極私的「食と文化」論 食物を摂ることより、その摂り方のスタイルに配慮を向けるのは、動物にない人間の特色であり、これこそいっさいの人間的な文化の根底にある態度だといって過言でない。
-----山崎正和『芸術・変身・遊戯』(中央公論社)「重要なのは何を食べるかじゃなくて、誰と食べるかだ」
-----村上龍『どこにでもある場所とどこにもいないわたし』(文藝春秋)「天丼は哀しからずや、飯の白、海老の赤にも、染まず漂う」-----村上春樹
キミがよくてもシロミがまずけりゃそれは
うまいタマゴとは呼べないね。
どう考えても。
-----村上春樹『うさぎおいしーフランス人』(文藝春秋)日本の台所には、三つの文明の料理道具と食材がある。【…】だから日本の台所はごたごたしてかたづかないのだと思うんです。ヨーロッパの台所は一種類ですむ、それだけ生活が単純なんですね。
-----鈴木孝夫『アメリカを知るための英語、アメリカから離れるための英語』(文藝春秋)立派な素材を使って、手抜きをしさえしなければ、だいたいなにかうまい料理をつくることができる。ときとして、自分の食べるものが、その日一日のなかで自分の産み出した唯一の価値あるものであることもある。創作の場合は、わたしの経験からしても、じゅうぶんな素材とたっぷりの時間、気配りをかけてなおかつ、なにも産み出せないことがある。それは恋愛もまたしかりである。それゆえ、懸命に努力をする人が正気でいられる場は台所である。
-----ジョン・アービング『ガープの世界』「ゆびきりげんまん、嘘ついたら」
とわたしが言うと、
「ひつじのしんぞう、飲ーます」
とアンナが続けた。
-----中山可穂『ケッヘル』「いかに美味なる料理も、その内実は単なる獣肉と植物と油脂の混合にすぎぬ」という「所詮……にすぎぬ」的な批評的語法はある意味爽快であるが、その限定された食材を組み合わせて、すぐれた料理人だけが創り出すことのできる奇跡的な「美味」については語ることができない。
-----内田樹『村上春樹にご用心』(アルテス)長田弘「ふろふきの食べかた」
そうして、深い鍋に放りこむ。
底に夢を敷いておいて、
冷たい水をかぶるくらい差して、
弱火でコトコト煮込んでゆく。
自分の一日をやわらかに
静かに熱く煮込んでゆくんだ。
こころさむい時代だからなあ。
自分の手で、自分の
一日をふろふきにして
熱く香ばしくして食べたいんだ。
熱い器でゆず味噌で
ふうふういって。長男の祐貴が5歳の時、フランス料理店に連れていってやるといったら「嫌だ!かたつむりを食べるなんて」とむずがった。5歳の子どもにもフランス料理にエスカルゴがあることが知られているのがおかしかった。
ハネムーンでパリに行った時、もちろんエスカルゴを食べた。カタツムリのおいしさよりも、その出汁(?)をつけて食べたバゲット(フランスパン)の方がおいしかった。エスカルゴ、エスカルゴと大騒ぎするが、大体、これはカタツムリの被害で葡萄園の人々が考えたと言われている。
□ エスカルゴを拒否するのはどうやらうちの子どもだけではない。カルヴィーノの「我々の祖先」三部作の一つ、『木のぼり男爵』(“Il Barone Rampanta”白水社)に出てくる「木のぼり男爵」ことコジモは12歳の時にエスカルゴを出されて、食べるのを拒否した。偏食というものを許さない父親が強く叱責したので、コジモは食卓を飛び出して樫の木に登ってしまった。「気が変わるまでそこにいろ!」という父親にコジモは「気は変えません」。「下りる時は、覚悟をしておきなさい!」「じゃあ、ぼくはもう下りません」。ちょうど自由を求めようとする年頃だ。
こうして、コジモは全ての生活を、生涯を木の上で過ごすことになった。木の上に家を作り、木の上から猟や釣りや恋愛!をして、木から木を渡りながらヨーロッパを旅行して「木のぼり男爵」として有名になる。木の上から見ることで視点が変わり、今まで見えなかったことが見えてくる。他人から「逃げているんだ」と言われて「抵抗しているんだ」と答えるようになるという話だ。
□ エスカルゴと似た料理が日本にもある。富山湾は巻き貝のバイ貝が取れるので有名で、今でもお祭りになるとバイ貝を煮た料理がこちらでは出される。このおいしさに比べればエスカルゴなど取るに足りない。カタツムリなんて巻き貝が陸に上がっただけだ。しかも、バイ貝は刺身になるとこりこりとして最高だ。昔は富山県民の特権だったが、今では冷凍技術のおかげでどこでも食べられるようになった。バイ貝をエスカルゴ風にして食べることもある。
バイ貝といってもイメージの浮かばない人がいるかも知れないが、普通の一枚貝でバイがなまってベーゴマとなったと言われる。
□ 害虫を食べるといえば、日本でも昔は稲の害虫のイナゴを佃煮にして食べたものだった。脚が歯に引っかかったりするのが嫌だが、結構おいしいものである。
アフリカでイナゴの大発生を聞く度に、このレシピを教えてあげなければ、と思ってしまう。
昆虫食に関しては雲南省など照葉樹林地帯を中心にコオロギやセミなども食べるし、オーストラリアのアボリジニは幼虫を食べる。『クロコダイル・ダンディ』ではジャングルで野宿する時に、ミックが大トカゲの丸焼きとヤムイモと幼虫を出す。新聞記者のスーが勇気を出して幼虫を食べて「これ本当に食べられるの?」と聞いたら、「食べられなくはないけれど、吐き気がする」というので、よく見ると、缶詰めを食べていた…。ニューヨークでは逆にホットドッグに「チリとオニオンとキャベツを入れて」とスーがいうのをミックが「これ本当に食べられるの?」と聞く。つまり、食は相対的だということである。
レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』にもインディオたちの宴に招かれ、まるまると太って焼き鳥のようになった芋虫を必死になって口に運び、なんとか咀嚼して嚥下したという記述がある。これらも長野県の伊那谷の人々がハチの子を食べるのと似ていて別に不思議はない。
東鳩のキャラメルコーンが売り出された時、形も味も似ているような気がしたものだ。
昆虫食を現代的にしようとした人たちがいる。読むのも怖いが篠永哲・林晃史『虫の味』(八坂書房)がそれで、この二人の昆虫学者は食糧不足になったときに昆虫は食物として格上げできるか、という高邁な考えで、というか恐らくただの好奇心で次々と虫を食べていく。ハチの子や芋虫、ハエの子や桜の木のアブラ虫を団子にして食べるなんて話も出てくるのだが、白眉はあの新解さん(『新明解国語辞典』)が「触ると臭い」と書いたゴキブリである。
○刺身 クロゴキブリの頭、翅(はね)および脚を取り去り、消化器を取り除く。この姿は「寿司だね」のシャコによく似ている。【…】ホヤの刺身と思えば気にならない。
○塩焼き 生きたワモンゴキブリを手でつまみ、頭を引っ張ると消化器などがきれいに抜き取れる。【…】美味というほどではないが、悪い味ではない。
もっと驚いたのは2004年である。アメリカでは17年ゼミといわれる周期ゼミが大発生するのだが、ワシントン・ジョージタウンのホテルでは、この時期に、セミを避けて屋内のラウンジに駆け込んだ人に「17年ゼミ・カクテル」と名付けた食前酒をサービスする。ワシントンなどの複数のレストランでは、羽化したての軟らかいセミをソフトシェル・クラブ(脱皮ガニ)のように揚げる伝統のセミ料理を、期間限定で提供するという。
昆虫食は世界を救う!?
ただし、『ファーブル昆虫記』にもセミを食べる話が出てくる。アリストテレスが羽化する直前のセミはうまいと書いているとの話を知ったファーブルは食通の間にセミの名声を取り戻そうと意を決した。家人総出で地中から出てきたばかりのセミ4匹を捕まえたファーブルは、さっそくフライにする。オリーブ油数滴、塩一つまみ、タマネギ少々で味付けをした。「みんなの意見は一致して食べられるとは認めた」のだが、結論は「この食べ物を誰にもすすめることはよそう」だった。
余談だが、新解さんは語釈に「うまい」というのを平気で書いている。例えば、「おこぜ」は「ぶかっこうな頭をしているが、うまい」だって。
おいしいか、おいしくないか、というのは誰にも決めることができない。食べ物の味というのは文化でもあり、記憶でもあるからだ。母の手料理や給食の味が忘れられないのはまさに記憶だからである。
□ 日本で「イモ」というとダサイことを意味するが、フランスでもジャガイモはまずい食物と考えられていた。飢饉の解決にはジャガイモが必要だと考えた農学者パルマンティエが1770年代に一計を案じた。パリ郊外のジャガイモ畑に番兵を立てて、物々しく警護したら、市民の好奇心を刺激して、イモ泥棒が続出する人気となり、ついにジャガイモ栽培が流行になったという。パルマンティエは宮廷晩餐会でもジャガイモ料理をダシ、マリー・アントワネットを口説いて髪にジャガイモの花を飾らせたという。
食の流行というのはその程度で作り上げられるものなのだ。
□ イスラム教の人はもちろん、豚肉を食べない。日本人が蛇の肉を食べた時以上の反応を示すだろう。
ユダヤ教でも厳しい掟があって、ブタは蹄が分かれているが反芻をせず、ラクダは反芻をするが、蹄が分かれていない(という変則的Anomalousな動物だからだ)。『旧約聖書』のレヴィ記がそう命じている。動物や、ヒレとウロコのある魚介類は食べてもいいことになっているが、それ以外は難しい。
ヒンドゥ教の場合は、牛はもちろん神様だからダメにしても、肉食全体を嫌う。羊や鳥が輪廻転生で生まれ変わった父母かもしれないからである。とはいえ、あの無抵抗主義者のガンジーは反抗的な思春期を過ごし、ヴィシュヌの家に生まれた少年にはあるまじきことだが、牛肉も食べたりしたという。ガキンチョが初めて煙草を吸うよりはスリル感があっただろう。
東アフリカで隣接して暮らしていてもウシをダトーガは煮て食べ、マアサイは焼いて食べる。これがアイデンティティと考えているという。
アフリカの部族の中には黄色いトウモロコシがダメという人もいる。白いトウモロコシはいいのだが、黄色はダメで、それが原因で亡くなる人もいるらしい。
魚の活き作りも日本人は大好きだが、欧米人には耐えられないかもしれない。『日本書紀』、『続日本書紀』に記載されているように天武4年(676年)に「牛馬犬猿鶏の宍(“しし”=肉)を食うこと莫(なかれ)」という詔(みことのり)が出され、日本では明治維新が訪れるまで肉食がタブーとなったが、実際には「薬喰い」といって食べていた。坊主たちが酒を「般若湯」、ドジョウを「踊り子」、タコを「天蓋」、マグロを「赤豆腐」、卵を「遠目がね」といって食べていたのと同じである。「山くじら」というと、いのししの肉で、安藤広重の『名所江戸百県』の「びくにはし雪中」に看板が立っている。日本人は昔から本音と建て前の使い分けが上手だったのだ。加藤秀俊『続・隠居学』(講談社)にも肉食禁止はウソだという話が載っていて、江戸には「ももんじ屋」というのがあって、猪、鹿、猿の肉まで売っていたという。
もっとも奇妙なタブーはピュタゴラス(あの「ピタゴラスの定理」の)の教団の戒律である。食べ物に関するものでは卵、卵生動物、豆を食べないこと、というものがある。
アリストテレスはこの豆を食べない理由だけを取り上げて、5つの理由を並列的に述べるだけでどれが妥当かまでは述べていない(『全集第17巻』「ピュタゴラスの徒について」/左近司祥子『謎の哲学者ピュタゴラス』講談社選書メチエ参照)。
1)恥部に似ているから。
2)節のないところが、ハデス(黄泉の国)の扉に似ているから。
3)身体に有害だから。
4)宇宙全体の形に似ているから。
5)抽選に使われるので、役人を抽選で選ぶ寡頭制にかかわるものだから。さらに、アリストテレスは日常生活に密着したタブーを挙げ、解釈を付け加えている。
1)テーブルから落ちたものを拾わない。食べ過ぎの習慣をつけないため、人の死のしるしにならないため。
2)月の神の所有物だから白い鶏には触れない。白い鶏が月の神の所有物だというのは、時を告げるし、白は善を表す色だからである。
3)魚の中の聖なるものを食べてはいけない。聖なるものは神のものであり、神と人が同じものを食べるのは不敬であるから。
4)パンをちぎらない。昔の人は、友とパンを食するとき、分けずに、一つのまま食べていたから。ピュタゴラスのは食べ物のタブーというだけではなくて、本当に戒律だった。ディオゲネスの伝えるところによれば、ピュタゴラスが弟子と集会を開いていた時に、入門を拒絶された人々が嫉妬で火をつけた(異説あり)。逃げだそうとしたピュタゴラスは、行く手が豆畑なのに気がつき、「豆を踏みつけるよりつかまるほうがいい」といって、そこで立ち止まり、追っ手に捕まってしまし、のどを掻ききられて殺されたのだ!(小峰元の『ピタゴラス豆畑に死す』のタイトルになっている)。
名君で聞こえた岡山藩主、池田光政は父親がフキ畑で討ち死にしたので、生涯、フキを食べなかったという。儒者の熊沢蕃山があるとき、光政に軽口をたたいて「殿は幸せでござる。もし先君が水田のご最期だったら、米を召し上がることは出来ますまい」といった。光政はうなずいただけで、笑わなかった。蕃山は心ない発言をしたことを悔い、わびたという。
成田山新勝寺(豆まきで有名で「鬼は外」は唱えない/本尊の不動明王は霊力が強く、既に鬼は調伏されているからだという)はウナギを名物としているが、近くにはウナギを食べない家が多いという。新勝寺が平将門の調伏(ちょうぶく)を祈願して建てられたお寺だからという。練馬では胡瓜を食べないところがあって氏神の紋所に切り口が似ているからだという。
タブーをもつとろくなことはない。飢饉で困っているアフリカの多くの民族は魚を食べれば問題が解決するということがある。アイルランドの「ジャガイモ飢饉」(Potato Famine1846-1850)でもアイルランドは漁場が近いのだから魚をもっと食べれば解決したはずなのに、宗教的なタブーで食べなかったとされる(魚はキリストを象徴する)。
ちなみに、フランスなどカトリックの国ではちょっと前まで金曜日に魚を食べた。金曜はキリストが十字架にかかった日で、肉を食べてはいけないということから、魚を食べた。復活祭の二日前は聖金曜日とされて、魚を食べなければならない日になっている。やっぱりフライデーは魚フライだろう、というのはフランス語では通じない。
ブッシュマンは陸ガメを幼児と高齢者だけの食べ物としている。弓矢で捕った動物の目と心臓、罠で捕った動物の目、心臓、前脚を女性が食べるのを禁じている。
土田滋先生がフィールドをした台湾の蘭嶼(らんしょ)島の「ヤミ語」(アエラムック『外国語学がわかる』朝日新聞社)の中にこんな話が載っている。
…すべての魚は「食べられる魚」か、あるいは「食べられない魚」か二大別される。そして「食べられる魚」は、さらにその一つ一つについて、「男の魚」か「女の魚」の二つに分かれるらしいのだ。
魚の雄・雌のことではない。そうではなくて、ある種の魚は成人した男しか食べてはいけないし、またある種の魚は女や子どもでも食べていい、ということが決まっているらしい。インフォーマントの日本語によれば、前者を「男の魚」、後者を「女の魚」というのである。つまり「女の魚」とは言うものの、「女・子どもだけしか食べてはいけない」という意味ではないわけだから、男の方が圧倒的に食べられる魚の種類が多いことになっていて、男性優位であるところがおかしいが、ともあれ、ここは素直にインフォーマントの言うことばに従っておこう。女性でもお婆さんなら男の魚を食べてもいい。もう女ではないということなのだろう。ついでながらヤミ語では、「男の魚」はmaraet a among「悪い魚」、「女の盛ん」はoyod a among「いい魚」という。
【…】調べていくうちに、「男の魚」「女の魚」ともに、さらに「(妻が、あるいは自分が)妊娠したら食べてはいけない魚」と「妊娠しても食べられる魚」とに分かれることが判明した。もっとおどろいたことに、「お産がすんだらすぐに食べることが許される魚」と「お産がすんだあとでもすぐには食べてはいけない魚」などの区別さえあることがわかったのである。厳密に言えばもうちょっとこまごました区別もあるのだが、あまりにも煩雑になることをおそれ、ここには詳述しない。
すごいのはツマリトビウオやホソトビというのは「夜、松明漁でとれたものは女の魚で妊娠期間中もお産後も可食だが、昼とれたものは年寄りしか食べてはいけない」魚だということだ。
うーん、タブーというのは訳が分からない!
□ タブーとは逆に死ぬかもしれないのに食べる民族がある。日本人だ。フグを食べるのは日本人と中国人だけだというが、中国人は肝臓や卵巣は食べない。死ぬからだ。日本人は能登の河豚の卵巣漬け(塩で漬け、糠で漬けて3年で猛毒が変化して「ふぐの子糠漬け」などとして売られている)があるように、何とか無毒化して食べる。芭蕉にだって「あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁」という句がある。もっとも、危ないということで、武士にはタブーとなっていたそうだ。つまり、フグなどで死ぬなんて不忠の極みだったのである。
□ キッシンジャー大統領補佐官が日本を好きでなかった理由として日本人が魚臭いからという噂があった。
日本に来航したペリーも1854年2月13日(嘉永7年正月16日)の再来航時の日本側歓迎宴のメニューで本膳はアワビや赤貝のなます、しめじやゴボウの汁、ムツの子や豆腐の煮物、タイの塩焼きなど二汁五菜などが出されたにもかかわらず、魚中心の料理を貧しさゆえとみなし、『日本遠征日記』では「貧弱」と酷評した。このほかの膳には車エビやシラウオ、カモなどの料理や、ヒラメやアジの刺し身などに酒も加え、総計20品目以上の献立だった。お返しのアメリカのサスケハナ号艦上での歓迎宴では、連れてきた牛、羊、鶏の肉にハムなどの保存肉や野菜、果物をふんだんに使った料理を供し、「20倍」もぜいたくだと書きとめている。
ある教師が東京から北海道に転勤になった時に、歓迎会だといって、逆さに吊した羊のところに連れて行かれて、「さあ、頭をガツンとやってください、今日の御馳走です」といわれたそうだ。魚の活き作りを出しているのと同じ感覚だったのだろう。
ホスピタリティ(歓迎)として何を出すか、自分の最高の御馳走を出してもなかなか理解しえないのである。
最高の御馳走は自己犠牲によるものかもしれない。キリストが最後の晩餐でこれからはパンを私の肉、ワインを私の血として食べなさいと言ったのはその代表的なものだろう。藤子・F・不二雄の漫画「ミノタウロスの皿」は、牛が支配する星で生贄に選ばれ、それを誇りにする女の子の話だった。インドでも釈迦本世譚のジャータカ(『本生経』)に収められる説話があって、これが原典だろう。
かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。
月に昇ったうさぎ(インド) 草下英明『星の神話伝説集』(教養文庫)
私たちは、月面の黒い模様をうさぎの餅つきと見立てているが、月面にうさぎの姿が見えるという伝説の原型は、インドのジャータカ神話から由来しているものだ。昔、インドに、うさぎときつねとさるがいた。三匹はいつも仲良く暮らしていたが、いつも話し合っていたことは、「私たちは前世の行いが悪かったため、今はこんな獣の姿になっているのだ。せめて今からでも世のため人のため善根を施して、何かの役にたとうではないか」ということだった。それを帝釈天がお聞きになって、「なかなか感心な獣たちだ。せっかくだから、いいことをさせてやろう」と考え、一人のよぼよぼの老人に身をやつして、三匹の獣の前に姿をあらわした。獣たちは大はりきり、これで老人のお世話をして、善行ができるとよろこんだ。さっそくさるは、木に登って木の実や果物を集めて持ってくる。きつねは野山を走りまわって、魚介の類を採ってくる。ところがうさぎは、これといって特技もないので、なにも持ってこれない。思いあまってうさぎは、老人の目の前で焚火をたいてもらい、「私は何も持ってくることができないので、せめて私の身を焼いて、私の肉を召し上がって下さい」そういって、自ら火の中に飛びこんで黒こげになってしまった。これを見た老人は、たちまち帝釈天の姿に戻って、三匹の獣にむかっておっしゃった。「お前たち三匹は、とても感心なものたちだ。きっとこの次に生まれ変わってきた時には、りっぱな人間として生まれてこれるようにしてやろう。特にうさぎの心がけは立派なものだ。お前の黒こげの姿は、永久に月の中に置いてやることにしよう」
こうして、月の表面には、黒くこげたうさぎの姿が残されることになったとさ。
□ 時代によっても味覚は違う。コカコーラが入った時に漢方薬の味がすると思った人も多かった(冷たくしないで飲むとそう感じることがある)。有名なのはマグロのトロであるが、江戸時代にはしつこい味として敬遠され、「塩まぐろ焼けばありたけ猫がより」という川柳があるくらいで、人は集まらなかったのだ。すしネタもコハダ、アジが筆頭で、マグロは「下魚(げうお)」だった。杉浦日向子『大江戸美味草紙(むまそうし)』(新潮文庫)によれば、天保の大飢饉のとき、マグロが大漁となり、すしネタに定着したが、トロは田畑の肥やしにし、赤身のよい部分をしょうゆとみりんに漬け込んだものだった。
戦前でも寿司屋ではもっぱら飼い猫の餌にされていた。思うに冷蔵技術がなくて、なま暖かいトロでは食べにくかったし、腐りやすかったのではないだろうか?魯山人もなぜかマグロには冷たかった。「まぐろそのものが下手ものであって、もとより一流の食通を満足させる体(てい)のものではない」と断じている。数の子だって、江戸時代には囚人の食べ物か、肥料くらいにしか考えられていなかったという。
西洋では古代ローマの博物誌家プリニウスが「マグロは首と腹が美味とされる。新鮮なら喉もそうだ……塩漬けは樫の木片に似てメランドリアと呼ぶ。切り身で一番は尾に接する部分だ」と書いているそうだから、地中海では昔から好まれたものらしい。
カツオだって、似たようなものだった。
『徒然草』第百十九段
鎌倉の海に鰹といふ魚は、かの境には雙なきものにて、この頃もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、おのれ等若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部も食はず、切り捨て侍りしものなり」と申しき。かやうの物も、世の末になれば、上さままでも入たつわざにこそ侍れ。
鎌倉時代には上等の魚として賞味していたらしいが、年寄は若い頃、本当の下魚で、身分のある人の前に出てくるようなものではなかったし、頭などは身分の低いものでも食べずに捨てたものだったという。世も末になって高位の方の食卓にまでしゃしゃり出るようになったという。
昔は周りでとれるものしか食べなかったのに、冷蔵技術のおかげで冷蔵庫の中はすっかり多国籍になった。流通過程が複雑になればなるほど安全が脅かされる。
余剰な食べ物まで確保するのが人間の罪の一つだ。動物はその意味で罪を犯さない。よく間違われるが、狩猟採集民は肉食中心で貧しい暮らしというイメージがあるが、ブッシュマン(サン族)は一日わずか2〜4時間の労働で、1人当たり2000キロカロリーの栄養を得ていて、その4分の3は植物性食物に由来することが知られている。アメリカの人類学者サーリンズはこれをふまえて「始源の豊かな社会」という。
□ 三大珍味の一つ、フォアグラだって日本のアンコウの肝の味には及ばない。これは自分で発見して喜んでいたのだが、『美味しんぼ』の中で描かれた時はショックだった。あの絵を担当している花咲アキラは僕の近所なのだからきっと同じように考えたのかもしれない。
ついでにキャビアを日本で見つけるとすると、これはもう、甘海老のたまごしかない。新鮮な甘海老の腹についている透き通った青いたまごをお醤油をつけて少しずつ食べる。もちろん、おいしいお醤油が大切だ。
これに比べればキャビアなんか、ただの塩っ辛い珍味にすぎない。『刑事コロンボ』でもキャビアで喉が乾くことを計算に入れた殺人事件があったが、シェイクスピアは『ハムレット』の中で“the play...plaeased not the million: 'twas cariar to the general.”(芝居は大衆にはあまり受けなかったように思う。一般大衆には高級すぎるようだった)つまり、「大衆にキャビア」というのを「豚に真珠」という意味で使っていて我々一般大衆には分からないものかもしれない。ちなみにスペインでは「豚にマーガレット(ひな菊)を投げる」(echar margaritas a los cerdos)というそうだ。
もっともフランスのルイ15世はロシア皇帝ピョートルから派遣されて大使が土産に持ってきたキャビアを「まずい!魚のジャムのようだ」と吐き出したというエピソードも残っているから大衆としても安心する(ただし、ルイ15世が少年の頃の話)。ボルガ川河口のアストラハンのキャビアが最も有名だが、ピカソはキャビアの虜になったて、代金を送る時にわざわざ自分のサイン入りスケッチに包んで送ったという。船舶王オナシスはジャクリーン夫人のためにキャビア買い付け用の専用機を飛ばしたという話も残っている。キャビアのお茶漬けが一番おいしいことを知らないくせに、贅沢するな!!
三大珍味のもう一つ、トリュフの方はあの妖しい匂いが何ともいえないという。日本人が松茸の香りに目がないのと同じようだが、実は少し違う。メス豚が地中に生えているのを見つけるものだ。トリュフの香りが発情期のオス豚の発する麝香(じゃこう)のような匂い(つまり、フェロモン)にそっくりだから、本能的にトリュフを探すのである。
学生にはここから得られる教訓として、豚はあんなにも劣悪な環境にいてもちゃんと至高の食材、トリュフを探し出すことができると話している。だから、今の環境を嘆かず、前向きに勉強すべきだというのだ。
教師にとって非常に都合のいい話である。
もっとも、トリュフを見つけた豚は側にピーナッツやコーンを投げられるとトリュフのことは忘れて食べてしまう。その間に横取りされる。
学生にはこの続きは話さないのだが、豚はやっぱり、馬鹿だ。
豚の気持ちは分からない、トリュフがどれだけ好きかなんて理解できないと思っていたら、マリー・ダリュセック『めす豚ものがたり』(河出書房新社:Pig tales=Pigtails「豚の尻尾」「お下げ髪」)で豚に変身した女性の観点で書いている。
トリュフは凍った池のような味がした。春を待って身を丸めている蕾のような味、冷たく硬い地中で何とか伸びようとしている苗のような味、未来の収穫物の辛抱強い活力のような味がした【…】。
これも話さないことだが、18世紀のフランスではルイ15世の愛情をかき立てようとポンパドール夫人が毎日のようにトリュフ料理を所望したというし、同じくルイ15世に女を世話するのが日課だったカサノバも精力増強のために黒トリュフをせっせと食べていたという。
□ 大人の味というものが確かに存在する。開高健は山菜のほろ苦さを「この世の中でもっともノーブルな味」と書いている(『小説家のメニュー』中公文庫)。苦みというのは人生のほろ苦さを知った大人でないと決して味わうことができないものだ。恐らく苦いコーヒーが大人に飲まれるのも同じ理由だ。そして「山菜は足で食べる」、つまり、自ら山に入らないと、うまいものは食べられないという。努力しないと手に入らないというのも大人だけの話だ。
□ おいしいものはいっぱいあるが、星を発見するのと同じように自分で発見しなければならない。三大珍味などというのはあてがわれた「常識」にすぎない。
それに、燕窩(燕の巣のスープ)にしても、蚊の目玉のスープにしてもゲテモノと五十歩百歩である。
中国人は「四つ足の物は椅子以外、飛ぶ物は飛行機以外何でも食べる」という。同じ話は落語の「饅頭こわい」にも出てくる。何が怖いかという話で、ある男が怖いものなんかない、「万物の霊長たる人間が動物や虫を怖がってどうする」という。蛇や馬などは御馳走だという。更に「赤飯にごま塩が足りない時には蟻をパラパラ」とか「納豆の糸引きが悪い時には蜘蛛を捕まえて」来るという。ただ、「四つ足は何でも食べる」という、その男が唯一食べられないのは「櫓(やぐら)ごたく」で、「食って食えないことはないが、あたるものは食べない」という前半のオチになっている。
フカヒレスープも忘れることはできない。鮫を食べてしまおうということで、中国人はフカヒレの「排翅(はいし)」という厚い切り身をチキンスープで姿煮にした。とても高価だ。このうえに珍味、カニの卵を散らした「蟹黄(かいおう)排翅」は、黄金色の艶といい味といい、フカヒレ料理の絶品だ。
森喜朗・元首相が自民党幹事長のころ、陳健駐日大使の招きで大使館を訪れたことがある。招宴のメニューに「蟹黄排翅」があったそうだ。フカヒレを食べ終えた森首相は、やおら皿を両手で持ち上げ、残ったスープをぐいと飲み干したそうだ。「神の国」日本は稀なことにスプーンというものが発達しなかったから、そういう飲み方しか知らなかったのだろうが、中国人は、ご飯以外の皿や茶わんには、直接口を付けずにレンゲを使う。
しかし、空になって食卓に置かれた皿は料理に対する最高の賛辞ということになった。それ以来、陳大使は「蟹黄排翅」で日本人のゲストをもてなした時は、自分から皿を持ち、「森さんに教わりました」と言って、残ったスープも飲むように勧めているという。
この話は邱永漢『食は広州にあり』(中公文庫)の中国料理のマナーを思い出させるものである。ホストは食事が始まるとすぐに真っ白いテーブルクロスにお醤油をこぼし、「どうかどんなに汚されても結構ですので満足いくまでお楽しみください」といって見せるのだという。
さきほど「スープを飲む」といったが、フランス語では「スープを食べる」という。これは元来、スープが煮汁(ブイヨン)の中に浸した大きなパンのことを指していたからである。このブイヨンとスープ(浸したパン)を合わせたものがポタージュと呼ばれる。このことを言語学者の鈴木孝夫はスプーンの持ち方で説明していたが間違っている。
□ 食事は人生を変える。作家の池波正太郎は小学生のころ、両親が離婚して伯父の家にあずけられた。ある日の放課後、担任の先生が池波少年を人けのない図画室へ連れて行った。「つらいことはないか」。先生は両親の離婚を知っていて、新しい暮らしを聞きながら出前のカレーライスを差し出した。一気に食べ終えた池波さんが感動して涙ぐむと、先生は何度もうなずき「困ったことがあったときは私にいいなさい」。以来、池波少年はのびのびと登校したと書いている。この話が出てくる『食卓の情景』(新潮文庫)で好きなのはお寿司の話だ。
最近になって、当時をおもい出しながら、母が、こんなことをいった。
「あのころ、私はつとめが終ると、御徒町の蛇の目寿司へ、よく行ったもんだよ」
「ひとりで?」
「そりゃ、ひとりでさ」
「おれは一度も、つれて行ってもらわなかった」
「だれもつれてなんか行かない。それだけのお金がなかったからね。私ひとりで好きなものを食べていたんだ」
「ひどいじゃないか」
「女ひとりで一家を背負っていたんだ。たまに、好きなおすしでも食べなくちゃあ、はたらけるもんじゃないよ。そのころの私は、蛇の目でおすしをつまむのが、ただひとつのたのしみだったんだからね」食事は革命の原因にも宗教戦争のきっかけにもなる。米原万里『心臓に毛が生えている理由』(角川学芸出版)は「黒パンの力」でギリシャ正教会がローマ・カトリック教会と決裂したのはパンのせいだという。
教皇レオ九世が「正餐で酸味のあるパン【黒パン】を用いてはならない」と断を下したことによって、ビザンチンの正教会本部は、カトリックと袂を分かつしかなくなった。正教会讃歌の一〇〇年ほど前にキリスト教国教化に踏み切ったばかりの新興国ロシアでは酸味のある黒パンを常食し、これを否定されることが、民族的自尊心とアイデンティティをいたく傷つけるのは火を見るより明らかだった。レオ九世の裁定を認めたら、ロシアはキリスト教から離脱してしまう。ビザンチンはカトリックよりもロシアを、つまり黒パンを選んだ。と、これはあくまで愚見だが。
□ 林望先生は『イギリスはおいしい』(文春文庫)という、まことに反語的な本でデビューして人生を変えたが、一般的にイギリス料理はおいしくない。イギリスでは動物の名前の下にラテン語で学名が書いてあり、フランスでは調理法が書いてあると言われるくらいだ。
ヴォルテールは「フランスには一つの宗教と百のソースがあるが、イギリスには一つのソースと百の宗教がある」と言ったし、ジョージ・オーウェルは1945年に「イギリス料理の擁護」というエッセイを書いているが、擁護しなければならないほどのもので【仏外交官タレーランが3と300というバージョンもある】、本当に何もないのだ(確かにウスターソースしか生み出さなかった)。それでも、イギリス人はフランス料理をスパイスばかり使ったソースをこてこてにかけて何の料理か分からない、などと揶揄する。
日本人は裕福なのにどうして海草など食べてるの?というが、フランス人だって金持ちなのにカタツムリを食べている。もっとすごいのはイギリス人はリッチなのにイギリス料理を食べている!?というジョークもある。
2005年にフランスのシラク大統領がプーチン・ロシア大統領らと会談した際、「英国の欧州農業への唯一の貢献は牛海綿状脳症(BSE)だ」と、先のEU首脳会議でフランスに対抗し農業補助金見直しを主張したブレア首相を皮肉った。さらに、英国を「フィンランドに次いで料理もまずい国」とし「あんなまずい料理を作る国民は信頼できない」と語ったという。プーチン大統領が米国を暗示して「ハンバーグは?」と聞くと、「だめ。ハンバーグもたいしたことはない」と切り捨てた。米議会やホワイトハウスでは「フレンチフライ」(フライドポテト)を「フリーダムフライ」に、「フレンチトースト」を「フリーダムトースト」に一時変える動きがあった。このせいか、パリが大本命とされた2012年夏のオリンピックがロンドンになってしまった。
ちなみに、シェイクスピアの頃、イギリス人はまだグルメだと思われていたらしく、『マクベス』5幕3場には“English epicures”(イギリスのエピキュリアン=食い意地の張った人)というセリフが出てくるし、『じゃじゃ馬ならし』の中にも料理の名前が多かった。
個人主義の国だからといって、テーブルにある塩や胡椒で自分の味を出さなければならない。特に塩は自分で取ろうとしてこぼしてはいけない。最後の晩餐になってしまうから、必ず「パス・ミー・ザ・ソルト」ということになる。こんな風に今ではイギリスにテーブルマナーだけが残っている。
アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン)には食事中に、金持ちの青年フィリップに「魚料理はナイフもフォークも使わん。上品ぶりたがるのがそもそも下品だ。おまけにナイフの使い方が逆だ」と指摘され、リプリー(ドロン)は殺意をつのらせる。その後、バゲットとサラミソーセージをナイフを使ってそぎ取るシーンがあるが、これが殺害の伏線になる。
どうして指で食べることにこだわったのか?簡単だ。人間は「甘美」なものを直接手で触れて味わったからだ。食と性には「指で触れる」快楽という点で通じるものがあると、マドレーヌ・P・コズマンは『中世の饗宴 ヨーロッパ中世と食の文化』(原書房)で触れている。
この辺を内田春菊は『わたしのこと憶えてる?』(新潮文庫)の「あたしは卵」で次のように書いている。
ほら、目玉焼きってさ、黄身をやぶいて、その黄色いソースを白身に塗ってから食べる人、いるじゃん。
あたしその男に触られてるとき、それを思い出してた。あたしの守りの中にゆっくり確実に入りこんで来たその指が、あたたかいソースをたっぷり持ち出して、それをいちばん敏感な部分に塗りつけたから。考えてみれば、アダムとイブは知恵の木の実を食べることによって性を意識するようになるのだ。ただし、J・ル=ゴフ『中世の身体』(藤原書店)によれば、それまでキリスト教に禁欲性はなく、二人の罪も全知全能の神のその知を自分も持とうとした人間の傲慢への罪だったとし、キリスト教化した四世紀のローマ帝国において、聖アウグスティヌスが「四肢のうちに潜んでいる」性と食の欲望から離れた「新しい人間」を唱え、これが中世の肉体抑圧への入口となったという。
『食卓の光景』で吉行淳之介はこんなことを書いている。
食事をするときの剥き出しのなまななしい感じは、どこか性行為に似ているところがある。童貞が、美女と向い合って食事をすることに、困惑をさらには恐怖に似た感じを覚えるのは、当然のことといえよう。
村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の中で、魅力的な登場人物である図書館の女の子がセックスとご飯の類似性について語る。主人公の「私」とのセックスが彼の都合で不首尾に終わったあとの彼女の言葉。
でもべつに急いでなおさなくてもいいのよ。私の生活は性欲よりはむしろ食欲を中心にまわっているようなものだから。それはそれでかまわないの。セックスというのは、私にとってはよくできたデザート程度のものなの。
『村上龍料理小説集』(集英社文庫)で村上は「料理には人間を陶然とさせる要素」があって、「SEXと同等に料理が描かれたら」よいと思ってこの本を書いたという。
トナカイの生のレバーを食べたGという男が、その匂いを、ある女性の「セックスの時にうっすらと匂ってくる」「腋臭」と同じだと語る。そして「そういう女は最高だ、そういう女は、必ずきれいで、頭が良くて、性格がいい、なぜなら、動物としての自信に充ちて、なおかつ、ソフィスティケートされていないと、そういう匂いを持てないからだ」という(subject28)。
サルトルはもっと深そうに次のように『存在と無』で書いていた。
食物は口をふさいでくれるだろうところの《詰めもの》である。食べるとは、わけても、自分の口をふさぐことである。その点から出発してのみ、われわれは性欲の問題へと移行していくことができる。女の性器の猥褻さは、すべての口のあいたものの猥褻さである。それは他の場合にすべての穴がそうであるように、一つの『存在―呼び求め』である。それ自身において、女は、侵入と溶解によって自分を実存充実へと変化させてくれるはずの、外からやってくる一つの肉体を呼び求める。また、逆に、女は自己の条件を、一つの呼び求めとして感じる。【…】なるほど、女の性器は、口である。しかも、ペニスをむさぼり食う、貪欲な口である。
まあ、そんなことを大袈裟に言われなくても食と性は底で通じている。最も具現化していたのは1974年の映画『最後の晩餐』(La Grande Bouffe“大食い”)だったが、死ぬまで食べてまぐわっていくお話だ。ローマ時代には皇帝ネロの宴会が7昼夜続き、たいてい5000人ぐらいが飽食と急性アルコール中毒で死んだというから昔からグルマンはいたのだ。19世紀でも、フランスの作家モンスレーが目撃した若い貴族二人の大食い決闘のことを紹介している。午後6時に始まった争いにけりがついたのは翌日昼前で各人33人前のフルコースをたいらげたところで、ついに一人が絶命したという(夏坂健『大芸術家・大ヒーローの食卓はなぜ劇的か!?』農山漁村文化協会)。
『孟子』「告子・上」に「食色性也」、食と色は性なり、という言葉があるから偉いものだ。
『素敵な悪女』でも結婚式の後、2階でHをしていたベベ(ブリジッド・バルドー)がパーティに降りてきて、すごい量の食べ物とワインをもって2階に上がっていく…。
相原茂『ちくわを食う女』(現代書館)に紹介してあったジョーク。新婚の夫が出がけに「今晩は何を食べたい?」と妻に聞かれて「「お・ま・え・を食べたい」と言って会社に行った。帰宅すると、妻が歯牙儀をつけてリビングの中をぐるぐるかけまわっている。「一体何をしているんだ?」と聞くと「いま料理を温めているの」。
うちも可愛らしい間に食べてしまえばよかった…。
何層もあなたの愛に包まれてアップルパイのリンゴになろう---俵万智『とれたての短歌です。』 そうそう、『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』はギリシャ娘の結婚話なのだが、お母さんがしつこく「キッチンでは小羊のように従順に、ベッドでは虎のように大胆に」なんてアドバイスをする。
食べてしまいたくなるほど 僕は君が大好きだ
君の脇腹 カルビのようでちょっと脂っぽい
君の二の腕に塩をつけると これはうまい手羽先
太腿はたっぷり 値段もはってきれいなササミ
最後に食べるのは君の心
君の心はミノ 固いミノはよく焼いて食べる
黒木瞳「愛の食欲」 (『長袖の秋』)□ そうそう、「最後の晩餐」というと思い出すのが、向田邦子の『父の詫び状』の「ごはん」である。昭和20年3月10日の東京大空襲で、目黒に住んでいた向田一家は難を逃れたのだが、翌朝、父親がこのぶんでは次の空襲で必ずやられるから「最後にうまいものを食べて死のうじゃないか」と言い出す。母親はとっておきの白米を炊きあげ、「私」は埋めたあったさつまいもを掘り出し、取っておきのうどん粉と胡麻油で精進揚をつくる。この時代では「魂の飛ぶようなご馳走」だ。そして書いている。
戦争。
家族。
ふたつの言葉を結びつけると、私にはこの日の、みじめで滑稽な最後の昼餐が、さつまいもの天ぷらが浮かんでくるのである。□ 歴史学者のカルロ・ギンズブルグに『チーズとうじ虫』(みすず書房)という変わった題名の本があるが、実はヨーロッパの一部、例えばコルシカ島やサルデーニャ島などではうじ虫のわいたチーズを風味があるといって好むのである。このカース・マルツゥは特別の席に欠かすことのできないもので、チーズが登場すれば喝采があがるという。現在では保健衛生上販売ができないので、個人で作ったものが宝物のように扱われているそうだ。
チーズは僕らの時代には食べられなかった人が多かった。野坂昭如の『アメリカひじき』を読めば分かるが、誰も知らなかったのである。ド・ゴールはこんなことを言っている。「フランス人は危機が迫らない限り団結しない。二百四十六種類ものチーズのある国がそんな簡単にまとまるはずがない」。まあ、日本だって味噌や日本酒の種類にはきりがないが…。
ブルー・チーズも日本人は苦手である。日本人にとって青カビは腐敗の印だからだ。ちょうど、欧米人に納豆が発酵食品ではなく、腐敗品と映るのと同じである。人間は自分に都合のいいものを「発酵品」といい、都合の悪いものを「腐敗品」と考えるからである。そして、人間は文化によって規定されている。
食に関しては何がいい、悪いと言っていられない。ただ、一つだけ危険な食べ物があるとすると、それはウェディングケーキであろう。
星新一のショート・ショートに「現象」(『ありふれた手法』新潮文庫)というのがある。その日、牛の乳搾りの人たちが牛の乳を横取りするのはよくないと思い始める。サルの実験をしていた人も可哀想だと思い始める。豚を飼っていた人が手放すのは可哀想だと思い始める。漁師も魚は可哀想だと思い始める。まっ赤なトマトをもぎろうとした人がトマトににっこりと笑いかけられたような気がして二度ともぐのは止めようと思い始める。「人間、種族としての寿命の終りの時期が来ると…」でこの短編は締めくくられる。
□ 「かしこに鰻一匹、この館に身をば潜めたり。(近寄りて眺めむれば)その頭巾の奥底には、大いなる汚穢(けがれ)の見ゆるは必定ならむ」
---フランソワ・ラブレー『ガルガンチュワ物語』「吾がなかにこなれゆきたる鰻らをおもひて居れば尊くもあるか」
「もろびとのふかき心にわが食(は)みし鰻のかずをおもふことあり」
「これまでに吾に食はれし鰻らは仏となりてかがよふらむか」
---斎藤茂吉アリストテレスは「ウナギは泥より生ず」と言ったし、日本でも「山芋変じてウナギとなる」などと言われたが、ウナギは和食か?実はヨウショクだったりするのだが、外国でも食べる。何よりもシェイクスピアの『ヘンリー四世第一部・第二部』のどちらにもウナギが登場する。
大金持ちで美食家で浪費のあまり借金がかさんで自殺したアピキウスの『古代ローマの料理書』(“De Re Coquinaria”上田和子『おいしい古代ローマ物語 アピキウスの料理帖』原書房)には2種類のレシピがある。塚田孝雄『シーザーの晩餐 〜西洋古代飲食奇譚〜』(朝日文庫)には「ウナギは栄光あるチャンピオン」という章があってアテネではコパイス湖のウナギが入荷すると黒山の人だかりができ、押し合いへし合い買う様子が喜劇に記されているという。ギリシャ人はこんがりあぶったかば焼きに砂糖大根をそえて食べたようだ。一方、コショウ、ラビジ、ナツメヤシ、みつ酒、酢、魚醤、オリーブ油、マスタードなどがローマの料理書に出てくるウナギにかけるタレの材料だった。石井美樹子『中世の食卓から』(ちくま文庫)の「うなぎとイギリス史」にはウナギ中毒で死んで王冠を逸した美食家ユースタスの話が出てくる。篠田一士の『グルメのための文藝読本』(朝日文庫)にはウナギの食べ過ぎで命を落とした教皇の話が出ている。
東海林さだおの『ショージ君の旅行鞄』(文藝春秋)によれば、スペインの「ボディン」というヘミングウェイが愛した店ではウナギ料理が出るという。「体長六〜七センチの鰻の稚魚を土鍋に入れ、たっぷりのオリーブ老いるとニンニクと唐辛子を入れて火にかけ、プチプチ油がはねるほど熱いのを木のフォークですくって食べる」のだそうだ。韓国では焼き肉風で食べたという。
斎藤茂吉のようにウナギを食べないと短歌ができないと信じて死ぬまで食べ続けた人もいる。長男の斎藤茂太が婚約して両家の顔合わせが東京の築地の店であり、戦時で食料不足のおりながら親戚が渓谷で釣ってきたウナギが出たという。お嫁さんになる女性は、緊張のためウナギを残した。すると斎藤茂吉は「それ、僕にちょうだい」と言って、食べてしまった。よほど正直な人だったらしく、別の会食で鯉料理が出た時、隣の人のお膳をしげしげと眺め、鯉を替えてほしいと頼んだ。大きく見えたからだ。取り替えてみると、今度はそれが小さく見えてきて、また元に戻してもらった(『文人悪食』嵐山光三郎)。
ウナギに関してはほとんど毎日、時には一日に二度、味わうこともあったというから精力的だ。短歌の弟子が集まると出前のウナギをよく取り、茂吉に一番大きなウナギが回らないと、ご機嫌が悪かったという(鈴木治雄対談集『昭和という時代』中公文庫)。里見真三『賢者の食欲』(文藝春秋)にも出てくるが、日記には902回も出てくるという。
蒲焼きにして初めてウナギのおいしさが出ると思うが、外国では主に煮こごりのようにして食べる。「上を向いて歩こう」という歌が外国で「スキヤキ」という名前で流行するような珍妙さだ。ただ、重金敦之編『美味探求本 世界編』(実業之日本社)の壇一雄のエッセーによれば、日本の蒲焼きと「いずれがおいしいとも、軍配が挙げきれない」という。実際にギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』では馬の首でウナギ漁をしていて、ウナギを料理する話になっていく。出てきたウナギを見てお母さんは思わず嘔吐するが、父親は値切って4匹を買ってジャガイモとのスープとウナギの生クリーム寄せにする。母親はいとこのヤンと関係を続けていて、妊娠してしまうが、子どもを産むまいとウナギばかり食べ続けて、結局死んでしまうという不思議な話になっている。
ウナギを食べる話は『万葉集』にも家持の「夏痩せに良しといふ物そ武奈伎取り食せ」という歌が出てくるが、こんなに普及したのは平賀源内がウナギ屋さんのキャンペーンとして仕掛けた「土用丑の日はウナギの日」だというのが有名だ。真偽のほどは定かではないが、これをきっかけに土用にウナギを食べる習慣が広まったといわれる。田中優子によれば、鰻丼は天明に始まる庶民のファーストフードだったという。「痩(やせ)に鰻さかせる筋ちがい」という戯れ歌もあるそうだ。現代では確か「ウナギの日、次の日 お母さん ごきげん」とい、意味深なコピーを見たこともある。
梅原龍三郎には「鰻の獅子食い」伝説があった。大皿に蒲焼きを並べて手は使わず、獅子のように首を振りつつ片っ端から食べる、というものだ。本人の語ったところでは、そういう夢を見ただけで実際の体験ではないとのことだが、食の細い人は絶対に見ない。劇作家の戸板康二が『ぜいたく列伝』(文春文庫)に出てくる話だが、梅原の展覧会での絵を眺めて、「梅原という人は何を食べているのだろう」と芥川龍之介はつぶやいたという。あのボリューム感のある絵を見ていたら、確かにそう思うだろう。
檀一雄が太宰治と屋台でウナギを食べたことを回想している(『檀流クッキング』)。焼いた頭に檀がかぶりつくと、大きな釣り針に噛み当たった。天然ものは、当時も珍しかったとみえる。太宰は手をたたき、「人生の余徳というもんだ」と愉快がったという。
□ 最近は節分に太巻きを丸かぶりするのが広まっている。こちらの仕掛け人は海苔屋さんとコンビニの連係プレーで全国に広がっている。起源をたどると1970年代に大阪で開かれた海苔消費拡大のイベントにたどりつくという。食文化といっても、遡るとちょっと前だったりするから、人の食感というのは当てにならない。
動物は一緒に食べることはない。例えばニワトリの群れに、ひとにぎりの穀粒を投げてやると、争いが起きる。つまり一羽の他のニワトリにたいして威嚇の姿勢をしめしたり、あるいは、くちばしでつついたりする。そして、強い順番に餌をついばむ、という、ひとつの「秩序」が形成される。このような「秩序」の存在を50種類以上の鳥類について確かめたのはノルウェーの動物学者エッベ(Thorleif Schjelderup-Ebbe)で、これを「つつきの順位」(Pecking Order)と名づけた。そして、いったんその順位制が確立すると、これはおなじメンバーによってつくられた群れによってながく記憶されることも実証された。まあ、人間でも宴会の時は席順が問題になることはあるが…。
アフリカのサバンナでシマウマたちは一緒に食べているではないか、という人もいるかもしれないが、あれはバラバラに食べているだけだ。
「共食」(きょうしょく)というのは非常に人間的な行為なのだ。英語でも最後の晩餐から“To break bread with”というと「会食する」という意味になり、親しさの表現になっている。
ブリア・サバランは『美味礼讃』で「【晩餐の】会食者はいずれも、いっしょに同一の目的地に着くべき旅人同士の心持でなければならぬ」と書いている。日本でも「一味同心」とか「一宿一飯の恩義」とか「糟糠の妻」というようなものだ。ソフトクリームを分かち合えるカップルはもうできているという説もある。
内田樹は『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)で次のように書いている。
「個食」「孤食」という食べ方が私たちの社会にはしだいに浸食してきているが、これには「共同体への帰属を拒否する」という社会的記号として解釈することができるし、現にそう解釈されている。というのは、「共食」(「ともぐい」と読まないでね)こそが人類にとって最も古い共同体儀礼だからである。共同体成員が集まって、同じ食物、同じ飲み物を分かち合う儀礼を持たない集団は存在しない。
それは一義的には生存のための貴重なリソースを「あなたに分かち与える」という「友愛のみぶり」である。
同時に、同じものを繰り返し食べることを通じて、共食者たちは生理学的組成において相似し、嗜好と食性を共有し、やがて同じような体臭を発するようになる。そのようにして人々はある種の「幻想的な共身体」のうちに分かちがたく統合される。同じような体臭を発するようになる。そのようにして人々はある種の「幻想的な共身体」のうちに分かちがたく統合される。
ビルクナー編の『ある子殺しの女の記録』(人文書院)によれば、1772年の女死刑囚が処刑される1時間前に供された食事はとても贅沢な量であり、これは最後の晩餐などに通じる共食の思想が息づいていると考えられるという。死刑囚とも苦しみも喜びも共にするということで、残ったものは一般の裁判官たちに引き渡されたという。
共食が、最近では崩れてきて「個食」「孤食」になってしまっている。『タクシードライバー』ではデ・ニーロが一人でテレビを見ながら「パンのウィスキー茶漬け」を食べるシーンがあるが、まさに都会の孤独を象徴していた。
石黒浩『ロボットとは何か』(講談社現代新書)は情動についてロボットと人間を比較しているのだが、ここに紹介してある京都大学の研究者の話が印象的で「人間とサルの違いは、人間は集団で食事をして個別に性交する。でも、サルは集団で性交して、個別に食事をする。サルから人間に進化したときになぜこのようになったかが不思議だ」というのである。もしかしたら、今の若者は共食をなくして、サルに近くなっているのかもしれない…などと単純なことを考えたりする。
柳田國男は『明治大正世相史・上』の中で食事に関して次のように書いている。
かつて家族全員でひとつのかまどの火で料理していた。火は神から受け継いだ神聖なものなので、一つの火から家族全員の食べ物を作らなければならないという規則が共有されていた。ところが、この規則がゆるんできて、火が家の中で分離して使われるようになり、たとえば近世になって部屋ごとに火が使えるようになってきた。それに合わせて大きな鍋や釜で料理していたのが、小さな鍋を使って料理する習慣に変わってきた。これを小鍋立(こなべだち)という。かつては嫌われていた小鍋立による鍋料理が普及しだして、家族全員で食事をするという習慣が崩れてきた。家という単位に大きな変化が起きてきた歴史的な流れとちょうど合っている。
□ 菜食主義と簡単にいうが、卵がダメだとか、根菜はダメだとか、いろいろなレベルがある。ニーチェも若い頃に理由ははっきりしないが、菜食主義者になったのだが、ワーグナーに説得されて肉食へ復帰した。確かにワーグナーの音楽を聴くと、菜食ではとても作れそうもないように思えてくる。
トルストイも59歳から菜食主義者になった。ソフィア夫人は大反対だったようで、野菜スープの中に秘かに肉汁を入れるように料理人に命じていたという。そんなに悪妻ではなかったのだ。トルストイは気づかなかったというから、思想は肉体に負けるのである。
トルストイの影響が強かった徳富蘆花も菜食を始めたが続かなかったそうだ。
ピュタゴラスが菜食主義者のハシリかもしれない。菜食主義運動を起こしていて、野菜、特にキャベツを好んだという。猟師にお金を払って魚を海に放したというからすごい。ソクラテスもプラトンも菜食主義者で特にソクラテスは肉食すると人間は凶暴になると考えた。ルソーも同じような理由から子どもに肉食をさせるべきではないと考えた。レオナルド・ダ・ヴィンチも人間が殺し合いを止めるように動物を殺さなくなると言った。ガンジーは当然のことながら菜食主義者で5冊も本を書いていて「肉食は人間に合わない」「精神の発達とともに人類は自分たちの欲望を満たすために動物を殺さなくなる」と指摘している。バーナード・ショウは暗殺されたものを食べるのはよくないと考え、若さの秘密を聞かれると「死体を食べている連中とは違うんだ」と皮肉ったといわれる。菜食主義者は善人ばかりかというと、そうではなく、ヒトラーも菜食主義者で野菜と果物、甘い物しか口にしなかったといわれる。
いつか、菜食と肉食の文学を扱ってみたい。
□ 食というのは食欲で食べているのではない。記号欲というか、記号を消費しているのである。池内紀は『世の中にひとこと』(NTT出版)の「名前を食う」で書いている。
いっさいをインターネットやホームページの情報にゆだねるのは、せっかくの機会を“情報屋”に売り渡したことにならないか。誰が選んだとも知れない「おすすめの店」で、「おすすめ料理」を食べるのは、つまるところ情報を食べているだけのことではないか。こんなケースを「名前を食う」というらしいが、うまい言い方である。
情報を仕入れていくほうが、ひどい店にあたらなくて安心らしいが、しかし、ひどい店の一夜は、のちのちまで楽しい話題になるものだ。
日本人は西洋料理に大きなコンプレックスを抱くが、フランス人がみんなフランス料理に長けていると思うのは早とちりもいいところだ。というか、イギリス人だって、アメリカ人だって、田舎の人はおいしい料理も知らないし、マナーも知らない。
大好きな作家にアイザック・ディネーセンがいるが、特に『バベットの晩餐会』が好きだ。あるノルウェイの寒村にパリからやってきたバベットという女性が家政婦になることになった。姉妹の父親で今はなき監督牧師の生誕百年を祝う祝宴が開かれることになる。この時にバベットがフランス料理を供したいと申し出る。
宴会に招かれたのはほとんどが村人でフランス料理など全く知らないし、事前に「食べ物や飲み物のことを話題にしない」「料理を味わわないようにしよう」と申し合わせる。その中に、若い頃、パリに住んでいたことがある将軍が招かれていて、料理の一つひとつに感嘆する。ワインのアモンティラードに驚かされ、海亀のスープ。ブリニのデミドフ風、クリコ、クロ・ブージョなどが続く。
そして、圧巻は「カーユ・アン・サルコファージュ」(caille en sarcophage)であり、「うずらの石棺風パイ詰め」という説明がある。このあたりは原作よりも映画を見てもらいたいが、そうした料理が村人をこよなく幸福にするという、見ている方も幸せになる作品になっている。
□ 米原万里『他諺の空似』(光文社)にジプシーの諺が紹介してある。
金持ちがヘビを食べると、病気を治療しているのだと人は言う。貧乏人がヘビを食べると、腹が減っているのだと人は言う。
発酵の専門家・小泉武夫の『アジア怪食紀行』(徳間書店)は「食の冒険家」「鋼鉄の胃袋」と自称するだけあってすごい。ラオスのビエンチャンの市場でカエルの唐揚げ、蛇のスープと激辛の蛇シチューを食べた後に、ビエンチャン名物のネズミの燻製を食べる。
捕らえたネズミの皮を剥いで、頭と太くて長い尾を切り落として、それから内臓を抜いて、アジ(鰺)の開きのように体を開いて、それに塩と香辛料を少し撒いてから煙の中で燻してネズミの燻製の出来上りです。
これを10枚ほど買ってお土産にしたというから、友だちになるのも大変だ。
もっとすごいのが韓国のホンオという、金大中も若い頃は好物だったという伝統食品である。何でも平気で食べる小泉でさえこんな風に書いているから恐ろしい。
奇食にかけては百戦錬磨の私でさえ、初めて口にしたときには、そのあまりの激烈臭に仰天し、この世のものかと疑ったほどでした。そのもの凄い臭みとは例のアンモニア臭です。これが壮絶でした。ホンオ・フエ【刺身のようにしたホンオ】を口に入れて二、三秒後、呼吸して鼻から空気が入った瞬間、クラクラと眩暈がして立ちくらみを致しました。
□ 食事の文章で一番笑えた?のは景山民夫の『イルカの恋、カンガルーの友情』(角川文庫)である。
女友達と食事をしているときに戦前の広東料理の話で盛り上がる。広東に赴任した日本人は覚悟をしていたのだが、せいぜいが竹筒の中に蜜で漬け込んだ鼠の胎児といった程度だった。
ところが、歓送会の日は十三人の人が集まって不吉な予感がしていた。蚊の目玉のスープとか熊の掌(右手は用を足して拭くのに使うので不浄とされて左手を食べる)が出て、ほっとしたところに、シェフが覆いのついた銀盆を得意そうに持ってきた。
蓋を開いた途端、アッと小声で叫んでしまった。銀盆の中には十三匹の二十日鼠が生きたままのっていた。中国人たちは嬉しげに微笑んで二十日鼠のしっぽをつまんで口の中に放り込んだそうだ。
日本人は目をつむって必死に口に入れたが、尻尾だけが口の外で暴れる。そのまま歯でブチッと噛み切って嚥下すると、食堂を生きた鼠が、コソコソコソッて下って行く感触があったという。
十二人の中国人は、口から悠然と生きた二十日鼠をとり出して銀盆に戻していた。つまり、鼠は、食事の後で歯の間にはさまった残滓を喰べ取る爪楊枝の役割を果たす為に口に放り込まれた訳だった。
日本人は、実にきまり悪そうに、噛みちぎった残りの尻尾だけを、そっと銀盆においたそうだ。鼠の数を数えたシェフは、一匹だけが尻尾のみになっているのに首をかしげながらキッチンに引っ込んでいった。
という話をして「ま、ことほど左様に、中国の料理というのは奥が深いものでね……どうしたんだい? スージーもティナも、食欲が無くなったのかい?、それじゃ、そのデザートは、僕がもらってもいいかな?」
□ 「身土不二(しんどふじ)」(山下惣一『身土不二の探究』創森社が詳しい)という言葉があって、これは身体と土(風土、環境)は一つのもので、分けることはできないということだ。生まれ育った土地の三里四方でとれるものを食べていればよいなどということになる。ところが、考えられもしない外国の食べ物を平気で口にするようになってしまった。
人類は言語を獲得して想像的構成力(imaginative construction)を手に入れたのだが、言われるが、僕の考えでは、この構成力を使って最初に人類が作ったのは料理だった。
だから、料理はコミュニケーションの基本だし、文化の中心なのである。
人間は「分ける」ことによって「分かる」ようになったが、最初に分けたのは「食べられるもの」と「食べられないもの」だったのではないだろうか?
最高の食べ物エッセイを書く東海林さだおは『あれも食いたいこれも食いたい』(朝日新聞)の中で食べ物を次のように分けている。
太宰治は「人間失格」の中で、喜劇名詞、悲劇名詞という言葉を用いている。「名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ」と書き、「汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞」と言い、「なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん」ということになる。
食べ物にもそういう区別が当てはまるのではないか。喜劇名詞と悲劇名詞という区別ではなく、陽気名詞と陰気名詞。たとえばスイカは陽気でイチジクは陰気。カレーライスは陽気で稲荷ずしは陰気。トンカツは陽気で肉団子は陰気。なぜそうなるのか、それのわからぬ者は芸術を論ずるに足らん。
【…】昔のもずくは暗かった。大体名前からしてすでに暗い。とりあえず「もずく」と声に出して言ってみてください。できることなら東北弁のなまりで「もんずぅぐ」(ぐは鼻濁音で)と発音してみてください。どうです。何だか暗い気分になってきたでしょう。しかし、人類の想像力というのは想像を絶するくらい恐ろしい!
よく最初に食べた人の勇気を云々されるが、海鼠(なまこ)なんてまだまだ可愛いものだ。金沢では、生食用のほか、卵巣を干した珍味の「クチコ」、腸を塩漬けにした「コノワタ」、中華料理に使われる乾燥品の「キンコ」など加工用にもまわされる。ナマコの歴史は、古くは『古事記』に登場するほか、奈良県の平城京跡で出土した木簡に、乾燥したナマコが能登などから朝廷に献上された、との記述もあったという。
□ 東海林さだおは「かけうどん」はラーメンに比べると、「さて」がないゆえ食べていて物狂おしくなると指摘した。ラーメンなら、さてこの辺でチャーシューを食べるか、ナルトをつつくかという気分転換があるが、かけうどんにはこの「さて」がないからだという。だからこそ、ラーメンに蘊蓄を傾ける人が多くなるのかもしれない。
でも、ゴタクの多いラーメン屋の親父のようになってはいけない。食は語るものではなく、味わうものだからだ。
ブルデューは文化資本論を掲げた学者だが、「血統による文化貴族」と「学校による文化貴族」(プチ文化資本家?)がいるという。前者は自分の見た映画に出てきた俳優の名前を記憶し、後者は自分が見たことのない映画の監督の名前を記憶するものだ。食についても同じだ。内田樹は『街場の現代思想』(NTT出版)で次のように書いている。
ワインの味について語るときにも、同じような差が出る。ある人は、どのワインについても、それを前に飲んだときの料理の味わいや、会食者の話題や、食器の触れあう音や、演奏されていた音楽や、着ていた服の肌触りの記憶のありありを思い出すことができる。ある人は「ワイン本」を読んで、「どこのシャトーの何年ものは逸品」というような「知識」を網羅的に語ることができる。ここに露呈するのはワインとの「親しみ深さ」の違いである。
□ 食は文化である。正確にいうと食事が文化だ。ただ単に物を食っているのが動物で、人間は「食事」をするのだ。食べる事をしている。これが文化なのである。誰と食べたか、どんな風に食べたか、というのが文化の始まりである。するともう一つの欲求も「性事」と呼ばなければならないかもしれない。色事は人間の文化だが、セックスは動物だ。
食事は文化だから、当たり前のことが他の世界では当たり前ではない。いや、雑煮がそうであるように、同じ日本人でも行って来たほどの違いがある。日本料理の代表になっているすき焼きも料理法が千差万別でしかも、入れるものが違う。卵と食べるのが当たり前になっているが、キャンプの時に初めて他の人はそうなんだ、と知った。お酒を入れるのは理解できるが、砂糖をたっぷり入れる人がいるのにも驚いた。白菜を入れる人がいる。牛蒡を入れるうちがある。モヤシだって!お互いに信じられない。いや、すき焼きはキャパが広いのである。ちょうど、カレーのキャパが広いのと同じように。
すき焼きについて、東海林さだおは「スキヤキには、リクルート疑惑に匹敵するくらいの疑惑がある」と言って、すき焼きが、実はすき煮であることを暴露した。「ウーム、われながらスルドイ推理だ」と書いていた。
文学的には島田雅彦が『ひなびたごちそう』(朝日新聞社)で次のように書いている。
スキヤキは、肉や野菜を、焼く料理か、それとも煮る料理か?
これはスキヤキの本質に関わる問いである。漢字では「鋤焼」と書き、鋤の上で肉、野菜を焼いたのが始まりだといい伝えられているから、焼く料理かと思えば、火にかけられた鍋の中ではどう見ても、肉や野菜が煮えている。牛肉や豆腐に、おまえは焼かれているのか、煮られているのか、と聞いても、答えは決まっている。
……食われているのだ。
伊丹十三はすき焼きが箸を使う日本料理でよかったと書いていた。確かに、ナイフを使う洋食だと肉の取り合いで刃傷沙汰になりかねない。
しかし、本来は洋食で、百年前までの日本人にはゲテモノだったはずのすき焼きが今は日本料理の代表的なものになっているのは実に不思議である。
日本の鍋料理などは世界に通用する物だと考えられるが、ロラン・バルトは『表徴の帝国』(ちくま学芸文庫)の中で、日本のすき焼きをはじめとする鍋料理は、ちょうど東京(日本人)が皇居(天皇)という空虚な中心を持つのと同じように、「空虚な中心」を持った食べ物だという。というのも、鍋料理は調理された時と食べ始める時を分ける明確な瞬間を持たないからである。つまり、「人が煮るにつれて費消されることを本質とし、したがって《繰りかえされる》ことを本質とするこの料理」は食べ始めると「これという明確な瞬間も場所も、もはや存在しない。《すき焼き》はとだえることのないテキストのように、中心をもたないものとなる」食べ物であると指摘している。バルトは生の材料が食卓に運ばれ、それを料理しながら次々食べることに感心したようだ。確かに鍋物の本質である。欧風ではできあがった煮物を取り分けて食卓に運ぶのが普通だろう。作る者と食べる者の区分がなくなる、つまり、書くことと読むことが区分できないというバルトの読者論に通じる料理がすき焼きなのである。
すき焼きが家族団らんの象徴だ。『異人たちとの夏』の最後に、浅草の「今半」ですき焼きを食べるシーンがある。「お父さんお母さんもたくさん食べてね」というと、微笑み返して、だんだんと二人の姿が薄くなっていく…。
もっと考えてみると、鍋料理というものが日本的だ。中国や朝鮮半島に何種かと西欧にフォンデュを数えるぐらいのものだが、わが国には実にさまざまな鍋がある。水炊き、寄せ鍋、すき焼き、湯豆腐、しゃぶしゃぶに石狩鍋など地方の自慢がある。「囲む」という動詞が「食べる」ことを意味する料理は鍋をおいてほかにない。江戸の川柳に「<なまにゑな内(うち)になくなる小鍋立(こなべだて)」というのがすでにあるというが、現代日本でも鍋奉行やあく代官がいて、賑やかに食べることになっている。
河合隼雄の『ココロの止まり木』(朝日)を読んでいたら、すき焼きを知らない大学生がいて驚いたという。
好きなように食べていい、とはいうものの、そこには暗黙のルールがある。肉を勝手にたくさん食べてはいけないのだ。べつに計算するわけではないが、子どもたちはだいたい同じくらいだったのではないだろうか。そして、父親が少し多く、母親は少なめに、というところだろう。
皆で楽しく、わいわいと話をし、会話を楽しみ、鍋を中心にして、何とも言えぬ家庭の雰囲気ができあがるのだが、これは考えてみると、日本人の人間関係を形成する家庭教育の典型的な場ではなかったろうか。
ここで行われていることを、言葉によっていかめしく説明してみると、次のようになるだろう。
1.何も規則はなく、各人は自分の好きなようにふるまうとよい。
2.ただし、自分だけ得をすることのないように、各人は全体の調和を常にこころがけていなくてはならない。『スケアクロウ』で刑務所を出所したばかりの二人がドライブインに入ってそれぞれオートミールに、コーンフレークを頼む。更にハックマンは「いり卵にベーコン、それにトースト。ついでにビールとドーナツ」を頼む。巨乳の美女に「刑務所で一番ほしかったものはなあに?」と聞かれて「家庭料理」という。そうなのだ。お袋の味に優るものはない。
□ ラッセ・ハルストロム監督の映画『ショコラ』を見ていたら、「君はどんな思想を持ってきたんだね」と流れ者の男が聞くと、ヒロインが「チョコレートよ」と答える。敬虔なカトリックの町にチョコレートを持ち込むのは邪教を持ち込むに等しいという映画だった。
食は文化どころか、思想なのである。「おふくろの味」が伝わらなくなって「ふくろの味」になってしまった、というのは母親の、家族の思想が子どもに伝わらなくなったということである。
だから、食べ物のタブーは敬虔に守らざるを得ないのである。
サヴァランには「国民の盛衰はその食べ方のいかんによる」という言葉もある。
ゲテモノと簡単にいうが、現代人ほどゲテモノを食べている民族はいないだろう。というのも、添加物でいっぱいの食品を食べている。これほど怖いものはないと思える。
西江雅之先生は料理の手順が分かるものでないと口に入れないという。なるほど、卓見ではあるが、日本の食品はどれも食べられなくなってしまう。
□ さて、殆どタブーがなくなった日本人でも、未だに食べてない物があるかもしれない。
猫は干し魚が大好きだが、人間が登場して魚を干してくれるまで、こんな好物を知らなかったはずだ。実際、アメリカやオーストラリアの猫は魚を食べない。「何を食べるの?」と聞いたらチキンに決まっているという。
だから、僕らにもいつか、誰も食べてない大好物を発見できるかもしれない。それは新しい天体を発見するのに相当する。
いつか出会うかもしれない美女や美食のために僕たちは生きている。
【1996年初出 Food Museumのために書かれた】
![]()