金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)

パンティ学・入門〜語源学・仮入門

「引き出しの中にきちんと折ってくるめられた綺麗なパンツが沢山詰まっているというのは人生における小さくはあるが、確固として幸せのひとつ(略して小確幸)。
---村上春樹「小確幸」『ランゲルハンス島の午後』(新潮社)


「語源」(「語原」とも書く)というとどうしても思い出してしまう話がある。

 金田一春彦さんが隠岐に旅行された時である。

 トイレに入ったら、当時はまだトイレットペーパーがなくて草の葉が置いてあった。

 それが「蕗」(ふき)の葉だった。

 国語学者の金田一さんは「なるほど、これが蕗の語源だったのか」と納得したという。

 人は、ある日突然、語源を意識する。

 父とは50歳近くも離れていてあまり思い出がないのだが、小さい頃、連れられて富山市の大和(だいわ)デパートの食堂で「親子丼」を食べたのが唯一の楽しい思い出かもしれない。

 だから、「親子丼」というのは親子で仲良く食べるから「親子丼」だと思っていた。

 大きくなってから「他人丼」というのを初めて食べた時に「親子丼」の語源が分かった(余談だが、「ラーメンライス」という言葉を知った時にどんな食べ物か想像できなかった)。

 こんな思い出は誰でもが持っていることだろう。

 「ままはは」って初めて聞いた時に「ぱぱちち」はいるのだろうかとか、「ねこばば」と聞いて「いぬじじ」はいるのだろうかと思ったことはないだろうか?

 ないと知ったら、「継母」や「猫糞」の語源に興味を抱くはずである。語源から言葉に興味を持つ。「猫舌」と聞いたら「犬舌」は冷たいものが苦手なのかと誰もが考える。

 正月になると「鏡餅」というのが分からない。調べると「鏡」には丸いものという意味があったようで、ただ「丸い餅」といっているに過ぎない。

 こうした語源意識をもっているとNHKを見たときに加賀美幸子アナウンサーの名前はこの「鏡」から来ていることに気付くのである!?

 池上嘉彦は『記号論への招待』(岩波新書)の中で次のように書いている。

 日頃見慣れた景色が、ある時ふとしたことから急に、初めて見る時のような新鮮な美しさに輝いて見えることがある。ことばにも同じことが起こる。『蛤(はまぐり)』というのは日常のことばではある種の貝を指す符号にすぎないけれども、改めて見直してそこに『浜』と『栗』を見出すなら、われわれのこの語に対する印象は一変するであろう。

 これがメタ言語能力というもので、特に語源への興味は「語源意識」という。

 だから、学生たちには語源意識を持つようにと話している。語源意識が言葉への関心につながると思うからである。

 語源というとすぐに「サンドウィッチ」を挙げる人がいるが、これは誰でも知っていることだし、これだけではちっとも面白くない。むしろ、面白いのは日本語で賭博場のことを「鉄火場」ということから「鉄火巻」の語源にも気付くこと(鉄火で熱くなった赤を意味していたようだ)、つまり、同じような現象を身の回りでも見つけることである。

 岡山で「ままかり」という魚を食べたがこれ「まま(ご飯)を借りてきても食べたくなるようなおいしさ」から来ている。なるほど、と思うが、酒の肴に「酒盗」というのもある。これは「酒をぬすんできても飲みたくなる」肴だからだ。そんなにおいしいものが他にもあるか考えてみると一時流行った「ティラミス」がそうである。これはTira mi su.「私を上(天)に連れていって」という、おいしさのお菓子なのだ。 一説によると18世紀のヴェネツィアで夜の街で遊ぶための栄養補給源のデザートだったという。 また別の説ではこのお菓子に含まれている強いエスプレッソのカフェインが興奮をもたらすための命名だという。スポンジにコーヒーリキュールをひたしてあることから、アルコールがほんのりといい気分にさせてくれるとも考えられる。文字通りの「語源」は分かるが、それ以上は証明しようのないことだ。

 お菓子といえば、「金平糖」がポルトガル語のconfeito(英語のconfection砂糖菓子、confectioneryお菓子屋)から来ているというのも有名である。

 なお、「サンドウィッチ」「カーディガン」「ボイコット」のように人名などがモノの名前になるのは「エポニム」(eponym 名祖なおや)と呼ばれる。日本では「出歯亀」(池田龜太郎という出っ歯の変態性欲者の名から)「土左衛門」(水死体が成瀬川土左衛門という力士に似ていたから)「八百長」(これも相撲社会から起こった語で八百屋長兵衛という人の名によると言う)、【柄井】川柳、沢庵【和尚】、隠元【禅師】、【宮崎】友禅、金時豆(坂田金時=金太郎)、金平ごぼう(金平=金太郎の息子)、のろま(野呂松勘兵衛=人形遣い)、阿弥陀くじなど人名から生まれている。ただ、名前を優先させる欧米よりも随分少ない(大体、「ヨーロッパ」だって、「アメリカ」だって、神様の名前や人の名前に由来している)。

 パリのレストランのマキシムは人名から来ているが、マキシムには「格言」という意味がある。これはマキシマム(最大)の名言ということから来ている…。

 こんな風に語源についての蘊蓄を語りたかったら、本屋にいっぱい並んでいる『面白語源辞典』なんていう本を読めば十分である。ここではむしろ、語源をどう考えるかを述べてみたい。

 語源学というのは言語学の中で地位が低い。専門家の仕事ではなくて、素人学者の仕事だと思われているフシがある。ちょうど、クラシックの愛好家に“蘊蓄屋”とでも呼ぶべき人々がいて、演奏家が彼らを嫌うのに似た精神構造かもしれない。知らないことを知ることが大切なのに“蘊蓄屋”は知っていることだけ知っていて自慢する。言語学の場合、“蘊蓄屋”の性癖は誰も知らないような語源を述べて、だから「○×だ」という結論を出すものだ。

 例えば、次のようにギリシャ語やイタリア語を駆使すると蘊蓄らしくなる。リンゴのことをギリシア語では melon (μηλον) という。これは別に歴史の過程でリンゴがメロンに化けた訳ではない。メロンや瓢箪の類を pepon といい、のちにその pepon の一種が melon と pepon を合わせて melonpepon と名づけられた。その melonpepon の前半だけが俗語の中で切り取られ呼び名とされたのが、今日のメロンである。強弱自在の音が出せるというので pianoforte と名づけられた楽器が今日ピアノといわれるのと同じ原理である…。

 語源的思考ができれば文章は簡単だ。どれだけでも書ける。例えば、

 先日、ひょんなことから友人に「ひょんな」って何だと聞かれた。お前は言語学者だろう、調べろ、といわれて「ひょんなー」なんて思ったものだ。

 研究室に戻って調べてみるとなかなか面白い。

 大体、「ひょんな」という言い方は江戸時代からある。

 じゃあ、「ひょん」て何だろうと思って、これまた調べてみると、江戸時代、柞(いすのき)のことを「ひょん」と呼んだらしい。つまり、「ひょん」とできるからだと思っていたら、この常緑の高木である柞には葉に大きな虫こぶができて、子どもたちが笛にして遊んだ。そこから方言で「ひょんのき」といったらしい。

 昔の人はこの「ひょん」を取って、頭にかざしたともいう。目出度い印とされたのである。「ひょん」を神聖なものとして考える古代人の心性に触れたような気がする。

 そこから、「ひょん」というのを予期しない出来事のことを指すようになってきたのだ。

最近は間違って「ひよんな」と書く人も増えてきたが、発音が「ひよんな」とはっきりいうためだろう。

 中には、いい年をした大人までが若者に媚びて「ひよんな」と書いている。

 私はいいたい。

 お前ら、ひよんな!    ←日和るな、でしょ。

 しかし、これは元の意味を知らないでも生きていける現代人にとって、また、言語学を専門とする者にとってもあまり生産的な話ではない。「さかな」というのは「酒+菜」からできているが、いちいちそんな風に分解して考える人はいないし、いたら、おかしい(と思っていたら、国研の調査で関西地方の一部で「うお」と「さかな」を呼び分けている地域があったという。前者は生きているもの、後者は調理されたものだという。なお、前者を川魚、後者を海魚という風に分けている地域もあるそうで、これは内陸では生きている魚は川魚だけで、海魚は調理されたものでしか見ないからだという)。「魚」を「さかな」と読めるようになったのは1973年の当用漢字改訂以降だという。それまでは「うお」として読めなかった。

 そんなことを言ったら「本腰を入れる」(NHKでは使ってはいけない言葉になっている)とか「女性上位」(時代)などを使う度に顔を赤らめなければならない。

 とはいえ、言語学の分野の中で一番か二番目に素人受けがよくて言語学者が言語学を習っていてよかった、と思える瞬間を作ってくれる。何しろ、それまで変人とかにしか思われてなかったのが、いきなり「物知り」と認められるようになるからだ。

 まあ、僕も生意気そうなことをいう人がいて気分が悪い時には、語源を使って、ケムに巻くことを覚えた。英語のヴァニラはヴァギナと「莢」(さや)という意味で語源が同じとか、相手に合わせて適当に語源の蘊蓄を傾けておけばいいのだ。

 もう一つ、素人受けのいいのは「日本語起源論」である。こちらは言語学界の「忠臣蔵」と呼ばれる。「忠臣蔵は芝居の気付け」という言葉があるほど、芝居の入りが悪い時、客足を取り戻す切り札は日本で「忠臣蔵」、西洋で「ハムレット」に決まっている。10年位の周期で思い出したように新しい説が出てきて、マスコミを巻き込んで大騒ぎとなる。学者の系統論だけでも、1889年の大矢透、白鳥庫吉に始まり、1930年代の新村出、小倉進平、金田一京助、50年代の泉井久之助、大野晋、服部四郎、70年代の亀井孝、村山七郎、西田龍雄、80年代の川本崇雄、大野晋、中本正智などがある。

 もっとも素人受けしたのは1955年の安田徳太郎の「レプチャ語説」である。チベットのレプチャ語で万葉集は読める、というものだったが、金田一春彦がすぐに「万葉集の謎は英語でも解ける」(『文藝春秋』1956年7月号)を書いた。「万葉集」というのは「たくさんの頌歌のの陳列」“many+ode+shew(showの古形)”であると喝破した。最近では藤村由加というグループで書いている『人麻呂の暗号』(新潮社1989)などを揶揄して安本美典が『朝鮮語で万葉集は解読できない』(JICC出版局1990)という本を書いた。これによれば「万葉集」は「あなたの手を見せよ」「男たちの昔の船」「農民兵による戦争」「若者たちがくちびるを当てる」「累々たる骨は、だれのものか」という5つの可能性があるという。つまり、どの可能性もないのである。李寧煕の『もう一つの万葉集』(文藝春秋1989)なども同様である。

 富山でも方言を全部アイヌ語で説明しようという人がいる(間方徳松『アイヌ語は日本語の源 北陸篇・南方篇』)。

 そんな人は清水義範の「序文」(『蕎麦ときしめん』講談社1986)というパスティーシュを読んでほしい。ここには吉原源三郎なる学者が日本語を英語で説明するために次のような語を挙げている。

 

 どれだけ馬鹿馬鹿しいか分かってもらえると思うが、本人たちは必死である。

 と学会・編『トンデモ本の世界』(宝島社文庫)にはドン・R・スミサナ『古代、アメリカは日本だった!』(徳間書店)があげられているが、例えば、次のような説明が並んでいるという。

 そして、まさかと思うだろうが、「オハイオ」は「お早う」と説明しているのだ。

 こんなのは偶然の一致だ。ドイツ語の“Name”と「名前」が似ているのは知られているが、“Nanu”というのもある。これは驚きや不審の念を表す際に使う感嘆詞で、日本語の「あれっ?」「何だって?」と同じように「なぬっ?」と使う(短く「ナヌッ」と発音するパターンと「ナヌー」と伸ばして発音するパターンがあり、唇をとがらせて言う)。ドイツ語で“Ach so”といえば日本語の「あ、そうか!」という意味だ。イタリア語で「乾杯」は「チンチン」(Cin cin!)というが、オノマトペであって、日本語のチンチンとは無関係だ(「君の瞳にチンチン」なんて…)。

 『ロリータ』の作家ナボコフも英語の中にロシア語っぽい言葉をまるで珍種の蝶々を集めるようにしていたという。

 他にも探せば「スケベニンゲン」という土地がオランダに、「エロマンガ島」がフィジーにある。どんなところか男としては興味があるが、言語学者としては興味がない(水没したという噂が流れたことがあるが、「イロマンゴ島」という表記になったため)。ただ、これらはトンデモ本だけど、よく売れるから、儲からない言語学の人間としては本当に羨ましい。

 こうしたトンデモ本、妄想史観のルーツは明らかに『成吉思汗ハ源義経也』という本を出した小谷部全一郎である。ジンギスカンはニロンの落人だったのだが、ニロンは日本に他ならず、母ホエルン・イケは池の禅尼、父エゾカイは蝦夷海、テムジンは天神であり、ジンギスカンという名前も源義経(ゲンギケイ)がゲン・ギ・スとなまったものである。という。トンデモ本は病理的現象であり、妄想史観だから、小谷部の精神史を徹底的に調べたのが長山靖生『偽史冒険世界 カルト本の百年』(筑摩書房)である。そして、これ以上の言及はそちらに譲る。

 英語で「台風」のことを“typhoon”だということを学ぶと、日本語から来ているように思うが、英語の方は16世紀に登場している。逆で明治時代末に、当時の中央気象台長・岡田武松が「颱風(たいふう)」を使ったのだ。中国語の「大風」とギリシャ神話のテュポン“typhon”の話が混ざった語源のようである。そして、“typhoon”の翻訳として「颱風」「台風」が日本語に入ってきた。テュポンは黒い舌のちらつく100ものヘビの顔を持ち、目からは炎を噴く怪物で、その口は、雄牛のようにほえ、シュウシュウと音をたてたという。その強さもゼウス相手に壮絶な立ち回りを演じ、一時は手足の腱(けん)を切って動けなくするまで追い詰めたほどだという。だが、人間の食物を食べると急に弱くなり、結局はゼウスの雷を受けて地底の闇に追いやられてしまう。彼はそこで人に害をなすすべての風の父となった。袋をかかえた少しひょうきんな日本の風神とは違ったすさまじい神だ。しかし、アラビア語で、ぐるぐる回る意味の「tufan」が、「typhoon」となり「颱風」となったという説もある。

 言語の起源と民族の起源は違うが、一致する場合もある。日本人の起源に関しては2001年に「NHKスペシャル 日本人」でブリヤート族とDNAが近いことが紹介された。縄文人とアイヌ民族のDNAが近いことも検証されている。

 日本語起源論は新しい段階に来ているように思える。

 NHKのクイズ番組「日本人の質問」に寄せられる質問の半数以上は語源についてのものだという。語源に対する関心は非常に強いのである。にもかかわらず、国語学者の反応は鈍い。

 例えば、柴田武『日本語を考える』(博文館新社1995)の「語源について」には次のように書いてある。

現在、「わたしは語源が専門だ」と語源学者を名のっている専門の国語学者は五人といないのではないか。毎年発表されるおびただしい数の論文の題目を見ても「……の語源について」というものは少ない。あっても、それは、素人や素人に近い人の手になる随想的なものである。専門の国語学者は、語源に研究に対して冷たい態度をとり続けているかに見える。

 2002年には語源が訴訟になった。フジテレビのクイズ番組「クイズ$ミリオネア」に出演した静岡県沼津市の男性会社員が、答えが間違っていないのに不正解とされ、賞金が得られなかったとして、フジテレビを相手取り、賞金650万円の支払いを求める訴えを起こした。 男性は今年2月21日放送の同番組に出演。マヨネーズの語源を問われた4択問題に対し、「人の名前」と解答したが、番組では「町の名前」が正解とされた。男性は、正解なら750万円を獲得できるはずだったが、不正解とされたため、それまでの正解分として100万円しか得られず、「事典などで人の名前という説も有力に主張され、間違いではない」と、差額分650万円を求めている。一般にはリシュリュー公爵が1756年スペインのメノルカ島にある港町 Mahon 港を攻め落とした後、食事を求めたが、調理してなく、食べられるものをかき混ぜて食べたことから「マオネーズ」と呼ばれ、後に「マヨネーズ」となったという説がよく知られている。元々はバイヨネーズといい、フランスのベアルヌ地方のバイヨンヌ(生ハムが有名)にちなむ、マイエンヌ公爵の料理人が作ったから、あるいは卵黄を意味する古いフランス語のモワイユという言葉からきているなどともいわれる。 果たしてどうなるか?【裁判で新阜裁判官は34の文献を取り上げた上で「いずれの文献も町名説に触れているが、人名説に触れているのは一つしかない」と指摘して「人名説があることを考慮して選択肢から除外するなどの配慮を欠いた面はあるが、フジテレビの正解設定には相当性が認められ、正解は町の名前のみというべきだ」と述べた。 男性の弁護士は「少数説が正解とされないことや正解権限が被告側にあるというのは納得できない」と話している】。

 語源で何が正解か探るのは難しい。「バカ貝」という貝があって別名「青柳」というが、「青柳」の方が後(市原市のの青柳で明治期に養殖された)で、「バカ貝」が本当の名前だという。

 「すき焼き」は「鋤の金属部分の上で肉を焼いて食べたところから」というのが現代の辞書の解釈だが、寺田寅彦は「言葉の不思議」で次のように懐疑している。

 話は変わるが二三日前若い人たちと夕食をくったとき「スキ焼き」の語原だと言って某新聞に載っていた記事が話題にのぼった。維新前牛肉など食うのは禁物であるからこっそり畑へ出てたき火をする。そうして肉片を鋤(すき)の鉄板上に載せたのを火上にかざし、じわじわ焼いて食ったというのである。こういうあんまりうま過ぎるのはたいていうそに決まっていると言って皆で笑った。そのときの一説に「すき」は steak だろうというのがあった。日本人は子音の重なるのは不得意だから st がsになることは可能である。漆喰(しっくい)が stucco と兄弟だとすると、この説にも一顧の価値があるかもしれない。ついでに (Skt.)jval は「燃える」である。「じわりじわり」に通じる。
 なすの「しぎ焼き」の「しぎ」にもいろいろこじつけがあるが、「しき」と変えてみると、結局「すき」と同じでないかという疑いが起こる。

 昔から語源に関して多くの人が興味を持っていた。あのプラトン君の話によれば、ソクラテスさんだってheros(英雄)の語源をeros(恋愛)としたようだが、理由は恋愛から英雄が生まれたからというのだ。

 もっと前に遡ると聖書にも例えばish(男)から生まれたからissha(女)だという。現在でもman(男)から生まれたからwoman(女)だという人がいる。つまり、womb(子宮)から生まれたからwomanなどといいかねない。本当はwif(wife)+manでmanは別に「男」の意味ではなかったのだが、そういう説明の方が人気がある。

 というのも、語源というのは証明が難しい。

 その前に、語源といっても単語のでき方に2種類あることに注意しておきたい。

 つまり、「梅干し」というのは「梅を干し」たたものだからという具合に合成語はある程度説明ができるけど、元の名前がどうしてそう決まったかは神様にも分からない。「梅」は中国語の「梅」(メとか発音されていたはず)から来ている(「馬」もマから)が、どうして中国語で「梅」がメなのか、日本語で「干す」ことを「干し」といういうのか(「ほ」+「し」かもしれないが)誰にも分からない。「ダフ屋」は「札」を隠語として逆さまにした「ダフ」から来ていることは言えるが、どうしてチケットのことを「札」というようになったか説明はできない。「チケット」と「エチケット」の関係は分かるが、なぜ「チケット」というようになったか分からないのである。

 語源に遡り、原義を知れば、「真」なるもの(etymos)が判明する、という論理(logos)がある。これを「語源的論理」といってもいいだろう。

 しかし、これは一種の「歴史主義」ともいえ、タマネギのように剥いていったら最後には何も残らないことも多い。

 なぜかといえば、「さかな」が「酒+菜」、「みなと」が「水+の+門」などと語源に遡ることができる。そして、こうした「歴史主義」は「魚」の語源が「酒+菜」だからといって、子どもに食べさせないようなものだ。

 なぜ「酒」が日本語で「さけ」というか「水」を「み」というかまでは分からない。

言語の体系はすべて、記号の恣意性という・万一無制限に適用されたならばこの上ない紛糾をもたらすに相違ない不合理な原理にもとづくものであるが、さいわいにして精神は、記号の集合のある部分に秩序および規則性の原理を引き入れてくれるのである。これこそ相対的有縁の役割にほかならない。

 などとソシュールは難しく書いて(語って)いるが、言語記号は指示内容(意味されるもの)と無関係であるから、遡ることができないということだ。同じことを、ドイツの哲学者フッサールは「伝統とは起源の忘却である」といっている。つまり、起源をたどっていくと、まるで違うものに行き着いてしまう。

 いや、日本語はどこかの言語から生まれたのだから、それを求めれば答えが分かる、という人がいるかもしれない。実際、印欧語の場合は研究が進んでいる。

 中にはこれを突き詰めて、世界の言葉は全て「ヤフェテ語」から生まれたとした学者がいた。ソ連のマールという学者で「マーリズム」とあだ名される。「ヤフェテ語」というのはハム、セムの兄弟である。つまり、ノアの方舟に乗った男なのであるが、ハム・セム語などと同様な言語があったはずで、勝手に「ヤフェテ語」と名付けて人類言語の元だとした。

 この問題はこれだけで長くなるので、はしょるが、マールはソ連の御用学者となり、多くの立派な言語学者の粛清にもつながった。しかし、スターリンはマールを批判した論文「マルクス主義と言語学の諸問題」(『弁証法的唯物論と史的唯物論』国民文庫=新版には載っていない)を書いて彼の時代は終わったのだ。スターリンの論文は唯一、自己批判した文章だといわれている。

 また、「ノストラ語」説というのもある。全ての言語は「ノストラ」(ラテン語「我々」から命名)から生まれているとする説である。これに関してはディクソンが『言語の興亡』(岩波新書)で徹底的に批判している。

 これらは言語起源論とも関係があり、際限のない話で、何とでも思弁的な結論を見いだせるので、1866年パリ言語学会創立に際し、同学会規約第二条で「当学会は言語の起源や普遍言語考案に関するいかなる論文も受理しない」ことが決められている。

 源泉主義はミロのビーナスの両腕を探そうとするようなものである。「民間語源」というのは勝手に腕を想像することである。

 あらびっくりなのは、「アラビア数字」を考案したのはインドだから「インド数字」にしなければならない。インドは数学で最大の発明とされる「0」の発祥地で森本哲郎はインドを「ゼロの文明」と称していた。8世紀には今のような表記が普及し、バグダッドの学者がこの表記と、これによる加減乗除などの計算法を詳述した本を書いたことで、欧州に広まり、「アラビア数字」と誤解されたようだ。

 ある言葉を誰が使いだしたか分からないと同様、語源というのは証明できないものである。「うるち米」の「うるち」がサンスクリットのvrihiから来ていると言われても、誰も一緒にその語を見守ってきたわけではないので分からない。

 稀に証明できるものもある。金田一京助の本に出てくるが、彼は「バリカン」の語源を知りたくてずっと調査していた。ある日、古いバリカンが見つかって、それを見たらBarriquand et Marreというフランスの製造会社の名前が刻んであった。

 最近では黒板消しを「らーふる」と呼ぶのが宮崎、鹿児島、愛媛だけに見られる「方言」だということで、騒がれた。普通はそんな分布をしないはずである。よく調べてみると、実は名古屋のしにせ業者の商品名でいつの間にかこの三県だけが黒板消しそのものを指すようになったという。

 英語っぽいけれどそうではなく、当の業者も語源は分からないと言う。宮崎国際大助教授だった岸江信介さん(方言学・現徳島大)によると、鹿児島では七十代でも使うが、宮崎ではせいぜい 四十代まで。まず鹿児島で教員が広め、宮崎に移ってきたらしい・・・宮崎日日新聞

 そして、驚くべきことに、「ラーフル」というのは内田洋行などでごくごく普通の普通名詞として使われていた。そして、日本理化学工業ではもっと衝撃的な記述があったという。それはオランダ語のRAFELから来ているというものだ。英語のRAVELに相当して「こする、磨く」だというが本当だろうか?

 これを確かめるためにはオランダへ行ってRAFELで通じるかどうか、レアリアが分からなければならない。つまり、オランダ人が黒板消しを「ラーフル」と呼んでいれば問題ない(オランダ語の専門家で『エクスプレス・オランダ語』白水社などを書いている桜井隆さんに聞いたが、思い当たる言葉はないという)。

 他の可能性を勝手に考えると「ウエス」(英語の“waste”から)が「ボロ布」から「雑巾」の意味で使うのと同様、英語の“raffle”(「ゴミ、がらくた」)から黒板拭きになったというものである。

 さて、ここで思い出すのは富山方言である。富山弁ゼミナールには次のような記述がある。

 富山市近在では、今でも70歳を越えた人であれば、時には消防自動車のことを「らふらんす」と言うことがはずである。

 大正10年(1921)8月に富山市は、新威力を誇るロータリー式消防自動車を1台購入した。赤一色に塗られ、異様なサイレンのうなりをあげて街を疾走する姿は、市民の目を大きく奪ったことであろう。この消防自動車が、アメリカのラフランス会社製であったので、人々は消防自動車のことを「らふらんす」と呼ぶようになったわけである。

 消防車のことは他の地方でも「らふらんす」と呼んだはずである。ということは「火消し」からの類推で「黒板消し」を「らふらんす」と呼んだ地域があっていいはずである。その「らふらんす」を縮めて「らふる」、そして「らーふる」になった。

 なんて推測が成立すれば面白いのだが、今となっては誰にも分からない。

 分からない語源で一番有名なのはOKの語源かもしれない。この語源説は30ほどある(とハッタリをきかせると相手は聞いてくれる「色々あるけれど、Oll Korrect<All Correct=All Rightから来ているという説が有力だね……」)。

 こうなるとほとんど呪文の世界だ。幸田露伴は娘の文に掃除を稽古させた。鍛錬と呼べるほどの厳しさで、ぞうきんの絞り方、用い方、バケツにくむ水の量まで指導は細かい。終わると「あとみよそわか」と呪文を唱えさせたという。「あとみよ」は「跡を見て、もう一度確認せよ」、「そわか」は成就を意味する梵語“svaha”で密教で呪文の最後につける語で、密教ではさまざまに解釈するが、元来は仏への感嘆・呼びかけの語だという。江戸の草双紙にも「後看世蘇和歌」(蘇婆訶/薩婆訶とも表記)とあり、露伴の造語ではないらしい。「馬鹿」というのも語源が分からなくなっていて、既に呪文になっているが…。

 語源を遡ると、いろいろのことが判ってくる。

 僕らには日が「暮れる」と「暗い」は無関係のように思われる。ところが古くは夜の「明ける」と「明るい」、夜が「ふける」と「深い」など、これらの動詞と形容詞は密接な関係にあった。「暮れる」と「暗い」は、明りのない古代の人たちの生活を考えれば、まったく自然の関係だった。

 最初の使用者がどういう意味で使ったか、なんてことはその人に聞かなければ分からないし、ある人が一人で「犬」を「ゴッド」といっても聞いた方が理解できなければ言葉は成立しない。

 メディアが発達すると最初に使った人が誰だか分かることもある。例えば、「エッチする」という言葉でセックスという重さから解放したのは島田紳助だということが分かっていて『現代用語の基礎知識85年版』に初めて載った(これさえ明石家さんまという説がある)。好きな言葉ではないが、「視線」と言わず、「目線」と最初に言い出したのは連合の初代事務局長山田精吾だと、ある経済団体の機関紙に書いてあった。視線だと冷たい。目線ならあったかい。山田は、目線を低くして組合員に語りかけたという。「情報」という訳語もドイツのクラウゼヴィッツ(Clausewitz)の『戦争論』の翻訳の際、森鴎外がNachsicht(敵情報知)の訳語として使用して日本語として定着させたというのが定説だが、実際にはさまざまな説が出ている。

 作家のペンネームだって、津島修治がどうして「太宰治」になったか分からないし、『男はつらいよ』の「車寅次郎」という名前も様々な理由が見つけられる。ごく最近のことなのに、語源を探ることは容易ではない。

 しかも、聞いても使っているうちに意味が変わっているなんてことが多い。作家の場合は都合のいい、面白い説があるとその説で通してしまうこともある。「根暗」という言葉を作ったのはタモリであることは間違いないし、「笑っていいとも」という番組であることも、時期も分かっている。しかし、タモリは後に「この言葉は表面は明るいが実は暗い内面を持つような人を指していた」と述べているように、「ひたすら暗い人」を指しているのではなく、屈折した気持ちをもつ人を指していたのである。当然、差別語ではなかった。

 差別語でいえば、「馬鹿チョン」カメラの「馬鹿チョン」があるが、カメラに付いている時は意識しないが、「馬鹿でもチョンでも…」というと意識せざるを得ない(しかし、これは江戸時代からあった表現で差別ではないという説もある---だからといって現在使っていいということにはならない)。

 大好きなのは「ちちんぷい」の語源だ。気休めのまじないなのだが、徳川家光の乳母の春日局が「智仁武勇御代(ごよ)の御宝(おんたから)」の略が語源だという説がある。病弱だった家光が徳川幕府の基礎固めを果たしたのだから威力がある。

 命名論とも関わるのだが、最初に名付けた人の命名の理由は一つではない。自分の子どもにどんな名付け方をしたか、たった一つの理由という人はいないだろう。

 アニメ『となりのトトロ』の由来は「所沢のお化け」というのを、子どもが所沢をいいにくくて「トトロ」となったというのが通説である。ところが、映画の中で小さいメイがお姉さんのサツキに自分が出会ったお化けを説明する時に「トトロ」という。「トトロって、絵本に出ていたトロルのこと?」というサツキの問いかけに対して「コックリするメイ、大まじめ」と宮崎監督のト書きにも書かれているから、メイ本人は確かに「トロル」のことだと思って「トトロ」と発音したようだ。うまく「トロル」と発音できなかったメイは、舌足らずに「トトロ」としか言えなかったということだ。

 語源と原典(“あやかり”のモデル)を区別した方がいいかもしれない。

 「しゃれこうべ」というのを考えてみると「舎利(骨)+頭」だと思えてくるが、辞書をみると「晒れ+頭」という具合に書いてある。僕の頭がただの「しゃれ頭(こうべ)」だった!

 こんなのは笑い話だというかもしれないが、例えば「ねずみ」の語源について説がいっぱいある。

  

  1. 『大言海』などは「根住・根棲」の意味。『東雅』も「ネは幽陰の所をいう。スミは栖の義」
  2. 『日本古語大辞典』などはアナズミ(穴住)説。
  3. 『菊池俗言考』などはネズミ(不寝魅)説で夜も寝ないからという。
  4. 『和訓栞』は人が寝た後、「寝盗」からという。
  5. 『名言通』は人が寝た後、出てネイツミ(寝出見)からという。
  6. 『日本釈名』はヌスミの転だという。

 一つだけ見ると、すごい学者だと思うかもしれないが、実際にはこんな風にして、親父ギャグ大会になっている。特に大槻文彦の『大言海』には大限界がある。その文彦先生だって苦労はしていたのである(『言海』「ことばのうみのおくがき」明治二十四年四月)。

 某語あり、語原つまびらかならず、或人、偶然に「そは何人か西班牙語ならむといへることあり」といふ、さらバとて、西英對譯辭書をもとむれど得ず。「何某ならば西班牙語を知らむ」「君その人を識らば添書を賜え」とて,やがて得て,その人を訪ふ、不在なり。ふたゝび訪ひて遇へり、「おのれは深くは知らず、某學校に、その國の辭書を藏せりとおぼゆ」「さらば添書を賜へ」とて、さらにその學校にゆきて、遂にその語原を、知ることを得たりき。

 ロシアの亡命作家ナボコフも珍種の蝶々を収集するようにロシア語っぽい英語の単語を探すことに熱中していたという。駄ジャレをいわずにはいられない人がいるように、外国語の中に母国語の痕跡を探さずにはいられないというのは母国を失った人の性(さが)なのである。

 「テキヤ」の語源にも諸説あるが、仏教の教えを分かりやすい言葉で説きながら香や仏具を売り歩いた武士「香具師(こうぐし)」が「野士(のし)」と呼ばれるようになり、やがて祭礼や縁日で者を売る商人全体を指すようになる。これが明治以降「ヤー的」に、更に上下を逆にして「テキヤ」になったという説が強い。他に「目の前の通行人はすべて敵と思って商売せよ」という意味からテキヤになったという説もある。面白いと思う説を信じるしかないのである。こうして、語源学者は「テキヤ」と変わらなくなる。

 昔話の「花咲かじいさん」になぜか「ポチ」という犬が出てくるが、「ポチ」というのは日本語としてかなり珍しい音形である。これを英語の“Spotty”だとする人もいる。スポット、つまり、ぶち犬でなければならないのである。更に“pooch”とかフランス語の“petit”からという説もある。調べてみるとポチという犬の名前が流行したのは明治3,40年だという。少なくとも「花咲かじいさん」が今の形になったのはそんなに昔のことではないようだ。が、本当のことは誰にも判らない。

 最初に書いたように言葉の起源は分からない。起源とか根源を求めても、何もないのが本当だ。ニーチェは「始まりの拒否」をしたというのはミシェル・フーコーの言葉だが、語源といっても始まりを考えないことが大切だ。19世紀のパリの言語学会で言語の起源についての論文は認めないことになっているように、起源や根源はない。

 言語学で問題にすべきは「民間語源」のような「発生」である。どのように発生してきたかで民衆の言葉に対する力が見えてくるのである。

 「たぬきそば」の語源は『新明解国語辞典』によれば「東京、世田谷の砧(キヌタ)家で始めたキヌタソバがその始まりという」としっかり書いてあるのだが、「きつねうどん」(もちろん、きつねは油揚げが大好きだから)が先にできていて、キツネ:タヌキ=うどん:そばという図式があって初めて定着したのである。定着するためにも民間語源の力が必要なのだ。

 ところで、関東ではうどんもそばも具材が揚げ玉だったら「たぬき」、油揚げがのったら「きつね」になる。「きつね」は1893年創業の大阪のうどん屋で考案され、後にそば版のたぬきが登場したという。東京では天ぷらの「タネ」を抜いたものだから「たぬき」となったという説もあるのだ。東洋水産が「緑のたぬき」を出した直後には違うという苦情もあったという。

 柳田国男は「節用禍」という言葉で語源に対して戒めている。つまり、『節用集』という辞書に載っているから語源はこうである、ああである、という態度は間違っているという。文字や文書の知識が言葉の姿を歪めたり、解釈を曲げたりする現象を批判している。英語で語源はOEDに載っている通りだと決めつけてしまうようなものだ(山田俊雄にも「節用禍・辞書禍」『詞林間話』角川書店がある)。

 「ねずみ」の語源のように、ある本に書かれていたから語源はこうだ、という決めつけてはいけない。もっと言えば、日本人は文字信仰というものがあって、印刷されたものに権威をみつけ、そこで思考停止することが多い。文字から脱却しなければならない。それはどんな学問でも同じだ。

 語源の場合は、特に後から漢字を当ててあって、「あんばい」が「塩梅」で梅干しを付けるのにちょうどの塩の量だ、という語源説が人口に膾炙される。「案配、按配、按排」(ほどよく配列する)という漢字もあるし、柳田のように「間(あわい)」が変わったものだという説もある。

 しかし、柳田がどんなに偉大でもこの説が正解とはいえないのである。

 もう一つ大切なことは借用である。自国語だと思っているのに、元は外来語ということがままある。天ぷらは日本独特の料理だが、ポルトガル語である。「合羽」や「南瓜」(読める人もすくなくなっただろうけど)なども日本に定着している。

 逆にアイヌ語で「神」は“kamui”、「高坏」は“tukui”などの言葉になっているが、同源と考えるよりは借用と考えた方がよさそうだ(ただし、縄文学や遺伝子研究の進展で見方が違ってくるかもしれない)。

 学者の説も民間の説もそんなに変わらない。だから「民間(民衆)語源」(folk etymology)が生まれてくる。

 「民間語源」というのは古今東西を通じて民衆がいつの間にか言葉を分解して考えているような例である。民衆の語るこじつけの語源解釈だが、なかには的をはずしていないものがある。へたな役者のことを「大根」というが、これは「素人」の「しろ」から「大根」になったとか、下手な役者のことを「馬の脚」というが、これとの連想からという説があるが、大根は生でも煮ても、決して「あたらない」というのは後からできた説でも説得力がある。英語では“ham”というが、不器用な人間を賞賛する minstrel show の歌 The Hamfat Man からの造語で“hamfatter ”の短縮という説があるが、一説には米国の Hamish McCullough(1835-85)の劇団 Ham's Actors からという説もある。

 武士などが使った「一所懸命」が「一生懸命」に変わったのは「一所」を「一生」だと民間の人たちが間違えたからである。

 柴田武が書いているが、「青大将」は「青い」「大将」(お仲間!?)だからと民間語源で考えがちだが、実は「青大蛇」が訛ったものである。「大将」はタイシヤウ、「大蛇」はダイジヤと書かれたことから証明できる(タイシヨウだったら「大蛇」とは結びつかないことになる)。

 こんな風に表記が変わって語源から遠ざけられることが多い。「稲妻」というのは「稲の夫(つま)の意味で、古代、いなびかりによってイネの穂が孕むと信じられていたことから呼ばれたが、今の表記は「いなづま」だけでなく、「いなずま」でもいいとされる。そして、「いなずま」となると語源から離されることになる。

 「むすびの神」は結婚式を司る、ただの「縁結びの神」だと民間では思われているが、もともと「産霊」と書かれていて、「ムス・ピ」から出ていることが国語史から分かってくる。ムスは「苔むす」のムスで「生む」「生み出す」の意味。ピは「霊」のことをいう。つまり、「むすびの神」は、男女に「子を生み出させる神」のことで、結婚しても子どもを生まない夫婦は「むすびの神」に見離された存在ということになる。

 民間語源の典型的なのは「夜這い」であろう。「夜這っていく」からと思われるが、「呼び合う」が縮まったものである。「歌垣」(うたがき)とか「かがい」と呼ばれた行為と同じ風習に遡る。

 日本語の語源を考える時に注意することは、もともと音声だったのが、それに合わせた漢字で書かれた途端に、漢字に引っ張られて解釈することが多く、惑わされるということだ。地名や姓名などの語源などもカタカナで考えなければならない。

 英語だとasparagusをa sparrow+grassと分析して「雀」+「草」だと思っているアメリカ人も多い(実際には“spark”と近い語源を持ち、ギリシャ語の「膨らむ」から来ている)。

 ハンバーガーの語源は「ハンバーグ」から来ているが、「ハンバーグ」はドイツのハンブルグから来ている。都市の名前が語源になっているのだが、問題は「ハンバーガー」から「チーズバーガー」とか「月見バーガー」というのができた瞬間に、これは民間語源でできた語という(「異分析」という)。だって、「バーガー」という代物はなかったのだ。そのうち、ダイエット用で半分にした「4分の1バーガー」なんてものも生まれるかもしれない。

 「帝王切開」(Caesar/Caesarean section/operaion)というのはジュリアス・シーザーが帝王切開して生まれたからという説があるが、実際にはラテン語のcaesarea「切る」とCaesar「シーザー」とをドイツ人がお節介にも間違ってしまい、「シーザー(帝王)の切開」となってしまったのである。

 スコットランドで、新種のゲームが考案され、そのゲームのうたい文句が Gentlemen Only, Ladies Forbidden... (紳士のゲームにして、ご婦人の為すこと能わず...)ということからGOLFになった、というのはウソである。

 面白い話はいくらでも作れる。「ベーコン」の起源はイギリスの哲学者フランシス・ベーコンである。ベーコンは内臓を取り出した鶏に雪を詰めて保存する実験をしていて死亡した。寒空の下で風邪を引いたとも、食した肉にあたったとも伝えられている。冷凍食品づくりの先駆者だろう。その道に携わった人の経験談によれば冷凍の技術よりも、いかにして鮮度を保ちつつ常温に戻すか、解凍の技術に頭を悩ませたという。ベーコンは政策に携わる者に戒めを残している。「いわく遅緩、いわく腐敗、いわく傲慢、いわく軽挙」だという。…というのは全くのガセネタである。

 腐ったような大豆が「納豆」で、箱に納めてもないのに「豆腐」は逆ではないか、などと民間語源がジョークに使われることも多い。

 民間語源が洗練されると物語になる。竹取物語も富士山の民間語源の物語(沢山の兵士が登ったので「士が富める」、不死の薬を燃やしたので「不死」の二つの説)と考えることもできる。そう言えば、かぐや姫が求婚者の一人、あべの右大臣に出した難題は「火鼠(ひねずみ)の皮衣」の入手だった。右大臣は唐に使いを出したが、ニセモノをつかまされ、燃えぬはずの皮衣はめらめら燃えてしまう。「あべなし=あえなし」という語呂合わせで終わるあっけない結末だった。竹取の作者は駄ジャレが好きだったのだ。

 どうして「部屋」というようになったか、という次のような昔話もある。

 結婚したばかりのお嫁さんが、亭主がいなくなると姑と二人きりになる。お嫁さんは窮屈で、何とか夫婦の部屋がほしい。若夫婦なので欲求不満も募ってくる。そして、姑とケンカをして、追い出されてしまう。原因はお嫁さんの放屁がストレスからやたら大きかったということだ。

 家を出て、通りすがりに商人が牛の背に商品をいっぱい載せてやってくる。そこにあった梨の木を見上げて、あの梨を全部もらえらば、俺の荷物を全部あげてもいいのに、と口走った。たまたま、梨の木の下にいたお嫁さんがおならを一発ならした。すると振動があまりにも大きくて、梨の実が全部落っこちた。それで商人の荷物を全部自分のものにすることができた。そこへ亭主が追いかけてきたので、二人で商品を町にもっていき、大金を手にした。そして、とうとう自分たちだけの部屋を持つことができた。

 これが「屁屋」、つまり、「部屋」の語源である。

 もう一つ、日本独自の「民間語源」がある。言葉と次元が違う、漢字の起源に関する「民間字源」である。

 例えば、「漢字って面白いですね。良い時代は“娘”と書いて、家に入るから“嫁”になって、古くなると“姑”になって、顔に波が出ると“婆”になる」なんて説明をする人がいる。「アリは義理堅い虫だから“蟻”って書くんですね」なんていう人がいる。「“泊”と“晒”は逆ではないか、だって、白くする方は“泊”で、陽が西に傾いた時に“晒”のではないですか?」という質問をする人がいる。

 子育ての話で「“親”という漢字は“木の上に立って見てる”ですから、そんな風に子どもを見守ってください」とも言われる。「“歩”っていうのは「少し止まる」と書くでしょ、だから、ちょっと止まっていても前進はしているのよ」…。

 料理家の神田川俊郎は「人を良くすると書いて『食』」だと言っていた。

 これらの多くは漢字の起源を無視した議論なのである。(実際の発音は少し違うが)“娘”をリョウ、“嫁”をカ、“姑”をコ、“婆”をバなどという発音が先にあって、これらを表す漢字の左を意味、右を音としたのであって、右側の旁(つくり)に積極的な意味はない。もっとも、「嫉妬」はどちらも女偏だが、藤堂明保編『学研漢和大字典』の「妬」の説明に「女性が競争相手に負けまいと、真っ赤になって興奮すること」と書いてある。知ーらないっと。

 そういえば、「鮫」は魚類の中では珍しく交尾をすることから、漢字では魚偏に交で鮫と書くという説があるが、まだ確かめていない。

 アリのことをギ、船が泊まるのをハク、布を晒すことをセイと言ったから“蟻”や“泊”や“晒”になった形声文字なのであって、中国語の音を忘れて日本人が勝手に面白いということはできない。

 阿辻哲次によれば「私の話を信用してください。ほら、儲かるという字は“人”の“言”うことを“信”じる“者”と書くじゃないですか」といってトリし寄りを騙す詐欺師もいるそうだ。儲という字は“人”と、字音を表す“諸”からなっている字ででたらめだ。

 民間語源ではないが、「頁」は中国で「頁」の近代音「よう」が「葉」と同音であることから用いたもので、漢字なのにカタカナ表記するところは非常に奇妙に思える。

 今の漢字で考えると間違えることもある。例えば、「親切」はそのままだと「親を切って」何が親切かと思うが、漱石などの頃は「深切」と書いて、「身を深く切られるように、身に沁みること」という意味だったという。今の漢字によって元の意味が裏に隠れてしまう。

 でも、今度から、“「愛」という字は「心」を「受」けると書く”なんて話をして女の子を口説こう!

「蕾」   杉山平一(『杉山平一詩集』土曜美術社)
          
誰がつくった文字なのだろう
草かんむりに雷とかいて
つぼみと読むのは素晴らしい
とき至って野山に
花は爆発するのだ
遠い遠い花火のように
その音はまだ
この世にとヾいてこない

 語源は証明が難しい。方法論としては文献調査、比較、内的再建というのがあるのだが、難しい。「竹取物語」のように文献に書いてあったからといって正しいとは限らない。比較は日本語の場合、同源の言語が知られていないから無理だ。内的再建というのは「さけ」と「さか」が「酒」と「酒屋」で交替する現象を通してどちらが先か考えていくものである。

 「民間語源」に対して「学者語源」ということがあるが、学者だって人の子だ。

 「神」と「上」は同じ語源かという問題がある。貝原益軒、新井白石、賀茂真淵らは「上」からだといっていたが、実は「神」と「上」では使われる漢字の種類が違うのである。同じイの音でも「神」の方は乙音と呼ばれる音で「上」は甲音と呼ばれる音なので違う物なのだ。だから語源は違う、なんてことにはならない。つまり、少なくとも“kam-”の部分は共通していて、ここが同源なのかもしれないのである。

 今の若い人は使わないし、状況自体少なくなっているが「えんこ」という言葉がある。これは「エンジン・故障」の省略だと考えられるが、実は江戸時代の『柳多留』の中でも使われていて、子どもが動かなくなった状況を「えんこ」というから違うことが分かる。語源学では、こうした「○×の語源は△□ではない」という否定的な言い方しか生まれてこない。

 『岩波古語辞典』はそうした証明を飛ばしてできた辞典の一つである。これは言語学者ではなく、国語学者の大野晋が編纂したもので自分の知っている言語で説明できるものは説明してある。「ツマ」というのは端にあるもので「爪」や「妻」というのはここから派生した、というのは構わないにしろ、これを朝鮮語で説明するのは、学会で承認されたものではない。

 英語やフランス語などで「語源学」が成立するのは、インド・ヨーロッパ語族の研究が進んでいて、どの語がどういう派生をしたかすぐに分かるからである。英語の語源を調べたかったらOxford English Dictionaryを調べさえすればいい。American Heritage Dictionaryでも十分に調べられる。

 もちろん、それにも限度があって、風間喜代三先生は『印欧語の故郷を探る』(岩波新書)で次のように描いている。

 どの印欧語をみても、その語彙には語源不明のものがかなり含まれている。ギリシア語についてフランスのP・シャントレヌの語源辞書のあげる全語彙のうち、52.2パーセントが語源不明、残る語彙の6分の1(全体の8パーセント)がセム系などからの借用語で、印欧語起源を持つものは全体の40パーセント以下といわれている。最も古い資料であるヒッタイト語の場合。対応が認められるのは約2割にすぎない.【…】

 比較文法にとってギリシア語は重要な言語である。しかしはたしてその全語彙の何割が印欧語系であろうか。いわゆる地中海文明を担った人たちのものと思われる出所不明の形が,ギリシア語には数えきれないほど見られるが、ホメーロスの「イーリアス」の最初の2行の詩句の中で、印欧語系と思われる語彙は一つも含まれていない。一つの言語の長い歴史を考えればこのような語彙の混合は当然のことである。

 日本語で成立しないのは日本語の起源が分かってないからである。

 今まででもっとも面白かった語源論は村山七郎の「ティダ考」だった。沖縄で太陽のことを「ティダ」という。だから灰谷健次郎の小説『太陽の子』はルビが「てぃだのふぁ」となっている。この語源をいろいろ調べたがなかなか分からず、ようやくたどり着いたのが、「お天道様」と同源で「天道」だった!とするものである。これは沖縄方言との音韻対応など比較が学問的にしっかりできているから成功したのである。それ以外は望み薄だ。実は、村山七郎は日本語が南島語から来ているとする説を唱えていて、日本語起源論は本当に難しいと思う。

 大野晋は朝鮮語で説明することもあるが、タミール語で説明することが多い。しかし、言語学者は誰もタミール語と日本語が同系だとは思っていないのである。

 語源は証明が難しいので「本物」の言語学者は手を染めないものである。


 僕は国語学では素人なので手を染めてみる。

 金田一春彦がウメモドキの語源について書いていたが、「梅に似ているから」というのは間違いで、「もどく(挑く)」は非難する、抵抗するという意味の動詞。中世の芸能では主役と張り合う役を「もどき」といった。つまり赤い実を付けて「梅にだって負けないぞ」と張り合っているように見えるのでウメモドキと名付けた、という。僕は言語学者モドキなのである。

 あくまで一つの例として「パンティ」の語源を考える。

 まず、「パンティ」というのは間違った英語だ。正確にはpantiesと複数形にしなければならない。これは「はさみ」scissorsとか「ズボン」trousersとか「眼鏡」glassesのように対になったものを示すための複数形である。理屈に合っているように見えるが、ブラは単数形だ。“Why is “brassiere” sngular and “panties” plural?”というジョークがある。

 「パンティーズ」で正しいとしても「パンツ」に対して「ィー」というのは何か。

 これは言語学で指小辞と呼ばれるもので、英語ではbirdにbirdie,babeにbaby,pussにpussy【子猫ちゃん】などが知られる。日本語だと「小鳥」「小賢しい」「小理屈」「夕焼け小焼け」の「小」やロシア語では-ka(vodka<voda 水)などがある。

 では、「パンツ」は何かというと日本語は「ブリーフ」など下着を指していてこれもおかしいが、元々はイギリス英語で下着の方をpantsと言っていたからである。アメリカ英語でpantsが「ズボン」の意味になったのだが、最近の日本人がちゃんと「ズボン」の意味で「パンツ」を使っているようにイギリスでもアメリカ英語に押されてpantsで「ズボン」の方を指すようになってきたようだ。

 そのため、日本の年寄りvs.若者と同じことがイギリスでも起きているようで、誤解を避けるためには下着の方はunderpantsという。

 男性の下着のパンツは日本でブリーフとトランクスに区別されている。英語ではbriefsとかshortsとかいう。女性用はpantiesになる。

 なお、下着デザイナーの鴨居羊子は1955年に日本で紐のようなパンティであるスキャンティを発表(紹介)したのだが、当時は「スキャンダル」と「パンティ」を合わせた言葉だとされていた。これは「わずかな」という意味のscantyから来ていて、“scanties”はRandom House English Dictionaryによれば、“a very brief underpants, especially for women”となっていて和製英語ではない。

 さて、「パンツ」の語源はフランス語などの「パンタロン」に由来する。ところが、これもおかしくて日本ではラッパ形に開いた女性用のズボンを指す。

 ではどうして、長いズボンを「パンタロン」といったかというと、19世紀になってからコメディア・デラルテの中で長いズボンをはいた人物として描かれたパンタレオーネPantaleoneという登場人物が長いズボンをはいていたからである。パンタレオーネは女のコロンビーネのお父さんということになっている。もう一人の登場人物はハーレクィン(アルルカン)である。

 喜歌劇の原型とされるペルゴレージの『奥様女中』に出てくる主人のウベルトはまさにパンタレオーネの流れをくんでいる。

 では、この男がパンタレオーネと呼ばれたかというと、彼は出身がヴェネツィアということになっていて、ヴェネツィアの代表的な人名から採ったのである。それは4世紀のヴェネチアの聖パンタレオーネで、「パンタレオーネ」という名前の聖パンタレオーネはヴェネツィアの守護神だったからである。この神様はだぶだぶのズボンをはいていた。キリスト教でライオンは聖マルコの象徴(『エゼキエル書』1:10に登場する四つの生き物に由来し、それぞれ四人の福音記者と福音書にあてはめられている)で聖マルコはヴェネツィアの守護聖人であるため、サン・マルコ(聖マルコ)広場 にあるライオンの像を始め、ヴェネツィアのいたるところでライオンの像を見ることができる。ヴェネツィアには彼の名前を取って名付けた人が多かったことは容易に想像できるし、そのため、ヴェネツィア人の代表的な名前の一つになったことも想像できる。


サン・マルコ寺院のライオン

 鹿島茂『フランス歳時記』(中公新書)には次のように書いてある。

…聖マルコは、聖ペトロの弟子で通訳もつとめ、福音書『マルコ伝』を著した。聖遺物(遺骨)がヴェネチアに箱がレ他ところから、ヴェネチアの守護聖人となった。サン=マルコ聖堂や広場は彼にちなむ。ペトロの通訳だったところから、通訳の守護聖人であり、ペンと本、それに翼のあるライオンがエンブレムになっている。

 ヴェネツィアの水夫たちはこの種のズボンを着用していたが、市民服にズボンが登場するのは18世紀のフランス革命時である。キュロット(culotte“半ズボン”)をはいた貴族に対して、長ズボン姿の職人や労働者をサンキュロット(sans-culotte“キュロットなし”)とさげすんだのだが、本人たちには誇らしかった。こうして愛国党員は縞のパンタロンをはいて半ズボン派を打倒した。これ以後男子服にパンタロンが定着していった。もし貴族と庶民のズボンが逆だったら、今ごろ半ズボンにタイツ姿が標準になっていたかもしれない。

 OEDによれば、パンタレオーネの意味で最初に使われたのが1590年で、ズボンの意味で使われたのが、王政復古の頃の1661年だということも分かる。

 この後は言語学の問題ではなく、歴史学や社会学など別の分野のお話になっていく。

 クレオパトラなどはチュニックと呼ばれる、下着みたいな上着みたいなものを着ていたが、パンティははいてなかった。シーザーの方は英語で“loin cloth”と呼ばれる腰巻きみたいなものをつけていたが、同じくノーパンだった。ただ、これが現在のパンツのルーツになっているという。

 クレタ島の女性たちに胸を強調したシルエットが流行して、胸は大きく開き、スカートの裾はふわりと広がった。

 15世紀になって十字軍を契機に東方文化が流れ込んできた。留守の間、心配なものだから「貞操帯」(chastity belt)が発明された。金属製の鍵がかかる立派なものだったが、もちろん、鍵なんて簡単に開けられただろうし、逆に、これが取れなくて、不潔になって病気になった女性も多かった【今も売られているので興味ある人は自分で検索してね】。

 フランスでは16世紀にイタリアからルネサンスをもたらしたカトリーヌ・ド・メディシスがカルソンと呼ばれるズロースを履いたことが知られている。乗馬が趣味だったが、脚線美が自慢だったカトリーヌは横乗りはしないで、脚部が見えるように左足だけをあぶみに乗せて、右足は折り曲げて鞍の上にのせるスタイルを好んだという。するとスケートがめくれて美脚が見せられることになったのだが、はずみで奥の方まで見えてしまうというジレンマに陥った。ということで、男がつけていたパンツをつけることにしたのだという。

 男女平等のルネサンスの精神が服装でも花開いたのだが、宗教改革のためにあっさりと姿を消した。やがてフランス革命の後、パンタロンが女性に広まったが、娼婦たちが履いたこともあって「不作法だ」とか「ふしだらで悪魔的」とブルジョワから攻撃された。こうして一進一退を繰り返しながら浸透していき、修道院も「慎みの筒」として認めるようになってきた。

 ジョージ3世(1806年)の時代、王宮で開かれた華やかなパーティで、シャーロット姫が椅子にスカートをふわりと広げて腰掛けた。お姫様の従姉妹が見てびっくりした。スカートの裾から下着が丸見えなのだが、姫はこれがおしゃれだと言ったという。穿いていたのはスリムなモンペ【古い!】みたいなものだった。これが「パンタレット」(pantalets)と呼ばれて大流行した。みんな目立つために、スカートの裾からのぞく下着の足首の紐にリボンやレースをつけて飾ったという。

 1830年代を過ぎてビクトリア王朝時代になると再びノーパンになったという。この時代はフランス革命の反動で、性は汚らわしい、嫌らしい、下品な、隠すべきものと考えられ、女性の体の輪郭があらわになると性的だというので、バッスル(婦人用スカートの後部を膨らませるために用いる腰当て)とかクリノリン(スカートの広がりを支えたペチコート)を使ってスカートを膨らませたり、ロングスカートにより脚が露出しないようにしたという(『ジャポニカ』参照)。

 英語に“bowdlerize”(「わいせつ部分を削除する」)という言葉があるが、イギリスのシェイクスピア学者バウドラー(1754―1825)が性的な部分をすべて削除した『家庭向けシェイクスピア』を出したりして出版物から性を追放しようとしたからだ。しかし、その裏面ではポルノグラフィーが流行し、ロンドンには8万人の売春婦がいて40万人の男がこれに関係し、1851年にはイングランドとウェールズの成人女子の8%が私生児を産んでいたという。

 そして、ズロースの時代になる。“drawers”というと「ドロワーズ」が正しい発音だと思われがちであるが、「ドゥローズ」で日本語はしっかりしていたのである。元はイタリアの女性が乗馬の時に穿いたといわれる。考えてみたって、何も穿かないで馬の堅い鞍に乗るわけにはいかない。鞍なしだと馬の方が背中がくすぐったくて仕方がないだろう。

 なお、18世紀のオランダにはズロース条例というのがあったそうで、「ズロースを他人が穿いているのが分からせるべからず。ただし、次の場合は着用が判明しても可とする。(1)高いところに立って窓を拭くとき(2)スケートをするとき」だったという。ただし、ニーナというプリマバレリーナが踊ってズロースが見えて、逮捕されたともいう。

 1848年、アメリカのエリザベス・ミラー夫人によって始められ、1849年にアメリカの女性解放運動の機関紙「リリー」の編集長だったアメリア・ブルーマー女史(A.J.Bloomer)がブルーマー服なるものを提唱する(考案したのはエリザベス・スミス・ミラー夫人)。女性の地位向上のために改良された衣服でズボンの採用が特色だった。ブルーマー女史は「スカートの下には必ず、活動的な下履きをはきましょう」と提案した。しかし、当初ニューヨークでは受け入れられず、1851年ロンドンで発表するに及んで、大きな反響をよんだ。アメリカではのスタイルは女性解放運動の象徴となり、反対派からの非難やからかい、風刺の対象となり、ブルマー女史本人もわずか8年ほどで着用をやめ日常着として定着しなかった。1880年代のアメリカでセーラー服と組み合わせて着用するブルマー型ズボンは女子体操服として復活し、この時期、日本から留学していた井口あくりが帰国して東京女子高等師範学校に赴任し、女子体育教育の重要性を説き、併せてブルマーの普及に情熱を傾けた。女子が男の領分=ズボンに侵食していくことについては社会的な反発や抵抗があった。それでも、政府の富国強兵策にマッチする健康な母体作りに繋がることもあって学校体育界を支配していく。

 おかげで、日本でもちょっと前まで、腿の部分にゆとりのある「提灯ブルマー」や後のぴったり化繊のものが女子高生のシンボルだったが、おじさんがそう思っていただけで女性たちはあまり好まなかった。これについても高橋一郎他の『ブルマーの歴史』(青弓社)があり、1851年に考案されたものが、80年代に復活し、日本に井口あくりという人が普及に情熱を傾けた。ところが、1990年前後の10年間にすっかりなくなったのは93年に「ブルセラ・ブーム」が起きたためにいかがわしい感じを与えるようになったということだ。後に中嶋聡『ブルマーはなぜ消えたのか』(春風社)という本も出た。ただ、これだとスカートだっていかがわしいかも知れないし、何よりも好んでミニにしたがるのは女子高生なのだから説明はできないような気がする。

 フランスでは1880年以降、自転車の普及とともにスカートをはかない女性が生まれてきた。同時に、スカートを膨らませるクリノリンが廃れてしまい、プジョーなどもともとクリノリンを作っていたメーカーは自転車メーカーになっていったという(プジョーがクリノリンに関わっていたことは公式ページに書いてある)。

 性を汚らわしいものとしたビクトリア朝の考え方は、第一次世界大戦後のマスコミや交通の発達、ジャズや映画の流行、女性解放などによって消え去り、性をありのままのものとして受け入れる傾向が広まった。

 “panties”という語が記録されるのは1845年だが、実際に広まったのは1924年以降、つまり、「フラッパー」と呼ばれる新しい女性たちの出現と深い関係がある。シャネルがファッション的に満足のいく下着を次々に発表したといわれている。

 1959年のオットー・プレミンジャー監督映画で『或る殺人』(Anatomy of Murder)では「パンティ」という言葉が恥ずかしくて使えない状況が描かれている。「レイプ」を扱った事件なのだが、法廷で何て呼べばいいか問題になる。「レイプ」という言葉も最初「トラブル」と言いかえられた時代なのだ。裁判官がジェームズ・スチュワート演じるビーグラー弁護士とジョージ・C・スコット演じる検事を呼んで相談するがまとまらない。“アンダーウェア”という案も出てくるのだが、「それは一体何だ?」「パンティだ」という議論がされ、すったもんだする。“アンダーウェア”ではレイプの緊急性が出てこない。フランス語案も出てくるのだが、よけいイヤらしい感じが出てしまうとかで避けられる。結局、判事は「パンティ」(“OK, Mr. Biegler, you've got your panties in evidence now. ”)を使うことにして裁判を続ける。なお、この映画で判事を演じたのは実際の弁護士のジョーゼフ・ウェルチで陸軍の弁護士としてマッカーシー上院議員を叩きつぶしたことで有名だった。

 日本人はパンティを履く習慣がなく、脱がす楽しみももたなかった。『古事記』には「帯、衣、褌」の文字が出ているが、「褌」といっても袴みたいなものだったらしい。大宝律令(762年)の衣服令には女性は膝まである上衣と帯と肩掛けをして、下には腰巻き状の布を巻くと記述されている。平安時代の十二単の下はノーパンだった。

 慶応2年に福沢諭吉はズロースの存在を知って効用を説いているが、日本女性はスカートをはくようになってもズロースをはじめとする様式の下着にすぐになじめず、下には腰巻きをしていた。鷲田清一は「洋装下着の受容と身体感情の変容」(『近代日本文化論3 ハイカルチャー』岩波書店2000年)で次のように書いている。

それは、きものが身体にふんわりとまとうものであって、身体に密着し、それをしっかり梱包するという感覚に乏しかったからかもしれない。しかし被われるべきプライヴェートな身体という観念、あるいは「秘部(ATOKで変換できず!)」という表象になかなかなじめなかったということが、より大きな理由として考えられるかもしれない。じっさい、わたしが幼児であった昭和二〇年代後半には、まだまだ近所に上半身はだかで夕涼みするひと、きものの裾をめくり上げて後ろ向きに立ち小便する女性が、道ばたにごくごくふつうにいた。

 1932年2月23日に白木屋火事(99年に閉店となった東急日本橋店の前身)が起き、下から見られるのが嫌で、そのまま焼死したり、和服の裾を押さえようとして墜落死した女性が14名もいた(朝日新聞百年史の中にこの記事が載っている)。それまでは毎日閉店後に掃除婦が掃くと野球のボール大のヘアが集まったそうだ。この事故の後、パンティを履くことが奨められたが青木英夫『下着の文化史』(『下着の流行史』改訂・雄山閣書房)によればせいぜい1パーセントという。ただ、東北の女性は「もんぺ」とか「もんぺえ」という下履きを履いていたようだ。やっぱり寒いからだ。「もんぺ」が普及するのは第二次世界大戦中だったが、これは国防と深い関係があった。

 なお、井上章一は『パンツが見える』の中でこれが伝説だとしている。パンチラを恥じる女の羞恥心、それを悦ぶ男の助平心という図式が成立するのは井上によれば1950年代で実はつい先日のことだという。それ以前の一般的パンツ観は「股間を隠蔽(いんぺい)する保護膜」以上のものではなかった。それがどのようなプロセスと力学によって高度の記号的変換を遂げるに至ったのか?一週間後、白木屋の山田専務が新聞記者に語った談話が次のようだという。つまり、防火体制の不備の責任をパンツのせいにしてしまったのだ。

 「女店員が折角(せっかく)ツナを或はトイを伝わって降りて来ても(略)下には見物人が沢山雲集(たくさんうんしゅう)して上を見上(あげ)て騒いでいる、若い女の事とて(和服の=藤森注)裾(すそ)の乱れているのが気になって、片手でロープにすがりながら片手で裾をおさえたりするために、手がゆるんで墜落をしてしまった。(略)こうしたことのないように今後女店員には全部強制的にズロースを用いさせる積(つも)りですが、お客様の方でも万一の場合の用意に外出なさる時はこの位の事は心得て頂きたいものです」

 隠すだけならそれまでの腰巻きでも十分なのに、なぜ女性はパンツをはくようになったのか。

 パンツは防犯用に使ったという。パンツが急速に普及する昭和10年代から戦後にかけての時期、今は死後になった「ブリキのズロース」というすごい言葉があって、男相手の接客業の女性たちが二枚、三枚と重ねていたという。敗戦後は、アメリカ兵対策として良家の子女が二枚、三枚と履いたという。似たような話が井上ひさし(「いのうえ」というのに「いのした」が気になるのだろうか)の『青葉繁れる』にはデートするのにワンピースの水着を着ていく女の子の話が出てくる。

 ヨロイのようなものであって、パンツが見えること自体は何ら恥ずかしくはなかった、と井上章一はいう。ただ、例外は野坂昭如で、世間のほとんどがパンツをヨロイとしか見ていなかった時期にいちじるしくパンツ・コンシャスで、脚の魅力に敏感な谷崎と対抗的な資質だと指摘する。そして結論は「パンチラが、新しい眼福として公認されるのは、やはり、一九五〇年代後半からであったろう」だという。

 留学生たちにも若い女性がパンティを見せないようにするのは奇妙だといわれたことがある。だって、パンティを履いていたら、別に変なもんが見える訳ではないじゃないか!僕が高校生の頃、朝日新聞に掲載されていた『フジ三太郎』がパンチラにあれほどこだわる理由がよく分からなかった。でも、それは性のシンボルだったのだ。シャネルの5番しか身につけなかったモンローがセックスシンボルとして持てはやされたように、パンティはシンボルだった。このことを上野千鶴子は『スカートの下の劇場』で次のように書いている(言われなくても分かるが)。

 バタフライ【ストリッパーが局部につける小さい布】が意味しているものは、機能性ではなくて、シンボル性です。ストリップ・ティーズは、男のもっている女性の身体に対するファンタジーに合わせて、女が演技します。そのファンタジーの求心点は当然女性器ですから、その周縁からまわりこんで行って、最後に求心点にストンと入る。その焦らしのテクニックの中で、最後に取り去る小さな布切れがバタフライです。つまり最後の部分を隠す、取るために隠す装置です。

 パンティの起源はそれしかないのではないか、と思えてくる。そうでも考えないと、ブルマー型のパンティからいまのようなタイプのパンティへの変化は、断絶が大きすぎます。

 しかしながら、上には上がいるもので、鹿島茂は『関係者以外立ち読み禁止』(文藝春秋)の「白木屋ズロース伝説について」でフランス人が同じような話をボン・マルシェ(このデパートについて詳しくは鹿島茂『デパートを発明した夫婦』講談社現代新書)の話として聞いたという。

 ようするに、十九世紀の末のフランスにおいても、戦前の日本のように、パンティの類は一部の女性の間では普及していたものの、なお、それをまったく身につけない女性がかなりのパーセンテージで存在していたのである。そして、こうした認識が広く社会に受け入れられていたからこそ、若い女性が多数いる大型デパートなどで火事が起きると、下半身が丸だしになることを恐れた女性が焼死したり転落死したりしたという伝説が生まれたのだ。あるいは、ボン・マルシェが火事になった一九一五年でも事態はそう変わりはなかったのかもしれない。

 都市伝説が生まれるのは、それをいかにもと思わせる社会構造が存在しているときである。もっともらしさのほうが真実よりも流布するスピードは速い。これだけはいつの時代も変わらないようだ。

 こうして、現在に至るのだが、こんなことは言語学の話ではなく、歴史学の問題だ。

 なお、ズボンの起源については米原万里が『ガセネッタ&シモネッタ』(文藝春秋)の「フンドシチラリ」で馬上民族のモンゴル起源説をチラリと述べている。『発明マニア』(毎日新聞社)では「故ローマ法王ヨハネ・パウロII世の秘密発見」というエッセイを書いている。法王は何と、マザー・テレサのパンツを大事に持っていたというお話だ。本当かどうかは是非、読んでみてください。

 文学の問題になるかどうか知らないが、丸谷才一には「パーティでパンティが脱げたら」というエッセーがある。他人の家のパーティでパンティが脱げてしまった時の対処法をいろいろ考察してあるのだが、パンティがそんな簡単に脱げるものとは考えられない。

 と思っていたのだが、ある時、同級生が「あの時はびっくりしたなぁ」という。小学校5年生の時、担任のI先生が教壇で何かパニックしたのはしっかりと覚えているのだが、何が起きたのか、後ろの席の僕には分からなかった。

 いわゆる三十年ぶりの真実となったのだが、その時、I先生のパンティが突然、床に落ちたのだという。

 文学には通暁しておくものだと感心した。

ひとくちで言ってしまえば、彼女は1967年の夏を一人で引き受けたような女の子だった。彼女の部屋の戸棚には1967年の夏に関するすべてが、整理された下着みたいにきちんと収められているんじゃないか、という気がした。
     -----村上春樹『夢で会いましょう』

 ところで、加藤主税の『日本語七変化』(中央公論新社1999)によると、最近の若い女性はパンティをはかないのだそうだ。

 下穿きはちゃんとつけるのだが、世俗の垢で下穿き以外のニュアンスのほうが強くなってきたせいなのか、「パンティ」と呼ばずに「パンツ」という女性が増えてきているのだと書いている。

 しかし、この記述は必ずしも正確ではない。というのも女性が元々、パンティを「パンティ」と呼んでいたかどうか怪しいのである。確かに特に区別する必要があれば「パンティ」ということがあるが、女性どうしの話でも「下着」といったり、「パンツ」と言っていたのである(ただ、彼女らは「ズボン」のことも「パンツ」といって困ることがある)。

夕暮の繁みの中で彼女は茶色のスリップオン・シューズを脱ぎ、白い綿の靴下を脱ぎ、淡い緑のサッカー地のワンピースを脱ぎ、あきらかにサイズが合わないとわかる奇妙な下着を取り、少し迷ってから腕時計を取った。それから僕たちは朝日新聞の日曜版の上で抱き合った。-----村上春樹『風の歌を聴け』

 つまり、最初からオジサン言葉だった可能性がある。


□ラーフル考

□語源探偵団(会社名・商標など)

□米、英、日で違う「パンツ」の解釈


※なお、冒頭の「蕗」の語源については、冬に黄色い花が咲くから「冬黄」などの説がある。

 その後、マールに関しては田中克彦『スターリン言語学精読』(岩波書店)が出た。言語は上部構造か否か、という問題について、スターリンが発言している。


 また、次のようなメールもよく届くが頑張ってくださいというしかない。

 前略・貴HPを拝読しました。
私は、「古代史の謎は語源で解ける」と確信して、研究しています。
古代倭語が朝鮮語に臍の緒を留めているし、九州弁に名残りがある、としています。
インド・ヨーロッパ語屬と数万年前に無縁であったと断言できる要素は無い、とも思っています。

くれぐれも語源について僕のところに質問をしないで下さい。
日本語の起源を見つけたというのも僕に判断するのは力不足です。
絶対にメールや書籍を送って来ないでください。


   

言語学のお散歩    please send mail.