金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


 「方言辞典」 茨木のり子『詩集 対話』

よばい星    それは流れ星
いたち道    細い小径
でべそ     出歩く婦人
こもかぶり   密造酒
ちんらんぱらん ちりぢりばらばら【…】

  新方言時代〜「小さい“お”」って何?  

ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲のかくまで苦し
     -----
寺山修司

いまや、標準語は政治を語ることばに堕してしまい、「人生を語る言葉は方言しかなくなってしまった」のである。
     -----寺山修司『両手いっぱいの言葉』から


 東京へ行って「氷水」を頼んだら、氷の入った水が出た。「かき氷」といわなければならなかった。

 大阪へ行った時のことである。電車に乗るとドアに「指つめ注意」と書かれていて怖くなった。これはきっと、指をつめたヤーさんが多くて注意しろ、という意味だと思った。関西はものの言い方が直接的で、動物園でも関東なら「エサを与えないでください」と書いてあるところが、神戸の動物園などは「噛みます」とだけ書いてある。

 それからモータープールというのがたくさんあってモーターで水がぐるぐる動いている回流式のプールを大阪の人はよほど好きなんだと感心してしまった。宮本輝の『道頓堀川』にも『天の夜曲』にも「モータープール」が出てきて、後者では「水泳するプールじゃあっりゃせんそうで」などと説明が付く。

 大阪からきた学生が「ゲッキョクって大きな企業なんですね」というので何だろうと思っていたが、月極駐車場のことをいっているらしかった【この話は既にギャグになっているが…】。「きめる」を「極(き)める」とか「極(き)まる」という書くのは江戸時代からある書き方で、おかしいことはない。漱石はあて字が多いので参考にならないが「極(き)まって居る」「極(き)め込んで居る」などと書いている。

 こういうのを言語学では新方言という。

 例えば、石川の学生が富山の学生が蝿のことを「はえぼぼ」といったら大笑いしたので「お前んとこは何ていうんだ」と聞くと「はえぼんぼ」と答えた、などというのは昔の方言(福井では「はいめ」といった)であるが、新しくできた方言がある。

 大学生の頃、京大出身の先生が君らは「何回生」かと聞くので変なことを聞くな、と思っていたが、何年生という意味で使っていたのだ。「対象回生」というのが書いてあって、どうやらこれは「対象学年」という意味だということも分かってきた。

※『坊っちゃん』で主人公は「氷水」を使っている。この小説では初め信頼をよせていた同僚の「山嵐」が実は陰で生徒を扇動していた張本人であると誤解し、以前「山嵐」におごってもらった氷水の代金が気になってきてしまう。「ここへ来た時第一番に氷水をおごったのは山嵐だ。そんな裏表のあるやつから、氷水でもおごってもらっちゃ、おれの顔にかかわる。おれはたった一杯しか飲まなかったから一銭五厘しか払わしちゃいない。しかし一銭だろうが五厘だろうが、詐欺師の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校へ行ったら、一銭五厘返しておこう」。もちろん山嵐は受け取ろうとはせず、一銭五厘の借りが坊っちゃんにとってますます気に障るものになっていく…。

 新方言は井上史雄(『新しい日本語』明治書院)1985によれば、次のように定義できるという。

 同じことを真田信治は「ネオダイアレクト」(“ネオ”は“新”/『地域言語の社会言語学的研究』和泉書院1990)によれば、次のように定義できるという。

 

  1. 顕在的権威へのプロセスにおいて発生するもの。
  2. 従って文体は低くない。
  3. ただし、公的なことばには用いられない。
  4. 旧世代からは、当地の規範に照らして“訛った言い方である”“違和感がある”などとして往々非難の対象になっている表現。

 これに対して沢木幹栄は「井上の新方言にやや遅れて、国立国語研究所にいた真田が阪大に転出し『ネオダイアレクト』を唱導する。ネオダイアレクトとは関西方言の枠のなかで発生した新たな方言語形というべきものである」と書いている(「方言研究の歴史」北原保雄監修・江端義夫編『朝倉日本語講座10 方言』朝倉書店)。

 同じことを佐藤和之は「変容方言」(「変容表現― “なくしよう”は方言か」『国語論究3』明治書院1993)として次のように定義できるという。

 

  1. 共通語と接触することで生じた新たな表現。
  2. 話者は共通語と意識しているが、共通語としては不自然な表現。
  3. 決まった場面でも使え、書き言葉として公的文書にも使われる。
  4. すべての世代で使用するが、どちらかといえば共通語教育を十分に受けた世代で多用される傾向にある表現。

 定義はどうでもいいが、これに生活語以外の方言も含めて新方言とよびたい。

 特に難しいのはメタ言語である(「犬は名詞」というときの名詞など記述のための言葉)。富山テレビから「『小さい“お”』ってどうしていうのですか?」という質問を受けた。その時は「よく分からないが、教育現場から出ているのでしょう」と答えたのだが、よくよく調べてみると「小さい“お”」という教わり方をしているのは富山県だけであった。京都の学生で「小さい“お”」というのがいたので事情を聞くとお母さんが富山出身で、まさに教育の賜物なのである。

 他県の学生を調べてみると、もちろん「小さい“お”」というのは何を指すか分からない(「小さい“お”」というと「ぉ」がある)のだが、「難しい“を”」とか「わ“を”んの“を”」とか「下の“を”」とか「ひっかけ“を”」「鍵の“を”」とか「くっつき“を”」(名詞がくっつくから)とか習っていた。

 富山テレビの調査では「“お”でない“を”」と習っているところもある。うちの子供は「うぉ」と習っていたが、そんな風に発音すると子供が間違う可能性もある。詳しくはこちら。

  • 小さい“を” ------富山、石川(松任)
  • 難しい“を” ------石川、京都、滋賀
  • ひっかけ“を” ------石川(能登)
  • 鍵の“を” ------?
  • くっつき“を”(くっつきの“を”) ------宮城など/1974年放送の「カリキュラマシーン」という番組でこういう説明の仕方をしていたという。
  • 下の“を” ------北海道(函館)
  • わをんの“を” ------神奈川、北海道
  • わいうえおの“を”(「わゐうゑを」の“を”) ------岐阜
  • あっちの“を” ------東京(江戸川)
  • 濁った“を” ------神奈川
  • 何々“を”の“を” ------石川
  • 文章をつなげる時の“を” ------石川
  • 文末にくる“を” ------石川
  • 重たい“を” ------栃木県(深谷和代さん)
  • おわりの“を” ------「尾張」か「終わり」(どちらも“をはり”)らしい/福岡県(窪田顕範さん)

 「@」はマック以外だと文字化けするかもしれないが、「○」の中に「1」が入る文字のことを僕らは「まるいち」というが、山形の人は「いちまる」という。確かに「1」を書いてから「○」を書くのだが、芸者さんみたいで嫌だ。山形の人は「(1)」を何と「いちかっこ」という。

 教育現場ではこうした文字をちゃんと区別して教えなければならないが、教え方は地方によってこのように異なっているのである。

 それどころか「学区」とか「校区」というのも富山では「校下」(ATOKで変換されず)とまるで学校の下に住民がいるように表現する。昔の「城下」意識が残っているといわれる。広島出身のM先生が「うちの子、一題目(だいめ)、二題目と歌の歌詞を教わってきた」と驚いていたが、これも富山県だけで通じる言葉である。

 「雁皮」(がんぴ)というのは模造紙であるが、新潟では「たいようし」、岐阜・愛知では「びーし」、愛媛・香川では「とりのこよーし」、佐賀・熊本では「ひろよーし」などといわれる(cf.小林隆・篠崎晃一・大西拓一郎編『方言の現在』明治書院)。

 西日本の「校区・校下」(学区)、東日本各地の「校時」(〜時間目)も独特である。

 愛知や岐阜では、授業と授業の間の休み時間のことを「放課」と言う。逆に日常会話では「放課後」とは言わず、授業が終わった後は「授業後」「学校終わったら〜」のように様々な言い方がされる。「放課」は分かるが更にその「後」って確かにおかしい。

 鹿児島県の奄美を含めたほぼ全域、愛媛県、岡山県の一部、宮崎の都城、兵庫県の一部などでは「黒板消し」を「ラーフル」と呼んでいる。オランダ語らしいという話はあるが、語源ははっきりしない。真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)には愛媛方言として出てくるが、語源はオランダ語rafel(ぼろ切れ)だとし、実際に黒板を消すのにぼろ切れが使用されていたという。

 「食パン」を富山では「ショッパン」といい、音楽室には「ショッパン」と「ベントーベン」が並んでいると思っていたものだが、方言だ。九州でも「ショッパン」というようだが、学校から広まったものと考えられる。

 こういうのは「学校方言」「教育方言」として区別すべきであろう。

 真田真治『方言の日本地図』(講談社)によれば、南砺市の山間部に生える「蛍袋(ほたるぶくろ)」【キキョウ科の多年草】の呼び方を分析すると、明治期の通学区域とほぼ一致すると言う。真田は「『蛍袋』が児童の愛玩する植物であることに関係があるのでしょう。【…】子どもたちの
遊び相手となっていた」と説明しているが、「学校方言」という証拠でもあろう。

 後に出た篠崎晃一+毎日新聞社『出身地がわかる!気づかない方言』(毎日新聞社)によれば、都道府県別に出身地がバレる言葉には次のようなものがあり、学校方言だということが分かる。

  • 山形…いちまる
  • 群馬…水くれ当番=花に水をやる係
  • 新潟…大洋紙?タイヨーシ=模造紙
  • 富山…雁皮ガンピ=模造紙
  • 石川…一題目=歌詞の一番
  • 岐阜…B紙=模造紙
  • 愛知…トキントキンにとがらせる=鋭く尖らせる(鉛筆など)
  • 大阪…三角座り=体育座り
  • 愛媛…鳥の子用紙=模造紙
  • 宮崎…宅習=自宅学習
  • 鹿児島…ラーフル=黒板消し

 ちょっと似たようなのに「○×」は大阪では「マルバツ」といわずに「マルペケ」というし、「だるまさんが転んだ」は「坊さんが屁をこいた」といって遊ぶようだし、「パーマをかける」は「パーマをあてる」、「鳥肌」のことを「サブイボ」という。

 大阪はどちら知らないが、写真の「白黒」を「黒白」と東京の人はいうようだ。

 これらが分からずに辞書を編纂すると大変である。和崎洋一先生の『スワヒリ語日本語辞書』には京都方言が満載である。

 新方言には大学名や企業名も入れることができよう。

 例えば、「キンダイ」というのは北陸では「金大」で金沢大学のことを指すが、東京では「近大」、近畿大学である。

 「北電」というと北陸電力しか思い浮かばないのが北陸人だが、北海道電力や東北電力はどう省略するのだろう?

 富山で「地鉄」というと「富山地方鉄道」ということになるが、他の地方の人は分からないし、中国人が聞いたら「地下鉄」である。

 言葉を区別するのとしないのでは効果が大きく異なる。恋愛したら相手の名前を連呼するのが常道だからである。ロミオならロミオという名前がなければ好きにはなれない。

 僕が数学が分からなくなったのは集合論(頭がいいか悪いかの線引きに使われた)からであるが、これを教えたのが奈良女子大出身のブスで「どうしてこんなブスがいるのだろう」ととんでもないことを考えているうちにバチが当たって分からなくなってしまった。

 こうして恨んで生きていたのだが、大学時代に家庭教師をしていて子供が∪を「カップ」(専門用語ではUnionでUはこれから取った)、∩を「キャップ」(専門用語ではIntersection)と教わっていて、なるほどこういう教え方だったら天才数学者になれたのにと後悔した。

 ほら、平方根だって、年号だって日本人は語呂合わせなかったら覚えようがなかったものね。

 じゃあ、外国人はどうして平方根を覚えているか、君の高校の先生に聞いてみよう。

 蛇足ながら、数学記号の起源を書いておく。“+”“−”は1489年ドイツでジョン・ヴィドマン『商業算術』に、“×”はウィリアム・オートレッドの『数学の鍵』に、“÷”は1668年、ケンブリッジ大数学教授ジョン・ベルによって、“=”は1557年にロバート・レコードの代数のテキストで、“√”は1557年に割り算記号を修正して、“∞”は1665年にジョン・ウォリス『円錐曲線論』でそれぞれ初めて出てくるそうだ。

 「&」も日本では「アンド」とか「Sの逆さま」とか適当に呼ばれているが、英語ではampersandというれっきとした名前がある。

 こうした文字のことを「約物」(やくもの)と呼ぶことがある。

 「々」はなんていえばいいのだろうか?「繰り返し記号」とか俗に「踊り字」とか「重ね字」「畳み字」と呼ばれているようだが、印刷業界はその形から「ノマ点」などと呼ぶ(「寝かせる」という人もいる)。元々、異字体の「仝」が変化したものだそうだ。文部科学省では「同の字点」としている。ワープロでは「おなじ」「くりかえし」などと入力して変換すれば表示されることになっている。

 同じことだが、「〃」は何て呼ぶだろうか。

 実は印刷業界では「ノの字点」と呼ばれるが、普通は臨時に「テンテン」とか「チョンチョン」とか呼ばれるものだ。「?」「!」も特別な言い方をするはずだ。前者は“Quaere”(尋ねる)のQが変化したものとか“Quaestio”(質問)のQとoを変化させたとか、後者は“io”(おお!)を縦に並べたという説がある。他にも「庵点」という、江戸時代の文書の段落の最初に書いたマークがあるのだが、謡曲の歌詞でも見なければ誰もしらないだろう。

 これが効果的に使われたのが『ゴースト ニューヨークの幻』である。殺された恋人は「同じく」という意味でdittoという癖があった。dittoというのは「〃」の業界用語である。デミ・ムーアがゴーストが本当に恋人なのかどうか確かめる時に、この言葉が出てくるのである。

 余談だが、ある時、『ゴースト ニューヨークの幻』が面白いといってビデオを用務のおばさんに貸してあげたことがある。

 返す時におばさんがしみじみといった。

「こんな風に亡くなった人が出てくればいいねぇ。うちの娘の旦那さんは交通事故で亡くなってしまって、こんな風に亡くなった人がちょっとでも出てきてくれればいいねぇ。」

 方言があるのは言葉だけではない。手話は世界共通だと思われている節もあるくらいだが、言語によって異なり、日本の中でも方言に相当する違いがある。

 手話だけでなく、NVC(ノン・バーバル・コミュニケーション)にも方言がある。

 面白いのはクルマのランプの使い方にも方言がある。パッシング・ライトといってヘッドライトを点滅させるのは地域によって「気をつけろ」だが、富山では「どうぞ」という意味になって、相手に通行を促すことになる。ハザードランプ(左右の方向指示器の点滅)も東京へ行くと渋滞の最後尾だという知らせやハザード(障害)を知らせるものだが、地域によって「お礼」の意味をもつことがある。クルマの合図の方言は瞬間的でしかも誤解を招くので非常に危険である。

 トイレなどで「フォーク並び」が提唱されるようになったが、これも「個々のトイレの後ろで待つと来た者順が破られてよくないので入り口で順序よく待って空いたトイレに一人ずつ行きましょう」というよりは簡単にすむ。

 関西で「指つめ」というのも「ドアに指を挟まないように」と説明するよりも簡単に事態を説明できるから合理的ではある。

 アメリカからsexual harassmentという言葉が輸入されて、これが「セクハラ」という略語になるまではそういう被害を受けても説明が難しく、説明できても容易には分かってもらえなかった。僕自身も他の人から「アカハラを受けている」と言われるまで、ある種の人々から受けている嫌がらせが「アカデミック・ハラスメントだとは認識しなかった。

 山田昌弘は『パラサイト・シングル』という本を書いたが、映画の『パラサイト・イブ』のタイトルに寄生してできた「パラサイト・シングル」という言葉は学卒後もなお、親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者のことを指していて、見事であった。それまではいい年をした臑齧り(すねかじり)としか認識されていなかったが、山田は彼らが少子化や不況の原因の一つであることを明らかにしていた。

 少なからぬ人がまだはっきりと意識していなくても心の中で感じていることを外在化できるのが言葉だ。

 言葉というのはまさに「開け、ゴマ」だ。

 ただ、慌てて弁解しなければならないのだが、言葉は確かに開けゴマ、なのだがパンドラの筺も開いてしまうような部分もある。最近では「ストーカー」がそうだ。

 テレビドラマで取り上げられていっきに流行語になってしまったが、この言葉に励まされてストーカーになっている人もいる。

 「援助交際」もそうで、先日、尾道から富山の実家に帰った女の子がロックコンサート(メールで依頼されてチケットを手に入れてあげた)に行こうとして援助交際を迫る男につきまとわれて結局、コンサートに行けなかったということがあった。ごく一部のものが言葉をいじって実体を隠したり、意味合いを軽くすることで他の人が迷惑するなんてひどい時代だ。

 「マルチメディア」というのも実態があんまりなくて一人歩きしていた部分があったように思う。

 ただ、これらは言葉の責任だけではなくて、マスコミの責任が大だといえる。

 こんなに狭い日本でも、しかもこんなに画一化されているようにみえて違うのが方言である。古い方言はもとより、新しい方言が生まれているところが面白い。

 例えば、マクドナルドのことを地方によってマクドと呼んだり、マックと呼んだり、様々だ(マクドというのはほぼ近畿二府四県のみで「ビッグマック」などは「ビッグマクド」とは言わないようだ。チキンマクドナゲット!?)。名古屋は「ミャック」という、という噂もあった。

 先日、電子ブックの『知恵蔵』の「マッキントッシュ」の項を見ていたら「【…】大阪ではマッキンという」と書かれていた。ホントかしら*

 ケンタッキーもケンタとかケンチキとかドチキンなど色々あるはずだ。関西でドチキンというのは阿呆を「ドアホ」というように言葉をより汚くさせることが関西人は好きだからではないだろうか。

 東京で冷たいコーヒーが欲しくて「冷コー」と言ったら、冷たいコーラが出てきたことがある。「冷コー」という地方もあれば「アイコー」というところもあるらしい。

 学生服のことを学ランというがこれも地方差があるはずである。自転車のことをチャリンコというところやケッタというところもある(原付を原チャリというがケッタのところではどういうのだろう**)。「やばい」とか「おちょくる」というような東京方言は昔は使わなかったが、今では方言と意識されることも少ない。

 ホームセンターへ行くことを富山では「オスカーへ行く」というが、オスカーというお店があったのでいうのだが、地方によって固有名詞で区別されるはずだ。コンビニという名前が定着するまで大阪ではローソン、東京ではセブンイレブンで代表されていたのではないだろうか。

 つまり、非常に細かいことで比較的新しいもの、省略形が新方言として定着している。

 もちろん、もっと細かくみるとジャーゴン(集団語)になってしまう。ジャーゴンのすごい例はうちの寮にいっぱいあって物干し場のことをブッカンジョウ(編み上げ靴をヘンジョウカといったのと同様に音読みの軍隊用語)、ベッドをボンク(bunk)というのがいっぱいある。

 テレビの影響で全国どこも同じになったような、この日本でも新しい方言が生まれている。

 新方言というのは、かつては京都だった中心が東京や更に各地方都市までに広がって多重的な方言の波を生み出していることを示しているのである。

 新方言ではないかもしれないが、「ケンミンSHOW」2010年5月07日で放送されたのは、「山口県民は『そうして頂けると助かります』ではなく『そうして頂けるとしあわせます』と言う!?」というものだった。以前、一般的に頼みにくい事を丁寧にお願いする言い方で、全国的に「〜してもらえると助かるのですが・・・」という言い回しの言葉を、島根県民は「喜びます」という表現を使うという内容が放送されたのだが、山口県ではさらに上を行く、「しあわせます」という言葉を使う。山口市役所では「〜して頂けると、幸せますが…」というように頻繁に使っていた。「助かります」は上から目線のような印象を受けるようだ。山口弁では「幸せる」という動詞があり、丁寧に「ます」をつけて「幸せます」という言葉になったらしい。

 新方言は日本だけではなく、どの国にも起きる現象だ。ちょっと事情が違うが、韓国と北朝鮮は別れてから次のように言葉が違ってきたという(渡辺吉鎔『韓国言語風景』岩波新書)。

韓国 化粧室 名曲 養老院 著作 結果 保証
北朝鮮 衛生室 絶歌 養生院 労作 後果 担保

 それにしても大きなテーマを考えたものだと思う。収拾がつかないのではと心配するが、きちんとまとめるのがNHKというものなのだ。

 古い方言に関しては恐らくかなり語られていると思うのでここでは述べなかったが、方言をなくしてNHKが方言を取り上げるのは罪滅ぼしか。


※95年に方言をティーンズネットで取り上げた時の文章。

※全く余談だが、僕が方言に興味を持ったのは中学生の時のNHKの番組「全国子供会議」というのに出演したからである。言語学科に進むきっかけの一つでもある。この番組は僕の出身校の射北中学の学生たちが出演したのであるが、方言がひどくて全国の中学生にはきっと理解できなかったはずだ。こうしてNHKの番組で方言の話をするのは何だか面白い。僕は結局、方言家にはなれず、放言家になってしまった。


■笑説 大越中語辞典(この文章のずっと後に作成)

□ふるさとの方言入り口(この「新方言時代」は日本の方言ページを代表する 47ページ に選ばれています)。

□井上史雄「新方言辞典稿・インターネット版」(1996年版)


※マックを「マッキン」という人は是非メールくださいと書いておいたら松楓庵さんから次のようなメールがきた。そして画像も送られてきた。

漫画家の寺島令子という人が『ログイン』に掲載した『墜落日誌』の中で使っておりました。大阪出身の方のようですが、大阪で一般的に使われているかどうかは分かりません。初めて読んだときにはずいぶん個性的な呼び方だなあと思ったものです。

著者  寺島令子『アスキーコミックス』墜落日誌(2)

発行所 株式会社アスキー 1994年12月22日 初版発行

ISBN4-7561-1125-4 添付画像:同書14ページ4コマ目

※「ケッタ」について澤田朱美さんからのメール。

 私は三重県に住んでいますが、自転車のことは「ケッタ」といい原付のことは「ごんた」(語源不明)といいます。

 私自身がよく使うかと言えばそうではなく、あまり上品ではない言葉と意識しています。

 職業柄高校生に接する機会が多いですが、特に男の子の方がよく使っているように思います。

 あさいさんからは次のようなメールが同じ日に届いた。

【名古屋の方言(新方言)で】正解はケッタマシーンです。

 これに対して、澤田朱美さんは次のように書いてきた。

ケッタマシーンを原付の意味で使われている地方があるとは知りませんでした。まわりの人に聞いてみました。(三重県北勢部・中勢部・南勢部出身各1名)

質問1:「ケッタマシーンとはなんぞ?」・・・自転車3名
質問2:「原付のことはなんて言いますか?」・・・ごんた2名 原付1名

ただ質問1の場合、「普通はケッタって言うけどね。」という注意がついてきました。それから、「何でケッタマシーンって言うんですかねぇ」と言う問いには、「蹴ったら走るでやろ!」と言われましたが多分冗談でしょう。原付をなぜ『ごんた』というのかについては、「ごじゅっしーしーの『ご』にかけてある?」というだじゃれにもならない答えを言う人がいました。


ケッタマシーン 投稿者:COMAO  投稿日: 2000年8月23日(水)20時16分45秒

はじめまして。最近このページを見つけて少しずつ読まさせて頂いております。今の話題と外れてしまって恐縮ですが、「新方言〜」の最後にあった「ケッタマシーン」の語源について、名古屋出身者の立場から一言(メールのほうがいいのでしょうか?)。

私の知る限り、名古屋で自転車のことをケッタというようになったのは20年ほど前からです。
当時、友人から聞いた説明では、きしめん屋などの出前持ちが出前の品を運ぶときに自転車を使用することから、catering machine という英語と「蹴ったら走る」という意味をかけて、ケッタリングマシーンという言葉が生み出されたということです。その後、省略され、ケッタマシーン、ケッタと呼び習わされる様になりました。そもそもの発祥は、地方ラジオ局(多分CBC)の深夜番組だったようです。
「ケッタ」の発祥については未確認の情報なので違うかも知れません。しかし、ある時期急に中高生くらいの年代の人々の間で使われるようになった(と記憶する)言葉なので、ラジオのローカル番組が起源である可能性は十分にあると思われます。

 


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