金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)

 

FAQ(よくある質問)〜プロフィール・のようなもの


学生がよく同じ質問をしてくるのでまとめた。

エッカーマンの『ゲーテとの対話』風にまとめたかったのだが…。


●金沢先生、おいくつですか?

 僕の名前は「か、な、が、わ」です。「お金」に「三本川」ですよ。間違わないでください。あなた、名前も「欽二」にしてるじゃないですかぁ。「金欠」じゃ嫌だよ、困るなぁ。よくあるんだよ「リンクさせて下さい、金沢先生」っていうのが…。そんなのには絶対に返事しないことにしている!

 それに、「先生」呼ばわりしないでください。うちは「教官」ですよ。「教官」!

●質問は「おいくつですか」です。

 砂糖は二つね。

●「ちょっと待て、その一杯がブタにする」「注意一杯、ブタ一生」「狭い日本、そんなに太ってどこへ行く」という標語が壁に貼ってあるけど気にならないんですか?

 「年寄りを大切にしよう」とおんなじで標語っていうのは守れないことを公表するようなものさ。今度「学生を大切にしよう」という標語を貼ろうと思ってる。「体重計、みんなで載れば怖くない」という標語も貼ることにするよ。

●スローガンを大切にしないのですか?

 「美しいスローガンには落とし穴がある」というスローガンは大切にしているよ。

●珈琲は一日に何杯飲むんですか?

 これはよく誤解されるんだけど珈琲は午前中に一杯しか飲まないんだよ。午後に飲むと夜に眠れなくなるからダメなんだ。

 昔からフィルターで入れていたからものすごく好きだと思われていて困る。歓待するつもりでよく珈琲を出されて、飲まざるを得なくて眠れない日が続いたものだよ。

●ウソでしょ?

 ホントだよ!こないだもオーストラリアの羊を全部数えたけれど眠れなかったよ。今度はニュージーランドの羊も一緒に数えるしかないね。平安時代の『病草紙』という絵巻にはまわりはみな寝ている中で、一人だけ起きて、指を折って数える仕草をしている女官の絵が描いてあるけど、不眠てつらいね。

●絶対に「繊細」に見えないですね?

 大きなお世話だよ。珈琲を断る度にいわれるセリフで疲れる!

 他人のことって何も分からないものだよ。高校生の頃、生物クラブの部長だったんだけど「部長さんって悩みがなくていいね」ってよく言われてね。僕は「世界苦」を背負って生きているって思っていたのに!

●絶対、そうは見えませんね。

 表面とのギャップが大きいから困っているところなんだ。辛い時でも「トラブルを楽しんでいるように思える」といわれて、がっくりすることがある。本当に悩みが多くて生きづらいんだけど、誰にも分かってもらえない。でも、最近は開き直って、試練は試練で楽しもうと思っていて、そうすると何でも試練にしてしまう癖がついています。

●「つらい逆境よ、喜んでおまえを抱きしめるぞ」ですか?

 そう、『ヘンリー六世・第三部』(第3幕第1場)だね。

●じゃ、自己紹介してください?

 いきなり、そうきたか。婚約時代の1988年2月に富山大橋の上で10台の玉突きに遭ってアコードが大破しました。3台、4台、3台の7台目で僕は前の車の補償をするだけになったよ。雪の中で大変だったよ。

●それってもしかしたら…。

 ………。

●それってもしかしたら、事故紹介じゃないの?

 ………。大変な事故で、これがホントの重大事故。

●……。ところで、教官はどうしてそんなにハンサムなんですか?(←非常に多い質問)

 困ったなぁ、ハンサムというのはひとがいうだけだよ。

●どうして女子学生がいっぱい来るの?(←非常に多い質問の一つ)

 研究室には来ないように言ってるんだけどねぇー。

 確かにどんなにハンサムな人を思い浮かべても僕とはほど遠いからね。

●ところで、いつから白髪になったの?

 結婚後。苦労すると白うなる。白い頭と言えば、数学者で哲学者のホワイトヘッドの哲学的著作は63歳にイギリスから渡米してからのものなんだよ。だから、頭が白くなってもいいんだ。

●白髪染めたらぁ?

 うるさ〜い!茶髪はイカンて言ってる先生も黒く染めているけど無理に若作りにしたくないからね。頭髪で中身まで若返るんだったらすぐにでも染めるけど。

 学生だって金髪に染めたからって英語が得意になる訳じゃないだろ!

●年を感じた時って?

 そうだなぁ、洋服屋で年寄り臭い背広を勧められた時とか、トリュフォーの『恋のエチュード』と同じだけど、渋谷のbunkamuraに映画を観に行った時、ショーウィンドーに映った自分を見た時。可愛い学生の名前まですぐに思い出せない時、ついでに学生のこんな長話に疲れる時。

●「人生を狂わせるのは愛ではなく、愛の不安」っていう映画でしょ。長話になりそうですみません。胆石の手術して人生観は変わった?

 そんなぁ、変わらないよ。大した病気じゃなかったからね。でも、前半生を考え直すいい機会になったと思ってるよ。後半生はグリコのおまけみたいに生きて行こうと思う。

●おまけの人生ですかぁ?

 そう、「この十年間世界は何一つ変わっていないんだという気がした。歌手と唄のタイトルが違っているだけだ。そして僕が十歳年をとっただけだ」。 

●『風の歌を聴け』ですね。

 でも、過去に殺した自分に不意に出会ったりした時が一番嫌だね。もともと権力欲なんてなかったからそうなのかもしれないけど、自分は権力者向きだと思って、ちっちゃな権力にしがみついている人を見ると可哀想だし、寂しいね。小さな権力だけで「万能感」というのを持ってしまって、誤解するんだよね。こう言うと、批判することによって、本当は権力を持ちたかったと思われるかもしれないけれど。

●じゃ、楽しいことは何ですか?

 にわかにはウソと分からないような、よく考えてみるとやっぱりおかしいというようなウソを考えて、次の日くらいに「あれ、ウソでしょ」と言われる時かなぁ。

●ホントですか?

 これもウソかもしれないけど。

●教官ってウソつきなんですか?

 ホントだよ。

●でもホントだよっていわれるとウソつきじゃないみたいだし…。

 じゃ、ウソだよ。教師っていうのはいつだってウソつきだよ。パラダイムっていうんだけど、教師が教えることは今現在のパラダイムというか規範というのを教えているけど、いつ科学革命が起きて古いパラダイムになるか分からないよ。

 だって、ニュートンの力学を教えていた教師はアインシュタインの時代にはウソつきってことになるでしょ。

 教育っていうのはウソかもしれないね。最先端の研究者だっていつか否定されるんだからね。後から見れば新しいウソを考え出しただけかもしれないね。僕たちは五次元の世界に生きているっていう説もあるくらいで、今までの説は何だったんだ、と思うよ。

 オスカー・ワイルドに「嘘の衰退」というエッセイがあって、ウソつきは泥棒の始まりじゃなくて、芸術の始まりだって言ってるよ。みんな、もっとウソが上手にならなきゃ。

●欠点は?

 欠点ていうものは性格以外に問題はないね。

●それが問題なんじゃないですか。ところで大学って出てよかったぁ?

 まあ、ここの教師になるためにはよかったかもしれないけれど、よく分からない。大学で学んだことが役に立っているってことは一つもないと思うよ。文学の講義なんて辞書の引き方ばかり習っているようなものだからね。引いた途端、違うって言われて、小さい、小さい注を見ないと分からないような、そんな講義ばっかりだったからね。

 口幅ったいけど生活の役に立つの多くは自学自習だよ。学歴がモノをいうのはせいぜい3年から5年だね。

 大学まで出ても大して価値がないって、大学を出たから分かったということは大学を出てよかったのだろうけど…。

 大学院に行ったのも大学がいいかどうか分からなかくて、上に行けば何かがあるかなぁと思ったんだけど、何もなかったね。宇宙の外には何があるか期待する宇宙人のようなものだよ。

●あっという間だった?

 長くはないね。フランス人が1年で4〜6週間バカンスを取るのを日本人は羨ましがるけど、日本人は生涯のうち4年間、大学でバカンスを取っているね。

 イギリスでも高校と大学の間に「ギャップイヤー」というのを取る「ギャッパー」というのがいるけれど、日本は4年の「ギャップイヤー」だもんね。

●どんなことを勉強していたんですか?

 今になってみれば、何を学んだかよく分からなくなってる。古代ギリシャ語の方言の話って、実際には役に立ってないけど、考え方が大切だと思うよ。こっちの方言とあっちの方言とどちらが古いと考えるかなんてギリシャ人にだって役には立たないよ。

 でも、忘れないでほしいのはすぐに役に立つ技術って技術の変化ですぐに役立たなくなるってことだよ。

●影響を受けた先生は?

 文章を書く上では何よりも千野栄一先生だよ。50冊くらい本が出てるんじゃないかなぁ。和光大学の学長になって亡くなられたけれど、とにかく面白い文章を書く先生で、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』なんかの翻訳でも有名だよ。

 それから言語学の考え方は松本克己先生からで、ソシュールという言語学者の原書講読も含めて言語学的な見方というのを徹底的に教えられた気がするよ。

 言語学以外だったら西江雅之先生だね。日本語については国広哲弥先生。でも、どんなに偉い先生の名前を並べたって知らないでしょ。

 結局、僕のは言語学でなくて、言語ギャグになってしまったけど…。

●どうりで「ジョークの耐えられない軽さ」ってものがありますね。黙っていれば賢そうに見えるのにぃ?

 そう、近所の人でも知らない人には怖い人だと思われているよ。

 ふだんは黙っていて時折ぽつんと呟くと賢い人に思われるのだけどね。日本で出世するんだったら、口は堅く、余計な事はいわず、聞いてもしゃべらないことを3年通せば必ず認められるよ。『箴言』(17の28)には「愚か者でも黙っていれば知恵のある者と思われ、その唇をとじていれば、悟りのある者と思われる」というのがあるくらいだからね。

 日本ではジョークを軽く考えすぎていて耐えられない部分がある。悲しがらせることって簡単なんだ。詩人のハイネは「ある役者が人を泣かせたからといって尊敬することはすこしもない。タマネギだってそんなことはできるのだ」と言っているよ。

 僕は沈黙があると何かまずい雰囲気になってるんじゃないか、自分は何か悪いことをしたんじゃないかと、思ってしまうんだ。脅迫神経症みたいなもんだよ。だから、場を取り繕おうと、つい、余計なジョークを…。実際、ジョークをいえば、ちょうど立体交差のように問題をすり抜けて行くことができるからね。もちろん、問題自体は解決しないけれど、相手とのとりあえずの衝突は避けることができるからね。

 う〜ん。末っ子に生まれたのが悪かったか?

●うまく盛り上がればいいですけどねぇ。

 盛り下がることが稀にあるから困る。大変困る。

●ホントに駄ジャレが多いですね。

 あのねぇ、駄ジャレって悪い意味で使っているとしたら、一つでも自分でオリジナルな駄ジャレを作ってごらんなさいよ。村上春樹『うさぎおいしーフランス人』(文藝春秋)なんかは駄ジャレ集になっていて、「ホットケーキのおかわりも三度まで」とか「参るぞ、でべそ」とか「見ると、ジャクソンだった」(分っからないだろうな)とか平気にやっているからね。

 確かに駄ジャレっていってほしくなくて、僕のはウィットとかエスプリって呼ばれるべきものだと思うんだけどね。せめてジョークとか、まあ、無理矢理笑わせているっていう意味でギャグ、ギャグっていうのは「猿ぐつわ」っていう意味なんだけど、そう呼んでほしいな。

 「ギャグもまた真なり」!

● {{ (>_<) }} どうしてそんな寒いギャグを連発できるんですか?(←なぜか多い質問)

 寒いギャグに耐えることも人生修業のひとつだよ。

 それに、昔は今みたいに教室にクーラーなんか入ってなかったから、夏に学生は喜んでいたよ。

 シャレが作れるっていうのは言葉を意味のない音で聞いているからだよ。いっぺんやってみればいいけれど、日本語の意味を考えずに聞く訓練をしてごらん。ついでにセイカクというとセイガク、ゼイガク、セッカクなどとも一緒に連想できるかってことだと思うよ。言葉を記号として見ることがシャレの第一歩だよ。

●受けたら嬉しいですか?

 みんなが分かっていて、一人だけジョークについていけない人がいたりするのが一番うれしいよ。

 でも、学生がよく笑うのは9月と2月だからねぇ。どちらも試験前で評価につながると思ってるんだろうね。よく笑ったから評価を上げるなんてことはゼッタイにないんだけどね。

●うちのクラスで笑っていない子がいましたよ。聞いたら「今度、退学するので笑う必要がないんだ」って言っていましたよ。トーマス・エドワード・ブラウンという人は「金持ちのジョークはいつも笑える」って言ってましたね。“A rich man's joke is always funney.”って。

 なるほど!大体、僕はあまりにも立派なことを言うとそんな自分が恥ずかしくなってくるんだ。「文化」っていうのは「はじらい」だからね。だから、どうしても最後は駄ジャレで誤魔化してしまうんだ。

 確かにゴマカシだなぁ。トーマス・マンと違ってナチスと戦ったケストナーは「経歴」という詩で「感情が死んだ庭に/だじゃれを植えつけるのがぼくの仕事」って自虐的に書いているけど、駄ジャレをいう人は心寂しいんだよ。きっと。

●ジョークは寝ずに考えるんですか?(←なぜか非常に多い質問)

 あのねぇ、そんなヒマはないよ。

 正直に、正確にいうとジョークって瞬間芸で、人と話している時にぱっと思いついたことが多くて、そのジョークをそのまま他でも転用することが多いんだ。でも、転用する時にまた閃いて、パワーアップすることがあるけどね。ホームページには洗練されたジョークしか載ってないはず…。(なぜか、ここで笑い)

 もし、フツーと違うとすれば、言葉を聞いてからジョークにするまでの言語処理能力は速いと思うよ。CPUのクロック数が高いんかもしれない。ただの自慢話だけど…。

●クロックといえば研究室の時計止まったきりですよ。

 少なくとも一日に2度は正確な時を刻む素晴らしい時計だからほっとけい。

●言わなきゃいいのに…。でも、たくさん考えるの大変でしょ。

 同じジョークは同じ週に使い切ってしまうようにしてます。心理学で「即時強化の法則」というけれど、憶えたことはすぐに使ってみると忘れにくくなる。だから、早めに人前で話してしまうのです。

 講義内容が違っても、なるべく同じ話に無理矢理もっていくのがテクニックといえばテクニック。最後のクラスでは十分に練れていいネタに仕上げっているよ。

●ポール・ヴァレリーは「精神は反復をきらう」なんて言っていますよ。そんなことでいいのですか?

 そうしないと同じジョークを同じ人に言ってしまうという、もっと悲惨な目に遭うからで、強烈なジョークほど、2度いうと効果がなくなる。だから、使い切ることにしているんだよ。

 それから、最初の時だけ話せるジョークというのもあって、初めて講義する時は「僕は博愛主義者だから全員に単位をあげます。…点数さえ取れば」というのがありますね。

 それから、初めてテストの説明に廻る時は「じゃあ、みんな頑張って平均点以上取ってね」なんてね。たまに「あの発言はおかしい」なんて学生もいるけれど、僕の講義の意味がよく分かってなかったってことだね。

●「今度の試験難しいって聞いたら、簡単だよ!僕がやったら百点だったから」とうのもありますね?

 だって、教師だって百点が取れない問題っていっぱいあるんだよ。哲学の先生が「人生とは何か?」って出して満点が取れると思う?何にでも解答が用意されていると思ったら大間違いだよ。

 でも、惚けてくるときっと同じジョークを何度もいうようになるんだろうな。ラ・ロシュフコーの『箴言集』(岩波文庫)という格言みたいなのを集めた本の中にも「なぜ私たちは自分に起きた出来事のこまかい点まで忘れずにいるだけの記憶力を持ちながら、それをなん度同じ人に話したか覚えているだけの記憶力を持っていないのではないだろうか」と書いているよ。

●もう、ホームページで同じジョークが何度も出てきてますよ。

 (^_^;) まあ、それはリサイクルってやつで、全部読もうとするのがおかしい。「カード派」の人はみんな同じ話を使い回しする傾向があるんだよ。それにどうしても同じ例を挙げなければならないことも多いしね。

●いっそ、ジョークだけを集めたら?

 あのね、ホントとウソがうまく混じっているから面白いの。映画だって文学だって人間だってそうだよ。「私はウソばかりを話します」ってホントのことを言っていたらおかしいもんね。

 ただ、「スクール・ジョーク集」を作ろうと思ったこともあったけれど、過激なものになって学校にいられそうもないので、止めました。退官したらゆっくり書こうと思ってるけど…。ここのところ、同僚の皆さんはちゃんと読んでおいてね。

 そのうち、教え子の一人が、毎回のジョークを集めて出版してくれればいいな、と思っています。『論語』みたいにね。

 いっそデータベースにしてしまって「1209番」というだけでみんな笑えるようになれば最高だね。

 713番!

●あははは。

 あっ、笑った!

●冗談ですよ!?

 もちろん、分かってたよ。(^_^;)

 ただ、本当のことをいうと、ジョークってその場限りのもので、コンテクストというか、相手と場面があって初めて成立するもので、見知らぬ人を相手にして文字に定着してしまったらちっとも面白くないことが多いからねぇ。

 学問も一緒でソシュールの『一般言語学講義』だってちっとも面白くないようになってるけど、元の話は随分と面白かったらしいんだ。

 学問もジョークも人間関係も、ジャズのようにインプロビゼーションといって即興が大切だと思うよ。結婚式の乾杯の音頭を取るといって、温度計を持って計った人もいたけれど、狙いすぎはダメだよ。

●ジョークばかり言っているんじゃないですか?

 そんなことないよ。第1火曜日の正午から3時までは真面目な話をすることに決めているよ。

●くだらない冗談を燃料にして走る車が発明されたら、教官はずいぶん遠くまで行けますね。

 でもまあ、世の中には知的枯渇というものがあるからね。

 I・アシモフの「人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である」という言葉は大好きだよ。くだらないことに興味を持たなくなったらお終いだよ。

●教えるってどんな気持ち?

 芥川龍之介が海軍機関学校に英語の講師として教えにいっていたころの経験を基に書いた「(堀川)保吉もの」と呼ばれるシリーズがあるんだけれど、似たような気持ちを感じることがあるね。

●旅行は好きですか?

 結婚前はいろんな所に行ったけれどね。今はあんまり。

●どこが面白かった?

 いっぱいあって分からないよ。

 そうだなぁ、津和野に行ったとき、鯉が掘り割りにいっぱいいて風情があったんだけど、ベンツが止まったと思ったら、ヤーさんが降りてきて、ちょっと見ていて、急に何かをいっぱい放り投げていると思ったら、百円玉だったんだ。どうしたんだろう、とそっと近寄ったら、側に立て札があって「鯉の餌 百円」て書いてあった。

●旅のどこがいいんですか?

 “Traveller's value”というけれど、「旅行者価値」というものがあってアウトサイダーで物事が見えるからいいんだ。富山みたいなところだって、探検家が民族誌を書くように思えば面白いかもしれない。だから、NHKで出ている番組も「とやま文化探検」ってことになってるんだ。

●どうして留学しなかったんですか?

 今でもその気はあるんだけれど、家族のことを考えるとなかなかね。それに、留学してもインサイダーになれるはずもなく、「学を留める」人も多いからね。まだ、分からないけれどね。

●ところで、好きな食べ物は?

 人を食ったりするのが好きだね。

●好きな歌は?

 いっぱいで分からないよ。相手の好みに合わせて「好きな」歌を変えることも多いし…。

●好きな作家は?

 いっぱいで分からないよ。相手の好みに合わせて「好きな」作家を変えることも多いし…。

 シェイクスピアっていいよ。「○×の何幕何場何行に書いてあるけど」って引用すると驚かれる。でたらめ言ったって調べる人はいないからねぇ。後で「メモしたいからもう一度」って言われると困るけど…。

●好きな映画は?

 いっぱいで分からないよ。相手の好みに合わせて「好きな」映画を変えることも多いし…。でも、小津安二郎の「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」という言葉は大好きだよ。

●そんなに映画を観ていていいことはあるんですか?

 そんなに見てないよ。田舎だと限られるからね。最初から全部は見れないと思って選択して見ているから続いているんだと思う。いいことってないね。暗いと思われるだけだし、暗くてもいいんだけど、ヒマだと思われるのが一番辛いかもしれないね。

●映画が好きなのに英会話は得意じゃないですね。

 観ていたのがサイレント映画ばかりだったもんでねぇ。内田百だって、ドイツ語の教師だったけど、周りにドイツ人はいなくて、たまに話すと通じなくて、一人だけ通じる同僚がいて、「だから私のドイツ語は一人用のドイツ語である」と書いていたよ。

●お酒は毎日飲むんですか?タバコは?

 毎日飲んでいます。…飲まない日以外は。

 タバコは昔、論文を書いたりする時に吸っていたけど、今は難しい文章を書かないから吸いません。内容がない論文をタバコでケムにまこうとしてたんだよ。

●好きなお酒は?

 ビールが好きだけど太るからダメで、焼酎は割って楽しめるけど体に悪そうだし、日本酒は頭が痛くなって何だかお尻がむずむずするし、ウィスキーは味が単調でつまらないし、ワインは1本空けるか、2本にするかで迷うし、大体、お酒って飲んでていいのかなぁって悩みながら飲むから辛い。飲んでいる時はいつだって飲み足りないし、飲み終えた時にはいつだって飲み過ぎているからね。そして、翌日後悔するけどね。

●宴会好きでしょ?

 これも大誤解なんだけど、本当は大嫌いなんだ。クマの宴会にもなるべく出ないようにしている。誤解から僕に幹事が廻ってくることが多いんだけど、人と馬鹿騒ぎするって嫌なんだ。若い頃は変な年寄りによく絡まれたしね。酒の席で絡む奴なんて最低!飲んで時間を取られるなんてオポチュニティコスト(機会損失)ばかりかかってしまう。要するに無駄な時間だってこと!

 それから、タバコが許せなくて、家に帰っても匂いが取れないし、「スクランブル会話」っていうけど、お互いが大きな声でしゃべるから、ますます大声を出さなければならなくなるのも大嫌い。

 スナックなんかも嫌いで、どんな美人がいたって僕とは関係ないし、何の運命でオレは場を盛り上げて喜ばれなければならないのか、と悩んで酒量が多くなってしまう。喜ばせるのはあっちなのに「面白い先生ねぇ」といわれて何が面白い!

 飲むとしたら、おいしい肴をどこかで用意してきて家で飲んでいる方がよっぽど好き。

●好きなテレビは?

 四角いテレビ。フラット画面のもいいね。

●好きなテレビ番組という意味です。

 ドラマはいっさい見ないことにしてるので、よく知らない。

●でも、「ちびまる子ちゃん」と「クレヨンしんちゃん」は好きでしょ?

 もちろん!「ちびまる子ちゃん」ってエッセイ漫画と言ってるけど、考えてみれば僕の文章も漫画エッセイみたいなもんだからね。

●好きな画家は?

 珍しい質問やねぇ。聞いて何かいいことあるの?エゴン・シーレなんて好きだね、なんてあまり相手の知らなさそうな画家を挙げるのが好きだね。

●いっぱい本を読んでて、本代、かかるでしょ?

 中国史のK先生ほどじゃないよ。富山大学にいる書誌学の藤本先生なんて、大学から鉄筋コンクリートの床が抜けるからこれ以上はやめてっていわれてるくらいだよ。

 僕は蔵書する趣味はないし、うちの柔(やわ)な2階が落ちてきても困るし、図書館をよく利用するから、そんなに使ってないと思うよ。

●最近何を読んでますか?

 言葉、ことば、コトバ。

●どんな本かという意味です。

 ずっと長く読んでることがないし、何冊も平行して読んでいるからどれってことないね。

●研究室の本は全部読んだの?

 あのね、本には読む本と調べる本があってね、ここにあるのは調べる本だよ。よく使うかどうかというのが本当の質問だね。

●『世界なぞなぞ事典』っていうのもありますね?

 そう、どうしてその本があるのかも謎なんだ。

●どんな謎が大好きですか?

 「答えはリンゴです。問題は何でしょう?」

●ところで読書が教官の趣味ですか?

 読書は趣味じゃなくて人間の本質の一つ。食欲や性欲みたいなものでヒトは読むために生まれてきたんだよ。

 でも、昔ほど楽しんで読めることが少なくなったね。読まなければという脅迫観念があったけれど、今は、「オレが今読んでみて、どうこうなるってことないなぁ」と、いい加減に読んでいるよ。

●ヒマだからじゃないですか?

 他の娯楽をしているほどヒマがないから読書しかできない、というのが本当かもしれないね。金もないからかもしれないね。

 ただね、肉体労働の場合は長時間働くことが勤勉だけど、知的労働にとっての勤勉というのは創造と決断で、これって1秒でもできることなんだ。文科系の人間をヒマそうに見る人が多いけれど、実験がある訳じゃないので、いつも考えているんだ。寝ながらだって考えているし…。

●でも、本当にヒマな時は何をしているの?趣味は?

 趣味を言わないのが趣味でね。

●教官の理想は?

 理想を持たないことが理想。

かたよらない心
 こだわらない心
  とらわれない心

 というのが理想なんだけど、この理想にもとらわれないようにしているよ。

●教官の主義・主張は?

 主義・主張を持たない主義・主張でねぇ。ただ、レヴィ=ストロースに「ブリコラージュ」という考えがあって、元の意味は「日曜大工」という意味なんだけど、間に合わせの材料ですますことを指している。これに対して黒澤明のような完璧主義みたいなものがあるけれど、僕は「ブリコラージュ」の方だよ。主義・主張は間に合わせですます、考えも作業仮説ですますみたいなところがあって、言い換えれば「とりあえず主義」といえるかもしれないね。100%できるまで待つよりはとりあえず始めるのが自分に合っていると思ってるよ。

 とりあえずの答えだけどね…。

●ワンパターンですね?

 そっちの質問もパブロフの犬みたいにワン・パターンなんだよ。佐野眞一は『旅する巨人』で「調査する者は調査される者よりも偉いとする態度を、人文科学ではなく、訊問科学という」などと書いているけど、質問が多すぎるよ。

●そんなー、「節操」ってものはないんですか?

 「節操」なんてもって長生きした人はいない!その場の気分で決めればいいんだ。ということも主義としてもたないけれどね。オスカー・ワイルドは「一貫性は愚か者の美徳だ」と言ってるよ。人生は矛盾でいっぱいで、社会も複雑だからね。全ては相対的なんだけれど、それで済ませられない部分もあるしね。

 だから、「いいかげんは好い加減」なんだよ。僕は「ほどほど精神」というのを大切にしていて知の偏食はしないことにしているからね。

 ちょうど谷川俊太郎が書いているよ。

谷川俊太郎『ノンセンス辞典』
【思想】
思いつきの別名。
その思いつきが新奇であればなおいい。
たとえばひとりの子どもが<空は青くないよ、空は茶色だ>等と言えば、
あの子には思想がある、というふうに用いる。
思想を体系化しようと試みたり思想に生命を賭けたりすることは、
今日では邪道とみなされている。

●じゃあ、宝物ってある?

 そうだね。コレクターじゃないからそんなものはないよ。そうだなぁ、一番は子どもたちで、僕と違って未来があるからね。それは間違いないよ。めろめろになってないつもりだけど、下の子が泣いた時に背中におぶって歩く時が一番うれしいよ。子どもを持つまで分からないだろうけどね。僕だって分かってなかったけどね。

 その辺は他の人と一緒だろうけど…。違うものをあげれば、勤めてからの日記。その前に書いてなかったのが悔やまれるんだけど、そのデジタル化された日記も宝物だね。自分のデータが全て入っているからね。

 全然違うけど、勤め始めてから毎年、年賀状のベストを残しているのも宝物だね。他人にはまったく価値のない宝物!

 後は何でもお金で買えるからね。

●日記を付ける心理がよく分からないんですが?

 アイデンティティというか「自分らしさ」というのはほとんどが記憶だからだよ。自分のクローンが生まれても、自分と同じ記憶を持つことができないからね。映画の『メメント』には10分ごとに記憶をなくす男が出てくるんだけれど、記憶をなくしたら、自分は自分でなくなってしまうからね。10分前のことを忘れることはないけれど、昨日のことさえ、怪しくなってくるもんだよ。だからこそ、日記が必要なんだよ。

●ねぇ、ねぇ、超常現象って信じる?

 そうだねぇ、白山で「ご来迎」というのかブロッケン現象を見たよ。

●それって「頂上現象」でしょ。

 ……。

 あっ、そういえば昔、新潟県の弥彦神社に初めて行った時にデジャ・ヴュ(既視現象)を感じてね。実は僕のおじいさんの禎英というのが新潟女学校で理科と数学の教師をしていたことがあったんだ。すごく若死にをして母親がそれこそ大変な苦労をすることになるんだけど、その関係じゃないかねって。ホント、悩んだよ。

 それから5年ほど経ってから演劇の『はなれ瞽女おりん』を観ていてハッとしたんだ。この中に弥彦神社が出てきて、僕がデジャ・ヴュだと思ったのは、その前に映画で『はなれ瞽女おりん』を観ていたせいだって。

●じゃあ、信じないんですね。もしかしたら射手座?

 そうだよ。射手座のB型だよ。

●でしょ。射手座もB型も典型的に占いを信じない人なんですよ?

 じゃあ、信じよう!

 そうすれば、典型的じゃなくなるし、射手座とかB型っていうのが当てはまらないことになるね。

●苦手なことは?

 他人と長話をするのがすごく苦手。その場から逃げ出したくて、話を中断したいから「オチ」を作るようになったのが本当。これを「ヒット&アウェイ方式」と名づけているけどね。

 気が小さいもんだから、話を落とさないとなかなか話を終えることができないからね。

 皮肉っぽいけど、僕の話が面白いってずっと話していたい人もいて、僕は自分の時間を奪われるのが嫌いなんだ。「時間泥棒!」って叫びたくなるような人がいるよね。こんなインタビューみたいにね。

●どうりで、講義をしっかり受けようと思っている矢先に「オチ」てしまうのかぁ?(-.-)(=_=)(-.-)(=_=)(-.-)

 あのねぇ、ジョークを言わなかったらもっと前に寝ているでしょ。こっちも90分の講義をもたすために一生懸命ジョークを用意しているんだから、ちゃんと聞いてほしいですね。

 まあ、おかげで、出席していたかどうかもめた時は「この日、どんなジョークを言った?」で分かるから楽だけど。

 でも、何よりもユーモアってゆとりだと思うよ。ゆとりをなくすのは死に至る病だよ。ユーモアのセンスを持つと、人間性の矛盾を楽しむようになる、ってサマセット・モームの言葉もあるくらいだよ。

●「ユーモア」ってどう定義するんですか?

 「ユーモアとは何かを定義することほど反ユーモア的な行為はない」と言ったのは、G・K・チェスタートンだったと思うけど、定義すること自体、馬鹿げている。面白ければそれでいいんだよ。


●こんにちは、金川教官!私の話を誰も聞いてくれないんですよ。

 はい、次の人!


●教官!質問が別料金って本当ですか?

 じゃあ、次の質問!


●教官!きのう面白い夢を見たんですよ…。

 その話ならこのあいだ聞いた。


●こんにちは。金山教官はいつからこの学校にいるんですか?

 「金川」だって言ってるでしょ。昔からいますよ。明治時代だっけかな。

●まさか創立以来100年なんていわないでしょうね。でも、どうしてこの学校に入ってきたの?

 亡くなった父親がここのOBだったので、長坂校長から頼まれて入ったんだよ。今の若い先生は公募で来ているからみんな優秀で羨ましいね。新入りが幅を利かし古参者が重用されない様を「積薪(せきしん)の嘆」というんだ。後から積まれた薪が専ら使われて、下積みのままの古い薪にみたいになってしまっているからね。公募だったら、ここの教官になってなかっただろうね。何してたかねぇ…。

●商船に何年勤めるの?

 63歳定年だから38年間になる予定。でも、定年延長になるときっと40年になるね。その頃はみんなから忘れ去られていて、「ええっ、あれ、教官?何であんな教官がいるんだろう」とか、卒業生からも「まだアイツいたの、生きてたんだぁ…」って不思議がられるようになってるだろうね。今ももうそうなってるかもしれないけど。山本周五郎の「その木戸を通って」の女のようにすっと来て、すっと去っていきたいものだね。

 半分を超えて、僕に合った小さな双六の上がりに来ているな、と思うよ。

 体力にも自信がなくなったし、学生の言ってることがちっとも分からなくなったし…。

●ここの教官って楽だね?(←大変多い、大変失礼な質問)

 そうだよ。給料はメチャ高いし、会議は1週間に2つか3つくらいしかないし、学校も地域からいい学生ばかり育てているって評価が高いし、学生はみんな素直で、ハイポリマーの紙おむつみたいに教えたことを全部吸収していってくれるし……。

 あなたもなったらぁー?

●何だかイヤミっぽく聞こえますがね。でも、ヒマそうですよ。

 理系の先生はいつも実験していていかにも仕事をしているように見える。文系の僕らは散歩などしていて楽に見えるけど、脳はフル回転しているよ。「ぬるま湯」に浸かってるみたいだという人もいるけれど、頭の中までは見えてないよ。本を読んでいると遊んでいると思っている人さえいるからね。一番頭が働いている時は家でゴロンとしている時だよ。

●本当ですか?

 これでも頑張らないように努力しているつもりだよ。スワヒリ語の「ポレポレ」(ゆっくり)が大事だと思っている。

 僕は漬け物石みたいなもので仕事をしているようで、していない。していないようで、しているんだ。

●漬け物石なんて知りませんよ。

 うつけ者!といってもしょうがないね。豆炭だって知らないものね。こたつも入ったことがないって!?

 猛暑なり、昭和は遠くなりにけり。

●ところで、昔の商船生は中部よりも賢かったっていうんでしょ。どうだった?

 富山中部高校よりも偏差値が高くて、放っておいても自発的に何でもしてくれた時代には僕はいなかった。少し悪くなり始めてから入ったからね。男子校だったからやっぱり結構、書けない部分があるね。

 毎年聞くのが「今年の1年生はなってない」なんてね。僕らから見ると全然変わらなくてお笑いなのに、毎年、上級生になるとそんな言葉が出てくるね。今の学生は2年位で世代交代してしまってるみたいで「今の若いもんは…」なんて平気でいうよ。

●今の学生、どう思う?

 困ったもんだよ。今の若いもんは!

●昔はどうだったの?

 昔は、休みになるとみんな北海道とか大阪へ帰ってしまって、学生と会うことはなかったけど、今は県内の学生が増えて、どこへ買い物にいっても出会ってしまう。バイトのしすぎだよ。

 おかげで、レジで学生を見つけると、バーゲン品を止めて、つい一番高いものを買ってしまう癖がついてしまった。

 バイトもいいけど、お金で買えないものがいっぱいあることに気づいてほしいなぁ。

●勉強しない学生には「オニの金川」って呼ばれているけど…。

 オニじゃないよ。ホトケの金川だよ。こないだだって、キャンパスの草むらに座っていたら、拝んで賽銭を置いていった人もいたよ。

●乞食と間違えられたんじゃないの?

 ???

●でも、落としたらダメですよ。

 「落とした」んじゃなくて「落ちた」んだよ。人間、「落とされた」と思うと恨みや弁解が出てくるけど、「落ちた」と思う学生は自分をよく知っていて、今度は何をすべきか分かるんだよ。つまり、「落ちた」方がいいんだよ。

●オチのない話ですね。ところで、嫌いな教官っている?

 ぜーんぜん、いないよ。だって、本当にいい先生ばっかだもの。僕が勤めたばかりの時もいつも適切にアドバイスしてもらったし…。

●じゃあ、一般的に嫌いな教師は?

「権勢症候群」というのか、自分のことを忘れて偉そうに説教するような先生は苦手だなぁ。「ワンサイドミラー人間」とでもいえばいいかもしれないけど、ハーフミラーのように他人のアラばかり見て自分は見せない、見えてない人がいるよね。話の通じない、自分の自慢だけの、たいていは自分は善人で正解は我にあり、という人なんだけど、そんな人の相手をするのは純粋な消耗という感じ。

 ちょうど、野村サッチーみたいな人だと思う。そんな完璧な人間なんていないはずなのに。威圧的な態度を取る人の中にはコンプレックスをもっていたり、悩みを本当はどこかで抱えているかもしれないのだけどね。同情しないけれどね。

●ゲーテは「ある種の欠点は、その人の存在にとって不可欠である」と言っていますね。でも、教官は欠点だらけじゃないですか。

 そうだね。最近ではボケも始まっているし。でも、学生たちの前で自分の不完全さを意識できる教師でないと、もっと深い人間理解ができる教師じゃないとだめだろうね。僕もまだまだだけど…。少なくとも僕のいいところは、学生に人格的な影響を与えようかとか、人生の指導者になろうとかという大それたことだけはしなかったことだね。

 善人というのもダメだね。善人って反省しないもの。僕も時々、善人かなぁと思ったら何もしなくなるものね。

 それに、何でもかんでも自分の手柄にしてしまう人っているよね。「慢心は足音がしないという」から僕らも気をつけないとね。

 僕のことを「お前は世界を解釈するばかりで変革しようとしない」と詰め寄った先生もいたけれど、解釈を間違えて変革したら大変だと思うよ。「科学的」とか「新」とか「真実の」なんて言葉に惑わされる先生もいるね。思想も含めて自分を顧みないんだもの。

 ニーチェはちゃんと「真理(あるいは、ただ一つの解釈)などない、あるのはさまざまな解釈(思想)だけである」とか「世界は解釈の産物であり、一個の寓話である」とか言っているよ。

 ただ幸いなことに、嫌いな先生はうちの学校には一人もいないけれど…。

●でも、○×教官は嫌いやろ?(←なぜか非常に多い質問)

 あのねぇ、どうして?そんなに具体的に聞かないでよ。僕は反主知主義というか、要するにバカな人は嫌いなんだ。利口な人はどこまでも好きだけど、頭の悪い人は無視してるよ。でも、つきあわなければならないからね。

●教官を批判する人はいないの?

 そうだなぁ、若い頃は生意気と言われ、今では幼稚だと言われ、いいことないね。

●うちの学校で好きな教官は?

 教養学科の先生はみんな好きだよ。

●みんな教官のことを錯乱狂気だっていってますよ。

 ええっ、どうしてばれちゃったのかなぁ。でも、それって、もしかしたら、「博覧強記」?

●そうともいう---かも。

 ……。

 だって、学者の端くれだから八百屋がキャベツを売るようなもんだよ。でも、本当は知らないことがいっぱいあって、そのことだけは知ってるけどね。難しいことはやっぱり難しくて読むのに苦労するもの。避けてる本もいっぱいだし…。もっといえば、学者に「博識」というのは普通、貶し言葉だからね。

 色々やっているのは分からないからやってみようと思うだけで、知っているのだったら、最初から何もしなかったと思うよ。別に富山文化の専門家じゃないけれど、頼まれたら、面白いしやってみようという気になるところが能天気で、いいのかもしれない。

 それに文章が面白いって言われても、みんな知ってることだろうなぁとも思いながら書いているよ。たくさん本を読んでるけど、オリジナリティは少ないかもしれない。色々な本から教えられたことだと思うよ。

 いずれにしろ、オリジナリティって情報の空白地帯から生まれたりはしないよ。教養とかオリジナリティに重きを置くべきじゃないね。文化とか教養とかは権力や経済力を持たない負け犬の持ち物かもしれないし…。今ではすっかり教養なんて要らないと言われるようになって、僕なんか居場所がなくなっているからね。

●悲観的ですね。

 それにみんなったって、英語のK先生がいってたんだろ。K先生はおだて上手で、疲れた時はK先生のところへ行ったりするからだよ。

 K先生におだてられて気が付いたら木に登っているなんてことがよくあるよ。

●豚もおだてりゃ木に登る、ですか?

 そうだよ、ブー!「ヤッターマン」の言葉だったよね。

●でも、学校って二派に分かれているんでしょ?うちの中学校はそうだったよ。(←なぜか多い質問)

 25年以上の先生が多くて、人間関係が固定してるからって分かれてないよ。うちは一枚岩だよ。教官会議でも前の方から主流、非主流、反主流、その他って具合に順番に並んだりはしてないよ。学科どうしの仲も相当に睦まじいものがあって、教養学科の先生と他学科の先生が2組も結婚していて、レヴィ=ストロースの「親族は女性を交換するためにある」という言葉がよく分かるよ。

●いじめられたことはない?

 そんなことは記憶にないよ。はっきりといえるよ。

 でも、あなたが学生だから忠告するけど、モラル・ハラスメントといってどこでも人を傷つけないと気が済まない人が多いから気を付けた方がいいね。しかも五月のハエのようにどこからともなく飛んでくるしね。精神的な暴力って肉体的なものよりも怖いね。言葉や態度でネチネチと虐める人って必ずいるからね。そして、人間ていうのは小石に躓(つまづ)くように、つまらない言葉で躓く哀れな動物だ。

 そんな時は相手を同情できるくらいにならないとダメだと思うね。「あぁ、可哀想な人なんだ、そんな風にしか考えられないなんて」と思ったりすることだよ。「いい人」ほど狙われるってこと、忘れちゃダメだよ。モラル・ハラスメントを受けるような人は善人だからだと思うべきだよ。

 難しいけどね。本当に。傷つかないダイアモンドの心臓を持ちたいなんて、よく思うよ。

●ところで、教官の講義ってどうしてあんなに話がワープするの?話が桂馬飛びというか…。

 あなたの話も飛ぶねぇ。体系づけて話すってことが苦手じゃないんだけどねぇ。飛ぶんじゃなくて膨らむんだよ。古館伊知郎は自分も含めて「バスガイド思想」だと言っていたね。つまり、「右手に見えますのは」っていいながら、いきなり歌い始めたりするような話しぶりをそんな風に名付けていたね。

 人間ってそんなに体系づけて物事を考えてる訳じゃないじゃない。君らだって、僕らの話を聞きながらレポートやラブレター書いたり、バイトのこと考えたりしてるやろ。現代人は心がコンプレックスというか複雑になっていて、一直線に物事を考えることができなくなっていると思う。現代詩のテーマも似たようなものだと思うけど。例えば、ニーチェは「人は同じことを5分以上考えつづけることはできない」と言ったそうだけど、こうして君と話しながらも夕食は何がいいか、明日は何しようか、なんて考えているさ。

 それに「演劇の半分は観客がつくる」という寺山修司の名言があるけれど、授業の大半は学生がつくるものなんだよ。

 ところで、どんな話だっけ。

●発想が飛ぶから面白い?

 そう、飛ぶんじゃなくて、リンクするって考えればいい。それに発想の転換ってことも大切だし…。

 橋本萬太郎先生に教わった時に、先生は話をしていて、少し脱線するともう訳が分からなくなって、30分ほど立ってから「ところで、どんな話までしてましたっけ」なんておっしゃるんだ。

 いい先生だったけど、若くして亡くなられてしまったものだ。

 志部さんという先輩もいい先生だったけど、若くして亡くなってしまったし、結局、善人は若死にするのかな。

 だから、僕もあなたも絶対大丈夫だよ。

 ところで、どんな話だっけ。

●発想の転換って?勝手にしてください。

 そうだなぁ、安斉絵里香さんて女子高生が作った「風鈴に風がことばをおしえてる」(『17音の青春』1999)なんて俳句は発想の転換の例だと思うよ。みんな「風鈴が鳴ってる」「話している」なんてことは思うかもしれないけど、風が言葉を教えてるなんて発想はなかなか出てこない。そんな見方が大切だと思うし、それができれば研究だって、芸術だって生まれてくると思うよ。これについては「セレンディピティのすすめ」っていうのを書いているからそちらに回したいけれどね。江戸川柳に「風鈴もだんまりでいる暑いこと」なんていうのがあるんだけれど、こちらの方が面白いね。島田雅彦は「ズボンがシェイプアップされてウェストがきつい」なんて書いているけど、今の僕だね。

●勝手にしてください。

 駄ジャレというか言葉遊びも発想の転換なんだ。「贅沢は敵だ」という国粋的な看板に「素」の字を加えたり、「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」の「工」を取ったり、ニクソンがベトナム戦争反対の学生たちに“Love America, or Leave America”と言ったのに対して“Love America, and Leave America”と反撃したことなんかはちょっとした視点のズレ、言葉のズレで風刺っていうものが出て来るんだよ。ユーモアというのは視点を変えることなんだ。言葉を一つの意味でしか考えられないのは視点を一つしか持っていないこと。だから、ユーモアあふれる人というのは言葉の教養がある人といえるね。

●教官は賢いの?

 自分の能力のなさをあんまりバレないようにできるところがもしかしたら賢いと思うね。下手な謙遜じゃなくてテクニックの問題だと思うよ。

 あと、賢い人は好きだね。賢い人は話が早い!

 昔、商船にいた先生で富山大学の先生になったOさんは「あんたの、その発想の転換が学問に向けば大学者になっていたのにね」と慨嘆したけれど、僕のは言葉の中の、言葉の転換でしかないからね。特に疲れた時に頭だけがくるくる回って…。

 「発想の転換」っていうと手垢がつきすぎているかも知れないから「視点の移動」といってもいいね。

●視点の移動?

「スヌーピー」のルーシーが大逆転したフットボールチームのことを自慢している時にチャーリー・ブラウンが「でも、相手のチームはどんな気持ちだったろうな」とぼそっと言うんだけど、そういう優しさって視点を変えてみないと分からないことだと思うよ。

「卒業」っていう映画で花嫁が奪われるんだけど、ストーリーとしては面白いけれど、相手の男はどうなっただろう、親戚に何て説明しただろう、どんな結婚をしたんだろう、とか考えてしまう。こちらは優しさじゃなくて、自分の降りかからなくはない大問題だけどね。

 視点を変えるために、さあ、机の上に立ってごらん!

●映画の観すぎだってば。

 Carpe Diem.(この日をつかめ→『いまを生きる』で正確には「その日を摘め」)

●ラテン語で煙に巻くのはやめて!でも、それって“ホラ”ティウスの言葉でしょ。教官そのもの。

 英語だとホレイショだよ。日本語だとウマイッショかな?親鸞は「明日ありと思ふ心のあだ桜夜半(よは)に嵐の吹かぬものかは」と歌ったともいうね。でも、これじゃ悲観的すぎるね。

 視点を変えれば新しい自分が見えてくるはずだし、それによって自己表現ができるよ。

 厚底靴を履く女性の気持ちっていうのもファッションというより、視点を変えたいからだと思うよ。

 指揮者の岩城宏之さんだって2センチ高いステージ靴を履いていて次のように書いているよ。

 僕は本当はとてもシャイなのだ。景色を二センチ変えて、ア、オレはエライんだと、勇気凛々ステージに出ていく。

 しまった。これは企業秘密だった。

●ところで得意な言語は?

 やっぱぁ、あんたぁ〜、富山方言やちゃ。

●英語と日本語とどっちが得意?

 Japanese.

●教官は教養学科教授ということだけど、どうすれば物知りになれる?

 『世界教養大系』全1000巻を読めばいいよ。

●そんなのあるんですか?

 商船の図書館に!あったらいいねぇ。

 言っとくけど、僕は物知りじゃないよ。言語学と人類学と映画が僕の「智恵の三本柱」になっているけどね。アラビアのロレンスは「智恵の七本柱」だったものね。何でも知っている訳じゃないよ。専門のことはまあ、八百屋がキャベツを売るようなものだ。

●雑学ですね。

 わざわざ雑学じゃないというほどのこともないから放っているけど、雑学って言われるのは嫌いですね。これでもきちんとガクモンはしているんだよ。学問の基礎がちゃんとあるんだよ。

●本当によく知ってるよねぇ。

 つまらないことをいっぱい、ね。でも、フランス語で「ランタビリテ」(rentabilite)というけれど、そうした知識の収益性がまるでなくなっているから、物知りにとっては本当に不幸な時代だと思うよ。昔はルネ・マグリットとか、ミシェル・フーコーとか、芸術家や哲学者の名前を知っているだけで少しは重きをおいて感じられたものだと思うけれど、「教養」っていうものに価値を見いだす人がいなくなったからね。

 ただ、僕自身は「専門性のあるゼネラリスト」というのを目指しているんだ。つまり、特定の分野は詳しくて、それでいて、ある程度、全体を見渡せる人間にね。クイズ王でもないし、大学の先生みたいな研究オタクでもない、そんな存在にね。少しだけ偉そうに言えばね。

 大学の先生がシェイクスピアのことを知り尽くしているのってオタクが大好きな歌手の全てを知ってるのとか、もしかしたら、もしかしたらだよ、コンピューターが大量のデータを保存しているのとあんまり変わらないね。価値が既に決まっている人を追いかけている訳だから、リスクもないし、ちっとも生産性がない。今生きてる歌手の方を大切にしている人の方が見る目がしっかりしているかも知れないよ。それに自分の意見だと先生が思ってることは昔の学者がどこかで言ってることかも知れないしね。

 日本の教育システムって知識を記憶することが中心で大学出たって考えることができない学生を作っているよ。知識ってコピー機でもコンピューターでも簡単に複製できるようになっていて、それ自体に価値がなくなってきている。

 視野を広く持たなければならないよ。必要なのは「知識」ではなく「知性」だからね。「知性」というのは、自分の位置、思想の位置をきちんと分かっていることだよ。

●視野が狭いのは専門バカってこと?

 そう。言語学でも言語のことは詳しいけれど、レアリアというのかその言葉が使われている小説なんか読んだことがない学者もいるよ。国広哲弥先生なんて例文に使われている文章を見ると、どうしてこんな本まで読んでいるんだろうってびっくりだもんね。

 一方で、本当に言葉が好きなんだろうかと思ったりする学者もいね。言語学は言語形式の研究なのだから当然ではあるのだけれど、言語研究から人間が欠落したらやっぱりまずいんじゃないだろうかと思ってるよ。

 ただ、この問題はむずかしくて柳田国男が俳優の長谷川一夫を知らなかったということをどう捉えるかっていうことあると思うよ。

●教官もある意味では専門バカじゃないの?

 それだったら、君たちは「ただのバカ」ということになってしまうよ。

 君たちは分からないことは教官に聞いたり、せいぜい図書館へ行っておしまいでしょ。最近はインターネットか?本に書いてなかったらそれでお終いってところがあるやろ。でも、資料はとっかかりの一つにすぎないんで、そこからどうするかってことをよく考えておかないとダメだよ。何よりも関係づけることが大切だと思うんだ。一見、無関係と見えることだって、関係があることがあるけど、そういうのをいっぱい見つけることが大切だと思うよ。関係づけて考える癖だよ。

 映画を観たって、面白かったっていう前に、どうして面白いのか、どこに工夫があったのか、考えてみないとダメ。そればかり考えて観てたら面白くないけど、終わってから、他の映画との比較とか原作との違いとか、どのように撮っているかなんて分析することが好奇心の発端になると思うよ。

 「オンリー・コネクト」がインターネットでも学問でも人生でも大切なことだと思うよ。

●それが教養ってこと?

 (たっぷりしたお腹を見せて)ほら、これが教養だよ。

●それって栄養じゃないですか?

 ……。

●この部屋へ来る度に片づけたくなる衝動に駆られるんですけど、どうして研究室の整理整頓ができないの?

 ほら、名前はいえないけれど、物理の、ある先生なんか、ものすごく整理しているでしょ。学術雑誌に埃がつかないように新聞紙を被せていたり…。それよりは、いろいろな仕事を同時進行してるって感じで、僕はこれでいいと思ってるよ。僕のスローガンの一つは“A Neat Desk Is a Sign of Sick Mind.”っていうんだよ。

 『「超」整理法』の野口悠紀雄だって、情報は整理できるけど、部屋は整理できないといってるよ。

 何なら、書類、すぐに出そうか?(といってなかなか出てこない)

●もしかして物理の教官って一人じゃないの?

 そうだっけ……。(といって相変わらず書類が出てこない)

●そうですよぉ。

 演出家の野田秀樹も「整理整頓の好きな奴は頭が悪い」って言ってるよ。学問でも分類学っていうのが大事だけれど一番下の学問だし、何よりも思想を右とか左とか、誰の影響だとか、分類整理して考える連中って頭が悪いよね。整理をするって、言い換えれば切り捨てることだからね。学生でも教師でもいい面もあれば、悪い面もあって、それも簡単に長所短所っていえないからね。友だちが多いって長所かもしれないけれど、自分を大切にしていないともいえるからね。

●掃除が嫌いなだけじゃないの?

 僕はまだいい方だよ。澁澤龍彦は部屋を掃除されるのが大嫌いで、龍子夫人が電気掃除機をかけようとしたら怒って裁ちバサミでコードを切ったって話が残ってるくらいだからね。

 それに、富田隆の『サディストは合コンでテーブルを拭く』(世界文化社)に僕のタイプが書いてあったんだけど「机の上が異常に散らかっている男は、他人には理解不能な行動をするものの実は隠れた才能を持つ天才」だってさ。

●それって、富田隆先生自身が片づけられなくて、自分を正当化してるんじゃないの?

 サディストよりもいいでしょ。

●切ってしまいたいような嫌いな学生っている?

 怠惰な学生。わがままと自由を取り違えている学生。家庭と学校に保護されていることに気づかず、バイトすることが自立だと間違っている学生。何も取り柄がないのに自信だけはある学生。バラバラな雑学を自慢する学生。スペックばかりのカタログ人間!

●そんなのいますか?

 商船にはいない!はず。

●学生に一言?

 もう高校生、高専生なんだから教師のいうことなんか聞くな。分かったね。

●それで「うん」ていったら「教師のいうことを聞いた」なんていうんでしょ?

 そう!だから、その矛盾を考え続けるのが青春ってもんだよ。

 主体は権力への従属を通して生み出されるとミシェル・フーコーはいったけれど、学校とか、病院、工場、監獄ってどれも自由な主体を作りだすために大いに不自由を強制している装置なんだ。

 そうした、逆説を考えながら、自律していかないとね。


●金山教官、お願いがあるんですけど…。

 金川です。本当に授業に出てるの?

●そこでお願いがあるんですけど。

 何が、そこで、なんですか。

●教官、単位が欲しいんですが、私、何でもします。教官のおっしゃることなら何でもします。

 困るね。そういう女性がよく来るんだよ。そんな願いを聞いていたらキリがないからね。

●そう言わずにお願いします。本当に何でも教官のおっしゃる通りにします。一生のお願いです。心からのお願いです。必死なんです。

 じゃあ、分かった。死ぬ気で勉強してください。


●金岡教官、おうちでも寒いジョークを飛ばしているんですか?ペンギンなんか飛び回ってるんじゃないですか?(←本当に多い、くだらない質問)

 金川です。

 家では暖かいジョークしか飛ばしません。電気代も普通です。

●奥さん、大変やね?

 失礼な!別に無理矢理合わせてくれはしないよ。結納の時に「売れなくなったら、二人で漫才コンビにでもなって暮らします」なんて言っていた人だからね。素質はあったんだと思うよ。

 でも、婚約時代に「自宅に帰ってから冗談だと分かりました」なんて電話がかかってきたこともよくあったよ。

●奥さんと年齢差があるけど、話は合いますか?(←なぜか多い愚問)

 余計なお世話じゃ!それにねぇ、別に僕は高校生の時に幼稚園児と結婚した訳じゃないですよ。妻はもう24歳になってましたからね、別に話が合わないこともないし、同級生だって話の合わない、話していると気分が悪くなる人っていっぱいいますよ。

 年の差なんて歌やアニメをちょっと余計に知ってるくらいのもんだよ。相手も知らなくて損をすることもないだろうし、僕も得したことはないよ。

●どうやって奥さんをだまして結婚したのですか?(←実に多い、失礼な質問)

 女子高に勤めていたことがあったから、教え子をだましたんじゃないかって噂でしょ。妻は教え子じゃないからね。それにねぇ、だまされたのは僕の方ですよ。

 お互い、だまし合わないと結婚なんてできないんじゃないですか。

●奥さんとはお見合い?恋愛?

 それはホームページのどこかに書いてありますが、妻のリサイタルのチケットを友人にもらって行ったら僕より歌が上手だったので紹介してくれっていって会っただけだよ。

●お昼は愛妻弁当じゃないんですか?

 プロポーズの言葉が「お昼は食堂で食べるから弁当はいらないよ」だったものでね。

●M教官が教官の家で食べたカレーは最高だったっていってたよ?

 カッターレース大会の日に家に呼んだんだ。その時の伝説のカレーでね。その後もあんなにおいしいカレーは出たことがないよ。

●奥さんの方が有名ですね。

 まあ、メジャーじゃないけど、少なくとも富山で妻は有名人だからね。「金川睦美さんの旦那さん」なんてよく言われるよ。「お父さんは」という超失礼な人もいる。僕の方は富山ではほとんど知られていないからマネージャーと思われてるんじゃないかな。しょうがないから「現在の夫です」って答えてる。

 ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)というのか、マイナーでも地域で有名だと色々嫌なこともあるよ。

●教官はテレビにレギュラーで出ているね。どうして出ることになったの?

 富山市の中心商店街を歩いていたときにスカウトされたんだよ。

●こんなにひねくれた人間がNHKなんか出てていいんですか?

 ひねくれてなんかいないよ。でも、カントだって「人間性は幹の曲がった木のようなもので、真っ直ぐなものは今まで何一つ作られなかった」なんて言っているよ。ひねくれてるんじゃなくて、しなやかな柳のような感性だといってほしいね。

●よくいいますね。もしかして、教官ってすごいの?

 違うよ。テレビに出るのはすごいからじゃなくて、便利だからだよ。適当にコメントがいえたり、面白いことがいえたりできれば、いいんだよ。本当にすごい人はテレビなんか出ないよ。

●テレビ出演って面白い?

 ネタを考えたり、とちらないように気をつけたり、生放送だし、大変だよ。

●テレビって儲かる?

 儲かるくらいだったら、苦労はしないよ。番組ひとつのために参考文献を買ったり、映画を見たり、結構出費がいるんだよ。「損得分岐点」を今のところ超えているような気がするよ。ただ、テレビに出ているって、今までのムダの集大成みたいなものだからね。

●ムダばかりしてきて面白い?

 面白くもないけれど、僕の場合、必然的にそうなっちゃったんだから仕方がないよ。村上春樹も『スプートニクの恋人』で書いているよ。

でもあえて凡庸な一般論を言わせてもらうなら、我々の不完全な人生には、むだなことだっていくぶんは必要なのだ。もし不完全な人生からすべてのむだが消えてしまったら、それは不完全でさえなくなってしまう。

●有名人になっていいことあった?

 きちんといっておくけれど、僕は有名じゃないよ。アンディ・ウォーホールは“誰でも15分間は有名人でいられる時代がくる”と予見して『15ミニッツ』という映画も作られているよね。

 それでも「テレビに出てますね」といわれると消え入りたくなるし、悪いこともできなくなる。悪いこともしてないけれど、目立ったら大変だしね。行動が制約されるし、会議でも反発されるようなことはいえないしね。タレントは違うけれど、少なくとも学者にとって有名になっていいことはないと思うよ。

●どうすれば、テレビに出られる?

 有名になることだね。

●でも、有名になるにはどうすればいい?

 テレビに出ることだね。でも、有名っていうのは何かした結果についてくるオマケみたいなものでしょ。テレビに出ることを目的にしては絶対ダメだね。何もないのにとりあえず「有名になりたい」というのはおかしいよ。そりゃ、確かに「有名無実」の「有名人」が多いことも確かだけれど、上野動物園のパンダみたいな生涯を送ることが幸せとは全く思えないね。人から注目されることで、自分のアイデンティティを求めようとするのは自分を「記号化」しているだけで何も残らないんだよね。

 百万人に愛されても本当の自分を分かってくれる人っていうのはほとんどいないから多くの有名人が悩むんだろ。孤独が浮き彫りにされるだけだよ。

●子どもに説教しているみたいだけど…。ところで、教官は子どもに甘いんじゃない?

 甘いこともあるし、カレーこともあるよ。

●子どももジョークを言うの?

 まあ、他の子どもより言葉遊びが得意だと思うよ。言語学者の子どもは「メタ言語能力」っていって言葉を遊ぶ力がある、という論文もあるくらいだから。

●「メタ言語能力」って、教官のようなメタクタな言葉?

 テレビで誰かが自慢していて、「パパ偉いやろ、あんな風に自慢したことないよ」っていうと、ちゃんと「あー、そうやって自慢してるじゃないか」って切り返したり、「『十戒』なんて今まで十回観た」なんていうと「じゃあ、今日の映画で十一回だね」なんてちゃんと言えるのがメタ言語能力っていうものだよ。

 でも、こないだ『パロディ広告全集』という本を見つけて、妻がつまらない、なんていってたのを子どもが大笑いしていて、似てきたなぁと思うよ。

●子どもに馬鹿にされることってある?

 ないよ。いい父親だから。でも、「親父ギャグ100選」に入賞して記念テレカが送られて来たときには、思いっ切り、二人に笑われたけど。

●子どもに勉強を教えることがある?

 ほとんどないよ。本人が聞きたがらないこともあるけれど、日常生活の中から「勉強」というのは出て来ないもんだよ。芸事でもない限り、自分の子どもは教えることができないよ。僕は自宅で本ばかり読んでいて自分のことに忙しいし、親子は情の関係からできているから、冷静に教えることができないし、報酬を得ることもできないから、それよりはお金を出して他の人の教えてもらった方が、ケジメがついていいと思うよ。

●男の子と女の子とどっちが可愛い?女の子でしょ?

 そんな『ソフィーの選択』みたいな話しないでよ。二人とも全然違っていて、面白いし、可愛いよ。ただ、男親にとっては女の子というのは未知のものがいっぱいあることは確かかなぁ。逆に、神秘なものが失われたり…。

●教官ちの日記を読むと「幸せ家族」って感じがするけど?(←今は公開していない)

 日記を付ける心理が分からないという人もいて、僕もよく迷うんだけど、ホームページを作ると更新をしなければならないことが分かってきて、日記が一番てっとり早いってこともあるよ。

 まあ、うちは「仮面夫婦」で、それを誤魔化すための日記だと思ってね。そんなに理想的な家族なんてきっとないよ。あんなに自分をさらけ出して大丈夫?といわれるけれど、ネットに書いているのはネット上の金川欣二であって、多重人格の一つなんだ。実際に会ってみるとずいぶん違うもんだと思うよ。でしょ?

 孔子の優れた弟子、顔回(がんかい)は赤貧のうちに死に、大悪人の盗跖(とうせき)は天寿を全うした。司馬遷は史記のなかで問うている。「天道は是か非か」(天は必ず正しいのか)ってね。お金さえあれば、貧乏なんて気にならないんだけどねぇ。

●幸せって何ですか?

 不幸じゃないことだね。健康って病気の時に一番意識するように、幸福というのは幸福の時は意識しないで、不幸の時に一番意識するもんだと思う。つまり、不幸が幸福を規定することになって、いわゆる「脱構築」だね。

●「脱構築」って何ですか?

 真面目を考えるのに不真面目から入る。理性を考えるのに狂気から考える。美川憲一を考えるのにコロッケから考える、ことだよ。

 僕のホームページにあるのは言語学の中心じゃなくて、周縁の事柄ばかりなのだけれど、周縁から中心を見直すことが「脱構築」だと思っているから書いているようなものだよ。「ポストモダン」といってもいいけれど、言語というのは理性的なものではなく、非理性的で、逸脱したものだと考えているんだよ。

●家でも「脱構築」してるんですか?

 夫が妻に、妻が夫になって相手の立場を考えていれば、夫婦喧嘩にもならないんだけど…。

●じゃあ、何を愛しているのですか?

「雲だ。ほら、あそこを行く――」。

●能天気でいいですね。

 そうでもないよ。他人に話せる程度の不幸があった方がかっこいいかもしれないよ。江戸の川柳にも「芸が身を助けるほどの不仕合わせ」というのがあるね。

●家では毎日、クラシックを聞いて過ごしているの?

 妻だって宝塚が好きだし、僕はポップスやジャズが多いし、クラシックだけってことはないよ。まあ、フツーのおうちよりもCDが多いことは確かだけどね。子どもたちもクラシックが日常になっているとは思うね。娘は最近、ドラクエの音楽にはまっているけど。

●クラシックの歌手では誰が好き?

 キリ・テ・カナワ、キャスリーン・バトル、エディタ・グルベローバ。カナワのを聴くと元気が出てくる。M・カナガワもまあ、好きな方だ。

●クラシックの作曲家では?

 バッハ、ブラームス、ベートーベン、そしてビートルズの4大B。


●金本教官、ホームページは評価されてるんでしょ?

 金川だっていってるだろ!あんたもしつこいなぁ〜!

 評価はまあ、フツーってとこかなぁ。がんがん反響があるってこともないし、来ない日もないし…。

 でも、僕のことを「笑う言語学者」っていう人もいるよ。

●笑われる言語学者じゃないの?

 …………。(^_^;)

●笑う哲学者っていましたよね?

 そう、アトミズムで有名なデモクリトスだよ。唯物論的な考え方をしていたデモクリトスは「人間にとって最善のことはできるだけ多く喜び、できるだけ少なく悲しむことである」といい、人生の目的は「明朗さ」にあると考えていたんだよ。彼自身の性格も明朗快活だったらしく、「笑う哲学者」とよばれていたよ。

 だけど、僕の気持ちは「言語学のポストモダン」をやっているつもりなんだけどね。

●「ポストモダン」って何?

 そうだね。言語というものが確立されているとする考え方に異議を唱えることだね。言語現象には「揺れ」があったり「誤解」があったりするから面白い、と考えているからね。正統な言語学とはずいぶん違うよ。だから、僕の文章で言語学が誤解されるのが辛いね。

●私は人生の目的が見つけられないのですが…

 僕もそんなものがあった試しはない。持っているという人は勘違いしているだけだ。

●今までどれだけの人が見に来てる?

 カウンターって負荷がかかると止めるところが多くて、何度も変わったんだけど、分からないよ。1日2000人ってとこかな。読まれているエッセイの数はその数倍になるだろうね。土日とか夏休みは少ないね。

●どんな人が多いの?

 インターネットに接続している人。

●当たり前でしょ!

 でも、印刷して回し読みしている人だっているんだ。

 年でいうと、20代以降で40代までの人が多いね。女性も多いのだけど、写真を分かりやすいところに載せてないせいか、ラブレターが来るってことは皆無。外国からもアクセスが多いけど、ほとんどは日本人だね。

●パソコンが大好きでしょ?

 これもよく誤解されるけど、そんなに好きじゃないよ。研究室だって、クロック120の古いマシンでも満足してるし、新しいソフトなんて全然持ってないし、何かをいじろうなんて思わないもの。

●「マッキンちゃん」と呼ばれてるからマックだけ?

 いやぁ、モスの月見バーガーも好きだよ。

●パソコンの話です。

 研究室でも家でも基本はマックだけど、バイオノートPCG-505と東芝のSatellite4030Xを使ってるよ。ホームページも「ほとんどマック、一部ウィンドウズその後iMacde記号論」とすべきだろうね。

●そういえば、研究室の前にアップルマークとバイオのシールが貼ってありますね?

 まあ、似た研究室が多いから区別するために貼ってるんだけど。二日酔いの朝なんか、よく間違って隣の部屋に入りそうになるんだよね。

●アップルマークの下に何か書いてありますね。

 “Believe it or not, the truth lies here.”という座右の銘だよ。

●教官は真理を語る時さえ嘘をついているといわれますが、ここでは真理までも嘘をつくのですか?

 何が嘘か本当かって分からないでしょ?それにマコトの中にウソを、ウソの中にマコトを見つけるのが楽しいんだよ。何よりも、ウソは想像力の源。

 ビアスの『悪魔の辞典』には「真理とは、願望と見かけとを巧みに合成してつくり出すもの」と書いてあるけれど、真理なんてどれだけでも作り出せるよ。これホント。

●ところでホームページの文章、全部、教官が打ったんですか?

 そう、そう、そういう質問をする人が本当にいるんだよね。昔、保護者と話していて、パソコンに書いてあるクラスの記録を見て「これって、先生がみんな打ったんですか?」と聞かれて「そうですよ」って言ったら、「すごいねぇ」とソンケーされたことがありました。

 まあ、長く文章を書くだけで偉いと思う人がいるから人生楽しいのかもしれないね。

●文章、ホントにたくさん、ありますね?読むの大変ですよ。

 僕だって全部読んだことはない。

●本当ですか!

 というのは嘘で、本当は別に一週間で作ったのではないからねぇ。文章だって昔印刷されたのをネットに流しているのが多いけどたくさんの文章を書いてきた。日常的に---ほとんど毎日。ものすごいスピードで休みなくのびつづける広大な牧草の草を、一人でせっせと刈り続けるみたいに。今日はここ、明日はあそこ……、一周して帰ってくる頃には草は元通りに長くさわさわと茂っている。

●どうして文章を書くんですか?

 いっぱい本を読んできたけど、面白い本って結構少ないから、いっそ書いてしまおうと思った、というのはウソで、自己満足なんだよね、きっと。

●教官にとって言葉って何ですか?

 ええっ。今のような「それをいっちゃーお終いよ」的な質問をしてしまうからには、あなたは「あなたにとって人生とは何ですか?」という質問に簡潔に答えられるわけでしょうね。

●そんなことはできませんよ。

 じゃあ、僕も答えようがないよ。人生も言葉も分からないもので、辛いものだということは知っているけどね。『ノルウェイの森』で緑は「人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ」と言っているけどね。

●分からないですよ。

 つまり、おいしいビスケットを先に食べてばかりいるとまずいのが残っちゃうし、まずいものを優先すればおいしいものがゆっくり食べられるってこと。

●大体、教官の文章は、分かりにくいし、はっきり言って長すぎるますよ。

 「もう終わりかと思ったらまだ20%だった」なんていう人がいます。このFAQもこれで60%くらいだもんね。

 短い文章も好きなんだけれど、ネットだからこそじっくり、きちんと読んでもらいたいってこともあるよ。

 それに文体が、僕の話と一緒で、長い長い助走があって、ホップ、ステップ、ジャンプときて、最後にオチが来るんだ。笑いにはディテールが必要だからね。本当は文化というのもディテールで、プロセスだといいたいんだけど、恥ずかしいから言わないよ。

 でも、落としどころまでの長さを卒業生は「芸風」といってるよ。大体、英米などではオチまでの「予備工作」というのか、「気を持たせる部分」の長いジョークの方が評価が高いんだけど、日本じゃ評価されないからね。

 結論にしても、フローベールは「結論を出すということは愚かなことである」というが、これ自体、結論じゃないのかと思うけれど、結論ってどうでもいいんだよ。

 長い話だからキャッシュで読んでね。

●キャッシュって現金のこと?

 いいボケをしますね。キャッシュっていうのはオフラインでゆっくり読むことです。それでなかったら、「ファイル」の「ページを保存」で保存した方がいいね。

●文章が多すぎるし…

 最終的には365ページくらいにして1年間は読めるようにしようと計画しているよ。漱石が『吾輩は猫である』でやってることもエンサイクロペディア小説と呼ばれるけど、そんなエッセーを目指しているのかもしれないにゃー。

●どこまでが本当か分かりませんよ?

 ウソとホントが入り交じってるから文章も人生も女性も面白い!

 人間には真実もあればウソもある。愚劣な人生もあれば崇高な人生もあるってことかな。

 ウソかもしれないけれど、広島大学の先生が「軽妙にして洒脱。本気にして大嘘。細心にて大胆、奇論にて正論」なんて紹介してくれているよ。「知の脱力系」という人もいるように学問なんて元々楽しむべきものなのに、肩から力を抜いて楽しもうということが分かってもらえているのが嬉しいね。

●軽薄なだけじゃないんですか?

 フットワークが軽いと言ってほしいね。確かに僕は軽薄に見られがちなんだけれど、それはそれでいいと思ってるよ。うちは浄土真宗だからってことはないのだけれど、蓮如さんは「人は軽々としたるがよき」って言っていて、これでずいぶん救われた気持ちになったもんだよ。「心に感じたままを言え」とか「不審あらば問え」というのも、口に出して言うことによって自分の知識の誤りを正してもらえるからいいんだよ。

●文章全体が軽薄ですよね。

 いつか「内容がないので笑い以外、何も心に残らなくて面白い文章です」という最高の言葉が来ないか期待しているんだけれども…。

 内田百も童話集『王様の背中』の序文に「この本のお話には、教訓はなんにも含まれて居りませんから、皆さんは安心して読んで下さい。」と書いているけど、そんなものだと思っている。

 そうそう、「タダでこんな文章が読めるってインターネットはすごい」というのもあるね。自慢だけど。

●図書券でも送ってもらった方が嬉しいんじゃないの?

 そうだねぇ。ホームページの投げ銭制度ができてないからね。投げ銭制度ができたら自分の文章の本当の値打ちが分かると思うんだけど。

●講義も投げ銭制度にしたらいいですよ。

 次の日から僕は路頭に迷うことになってしまうね。

 そうそう、ホームページの外注が1ページ1万という時に「ああ、僕のホームページは300万円位にはなるかなぁ」と思ったことがあるけどね。でも、お金の問題じゃないね。それに国家公務員【2004年から独立行政法人化された】としてちゃんとお給料はもらっているから、論文は仕事だけれど、エッセーの部分は余技だよ。

 読者っていうのは気まぐれで、勝手なものだと思うよ。「まぁ、間違いもいっぱい見つけたけど…」なんて書いていたりして、タダで読んでいるくせに、言いたい放題でね。「近代読者論」では誤解する権利というのを認めているんだけど、どこかでそんなことを書かれていると寂しい気がするよ。

 どんな本だって間違いはあるし、こちらは編集者というのを持っていないから絶対に不利だよ。

 もっと暖かい目で見守ってほしいものだよ。

●ところで、一番評判のいいのは?

 本当に評判がいいかどうか分からないよ。だって、嫌いな人はわざわざ「お前の文章は嫌いだ」とは言ってこないからね。

 誉めてくれる人のをまとめると、結婚してしまった人には「カタログの歌」だし、富山に関係のある人は「菊と蒲鉾」だし、アフリカに興味がある人は「ムバリ・アフリカ」だし、音楽関係の人は「秘境のオペラ」だし、言葉に興味がある人は「新解さんの謎を解く」だし、野球ファンには「頑張れ!新高ナイン」だし、その意味では読む人によっていろいろ違うね。

 嬉しいのはあんまり自分でも面白くないと思っている文章でも誉めてくれる人が必ずいること。半年後に反響があることもあるよ。自殺についての文章のように「人生論風なのが好きです」といわれてのけぞることもあって、読み方がいろいろあるなぁ、ってつくづく思うよ。「無責任なほどのスケールと文体で読む者を圧倒」とか「無頓着に論理を押しのける」なんてことも言われる。

 僕なんか自分の文章を印刷したことはないんだけど、本にしてしまったという人もいるね。役立たないように書いているのに、「役に立ちました」なんてメールも来るから不思議。

●どの文章が好き?

 好きな文章は…次回作です、きっと。ただ、自分でも後で読むと面白い文章もあるから人生は面白い!こんなでたらめな文章、どうやって着地させるんじゃ!なんていいながら、ソフトランディングできた時ってうれしいね。

●苦労した文章は?

 エッセイじゃないけど、「ペンネーム図鑑」が一番時間がかかったね。知ってる話だけで簡単にまとめようと思っていたのに、キリがなくなってね。由来まで遡れるのは少ないし…。

 本当は、作家の号などを全部登録して検索できるようにしたいんだけど、きっと僕の手からは離れてしまうね。

 最近では「症候群・シンドローム」が辛どかった。どちらも国会図書館のデジタル・アーカイブに入っているけどね。

●専門家じゃないのにあんなの書いていいの?

 サイードという人は『知識人とは何か』(平凡社)の中で「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」と書いているけれど、アマチュアで専門外だからあんな言葉を集めてみようって気になったんだよ。言葉の羅列から何かが見えてくればいいと思ったんだ。

●アマチュアはアマチュアですよ。

 タイタニックはプロが作ったけれど沈んでしまったし、ノアの方舟はアマチュアが作ったけれど、人類を救ったからね。そういうもんだよ。

「そういうもんだよ」と「それがどうした」というのがトラブルのもたらすダメージを最小化する呪文だと村上春樹が書いていたけれど、僕はそれに倣おうと思っているんだ。でも、誰も言っていないようなことを、誰にでも分るように書くというのは僕には無理だね。

●そういうもんですか?中には入選した文章もあるんでしょ。

 いろいろあるけれど、日本ではエッセイの地位はずいぶん低いから僕は評価されてないよ。「えせエッセイスト」みたいにしか思われていないよ。

 それから「言語学者の異常な愛情」というのは懸賞論文だったのだけど、審査員の千野栄一先生は最高だっていってくれたのだけど、チェコにいっておられる間に柴田武先生と太田朗先生が反対したという話なんだ。

●連載もあって儲かってるんじゃないの?

 そうありたいのだけれど、参考文献なんか買ったらすぐになくなっちゃうよ。

●印税生活に憧れない?

 そりゃ、憧れているよ。島崎藤村だって昭和の初めに円本ブームで全集が売れ出して突然印税が舞い込んできた時は、印税を家族に分けて大喜びさせる話を書いた「分配」という小説を書いているよ。

 だけど、マイナーな言語学で売れる本なんて書けっこないし、入門書を書いている人もいるけどつまらないよ。僕も含めて。

●詩も書いているんでしょ?

 言語学って詩論を含まないと本物じゃないと思うんだけど、僕はそんな感性がないと思っていたのね。でも、必要に迫られて書いているうちに楽しくなってきたんだよ。「物語を引きずって生きるのが人間、それを詩にするのが詩人」ということだね。

●詩って難しいんですけど…。

 そう思い込んでいるからだよ。ねじめ正一が『言葉の力を贈りたい』(NHK出版)で書いているけれど、詩を読むコツは次の二つだけ。

 第一は「引っかかるコトバを探せ」。
 第二は「わかろうとしない。とにかく眺める」

 というもんだよ。これって現代美術でも同じで、普通の絵と違って引っかかるところを見つけ、理解しようとしないでむしろ面白がることが大切なんだ。「詩ってコトバの塊(オブジェ)なんだ」というけれど、絵もオブジェなんだからね。

 小説は周りを考えると書けそうもないよ。『風の歌を聴け』にもこんな話が出てくる。

「立派な人間は自分の家のゴタゴタなんて他人に話したりしないわ。そうでしょう?」
「君は立派な人間?」
15秒間、彼女は考えた。
「そうなりたいと思ってるわ。かなり真剣にね。誰だってそうでしょう?」

 詩だと谷川俊太郎が「父の死」で「詩なんてアクを掬いとった人生の上澄みねと/離婚したばかりの女に寝床の中で言われたことがある」というように、ある程度、上澄みで書けるからね。

●「記号論」っていいながら記号論がよく分からないんですが…。

 言葉について考えたことがない人は人間についても考えたことがないと思うよ。記号論については議論するとキリがなくなるので避けてるんだけど、ソシュールが記号論といっている意味で使っています。

 ただ、あまり哲学的になるのは間違いだと思うし、やっていることはそうだなぁ、「カルスタ」、つまり「カルチュラル・スタディーズ」に近いものがあるね。「記号学」というのもあるけど、「記号論」の方がウソでもマコトでもいい、という好い加減さがとても好きなんだ。僕には「言語学」よりも「言語論」の方があっているかもしれないね。

 クリフォード・ギアーツは『文化の読み方/書き方』(岩波)で人類学的な言説は科学的言説と文学的言説の中間にあるというけれど、言語学というのも同じ立ち位置だろうね。ギアーツは人類学が、自分の母方のウマについてしゃべるばかりで父親のロバについては黙っていて語らない北アフリカのラバに似ていると言ったんだ。ラバってウマとロバの合いの子だけどね。科学と文学の間に生まれる人類学というラバは、母を誇りにして、父については口をつぐむ。「科学的」であることは、いつも望ましく思われているけれど、それによって人類学の中にロバの血が消える訳ではない、というんだね。言語学も厳密にしていけば行くほど、人間の言語から離れていくという面があって、それを忘れちゃいけないということだね。

 そして、言語理論だけじゃなくて、ホメロスやシェイクスピアなんかの古典を読むのも大切だし、ちびまる子ちゃんを読むのもタモリを見るのも、アフリカに行くのもデパートに行くのも同じという立場なんだ。文化を読み解くってことだけど対象が現代文化なんだよね。

●世界の読み方ってこと?

 そうだね。でも、ヴィトゲンシュタインは「世界がどうあるか、が神秘的なのではない。世界がある、ということが神秘的なのだ」と『論理哲学論考』で語っているよ。もっといえば、「どう生きるか、じゃなくて、生きていることが神秘的」だと思うよ。

●言いますね。

 「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」というのもヴィトゲンシュタイン。

●ところで、文章ってどんな風に書くの?

 思い出したことを書き出して、並べ替えて、切り取って、つまり、木を植えて育てて剪定して、まるで『シザーハンズ』みたいな仕事だよ。

 でも、今はワープロができたから便利だと思うよ。昔は書き出しができないと書き始められないし、直す時も論文を最初から全部書き直していたもんだけどねぇ。

 でも、いいギャグができたらそこから書き始めるってことがあります。だから最後のギャグのために書いているなんて言われるけど、確かにマクラとオチが決まれば後は知っていることを書いていくだけで簡単だね。

●どんな気持ちで書いているんですか?

 井上ひさしはこんな風に言っているよ。

難しいことを やさしく
やさしいことを 深く
深いことを 面白く
面白いことを 真面目に
真面目なことを 愉快に
そして愉快なことは あくまでも愉快に…

 丸谷才一は確か「新しく、正しく、面白く」だったかな。僕より上の全共闘世代の人々は正しさばかり求めて優しさをないがしろにしたし、下の世代は優しさばかりで正しさを無視してきたけど、内田樹は「正しいけれど不幸で悲しい思想よりは、正しくなくてもハッピーな思想のほうが私は好きだ」と書いている。

 だから、僕の基本は他の人がいわないようなことを考えたいし、最終的には「癒しになる文章」っていうのか、こんなジョークを書いたりしてバッカだなぁ、と思われる文章を書こうと思っているのだけれど、なかなか難しいものだと思うね。『男はつらいよ』の最初の作品なんて見ていて「人間って馬っ鹿だなぁ」と涙が出てくるもの。

 でも難しいよ、ジョークもそうだけど、受けなかったら自分が惨めだし、逆に文章のどこで人を逆に傷つけているか分からないし…。

 コンセプトは、人を笑わずに脳を笑う。

●誉めることはあるの?

 いい質問だね。小林秀雄って人は「考えるヒント」の中で「批評とは人をほめる特殊な技術だ、と言へそうだ」なんて書いているよ。

 僕は小林秀雄じゃなくて、できれば言語学の淀川長治になろうと思っているからね。僕のお笑いエッセイから言語や言語学に興味を持ってくれる人がいれば十分だと思っているよ。立花隆は「自分の天職は、難しいことをやさしく書くことだ」と言っているけど、僕は「自分の天職は、難しいことを面白く書くことだ」と思っているよ。

 それに「癒し」といっても他人を癒してあげよう、なんてことではなくて、“Creative Illness”(創造の病気)というのか自分の病気、僕の場合、「中年クライシス」というのを乗り切ろうという意図があるよ。

「中年クライシス」という言葉は40歳の時に知ってたけど、後は氷山に向かうタイタニックみたいな感じ。中年て人生の安定期に思われていたけれど、今まで若さにまかせて生きてきた態度を「死に向かう」方にシフトする必要がでてきたからね。

 だから、今の自分の状況は“Creative Illness”だと考えることで気が楽にしようとしている。漱石ほどひどくはないけどね。

 そんなにいい人生を送ってきてないこともあるけど、江藤淳が『成熟と喪失』で「成熟するということは何かを獲得することではなくて喪失を確認すること」って書いている意味がよく分かってきたんだよ。

 ただ、最近は記憶力が衰えてしまって、実際に起こらなかったこと以外は全部忘れてしまいそうだよ。

●教官って、もしかしたら淋しい人なの?

 こんなこと言ってかっこつけようなんて思ってる訳じゃないけど、そうかもしれないね。「二十億光年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」こともあったけど、友だちはお前は「孤独に慣れているからいいな」などというよ。

 こんなことあんまり説明することではないけれど、“The Heart Is a Lonely Hunter.”なんだ。高校時代から誰もそんなことは分かってくれなくて、それは淋しいもんだよ。カーソン・マッカラーズの『心は淋しき狩人』(映画は『愛すれど心さびしく』って恥ずかしいタイトル)っていう小説、是非、読んでほしいな。

 後で知ったけれど、村上春樹は『回転木馬のデッドヒート』の中でこの小説のことを次のように書いている。

 カーソン・マッカラーズの小説の中にもの静かな唖の青年が登場する。彼は誰が何を話しても親切に耳を傾け、あるときは同情し、あるときはともに喜ぶ。人々は引き寄せられたように彼のまわりに集まり、様々な告白や打ちあけ話をする。しかし最後に青年は自らの命を絶つ。そして人々は自分たちがあらゆるものを彼に押しつけ、誰一人として彼の気持ちを汲んでやらなかったことに思いあたるのだ。

 「自分探し」というのがブームだけど、みんな自分が分からないんじゃなくて、自分のことを人に聞いてもらいたいだけ、ということなんだ。マッカラーズ自身も淋しい人で電話ボックスで読書や執筆をしていたという人でね。もともと病弱で、31才の時に左半身が麻痺し、指1本で原稿をタイプした。2度同じ人物と結婚したんだけど、うまくいかず夫は1953年に自殺してしまったんだよ。

 そんなこんなで、僕のことなんか本当に理解してくれる人って絶対にいないと思っていた。それはみんなそうかもしれないことなんだけど、たまに間違って「いい人」って言われることがあるけれど、言われるのに反比例してものすごく淋しいんだ。好きな人に「あの人が好きなんだけどどうすればいい」なんて相談されるような役回りは嫌なんだ。嫌なんだけど、そんな役回りになるシラノなんだ。

 トーマス・マンの『道化者』というのも僕自身なんだ。マン自身でもあるけど、そして僕はマンほどの知識人じゃないけれど、知識をいくら積んでも、目の前の現実には何も立ち向かえない、愛が目の前を流れていくだけっていうことが耐えられないけど、何もできないっていうそんな気持ち、なんだ。

 気持ちが整理できてなくてとてもまとめれそうにないけど、いつかそんな小説が書きたいな。ただ、小説を書くことは復讐することだと誰かが言っていたけれど、どう書いてみても田舎に住んでいたら、周りはモデルを探そうとして、無関係でも迷惑をかけることになるからとても書けないと思う。後で『トニオ・クレーゲル』を読むと「創造する人間は死んでなければならない」と書いていて、確かにアイデンティティをなくして、自分から離れた作品を書かなければならないと思うよ。

 今は精神的に安定してないから、少しでも安定するようなエッセイを書きたいと思っているんだ。

 僕の青春は悲惨だったからね。大学はつぶれるし、就職は決まらないし、自殺しなかったのが不思議なくらいだよ。な〜んにもなかったし、自分の人生がどうなるか全然分からなかったから自信がなかったし、女の子に無責任につき合えなかったから、本当に暗かった。頭を空っぽにして女の子とつき合いたかったけどね。ぼくはいつもお行儀のいい優等生に見られるんだけど、ほんとはそうでもないんだ。ぼくだってその気になれば、その気にさえなればいつだって……。

 ニーチェは「笑いとは、地上で最も深く苦悩する動物が自分のために見出した生に耐え抜くための手段であって、だから人間は笑うこと、自分自身を超えて笑うことを学ばなければならない」といっているけれど、やっぱり孤独だったんだと思うよ。この年になってからも、本当に何も変化のない、つまらない人生だったと、嘆くことが多いよ。学生時代、好い加減な性格で大嫌いだった奴が出世しているという話を聞くと、オレは何だったんだ!と思うよ。

●孤独って好きですか?

 ユダヤ人哲学者のヴィレム・フルッサーは人間が他の人間とコミュニケートするのは「人間が社会的な動物であるからではなくて、孤独で生きることのできない孤独な動物であるからだ」といってるよ(『テクノコードの誕生---コミュニケーション学序説』東京大学出版会)。自分では「孤独力」が強いと思っているし、慣れているけれど辛いよ。

●『ローマ帝国衰亡史』を書いたギボンは「孤独こそ天才の学校である」って書いていますよ。孤独だから一人で問いつめることもできるんでしょうね。

 いや、僕が孤独なのは何かの罪だと思っているよ。

●それって文章と関係がありますか?

 そうだよ。一面で「文は人なり」なんだ。人殺しをしなくても殺人者の気持ちは書けるかもしれないけど、絶望したことがない限り、生きていこうっていう、本物の文章は書けないと思うよ。その意味では絶望っていいことだと思うよ。絶望が深ければ人間理解も深くなるはずだからね。絶望だけだったら人生も終わりだけどね。

 たまに、文章が巧いという人もいるけど、僕のは全く技巧ではなくて、論文の説明とあんまり違わない、普通の散文を書いているつもりだよ。

 ただ、論文と違って、読みにくくならないように工夫してるけどね。

●論文と違うの?

 日本の文科系の論文の場合は、なるべく読みにくくしないと立派な論文だと思ってもらえない、ということがあってね。簡単に分かっちゃ価値がないんだ。ソーカルっていう人はただ難しいだけの、本人いわくナンセンスな論文を書いて学界を皮肉ったことがあるけれどね。

 中には論点が未消化で下手な文章の頭が悪いだけの学者も多いね。

 それからエッセイは「適度な正確さ」というのも大切で、中谷宇吉郎が「地球の円い話」で書いているように地球が少しいびつで楕円だと考えるのが科学的かっていうと違っていて、円と考えた方がよほど正確なんだ。細部にこだわると全体が見えないこともあるからね。

 論文は引用にしても正確さが大切でページ数まで書かなければならないからね。

 ただ、そんなだから世間は日本の大学や大学の先生に期待していないし、興味も失っているよ。日本言語学会は別だけどただの「世間」になっている学会が多いと思うよ。

●どんな風に文章を書けばいいの?

 そうだね、例えばカントは「例えば」って言える人は賢いって言ってるんだけど、なるべく、例をいっぱい見つけてくることだと思うよ。

 独りよがりの文章っていうのも、気をつけなければならないよ。一人で面白がってる文章で相手にちっとも伝わらない文章っていうのがあるからね。「カントによれば」って権威づけをすることも忘れてはいけないよ。時々、黄門様の印籠を示すことで読み手も安心してくれるよ。ただ、印籠を出すタイミングは難しいけれどね。

 それから、一文は短くね。下手な人ほど長く書いて前後がつながらない腸捻転の文章になってしまうんだ。時々、他の人の論文を査読することがあるんだけど、独りよがりでつまらない論文が多いね。

●なかなか書けないんですけど…。

 完成してからって思っていたらいつまでたっても書けないよ。特にネットだと実現しやすいんだけど、大体できたら目をつむって発表してしまうことだね。それから細かい手直しをすればいいと思うよ。ひどい思い違いを指摘されると生きた心地がしなくなるけど…。

 それから自分のいる文章というのに徹している。論文じゃなくてエッセイを書いているのだから論理的とか客観的とかよりも個人的で面白い(だろう)文章を書こうとしているつもりだよ。自己中心じゃなくて、自分本位の文章というか、どこかに自分がいる文章を書かなければダメだと思うね。

 『ハムレット』の中でポローニアスが息子のレアティーズに「何より肝心なのは、自己に忠実であれということだ、そうすれば、夜が昼につづくように間違いなく 他人にたいしても忠実にならざるをえまい」って言っているけど、そうありたい。難しいけどね…。

●自己表現ということをよく教官は引き合いに出されますね。

 自己表現というのは例えば社会的に引きこもっていても、ある意味では自己表現だから、生きていくことは自己表現とイコールだね。ただ、積極的な意味では他人と違うことを言うことだと思うよ。

 自己実現が望ましいと考えたのは恐らくキルケゴールあたりなのだろうけど、オルテガ・イ・ガセットという哲学者は『大衆の反逆』の中で「われわれの時代は、信じがたいほどの実現能力があるのを自分に感じながら、何を実現するべきか分からないのである。つまりあらゆる事象を征服しながらも、自分自身の主人になれず、自分自身の豊かさのなかで自己を失っているのだ」なんて書いている。そんな風に大衆の中に埋まってしまってはいけないと思うよ。「もはや主役はいない。舞台にいるのはただ合唱隊のみである」なんてことも言っているけれど、ホームページなんて自分が主役だと思って作ることだね。「誇大自己」っていうけれど、あんまり大きく見せかけると西鉄バスジャック事件の少年のようになってしまうよ。

 まあ、何よりも表現しようという気持ちを大切にすることだね。自分の体験や知識は貴重だと思うことだね。自分でつまらないと思っていることでも、他人には価値があることって結構多いよ。それはきっと自分を大切にすることにもつながるけどね。

●でも、リオタールは「自己実現」や「人間の解放」なんていう近代の「大きな物語」は死んだ、と言っていますね。

 ポストモダンの世界では確かに自己実現や解放も「大きな物語」だと言って否定されているけどね。僕は「小さな物語」で結構なんだけど…。

 自己表現というのは自己発見なんだよ。

●分かりました。とにかく、当たっていようとなかろうと何かを発見するということですか?

 そう、当たるも発見、当たらぬも発見。

●当たるも八卦、当たらぬも八卦でしょ。

 ただ、忘れて欲しくないのは「自己」って一つじゃないからね。自分「らしさ」っていうのは幻想で、タマネギのように皮をむいでいくと何もなかったりするようなものだ。場面、場面で違う自分「らしさ」というのを出しているのが人間なのだから。

●個性が大切っていうことですか?

 個性といっても例えば茶髪にしたり、ピアスをしたり、ガングロにすることは自分から生まれた個性じゃないよ。自由だと思ってるかもしれないけれど、別の不自由に囚われているだけだね。ブランド品を持って個性を主張するのも、グッチかシャネルという小さな違いだけで、ブランドに弱い人間だということを示しているだけだね。自分の個性とは別の「らしさ」というのか他人の個性に組み込まれるだけだよ。

 僕は小さい頃から「ナフタリン」と呼ばれていて、隅っこにいて目立たなかったんだけど、それが今の「個性」とか自分「らしさ」を作っているかもしれないね。今の個性を伸ばす教育というのには懐疑的なのは、そんなに強烈な個性がころころ小中学生にあってたまるか!?という気持ちと、他人の影響で生まれる個性なんてものはすぐに元に戻るからね。「すぐよくなる奴はすぐ悪くなる」というのが僕の今日の諺だよ。

●諺が毎日変わるなんて!ところで、個性って努力ですか?天性ですか?

 努力が大切だよ。僕の知っている中で一番の天才だった西江先生は『ヒトかサルかと問われても』(読売新聞社)で「外国語を身につけることは、限りない財産を手にすることだ。それに、外国語を勉強し過ぎて死んだ人はいないから、安心してやりたまえ」といわれたから勉強するようになったと書いているよ。

 努力についても次のようなことを言っているよ。

わたしは“明確な妄想”“馬鹿げた努力”という言葉を自分で創っておいて、それを好いている。とにかく、勝手なことをしてきているので、はっきりとした夢を持つこと、他人の何倍もの努力をすることが必要なのである。努力というのは面白い。努力して何かが完成するという保証など何もない。物事は頑張れば出来るなどということではないからである。ただ、目標に向かって絶え間なく進む。そこに楽しみが見出せる。

●ところで、困ったちゃんはいませんか?

 大学生から「この分野ではどんな本を読んだらいいですか?」なんて質問も来るのだけど、そんなことは自分で調べればいいし、そのために自分の大学の先生がいるはずなのに、僕のところに安易に相談されても困る!

 本当に困る!(怒)

 それからどう読んでも冗談としか読めないはずなのに真剣に怒って来る人が時々います。それから鬼の首を取ったように間違いを指摘してくる人もいます。神様じゃあるまいしに、完全無欠ってことはないよ。ただ、ネットの場合は直に反論が来るからね。

 よくメールが来て、ばったり途絶えるとどこかに悪いことや、その人の周辺を傷つけるようなことを書いてないか心配になるし、ネットって健康によくないね。(たまに感想書いてね)

 リンクでいえば、「行き行きて神軍」という映画の前説でカニバリズムのことを書いているんだけど、カニバリズム専門のホームページからリンクしたいって言ってきて、見に行ったら、気持ちが悪くなるような内容で、断ったことがありました。

 逆に間違って僕のことを偉いと思う人もいるし、少ないけれど「ふん!」という人もいるし、「生・欣ちゃん」を見てないから等身大には見てもらえないんだと思う。

●「きんちゃん」て今でも呼ばれていますね。先生だけでなく学生からも。

 小さい頃から「欣ちゃん」と呼ばれてきていて、どうも偉そうにできない人間になってしまいました。落語家は、お客さんのことを「きんちゃん」と呼ぶのを知ってますか。つまらぬ噺に大笑いする客を「あまきん」、騒々しい客を「せこきん」、田舎者は「どさきん」などというんだけど、僕は「一流きんちゃん」になりたいと思っています。

●他に読まれて困ったことは?

 95年当時と違って、インターネットに接続している人がどんどん増えてる実感があります。近所の人とか学校の先生とか、知ってる人に、読んだよと言われると飛び上がることがあるよ。

 何となく知ってる人は読んでない、どこか日本の遠くに住んでる人が読んでると思って書いているからね。「新高野球部の文章、感動的やったから会社の人みんなで読んだ」とか「先生のファンです」なんて目の前で言われるとパニックしてしまう。

●まさか「フアン神経症」っていわないでしょうね。

 ………。ええっと、あんまりプライベートなことは書けないね。腹立ち紛れに書くとすぐに後悔するし…。

●後悔したことは他にはないんですか?

 後悔といっても、3種類あるからね。何かをしたことによる後悔、何かをしなかった後悔、そして後悔している自分を眺めている後悔。どれをとっても後悔だらけで嫌になるけれど、子どもたちの前ではそんなことも言ってられないからね。

●インターネットでいいことってあったぁ?

 先生のことが大好きになりました。すぐにデートしましょう、というのはないからね。

 まあ、会うことがあり得ない人たちとネット上で出会えることだろうね。まさかこんなことに興味をもつ人なんていないんじゃないかと思っていても、ちゃんといるんだねぇ。アクセスしてくる人のキーワードって本当に色々だよ。

 出会ったから、特にいいことってないけれど、知り合えるだけでもネットの価値はあるかもしれないよ。

●他によかったことはないの?

 そうだなぁ、たまに感想を書いたメールをもらうとそんな風に読まれているんだぁ、なんて思うけどね。滅多に感想は来ないけれどね。全部目を通してからなんていう人がいるけど、読み通せる人はほとんどいないからね〜。

 きっと自分の寂しい思いを共有してもらえる人がいるだろうって書いているわけだから、励みにもなるんだけど、本当にどんな風に読まれているのか分からないね。

●ところで、今度、私のホームページにリンクしていい?

 どうぞ。うちの学生でもかなり持っているもんね。でも「寒くなるジョークが満載」なんて書かないでね。

●色んなところにリンクされているんでしょ。

 リンクが張られていて一番嬉しいのはカリフォルニア大学バークレー校の日本語学科に張られていること。その真上にチョムスキーのサイトが載っていて、すごく恥ずかしくて嬉しいんだ。

 リンクの分類に「批評系」とか「哲学」の項目になっていることもあって仰け反ることがあるけどね。必ず「お笑い系」にしてね。

●プロバイダーはどこがいい?(←最近多い質問)

 あのねぇ、使う目的とか時間とか、就職したらどこへ行くか、なんてことで全然違うの。だからインターネット雑誌を一冊買って、自分で調べてね。(といいながらインターネット雑誌で調べ始める)

●FAQって何?

 Frequently Asked Questionsで「よくある質問」だよ。

 これだけ丁寧に話したから、同じ質問をもうしないで!

●本当に質問がよくあるの?

 ………

●もしかして、このページって書くことがなくなったことをごまかすためのページ?

 ???


 ホームページをみれば、いろいろ分かる部分もあって重複もしているのですが、まとめて答えました。

 僕に関する「神話」も多くて、誤解を受けることも多いので、一度きちんと書いておかないとまずい、という義務感で書きました。数ある僕の文章でも実用性がここまでそぎ取られた文章はない。

 もう、同じ質問をしないでね。

 それからくれぐれも大学生は自分の大学の先生に質問してね。高校生はいいけれど…。

First drafted 1999
(C)Kinji KANAGAWA, 1995-.
All Rights Reserved.


●金川研究室・0766 86 5203(直通) 急用の時だけお願いします。それ以外はメールでお願いします。

※このエッセイのタイトルは黒澤明の『蝦蟇の油 自伝のようなもの』(岩波書店)から来ているが、この本のタイトルは森田芳光監督の映画『の・ようなもの』から来ている。森田は後に『椿三十郎』を撮る。そして、この映画のタイトルは落語「居酒屋」から来ている。ある酔っ払いが居酒屋を訪ねて何ができる、と小僧に聞いたことから取られている。こんなこと書かなくても分かると思っていたのだが、書いてしまった。

 肴は何ができる、と聞かれて、小僧が早口で、
「へえい、できますものは、けんちん、おしたし、鱈昆布、あんこうのようなもの、鰤にお芋に酢蛸でございます、へえーい」
と答えるのが「面白い」と言って、
「今言ったのは何でもできるか?」
「そうです」
「それじゃ『ようなもの』ってのを一人前持ってこい」


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