ネタ穿鑿はキリがない
2010年4月に共同通信からこんな記事が流れた。
アニメ「アルプスの少女ハイジ」の原作で、スイスの童話作家ヨハンナ・スピリが書いた「ハイジ」(1880年)が、出版された年の約50年前に書かれた別の作品に酷似しているとドイツの研究者が指摘し、「ハイジは盗作だった」などと両国メディアを騒がせている。
発端はドイツのフランクフルトで研究活動をする若手文学研究者、ペーター・ビュトナー氏(30)の指摘。同氏は偶然、1830年ごろにドイツ人作家が出版した「アルプスの少女アデレード」という童話本を発見。ハイジは一般的に女性の名前アデレードの愛称として使われるうえ、筋書き、使われている文章などがそっくりという。
スイス・フランス語圏のタブロイド紙「バンミニュッツ」は9日「ハイジの神話が崩壊」と1面トップで報じたほか、ドイツとスイスのテレビや新聞がこぞって報じた。同氏は「私は盗作とは言わない。スピリは作品の一部を使っただけで、シェークスピアやゲーテも同じことをやっている」と冷静に話している。
確かに執事のロッテンマイヤーさんはハイジを本名のアーデルハイドと呼んでいる。ハイジというのはAdelheidの末尾の-heidを可愛らしくした(指小辞)でできた愛称である。
□ 太宰治はある短編に「生れて、すみません」と書いた。この言葉は詩人寺内寿太郎の創作という。黙って使われ、「生命を盗(と)られたよう」…寺内は痛憤の心情を周囲に漏らしたと伝えられる---という話を2010年4月21日の読売「編集手帳」で知った。ちょうど、上海万博のPR曲が日本の岡本真夜の「そのままの君でいて」のパクりだということが分かった時のコラムである。「生まれて、すみません」が黙って使われたからといって、「生命を盗られたよう」はさすがに大袈裟な気がするがどんなもんだろう。「パクって、すみません」と太宰は謝らなかったのか!?
「協」 川崎洋(『詩集言葉遊びうた』思潮社)
毛利元就は病床に三人の子どもを集め
一本ならたやすく折ることができるが
三本合わせると折るのが難しい
つまり兄弟が団結すれば毛利家は安泰
と諭しました
ぼくが小学校のとき教わった
逸話ですが
これはつくり話でした
元就が死ぬころ三人は成人で
長男は元就より先に死んでいます
<協>という文字は
あからさま過ぎて
変に胡散臭い感じがしませんか?
ところで
日米防衛協力
はつくり話ではない
のです小谷野敦『猫を償うに猫をもってせよ』(白水社)の「映画『七人の侍』の有名な合戦シーンは『蜜蜂(みつばち)マアヤの冒険』から材を得ている」というところが、面白かった。「手塚の【『ジャングル大帝』】ものはドイツの作家フェリクス・ザルテンの『バンビ』がネタではないかとも言われており、ネタ穿鑿はキリがない」ともいう。
漱石の孫である夏目房之介は『手塚治虫はどこにいる』(ちくま文庫)という本を書いたが、これは手塚が『ジャングル大帝』のメディアが変わるたびに改編していたことから、どれがオリジナルか分からなくなっていることを問題にした評論だった。2009年にオリジナルな『ジャングル大帝』というのが発売されたが、これがまた新しいオリジナルとして歩き始めることになる。
恩田陸は『土曜日は灰色の馬』(晶文社)で次のように書いていて、内田百けん【門+月】の「柳検校【「検」は旧字体】の小閑」がタイトルを何度も変えていることを問題にしている。
小説家には、版を変えるたびに自分の作品に加筆を重ねるタイプの人がいる。常にベストを目指すのは立派だと思うが、個人的な本音を言えば、人間は日々へんかしているのだから、直しにはキリがないし、往生際が悪いなと思う。改稿ならまだしも、中には、タイトルまで変えてしまう人もいる。作品の顔であるタイトルを変えるのは勇気がいる。短編といえで、しょっちゅう店の看板を掛け換えるさっかはあまり信用できない。
つまり、ネタ自身が一つではないことが多いのである。バーンスタインが作曲した「キャンディード」は作詞が主に リチャード・ウィルバーが担当し、スティーヴン・ソンドハイム、バーンスタインも参加し、リリアン・ヘルマンまで加わっていて、どれが「正典」かわからなくなっている。それでは困るので、現在はバーンスタイン自身による1989年の改訂が完全版とされている。大体、ヴォルテールの原作だってあるのだ。
音楽というものはオリジナルな楽譜というものがあって、それに基づいて演奏されて初めて音楽になると思っていたのだが、村上春樹はインタビュー集『夢見るために毎朝僕は目覚めるのです』(文藝春秋)p.299で「アーノルド・シェーンベルグが『音楽というのは楽譜で観念として読むものだ。実際の音は邪魔だ』みたいなことを言っていたけど」などと恐ろしいことを話している。でも、考えてみれば、演奏家の演奏というのは作曲家自身のオリジナルなイメージからずいぶん離れてしまっているのかもしれない。ただの「誤解」で演奏しているのかもしれない…。
朝日天声人語(2011年1月26日)
カステラや金平糖など、和の空気をまとう渡来品は多い。童謡「ちょうちょう」の元歌はスペイン民謡、「むすんでひらいて」の作曲者はフランスの思想家ルソーだという▼『日本の唱歌』(講談社文庫)からさらに引くと、〈小ぎつねコンコン、山の中〉の「小ぎつね」はドイツ民謡だ。詞は〈草の実つぶして、おけしょうしたり〉と可愛らしく続くが、元の大意は「こらキツネ、ガチョウを返さねえとズドンとやるぞ」と趣を異にする▼さて、「あおげば尊し」の原曲が、どうやら19世紀に米国で作られた「卒業の歌」だとわかった。日本では明治期、文部省で詞を合議して小学唱歌集に載せたというが、出自は「唱歌最大の謎」とされてきた。ちなみに先の文庫本は、作曲は日本人とする説を紹介している▼謎を解いたのは米英民謡に詳しい一橋大名誉教授、桜井雅人さん(67)。欧米の古い教科書や賛美歌を探るうち、1871年に米国で出版された歌集に同じ旋律を見つけたという▼ただ、友との別れを惜しむ原詞には、歌の味わいを決める「わが師の恩」「身を立て、名をあげ」の句がない。日本版はどうも、国家が期待する人間像を紛らせたようだ。唱歌自体、西洋文化を学ばせる国策だった▼だんだん歌われなくなったのは、この創作部分ゆえと聞く。門出の場で教師が恩を売り、立身出世を強いるのはまずいと。ごもっともだが、歌の故国が判明した今、これはアメリカンドリームの奨励と解釈し直したい。厳かな曲調といい、若者の背中をドンと押すには悪くない。
□ 黒澤明の『七人の侍』は後に西部劇『荒野の七人』になったが、『七人の侍』自体は明らかに西部劇の影響を受けていて、公開当初は「西部劇に負ける」みたいな批判があった。
山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』がアメリカでリメークされて、『イエロー・ハンカチーフ』となる。でも、原作はピート・ハミルの『幸せの黄色いリボン』だ。しかも、ドーンの“Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree”という歌があって、僕もそらで歌える曲だ。ウィキペディアによれば、「この曲の歌詞は、上記の伝承を元に自分が1971年に執筆したコラム「Going Home」に基づいたものだとして提訴した。ハミルのコラムは、出所して妻の元へ帰る男がバスの中からオークの木に結ばれた黄色いハンカチを見るというもので、1972年にはテレビドラマになっている。被告側の調査で、ハミル以前にもこの伝承をまとめた文献があることが示され、訴訟は取り下げられた」という。これだけでもかなり複雑だ。更に、この前にジョン・ウェインが出た西部劇『黄色いリボン』があって、その歌も有名だ。それも民謡から来ているというが、その民謡の元がイギリスにあったり…。
『ゴジラ』もアメリカ版が作られて、イメージの違いに驚いたものだったが、『キングコング』や「絶海の嵐』が下敷きになっていることは誰だって分かる。しかも、伊福部昭の音楽も彼が崇拝していたラヴェルのピアノ協奏曲の第三章に出てくるテーマの借用とされる。
坂本九の「上を向いて歩こう」は全米でヒットした最初の日本の曲だったが、「スキヤキ」と命名されて(ベルギーやオランダでは「忘れ得ぬ芸者ベイビー」と改題)エキゾチシズムを刺激しただけではない。ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」第一楽章のメロディがヒントになっているとされ、西洋人にもなじみのメロディではあったのだ。つまり、西洋のものを日本のものにした「スキヤキ」だったのだ。
ちなみに、すき焼きだって、明治以降だし、他の鍋料理だって柳田國男の『明治大正史 世相篇』では鍋料理が「僅々(きんきん)五六十年の発明であり、また普及である」と述べていて昔はやってはいけないことだったという。つまり、「火の神信仰への叛逆を怖れ」「竈(かまど)の分裂」を引き起こすようなことは避けられたのだ。
日本料理の代表格になっている寿司だって、江戸前はずっと後だし、そのネタの代表であるトロだって捨てられていて、赤身が好まれたものだった。
フランス料理だって、イタリア料理がカトリーヌ・ド・メディシスとともに入ってきてからだし、今のスタイルも元々のフランス式ではなくて、19世紀に入って来たロシア式が基本になっている。
ネタがあるといっても、個々の作品の価値が下がることはない。物語なんて、古いネタが入った鍋を魔女の杖でかき回して作られているからである。
『スター・ウォーズ』についてもいろいろな起源を見つけることができる。ルーカスは「普遍的な物語」を求めて、『ターザン』のエドガー・ライス・バローズ、E・E・スミス、フランク・ハーバートなどのSF、グリム童話や『ナルニカ国ものがたり』のC・S・ルイス、『指輪物語』のトールキンなどのファンタジー、『金枝篇』や各地の神話などを読み込んだという。中でも神話学者ジョセフ・キャンベルがさまざまな神話の構造を分析した『千の顔をもつ英雄』から得たものが多かった。
平行進化ということもある。宗教儀式などどの宗教だって同じだ。訳の分からない「お経」があったり、寄進があったり、布教の仕方もそっくりだ。
イギリスの中世には神明裁判(ordealで現在は「試練」の意味で使われることが多い)、つまり神意による裁判では冷たい水や焼いた鉄を使う判定が行われた(こんな神判に代わり、12世紀のイギリスで定着したのが陪審員裁判だった)。縛った被告を池に投げ込んで浮かべば有罪、熱い鉄を持たせ一定期間内にやけどが治れば無罪という、無茶苦茶な方法なのだが、日本にも盟神探湯(探湯・誓湯/くかたち、くかだち、くがたち)というものがあった。ある人の是非・正邪を判断するための呪術的な裁判法(神判)で、対象となる者に、神に潔白などを誓わせた後、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。毒蛇を入れた壷に手を入れさせ、正しい者は無事である、というのもあった。日英でつながっているはずもないのに同じことをやっている。
□ 起源というのは語源もそうだが、キリがないものである。語源については「パンティ学入門」に書いたが、実際、とても難しい。メールの返事のRE:について、多くの人はREPLY、またはRETURNの省略だと思っているが、ラテン語のin re(〜について)の省略だという説もあるのだ。ラテン語でresというと「モノ」であって、republicはres publica「共有のもの」→「共和国」となったのだが、アメリカで生まれたネットでいちいちラテン語が活躍しているとは思えない。ドイツ人は返信にAW:を使うことがあるが、Antwortで「返信」であって「〜について」ではない。
『本当は怖いグリム童話』という本があって、この本自体が盗作ではといわれたが、グリムの話にオリジナルなどない。いい伝えがあって、それぞれの人がそれぞれに勝手に「編集」して生まれたもので、最初にグリムが載せた話が絶対に「正しい」ということはない。
柳田国男は「昔話は動物の如く、伝説は植物の如く」と二つのジャンルを明確に分けた。伝説というのはそれぞれの土地に根付いたものだということだったのだ。しかし、伝説にしても、前にあったどこかの話を改変しながら生まれてくるものだから、この区別は簡単ではない。
有名なラグビーの起源だって怪しい。1823年、パブリックスクール、ラグビー校でのフットボールの試合中にウィリアム・エリスという少年がいきなり、ボールを抱えて走り出した。これが起源となって名前も学校名から「ラグビー」となった、という。
しかし、エリク・ダニング&ケネス・シャド『ラグビーとイギリス人 ラグビーフットボール発達の社会学的研究』(ベースボール・マガジン社で原題は“Barbarians, Gentlemen and Players”)によれば眉唾だそうだ。ラグビーとサッカーの共通の母胎は、14世紀ごろから英国で行われていた民俗ゲームとしてのフットボールである。街区を舞台に、ルール無用でボールを奪い合い、死者も出るような荒々しいものだった。1点先取で勝負を決めていたことから、長時間続けるために得点するのを難しくしようとオフサイドが生まれたとされる。
この原始的なゲームはやがて、ボールを蹴るのを主流となったのだが、19世紀前半に、ランニングイン、つまり「持って走る」ことが容認されたのがラグビー校だ。これに対して「持って走る」禁止を掲げたのがイートン校だった。両者の対立を軸に、2つの球技に分化したのだというから、サッカーは「イートン」という名前になるべきだった。
『こんな日本でよかったね』(バジリコ)で内田樹は「人間が語るときにその中で語っているのは他者であり、人間が何かをしているときその行動を律しているのは主体性ではなく構造である」というが、構造主義的にいえば、誰かが何かであるということは本人が主体的に選んでいるのではなく、選ばされているだけなのである。
僕らが何かを語るといっても、すでに誰かが語ったことをなぞっているだけである。まったく新しい言語で話すことができれば、「創造的」かもしれないが、それは誰にも通じないことになる。
だから、何がオリジナルか問うてみても意味のないことなのである。そのオリジナルもどこかのオリジナルをなぞっているだけだからだ。
『こんな日本でよかったね』の「あとがき」で、内田樹は構造主義とは「どういう『構え』か、一言で言うと『自分の判断の客観性を過大評価しない』という態度」であり、「構造主義的なものの見方というのは、私たちの日常的な現象のうち、類的水準にあるものと、民族誌的水準にあるものを識別する知的習慣のことであるといえるのではないでしょうか」と述べている。
千野栄一先生は「翻訳できるものと翻訳できないもの」(『文学』1980年12月号→『翻訳』岩波)の中で「大山鳴動して鼠一匹」のような中国起源の慣用語句は西洋のものとは一致せず等価のものすら見出せない、と書いたのだが、柳沼重剛の『語学者の散歩道』(研究社出版1991年→岩波現代文庫)で「山々が陣痛を起こすのだろう、そして笑いたくなるようなねずみが生まれるのだろう」(parturient montes, nascetur ridiculus mus.)というのがホラティウスの『詩論』にあることを示しているから、まさに「大山鳴動してねずみ一匹」のような話になった。最後に柳沼は「ただしホラティウスはギリシアの諺をもじって利用したのだと注をつけておく、これがいちばん穏当なやり方であろう」と書いている。
□ 僕の文章は、やたら引用が多いが、もしこれを引用でなくて、自分の言葉で書いたとしたら、ずいぶん賢く見えるかもしれない。でも、そんなことはとっくに考えている人がいるんですよ、ということで、引用だらけになってしまうのだ。ただ、引用元の人が本当にオリジナルで考えたかどうかは分からない。「バツイチ」という言葉は明石家さんまが離婚した時に初めて知ったのだが、その前にそう言っていた人が必ずいたはずだ。ただ、流行させる力を持っていなかっただけだ。
言葉っていうもの自体が自分の発明したものではなく、他人が発明したものを「引用」しているにすぎない。だから、オリジナルなど見つけることは至難の技なのである。
森山未來とともさかりえが出た演劇「ネジと紙幣」では、放蕩息子の森山が「始まりを知ろうとするんだけれど、それが分かってもその始まりがあるんだ」と嘆く場面がある。宇宙がビッグバンでできたらしいことは理解できるが、一般人は、「では、ビッグバンの前はどうだったの?」と問いただしてしまう。何もなかったといわれても釈然としないが、何もなかったのである。
□ 正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は名句中の名句として知られる。ところがこれには元歌があって「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」がそれである。実はこれは漱石の俳句なのである。
「柿くへば…」が発表されたのは明治28年11月8日『海南新聞』であり、「鐘つけば…」、、それに先立つこと2か月、明治28年9月6日『海南新聞』だった。子規の代表句は漱石との共同によって成立したといえるものなのである。愚陀仏庵(ぐだぶつあん)における二人の友情の結晶だった。「柿くへば…」は、子規が松山から東京へ帰る途中、奈良に立ち寄ったときに作られた。この奈良行きが、子規にとっては最後の旅となり、この旅の費用を貸したのが漱石だった。つまり、「柿くへば…」は元ネタも費用も漱石に頼っていることになる。この後7年間、子規は病床に伏し、ついには亡くなる。
坪内稔典は『俳人漱石』(岩波新書)で「鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは、これ、寺の風景として平凡です。はっとするものがありません」「『柿くへば鐘が鳴る』は意表を突く。あっと思うよ」という。正岡子規自身、「柿などヽいふものは従来詩人にも歌よみにも見離されてをるもので、殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかつた事である。余は此新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかつた」(「くだもの」明治34年)と書いている。
坪内は『柿喰ふ子規の俳句作法』(岩波書店)でも「子規の代表句は、漱石との共同によって成立した。それは愚陀仏庵における二人の友情の結晶だった。」「個人のオリジナリティをもっぱら重んじるならば、子規の句は類想句、あるいは剽窃に近い模倣作ということになるだろう。だが、単に個人が作るのではなく、仲間などの他者の力をも加えて作品を作る、それが俳句の創造の現場だとすれば、子規のこの場合の作り方はいかにも俳句にふさわしいということになる」という。
柿喰(かきくい)の俳句好みしと伝うべし---正岡子規 □ 考えてみれば、俳句の創始者・芭蕉だって、『奥の細道』の内容は同行した曾良の『奥の細道随行日記』とは異なるものである。曾良の記述が正しいと言い張っても何も出てきはしない。
1973年にあのねのねが歌った「赤とんぼの唄」というのがあった。「赤とんぼ 赤とんぼの 羽根を取ったら アブラムシ/アブラムシ アブラムシの 足を取ったら 柿の種…」と続くのだが、蕉門十哲の一人と言われた俳人宝井其角(たからいきかく)が「あかとんぼ/はねをとったら/とうがらし」という句を詠んだ。これに師匠の松尾芭蕉が「それじゃ、俳句とはいえん。おまえはトンボを殺してしまっている」といって、手を入れて「とうがらし/はねをつけたら/あかとんぼ」と返したというから驚きだ。アマール・ナージ『トウガラシの文化誌』(晶文社)に出てくる話だ。
□ 哲学者カントは黒人の芸術は真似ばかりで独創性がない、と言った。これに対して、ヘンリー・ルイス・ゲイツは『シグニファイング・モンキー』(南雲堂フェニックス)で言い返している。独創性なんてつまらぬものにこだわるのはヨーロッパ人だけだ。むしろ互いの作品を引用し、改変し合うことこそ黒人文化の力である。それに、白人文化のご本尊シェークスピアだって、他人の作品の書きかえばっかりやっているじゃないか、と。黒人文化における改変とは、ジャズを思い浮かべればわかりやすい。『サウンド・オブ・ミュージック』の「私のお気に入り」を、ジョン・コルトレーンはソプラノ・サックスで見事に吹きかえている。あれは独創なのか模倣なのか。そのどちらでもある、と言い切っている。
『ノルウェイの森』とは違って、『ダンスダンス・ダンス』の場合は書きはじめる前にまずタイトルが決まった。このタイトルはビーチボーイズの曲から取ったと思われているようだが、本当の出所は(どちらでもいいようなものだけれど)ザ・デルズという黒人バンドの古い曲である。日本を出発する前に、家にある古いレコードをひっかき集めて自家製オールディーズ・テープを作っていったのだが、その中にこの曲がたまたま入っていた。いかにも昔風リズム・アンド・ブルースというタイプの曲である。のんびりとしていて、ざらっとした雑な感じで、その辺が不思議に黒っぽい。その曲をローマで毎日聴くともなくぼんやり聞いているうちに、タイトルにふとインスパイアされて書き始めたのだ。もちろんビーチ・ボーイズにも同じ曲があることは知っていたけれど(高校のときによく聴いた)、直接的な始まりはこのデルズの曲の方である。
この小説は始めから終わりまでだいたいすんなりと気持ちよく書けたと思う。『ノルウェイの森』は僕としてもそれまで書いたことのないタイプの作品だったし、「この小説はいったいどういう風に受け入れられるんだろう」とあれこれ考えながら書いたのだけれど、この『ダンス・ダンス・ダンス』に関しては、そんなことはまったく考えずに、自分の書きたいようにのびのびと好きに書いた。隅から隅まで僕自身のスタイルの文章だし、登場してくる人物も『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と共通している。だから久しぶりに自分の庭に戻ってきたみたいで、すごく楽しかった。というか、書くという行為をこれほど素直に楽しんだことは、僕としても稀である。「冬が深まる」(村上春樹『遠い太鼓』講談社文庫)
2011年に「白い恋人」の石屋製菓が「面白い恋人」の吉本興業を訴えるという事件があった。目くそ鼻くそを笑う、とはこのことだ。「白い恋人」は明らかに記録映画「白い恋人たち」のパクリだ。先に売りだしていたというのなら、納得はできるが、お菓子の方が遅い。商品名の由来は、ある年の師走に創業者がスキーを楽しんだ帰りに「白い恋人たちが降ってきたよ。」と何気なくいった一言によるとされ、紙箱のパッケージ裏面に記載されている。これは映画をパクったものではない、という言い訳にすぎない。誰だって「白い恋人」と聞いたら1968年のグルノーブル冬季五輪とフランシス・レイが作ったテーマ曲を思い出すからだ。「白い恋人」の発売は1976年だ。石屋製菓は賞味期限偽装で問題になったこともある。パロディが許されない社会になったら、どうするのだろう。だいたい、ラング・ド・シャ(猫の舌)なんてお菓子はオリジナルじゃない。「ラーメン」は中国のものだから、日本人が「ラーメン」という名前を使ったり、販売してはいけないというようなものである。さすがにエッセイの専門家は文章がうまいので、コピーする。
天声人語2011年12月3日(土)
先の戦争中に「ぜいたくは敵だ」のスローガンがあった。これに「素」を足して、「ぜいたくは素敵(すてき)だ」とやったシャレはパロディー史に燦然(さんぜん)と輝く。この手のもじりの面白さには「法則」がある。言葉の変化はできる限り小さくて、意味の変化が大きいほど、笑いの声は大きくなる▼「白い恋人」を「面白い恋人」とやったのは、法則通りといえる。北海道の名高い菓子をもじり、大阪の吉本興業などが関西の駅や空港で売り出した。いかにも大阪らしい「本歌取り」に、ニヤリとした向きは多かったろう▼それを「本家」の石屋製菓が商標権侵害で訴えた。長年かけて育てた商標や名声を、丸呑(の)みされたような立腹は分かる。とはいえ、どちらの肩を持つか。法律解釈はおいて、巷(ちまた)の声は色々のようだ▼文芸作品でも、たまに議論がある。たとえば寺山修司の一首〈向日葵(ひまわり)の下に饒舌(じょうぜつ)高きかな人を訪わずば自己なき男〉には、中村草田男の〈人を訪はずば自己なき男月見草〉という先行句があった。これをどう見るかはなかなか難しい▼遊び心で通る手法もある。4月の小紙俳壇の〈雪とけて村一ぱいの休耕田〉を、選者の金子兜太さんは「一茶の『雪とけて村一ぱいの子ども哉(かな)』の本歌取り成功」と評した。これなど作者の「お手柄」といった感がする▼世の中に名手はいるもので、先の川柳欄にさっそく〈「面白い変人」ならば揉(も)めてない〉の寸鉄が載っていた。お菓子の訴訟に、パロディーの「妙と副作用」を考えさせられる多くの人は「正しさ」を求めてオリジナルを追求するが、「オリジナル」とか「根源的」とかいうものはないのである。
本当はどうだったか、ということより、今現在、みんなどう考えているか、ということの方が面白いのであって、起源は案外つまらないものだったりする。
日本の近代はクラーク博士に育てられたといっても過言ではないが、“Boys, be ambitious!”がたまたま「少年よ、大志を抱け!」と訳されたからそうなったようなもので、本当は「野心を持て」という意味だったようだ。出身地のニューイングランド地方でよく使われた別れの挨拶(「元気でな!」)だったという説もある。そのクラーク博士本人だって、ジョン・エム・マキ『クラーク−−その栄光と挫折』(北海道大学図書刊行会)によれば、アメリカにおける晩年は鉱山会社を破産させたり、詐欺師のようなものであったらしい。それでも多くの弟子を「育てた」(8ヶ月の滞在で彼に直接科学とキリスト教的道徳教育の薫陶を受けた1期生からは佐藤昌介北海道帝国大学初代総長や渡瀬寅次郎東京農学校講師で実業家らを輩出しただけだったが、2代目のホイーラー教頭もクラークの精神を引き継いだため、2期生からは新渡戸稲造、内村鑑三、広井勇、宮部金吾ら「札幌バンド」と呼ばれる人々を輩出した)のだから、ウソでもいいのだ。こういうのを“sentimental fallacy”(感傷的誤謬)ということがあるが、どんな偉人だって、あら探しをすれば、埃が出てくるものだ。
ワシントンが少年の頃、桜の木を切ったことを正直に父親に告白したことから正直者だとして知られるが、ずっと後の伝記作家のでっちあげであることが知られている。
リンカーンのゲティスバーグの演説は名演説だとされるが、実際には失望で受け止められ、拍手もなかったという。親友のラモンにリンカーンは"Lamon, that speech was like a wet blanket on the audience. I am distressed by it." (濡れた毛布は火事を消すことから「白けさせるもの」の意)と言ったことが知られており、今目にする原稿は後に改訂されたものらしい(3分で終わりそうもない)。
日本でも大岡越前の多くの話がイソップやその他の外国の話でできていることもよく知られている。水戸黄門に至っては…。
だから、僕らが問題にするのは「言説」(ディスクール)というものである。今、ここで語られていることの価値を見い出すことである。
□ ユーミンの「卒業写真」という曲は今でも卒業式シーズンになると聞こえてくるのだが、多くの人は憧れの男性を歌ったものだと思っているだろう。
ところが、ある番組によれば、これは女性教師のことを歌った曲で、「遠くでしかって」というのも恩師だからだという。
ところが、ウィキペディアを見ると、「歌詞の内容から恋人と思われがちであるが、同性の友人のことである。(松任谷由実のオールナイトニッポンで松任谷自身が解説)」と書いてある。
どれが本当だか分からない。
でも、この曲が気に入っている人がそれぞれの理由で好きになっていればいいのだ。
□ 毎日新聞「余録」に次のようなエッセイが載った。「雁風呂」があったのかなかったのか、語源は何なのか、いろいろな問題を感じさせる。
余録:襲われたトキ(2010年3月13日)
浜辺の木片で風呂をたき、雁(がん)を供養したという「雁風呂」伝説だ。江戸期の随筆によると、秋飛来する雁は海上での羽休めのためにくわえてきた木片を浜辺に落とす。翌春、雁はそれを拾って北に帰るが、越冬中に落命した鳥の数だけ木片が残るという▲津軽の外ケ浜の伝説といわれるが、地元ではそんな言い伝えはないという。ただ筒井功さんの「風呂と日本人」(文春新書)によると「外ケ浜の釜風呂」は江戸時代には実在した。当時の記録では、山土を盛って作った蒸し風呂だったそうだ▲今ではあった場所すら分からないが、カラブロ(蒸し風呂)がカリブロに転じ、哀切かつ珍妙な話と結びついたのではないかと筒井さんは見る。「雁風呂」は今も歳時記に残され、冬鳥が帰るこの季節に俳人たちの情趣をそそり続けている▲雁風呂の記述のなかでも古い正徳年間の「滑稽(こっけい)雑談」では、それが越の国の海島の風習とされている。もしかしたら伝説のルーツは佐渡かもしれない。【…】
こんなエッセイも載ったことがある。
余録:スポーツ受難の語り部(2010年5月31日)
古代オリンピックで優勝者に贈られるのはオリーブの冠だけだったといわれている。「金品のためではなく、ただ卓越性を求めて戦う」。ギリシャ人の民族的誇りが後の五輪精神のもととなった▲実際は違ったようだ。ポリス(都市国家)を代表して出場し、優勝の栄冠を勝ち取った選手はたちまち英雄扱いされ、さまざまな特典も用意されていた。名だたる詩人が競って祝勝歌を作り、優勝者の名が刻まれたゼウス神への各種奉納品も各地で出土している▲競技での勝利が国からの報奨金や税金の免除などの形で実利に結びつくようになると、競技に専念する実質的な「プロ選手」が出現する。さらにオリンピックに出場する選手たちの互助組織として「選手組合」も生まれたという。現代のスポーツ事情とそっくりだ▲古代オリンピックは紀元前776年に始まり、紀元393年にローマ皇帝の命令で中止に追い込まれるまで実に1200年近くにわたって4年に1度、欠かすことなく293回も続いたという。オリンピック期間中の休戦協定もほぼ守られたというからこちらも驚きだ。【…】
□ 作家の二葉亭四迷のペンネームが「くたばってしまえ」から来ているというのはよく知られた話である。ところが、この説を裏付ける証拠がない。どこにも書いてないというのだ。「書いてない」というのは紙メディアを絶対視していることにもなるのだが、書いてなくてもそんな気持ちで付けたと言ったかもしれず、違った由来で付けたのだが否定はしなかったかもしれず、また、他人からそう言われているうちに、そのままにしているということもある。本人だって、そのうちどうでもよくなることがある。
でも、「二葉亭四迷」というペンネームが「くたばってしまえ」から来ているというのは日本のペンネーム史上、惨然と輝く「言説」であることは間違いない。「江戸川乱歩」だって、そんなペンネームの付け方を知っていたから、ポーの名前を日本風にしたのかもしれないし、命名の瞬間は意識しなかったにせよ、サブリミナルとして無意識の中にあったかもしれない。
本当のことは誰にも分からないのである。次の詩は中島みゆきが一番好きな詩だといっている詩だ(ほんと)。
「うそとほんと」 『谷川俊太郎の問う言葉答える言葉』
うそとほんとはよく似てる
ほんとはうそによく似てる
うそとほんとうは双生児うそはほんととよくまざる
ほんとはうそとよくまざる
うそとほんとは
化合物うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ“history”と“story”は同じ語源である。歴史と物語というのは西欧でも、では区別がついていないのである。羽仁五郎のエッセイ(『羽仁五郎歴史論抄』筑摩書房)に、ある歴史家が窓の外で起きた事件の真相を知ろうとしたが、話がみんな食い違っていて分からない。自分で見に行ったが分からない。まして歴史というのは自分が見てもいない昔のことを書くということはどういうことだろうと反省したと書いている。
フィクションだが、黒澤明の『羅生門』は一つの「事実」が語る人によってまるで違ってくることをテーマにした映画だった。京都学派の今西錦司は「真理は一つでなくてもええんや」と言っていたし、高坂正堯は「真偽の境は定かならず」と色紙に書いていた。
関係している人さえも分からない、生み出した本人だって分からないのに、何が「真実」だと言えるのだろう。
ドイツの哲学者フッサールは「伝統とは起源の忘却である」といっている。逆にいえば、起源が分からなくなって、忘れてしまうから、伝統と呼ばれるものが生まれてくる。伝統をありがたがるのは今、ここで生きている人間なのだから、それはそれでいいのだ。
起源を求めれば「正しい日本語」が分かるというなら、「本腰を入れる」(NHKでは使ってはいけない言葉になっている)とか「女性上位」(時代)などを使う度に顔を赤らめなければならない。
西江雅之『異郷日記』(青土社)の「バリ島観光の中心地のひとつ、ウブド」では、夜になるとお寺で音楽と踊りのショーが行われるが、すでに祭りや儀式の宗教性が薄められていて、観客用になっている。批判する人も多いのだが、先生は「伝統とは未来である」という。人が何か行動を起こそうとする時…我知らずに何かの文化基準に従って行動を起こしてしまう。たとえば日本では“四”という数は、“死”という意味に通じるといって、…避けられる」。伝統はそれ自体、「支え」となって人に行動を起こさせるが、行動とは、一瞬ごとの今の更新が、ひたすら未来へなだれこんでいくことである。だから「決して過去だけで成立するものではない。伝統は、一瞬先に待ち構えているもの」だという。「伝統は創られ」ていくものなのだ。
時代に合わせて変化しないものは残らないから「伝統」になりえないのだ。「お歯黒」という「伝統」があったが、どの形にせよ残すことはできなかったから、「伝統」にはなっていない。その他多くの江戸の「伝統」は手を替え品を換え、生き残っているから「伝統」として胸を張れるのだ。とはいえ、江戸時代そのままに残っているものは少ない。
□ 言葉というのは誰かが作ったものではない。自分で自分の独自の言語を作ったという人はいない。他人と接することがなければ言語は成立しないからである。誰もが親から言葉を学んでいる。オリジナルな言葉などというものはないから、言葉にオリジナリティなんてことはないのである。
内田樹は『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)でロラン・バルトの「作者の死」の「テクストはさまざまな文化的出自をもつ多様なエクリチュールによって構成されている。そのエクリチュールたちは対話をかわし、模倣し合い、いがみ合う。しかし、この多様性が収斂する場がある。その場とは、これまで信じられてきたように作者ではない。読者である。【…】テクストの統一性はその起源ではなく、その宛先のうちにある。【…】読者の誕生は作者の死によって贖わなければならない」を引用して、「このことはそのままインターネット・テクストに当てはめることができる」と言っている。また、リナックスOSを引き合いに出して「作家やアーティストたちが、コピーライトを行使して得られる金銭的リターンよりも、自分のアイデアや創意工夫や知見が全世界の人々に共有され享受されているという事実のうちに深い満足を見出すようになる、という作品のあり方のほうに惹かれるものを感じる」と語っていて、「快楽を求めたバルトの姿勢を受け継ぐ考え方のように思われる」という。オリジナリティなんてみみっちいことを言うんじゃないよ、ということだ。
人は誰の手助けも受けずに生まれることはない。生まれたからも見えたり、隠れたりする、さまざまなものからの影響を受けて生きているのである。
『詩人の墓』へのエピタフ 谷川俊太郎『トロムソコラージュ』(新潮社)
無限の沈黙である私は
お前に言葉を輿(あた)へてやらう。
「神が人間を考へる」ジュール・シュペルヴィエル 中村真一郎訳生まれたとき
ぼくに名前はなかった
水の一分子のように
だがすぐに母音が口移しされ
子音が耳をくすぐり
ぼくは呼ばれ
世界から引き離された
大気を震わせ
粘土板に刻まれ
竹に彫りつけられ
砂に記され
言葉は玉葱の皮
むいてもむいても
世界は見つからない
…【2010年3月3日】
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