金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)


忘年会の憂鬱
外国にない日本

…日本人が煙草を咬(か)み、巻煙草を吹かして、西洋人が煙管(きせる)を用うることあらば、「日本人は器械の術に乏しくしていまだ煙管の発明もあらず」と言わん。日本人が靴を用いて西洋人が下駄をはくことあらば、「日本人は足の指の用法を知らず」と言わん。味噌も舶来品ならばかくまでに軽蔑を受くることもなからん。豆腐も洋人のテーブルに上(のぼ)らばいっそうの声価を増さん。鰻(うなぎ)の蒲焼き、茶碗蒸し等に至りては世界第一美味の飛び切りとて評判を得(う)ることなるべし。
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福沢諭吉『学問のすすめ』

 俳諧の趣味ですか、西洋には有りませんな。川柳といふやうなものは西洋の詩の中にもありますが、俳句趣味のものは詩の中にもないし、又それが詩の本質を形作つても居ない。日本獨特と言つていゝでせう。
 一體日本と西洋とは家屋の建築裝飾なぞからして違つて居るので、日本では短冊のやうな小さなものを掛けて置いても一の裝飾になるが、西洋のやうな大きな構造ではあんな小(ちひ)ぽけなものを置いても一向目に立たない。
 俳句に進歩はないでせう、唯變化するだけでせう。イクラ複雜にしたつて勸工場のやうにゴタ/\並べたてたつて仕樣がない。日本の衣服が簡便である如く、日本の家屋が簡便である如く、俳句も亦簡便なものである。
―明治四四、六、一『俳味』―  
夏目漱石「西洋にはない」


 11月半ばに民放のニュースで、日本のクリスマス・ツリーは早すぎるのではないか、という特集をしていた。中には10月末に飾るデパートもあるようで、欧米では11月末の感謝祭を終えてからというのが一般的らしい。


 忘年会のシーズンになった。実は忘年会が大嫌いだ。他人にはそうは見えないようで、信じてもらえないことなのだが、宴会というのが嫌いなのだ。幹事タイプだと思われているし、酒で話が弾みそうな人間に思われているらしいが、嫌いなものは嫌いだ。

 どうせ飲むなら2,3人でゆっくりおいしい物を食べて飲むのが好きだ。しかし、忘年会のような、不特定多数と飲むのは嫌いだ。「無礼講」だといいながら、無礼なことは許されないし、うっかり女性に絡んだらセクハラで職を失ってしまう。ふだんからよく知っている人と飲むのが最上だ。

 「宴会部長」が外国にいないか、というと、きっといると思う。シェイクスピアでいえばフォールスタッフがその典型で『ヘンリー四世・第一部』では次のように言う。

戦場にはいちばんあとから、宴会には真先かけてだ、
これが腰抜け武士と食いしん坊の守るべき掟だ。

 僕は今はなき東京教育大学の文学部に在籍していた。修士課程を出たところで大学はなくなった。最後の2年間はキャンパスにも人がいなくなって淋しいものだった。コンパは学生の控え室で行っていた。

 朝鮮語の河野六郎先生やヘブライ語、というか聖書学の関根正雄先生にも声をかけた。河野先生には同情するような視線で眺められた。一方、関根先生はかんかんだった。「だから日本人は成長しないんですよ。忘年といって毎年あったことを忘れてしまうからダメなんですよ。どうせならドイツ語のボーネン、つまり豆の会というならまだ意味があります」と叱られてしまった。

 ボーネンというのは英語の“bean”に相当する“Bohne”の複数形だ。先生がこんなにも怒るのは理不尽だと思っていたが、18歳の時に内村鑑三の講義に感動して、無教会派になられ、聖書学を確立された先生からすれば当たり前の言葉だった。

 英米にはないと考えられる「忘年会」を『ライトハウス』などにはa year-end partyと書いてあるだけだが、『旺文社』には説明でIn mid or late December, Japanese office workers have a special party called bonenkai which literally means a party for forgetting the year. Restaurants and bars are busy at this time. And late trains are crowded with drunken workers.と記載している。

「忘年会」という言い方は、漱石の『吾輩は猫である』や、内田魯庵の『くれの廿八日』に出てくるし、坪内逍遙、国木田独歩も、忘年会を題材にとりあげている。「年忘れ」の語は古く室町時代から見られるという。もとは年の暮れに、一年の労苦を忘れ、無病息災を祝うために親類や友人が集まって催していた。つまり、「自分の老いを忘れること」「年令の差を気にとめないこと」だったという。「忘年の交わり」というと「年令に関係なく親しくすること」だという。今では、職場、グループが中心になった。

 忘年会とは、それぞれの1年が詰まったビンの栓を抜くことかもしれない。泡が出るとは限らないが。

 日本人は積み重ねない。

 日本人やアメリカ人は何でも新しいものを喜ぶ。西欧人が古いものに価値を置くのと真逆である。映画『旅情』でキャサリン・ヘップバーンが「イタリアでは、歳を取ることは財産が増えるというのよ」と諭されるシーンがあるが、日本人は年寄りを大切にしない。

 典型的なのは伊勢神宮の遷宮である。遷宮は20年ごとに行われ、新しく建てられた隣の社に遷る。大体、神棚の神様は新年に取り替えられる。1年こっきりの神様!

 一方、西洋の教会は数世紀もかけて大聖堂を作る。計画した人は自分が完成したカテドラルを見ないことが分かっていて、仕事をはじめる。ケルンの大聖堂は1248年に着工され、完成したのはなんと1880年だった。600年以上もかけて、人はコツコツと積み重ねていったのだ。

 日本が木の文化なら、西洋は石の文化だ。組み合わせと積み重ねの違いがある。

 山折哲雄がさまざまなところで書いていることは日本人の世界観の特徴は無常観だという。無常には、三つの考えが含まれている。この世に永遠なるものは、何一つ存在しない。形あるものは、必ず壊れる。人は生きて、やがて死ぬ。以上の3原則で、これを否定することは誰もできないだろう。まずは疑うことの出来ない客観的事実であるという。ユダヤ・キリスト教文明、アングロサクソンによって形成された西欧社会はそういう考えを積極的には受け入れない。彼らのグローバリゼーションによって怒りの神も愛の神ももたないわれわれ自身のエートスが試されているともいう。

 小泉八雲は「地震と国民性」という新聞の論説(明治27年10月30日)の中で、日本人の国民性は地震国であることに根ざしていると書いている。根気、忍耐力、さらには中国や西洋の文明を巧みに取り入れるその順応性まで地震から生まれるという。確かに、いつ地震に襲われるともしれぬ日本人は長持ちする建物を建てない。こうした永続性にこだわらない社会は常に変化しやすく、外来文明も受け入れやすかったという。また、日本の古城の石垣がセメントで固めることなく、地震の震動でますます密になるよう積まれているのに注目している。石の積み重ねとは違うのである。とはいえ、同じ地震国であるイタリアには堅牢な石の文化があるのをどう説明すればいいのだろう?

 同じく、寺田寅彦は昭和10年の「日本人の自然観」に「鴨長明の方丈記を引用するまでもなく地震や風水の災禍の頻繁(ひんぱん)でしかも全く予測し難い国土に住むものにとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみ渡っているからである」と書いている。

 統計によれば、記録にある世界の大地震の2割、噴火の1割が日本で起こっているという。自然災害のリスクが他国の平均の数十倍である。

 駐日大使をつとめたフランスの詩人P・クローデルも「自分たちが、実は葉叢(はむら)や花々の下で半ば眠っているキュクロペス(ギリシャ神話の巨人)に迎えられた客であることを理解したのである」と書いている。関東大震災に遭遇して「大津波、台風、火山の噴火、地震、大洪水などたえず何か大災害にさらされた日本は、地球上のどの地域より危険な国であり、つねに警戒を怠ることのできない国である」(『朝日の中の黒い鳥』講談社学術文庫)という。

 ナチスによって徹底的に破壊されたワルシャワの街(『戦場のピアニスト』の最後の場面を見れば分かります)は戦後、昔のままに再現されたのだが、木でできている日本の街とはつくづく違う、と思う。当然、過去へのこだわりも違ってくるのだ。

 聖書の解釈学も積み重ねだ。古い注も否定せず積み上げていく。日本は座談会で代表されるように、その場限りの批評だ。

 岩田靖夫は『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書)の中で次のように書いているが、思想も石造りなのである。

 ヨーロッパ思想は二つの礎石の上に立っている。ギリシャの思想とヘブライの信仰である。この二つの礎石があらゆるヨーロッパ思想の源泉であり、二〇〇〇年にわたって華麗な展開を遂げるヨーロッパ哲学は、これら二つの源泉の、あるいは深化発展であり、あるいはそれらに対する反逆であり、あるいはさまざまな形態におけるそれらの化合変容である。

 第一の礎石であるギリシャ思想の本質とはなにか。それはまず、人間の自由と平等の自覚である。【…】

 では、第二の礎石であるヘブライの信仰の本質とはなにか。【…】その信仰の基本は、第一に、唯一の超越的な神が大地万物の創造主であるという点にある。

 ギリシャ思想やヘブライ信仰と違って、日本の神道には教義すらない。簡単に忘れてリセットすることは伊勢神宮の遷宮などから始まる日本文化の特質だと思う。ちなみに、フランク・ロイド・ライトは「私はついに発見した。この地球上には自然のままの簡素さを最高とする国があることを」(At last I had found one country on earth where simplicity, as natural, is supreme.)と言った。

 渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房)は幕末期から明治にかけて日本を訪れた外国人の日記を調べた名著だが、立ち直りが早いのにも注目している。カッテンリーケは「日本人の死をおそれないことは格別である…肉親の死について、まるで茶飯事のように話し、地震火事その他の天災をば茶化してしまう」というし、マーガレット・バラも「いつまでも悲しんでいられないのは日本人のきわだった特質の一つです」という。イギリス人ディクソンが次のように語るのも会社の忘年会でにこやかに飲んでいる日本人をみていると理解できる。「西洋の都会の群集によく見かける心労にひしがれた顔つきなどまったく見られない。頭をまるめた老人からきゃっきゃっと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群集はにこやかに道垂れている。彼ら老若男女を見ていると、世の中には悲哀など存在しないかに思われてくる」。

 司馬遼太郎は『街道をゆく30 愛蘭土紀行1』(朝日文庫)で次のように書いている。 

 いわば日本じゅうが、“普請中”という落ちつかない家の中に住んでいる。このため、秩序ある美しさにあこがれる若い娘たちは、安定期をむかえた---たとえば国内では京都や津和野のような---よその家をのぞきこみする旅をよろこぶ。彼女たちのヨーロッパ旅行も、基本的にはそういう心理にちがいない。

 内田樹も同様のことをブログに書いている。日本人だけだという。

「リセット」の誘惑に日本人は抵抗力がない。
「すべてチャラにして、一からやり直そうよ」と言われると、どんなことでも、思わず「うん」と頷いてしまうのが日本人の骨がらみの癖なのである。
「維新」といわれると思わず武者震いし、「乾坤一擲」とか「大東亜新秩序」とかいうスローガンに動悸が速まり、「一億総懺悔」でも「一億総白痴化」でも「一億総中流」でもとにかく「一億総」がつくとわらわらと走り出し、「構造改革」でも「戦後レジームからの脱却」でも、とにかく「まるごと・一から・刷新」と聴くと一も二もなくきゃあきゃあはしゃぎ出すのが日本人である。
それはそれまでの自分のありようと弊履を捨つるがごとく捨てるのが「自分らしさの探求」であり、「自己実現」への捷径であると私たちが信じているからである。
繰り返し言うが、こんな考え方をするのは世界で日本人だけである。
私はそれを「属邦人性」と呼んでいるのである。
私はこの日本人の腰の軽い属邦人性のうちに日本人の可能性と危険はともに存すると考えている。
可塑的であるというのはよいことである。
だが、ことの功罪を吟味せずに「・・・はもう終わった」で歴史のゴミ箱になんでもかんでも捨ててしまうのは愚かなことである。
というわけで私がこの数年ご提案しているのは、「『・・・はもう終わった』が理非の判定に代わる時代はもう終わった」というものである。
私以外にそんな性根の悪いことを言う人間はいないはずなのであるが、最近のメディアの論調を見ていると「『・・・はもう古い』という言い方はもう古い」とか「何かにつけことの善し悪しを簡単に決めつけるのはよろしくない」というような措辞が散見されるのである。
こういう背理に直面する以外に私たちは自分には背理に耐える論理がないという事実を知ることができないのである。
知っていきなりどうなるというものでもないが、知らないよりはずっとましである。

 最後に一つ。遷宮をするのはいつも新しさを保っておくだけの意味を持っているのではない。ピラミッドにしろ、パルテノンにしろ、どうやって造ったか誰にも分からなくなっている。ところが、ちょうど一世代の20年ごとに造られる伊勢神宮は完成した年から次の遷宮に向けて職人たちが技を磨いていく。つまり、技の継承という意味でこれほど合理的な方法はなかったのである。

 もう一つ。『蝶々夫人』で999年契約(西洋では永遠を表す)で借りた丘の上の家について、障子と襖で仕切られている木造の家を見て、ピンカートンが「吹けば飛びそうだ」と心配するのに対して、周旋屋が「自由に開け閉めできて、同じ部屋でも好きなように模様替えが可能です」という。布団も含めて、日本の暮らしの方が合理的ではある。

 日本人は新しい事件が起きると1億人総評論家になってしまうが、すぐに忘れ去って、教訓として残すことが少ない。

 自己の文化をも消費していくだけで何も残さない。あらゆる事象を貪欲に消費しつくすことを村上春樹は「文化的焼き畑農業」と呼んでいる。

 【…】かくかように、新聞からビールの銘柄に至るまで、ここ(プリンストン大学周辺)では何がコレクトで何がインコレクトかという区分がかなり明確である。【…】
 でも、「これはコレクト、これはインコレクト」という風に考えて暮らしている生活も、考えようによってはなかなか悪くないものである。とくに日本みたいな「何でもあり」という仁義なき流動社会から来ると、かえってほっとする部分もなきにしもあらずである。【…】
 でも日本ではそう簡単にはいかない。たとえばオペラなんて流行じゃないよ、歌舞伎だよ、という風にどうしてもなってしまう。情報が租借に先行し、感覚が認識に先行し、批評が想像に先行している。それが悪いとは言わないけれど、正直言って疲れる。僕はそういう先端的波乗り競争にはもともと関わってこなかった人間だけれど、でもそういう風に神経症的に生きている人々の姿を遠くから見ているだけでもけっこう疲れる。これはまったくのところ文化的焼き畑農業である。みんなで寄ってたかってひとつの畑を焼き尽くすと次の畑に行く。あとにはしばらく草も生えない。本来なら豊かで自然な創造的才能を持っている創作者が、時間をかけてゆっくりと自分の創作システムを掘り下げていかなくてはならないはずの人間が、焼かれずに生き残るということだけを念頭に置いて、あるいはただ単に傍目によく映るということだけを考えて活動し生きていかなくてはならない。これを文化的消耗と言わずしていったい何と言えばいいのか。
     -----村上春樹の『やがて哀しき外国語』(講談社文庫)

 ちなみに、日本のような温泉というのも外国にはない。湿度が違うこともあるが、入浴自体あまりしないようだ。調べてみるとウラジミール・クリチェク『世界温泉文化史』(国文社)というのがあって、ローマ時代にはカラカラ浴場などが隆盛した。中世にはブルジョワの成長とともに公衆浴場が作られてコミュニティ・センターの役割も果たした。15世紀には長くつかるほどよいとされて、お湯の中で飲み食いして、溺死も多かったようだ(現代日本でも多いのだが)。17世紀後半からはつかるものではなくて飲用療法が主流となった。尿の色がお湯の色と同じになるまで飲むのがよいとされて、歩数計ではなく杯数計をぶら下げて散歩したという。裸のつきあいではなかったので、温泉がリゾート化して社交界となり、さまざまな芸術が花開いたという。マリエンバードやバーデンバーデンなど有名な温泉地がある。西洋だと水着を着て入るところも多い。水着を着てどうして生まれ変わることができようか。

 クルーティエの『水と温泉の文化史』(三省堂)には次のような記述もあった!

 衛生観念は史上最低のレベルにまで落ち込み、それが一九世紀になるまでつづいた。カステイリアのイザベラ女王などは生涯に二度しか入浴しなかったことを誇りにしてさえいた。その二度とは、誕生のときと結婚の前である。入浴の代わりに、人々は香水や化粧品を使った。

 鹿島茂も『上等舶来・ふらんすモノ語り』(文藝春秋)で次のように書いている。

 しばしば、フランス人は二十世紀の初めまで風呂に入る習慣がなかったといわれる。たしかにそのとおりで、第二次大戦後でも風呂付きホテル、風呂付きアパルトマンのほうが少数派だった。

 しかし、こう書くと、フランス人はアカがたまった不潔な状態でも平気だったのかと思われそうなので、ひと言つけ加えておくと、フランスのホテルやアパルトマンには風呂もシャワーもなかったが、身繕い用の道具はあった。大きな水差しと金だらい、それに水汲み用のバケツである。この三点セット、ないしはこれに小さな水差しを加えた四点セットがありさえすれば、フランス人は風呂などなくともじつに起用に身繕いができたのである。【…】

 つまり、フランス人にとって身繕いとは濡れたタオルで体をぬぐうことだったのである。【…】

 しかし、これでは、どうしても下半身の衛生が疎かになる。ビデがフランスの家庭に普及したのは、この不便を解消するためだったと思われる。すなわち、ビデは避妊用ではなく、あくまで衛生が目的のもので、男もこれを使ったのである。

 ルース・ベネディクトは『菊と刀』(教養文庫)で次のように喝破している。

 日本人の最も好むささやかな肉体的快楽の一つは温浴である。どんなに貧乏な百姓でも、またどんなに賤しいしもべでも、裕福な貴族と全く変わりなく、毎日夕方に、非常に熱く沸かした湯につかることを日課のひとつにしている。最もありふれた浴槽は木製の桶で、その下に炭火をもして華氏一一〇度またはそれ以上の温度に保つ。人びとは湯ぶねにはいる前に身体中をすっかり洗い清める。それから湯につかって温かさとくつろぎの楽しみに身をゆだねる。彼らは湯ぶねの中に胎児のような姿勢で両膝を立てて坐り、顎まで湯につかる。彼らが毎日入浴するのは、アメリカと同じように清潔のためでもあるが、なおそのほかに、世界の他の国ぐにの入浴の習慣には類例を見いだすことの困難な、一種の受動的な耽溺な、芸術としての価値を置いている。この価値は、彼らの言によれば、年を取るにしたがってしだい増大してゆく。

 これが現在までに連なっているから、今の西洋人はつかる温泉のよさを知らない。でも、温泉に連れていかれると(裸のつきあいなど)最初は抵抗があるようだが、すっかりはまってしまうことになるのだ。

 宇宙飛行士の野口聡一が2010年に163日の宇宙滞在を終えて帰還した後、初の記者会見で地球に戻ってよかったと感じたことは、の問いにこう答えた。「水ですね、水。流れる水、これはいいですね。水が流れているっていうことのありがたさというものを実感します。飲む水もそう、体に浴びる水もそうですが」。

 古代ローマと現代日本をタイムスリップするヤマザキマリの漫画『テルマエ・ロマエ』が出るのは必然だった。

 教育大で忘年会(コンパも多かった)をする時は池袋西武へ買い物に出かけていた。今では「デパ地下」というのは当たり前になっているが、当時の西武の地下は他のデパートを凌駕していた。駅弁大会と美術展が一緒に行われるような日本の「デパート」そのものが日本的であるが、この「デパ地下」というのも日本的なものである。フランスなどでは結婚の贈り物にリスト・ド・マリアージュ(英語ではbridal registry)という「新婚にほしい一覧表」ができて、地下1階はこのリストのための贈答品を並べておくフロアになっている。

 忘年会には鍋料理が多いが、中国や朝鮮半島に何種かと西欧にフォンデュを数えるぐらいのものだが、日本には実にさまざまな鍋がある。水炊き、寄せ鍋、すき焼き、湯豆腐、しゃぶしゃぶ、石狩鍋ほかの郷土鍋など枚挙に暇がない。

 そうそう、花見も外国にはない。イギリス人に「どうして桜の木の下に酔っ払いが集まるのか」と聞かれたことがあって「桜の花の下でみんな酔っぱらうのですよ」と答えたことがある。日本人は自然に神を感じることができる人間なのだ。もちろん、花見がなくてもピクニックはある。マネの「草上の昼食」にも描かれているように、自然に触れながら食事をすることはある(が、花見のように飲んで大騒ぎはないだろう)。

「桜」  杉山平一

毎日の仕事の疲れや悲しみから
救はれるやう
日曜日みんなはお花見に行く
やさしい風は汽車のやうにやってきて
みんなの疲れた心を運んでは過ぎる
みんなが心に握ってゐる桃色の三等切符を
神様はしづかにお切りになる
ごらん はらはらと花びらが散る

 明治に来日した米国の女性旅行家E・R・シッドモアは『日本・人力車旅情』(有隣堂)の中で、開花を待つ人々の盛り上がりように「桜のつぼみが顔を出し、膨らみ、徐々に花開く、これは一般大衆の主要な関心事である。だから地元紙は、開花予想など桜の名所からの速報を毎日つたえる」と書いている。酔態についても「古代ローマ人そっくり」と苦笑している。彼女はワシントンのポトマック河畔に桜を咲かすことに尽力した。白幡洋三郎は『花見と桜』(PHP新書)の中で、「花見は日本以外にはない」という。奈良・平安の昔からある習俗が江戸時代に民衆娯楽化して今に続いているものらしいのだが、花を見て騒ぐというのは外国人には理解しがたいらしい。白幡は花見の三要素を「群桜」「飲食」「群集」と定義していて、外国には桜があっても「群集」がない、ことに「飲食」がないようだ。新しいところでは、おそらく日本の影響を受けているのだろう、バリー・ユアグローの『ケータイ・ストリーズ』(新潮社)に「桜」(Cherry Blossoms)という短篇があって、ここでは女の子が花見の桜になってしまう(まるで「あたま山」みたいだ)。

「さくら」 茨木のり子『詩集 食卓に珈琲の匂い流れ』

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳くらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しいとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふらふらと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

 そうそう、チェーホフの『桜の園』(Вишнёвый сад)だって花見用の桜ではなくてサクランボ用の園なのだ。英語でもわざわざ“cherry blossom”といわなければサクランボになってしまう。

世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし---在原業平(『伊勢物語』)

 花見もなければ、月見も外国にはない。中国はもちろん、月を愛でるが、西洋人にとって月は不気味なものの象徴だから、見ないのである。日本でも『竹取物語』に月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があるから、中国文化が入る前と後では異なるのだろう。

 小林秀雄に「お月見」(『真贋』)という短いエッセーがある。ある人が京都の嵯峨で月見の宴をしたところ、たまたまスイスから来た客人が幾人かおり、その一座の雰囲気がどうしても理解出来なかったという。そのうちの一人が、今夜の月には何か異変があるのか…と茫然と月を眺めている隣の日本人に、怪訝な顔つきで質問したという。

 この日本人同士でなければ、容易に通じ難い、自然の感じ方のニュアンスは、在来の日本の文化の姿に、注意すればどこにでも感じられる。特に、文学なり美術なりは、この細かな感じ方がコソとなって育って来た、といえば、これはまず大概の人々が納得している事だろう。ところが、近代化し合理化した、現代の文化をいう場合、そんな話を持出すと、ひどく馬鹿げた恰好になる。何か全く見当が外れた風になるのはどうしたわけか。細かな感受性の質などには現代文化は本当に何の関係もないものになってしまったのか。それとも、そんな風な文化論ばかりが流行し、文化に関心を持つと称する人々が、そんな文化論ばかりを追っているという事なのか。

 意識的なものの考え方が変っても、意識出来ぬものの感じ方は容易には変らない。いってしまえば簡単な事のようだが、年齢を重ねてみて、私には、やっとその事が合点出来たように思う。いってしまえば簡単な事のようだが、年齢を重ねてみて、私には、やっとその事が合点出来たように思う。新しい考えを学べば、古い考え方は侮蔑出来る、古い感じ方を侮蔑すれば、新しい感じ方が得られる。それは無理な事だ、感傷的な考えだ、とやっとはっきり合点出来た。何んの事はない、私たちに、自分たちの感受性の質を変える自由のないのは、皮膚の色を変える自由がないのとよく似たところがあると合点するのに、随分手間がかかった事になる。妙な事だ。

 田丸公美子の『目からハム』(朝日新聞出版)にはこんな話が出て来た。

 伊東豊雄氏とエットレ・ソットサスという日伊建築界の巨匠対談の時のこと。
「日本の美意識は咲くとすぐ散る桜の花に象徴されます。私たちははかなさを愛でる国民なのです」
 伊東氏のこの発言に、ソットサスは眉ひとつ動かさずにこう応えたのだ。「そうだな、桜の開花は射精みたいなもんだからな。いいのはほんの一瞬だ」

 なんたって、相手はイタリア男!「ごまをする」ことを「尻をなめる」と言っちゃう国からきた男だ。「射精」ごときでひるんでは通訳になれない。こんな美意識の人に桜の散り際の、潔さなんて説明できない。ちなみに、「目からハムが落ちた」(うろこのように薄い生ハムを想像してください)というと「目からうろこ」に相当し、「目にハムを持つ」というと、「ものごとの本質が見えない人、理解力に欠けた人」の意味だという。

 バキュームカーも外国にはない。村野まさよし『バキュームカーはえらかった』(文藝春秋)によれば、1951年、川崎市が全国に先駆けて開発・導入し、その後、衛生的であるとの理由で全国へ普及したとされる。そりゃ、そうだ。欧米は下水が完備していたからだ。GHQの命令で厚生省が試作したものに、使いものにならず、無理矢理、川崎市が買い取らされ、職員が改造に乗り出して今の形のものができたのだ。とはいっても、バキュームカーを知らない子どもたちも増えてきた。

 松岡正剛は『日本という方法』(NHK)などで、日本の方法として「苗代」の方法、間接話法、部分の重視を主張する。「苗代」こそ、きわめて日本的な方法であり、徳川社会において「苗代」を確立していた。「苗代」とは、いったん苗代という仮の場所に種をまいて、ちょっと育て、その苗を田んぼに移し替えていく。それから本格的に育てるという方法であるという。

 つまり、時代、時代の一番おいしい文化から、日本に根付く部分だけをうまく摂取するのが得意だというのだ。

 『逆欠如の日本生活文化―日本にあるものは世界にあるか』(思文閣出版)という本がある。「欠如」とは「外国にあるものが日本にはない」というものの見方であり、「逆欠如」とは「日本にあるものは外国にもある」というものの見方で園田英弘が理論化したものである。この本では華族、魚肉ソーセージ、芸者とホステス、花見、名門女子大、連れ残業・天下り、ブランド志向など14人の論客が蘊蓄を披露している。

 誰でも、外国旅行をすると当たり前のようなものがなかったりするのに驚くが、これである。自分の経験から書いてみると。

 トイレ自体が外国には少ないし、無料トイレとなると更に少ないし、温かい便座もない(南イタリアでは便座自体なかった)し、ウォシュレットもない。トイレットペーパーなどというものもちょっと前までなかったのだ。

 自動販売機もそうだ。大体、金庫を町中に置いてあるようなもので、治安の悪い国では置けない。自動販売機の多さにびっくりしていた外国人に「日本には自動販売機の自動販売機もある」といったら更にびっくりしていた。そんなものある訳がないが…。

 スリッパというものもあまり見ない。スイスのリゾートホテルで見たことがあるが、もしかしたら、日本人が多いから置いてあるだけかもしれない。そして、他の国の人は一体これは?と思って見ているのかもしれない。

 ホステスというのも中途半端な存在で、すぐに寝てくれる訳でもないし、友だちともいえない。経営者を「ママ」というのも日本人が疑似的な母親を欲していることが分かる。weそんな中途半端な状態の女性がいるから、忘年会でOLをホステスと間違えてセクハラするおじさんが大勢いるのである。

 僕はホステスとつきあったことがないので分からないが、島田雅彦は『快楽特急』(朝日新聞社)の「幼児性の発揮」で次のように書いていた。なるほど、日本人には必要なものだと理解した。

 拗ねる。駄々をこねる。わがままをいう。それらは必ずしも幼児の専売特許というわけでもなく、大人のあいだにもよく見られる行動だ。しかも、社会的地位が高く、金もある大人ほど幼児性を発揮する。

 たとえば、社長や重役、文豪や巨匠、親方や監督といった客の面々が集う銀座のクラブは保育園のような場所だ。彼らの愚痴や説教の聴き手になってやり、煙草の火をつけてやったり、飲み物をつくってやったり、つまみを口に入れてやったり、痛いところをさすってやったりするホステスたちは保母さんみたいなもので、客はベビーシッティングされにそこへ行くのである。

 金も地位もある幼児たちの言葉は無内容で、独りよがりであることが多い。【…】

 『日の名残り』を書いたカズオ・イシグロはインタビューなどで「人はみな執事である」と話しているが、日本ほどホスピタリティの進んだ国も少ないかも知れない。何しろ、「お客様は神様です」という文化なのだから。こんなことばかりいうと「芸者文化」だという人が出てくるかもしれないが…。

 ウィーンにウィンナ・コーヒーはない。アメリカにアメリカン・コーヒーはない。どのコーヒーも薄くてアメリカンだ。ナポリにナポリタンはない。アメリカ軍が占領していた時代に横浜で生まれたらしい。

 井上章一の『人形の誘惑』(三省堂)によれば、サンダース人形があるのは日本だけだという。日本はフィギュアがあふれた文化なのである。薬局にぞうさんやうさぎさんのフィギュアがなかったら、つまらないでしょ。不二家にペコちゃん人形がないと誰も入らない。

 そして、鹿島茂『パリの秘密』(中央公論新社)の「フランス人形の幻影」によれば、フランスにフランス人形というものはない。本物のフランス人形(ビスク・ドール)は江戸時代のひな人形と同じくらいにレアのものだという。

 クリスマスカードはあっても年賀状はない。毎年、自分の家族の写真を送りつけるなんてすごいことだ。出来合いのカードではなくて、それぞれが趣向を凝らしたものを送る。ただ、鹿島茂の『上等舶来・ふらんすモノ語り』(文藝春秋)ではフランスにも賀状に相当する行事はあったらしい。19世紀まで日本と同じように新年の挨拶回りをするのが習慣になっていたからだという。ところが、時代が下がるに従って、できるだけたくさんの義理を果たそうとしたために、門番のところに自分の名刺を置いてくるだけになって、更に、名刺配り専門の請負業者まで出現するようになったという。これが進化すれば賀状になったのに、残念だった。お歳暮もフランスにあって、アパルトマンの管理人に買わなければならない。19世紀の生活百科にも、年末の付け届けを欠かさぬようにという注意書きがあるという。管理人がアパルトマンの住人の薪から自分用の分を抜き取る権利が形を変えたものだというから人さまざまである。お年玉(etrenne)も20世紀の初めまであったが、今ではアメリカ式にクリスマスにプレゼントするようになったという。

 門松というのは富山などでは飾らない。フランスでも飾らないのだが、ヤドリギguiの葉と枝を詰めたかごを肉親にプレゼントしたり、自宅に飾る習慣は今でもあるという。フレーザーの『金枝篇』を読むまでもなく、ヤドリギに不思議な力があると考えられたからだ。

…じつは、これ、フランス人の祖先に当たるガリア人から伝わった異教的な風習である。

 ガリア人はヤドリギが大地に根を持たず、しかも冬でも枯れないことを不思議に思い、ヤドリギが葉を出したカシの木には神が宿っているにちがいないと考えた。そこで、新年の初めに、ドルイド教の僧侶のかしらが黄金の鎌でヤドリギを切り取り、これを祭壇に捧げたといwれる。

 この風習がローマ人やゲルマン民族にガリアが征服されキリスト教化したのちも残ったのである。ただ、そのころには、ヤドリギの神性への信仰は失われ、むしろ、幽霊や魔女から子供や家畜を守るための厄よけとしての意味が強くなったようだ。

 イギリスでは、ヤドリギは新年というよりもむしろクリスマスの装飾用植物で、それらが飾られている下で女性に出会った男性はキスの特権を得るということになっている。ただし、キスをするたびにヤドリギの白い実を取るので、それが終わったところで特権は消えることになっている。

 「新年おめでとう」を古くは“Au gui l'an neuf!”と言った。“s'embrasser sous le gui”というとヤドリギの下にいる娘には誰でもキスをしていいということになる。イギリスでも一部の人はケルト民族の血がまざっているので、クリスマスの飾りにヤドリギが使われている。

 ちなみに、ドルイド教では井戸“le puits”も神聖なものとして考えられ、シャルトルの大聖堂の地下にも井戸がある。日本でも弘法大師の出した井戸は多いし、キリスト教でもルルドの泉のように同じ考えから生まれている。

 日本でも寄生木を「寄生(ほよ)」とか「飛蔦(とびづた)」とか呼んでいた。万葉集に「あしひきの山の木末(こぬれ)の寄生(ほよ)取りて挿頭(かざ)しつらくは千年(ちとせ)寿(ほ)くとぞ」(4136)という大伴家持があって、この場合、どちらもに同じような信仰があったのは興味深い。

 バレンタインのチョコレートもよく知られているように、韓国や中国では日本の影響で増えているというが、外国にはない。鹿島茂『フランス歳時記』(中公新書)にはなぜかイギリスの風習が書いてある。「レディ・アン」という男女が輪になってボールを回していて異性を当てるというゲームや恋占いも盛んでボウルに入れた水に投げ込んだ麻の実が水分を吸って膨らんでアルファベットの文字になれば、そえが未来の伴侶の頭文字とされるという。家の形になれば大金持ちから、王冠に似ていれば権力者から、求婚されると考えられているという。

 交番という制度も外国にはなかったが、今では東南アジアなどに「輸出」しているはずだ。

 外国を旅するというのは、そんな異文化とまではいかなくても、色々な差異について考えられるから面白いのだと思う。

 小熊英二に『インド日記』(新曜社)というのがあって、デリーの国立博物館で貴族たちの肖像画を見たのだが、伝統的な服装をしていながら、西洋の技法で描かれた絵を「アジア諸国のナショナリズムに共通の現象である」といって次のように書いている。

 伊藤博文は、ヨーロッパ諸国が君主の名所旧跡を保存していることを参考にして、日本の名所旧跡を保存する提案を行なった。「伝統文化を国家や民族のシンボルとして大事にする」という発想じたいが、西洋から入ってきたものだったといえる。

 それゆえナショナリストというものは、しばしばもっとも西洋化された人物である。岡倉天心は外国人に教育されたため、英語は得意だったが子供時代には日本語が読めなかったし、前にも述べたように三島由紀夫は『ダフニスとクロエ』にヒントを得て『潮騒』を書いた。

 ブランド志向などというものもない。ないとはもちろん断言できないのだが、日本人、特に日本女性ほどのブランド好きはいないだろう(最近のアジアは分からないが)。中島義道は『女が好きな10の言葉』(新潮社)で、女は権威主義だと言って次のようなエピソードを書いている。

 ある日のウィーンからの帰りの飛行機の中で。(何かの)ブランド品を特別な低価格で機内販売しますというアナウンスが入ったとたん、そのワゴンが通路を動き出すや、あちこちの席から橋田壽賀子のような(?)おばさんたちが、次々にむくむくと眠りから覚めて立ち上がり、そのすべてが私の席の真横で停まったワゴンめがけて突進し、お互いに突き飛ばし、ものすごい光景が私の眼前で繰り広げられました。そのほとんどすべてがむっちりした大腿部と尻を浮き立たせるスラックス(こういう場合は「ズボン」というほうが適している)を穿いていて、その肉の塊どうしが私の眼の前を左に揺れ右に揺れ、踊り続ける。しかも、大声で喋りまくり、ものすごい形相で笑い続けるのですから、もう生きた心地がしませんでした。どうして、ほとんどの女は、ルイ・ヴィトンのバッグを持っていることを、軽佻浮薄、付和雷同の象徴として恥じないのでしょうか?エルメスのスカーフを巻いていることを、身分不相応、いや容貌不相応な屈辱的なことだと感じないのでしょうか?不思議でたまりません。

 これについて鹿島茂が『上等舶来・ふらんすモノ語り』のあとがきで次のように書いている。

 以前、森茉莉について書いたとき、「事物×想像力=1」という反比例式を披露したことがある。※

 すなわち、森茉莉が米軍払下げ物資の中から、薄緑色の安物のコップを見つけ、その「かすかに橄欖(オリイブ)色が入っている厚手の洋杯(コップ)」に、なんとボッティチェルリの女神の羅(うすもの)の色」を見たというエピソードのなかに、事物が舶来の安物であればあるだけ、かえって、そこに西洋への憧れを喚起されるという彼女の想像力の質があらわれていると感じたのである。森茉莉はこうも言っている。

「大金を投じて購うということはただの贅沢であって、そこには夢がないし、愉しさがない」

 本物の高級品になると、逆に想像力が刺激されず、夢も生まれないというわけだ。【…】

 「上等舶来」という言葉は【…】かすかな手掛かりから外国の生活を夢見るという想像力の本来あるべき姿を物語っているような気がする。

※『森茉莉全集第2巻』(筑摩)月報 「橄欖色の洋杯(オリイブ色のコップ)」

 つまり、ブランド崇拝は想像力の質の堕落と深くかかわっていて、「舶来品」が「ブランド品」と名前を変えたときに、日本人は自分たちのもっとも貴重な財産を失ったのだという。

 経済学で高い物が売れるのを「ヴェブレン効果」という。百円ショップの品物が一部の人に嫌われるのはこの反対の効果なのだが、ワインの値段を上げたらよく売れたなどという話がある。モノやサービスに対する「他人の消費量」が自分の満足感に影響を与えるのを「消費の外部性」ともいう。自分で買っているように思えて、他人のまねをしているだけなのだ。つまり、「恥の文化」で世間を気にする日本人にはつけいる隙があったのだ。高い物を買うことで、自分は他人よりも贅沢に生きられるという満足感と、品質を知らないで買っているという馬鹿さ加減とが微妙に混ざってブランド信仰が生まれる。

 一点物、限定品に飛びつくのは「スノッブ効果」という。逆に、みんなが持っているから買うのは「バンドワゴン効果」という。かつては90%が「中流」と勘違いしていた国の中で、前者は自分だけが中流でないことを示す行動であり、後者は中流だからこそ起きる行動といえる。

 いずれにしろ、バルトがいうように日本は『記号の帝国』だからである。

    夢を買う話(森茉莉「私の美の世界」)

 「羅馬にゆきしことある人は、ピアッツァ・バルべリイニを知りたるべし」

 この『即興詩人』の文章が頭に浮かんで来て、石畳の上を軽く蹴る、馬車の蹄の音が聴こえてくるような電気スタンドを、私は持っている。十年前に近所の店で安い値段で買ったもので、店にあった時から大分古びていた。伊太利の古い銅版画のように黒くなった、鈍く光る銅製(銅かどうかあやしいが)で、十六、七の男と女の天使が手をつないで踊っている彫刻がある。

 私は何か買う時、品物そのものを買うというよりも、”夢”を買ってくるような、奇妙な場合が多い。だから常識人は首をかしげるような損な買い物をする結果になることが多いのは当然のなりゆきというものである。
 
 私の頭の中にはいつも、昔見た伊太利の空、ボッティチェリの「春」の画面にある空、女性の羅の秘かな橄欖色、同じく「ヴィーナスの誕生」の海の薄い透明な緑、その画面に散っていた花々、明るい空の下の、澱み腐敗したような運河の鈍い緑。又はシンガポオルやペナンの明るい透き通った海の薄緑、アマルフィの海岸の檸檬の黄色、僧院を改造したレストランの、白い円柱や廻廊に落ちていた野薔薇の影の薄紫、巴里のキャフェの、フランボワアズ入りのアイスクリイムの、牛乳をまぜたような薔薇色。きりがないのでやめておくが、それらの色があって、そういう色をみつけるとやみくもに、欲しくなる。

 同じ薄緑色の紅茶茶碗が並んでいる場合、どうかした具合で特に薄く、鈍い色に上っているのを、わざわざ選んで、はっきり鮮明に上っているのと同じ値段で嬉々として買いとる。

 硝子が安もののために、硝子特有の不可解な透明の中に、かすかに橄欖色が入っている厚手の洋杯を私は本郷の、米軍家族の払下げた家具什器を売っている店で買った。笑ってはいけない。その微かな、あるかないかの橄欖色は、ボッティチェリの女神の羅の色なのである。向こう側にあるものが見えるような、見えないような、あの、曇りのある硝子の透明は、安ものの硝子にしかない。

 私は又道玄坂の或る店で、ヴェルサイユ王宮のゴブラン織りを発見した。その小さな壁かけは三年くらい前からそこの壁に止めてあった形跡歴然としていたが、そのために伊太利の運河や橋、岸の風景、すべてが古び薄れていて、確実にヴェルサイユ王宮のゴブランの色を呈していた。その色調は美術鑑定家がみても本物に酷似していることを認めるにちがいないが、色の褪めた壁かけを値切りもせずに買った私の、欣然とした顔色を見た商人は妙な顔をしたのである。

 ヴェルサイユ宮の森と、猪の背に跳びかかる猟人を彫った彫刻を織り出した本物のゴブランがあったら私は魂を奪われるだろうが、買うことはないだろう。大金を投じて購うということはただの贅沢であって、そこには夢がないし、愉しさがないからである。

 ブランドを好む最大の理由は見栄である。東海林さだおと『ショッピングの女王』の中村うさぎの対談で、中村は水商売の女と、医者の奥さんとお坊さんの奥さんがブランド好きだという。

東海林 ブランドものを着たいというのは、何なんでしょうね。
中村  見栄です(キッパリ)
東海林 じゃ、常にギャラリーがいなくちゃいけない。
中村  そうですね。私は誰も見てない家の中ではジャージで生活してる(笑)。
東海林
 っていうことは、「どうだ!」っていう……。
中村  ええ、やっぱり、「どうだ!」って見せびらかしやすいものは、服とかバッグになるわけで。
 

 もちろん、国内にも同じことがいえて、富山で当たり前のとろろ昆布を巻いたおむすびなど東京にはない。昆布巻きのカマボコも、鯛のカマボコもないし、板のついてないカマボコも少ない。故郷が懐かしくなる瞬間だ。

 世界に戻ると、今ないからといって昔なかったことにはならない。この辺が習俗の難しさなのだが、例えば、生卵は日本以外ではあまり食べない。白いご飯もなかったりする。米食があって食べそうな地域ではサルモネラ菌が心配だ。

 炊き立てのご飯に生卵!これさえあればどこでも生きていける。東海林さだおも『キャベツの丸かじり』(朝日新聞社)の中で「この世で“醤油を二、三滴たらした生卵”以上においしいものはない」と断言しているくらいだ。いや、昔の人は八百屋に寄って、生卵をそのまま呑んでいた。精がつく、と言われたからで、映画『おとうと』には川口浩が結核になって、生卵を丼でかきこむ場面があった。高かったから大変なごちそうだったのだ。加山雄三が出ていた『二人の息子』では卵一つで家族がもめるシーンがあったくらいだ。

 ところが、米原万里の『旅行者の朝食』(文藝春秋)によれば、ラテン語の熟語で“AB OVO USQUE AD MALA”というのがあり、「卵から林檎まで」という意味だそうだ。つまり、ローマ人の宴席でも、最初に卵、最後に果物が出たらしい。この伝統はルネサンス期まで続いていて、2001年の日本でのイタリア年の行事で披露されたルネサンス期の正餐の献立も、最初は卵で最後はフルーツだった。ただし、ルネサンス人の卵はゆで卵だったのに対して、ローマ人はゆで卵でもオムレツでも目玉焼きでもなく、生のまま呑み込んだと伝えられている。本格的な料理をいただく前の食前酒のような前菜のような位置づけだったみたいだ(ホラティウスにも古代ギリシャの饗宴としても描かれている)。映画『ロッキー』ではスタローンが5個も生卵を食べるシーンがある。

 もちろん、今でも例外的に風邪を引いた時の「エッグノッグ」(『あなたが寝ている間に…』ではクリスマスにエッグノッグを飲んでひっくり返りそうになるシーンがある)というのがあるし、声楽家が声に艶を出すために飲むこともある。

 『恋愛小説家』ではジャック・ニコルソンが朝食にいつも「卵3個の目玉焼き、ソーセージにポテトフライ、パンケーキにコーヒー。砂糖はダイエットシュガー」と注文する。ヘレン・ハントに「偏食症で死ぬわよ」といわれて、「人はどうせ死ぬんだから」なんて憎まれ口をきく…。

 『ひまわり』でもソフィア・ローレンとマストロヤンニが新婚生活で嫌ほど食べるシーンがある。結婚式の翌日にマストロヤンニが作るのは死んだ祖父も父も同じプレーンオムレツを作っていたからだという。バターで焼こうとするのに、ローレンは「私の家は油よ」といってたっぷり油をひいたフライパンに卵24個も流し込む。田舎風のパントワインを添えて食べ始めたのだが、食べきれず、「しばらく卵とは絶交だ」という。

 それなのに、米原によれば、今のイタリア人は生卵どころか、ほとんど卵料理を食べないという。朝ご飯にも出てこないで、フェトチーネの和え物用に黄身をつなぎとして使うくらいだという。

 卵みたいなおいしいものでも時代によってこんなに違うのだから、安易に逆欠如というのはいえない。大体、「ない」という証明は「ある」という証明に対してずっと難しいのだ。UFOがいる、いないという議論があるが、「いない」というとどうやって証明できるという人がいる。そんなことは永遠にできっこない。それなのに反論した気持ちになっているのだ。じゃあ、出してみろ。

 鈴木孝夫先生は『日本人はなぜ英語ができないか』(岩波新書)の中で次のように書いている。

 一般に欧米のスポーツでは、何よりも勝つことに主眼が置かれ、勝負経過の途中で示された、気迫とか精神力などに注目して、それに賞を与えるということは、あまり見られないと思います。敢闘賞をあらわすのに用いられた三つの単語【fighting spirit prize】のそれぞれは、どれもごくふつうの英語ですが、これらをfighting spirit prizeと組み合わせることで、これまでの英語の世界になかった物の見方、価値のあり方を、新しく英語の文化の中に表現し、定着させています。この意味で、日本の文科が英語世界の豊かさを増すのに、貢献したといえるわけです。

 ところが、これに対してマーク・ピーターセンが『ニホン語、話せますか?』(新潮社)の中でアメリカにだって似たような賞はあると、反論している。

 上述の主張の「あまり見られないと思います」という根拠のない意見から、「これまでの英語の世界にはなかった物の見方、価値のあり方」というとてつもない断言への突飛な飛躍は、面白い。日本のことをさほど分かっていないアメリカ人学者の「日本人論」にもよく見かけられる現象である。

 村上春樹は『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(新潮社)の中で「裸で家事をする主婦は正しいのか?」というエッセイを書いている。人生相談の内容が日米で違うという話なのだが、「自分はいつも全裸で家事をしているのだが、あるときに裏口から入り込んだ男にレイプされてしまい、大きな精神的ショックを受けた。どうすればいいか?」というのがあって、驚いたと書いている。「全裸家事主婦」というものがいるのかどうか、という話である。問題はこのエッセイが出た後、すぐに日本の主婦たちから「男の作家なんて、本当のことを何も知らないのね。かわいいのね」というような手紙がいっぱい来たという。本当にそんな女性がいるのだろうか。村上春樹は言う。

 でもその後も「全裸家事主婦」のことは、不思議に僕の頭を離れなかった。電車の吊り革に一人でつかまってぼおっとしていると、裸で白菜を切ったりアイロンをかけたりする主婦の姿がふと頭に浮かんできたものだった。そもそも人はいったいどのような過程を経て、全裸で家事をしようという発想にいたるのか? そんなことをあれこれと考えているうちに僕も、「いや、服を脱ぎ捨てて裸で家事をするのは、けっこう気分のいいものかもしれないぞ」と考えるようになった。一度実際に試してみようかとかなりマジに考えているのだが、いざ実行する段になると二の足を踏んでしまう。こっそりと全裸で大根をおろしているときに、うちの奥さんが突然帰宅したりしたら、いったいどのように言い訳すればいいのだろう。正直に事情を説明して、果たしてそれを信じてもらえるだろうか……なんてぐずぐず考え出すと、やはり全裸の腰が引けてしまう。さしあたってレイプのことまでは考えないまでも。

 東海林さだお『だれだってズルしたい!』(文藝春秋)では自作の「明解料理用語辞典」を載せている。

●にこみ 煮込み
 寝入っているところを襲うのを「寝込みを襲う」と言う。
 同様に、煮こんでいるところを襲うのを「煮こみを襲う」と言う。
 新婚の妻が食事を作ろうとして何かを煮こんでいるところを、つい夫が襲うというシーンが、裏ビデオなのにはよくあるという。

 「ない」と断定することは本当に難しい。実は、妻の友人で、お風呂あがりは下着もつけないでビールを飲むのが趣味という人がいる。弟さんは止めてくれ、と帰省するたびに懇願しているそうだ。この女性が結婚したらやっぱり「全裸家事主婦」になるのだろうか?

  しかし、本は読むもので、川上弘美の「ときどき、きらいで」(『ざらざら』マガジンハウス)にははだかエプロンが出てきた。
 ミコちゃんの娘のえりちゃんがくみちゃんに提案するのだ。

 ほら、珍しくミコちゃんがサラリーマンとつきあってたころ。その人って、決まった時間に帰ってくる人だったんだ。で、その時刻になると、ミコちゃん、あのはだかエプロンして、もうしわけみたいな目玉焼きかなにかつくりながら、待ち構えてたのよ。それでねえ、くみちゃん、はだかエプロンて、ほんとは一回、してみたいと思ったことない? えりちゃんはひと息に言って、首をかしげた。
 何と答えていいかわからないまま黙っていると、えりちゃんはちょっと困ったような表情のまま、ねえくみちゃん、と繰り返した。

 で、しばらくのすったもんだのあげく、わたしたちは結局「はだかエプロン」をしてみたのである。【…】

「ねえ、ミコちゃんて、はだかエプロン、似合ってた?」わたしは聞いてみた。
「うん、ものすごく」えりちゃんは答えた。
 わたしたちはお互いのはだかエプロン姿をあらためて見合った。えりちゃんとわたしは、たぶん同じことをそのとき思いめぐらしていた。わたしたちには想像もつかない、バラエティーにとんだミコちゃんの恋愛、およびそれに伴う性生活のことを。

 結婚の前のお見合いについても西欧にはないらしい。そうは言っても、世話をする女性はいるものだし、それとなく合わせるなんてことはいっぱいあったと思う。西欧の女性はお見合いを羨ましがることもあるようだが、多くの場合、日本のお見合いは封建的なものだと思われている。だから谷崎の『細雪』は『四人姉妹』というタイトルになっていて、ルノンドーの翻訳の文庫版では次のような表紙になっている。誤解するわな〜。

 もう一つ、ジャンケンというものが欧米にはない。「ロック・ペーパー・シザーズ」といって、最近では使うこともあるのだが、コイン投げしかなかった。こんな偶然に任すべきではない、いう欧米人もいた。ジャンケンがないから、議論が始まる。日本は議論がなくて、ジャンケンで決着させてしまう。

 そうそう、リンゴの皮むきというのも外国人はやらない。日本人がリンゴの皮をむくのは奇跡のように思えるらしい。ま、外国人たって、全部調べられないけど…。

 内田樹×三砂ちづる『身体知』(バジリコ)でヨーロッパでは学校が「文化資本」を提供することななく、日本は誇れるものだということを二人で語り合っている。

内田 スイス人の友だちが来た宴会の席で、ドイツ語で「野薔薇」を歌ったらびっくりしていましたよ。何で歌えるのって訊くから、中学校で習ったって。【…】

内田 【フランスなどではクラブ活動がなく】日本の場合はやろうと思ったらテニスも乗馬も何でもクラブ活動できちゃんですからね。その点は誇っていいと思いますね。【…】

内田 日本の教育にだっていいところはあるんですから。

三砂 文化資本の下支えがあると思うのです。美術では、彫刻も水彩もふつうにやりますね。版画もやっているし、浮世絵の模写までやっていたりする。ブラジルでは絵の具なんかみたこともない子どもは山ほどいるわけですから。それに、家庭科の効用、というのもあります。わたしの世代の男声で、「ボタンをつけられるのは小学校で習ったから。本返しも半返しもできるよ」といわれる方を何人も知っています。

内田 ヨーロッパでは男の人が針仕事をするところって、見ないなあ。

 言語学的な話をしておけば、表現というものが欠如していることがある。日本語の「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「お帰り」もそうだし、「いただきます」「ごちそうさま」などもそうである。「頑張れ」だってどの国の言葉にもある訳ではない。

 細かくいうと、例えば「マンション」というのは英語では大邸宅なのでないことになる。「ジェットコースター」は英語で「ローラーコースター」というから、ないことになる(ちなみにフランス語ではmontagne russe「ロシアの山」というが、ロシアの王侯の一人が考え出したから)……とやっていけばキリがない。

 「感性」という言葉も英語にはないから河合隼雄はKANSEIとして使っていた。日本の行政は「ゆとり」とか「豊かさ」というのが好きだが、ぴったりの英語はない。“true sense of afluence”“high quality of life”と訳した英字紙もあるようだ。

 『逆欠如の日本生活文化』に戻って、おかしかったのは、水虫つまり白癬菌は世界のどこにでもいるが、完治しにくい国民病となってしまっているのは日本だけだという眞嶋亜有(まじま・あゆ)の指摘だ。外国に「水虫」はあっても(athlete's [athletic] footというようにスポーツマン特有の病気だと考えられている)「水虫問題」はないという。水虫の薬か毛生え薬を発明すればノーベル賞、というのは日本だけのおとぎ話なのだ。そして、水虫の原因は日本の近代化の逆説的展開にある「清潔志向ゆえの水虫問題」なのだという。だから、『ブレード・ランナー』を見た時に、雨ばかり降る都会でみんな水虫にならないだろうかと心配したのは杞憂にすぎなかったのである。

 「盲腸」というのもない。正確には虫垂炎なのだが、手術をするのは圧倒的に日本人だという。左腹が痛くても、「あんた、左利きだから」といって盲腸の手術をされそうな雰囲気が日本にはある。食べ物が違うとか、腸の長さが違うとかいろんな話がある。

 「肩凝り」が外国にはない、というのも有名な話だ。正確には「肩」だけを悪者にすることが外国にはないのだ。同僚のチャーリーが「夏ばてした」というので、「夏ばてって英語で何ていうの?」と聞いたら、ないという。チャーリーは最近、肩凝りもひどいらしい。

 そういえば、欧米に耳かきがない。愛する人の膝枕で耳をかいてもらう、そんな情景が彼らには楽しめないのだ。人間の耳あかにはカサカサした「乾型」と、ネトネトした「湿型」があって日本人の8割前後が乾型を持つ。家族がみんな乾型で耳掃除は綿棒よりも耳かきという人は多いだろう。ところが、この割合は白人や黒人では大逆転する。ウェブスターは "earpick" を "a device often of precious metal for removing wax or foreign bodies from the ear" と説明している。しかし、英語を母国語とする人たちにとって "earpick" という単語はおそらくなじみのないもので、実際、標準的な英英辞典にはこの単語は登録されていない場合が多い。フランス語の "cure-oreille" に関しては、たとえば Petit Robert に "Instrument, petit spatule, pour se nettoyer l'interieur d'oreille."(耳の内部をきれいにするための小さなスパチュラ=へら状の道具)という説明があるが、これもフランス人にとってはなじみのない単語の一つだろう。またドイツ語に関しては"earpick" に当たる語を掲載している辞書はほとんどないという。

 “toothpick”はどうだろう。爪楊枝である。これは外国にもあるが、レストランで見ることは少ないように思える(高級レストランに入ったことがないもので…)。ただ、スイス・アーミーナイフには爪楊枝がちゃんとついていて、説明書にも“toothpick”とあって驚いたことがある。

 しかも、欧米には楊枝を手で覆ってせせるというマナーがないという。丸谷才一が『双六で東海道』(文藝春秋)で書いているが、辻静雄がこれをやるのを見てアメリカの美食評論家が驚嘆し嘆賞したという。

 佐田智子「<歌俳(うたはい)>欄は世界にあるか---新聞に見る「日本」の固有性」によれば、日本以外で詩歌の投書を掲載するのはアラブ圏の新聞だけだそうだ。1900年正岡子規を選者とする短歌欄が『日本』新聞に登場し、『東京朝日新聞』は1910年石川啄木を選者として、『大阪朝日新聞』は1915年若山牧水を選者として「朝日歌壇」を創設している。この「うた」文化は1920年代、すわなちラジオ時代に飛躍的な拡大を遂げ、今日に至っている。佐田は次のように総括している。

 日本の新聞は、その基層で「うた」を歌い続けてきたのではないか。「歌俳」的、「うた」的であるということは、共感性、共有性、代弁性、無署名性、擬似共同体的幻想を包含している。……「歌会始め」を年初に天皇家が主宰し、一年を予祝する。新聞というメディアはそれを伝えることによって、「歌俳」欄をほぼ100年間発展、継続することによって、大衆的レベルでの現代の勅撰和歌集を継続させ、埋もれかけた、古い共同体の記憶の残滓、共同体の祭祀のはるかなる下請けを、自身も意識しないまま続けてきたのかもしれない。

 園田英弘はこの本の中でも忘年会を扱っているが、シーズンに合わせて面白い本を出した。『忘年会』(文春新書)だ。忘年会は年中行事を扱う本などでもほとんど忘れ去られ、というか無視されてきた行事で分からないことが多いという。それでも、忘年会の起源は室町期の「としわすれ」に起源のひとつが認められ、江戸期、明治期と、主に武士・官僚層によって年の終わりに持たれた「会」に、整いゆく形が見えるという。

 面白いのは「忠臣蔵」討入りが成功したのは「忘年茶会」の夜に決行されたからだという。小さい頃からおかしいとは思っていたが、吉良亭には3倍の手勢がいたにもかかわらず、赤穂浪士側は死者なし、打撲傷が3人。一方、吉良側は「首級(しゅきゅう)」を取られただけでなく、討死が16人、手負いが21人だったという。

 アメリカ人哲学者のマイケル・ブロンコの『僕、トーキョーの味方です』(メディアファクトリー)にも「騒音の『年間予算』――忘年会」として出てくる。

 アメリカのクリスマスパーティは、たいてい自宅や職場でこぢんまりと祝う。家族や親しい友人が集まり、甘すぎるデザートとエッグノッグ(卵に牛乳と砂糖を混ぜ、ラムを加えた飲み物)とプレゼントを囲む。家庭で祝うクリスマスは、退屈で気づまりなものだ。七面鳥がテーブルの真ん中に陣取り、テレビのスポーツ中継や特別番組がいい退屈しのぎになる。

 東京の忘年会シーズンは、十二月いっぱい続く。同僚、友人、知り合いの知り合い、予約とは決して一致しないほどたくさんの人数が集まり、にぎやかな宴会が繰り広げられる。飲んで、食べて、しゃべって、すべてがふだんの二倍になる。アメリカでも日本でも、十二月は消費の月だ。アメリカ人はプレゼントに、日本人は居酒屋に金を注ぎこむ。

 キリスト教国にはないが、東アジアには日本の忘年会が輸出されているという。アメリカではクリスマスを祝うことができなくなっている。キリスト教徒でない人に配慮したもので、ブッシュ大統領だって2004年から「ハッピーホリデーズ」というようになった。「メリークリスマス」はPC(政治的に正しい)とはいえないのである。キリスト誕生の絵は公共の場から消え、公立学校では「きよしこの夜」も歌えない。「クリスマスツリー」が「コミュニティーツリー」、「クリスマスパーティー」は「ホリデーパーテイー」と言い換えられてきている。ユダヤ教とは「ハッピーハニカ」などと言っている。

 それに対して、忘年会は非宗教的で融通無碍だからこそ生き延びてきた特異な習俗なのだ。元々、クリスマスはキリスト生誕の話がヨーロッパ古来の冬至の行事と結び付いたもので、宗教色は後からついたものだ。クリスマスの代わりに忘年会。

 おおっ!忘年会はこれから日本が輸出できるソフトパワーの一つなのかもしれない。

 とはいえ、忘年会や新年会など飲み会が嫌いなことは変わらない。勤務校では積立をしていて、わずかのお金で忘年会に出席できて、欠席してもキャッシュバックはなかったが、今年からさすがに欠席者にお金が少し戻ることになった。欠席する権利が少し認められることになったといえるかもしれない。

 と、こんなグチを積み重ねていけば、いつか展望が開けるかもしれない。と、年の暮れに思うのである。

【初掲:2006年12月1日】


※その後、高田公理『にっぽんの知恵』(講談社現代新書)という本が出た。これを読めば、どれが日本的か分かるようになっている。目次を見るだけでも何をいいたいか分かる。

第1章 湯浴みにくつろぎ、穏やかに暮らす
銭湯/刀狩り
第2章 草木虫魚に親しみ、サルからも学ぶ
花見/里山/サル学/菊人形
第3章 「ありあわせ」を活かし、遊び、親しむ
ありあわせ/からくり/缶コーヒー/だし
第4章 普通の人々の好奇心と表現の試み
おけいこ/カラオケ/第九/モバイル
第5章 柔らかな人間関係が生み出す世界
根回し/お歳暮/いろ/ママ・女将
第6章 八百万の神と単一原理からの自由
神さま仏さま/ちょうど好い加減

 軍隊に戻ろうと考え始めていた脱走兵を銭湯に連れていったら、軍隊に帰るのを止めたという話が感動的である。橋本峰雄の論文『風呂の思想』(現代風俗研究会編『現代風俗 77』)の「もともと、キリスト者が入浴を禁圧する傾向があったのと対照的に、仏教においては入浴は徳を得るものであり、「施浴」は功徳・追善の行事となるものであった」というのが引用してある。


 

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