金川 欣二:マックde記号論


(講演)家族の文化人類学


 以下は、「家族の文化人類学」という講演の要旨(メモ)である。


●今、家族が問われている

いじめ、不登校、家庭内暴力、テレクラ、援助交際など問題が山積み。教育が問われているといってもいいが家庭の教育力が落ちている。

僕自身、うちの子育ての真っ最中で偉そうなことはいえない。基本的なことはホームページに書いてある。

ここでは比較文化の眼で話す。自分の育てられ方、子供の育て方を相対化する必要。

坂口安吾の「不良少年とキリスト」は入水自殺した太宰治へ激しい怒りを叩きつけたエッセイで、「親がなくとも、子が育つ。ウソです。/親があっても、子が育つんだ」という一節がある。これはフツカヨイの作品と名指しされた太宰の短篇「父」の「親が無くても子は育つ、という。私の場合、親が有るから子は育たぬのだ。親が、子供の貯金をさえ使い果している始末なのだ」を受けている。「親があっても子は育つ」というくらい、相対化して考えるべきだ。

「家族」というのは定義もできないくらい難しい。再婚した夫が単身赴任で連れ子も大学へ行って別居、会ってもセックスレスというのは家族か?

「おたくは何人家族ですか?」と聞かれて、まず自分を入れるのか迷うが、入れるとしてもうちではおばあちゃんがちょっと離れたところにいるので、5人なのか4人なのか迷ってしまうし、大学へ行っている息子は入れるべきなのか分からない。「サザエさん」の家は一体、何人家族なんだろう。

 パリでは住民の50%が単身者。ヘテロ、ホモの非婚同棲カップル、友だちどうしのコミューン、子連れ再婚カップルなど多様な家族形態が展開している。「お父さん、お母さんにこどもたち」という典型的な核家族は少数派になっている。

●生きていることは比較文化

沢庵、納豆、枕の話。

『アンナ・カレーニナ』------「不幸な家族はそれぞれに違う」(これを読んでない露文の学生がいた------「勉強しない学生はそれぞれに違う」)。

正しい育児法は多くて正解は一つではない。

ただ、間違った育児法はある(早期教育など脅しに乗ってはいけない)例:セシール。

穂積隆信『積み木くずし』------自分で見つけた整合性がなかった。

育児の方法は各家族が見つけていかなければならない大きな課題でマニュアルではない。

●ヒトの起源

前頭連合野(額の内側)がチンパンジーでもヒトの6分の1、約70グラムしかない。ヒトの進化は前頭連合野の発達といってよい。

理性の働きは前頭葉の9野と10野で、思考力は46野ということが分かってきている。19世紀半ばに事故に遭った鉄道技師が責任感ある人だったのに、すぐにキレル人間に変化したのが有名だが、9野と10野が鉄棒に貫かれていた(ハーバード大に展示)。

社会性を失っているとサルでも元の集団に戻れない。前頭連合野を活性化するセルトニンやドーパミンの分泌が足りないことが分かってきた。子どもでも異年齢の人と遊ばないとダメ。

一夫多妻のサル=ハヌマンラングールなどはハーレムをつむり、あぶれたオス達が徒党を組んでボスに挑んで乗っ取ろうとしている。成功すると自分の血を引かない子ザルを皆殺しにする。

一夫一妻のサル=テナガザルはペア作りには苦労もするが、伴侶を見つけると穏やかになる。

中間型のサル=ヒトは一夫多妻から一夫一妻に移行中。600万年前の化石ではオスが圧倒的に大きかったが、前頭連合野の進化のせいか、体格差が縮まり、オスがメスを求めて殺し合わなくなった。日本の幼児教育が前頭連合野以外の領域で育つ知育教育一辺倒だと危険。

●家族の起源

ボノボ(ピグミーチンパンジー)の研究:実に人間的:同性愛、売春などがある。一匹の子を生むのに平均三千回の交尾を繰り返す。

人間は頭が大きくなって産道を通すために未熟で生まれる。

動けない母子を救うために家族の必要性が生まれてきた。

●子供の発見

アリエス『子供の発見』は西欧で17世紀以降という。

前からあっても言葉がないと発見されない、いても見えない。「肩こり」を知った外国人が肩こりにかかる。例:セクハラ、オンブズマン、アダルトチルドレン。

『7才までは神のうち』。

大宝令でも(701)でも土地受給対象は6歳以上。

要らない子は川に戻したりした(→北陸の勤勉性)。

子供に名前をつけない文化が多い。

●出産と育児の文化人類学

つわり:メキシコではつわりに当たる言葉がなくて経験する人は少ないという。

出産:昔と随分違って入院して生む。

擬娩------日本にもクセヤミとかアヒクセと呼ばれてあったし、奇習ではない(丸谷才一『双六で東海道』文藝春秋)。

『文化人類学事典』(弘文堂)には次の説が紹介してある。

  1. 夫が妻の苦痛を分かち合うことにより、出産を軽くする
  2. 分娩を妨げる邪霊の目を、妻から夫のほうに転じようと夫が考える。
  3. 夫に父親としての自覚を持たせる。
  4. 父親の一挙一動が子に影響を与えるので、父は種々の禁忌に服さなければならない。

ダイアナ妃(翌日に退院、日本だと離婚?)。

ラマーズ法もマリー・アントワネットが実践?。

育児:泣いたらどうする

松田道雄とスポック博士。

川の字文化とベッド文化------1歳半児が両親と同じ部屋で寝るのは(日)96.7%(米)18.4%。

ライナスの安全毛布------補償行動。

巻き布(swaddling)------ミイラのように赤ちゃんをぐるぐる巻きにして育てるものでユーラシア各地からアメリカまで行われた。「もう歩けるかな」という時にぐるぐる巻を取るので、ハイハイしないで子どもが立つ(アメリカで今も勧める団体があるがSIDSとの関係が否定できない)。スキンシップを大切にする文化とは正反対だが、17世紀のフランスでは「人間化」するための欠くことのできない方法と考えられた(ルソーは『エミール』で批判)。また、ドイツでは「拘束の自発的受け入れ」というドイツ人の国民性形成と関係があるとされた(swaddling仮説といわれた---躾が悪いと「巻き方が悪いとされた)。

  • 野村雅一『しぐさの世界---身体表現の民族学』日本放送出版協会
  • アラン・ダンデス『鳥屋の梯子と人生はそも短くて糞まみれ---ドイツ民衆文化再考』平凡社
  • Benedict, R., Child rearing in certain European countries, Amer. Jour. of Orthopsychiantry, 1949, Vol. 19, No. 2 , p. 342-35
  • Andrea della Robbia

    RON MUECK “SWADDLED BABY”

    子離れ:日本の母親は子供の思い出に臍の緒を大事にしまっておく。欧米の母親は子供が最初に歩き始めた時の靴を思い出にとっておく。

    躾け:自己主張できるか否かによって欧米と日本では違う

    旅先で親と一緒に食事(○日本 ×イギリス)

    オモチャを貸してといわれて貸さない(×日本 ○アメリカ)

    チョコレートアイスを食べたいとだだをこねる(×日本 ○アメリカ)=「好みを確立してないなんて」と非難される

    ●遺伝と学習(環境)

    日本人は環境に重きを置きすぎる。“canalization”(水路付け)というが、子どもが育っていく過程は崖からボールを落とすようなもので、水が同じ水路を通るのと違って一定ではない。ボールの弾力の他に崖の出っ張りや風、湿度などを不確定要素がありすぎる。落ちる場所を予測することは不可能だ。

    動物行動学の最近の認識では遺伝と学習(環境)は対立したものではなく、学習することは遺伝的プログラムで決められているけれど、どの時期に、何を手本にするかということまで決まっていると考えられている。子どもは何でも学習するというものでは全くなくて、学習によってどんどん賢くなっていく訳ではない。「レディネス」というものがある。

    ライハウゼンのネコの研究ではネコがものを捕らえることは遺伝的に決まっているが、何を獲物にするかは学習する。鳥のさえずりも学習しなさいという風に遺伝的に決められていて、大きくなってから他の鳥の鳴き声を聞いてももう学習できない。

    何よりも、予測可能な人生があったら怖い!

    ●比較文化の眼で見ると「正しい」育児法がないことが分かる------科学的という言葉もインチキ

     映画に見る文化。

    アメリカ映画:J・ディーン『エデンの東』『理由なき反抗』。父性愛が中心に描かれる。

    日本映画:母性愛的で「母もの」(三益愛子主演が31本、大映だけで32本)。『陽の当たる坂道』(父親と母親が巧妙に取り替えられている)。言語から見ても日本文化は近親相姦的(夫に「お父さん」)。観音様というのは観世音菩薩で大乗仏教の代表的な菩薩で、仏教の慈悲の精神、すなわち仲間に対する友情と悩める者に対する同情とを人格化したもの。インドの仏教の教理で菩薩はすべて男性なのに、日本に来る時、いつの間にか女性となった。慈悲の情は母親の情だと思って、女性に変えたのだろう。

    ヨーロッパ映画:マリア信仰から母性愛的で日本に酷似『自転車泥棒』と『どっこい生きている』。

    「おかあさん」  まど・みちお

    おかあさんは
    ぼくを 一ばん すき!

    ぼくは
    おかあさんを 一ばん すき!

    かぜ ふけ びょうびょう
    あめ ふれ じゃんじゃか

    平川祐弘『日本をいかに説明するか』(葦書房)「マリア様のいる国、いない国」

     プロテスタント系米国では人は独立すべきであり、最初こそ人を助け、自分も助けてもらうが、その後は人に甘えてはならない。大人がいつまでも甘えていたら滑稽だろう。しかし米国が甘えを許さない社会で、女が男と同等に張り合うのは、人間平等の原則にもよるが、宗教的にも母親の役割モデルがなかったからではあるまいか。南欧では女性は聖母子像を眺め、祈り、育つ。そして自分がいかに生きるべきかをマリア様からおのずと習うのである。

    家族のあり方が文化で大きく異なる:後藤久美子のようにフランスでは夫婦入籍せず------不倫も問題外(ミッテラン仏大統領→渡辺淳一「エ・アロール」)。

    日本でも「入籍」というべきではないかもしれない。斎藤美奈子『たまには、時事ネタ』(中央公論新社)は次のように書いている。

     結婚の同義語としての「入籍」は、古い家制度を連想させる【どちらかに入るのではないから、あえていえば「創籍」だという】。こんな言葉を使っている限り、嫁だの婿だのいう意識は人々の中から消えないだろう。……たかが言葉といわれるかもしれないが、言葉は意識を決定する。変えるのは簡単だ。みなさまもこれからは、「婚姻届を提出した」といってください。(「入籍」と呼ばないで)

    家庭内暴力にも反映:日本では息子⇒母、米では父⇒娘。

    ●核家族は不完全なシステム

    レヴィ=ストロースによれば、親族の基本構造は四項関係。

    父母と母の兄弟(おじ)と男の子
    父母と父の姉妹(おば)と女の子

    どちらにせよ、自分と同性の大人が二人必要でいわゆる“mon oncle”に相当。『男はつらいよ』で寅は妹さくらを嫁として与えた(女を贈り物にする)ので博に一種の「貸し」がある。二人で喧嘩するのを子どもは見て育つ。“socializer”が二人いることによって、社会化の圧力が軽減される。

    近代家族とはつぎのような特徴があり、近代になって初めて登場した歴史的なもの。

    1)夫婦中心性
    2)子ども中心主義
    3)家族の血縁的凝集性

    ●うつぶせ寝―賢い子に育つと喧伝されたことがあった

     「うつぶせ寝」は乳幼児突然死症候群(SIDS)のリスクを最大で4倍に高めると、米国立小児健康発育研究センターと疾病対策センターなどの共同研究チームが発表した。SIDSに関する信頼できる疫学調査は米国では初めてという。

     93〜96年にSIDSで死亡したシカゴ周辺の赤ちゃん(1歳未満)260人について、死ぬ直前の状況を関係者に聞き取り調査した。シカゴのSIDS発生率は1千人あたり2.6人で、全米平均の2倍もある。

     ほぼ同人数の健康な赤ちゃんと比べた結果、うつぶせ寝はSIDSのリスクを2.4〜4倍に高めることが分かった。SIDSの少なくとも3分の1は、うつぶせ寝が主な原因だと推定できるという。

     健康な赤ちゃんの母親の64%が出産時にSIDS防止の指導を受けていたが、死亡した赤ちゃんでは46%だった。研究チームは「母親への指導が赤ちゃんの命を救う」と訴えている。

    ●イギリスのいい子 日本のいい子

    佐藤淑子『イギリスのいい子 日本のいい子』(中公新書)によれば、イギリスとアメリカを一緒にしてはいけないという。

    自己主張・高
    自己抑制・低

    (アメリカ型)

    自己主張・高
    自己抑制・高

    (イギリス型)

    自己主張・低
    自己抑制・低

    自己主張・低
    自己抑制・高

    (日本型)

    日本とイギリスの家庭教育の特徴(上掲書より)

    日本 イギリス
    (1)就寝形態 同室就寝・添い寝 別室就寝
    (2)授乳・就寝時の生活時間のしつけ 比較的穏やか 時間をきちんと守る
    (3)大人と子どもの時間の区別 ともにいることをよしとする 行動や活動の内容によっては大人と子どもの時間を区別する
    (4)文字教育 家庭で母親が中心となり教え込む 労働者階級では幼児学校中心、中産階級では家庭と幼児学校で学ぶ
    (5)母子関係 心理的一体感強い 言語的関わりを多くする
    (6)親子関係 親が情報や意見を発し、子どもは受動的 子どもの自己実現、自発性を尊重

    日本とイギリスの幼児教育機関の特徴(上掲書より)

    日本 イギリス
    (1)生徒一人あたりの幼児数 多い 少ない
    (2)子どもの発達観 努力重視、クラス全体のレベルに合わせる 能力を重視、個人差を認める
    (3)教育形態 画一的・管理的 言語的、応答的教育
    (4)教育の目的 情操教育・社会性の発達 知的教育・社会性の発達
    (5)クラスの統制 集団のルールへの従順重視 集団のルールへの従順重視
    (6)育みたい子どもの特性 協調性 自発性・能動性

     英語の「私」が大文字なのは自己主張が強いからという説がある。ところが、最近では「私」のIでさえ、小文字でiと書く。Iでは自己主張が強くヤボだが、iならスマートに感じる。逆に、騒ぎ立てたい気分なら大文字を使う。ネット英語がスマートさ、優しさをことさら強調する小文字志向になってきたのはフレーミング(揚げ足取り)をすこしでも減らそうとする知恵だろう。裏返せば、インターネット上のサイバー空間は、それだけとげとげしい緊張感に満ちているということだ。

    ●アダルト・チルドレン

    『スタンド・バイ・ミー』など米映画の多くにアダルト・チルドレン。

    『子供の発見』ではないが最初に扱った本の題名は『忘れられた子供たち』。

    クリントン大統領:ACを告白して初めて大統領になった人。母親は数回の離婚と結婚を繰り返し、配偶者の中には酒に酔って暴力を振るう人もいた。ビルは殴られている母を匿ってガレージで寝たことも何度もあった。弟は薬物依存者。弱みはハンディのはずなのにACが共感を呼ぶような社会になっている。

    レーガン大統領(現在はアルツハイマーと闘っている):娘パティ・デイビス(父親の名前を使うのを拒否)の告白ではレーガンの父親がアル中だった。ナンシー婦人は薬物依存。パーティの時だけ仮の平和が訪れる------最高の舞台だった。母と娘の間に共依存(co-dependence)があった。娘はドラッグに溺れ、平和運動に参加して大統領と対立する【河合隼雄『臨床教育学』岩波でも扱っている】。90年代、レーガンのアルツハイマーが進行するとともに、パティは両親との「和解」を進めた。国葬の後、カリフォルニア州に戻った父の棺を前に、パティは心優しい別れの言葉を述べた。自分が飼っていた金魚が死んで埋葬するとき、父が小枝で十字架をつくってくれた思い出を語りながら…。

    パール・バック『大地』でも、王龍(ワンロン)が働き者の阿蘭(アーラン)を妻にしたことがきっかけで、運が上向き、子宝に恵まれ、大地主になっていくが、豊かになるに連れてダメ男になって、ついに死んでしまう。

    ヒトラー:私生児だったし、父はアル中で暴力的。手塚治虫『アドルフに告ぐ』同様、父のユダヤ人出生説で悩んでいた。

    麻原彰晃:健常者なのに貧しいので親に捨てられた!信者には小さな挫折から入信した人が多い。妻から入った人も多くて母性原理。

    ACは家族関係を解く鍵。

    ACoA(Adult Children of Alcoholics)。ACoW(Adult Children of Workaholics)。その他色々な機能不全家族がある。

    共依存(co-dependence)

    日本でACが顕在化しなかったのは共依存のため。

    日本の夫婦は共依存的。野口裕二『アルコホリズムの社会学』(日本評論社)によると、ある心理学者が日本の夫婦関係を比較して「良好な夫婦関係」を測定する尺度を開発したという。これをアメリカの学者に見せたら「何の病理の尺度か」と聞かれたという。

    Nさんの例(私がいないとあの人はダメになってしまうといって深みに入ってしまった→抑鬱病)。共依存のために逃げ出せない。共依存は問題を抱えた他人の世話をし、その人にとって必要な存在になることに生きがいを見出すような精神状態を指すが、これは相手に対する支配欲求のあらわれにすぎず、かえって当該の問題の解決を妨げることが多いと指摘されている。

    何度も同じような夫婦関係をもつ人が多い(世代連鎖することも多い=アル中の娘がアル中と結婚)。

    佐藤学【サトル】が日本ではACの専門家になっている。ただし、「機能不全家族」と呼んでいるが、「機能完全家族」はないのだから、不穏当。

    機能不全家族の子どもたちの成人後に特有な神経症的な傾向(そのまま、僕ではないか!)

  • 周囲が期待しているようにふるまおうとする
  • ノーと言えない
  • しがみつきと愛情を混同する
  • 何が正常であるかの確信が持てない
  • 自己処罰の嗜癖がある
  • まじめすぎる
  • 他人と親密な関係を持てない
  • 他人の承認をつねに求める
  • 無価値なものに過剰な忠誠を捧げる
  • 宗教家や医者やカウンセラーなどにACが比較的多い。

    トラウマが深層に隠れていることがあるので自覚を。

    「あなたには責任がない」と自己肯定させてあげなければならない。

    救済施設ができている。

    ※忘れてはいけないことは「マザコン」でない男なんていないのにそう言われるとギクリとする。「AC」は男女ともに心あたりがあることだから、気をつけなければならない。

    ※トラウマを受けているからと自分を特権的に考えるのはよそう。誰でも傷つき合って生きているもので、何もない家族なんてありえない。

    ※カウンセリングの過程で「抑圧された記憶」が甦って、両親や兄弟や親族を「性的虐待」で告訴する事件が相次いでいるが、E・F・ロフタスの『抑圧された記憶の神話』(誠信書房)によれば、カウンセラーの誘導によって外部注入された「偽装された記憶」ではないかという疑念があるという。

    ●父性の創造

    問題児の中には父親がしっかりしていない場合がある。母親がしっかりしていない場合もある。

    例:「停学聞かれましたね」「はい、聞かれました」で何もいわない(Nの父)。母親がしゃべりすぎで何を考えているか分からない(Tの母)。

    「日本には『父』がいない」=国の制度にしても象徴天皇は「女性」である。すべてを許しすべてを受け入れる「母」によって「承認」を得ることが人間としての存在証明なのだ。

    細かいことではなく大きな判断が超自我(憲法みたいなもの)の形成につながる。

    社会のルールとその必要性を覚えさせなければならない。父というのは大きな子どもであるか、世俗的な「スキルと情報」の提供者にすぎない。

    友達家族では規範ができない------放任は無気力を生む。親や教師と同じレベルで扱うのはダメ。

    「親と子が何でも話せる楽しい家庭」という標語を街でみて、なにげなく歩きすぎた後に、村上春樹は考えてしまう。

     それはともかく、親と子が何でも話せる家庭というのは本当に楽しい家庭なんだろうか? と僕はその標語の前に立って、根本的に考えこんでしまう。こういう標語は時として根本的な思考の確認を迫ることがある。僕は思うのだけれど、家庭というのはこれはあくまで暫定的な制度である。それは絶対的なものでもないし、確定的なものでもない。はっきり言えば、それは通りすぎていくものである。不断に変化し移りゆくものである。そしてその暫定性の危うさを認識することによって、家庭はその構成員のそれぞれの自我をソフトに吸収していくことができる。それがなければ、家庭というものはただの無意味な硬直した幻想でしかない。
         -----村上春樹『村上朝日堂 はいほー!』(新潮文庫)

    スパルタも放任も過干渉も過保護も間違い。スパルタは軍事で強かったが文化的には何も残さなかった。結婚でも、男性は女性を暴力的に扱うことが義務づけられていて女性は必死に抵抗しなければならなかった。子どもも鑑定官によるテストを受け、不合格の烙印が押されると、父親は子どもをダイゲスト山から突き落として殺さなければならなかった。国家あげてのDV国家であったが、Domesticには「家庭内」だけでなく「国内」という意味もある。

    誤解を防ぐために、役割分担否定論ではない。二人とも父性を持つ必要。

    二人の父親、二人の母親はいらない。

    父がいなくても母が「父性」を持てばいい。

     父性と男性性とは異なる。

    父親の心構え(あくまでヒントである)。

    アクの強い父親になれ。

    感動を与えよ(家族の物語を作ろう)。

    適度な距離を。

    ●父性の復活でも、父権の復権でもなく、父性の創造だ。


     参考文献

    Cork,M(1969) Forgotten Children , Research Foundation【ACを扱った最初の本】。

    A・ミラー『魂の殺人』新曜社【ヒトラーの精神分析】。

    斉藤学【サトル】『アダルト・チルドレンと家族』学陽書房。

    澤口俊之 『知性と脳構造と進化』(海鳴社)
         『「私」は脳のどこにいるのか』(筑摩書房)

    林道義(1996)『父性の復権』中公新書。

    パティ・デイビス(1996)『わが娘を愛さなかった大統領へ』KKベストセラーズ。

    恒吉僚子+S・ブーコック『育児の国際比較』(NHK出版)

    津守真『子どもの世界をどうみるか』(NHK出版)

    斎藤慶子『子育てに失敗するポイント』(NHK出版)

    鯨岡峻『<育てられる者>から<育てる者>へ』(NHK出版)


    □子供と家族に関する国際比較調査(概要)

    □子どものしつけに関する国際比較


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