金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


娘の入院

顔面神経マヒになった子どもたちのために


長女が顔面神経まひに罹った。

笑顔が失われるのかと心配した。

今は治ったので、こうして同じ悩み・不安を持つであろう家族に捧げる。

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1日目  1999年5月17日(月) 

 長女が小学生になって初めての、7歳の誕生日。

 昨日は小学校の運動会で今日は代休。ママは祐貴(4年生)と眼科に行き、長男・祐貴の初めての眼鏡を注文して、マクドでお昼を食べて家に帰る。

 僕は胆石の手術で3週間ほど入院していてこの日から出勤となった。腹部にまだ痛みが残っていたが、見舞の挨拶などをしていた。午後に研究室に電話があり、長女をどうしようかという。一昨日の土曜日に長女の頬が奇妙なことにママが気づいた。引きつっているのだ。そして、運動会のあった日曜日によく見て、といわれて「もう少し様子を見よう」と話していたのだ。

 チックのような精神的なものなら神経科だろう。前に祐貴が目をまばたきさせてチックかと思ったのだが、軽い結膜炎だったということもあって、つい様子を見ようということにしてしまったのだ。どこへ行こうかというのでとりあえず、市民病院の小児科に連れていったのだ。行く直前におばあちゃんも初めて見てびっくりしたという。

※子どもの場合は中耳炎から顔面神経まひになることもあるので、耳鼻咽喉科に行くのが正解だと耳鼻咽喉科の先生に言われた。

 小児科では「特発性顔面神経麻痺」ということで即入院となった。遅かったら治らなかったという。

 40点満点の4点程度の悪さだったという(この病気にはきちんとした診断法があって点数化される)。「これ以上悪くならない程度だ」といわれる(こういう言い方は親を傷つける)。子どもには珍しい病気だという(その後、似たような症状の子どもの話を色々な人から聞いてそんなに珍しくないことを知ると同時に、「ずっと治らなかったよ」なんて話を聞く度に震え上がった)。

 主に冷たいものに触れたとか、ウィルスとか原因はさまざまだという。クーラーで麻痺になったといってその後10年間以上もクーラーを使わなかったという家庭もある。

 英語では“Bell's Palsy”[1860年にスコットランドの解剖学者 Charles Bell(1774-1842)に由来で{“Palsy”は“paralysis”「まひ」から}日本でも「ベル麻痺(まひ)」というようだ。末梢性顔面神経の病変で起こる顔面片側の突然性麻痺である。手許の医学書には次のように書いてある。

 顔の筋肉を動かす顔面神経が、圧迫されてまひし、顔半分を動かせなくなる病気で、寒冷やウイルス感染が原因と考えられています。

●症状 初め耳の後ろが痛むこともありますが、ある日突然、なんのまえぶれもなく緊張が失われ、顔半分を動かせなくなるのがふつうです。

 まぶたは開かれたままで涙が流れ、努力して閉じようとすると黒目が上がって白目だけになります。口はまひしていない側にひかれて曲がり、まひした側からよだれを流します。口が閉じないので、ほおをふくらませたり、口笛を吹いたりすることができず、食物をかむとまひした側にたまります。

 ときには、物音ががんがん響く聴覚過敏になることもあります。

 顔面けいれんやひきつれ、口とまぶたが同時に動く連合雲堂、食べると涙があふれる「わにの涙」現象などの後遺症がおこることがあります。

●治療 薬物療法が中心で、手術や理学療法が行われます。自分で顔を1日何度も温めてはマッサージを加え、泣き顔、笑い顔、怒り顔などの百面相運動をじゅうぶんに行うようにします。目にごみが入らないように外出のさいは眼帯をしましょう。
   ------『家庭医学大辞典』(小学館)

 耳鼻咽喉科の範囲だという先生と小児科の先生との「取り合い」になるが、新しく来た小児科の先生は前任の病院で5例も治しているという。

 小児科の先生の方針は次の通りだった。

ヘスパンダ 500ml
ATP 20mg
ネオラミン3B

(以上2回)

プレドニゾロン 4本

生食 100ml
ソビラックス 250mg×1日3回

トレンタール100mg 3錠分3食後14日間
フラビタン 点眼液 5ml
フラビタン 眼軟膏 3mg

(医者ではないので絶対に参考にとどめておいてください)

 早速、入院の準備でママが家に帰る。夕食に間に合わなかったので、弁当を買って行く。長女はいなり寿司が食べたいというのであげる。

 長女は2歳少し前の細気管支炎以来の2度目の入院である。

 先生たちは「(大きくなっているから)泊まらなくていい」というし、長女も「いい」というが不安もあるだろうということで泊まることにする(結局、すごい甘えんぼになってしまう)。ベッドの横で寝られると思っていたら、正反対の家族控え室にして下さい、といわれる。困っていたが、「何かあったら、ママは向こうにいるからね」と話す。

 そのうち、一人の看護婦さんが「ええっ、ここで泊まらないのですか?」というので事情を話すと「じゃあ、ちょっと聞いてきます」といってナースステーションに行って話をつけてきてくれる。

 結局、長女のベッドの横で眠ることができた。

 夜中に何度も起きて話をするので、ママは泊まってよかったという。

 512号室は元気なおばあちゃんばかりで、長女は一人。

 おばあちゃんの中でものすごいイビキをかく人がいて眠りにくかったという。

 お兄ちゃんと二人だけで寝るが、「火が消えたようだね」という。

 寂しい。そして不安になる。


2日目  5月18日(火) 晴

 81歳になるおばあちゃんがすっかり気が弱くなって「早く死ねばこんなことにならなかった、代わってあげられんし」という。一日ですっかり老けた。子ども、特に女の子の顔面神経まひというとそれだけで大きな不安に駆られるものである。

 小学校に連絡する。迎えに来た友達にも「長女はちょっと病気で行けない」と話す。

 ママは土曜日のコンサートの練習に富山まで行く。

 お義母さんが午後から見舞に来る。

 小学校の校長先生が見舞に来て行ったというが、どうやら目的はママの学校ボランティアの依頼で、携帯にかからなかったのでわざわざ会いにきたようだ。

 夕方、みんなで見舞に行く。ママの弁当のいなり寿司も少し食べる。

 病状は昨日よりはいいようだが、可哀想だ。

 校長が再び、担任の先生と見舞に来た。校長は僕が入院していたことを知らなかったという。

 担任の先生は「私が悪いんです」と自分を責めるので、慰めるのに大変だったという。先週は普通授業がほとんどなく、炎天下で体育ばかりだった。帰ってきてからはもうぐったりとしていた。

 お風呂に入れようとすると眠ってしまっていて入れることができなかったくらいだ。

 長女はしきりに「今日は音楽ないの?」「音楽はぁ?」と先生に聞いていたという。

 見舞に来た先生に顔を合わせなかったという。

 ママは今日も泊まる。

 寝るときにも目がきちんと閉じないので目薬も必要である。

 隣のIさん夫婦が「Mちゃん、見ないけどどうかしたんですか」と早速尋ねてくる。毎日、町中を自転車で闊歩していた長女がいないと町から火が消えたようだ。


3日目  5月19日(水) 

 僕は術後の疲れを取るために年休を取って、市民病院に行くことにする。

 耳鼻科の先生は「1週間で50%治る」、小児科の先生は「長くかかるが90%治る」という話。小児科の先生から詳しく病状を聞く。ステロイド(プレドニゾロン)を使っていて血糖値が心配だという。ステロイドを使っている間は成長が止まる。

 ヤマハにも行けず、欠席を聞いた父兄からどんな病状か問い合わせがあるが、あまり見せられない状態なので見舞に来ないようにいう。

 昼間はおばあちゃんと折り紙をいっぱい作って同室のおばあちゃんや看護婦さんにあげる。そのうちの一人Zさんは僕と同じ胆石だったが、レーザー治療をしたそうだ。東京の息子の所に行って胆石になったそうで、鎌倉の鶴岡八幡宮の写真などを見せてくれる。長女は八幡宮はよく行っているので自慢もしている。

 うちのおばあちゃんの「向日葵」の絵が1階に飾ってあることを知ったおばあちゃんたちがわざわざ見に行く。

 担任の先生がまた見舞に。


4日目  5月20日(木) 

 ママは練習で昼間不在。おばあちゃんが病院に行き、折り紙と絵を張り合わせて描く。ところがママが疲れて僕と祐貴が遅れて行ったものだから超不機嫌になり、担任の先生が来ても口も聞かないし、おばちゃんにも「あっち行って」といって泣かせる。学生からもらった『ドクター・スランプ』に夢中。

 同室のおばあちゃんの一人が退院。

 うちのおばあちゃんが初めて泊まる。


5日目  5月21日(金) 快晴

 ママはコンサートの練習と中央文化会館の会計監査で昼間不在。

 先生の話では「ウィルス性ではなくて原因が不明、昨日より悪い」という(原因を調べるのに日数がかかり、調べてみても意味がないといわれる)。ヘルペスなどではないのでステロイドは止めることになる。

 小学校の同級生から励ましの手紙をもらう。ひらがなを覚えたての子どもが多くて、みんな苦労して書いてある(自分の名前を間違っていたり…)のが泣かせる。

 おばあちゃんと折り紙を作っては看護婦さんたちにあげているようだ。

 近所の人が「(見舞しなくて)いい」といっていたのに来て、「可愛い子なのに可愛そう」というので口止めに行く。

 中国からもらったトキが誕生する(後に優優と名付けられる)。

 僕が泊まろうと思ったが、同室の60過ぎのおばあちゃんたちが「(男の人だと)気ーうぃ」(気兼ねする)というので断念。

 おばあちゃんが泊まる。新しい入院患者が入ってくるというので長女は興奮して10時まで眠らなかった。入院してきたが、ほとんどしゃべれない人だった。

 真夜中に「ばあちゃん、逆流している」というので見たら、点滴が逆流してベッドは血だらけになっていたという(後にこの時の恐怖をよく語った)。


6日目  5月22日(土) 

 点滴が外れて、風の中の羽根のように、というか兎が飛ぶようにしていたという。よっぽど嬉しかったのだ。その間に初めてデイルームで食べる。ところが、先生がまた点滴をするというと嫌がって嫌がって困ってしまう。

 点滴が取れている間に風呂に入ろうというが、ごまかしてなんとかママと入浴。10日ぶり位である。

 僕と二人であんまりすることない。お昼は僕用のいなり寿司を4個も食べる。嬉しい。

 同級生で初めてTさん母子がくる。実家のおじいちゃん・おばあちゃんと近所だったTさんが来て絵本もプレゼントされる。Iさんが来てジェニーちゃん人形をプレゼントされる。

 ママはコンサートで武蔵野音大の二人の教授にべた褒めされたといって喜んでくるが、花束がまだ残っているという電話で取りに戻る。

 デイルームで食べようとするが、点滴の機械のコンセントが合わない。3叉と2叉の変換器をもらってデイルーム。おかずを食べなかったがヒレカツをいっぱい食べる。ママが泊まる。


7日目  5月23日(日) 快晴

 今日で一週間。ママと二人でお見舞いの時に渡すお菓子などを買いに行く。お昼に卵の寿司といなり寿司を買っていくと7個くらい食べる。

 小児科で入院しているのは長女だけだという。市民病院は老人病院になっている。

 疲れて眠っていると、ママの友だちのIさんたちがミッフィーの人形セットをもってきて見舞に来てくれる。長女は恥ずかしがってあまり話さない。

 同室のNさんの息子が同級生と分かる。

 ママは知人の厄払いの話に引かれ、入信しようかという。なんでも金沢にある密教の教えだそうだ。僕が入院したのも長女の入院も昔からの因縁が何かあるはずだという。そういわれると気持ちが悪くなるが、「医学を信じろ、僕を信じろ、何よりも長女の治る力を信じろ」と説得。その後も何度も何度も説得した。そしてその度に気分が悪くなった。小さな親切は大きなお世話だ。

「……不幸というものは、耐える力が弱いと見ると、そこに重くのしかかる」---シェイクスピア『リチャード二世』第1幕第3場

 おばあちゃんが泊まる。

 10時くらいに電話で「笑っても大丈夫だし、ニーしても大丈夫だし、目も閉じれるよ」と話すし、おばあちゃんも「顔、整ってきたみたい」という。

 武蔵丸が連続優勝で横綱になることがほぼ決定。タケシ監督の「菊次郎の夏」でカンヌで賞を逃す。


8日目  5月24日(月) 快晴

 僕が入院してちょうど1ヶ月。年休を取って病院へ行く。

 長女は少しよくなったみたいだが、あんまり変わらない。CT検査を受ける。担当医は治療予定表を書いてくれていた。2週間が勝負らしいがその後は何もできないという。

 帰る時にママが「じゃあね、いい子にしてるんだよ」と丁寧に別れを告げたとたん、「ママ、泊まってぇ、おばあちゃん、嫌ぁ」となって困った。帰ってからもおばあちゃんが部屋から締め出しを食っていると電話。

 ママがお兄ちゃんと眼鏡を買ってくる。

 電話で点滴が取れたと大喜びするが、血が逆流したといっては不安になる。こんなに心配性だとは思わなかった。


9日目  5月25日(火)  曇で強風

 ママが朝から病院へ。「今まで5人治したけどこんなに早く治るのは初めて」と小児科の先生がいう。

 同室のZさんが退院。看護婦に7階の浴場で洗髪してもらう。

 ピアニカをもっていったら、病院にヨット部のY先生がいるので聞いたらKちゃんが入院だという。Y先生は僕のちょっと前に盲腸で市民病院に入院していたばかりだった。Y先生には悪かったが、親子で立て続けに入院するのはうちだけではないと心からほっとした。特に因縁話などされていたからよけい安心した。Kちゃんは病院中に響くような声で泣いている。

 ピアニカはうまく口でくわえられないので上手に弾けない。

 どこでもお散歩しているみたいで、1階まで送ってくれる。


10日目   5月26日(水) 快晴

 僕は朝から術後の検診で病院へ。長女は相変わらず。

 おばあちゃんは泊まったきり。

 長女の担当の先生は朝、自分で自分の薬を飲み間違えたらしく、苦しくなって救急車を呼ぼうと思ったという。信頼していいのかよく分からなくなってきた。

 7時半に病院に来てくれ、というのでママと一緒に行く。医者に呼ばれるのは不安なものである。

 少し待たされて先生がきて、ナースステーションで話しましょうというので「女の城に入るみたいでやだなぁ」というと「そういえば、談話室がありましたね」といわれてそちらに入る。

 長女の治療は日曜日で終わり、2週間の治療の後は何もすることがないという。

 月曜日に退院することに決める。

 この日は公文教室を閉鎖する話で呼ばれ、K先生から祐貴君は宿題をしてないので評価できない、などといわれて腹が立った。


11日目   5月27日(木) 雨

 ママは小学校へ行って、学校ボランティア継続の話(特別講師制度ができたという)を聞いて、そのまま校長室で給食を食べてから病院へ。

 暇になった長女はナースステーションに入り浸りで迷惑をかけているようだという。

 夕方に僕と祐貴が行くと長女はベッドで泣きじゃくっていた。「号泣」という言葉そのものの泣き方でどうしたんだろう、と同室のNさんに聞くと「さっきまでくどいておられたが、お父さんの顔を見て泣き始めた」という。

 長女の話を総合するとこうだ。おばあちゃんを7階の風呂に送った後、エレベーターで帰ろうとしたのだけど7階を押してしまって、その後、緊急ボタンを間違って押してしまい、電話で問い合わせをされて、驚いたらしい。

 7階に連れていっておばあちゃんと会ったら、だいぶ治り、夕飯も食べてくれてホッとした(しかし、その後もエレベーター恐怖症が残る)。

 あせもが出ているという。

 仲のよかった同室のNさんが退院していく。

 この日はアルペンスタジアムで中日―阪神戦があり、0.5差が1.5差となってしまった(この年、星野・中日が優勝して野村・阪神は最下位)。

 僕は手術から1ヶ月で初めてお酒を飲む。グルグル回る。


12日目  5月28日(金) 雨ときどき曇

 ママは手作りのフラワーアレンジメントを持って友だちのピアニスト、Sさんの見舞(胃潰瘍)に行く。みんな色々な病気にかかるものだと思う。結婚直前で可哀想。

 耳鼻科の先生が他の病人の回診に来て、長女を診て、3週間で神経がつながるので、リハビリをしたらどうかといって退院をのばすようにいう。初めてリハビリするが20分ほど。

 ママが長女と大きな風呂に入る。ところが38.5度の熱を出して心配させる。

 ママが泊まる。


13日目 5月29日(土) 晴

 おばあちゃんを連れて病院に。

 昼食に少し遅れていったが、ちゃんと食べていた。元気で、1階まで散歩した。

 安心して、高岡まで買い物に行ったのだが、病院に戻るとおばあちゃんがうろたえていた。38.9度までの熱になっているという。

 坐薬を入れてもらった。ちょうど近くの遊び友達のHちゃんが見舞に来たが、風邪をうつすと大変なので遠くから見てもらった。

 ファービーの日本版が売り出されたといってテレビは大騒ぎだが長女は興味なさそう(といいながら後に買ってしまった)。

 僕は自分の退院後初めての寮当直に向かった。子どもが病気の時はつくづく因果な商売だと思う。

 夕方になって電話で熱が下がったというのでほっとした。

 ママはお兄ちゃんと一緒に、もう一度病院に行く。

 おばあちゃんが泊まる。


14日目 5月30日(日) 快晴

 お昼に行くと元気そのものだった。

 明日退院するかどうか迷う。


15日目 5月31日(月) 晴

 近所の人がみんな見舞に来る。自身が病気だというのに来る人もいて田舎は嫌だなと思う。

 おばあちゃんから電話で「あんたが友引に退院したからこんなことになった」という。友引に退院するものではないと誰かが話したらしい。こんな因縁話は気が弱くなっている人にしてほしくない!

 他の病院で診てもらうかどうか迷っておばあちゃんは結局、いとこのA先生に、いい先生を紹介してもらえないか電話をかけた。先生は全部分かっていて「よくある病気ですよ、治らない人は3週間かかっても治らないのです、病院を変えるのはよくありません」ときっぱり答えた。

 結局、退院しないでリハビリすることになる。今日は37分も治療したそうだ。2週間は光を当ててはいけないので、3週間目からリハビリするのがいいようだ。

 ママが泊まる。

 ダイエー高岡店が今日で閉店(23年間)。


16日目 6月1日(火) 晴

 6月になる。

 大して変わらない。

 隣のIさんが来て雑誌の『小学一年生』をもってくるが既に買って持っていて申し訳ないことをする。


17日目 6月2日(水) 晴

 ママは中央文化会館の理事会。

 長女はおばあちゃんと7階の大浴場に入る。

 僕と祐貴で会いに行く。

 おばあちゃんの話ではだいぶ治ったという。


18日目 6月3日(木) 曇

 初めて同室に小学4年生の女の子が入ってきて、長女はどうして接すればいいのか分からずパニック。布団にもぐったり、ビデオを見せたり、大変だったらしい(その後もお客さんが来るとパニックする性格は変わらない)。

 退院を明日にしようかというが、おばあちゃんが19日目で4日だから嫌だといいはじめて、明後日にする。

 耳鼻科の先生によれば40点満点のうち22点、甘く診て26点という。

 おばあちゃんを夜、送っていくが、隣りにお姉ちゃんがいるので、一人で泊まるという。初めて一人で泊まらせる。


19日目 6月4日(金) 雨

 長女の同級のMさんとKさんが見舞に。僕の姉も初めてくる。

 頭がかゆいというのでシャンプーしてもらう。

 ママは二人の担任の家庭訪問があったので忙しかった。もちろん、長女が不在のままの家庭訪問だった。

 今日も一人で泊まるといっていたので安心していたが、夜に「怖い」と電話をかけてくるが、何とか説得する。


20日目 6月5日(土) 曇

 隣の女の子と一緒に20日で退院。

 ビデオ屋さんに1年ぶりで行ってビデオを借りて帰宅。


その後

 その後、しばらく自宅療養をして、何度もリハビリに通った。

 19日の参観日に長女は(最近のできごととして)「リハビリが終わってジュースを飲みました」と発表した。

 また、いちおう、医薬大でも診てもらった。40点満点で26点といわれたがこれ以上はあんまり測っても分からないという。

 そして、夏頃にはほとんど気にならないようになってきた。

 保護者会に行くと担任の先生が「よく治りましたね」といって涙目になる。それを見てこちらもうるうるしてくる。

 タレントの井上順が「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出ていた。何でも、列車の冷たい窓に顔をつけていて、翌朝歯を磨こうとしたら水がふくめなかったという。つまり、顔面神経麻痺になったのだ。

 どうやら治ったようだが、長女とまるで同じ病状だった。

 こうして落ち着いて闘病記録を書けるような状態になった。

 顔面神経まひにかかってどうすればいいか、心配でインターネットの検索でこのページに来た人もいるだろう。

 とにかく長丁場で、必ずしも治るとは限らないといわれる病気(お医者さんは盲腸でもない限り「絶対に大丈夫」とは言わないものだ)なので、心配でしょうが、担当の先生のおっしゃることを信じて希望を見出してください。

 

First drafted 1999
(C)Kinji KANAGAWA, 1995-.
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□顔面神経まひ

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