ドキュメンタリー・「学級崩壊」→再生

まさか、こんな文章を書くとは思わなかった。話には聞いていたけれど、何だか遠いところの話だと思っていた。でも、きっと参考になるかもしれないと、思い切って書くことにした。立ち直ることができずに参考にならなかったら、本当に困るのだが…。

※同時進行中なので、どうか密かに見守っていてください。プライバシーを最優先させて考えてください。

 高度成長のあと、七十年代の半ばからさまざまな問題が教育の現場や家庭に起こるようになった。いじめや校内暴力や家庭内暴力だ。高度成長後に教育のシステムや教育に対する考え方が変わったためにそのような問題が起こるようになったのではない。教員免許の取得が容易になったわけでもない。親の教育的関心が低下したわけでもない。高校進学率が驚異的に上がったのだから、親や社会の教育的関心は逆に高まったと考えるべきであろう。にも関わらず、それまでにはなかった問題が噴出したのだ。

 七十年代は半ばに噴出した問題は深刻さを増して現在に至っている。しかし、現在の教育の状態は「崩壊」なのだろうか。精神医学で言う「人格の崩壊」とは、おもにアパシー、つまり無感動・無反応の状態を指す。彼は自分の人格が崩れ去っていることに気づいていないし、外界からのどんな刺激にも反応しない。わたしたちは教育の現場からの報告に反応し、対策を考えようとしている。

 わたしは「教育の崩壊」という言い方は間違っていると思う。日本の教育は、世界規模の産業形態の変化や、それに伴う日本の政治・経済システム、考え方の変化に対応できていないだけで、決して崩壊しているわけではない。「教育の崩壊」という表現がメディアなどで好まれるのは、崩壊という捉え方が、変化に対する思考停止を容認するからだ。

 村上龍『「教育の崩壊」という嘘』(NHK出版)


☆崩壊の序章

 娘のクラスが「学級崩壊」状態にあることは、小学校3年生の時、2001年5月頃に気づいた。誰かが教室を出ていってみんなで探したとか、家に帰った子がいるとか、いろいろ聞いた。「今日も森の中へ探しに行ったよ。でも、近くの工場の方まで行っていた」などと娘が話していた。ガラスが割れたという話もよく聞いた。

 何度か授業参観があったが、特に担任からそんな話はなくて、それなりに授業は成立しているのかなぁと楽観していた。ただ、6年生の兄の方から、ずいぶんとひどいクラスで、何人も人を蹴ったり、授業を抜け出したり、いうことを聞かない子がいっぱいいるといわれていた。半年後には「学級崩壊」状態かもしれない、と思うようになった。

 また、ときどき、他の先生も授業に来て、監視している、という話も聞いた。

 親ばかなのだが、積極的だった娘が3年生の間に、かなりぐずぐずしたタイプに変わってきた。そういうお年頃だと思ってはいたが、学校にも何か原因があるのではないかと心配していた。ときどき、「ずっと絵を描いていた」と話していて、どうやら話を聞かないで、一人で絵を描いたり、頼まれると描いてあげたりしていたようだ。

 担任が替わりそうだということは何となく聞こえてきたので、4年生になれば雰囲気も変わるだろうと思っていた。

 ところが、3月になって担任が教師を辞め、事態の深刻さが分かった。表向きは親の看護だそうだが、学級の状態と無関係ではないと悟った。

 娘もあまり話さなかったのだが、3年が終わって春休みになり、先生が退職されることが決まってからボツボツと話し始めた。6年生だった息子も「(あの学年は)ひどかったもんなぁ」と話に加わった。担任は授業では元気がなくて、うつぶせになることも多かったのだが、クラブなどでは元気だったという。その担任を蹴る子もいたようだ。

 ちなみに30人ぐらいのクラスで、多すぎるということはない。「学級崩壊」というと少人数学級をという要望が出るが、少ないからといって「崩壊」しないわけではない。


☆新担任

 4年生になって異動してきた女の先生が担任になった。竹を割ったような、あっさりした性格の先生らしい。

 授業参観があって、妻がいってきた。直後の懇親会で新担任から大変な状況だということを言われたようだ。「長い間、いろいろなところで担任をしていましたが、こんなクラスは初めてです」と語ったそうだ。

 全く気づいていなかった親もいたという。慌てて先生のところに詰め寄って、うちの子はどうしていますか?と聞いている人もいたという。「いつでも参観に来てください」といわれたという。

 先生は「オンリー1」というプリントを用意して、隔日くらいに、子どもたちに達成したことを一行で書かせて、先生の観察記録を裏に書いたものを配ってくれた。

「午前中は授業らしかったが、途中からだれてしまったようです」などという言葉が書かれていた。


☆同級生の事故

 同じクラスだったT君が富山市に引っ越していった。転校した直後に自動車事故で重体となった。娘のクラスはこの時、緊張感が漂い、T君のために千羽鶴を折ることを決め、もちろん、お見舞いに行った子も多かった。意識不明だったのだが、意識が戻って、同級生のことを思い出したという話で、一気にまとまったという。

 1ヶ月過ぎて、T君が退院して、みんなに挨拶に来たという。大いに盛り上がったという。

 何もやる気のないクラスではないことが分かる。


☆学級崩壊参観

 想像はできても、見ておかなければ話にならないと思って、小学校へ参観にいった。4限目だったのだが、その前に娘がお腹をこわして保健室に行っているという電話があった。心配して保健室に寄ると、教室に戻ったとのことだった。

 2階の教室に行くと、娘が元気で遊んでいた。

 先生が来てから授業が始まった。その前に授業参観があったのだが、その時は算数の桁を勉強していて、ある子の親がホームページで兆から上の位を調べてきていて、みんな久しぶりに盛り上がったのだという。

 その授業の延長だったために、割と落ち着いて勉強していた。もちろん、数人の男の子が立ったり、数字を別の子が書いた時に、Q君は黒板のところまで出ていったりしていた。先生はいちいち注意していなければならない。「あんただけの授業じゃないのよ」と常に口にしていた。

 また、質問にちょっとだけ詰まった子どもに先生が助け船を出したら、先生に「卑怯!」と言った。先生はもちろん、そうした口のききかたをいちいちチェックして「そんな言われ方をしたことはないわ。どうして卑怯なの?」と諭していた。

 5兆円などというお金の単位が出てきたのだが、先生が「みんなだったらお金持ちになったら何に使う?」と質問した。それぞれが答えたのだが、Q君は「ビルを作って爆破する」とか「社長になって従業員をみんな殺す」などと話していた。やれやれ、という感じだった。これ自体は9・11前だったら出なかった言葉かもしれないが…。

 「学級崩壊」の定義はない、といわれていて、どこから崩壊か線引きはできないそうだ。この授業を見ていて、アメリカだったら、許容の範囲かもしれないと思った。ある意味で幼稚園のそのままかもしれないとも見えた。幼いのだ。そこで思い出したのだが、僕の小学校4年生の時のクラスは問題が多くて、先生が過労で倒れたことがあったからそれほど荒れている訳ではないとも見えた。「学級崩壊」という言葉があったら、昔のそうした状態も「学級崩壊」と呼ばれたかもしれない。一人のガキ大将がいて、クラスを暗くしていた。5年の後半から反乱を起こしてガキ大将の地位から引き下ろしたのだが、問題のあるクラスではあった。

 ただ、僕らの頃と比べると先生に対する口のききかたとか、態度とかが荒れた感じがしていた。

 担任も今日はいい方だった、と話していた。

 数日後、廃品回収が行われた時にPTA会長と会った。「いやあ、こんな田舎であんなことがあるとは思ってなかった」と語っていた。どうやら初めて知ったようだった。しかし、校長も「学級崩壊」という認識をちゃんともっていることが分かった。

 ある放送局の人と話したら、「学級崩壊って直らないよ」といわれてしまった。1クラスしかないから、固定したまま卒業したら大変だ。困った。

 2000年度の富山県の学級崩壊は以下のようだったと読売新聞(2001年11月15日)に書いてあった。

 授業が成立しなくなる「学級崩壊」となったクラスは昨年度、県内で小学校十一学級(発生率0・5%)、中学校二学級(同0・1%)だったことが、県教委の調査で分かった。一九九九年度に比べて、中学校では七学級減ったが、小学校では二学級増えた。いずれの学級も六月時点で回復または回復傾向にある。

 学級崩壊は、授業中に児童・生徒が教室を歩き回ったり私語が絶えなかったりして、通常の授業が困難な状態となった学級。県教委は三年前から調査を実施。九八年度は小学校十三学級、中学校二学級で、低い発生率でほぼ横ばいが続いている。

 小学校の学年別では、一―三年が三学級、四―六年が八学級と、高学年がやや多い傾向にある。県教委は「低学年が少ないのは、昨年度から開始した多人数学級への支援講師の効果では」と分析している。

 学級崩壊の状態となった学級に対して県教委は、<1>担任だけで問題を抱え込ませず、サポート体制を作る<2>分かる授業に努める<3>児童・生徒と触れ合う指導<4>保護者と連携――などの対応をとるよう指導している。


☆第1回学級座談会

 5月17日に学級座談会が開かれた。3つほどの日を設定していたのだが、集まれず、夜の会合になった。両親とも参加している家庭が3組あった。机の上にはそれぞれの子どもが「私のいいところ」という題で書いた作文がおいてあった。娘は「私は絵が好きで一日中書いています。夕飯も手伝って毎日作っています」などと書いていた。

 学級代表をしているSさんが司会になった。まず、先生から少しよくなったという現状が話された。一人だけ、生徒が来ていて、その子が「こんな学校だと転校したいです」などと書いている作文など2人分が発表された。調子が上がってきたかと思うと、誰かの後ろ向きな発言から一挙に盛り下がってしまうのだという。そして、収拾がつかなくなるとのこと。

 先生の話の後、一人ひとり授業を参観した感想が聞かれた。僕は学校がこうなるまで情報公開しなかったこと、組織的に対処しなければならないのに校長はどう考えているのか、親の話し合いは続けていこう、などということを話した。

 ある親は「このクラスは入学時にすごい、立派なクラスだと褒められたことを覚えていますか。長男・長女が多くて、しっかりした子が多いといわれていたのに」と語った。長男・長女が多いとしっかりするというのは末っ子だった僕にはあまり気分がよくなかったことを3年ぶりに思い出した。

 3分の2の親が参観に来ていた。感想を聞いて驚いたのは、思った以上にひどかったという親と、思った以上ではなかったという親に分かれたことだった。4年になって当初はやっぱりひどかったらしい。その後も、授業によっては後ろの方でゴロンと寝ている子どもがいるということだった。また、授業が始まっても廊下で遊んでいる子もいるとのこと。

 これでは「群盲、象を撫でる」ようなものだ。学級代表のSさんはほとんど毎日のように顔を出しているらしくて、かなりの全体像が分かっているようだったが、「真実」というのは分かりにくいものだと思った。

 一通り話し終わったところで、Sさんが「当番制」ということを口に出したので、さすがに僕も焦って、「まず、ここにいる親に全員、今月中に参観してもらうことが先決で、それから議論を始めないと、親には仕事もあるし、続かないだろう」と提案して、残り3分の1の人には必ず来てもらう約束をした。

 そこで、今までの話を総合して、まだ話をしていない3分の1の人に考えを述べてもらうことにした。僕もそうだが、誰もが自分の子どもを信用しきっている。

 Q君のお父さんは「まず、先生の『オンリー1』の書き方が変わったことに問題がある。学校が一体、どういう教育方針なのか、プリントごとに違うように思えて信用できない」などという発言をした。

 びっくりして、「どうして?」と聞くと「学校の方針が変わるのはよくない、とホームページに書いてあった」という。「ええっ、ホームページって僕だってもっているけど、ウソばっかり書いていますよ」というと「中國新聞のホームページです」と答えた。

 それだけでかなり驚いたのだが、「どうしてそんなに学校に不信感をもたれるのですか」と尋ねた。「今日はうちの子が一番責められるというような情報を得てきており、いうべきことはいわなければと思った」という。「昨年、何度も担任から注意されたので、それを子どもに告げると、子どもは反発して、親のいうことも聞かなくなった」とのことだった。

 さすがにみんな驚いて声も出なかったので「気持ちは分からなくはないですが、別に今回、Q君だけが悪いと言っているのではなくて、例えば、うちの子だって、見えない部分があるかもしれないと思って、話し合いをしているんですよ」という。実際、うちの子は大丈夫だと思っている人の子どもだって、うちの子どもたちの話から見るとずいぶん悪いところもあるのだ。Q君だけが悪いのではない。

 先生は「そんなことをおっしゃるのだったら、『オンリー1』は止めましょうか」といったので、一部の親は「そんなことはいわないで続けてください」と言った。僕自身は先生の負担になると思うから、どっちでもいいと思ったのだが…。

 まだ話していない親もいろいろと語り、なかには遠足中に係員の説明の最中に子どもたちがカエルと遊んでいて、ちっとも聞かなかったというような事件も披露された。そんなことももっと公にしてほしい。

 次回は1ヶ月後に、全員が参観してから話し合うことにした。

 約束を取り付けてから、すぐに反省した。というのも、親がいる時は、その子どもは(よほどでない限り)おとなしくしているので、実態が分からないかもしれない、ということだった。

 帰ってから、子どもたちに作文の話などをすると、大笑いした。被害者みたいに言っている子どもだって、先生を蹴ったりしていたし、何かあるとすぐに家に帰る、などという子どももいるし、そんな表面的な話では何も分からないよ、ということだった。

 真実は、本当に分からない。あのクラスを活発で、変わった子もいると考えてしまえば、学級崩壊と考えることさえ、ないのかもしれない。 

 その日は深酔いしてしまった。酔いながら、僕らも小学校4年生の時に女の先生が過労で倒れてしまって、代用教員が来ていたことを思い出した。あまり騒ぐこともないのかもしれない……。


☆運動会

 運動会があった。それぞれの親が話しかけてきたのだが、噂によれば、この学級崩壊のことはまだ市の教育委員会には報告されていないようだという。噂だから何ともいえないが、校長の責任とか何とかよりも、組織的に行動してもらうことの大切さが分かっていれば、とっくの昔に報告されていて、校長からも説明があっていいところだと思った。1,2年の担任は厳しい先生だったので表面化していなかったと思っていたが、親によってはその時から芽生えていたともいう。


☆家庭訪問

 6月になって担任の家庭訪問があった。1年前の僕の日記を繙(ひもと)くとと3年の時の担任は「学級崩壊寸前」とかなり弱気な発言をしていたことが分かった。

 1時間も予定より遅れて来られたので、僕も話を聞くことができた。親が入れ替わり立ち替わり授業に来たことや、「お父さん、お母さんにも心配かけるからね」という文句が聞いたこともあって、だいぶ改善されたようだった。

 娘の話はそこそこに、妻に手伝ってもらいたい、という相談になってしまった。息子の学年の時は秋に文化ホールで合唱フェスティバルに出たことがあり、その時も妻がボランティアで指導した。そのせいか、その学年は授業参観の前など、ちょっとした行事の時には上手に歌っていた。同じようなことを指導してもらいたい、という要請だった。

 実は転任して来る前から状態を知っていて、嘆いていたら、前に子どもの学校にいた先生から「金川(睦美)さんがいるから絶対に大丈夫」というメールをもらっていて、少しは気が休まって、転任して来たのだという。歌を通せば、心も和むし、学級としてのまとまりも出てくるので、是非、ということだったので、妻は引き受けた。うちが最後だったせいもあって、1時間も話しこんで、先生は帰られた。


☆第2回学級座談会

 家庭訪問が終わってからだったと思うが、「オンリー1」で授業参観はもう止めますと書いてあった。

 第2回の座談会が開かれることになったのだが、場所が学校ではなく、児童館だという。どうしてか?と世話をしている人に聞くと、校長が「もうすっかりよくなったのではないか」と話していて、学校に迷惑をかけないで開こうということになったらしい。

 ちょっと良くなったから止めましょう、というのでは、“大騒ぎした”かい?がない。

 そして、児童館で座談会が開かれた。

 最初に、第1回の後に見に行った人の感想を聞いた。どの人もすっかりよくなっているとのことだった。また、地域の人による俳句の授業や新聞記者の取材もあって、それなりにまとまってきたようだ。

 もう座談会は必要ないと思うが、意見はないか、というので、「だいぶ改善されたようだが、気を抜くとダメなので、もう1回は開いた方が…」といいかけたところで、担任から、どんなに改善されたか、よくなったか、ということを息継ぐ暇もなく語られ始めた。これで幕引きにしたい、ということらしかった。

 その時に配られた子どもたちの「4月から変わったこと」という作文を見ると、娘は「4月からQ君も騒いだりしなくなったし、みんな自分勝手な行動を取らなくなりました。私は頑張って行こうと〜〜」と書かれていた。

 担任は「嘘ではなく、4月当初のひどい状態は京都で教員生活を送ってきた時から初めてでしたが、今はよくなっています」という言葉が繰り返され、とりあえずの幕引きとなった。

 不安だが、4,5年生ではありえることかもしれないと納得して、会議を終えた。


☆守るべきは教育か教員か

 翌日、先生の実父が亡くなられたので、先生は関西にある実家に戻られ、一週間、教務主任の先生が担任することになった。

 ちょうどその日(2002年6月16日)、朝日新聞に精神分析学の岸田秀の「学校崩壊 守るべきは教育か教員か」という文が掲載された【後に『古稀の雑考』文藝春秋に収録】。要約すると次のようである。

学校崩壊 守るべきは教育か教員か

 わたしに言わせれば、現代日本の教育の崩壊の原因は意外と簡単である。それは、われわれが硬直した教育思想、固定観念に取り憑かれているからである。…教育の崩壊を招いている固定観念とは次のようなものである。

1,みんな潜在的には平等な能力を持っているという観念。
2,誰にとっても勉強は苦痛であるが、がまんして勉強すればそのうち役に立つという観念。
3.一定の正しい教育方法というものがあって、それを実施すれば、生徒の能力が伸び、個性が開発されるという観念。
4.有害なこともあるのに学校教育は長期であるほど無条件に本人のために有益であるという観念。
5,ある学校に通学し、卒業すれば一定の能力とか教養とか技術とかが身についているという観念。

 …わたしは義務教育は読み書きの基礎ができる小学校4年まででいいし、特に大学の卒業証書は廃止すべきであると考えている。

 しかしそうなれば、多くの学校が廃校になり、多くの教員が失職するであろう。教育を守るか、それとも学校を維持し教員の職を保証するかの二者択一の問題である。

 教師として生活をしている自分にとっても厳しい言葉である。


 ☆海王丸宿泊学習

 メラニー・ホリディの『サウンド・オブ・ミュージック』を見に出かけたクルマの中で、娘が「Q君は賢いがいよ、本いっぱい読んでいるし、計算も速いし」といった。今まで学級崩壊していて見えなかった級友の姿が見えてきたのだと思う。Q君も分からないで騒いでいた訳ではなく、授業を持て余していたのかもしれないと思った。

 実際、多動的な子どもがみんな悪いわけではない。偉人伝をちょっと見ると、小さいときに多動的だった子どもの例がいっぱいある。最近もっとも教育に対して鮮烈なメッセージを出している佐藤学・東大教育学部教授は『学び その死と再生』(太郎次郎社)の中で自分が多動的だったことを次のように告白している。

 それにしても、なぜ、あれほど多動癖があったのか。幼少の頃に大病を重ね活動を抑圧されて育った反動なのか、二年生のときの交通事故による脳の後遺症の結果なのか、いまでもわからない。ともあれ、自体は深刻だった。十分もじっとしておれず、後ろの子の席に座って授業を受けるのだが、それにも耐えきれず、わけもなく教室をうろつき廻るのだからタチが悪い。高学年になっても落ち着かない私に呆れた父は、暇さえあれば魚釣りに行くようすすめ、途方にくれた母は、茶と生け花を習わせる始末である。しかし、いっこうに効果はなかった。ヒステリックな金切り声で教室を追い出された私は、いつも知恵遅れの友だちと校舎の裏山にのぼり、無言で危険な遊びをしていた。

 いまでもときどき夢に現れてうなされるのは、その裏山で彼とヘビの両端を引っ張って殺す光景である。教室から私を追放した女性教師への鬱屈した憤りが、この残酷な遊びに妖しい快感をもたらしたのだが、それは同時に、私の深層に潜む残虐な情念を思い知らされた初めての体験であった。そのおぞましい夢のなかで、いつも背景に浮かびあがるのが、あの小学校の校舎なのである。

 7月11日と12日は海王丸での宿泊学習があった。娘は楽しかったらしく、「ずっと泊まっていたかった」と話した。帰ってきてからずっと眠っていたが、遅くまで寝ずに話をしていたのだろう。

 みんなのチームワークもできたようだった。


 ☆コーラスのボランティア

 妻がコーラスのボランティアに出かけた。6年ほど前からボランティアに出ているのだが、普通は学芸会の前と卒業式の前なので、今回は特別な授業になる。「昆虫博士」と呼ばれている他の父兄も昆虫の話のボランティアに来たようだった。

 頼んだくせに先生も妻のことはよく分かっていなかったようだが、歌を歌っているうちにみんなのまとまりがよくなり、終わった頃には手ごたえが感じられたという。合唱も実にうまくなったという。指示を的確に聞いてくれたという。

 ただ、Q君だけは途中、一人でドスン、ドスンと音を出していたという。

 でも、声を揃えることで、連帯感が生まれてくればいいなぁと思う。

 妻の授業の感想文が送られてきたが、みんな落ち着いてきている様子が文面からもうかがえた。


☆終わりに…と信じたい

 『オンリー1』に書かれた子どもたちの1学期の感想を見ても、明るくなっているのがはっきりと読みとれるようになった。

 どうにか、学級崩壊状態から立ち直れたようだ。

 このまま夏休みが来て、9月から新規まき直しで、暗い過去など忘れて、前に進んでほしいと思う。

 9月5日に新湊で大事件が起きた。

 午前2時ごろ、市内の小学校の付近住民から「校庭の方が騒がしい」と110番があり、新湊署員が駆け付けたところ、近くに住む男子中学生(14)が校庭で大やけどをしているのを発見、病院に運んだが約9時間後に死亡した。調べでは、死亡したのは市内の中学校の3年生。中学生は自宅にあった灯油をペットボトルに詰めて持ち出し、首からかぶり、用意したライターで火を付けたとみられ、現場にペットボトルとライターが落ちていた。発見当時、中学生は意識があり「熱い熱い。痛い痛い」と叫んでいたという。遺書などは見つかっていないが、新湊署は自殺とみて、関係者から事情を聴いていた。

 原因はよく分からなかった。こんな田舎でもありうることかとさすがにショックを受けた。親としてはうちの子どもたちの知人ではないかという心配があった。

 妻はちょうど特別講師でこの中学で歌を教えていた。9月にも予定があったのだが、全て道徳の授業に切り替えられて、延期となった。学校中パニックしているという。

 「生きる力」というのはやさしいが、どうすればこんな悲劇を避けることができるのだろう?

 子どもたちの内面を知るというのは本当に難しいことだと思った。

 うちの子どものぐずが徐々に直ってきた。パキスタンの子どもに少し虐められていたようだったのだが、引っ越していったという。

 12月に新校舎の入校式があって、立派な小学校ができた。地元出身者から2千万円ほどの寄付があり、地域密着型の学校ができた。寄付されたKさんや設計者の森俊偉・金沢工業大学教授と飲んでいて、地域の教育力ということを話しあった。

 これからも地域との連携を保てば、学校の再生は可能だと思う。

 いろいろ考えさせられた一年だった。


 そして、5年生になり、男の先生が担任をするようになった。先生も授業参観で前のような状態になったら大変です、気が抜けません、と挨拶したそうだ。

 国立教育政策研究所の研究者らが、全国の小学5年生に、自分の学級に授業を妨げる子がいるかどうかを尋ね、約1万5000人から回答を得て、学級規模別に学級の「健康度」を分析した。その結果、36〜40人規模では「あまりうまくいっていない」と判断される学級が30%を占め最多。人数が多い学級は「健康度」が低い傾向が明らかになった。

 同研究所の小松郁夫・高等教育研究部長らが昨年末、アンケートをして295校(532学級)の1万4884人から回答を得た。公立小学校に通う5年生の1%強。5年生を選んだのは小松部長らの別の調査で、学級崩壊の発生率が最も高い学年だったからだ。こうした大規模調査は初めてという。

 授業を妨げる、子どもの具体的な四つの行動をあげて、「とても多い」「やや多い」「かなり少ない」「全くない」の4段階で答えてもらった。

 「とても多い」「やや多い」の合計は、(1)授業中に立ち歩く子(27%)(2)授業が始まっても教室に入らない子(22%)(3)おしゃべりしたり手紙を回したりする子(54%)(4)先生を困らせても平気な子(31%)だった。

 そのうえで「とても多い」を最高、「全くない」を最低とし、行動ごとに最高点、最低点を調整して点数化(最高で26点)。学級平均を計算すると、最もひどい学級は19点、最もうまくいっている学級は6点だった。

 立ち歩く子、教室に入らない子が「やや多い」と答えるなど、学級崩壊の危険をはらむ13点以上の学級を「あまりうまくいっていない」、10点未満を「とてもうまくいっている」、その中間を「うまくいっている」に3分類すると、全体の割合は順に約21%、37%、43%だった。

 5段階で学級規模別に分析すると、36〜40人で「あまりうまくいっていない」が最多の30.2%、20人以下では13.2%と最少になる。ただ、26〜30人では31〜35人より多い。「とてもうまくいっている」が最多なのは、20人以下学級の48.4%、36〜40人では15.6%にとどまった。

 2003年4月22日 朝日新聞


 5年からは男の先生が担任になった。2004年に授業参観に行った。みんな落ち着いていて驚いた。何よりもQ君が眼鏡姿となり、静かだったので、すぐには分からなかった。

 この後で、なだいなだの『こころを育てる』(ジャパン・タイムズ)を読んだ。「授業崩壊」が教育関係のあるグループの業界用語でしかなかったこと、「事件主義」のマスコミは騒いでいる(いた---04年にはほとんど聞かなくなった)が、昔からあったことだということ、「こんなクラス初めてだ」という感想は個人的な経験が限られるのであたっていないことなど学んだ。

 こうしてまた、学校は管理主義に走っていくのかと思うと暗くなってくる。


 メンタルなケアが必要だ、魂の教育が必要だという。確かにそうしたものが欠けているような気がするが、それって本当に教えられるのだろうか、と思う。

 中学生による荒れた学校が報道されていた頃、その原因を「偏差値教育」や「受験のストレス」に求める考えがあったが内田樹は『「おじさん」的思考』(晶文社)で否定している。それは、この二つが充満しているはずの予備校や塾では、公立学校のような荒れが見られないからである。内田樹は次のように述べている。

 それは予備校や塾は受験勉強「だけ」を教え、成績「だけ」を重視し、子供たちの「人格」をきっぱりと無視しているからである。極端に言えば、子供がチックを起こしていようと、ヘビースモーカーであろうと、上着の裾からパジャマがはみ出していようと、よだれを垂らしていようと、予備校や塾ではそんなことには誰も注意を払わないし、誰もがとがめないのである。だからこそ、予備校や塾で子供たちが「解放感」を味わうと言うことが起こりうるのである。
 おおかたの人が信じているのとは逆に、学校が抑圧的なのは、そこが個人の「人格」を無視しているからではなく、個人の「人格」だの「個性」だのというものが過剰に言及されるせいである。


 フィクションだが瀬尾まいこ(現役の国語教師)が書いている『温室デイズ』が荒れた中学の様子を活写している。


次のような兆候があったら要注意だという。

 【なれ合い型の学級崩壊の兆候】 河村茂雄都留文科大学教授によるもの
 (崩壊初期)
◎学級全体の取り組みが遅れ、やる気が低下する
◎教師の気を引く悪ふざけが散見する
◎ルール違反しても教師に個人的に許してほしいとねだる
◎私語が増え、教師の話に口をはさむ
◎2〜3人が固まりヒソヒソ話が目立つ
◎他の子供やグループのことを教師に言いつける
 (崩壊中期)
◎注意すると「私だけ怒られた」と反発する
◎教師の指示が行き渡らなくなる
◎係活動が半分以上なされない
◎陰口が増え、授業中の私語、手紙の回し合いが目立つ
◎子供同士のけんかが目立つ
 (崩壊期)
◎教師を無視し、勝手な行動で授業が成り立たない
◎教師に反抗するときだけ団結する
◎係活動を怠り、ゴミが散乱、いたずら書きが目立つ
◎掲示物などが壊される
◎給食は力の強い順番になり、勝手に食べる

 2009年11月13日には朝日新聞に次のような記事が載った。

 小学1年の児童が教室で立ち歩いたり、勝手に出て行ったりして授業が進まない状態が昨年度、東京都の公立小の4分の1で起きていた??。都教育委員会は12日、こんな調査結果を明らかにした。こうした状況は「小1プロブレム」と呼ばれて各地で問題になっており、都教委の担当者は「1年生の授業が混乱する事態は珍しくないことが裏付けられた」としている。

 都教委によると、調査は都内の全公立小学校長約1300人が対象で、昨年度勤務した学校での状況を尋ねた。「1年生が落ち着かない状態が続いた」と答えた校長は24%。発生時期は4月が57%で最も多く、「年度末まで続いた」という回答も55%に上った。

 児童の様子で多かった回答は、「授業中に立ち歩いたり、教室を出て行ったりする」(69%)、「担任の指示通り行動しない」(62%)など。実施した対策で最も多いのは「他の教諭が学級に入って協力した」(63%)で、「非常勤講師などの派遣を受けた」(37%)もあった。【…】


□ルポ・ある中学校の現場から(中國新聞)

□尾木直樹のページ


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