そして誰も知らなかった 私が日本語を広めたい一番の理由は、日本語という素晴らしい言語、その言語に託されている日本文化という素晴らしいものを、日本人が独り占めにするのは申し訳ない。だから日本語を世界に広めたいのだと。日本語という素晴らしい言語が世界にあるということを知らないで死んでいくかわいそうな人を、一人でも減らしたい。鈴木孝夫『アメリカを知るための英語、アメリカから離れるための英語』(文藝春秋)
1999年(第71回)の米アカデミー賞授賞式で最大のスペクタクルは『恋におちたシェイクスピア』が『プライベート・ライアン』を負かしたことでもなく、伊比恵子が受賞したことでもなく、エリア・カザン監督の「名誉賞」の受賞だった。
日本では『紳士協定』『欲望という名の電車』や『エデンの東』の「巨匠」だが、「名誉」とは遙かに遠い存在だった。
彼はマッカーシズムと呼ばれた「赤狩りの時代」に仲間を売ったのだ。だから今回の受賞でも反対者が多かったし、スピルバーグも拍手をせずに腕を組んでいた。「カザンのしたことは間違っていたが、彼の映画づくりの実績は別」との事前のコメント通りの微妙な反応だった。
時代が悪かった、といえば許されるという内容ではない。『真実の瞬間(とき)』という映画にもなっているが、「ハリウッド・テン」と呼ばれたドルトン・トランボらの苦渋は大変なものだった。51年には『マルタの鷹』のダシール・ハメットも投獄されている。愛人だった『ジュリア』の脚本家・リリアン・ヘルマンはこの時代のことを『悪党の時代』(Scoundrel Time)と呼んでいる。(モンローの夫だった)作家のアーサー・ミラーや俳優ポール・ロブソンも巻き込んだ。 *scoundrel「ならず者」
52年はチャップリンが『ライムライト』の公開のために故国イギリスに向かったが翌日にトルーマン政権の法務長官はチャップリンの再入国を保証しないとして事実上チャップリンが「追放」された年である(チャップリンの『殺人狂時代』がやり玉にあがったし、「私は国家主義者ではない。国際主義者だ」という言動も問題視された)。
米下院非米活動委員会(後の大統領ニクソンも入っていた)に呼ばれたカザンは一時期、共産党員だったことはあるが、嫌気がさして辞めたと告白、ただ仲間の名前は出せないと断った。しかし、拒否を続ければ映画が撮れなくなると脅されて迷ったあげく、名前を告げた。ハリウッド・テンの中でエドワード・ドミトリクだけが獄中で転向して「友好的証人」になった。
最近翻訳されたばかりの、本人でさえ読むのに1ヶ月かかるという大作『エリア・カザン自伝 上・下』(朝日新聞社/Elia Kazen; A Life 1988)には何だか自分の都合ばかり書いていて本当のことは何も分からなくなっている。思想的には間違っていなかったと繰り返し出てくるが、道徳的には間違っていた。「我が国における共産主義者の活動を調査するのは政府の義務だ、とわたしは信じていた」だって。そして、固い信念をもって証言したと往時を顧みつつも、「恥の感覚」があったことを告白し、「(証言には)利己心がひそんでいたのか」と自らに問うている。
自伝的な映画『アメリカ アメリカ』『アレンジメント』も撮ってギリシャからの移民だったことやモテた様子も描かれているが、「赤狩りの時代」には直接触れられていない。ニューヨークタイムスに個人広告を出して自己弁護したこともあった。
彼自身は映画を撮り続けることができたが、映画を奪われた人たちの立場はどうなるのだろう。ドルトン・トランボはイアン・マクレラン・ハンターの名前で『ローマの休日』のオリジナルストーリーを書いてアカデミー脚本賞をもらっているし、70年に64歳にして最初で最後の映画『ジョニーは戦場へ行った』を撮れたからまだ幸せな方だった。多くはエデンの東に追放された。
カザンら「友好的証人」(a friendly witness)の「協力」によってブラックリストが完成し、53年度の年次報告では324人の映画人がハリウッドから追放されている。ジョセフ・ロージーのようにヨーロッパに亡命した監督もいる(アンドレア・フォルサーノなどの匿名で作品を作っていた)。
『波止場』や『エデンの東』や『草原の輝き』は「裏切り」がなければ生まれてなかったかもしれないし、マーロン・ブランド、ジェームズ・ディーンやウォーレン・ビーティなど名優を発掘・育成されることもなかったかもしれないが、より多くの他の監督の名作に出会うチャンスも一緒につぶれたのである。
チャップリン自身も『ニューヨークの王様』(57年)で非米活動委員会を痛烈に皮肉ったが、全てを奪われた後では精彩の欠けた映画でしかなかった。そして、チャップリンが再びアメリカの地を踏むのは映画アカデミーが特別功労賞を72年に贈った時であった。本当に復権を果たしたのはアカデミーの方だった。
この話は別のエッセーでゆっくり書きたいが、いずれにせよ、カザンほど日本での評価と本国での評価が異なる人も珍しい。
□ と書いてから、川本三郎『本のちょっとの話』(新書館)を読んだ。
事件の当事者ならともかく、当時の苦難の歴史をまるで知らない脳天気な日本人が“密告者”という表面的な事実だけをとらえて、「カザンはオスカーを辞退すべきだった」などと決めつけるのは無知からくる無責任な傲慢でしかないだろう。
おおっ、確かに脳天気だったかもしれない。「自分自身の行動に対して何の後悔もなかった」といいながら子どもたちが自分の父親の不名誉を知ったらどうしたらいいかと思い悩んでいるのは確かに青白きインテリの苦悩である。
川本が引用しているようにMichel Cimentのインタビューに答えた“Kazan on Kazan ”(1973)で答えているように「私が社会に批判的な映画を作るようになったのは実はあの体験のあとなのだ」。
『波止場』や『エデンの東』は赤狩りの後に作られ、ウィリアム・ワイラーやジョン・ヒューストン、フレッド・ジンネマンなどが証言を求められずにカザンがねらい打ちされたのか、川本はカザンがギリシャ移民というマイノリティだったからと考えている。
う〜ん。
原罪をもった人間はすべて「エデンの東」の住人であるというが、人は、かくも弱く、哀しい生き物なのかもしれない。
□ その後、米谷ふみ子『けったいなアメリカ人』(集英社)の「華やかなハリウッドで起こった大論争―エリア・カザンのこと」を読んでまた、この問題の奥深さを知った。確かにカザンに売られた人はもっと立派な映画を作ったかもしれないのだ。
【2003年9月に94歳で亡くなった。佐藤忠男は「理想と現実のぶざまな裂け目と、その板挟みになってもがく大衆を露出させることで、「ひきょう者の言い分」を作品にまで高めたといえるだろう」とコメントした】
日本にダイナ・ショアが来たときに「青いカナリア」を知らないといって楽譜を見ながら歌った。
日本人にとってダイナ・ショアDinah Shoreという人は「青いカナリア」Blue Canaryの人なのに、知らない、というのだ。
本人の弁解はこうだ。「確かにレコードに録音した記憶はあるし、南米などでヒットしたという話もどこかで聞いたことがある、でも、覚えてない」!
日本でコンサートを開こうとしているくらいだったら、一曲くらい、ちゃんと練習してきたらどうだ、とその時は正直に思った。
今だから冷静に判断できるが、日本に来てプロモーターがいきなり「青いカナリアを歌って」と頼んだのできっと間に合わなかったのだ。とにかく、歌ったのだ。
若い人には分からないかもしれないが、彼女は「ボタンとリボン」とか「アイル・ウォーク・アローン」などで有名だった(1994年に亡くなっている)。
綺麗な白人歌手だったが、事件もあった。自分が生んだ子が黒人だったのだ。これは大スキャンダルになったのだが、実は彼女に非がなくて、何世代か前に(本人も全く知らなかったことで事件後判明したのだが)黒人の血が混じっていた。つまり、隠れていた遺伝子がポッと彼女の子どもに出てしまったのだ。
さて、ここで述べたいことはそんな遺伝子のことでもないし、黒人差別の話でもない。
日本人がみんな知っていることを外国人がみんな知らないことがあるという話だ。日本だけで通用する外国があるということだ。
□ 大学生の時、フランス人のとても綺麗な先生との仏会話の授業があった。その中で「『雪が降る』のアダモは好きですか?」と聞いたら即座に「あれはイタリア人よ」といわれた。日本人にとってフランスの歌手の代表みたいなものだったのが、あっさりと否定されてしまった。まあ、もっと前に名前から判断すべきだった…。
似たようなことはギタリストのクロード・チアリにもあった。彼は本国で知られていないので日本に帰化してしまった。まあ、今では彼自身、ネットで有名だし、何よりも『夜霧のしのび逢い』という映画を知っている日本人も少ないだろう…。
リチャード・クレーダーマンというアメリカ風な名前のピアニストはフランスでどうだろうかと聞いたことがあるが、さすがに知られていた。
□ ピアニストといえば、ブーニンも世紀の天才と騒がれているが、日本以外の外国ではあんなに騒がれていないようだ。彼の稼ぎのほとんどが日本での公演らしい。あろうことか、奥さんまで日本人を選んだ。
日本人は一度有名になるとそれだけで有名人として扱う。有名人にすがりたいのだ。
そのおかげで我が家にも最初にブーニンが富山に来た時に空港で花束嬢になって出た妻との写真が厳かに飾ってある。
□ 他でも書いたが『ルイジアナ・ママを誰も知らない』という本があって、ここではルイジアナ州に行った日本人が馬鹿受けするだろうと「ルイジアナ・ママ」を歌ったら誰も知らなくて白けたというオチだ。
『青春デンデケデケデケ』のベンチャーズだって日本の稼ぎだけで暮らしているようなものだ。Britannicaには記述がない。
□ 中国人が日本でラーメンを食べた時、「おいしいね、これ何て料理?」と聞いたというのは非常によく目にする光景だ。インド人が日本のカレーをカレーと思わないのと同じである。カレーライスなどの西洋料理は旧海軍経由で輸入され、日本人の食感に合うよう工夫された。東郷平八郎元帥は英国留学中に食べたビーフシチューの味が忘れられなかった。これを醤油味で再現させたのが肉じゃがだ、という説があったが、軍港の街・舞鶴で地域おこしのために創作された伝説だという。中国にはラーメンの原型はあっても、日本のようなタイプはないようだ。だから「ラーメン」の語源もよく分からなくなっている。これも年月が徐々にラーメンを進化させてきた。
新湊市には「オランダ焼き」という名物があって、硬く焼いたワッフルをいうのだが、オランダ人は誰も知らないようだ(類似の製品が他社からも「オランダ焼き」で出ていた)。
石川県にも「オランダ煮」というのがあって、これはナスを煮たものらしい。ただ、油を使っているので、西洋風のという意味で「オランダ」を使ったのだ。
新潟では「イタリアン」という食べ物がある。これは焼きそばにミートソースがかかったものなのだが、イタリア人はきっと激怒するだろう。
福井の「パリ丼」はもっとひどい。メンチカツ丼なのだが、食べると「パリ」っていう音がするからだという。富山の中央通りに「パリ祭」というふざけたセールがあるようなものかもしれない。
北海道で食べる「ロシア餃子」は許せる。ロシアの「ペリメニ」にニラなど日本的なものが入っただけだからである。
島原地方で海藻に白身魚やニンジンを入れて作る豆腐のような「イギリス」というのがあるが、これは何と海藻の名前が「イギス草」で、それが訛ったものらしい。吉川誠治・大堀恭良『続 日本・食の歴史地図』(NHK出版)に詳しい。
それにしても、本国の人に分からないからといって何でも勝手に名前をつけるものだ。
これらはアメリカに「アメリカン・コーヒー」がないのとは違う。アメリカのコーヒーはどれも薄くて、何も言わなくても「アメリカン」なのである。
グリム童話のグリム兄弟が言語学者だった話はわりと知られているかもしれない。比較言語学で最初に学ぶ一つが彼らの発見した「グリムの法則」である。でも、『ドイツ語大辞典』を作ったということは知られてないかもしれない。OEDに相当する辞書を彼らは作ったのだ。何しろ全16巻32冊で生前にはFrucht(「果実」)までしか実らず、他の学者に継がれた。
この辞書もドイツではほとんど刊行されることはなくて日本で復刊された。
□ ファーブルも同様だ。フランス人はほとんど読んでいない。小さな人名辞典には載っていないというし、『プチ・ラルース』では5行だけで「昆虫世界に関する細かな観察を残し、フランスでは『昆虫記』で人気を博した。啓蒙家としてのまれな才能には恵まれてはいたが、発表したいくつかの理論は不正確なものだった」という(鹿島茂『フランス歳時記』中公新書)。ゆかりの博物館を南仏に訪ねる日本人も少なくないらしい。ファーブルの昆虫記は1879年に第1巻が刊行され、第10巻は1907年に出た。その後、決定版が刊行されているが、ファーブルはアカデミズムから離れた存在だった。当時の大学教授は名誉職みたいなものだったから教授職だけでは暮らせなかったのだ。
『平凡社大百科事典』には第10巻が1910年に刊行されたと林達夫(きだ・みのると共訳している)が記しているが、完成したのは1907年で学界から黙殺されて生活が苦しくなっていくファーブルを見かねた友人が10年に完結記念パーティを開いたのと間違っている。『日本大百科全書』の八杉貞雄もいくつか間違いを犯している。
86歳の時の、このパーティがきっかけで彼の名声は一気に上がり、レジオン・ドヌール勲章も受けた(1886年という)。ポアンカレ大統領が訪れて功績をたたえたという。
林達夫によれば、日本で最初に紹介したのは賀川豊彦であり、22年に大杉栄が初めて邦訳したという。朝日新聞の「100人の20世紀」(1999年3月21日)の中に紹介されている小西正泰によれば、少なくとも70点を超える翻訳があり、伝記など関連書も約70点あるという。フランスではドランジュ博士の努力で89年に再刊されるまで70年以上、出版されなかったという。日本では4種類の翻訳と原書フランス語の復刻版まであるのに。
そして、訳者の一人、奥本大三郎は「フランスでファーブルが無名なのは、フランス人が昆虫に関心が薄いからです」「フランス人は犬より小さいものは目に入らない、とよくいわれます」と語っている。別のところで奥本はトンボを捕まえた時に、外国の子どもに「噛まない?毒はない?」と聞かれたと書いていた。英語でもdragon-fly「ドラゴンの虫」というから怖いのだ。奥本の『博物学の巨人アンリ・ファーブル』によると、フランスの文明は人間中心主義が強く、虫は忌むべきものという見方があった。日本では枕草子に「虫は鈴虫、ひぐらし、蝶、松虫」とあるように、昔から親しんでいるのだ。
ファーブルはイギリスなどでも知られておらず、Britannica Encyclopediaには独立した項目がないばかりか、名前が出てくるのは1度だけである。
声楽家の妻はフランス人の前で日本歌曲を歌ったことが何度かあるが、「赤とんぼ」を日本の代表的な曲だとして“demoiselle rouge,libellule rouge”などと紹介するのだが、反応がない。虫を歌ってしかも涙するなんて考えられないようだ。
アメリカはどうか?一つだけ例外を見つけた。小野十三郎の詩「フアブル自然科學叢書」(詩集『古き世界の上に』)に次のようにある。ヴァンゼッチというのは冤罪として有名な「サッコ・ヴァンゼッティ事件」(『死刑台のメロディ』という映画にもなった)の当事者である。
【…】學者や坊主や金持には用のない名だ
僕はおぼえてゐる
「フアブル、おゝ昆蠱記の著者」
とチヤールスタウンで死を前にしてヴァンゼッチが感激をこめて言つたのを英語のbug「虫」はもともと「怖いもの」という意味から生まれ、いい意味はないからプログラムのミスの意味(Oxford English Dictionaryでは1945年が初出)になり、「虫取り」debuggingなどという作業が生まれた。日本で「虫取り」というと昆虫採集を最初に思い浮かべるが、外国の子どもが昆虫採集をしているのをあんまり見かけないような気がする(ダーウィンは好きだったはずだが、他に知っている人は教えて!)。
日本には「赤とんぼ」「こがね虫」「虫の声」「かたつむり」「ほたる」などがあるし、他にも秋の歌で虫の声などが出てくる歌がいっぱいあるし、「ちょうちょ」はドイツ民謡の「ハンスちゃん」というのを虫の歌にしたものだ。外国で虫の歌というとメキシコの「ラ・クカラーチャ」(la cucaracha「ごきぶり」で“the”cockroachと同源)くらいしか思い出せない。欧米人は虫の音に反応せず、ただの雑音だと考えるというのはよく指摘されることだ(異論もある)。
日本語には「泣き虫」「弱虫」「芸の虫」「本の虫」(英語でも“bookworm”という)という人間もいる。そして、慣用句だって虫がいっぱい出てくる。「虫がいい」「虫が納まらぬ」「虫を殺す」「虫を起こす」「虫の居所が悪い」「虫酸が走る」「虫がつく」というのがすぐ思い浮かぶ。この場合の虫は「腹の虫」というように体内にいて居所が悪いと憤りが出てくるし、「虫が好かない」なんていって直感的に相手の人格まで分かってしまう。「虫の知らせ」なんて超能力まで持っているし、「虫が起きる」と大変なことになる。娘に「虫がついたら」大変だ。日本人は悪いことは何でも虫のせいにする「虫のいい」民族なのである。つまらない話は無視してください。
□ ファーブルの評価などから日本人とは異なる、虫を無視する欧米人の態度というのが垣間見られる。フランス語でパピヨンpapillonは「蝶」だが、同時に「蛾」でもある。de jour「昼の蝶」とde nuit「夜の蝶」と区別できるが、ふだんは意識していない。「君は蝶みたいだ」というのは「移り気だ」という意味になってしまう。そんな文化に虫を愛でよといってもなかなか無理がある。
急いで付け加えれば、聖書にもイナゴ(正確には「バッタ」)がよく出てくるし、文学ではチャペックが『虫の生活』を書いているし、メーテルリンクが『蜜蜂の生活』『蟻の生活』という記録を残しているし、歴史家のミシュレにも『昆虫』という詩があるし、何よりもカフカの『変身』ではグレゴールが虫になる。また、日本語は「ムシ」(「蒸す」ように自然に生まれ出てくるものという意味から)で全てを指すが、英語の方はbug,insect,worm(ついでにfly)などと細かく分けているから注意しているように見えるが、この言葉で止まってしまって「コガネムシ」だろうと「カミキリ」だろうと「カブトムシ」だろうと区別できない人が多い。
フランス人は犬よりも小さい物には興味がないといわれるが、虫を見ない理由はこれだけではない。
ブレイクにはキリギリスが歌うという歌がある。
「笑いの歌」 W・ブレイク 土居光知訳
みどりの森 喜びの声あげて笑い
えくぼする水 えみひろがって流れ
風 われらの たわむれごとを笑い
みどりの岡 やまびこをかえすとききりぎりす 楽しいけしきのなかで うたい
牧場はしたたるような みどりのえまい
メアリとスザンとエミリ
かわいい まるい口でうたう ハッ ハッ ヒィ羽美(はねうるわ)しい いろ鳥は 木の間で笑い
木陰(こかげ)の 食卓にはさくらんぼやくるみ
さあ おいで みんな いっしょに
楽しい合唱をしよう ハッ ハッ ヒィLaughing Song William Blake
When the green woods laugh with the voice of joy,
And the dimpling stream runs laughing by;
When the air does laugh with our merry wit,
And the green hill laughs with the noise of it;When the meadows laugh with lively green.
And the grasshopper laughs in the merry scene,
When Mary and Susan and Emily
With their sweet round mouths sing "Ha, Ha, He!"When the painted birds laugh in the shade.
Where our table with cherries and nuts is spread,
Come live & be merry, and join with me,
To sing the sweet chorus of "Ha, Ha, He!"ここで少し話を大げさに発展させる。
日本人は神と人と動物の境界をあまり大きなものと考えないけれど、欧米人はその傾向がある。ギリシャ・ローマ神話は別にしてキリスト教の神は人間くさい神ではない。
ダーウィンの進化論が出た時だって、日本では受容に何らの問題がなかったが、キリスト教では『天地創造』との関係もあって批判も多かった。一般的には、何よりも人間がサルから進化したことに対する非難、揶揄が多かった。(受容された時期もあったが)アメリカでは今でもバイブル・ベルトと呼ばれる地帯を中心に進化論を教えていない(はずだ)。日本古来の「自然」(じねん)は人間と万物が一体化していた。英語のNatureを訳した「自然」はキリスト教の思想に基づき、神が自然と人間を創り出したとするものだ。二つは最初から対立していた。だからこそ、人間が自然破壊するという罪の意識があってエコロジー運動も盛んだ。
キリスト教の考えでは、動物には人間と違って魂がないと信じられている。『ピーター・パン』のダーリング夫妻は乳母を雇う余裕がないので、犬のナナが乳母の代わりをするのだが、父親が「犬を乳母として雇うのは間違いじゃないだろうか。子どもたちを子犬と勘違いしないか」というのに対して母親は「だいじょうぶ、ナナは自分と違って子どもたちには魂があることをちゃんと分かっていますよ」というのはまさに、これだ。
□ 神様との境界も日本では小さい。だって「お客様は神様」になれる国なのだ!
「さくら」 まど・みちお(まど・みちお全詩集)
さくらの つぼみが
ふくらんできたと おもっているうちに
もう まんかいに なっているきれいだなあ
きれいだなあと おもっているうちに
もう ちりつくしてしまうまいねんの ことだけれど
また おもういちどでも いい
ほめてあげられたらなあ…とさくらの ことばで
さくらに そのまんかいを…「異類婚姻譚」「怪婚説話」といって動物と人間が結婚する話は日本には多い。「鶴女房」「蛤女房」「蛇婿入り」「猿婿」や「雪女」などが有名だ。いや、ギリシャ神話だって多いという人もいるだろう。ゼウスは妻のヘラの目をかすめて浮気するために動物に変身していた。白鳥になってレダと、鶉(うずら)になってティタネス族の娘レタと(アポロンとアルテミスが生まれた)、牡牛になってエウロペと(ミノスが生まれた)合体している。ギリシャ神話は日本神話と似ていてキリスト教以降の文化とは違っていると見ることもできる。
他には西洋で「美女と野獣」(ジャン・コクトー、そしてディズニーの映画のタイトルからこの名前で知られるが元は「太陽の東・月の西」「歌って踊るヒバリ」などとして知られていた)があるくらいでこれだって、野獣は元々、人間だったのである。グリムの蛙と結婚する王女の話だって、蛙が実は人間であることが分かるのだ。「人魚姫」とか「ウンディーヌ」だって人間になる代償として(人間として大切なものの一つである)声を失うのであって、人間との境界は相変わらず大きい。まあ、結婚後に大変身する日本女性も怖いが…。
狐が女に化ける話は中国や日本にあるが、西洋では狼狂(lycanthropy)と呼ばれる、人間が「自分は狼(や狐)である」と信じる人が多い。
ちなみに、コクトーの幻想的な映画『美女と野獣』は『鏡獅子』に想を得たともいわれる。コクトーは1936年、80日間で世界一周を目指す賭けの旅に出た。5月に日本を訪れ、1週間滞在した(西川正也『コクトー、1936年の日本を歩く』中央公論新社)。コクトーを魅了した一つが歌舞伎だった。歌舞伎座で六代目菊五郎の『鏡獅子』を鑑賞した。終演後楽屋を訪れ、握手をしようとして六代目の目に浮かぶ不安に気づいた。手の白粉(おしろい)がはげるからで詩人は握手の振りにとどめたという。六代目はにんまり感謝の視線を送り、後で相手のことを「何も読んじゃアいないが、えらい人に違いない。芸術家だね」。コクトーも六代目の芸術家らしい繊細さに心打たれたと語り、歌舞伎への感銘を一層深めたのだ。ちなみに、相撲についての感想は周防監督の『シコ、ふんじゃった』に紹介されている。
コクトーは堀口大學に「僕は、日本に就(つ)いて、軽い考えを抱いてやって来た。それが今、日本に就いて、重い考えを抱いて去ろうとしている」と述懐したそうだ(「コクトオの見た日本」『堀口大學全集』第6巻)。
河合隼雄は『ナバホへの旅 たましいの風景』(朝日)でユダヤ・キリスト教などと日本などの「自然教」とを次のように違うと書いている。
アイルランドを旅した河合隼雄は『ケルト巡り』(NHK出版)では次のようにいう。
ユング(一八七五−一九六一)の言で私の好きな言葉に、「ヒューマン・ネイチャーはアゲインスト・ネイチャーである」というものがある。ヒューマン・ネイチャーのネイチャーは「性質」を意味し、アゲインスト・ネイチャーのネイチャーは「自然」を意味する。
この言葉が示すように人間の特徴は、その存在が自然の一部であるにもかかわらず、自然と切れる傾向を持っているところにある。これはとても興味深いことだ。人間のほかに、自然と切れようとする傾きをもつ動物はまずいないだろう(とはいえ、人間のエゴのために自然との接点を否応なく切らされている動物がいることも、また気の毒な事実である)。
人間だけがなぜ自然から切れようとする傾向を持っているのかはわからない。
「思考する」というのはとても不思議な行為で、人間が獲得した特殊技能である。これは、自分というものが世界と別個に存在しているという意識を持つことに起因する。そして、その自分をどうすべきかを考えることを記したのが、神話なのである。すべての神話には、「人間が意識を持つとはどういうことか」が書かれていると言っていい。
動物の世界には、外界を観察したり外敵から身を守るといった意識はあるが、生をまっとうするための大きな「流れ」は決まっている。そこには思考の入り込む余地はない。
たとえば、ハチは見事な巣を作る。女王バチは子どもを産み、働きバチは働く・・・と、それぞれがそれぞれの任務を完璧に遂行している。彼らは太古の昔から同じ営みを繰り返してきた。『なぜ、こういうことをするのか』『これは何のためか』といったことを考えることなく続けてきたからこそ、そのシステムは存続してきたのである。『そもそも私は・・・』などというのは人間だけなのだ。
人間は、はるか昔から思考し、試行錯誤を繰り返しながら生きてきた。
近代に入ると、人間が自然を支配し操作して、自分の欲することを実現してゆくという傾向が強くなる。それを極限にまで推し進めていった国がアメリカだろう。
アメリカはヨーロッパ的なものがもっとも先鋭的になって現出した、とても合理的な国だ。それを別な表現で極言すれば、人が『土』から切れていったことを意味する(もちろん、それを可能にした資源の存在が大きい)。ここで言う『土』とは、自然のことである。自然に対抗してこれを支配・コントロールし操作することが、極限まで行われているのがアメリカなのだ。
そして、その果てに出てきたのが、一歩間違えば、地球上の文化的差異をなくし、世界を一様化することになるグローバリゼーションの問題である。この大きな流れのなかで私たちはどう生きるべきかを考えるうえで、教化する力の強いキリスト教文化の波に洗われながらもかろうじて生き残った「ケルト的なもの」が、大きな参考になると考えられる。
□ 人間と動物の間の境界が小さく、日本人はすぐに擬人化するからサル学も発展したといわれる。日本の研究者はサルたちにあだ名をつけて個体識別したのに外国人研究者はサル集団で観察していたのだった。
ウォルト・ディズニーはミッキーやドナルドで十分、擬人化しているじゃないかって!?
ミッキーの手袋はデビューの「蒸気船ウィリー」の頃は素手だったが、ネズミの汚さを連想させないために付けたのである。
日本人の自然観が優れていると思ってはいけない。家のごくごく周りの自然しか感じないし、一体化していると思っているので自然に罪悪感を感じずに破壊を続けるという悪循環がある。
ネロとかパトラッシュという名前を聞いただけで涙腺がゆるむ日本人も多いが「フランダースの犬」も知られているのは日本だけだ。アントワープの教会でネロは死ぬのだが、勝手に自分の国が感動の土地になっているなんてベルギーの人は誰も知らない。ウィーダがあまり有名ではなかったのとベルギーの人が冷酷に描かれていて歓迎されているとはいえなかった。
作者のウィーダ(“Ouida ”本名はルイーズ・デ・ラ・ラメー“Marie Louise de la Ramee”だったがベルギー人の父とイギリス人の母を持つ女性で幼少の頃に自分の名前をうまく言えず「ウィーダ」と言っていた事から後年の彼女のペンネームになった)というイギリスの女流作家だからである(イタリアで極貧の中に死んだ)。そして、イギリス人でもこの作品A Dog of Flandersは英語で発表した小説をしたこともあって、知っている人はいないようだ。『岩波ケンブリッジ人名辞典』にも『囚れの身となって』や『ストラスモー』の記述はあるが、『フランダース』はない。小池滋・亀井俊介・川本三郎『文学を旅する』(朝日新聞社)で小池は「では、イギリス人に尋ねてみると、十九世紀の小説によくよく詳しい人でないと、そんな作家は知らないという。知っている人なら、ウィーダは十九世紀末の大人向けの風俗小説、上流社会の恋とアヴァンチュールにあふれた作品でヒットした作家だから、あまりお子様にはふさわしくない、でも彼女が動物愛護運動に熱心だったことは事実だがね、と教えてくれる」と書いている。
ところが、現地は日本からの観光客に驚いて、色々とでっち上げた。ネロの「故郷」がアントワープから5キロほど離れたボーボーケン区(ベルケンローデレイ駅下車)にあるが、観光局の前にあるネロ少年とパトラッシュの銅像は1985年に建てられたものだというし、慌ててネロの家まで建てられたという。
日本人がどうして好むかというとネロのシャイさや内気さだろう。ナイーブなところが日本人的なのである。アロアのお父さんコゼツがネロが描いた娘の絵に感心して銀一枚で買おうとする。
ネルロの顔から、さっと血の気がひきました。ネルロは、顔を上げ、両手をうしろにひいて、
「コゼツの旦那、お金も絵も取っておいてください。いつもお世話になっているんですから」
あっさりそういうと、パトラッシュを呼び、野原を横ぎって歩み去りました。
「ぼく、あの銀貨があれば、あれが見られたんだがなあ」ネルロはパトラッシュにそっとささやきました。「でも、あの絵をお金で売る気にはなれなかったんだよ……たとえあれが見られてもねえ」
『フランダースの犬』(岩波少年少女文庫)ちなみに、どうしてルーベンスの絵にカーテンがかけられているかというと、当時の教会は名画をカーテンで覆い、 多額の布施を寄付する信者に見せるという商売をやっていたからだ。フェルメールの「手紙を読む女」や「絵画芸術の寓意」でもカーテンがもったいつけて描かれているが、もともと、埃や直射日光から絵画を守る役目をしていたことが分かる。ちょうど、日本でも初期のテレビにカーテンが付いていたのと同じだ。それとも「ご開帳」の気分なのだろうか?
2007年にベルギー人映画監督ディディエ・ボルカールトが“検証”ドキュメンタリー映画『パトラッシュ』を作成した。大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿がきっかけだったという。欧州でこの物語は「負け犬の死」(ボルカールト監督)としか映らず、評価されることはなかった。アメリカでは過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。監督らは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。プロデューサーのアン・バンディーンデレンは「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけたという。
これについては宮元健次『日本の美意識』(光文社新書)も取り上げている。ヨーロッパの人は「自分たちはこのように子どもを独りで死なせるほど非道ではない」という反発もあるそうだ。「日本の美意識」のキーワードは「優美」「幽玄」「侘び」「さび」などで、神道から生まれてきた美意識が「優美」といわれ、 仏教の無常観から「もののあわれ」という「幽玄」が現れ、その「優美」と「幽玄」から、「侘び」「さび」という美意識に発展してきた。総じて日本文化を表せば、「滅びの文化」ということができる。
日本人の美意識は「滅びの美学」であるといいかえることができる。繰り返し述べるように、人間は「生」を得た瞬間から「死」という滅びにむかって生きるという矛盾を抱えている。そうであるからこそ「生」を尊ぶという考え方が日本の美をつくってきたといってよいだろう。
※松本侑子の『ヨーロッパ物語紀行』(幻冬社)がその後出版されたが、この辺りの事情に詳しい。
□ ドイツの詩人カール・ブッセの「山のあなた」ほど日本人の感性にあった詩はないだろう。上田敏の『海潮音』の翻訳にある諦観が日本の知識人に受け、その後の詩人たち、北原白秋や三木露風に多大な影響を与えた。ところが、詩人の川崎洋がベルリンを訪れた時、地元の大学生との集まりでこの詩について語ったところ、皆きょとんとしたという。ブッセって誰ですかと聞かれて驚いたという(『感じる日本語』思潮社)。「山のアナ、アナ…」と落語にもなった詩の作者は、故国ではほとんど知られていないのだ。
□ 『サウンド・オブ・ミュージック』はミュージカルの傑作だが、オーストリアの人々にとってこのミュージカルはナチスに荷担した自国を描いていて、他国民に褒められてもあまりうれしくないらしい。祖国を美しく歌った「エーデルワイス」も歓迎されないと聞いたことがある。史実とはずいぶん違うのだが、これ以上書くと夢がなくなる。なお、トラップ大佐の祖父ロバート・ホワイトヘッドは魚雷の発明者であり、魚雷工場の所有者だった。現実のトラップ大佐は大地主で、イタリアのファシストに近い当時のオーストリア・ファシズムの党員であって、結婚式の場面でトラップ大佐が首から掛けている大きなメダルが何よりもオーストリア・ファシスト党のシンボルなのである。その後、内部抗争に敗れてアメリカに逃亡することになったとされる。アメリカでナチスの犠牲者として注目されドラマがつくられた。だから、オーストリア人にとって、触れられたくない歴史の暗部をつつかれたというわだかまりがある。
映画化は外国でのオーストリアのイメージに大きな影響を与えたが、伝統重視で、クラシック音楽の本家を自任するオーストリアやドイツでは、ニューヨークのブロードウェー風の演出や、地元の人々には不自然と思われる登場人物の振る舞いへの反発が募り、当時の映画上映は数日でうち切られていたという。ミュージカル上演も何度か試みられたが、受けはよくなかった。「民族衣装を強調するなどオーストリアの描き方があまりに紋切り型」との批判から長年、上演を試みる劇場もなく、映画のテレビ放映も過去一度だけで、事実上、お蔵入り状態だった。2005年にオペレッタの殿堂「フォルクスオーパーで再演されることになったが…。
□ 絵画でも同様で、日本人は恋人を多く描いたイラスト画家レイモン・ペイネが大好きで、うちの玄関にも「幸せの鳥」というリトグラフが飾ってある。
しかし、フランス人はあんまり知らないようで知っていても日本のようにプラトニックな恋人たちとは思われていない。何しろ、“amour”で愛もセックスも意味する人たちだ。世界で初の「ペイネ美術館」が86年に軽井沢でできた。2年後に南仏のペイネ美術館ができたが、ここを訪れる9割は日本人だという。
他のカシニョールやビュッフェなどが本国でどう評価されているか知らないが、日本人が好むとおりではない。
何よりも印象派が世界で一番好きなのは日本人だ。もちろん、その発祥の地だからということもあろうが、あの曖昧模糊とした描き方、それぞれの画家のエピソードなどが日本人を捉えて離さないのである。
□ 日本人の好みが世界とずれていることがこうした状況を生む。女の子が目の色を変えるブランド品だって、本国との評価が大きく違う物も多い。
音楽で一番典型的なのは歳末のベートーベン第九である。外国でもめでたい時には演奏される曲目だが、日本ではクラシックといえば第九である。英語と違ってドイツ語なので、よけい訳が分からず、お経のようにありがたいのである。
パソコンだって日本ではマックが好まれているが、アメリカではあんなものを使うのはビジネスとは離れた人だと鼻白んだ顔をされる。←どうせおいらは…。
でも、ちっとも悲しむことはなくて、世界の人はみんなそれぞれにずれているのである。「馬鹿の一つ覚え」などとはいいたくない。
日本の着物に憧れる、なんて外国人がいるが、自宅にタペストリー代わりに飾られるのがオチだ。
マンガは国際的に評価されているといわれているが、Britannicaには“manga”も“Osamu Tezuka”の項目もなく「内田春菊」だけが載っている。
□ 文学はどうだろうか?という前に国によって翻訳文学が好まれる国とそうでない国があることを知っていてほしい。イギリス人は好まず、フランス人やドイツ人は抵抗がないようだ。
99年に辻仁成の小説『白仏』がフェミナ賞(ゴンクール賞に対抗して女性審査員で選ぶ賞)を受賞したが、フランスでは昔から安部公房、大江健三郎、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫が高く評価されている。最近では松本清張、奧泉光、小川洋子、松浦理英子、宮部みゆきなどエンターテインメントから若手まで翻訳されている。
吉本ばななはイタリアで人気がある。よしもと・ジェレビーニ『イタリアンばなな』(NHK出版・生活人新書)は人気の理由を以下のように分析している。
(1)「ばなな」という名前が奇抜で良かった。イタリア語でも果物のバナナは同じ発音。
(2)デビュー作『キッチン』が英語なので一見、英語圏の小説と思われ、取っつきやすかった。
(3)従来、紹介された日本文学は東洋の習慣・文化などの予備知識がないと理解が難しかったが、吉本ばななの世界は同国の普通の高校生でも違和感なく入り込めた。
これらに加え「家族」をめぐる小説世界がイタリア人に受け入れやすい。イタリアも日本以上に母親中心の家庭だし、ばなな作品では、他人同士が共同生活をするといった“拡大された家族”が描かれてきたが、イタリアでは、親族や居候と同居する大家族がありふれているので状況がのみ込みやすいという。「その一方で、人間関係が実際は複雑にもつれているのに、複雑でないかのようにさりげない文体で描かれているので、新鮮にみえる」といい、人間関係に問題が起きるとイタリアでは過剰なほど言葉を使って解決を図ろうとする。ばななの小説では神秘・超能力・沈黙の間などを通じて心を通わせる、というのがジェレビーニの見立てだ。
「コミュニケーションの仕方は正反対。でも、イタリア語でも主語を省く。謙遜の文化もある。直接的な主張に依らない日本的な感覚を受け入れる素地があるのではないか」。「食」を通じて理解を深めるあり方も日伊は共有するそうだ。
多和田葉子はドイツに住んでいてシャミッソー賞という他言語の作家を対象とした賞をもらっているそうだ。
イギリスでは英語で発表しているが『年の名残り』のカズオ・イシグロが最も有名で、他に丸谷才一がインディペンデント紙の外国文学賞特別賞を『横しぐれ』で受賞している。
日本を代表する文学作品をいくつかあげるなら、どれか。ドイツの著名な出版社インゼルの「日本文庫」の全集34冊は外国から見た答えの一つだと言われる。これには太宰治の『人間失格』、大岡昇平の『野火』、谷崎潤一郎の『武州公秘話』、石牟礼道子『苦海浄土』など現代の文学が主だが、西田幾多郎の哲学書『善の研究』も入っている。時代の幅も広く、平安時代の『古今和歌集』や中世の『方丈記』、江戸期の山東京伝『桜姫(さくらひめ)全伝(ぜんでん)曙草紙(あけぼのぞうし)』、上田秋成の『春雨物語』なども収めてある。
2008年に韓国の学者らがまとめた日本の文学作品の翻訳状況(1945〜2005年)に関する研究結果によると、三浦綾子は1960年代に韓国で初めて起きた日本文学ブームを主導、代表作の「氷点」など146編が306回にわたり翻訳された。2位以下は、現在韓国で最も知名度の高い日本人作家とされる村上春樹(110編)、村上龍(67編)の順。このほか、推理・歴史小説の森村誠一、松本清張、ノーベル賞作家の大江健三郎、川端康成らがベスト10に入っている。
河合隼雄は『ケルト巡り』(NHK出版)で次のように書いている。
いま村上春樹やよしもとばななの著作は かつて川端康成が「東洋の不思議な国」を知るために読まれたのとは違い 現代の生活のために いまを生きるために読まれている。世界の人々にリアリティをもって迎えられているのである。つまり彼らの著作は普遍性を持つ現代のおはなしであり いわゆる近代的自我を中心にして書かれたものではなく。この二人は無意識的なところに入り込んでいく力を持ち そかもそれを物語にする力を持っている。そうして生み出された作品は世界の人々に対して意味を持ってくる。
中国で「あなたは村上ですね」というと「あか抜けてるね」という褒め言葉だそうだ。1980年代後半から日本の本や映画が解禁され、翻訳された村上春樹の『ノルウェイの森』は累計72万部に達し、『海辺のカフカ』は初版12万部が一カ月で売り切れた。「春樹」(シュンシェー)というペンネームの女流作家までいるそうだ。片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』が初版300万部で年間ベストセラーに。若者たちは「もう一つの生き方があることを知った」と言い、描かれたライフスタイルを求めるという。
台湾では「非常村上」という新語が生まれ、「村上春樹狂」が出現した。韓国では『ノルウェイの森』がそのままのタイトルで出た後、別の訳者によって『喪失の時代』というタイトルになり、この影響を受けた世代を「喪失の世代」と呼んで社会現象になったという。
春樹人気をそのまま使った映画がある。『異邦人たち-THE ISLAND TALES-』(原題『有事跳舞』スタンリー・クワン監督)である。日本人女性カメラマン(桃井かおり)とその女友達、香港映画界のトップスター、日本の有名な小説家(大沢たかお)が別々に訪れた香港近郊の蜉蝣洲(カゲロウ)島が伝染病で閉鎖されてしまう。島から脱出がかなわないままに、一晩を過ごすことになる。孤独で内省的な小説家は日本のマスコミの喧騒を逃れ、お忍びで来ているうちに、スター男優と心を交わし合う。お互いに無名の存在として、つかの間の友情を交わし合う。そして、その小説家の名前が春樹なのである!
沼野充義は「新しい世界文学としてのハルキ・ムラカミ」【週刊読書人】(2006年12月8日号)で次のように述べている。
…ローランド・ケルツが「なぜ日本文学はアメリカで読まれているか」という評論(『群像』二〇〇六年十二月号、柴田元幸訳)で指摘している「メビウスの環」の実例ではないか。つまり、日米間の文化の輸出入を見ると、最近ではムラカミを初めとする日本のものがどんどんアメリカに入ってアメリカの若者の心をとらえ、日本文化に影響を受けたアメリカ文化が逆にまた日本に入ってくる、という事態が生じていて、影響関係が「どこで始まり、どこで終わるのかもわからな」くなっているのだ。
ケルツはこの評論で、さらに現在のアメリカにおける日本ブームを理解するために役立つもう一つのキーワードを挙げている。「ロゼッタストーン」だ。古代エジプトのヒエログリフが書かれた石碑にたとえられてしまうところが、やはり、「日本文化異質論」の流れを汲むものと言えそうだが(どんなにポピュラーになっても、所詮、日本文化は古代エジプトの象形文字のように解読されるべきものなのか?)、それはともかく、ケルツによればアニメ、マンガ、そして村上春樹の三つが「現代日本文化を読み解くための」ロゼッタストーンだというのだ。
実際、村上春樹と並んでいやおそらく商業的にはそれ以上の規模で国際市場に進出しつつある日本マンガは、すでに世界的な現象にさえなっている。この二つの並行現象を「二つのM」として追った興味深い取材記事を朝日新聞の編集委員、由里幸子さんが書いているが(十一月十八日から二十四日、同紙夕刊に連載)、確かにこの二つの巨大な潮流は世界の感受性そのものを変えつつあるのではないかとさえ思わされる。ただし、私としてはケルツが挙げている三点に、さらに日本料理を付け加えたい。スシに代表される日本料理は、一昔前ならば「生の魚」を食べない欧米人からは一種の「ゲテモノ」扱いされたものだが、いまや世界のレストランを席巻しており、現代のモスクワなどでは、普通の喫茶店でもスシをメニューに載せているほどだ。ダニルキンという若手の評論家はモスクワの「ギンノタキ」というレストランで、「気を悪くしないでほしいんだけれど、いまやスシは二十一世紀のマクドナルドなんだよ」とスシを食べながら私に語った。マンガ(アニメも含めて)、村上、日本料理は、それぞれの人気が爆発した時期が国によってずれてはいるものの(たとえばロシアでは村上と日本料理のブームは一九九〇年代末から完全に同時に展開した。インドネシアではマンガはすでに大人気になっているが、村上文学の紹介はようやく始まったばかりである)、現代の世界における日本ブームを支える基本的「三点セット」と呼んでいいだろう。『海辺のカフカ』はアメリカでベストセラーとなり、ニューヨーク・タイムズ紙が選んだ2005年のベストブック10冊に選ばれてもいる。2006年にはチェコの「フランツ・カフカ賞」に決まった。過去2年の受賞者は、その後、ノーベル文学賞に選ばれている。
四方田犬彦は「村上春樹の小説は【…】俗にいう日本臭さを完壁なまでに払拭しているがゆえに【…】今日のグローバリゼーションの波に乗った文化商品たりえた」(柴田・沼野・藤井・四方田編『世界は村上春樹をどう読むか』文藝春秋)と主張しているが、作者自身は「村上春樹 ロング・インタビュー『海辺のカフカ』を語る」(『文學界』2003年4月号)というのがあって自分の作品がなぜ外国で受け入れられるかについて語っている。
だからやっばりある程度時間が経つと日本に帰ってきてこういうふうに暮らしているけれど、それは日本回帰ということではなくて、最初からそうなんです。最初から日本人がどういうふうにこの世界で生きているかということに興味があるんですね。
文章的に言えばたしかに、僕の文章は日本的な文章ではないですね。たとえば川端とか三島みたいに日本語と情緒的に結びついているというか絡み合っているという部分は僕の文章にはないです。はっきり分けているから。にもかかわらず残る日本人的なものというか日本的なものに興味があるんです。べったりと行くんじゃなくて、離れよう離れようと思いながら離れられない部分ということに興味がある。それは何かといえば、やっばり日本における一種独特な前近代性みたいなものじゃないかなあ。ただそこに僕は決して回帰したわけじやなくて、最初からそれには惹かれているんです。日本を出ていたのは、まわりを囲んでいる「制度言語」みたいなものからしばらく離れてみたかったということもありますよね。そういう面では意識的なのかな。
僕の作品がある程度外国で受け入れられているとしたら、それはやはり、僕が日本人であること、日本の作家であるということに対して意識的だからだと思いますよ。外国に行って、たとえば朗読会なんかやって話をすると、僕の日本的なものというのに対する質問が多いです。僕がグローバルであるということよりは、僕が日本的であるということに対する興味が大きい。これほどニュートラルな文体で物語を書きながら、どうしようもなくその物語の質が日本的であるということに対して外国の人はかなり意識しているみたいな気がする。
――具体的にはどういう質問があるんですか。
やっばり「謎」ですね。「謎が謎として残っていくというのは、それは日本的なことか」という質問が多いです。西洋であれば、謎というのはある程度解き明かされる。意味もなく人がいなくなって意味もなく人が死んでいってわけの分からないのが出てきて結論がはっきりとしないままにその物語が終わるということに対して、彼らは決して苦情を言うわけではなく、非常に面白いが、西欧、あるいはアメリカの文学には見られないものだけど、これは日本の固有のものか、というのが質問のひとつの定型ですね。ところで、一つだけ疑問があって、『アフターダーク』で『ある愛の詩』が引用されるのだが、意図的にでっち上げた話になっている。
「それでさ、ライアン・オニールが苦労の末に弁護士になって、どんな仕事をしているかっていうと、そういうことは観客には情報としてはほとんど知らされないんだ。僕らにわかるのは、彼が一流の法律事務所に就職して、人もうらやむ高給取りになったっていうことぐらいだ。マンハッタンの一等地でドアマンつきの高層アパートメントに住んで、ワスプのためのスポーツクラブに入って、暇があればヤッピー仲間とこんこんスカッシュをするんだよ。それだけ」
高橋はグラスの水を飲む。
「で、そのあとはどうなるの?」とマリが尋ねる。
高橋は少し上を見あげて筋を思い出す。「ハッピーエンド。二人で末永く幸福に健康に暮らすんだ。愛の勝利。昔は大変だったけど、今はサイコー、みたいな感じでぴかぴかのジャガーに乗って、スカッシュして、冬にはときどき雪投げして。一方、勘当した父親の方は糖尿病と肝硬変とメニエール病に苦しみながら、孤独のうちに死んじゃうんだ」。あれほどの悲劇を(といってもステレオタイプの悲劇だが)ハッピーエンドと言い切ってしまっていて、これがアメリカで訳されたら、どんな反応を生むだろうか、ということだ。信者も多い、この映画に対しての村上春樹のスタンスを理解しないアメリカ人がいっぱいいそうな気がする。
□ 最後に、日本人も外国で有名な人を知らないことがある。黒澤明、溝口健二、小津安二郎がそうだし、座頭市がそうだ。黒澤作品で最初に注目されたのは『羅生門』で日本での評価と違っていたことは有名だ(しかし、当時の他の作品はどれもよかったから当然のことでもあった)が、『隠し砦の三悪人』の評価が高いのは日本と大きく異なる。衣笠貞之助の『地獄門』もカンヌグランプリをとったが、ドラマ『将軍』も含めて「ん」で終わる映画が外国で当たるとされる。
個々の部分でどんな風に違うか、周防監督の『Shall we ダンス?アメリカを行く』を読めば、場面ごとの文化の違いが見えてくる。ちなみにこの作品を世界に紹介したのが、『ライフ・イズ・ビューティフル』を発掘したミラマックスである。
日本では評価が低い漫画家・永井豪も外国ではSF作家として有名なことも文化の違いだ。
□ 世界に大きな影響を及ぼしている日本の文化力を指して「クール・ジャパン」現象といわれるようになってきた(この場合の「クール」は「冷たい」ではなくて、「かっこいい」という意味)。
国民総生産(GNP)ならぬナショナル・クール(GNC)、いわば「国民総かっこよさ」という日本の新たな国力に注目したのは米国のジャーナリストのダグラス・マッグレイで外交誌『フォーリン・ポリシー』(2002年6月号)の<Japan's Gross National Cool>で日本の国力の新たな指標GNC(Gross National Cool)を提唱した。経済的に低迷し、「失われた10年」といわれた90年代に日本は大衆文化の世界で隠れた超大国になったそうだ。2003年の世界経済フォーラムの報告書では、日本経済の国際競争力は世界102カ国・地域中11位で、アジアでの日本の相対的地位の陰りにも言及されたのだが、日本のアニメ関連の輸出は既に鉄鋼の輸出金額を上まわるようになった。
「ソフトパワーの一種のGNCは計測不可能」というマッグレイに代わり、丸紅経済研究所が数値化した試算「文化関係収支表」によると、92年から02年までに書籍、絵画、美術品など文化芸術関係の輸出額は5兆円から15兆円、3倍に増えている。しかし輸出総額は43兆円から52兆円と1.2倍。海外でアニメ、ポケモン、キティちゃんや日本食、ゲーム機器がもてはやされ、日本のデザイナー、建築家、音楽家も活躍している。世界から評価されている日本人として、人形や絵画の作家であり、ヴィトンのバッグのデザインをしたことで有名になった村上隆、東洋人として初めてバイロイト音楽祭でワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を指揮することになった大植英次などが挙げられている。
ポケモンには、高級車や即席メンでは示しえない日本人の「優しさ」や「ユーモア」がある。責任感や協調性、従順さ、年長者への敬意、謙譲の美徳といった日本の伝統的価値観にあふれている。……ポケモン好きの子供は、米国にはない日本的価値観の良さを無意識に求めているのだ。----ニューヨークタイムズ(読売新聞1999年11月16日朝刊「ジャパン・ウォッチ」から)
経済力にも増して文化的影響力が高まっているが、これらを作っているのは手塚マンガで育った世代で、一方で、日本の子どもたちの想像力の貧困は眼を覆うばかりである。『千と千尋の神隠し』でアカデミー賞を受賞時に、宮崎駿監督が「日本のアニメはどんづまりに来ている」と語ったのを思い出す。村上隆は「幼稚力」を今の日本文化のキーワードにしている。低水準のアニメやゲームで、子供たちが美しい自然や人間関係を知る機会を奪われ、そこからは豊かな感性にみちた作品は生まれない、と危惧していたた。アニメではデフォルメした自然、誇張された人間関係、大げさなアクションしか描けないからだ。中国で「クレヨンしんちゃん」は「蝋筆小新」、「ちびまる子ちゃん」が「桜桃小丸子」、ドラゴンボールは「七竜珠」、「ドラえもん」は、日本語の発音にあわせて「【口+多】【口+拉】A夢」となっている。
ジバンシーにカシュカシュ(cashe cashe)というシリーズがあるが、これは日本のコギャルに影響を受けたものだという。実はフランス人の女の子がびっくりするのは日本の女性のファッションの自由さだという。原宿ファッションがそのまま輸出できそうなのである。
コスプレも日本発の文化になっている。フランス人がセーラー・ムーンになっているのはとてもいい(おじさん!)。でも、考えてみれば、フランスはお醤油がベルサイユの料理人の隠し味になって以来ずっと日本の影響を受けていたのだ。
フランスは今や日本に次ぐマンガ大国という。出版される日本のマンガは年1000点を超え、売り上げも5年前の倍というからネオ・ジャポニスムといわれるブームは本物だ。マンガのキャラクターのコスプレ(扮装(ふんそう)遊び)に興じる若者も多い▲そんなおり東京のサントリー美術館で開催中のロートレック展(3月9日まで)で、1枚の写真にニヤリとさせられた。19世紀ジャポニスムの影響を受けたとされるロートレックその人が平安貴族のような衣装で日本人形を抱いている写真だ▲どうもジャポニスムには昔からコスプレがつきもののようである。というか、当時のフランスの画家も、ちょうど今の若者が日本のマンガやアニメの世界観を探求しながら楽しむように、浮世絵の世界をあれこれ想像して楽しんだのだろう▲「ムーランルージュ」はじめダンスホールや劇場、娼館(しょうかん)などモンマルトルの夜の世界に浸り、芸人や娼婦らの姿を描き続けたロートレックだ。今回は日本初公開のオルセー美術館の油彩画の傑作ほか、おなじみのリトグラフやポスター、素描など約250点を集めた展観である▲その一角にはロートレックの作品と、遊郭の女や役者を描いた浮世絵とを対比して見せる展示もある。見えを切る人物描写、シルエットを使った表現、文字と絵の融合、役者の大首絵のような図柄はなるほど浮世絵の影響をうかがわせる▲だがどんな技法にもまして、世紀末パリの「浮世」−−都市大衆が生きる浮き世と憂き世を描き出した点で、ロートレックは江戸の絵師の正統の後継ぎといえるに違いない。ネオ・ジャポニスムも21世紀のロートレックを生むだろうか。 -----毎日新聞 2008年2月2日 東京朝刊「余録」
ちなみに、フランス語では「ラ・マンガ」というと北斎漫画(アで終わるから女性名詞と思われたようだ)で、現在のマンガは「ル・マンガ」(ル・リーブル「本」の類推で男性名詞)となっている。
鹿島茂『モモレンジャー@秋葉原』(文藝春秋)の「制服フェチの原点」によれば、外国では制服エロティシムズというものを見なくて、フーゾクの一ジャンルになっていないという。一つだけ近いものがあって、尼さんの僧服に対するエロティシズムであるという。
2004年に発表された英映画雑誌「エンパイア」が選んだ「映画の怪物・怪獣ベスト10」で、米映画『キングコング』(1933年)の主人公キングコングがトップに輝いたが、日本からは8位に、近未来の地球を舞台にしたアニメ映画『AKIRA』(大友克洋監督88年)の怪物的な超能力を身に付けた少年、鉄雄が選ばれた。日本の怪獣というとゴジラだが、ゴジラはベスト10に入らなかった。ちなみに、2位は『アルゴ探検隊の大冒険』(63年)に登場する青銅の巨人タロス、3位は『エイリアン』(79年)の異星生物エイリアンである。
どうして、日本の文化力が強くなったのか。東浩紀が『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)で次のように書いている。
ポストモダン化とは、近代の後に来るものを意味する。しかし日本はそもそも十分に近代化されていない。それはいままで欠点だと見なされてきたが、世界史の段階が近代からポストモダンへ移行しつつある現在、むしろ利点に変わりつつある。十分に近代化されていないこの国は、逆にもっとも容易にポストモダン化されうるからだ。たとえば日本では、近代的な人間観が十分に浸透していないがゆれに、逆にポストモダン的な主体の崩壊にも抵抗感なく適応することができる。そのようにして二一世紀の日本は、高い科学技術と爛熟した消費社会を教授する最先端の国家へと変貌を遂げるだろう……。
□ 宇多田ヒカルがUTADAとして世界にデビューするという。世界で最初にヒットした日本の曲は「上を向いて歩こう」だった。小学校の先生が「これは向上心を表した、いい曲だ」と話していたにもかかわらず、「スキヤキ・ソング」としてヒットし、内容も「君と一緒に食べたスキヤキ美味しかったよ」なんて、話になっていて永六輔が講演で怒っていた。
エチオピアの空港では北島三郎の「与作」が流れているというし、フランスではジュリーが人気だという。五輪真弓がインドネシアなんかで人気とか、どこで誰が人気になっているか分からない。
□ ちょっとだけ言語学的な話になると海外で人気のあるものの多くが「〜ん」で終わる。『羅生門』『地獄門』『将軍』がそうだし、『おしん』もそうだ。
やはり発音しやすいタイトルの方が受けるのである。
□ 『おしん』がアジアで受けて、欧米では受けなかったことの理由の一つはアジアの人々が日本人も戦争中に苦労していたことや、貧しい日本人が成功した理由を目の当たりにできたからであろう。
こうした伝播力の可能性を「普及可能性」(diffusibility)という。
岩男壽美子は『テレビドラマのメッセージ』(勁草書房2000)の中で『おしん』が海外で受け、『ダラス』が日本で受けなかったことを社会心理学的に分析している。
『ダラス』に関してはストーリーの整合性の欠如、リアリティの欠如、ジャンルの不一致(ホームドラマともいえなかった)、タイトルへの違和感(ダラスにはケネディ暗殺のイメージしかない、『愛と哀しみの街』くらいでないと)、柔軟な道徳性と繊細な美学(アメリカ人には魅力だったのが)が受け入れられなかった。
もっといえば、日本人は疲れるような番組を見たくなかったのであり、ストーリーが複雑になればなるほど、人気が出なかったようだ。
□ 中国へ行った時、どこへ行っても「北国の春」が歌われていたが、好みの違いである。そして、みんな大好きな日本映画というのが『君よ、憤怒の河を渡れ』だった。日本では「憤怒」を「ふんぬ」でなくて「ふんど」と読むことに対して憤怒の抗議があったくらいで、誰も知らない映画だったが、中国では本格的なアクション映画ということで大ヒットした。そして主演の中野良子は日本で最高の女優だと思われていた。
ちなみに、「上を向いて歩こう」がアメリカで「スキヤキ(ソング)」になっているのはよく知られている。鈴木章治の「鈴懸の径」は「スシ」になっていると村上春樹が書いていた。
『将軍』に出た島田陽子も同じような理由でアメリカでは日本で最高の女優だと思われている。
京マチ子は今の若い人は知らないかもしれないが、世界的に一番有名な日本の女優だ。黒澤の『羅生門』、小津の『浮草』、溝口の『雨月物語』に出ているから、当然といえば当然である。
□ ジャン=リュック・ゴダールが2002年に来日した時、「日本には溝口、黒澤、小津ら何人かの映画作家は存在したけれども、日本映画は存在しなかった。日本映画とは、日本とは何か、どうなりたいのかを表現し、日本の国、民族全体の顔が見える映画のことだ」と論じた。途中、北野武監督の名前を挙げ「わたしが今、日本で気に入っているのは『HANA−BI』。それは日本映画だからではなく、普遍的な映画だから。登場人物が一重まぶた(日本人)とは気づかないで見ることができる」とその手腕を認めた。また、1959年に発表した初の長編映画『勝手にしやがれ』は、主人公の青年(ジャンポール・ベルモンド)が自由奔放に生きる姿を小型カメラで撮影、新鮮な印象を与え、“ヌーベルバーグ(新しい波)の旗手”といわれ、日本でも松竹の大島渚、篠田正浩、吉田喜重の各監督に影響を与えたが、ゴダールは「本当のヌーベルバーグはオオシマの『青春残酷物語』(1960年)からだと思う。ぼくやフランソワ・トリュフォーより早く作品を作っていた」と語ったが、こちらは外交辞令かも知れない。天皇陛下に「日本の映画監督で好きな人はいますか」に聞かれると、溝口健二の名を挙げ、「『雨月物語』などを見ると、映像の美しさに5分で涙が出てくる」と話した。
日本人が「一重まぶた」(5歳未満では5人中4人だが、45歳になると脂肪の量の変化で逆転する)として知られているなんて、あまり思ってもみなかったが、嬉しいことに、最近ではアメリカの女の子が日本人の黒髪や一重まぶたが大好きになっているという。アニメの影響が大きいからだ。
もちろん、他の映画監督も日本映画の良さを知っている。アラン・ドロンの映画に『サムライ』(J・P・メルヴィル監督)があり、ジム・ジャームッシュは『ゴースト・ドッグ』で寡黙な殺し屋に『葉隠』を読ませていた。
日本で知られず、外国で知られている代表はSessueである。デビッド・リーン監督の『戦場にかける橋』にも出演した早川雪洲は日本人が忘れた大俳優である。日本の国際スターの先駆者である。
そして、彼の名前は“sessue”という英語で残っている。
これはハリウッドで背が低い俳優を堂々と見せるために使われた足台のことを指した。
□ 日本では「切腹」というものを英語で“harakiri”というのも珍しい。“moxa”(お灸のもくさ)などというものも英語になっている。ウィリアム・テンプルというスウィフトが書生をしていた外交官に“An essay upon the cure of the gout by moxa”(1861年)というエッセーもあるくらいだ。オランダに大使として赴任中のテンプルが痛風の発作を治すのに友人からもぐさ療法を勧められて試してみると、見事に治ったので、効用を説いたのである。
フランスのシラク大統領が相撲ファンだというのはよく知られている。愛犬を「sumo」と名付けていたし、小渕首相が日仏首脳会談でパリを訪れた時の贈り物は、横綱貴乃花が初めて土俵入りしたときの綱と行司の軍配だった。2005年開かれた「愛・地球博」の招致合戦はカナダとの間で繰り広げられた。そのさなかの96年、フランス政府代表のベルナール・テステュは、なぜフランスは日本を支持するのかカナダの外交官に詰問されて「わが国の大統領は日本を愛しています。いいですか、大統領は日本を好きなのではない、日本に恋しているのです。大統領は、日本を抱きしめ、日本にわが身を抱きしめられたいと思っています。日本の文化も芸術も伝統も、すべて自分のものにしたいと思っています。日本がこの世に多くのものをもたらしてくれたことを、心から神に感謝しているのです」と答えた(テステュ『万博のパンドラの箱』講談社出版サービスセンター)。そのせいか、フランス語には“le sumotori”という日本語も定着している。シラクはモンゴル人だらけの相撲をどう思っただろう。
2009年に『回想録』(幼少から1995年の大統領当選まで)の第1巻を刊行したが、「日本にいると、自宅にいるかのように完全にくつろぐ」と書いた上で、特に相撲から人生に関する多くの教訓を学んだことを明らかにした。日本などアジア文化との出会いは高校時代に通ったパリのギメ美術館だったとした上で「日本に行くたびに、ギメ美術館で仏像を鑑賞していた(青年期の)ころの感情に戻る」と告白した。相撲については、特に仕切りの美学を激賞。「戦いの前に、2人の力士が相互ににらみ合う視線以上に強いまなざしを知らない」と記し、「この儀式は、他者に理解を求めたり、説得する際の方法に関して私に多くを教えてくれた」「相撲は私にとり人生の授業だった。あきらめてはいけないこと、勝敗が決する最後の瞬間まで戦うことを教えてくれた」と述懐している。
なぜか、“judoka”(柔道家)という日本ではあまり使わない単語もある。シラクは土偶と埴輪の区別がつくほどの日本通であった。フランスの文化大臣で文豪のアンドレ・マルローも精神性と徳を何より重んじる日本の文化を愛し、日本を評して「永遠の国」と呼んだ。
フランスのロベールやラルースを探してみると、Kだけでも「カラテ、カキ(柿=diosphyrus kaki「神の愛する柿」という学名でpersimmonは北米原産だが日本の柿は19世紀後半にカリフォルニアに渡った/イタリアではcachi、スペイン語ではcaqui=カキと発音)、カケモノ(掛け軸)、キモノ、カブキ、ケンドー、カラオケがある。サケ、スシはもちろん載っているし、フグまで載っているのはウェブスター辞書同様の伝統だ。カッパがあると思ったら、ギリシャ語のκだった。柿についてはアーサー・ビナードが『日本語ぽこりぽこり』(小学館)の中で日本に来てびっくりした話を紹介している(奇妙なタイトルは漱石の「古井戸やぽこりぽこりと真桑瓜」から)。
何しろ、フランスでは「日本化する」ことを“tatamiser”(畳化する)という国なのだ。芸術と技術の統合を目指した造形学校バウハウスの初代校長を務めたドイツ出身の建築家グロピウスは「タタミというものが尺度になって人体的な関係を保ちながらよく調和したものを生み出している……日本人はタタミの上に座ることからイスも、ベッドも必要ではなく」と畳の生活の簡素な美しさを讃えている。日本の建築を視察した時、多くの人から「タタミ廃止論」を聞いたという。「私は伝統とのつながりを忘れて、いきなり新しいものに飛び付いてゆくことは危険だと思う」と述べている。畳や蒲団の良さはもっと世界に知ってもらいたいものだ。
“zen”という言葉も人気で、coolの意味で使われているし、曲もある。TGFは予約時に"iDZEN"(静かな車両)か"iDZAP"(騒がしい車両)かを選べ、前者はケータイ、メール、見知らぬ人との私語も禁止の車両なのだという。子供も乗車できない。
フランス語は性別があるが、tempuraは女性名詞、sushiは男性名詞となっていて、それぞれラテン語で女性単数、男性複数と形が同じだからである。そのうち、umamiという味自体が外国語になるはずである。
『プリティ・プリンセス2』というジェノヴィア王国を舞台にしたラブストーリーでクラリス女王(ジュリー・アンドリュース)は孫の結婚を心配してパーティーを開く。一曲どうぞと勧められて「カラオケはしないの」(Queens rarely do karaoke.)と言う。高貴な人はまだまだ本物のオケだということなのだろう。フランスでは「赤子の手をひねるくらい簡単」を「カラオケのように簡単」(simple comme karaoke)というらしい(普通はsimple comme bonjour)。
□ 加藤秀俊・熊倉功夫編『外国語になった日本語の事典』(岩波書店1999)には日本語や日本文化が海外でどのように受け入れられたか興味深く書いてある。取りあげられている言葉は次の通りである。
アイヌ、生花、浮世絵、漆、沖縄、温泉、歌舞伎、カラオケ、着物、銀杏(ginkgo)、黒潮、芸者、系列、碁、交番、酒、侍、指圧、渋い、柔道、将軍、障子、醤油、人力車、鋤焼き、寿司、相撲、禅、大名、畳、茶の湯、津波、豆腐、長崎、二世、忍者、根付、能、俳句、腹切り、武士道、蒲団、弁当、坊主(bonze)、盆栽、漫画、御門、やくざ、楽【焼き】、ラーメン(larmen)。
□ 柴田元幸『舶来文学柴田商店』(新書館)によれば、ケンブリッジ・エンサイクロペディアに“depaato”という項目があるという。
日本のデパートのこと。東京初のdepaatoである三越(別名「日本のハロッズ」)の開店は1904年で、現在全国主要都市に14の支店を持つ。日本人家族によるdepaato訪問は、単に買い物に出かけるというにとどまらず、一日がかりの外出、もしくは社交行事という性格を帯びており、特に週末に盛んである。Depaatoはすぐれたサービスを誇り、屋上やレストランもあり、展覧会などの催し物も行う。(柴田訳)
他にも“pachinko”とか“yakuza”といった項目もあり、“pachinko hall”と“boryokudan”の共存関係が記述されていたりするという。
森本哲郎の『日本語根ほり葉ほり』によれば、「けじめ」という言葉がロッキード汚職やリクルート事件の渦中に、盛んに使われ、自民党内に「けじめ委員会」がつくられた。この時、海外の新聞特派員はどう訳したらいいか困り、“kejime”とそのまま使ったという。
OEDに入った日本語としてはkogai,itai-itai,Minamata disease, yusho, Kawasaki diseaseが入っていて、川崎病以外は公害関係だ。
□ 映画を見ていて驚いたのはオリバー・ストーンの映画『JFK』に(spiritual advisor: Naijo No Ko) というのが出てきたことだ。1988年の『トーク・レディオ』から使っているようだ。奥さんのエリザベスの仕事を指している。「内助の功」なんて今の日本にはないじょ。
□ 今は日本のライフスタイル自体が模倣されてきているのだ。アメリカ人が日本食を食べるのもそうだ。オーストラリアは昔、大腸ガンが多く、その当時の日本は少なく、魚を多く食べるということが分かって、魚を食べることを広めた。フランスでは最近、靴を脱いで部屋に入る人が増えているという。
枝豆も外国では人気が出てきた。そのままedamameで通用している。メグ・ライアンの『ニューヨークの恋人』ではメグの上司のJJがいつもオフィスに枝豆をもっていて、「エダマメ」といって勧めたりする。
□ “satsuma”という英語を知っているだろうか?
これはOEDにも載っていて、OEDでは「薩摩焼」も記述してある(初出は1882年で学術雑誌の中に「日本から来たオレンジの一種サツマ」という文がある)が、多くの英語辞書には「薩摩ミカン」Citrus reticulataとして記述してあるのだ。薩摩みかんを食べたことがある日本人は少ないだろう。"Kid Glove" orangeといわれることもある。皮が子どもに剥きやすいからだ。もともとミカンは“tangerine”または“mandarin”とされた。Tangerineはモロッコのタンジール(Tangier)が原産ということから来ていて、日本のミカンに近いものだという。は中国浙江省南部の温州産のミカンを指していたと考えられる。Mandarinの元来の意味は「中国清朝の高級官僚」の意味で、言語学者のチョムスキーが“American power and the new mandarins”という本を出した時、どんな本か想像できなかったことを思い出した(邦題は『アメリカン・パワーと新官僚』となった)。高級官僚は黄色い服を着ていたことから、この果物の名前に使われるようになったのだが、これが薩摩藩に渡来して、日本のミカンになった。そこから、ミカンが“satsuma”と呼ばれるようになり、アメリカ西海岸などで定着してしまったものと考えられる。ちなみに、mikanという言葉も英語に入っているが、実際に使われているとは思えない。
更にkudzuというのがあって、spread like kudzuというと「(悪いものが)はびこる」ことをいう。日本の「葛」kudzuアメリカに浸食防止で持ち込まれ、その後、はびこってしまったのだ(OEDでは1893年に初出)。
驚いたことにzaitech(財テク)という日本では廃語になったような言葉も載っている。Suntoryも入っている。なぜだ!
蕎麦(ソバ)のことを英語で“buckwheat noodles”とか、そのまま“soba”というが、フランス語では“sarrasin”(サラザン)という。これはサラセン人(つまり、異境の人々、アラブ人)が持ってきたものと信じられているからである。妻はブルターニュの大学の開校式に歌いに行ったことがあるが、ブルターニュのクレープはガレット(galette)蕎麦粉で作っていたという。蕎麦というのは荒れ地でも育つので、主食として食べられていたのだという。木村尚三郎『ヨーロッパ思索紀行』(NHKブックス)を読んでいたら、クレープとフレンチ・トーストのルーツがブルターニュでつながると書いてあった。
米原万里『心臓に毛が生えている理由』(角川学芸出版)にも「蕎を伝播した戦争」という論考があり、ロシア語でグレチーハ、グレチカ(ギリシャ女)というのだが、最初に栽培したのが四〇〇〇年ほど前のインドで、実の色から「黒い麦」と呼ばれていた。ギリシャにはアレクサンダー大王が遠征の末持ち帰った。ギリシャから黒海沿岸のギリシャ人植民地を経てロシアの祖スラブ人社会に入ってきたので、「ギリシャ女」と呼ばれるのだという。「蕎がその版図を広げていくのに、戦争わけても遠征の果たした役割の大きさに息を呑む」と結論づけている。
□ 世界と日本の嗜好が違うのは、ちょうど僕が世界中のネットワーカーに知られていて学内ではほとんど知られてないのと同様である (^-^;
【1999年3月初掲------未完】
※最後のは冗談だからね。世界にも知られてないし、学内でも知られてない。知ってるのはあなただけ…。
※「徹夜の留学生」さんが掲示板に書き込んだのを紹介します。
「そして誰も知らなかった」良かったです。
まだアメリカにいるんですけど、ホント悲しくなるほど文化、常識のずれはよく感じます。
そして、とてももどかしい事です。特に英語に対する外来語がもどかしいです。
日本語を発音されても解らない事がややあります。
たとえば、「神風」がカンマカージーとしか聞こえなくて、一年過ぎてから、説明付きでやっと、日本語を話してるつもりだと気付いた。
大体なんでそんな言葉今頃・・・(・・;)。
あと、カラオケをカラオーキーと言うのも許せないけど、
まあ、私の名前も彼らにはとても発音しにくいし、彼らの名前も発音しにくいものはあるから・・・(><;)。しゃーないなー、としか言いよーが無い。※南野輝さんから日本のテレビ局でも「セッシュする」を使っているとのメールがありました。
米川明彦『業界用語辞典』(東京堂)を見て笑ってしまった。「雪舟する」となっていたからだ。「雪洲」ではなく早川「雪舟」となっていた!
※中村さんから次のようなメールが来た。
私は現在イギリスのケンブリッジに住んでいるのですが、
最近スーパーで買ったスペイン産のミカンのラベルに「SATSUMAS」と
書いてあったのです。※コリンズ英語辞典には次のような語が載った。
2001年12月3日発行された英国の権威ある辞書コリンズ・イングリッシュ・ディクショナリーの新版が、「Ramen」(ラーメン)や「Bento」(弁当)「Gaijin」(外人)など新たに八つの日本語を掲載した。
この辞書は英語を英語で説明する日本の国語辞典に当たるもので、オックスフォード辞書と並ぶ権威。
残りは「パチンコ」「霊気」「ワサビ」「そば」「うどん」。これで掲載されている日本語は百二十余りになった。
食べ物が多いが、古参の「すし」や「てんぷら」などに加え、今回は一層庶民的な食文化を代表する語が増えた。
ヨガなどと並び英国で流行している「Reiki」(霊気)の登場は異色。辞書は「(名詞・日本語)癒やしと元気回復のために患者にエネルギーを与えると考えられている治療法」と説明している。
※オックスフォード英語辞典」は2002年1月18日、同辞典のインターネット版(301500単語収録)に、「karoshi」(過労死)や「keiretsu」(系列)などを新たに加えると発表した。インターネット版は辞典を基に年に四回改訂され、2000年3月以来、日本語は30単語以上が外来語として加えられている。
インターネット版では、過労死は「働き過ぎによる死亡」、系列は「下請け業者のネットワーク」と説明されている。バブル以前から続く日本の社会問題「過労死」と、財閥時代から続く日本の代表的企業形態「系列」を完全に正確に説明する英単語がないことから、これらの日本語が、英語としても認知された格好だ。
1884年創刊の同辞典は、シェイクスピアが活躍した17世紀に言葉として使われていた「wacadash」(脇差し)や、朝鮮戦争当時に米兵が覚えて“米語”となり、さらに大西洋を渡り“英語”となったとされる「honcho」(班長=リーダーの意味)などを掲載してきた歴史がある。
この辞典は、一部の例外を除き、採用された単語は削除されることはない。現在の収録単語は約291500語。
新しいところでは料理で“umami”が日本独自の味、今までに考えられなかった味として広がりつつある。
“kawaii”がオタク文化の輸出とともに広まっていった。この言葉のすごいのは形容詞として入ったということだ。cuteではバカにした感じがあるし、prettyも大人には使えない。その隙間に入った言葉なのだ。
2005年に次のようなコラムが載った。
「かわいい」
世界で5番目のディズニーランドが香港にできた。狙いは、中国本土からやってくる羽振りのいい観光客だ。開業してみると、思った通り中国人客がどっと詰めかけた▲香港紙に中国人客の反応が出ていた。記者が「印象は?」と聞く。「kawaii」と、杭州から来た女子大生が答えている。「かわいい」という若者言葉は、台湾や香港では前から使われていたが、中国にも浸透していることがわかる▲漢字で書けば「か(上と下を合体した漢字)哇伊(わい)」だが、全くの当て字だ。ほとんど漢字を意識しないままで使われている。キティちゃんのようなキャラクター商品やコミックとともに日本から発信されて、いまや英語圏を含めた世界共通の若者言葉となった▲「かわいい」と反対の若者言葉は「さむい」。だじゃれをうっかり口にすると「さむーい」と言われる。あの「さむい」も、いつのまにか日本漫画を通じて漢字文化圏に浸透した。中国のネットで使われる「寒(ハン)!」という感嘆詞だ。ネットには、さようならの意味で「8181(バイバイ)」などという脱漢字語もある▲若者たちの使う新語は、世代間の文化の違いを映し出す鏡だ。年長世代には伝統の破壊とも映るだろう。中国では「国家言語文字法で取り締まれ」という強硬論が出ているという。若者言葉というわけではないが、日本ではカタカナ語の言い換えを国立国語研究所が提案している▲最近の第4弾では「トラウマ」を「心の傷」、「ヒートアイランド」を「都市高温化」とするなど35の言葉が対象になった。言葉はだれにも通じなければ困るから整理は必要だが、「かわいい」が世界に広がったのは、その裏付けとなる若者文化が支持されているからだ。あまり心配しなくても新語がみな残るわけではないだろう。
毎日新聞 2005年10月17日 1時14分※そして2005年に四方田犬彦の『かわいい論』(ちくま新書)が出た。
※2006年に『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』(深作健太監督)が、世界4カ国で上映されることが分かった。ドイツ公開が決定し、英国、フランス、米国からも複数のオファーがあって近く正式決定の見通しだ。英語タイトルは『YO−YO GIRL COP』。人気の下地はできていた。欧米では最近、セーラー服をはじめ日本の若者文化が急速に浸透しつつある。クエンティン・タランティーノ監督の「キル・ビル」シリーズで日本の女子高校生の制服が紹介され、米国では制服コスプレバンドが大人気になった。
※どうして日本が愛されるか、ということを内田樹は次のようにブログで書いている。
こういうことについて、女子学生たちの情報伝達は光より速い。
私はCanCam型の「みんなに愛されるラブリーな女の子」志向は、そのふやけた外見とはうらはらに、実は私たちの社会がより生きることがむずかしい社会になりつつあるという痛ましい現実をシビアに映し出していると思う。
「オレはオレの好きに生きるぜ」というようなお気楽なことが言えるのは、社会が豊かで、どう転んでも飢える心配がないときだけである。
逆に、「みんなに愛されたい」というようなプリティなことが繰り返し表明されるのは、そうでもしないと生き残れないというくらいに私たちの社会がリスキーなものになりつつあることの現れである。
そして、私はこの「めちゃモテ」戦略は実は深いところで日本人の本態に根差しているのではないかと思っている。
何の話かというと「九条」である。
あれは、よく考えたら、国際関係における「めちゃモテぷっくり唇」なのである。
「私はみなさんにぜえ〜ったい危害を加えることはありません。うふ。」
というあれは意思表示になっているのではないか。
私は以前、どうして日本ではイスラム原理主義者のテロが起こらないかについて考察したときに、日本でテロをしたら「テロリスト仲間から村八分にされる」からではないかという結論を得たことがある。
だって、日本でテロをするなんて、「赤子の手をひねる」ようなものだからだ。
私がテロリストだったら、そんなやつが手柄顔をすることは決して認めない。
「お前、テロリストの美学に照らして恥ずかしくないのか」と顔に唾を吐きかけることであろう。
日本がそのナショナル・セキュリティを維持できているのは、「とってもラブリーな」国だからである。
例えばの話、テロリストだって、たまには息抜きしたい。
そのときに家族旅行をするとして、どこに行くだろう。
水と安全がただで、道ばたに置き忘れた荷物が交番に届けられていて、ご飯が美味しくて、温泉が出て、接客サービスが世界一で、どこでも「プライスレス」の笑顔がふるまわれるところがあるとしたら、「そういう場所」は戦士たちの心身の休息のためにもできれば温存しておいたほうがいい、と考えるのではないか。
それはテロリストたちが(自分たちの闘争資金を預けてある)スイスの銀行を襲わないのと同じ理由である。
日本人は「ラブリー」であることによってリスクをヘッジしている。
おそらくこれは1500年来「中華の属国」として生きてきた日本人のDNAに含まれる種族的なマインドなのである。
アメリカにもラブリー、中国にもラブリー、韓国にもラブリー、台湾にもラブリー、ロシアにもラブリー。
みんなにちょっとずつ愛されるそんな「CanCamな日本」であることが21世紀の国際社会を最小のコスト、最低のリスクで生き抜く戦略だということを無意識のうちに日本人たちは気づき始めているのではないか。※2007年9月に「KOHKIN(抗菌)」の文字をあしらった日本生まれのマークが国際商標になることが決まった。日本の「抗菌製品技術協議会」(SIAA)が定める抗菌性評価の試験方法をこのほど、国際標準化機構が国際規格として承認。これを受け、SIAAがこれまでの国内向けに加えて英語版のマークを作成、海外展開を図る。日本企業が得意な抗菌が「KAIZEN」と同様、世界に通用する日本語になるかも。でも、人間に対しても「抗菌」とか言われると困るけど。
※四方田犬彦は『驢馬とスープ』(ポプラ社)の中で「日本のいいところ(要約)」という文を書いている。日本にいる時は日本を批判しよう、外国で日本のことを知らない人から無知と偏見に満ちた言葉を浴びせかけられたら堂々と日本を擁護しよう、という。そして、日本が歴史的に優れているところは…。
1.世界に先駆けて死刑を廃止した国家であったこと。
2.同様に、ほぼ千年にわたって基本的に菜食主義であったこと。
3.近代の発展期において、ほぼ3世紀にわたり内乱も侵略戦争も行わなかったこと。
4.小さなもの、かわいいもの、壊れやすいものに情熱を傾け、職人芸を尊重する社会であったこと。
5.翻訳大国であること。【…】じゃあ、逆に日本の悪いところは、って?
そんなものいまさらここに書くまでもないだろう。歴史教科書の虚偽からお子様ナショナリズムまで掃いて捨てるほどにある。自分で考えてみてください。※料理も認められつつある。2007年からミシュランが発行されたが、最初に星3つが8店もああり、計150店に星が付いた。一つ以上の星を得た店はニューヨークで39店、パリでも64店だ。
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