三大美味と富山------鴨とネギ 小田嶋隆の『我が心はICにあらず』(光文社文庫)の定義によると「貧困とは昼食にボンカレーを食べるような生活のことで、貧乏というのはボンカレーをうまいと思ってしまう感覚のことである。ついでに言えば、中流意識とは、ボンカレーを恥じて、ボンカレーゴールドを買おうとする意志のことだ」という。
僕は赤ワインと白ワインの区別もできないし、ボンカレーよりもLEEの方が好きだ。そんな僕がこんな文章を書いていいのか分からないが、そんなことを言っていたら何も文章が書けない(ヘボ教育者なのに教育論だって書けるのだ)ので書いてみた。
グルメなんてあまり信用しない。ドナルド・キーンの『声の残り 私の文壇交遊録』(朝日文庫)に出てくる吉田健一は独特の美食家だったという。
普通吉田は、料理が出ても、ほとんどなにも食べないのだった。どちらかというと、眼で食べた------彼は料理を見ることのほうが、好きだったのである。特に見事に料理され、美しい皿や鉢に盛りつけて出される日本料理がそうだった。
世界の三大美味というと誰が決めたのかキャビア、フォアグラ、トリュフということに決まっている。
でも、「黒い宝石」と呼ばれるキャビアは富山の甘海老の卵に勝てない。新鮮な卵を丁寧に抜いてワサビ醤油で食べると「深緑の宝石」のように思えてくる。『開高健 一言半句の戦場』(集英社)「食べる地球」で開高はキャビアより、東北の山菜のトンブリがキャビア以上だという。
フォアグラも富山湾で取れる鮟鱇(アンコウ)の肝には負ける。
トリュフに相当する食べ物は見あたらないが、松茸の香りの方が繊細で、何よりも上品だ。木の蓋を開いて笹を開いた瞬間に広がる鱒寿司の匂いにも抵抗しがたいものがある。
三大美味の他にエスカルゴや北京ダックなども世界の美味とされる。
エスカルゴはバイ貝そのものだ。ニンニクを使って料理したバイ貝を、エスカルゴ用のティエールという皿に載せて殻を取る専用のハサミを使って食べてみよう。カタツムリを食べる民族が野蛮に見えてくる(はずだ)。
イタリアでイカ墨のスパゲッティを食べたことがある。イタリア語で“spaghetti al nero di seppia”といって、あの「セピア色」のセピアが使われるのだが、イカ墨から作った色を昔使っていたからだ。これも、富山では「黒作り」といって、イカ墨で作った塩辛がずいぶん昔からあって、将軍に献上されたことが知られている。
赤坂ラビスカのイカ墨スパゲッティ(レシピ) こんかいわし(「米糠鰯」)富山のアンチョビーだ。
何がおいしいか、というのはまさに文化だ。民族だ。『シュレック』では1日目の夕食にフィオナ姫がソプラノで歌を歌って、あまりにも高い声に小鳥が焼死してしまう。その小鳥が残した卵で目玉焼きを作って出す。シュレックが当番の2日目の夕食は野ねずみのシシカバブになる。姫が「おいしい」というと、シュレックは「自慢じゃないけど、俺の作る野ねずみのシチューも絶品だ」という。このシーンが二人は同じ種族だということの伏線になっていたのだ。
悔しいのは北京ダックである。カモとアヒル(家鴨)を掛け合わせたアイガモ料理は富山にあるが、あの味を見つけることは難しい。
中国に行った時、王府井(ワンフーチン)にある北京ダックのお店に招待された。
北京ダックというのは生後50日くらいのアヒルに無理矢理、機械で高蛋白を与えて柔らかくする。そうしてできた肉に飴を塗ってゆっくり、ゆっくりと焼く。
フォアグラだって残酷な作業を繰り返す。同じように機械でコーンなどの餌を無理矢理、胃の中まで詰め込むのだ。この強制肥育をgavageといい、柔らかくしたトウモロコシをチューブで無理矢理1日に3回、1カ月続けるという。大体、「フォアグラ」foie grasというのも高級なフランス語に見えるが「肥えた肝臓」という、ごく普通の名詞なのだ(「脂肪肝」というと誰も食べなくなるだろう)。ちなみにローマ時代からフォアグラはあり、アピキウスの『料理帖』の中でも触れられている(7巻260)が、当時は鵞鳥ではなく、豚の肝臓が使われていたという。アピキウスの本にはトリュフも登場している。正確にいうと多くの鳥が食べられている。
さて、人間て何て残酷なんだろうとちょっとだけ反省するものの、北京ダックの色つやや香ばしさを前にすると食欲が止まらなくなる。
ピンという薄い餅のような、クレープのような皮に、北京ダックと薬味の甘味噌とネギを好きなだけ載せて、くるんで食べる。
「カモネギ」とはよく言ったものだと、その絶妙の組み合わせに感心する。
■ 「カモネギ」といえば、鴨ラーメンを食べたことを思い出す。
神田で古本屋さんを回っていた時に「鴨ラーメン」という看板を見つけたので入ることにした。
お昼どきなのにお客は僕一人。しかも千円。
嫌な予感がしたが、案の定、直径3センチほどの鴨肉の円いかけらが1個乗っていただけ。少しむっとして尋ねた。
「これで鴨ラーメンなの?」
すると、ちょっと「舎弟」風の主人が冷たく言い放った。
「カモはあんただよ」。
※ある新聞社のホームページコンテストのために書いた文章。
1000字以内という制限でテーマは「食」だった。
「優秀賞」にしかならなかったのでショックだった。
まあ、懸賞金目当てというのが丸見えであんまり好きな文章ではない。
1万の食事券と2万のパソコンスクール利用券(!)だった---教えたことはあるが、教わったことがないので使えなかった。
ちなみに、くみしやすい相手を「カモ」と呼ぶのはアヒルの原種のマガモが元来、人に懐きやすい性質を持っているためである。カルガモは警戒心が比較的強いから「カモ」にはならない。
鴨南蛮(かもなんばん)というのも、西洋の料理を日本風にしたのだと思っていたら、違っていた。南蛮とは葱を意味し、大阪の難波の転訛という説もあるし、難波はネギの産地だったという話もある。発祥は『嬉遊笑覧』に記述があって、文化年間に馬喰町に存在した「笹屋」だそうだ。
■ 映画『ディーバ』の中でキャビアのおいしい食べ方が出てくる。郵便屋さんのジュールは、レコードショップで知り合ったベトナム人のアルバが一緒に住んでいるという男のところへ行く。男が水中眼鏡にシュノーケルというかっこうで玉葱を刻む。続いて、バゲットをナイフでかききり、バターを塗り、キャビアを載せる。そばに立っているジュールにしゃべりながら「悟りの境地だ」というシーンがある。
■ 米原万里の『旅行者の朝食』(文藝春秋)にはYKKがチョウザメのジッパーを開発したと書いてある。帝王切開でキャビアと取り出し、ジッパーで元に戻すことで何でも親魚が産卵できる方式を実現したのだという。---と書いてから、あれはウソだったと種明かししている。
■ 先日、テレビを見ていたら、地方局のアナウンサーが「タレントの薦める名店」でアンキモを前に「私、アンキモを食べたことがないのですが挑戦してみます」といって食べて「おいしい!」を連発していた。アンキモも知らないくせにグルメ番組に出るな!暗記物だけの優等生は要らない。
同じく『旅行者の朝食』に出てくるが、まずいものだらけのソ連の缶詰の中で鱈肝(たらきも)の缶詰は掘り出し物だそうだ。フランスパンにたっぷりつけて出すとみんなフォアグラだと思ってくれる、という。
ちなみに「フォアグラ」というのはフランス語で「太った(脂肪だらけの)肝臓」という普通名詞だ。アピキウスの料理書によれば、ローマ時代の「カレイと平目のフォアグラ」は魚に無理やりワインといちじくを食べさせて肝臓を肥大させたものだという。
■ 鈴木大拙は「食べる人は抽象的になり易く、作る人はいつも具体の事実に即して生きる」と言ったが、美食家というのは本当にそんなところがある。
《付録》日本の三大珍味
江戸時代初期の通説では「越前のウニ」「三河のコノワタ」そして「長崎のカラスミ」が三大珍味といわれたようだ。特にカラスミは幕府の直轄領の長崎奉行から幕府に献上されていた。越前も数十万石の大藩、三河尾張は徳川御三家の筆頭でそれぞれ、手厚く保護されていた。
カラスミというとさだまさしのグレープ時代の名曲に「朝刊」というのがあって、手土産にもらったカラスミを「わざわざ煮てだめにして」というフレーズがある。カラスミはその形が中国製の墨、すなわち唐墨に似ている所からつけられたというのが定説。吉田健一は『食物誌』(中公文庫)で次のように書いている。
死ぬ危険を冒しても一度は食べて見るのに価する河豚の卵と対照をなすものにこの唐墨があり、これはさういう優しい味がするものである。そして上等なのは舌触りがねっとりしていて、その優しい味といふのをもう少し説明する乾し柿のやうでもあれば、よく焼き上げたパンの耳にも似た所があり、そしてどこか胡桃を思はせるものがある。
ナマコを最初に食べた人は勇気があると言われるが、『古事記』にも出てくる。古くは単に「コ」と呼ばれた。「ナマコ」は本来は調理をしていない(生の)「コ」を指す。この名残が「このわた」(「コ」の腸)、「いりこ」(煎り「コ」)、「このこ」(「コ」の子)という語に残っている。丸谷才一が『双六で東海道』(文藝春秋)の「孔子とコノワタと大根おろし」で書いているが、川上行蔵の『日本料理事物起源』には1メートルものコノワタを食べた話が載っている。
「ナマコ」 まど・みちお(まど・みちお全詩集)
ナマコは だまっている
でも
「ぼく ナマコだよ」って
いってるみたい
ナマコの かたちで
いっしょうけんめいに…三大珍味には自選、他選でいろいろあるようだ。“本家”三大珍味としては、「コノワタ」「ウルカ」「鮭の背ワタ」を入れているのだ。 “元祖”三大珍味では、「コノワタ」のかわりに「三陸のホヤ」が入る。また、「越前のウニ」ではなく、「越前ガニの子」を加えるものもあるらしい。金沢では「カラスミ」「コノワタ」に「クチコ」が三大珍味とされる。
長崎のカラスミと能登のコノワタと越後のウニという説もある。これだと北陸が二つも入っていてバランスが悪い。それでいて、富山にいる僕らも「越後のウニ」など知らないのだ。
これらの珍味が日本だけだと思うのは大間違いだ。ウニはローマ人の大好物だった。フランス料理でも高級食材で、オムレツに入れたりする。
カラスミもトルコやギリシャなどの地中海に起源があるという。フランスでは「ブータルグ」、イタリアでは「ボッタルカ」という。古代エジプトや古代ギリシャですでに作られていたことがわかっているし、似たような食品は今も地中海沿岸で珍重されている。ロートレックだって料理本の中でカラスミの作り方を紹介していて「キャビアほど微妙ではないが、愛好家には喜ばれる」という。
いずれにしろ、珍味とゲテモノとの違いは微妙だ。
料理家でもあった伊丹十三の『タンポポ』で役所広司が演じたヤクザな男は虫の息で恋人(黒田福美)に語る。えさの少ないころになるとイノシシは山芋ばかり食う、それを撃ってさ…山芋が詰まった腸を取り出してさ…あぶってさ…輪切りにしてさ…わさび醤油につけて食うとさ…うまいんだってさ…。
□ 富山で三大珍味というとホタルイカ、黒作り、鱒の寿司というところだろうか。
三大美味というとブリ、甘エビ、白エビ(ヒラタエビ)だろうが、最後は人によって異なるだろう。
好き嫌いはいろいろあるだろうが、村上春樹のようにいつか突然食べられるようになることもある。
何によらず、これまでにできないと思っていたことが何かの拍子に突然できるようになったり、これまでよくわからずにもやもやしていたものが突然理解できたりするのは人生における大いなる喜びのひとつだと思う。そういう時はあたかも目の前の不透明なヴェールが一枚すっとはがれたような気がするものである。
ヴェールがはがれるというのはこの場合の表現としていささかオーバーに過ぎるかもしれないけれど、ある日突然納豆が食べられるようになった。僕は関西生まれの関西育ちなので、十八の年に東京に出てくるまで納豆な
んて見たことも食べたこともなかった。東京に出てきた時に物珍しいので町の食堂で試しにおそるおそる食べたみたのだけれど、ムッとした感じの奇怪な味で、とても好きになれず「これは×」と決めたまま約十七年が経過した。
-----「納豆をめぐる朝食あれこれ」日本エッセイストクラブ編 『人の匂ひ』文春文庫)
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