コーヒースプーン一杯の人生 For I have known them all already, known them all,
Have known the evenings, mornings, afternoons
I have measured out my life with coffee spoons.----------T.S.Eliot
朝の一杯のコーヒーは、大げさではなく、ああ生きてるなっていう感じを与えてくれる。
少なくとも僕の朝はコーヒーがないと始まらない。米原万里『心臓に毛が生えている理由』(角川学芸出版)が書いている。
コーヒーのおかげで頭と心がブレイクする瞬間は、まさに、
「コーヒーという物的飲み物の非物的娘である」と表現したくなるのだ。いろいろなタイプのコーヒーを飲んできたが、今ではコーヒーメーカーで簡単に入れている。
時々、おいしいね、と言われると「コーヒーを入れて30年は立つからね」というが、実際、いろんな入れ方をしてきた。サイフォンで入れたり、エスプレッソで入れたり、ネルのフィルターで入れたりという時代があったのだ。
ネルの後はペーパーフィルターを使っているが、最初、MelitaとKalitaの違いが分からなくて困った。カリタはメリタのアイデアをカリタものだったが、大きな違いは抽出孔が前者が1つ、後者が3つということだった。パーパーフィルターはタンニンやタールも除去するので少し味が軽くなる。
結構、みんな忘れることにカップを温める作業がある。紅茶はもちろんだが、コーヒーも冷たいカップでコーヒーの温度を下げるとまずくなる。もちろん、カップも薄手の方がおいしい。マグでは繊細さがなくなる。
ミルでゆっくり挽いたこともあったが、電動ミルになって久しい。最初から挽いたコーヒー豆を買うことさえある。
豆もローストをしているところまでわざわざ買いに走ったこともあった。
生の豆を買ってきて(今はどこにもあるだろうが、昔は手に入らなくて高島屋で買っていた)ローストしたこともある。生っちろい色のコーヒーを焦がしていくのは楽しみなものだが、かなりの時間がかかる。
コーヒーの木を見たことがあるだろうか?
甘い香りのする、可愛い白い花を咲かせた後、アカネ科の植物なので「ルビー」とよばれる真っ赤な実が結ぶ。この実をみんなで摘み、表皮をむいて「種」を乾燥させると生の豆になる(日本語も「コーヒー豆」だし、英語もcoffee beansだが、イタリア語ではlegumi di caffeとはいわないで、chicchi di caffe「コーヒーの種」という)。
原産地はエチオピア付近だといわれるが、コーヒーを飲んだ始まりは千年ほど前で、中近東のイスラム僧が修行中の覚醒のために使ったとされる。
■ そんな手間暇をかけて作られるコーヒーだけに、自分でも手間暇をかけて飲むことが多かったが、最近では通信販売で買うことが多くなった。
僕のコーヒー道は軟弱への一本道だったらしい。
■ 学生時代、チェコ語の専門家の千野栄一先生の家に、ポリネシア語の専門家・土田滋先生たちと酔っぱらって泊まったことがある。朝になって千野先生がトルコ・コーヒーを入れてあげる、という。珍しいものだから即座にお願いします、といった。トルコ・コーヒーというのはイブリックという、メルティングポットみたいな専門の器具を使って煮るように作るものだ。
すっかり期待して待っていると、先生はコーヒーカップに挽いたコーヒーをおもむろに入れ、その上からぐらぐらっと沸いた熱湯を注ぎ、「ハイ、トルコ・コーヒー。上澄みだけを飲んでね」といわれた。
そういう飲み方があるとは知らなかったし、何という入れ方だろうと思っていたのだが、後々、チェコではそういう風にコーヒーを入れる習慣があることを本で知った。
トルコの人々は、よくコーヒーをたしなみ、訪れる人があれば、これを振る舞ってもてなすという。「一杯のコーヒーに四十年の思い出がある」ということわざがある。『世界ことわざ大事典』(大修館)には「四十年とは長い年月の意味。ちょっとした親切も忘れられないもの」と解説してある。
トルコ・コーヒーと違って水出しコーヒーもある。ダッチ・コーヒーとか、ウオーター・ドリッパー・コーヒーともいうが、旧オランダ領東インドで考案されたことから、ダッチとなった。ゆっくりと時間をかけて抽出するので、脂肪分などの雑味が含まれず、渋さがないまろやかな風味になる。
ベトナム・コーヒーというのもある。甘いコンデンスミルクを入れるので、僕は苦手だが、バターを入れて深く焙煎するので、独特の香ばしい深みのある豆ができ上がるという。
ジョージ・オーウェルが、ウィリアム・モリスと近づきになって間もなくBBCの喫茶室に紅茶を飲みに行ったという。この時、オーウェルは紅茶をカップから受け皿に移して音を出して飲んだ(飯沼馨「ジョージ・オーウェルとその一面」『作家と政治』研究社所収)。
風習というのは実に不思議なものだ。小野二郎の『紅茶を受け皿で』という研究書がある。小野はこれを嫌がらせだと思っていたが、調査した結果、紅茶がイギリスに渡った初期のころ、受け皿に移して飲む習慣が実在したことをつきとめる。当時のカップには取っ手がなく、熱い茶を入れると指にじかに熱が伝わってたまらない。そこで受け皿に移すときだけカップを持つようにしていたようだ。取っ手がついてからもそのまま受け皿で飲む習慣が残っていたのだ。そして、下層の人々にその習慣が残っていて、風刺画にも残っていることが分かる。
他にも貴族の茶会へ招いてくれたホストへの感謝の気持ちを表す礼儀であったとか、猫舌の人が熱い紅茶を冷ますためなど、色々な説があるが、本当のところは何も分かっていない。これと関係があるのか知らないが、紅茶を飲む時は受け皿ごと持って飲む習慣がある。
全く余談だが、イギリスは紅茶でアメリカはコーヒーと決まっているが、これはボストン茶会事件(Boston Tea Pary)に始まる。当時、イギリスは茶条例というのを作って、紅茶に高い関税をかけて植民地だったアメリカに売っていた。高くなりすぎて、そんなお茶は飲まないとアメリカ人は怒ってしまった。それで、専売権をもっていた東インド会社の船がボストン港にいっぱい停泊していたので、怒った若者たちが紅茶を全部捨てて事件となった。そして独立戦争につながるのだが、この時からアメリカ人は紅茶を飲まなくなった。アメリカのコーヒーが薄い味の「アメリカン」として知られているが、これは紅茶の味を再現しようとしたなごりだとも言われている。
それでも、立派な商売人はいるもので、リプトンという男がポットを使わなくても紅茶が飲めるようにした。これがティーバッグの由来とされる。
レストランでコーヒーを注文すると、食事中ですか食後ですか?と聞かれる。イギリス人は食後と決めているので、食事中に飲むアメリカ人のことをマナーを知らない奴らだと軽蔑するという。まあ、どうしたって、両国は折り合うことはなさそうだが…。
ちなみに、『不思議の国のアリス』ではマッド・ハッターのティーパーティ(A Mad Hatter's Tea Party)が有名だ。どうして「気違い帽子屋」になるかというと、昔は帽子を作るのに水銀を使っていて、それが蓄積されて「気違い」になる人が多かったからだ。
■ ヨーロッパではコーヒーハウスが盛んだったし、日本でも喫茶店が盛んだったことがある。電話も何もない時代にはフェイス・トゥ・フェイス・コミュニケーションが大切で、これが得られるのがコーヒーハウスだったのだ。
ジョンソン博士の英語辞典にはコーヒーについて触れた部分が30個所以上もあるという(ヘンリー・ヒッチングズ『ジョンソン博士と『英語辞典』』みすず書房)。コーヒーハウスの定義は「気晴らしをする場所で、客はコーヒーを飲みながら新聞を読むことができる」とし、コーヒーが17世紀初頭にイエメンからヨーロッパに初めて輸入され、最初のコーヒーハウスは1648年にヴェニスのサンマルコ広場に出来て、その5年後にイギリスで第一店舗が開業したということも「コーヒー」の項目で説明している。
イギリスにはロイズという保険市場があるが、もともと1688年ごろにエドワード・ロイドという人物がコーヒー・ハウスを開き、保険業者たちがその店にたむろして取引の場として利用していたことに由来する。そこには船員たちも集まってきたのだが、当然、賭けもされたことだろう。エドワードが死去したあと、取引の場を失った保険業者たちが資金を出し合って、人を雇って新たにロイズ・コーヒー・ハウス(ロイドのコーヒー店)と名づけたコーヒー店を自分たちのために開かせた。時代とともにコーヒー・ハウスではなくなったが、ロイズ (Lloyd's) という名前はそのまま残った。
パリでは1686年にランシェンヌ・コメディ通りにシチリア人のプロコピオが「カフェ・プロコップ」を店開きして、アラブ伝来のシャーベットを出して人気を博した。ラ・フォンテーヌ、ヴォルテール、ディドロ、ダランベール、ダントン、ロベスピエール、バルザック、ユゴー、ヴェルレーヌなどの哲学者が呉越同舟で集まったという。
ある日、デカルトが友人と喫茶店に入った。友人が「このコーヒーは絶品だね。君もそう思わないかね?」と言うと、デカルトは「私は思わない」と言った。その瞬間デカルトは消え去った…。
こうしたことから、コーヒーハウスを「ペニー大学」(penny university)と呼ぶこともあった。早くコーヒーを飲みたい人は一ペニー余計に払ったのだが、ここからチップの習慣が生まれたとされる。
ちなみに、井上ひさしの『ボローニャ紀行』(文藝春秋)でデカルトの話の変形を見つけた。
フランチェスコ・トッティは天才的なサッカー選手の上に美男だが、噂ではあまり頭を使わない。あるときバチカンで、その前でウソをつくとたちまち姿が消えるという不思議な鏡が発見された。トッティと二人の選手が鏡の前に立つ。まず一人が「僕は思う(Io penso...)。ピエーリが僕は世界一のプレーヤー」というと、一瞬に彼の姿が消えた。ガットゥーゾが「僕は思う。世界一の美男子」というと、むろん姿が消える。最後にトッティが「僕は思う」といったとたんに消え去った…。
日本の喫茶店について2008年4月13日読売新聞「編集手帳」が面白かった。
きょうはコーヒー党にとって特別な日だ。ちょうど120年前、日本初の本格喫茶「可否茶館」が東京・下谷で開店した。1888年(明治21年)4月13日付の小紙に開業広告が載っている◆〈欧米の華麗に我国(わがくに)の優美を加減し、此処(ここ)に商ふ珈琲(コーヒー)なり〉〈珈琲の美味なる、思はず腮(えら)を置き忘れん事、疑(うたがい)なし〉◆腮を忘れる、とは今は聞かない例えだが、ほっぺたが落ちるということか。ともかく、旨(うま)そうな香り漂う広告である。コーヒーを出すだけでなく国内外の新聞や雑誌をそろえ、知的で自由な談論風発の場を提供する洋館だったようだ◆当時の紙面をたぐってみると、「国政医学会、可否茶館で博士2人が討論」とか「理財協会が可否茶館で日本銀行の外国為替問題について討論会」といった記事が登場する。珈琲を店名で「可否」としたのは、ここで忌憚(きたん)なく物事の可否を論じ合われよ、との意を込めたのかもしれぬ。これは推測【…】
日本がすごいのは自動販売機の多さである。外国では自動販売機は金庫を無防備に出しておくものだから普及していないが、安全な日本ではどこに置いても大丈夫だ。缶コーヒーは日本の発明だという。UCC上島珈琲が開発したのだという。西洋ではコーヒーが食事とともに飲むものらしくて、缶コーヒーは普及していない。
■ もう一つ、思い出のコーヒーがある。ケニア山から下りてきて、ニェリという町の食堂に入った。チャパティとか色々なものを注文して、飲み物にカハワ(コーヒーのことでアラビア語から入った)を頼んだ。
すると、店員はまず、ホットミルクを持ってきて、次に缶に入ったインスタントコーヒーを持ってきた。つまり、ミルクにインスタントを入れて自分で作るシステムになっていたのだ。牧畜主体のケニアにはミルクを中心とした文化があることは知っていたが、コーヒーまでもミルク入りが当然のようになっているとは思わなかった。
■ ウィーンに行っても「ウィンナコーヒー」はないし、アメリカに「アメリカンコーヒー」はない。ミシェル・フーコーは『性の歴史1』の中で、19世紀まで同性愛は存在しなかったと書いている。プラトンの時代にもあったのではないか、という人がいるかもしれないが、当時は愛を分けては考えていなかったのである。「異常性愛」というものが考え出されて初めて「正常」なものが考え出されたのである。つまり、ウィンナコーヒーとかアメリカンコーヒーというのは現地の人にとっては「正常」なもので、わざわざ「ウィーン」とか「アメリカ」とか名前をつける必要がなかったのだ。
それにしても薄いものだから、『バクダッド・カフェ』では「茶色い水だ!」というドイツ女性ジャスミンは大きな魔法瓶にいつも手作りコーヒーを持ち歩いていた。
紅茶のことを緑茶と区別する時にはblack teaというが、イギリス人には通じないだろう。teaしかないのだから。
日本人が好きなblack coffeeというのも欧米人に聞くと砂糖なし、砂糖入りの両方で答えられることがある。つまり、ミルクの入っていないのが、ブラックコーヒーなのだ。フランス語でもcafe noirというとミルクに入っていないコーヒーを主に指す。彼らにはミルクの入ったcafe au laitが当たり前なのだ。
ボルちなみに、フランスのカフェ・オ・レはまるで丼みたいな、ボル(bol)と呼ばれる器で飲む。不思議だと思っていたのだが、鹿島茂『上等舶来・ふらんすモノ語り』(文藝春秋)にその秘密が書いてあった。ヨーロッパで牛乳は飲むものではなく、バターやチーズの原料にすぎなかった。牛乳は腐りやすく、変質したタンパクは毒性を持っていたからだ。ところが、医者が体にいいとかいうので近郊の農家へ出かけるものもいたし、街角で売られるようになり、結核の予防になるという噂が牛乳を飲む習慣をさらに広めた。ところが、搾りたての牛乳というのは匂いがきつくて飲みにくく、臭い消しに登場したのがコーヒーだったという。パストゥールの低温殺菌法の発明以後はカフェ・オ・レがフランス人の朝食に欠かせないアイテムとなった。宵越しのパンもカフェ・オ・レに浸ければ、おいしく食べられるからだ。『イル・ポスティーノ』でも硬い小さなパンをちぎって入れて、スープみたいにすくって食べていたからイタリアでも似たようなものなのだろう。
この伝統があって、ホテルでカフェ・オ・レを頼むとコーヒーと牛乳を同じ量だけ運んでくる。つまり、コーヒーに牛乳ではなく、牛乳にコーヒーを入れたものがカフェ・オ・レだったからだ。
■ コーヒーには色々な話があって先生や友人たちから聞いているとキリがない。一番傑作だったのはギリシャへ行った友人がコーヒーを飲もうとしたらレギュラーコーヒーよりもインスタントの方が高かった話だ。そういう話は色々な国で結構ある。理由は、インスタントの方がより多くの人の力を経ているからだという。
なるほど、見方によってそういうこともいえるのかと納得する。
ケニアで椅子を大量に注文したら最初の値段よりも高くなったという。安くなるはずだろうと文句をいったら「大量に作るから材料も人も多く必要になる」といわれたという。僕らはいつの間にか大量生産・大量消費を中心の思考に毒されてしまっている。
世界で一番高いコーヒーは『最高の人生の見つけ方』に出てくる。大富豪のエドワードが愛飲しているコーヒーがそうで、「コピ・ルアク」(Kopi Luwakでコピがコーヒーで、ルアクは麝香猫)という。インドネシアの島々に野生する麝香猫(ジャコウネコ)の糞から採った未消化のコーヒー豆なのである。
「食卓に珈琲の匂い流れ」 茨木のり子『詩集 食卓に珈琲の匂い流れ』
食卓に珈琲の匂い流れ
ふとつぶやいたひとりごと
あら
映画の台詞だったかしら
なにかの一行だったかしら
それとも私のからだの奥底から立ちのぼった溜息でしたか
豆から挽きたてのキリマンジャロ
いまさらながらにふりかえる
米も煙草も配給の
住まいは農家の納屋の二階
下では鶏がさわいでいた
さながら難民のようだった新婚時代
インスタントのネスカフェをのんだのはいつだったか
みんな貧しくて
それなのに
シンポジウムだサークルだと沸き立っていた
やっと珈琲がのめる時代
一滴一滴したたりおちる液体の香り静かな
日曜日の朝
食卓に珈琲の匂い流れ……
とつぶやいてみたい人々は
世界中で
さらに増えつづける■ 「天災は忘れたころにやって来る」で知られる寺田寅彦は東大の研究室の壁に「好きなもの、苺、珈琲、花、美人、ふところ手して宇宙見物」とローマ字の掛け物を飾ったという。寅彦は病気でコーヒーを1年以上飲めなかったことがある。久しぶりに味わうと周りの様子が違って見えた。なぜか愉快で仕方なく、世の中が祝福と希望に輝いて見えたという。気がつくと手にじっとり脂汗を握っていた。「人間というものはわずかな薬物によって支配されるあわれな存在である」と書いている(「コーヒー哲学序説」)。僕も寺田にならって研究室に「ちょっと待て、その一杯がブタにする」という掛け軸を飾っている。昔から研究室でコーヒーを入れているものだから、コーヒー大好き人間と思われているのだが、飲む量は一日2杯か3杯である。午後から飲むと眠れなくなるので飲まない。でも、好きだと思われていてわざわざ出されることが多くて断るのが大変だった。今はかなりずうずうしくなった。でも、断れないことも多い。「繊細な人間で……」と説明するのだが、誰も信じてくれないからだ。本当に困る。
ある日、名前はいえないけれど物理の先生の部屋(ええっ、物理は一人しかいないって?)に行くと「金川さん、コーヒー好きやろ。今日、いいコーヒーがあるから飲んでいって」といわれた。
出されたのはネスカフェのゴールドブレンドだった。メマイしている僕に追い打ちをかけるように「サービスして粉も砂糖もたっぷり入れたからね」。
映画評論家の品田雄吉が巨匠デヴィット・リーンに会った時の微笑ましい話がある。
私はデヴィッド・リーンに一度会ったことがあります。『インドへの道』という映画ができたとき、配給会社からロンドンへ行ってインタビューしてほしいと頼まれ、一人でロンドンへ行きました。最高級ホテルを定宿にしているとのことで、通訳の人と一緒に訪ねたら、もう七十歳はすぎていましたが、若々しく気さくな人でした。
「何を飲むか」と聞きます、「コーヒーをいただきます」といったら、「ここのコーヒーはまずいから、ネスカフェにしなさい」という。それで電話で注文しています。何が出てくるかと思いましたら、しばらくしてボーイがもってきたものは、白い紙ナプキンに山型に盛りつけたネスカフェです。リーンがスプーンをとって、「何杯?」といいます。「二杯」と答えますと、「ずいぶん濃いのが好きなんだね」といいながらカップに入れて、お湯をついでくれた。そんな思い出があります。
■ ハワイのコナ・コーヒーをあげるといったら、「僕は通だから豆しか飲まない」と言われたこともある。
学生にコーヒーを入れさせたらフィルターを水で濡らしてからいれた。濾紙じゃないって。
コーヒーメーカーを買ってきてしばらくたった時、おじいちゃんが「壊れた!」と言ってきた。見ると、水を入れるところに水もコーヒーの豆も入れて、これでインスタントでコーヒーができるものだと思ったらしい。もうダメかと思ったが、苦労して管に詰まったコーヒーの粉を出した。
■ 渡されしコーヒーは生ぬるくあなたをかばうように飲みほす
------俵万智『風の手のひら』コーヒーをふた口飲んで
まだ来ない
秒針ふるふる震える心
------俵万智『とれたての短歌です』
■ 僕が初めて口にしたコーヒーというのが井村屋(?)の「コーヒー牛乳の素」(?)というので母親が小学校の頃、いれてくれたものだった。その後、禁止になったチクロが入っていたようで大変甘かったのを覚えている。
アメリカではコーヒーを飲むのは大人になってからとされている。
例えば、モンローが出た『帰らざる河』の中でマークという子供が河を渡って試練を乗り越えて町に着いた時にコーヒーを飲むのを許される。そして、お父さんの危機を救うことになるのである。
『ママの思い出』という映画のドラッグストアの場面でお母さんはコーヒーを、キャサリンはアイスクリームソーダを注文することになる。
KATHARIN: When can I drink coffee?
MAMA: When you are grown up.
KATHARIN: When I'm eighteen?
MAMA: Maybe before that.
KATHARIN: When I graduate?
MAMA: Maybe, I don't know. Comes the day you are grown up, Papa and I will know.そして、キャサリンが卒業したときにようやくコーヒーを飲めるようになって大人の味を満喫することになるのである。
■ ああ、コーヒーのなんとまろやかなこと
千度の接吻よりもすばらしく
マスカットの酒より遥かに甘い…
------『コーヒー・カンタータ』ベートーベンは1杯のコーヒーをいれるために60粒のコーヒー豆を自ら数えて使い、朝食はその濃厚なコーヒーだけを愛飲していたといわれる。そのベートーベンに「彼は小川(Bach)ではなく、大海(Meer)だと感嘆させた音楽の父、J・S・バッハに「コーヒー・カンタータ」(“Schweigt stille, plaudert nicht”お静かに、しゃべらないで!BWV211)という曲がある。1732年頃の作品でプロイセンのフリードリッヒ王が「コーヒーの代わりにビールを…」などといい出し、実際にコーヒーに対する迫害が始まっていた頃だという。
カンタータというのは叙情的な声楽曲で「結婚カンタータ」というのもある。オラトリオも似ているがこちらは聖書に取材したものである。
この曲の内容は、ライプチッヒに住んでいるコーヒー狂の娘・リースヘンのお転婆に手を焼いた父親・シュレドリアンがなんとかコーヒーを止めさせようとするが効果が上がらない。何をいっても反論されてしまうので最後の手段としてコーヒーを止めないと結婚させないと脅す。さすがにリースヘンもシュンとなってやむなくコーヒーを絶つことにする。しかし、結婚相手にコーヒー好きの人を選び、毎日飲むんだといって父親をやりこめるのであった…。フィナーレで歌う。
ネコがネズミを逃がさぬように、
娘たちもコーヒーを話さない。
お母さんもおばあさんもコーヒーが大好き。それなのに誰が娘をしかれよう…。フリードリッヒ王は勅令を出したものの到底抑止できないと知って、一転、重税をかけることにした。
一方、ナポレオンは「コーヒーは不思議な力と心地よき苦痛を与えてくれる」と言った。
寺田寅彦は「コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい」と随筆「コーヒー哲学序説」で書いている。
■ バルザックもコーヒー党だったことがツヴァイクの『バルザック』(早川書房)などで知られる。コーヒーを何杯も飲み続け、夜中じゅう執筆していたのだ。本人も『風俗のパトロジー』(新評論)で「コーヒーはわれわれを内部から焼く物質である」と書いている。バルザックのねちっこさはコーヒーからでしか出てこないような気がする。
バルザックは「コーヒーが才知を与えてくれると思いこんでいる人は結構少なくない。だが誰にもわかる通り、退屈な人間はコーヒーを飲んでもますます退屈なだけではないか。早い話パリの雑貨屋は夜中まで開いているけれど、誰か頭の良くなる作家がいるだろうか」とも書いていて、実際に脳に効くコーヒーのいれ方を披露している。ただ、20年近くコーヒーを乱用したために中毒になり、効き目が薄くなったとも書いている。「コーヒーが生み出す創作の感光興は依然ならば相当長いあいだつづいたものですが、それが減っています。いまはもう十五時間しか私の頭を興奮させません。しかもそれは致命的な興奮です。なぜかといえば私の胃に恐ろしい痛みを起こさせるのですから」。
■ こんな風に考えると、コーヒー派の作家と、紅茶派の作家と、ワイン派、日本酒派…の作家で文学史を見直すことができるかもしれない。伊藤整は机にコンデンスミルクの缶を置いて、スプーンでなめながら執筆していたが、どういう位置に置けばいいのだろう。
ニーチェは「朝起きたときに、その日の体調で紅茶にするかコーヒーにするか。紅茶ならミルクかレモンか、蜂蜜にするかに時間をかけるのは人生において全く正しい。しかし人生の重要な決断に関して逡巡する人は、人生を真剣に生きてこなかったと自戒するべきだ」というようなことを書いていた。感覚的に何が大事かをどこかで意識している人は、重要な場面でチャンスを逃さない。チャンスは自分かR捕りに行くものだとばかり思っている人は、本当のチャンスを逃しているのではないだろうか。
■ 永井荷風は『ぼく東綺譚』のあとがきで、コーヒーに触れていて、熱いのを喫するのが本当で「氷で冷却すれば香気は全く消え失(う)せてしまう」という。ところが、この荷風を獅子文六が小説『可否道』で「この間死んだ永井荷風なぞはコーヒーに山盛り五ハイぐらいの砂糖を入れたというから、コーヒー・インテリとしては下の部であろう」と皮肉っている。
どんなコーヒーがおいしいか聞かれることもあるが、他人の好みまで分からない。母はコロンビアが好きなので豆を買いにいくと黙ってコロンビアが出された。
僕自身、一番おいしかったのはジンバブエである。デパートで新しいジンバブエが売っていたことがあって、気も充実して入った時は最高の味だった。内乱の苦い味が感じられた。
最高級のコーヒーはモンキーコーヒーだという人もいる。これは猿がコーヒーの赤い実を食べると果肉のみ消化され、排泄された豆を集めたものを呼ぶ。珍しいことと量の少なさから、幻のコーヒーとされるが、ちょっと勇気がいる。
■ 故郷の訛りなくせし友といてモカ珈琲のかくまで苦し
------寺山修司この歌はどうしても苦みの利いたモカ珈琲でないと格好がつかない。
キリマンジャロで作るとどうしてもこうなる。
つまらない駄ジャレばかりの友達と飲むキリマンジャロはつまらんじゃろ------金川 欣二
■ 西田佐知子(関口宏の奥さん)が歌った「コーヒールンバ」は「昔アラブの偉いお坊さんが−」で始まる。お坊さんは男にある飲み物を教え、「たちまち男は若い娘に恋をした」とあるが、男が飲んだのはコーヒーの「モカ(マタリ)」である。ただし、原詩はずいぶん違うものだという(未確認)。
モカ珈琲で思い出すジョークがある。
ジョークを下らないものという人がいるが、どんなジョークを笑うかでその人の人格・教養が分かってしまうからおそろしいものだ。さて、あなたには分かるだろうか。
アメリカのある家庭で断水中にお客がきた。コーヒーを出そうと思っても水がないのでお風呂の水を使った。お客は「おいしかったわ、これ、モカコーヒーでしょう」といった。「だって、ラクダの毛が入っているわ」。
これで笑えたら上級者である。彼女は金髪のアメリカ人なのである。だからラクダの毛なのだが、モカコーヒーがどこでできているか知らないと笑えない。
モカはイエメン(どこにあるかイエメン)が産地なのである。中東のイエメンが産地なので当然、ラクダに連想が行ったというジョークなのである。しかも、金髪だから成立するジョークで日本人には分かりにくい。ちなみに、モカというのはイエメンの港町の名前である。
■ うまいコーヒーとは---悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、恋のように甘い-----タレーラン
目も心も醒ましてくれる一杯のおいしいコーヒーが大好きだ。
長田弘の『私の二十世紀書店』によれば、世界でもっともうまい朝のコーヒーはカイロの朝のコーヒーだというところから、ターハー・フセインの『不幸な樹』の物語を紹介している。みにくさゆえに幸福であることを奪われた娘に残された唯一の楽しみは、朝早く、父のために黙って朝のコーヒーを淹れることだった。誰のものでもないその時間、娘は、敵意も嫉妬もにくしみもなしに、じぶんを確かな一人としてかんじることができる。人生には何のなぐさめもない。けれども、ひとの一日には、朝のコーヒーの時間があるのだ…。
■ T・S・エリオットはコーヒースプーンで人生を測ったが、実は珈琲の友を多く持つことが人生を計る物差しだ。
珈琲を飲みながらそんな友達をこれからの生涯でどれだけもてるだろうかと思索に耽っていく。
アメリカで「コーヒーを飲んで語り合いたい人」と言われることは大変名誉なことだという。忙殺される中で一人になる貴重な時間を放棄してでも一緒に会話してすごしたい、という魅力を持ったひとだということなのである。
どんなコーヒーが楽しいか、と言われることがあるが、そうした馬鹿話をしながら気のおけない友人と飲むコーヒーが一番おいしい。
※この文章の一部は懸賞で選ばれて、UCCのホームページに載ったものです。
コーヒーの文化史に関しては小林章夫『ロンドンのコーヒー・ハウス』(PHP文庫)を代表として目が覚めるような好著が多い。
![]()