら、手間暇をかけなければならないのである。

 アインシュタインから百年が経って、自分のケータイの電話番号を知らない人が増えてきた。「ケータイの番号教えてよ」と言われてすぐに分かる人は少ないのである。確かに自分の家にかけることはあっても、自分のケータイにかけることはありえないから、納得できるのである。

 僕は忘れっぽくて、忘れたことさえ忘れていることがある。

「女の子とうまくやる方法は三つしかない。ひとつ、相手の話を黙って聞いてやること。ふたつ、着ている洋服をほめること。三つ、できるだけおいしいものを食べさせること。簡単でしょ。それだけやって駄目なら、とりあえずあきらめた方がいい」
「それって、すげえ現実的でわかりやすいですね。手帳に書き留めといていいですか?」
「いいけどさ、それぐらい頭で覚えられないの?」
「いや、ニワトリとおんなじで、三歩あるくと記憶が全部ころっと消えちまうんです。だから何でも書き留めます。アインシュタインもそうしてたそうですよ」
「アインシュタインねえ」
「忘れっぽいことは問題じゃないんです。忘れることが問題なんです」

   ---村上春樹「ハナレイ・ベイ」(『東京奇譚集』新潮社)

 政治家は名前を覚えるのが商売である。一人の名前がそのまま票につながるのだから苦労していると思う。古代ギリシャの政治家のテミストクレス(BC528〜BC462)はアテネ市民一人ひとりの名前を残らず覚えていた。「私は何かを思い出す記憶よりも、忘れたいと願っていることをすっかり忘れる忘却術を習得したい」と話していたそうだ。テミストクレスはペルシアとの戦争に備え、艦船を建造することを主張し、反対もされて、オストラコン(陶片)に彼の名前が書かれたものも残っている。しかし、彼の意見が通り、三段櫂船を200隻建造して、アテネはサラミスの海戦(BC480)でペルシアをうち破った。

 日本では田中角栄が記憶力のよさで知られている。話の中に具体的な数字をあげるのを得意だったが、人に対しても一度会っただけで名前を覚え、数年後に再会した時にフルネームで呼んで感動させたという。それが彼の人心掌握術だったのだ。初めて会う人については、前もって経歴を調べ、「お父さんはこんな人だったんだね」というような話を途中で入れたり、帰り際に「ところであんたの息子は元気か?」と声をかけたという。

 グレアム・タタソールの『数学脳で考える』(ランダムハウス講談社)にはイギリスのフィリップ殿下の話が出ていた。

…僕の友人は以前、女王陛下とフィリップ殿下に自分の職場を案内し、100人くらいの同僚と地元の名士を紹介する、という役目を仰せつかった。女王陛下の到着が遅れたため、友人はフィリップ殿下だけをお連れして、大握手ツアーを敢行することになった。

 女王陛下が到着すると、殿下は友人の助けを借りずに、女王のためにもう一度みなさんに挨拶しようとおっしゃった。そして、一度も間違えることなく、全員の名前を覚えていたそうだ。

「いったいどのようになさったのですか」と、殿下に聞いてみたところ、「ネクタイだよ!」という答えが返ってきた。100人の顔を覚える代わりに、ネクタイの柄と名前をセットで記憶していたそうである。【…】

 庶民は楽だ。生家が大阪の薬種商という江戸期の俳人の小西来山(らいざん)の代表句は「お奉行の名さへ覚えずとし暮れぬ」なのである。

 ちなみに、ソシュールは言語が「名称のカタログ「(nomenclature)ではないと反対したのだが、nomenclatureというのは古代ローマの有力者のための記憶係のことであった(nomen名前+clator世話役)。相手の名を思い出すのには誰もが苦手だったのである。のちのち、ソ連でノーメンクラトゥーラ(номенклатура)というと、「共産貴族」とか「赤い貴族」と呼ばれた特権階級の意味になった。

 キケロの『雄弁家について』には抒情詩人シモニデス(BC556頃〜468)の話がある。「とある館で催されて宴に出席していたシモニデスは、女神の啓示を受けて館の外に出た。そのとき、館の天井が落ち、出席していた町の名士たちはほとんど死んでしまった。その死骸たちの身元を判別するために、死体の倒れていた位置と場所から、当の死体が誰であるかを思いだした」。惨死体になって誰が誰だか分からなくなっていたが、亡くなったのは名士ばかりだったので、手厚く葬る必要があったからだ。

 キケロはこのエピソードを紹介したのち、記憶をトポス(場所・論点・論題)と結びつけることで、記憶術を「術」として成立させ、これが「座の方法」と呼ばれるようになったのだ。科学史家のパオロ・ロッシは『普遍の鍵』で15世紀の「記憶術師」ピエトロ・ラヴェンナ(ピエトロ・トマーイ『フェニックスあるいは人工記憶』)についても場所とイメージを結びつける独特の方法を用いていたという。

 その場所は家の柱でも、家の角でも窓でもよい。観察者の立つ位置はその場所から6ピエーデ(約78cm)くらいが最適である。記憶術師にとって仕事をするのに最適の場所は、あまり行ったことのない教会なのだ。その教会の周りを3.4周して、自宅に戻る。これを何度も繰り返すことによって土地勘をつけるわけである。

 要するに、どこでもいいから自分のなじみの場所に暗記したい言葉や文章などを一つひとつ置くことによって場所と関連づけて覚えるのである。「ペグ法」と呼ばれることがあるが、カギにひっかけて覚えるのである。ラヴェンナはふくよかな女性に例えることもあるという。

 記憶を場所になぞらえるので「ローマンルーム法」(The Roman Room Mnemonic)ということがある。古館伊知郎は養老孟司との対談『記憶がウソをつく!』(扶桑社)の中で、「ローマンルーム法」で記憶していると語っている。まとめると次のようになる。

1)想像の家を「記憶の館」と化して常に自分の頭の中に持っておく。部屋数がある方がよい。

2)覚える項目を「記憶の館」の部屋にそれぞれ「収納」した状態をイメージする。

3)強烈で奇妙なイメージほど記憶に残る。例えばお使いで一番最初に投函する必要があれば、「記憶の館」の玄関を開けたところに、見上げるような巨大なポストが鎮座しているところを想像する。次の用事は次の部屋にイメージしていく。項目の順序も合わせて覚える必要がある場合、特に有効。

 ロブ・イースタウェイ(Rob Eastaway)の『人はなぜ忘れるのか』(アスペクト)にはこの「ルーム法」と「ストーリー法」が紹介してある。後者は物語にして覚えるというもので、前者の空間を使うのとは少し違う。ちなみに、「話題」topicというのは場所toposに由来するし、「先ず最初に」in the first placeというのも空間を利用した暗記法と関係があるとされる。

 円周率を10万けたまで暗唱した世界記録を持つ心理カウンセラー原口證(あきら)は数字の「3」は「さ」などと、無限に続く円周率の数字を文字にあてはめながら物語をつくり暗記するという(『円周率10万桁への挑戦 ぶっちぎり世界記録保持者の記憶術』日刊工業新聞社)。ちなみに、日々の練習も適当に切り上げる習慣だったという。お酒を飲んだ日は気持ちよく寝てしまうとか、順調に進んでいてもほどほどで切り上げてしまう。常に腹八分目に抑えておくことで物足りない感じを残すのがコツなのだという。もっとやりたいのにやらなかったから、またやるの連続で未踏の高峰を制覇せよだって。そして「続けるのが大事なのではない。続けられるのが大事なのだ」「楽しくやることが肝心なのではない。楽しくやれるのが肝心なのだ」という。

 トニー・ブザンの『頭がよくなる本』(東京図書)によれば、学習開始後20分から50分が記憶の定着度が高いから、その時間を勝負にし、こまめに休憩を入れるのが学習のコツだそうだ。記憶を長く保つには、何らかの関連づけが有効であるとし、特に次のようなイメージと結びつけて覚えると忘れないという。

共感覚・感覚的なもの 動きのあるもの 関連のあるもの 性的なもの
こっけいなもの 想像力をかきたてるもの 数字を使ったもの 記号を使ったもの
色彩の豊かなもの 順序・並べ方 前向きなもの 誇張されたもの

 ノートの取り方についても、時系列で書くのではなく、キー概念を中央において、関係するキー概念を放射線状に伸ばして線で結ぶ頭脳地図(マインドマップ)を推奨している。

 実はアメリカ人は(他の民族をよく知らないが)名前を覚えるのが得意だ。パーティでも名前を紹介してからすぐに覚える。向井千秋の夫・向井万起男は『愛人の数と本祭の立場』(講談社)で文字に頼る日本人と、音声に頼るアメリカ人の違いではないかと考えているが、そうした面も確かにある。日本人は名前を言われても文字が浮かばなければ覚えられないのだ。

 ただ、アメリカ人は会話の途中、何度も相手の名前を呼ぶようにして覚えようと努力しているという面もある。今は名刺を使うようになったらしいが、名刺交換の習慣がなかったころは大変だったと思う。

 日本人は名前で呼び合うことは少ないし(社長とか課長とか役職名を使う)、名刺をもらうのでそんな努力をしなくてもいい。名刺の裏にすぐ特徴を書いておけばいいとアドバイスする人もいる。日本自毛植毛センターが募った「毛髪川柳コンテスト」の入選作に<落ちていた俺の名刺の裏に「ハゲ」>というのがあった。

 江戸の儒学者、帆足万里(ほあしばんり)は染物屋の店先で雨宿りをして、所在なく店の大福帳をぱらぱらめくった。のちに店が火事で焼けると、帳面を消失して困っている主人に内容を克明に教えてやったという。人物名ではないが、塙保己一も目が不自由になってから、特異な才能を駆使して『群書類従』を編纂した。

 本居宣長は記憶のいい人間だったようだが、ある本に書いてあることまでは分かるが、どの部分に書いてあったかが分からなくて困るという。全部見ることなどできない相談で、見当をつけて探すのだが、見つからなかった時は悔しいという。

 幸田露伴は京大の先生をやったこともあるくらいの博学だったが、どうやらフォトコピーができたようだ。

 他の本にも出てくるはずだが、平野レミのお父さんである平野威馬雄の『くまぐす外伝』(ちくま文庫)には語学の天才でもあった南方熊楠の記憶力のすごさが書いてある。熊楠がイギリスに留学している時、日記を書くのに愛用していた大学ノートが切れた。日本に旅立つ知人がいたので、同じノートを買ってきてほしいと頼んだ。知人は10か月後に旅から帰った。熊楠はノートを受け取るや、気温、晴雨、来信、行動、感想を300日分、そらで一気に書き上げたという。僕らは今日食べたものさえ思い出せないのに!

 ブレア首相夫人のシェリー・ブースが扱った裁判の失読症の少年の話も興味深い。単語を2つ書くのに1分もかかり、人にも読めない字で書く少年なのだが、3歳の時に「機関車トーマス」のテープを全部再現し、11歳でシェイクスピア、ミルトン、形而上詩人に関する分析をテープに吹き込み、神の存在に関する合理論的論証と、16世紀のイタリア建築家パラディオに対する古典主義の影響を論じた(口述)論文のおかげで14歳でケンブリッジ大学に入学を許可されたのである。

 記憶術には他にチャンキングというのがある。チャンク(chunk)というのは肉の塊のことで、この場合、長いものを小分けにして覚えるということになる。電話番号などで誰もが実践しているように、ランダムな数字を覚える時も途中でうまく切っていけば覚えられる(かもしれない)。

 記憶と簡単に言ってもいろいろある。体で覚えた水泳や自転車は決して忘れないだろう。マーサ・W・リアの『ほら、あの「アレ」は…なんだっけ?』(講談社)には三つに分けてある(長期記憶、短期記憶など分け方によって全部で57種という話もある)。

宣言記憶…意味記憶とエピソード記憶があり、前者は「眼鏡って何をするもの?」であり、後者は「私は眼鏡をどこへ置いたかしら?」というものである。レストランの名前を思い出せないのはエピソード記憶。

作業記憶…意識的に保存したり引き出したりできる記憶でこの世界や時分時真意ついて知っていることの大半である。「のどまで出かかっているんだけど」ということもある。未来の仕事を忘れない展望記憶というのもあり、友人の顔を見て借金していたことを思い出すプライミング効果(先行する刺激が後続の刺激をうながす)というのもある。

非宣言記憶…無意識な記憶で手続き記憶とかハウツー記憶とも呼ばれ、自転車のように決して忘れることはない。感覚記憶は特定の音や風景、匂いなどからなる。非宣言記憶はいちばん乗りで頭のなかに入り、出るのはいちばん最後(エピソード記憶は後からやってきて最初に追い出される)。

 名前の話に戻るが、タレントも名前を覚えるのが大変だと思う。タレントどうしのつきあいもあるだろうし、「営業」に出るときには色々な名前の人に頭を下げなければならない。

 あるアナウンサーは名前を思い出すために「えっ、久しぶりだねぇ、どこで会ったきりだっけ」などと言って記憶の糸をほぐすという。このアナウンサーは政治家になってしまった。別の政治家だが、なるほどと思ったのが、「今どんな名刺なの?」といって名刺を出させる手口だった。これだと名前はもちろん、何をしている人かすぐに分かる!

 痔のお医者さんは顔を見ても分からないというが、お尻を見たとたん、「やあ、吉田さん、お元気でしたか?」というそうだ。

 ちなみにドイツ人の身分証明カードははすに構えた顔写真で耳がはっきり写っている。耳の形はあまり変化せず、耳で本人かどうか確認するというのだが、違うと日本人には分からない。

 簡単に名前を覚えられる人もいる。

 イタリアのヴェローナに行った時、ジュリエッタの家の前でツアー客がバラバラになってしまったので、ツアコンのKさんが「皆さん、緊急なので、4人ずつ並んでください」といって、並ぶと「一人足りない!」といって、一瞬考えて「Iさんがいない!」と言って、戻って行き、「Iさん!Iさん!」と叫んで連れ戻した。「それにしても、みんなの名前を覚えていて、誰がいないかすぐに分かるって凄いですね」とKさんにいうと笑顔で「名前を覚えるのが仕事ですから」とあっさり言われてしまう。このプロ意識にみんな感心してしまった。「不在者認知能力」というものに長けている。Kさんは羊たちのお母さんになっても、しっかりやっていけるだろう。何しろ、ツアーの2日目だったのだ。

 学校でも必ず一人はそんな先生がいる。『チップス先生さようなら』のチップス先生の得意技もこれだ。高校の音楽の女性教師もそうだった。同僚のK先生も一時間で一クラスの名前を覚える。何しろ、学力診断テストの監督をしているうちに覚えてしまう。しかも姓だけでなく名前までおぼえてしまい、いきなり廊下で、下の名前で呼ばれた学生は戸惑ってしまう。

 僕は学生を驚かせたくない。

 それに名前を覚えられたからといって何でも記憶がいいとは限らない。

 と負け惜しみをいう。

 実際、K先生にパソコンの使い方を何度教えてあげても覚えてもらえないこともある。

 記憶力と理解力は別物だ!

 と遠吠えする。

 思いだそうとするけれど、何を思い出そうとしているのか忘れてしまったのだ---と天才バカボンのパパのように嘆くしかない。

 だから、こないだもこんなことがあった。期限を過ぎてからレポートを持ってきた学生がいて、受け取れないと拒否した。すると、

「先生は私が誰だか御存知ですか?」
「いいや、知らんね」
「先生は私が誰だか御存知ないのですか?」
「知らんね。関係ないだろう」
「分りました」

 といって、その学生はレポートの山をさっと持ち上げ、素早く自分のレポートをその中ほどに差し込んで研究室を出ていった。

 もっと嬉しいのはドストエフスキーの話だ。ドストエフスキーには健忘症で、時には妻の名前さえ忘れてしまったという。莫大なノートが残されているのは健忘症対策だったともいわれている(僕と同じだ)。まあ、ロシア小説のようにロシア人の名前はいっぱいあって複雑だもんね。ある日、見覚えのない女性が彼のところに訪ねてきて「私のこと、分かりませんか?」と聞かれたのだが、訳がわからずいらつき、「なぞなぞをしているヒマはない」と言った。女性はショックを受けた様子で立ち去ってしまったというが、何と昔の愛人だったのだ。

 ごめん、僕の昔の愛人たちよ、君の顔が思い出せなくても。逆に川端康成の『弓浦市』という小説もある(後述)。

 ショーペンハウエルは「記憶は、若い娘のように、気まぐれなお天気屋である」という。「いままで百回も与えてくれたものを、まったく不意に拒んだりするかと思えば、思いがけない時に、まったくひとりでに持ち出してきてくれたりする」。レミニッセンスというが、あちらこちらとはぜる線香花火のように、僕らの記憶はあいまいな部分と刻銘な部分とがあり、昨日のように思い出せることも多い。

 サイバネティックスの発明者でMITの教授だったノーバート・ウィーナーもすごかった。路上で友だちと会って数分話した後、別れ際に「君に会ったとき、私はどっちに向かっていたか教えてくれ」と聞いた。「マサチューセッツ通りに向かってたよ」と答えると、「よかった!それなら昼食は食べたんだ。もう一度食べるところだった…」(逆に「これから昼食だったんだ」というバージョンもある)。

 マーサ・W・リアの『ほら、あの「アレ」は…なんだっけ?』にはこの続きが書いてあった。ウィーナーと家族が引っ越して、奥さんは住所のメモを渡しておいたのだが、メモさえどこにやったか覚えていなかった。しかたないので彼は前の家に行き、道で遊んでいた少女に声をかけた。

「お嬢ちゃん。ウィーナーさん一家がどこへ越したかわかる?」
 すると少女が答えた。
「わかるわ。パパをちゃんと家に連れて帰るようにママに言われているの」

 そのうち、自分の名前も覚えられなくなるかもしれない。茗荷(ミョウガ)は物忘れするという有名な言い伝えがあって、父はずっと嫌いだったが、これは釈迦の弟子である周利槃特(しゅりはんどく、スリバンドクなど)が、自分の名前を忘れてしまうため、釈迦が首に名札をかけさせた。しかし名札をかけたことさえも忘れてしまい、とうとう死ぬまで名前を覚えることができなかった。その後、死んだ周梨槃特の墓にいくと、見慣れない草が生えていた。そこで「彼は自分の名前を荷って苦労してきた」ということで、「名」を「荷う」ことから、この草に茗荷と名付けたという。まあ、民間語源なのだが…。

 鶴見俊輔は80歳を過ぎて書いた『思い出袋』(岩波新書)の中で「私は今でも、自分の小学校の級友四十二名をあだ名でおぼえている」と書いている。僕は友達の名前を思い出せないかもしれない。30歳の時に開いた同窓会で先生が一人増えていた。よく見ると、同級生がはげ上がっていたのだった。当時でさえ名前が怪しかったが、今はあだ名も名前も出てこないだろう。いや、隣で開かれている別の同窓会に出て、話を合わせているかもしれない。

 「視覚的失認症」という病気がある。 オリバー・サックスが『妻を帽子と間違えた男』(晶文社)で書いているように「視覚的失認」患者は、目の前に様々な物を知覚していながら、それを生命のない抽象的世界としか捉えることができない。たとえば一輪のバラを受け取った患者は、「約三センチありますね。ぐるぐると丸く巻いている赤いもので、緑の線伏のものがついている」ということが分かっても、それが「バラ」であることも、親愛の印としてもらったものであることもどうしても理解できない。近親者の写真を見せられても、「なにか抽象的な判じ物のテストをやらされるときのような態度」でしかそれを眺めることができない。つまり、彼の「視覚世界」には抽象的なかたちしかないのである。

 最近では海馬(かいば)が記憶と深い関係にあることが分かってきた(糸井重里・池谷裕二『海馬』新潮文庫)。1953年、アメリカのH・Mという人がてんかん発作を治療するため脳手術を受けた。ところが、遠い過去の記憶は思い出せるが、新しいことはいっさい記憶できなくなった。このとき切除されていたのが海馬で、これが記憶の入り口だと分かったのだ。海馬ではおもしろい現象が発見された。海馬に電気で情報を与えると、神経細胞どおしの間で電気が通りやすくなる。本を読むなどして新しい情報が頭にはいると、なぜ海馬で電気が通りやすくなるのだろうか。それは、海馬の神経細胞どおしが、やってきた情報を覚えるために、そのつど専用の回路を作るためで、新しい回路ができるため電気が通りやすくなっていたのである。

 池谷裕二の『進化しすぎた脳』(講談社ブルーバックス)にこんな実験が載っている。目は正面に向けたまま、真横で誰かに色のついた物を持って、少しずつ前に動かしてもらう。どうだろう。かなり前に来ないと、何色か言い当てられないだろう。網膜の周辺部には色を感じる細胞がほとんどないからだそうだ。視野の中心部はカラーでも周辺部は白黒なのだ。ふだんそれを感じないのは、「脳が補っている」からであるという。


 名前でなくても、本をまるごと覚える人がいる。一ページそのまま写真を撮ったように記録されてしまうのだ。

 ボルヘスの『伝奇集』「記憶の人、フネス」にはイレネオ・フネスという男が出てくる。若い頃より、時計を見なくても時間が正確に判るという奇才を発揮していたが、1887年にサン・フランシスコの農場で荒馬に振り落とされて、体に障害をもち、寝たきりとなってO・ヘンリーの『最後の一葉』のように窓の向こうのイチジクや蜘蛛の動きを日がな見つめ続けるような生活となった。そこへ古典研究中のボルヘスが近くへ来ていることを知り、資料の本を貸してくれないか手紙で申し出てくる。これに対してボルヘスはプリニウスの『博物誌』と、キシェラの『詩文階梯』を貸してやるのだが、まるで不良品のように「返品」してくる。「どうしたのか?」と訊けば、「もうすっかり暗記してしまいましたので」という。ボルヘスがこれを確認すると全部覚えていたという。

 この短編にも紹介されているが、下の兵士の名前をすべて呼べたペルシャ王キュロス、領土内22種類の言語で裁判を行ったミトリダーテス・エウパトルス、記憶術の発明者のシモニデス、一度その耳で聞いたことを忠実に復誦できたメトロドールスなどが有名で、日本では南方熊楠が実在していたし、井上ひさし『吉里吉里人』にも百科事典を覚える男が出てくる。

 そうした人が書いた記憶術の本もあったような気がするが、僕らには実践は難しい。

 記憶術の問題もあるが、パターン認識が下手だという問題もある。ある人が少し髪型を変えるともう分からなくなる。目が悪いせいもあるが、もう声もかけられなくなる。もちろん、覚えるべき人が多すぎるということがある。学生(たくさん卒業していく)や教職員(異動も多い)、近所の人や同窓会、職場外の会合で会う人、仕事でお世話になった人、そして、嫌なことにテレビで僕を知っていて声をかける人もいる…。

 小学校の時も夏休みの宿題で植物採集をしたものだが、図鑑を見て、絶望してしまった。ここにある本物の花と図鑑の花はどこも共通点がないように思えてきて、これはこの花と決めつけられなくて嫌になった。つまり、パターンで物事を考える、右脳で考えることが難しい人間だった。

 目が不自由な人は視力が回復しても「見えない」という。つまり、パターン認識がなかなかできないのである。落語の「心眼」というのも同じことを扱っていて、盲目が治るように願掛けをした按摩が、願い叶って目が開いたのはいいのだが、初めて見る景色にとまどってしまう、という噺だ。

 ここでお分かりのように人の名前を思い出すというのは二つの作業が重なったものだ。つまり、認識プロセス(顔が分かる)と記憶を取り出すプロセス(名前)の二つの処理をしなければならない。認識が苦手で、記憶力がない僕にとっては地獄だ。

 そう思っていたら、パターン認識が苦手なのは病気だと分かった。「相貌失認」(Prosopagnosia/face blind)という病気がある。目は見えているものの、顔を見てもその表情の識別が出来ず、誰の顔が解らず、そのため個人の識別が出来なくなる症状のことである。顔を見分けることは脳の最も高度な機能の一つであり、これは後頭葉で行なわれているが、後頭葉の損傷などによりこの機能が失われる事を相貌失認という。損傷の箇所や規模によって実際の症状は変わり、表情を見分けられない、男女の区別ができない、自分や知人の顔が分からない、などさまざまある。

 テレビの番組でやっていたのだが、ある女性が「相貌失認」で悩んでいるという。つまり、人の顔が分からないという脳の病気だ。もちろん、人が人と分かるのは顔だけじゃないのでごまかすこともできるのだが、自分がそうした病気だと言われるまで悩み続けていたという。前に会った人に初対面のように振る舞うということは僕にもしょっちゅうある。妻がいる時には「あの人誰だっけ?会ったことがあったっけ?」と聞けるからいいが、そうでない人には困ってしまう。面白かったのは僕と行動パターンが同じだったことだ。たくさん人がいる場所で、人と待ち合わせる時は先に行って、相手に見つけてもらう。どこにいるか分からない時には他の人に「○×さんはどこ?」と聞いて行く。行った先に何人もいて紛らわしい場合は少し離れたところから「○×さん」と声をかけて見つけてもらう…。

 おおっ、脳の病気だったのだ。治療法はまだ見つかっていないという。でも、心のもやもやが取れただけでもうれしかった。

「座っていいかな?」
「どうぞ」と僕は言った。他に言いようもない。彼は向かいあって腰を下ろすと、ポケットから煙草とライターを取り出し、火を点けるでもなくテーブルの上に置いた。
「思い出せない?」
「思い出せない」僕はそれ以上考えるのを放棄してあっさりとそう告白した。「悪いけどいつもそうなんだ。人の顔がうまく思い出せない」
「昔のことを忘れたがってるんだよ、それは。きっと潜在的にそうなんだね」
「そうかもしれない」と僕は認めた。たしかにそうかもしれない。
     -----村上春樹「中国行きのスロウボート」(『中国行きのスロウ・ボート』中央公論社)


 油断してはいけないのは講義や講演の内容をメモなしで話せる人がいることだ。ネタが煮詰まった講演ならともかく、新しいことを話さなければならない講義でどうして可能なのだろうか?凡人には分からない。

 廚川白村は「小泉先生」という文章の中で、ラフカディオ・ハーンの東大での講義を次のように描写している。

 教師は蒲鉾(かまぼこ)であると或人が言つた。黒板(ボオルド)と云ふ板にしがみ附く肉の意だらうが、それならば当り前である。下手(へた)なのになると、黒板も生徒もそちのけにして、自分が一夜漬に拵へて来たノオトに恰(あたか)も岩に於ける牡蠣(かき)の如くにかじり附く。そしてもう断末魔の迫つたやうな声を出して絶叫してゐる。憐れむべきかな、私なぞもこの仲間であらう。
 そこへ行くと、さすが天才の小泉先生は偉かつた。引用すべき詩文の書のほか、紙ぎれ一枚と雖(いへど)も教室には持つて来ず、そらで話された。それも十年一日の如く、坊主がお経を読むやうに同じ事を繰返すならば、私等にでも真似は出来ようが、前にも述べた如く先生は年々歳々新しい題目で新しい講義をせられた。固(もと)より準備にも相当に骨を折られたことであらうが、いま次々に上梓せられてゐる此講義集の美しい、そしてよく整つた明快な文章は、あれが皆即座に即興的に先生の口から出たものである。学生に書取らせるやうに考へながらゆつくりと、しかし少しの淀みもなく語られた。時々は即興の散文詩ともいひたい美しい文句や、奇抜な警句が口を突いて出るのであつた。咳唾(がいだ)珠を成すといへば古からう。錦心繍腸、これを織り成せる五彩絢爛の絲をほごして、繰れども繰れども縷々(るる)として尽きざる趣は鮮やかであつた。銀鈴を振る如きその声は、またその文の美しきが如くに美しく、抑揚高低にさへ何の不自然も無かつた。断続しつつ一言また一句、みな能く聴者の胸底に詩の霊興を伝ふるに足るものがあつた。ふと目を挙げて先生を見ると、窓外を眺めながら講壇のあたりを、あちこちと静かに歩いて居られた。
 英文学史の講義の時だけは極めて稀に、名刺などの小さい紙ぎれに年代か何かの覚書をして持つて居られた。しかしこれは寧(むし)ろ例外であつた。

 昔はこうした記憶力のいい人をうらやんだものだが、今は諦めた。

 そういう人は特別なんだと考えることにした。

 最近では自分の名前すら忘れることもある。

 村上春樹の「品川猿」は同じように自分の名前を忘れる女性を描いた作品だ。結婚して安藤に改姓したみずきは会社で旧姓の大沢で通している。ところが、自分から名乗るようなときは大丈夫なのだが、突然自分の名前を尋ねられると思い出せないことがある。 自分の名前を失ったからって、自分という存在を失ったわけではない。けれど、日常に支障をきたすのはやはり困る。そこでみずきは、自分の名前を彫ったブレスレットを身に付けることを思いついた。自分がペットにでもなったような、変な気持ちだ。 カウンセリングを受けることにする。すると、高校生の時、自殺する前の友人から預かった名札が原因だということが分かってきて、その名札を探すのだが…。


 「絶対音感→大江光→『癒し』」という文章の中でも取り上げているが「サヴァン症候群」(the savant syndrome)という言葉がある。

 『なぜかれらは天才的能力を示すのか―サヴァン症候群の驚異』(草思社)を書いたダロルド・A・トレッファートの定義によれば「きわめてまれな症状で、発達障害(精神遅滞)ないしは重篤な精神病(早期幼児自閉症あるいは分裂病)による重度の精神障害をもつ人間が、その障害とはあまりにも対照的に、驚異的な能力・偉才の孤島を有する」場合をいう。

 が、この場合、健常者にも同じような能力があると考えたい。

 特に「カメラアイ」(“photographic memory”という)という現象に注目したい。これは複雑なものを一目で覚えることができる能力で、見たばかりの画面を再現したり、聴いた音楽を再現したりできるものである。これを「直観像」(Eidetic Imagery)という。“eidetic”(アイデティック)というのは「視覚で直観する」という意味で絵(写真)の視覚的像を保持する能力でギリシャ語の「形」を意味する“eidos”から来ている。明瞭さにおいてほとんど写真のようであり、そのような像は記憶からのみ可能なものより、はるかに詳細に描かれることができる。「直観像所有者」は“eidetic/eideticer”と呼ばれる。

※トレッファートの本は自閉症の親に過度な期待を抱かせかねないという点で問題のある本でもあるが、記述自体には問題はない。

 K先生は人望豊かで教養ある人だが、右脳のどこかの発達によって「カメラアイ」が可能になっていると考えた方がいい。

 映画の『レインマン』は落ちたマッチ棒が何本か咄嗟に数えることができるが、これも「カメラアイ」が働いて落ちたシーンが写真となって写し取られ、それをゆっくりと(といっても1秒のかからないが)数えていると考えられる((熊谷高幸『自閉症の謎こころの謎-----認知言語学からみたレインマンの世界』ミネルヴァ書房1991に映画の分析が詳しくなされている)。

 十人もの話を聞き分けられたという聖徳太子も実はサヴァンだったのかもしれない。

 トレッファートの本の中に出てくるトレッドゴールド博士が観察したサヴァンは「言葉は一言もしゃべれないのに、一度聞いただけの曲を完璧にハミングできる白痴は多い。長大な詩をすらすら暗唱できる精神遅滞者もいる。しかしかれらは、口にしている詩の意味はもちろん、単語の意味すら理解していないのである」という。

 ジョン・グッドマンが報告している症例は、カレンダー計算のできる自閉症のサヴァンで、地理、歴史、住所、電話番号、地図、テレビや映画に関する雑学も記憶していた。このサヴァンは少年時代から、印刷された文字に取りつかれ、電話帳や百科事典をことのほか好んだ。だけど、思考は極めて具象的で抽象能力が欠けていたし、知能指数は37しかなくて、幼児期精神病(自閉症)と診断されていたという。

 カメラアイを持ったサヴァンの多くはコピーのように記憶しているから文章を下から逆に読むことも可能だという。

 僕がテレビで見たサヴァンはパリの街をヘリコプターで飛んで、降りてからその町並みをそのまま再現するものであった。

 また、タレントのジミー大西は24時間テレビか何かの企画で絵を描くことになって、それが上手だったので、そのままタレントから画伯になってしまった。彼は自閉症だったし、描かれた絵にも尋常ならざるものが感じられる。

 もちろん、一番有名なのは「裸の大将」の山下清画伯で、彼はドラマに出てくるようには画材を持ち歩かなかった。旅に行き、カメラアイで撮ってきたものを自宅で再現して、描いたり貼り絵していたのである。

 林望先生の『メイフェア劇場の亡霊』の「タッツィの筆」に出てくるタッツィも写真記憶ができたという設定になっている。

 サヴァンではないが、藤田嗣治も絵を右端から左端へ描いていったという。そんなエピソードが画家には多い。

※『レインマン』にどうしてアクションスターのトム・クルーズが出演しているのか不思議でなかった。後にクルーズ自身が「難読症(ディスレキシア)」という学習障害を持つ軽度発達障害児だったことを知った。実際、彼は映画の台本を「読んで憶える」ことができず、マネージャーに台本を読んでもらいながら、耳で憶えてセリフを暗記したんだそうだ。そうして見直すと、父親の遺産としてもらったクラシック・カーに乗って一般道路を延々とロスへ帰る。その途中、兄の行動に我慢できなくなって、医者に診せるシーンがある。診察前の予診票にクルーズが何か書き込んでいて、それを読んだ看護婦さんが“Is he artistic ? ”(芸術的?)と訊いたのに対してクルーズが“No, he is autistic.”(自閉的)と答える場面がある。

 難読症の人は、b と dの区別とかがつきにくいので、書きとりでスペルの間違いが多い。だから、autistic と artistic を間違えちゃった可能性がある。それから、父親の顧問弁護士に、父の遺言状を(自分で読まずに)読んでもらっているシーンがあったことも象徴的に描かれている。「自閉的」と「芸術的」という言葉が、スペル1文字しか違わないという事実だけでこの映画は芸術的なのだ。

 記憶には長期記憶(long-term memory)と短期記憶(short-term memory)がある。これを二重貯蔵モデルというが、短期記憶の概念をさらに拡大して、課題を遂行するために処理機能の役割を補充したものにワーキングメモリーがあり、文の理解や推論など、より高次の認知機能と関連する保持の場として働く。例えば、暗算問題を解く場合など、あることがらをほんのわずかな間だけ憶えておかなければならないことがある。目標に向かって情報を処理しつつ一時的に事柄を保持するはたらきをしているのが、ワーキングメモリである。すでに学習した知識や経験を絶えず参照しながら、目標に近づけるように、その過程を支えている。文を読む際には、知識やエピソードをもとにした長期記憶の検索を進めながら単語や文を理解しているのである(詳しくは苧阪満里子『脳のメモ帳 ワーキングメモリ』新曜社)。

 僕ら一般人は電話番号など短期記憶でしか覚えられない(正確にいうと僕は手帖から電話までの間が保たない、つまり、忘れてしまっている------母親は関係者の電話番号はみんな頭の中に入れているから遺伝ではなさそうだ)。短期記憶は普通「マジカルナンバー7」といわれるように人間は平均7で9から5までの個数を覚えることができる(2000年1月に発表された松沢哲郎教授によるアイの研究でチンパンジーのマジカルナンバーは5ということが分かった)。

 ところが、サヴァンたちは短期記憶でいいはずの住所や電話番号などを長期記憶として保持しているのである。

 ここからトレッファートは「忘れる能力が欠如している」と考えている。

 過去の嫌な思い出に悩まされている僕らにとっては地獄である。これほど情報のあふれた社会では忘れる能力がないと新しい知見を得られないのではないだろうか。

 ボルヘスの『伝奇集』に「記憶の人フネス」という短編(英訳)があり、作者とフネスがかつて交わした会話を思い出す形式で綴られている。イレネオ・フネスは落馬による事故で体に障害をもって寝たきりの生活になる。若い時分から時計を見なくても時間が正確に判るという才能を得る。葉の葉脈のまで明確に記憶できるために、フネスには同一律というものが存在し得ない。例えば、3時14分に横から見た犬と3時15分に前から見た犬とが同じ名前で呼ばれるのが理解できない。抽象化というものができないからである。つまり、僕ら凡人には「いい加減」な記憶があるから犬を犬だと認識できるのである。

 いい加減なことをもっと喜ぶべきである。

 自閉症などの病気にかかっていなくても「カメラアイ」現象はあるということだ。

 健常でも「カレンダーボーイ」(自閉症児と同様に男が圧倒的に多い)と呼ばれるカレンダー計算ができる人がいる。

 カレンダー計算の方法はカレンダーをまるごと覚えているものと70年周期で計算している場合とがあるようだ(熊谷高幸『自閉症からのメッセージ』講談社新書1993参照)。


 芸術家でも特に指揮者の中にはカメラアイができる人がいる。

 あなたは指揮用の楽譜(総譜)を見たことがあるだろうか?

 各パートの楽譜が20段ほどになって延々と続いていく。指揮者はそれを見なければならない。それを多くの指揮者が暗譜してしまっているのである。指揮者のコンクールではオーケストラの誰かがわざと間違えて演奏するのだが、その個所を指摘するという試験も行われる(無名だった小沢征爾がブサンソンで優勝した時もこれがあったことを踏まえて、二ノ宮知子『のだめカンタービレ』にもそうしたシーンが描かれている)。

 総譜を暗譜して指揮するというのはフルとヴェングラーやトスカニーニの頃、つまり20世紀の前半から中盤にかけて定まってきたという。

 岩城宏之は完璧に覚えていくという。

 これは恐らくピアニストが暗譜しているのとは違う精神作用だと思う。

 もちろん、ピアニストにも「カメラアイ」ができる人がいるだろうが、量的に指揮者の記憶力とは違うものである。

 岩城宏之は『指揮のおけいこ』(文藝春秋1999)の「ルービンシュタインに教わったこと」に楽譜の覚え方が書いてある。「コツを教えてあげよう。目です。目を使うことです」「……?」「頭で覚えた記憶はあてにならない。耳もダメです。目の中にフォトコピーすれば、最も確実に覚えられます。わたしはずうっと、そうやって暗譜してきたんです」。

 続けて巨匠が言う。「この歳になると、わたしは二百曲ぐらいレパートリーを持っていると思う。つまり二百の引き出しがあるのです。ある曲を弾こうというときに、頭の中の引き出しから楽譜を取り出す。その架空のページを、目の前でめくって弾いているだけです。だから目の中のフォトコピーがカギなのです」。

 こうして岩城はフォトコピーで楽譜を覚えるのだが、実際にはまず曲をアナリーゼ(分析)し、架空のオーケストラで何百回も演奏をする。そして同時にスコアを、架空のフォトとして目に焼き付ける。スコアを開いて1ページと2ページを20秒ほどにらむ。次々にページを進めていく。ただし、曲によっては特徴がなく、模様が見えてこない作品もあって、簡単ではないそうだ。

 そして、岩城は一度だけ大失敗をした。これは『楽譜の風景』(岩波新書1983)にも書いてあるが、「春の祭典」で慣れた暗譜なのに振り間違え、やむなく演奏を止めた。聴衆に「私のミス」と謝り、演奏を再開したものの、再び間違えた。指揮者になって最大のミスに体は震えた。暗譜用の楽譜が傷んでいて、練習の時にページをうっかり2ページ一緒にめくってしまったので、そのうっかりの映像が、目の前に出てしまったのだという。それでもミスを認めたことなどで敬意と好感を抱かれ、楽員も聴衆も随分温かかったそうだ。

 養老孟司との対談『話せばわかる!』(清流出版)で岩城は「僕は楽譜を覚える時、頭の中にフォトコピーするんです。目で覚える。だから複雑な曲のほうが模様として記憶しやすいんです」と語っている。複雑な方が覚えやすい!

 楽譜の印象を「フメンづら」というと、N響の第一バイオリン奏者・鶴我裕子の『バイオリニストは肩が凝る』(アルク出版企画)には書いてある(「ヴュータン バイオリン協奏曲第5番イ短調」)。

ヴュータンをスペル通りに読むと「ヴュークステンプス」となる。なぜ、発音通りにアルファベットを並べないのだ、読まないなら書くな、と言いたい。
さて、この曲は、バイオリンを習い始めて8年ぐらいで、ふつうの生徒がもらう初めての大曲である。楽譜から受ける視覚的印象を「フメンづら」と言うのだが、そのフメンづらがおそろしく派手でむずかしそうだ。弾いてみたけれど、やっぱりむずかしい。だがその割りに、案外早く弾けるようになるし、ロマンチックな伴奏もついているので、自分でうっとりすることもできて、楽しい。なんたって、これまでの学生っぽい曲と違って、堂々としているし、カッコいいじゃないか。

 ちなみに外山雄三が回顧していたが、若い頃、『魔笛』を振る時に、全てを知り尽くしているように振る舞っていたが、自分の練習用の楽譜は見えないくらいびっしりと書き込みがしてあって、楽団員の前では別のまっさらな楽譜を持っていったという。ダンディだったのだ。

 松尾葉子には直接話を聞いたが、フォトコピーはしていないという。

 実はここで大きな問題がある。岩城は女性の指揮者がいないことを色々に説明している。だが、ここまででお分かりのように、サヴァンもまた女性には少ない。大きな性差がある。よくは分からないが、男性の脳、女性の脳の違いがここに出ているのではないかと思える。

 大指揮者がみんな暗譜していたということはないようだ。岩城の同じ本の「名指揮者と譜面の関係」では詳しい話が出てくる。

 ドイツ語圏内でしか活躍しなかったハンス・クナッパーツブッシュという巨匠は「マエストロは、何故あのカラヤンのように、暗譜で指揮をなさらないのですか?」と聞かれて「ハハハ……、わしは楽譜が読めるからのう」とカラヤンへの皮肉とも取れる発言をしたという。

 トスカニーニがニューヨークに現れるとブルノ・ワルターの人気が急になくなった。トスカニーニはどんな曲でも暗譜したのだ。ワルターは悩んだのだが、実はトスカニーニが弱視で暗譜せざるをえないことが分かった。そこでワルターも生まれて初めて暗譜して指揮をするようになって人気を取り戻したという(中川右介の『巨匠たちのラストコンサート』(文春新書)によれば、トスカニーニは晩年には記憶をなくして指揮台で立ち往生したという)。

 ピエール・ブーレーズは暗譜の指揮を絶対にしなかった。

 リカルド・ムーティも暗譜で指揮をするのを見たことがない。

 カラヤンはほとんどを暗譜で指揮をしたが、覚えていない曲では無理をしなかった。

 バーンスタインは「今日のオレはアブナイ。スコアを出してくれ」なんてこともあったという。

 そして岩城は5回目の本番を終えるまでは「経済効果」を考えて暗譜でやらないことにしているという。

 それでも、勘違いということは避けられないという。岩城宏之は『音の影』(文藝春秋)の中で指揮者の勘違いについて書いている。

 曲を間違え棒を振り下ろすのは、実はどんな指揮者にもよくあることである。カラヤンは晩年、大阪でのベルリン・フィルハーモニーとの演奏会で、フォルティッシモで始まる曲を静かに始まる曲と勘違いしたし、ぼく自身も、アンコールの曲の順番を間違えて、オーケストラとお客に大笑いされたことがある。

 この「事件」はR・シュトラウスとチャイコフスキーを間違えて指揮を始めたためらしい。眞鍋圭子の『素顔のカラヤン』(幻冬社)によれば、「直前に携帯オーディオでチャイコフスキーを聴いたのが耳に残っていたのでしょう。でも、指摘されるまで間違いに気付かなかったのに驚いた。本番では自分の頭の中にある音しか聞こえていなかったのではないでしょうか」というのだが…。

 音楽の天才で一番よく知られたのがモーツァルトである。モーツァルトは一度聞いた音楽は細部まで忘れず再現できた。14歳だった1770年4月中旬に訪れたローマのシスティナ礼拝堂の中だけで演奏された、門外不出の二重合唱曲「ミゼレーレ」を聴き、記憶だけで正確に譜面に再現して人々を驚かせたことが有名だ。「アマデウス」(神に愛された)という名前が自ずから示しているように、自分で作曲したり、作文したりしているのではなく、自動筆記のような状態にあったことが知られている。頭に浮かんだイメージをそのまま書き取っているような雰囲気であったらしい。それはちょうど「カメラアイ」に相当するし、大江光さんの作曲の仕方に似ている。

 性格は映画『アマデウス』で描かれているように奔放というか滅茶苦茶であったらしい。ここからモーツァルトを「注意欠陥多動性障害」(ADHD=attention deficit hyperactivity disorder)と呼ぶ学者もいる。

 他に天才と呼ばれた中ではアインシュタインが自閉症気味だったことはよく知られているし、「動物行動学」(ethology)でノーベル賞を取ったコンラート・ローレンツも同時に受賞したニコ・ティンバーゲンも自閉症のようだったといわれている。天才のパトグラフィ(pathography、病跡学=著名な芸術家の精神生活の異常性が創造性に及ぼした影響などを調べる研究)を後世で云々するのはよくないかもしれないが…。

 天才はサヴァンのような種類の脳障害を自由に起こすことができることができる人間といえる。


 将棋や囲碁やチェスのプロも「直観像」を持っていると考えられる。だから、同時に百人と対局できるのであって、いちいち考えてはなくて、イメージとして頭の中に叩き込まれているのである。彼らは○年×月□日の対局を言われても、苦もなく再現できるのである。

 大山康晴十五世名人に講演をした折の逸話が残っている。演壇から降りて係の人に「お客さんは何百何十何人でしたね」と告げたが、これは主催者の記録と、ぴたり一致していた。「客席は将棋盤と同じマス目だから、ひと目で分かりました」というが、まさに「直観像」なのである。

 山口真美の『センスのいい脳』(新潮新書)にはアルツハイマーの人が芸術的センスを発揮することがあると書いてあった(サヴァンは圧倒的に男子だが、この場合、男女比はどうなのか分からないのだが)。

 言語は便利だが、一方で私たちのものの見方を束縛する。りんごならりんご、バナナならバナナ。その言葉を理解すると、目の前のりんごやバナナは、このフィルターを通して見ることになる。必然的に私たちは、目の前の対象をしっかりと観察することはなくなってしまう。つまり「目の前のりんご」を見ているつもりで、概念化された「りんご一般」を見ることになるのである。

 反対に、言葉を持たないアルツハイマーの老人や高機能自閉症の子どもたちは、「りんご」という言葉の束縛を受けないため、目の前のりんごそのものをしっかりと観察することができた。彼らはある意味で、感覚そのままを受け入れることができたと考えられる。失うものがあれば新たに獲得するものもあるのが、感覚の心強いところだ。

 ポリグロット(polyglot)と呼ばれる語学の達人の中にも「直観像」を持った人がいる。分裂病の権威である中井久夫はわずか数日間滞在したインドネシアの言葉で研究発表したという。言語とイメージとは正反対なようだが、単語の色彩が記憶の鍵になっているという。ロシア語だけは色がわからず学習できなかったと言うから、かえって凄味がある話になっている。

 実はトレッファートはサヴァンの技能について「いかに多くの技能をもっているとしても、言語習得は含まれない」と書いている。多くのサヴァンは言われたことを「オウム返し」するだけであるというのだ。

 しかし、ポリグロットのサヴァンもいる。ニール・スミス&イアンシ-マリア・ツィンプリ『ある言語天才の頭脳』(新曜社1999)【原題は「サヴァンの頭脳」“The Mind of a Savant”】が対象としているクリストファー(Christopher)は20もの言語を使うことができる天才である。しかし、29歳の時の精神年齢が9歳と見積もられたように、衣服の着脱も思うようにできないし、外出すると道に迷ってしまう。いくぶん自閉症気味で、「心の理論」(他人の考えを推し量る能力)が稀薄であったり、存在しなかったりする。僕らが言語を使う時に「文字どおりの意味を伝達する」などということは皆無だから、母語の英語においてさえ話者の意図が理解できないことがある。文や単語の意味は分かるのだが、皮肉やジョーク、隠喩、修辞疑問文(「僕が君にうそをついたことがあるかい?」など)が理解できない。言語に関する実験のために考案された人工言語のエプン語さえ学ぶことができたが、自然言語にない規則を見出すことはできなかったという。クリストファーの場合は、特殊な能力を身につけているのではなく、幼児の言語習得モジュールを大人になっても失わなかったことが言語天才を決定しているのである。

 少し言語学的なことに触れれば、チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。

 『脳の中の幽霊』(角川21世紀叢書)などのラマチャンドラン博士によると、サヴァンに見られる神経繊維の異変は脳の「再配置」と関係している可能性があるという。通常、我々が手や足、顔などの感覚を感じるのは、脳内に体性感覚野と呼ばれる体の部分に反応する神経細胞群(ペンフィールドの身体地図)は成長を終えた成人以降は、変化することがないと考えられてきた。しかし、特殊な状況では大人でも神経細胞同士の配線の「再配置」が起こる。脳の前頭葉に左右に角回という場所があり、左の角回は数学的な計算能力、右は絵を描く能力と深く関係している。

 1度見ただけで場面が再現できるサヴァンの場合、胎児期に右の角回の周辺が障害により機能停止していた可能性があるという。そのため角回周囲の神経細胞が角回に取込まれたことで、角回が肥大して驚異的な才能が発揮されたと推測される。1回聞いただけで曲が再現できるサヴァンは、機能停止が音楽能力を司る領域の周辺で起こった可能性がある。再配置により音楽能力の領域が広くなったことでその能力があがり、また、記憶のネットワークも増えたため、驚異的な記憶力を発揮したと考えられるのだ。

 「幻肢」も哲学者メルロ・ポンティの考察とは違って、脳の再配置によって起こっている場合が多い。事故で左腕を失った患者に対し、綿棒で身体に触れてどこを触れられている感じがするかという実験で、左の顔と肩に失った手の感覚が再現されていた。つまり、左腕に対応していた領域は、「再配置」により顔と肩の領域に取込まれという。現在、ジヒドロキシフェニールセリンという薬剤を使って、この再配置を人工的に起こす研究が進められている。この研究が進めば、身に付けたいと思う能力をモジュールを使って自由に身につけることができるかもしれない。

 モジュールという考え方はなじまないかもしれないが、遺伝する言語障害があることを知れば、理解はしやすいかもしれない。

 「特異性言語障害」(障語症)と呼ばれる症候群がある。これは聴覚、調音、認知能力には障害がなく、自閉症でもないのに、たいていの子どもが4,5歳までには習得できるような時制、格、人称、性、数などの文法のある側面に限って常に間違ってしまう障害である。

 このような症状がある家系に集中して現れることから、ある遺伝子群の異常により、大脳機能の正常な発達が部分的に妨げられていると考えられる。ゴプニックの「家族性言語障害」(familial language disorder)の研究によればイギリスのある家系は3代に渡って調べると30人中16人に「特異性言語障害」が現れたという。通常、全人口の3%というのに53%の発症である。脳のシルビウス溝のあたりで左右半球に異常な非対称性があるという研究があり、FOXP2という遺伝子が異常を起こすからだという研究結果もある。

《イギリスのある家族性言語障害の家系図》

            ●┯□
   ┌─────┯───┻──┯──────┯─────┐
 □┯●   ○┯□      ●┯□    ■┯○ □┯●
  ┠○    ┠□       ┠○     ┠□  ┠■
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                            ┠□
 ○女性   □男性  ●■障害者           ┗●

 イェール大学のグリゴレンコの研究では「失読症」(dyslexia)の5つのタイプのうち、音素に関する障害(音素を識別したり、語を音素に分割したり、音素を並べて語にする)という表現型には第6染色体がかかわり、実在語の音読という表現型には第15染色体が関与している可能性が強いという。

 クジャクのメスはオスが羽を広げると瞬時にその目玉の数を数えて一個でも多い方のオスになびくのであるが、DNAのどこかにそうした能力が隠されていて、ある種の人々だけに現れると考えられる。

 こうしたモジュールの考え方がサヴァンの解明、自然言語の解明に光を投げかけている。

 サルとヒトの脳のどこが違うか調べる研究も進んでいる。

 例えば、東大の酒井邦嘉助教授らが人間の脳が持つ言語機能のうち文法処理を担っている部分が前頭葉下部にあるブローカ野(や)であることを発見した。

 赤血球の名開けにあるヘモグロビンの磁気的性質を利用して脳の血流変化から神経活動を捉える技術である機能的次期共鳴映像法(fMRI)を使った研究で「空間分解能」(細かく見える限界)が1ミリ程度で詳細に観察することができる。

 被験者に文法の誤りを探す問題を与えて脳の活動を比較した。この時、ブローカ野は言語を担う場所とされる側頭葉のウェルニッケ野に比べて2倍近くも活動が高まったという。

 似たことはもっと多くの人ができている。

 それは算盤である。

 算盤の暗算で段を持っているような人は算盤を頭の中に入れていて計算をしている。

 12歳前の小学生では脳幹にソロバンの直観像を簡単に描くことができるから指で珠を動かすより早く珠像で正答が得られ、生徒自身がびっくりするくらいだという。つまり直観像を利用したわけで体で覚えている。

 中国ではこれに気づいて人口の一割の一億人以上の人が珠算を学んでいると算盤協会はPRしている。

 僕らにもささやかではあるが、直観像があった。

 小さい頃、トランプの「神経衰弱」をしてどうして大人たちはこんな簡単なことが覚えられないのだろうか、と不思議に思ったことはないだろうか?

 それがいつの間にか、概ね12歳になる頃には「ただの人」になってしまっている。

 12歳というのは言語習得の「臨界期」と無関係ではない。無意識学習で言語を習得できるのはこの年頃までである。後は訓練次第で、将棋が好きだったり、囲碁が好きだったり、算盤が得意だったりで、直感像を残せるようだ。養老孟司も「言語がないからそういう能力が伸びる。または、カメラアイ的能力は言語性の発達によって消されているかも」という。

 現代思想の内田樹はサヴァン能力を半年だけ持っていたと養老孟司との対話『逆立ち日本論』(新潮社)で語っている。とても貴重な証言だと思う。

内田 …ある日気がついたら、文字や図表を図像として、まるで写真を撮るように記憶できるようになっていたんです。教科書や参考書をじっとみつめてカシャカシャと「カメラで撮影」すると、そのページが視覚像として記憶される。頭の中に視覚記憶のアルバムがストックされているんですから、好きなときにいつでもすぐにそのページを取り出して、そこに印字してある数字や固有名詞を読み上げればいい。読んだ記憶がない世界史の教科書の欄外の注や数字まで出てきちゃうんですから。
養老 レインマン状態ですな。
内田 「これはしめた!」とほんとに思いましたね。もう受験勉強なんかぜんぜんする必要がないわけですから(笑)。
養老 アルバムをめくればいいわけだ(笑)。
内田 …そうして高校に入って最初の中間試験が六月にありました。たしか最初の日の一時間目が英語の試験だったんです。もちろん勉強なんかぜんぜんしてない。授業は聴いてましたけれど、予習も復習もしないで、ただ登校途中の電車の中で教科書を開き、試験範囲の教科書のページをカシャカシャと「撮影」して「よっしゃ! これで全部頭に入った」と意気揚々と教室に入った。試験問題が配られたので、ではアルバムをば……とめくろうとしたら、何も映っていなかった。
養老 ある日突然なくなってしまったわけですか。
内田 ある日突然やってきて、ある日突然去ってしまったんです。中学三年の受験のストレスでかなり心理的に危ない状況のときにその能力がポンと出現した。そのおかげで受験のストレスから解放されて、危機的な時期を乗り切って、お気楽な高校生になれた。「もう大丈夫」となったら、その能力はふっと消えていた。なるほどそういうわけか、と後から思いました。
養老 それで消えてなかったら、入院していますね。 

 内田の経験はまさにこの「臨界期」を語っている。関係があるかどうか分からないが、内田は高校で登校拒否になっていて、大検を取って東大に進んでいる。

 2007年に京大霊長類研究所の実験が世間を驚かせた。ディスプレーに5つの数字を一瞬表示し、その後に数字の小さい順に画面をタッチしていくテストで、チンパンジーの子どもは人間の大学生よりも瞬間的な記憶力において優れているという研究結果が出た。チンパンジーの子どもには「直観像記憶」の能力のあることをうかがわせる結果だった。専門家によると「直観像記憶」は人間の幼児にも時おり見られ、言葉の進化と引き換えに人間はこのような能力を失ったのではないかという。これをトレードオフ仮説というが、サヴァンを見ていると、まさにその通りだと思われる。

 脳研究者の池谷裕二の『進化しすぎた脳』(朝日出版社→講談社ブルーバックス)によれば、記憶がいいかげんなところが人間の強みだという。フォトコピーのような記憶だと、状況が変化すると応用が利かない。例えば服装が違っても後ろ姿でも「あっ〇〇さんだ」と分かるには曖昧な記憶でなければならない。脳は「パッと見」の下に潜む<特徴とかルールとか><基礎の共通項みたいなものを自動的に選びだしてる>。特徴の抽出のためには瞬時で完全に記憶せず、判断を留保しながら積み重ねることが必要になる。従って<学習スピードが遅いのが必須条件>だという。「あいまいな脳」だからこそ、想像力が育ち考える力が育つ。すべてを記憶できる脳であれば、コンピューターのように意思を持たないようになるかもしれないという。サヴァンたちはそうした、抽象化や応用ができない。だから、日常生活に困るし、「創造」ができない。

 松沢哲郎編『人間とは何か』(岩波)にはチンパンジーにはある直観像をヒトの大人はなくしてしまうのかについて、「知性のトレードオフ仮説」で説明している。

 なぜこの能力はヒトにないのか、「知性のトレードオフ仮説」を提唱したい。直観像記憶のような瞬間的記憶機能と、表象を操作する言語機能のトレードオフである。それは個体の発達過程にもあるだろうし、進化の過程でも生じたと考える。

 進化的視点についていえば、ヒトとチンパンジーの共通祖先は直観像記憶をもっていたと考える。生態学的にみてそれが有用だった。しかし、「額に白い斑点があり、右前脚に黒い毛があり、前身は褐色の生き物」と記憶するより、これを「ウマ」という1つの表象にすることの利点があるだろう。個々の事例を記憶するのではなくて、そこから抽象された、1つの集合を想起する。多様なバリエーション、細部の相違を超えて、共通する特徴にラベルを与える。そうした表象機能とか、象徴とか、言語とよばれるような機能の利点は、記憶を大幅に縮減できることだ。また、視角や聴覚など異なる感覚情報を、表象を介して1つに結びつけ、知識のネットワークができる。

 進化のある時点で脳の容量には限りがある、という点を銘記する必要がある。もしコンピュータであれば、新しい機能をもったモジュールを、バスと呼ばれる共通ラインに挿入すれば、新しい機能をすぐに付加できる。しかし、生物の構造や機能には進化的制約がある。別種と呼べる存在になるには、哺乳類でみても平均100万年以上かかるといわれる。新たな機能を単純に付加することはできない。おそらく、嗅覚や運動機能や、瞬間的に細部を記憶する機能を失って、そのかわりに言語的機能の萌芽を得たのだろう。

 【…】「褐色の体毛におわれ、額のところに白い斑点があり、下肢の一部が黒い」という細部の正確な記憶より、「ダイカー(アフリカの森に住むシカの仲間)」というひとつの表象をもつことの利点も創造にかたくない。

 こうした表象の形成には、明確な利点がある。それは情報をもち運べるということだ。ダイカーを発見したものが、集団に戻って「ダイカー」をみたということをほかのメンバーに伝えられたとしよう。初期の人類は、野生チンパンジーと同様に狩猟をして肉食をしていたに違いない。集団での狩りである。発見者の情報にしたがって、効率よく目的地に到着し、協力して獲物を捕らえられただろう。【…】

 かんたんに言うと、人類はその進化の過程で、細部を瞬時に記憶する能力を失い、事物を表象する新たな機能を得た。「知性のトレードオフ仮説」である。環境世界が複雑になれば、視角、聴覚、触覚といった異なるモダリティーからの情報を統合する必要もある。また、知覚されたものと自分の動作を重ねる必要もある。過去・現在・未来という時間の流れの中で不変項(インヴバリアント)を探し出すことも重要だろう。こうした由来の異なる複数の情報を統合するという要請が、表象あるいは象徴(シンボル)と呼ばれるものの形成を促す要因だったのだろう。

 こうしたことはヒトが言語を獲得することで「本能」を失ったとする考え(岸田秀ら)を補強するものだといえる。

 サヴァンには創造性があるかどうかという問題がある。例えば、ピアノをそのまま再現するサヴァンは創造しているのか?という問題がある。しかし、大江光さんの音楽は創造ではない、というのはちょっと無理があるだろう。光さんの音楽はちょうどモーツァルト時代の音楽を創造しているように思える。今の時代にクラシックを作曲しているのだから癒しを感じるのだが、確かに創造をしている。

 ただ、現代作曲家が前時代の音楽を破壊したような破壊力は感じられない。

 言語学で説明すると創造性には2種類あるということだろう。“rule governed creativity”と“rule changing creativity”であるが、前者は言語規則に則って無限の、新しい文を作りだせる創造性で、後者は文法規則をも変える創造性である。

 サヴァンの多くは前者、つまり、ある規則に従って創造しているのであって、芸術そのもののパラダイムを変える力はないように思える。


 七田眞という男が使っている七田式教育法というのも僕から見ると直観像を利用した教育のように思える。フラッシュカードなどを使って、イメージで漢字でも何でも覚えさせてしまおうというものである。

 奇跡の子どもに見えるが、その後、この子どもたちによって飛躍的に日本の社会が発展したという話は聞かない。 

 子どもが自発的に興味を示す以前に、絵本や積木、絵カード、カルタなどの文字環境に子どもを置いて、繰り返しインプットすることによって、子どもに文字を覚えさせてしまう方法は「パターン認知型」と呼ばれる。

 七田式のモデルの一つになったのに「ドーマン法」というのもあり、「ドーマン法」は脳障害児全般(ダウン症を含む)に対する訓練法で、24時間体制の大変な訓練とお金がかかるようである。詳しくはしらないが、これも直観像を利用するものである。

 驚異的な才能を持つ日木流奈(ひきるな)君のことはNHKスペシャル「奇跡の詩人」(2002年4月28日) で放送された(「ルナさんのホームページ」を参照)。彼は11歳になった2002年でも、立つことも話すこともできないが、「脳障害は必ず回復する」と信じる両親は運動訓練だけでなく知性面でのトレーニングも重視するドーマン法に専念した。その努力が実り、5歳のとき、文字盤を使って初めて自分の意思を伝えることができた瞬間から、流奈君の表現の世界は一気に広がっていったという。

 流奈君は「混とんの中にいた自分が秩序ある生活を送れるのは、言葉を伝えるすべを得たからです」と言葉がもつ底知れない力に感謝し、「自分を否定したり、自分を人と比較することをやめれば、だれでも幸せに暮らすことができるのだということを伝えるのがわたしのテーマです」とも記している。

 この大人顔負けの独特の感性と豊富な言葉の知識の源は、哲学から宇宙論まで、大学レベルの書物まで2千冊を超すという膨大な読書量にある。彼の卓抜した表現力は“今”を悩む大人たちの心を深くとらえたのだが、疑問に思う人が多かったという。


 では、本当に双手をあげて「直観像所有者」を養成すればいいのだろうか?

 七田式など「パターン認知型」で育った子どもには、自発的に外界に反応し、自己の体と言葉でコミュニケーションしていこうとする態度が希薄で、それが心身の構えになりやすいという指摘がある。その結果、他者との関係が一方通行的で、受動的に見えることがあるという。

 右脳教育は想像力や創造力を伸ばすように書かれているが、実例に挙げられている子どもの行動は漢字を大量に覚えることであったり、見たものをそのままイメージとして覚えることだったりである。 これは直観像素質者を育てる教育ともいえ、確かに記憶力が増せば何でも素晴らしいことができるように思うが、それこそ「詰め込み教育」になってしまうのである。

 イメージ力というかイマジネーションと想像力は別のものである。見たイメージをありのまま保存するイメージ能力と想像力は別で、多くのサヴァンは既にあるものを反復しているにすぎない。丸暗記したものを学習に応用したり、周りに気配りすることは、想像力が育っていないとできない。

 七田式などの早期教育方法の多くが直観像を使って、才能の先取りをしているだけということがある。才能といっても、記憶中心の、○×方式で、考えさせることにはなっていない。

 何よりも小さい頃に子どもが本当にやりたがっていないことを無理にさせることの影響が非常に心配になってくる。子どもが少し賢かったら、親は本当に我が子が天才だと信じるものだ。しかし、子どもたちはそうした親の顔をうかがって、一生懸命に覚えようとする。つまり愛情を引き替えにして、覚えているのだ。

 右脳を鍛えるというのがブームになっているが、脳についてはまだ何もよく分かっていない。早期教育の良さというのは既に産業になっているから放っておいてもダイレクトメールが来るが、早期教育の怖さというのはなかなか教えてもらえない。何しろ相手が人間で、しかも実験材料ではないので、「成功」とか「失敗」などというのはなかなか分からないのである。

 アメリカでは“Einstein Never Used Flash Cards”という本も売られている。そう、アインシュタインのような天才はフラッシュカードからは生まれないだろう。すごい人が生まれても、それは恐らく天才ではなく、秀才という程度のものである。

 神戸須磨の「酒鬼薔薇聖斗」少年の鑑定書には「直観像素質者であって、この顕著な特性は本件非行の成立に寄与した一因子を構成している」という部分がある。母親も「暗記力もよかっ た」「画数の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「あの子は見た映画や本屋で興味のあった本を立ち読みし、それらの本を見て『頭にすーっと入ったページを覚えていた』と話していました」と書いている。

 これに対して斎藤学は『男の勘ちがい』(毎日新聞社)で次のように書いていた(ヘイデンは『シーラという子』『タイガーと呼ばれた子』などの作者)。

 少年Aは空想癖の盛んな子だったし、トリイ・ヘイデンも空想癖のある少女だった。しかしこの二人の間には、決定的な差がある。空想・幻想は元来視覚的なものだが少女トリイはこれを言語化しようとし、少年Aは視覚の世界にとどまった。言語は対話相手を必要とし、文法という「法」に従うものであるから少年Aには苦手だったろう。私的な空間での少年Aは思春期に入ってからも、もっぱら視覚像を用いて思考し、それが彼の直観像素質者としての能力(普通、成長すれば低下する)を維持するのに役立ったのではないか。少年Aについては、その文才に注目する人が多いのだが、彼の空想世界の豊かさを考えれば、「書かれたもの」の乏しさにこそ注目すべきだと思う。Aのような寂しさを抱えた子どもたちの中には、空想上の友人たちとの対話や冒険を熱心に書き綴る子たちがいて、それが彼らの外傷体験を癒す。Aの場合にはそれがみられず、彼の文章は威嚇や自己顕示のためにやむを得ず書かれたもののようである。

 直観像素質者とはジャック・ラカン (フランスの精神分析家)の言いかたに従えば、「想像界」の人である。「父の名」による世の掟に屈服しないまま、象徴界(言活動の世界)の入口にたたずむ「イメージとナルシシズムの世界の人」である。このような人が「仮想された『脳内宇宙』の理想郷」(「懲役13年」より)に入り込めば、怖いものなど何もなくなる。

 いずれにしろ、人間にはまだまだ知られざる能力や謎があるということである。

 そのうち、脳の構造が明らかになってトレッファートもいうように「脳のペースメーカー」みたいなものができて、人類の記憶力が飛躍するかもしれない。

 しかし、それはパンドラの筺を開けるようなもので、記憶の奧に忘れようと隠していた嫌な思い出までも引き出してしまうかもしれない。

 忘れる理由には自然崩壊説(減衰説)と、干渉説と、抑圧説と、検索失敗説がある。

 自然崩壊説はエビングハウスの忘却曲線で知られるように、時間が経てば忘れるというものだ。

 干渉説は環境が変わって忘れるということだ。「巡向干渉」というのは依然の記憶に干渉されて忘却が起きることで、冬の間に定期を内ポケットに入れていたものが、夏になっても後ろポケットを探らずに内ポケットを探るような場合や昔の彼女の名前が出てしまうような場合。「逆向干渉」というのは新しい会社に入って前の会社の番号は全部忘れてしまうようなことである。

 抑圧説というのは自分にとってどうしても嫌なことは思い出したくないから忘れるというもの。例えば、フロイトはある時、どうしても大きな駅の名前が思い出せなかったという。時間表で探し当てた、その駅の名前はローゼンハイム(薔薇の家)だった。フロイトはその一時間ほど前に、ライヒェンハルにいる妹のローザの家を訪ねていた。つまりローザの家、即ち、ローゼンハイムというつながりが「家族コンプレックス」によって、記憶の中から消し去られたという。他にもイタリアの画家シニョレルリの名前が思い出せなくて…という話もしているが、複雑な説明をしている(『フロイド選集・13 生活心理の錯誤』「第三章 名前および文章を度忘れする場合」日本教文社刊)。つまり、抑圧しているために表面的に忘れていることがあり、それを無理にこじ開けようとすると…。

 検索失敗説というのが一番、年寄りに当てはまるもので、喉まで出かかっているのに出てこない場合である。思い出すべき内容を、長期記憶から検索して作動記憶に持ってくることに失敗しているという考えだ。だから、手がかりをうまく導き出せばいいのだが、あまりにも遠回りになって周りをイライラさせることになる。

 僕が人の名前を忘れてしまうのは抑圧や検索失敗ではなく、ただのボケだと思う。もしかして、フロイトの説明も、ボケを隠すための長い、長い言い訳だったりして…。

 池内紀は『世の中にひとこと』(NTT出版)の「「私を子供と思ってください」」で書いている。

 生涯独身だったカントには、親しく世話をする友人がいた。その人がくわしく書きのこしている。七十五歳のときカントは、急激に記憶力が衰えていくのに気がついた。過去を忘れていく。昨日のことが思い出せない。簡単な日常の単語が出てこない。

 たえず思考につとめてきた人が、思考に見放されていく。自分でそれに気がついたときから、カントは一つの言い方を口ぐせにした。

 「どうか私を子供と思ってください」 手元にメモ用紙を用意していて、人と会うと、名前と用件を書いてもらった。一人になると、じっとメモを見つめていた。しかし、やがてそれもできなくなる。人の識別がつかなくなっていったからである。

 七十九歳で世を去るまで、現代医学のいう認知症だった。日本人学者によるカントの伝記が、ほとんどこのことに触れていないのはどうしてだろう?

 必死になって自分の衰えにあらがったが、その精神よりも老いの方が強かった。「老いた子供」は悲しみとともに自分の死を見つめていた。すでにそれは偉大な行為ではなかろうか。

 米原万里の『必笑小咄のテクニック』(集英社新書)には次のような小咄が紹介してある(原型は外国にあり、ロブ・イースタウェイの『人はなぜ忘れるのか』アスペクトには「ローズ」で話が作ってある)。

 記憶力がおぼつかなくなった山田夫妻が記憶訓練の特別講座を受講するようになった。
 そこでは、記憶を補うために、連想という方法を用いる訓練がされる。しばらくして山田氏は隣人に講座の成果を自慢した。それで、隣人が質問した。
「講師は何てお方なんですか」
「ちょっと、お待ちください」と山田氏は考え込み、隣人に尋ねた。「えーとですね、紫色の小さな可愛い花がありますよね。香りのいい、あれ何て言いましたっけ?」
「スミレですか」
「ああ、そうそう、スミレ、スミレ」山田氏は自宅に向かって、夫人に大声で呼びかけた。
「なあ、すみれ、オレたちの講師の名前、何だっけ?」

 同じ米原万里の『心臓に毛が生えている理由』(角川学芸出版)の「年賀状と記憶力」にはドイツ語に普通の記憶力と区別してNamenged a chtnis(名前を記憶する力)という別の語があることを紹介しながら、次のような言い訳をしている。

  1. まず年を経るほどに知人友人のカズが増えていくのだが、その一方で記憶容量には限界がある。
  2. 記憶の引き出しから記憶したものを引っぱり出すには、とっかかりが必要だが、名前には論理的な必然性も物語の文脈が無い。たとえば、人が良くて甘いものに目がない優秀な四八歳の皮膚科医であることと、その人の名前が佐藤美智子であることは、全く関係づけができないのだ。
  3. それだけ名前を記憶するのは難しいわけで、多数の人名を記憶するには特別な才能か、並々ならぬ努力を要する。だからこそ、エライ人が自分の名前を正確に呼んでくれたときの感動はひとしおで、人心掌握が事業の成否を決する政治家や宗教団体の指導者にとっては、名前を覚えることが仕事とも言われるではないか。ちなみに、スターリンは二万人もの同志たちの名前と顔を正確無比に覚えていたらし。もっとも、そのほとんどを抹殺してしまったが。


 ハーバード大のダニエル・L・シャクター『なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか』(“The Seven Sins of Memory /How the Mind Forgets and Remembers”日本経済新聞社)という本がある。「罪」というのはヨーロッパ的でここでは「エラー」と訳されている。

 どうして固有名詞が思い出せなくなるのかということのメカニズムを探ったものである。「パン屋のベーカーのパラドックス」というのがあって、ベーカーさんとパン屋(ベーカー)さんがいたら、名前よりも職業名の方が思い出しやすいという。「つまり、職業名の『ベーカー』は、パン屋についての既存の情報から、聞き手にさまざまな関連情報を与えることになる。しかし人名の『ベーカー』がもたらす情報は名前だけだ」という。つまり、「意味記憶」よりも「エピソード記憶」の方が記憶にはいいという、当たり前の結論になる。

 記憶の間違いにも次の七つがあるという。

 

  面白いのは書き換えの「利己的編集」である。特に男女の別離は互いの記憶の「利己的編集」を促進するという。ミュージカル『恋の手ほどき』(「ジジ」)の「アイ・リメンバー・イット・ウェル」でかつての恋人同士が最後のデートの思い出を振り返る。忘れないうちに書いておくが、オードリー・ヘップバーンは『モンテカルロへ行こう』の撮影のために訪れた仏リヴィエラで、女流作家のコレットコレットがオードリーを初めて見た際に「私のジジを見つけたわ!」と言って主役に抜擢したのである。

「僕たちは9時に会った」
「8時だったわ」
「僕は時間ぴったりに行った」
「いえ、あなたは遅れたわ」
「ああ、そうだ。よく覚えているよ。友達と一緒に食事したんだ」
「二人きりだったわ」
「テノールが歌った」
「バリトンだったでしょう」
「ああ、そうだ。よく覚えている。あのうっとりするような4月の月……」
「あの晩は月なんてなかった。それに6月だったのよ」
We met at nine.
We met at eight.
I was on time.
No, you were late.
Ah yes! I remember it well.We dined with friends.
We dined alone.
A tenor sang.
A baritone.
Ah yes! I remember it well.That dazzling April moon!
There was none that night,And the month was June

 ちなみにシャクターは川端康成の『弓浦市』という小説を紹介している。実際には起こっていない情事を覚えているという女性が、困惑した作家に向かって記憶のすばらしさを語る。「思ひ出といふものはありがたいものでござますね。人間はどんな境遇になりましても、昔のことを覚えていられるなんて、きつと神様のお恵みでございますわ」。

 思い出すときに一度まちがってしまって、その語感や綴りが舌先に残って、いつも間違えるのは「舌先現象」(TOT=Tip-of-the-Tongue State)という。僕が「金川」でなくてすぐに「金沢」と呼ばれそうになるのがこれだ。「舌先現象がもっとも起こりやすいのは人名だが、地名、本や映画のタイトル、よく知っている曲の名前といった固有名詞でも、普通名詞と同様に起こることがある」。この現象に陥ると、記憶がブロックされた最初の文字や音節数は分かるが、最後の文字はそうでもなく、中間の文字は最も想起が困難になる。あれは「K」で始まる言葉なんだけどなあ?といった具合だ。名詞に性別がある言語を母国語とする人たちは、名詞の男性形、女性形は思い出せるらしく、それを想起の手かがりにもするという。

 このエッセーに関係が深いのは「妨害」である。人名や固有名詞には視覚的印象・概念的印象・音韻的印象・語彙的印象がかかわっている。これをごっちゃにしたり、関連語が妨害すると、いつまでたっても思い出せなくなる。「妨害」にはもっと深い問題があり、いわゆる「想起の抑制」がかかってしまった場合だ。幼少期の記憶が忌まわしくてそれを抑圧してしまった時などに起きる。心理学はこれをリプレッサーの問題としている。

 適切な言葉が出なくてもどかしさを感じることがある。『ノルウェイの森』の直子はワタナベに「言葉探し病」といわれる。

「うまくしゃべることができないの」と直子は言った。「ここのところずっとそういうのがつづいているのよ。何か言おうとしても、いつも見当ちがいな言葉しか浮かんでこないの。見当違いだったり、あるいは全く逆だったりね。それでそれを訂正しようとすると、もっと余計に混乱して見当ちがいになっちゃうし、そうすると最初に自分が何を言おうとしていたのかがわからなくなっちゃうの。【…】ちゃんとした言葉っていうのはいつももう一人の私が抱えていて、こっちの私は絶対にそれに追いつけないの」。

 人間は忘れるからいいのだ。忘れたくても忘れられない出来事は早く忘れたいのに、つきまとってくる。嫌なことを全てを記憶していたら、こんな恥多き人生など耐えられたものではない。それが、赤瀬川原平のいう「老人力」なのかもしれない。

 凡人でなくても、ダーウィンの父親が忘れられない人だった。ダーウィンの『自伝』に出てくる話なのだが、お父さんは特別な記憶力の持ち主で、特に日付については老年になっても鮮明で、林家ぺーのような人だったらしい。一度、日付を聞くと、それがわすれられなくなってしまい、今日は友人の誰それの亡くなった日だ、明日は誰それの命日だというのが思い出されて悩みが大きかったという。

 1986年10月、優勝決定戦第5戦9回表でエンジェルス5―2レッドソックスというスコアだった。5―4にまで追い上げられた時に抑えの切り札、ドニー・ムーアが出てきたのだが、打てそうもなかった相手に決勝の逆転ホームランを打たれてしまう。APによれば、「たった一球の記憶に苦しめられて」、1989年、ムーアは妻を銃で数発撃った後、自殺した。その一球が悪いのではなく、彼に頼らざるを得なかった、それまでの状況を(また、逆に彼が決定戦まで持っていった貢献を)考えると、あまりにも悲惨である。

親切な記憶---人の上に立つ者は、個人のありとあらゆる美点を心に書き留め、それ以外のことは消すという、親切な記憶を身につけるといい。自分自身についても同様でありたい。----ニーチェ『曙光』

 忘れるから、僕はいい加減に教えた学生に会っても、平然としておられるのかもしれない。ごめんなさい。

 内田樹は卒業生と会った時の対処法として次のようなことを書いていた。

どうもこの店にゆくといろいろな人に会ってしまうのであるが、今日はやあやあと店に入ってゆくといきなり若く美しい女性二人に嫣然と微笑みかけられて、やっどうもと片づかない顔をしていると「センセイ!私のこと覚えてないんですか!」と責められる。
あの…・どなたでしょう。
昔のゼミ生であった。
しかし、私も劫を経た教師であるからこういう時の逃げ口上はうまいぞ。
「あ、ムカイくんじゃないか。なんだ、すごく痩せちゃったから、わからなかったよ」
逆ヴァージョンは自殺行為だけど。

 2002年に東大チームはメタメモリーを担う脳の場所が前頭葉下部にあることを見つけた。 ヒトは何かを思い出すことができなくても、その答えが自分の記憶の中にあるかどうかは分かる。これは記憶の「在庫状況」を管理しているメタメモリーと呼ばれる脳の働きがあるためだと考えられていた。チームは、東大の学生ら15人を対象に「エベレストに最初に登った人は誰?」など知ってそうな質問を用意。思い出せない人に、ヒントや時間があれば「絶対思い出せる」「たぶん思い出す」「絶対知らない」の3段階で自己評価してもらった。 この間の脳の働きを機能的核磁気共鳴断層撮影(fMRI)で調べたところ、「絶対思い出せる」と自己評価した場合ほど強く活動する場所が、前頭葉下部にあった。答えがわかってすぐに解答できる場合は、この場所はほとんど働かなかったという。

 僕らは前頭葉下部がぼろぼろになって来ているのだと思う。

 こういう時はジョルダーノ・ブルーノのことを思い出そう。さまざまな暗記法を開発して、すごい能力の持ち主だったのだが、魔術を使うと思われて処刑されてしまった。僕らは頭が悪くても処刑はされない!

 タモリの『クイズ!タモリの音楽は世界だ』(マガジンハウス1993)の中にジャズの巨匠マイルス・デイビス(違う人だったかもしれないが名前を失念)と会った時の感動的な話が載っている。

 何しろ、タモリはジャズ界の出身だから神様に会うようなものなのである。当然おそるおそる話を始めた。

 ところが、いつもの調子で話しているとすっかり意気投合して、最後には「お前は生涯の親友だ」とまでいわれて別れた。

 次の日、コンサートを聴きにいって感動したので、楽屋に挨拶に行ったら、言われた。

「あんた、だ〜れ?」



 誤解のないようにお願いしたい。

 サヴァンと呼ばれる人々と天才と呼ばれる人々と犯罪者である「酒鬼薔薇聖斗」などと一緒に論じているが、これらが同じだと言っているのではない。

 また、「酒鬼薔薇聖斗」の鑑定書が全てではない。一つの見方である。

 また、「自閉症」という名前にもいろいろな誤解がある。何よりも、彼らは自ら閉じたのではない。

 大切なことはそうした不思議な現象があって、それはこれからも地道な研究によって解きあかしていかなければならないということである。決して、短兵急に結論を出したり、他のことに利用してはいけないということだ。

 それから、アメリカ人が開けっぴろげで、すぐに友達になるというのは本当だ。ただ、タモリのような気分になることが多いことを忘れてはいけない。

     自問自答(『山之口獏詩集』全集第一巻 思潮社)

  返したためしも
  ないくせに
  お金がはいったらこんどこそ
  返そう返そうと
  ぼくはおもっているのだが
  つまりはお金のない病気なのだ
  それでたまに
  お金を手にしてみると
  ほっとしたはずみに
  つい忘れるのだ

※越智啓太に「なぜ名前を思い出すのは難しいのか」(『月刊言語』2005年3月号)というエッセイがあり、丸谷才一が『双六で東海道』(文藝春秋)で「ほら、ほら、あの……」というエッセイで紹介している。

※中日新聞「中日春秋」2008年6月1日から。

▼「やれやれ、年をとると脳の方も…」と考えがちだが、さほど悲観することもないようだ。最近の研究で高齢者の脳の方が若者の脳より「賢い」ことが分かってきたと米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が伝えている
▼記事によると、高齢になると注意力散漫になる分、名前のような一つの事実を覚えておくことは苦手になるが、逆に、より幅広い情報を頭に入れておけるようになる
▼たとえば、わざと「場違いな言葉」を潜ませた文章を読む実験では、若者は、それを無視して読むため速度では高齢者に勝る。だが、後で「場違いな言葉」に関する問題を出されると、正答率は高齢者にかなわない
▼ただ読む時につまずいているのではなく、高齢者の脳は、「場違いな言葉」という余分な情報でも吸収、整理してしまう。これが、全体状況の把握や現象の背後を読む時に威力を発揮する。つまり、現実社会で必要な「賢さ」で“若い脳”に勝るというわけだ


□早期教育に関する文献リスト

□早期教育批判

【初掲:1999年12月9日】


     

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