校正畏るべし〜誤植の 歌毛*
みすぼらしき郷里【くに】の新聞ひろげつつ, |
「先生 お元気ですか |
不明寮に出入りする不通の人が |
…… |
ばらといふ字はどうしても |
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2009年の文化の日のBS「手塚治虫ベスト10」はとてもいい番組だったのだが、最後に凍りついた。生きていたらどんな漫画を書いてほしかったか、という質問に対して高橋源一郎がボードに書いた答えが「末完」だったのだ。「みかんの作品をもっと描いてほしかった」とコメントしたから、「未完」なのだと思うが、かなりの衝撃を感じた。僕も蜜柑が大好きで若いころから「ミカンの大器」と呼ばれたものだったが…。
言語学という仕事に携わっているということで校正を頼まれることがある。
餅は餅屋、というのは無理だが、お菓子屋程度のことはできる(英語で「餅は餅屋」は“horses for courses”という。これは競馬で、右回り、左回りなどの特定のコースを得意とする馬がいることから)。
それでも、他人よりは遥かに早いつもりである。でも、自分の文章はやっぱり校正できない。
大言語学者と呼ばれた服部四郎は言語学の本は誤植があってはならないといった。言葉を議論するのに、その材料である言葉を間違ってはいけない、ということなのだが、実際には難しい。
言語学者も人の子。言語学者にはフィールドワークをする時の聞き違い(相手のいい間違い)や、表記の間違い、写し間違い、勘違い、誤植など敵がいっぱいだ。
個人で作られているのではない、組織的な辞書にも誤植を見つけることができる。
広辞苑第2版では「燃費」が「燃料消費量」となっていた。広辞苑第4版では「かいきえん」の漢字表記が「怪気炎・快気焔」になっていたという。
井上ひさしが見つけた例だと『岩波国語辞典第3版第1刷』の「誤謬」が「説謬」になっていた。まさに誤謬の実践例(操作的定義?)だった。
僕の知っている辞書で一番ひどいのは『スワヒリ語日本語辞書』である。ワープロ普及以前だったので、その誤記ぶりが凄い。
誤植ではないかもしれないが、安井稔編『新言語学辞典』(研究社)では和英対照術語表の順が「あかさなたはま…」の順になっていて変形文法がどんなものか教えてくれる。
文豪だって神様じゃない。夏目漱石が大倉書店から刊行した『文学論』が誤植だらけだった。鏡子夫人の『漱石の思ひ出』には次のよう。
大学で講義した「文学論」を纏めて大倉書店から出版するというので、自分でそれにかかずらっている暇もない。中川芳太郎さんを煩わして校正やら何やら一切合財お任せして居たようでした”。大阪朝日新聞本社への顔見せも兼ねた関西旅行から帰ってきて、“本になっているのを見ると、どうしたものか大変誤植が多い。自分の予期に反したものでありましょうか、こんな間違いだらけな不満足な本は、自分の名によって世間へ出すことはならない、つまり学者的良心が許さない。早速みんな集めて来て、庭先きで焼いて了うといった剣幕でしたが、いかんせん其時すでに市へ出た後なのでどうすることも出来ませんようでした。後でそれでは気がすまなかったと見えて、正誤表を出して方々へ配ったりいたしました。
後に8ページあるいは16ページの正誤表が作られるほどだったが、弟子の寺田寅彦は「行き届いた正誤表がついているという意味からは、著者の良心的なことを示すわけです」とフォローしたとされる。
池内紀は『文学の見本帖』(みすず)の「覗き穴」で書いているが、後に漱石のための『校正文法』(『漱石文法稿本』)という冊子まで作ったという。
漱石は文法に無頓着だった。たいして定見といったものがなかったのだろう。ときには無茶ですらあった。校正をしていた内田栄造---のちの---内田百
---が、あまりに非文法的だと思えるところをたずねると、「そんなことは知らないが、これでいいんだよ」と片づけられたことが何でもあった。
以下のエッセイは自分の本にも誤植があることを恥じない(本当は恥じています)人間が書いていますから、信用しないでください。 □ 日本で一番有名な誤植は雑誌『キング』が犯したものである。何しろ「明治大帝」とすべきところを「明治犬帝」としてしまったのだ。右翼が出版社に駆けつけて大騒動になったそうだ。
犬で思い出したが、四方田犬彦という、勝手に敬愛している評論家がいる。彼が「犬彦」としたのは小学生の雑誌に生まれて初めて名前が載った時のペンネーム「丈彦」が「犬彦」と印刷されていたのをそのまま使っているからである。
1989年に週刊誌『週刊SPA!』2月9日号は記事中、「大正天皇」を「大正洗脳」と誤植した箇所があると判明。発行元の扶桑社は同号を発売中止とし、併せて既に発送した分を回収した。
2004年になっても似たような話があった。週刊誌『女性セブン』12月23日号の皇室記事の見出しに誤りが見つかり、発売を延期することを決めた。同誌編集部によると、秋篠宮さまの誕生日会見を巡る記事の小見出しで「皇太子さま」の「太」の字が「大」になっていた。「小見出しに網掛け処理する際、誤って点を消してしまった印刷ミス。55万部のうち一部を刷り直したため、9日に間に合わなくなった」と説明している。
戦後のどさくさには「美空ひはり」とか「小森旭」などのショーがよく開かれたという。誤植をうまく利用して偽歌手で稼いだのである。十八禁の映画に「不渡哲也」というのが出ていたこともある。
もっとも、淡谷のり子は戦前、片田舎の劇場入り口の垂れ幕に「ズロースの女王来たる」と書いてあって赤面したという。「ブルース」なんて誰も知らなかったのだ。
誤植をそのまま芸名にしてしまった人もいる。
本名を田沼則子。「ただし」と読むのだが、10人が10人まで「のりこ」と誤る。男子として出生届を出したのに、役場の戸籍係は女子に直した。小学校に上がるとき修正した。ところが、係がまた変更した。女→男→女……と戸籍は訂正だらけ。ゴチャゴチャのせいだろう、召集令状が来たのは敗戦の5日前、入隊を待つうちに戦争が終わってしまった。名前の因縁はなお続く。戦後、本名で舞台に出た。プログラムの原稿を見た印刷屋が「男の役なのに、間違いではないか」と勝手に「則平」にした。
ひらがなを使えば、のらりくらりとして喜劇向きだと「三木のり平」になる。「だから印刷屋さんがつけたような芸名だね」と本人は笑っていた。どちらの話も、ウソかホントか定めがたいところがある。とぼけた味わいが、いかにものり平さんなのだ。
-----1999年1月27日「天声人語」人名を間違うのは失礼だ。事務的に誰かに読み上げてもらって確認しない限り、個人では処理しきれない。富山出身の藤子不二雄の一人、安孫子素雄を「我孫子」としてしまったこともある。ワープロで簡単に変換できるから、見逃してしまう。
解剖学者の養老「孟司」も「猛司」と間違って打っていて、後で焦ったこともある。ワープロを「ようろう」で「養老孟司」と変換されるように変えてしまった。
うちの同窓会名簿でいきなり、校長の名前が違っているものがあった。「長坂」が「長沢」になっていて、しかも「長沢」という教授もいたから大変だった。 誤植を見つけると図書館の本でも鉛筆で直しておく癖があって、妻からは止めろ、といわれている。それでいて文章を書くと必ず直してくれ、と頼んでくる。
自分の名前がマスコミに出るぞ、出るぞと期待して出たのが誤植とか言い間違いだったらショックだ(実は何度かある)。人形アニメ「ミュータント・タートルズ」の中にもそんなシーンがあった。僕はよく「神奈川さん」とか「金沢さん」と間違えられる。先日、妻は「金河」と書かれた。何だか韓国の詩人になったみたいだ。メールでも名前を間違って送られたものは無視することにしている。長男の「祐貴」は「釧示右貴」とダイレクトメールに書かれたことがある。長女の「未蘭」は「末蘭」と間違えられることがある。
「聡」という名前の人が「恥」と書かれることが多いと憤慨していた。どこに「恥」と名づける親がいる!
こういうのは交通事故に
合った遭ったみたいなものと無視することが多いのだが、相手によってはムッとして言い返すこともある。「お金があっても川で流れる方の金川です!」。
□ 印刷術が工業的に早く発達したヨーロッパではもっと凄い例がある。
「姦淫聖書」The Wicked Bibleと呼ばれるのがそれで、1632年にBarker and Lucasによって印刷された。これは「十戒」の第七条Thou shalt not commit adultery.のnotを落としてしまった。つまり、「汝、姦淫すべし」となったのだから大変な福音となったのだ。「姦淫聖書」は全て焼き払われ、印刷者は処罰されたという。
1717年にClarendon Pressの発行したものはThe Vinegar Bible(酢の聖書)と呼ばれる。これはルカ伝第20章の見出し、the Parable of the Vineyard(葡萄畑の寓話)を「酢」にしてしまったからである。この他にも「プレイスメイカーズ聖書」(Place-makers Bible)「殺人者聖書」(Murderers' Bible)「臀部聖書」(Breeches Bible)「虫聖書」(Bug Bible)「直立魚聖書」(Standing Fishes Bible)などが知られる。
誤植にもいろいろあって例えば、聖書に「金持が天国へ逝くのは針の穴に駱駝を通すより難しい」(マタイ伝第19章)とあるが、「駱駝(kamelos)」は「もやい綱(kamilos)」の写し間違いで航海用語に疎い修道士が間違ってそのまま定着したという。似たような話では、紅海(Red sea)は葦の海(Reed sea)の写し間違いという話もある(諸説あってややこしい)。
ドイツの宰相ビスマルクが「余はすべてのMadchenに対して正直に単刀直入なる関係を保持せんと欲す」といったというが、本当はMachten(英語のmight)「諸大国」だっという。しかし、編集者が恋に、じゃなくて故意に仕組んでMadchen(乙女)にしたと言われている。なるほど、僕も単刀直入したい。
中国でも誤植の事件がいろいろあり、陳舜臣は「文字事件」というエッセイを書いている(『仙薬と鯨―三燈随筆2』中央公論社)。
ジェフリー・アーチャーの『盗まれた独立宣言』(新潮文庫)は誤植を軸にしたサスペンスになっている(ネタバレになるので書かない)。
誤植がそのまま学名になったものがある。銀杏(Ginkgo biloba Linn. )である。銀杏の音読みGinkyoがケンペルの著書『日本誌』でGinkgoと誤植され、ケンペルが日本から持ち帰ったものにリンネがそのまま用いた。いきなり英語でギンコウGinkgoと言われると驚くことがある。メイドンヘア・ツリーmaidenhair tree(乙女の髪の木)ともいうらしい。ちなみに、日本語で銀杏をギンナンと読むのは「連声」である(ギン+アン=ギンナン)。「いちょう」の名前の由来は葉が鴨の足に似ている事から、中国語で鴨を指す「ヤーチャウ」が訛ったとされる。
『日本誌』はゲーテも愛読したと伝えられていて、『西東詩集』には“Ginkgo Biloba”(1819年に詩が出版された時には"Ginkgo"ではなく "Gingo"だった)という詩がある(Bi二つのlobe葉)。銀杏の扇を広げたような葉に裂け目があって、二枚に見えるからで、ここから愛を歌ったものである(当時ゲーテは66歳で、31歳の人妻マリアンネ・フォン・ヴィレマーに寄せた歌)。勝手にしろ、と言いたくなる詩だが…。
「ギンゴ・ビローバ」
この木の葉は東洋から
私の庭へ移された
賢者を喜ばせるような
隠された意味を享受させてくれる。これは一つの生き物が
二つに分かれたものなのか。
二つのものが選びあって
一つのものになったのか。…
日本語の「ゴキブリ」もかつて「油虫(アブラムシ)」とか「御器囓り(ゴキカブリ)」などと呼ばれていた。しかし、1884年に岩川友太郎が書いた日本初の生物学用語集『生物學語彙』で最初の記述に「ゴキカブリ」とルビが振られていたものの、2カ所目には「ゴキブリ」と書かれ、一文字抜けていた。しかもこの本は初版しか発行されず、間違いを訂正することができなかった。その後1889年に作られた『中等教育動物学教科書』にも「ゴキブリ」と記述されてしまい、この間違いはこれ以降の教科書や図鑑にも引き継がれてほとんど全ての文献に「ゴキブリ」と書かれ、和名として定着してしまったという。本当かどうか分からないが、『日本国語大辞典』には「ごきぶり」の古い例がない。
□ 印刷業もしていたベンジャミン・フランクリンは自分の人生をそっくりそのままもう一度繰り返してみたいと思うか?という質問に対して「私はいままでの生涯をはじめからそのまま繰り返すことに少しの異存もない」と言ったのだが、すぐに付け加えて「著述家が初版の誤りを再版で訂正する、あの便宜だけは与えてほしい」と言った。フランクリンは本当に正直者だと思う。
ただ、これではあまりにも虫が良すぎると思ったのか、「たとえこの願いが許されないとしても、やはり同じ生涯を繰り返せと言われたら、承知するつもりである」と答えている。
□ 教科書には間違いはないはずだが、やっぱりある。教科書出版大手の東京書籍が2002年2月発行した中学公民教科書「新しい社会 公民」が、新潟県中里村の「雪国はつらつ条例」を「雪国はつらいよ条例」と誤記し、自治体名も「中里町」と書いていた。村からの抗議を受け、同社は教科書の採用校に訂正を送った。 「雪の障害を克服し、雪と共存、雪を資源として積極的に活用する」ことを通じて「村民がはつらつとした活力ある村づくり」が目的の条例だった。
でも、僕なら都会の同情を引くために「雪国はつらいよ条例」にするところだ。
□ 日本で使われている英語などの外国語の誤植や文法の間違いに関しては、ここで書き始めるとキリがないくらい多い。これを防ぐにはコピーライターも服飾メーカーも看板屋さんも言語学者を雇わなければならないという法律を作るべきだ!
日本の看板には「除行」、「絶体反対」など漢字のをはじめ、英語の看板になると100メートル毎に間違いを見つけることができる。Tシャツなんかまともなのを見たことがない。
ホームページでYahoo!をYahho!と紹介しているページもある(これはさすがにヤフー株が1億円を超えてからなくなった)。多いのは「アンケート」のスペリングの間違いだ。アンケートenqueteというのはフランス語だからで、英語ではquestionnaireとしなければならない。まあ、日本人的な間違いではある。
コンピューターを使って言語学を研究されている東京都立大学の荻野綱男先生からメールでアンケートが来たが、タイトルには“ankeeto no onegai”と書かれていた。これは日本語として分かりやすいように意識的に書かれているもので、下手な英語を使うよりは遥かにいい。先生はSubject をローマ字で書かれることが多く、外来語はkonpyuuta とか waapuro とかになっている。
井上ひさしが『自家製文章読本』であげている例は次のようである。
何しろ婦人雑誌が「冬のお股のお手入れは……」などと書くくらいである。「お肌のお手入れ」を誤記したのだ。親しくしている中学教師は、この二学期の漢字書取りの試験に、「処女公開」(航海)、「粗国」(祖)、「巣まい」(住まい)と書いた生徒がいたと教えてくれた。
ええっ、「処女後悔」でなくて「処女航海」だったのか!?
□ 日本語は難しい。いや、漢字を使っているから余計ややこしくなる。
「袖触り合うも他生の縁」というが、これは「多生の縁」が正しい(多くの生を経る間に結ばれた因縁、前世からの縁という意味だ)。だが、「他生の縁」の方が定着してしまっている。それに「袖触れ合うも…」と書きたくなってしまう。
「例え話」も「喩え話」「譬え話」が本当だが、「喩えてみれば」がATOKでも「例えてみれば」と出てくる。
例え間違っても、めげないことだ。←「縦令」(たとい)だから、また間違った。
□ 内田樹は「精心」とか「無純」とか書いている学生を見て慌てて『下流社会』(講談社)を書いてしまった。今の若い者にこれくらいで失望することもないような気がするが…。
98年の高専の国語で「非難」と書かせるのがあった。どうだろうと思っていたら、案の定、ほとんど採点が終わった時点にFAXが届いて「批難」でもOKというのだ。揺れの範囲だが、僕自身は好きになれない。採点し終わった先生からも「批難の嵐」だった。
小学三年の息子が持ち帰った書き取りのテストに、「女心と心配」と書かれ、バツ印がついている。驚いた母親が聞きただすと、「安心」の書き間違いだったという話が国語辞典の編纂で知られる見坊豪紀が採集した日本語用例集『ことばのくずかご』(筑摩書房)に出ている。
□ 誤植ではないが、よく間違うのに次の3つがある。うっかりすると僕らも見落とす。これらは「ニュース」(ニューズ)「クロースアップ」(クローズアップ)とかなどと別種のものである。「マルチメディア」を「マルティ・ミーディア」とはさすがに発音しないものの、言語を専攻している人間にとって、日本語でいうか正しい方をいうか、迷うところである。
せっかくだから間違って書いているホームページをgooで検索してみよう。「シュミレーションのことはわが社に」と書かれてもにわかに信じがたくなってくる。おお、のりピーは「100%の恋人」の中で「最後のシュミレーション」ってやっている!
間違いではないが表記としては後者が正しいとされるものがある。
□ クリスマスを「X’マス」X'masとするのは日本人の多くが間違っている誤植である。本来はXmasなので(Xは「キリスト」のギリシャ語の頭文字)「Xマス」でいいのだ(これを説明するためには χριστοσ(christus)がキリストと説明しなければならないのだが、なぜか必ず笑う学生がいる)。
□ 誤植の前に作者が誤記していたらどうしようもない。
間違いやすい名前というのもある。新川和江は『詩が生まれるとき』(みすず書房)でこんな風に書いていた。
題をつける時は、気をつけなければならない。この詩【日録】は目録(もくろく)と誤読され、印刷されることがしばしばあった。また私には『朝ごとに生れよ、私』というエッセイ集があるが、これなどは私自身が『朝ごとに目覚めよ、私』と言い間違えることが、あるのであった。朝目覚めなければ一巻の終りである。
一番ひどかったのはNHKから来た書類に「貴方様」のつもりだったのに何故か(妻は悪意を感じていた!)「方」が抜けていたことである。思わず、「貴様、何様のつもりだ」と抗議をしたかったが、マスコミの報復が怖かった。
おかげでNHKの番組に出るようになったが、その中に「夢先案内人」というコーナーがあった。「夢前」が正しいのだが、「水先」とかけているからだ。日本語を悪くしている元凶にマスコミがよく挙げられるが、ジェームズ・ボンドの『007 危機一発』というのも公開当時は評判が悪かった(「一髪」でないといけない)が、今はシリーズが多くなってややこしいので『007 ロシアより愛をこめて』という原題になっている。
会社名にもややこしいのがあって、最も有名なのが「キヤノン」である。「キャノン」は間違いだ。同じように「キユーピー」「シヤチハタ」など字面をよくしようとしてこんなことになっている。「トョペット」というのはよく解らないが…。
□ 最近ではワープロの誤変換が増えてきた。機械でさえ間違うのだから、人間だって間違う。
「美白」のつもりが「美は苦」になるとか、「研究学園都市」が「研究が食えん都市」、「地区陸上大会」が「チクリ苦情大会」、「入会金」が「乳解禁」、「心配ご無用」が「心配ゴム用」、「常時接続」が「情事接続」、「一つ間違えば大惨事」が「人妻違えば大惨事」、「威嚇用」が「烏賊(いか)供養、「イブは空いています」が「イブは相手います」、「正式名称が」が「正式名生姜(しょうが)」、「男性は数千年前の昔から」が「男性は吸う専念の昔から」、「渾然一体」が「婚前一体」となったりするのは微笑ましい?が、「痴呆公務員」とかなるとホントらしくてゼッタイ澪としそうだ。「私と居て下さい」(渡しといて下さい)なら、相手によっては満更でもない気がしてくる。
作家の清水義範は「ワープロ爺さん」(『永遠のジャック&ベティ』講談社文庫)という短編をものにしている。〈幹事にならん名。どうも変な児が出る〉などと変な感じになってしまうのだ。1981年から不完全なワープロを使っていた僕など、大笑いしたものだった。
日本のキャリア官僚は「ノーパンしゃぶしゃぶ」【古い!】のお店の「お食事券」をもらっていたようだが、「汚職事件」の誤変換だった。
「誤変換の宴」とか「わざと誤変換」というホームページもできているくらいだ。
変漢賞というのもできて、第1回は、好きなテレビ番組を見逃して〈誰か、ビデオとってるやついないか!?〉とネット仲間に呼びかけたはずが〈誰か、美で劣ってるやついないか!?〉と変換された文章を送ってしまった男性だった。第2回受賞作〈うちの子は時価1000円でした〉は、わが子の病因を担任教師に報告した母親のメールだった。〈うちの子は耳下腺炎でした〉と書いたつもりだったが「大笑いされました。まあ、妥当な値段でしょうが……」。
那珂太郎の詩「繭」(『音楽』)には「もももももももももも/裳も藻も腿も桃も」なんていう奇天烈な2行があるが、ワープロで遊んだみたいだ。そこからどれだけ抜け出ることができるかが芸術か遊びかになるのだろうが…。
僕が困るのは「富山」なのに「冨山」と知らずに出てしまい、その後ずっと気づかないまま、「冨山」になっていることだ。富山県民として恥ずかしい。
この対策は、ハードコピー(印刷)して誤植を捜すことだ。ディスプレイと活字では全然違う。といいながら、僕の文章にもいっぱいある。
完壁完璧な文章は無理である。ある人が「心踊る」と僕の掲示板に書いたのをみつけて「心躍る」(躍動するのであってダンスをするのではない)の間違いだよと指摘した人がいた。
これは僕も間違うな、と考えてから、今まで暗い人生だったので「心躍る」などという言葉を使ったことがないのに気付いた。
□ 暗いと言えば、中島みゆきだが、中島は2001年に出した『ウィンター・ガーデン』(幻冬社)で誤植があったとして回収させた。
問題の箇所は178ページの3行目に登場する「足の元から雪が吹き込み 私は常に風邪(かぜ)をひきます」となっている部分。幻冬舎の説明では、正しくは「足の下に何かがあるので 私は気になって俯(うつ)むきます」だという。工場でのコンピューター上の事故という説明だったが、前代未聞の事態で出版社の回収措置は当然。今後の対応は、アーティストのファンに対するイメージなどの面での損害賠償請求も視野にいれて決めたい」と話している。
こういう回収本はきっと高くなる。それにしても、どうしてこんな誤植に…?
□ 誤植に版元はどう対処するか?劇評家の戸板康二は『ぜいたく列伝』(文春文庫)の中で、岩波書店が「志賀直哉全集」を刊行した時のことを書いている。すでに配本を終えてから、ある巻にただ一行、欠落が見つかったそうだ。「すると岩波書店は全読者にそれを送り返すように郵送料を添えてたのみ、改めて完全な一冊を再送したのである」。本の一行が抜けていたところで読者は身に傷を負うわけでもないが、企業の良心というものだろう。
編集の杜撰さで知られているのは平凡社の『柳田國男全集』である。同じ論文が重複して出てくることもあるし、ないのもある。でも、何も手を加えられなかった。文庫本全集は直っているのだと思う。
□ ワープロだとないが、活字を拾っている時代にあったのが、複雑な漢字の取り違えである。トルストイの戯曲『生ける屍(しかばね)』も』生ける屁(へ)になっていたとか、「全力を挙げて」が「金力を挙げて」になったりしたものだ。
出版でなくても、誤植というのは気が重い。古いエッセーなどをOCRで復元してホームページに使うことがあるが、OCRの精度がまだ99.6%程度なので1000字に4個程度が出てくる。これが難しい。「輿」と「與」、「鼇」と「鼈」、「譖」と「譛」などは書いている僕自身分からなくなってくる。どこかで誰かが秘かに、「コイツはバカだ」と思っているかもしれない。
□ ちゃんと自分の間違いを認めるところが学生から「
教師の鏡鑑(かがみ------今知ったがATOK8では「かがみ」で変換できない)といわれるのだが、僕自身の経験も話さなければならない。二校まではするのだが、論文によっては三校をさせてもらえず他人まかせにする。
すると途端に間違う。
ある時、サルトルと書いたらゲラに「サルルトル」になっていた。そこで真ん中の「ル」をトルとして返したら、第2校で「サルトルトル」になっていた。そこで後ろのトルに線を引いてトルをトルと書いたら、第3校で「サル」だけになって戻ってきた。
サルトルも木から落ちる。いや、サルも筆の誤り。
東寺(京都市南区)に所蔵されている国宝「真言七祖像」に書かれている文字が弘法大師(空海)の自筆であることが確認されたのだが、「皇帝」が「帝皇」となっていたり、「折」が「析」になっていたりする部分もあった。寺の職員は「『弘法にも筆の誤り』かもしれません」(「真言七祖像」は弘法が唐から持ち帰り、加筆したとされていたが、書の作者ははっきりしておらず、赤外線写真などで確認された)。
アンドレ・ジイドの『日記』に出ていたと思うが、自分が書いたものに憤慨したロニイという作家が腹いせにMes Coquilles(私の誤植)という文章を書いた。翌日、新聞を広げると大きなタイトルでMes Couilles(“私の金た”までしか書けない)と書いてあったという。
何よりも自分が思い違いをしているのは直しようがない。
一貫の一巻の終わりだ。といいながらも、以外と意外と多い。検討見当違いも甚だしい。なんとか
汚名名誉挽回しなければならない。僕自身は「陳腐」を「珍腐」としてしまって焦ったことがある。今でも思い出すと
油汗脂汗が出てくる。テストで「読み終える」が「黄泉終える」になっていて笑われた。入試だと笑われた程度ですまない。何人も見ても間違いがあるものだが、多くの人に見てもらうことができないから困る。困るのだが、間違いが少しでもあれば、マスコミは鬼の首を取ったように大喜びする。マスコミのために誤植をおかしているんじゃない!
といいながら、自分もマスコミにでるようになって「カツゼツ」が悪いと言われていた。てっきり「活舌」だと思っていたら、「滑舌」だった!文章まで「滑舌」が悪かったのだ。
□ 国語学の先生でも「講議」としていた人がいて抗議したくなった(絶句してそのままにした)。と思っていたら、うちの若い先生でも一人いた。更に、専門なのに「揮発」というのを「輝発」と黒板に何度も書いてあってメマイしたことがあった。ワープロで直っていることも知らないのだろうね。どちらも幸いなことに、ワープロでは出ない間違いだ(だと思っているのにフジテレビ出版の『お厚いのがお好き?』ではソシュールが『一般言語学講議』をしたことになっていてシュールな本になっている)。
あんまりワープロが賢くなると、思い間違いを誤植のせいにできなくなってしまった。
恥を知れ、といいたくなるが、今の若者には「恥」も書けないのがいる。
□ 橋本治は『ロバート本』(作品社1989)の“「一生懸命」で「可哀想」を「双壁」とする、私の文章表記法”という文章の中で自分の本には誤植が多いと述懐している。
ゲラの横に書いてあるチェックがあんまり「何バカみたいなこと言ってんだ、こいつは?」というのが多かったから「なんでェ!!」と書いたらそのまま本文中に組み込まれてしまったという。
「一生懸命」は「一所懸命」が本当だと思っているとよけいにエネルギーを使ってしまい、「一所懸命」に直されたりすると「それっぽっちの“教養”がそんなに大事ィ?」という気になって白けてしまうという。
また、「可愛い女の子を描くことで、江口寿史と吾妻ひでおを双壁とする。双壁とは壁が二つあることで」と書いてしまい、校正係から聞かれて「ええ、ええ、そうなんです、あれはワザとなんですゥ」と答えてしまったことがあるという。
「可哀想」も「可哀相」が本当らしいが、「かわいそう」というのは心の問題だと思うので気がつく限り、「可哀相」は「可哀想」に直しているという。
□ 誤植でもないのに、イチャモンをつけて歴史を変えたのは徳川家康だった。
もっと前にイチャモンをつけた王様もいる。シャルル5世である。1370年、ドイツから呼んだヘンリー・ド・ヴィックによってフランス王宮の塔時計が完成し、その文字盤にはローマ数字が用いられていたが、シャルル5世がV(5)からI(1)を減らすIV(4)の表し方が不吉だとしたため、時計の文字盤の4はIIIIと表されるようになった。敵対関係にあったイギリスなどではなかなか採用しなかったようだが、今や万国共通の表し方になっているが、時計の表示として逆さまになり、そうするとIVはVIと紛らわしくなるという、実用の意味もあったのではないかと勝手に推測する。
□ 誤植ではないが、七尾にあるパチンコのネオンサインの「パチンコ」の「パ」がずっと消えたままということもあった(新大久保駅前のパチンコ屋さんにもそんなところがあった)。
近所に「追放の家」というのがいっぱいあって、元は「暴力追放の家」だったのが、シールの赤で印刷された「暴力」だけが消えてしまっている。初めて来た人はどんなに罪深い町だと思うことだろう。
先日うちのトイレマットが新しくなっていて、それにはUNKOと書いてあり、何事かと思った。が、JUNKO *******のJを僕が踏みつけているのだった。
子どもがスパイスのコーナーで「これ見て!すごいよ」と言ってきたのだが、ただの「うこん」だったのを何かに間違えたようだ。
楳図かずおの漫画に『まことちゃん』というのがあったが、この子の本名は「さわだまこと」。アングルによっては名札の「さ」が消えて見える。これがとても嫌だった、とイラストレーターの和田誠が嘆いていた。
小学生の娘がレンタルビデオ店で借りてきたものの貸出票を見ると「ポルノ」と書いてあってびっくりしたことがある。「ポルノ(グラフィティ)」というグループのCDだったのだが、いい加減にしてほしいと思う。
□ 誤植が芸術となった例がある。
つげ義春の漫画に『ねじ式』というシュールな名作がある(英訳)。
これは元々「××クラゲ」となっていたのを誤植になった。ところが、「メメクラゲ」の方がよりオドロオドロしいのでつげ義春がそのままにしたのである。この場合、メメクジラを立てなかったのがよかった。
東京サンシャインボーイズが「リア王」を上演するために台本を依頼したところ「リア玉」と誤植された台本が納本された。それを見た三谷幸喜は「リア玉」と題する戯曲を書き上演した。
ベートーベンの「エリーゼのために」は本来「テレーゼ(Therese)のために」という曲名だったが、悪筆で解読不可能など何らかの原因で「エリーゼ(Elise)」となったという説が有力だったし、一番受ける話だ。原稿がテレーゼ・マルファッティの書類から発見され、このテレーゼはかつてベートーベンが愛した女性であった。2009年6月に出された説は、ドイツのベートーベン研究者であるコーピッツがエリーゼの正体をベートーベンの知人の妹とする説を発表したと報道された。ソプラノ歌手のエリザベート・レッケル(1793-1883年)をエリーゼの正体とするもので、エリザベートは作曲後3年の1813年にベートーベンの友人の作曲家と結婚したが、交流は長く続いたとされている。
誤植ではないが、さだまさしは「フレディもしくは三教街」という曲を1晩で6曲(「縁切寺」「無縁坂」など)作った中の最後の一つとして作ったのだが、タイトルをどうしようかと思って、両方を併記したままディレクターに渡したという。できあがってきたのを見ると「フレディもしくは三教街」となっていて、こんなタイトルになるべき曲だったのだと思って、そのままにしたという。
ヤーコブソンによれば、ロシアの詩人フレーブニコフは誤植の潜在的な芸術的可能性を褒めそやしたというが、そんな文学ばかりあふれては困る。ジェイムズ・ジョイスは自分だけが分かる文学を書いたが、作者にも分からない文学が生まれてはいけないような気がする。
007シリーズの第1作は『007危機一発』(後に『ドクター・ノオ』という原題に戻る)として公開され、日本語を乱すものだとされた。
テレビの「進め!電波少年」というのが「進ぬ!電波少年」になった。毎週堂々とテレビ欄に載せていたので、誤植ではないと思ったが、気持ちが悪くなる。巖本野ばらにも『それいぬ』というのがあって、これは中原淳一の『それいゆ』のパロディのエッセーになっている。
フレーブニコフらは「異化」を狙ったのだが、これが見え見えとなると、あざとくなってくる。
衣料の「ユニクロ」は“UNIQLO”と書くがこれも間違いから始まったものだった。それまで宇部市で「メンズショップOS」の名称で男性向け衣料品を取り扱っていた小郡商事が1984年、広島市にユニセックスカジュアル衣料品店「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)を開いたのが始まりだ。当初略称の英文綴りはそのまま「UNI-CLO」であった。1988年、香港に現地法人を設立した際、会社登記の書類に略称の「UNI-CLO」を書き間違えて「UNI-QLO」と記入して登録してしまったことがきっかけで、そのまま英文綴りを「UNI-QLO」に変更した商標が採用されることとなったのだ。その方が異化の効果が出ている。
□ 誤植が社会現象を引き起こしたこともある。ニューアカがもてはやされるきっかけは誤植だった。当時、鈴木書店という取次の仕事をしていた井狩春男が『返品のない月曜日 ボクの取次日記』(ちくま文庫)で書いている。
浅田ブームのキッカケは、たった活字一字の間違いで、始まった。浅田彰さんは、本を出す前から、京大ナン十年に一度の秀才であるとか、天才だとかで、学生はじめ関西の版元に知られていた。昨年(1983)の九月末に『構造と力』(勁草書房)が出たときは、そういった学生の間で、カタイ本にしてはよく動いていた。
ちょうどそのころ朝日新聞の書評で小さく紹介された勁草書房の本があったのだが、版元名が間違っていた。「勁」が「頸」になっていたのだ。名前と同様、版元名の間違いは許されない。勁草書房は抗議の電話を入れた。朝日新聞はおわびに何か記事を書くことを約束し、それが11月30日(水)の「若者*わかもの」の欄で、顔写真入りで「浅田彰さんに聞く」という大きな記事となって現れた。ラカン、ドゥルーズ、ガタリ、デリダなどのフランス思想と共に、浅田彰さんが一般の読者に知られるようになったのは、それから二か月後だったと思う。朝日新聞に載らなかったら、我々はいまだに浅田彰の名前を知らなかったかも知れない。
ちなみに「疾風に勁草を知る」とは後漢書の言葉で勁草(けいそう)とは丈夫な草のことだ。突風が吹き、他の草がなぎ倒された後に初めて強い草を見分けられる。つまり逆境は、人間の本当の値打ちをあらわにするという。
□ 呉智英は『言葉の常備薬』(双葉社)の中で、栗田勇が八木重吉に次のような歌があると紹介していたという。なまめかしい歌だ。
素朴な琴
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
牝の美しさに耐えかねて
琴は静かに鳴りいだすだろうところが1週間後に「牝」は「秋」の誤植でしたと編集部が書いてきたという。呉たちは勝手に盛り上がっていたのに…。
吉村昭は文芸雑誌の編集をしていた学生時代、刑務所で印刷すると世間よりかなり割安だと知って、依頼するようになる。2年近く、ゲラの校正に通ううちに、「私たちと、鉄格子の中にいる見えざる印刷部の囚人との間には奇妙な親密感めいたものが生まれてきていた」という。ある日、ゲラの最後に、書いた覚えのない一節を見た。「そこには、『雨、雨に濡れて歩きたい』という活字が、ひっそりと並んでいた」。あきらかに付け加えられたものだった。消すことは苦痛だったが「私は、複雑な気分で、赤い線を一本遠慮しながら引いた」(「刑務所通い」『誤植読本』東京書籍)。
□ こんな風に多くの誤植がある。
作家の場合は編集者が控えているから誤植は少なくなる。他人が入るほど誤植は少なくなる。
それでも、石原慎太郎はデビュー以来悪筆でも有名で、『近代作家自筆原稿集』(東京堂出版)を見るとさすがにのけぞる。推理小説を書かせた江戸川乱歩も石原の原稿を受け取ってしばし呆然としたというくらいで、一人称で書いてあるらしいが、ニンベンしか分からない。「僕、俺、儂」のどれなのかと思いあまったある編集者が、石原に怒る怒る確かめた。すると「ボクのイメージで当然でしょ、僕ですよ」だって。その後、慎太郎係の編集者、植字工が作られたという話だ。丹羽文雄もひどいし、黒岩重吾、西村京太郎もひどい。反対に、井上ひさしの字はとてもきれいで、イラクトレーターのものかと思う。でも、編集者はきれいに書いてくれなくても締切を守ってくれた方がありがたがるだろう。
向田邦子も悪筆だった。江國滋との対談で次のように言う。
「マス(原稿用紙の)に入ります?」「マスなんか、はじめっから入れませんから」「うーん」「その代わり、字はグジャグジャです。『嫉妬』って書いて活字になると『猿股』になっちゃうんです、『手紙』って書くと『牛乳』になっちゃう」(『向田邦子全対談』文春文庫)
演出家の深町幸男は『女の人差し指』(文春文庫)の後書きで原稿が届くと、演出のスタッフ全員が集まって判読する。どうしても分からない所は電話で聞く。「犬の目に眼帯って何ですか?」。大きな笑い声の後の返事は「ごめんなさい、それはね、犬の日に腹帯よ」。
少し擁護しておくと、思考に「筆速」が付いていかないから起きる現象だと思う。レベルが全然違うが、僕もワープロだと文章が書けるのに、手書きになると漢字を書くのが「もどかしく」なって、汚い字になってしまうことがある。
エッセイストの白岩義賢が万年筆の名品を写真で紹介しながら、文章をつづった『華麗なる万年筆物語』(グラフィック社)には、高名な作家や音楽家らの筆跡が収められている。流れるように美しい作家小デュマ、音楽家らしいリズム感をたたえたリストやメンデルスゾーンなどで「文字は人なり」と思わせる。 白岩は「ペンは鍵(キー)より強し」と書いている。
編集者には「誤植の2大法則」があるという。分類できたからといって防止策にはならないが…。
(1)「大きな文字」の誤植はかえって気づきにくい→新聞の見出しや看板など分かりにくい
(2)文字の「順番間違い」はスルーしがち→「発売」を「売発」となっていたときに見逃しがち(「消費」を「費消」など逆にしたがる傾向の人もいるからややこしい)
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□ 昔の編集者はすごかったらしい。神代種亮(“こうじろたねすけ”柳田泉によれば“たねあき”だという1883―1935)は書誌研究家だったが「校正の神様」と呼ばれた。号は葉山人、七松庵主人。荷風の『
東綺譚』にも出てきて、人間嫌いになった荷風が心を許した一人だった。この辺の事情は坪内祐三『古くさいぞ私は』(晶文社)の「『
東綺譚』をめぐる二人の校正者」に詳しい。獅子文六は『食味歳時記』(中公文庫)の中で滝野川のソバ屋でソバを食う会が開かれたことを書いて「その会の世話人は、校正の神様といわれた人で、文壇に顔が広いのだそうだが、私はまだ彼に校正されるほどの文章を書いていなかった」と述懐している。
荷風といえば、矢野誠一に『荷風の誤植』(青蛙房)という本がある。これは三の輪の浄閑寺(「投げ込み寺」とも「供養寺」とも)にある荷風の文学碑で死後4周年を記念して谷崎潤一郎らが建立した碑に刻まれた詩「震災」(『偏奇館吟草』)の一節、「一葉落ちて紅葉は枯れ 緑雨の声も亦絶えたりき。圓朝も去れり紫蝶も去れり。」の「紫蝶」と矢野の『三遊亭圓朝の明治』(文春新書)に書かれた久留米出身で盲目の新内語りで幕末から明治初年にかけて活躍した初代富士松紫朝と同一人物かという話である。何しろ「圓朝」の「朝」は紫朝にあやかってのものだと言われるからだ。結論をいえば、荷風の記す固有名詞にはこうした間違いがよくあるようで、この文学碑にも誤植されたのだという。磯田光一『永井荷風』には「紫朝」となっていて、旧版の岩波全集にも「紫朝」となっているが、最新版の岩波全集では「紫蝶」となっているから、校正というのは難しいものである。
他にも『校正夜話』(エディタースクール)を出している西島九州男(“くすお”)は岩波の校正部の初代課長で大正5年から半世紀にわたって、漱石、龍之介、露伴、鏡花などの全集を手がけ、文化人間賞をもらった。確かに漱石の当て字とつきあっていると何が本当の日本語なんだか分からなくなってくる。
『授業』で有名な不条理作家イヨネスコは若い頃、法律書出版社の校正係をしていたことがある。この体験からか代表作『犀』の主人公ベランジェは校正係という設定になっている。
□ 編集者がいても、間違うこともある。高田宏が書いていたが、金沢の方言で「うら」と書いたら「うち」の間違いではないかと返ってきたという。
橋本治のように書いていることが常識はずれの場合は、編集者が常識で考えることも難しくなる。
漱石の文章などは(今の語法からすると)当て字が多いが、漱石が間違った字を当てたとしたら、誰にも分からなくなって、後世の学者が頭を悩ますことになる。
OEDの編集中にスティーブンスンの文章に“brean”というのが何度か出てきて新しい言葉だろうかとマレーが調べたら“ocean”の誤植だということが分かった、なんてこともあった。
□ 「オールブラックス」というラグビーのニュージーランド代表があるが、この由来はよく動く激しいプレースタイルから、「デイリーメール」の新聞記者が“All Backs”(全員バックスのような動きをする)と評したところ、記事になると“All Blacks”と書かれたからといわれている。誤植からチーム名が生まれたことになる。
※バックスは後方に位置し、ランとパスを駆使してボールを前方に運び、 得点機会を作ったり、長い距離を走ってトライを決めるなどの役割。
□ せっかく誤植のない書物を作っても、読者に気持ちがそのまま届くとはいえない。
誤読が控えているからである。
僕らのような凡人だけではない。スコラ哲学の鉄人、哲人の富ます・秋茄子、じゃなくてトマス・アキナスでさえ、solitude(孤独)をsolicitude(切望)とコドクをゴドクしたという。どうやら、孤独は切望しなければならないものらしい。
最近ではノーベル文学賞の大江健三郎がキーワードとなっている、大切な言葉を誤植したことが知られる。“Rejoice”を“Rejoyce”とやってしまったのだ。まあ、ジェイムズ・ジョイスとごっちゃになった、いやいや、「再びジョイスを」というのにかけているとか、立派だと思われたのかもしれないが、本人は後で「本当のスペリングもちゃんと知っている」と弁解していた。
※『デリダとの対話』(法政大学出版局)を読んでいたら、「第七章 繰り返しジョイスたれ[繰り返し歓喜せよ](Re-Joyce)、イエスと言え」という章があって驚いた。大江は知っていたのだろうか?
□ 世界は誤記、誤植、誤読、誤解に満ちている。
誤解の言語学が必要とされる由縁である。
いや間違った。「油煙」?「湯煙」?これも違った。「所以」である。
本当にシャレにならないが、あの内田樹さえも「洒落」は「酒落」だと間違っていたという。内田の結論は「間違いはどんどん訂正してもらうべきなのだ。現にこう言うではないか。『知るはいっときの恥、知らぬは一生の恥』と」 。
取り止め取り留めのない文章で失礼します。【初掲1998年1月19日】
*「後生畏るべし」なのにタイトルから間違ってしまった。「宴」なのに「歌毛」にしてしまった。よい子は真似しないでね。
※フランス語、ドイツ語に関してはアクセント、ウムラウトは省略したので誤植だと思わないでください。でも、いちいち間違うという手法は読みに杭ね。
※コピーライターの青山さんからは「『呉蜀の宴』って書くと惨獄死、いや三国志みたいですね」というメールがきた。
※試験では「誤植を見つけるのも試験のうち」と書いて問題を避けている。
※「ねじ式」については曽野綾子が朝日新聞 1996 年4月6日に書いた「『ごっこの時代』すくい取る」が秀逸だった。再録されたいなかったが、『マンガ名作講義』(情報センター出版局)に再録されている(書誌がない!)。
※なお、ことば会議室によれば、「校正おそるべし」は次の人がいっていたという。
(1)藤井紫影がいったごとく「校正おそるべし」の名言の通りだ。(新村出「『広辞苑』その後」新村出全集9 p.206)
(2)福地桜痴が論語の「後生可畏、焉知来者之不如今也」をもじって、校正者を戒めたこのことばも、それほどポピュラーになってきたようである。私も借用することにした。〔自序・昭和三十四年八月八日〕 加藤康司「校正おそるべし」(有紀書房,1965.10.01奥付改訂)
なお、大阪毎日新聞社校正部編『文字と闘ふ』(昭和一五)によると(p87-89)、福地源一郎『懷往事談、附新聞紙実歴』(明治三七)にあるそうだ。
このページが細田均さんのホームページで紹介されました。
少女漫画で最大(かな?)の誤植は、って、作家・鈴木輝一郎さんのホームページで紹介されていますね。4月18、19、22日の日記より。
昔のSFマガジンだと、「不機嫌」が必ず「不気嫌」になっていたのがなつかしい。森優氏が退社するまでそうだったんだから、これは福島正実(「正美」じゃないよ、念のため)氏以来の伝統か。
オレがやった最大の誤植は、9月31日発行という奥付の本を作ってしまったことだな。本体価格を間違えたり、雑誌のコードを落としたり、オビのイラストレイター名を間違えたり、イラスト位置を間違えたり(幸いにして、あと二つの間違いの本は市場に出回らなかったですけどね)、たいがいのことはやっているな。オビの単価は1枚2円程度、ということも分かったぞ。しかし、こういった間違いの修正料金をボーナス天引きでやられたら、私のボーナスはなくなっちゃうかも。
2001年6月13日朝日新聞
13日午前11時ごろ、国土交通省から関東1都6県と長野県のダム管理を担当する部局に「何者かがダムを破壊するという情報があるので巡視を強化してほしい」と連絡が入った。「テロ活動」と受け止めた長野県などでは一時緊迫したが、約2時間後、同省から「情報は誤り」との知らせが入り、同省の情報伝達ミスが原因と分かった。
同省によると、13日午前10時ごろ、公安調査庁から同省関東地方整備局(さいたま市)に「(田中康夫長野県知事の『脱・ダム』宣言に関連して)ダムは環境破壊だ、といっている団体がある」との情報が入った。しかし、省内で口頭で伝わるうちに「環境」の2文字が抜けてしまい、そのまま管轄の8都県に伝えたようだ。
2002年2月にスイスのフランス語紙ルタンは誤字脱字など1回のミスにつき5スイスフラン(約390円)の罰金を徴収することにした。同紙の記者不正確な単語のつづりや文法的な間違い、地名の誤りをした場合、罰金を科すことを決めたと発表した。平易でない、読みづらい文章を書いても、罰金になるという。
価格表示が誤植で注文が殺到する事件が続いている。
ある会社がそのままの超破格の値段で提供してしまったが、2004年4月のヤフージャパンが間違ったマックの場合は断ったという。1億台も注文があったというが応じきれる訳がない。
何よりも最初に応じてしまったスーパーがおかしい。というのも、注文した方も、こんな値段はありえない、ということを十分承知で注文しているのであり、誤植だということへの想像力がないとは思えないのである。
こんなことは許されるはずがない。
最初の茨木のり子の詩が実は天声人語に基づいているとは知らなかった。2008年2月24日の天声人語である。
若い世代の漢字力を案じる一文を、1974(昭和49)年の当欄が書いている。教え子の高校3年生から便りをもらった先生が、一読びっくりしたそうだ。「秋も段々深まりました。姉も段々色づきました」。「柿」のつもりが「姉」に間違えたらしいと、当時の筆者は苦笑ぎみだ▼いまの筆者はその年に高3だった。柿を姉とは間違えなかったが、何かのおりに祖父を「粗父」と書いた。「年寄りを粗末にするな」とクラスで教師にからかわれ、頭をかいた覚えがある